https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 雪ハ、ユキト云フ、大雪ハ豐年ノ佳瑞ト稱シテ之ヲ賞ス、初雪ノ日ハ群臣參内ス、之ヲ初雪ノ見參ト云フ、此日王臣ニ物ヲ賜フ、又深雪ノ日ニハ、諸陣ノ見參ヲ取レリ、並ニ後世行ハレズ、又雪ヲ以テ巖又ハ島、其他雜物ノ象ヲ作リ、中世ニハ雪山ヲ作ルノ戲アリ、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈一風雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 雪 説文云、雪冬雨也、五經通義云、陽則散爲雨水、寒則凝爲霜雪、皆從地而昇者也、又作䨮音切、〈和名由木〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一風雨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0198 按、説文、䨮凝雨説物者、廣韻、雪凝雨也、玉篇同、皆不冬雨、雪字非冬雨、此冬字疑草書凝字、壞存半體也、又此所引無説物者字、蓋陸氏本於説文、而節説物者三字、唐韻、廣韻依此、故亦只云凝雨也、然則作説文恐非、釋名、雪綏也、水下遇寒氣而凝、綏々然也、〈◯中略〉隋書云、五經通義八卷、粱九卷、唐書云、九卷、漢劉向撰、今無傳本、北堂書鈔、初學記、太平御覽引、皆作寒氣凝以

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199霜雪地升也、按、大戴禮曾子天圓篇、陽氣勝則散爲雨露、陰氣勝則凝爲霜雪、太平御覽引大戴禮、作天地積陰、温則爲雨、寒則爲一レ雪、論衡説日篇、夏則爲露、冬則爲霜、温則爲雨、寒則爲雪、雨露凍凝者、皆由地發、不天降也、皆即此事、並以陽對陰、以温對寒、而此以陽對寒、必有一誤、依北堂書鈔、初學記、太平御覽所引作寒氣、知寒字非誤、然則陽温字形相似而譌也、雨水亦雨露之誤、

〔類聚名義抄〕

〈七雨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 雪〈音切、ユキ、〉 䨮〈正〉

〔撮壤集〕

〈上天像〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 雪 三白(ハク) 六花(リククワ) 六出(リクシユツ) 滕六(トウリク)

〔日本釋名〕

〈上天象〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 雪 やすくきゆる也、やすのかへしはゆ也、きゆるの下を略す、

〔東雅〕

〈一天文〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 雪ユキ 義不詳、舊説に上古の語に、ユキといひしは、潔齋の義なるなり、雪またユキといふ事も、皎潔の義なりといふ、〈古語にイといひ、ユといふことは、相轉じていひけり、齋の字讀て、イともユともいひしが如き即是なり、古語にユキといひしは、即今キヨシといふ詞なり、ユの音を開きて呼ぶ時は、キヨといひ、キといふ音は轉じてシとなるが故なり、凡物の色白きは、潔きものなれば、古語に其色の白きもの、多くはユといひけり、雪、露、又木綿、繭などの如きこれなり、雪をユキといふ、ユとは白きなり、キとはケの轉にして消なり、其色白くして消ゆるなりといふ説の如きは、いかがあるべき、〉

〔和漢三才圖會〕

〈三天象〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 雪(ゆき/スエツ)〈音切〉 䨮〈古文〉 左傳云、平地尺爲大雪、〈和名由岐〉
 論衡云、夏爲露、冬則爲霜、温則爲雨、寒則爲雪、雨霧凍凝者皆由地發、不天降、韓詩外傳云、凡草木花多五出、雪花獨六出、〈朱子云、地六水之成數、雪者水結爲花故六出、◯中略〉 按、冬則日行天之南陸、故北地愈寒也、本朝如信越賀奧羽之北國雪多、而越州最爲勝、雪積蔽屋棟出入無便、毎秋收貯衣食薪鹽以待春也、其雪中家却暖也、凡雪降之翌日必暖也、

〔八雲御抄〕

〈三上天象〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0199 雪 みゆき〈行幸御幸をも〉 はつ あは〈冬のはじめつかた、春の雪也、但万八に、十二月にあはゆきふるといへり、何も不違、又小松原同也、〉 しら 友待 はたれ〈うすきなり〉 かたひら おほ くつ けのこりの 色きえず〈万〉 しづり〈木雪落也〉 万に、そらより雪ながれくる、〈梅事也〉 雪けはまことの雪氣をいふ、又たヾ雪のふるをもいふ、 万、雪消とかけり、 万十七に、光といへり、 あはゆきなどをば、しき〳〵とよめる也、 万

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 三に、雪のくだけといへり、ほどろ〳〵ふる うちきらし たなぎりあふ あまぎり いほへふる〈五百重也〉 つぎて〈繼也〉 いやしきふる とよくにのゆふ山ゆきといへり〈雪也〉 ふじの雪は六月のもちにきえて、其よふると在歌、 雪をほどろ〳〵にふりしけばといふ也 邊々云故人説也 かヽれる雪 後撰に二首也 ふヾきは雪をふくなり ひかる〈万〉

〔藏玉和謌集〕

〈冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 六花(○○)  雪
冬嵐にふかれてちるか六花の手折袖にも雪のかヽれば
 六花の事、委和歌新論に有、俊房作、春に二梅櫻、冬に則三冬雪、秋に一菊、夏卯花、雪ありといへども、夏雪の事依凶事六花には不入、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 輕皇子宿于安騎野時、柿本朝臣人麻呂作歌、
八隅知之(ヤスミシヽ)、吾大王(ワガオホキミノ)、〈◯中略〉玉蜻(タマカギロ)、夕去來者(ユウサリクレバ)、三雪(ミユキ/○○)落(フル)、阿騎乃大野爾(アキノオホヌニ)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈八冬雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 大伴坂上郞女雪歌一首
松影乃(マツカゲノ)、淺茅之上乃(アサヂノウヘノ)、白雪(シラユキ/○○)乎(ヲ)、不令消(ケタズテ)將置(オカム)、言者可聞奈吉(イヘバカモナキ)、

〔源氏物語〕

〈二十三初音〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 ことしはをとこたうかあり、うちより朱雀院にまいりて、つぎに此院にまいる、道の程とをくて、夜の明がたに成にけり、月のくもりなくすみまさりて、うす雪(○○○)少しふれる庭のえならぬに、殿上人なども、ものヽ上手多かるころほひにて、ふえの音もいとをもしろくふきたてヽ、このおまへはことに心づかひしたり、

〔圓珠庵雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 雪をはだれ(○○○)とよめり
萬葉十九、わがそのヽすもヽの花か庭にちるはだれのいまだのこりたるかも

〔夫木和歌抄〕

〈十八雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0200 十一月きえやすき雪をうらみし心   主殿
はだれ雪あだにもあらできえぬめり世にふることや物うかるらん

〔物類稱呼〕

〈一天地〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 雪ゆき 東武にて綿帽子雪といふを、西國にて花びら雪と云、中國にてべたれ雪と云、越路にてぼた雪といふ、上總にてぼたん雪と云、雲州にてだんひら雪といふ、又ほろ〳〵降る雪を、越路にてはだれ雪と云、

沫雪

〔倭名類聚抄〕

〈一風雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 沫雪 日本紀私記云、沫雪、〈阿和由岐〉其弱如水沫、故云沫雪也、〈◯原書有脱字、據一本補、〉

〔類聚名義抄〕

〈七雨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 沫雪〈アハユキ〉

〔袖中抄〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 あは雪
しはすにはあは雪ふるとしらぬかも梅の花さくつヽみてあらで〈◯萬葉集八〉
顯昭云、あは雪とはきえやすき雪也、世人春雪とおもへり、しかれどもいまの歌もしはすにふるといへり、冬も春もよむべし、

〔東雅〕

〈一天文〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0201 雪ユキ〈◯中略〉 アハユキといふ事、舊事紀に、日神、素戔烏神の天に昇給ひしをむかへ給ひし時、蹈堅庭而陷股若沫雪蹴散し給ふといふ事の見えしを、日本紀も其文によられ、古事記に見えし所もまた異ならず、倭名鈔に沫雪の字をしるし、讀てアハユキといひ、日本紀を引て、其弱如水沫と註せり、〈これ私記の説なり〉釋日本紀にも、師説を引て釋せしところ、亦これに同じ、世人これらの説によりて、沫雪とは春雪をいふなりともいひ、又冬のはじめ降れるをもいふなりなど、いひ傳へたれど、萬葉集の中には、冬の歌にあはゆきを讀しあまた見えて、特には、しはすにはあはゆきふると知らずかも梅の花さくつぼめらんして、とよめる歌あり、世の人の説しかるべしとも思はれず、沫雪といふものは、たとへば雪の初て作(オコ)りて、いまだ華をなさヾるが、つぶ〳〵として水沫の結びたるやうにあれば、沫雪といひしなり、古事記の歌に、多久夫須麻(タクフスマ)、佐夜具賀斯多爾(サヤグガシタニ)、阿波由岐能(アハユキノ)と見えしは、〈◯中略〉其降れる音の、さやげるを云ふなるべし、さらば即今アラレといふ物にてあるなれば、ケハラヽカシともしるされたるなり、然を後の人、其義を誤解きて、其弱如沫など

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 いひしによりて、又春の雪の消やすきをいふなりなどと、いふ事にはなりしなり、萬葉集に見えし歌どもは、其讀める人々、古を去る事も遠からず、また説文等に見えし所をも、併見しと見えたれば、おのづから古き義を失なはず、〈説文に霰稷雪也、言雪初作未華、圓如稷粒也と見えたれば、雪いまだ華を成さざらんをば、冬にもあれ春にもあれ、稷雪とこそいふべけれ、萬葉集の冬の歌共に、あまた見えし事、疑ふべくもあらず、それが中にも、梅の花さへつぼめらむしてとよめるは、彼雪のいまだ華をなさヾるをかたどり云ひしなるべし、〉

〔古事記傳〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 沫雪はたヾ雪のことなり、万葉に數しらず多くよめる皆然り、其さまの沫に似たる故に云なり、〈山川のたぎつせなどの沫は、まことに雪と似たるものにて、古歌にもさるよしよめり、後世に春の消易きを別て淡雪と云ならへるは、淡しき雪と心得たるより起れるにや、沫は阿和、淡は阿波にて、音も異に、又万葉に沫雪とよめる、皆常の雪にて、冬を主とよめるをや、又霰と云と云説もあれど、さらに古の歌どもに叶はず、甚誤なり、〉

〔日本書紀〕

〈一神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 始素戔嗚尊昇天之時、溟渤以之鼔盪、山岳爲之鳴呴、此則神性雄健使之然也、天照大神素知其神暴惡、至來詣之状、乃勃然而驚曰、吾弟之來豈以善意乎、謂當有國之志歟、〈◯中略〉振起弓彇握劒柄堅庭而陷股若沫雪以蹴散、〈◯又見古事記

〔萬葉集〕

〈八冬雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 太宰帥大伴卿、冬日見雪憶京歌一首、
沫雪(アワユキノ)、保杼呂保杼呂爾(ホドロホドロニ)、零敷者(フリシケバ)、平城(ナラノ)京師(ミヤコシ)、所念(オモホユル)可聞(カモ)、

〔古今和歌集〕

〈十一戀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 題しらず   よみ人しらず
あわ雪のたまればかてにくだけつヽ我物思ひのしげき比かな

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0202 沫雪 春の雪は消やすきをもつて沫雪といふ、和漢の春雪消やすきを、詩歌の作意とす、是暖國の事也、寒國の雪は冬を沫雪ともいふべし、いかんとなれば、冬の雪はいかほどつもりても、凝凍ことなく、脆弱なる事淤泥のごとし、故に冬の雪中は橇、縋を穿て途を行、里言には雪を漕といふ、水を渉る状に似たるゆゑにや、又深田を行すがたあり、初春にいたれば、雪悉く凍りて、雪途は石を布たるごとくなれば、往來冬よりは易し、〈すべらざるために、下駄の齒にくぎをうちて用ふ、〉暖國の沫雪とは、氣運の前後かくのごとし、

雪氣

〔頼政卿集〕

〈冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 待初雪
またれつる雪げかと社思ひつれいまだ時雨の雲にぞ有ける

〔夫木和歌抄〕

〈十八雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 百首御歌   後一條入道關白
はれくもりふりもつヾかぬ雪雲のあふさきるさに月ぞさえたる

