https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 家紋ハ單ニ紋トモ云フ、又其用ニ從ヒテ定紋、正紋、本紋、代紋、別紋、添紋、秘紋、裏紋、むだ紋、たヾ紋等ノ數稱アリ、抑ゝ家紋ハ、衣服輿車旗幕等ノ紋ヨリ起リシモノニシテ、一種ノ標記ナリ、而シテ家紋ニハ文字ヲ以テスルアリ、動植物ノ象アリ、器用ノ形アリ、或ハ二種以上ヲ配合シテ、用イルモノ等アリテ一ナラズ、諸家各ゝ其紋ヲ定メテ、子孫之ヲ襲用ス、而シテ葵ハ德川將軍ノ家紋タルヲ以テ、往時ハ之ヲ用イルコトヲ許サズ、菊桐ハ皇室ノ御章ナルヲ以テ、今ニ至ルマデ現ニ之ヲ禁ゼラル、而シテ商家店頭ノ暖簾ヲ始メ、其他家屋、若クハ商業用ノ器物等ニ毎家一定ノ商標ヲ附スルコトハ、産業部ノ商賈篇ニ在リ、

名群

〔書言字考節用集〕

〈六/服食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 紋所(モンドコロ)

〔廣韻〈上平〉〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 紋〈綾也〉

〔深谷記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 未年、矢野左馬尉、うち申候覺、〈○中略〉上杉樣、〈○中略〉其時之御褒美に、杉田因幡に、〈○中略〉紋所(○○)被下候、

〔先哲叢談〕

〈後編三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 鷹見爽鳩
我邦中世以降、文武諸家、車服旗幟、各有標記、以圖代文、日月星辰、以至動植諸物、從其所一レ好、各家子孫、奉相沿之、應仁而後、車服之制 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00049.gif 改、標記之用、率在、貴賤通用、帛褐並施、通稱曰紋(○○)、

〔諸家系圖纂〕

〈二十四/越智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 通信〈折敷ニ三文字爲家紋(○○)ト〉

〔葵御紋考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 關氏藏書云、〈○中略〉文明十一己亥年七月十五日、〈○中略〉泰親悦曰、自今以後、親淸之可家紋(○○)旨、依之丸之内三葵、爲酒井定紋(○○)

〔淺倉敏景十七箇條〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 一朝倉名字中を初、年の始の出仕、表著可布子候、幷各同名定紋(○○)を付させらるべく侯、〈○下略〉

〔四季草〕

〈秋草中/衣服〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 一家の紋の事
家々に定りて用る紋あり〈これを定紋(○○)といふ、各家の紋なり、〉

〔貞丈雜記〕

〈三/小袖〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 一家の定紋といふ物は、本は旗幕などに付るしるし也、素襖直垂小袖などには、家の紋付る拳もあり、外の紋付る事もあり、

〔葵御紋考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 旗幕の紋は、正紋(○○)の外をも附しことなり、

〔葵御紋考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 親氏君、入聟となり給ひし後、醬草を本紋(○○)と定められし、

〔寛永系圖〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 〈源姓〉松平
本紋(○○)葵
代紋(○○)、酸漿草幷桐、祖父信一曰、葵之御紋、當時有憚、以酸漿草幷桐之、松平家用酸漿草、子細有之、 桐之紋、依取江州箕作城、自信長公桐紋之御羽織、是又吉例之由、依信一定之、一門之内、右以 兩種代紋也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 松平
萬助忠政 家紋葵、別紋(○○)九曜、

〔諸家系圖纂〕

〈十一/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 山名系譜
義顯 山名主殿頭 山名家ノ紋、代々桐也、添紋(○○)七葉ノ根篠也、自鹿苑相公〈○足利義滿〉賜篠作之御大刀、故以篠爲添紋之 旨申傳候、又明德年中、山名一族之中、企叛逆、其時先祖宮内少輔、〈○時熙〉對公方樣御味方申候、叛逆 之一族之紋惑故、宮内少輔、旗之蟬〈仁〉結付篠葉、故已後、以篠爲添紋(○○)、兩説申傳候、