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 雪意(ゆきもよひ) 我國〈◯越後〉の雪意は暖國に均しからず、およそ九月の半より霜を置て、寒氣次第に烈く、九月の末に至ば、殺風肌を侵て冬枯の諸木葉を落し、天色<ruby>霎</rb><rt>せう〳〵</rt></ruby>として、日の光を看ざる事連日、是雪の意也、天氣朦朧たる事數日にして、遠近の高山に白を點じて雪を觀せしむ、これを里言に嶽廻といふ、又海ある所は海鳴り、山ふかき處は山なる、遠雷の如し、これを里言に胴鳴りといふ、これを見これを聞て、雪の遠からざるをしる、年の寒暖につれて、時日はさだかならねど、たけまはり、どうなりは、秋の彼岸前後にあり、毎年かくのごとし、雪の用意 前にいへるがごとく、雪降んとするを量り、雪に損ぜられぬ爲に、屋上に修造を加へ、梁柱廂〈家の前の屋翼(ひさし)を里言にらうかといふ、すなはち廓架なり、〉其外すべて居室に係る所力弱はこれを補ふ、雪に潰れざる爲也、庭樹は大小に隨ひ、枝の曲べきはまげて縛束、椙丸太又は竹を添へ杖となして、枝を強からしむ、雪折をいとへば也、冬草の類は菰筵を以覆ひ包む、井戸は小屋を懸、厠は雪中其物を荷しむべき備をなす、雪中には一點の野菜もなければ、家内の人數にしたがひて、雪中の食料を貯ふ、〈あたたかなるやうに土中にうづめ、又はわらにつヽみ、桶に入れてこほらざらしむ、〉其外雪の用意に種々の造作をなす事、筆に盡しがたし、

初雪

〔後水尾院當時年中行事〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 一初雪つもれば御盃はじまる、べた〳〵のかちんにて一獻參る、女中男にもたぶ、院女院などへも參る、

〔萬葉集〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0203 二十三日〈◯天平勝寶八年十一月〉集於式部少丞大伴宿禰池主之宅飮宴歌
波都由伎波(ハツユキハ)、知敝爾布里之家(チヘニフリシケ)、故非之久能(コヒシクノ)、於保加流和禮波(オホカルワレハ)、美都都之努波牟(ミツツシヌバム)、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204  右兵部大丞大原眞人今城

〔菅家文草〕

〈五詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 十月二十一日、禁中初雪、應製、〈扶一〉 推歩四時令不違、初開六出報重闈、地因高霽看何易、天未全寒更非、粧妓自疑顏粉落、宿酲偏誤眼花飛、今朝且揖如雲瑞、先滅唯縁日輝

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 永正十四年十一月廿一日、雪初降、參内御盃參、〈女中、伯等申沙汰歟、〉例年之儀也、各沈酔了、 十七年十一月十九日、早旦參當番、初雪御盃如例、伯三位依歡樂候、各沈酔不可説也、

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0204 初雪 江戸には雪の降ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞し、雪見の船に歌妓を携へ、雪の茶の湯に賓客を招き、青樓は雪を居續の媒となし、酒亭は雪を來客の嘉瑞となす、雪の爲に種々の遊樂をなす事、枚擧がたし、雪を賞するの甚しきは、繁花のしからしむる所也、雪國の人これを見これを聞て羨ざるはなし、我國〈◯越後〉の初雪を以てこれに比れば、樂と苦と雲泥のちがひ也、そも〳〵越後國は北方の陰地なれども、一國の内陰陽を前後す、いかんとなれば、天は西北にたらず、ゆゑに西北を陰とし、地は東南に足ず、ゆゑに東南を陽とす、越後の地勢は西北は大海に對して陽氣也、東南は高山連りて陰氣也、ゆゑに西北の郡村は雪淺く、東南の諸邑は雪深し、是陰陽の前後したるに似たり、我住魚沼郡東南の陰地にして、卷機山、苗場山、八海山、牛が嶽、金城山、駒が嶽、兎が嶽、淺草山等の高山、其餘他國に聞えざる山々、波濤のごとく東南に連り、大小の河々も縱横をなし、陰氣充滿して雲深き山間の村落なれば、雪の深をしるべし、〈冬は日南の方を周ゆゑ、北國はます〳〵寒し、家の内といへども、北は寒く南はあたヽかなると同じ道理也、〉我國初雪を視る事、遲と速とは其年の氣運寒暖につれて均からずといへども、およそ初雪は九月の末、十月の首にあり、我國の雪は鵞毛をなさず、降時はかならず粉碎をなす、風又これを助く、故に一晝夜に積所六七尺より一丈に至る時もあり、往古より今年にいたるまで、此雪此國に降ざる事なし、されば暖國の人のごとく初雪を觀て、吟

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 詠遊興のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中に在る事かと、雪を悲は邊郷の寒國に生たる不幸といふべし、雪を觀て樂む人の、繁花の暖地に生たる、天幸を羨ざらんや、

〔骨董集〕

〈上編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 初雪の句 初雪や犬の足跡梅の花と云句は、何人のいひいだしたるにか、童もくちずさむ句也、五元集〈をのがね鷄合の卷〉云、雞去畫竹葉、是は五山派の僧雪の聯句に、犬走生梅花といへる對なり云々、右の聯句にもとづく歟、或は暗合したる歟、

〔曠野集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 雪二十句  大津にて
雪の日や船頭どのヽ顏の色   其角
いざ行かん雪見にころぶ處まで   芭蕉

〔續俳諧奇人談〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 田氏捨女 捨子は丹波の國栢原田氏の女なり、少小より風流のきざし見ゆ、六歳の冬、雪の朝二の字〳〵の下駄の跡、

降雪見參/降雪賜物

〔西宮記〕

〈十一月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 初雪 初雪降者、依宣旨諸陣見參祿、延長三年正月十四日、今朝雪七寸、令内藏助仲連、以綿一千屯給大内山御室道俗、以昨日寒今朝大雪也、應和元年十一月七日、今朝初雪、分遣殿上侍臣於諸陣、帶刀取見參、又男女房主殿掃部者同預例也、十日令民部卿藤原朝臣去七日諸陣所々見參、仰以大藏綿祿、

〔禁祕御抄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0205 雪山〈◯中略〉 初雪見參近代絶畢、初雪日仰六位藏人、令見參、藏人束帶〈或宿衣〉召朝餉之、内侍傳仰、藏人進見參祿、内藏寮絹、大藏省布也、 女房藏人已上絹一匹、主殿掃部女官信濃布四段、下各二段、御厨子所得選各一匹、刀自各三段、此外御厠人、長女、内豎、主殿官人、史生、案主、下部、今良、諸陣府生、番長、舍人依差給之、

〔公事根源〕

〈十月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 初雪見參 昔初雪のふる日、群臣參内し侍るを初雪見參と申也、桓武天皇延暦十一年十一月よりはじまる、初雪にかぎらず深雪の時は、必諸陣見參をとるといへり、此事絶て久し、

〔助無智祕抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 初雪日 侍中アヲイロ、オリモノノサシヌキヲキテ、諸陣ヘムカヒテ見參ヲトルベシ、就中ニ帶刀ノ陣ニムカフ、藏人ヨウジンスベシ、アヲイロニアラズトモ、タヾビレイノ裝束ヲソクタイニテモキルベシ、

〔類聚國史〕

〔百六十五祥瑞〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 延暦十一年十一月乙亥、雨雪、近衞官人已下、賜物有差、 丙子、大雪、駕輿丁已上、賜綿有差、

〔政事要略〕

〈二十五年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 初雪見參事 國史云、桓武天皇延暦十一年十一月乙亥雨雪、近衞官人以下賜物有差、初雪見參、是其濫觴歟、往代之間、雨雪之朝、或王卿侍臣亦賜物有差、不冬春、皆有此事、仍或亦稱大雪之時歟、具國史暦注等

〔類聚國史〕

〈三十二帝王〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 延暦廿年正月丁酉、曲宴、是日雨雪、上歌曰、宇米能波那、胡飛都都鄔黎叵、敷留廋岐乎、波那可毛知流屠、於毛飛都留何毛、賜五位已上物、各有差、

〔類聚國史〕

〈百六十五祥瑞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 弘仁八年十一月庚戌、大雪、賜左右近衞綿差、

〔三代實録〕

〈四十陽成〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 元慶五年十一月十八日壬戌、雨雪、 十九日癸亥、雪猶未止、勅賜六府少將佐已下見在陣座及五位已上在侍從所者綿、各有差、外記内記亦預之、慶新雪(○○)

〔貞信公記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 延長九年〈◯承平元年〉正月九日、白雪滿庭、雪見參取女官、先度只取男官、不女官故也、 二月廿一日、九日雪見參祿、以太宰綿布、可行事仰春蔭

〔日本紀略〕

〈六圓融〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0206 貞元元年十一月四日丙寅、雪下及尺、有諸陣之祿、申刻諸陣之後、向閑院饗膳

〔左經記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 寛仁元年十二月七日辛未、白雪積地不寸、早旦參攝政殿御宿所仰云、可初雪見參、即差遣殿上五位六位等於左右近、左右衞門、左右兵衞、帶刀等陣、并内侍所、主殿、掃部等、女官、主殿、内監所、御書所等、令見參奏聞、〈御書所衆等不候、仍不見參、〉

〔春記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 長暦三年十一月十七日甲辰、有初雪、纔一寸許云々、未旦參御前、〈未御格子〉奏初雪之由、即出御、仰云、早可見參者、即仰藏人少納言經成、差分侍臣、令所々見參了、以藏人義綱内覽之、令内藏寮請奏、各可分依之由仰了、 四年〈◯長久元年〉十一月十一日壬戌、從曉更雪降、深及一尺三寸、終日不休、〈◯中略〉藏人章行云、今朝取所々見參仰也、先日有小雪、依庭沙見參、今月依深雪此事也、侍臣等員小所々見參尤懈怠也者、

〔夫木和歌抄〕

〈十八雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 洞院攝政家百首雪   家長朝臣
初雪にかきあつめてぞきこえあぐるおほみや人のけさのありかず

降雪

〔新撰字鏡〕

〈雨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 霏〈敷非反、平、雪降貌、由支不留、〉

〔萬葉集〕

〈二相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 天皇〈◯天武〉賜藤原夫人御歌一首
吾里爾(ワガサトニ)、大雪落有(オホユキフレリ)、大原乃(オホハラノ)、古爾之郷爾(フリニシサトニ)、落卷者後(チラマクハノチ)、
  藤原夫人奉和歌一首
吾岡之(ワガヲカノ)、於可美爾言而(オカミニイヒテ)、令落(フラセタル)、雪之摧之(ユキノクダケシ)、彼所爾塵家武(ソコニチリケム)、

〔萬葉集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 天平十八年正月、白雪多零、積地數寸也、〈◯中略〉勅曰、汝諸王卿等聊賦此雪、各奏其謌、〈◯中略〉
  紀朝臣清人應詔歌一首
天下(アメノシタ)、須泥爾於保比底(スデニオホヒテ)、布流雪乃(フルユキノ)、比加里乎見禮婆(ヒカリヲミレバ)、多敷刀久母安流香(タフトクモアルカ)、

〔萬葉集〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0207 十一日、〈◯天平勝寶五年正月〉大雪落積尺有二寸、因述拙懷歌三首、
大宮能(オホミヤノ)、内爾毛外爾毛(ウチニモトニモ)、米都良之久(メヅラシク)、布禮留大雪(フレルオホユキ)、莫踏禰乎之(ナフミソ子ヲシ)、〈◯中略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208  此卷中不作者名字、徒録年月所處縁起者、皆大伴宿禰家持裁作歌詞也、

〔空穗物語〕

〈菊の宴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 ふる雪をみてきこえ給へり 數ならぬ身は水のうへの雪なれや涙のうへにふれとかひなき、御覽じこそおとらざらめと、きこえ給へり、あてみや、 水のうへに雪は山ともつもりなむうきてのみふる人のかいなさ、あなみぐるしやと、きこえ給へり、

〔日本紀略〕

〈二朱雀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 天慶元年十二月六日己卯、雪降一許丈、〈◯一許丈、本朝世紀作一許尺、宜從、〉故老云、去寛平四年、京中雪降三尺、其後未此、

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 村上の御時、雪のいとたかう降たりけるを、やうきにもらせ給ひて、梅の花をさして月いとあかきに、是に歌よめ、いかヾいふべきと、兵衞の藏人に給はせたりければ、雪月花の時とそうしたりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ、歌などよまんにはよのつね也、かうをりにあひたる事なん、いひがたきとこそおほせられけれ、

〔和漢朗詠集〕

〈下雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 交友 
琴詩酒友皆抛我、雪月花時獨憶君、〈白◯白居易〉

〔枕草子〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 めでたきもの ひろき庭に雪のふりしきたる

〔枕草子〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 あはれなる物 山里の雪

〔枕草子〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0208 雪のいとたかくはあらで、うすらかにふりたるなどはいとこそをかしけれ、又雪のいとたかく降つみたる夕ぐれより、はしちかうおなじ心なる人二三人ばかり、火をけなかにすゑて、物がたりなどするほどに、くらうなりぬれば、こなたには火もともさぬに、大かた雪の光いとしろう見えたるに、火ばししてはひなどかきすさびて、あはれなるもをかしきもいひあはする

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 こそをかしけれ、よひも過ぬらんと思ふほどに、くつのおとちかうきこゆれば、あやしと見出したるに、時々かやうの折、おぼえなく見ゆる人なりけり、けふの雪をいかにと思ひきこえながら、なんでふことにさはり、其所にくらしつるよしなどいふ、けふこん人をなどやうのすぢをぞいふらんかし、ひるよりありつる事どもをうちはじめて、よろづの事をいひわらひ、わらうださし出たれど、かたつかたのあしはしもながらあるに、かねのおとのきこゆるまでになりぬれど、うちにもとにもいふ事どもはあかずぞおぼゆる、あけぐれのほどにかへるとて、雪何の山にみてるとうちずんじたるは、いとをかしき物也、女のかぎりしてはさもえゐあかさざらましを、只なるよりは、いとをかしうすぎたるありさまなどをいひ合せたる、

〔和漢朗詠集〕

〈上冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 雪 
曉入梁王之苑雪滿群山、夜登庾公之樓月明千里、〈謝觀〉

〔枕草子〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 ふるものは 雪はひはだぶきいとめでたし、すこしきえがたになりたるほど、又いとおほうはふらぬが、かはらのめごとに入て、くろうましろに見えたるいとをかし、

〔枕草子〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 雪いとたかく降たるを、例ならず御格子まいらせて、すびつに火おこして、物語などしてあつまりさぶらふに、少納言よ、香爐峯の雪はいかならんと、仰られければ、みかうしあげさせて、みす高くまきあげたれば、わらはせ給ふ、人々も皆さる事はしり、歌などにさへうたへど、思ひこそよらざりつれ、猶此宮の人には、さるべきなめりといふ、

〔和漢朗詠集〕

〈下雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 山家
遺愛寺鐘欹枕聽、香爐峯雪撥簾看、〈白◯白居易〉

〔源氏物語〕

〈二十朝顏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0209 冬の夜のすめる月に、雪のひかりあひたる空こそ、あやしう色なき物の身にしみ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 て、此世のほかのことまで思ひながされ、おもしろさも哀さも殘らぬをりなれ、すさまじきためしにいひおきけん、人の心あさヽよとて、みすまきあげさせ給、月はくまなくさし出て、ひとつ色にみえわたされたるに、しほれたる前栽のかげこヽろぐるしう、やり水もいといたうむせびて、池の氷もえもいはずすごきに、わらはべおろして、雪まろばしせさせ給、をかしげなるすがたかしらつきども、月にはへておほきやかになれたるが、さま〴〵のあこめみだれき、おびしどけなきとのゐすがたなまめいたるに、こよなうあまれるかみのすゑ、しろき庭には、ましてもてはやしたる、いとけざやかなり、ちいさきはわらはげて、よろこびはしるに、あふぎなどもおとして、うちとけがほをかしげなり、いとおほうまろばさむとふくつけがれど、えもおしうごかさでわぶめり、

〔狹衣〕

〈二下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 源氏の宮の御方にも、つねよりはとく人々おきたるこゑして、よもすがらつもりたる雪見るなるべし、たヽずみ給ふまヽに、わた殿の戸より見とをし給へば、わかきさぶらひどものきたなげなき、色々の狩ぎぬさしぬきなど、きよげにて、五六人雪まろばしするを見るとて、とのゐすがたなるわらはべ、わかき人々など、出ゐたるすがた共、いづれとなくをかしげにて、ふまヽくをしきものをなどいへば、みすの内なる人、おなじくはふじの山にこそつくらめなどいへば、越の白やまにこそあめれといふ也、

〔榮花物語〕

〈三十六根合〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 うちは京極殿よりかたふたがりければ、宮のつかさに、しはす〈◯寛徳二年〉にわたらせ給に、雪のふりたるつとめて、一品の宮の女房、南殿などを出てみれば、雪はまことに花とまがひ、池のこほりはかヾみとみゆ、いはほにもはなさきいみじうをかし、御堂のかたをみれば、からゑのこヽちしてみわたさる、庭のゆきはきえがたになりにけり、こずゑぞさかりとみゆる、

〔扶桑略記〕

〈三十堀河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0210 寛治八年〈◯嘉保元年〉正月五日丁丑、終日大雪、深及一尺、家如北山、數日不銷、

〔讃岐典侍日記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 つとめておきてみれば、雪いみじく降たり、今もうちちる御まへを見れば、べちにたがひたる事なき心ちして、おはしますらん有様、こと〳〵に思ひなされていたる程に、ふれふれこゆきと、いはけなき御けはひにて仰せらるヽ聞ゆる、〈◯鳥羽帝、時年五歳、〉こはたぞ、たが子にかと思ふほどに、誠にさぞかし、思ふに淺ましく、是をしうと、うちたのみ參らせてさぶらはんずるかと、たのもしげなきぞ哀なる、

〔徒然草〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 ふれ〳〵こゆき、たんばのこゆきといふ事、よねつきふるひたるに似たれば粉雪といふ、たまれこゆきといふべきを、あやまりてたんばのとはいふなり、かきや木のまたにと、うたふべしと、ある物しり申き、昔よりいひける事にや、鳥羽院おさなくおはしまして、雪のふるにかく仰られけるよし、讃岐のすけが日記に書たり、

〔百練抄〕

〈十後鳥羽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 文治三年正月一日癸卯、自夜雪降、當新春之初、呈豐年之瑞乎、

〔吾妻鏡脱漏〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 嘉祿二年正月十八日甲戌、晩頭雪降、終夜不休、 十九日乙亥、自昨日今朝雪降積事二尺餘、近年無比類云云、

〔百練抄〕

〈十五後嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 寛元元年十一月五日丁未、今朝深雪盈尺、豐年呈瑞、去承元五年以後無此之雪云云、

〔辨内侍日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 十一月〈◯寛元四年〉十四日の夜、雪いと面白く、みちたえて積りにけり、〈◯中略〉人々清凉殿へ立出てみれば、竹にさえたる風の音までも、身にしみて面白きに、月は猶雪げに曇りたりしも中中見所あり、

〔徒然草〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0211 雪のおもしろうふりたりし朝、人のがりいふべき事有て文をやるとて、雪の事何ともいはざりし返事に、此雪いかヾ見ると、一筆のたまはせぬほどの、ひが〳〵しからん人の仰らるる事聞いるべきかは、返々くちおしき御心なりといひたりしこそ、をかしかりしか、いまはなき

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 人なれば、かばかりのこともわすれがたし、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 應永廿七年三月二日、天明之間、雪降一寸許、積落花之上、雪重積其興甚深、花時分雪降事未見及、希有事歟、一首詠之、
おもひきや花こそ雪とちるうへにかさねて雪の積べしとは
廿八年十二月十八日、夜寒嵐吹、曉雪降四五寸積、十月初雪如霜降、其後于今不降、珍敷其興不少、廊御方三位一獻申沙汰如例、其後廊局へ行、推參之間盃持參、廊御方入興及酒盛、禪啓、行光、廣時、有善等候、彼等面々續瓶申沙汰及亂舞、老尼酔狂、亂舞如例比興也、自他沈酔無極、

〔殿中申次記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 申次覺悟之事 一永正(義澄公代)三年十二月卅日に、觀世大夫於庭上御覽時、以外大雪にて、庭上ニ雪つもり申候間、祗候仕在所の雪かきのけさせられよと、大夫申次ニ懇望申之、當日貞遠なり、返答には、御庭ニ雪つもり申事大切之儀也、又自然御馬にもめされ候事可之、何事にかきのけ申候哉と可仰出時、如何可申候哉、然東山殿様〈◯足利義政〉御代に、判門田御對面候時、如此大雪積候也、然どもはかせ候事は無之、以其例大夫返答在之、尤之儀候由各被申、申次之輩可分別事候也、

〔雲萍雜志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0212 東野州佐川田喜六がもとへ、今日の御書翰に、雪のことなきは、近ごろ遺恨に候とある返事に、 眺常ならず候へども、昌俊事は、月花をのみ格別にめで侍れど、雪はさほどにうかれ不申候、人も乏しきものは寒がり、雪のふかき國にては、吹雪にしまかれなどして、こヾえ死ぬるもの多しとあれば、悦びおどるほどにはなられず候、東路の旅に、由井といへるすくに宿りし夜、はじめて雪の降ければよめる、
ながめにはあかぬ箱根のふたご山誰がこす嶺のみ雪なるらん

〔隨意録〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 江都氣候、三冬雖温、然歳中雪希、而至春或屢雪、年年多爾、然不日而消釋、今玆文化六年十月廿五日初雲、寒亦甚、十一月十三日十四日、兩日雨、夜雪平地可周尺二三尺、爾後日日寒太甚、經三旬而雪不消、十二月十三日復雪、至十五日歇、不雪處、積五六尺、廿六日暮至廿七日又復雪、踰年乃正月二日夕至三日朝、又復雪、八日又終夜雪、十二日又雪、而去冬十月初旬以來、至春不雨、故十一月之大雪不消、而乃又驟尚之、積素殆埋檐、予東都之住、五十年來、未曾之有也、且聞古來大雪國奧羽及信越、則去冬雪淺於例年、平地不尺、二總二毛、亦猶少於江都、笥荷山亦不於平歳、此去冬以來大雪、不乎武州界也、地氣之變化、實不測也、

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 雪の堆量 余〈◯鈴木牧之〉が隣宿六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄にあそびし頃聞しに、千隈川の邊の雅人、初雪より〈天保五年をいふ〉十二月廿五日までの間、雪の下る毎に用意したる所の雪を、尺をもつて量りしに、雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此話雪國の人すら信じがたくおもへども、つら〳〵思量に、十月の初雪より十二月廿五日まで、およその日數八十日の間に、五尺づヽの雪ならば、廿四丈にいたるべし、隨て下ば隨て掃ふ處は、積て見る事なし、又地にあれば减もする也、かれをもつて是をおもへば、我國〈◯越後〉の深山幽谷、雪の深事はかりしるべからず、天保五年は我國近年の大雪なりしゆゑ、右の話誣ふべからず、

〔武江年表〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 嘉永六年正月十六日、朝より大雪尺に滿つ、翌十七日より十八日まで三日の間、大雪降つもる、〈十八日申刻に止む、但し十七日より夜へかけて降りたり、七旬の老翁もかヽることは見ずと、〉

不時降雪

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 三十四年六月、雪也、

〔三代實録〕

〈二十七清和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 貞觀十七年六月四日乙卯、太政官曹司廳南門、雪花散落、

〔日本紀略〕

〈六圓融〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 貞元元年七月廿六日辛卯、朝雨雪如霜、

〔日本紀略〕

〈十二三條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0213 長和二年三月廿四日乙卯、東西山雪降、京中大寒、去十四日立夏也、人以爲恠、

〔古事談〕

〈一王道后宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 長元二年七月八日、出雲國降雪事、彼國奏状云、 雪降状〈但深二寸許〉
右得管飯石郡司今日解状偁、以去八日未時、當郡須佐郷牧田村忽雪降、殖田三町餘、并野山草木、悉損亡之、至于他所、無損失者、言上如件、謹解、 長元二年七月十七日 從五位上行守橘朝臣俊孝 正六位上行掾物部宿禰信憲 從五位下行介平朝臣
此事外記、仍進勘文状云、推古天皇卅四年六月、雪降者、 貞觀十七年六月四日、未時黒雲蓋虚、官廳南門白雪花散者、古件、國史日記等、雖雪降之由、其後仔細旨無見、仍勘申、 長元二年八月二日 大炊頭兼大外記主税助助教清原眞人頼隆勘申
右大臣〈實資〉爲一上、奉行此事、被勘文云、推古天皇、并貞觀雪怪、不行之事云々、今令愚案、彼兩度六月雪降云々、是宮中令雪也、入秋節山陰道此異、仁王經七難中説夏雪、而入秋節雪、強非大怪歟、給官符於本國、令讀仁王經、且於宮中攘災法宜歟、是内々所懷、彼時無御占、抑亦可處分、尚是爲彼在所之異歟、勅云給官符於出雲國、可讀仁王經者、〈◯又見小右記

〔扶桑略記〕

〈二十九後三條〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 治暦四年六月廿四日、肥後國阿蘇山雪降深五六寸、〈◯又見古事談、百練抄、〉

〔朝野群載〕

〈六太政官〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0214 文殿勘文 文殿 勘大宰府言上阿蘇宮雪降
右宜申先例者、引勘文簿之處、去長元二年七月、出雲國言上云、管飯石郡須佐郷牧田村、今月八日赤〈◯赤、上文所引古事談作忽、〉雪降、殖田三町餘、并野山草木悉損亡了者、同年八月七日、被宣旨偁、仰彼國、於

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 分寺三箇日啒淨行僧、轉讀仁王般若經、令除災沴者、仍勘申、 應徳二年九月十一日 右史生伴有貞 左史生紀公國 清原友信

〔永昌記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 天永元年三月四日壬寅、自曉雪降、積庭陸寸、邊山過尺、寒氣如冬、後漢之末、盛夏有寒、非時殺人、苛政之甚也、