〔寬永諸家系圖傳〕

〈九十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 小笠原
家紋(○○)、松皮、副紋(○○)、十文字、

〔鹽尻〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 堀田家平野家系圖
紀姓堀田系圖 紋(○)は立木窠 秘紋(○○)三段頭

〔寬永諸家系圖傳〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 酒井
家紋(○○)丸内鳩酸醬草、 裏紋(○○)、澤潟、

〔雲萍雜志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 予〈○柳澤里恭〉がいとけなき時までは、〈○中略〉提灯に替りたる紋(○○○○○)をしるしてともせしが、その事流布して、誰も〳〵かはり紋(○○○○)をつけざる者なし、

〔倭訓栞〕

〈前編二十五/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 ひようもん(○○○○○) 平家物語に狂紋と書り、大雙紙に素襖にいへり、今家紋のかへ紋を、ひようもんといふは、此義なるや、或は表紋の字にて、物につけて表する也ともいへり、されば物見に出るあまたの車をわかつに、紋をもてせるより始るともいふ、

〔秋齋間語〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 古來通文(○○)といふ物あり、花にてほ唐花、葉にては此紋〈○杏葉〉なり、たれが著してもくるしからぬ由にて、むだ紋(○○○)、たヾ紋(○○○)など云是なり、

起原

〔橘窻自語〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 紋所をつくること、もとは車の紋よりおこれりといふこと、人々さたすることなりしが、車戸記に雜色當色赤色狩襖袴、以箔摸車文押とみえ、十寸鏡に德大寺公淸、もえぎの下襲、御家の紋のもかう云々あり、参考するに車の紋よりといふこと分明なり、

〔紳書〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 一枚は蓋の紋と車の紋とが起りなるべし、巡察彈正が、梶に蝶の紋つくるも事なりしな るべし、

〔四季草〕

〈秋草中/衣服〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 一家の紋の事
紋といふは、衣服に五所に付るをのみ紋と云にはあらず、都て物の模樣を紋といふなり、〈○中略〉武家の紋は旗幕の目印也、是は保元平治の戰の頃より始りし事か、後世に至り旗幕ならで、衣服に紋付る事に成し也、

〔倭訓栞〕

〈菜前編二十五/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 ひようもん 家紋の起りは、いつの時なるをしらず、蜻蛉日記に、菊の放すゑてといふ事見えたれど、今の定紋などの義に非ず、中世武門盛なりしより、幕の紋にて家々を分てば、是より始りて家々の定紋となれる成べし、又秘文あり、又通文といふ事、花にては唐花、葉にては杏葉(イテフ)などをいふ、むだ紋たヾ紋ともいへり、誰が著しても苦しからぬ也といへり、されば西土の花號にあたれり、其幕の紋は、推古紀に、旗に繪くと見えたるが濫觴なるべき、又宗五記といへる書に、公方樣御服と申は織物にて、色御紋不定、白き綾又は綾つむぎを、地を色々に染て、御紋紫などに付ると云々、是は東山義政公時代の事也、御紋不定とあるを見れば、其比は衣服は、家紋に限らず、何のノ紋にても付し也といへり、

〔玉勝間〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 事の紋の事
園太暦に、車の文の事さたあり、かのころまでは、今の世のごとく、家々の家紋といふものはなかりしやうに聞えたり、然れども事の文のこと、人々大略定めてつけヽるやうに聞ゆ、

〔見聞諸家紋後付〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 定紋と號し、無貴賤、家々の紋を衣服調度に附る事、近世の事ならんかし、古しへは無尊卑、内衣は皆白小袖白袷白帷子を著せしことなり、〈○註略〉家紋の事、堂上には車にはじまり、〈見海人藻芥〉武家は旗幕の紋や始ならん、衣服に定紋と號し附る事は始をしらず、義滿將軍以來の事にやあらん、素袍の袖を切て、長上下の制あり、又袴の裾を切て、麻上下の制出來ぬれば内衣顯に みゆるゆゑ、内衣に染小袖をなし、素袍に家紋をつけ、小袖にも紋附る事には成來れるなり、