〔古今著聞集〕

〈十七恠異〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 治承四年四月廿九日、未時ばかりにつじ風吹たりけり、〈◯中略〉或所にはいかづち鳴、九條の坊門東洞院邊には、雪ふりたりけり、

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 寛喜二年六月十一日、武藏國在廳等注申云、去九日辰刻、當國金子郷雪交雨降、又同時降雹云云、 十六日、美濃國飛脚參申云、去九日辰刻、當國蒔田庄白雪降云云、武州太令怖畏給、可徳政之由有沙汰云云、濃州與武州兩國中間既十餘日行程也、彼日同時有此恠異、尤可驚之、凡六月中雨脚頻降、是雖豐年之瑞、涼氣過法、又穀定不登歟、風雨不節則歳有飢荒云云、當時關東不政途、武州殊戰々兢々兮、彰善癉惡、忘身救世御之間、天下歸往之處、近日時節依違、陰陽不同之條、匪直也事哉、就中當月白雪降事少其例歟、孝元天皇三十九年六月雪降、其後歴二十六代、推古天皇御宇三十四年六月大雪降、亦歴二十六代、醍醐天皇御宇延長八年六月八日大雪降、皆不吉也、今亦經廿六代、今月九日雪下、上古猶以成奇、況於末代哉、

〔吾妻鏡〕

〈三十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 寶治二年六月十五日辛卯、酉刻常陸國關郡仁木奈利郷白雪降則休止云云、 十八日甲午、寅刻濫橋邊一許町以下南雪降、其如霜云云、

〔吾妻鏡〕

〈四十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 建長三年八月三日辛卯、天霽、風少、今夕雪下、

〔太平記〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0215 大地震并夏雪事
同〈◯康安元年〉六月二十二日、俄ニ天掻曇雪降テ、氷寒ノ甚キ事、冬至ノ前後ノ如シ、酒ヲ飮テ身ヲ暖メ、火ヲ燒爐ヲ圍ム人ハ、自寒ヲ防グ便リモアリ、山路ノ樵夫野徑ノ旅人、牧馬林鹿悉氷ニ被閉、雪ニ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 臥テ凍ヘ死ル者數ヲ不知、

〔後法興院關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 延徳二年九月廿六日、晴陰夜來雨下、風吹自曉更雪降、積地一二寸、至巳刻雪降、終日時々雨下、九月雪、未曾有事也、 同廿七日、晴陰時々小雨下、石藏邊昨日大雪云々、六七寸積地云云、

〔閑窻自語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 六月寒事 寛政五年六月二日、〈土用中〉北風ふきてひやヽかなる事、八九月のごとし、近來たえてきヽも及ばぬ事なり、三日ばかりにて風も吹きかはり、氣候もなほりぬ、のちにきく、北國には雪ふりて、うすくもつもれり、越後には三寸ばかりありけりとなん、

赤雪

〔續日本紀〕

〈十四聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 天平十四年正月己巳、陸奧國言、部下黒川郡以北十一郡、雨赤雪、平地二寸、

雪吹

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 降吹(フヾキ) 吹雪(同)

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 雪吹(ふぶき) 雪吹は樹などに積りたる雪の、風に散亂するをいふ、其状優美ものゆゑ、花のちるを是に比して、花雪吹といひて、古歌にもあまた見えたり、是東南寸雪の國の事也、北方丈雪の國、我が越後の雪深ところの雪吹は、雪中の暴風、雪を卷騰飇也、雪中第一の難義、これがために死する人年々也、

〔千載和歌集〕

〈六冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 うへのをのこども百首の歌奉りける時、雪の歌とてよませ給うける、   二條院御製
雪つもるみねにふヾきや渡るらんこしのみ空にまよふしら雪

〔夫木和歌抄〕

〈十八雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 山家冬夜   俊頼朝臣
ひとりぬる宿はふヾきにうづもれていはのかけみちあとたえにけり

雪頽

ほふら

〔運歩色葉集〕

〈邢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 雪頽(ナダレ) 雪女(同)

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0216 雪頽 山より雪の崩頽を、里言になだれといふ、又なで(○○)ともいふ、按に、なだれは

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 撫下る也、るをれといふは活用ことばなり、山にもいふ也、こヽには雪頽(ゆきくづる)の字を借て用ふ、字書に頽は暴風ともあれば、よく叶へるにや、さて雪頽は雪吹に雙て、雪國の難義とす、高山の雪は里よりも深く凍るも、又里よりは甚し、我國東南の山々里にちかきも、雪一丈四五尺なるは淺しとす、此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば、陽氣地中より蒸て解んとする時、地氣と天氣との爲に破て響をなす、一片破て片々破る、其ひヾき大木を折がごとし、これ雪頽んとするの萌也、山の地勢と日の照すとによりて、なだるヽ處と、なだれざる處あり、なだるヽはかならず二月にあり、里人はその時をしり、處をしり、萌を知るゆゑに、なだれのために擊死するもの稀也、しかれども天の氣候不意にして一定ならざれば、雪頽の下に身を粉に碎もあり、雪頽の形勢いかんとなれば、なだれんとする雪の凍、その大なるは十間以上、小なるも九尺五尺にあまる、大小數百千悉く方をなして、削りたてたるごとく〈かならず方をなす事、下に辨ず、〉なるもの、幾千丈の山の上より一度に崩頽る、その響百千の雷をなし、大木を折、大石を倒す、此時はかならず暴風力をそへて、粉に碎たる沙礫のごとき雪を飛せ、白日も暗夜の如く、その慄しき事、筆紙に盡しがたし、

〔北越雪譜〕

〈初編中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0217 ほふら 我鹽澤の方言に、ほふらといふは、雪頽に似て非なるもの也、十二月の前後にあるもの也、高山の雪深く積りて凍たる上へ、猶雪ふかく降り重り、時の氣運によりて、いまだこほらで沫々しきが、山の頂の大木につもりたる雪、風などの爲に一塊り枝よりおちしが、山の聳に隨ひて轉び下りまろびながら、雪を丸(まろめ)て次第に大をなし、幾萬斤の重きをなしたるもの、幾丈の大石を轉し走がごとく、これが爲に、あわ〳〵しき雪おしせかれて、雪の洪波をなして、大木を根こぎになし、大石をもおしおとし、人家をもおし潰す事しば〳〵あり、此時はかならず暴風雪を吹きちらし、凍雲空に布て、白晝も立地に暗夜となる事、雪頽におなじ、なだれは前にもいへるごとく、すこしはそのしるしもあれば、それとしるめれど、此ほふらはおとづれもなくて

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 落下るゆゑ、不意をうたれて逃んとすれば、軟なる雪深く走りがたく、十人にして一人助るは稀也、幾十丈の雪、人力を以て掘ることならざれば、三四月にいたり、雪消てのち、死骸を見る事あり、ほふらを處によりて、をほて(○○○)、わや(○○)、あわ(○○)、ははたり(○○○○)ともいふ、山家にてはなだれほふらを避んため、其災なき地理をはかりて家を作る、ほふらに村などつぶれたる奇談、としごろ聞たるがあまたあれど、うるさければしるさず、

〔閑田耕筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 近江彦根の陪臣大菅中養父、其主の領地を撿する時、或山家にて不納を責るにつきて、其家の後山に林繁茂せるを見付、是を伐剪て代なさば、かく未納にも及ぶまじきをと咎む、農夫いなこれなくては、あわのふせぎいかにともすべからずといふ、それは何の事ぞと問しに、雪はつもる物也、あわはつみて崩るヽものなれば、林をもて防がざれば、家をうちたふすなりと答へけるに、中養父は古義を好む人なれば、はじめてさとりぬ、萬葉集に、ふる雪はあわになふりそ吉張(ヨナバリ)のゐかひの岡の塞(セキ)ならまくに、とあるも、正しく是にて、あわはふりて崩るヽ故に、塞となりがたければ、あわにはふることなかれといふ也けりといへり、凝(コル)雪は水氣ある故によくつむ、あわは密雪に充べし、寒至て強き故に水氣盡て輕し、さればあわとはいふならんと、上田秋成は釋せり、つねにあわ雪はふるほどなく消る春の雪とのみおもへり、それにても萬葉の歌聞えざるにはあらねど切ならず、これらも夏に失て夷にもとむるといふべし、

雪棹

〔夫木和歌抄〕

〈十八雪〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 承安二年十二月、東山歌合連日雪、   大炊御門右大臣家佐
こしの山たてをくさほのかひぞなき日をふる雪にしるし見えねば
深山雪を   同
はつ雪のしるしのさほはたてしかどそことも見えずこしのしら山

〔世事百談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0218 雪の竿 信州越後北陸など、雪の深さを知るに、棹に一丈までの寸を、竿に刻みて、水の

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 高さを見るが如くにしてはかるを、雪の竿といふ、

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 雪竿 高田御城大手先の廣場に、木を方に削り尺を記して建給ふ、是を雪竿といふ、長一丈也、雪の深淺公税に係るを以てなるべし、高田の俳友楓石子よりの書翰に、〈天保五年の仲冬〉雪竿を見れば、當地の雪、此節一丈に餘れりといひ來れり、雪竿といへば越後の事として、俳句にも見えたれど、此國に於て高田の外无用の雪竿を建る處、昔はしらず今はなし、風雅をもつて我國に遊ぶ人、雪中を避て三夏の頃此地を踏ゆゑ、越路の雪をしらず、然るに越路の雪を、言の葉に作意(つくる)ゆゑたがふ事ありて、我國〈◯越後〉の心には笑ふべきが多し、

賞雪

〔三代實録〕

〈二十二清和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 貞觀十四年十一月八日甲戌、通夕雪未止、右大臣已下參議已上、於侍從所雪會飮、詔以内藏寮綿之各有差、侍從五位以上亦預賚焉、

〔續世繼〕

〈四伏見の雪のあした〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0219 大殿〈◯藤原師實〉の伏見へおはしましたりけるも、すヾろなる所へはおはしますまじきに、雪のふりたりけるつとめて、俊綱がいたく伏みふけらかすに、にはかにゆきてみんとて、はりまのかみもろのぶといふ人ばかり御ともにて、にはかにわたらせ給たりければ、おもひもよらぬことにて、かどをたヽきけれど、むごにあけざりければ、人々いかにとおもひけり、かばかりの雪のあしたに、さらぬ人の家ならんにてだに、かやうのをりふしなどは、そのよういあるべきに、いはんや殿のわたり給へるに、かた〴〵おもはずに思へるに、あけたるものに、をそくあけたるよし、かふづありければ、雪をふみ侍らじとて、山をめぐり侍と申ければ、もとよりあけまうけ、又とりあへずいそぎあけたらんよりも、ねんにけふあるよし、人々いひけるとか、修理のかみ〈◯俊綱〉さはぎいで、雪御らんじて、御ものがたりなどせさせ給ほどに、もろのぶかくわたらせ給たるに、いでしかるべきあるじなど、つかまつれと、もよをしければ、俊綱いまにへどのまいり侍なんと申ければ、人にもしられで、わたらせ給たれば、にへ殿まいることあるまじ、日もや

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 うやうたけて、いかでか、御まうけなくてあらんといひければ、殿わらはせ給て、たヾせめよなどおほせられけるほどに、いへのつかさなるあきまさといひて、光俊、有重などいふ學生の親なりし男、けしききこえければ、修理のかみたちいでヽかへりまいりて、あるじして、きこしめさすべきやうはべらざる也、御だいなどのあたらしきも、かく御らんずる、山のあなたのくらにをきこめて侍れば、びんなくとりいづべきやうはべらず、あらはにはべるは、みな人のもちひたるよし申ければ、なにのはヾかりかあらん、たヾとりいだせとおほせられければ、さはとてたちいでヽ、とりいだされけるに、色々のかりさうぞくしたる伏みさぶらひ十人、いろ〳〵のあこめに、いひしらぬそめまぜしたる、かたびらくヽりかけとぢなどしたるさうし十人ひきつれて、くらのかぎもちたるをのこ、さきにたちてわたるほどに、ゆきにはへて、わざとかねてしたるやうなりけり、さきにあとふみつけたるを、しりにつヾきたるをとこをんな、おなじあとをふみてゆきけり、かへさには御だい、たかつき、しろがねのてうしなど、ひとつづヽさげてもちたるは、このたびはしりにたちてかへりぬ、かヽるほどに、かんだちめ殿上人藏人所の家司職事御隨身など、さまざまにまいりこみたりけるに、このさとかのさと、所々にいひしらぬそなへども、めもあやなりけり、もろのぶ、いかにかくはにはかにせられ侍ぞ、かねて夢などみ侍けるかなど、たはぶれ申ければ、俊綱の君は、いかでかヽる山ざとに、かやうのこと侍らん、よういなくては侍べきなどぞ申されける、