制度

〔豐太閤大坂城中壁書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 御掟追加〈○中略〉
一衣裳之紋、御赦免之外、菊桐不之、於御服拜領者、其服所持之間は可之、染替、別之衣裳に御
紋不付候事〈○中略〉
右條々於違犯之輩者、可嚴科者也、
文祿四年八月三日
隆景〈○小早川〉
輝元〈○毛利〉
利家〈○前田〉
秀家〈○浮田〉
家康〈○德川〉

〔法令全書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 第百九十五 三月〈○明治元年〉二十八日
一提燈又ハ陶器、其外賣物等エ御紋ヲ畫キ候事共、如何ノ儀ニ候、以來右之類御紋ヲ私ニ附ケ
候事、屹度可禁止旨被仰出候事、
但御用ニ付、是迄被免之分モ、一應伺出可申事、
右之通被仰出候條、末々迄不洩樣可申達事、

〔法令全書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 第八百二 八月〈○明治二年〉二十五日布〈太政官〉
親王家ニテ菊御紋用來候處、向後十六葉之分ハ不相成、十四五以下、或ハ裏菊等品ヲ替へ、御紋ニ不樣可致旨被仰出候事、
第八百三 八月二十五日布〈太政官〉
社寺ニテ、是迄菊御紋用ヒ來ル者不少候處、今般御改正相成、社ハ伊勢八幡上下賀茂等、寺ハ泉 涌寺般舟院等之外ハ、一切被差止候旨被仰出候事、
但格別由緒有之社寺ハ、由緒書ヲ以テ可伺出候事、

〔法令全書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 第二百八十五 六月〈○明治四年〉十七日布
菊御紋禁止ノ儀ハ、兼テ御布告有之候處、猶又向後、由緒ノ有無ニ不關、皇族ノ外、總テ被禁止候尤御紋ニ紛敷品相用侯儀モ、同樣不相成候條、相改可申候事、
但從來諸社ノ社頭ニ於テ相用來候分ハ、地方官ニ於テ取調可申出事、
第二百八十六 六月十七日布
皇族家紋、雛形ノ通被定候事、
雛形 十四葉一重裏菊〈○圖略〉

〔享保集成絲綸録〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 寬文十二〈子〉年十二月

一葵之御紋〈○德川家紋、下同、〉付候、切鼻紙袋匀袋之類、辻賣振賣仕間敷候、誂候者有之者、各別之事、〈○中略〉
十二月

〔舟橋方古書寫〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 延寶八申年正月三日左之通被仰出
一葵御紋、梅發御紋ニ而も、しヾら熨斗目、著着用在之間敷事、〈○中略〉
右之通被仰出
○按ズルニ、此ハ越中國富山藩〈○前田氏〉ニテ、發布セシ法令ナリ、

〔天明集成絲綸録〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 明和五〈子〉年六月
大目付〈江〉
諸寺社神事佛事開帳等、其外平生共、葵御紋附候品、寄附之儀、菩提所者格別、其外〈江〉者、向後可無 用候、
六月
右之趣、葵御紋相用候大名〈江〉可相達候、

〔天明集成絲綸録〕

〈二十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 明和五〈子〉年六月
寺社奉行〈江〉
諸寺社神事彿事開帳等、其外平生共、葵御紋附候品者、向後御女中樣方よりも容易御寄附無之、御三家始、其外大名よりも菩提所等は格別、其外〈江〉者寄附無之筈候、是迄御寄附、幷寄附之分は、什物ニ致置、平生は勿論、神事彿事開帳等之節も、相用候儀可無用候、尤葵御紋相用候面々、靈牌等有之、寺院〈江〉相納候膳具、其外打敷等御紋附候品、其人之法用ニ相用候儀者不苦候、
右之趣、諸寺社〈江〉可申渡候、