〔續世繼〕

〈四小野の御幸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0220 三君〈◯藤原教通女歡子〉は後冷泉院の女御にまいりて、きさきにたち給て、皇后宮と申き、のちに皇太后宮にあがりて、承保元年の秋、みぐしおろし給てき、猶きさきの位にて、ひえの山のふもと、をのといふさとにこもりゐさせ給て、みやこのほかに、をこなひすまし給へりき、雪おもしろくつもりたるあしたに、白河院にみゆきなどもやあらんと思て、ある殿上人、馬ひかせて

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 まいり給へりけるに、院いとおもしろき雪かなと、おほせられて、雪御覽ぜんとおもほしめしたりけるに、馬ぐしてまいりたる、いみじくかんぜさせ給て、御隨身のまいりたりける、ひとり御ともにて、にはかに御幸有けるに、北山のかたざまに、わたらせ給ければ、その御隨身ふと思よりて、もしをののきさきの、山ずみし給などへや、わたらせ給はんずらんと思えて、かの宮にまうでつかうまつるものにやはべりけん、にはかにしのびて、みゆきのけさ侍、そなたざまにわたらせ給、もしその御わたりなどへや侍らんずらんと、つげきこえければ、かの入道のみや、その御よういありて、法華堂に三昧經しづやかによませさせ給て、庭のうへいさヽか人のあとふみなどもせず、うちいで十具ばかり有けるを、なかよりきりて、そで廿いださんよういありけるを、もしいりて御らんずることも侍らん、いと見ぐるしくやと、女房申けれど、きりていだし給けるに、すでにわたらせ給て、はしがくしのまに、御車たてさせ給て、かくとやはべりけん、さやうに侍けるほどに、かざみきたるわらは二人、ひとりはしろがねのてうしに、みきいれてもてまいり、いま一人はしろがねのおしきに、こがねのさかづきすゑて、大かうじ御さかなにていだし給へりければ、御ともの殿上人、とりてまいりて、いとめづらしき御よういにはべりけり、かへらせ給てのち、かしこくうちを御覽ぜで、かへらせ給ぬなど、ごたち申ければ、雪見にわたり給て、入給人やはあるとぞのたまはせける、月を雪ともきこえはべり、さて院より御つかひありて、いとこヽろぐるしく思やりたてまつるに、うちいでなどこそよういして、有がたくもたせ給へりけれとて、みののくにとかや御庄の券奉らせ給へりければ、まいりつかうまつる、をとこをんな、これかれのぞみけれど、みゆきつげきこえける隨身に、あづけたまひけるとぞきヽ侍し、そのとねりの名はのぶさだとかや、殿上人はなにがしの辨とかや、たしかにもきヽ侍ざりき、〈◯又見古今著聞集

〔春記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0221 長暦四年〈◯長久元年〉十一月十一日壬戌、從曉更雪降、深及一尺三寸、終日不休、早旦參内、依雪興也、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222是主上渡御釣殿、侍臣四五輩祗候之、件釣殿在中門南廊廊南、其路無板敷、仍地上敷筵道、經右近陣中陣〈在中門南廊〉渡御也雪色皎然、風流之勢、彌以優美也、不洞庭歟、良久之還殿、又令覽所々御也、〈◯中略〉人々云、京中之雪、謂其深、往古無此例也、及一尺餘之故也、巳時許、經家同乘、參高陽院、殿下早渡御云々、 十二日癸亥、天陰、雪深一尺四寸、早旦渡御釣殿昨日、予兩三侍臣等供奉之、風流之上雪積加其美也、宛如神仙之洞也、良久還御、

〔吾妻鏡〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 建久二年二月十七日丙申、雪降積地五寸、幕下爲雪、渡御鶴岡別當坊、佐貫四郞候御笠役、前少將時家供奉、路次有御連歌、別當獻盃酒、此間仰盛綱親家等、取六邊香、納長櫃、被遣竪者坊、彼屬山陰日脚相隔、仍構氷室炎暑之由被仰、以此次當參諸人運送白雪云云、

〔吾妻鏡〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 安貞二年十二月卅日、自晨至于夜半雪降、被其興、將軍家〈◯藤原頼經〉俄渡御竹御所、御騎馬也、駿河守、陸奧四郞、同五郞等爲御共、各歩行云云、自廊御歸、近邊山館令歴覽給云云、 三年〈◯寛喜元年〉正月三日壬申、雪降盈尺、今日垸飯、〈◯中略〉垸飯已後及晩、將軍家入御武州亭、是非御行始、依雪興楚忽之儀也、駿河前司所申行也、

〔吾妻鏡〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 寛喜四年〈◯貞永元年〉十一月廿九日、早旦雪聊降、庭上偏似霜色、將軍家〈◯藤原頼經〉爲林頭、渡御永福寺、御水干御騎馬也、武州〈◯北條泰時〉自去夜退出給即扈從、式部大夫、陸奧五郞、加賀守康俊、大夫判官基綱、左衞門尉定員、都筑九郞經景、中務丞胤行、波多野次郞朝定已下、撰召携和歌之輩、爲御共、於寺門邊卿僧正快雅參會、入御釣殿、有和歌御會、但雪氣變雨脚之間、餘興未盡還御、而於路次基綱申云、雪爲雨無全云云、武州令之給、被仰云、 
アメノ下ニフレバゾ雪ノ色モミル三笠ノ山ヲタノムカゲトテ   基綱

〔當世武野俗談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0222 不角千翁妻妙閑
不角千翁と云しは俳諧の達人なり、〈◯中略〉此千翁が女房は至て發明にして、風雅の道は園女秋色

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 にも越たり、ある冬の夜、雪いと白ふ降りければ、近邊の雅人來り、千翁をさそひ雪見に出んと有し時、不角も同じく同道し出んとする時、獨の小野郞を供につれて出んと、はやく支度いたせ、らちあかぬなど、千翁、野郞をしかりければ、其女房不角に向ひ、何れも風雅の面々は、さこそ雪の面白かるべき、此奴僕何の面白き事有ていさむべきや、一とせ安藤冠里公の、あれも人の子なりといふ初雪の句もあり、陶淵明が薪水の勞を助け、是も又人の子なりとの仁心の辭を思ひ賜へ、手前の子ならば供には連賜ふまじと云ければ、不角いかにも其方が仁心感じ入たり、則其一言發句になりたり、 我子なら供には連じ夜の雪、是は我が誤りたりとて閉口してけるとなり、今女房尼に成て、妙閑といふなり、

〔東都歳事記〕

〈五十一月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 看雪 隅田川堤 三圍 長命寺の邊 眞崎 眞土山 上野〈山内都て雪景よし〉 不忍池 湯島臺 神田社地 御茶の水土手 日暮里諏訪社邊〈別當淨光寺を雪見でらといふ〉 道灌山 飛鳥山 王子邊 目白不動境内 牛天神社地 赤坂溜池 愛宕山上〈眺望尤よし〉 八景坂〈俗誤てやげん坂といふ、大井と荒藺の間なり、此地元より八景あり、佳景の地也、〉 吉原

以雪作雜物形

〔萬葉集〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223時〈◯天平勝寶三年正月三日、會集介内藏忌寸繩麻呂之館宴樂、〉積雪彫成重巖之起、奇巧綵發草樹之花、屬之掾久米朝臣廣繩作歌一首、
奈泥之故波(ナデシコハ)、秋咲物乎(アキサクモノヲ)、君宅之(キミガイヘノ)、雪巖爾(ユキノイハホニ)、左家理家流可母(サケリケルカモ)、
遊行女婦蒲生娘子歌一首
雪島(ユキジマノ)、巖爾殖有(イハホニタテル)、奈泥之故波(ナデシコハ)、千世爾開奴可(チヨニサカヌカ)、君之插頭爾(キミガカザシニ)、

〔拾遺和歌集〕

〈十七雜秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0223 雪をしま〴〵のかたにつくりてみ侍けるに、やう〳〵きえ侍ければ、   中務のみこ〈◯具平親王〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 わたつみも雪げの水はまさりけりをちの島々みえずなりゆく

〔新拾遺和歌集〕

〈十七釋教〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 雪にて丈六の佛をつくり奉りて、供養すとてよめる、   瞻西上人
いにしへの鶴の林のみゆきかと思ひとくにぞあはれなりける

〔古今著聞集〕

〈五和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 嘉保三年正月晦日、殿上人船岡にて花を見けるに、齋院選子より柳の枝を給はせけり、〈◯中略〉其夜の事にや、殿上人齋院へ參たりける、御用意なからんことを、はかり奉りけるにや、さる程に寢殿より打衣きたる女房あゆみ出て、笙をもちて殿上人に給はせけり、雪にて管をつくり、たるひにて竹を作たりけり、則内裏へもちて參て、御覽ぜさせければ、ことに叡感有て、大宮へ奉らせ給ける、

〔東都歳事記〕

〈四十一月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 看雪〈◯中略〉 雪をもつて市街へ達磨布袋、其餘色々の作り物をなす、又雪轉の戲等諸國に替らず、

〔續近世畸人傳〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 僧惠南 惠南名忍鎧、號空華子、平安の人也、聞香に長じ一時に鳴、連理燒合五味七國をきヽしるのみならず、凡物の臭氣をきくこと常ならず、或雪の朝、雪もてさま〴〵の物の象を作りて、童の持來りしを見て、此兎は某の家のあたりの雪かととふ、童どもしかりとこたふ、其作りたる人は某かととふ、又しかりといふ、傍の人おどろき、香のみならず、雪までも鑒定し給ふやととへば、微笑して、此雪魚臭にほひあれば、其家をさし、又其載たる板も臭氣あれば其人をしりぬ、其人は魚賈なればといへり、

雪山

〔禁祕御抄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0224 雪山 年内雪、蒙催所衆、瀧口等參、春雪、沓鼻隱必可參、大内藤壺、〈弘徽殿也〉里内依便宜、藏人下知修理職屋具、雪不足時、被諸御願寺、執行奉之、瀧口相具衞士及取夫殿上舍棟抛雪、所衆作雪山、瀧口上臈三人、所衆上臈三人立庭奉行、持柄振、藏人頭候簀子奉行〈多直衣〉藏人候便宜所事、修理職作屋、凡如此事上古不見、自中古事也、事始大略一條院御時以後也、清少納言記在其子細

〔倭名類聚抄〕

〈十五農耕具〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 朳 郭璞方言注云、江東杷之無齒者爲朳〈音拜、漢語抄云江布利、〉

〔空穗物語〕

〈樓の上上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 いかヾありしふりし雪のふるまでみたてまつらねば、いとわびしけれど、ききのななきそとの給へば、宮は雪をぞ山につくらせ給て、まろと二宮とはならべてみ侍しかしと、の給まヽに、なき給ぬべければ、こと〴〵にまぎらはし給へば、いとくろうつやヽかなる御ぞに、うすすはうのからあやの御ほそながにはへて、きよらにいよ〳〵うつくしげになりまさり給、雪山つくらせ給て、ひヽなあそびなど、もろともにして、みせたてまつり給、

〔河海抄〕

〈九槿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 應和三年十二月廿日、令右衞門志飛鳥部常則、堆雪作蓬萊山於女房小庭、今日功畢、賜常則及畫所雜色役夫三人祿差、

〔枕草子〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0225 しはすの十よ日のほどに、雪いとたかうふりたるを、女房どもなどして、ものヽふたにいれつヽいとおほく置くを、おなじくは庭に、まことの山をつくらせ侍らんとて、さぶらひめして、おほせ事にてといへば、あつまりてつくるに、殿守司の人にて、御きよめにまいりたるなどもみなよりて、いとたかくつくりなす、宮づかさなどまいりあつまりて、ことくはへことにつくれば、所のしう三四人まいりたる、殿守づかさの人も二十人ばかりになりにけり、里なるさぶらひめしにつかはしなどす、けふ此山つくる人には、ろく給はすべし、雪山にまいらざらん人には、おなじからずとヾめんなどいへば、聞付たるは、まどひまいるもあり、里とをきはえつげやらず、つくりはてつれば、みやづかさめして、きぬ二ゆひとらせて、えんになげ出るを、一づヽとりによりて、をがみつヽこしにさしてみなまかでぬ、うへのきぬなどきたるは、かたえさらでかり衣にてぞある、これいつまでありなんと、人々のたまはするに、十餘日はありなん、たヾ此ごろのほどを、ある限申せば、いかにととはせ給へば、む月の十五日までさぶらひなんと申を、御前〈◯藤原定子〉にもえさはあらじとおぼすめり、女房などはすべて年の内、つごもりまでもあらじとのみ申に、あま

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0226 りとをくも申てけるかな、げにえしもさはあらざらん、ついたちなどぞ申べかりけると、下にはおもへど、さばれさまでなくと、いひそめてん事はとて、かたうあらがひつ、二十日のほどに雨などふれど、きゆべくもなし、たけぞすこしをとりもてゆく、しら山の觀音これきやさせ給ふなと、いのるも物ぐるをし、さてその山つくりたる日、式部のぞうたヾたか、御使にてまいりたれば、しとねさし出し、物などいふに、けふの雪山つくらせ給はぬ所なんなき、御前のつぼにもつくらせ給へり、春宮弘徽殿にもつくらせ給へり、京極殿にもつくらせ給へりなどいへば、 こヽにのみめづらしとみる雪の山ところ〴〵にふりにけるかな、とかたはらなる人していはすれば、たび〳〵かたぶきて、返しはえつかふまつりけがさじ、あざれたり、みすのまへにて人にをかたり侍らんとてたちにき、歌はいみじくこのむときヽしに、あやし、御前にきこしめして、いみじくよくとぞおもひつらんとぞのたまはする、つごもりがたに、すこしちいさくなるやうなれど、なほいとたかくてあるに、ひるつかた縁に人々出ゐなどしたるに、ひたちの介出きたり、〈◯中略〉にくみわらひて人のめも見いれねば、雪の山にのぼりかヽづらひありきていぬるのちに、右近の内侍にかくなんといひやりたれば、などか人そへてこヽには給はせざりし、かれがはしたなくて、雪の山までかヽりつたひけんこそ、いとかなしけれとあるを又わらふ、ゆきやまは、つれなくてとしもかへりぬ、ついたちの日又雪おほくふりたるを、うれしくもふりつみたるかなとおもふに、これはあいなし、はじめのをばおきて、今のをばかきすてよと仰せらる、〈◯中略〉雪の山は、まことにこしのにやあらんと見えてきえげもなし、くろくなりて見るかひもなきさまぞしたる、かちぬるこヽちして、いかで十五日まちつけさせんとねんずれど、七日をだにえすぐさじと猶いへば、いかでこれ見はてんと、みな人思ふ程に、俄に三日うちへいらせ給ふべし、いみじう口をしく、此山のはてをしらずなりなん事と、まめやかにおもふほどに、人もげにゆかしかりつ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0227 るものをなどいふ、御まへにもおほせらる、おなじくはいひあてヽ御らんぜさせんと、おもへるかひなければ、御物のぐはこび、いみじうさはがしきにあはせて、こもりといふものヽ、ついぢのほどにひさしさしてゐたるを、えんのもとちかくよびよせて、此雪の山いみじくまもりて、わらはべなどに、ふみちらさせこぼたせで、十五日までさぶらはせ、よく〳〵まもりて、其日にあたらば、めでたきろく給はせんとす、わたくしにもいみじきよろこびいはんなどかたらひて、つねにだいばん所の人、げすなどにこひて、くるヽくだ物やなにやと、いとおほくとらせたれば、うちゑみて、いとやすきこと、たしかにまもり侍らん、わらはべなどぞ登り侍らんといへば、それをせいしてきかざらんものは、ことのよしを申せなどいひきかせて、いらせ給ひぬれば、七日までさぶらひて出ぬ、其ほどもこれがうしろめたきまヽに、おほやけびと、すまし、おさめなどして、たえずいましめにやり、七日の御節供のおろしなどをやりたれば、をがみつる事など、かへりてはわらひあへり、里にてもあくるすなはちこれを大事にして見せにやる、十日のほどには、五六尺ばかりありといへば、うれしくおもふに、十三日の夜、雨いみじくふれば、これにぞきえぬらんと、いみじうくちをし、今一日もまちつけでと、よるもおきゐてなげけば、きく人も物ぐるをしとわらふ、人のおきてゆくに、やがておきゐて、げすおこさするに、さらにおきねば、にくみはらだヽれて、おきいでたるをやりて見すれば、わらうだばかりになりて侍る、こもりいとかしこう、わらはべもよせでまもりて、あすあさてまでもさぶらひぬべし、ろく給はらんと申といへば、いみじくうれしく、いつしかあすにならば、いととう歌よみて、物に入てまいらせんと思ふも、いと心もとなうわびしう、まだくらきに、おほきなるおりびつなどもたせて、是にしろからん所ひたものいれてもてこ、きたなげならんはかきすてヽなど、いひくヽめてやりたれば、いととくもたせてやりつる物ひきさげて、はやううせ侍りにけりといふに、いとあさまし、をかしうよみ出て、人にも語り

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0228 つたへさせんと、うめきずんじつる歌も、いとあさましくかひなく、いかにしつるならん、きのふさばかりありけん物を、よのほどにきえぬらん事と、いひくんずれば、こもりが申つるは、きのふいとくらうなるまで侍き、ろくを給はらんと思ひつる物を、たまはらずなりぬる事と、手を打て申侍つると、いひさはぐに、内よりおほせ事ありて、扠雪はけふまで有つやと、のたまはせたれば、いとねたく口をしけれど、年のうちついたちまでだにあらじと、人々啓し給ひし、きのふの夕ぐれまで侍しを、いとかしこしとなんおもひ給ふる、けふまではあまりの事になん、夜のほどに、人のにくがりてとりすて侍にやとなんをしはかり侍ると、啓せさせ給へときこえさせつ、さて二十日にまいりたるにも、まづ此事を御前にてもいふ、皆きえつとて、ふたのかぎりひきさげてもてきたりつる、ぼうしのやうにて、すなはちまうできたりつるが、あさましかりし事、ものヽふたにこ山うつくしうつくりて、白き紙にうたいみじくかきて、まいらせんとせし事などけいすれば、いみじくわらはせ給ふ、おまへなる人々もわらふに、かう心にいれておもひける事をたがへたればつみうらん、まことには四日の夕さり、さぶらひどもやりて、とりすてさせしぞ、かへり事にいひあてたりしこそをかしかりしか、そのおきないできて、いみじう手をすりていひけれど、おほせ事ぞ、かのよりきたらん人にかうきかすな、さらば屋うちこぼたせんといひて、左近のつかさ南のついぢのとにみなとりすてし、いとたかくておほくなんありつといふなりしかば、げに二十日までもまちつけて、ようせずばことしの初雪にもふりそひなまし、うへ〈◯一條〉にもきこしめして、いとおもひよりがたくあらがひたりと、殿上人などにもおほせられけり、さてもかの歌をかたれ、いまはかくいひあらはしつれば、おなじごとかちたり、かたれなど、御まへにものたまはせ、人々ものたまへど、なにせんにか、さばかりの事をうけ給はりながら、けいし侍らんなど、まめやかにうく、心うがれは、うへもわたらせたまひて、まことに年ごろは、おほくの人なめりと

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 見つるを、これにぞあやしくおもひしなど、おほせらるヽに、いとヾつらくうちもなきぬべき心ちぞする、いであはれいみじき世の中ぞかし、のちにふりつみたりし雪を、うれしとおもひしを、それはあいなしとて、かき捨よなどおほせごと侍しかと申せば、げにかたせじとおぼしけるならんと、うへもわらはせおはします、

〔公任卿集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 二月に雪のいとたかう降たる、ゆきよりがさうしの前に、雪の山をいとたかうつくりて、煙をたてたるに、雪のいとうふれば、からかさをおほひてたてたりければ、
東路のふじのたかねにあらねども三かさの山も煙立けり〈◯中略〉
 雪の山をつくり給うて
音にきく越の白ねはしら山の雪つもりての名にこそ有けれ〈◯中略〉
 ゆきよりがさうしに、雪の山をつくりたるに、物にかきてさヽせ給ひける、
音にきく越の白山しら雪の降つもりての事にぞ有ける
 かへし、かねすみが女、
ふりつもる雪をのみみる白山のけふはかひある心ちこそすれ
 ひさしう里なるころ、雪の山つくり給うたりときヽて奉りける、
おぼつかな今も昔も音にたヾ名をのみぞきくこしの白山
 かへし
白山をよそに思はヾ我宿を今はこしとやおもひなりぬる

〔春記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0229 長暦四年〈◯長久元年〉十一月十一日壬戌、從曉更雪降、深及一尺三寸、終日不休、〈◯中略〉殿下〈◯藤原頼通〉并四五輩近習上達部殿上人、立庭中雪也、積而摸山歟、予〈◯藤原資房〉同以追從也、 十二日癸亥、天陰、雪深一尺四寸、〈◯中略〉仰〈◯藤原頼通〉云、御前之小庭〈朝干飯御前〉聚雪欲山、宜其由者、予仰藏人章行、令主殿

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 寮官人已下、兼又召諸陣吉上、又令左右衞士等、各上御殿上集宿雪、積置御庭上、終日不休、仰酒殿并造酒司、令酒於役夫等是例也、及晩景役夫等退下、積置殆及襟耳、

〔續古今和歌集〕

〈二十賀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 雪のいとふりつもりて侍りけるを、山のかたにつくらせ給ひけるに、うへのをのこども、歌つかうまつり侍りければ、よませ給ひける、   後朱雀院御歌
天地もうけたる年のしるしにやふる白雪も山となるらむ

〔續拾遺和歌集〕

〈六冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 だいばん所の壺に、雪の山つくられて侍ける朝よみ侍ける、   周防内侍
あだにのみつもりし雪のいかにして雲井にかヽる山となりけん

〔新後拾遺和歌集〕

〈八雜秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 堀川院位におはしましける時、南殿の北面に、雪の山造らせ給ふよしを聞きて、内なる人に申し遣しける、   周防内侍
行きて見ぬ心のほどを思ひやれ都のうちのこしのしら山
 返し   中宮上總
きても見よ關守すゑぬ道なれば大うち山に積るしらゆき

〔永昌記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 嘉承元年十二月三日庚申、今日自夜雪降、深及五六寸、早旦參内、主上〈◯堀川〉於紫宸殿深雪、朝餉壺并藤壺前庭、被雪山、〈雲客并瀧口、所衆各競作之、予(藤原爲隆)候宮御方、同令之、〉殿上人八九輩遊舟岡、爲初雪也、上皇〈◯白河〉於桂河胡賀邊歴覽之、近日御鳥羽也、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0230 保延二年十二月四日丁酉、雪積地八九寸許、夜前雪の積也、今日ハ不降、予〈◯藤原頼長〉雪山ヲ作、申終程、雪山ヲ作了、此後予食物、自旦依雪山、申了程、今日初食物也、凡今日食物只一度也、食申了後又不食、久安二年十二月廿日、大雨雪、〈洛中殿上九寸〉辰刻向舟岳眺望、〈◯中略〉歸家築雪山、 廿一日、戌刻終雪山之功

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 〈東西一丈五尺、南北一丈二尺七寸、高一丈八尺二寸、〉

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 文治元年十二月廿六日乙亥、夜雪高積殆及尺、近年之間、彙少之甚雪也、大將〈◯藤原良通〉方企雪山、二年十二月十二日乙酉、雪降及六七寸、召隨身等雪山

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 正治二年正月十九日、雪紛々朝天晴、〈◯中略〉隨身共遲參、無云甲斐、雪朝更不催、拂曉著毛沓參入、必エフリヲ可持、而被尋求之後適出來、被仰雪山事、エフリ可給之由申之、尾籠之中尾籠也、各非父祖子孫歟、無慙也、諸人不得心之故也、於今者只可汰雪山也、汝可奉行者、蒙此仰恐祗候、

〔本朝續文粹〕

〈八序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 七言歳暮侍宴同賦積雪爲小山製詩一首〈以寒爲韻并序〉   正家朝臣
時嚴冬欲暮、積雪正多、占此中庭之勝形、成彼小山之新構、岑巒非高、豈有昇降之嶮、磎谷惟窄、更無烟雲之幽、至于如封任地勢築依人力、嶺面之欠青、緑羅之黛永隔、巖頭之帶白、紫蓋之形猶殊者也、既萍實暮而景冷、蘭缸挑而興闌、在座識者僉然而曰、我后受文祖於尭年之昔、潤土徳於舜日之朝、以詩書禮樂之道萬機、以壯皇猷、春夏秋冬之天送四序以逢叡賞、好文之世不悦乎、正家昔聚竹窓之寒色、代夜燈兮遂業、今翫蘭殿之青輝、近春風兮銷魂、慙凌雲之才謬獻雪之趣爾、謹序、

食雪

〔古今著聞集〕

〈十一蹴鞠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 後二條殿〈◯藤原師通〉三月の比、白河の齋院へ參給て、御鞠の會有けるに、しばし有て、かさみのきたる童、扇をかざして、片手に蒔繪の手箱の蓋に薄様敷て、雪をおほく盛て、日隱の間の御縁に置て歸入にけり、御あせなどたりげにて、日隱の間に沓はきながら御尻かけて、御手などにてはとらせ給はで、檜扇のさきにて、すこしすくひたまひけるが、しみたる雪にて、御直衣にかヽりたりけるがとけて、二重裏にうつりていでヽ、むら〳〵に見へける、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0231 嘉保二年四月廿日、午時許參一院、〈六條殿〉上皇并郁芳門院共有御見物、〈◯賀茂祭、中略、〉此間從御前給雪、炎天流汗之間、人々饗應、暑月給雪、誠以珍事也、