〔天明集成絲綸録〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 安永九〈子〉年八月
寺社奉行〈江〉
葵御紋附之儀ニ付、先達而書付帳面を以被申聞候内、城州東山淨土宗一心院本堂本尊前ニ掛有之候、葵菊之紋、縁ニ附有之候額之儀、以來は什物ニ致置、相用申間敷旨、京都町奉行とも申渡候由、然處右一心院は、知恩院宮菩提所ニ而、前御門主尊胤親王染筆奉納之儀ニ而、年來相用候處、今更取置候而は、尊胤親王染筆之譯も不相立候ニ付、何卒是迄之通、被差置度旨被申立候趣、久世出雲守より申越候ニ付、右者是迄之通、被差置候樣ニと出雲守〈江〉相達候、尤知恩院宮を始、此以後之例ニは不成、其外之例ニは、猶更難相成候、則右之趣出雲守〈江茂〉相達候間、是又可其意候、

〔享保集成絲綸録〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 元祿十六〈未〉年十二月

一衣類之儀、有合ニ可用候、小身之面々は、熨斗目、又は定紋著不致候而も不苦事、
附又ものは右に准じ可申事〈○中略〉
右之趣堅可相守候以上
十二月

〔享保集成絲綸録〕

〈四十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 享保八〈卯〉年二月
山名左内と申浪人、葵御紋縫に仕、衣類ニ附、其外巧成仕方共ニ而、僞取込候品々有之付、舊 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00050.gif 死罪に罷成候、就夫葵御紋付衣類之事、只今迄心得違候哉、末々之男女等、致著用候者も有之、左樣には有之間敷儀候間、向後拜領仕候者之妻子は格別、其外は一切著用仕間敷候、且又御用之外、葵御絞染、又は縫紋織物蒔繪諸道具等至迄附候事、自今堅可無用由、町中〈江〉も相觸候條、此旨も可存候、
但御三家、幷御紋御免之大名より誂候は格別ニ候、
以上

〔百一録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 享保八年二月廿八日、葵紋不衣著幷什物等之有觸事、町中計、