〔古今著聞集〕

〈五和歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 平治元年二月廿五日、御方違の爲に、押小路殿に行幸有けり、透廊にて夜もすがら御遊ありけるに、女房の中より硯蓋に紅の薄様をしきて、雪をもりて出されたるに、和歌をつけたりける、
月影のさえたるをりの雪なればこよひははるもわすれぬるかな、
返し、
くまもなき月のひかりのなかりせばこよひのみゆきいかでかはみむ

〔古今著聞集〕

〈十八飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 九條の前内大臣家〈◯藤原基家〉に、壬生の二位〈◯藤原家隆〉參て、和歌のさた有けるに、二月の事なりけるに、雪にあまづらをかけて、二品にすヽめられけり、くいはてヽ、此雪猶候はヾ給て、二條中納言定高のもとへつかはし候はん、かの卿は雪くいにて候也と申ければ、すなはち硯のふたにもりて、出されにけるをつかはしたりければ、かの卿の返しに、
心ざしかみのすぢともおぼしけりかしらの雪かいまのこのゆき、
よまれにけりとて、二品しきりに興に入けり、

〔吾妻鏡〕

〈四十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 建長三年六月五日甲午、有評定、此事毎度日來有盃酒椀飯等之儲、又當炎暑之節者、召寄富士山之雪所、爲珍物也、彼是以無民庶之煩休之、善政隨一云云、

掃雪

〔萬葉集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 天平十八年正月、白雪多零、積地數寸也、於時左大臣橘卿、率大納言藤原豐成朝臣及諸王諸臣等、參入太上天皇御在所〈中宮兩院〉供奉掃雪、於是降詔、大臣參議并諸王者令于大殿上、諸卿大夫等者令于南細殿、而則賜酒肆宴、勅曰、汝諸王卿等聊賦此雪、各奏其謌、 左大臣橘宿禰應詔歌一首
布流由吉乃(フルユキノ)、之路髮麻泥爾(シロカミマデニ)、大皇爾(オホキミニ)、都可倍麻都禮婆(ツカヘマツレバ)、貴久母安流香(タフトクモアルカ)、

〔類聚國史〕

〈百六十五祥瑞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 延暦十二年十一月丁亥、大雪、諸司掃雪、賜物有差、

〔信綱記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0232 一前御代〈◯徳川家光〉極月晦日雪降出、元日御出仕之前、鐵御門より内御玄關迄、道通之雪明爲

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 掃除成兼可申候、如何可仕と、とり〴〵より〳〵申候、然處信綱公被聞、道幅に筵をしかせ置、降溜たる雪を筵儘運取、新敷筵を敷替候へと、御下知に而悉事調申由也、

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 雪を掃ふ 雪を掃ふは落花をはらふに對して、風雅の一とし、和漢の吟咏あまた見えたれども、かヽる大雪をはらふは風雅の状にあらず、初雪の積りたるを、そのまヽにおけば再び下る雪を添へて、一丈にあまる事もあれば、一度降ば一度拂ふ、〈雪淺ければ、のちふるをまつ、〉是を里言に雪掘といふ、土を掘がごとくするゆゑに斯いふ也、掘ざれば家の用路を塞ぎ、人家を埋て人の出べき處もなく、力強家も幾万斤の雪の重量に、推碎んをおそるヽゆゑ、家として雪を掘ざるはなし、掘るには木にて作りたる鋤を用ふ、里言にこすきといふ、則木鋤也、椈(ぶな)といふ木をもつて作る、木質輕強して折る事なく且輕し、形は鋤に似て刃廣し、雪中第一の用具なれば、山中の人これを作りて里に賣、家毎に貯ざるはなし、雪を掘る状態は圖にあらはしたるが如し、〈◯圖略〉掘たる雪は空地の人に妨なき處へ、山のごとく積上る、これを里言に掘揚といふ、大家は家夫を盡して、力たらざれば掘夫を傭ひ、幾十人の力を併て一時に掘盡す、事を急に爲すは、掘る内にも大雪下れば、立地に堆く、人力におよばざるゆゑ也〈掘る處、圖には人數を略してゑがけり、〉右は大家の事をいふ、小家の貧しきは掘夫をやとふべきも費あれば、男女をいはず一家雪をほる、吾里にかぎらず雪ふかき處は皆然なり、此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの錢を費し、終日ほりたる跡へ、その夜大雪降り夜明て見れば元のごとし、かヽる時は主人はさら也、下人も頭を低て歎息をつくのみ也、大低雪ふるごとに掘ゆゑに、里言に一番掘二番掘といふ、

雪消

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233筑波岳丹比眞人國人作歌一首并短歌
鷄之鳴(トリガナク)、東國爾(アヅマノクニニ)、高山者(タカヤマハ)、左波爾雖有(サハニアレドモ)、〈◯中略〉不見而往者(ミズテイナバ)、益而戀石見(マシテコヒシミ)、雪消爲(ユキゲスル)、山道尚矣(ヤマミチスラヲ)、名積敍吾來(ナヅミゾワガコシ)前二

〔萬葉集略解〕

〈三下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0233 前二は並ニの誤り、四の義をもてかけり、

〔古今和歌集〕

〈六冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 題しらず   よみ人しらず
この川にもみぢばながるおく山の雪げの水ぞいままさるらし

〔甲子夜話〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 又前人〈◯市川一學〉信州ニモ居タリトテ語ル、信越ノ雪ハ世ニ云フ如クナリ、雪次第ニ降積ルユヱ、ソノ深サ凡六丈ニモ及ブベシ、サレドモ下ノカタヨリ、ヰツキ堅マルユヱ、春ニナリテモ一丈四五尺ガ程ナラデハナシ、ソノ雪ノ解ルトコロハ、江都ナドノ雪解ノサマトハ異ニシテ、雪ノ中ニ一筋ニ往來ノ道ツク、ソレハ土出テ細道ヲナセド、道ノ左右ハ猶四五尺ホド高ク積タル雪、ソノマヽ有リ、ソレガイツ解ルトモナク、漸々ニヒキク成ルハ、自然ニ土中ニシミ入テ消ユクナリ、ソガ間ハ江都ナドノ如ク、道塗ヌカルコトハナシトナリ、カノ深雪ノ消ルモノ、此地ノ如ク解ケ流ルヽホドナラバ、道路ノ泥濘行人絶ヌベキニ、造化ノ妙ニテ、道路ハ乾キタルマヽニテ、消盡キ行人ノ妨トナラズ、不思議ノ一ツトヤ云ハント、

雪水

〔宜禁本草〕

〈乾玉石金土水〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 臈雪水 臈中所積之雪 甘冷無冷、淹藏一切菓實良、解一切毒時氣温疫小兒熱癇酒後熱疽、温服可以滌一レ熱、春雪水 甘冷、立春後雪消爲水、食之令人牙蛀虫、其水易敗不收、

〔昆陽漫録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 雪水 駿州富士山の下の村にては、糞しなしに水をかけひきして麥を作る、これ富士の雪水ゆゑなり、北國の蕨薇も大雪の年は肥えて宜しければ、誠に雪は豐年の瑞なり、

雜載

〔雪華圖説〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0234 夫水ノ其形ヲ變換スル、雪ヲ以テ最奇ナリトス、海陸ノ氣、上騰シテ雲ヲナス、雲冷際ニ臻レバ、其温ヲ失シ變ジテ雨トナル、氣中ニ在ルヲ以テ、一々皆圓ナリ、初圓ハ至微至細、漸ヲ以テ併合シ、終ニ重體點滴ノ質ヲ致ス、冬時氣升テ同雲ヲ成シ、冷ニ遭テ即亦圓點ヲ成ス、冷侵ノ甚シキ、一々凝沍シ、下零スルモ其併合ヲ得ズ、聊相依附シテ大圓ヲ成サント欲シ、六ヲ以テ一ヲ圍ミ、綏々翩々頓ニ天地ノ觀ヲ異ニス、故ニ寒甚ケレバ、粒珠トナリ、寒淺ケレバ花粉ヲナス、花粉ノ中

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 寒甚ケレバ片愈美ナリ、凡ソ物方體ハ必八ヲ以テ一ヲ圍ミ、圓體ハ六ヲ以テ一ヲ圍ムコト、定理中ノ定數誣ベカラズ、雪花ノ六出ナルユヘンモ亦コレノミ、〈立春後ノ雪、ミナ五出ノ説アレドモ取リ難シ、〉水已ニ雪ニ變ズレバ、重體忽チ二十四分ヲ減ジ、輕飄毳ノ如ク、花形万端都テ六出、星辰ノ芒角ノ如ク、其状整正、其質潔瑩、實ニ賞スルニ堪タリ、其精白ニシテ他色ヲ雜ヘザルハ、光線ノ盡ク反射ヲ致スルニヨル、雪モシ黒色ナラバ四望幽暗、豈堪フベケンヤ、〈西土雪花ヲ驗視スルノ法、雪ナラントスルノ天、預メ先黒色ノ八絲緞ヲ氣中ニ晒シ、冷ナラシメ、雪片ノ降ルニ當テ之ヲ承ク、肉眼モ視ルベク、鏡ヲ把テ之ヲ照セバ更ニ燦タリ、看ルノ際氣息ヲ避ケ、手温ヲ防ギ纖鑷ヲ以テ之ヲ箝提スト、余文化年間ヨリ雪下ノ時毎ニ、黒色ノ髹器ニ承テ之ヲ審視シ以テコノ圖ヲ作ル、〉雪其形質ヲ美ニスルノミナランヤ、功用マタ少カラズ、〈◯中略〉 壬辰〈◯天保三年〉夏六月 許鹿 源利位述

〔伊勢物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 むかしみなせにかよひ給ひし、これたかのみこ、れいのかりしにおはします、ともにむまのかみなる翁〈◯在原業平〉つかうまつれり、〈◯中略〉かくしつヽまうでつかうまつりけるを、思ひの外に御ぐしおろさせ給うてけり、む月にをがみ奉らんとて、小野にまうでたるに、ひえの山のふもとなれば、雪いとたかし、しゐてみむろにまうでヽをがみ奉るに、つれ〴〵といと物かなしくておはしましければ、やヽ久しくさぶらひて、いにしへの事など思ひ出て聞えけり、さてもさぶらひてしがなとおもへど、おほやけ事ども有ければ、えさぶらはで、夕ぐれにかへるとて、 わすれては夢かとぞ思ふおもひきや雪ふみわけて君を見んとは、とてなんなく〳〵きにける、

〔東遊記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0235 文武の餘風 佐々成政越中を領せし頃、敵に圍れ勢屈して、外に味方の助け無れば、我城をだに守り兼し折ふし、きつと思案をめぐらし、濱松は兼てのちなみなれば、みづから行て救ひを求んと欲すれども、四方皆敵に圍れて出べき道なし、折節極月〈◯天正十二年〉廿七日の事なれば、夏の日だにも雪消ぬ、越中立山麓より峰まで、數丈の雪封じて禽獸さへ通ひ得ざる時なれば、敵も

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0236 油斷して立山の方はかこまず、成政纔の近習計を召具し、忍びやかに城を出て、雪深く埋みたる立山の絶頂へ、雪の上を眞一文字にかけ登り、又絶頂より南をさし、谷嶺をいとはず雪の上をすべり落ければ、信州松本へ落付たり、それより濱松に越えて恙なく、救ひを得たりとなり、雪中に立山を眞直に越たる艱難、中々言葉につくすべからず、其越たる跡を成政がさら〳〵越といひて、只今にも勇氣の者は、越中富山より信州松本へ一二日が間に越る事なり、されど是は法度の事なりとて、其さら〳〵越の所は、彼地の人も祕するといへり、常の道を廻りて行ば、富山より松本へ六七十里にも餘れる所を、一日か二日の間に行道なり、此事只寒中より早春の間にすべき事にて、常の時はなりがたしとぞ、其子細は人跡絶たる極深山のことなれば、草木生ひ茂りて、行べき道をさへぎり、あるひは斷岸絶壁の所ありて、羽なければ飛がたく、あるひは猛獸出て人を食ふ、數十丈の雪積る時には、斷岸絶壁の所も皆一面の雪と成り、たとへころび落たるにも、雪の上なれば其身損ずる事なし、又大樹喬木といへども、皆雪に埋れて一面の平地の如し、猛獸又皆逃隱れて穴に住めば、人を害することなし、此ゆゑに寒氣に堪へ忍びて命全ければ、谷嶺池川の差別なく、眞直に越えらるヽことなり、此事を越中にてくはしく聞しかど、あまりけしからぬ事ゆゑ、只昔物語のやうに聞流して居たりしが、それよりだん〴〵出羽奧州に入て、見るに聞くに、立山のさら〳〵越の事、初て誠の事と思ひ悟りぬ、津輕領の青森といふ所の南に當りて、甲田山といへる高山あり、其峰參差として、指を立たるが如くなれば、土俗八ツ甲田といふ、叡山愛宕抔のごとき山を、三ツも五ツも重ね上たるが如き高山也、津輕領の人勇氣たくましき者、又は罪を得てすがたをかくす時抔、津輕の關所、南部の關所ともに拔んとするに、極月より二月三月の頃までは、此甲田山の絶頂をさして、雪の上を眞一文字に登り、磁石を立て南部地は東南の事と志し、其方角のあたる方をさして、眞直にすべり落る事なりとぞ、常なみの本道を廻り行時は、五十

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 里七十里、或は百里にも餘る所を、纔に一日二日の間に行付なり、此外津輕の外が濱邊蟹田蓬田邊よりも、今別、三馬屋邊へ雪中には眞直に山を越えて、甚近くて行るヽ事なり、其餘一里二里五里七里の程ちかき所は、かくの如く雪の上を越て、近道となる所甚多し、常には皆雜樹或熊篠など生ひ茂りて、通ひがたき所なり、北地數十丈の雪積り、殊に嚴寒の國なれば、雪皆積るより氷て甚堅く、いかに蹈とも落入るといふ事なし、南國の雪の様子とは、大に違ひたるものなり、寒中に彼地に遊ばざれば、信じがたき事なり、仙臺御先祖正宗の和歌に、中々につヽら下りなる道たえて雪に隣の近き山里、といへるも、兼ては解しがたく覺えしが、是等の見聞て初て此歌を感ぜり、

〔北越雪譜〕

〈初編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0237 雪蟄(ごもり) 凡雪九月末より降はじめて、雪中に春を迎、正二の月は雪尚深し、三四の月に至りて、次第に解、五月にいたりて雪全く消て夏道となる、〈年の寒暖によりて遲速あり〉四五月にいたれば、春の花ども一時にひらく、されば雪中に在る事凡八ケ月、一年の間雪を看ざる事僅に四ケ月なれども、全く雪中に蟄るは半年也、こヽを以て家居の造りはさら也、萬事雪を禦ぐを專とし、財を費、力を盡す事紙筆に記しがたし、農家はことさら夏の初より秋の末までに、五穀をも收るゆゑ、雪中に稻を刈事あり、其忙き事の千辛萬苦、暖國の農業に比すれば百倍也、さればとて雪國に生る者は、幼稚より雪中に成長するゆゑ、蓼中の蟲辛をしらざるがごとく、雪を雪ともおもはざるは、暖地の安居を味ざるゆゑ也、女はさら也、男も十人に七人は是也、しかれども住ば都とて、繁花の江戸に奉公する事年ありて後、雪國の故郷に歸る者、これも又十人にして七人也、胡馬北風に嘶き、越鳥南枝に巣くふ故郷の忘がたきは、世界の人情也、さて雪中は廊下に〈江戸にいふ店下〉雪垂(ゆきだれ)を〈かやにてあみたるすだれをいふ〉下し、〈雲吹をふせぐため也〉窓も又これを用ふ、雪ふらざる時は卷て明をとる、雪下事盛なる時は、積る雪家を埋て、雪と屋上と均く平になり、明のとるべき處なく、晝も暗夜のごとく燈火を照して、家の内は夜晝をわかたず、漸雪の止たる時、雪を堀て僅に小窓をひらき、明をひく時は、光

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 明赫奕たる佛の國に生たるこヽち也、此外雪籠りの艱難さま〴〵あれど、くだ〳〵しければしるさず、鳥獸は雪中食无をしりて、雪淺き國へ去るもあれど一定ならず、雪中に籠り居て朝夕をなすものは、人と熊犬猫也、雪道 冬の雪は脆なるゆゑ、人の蹈固たる跡をゆくはやすけれど、往來の旅人一宿の夜大雪降ば、ふみかためたる一條の雪道、雪に埋り途をうしなふゆゑ、郊原にいたりては方位をわかちがたし、此時は里人幾十人を傭ひ、橇縋(かんじきすがり)にて道を蹈開せ、跡に隨て行也、此費幾緡の錢を費すゆゑ、貧しき旅人は人の道をひらかすを待て、空く時を移もあり、健足の飛脚といへども、雪道を行は一日二三里に過ず、橇にて足自在ならず、雪膝を越すゆゑ也、これ冬の雪中一ツの艱難也、春は雪凍て鐵石のごとくなれば、雪車(そり)〈又雪舟の字をも用ふ〉を以て重を乘す、里人は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を行事舟のごとくす、雪中は牛馬の足立ざるゆゑ、すべて雪車を用ふ、春の雪中重を負しむる事牛馬に勝る、〈雪車の制作別に記す、形大小種種あり、大なるを修羅といふ、〉雪國の便利第一の用具也、しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし、ゆゑに里人雪舟途と唱ふ、

〔北越雪譜〕

〈初編下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0238 童の雪遊び 我があたりはしば〳〵いへるごとく、およそ十月より翌年の三月すゑまでは、歳を越て半年は雪也、此なかに生れ、此なかに成長するゆゑ、わらべの雪遊びをなす事さま〴〵ありて、暖國にはなき事多し、その中に暖國の人にはおもひもよらざるあそびあり、まづ雪を高く堀揚おきたる上などを、童ども打よりて手あそびの木鋤にて平らになしてふみつけ、〈わらべも雪中にはわらぐつをはくこと、雪國のつねなり、〉さて雪をあつめて土塀を作るやうに、よほどの圍をつくりなし、その間ひにも雪にて壁めく所をつくり、こヽに入り口をひらきて、隣の家とし、すべての圍にも入り口をひらく、此内に宮めかす所を作り、まへに階をまうけ、宮の内に神の御體とも見ゆるやうにつくりすゑ、これを天神さまと稱し、〈ゑびす大こくなどもつくる〉筵などしきつめ、物を煮べき所をも

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 作る、すべてみな雪にて作りたつる也、〈雪をくぼめぬかをしきて、火をたくにきゆる事なし、〉これを雪( ン)堂又城ともいふ、兒曹右の雪( ン)堂の内にあつまり、物など煮て神にもさヽげ、みなよりてうちくふ、又間にへだてを作りたるは、となりの家に准へ、さま〴〵の事をなしてたはむれ遊ぶ、あそび倦ば、斯作りたるを打こぼつをもあそびとし、又他の童のこれにちかく、おなじさまに作りたるを、城をおとすなどいひて、うちくるふもあり、そのまヽにおくもあり、おのれ牧之も童のころは、かヽるあそびの大將をもせしが、むなしく犬馬の齡を歴て、今は夢のやう也けり、

〔嬉遊笑覽〕

〈六下翫弄〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 東京夢華録、十二月の條に、此月雖節序、而豪貴之家遇雪即開筵、塑雪獅雪燈以會親舊、この灯籠はいかやうに作るにかあらむ、今わらんべの作るは、雪を丸くつくねて、石灯籠の火ぶくろの如く、横に穴をほり、灯心のふときを一筋油に漬し、中に入て火を點せば、よくともる、もし灯心多く火のつよければ、雪解て火ともらぬなり、

〔北邊隨筆〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 雪墮指 史記匃奴傳云、會冬大寒雨雪、卒之墮指者十二三、於是冐頓佯敗走誘漢兵云云、こヽにても北越の雪中に日を經たりしものヽ、足くび腐れおちたるをまのあたりみたりき、されどさる寒地になれたる人はさる事もなく、かつ其防もたくみなるべし、よそよりおもはんがごとくならば、ひと日もそこには住むものあるまじきなり、松前の人京にのぼりたりしが、しはすの比かの國にて三四月ばかりの肌もちなりといひし、されどかく暑寒順なる地にすめるをもよろこばぬ事、たヾわれひとりしかるにはあらじか、

〔太平記〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0239 北國下向勢凍死事
同十一日〈◯延元元年十月〉ニ、義貞朝臣七千餘騎ニテ、鹽津海津ニ著給フ、七里半ノ山中ヲバ、越前ノ守護尾張守高經、大勢ニテ差塞タリト聞ヘシカバ、是ヨリ道ヲ替テ、木( ノ)目峠ヲゾ越給ヒケル、北國ノ習ニ、十月ノ初ヨリ、高キ峯々ニ雪降テ、麓ノ時雨止時ナシ、今年ハ例ヨリモ陰寒早クシテ、風紛(マジリ)ニ降

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 ル山路ノ雪、甲冑ニ洒ギ、鎧ノ袖ヲ翻シテ、面ヲ撲コト烈シカリケレバ、士卒寒谷ニ道ヲ失ヒ、暮山ニ宿無シテ、木ノ下岩ノ陰ニシヾマリフス、適、火ヲ求得タル人ハ、弓矢ヲ折燒テ薪トシ、未友ヲ不離者ハ、互ニ抱付テ身ヲ暖ム、元ヨリ薄衣ナル人、飼事無リシ馬共、此ヤ彼ニ凍死テ、行人道ヲ不去敢、彼叫喚大叫喚ノ聲耳ニ滿テ、紅蓮(クレン)大紅蓮ノ苦ミ眼ニ遮ル、今ダニカヽリケリ、後ノ世ヲ思遣ルコソ悲シケレ、河野、土居、得能ハ三百騎ニテ、後陣ニ打ケルガ、天ノ曲ニテ、前陣ノ勢ニ追殿(ヲク)レ、行ベキ道ヲ失ニ、鹽津ノ北ニヲリ居タリ、佐々木ノ一族ト熊谷ト、取籠テ討ントシケル間、相カヽリニ懸テ皆差違ヘントシケレドモ、馬ハ雪ニ凍ヘテハタラカズ、兵ハ指ヲ墜シテ弓ヲ不控得、太刀ノツカヲモ拳(ニギリ)得ザリケル間、腰ノ刀ヲ土ニツカヘ、ウツフシニ貫カレテコソ死ニケレ、

〔北越雪譜〕

〈二編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0240 初夏の雪 我國〈◯越後〉の雪、里地は三月のころにいたれば、次第々々に消、朝々は凍こと鐵石の如くなれども、日中は上よりも下よりもきゆる、月末にいたれば目にも留るほどに、昨日今日と雪の丈け低くなり、もはや雪も降まじと、雪圍もこヽかしこ取のけ、家のほとり庭などの雪をも堀すつるに、雪凍りて堅きゆゑ、雪を大鋸にて〈大鋸里言に大切といふ〉ひきわりてすつる、その四角なる雪を脊負ひ、あるひは擔持にするなど、暖國の雪とは大に異り、雪に枝を折れじと、杉丸太をそへてしばりからげおきたる、庭樹なども解ほどけば、さすがに梅は、雪の中に莟をふくみて、春待がほなり、これ春の末なり、此時にいたりて、去年十月以來暗かりし座敷も、やう〳〵明くなりて、盲人の眼のひらきたる心地せられて、雛はかざれども、桃の節供は名のみにて、花はまだつぼみなり、四月にいたれば、田圃の雪も斑にきえて、去年秋の彼岸に蒔たる野菜のるゐ、雪の下に萠いで、梅は盛をすぐし、桃櫻は夏を春とす、雪に埋りたる泉水を堀いだせば、去年初雪より以來二百日あまり黒闇の水のなかにありし、金魚緋鯉なんど、うれしげに浮泳も言(ものいはヾ)やれ〳〵うれしやといふべし、五月にいたりても、人の手をつけざる日蔭の雪は、依然として山をなせり、况や

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 山林幽谷の雪は、三伏の暑中にも消ざる所あり、

〔爲忠朝臣家百首〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 葦間雪   勘解由次官親隆
なには江のあしのあさはのしづれこそしたはふをしのうはきなりけれ
 車中雪   木工權頭爲忠朝臣
ふる雪にあふ坂山のたびぐるますぎのしづりに袖ぞぬれぬる

〔八雲御抄〕

〈三天象〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 雪〈◯中略〉しづり、木の雪落るなり、

〔先哲叢談〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 源君美、字在中、新井氏、小字勘解由、初名璵、號白石、白石詩才亦爲天縱、其精工當世無敵、雖一時出遊戲、有以見其敏警、嘗過某許、主人書容奇二字詩、輙援筆立就、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000651bf9.gif瓊鉾初試雪、紛紛五節舞容閑、一痕明月茅渟里、幾片落花滋賀山、提劒膳臣尋虎跡、捲簾清氏對龍顏、盆梅剪盡能留客、濟得隆冬無限艱、蓋容奇雪字國譯也、故此作皆采故事於此邦

〔萬寶鄙事記〕

〈六占天氣〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0241 雪 雪ふりてきえず、これを名づけて友を俟と云、必再雪ふる、 雪ふりて久しくきえず、雪の後雨なきは、來年霖雨ふる、 冬雪おほく降は豐年のしるしなり、冬數雪ふりて寒氣烈ければ、來年虫すくなし、 冬雪なければ、來年五穀實らずして民にわざはひ多し、 冬雪尺に滿るは、來年大きにゆたかなり、春雪は用なし、 冬雪なきは、麥實のらず、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:11