〔享保集成絲綸録〕

〈四十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 天和三〈亥〉年九月

一御用達候諸町人、挑燈或は通之箱長持等に御紋を付來候、自今以後は、御用と申字を書付、御紋 を付申間敷事、

菊桐御章

〔羽倉考〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 菊ノ紋之事
當時ハ天皇院宮ヲ初メ奉リテ、親王又ハ近キ源氏ニ至ルマデ、菊ヲ王家ノ紋ト定メテ、衣服ハ云ニ及バズ、宮室器財ノ屬マデ、菊花ノ紋ヲ用ヒ給フ、此事中古以前、曾所見ナク、異朝ニモイマダ其 類ヲ不聞、或説ニ、承平五年、菊花ノ宴アリテヨリ、特ニ此花ヲ賞セラレテ、朝家ノ花ト爲ト云リ、然レドモ花ノ宴ハ菊ニ限レルニハ非ズ、櫻ニモ有レバ藤ニモ有リ、是タヾ花ノ好ヲ賞セラレタル計ニテ、南殿ノ櫻橘、中殿ノ庭ニハ梅萩ノ賞翫ニ異ナラズ、案ズルニ、菊ハ仙洞ノ花ナルベシ、何ニトナレバ、赤色ノ御袍ハ、主上皇太子モ著御シ、一ノ上モ著スル事アレドモ、太上天皇ナラデハ、尋常ニハ著御シ給ハザル事、桃花蘂葉、逍遙院裝束抄等ニ見エタリ、此袍ノ文、窠ノ内ニ菊唐草八葉菊ナドナリ、又指貫ノ文モ、仙洞ハ八葉菊ナル事、逍遙院裝束抄ニ見エ、小直衣ノ文モ、菊、菊唐草、菊ノ枝、衵モ八葉菊ナル由、無名裝束抄ニ見エタリ、總ジテ仙洞ノ菊ノ文ヲ用ヒ給フ事ハ、十分ノ九ツニ過ギ、自餘ノ人ノ菊ヲ用フル事ハ、十分ノ一ツニモ足ラズ、蓋菊ハ爾雅ニモ、博公、延年ト名ヅケ、費長房ガ炎ヲ消シ、酈縣ニ壽ヲ得タル類、人口ニサへ傳ヘテ、古來神仙ノ草花トス、太上皇ヲモ亦仙洞碧洞ノ名ヲ添ヘ、或ハ邈姑射ノ山ニ比シテ、同ジク仙靈ノ號ヲ假レリ、是位ヲ去リ世ヲ遁レ給フヲ、山ニ入塵ヲ脱スルノ義ニ取レリ、然レバ仙洞ノ袍等ノ文ニ菊ヲ用ヒ給フハ、大ニ據ドコロアリ、是ヨリ轉ジテ萬物ニ、菊ヲ以テ仙洞ノ標トスルニヤ、後鳥羽院、劒ヲ好ミテ自鍛冶ヲ爲シ給フニモ、菊花ヲ刻ミ給ヘリ、其後終ニ混ジテ、御在位ノトキモ、猶菊ヲ標トシタマフト見エタリ、
桐ノ紋之事
是ハ鳳凰ヨリ轉ジタルト見エタリ、凡麟鳳龜龍ノ四靈ハ各其類ノ長ナレバ、古來至尊ニ比シ來レリ、故ニ黄櫨染ノ御袍ニモ、鳳凰ヲ織レリ、鳳凰ハ梧桐ニ棲ミ、竹實ヲ食フガ故ニ、桐竹ヲサヘ加ヘタリ、此御袍、必御在位ノ服御ナレバ、其綾ヲ以テ、後世御紋ト爲ナルベシ、

〔宮川日記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 廿一日丁亥、〈○延享三年二月、中略、〉外宮御衣のきれ、所望せしかば、甚いたし難き事ながら、無據よしにて、五品、十神主よりめぐまる、〈○中略〉 ミドリ
黄糸
總地紺
倭文ナリ
黄赤糸
ミドリ
黄糸
一予〈○多田義俊〉謹で按ずるに、倭文はわが國の物なり、神宮の御裝束、古例のまヽ菊の文なり、朝家菊の御文を用給ふは、是に據るべし、餘は倭文にあらず、〈重て按ズルニ、桐の文は呉服より取、菊は倭文よりとり給ふ成べし、〉壺井翁〈○義知〉裝束文飾推談に、寛平の帝の菊の御詩あれば、是より御文と成たるならんとの説は甚いぶかし、

〔好古小録〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 諸器物ノ紋ニ巴ヲ用ユル者、古昔ヨリ多シテ、其形今ト異ナリ、〈○中略〉菊花ヲ紋ニ用ルコト、何レノ時ニ始コトヲシラズ、滋賀宮及平城宮ノ花頭 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00051.gif 、皆菊花ヲ用レバ、其ヨリ來ルコト久シ、此等ノ紋、モト何ノ意アルコトヲシラズ、

賜紋

〔碧山日録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 應仁二年七月十六日甲戌、客曰、彦洞明窓和尚、住南禪、翌日謁聖廟、拈香語曰、曾聞吾祖侍 仙闈、賜菊花紋、世所希、今日御前拈起著、淸香吹滿老禪衣、按其家系曰、洞院山科右大臣實雄公之孫一品大納言實敎、龜山帝寵而爲子、賜以菊花紋、敎生季雄、雄生實遠、遠生明窓也、故香語揚之云、

〔見聞諸家紋〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 宇津木
根本龜甲内桐也、長祿年中、取獻神璽之時、父彈正令討死ヨリ賜菊、

〔江氏家譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 元就
永祿三年、正親町院、御卽位之料、因元就獻納之、綸旨口宣、女房奉書等、〈○中略〉
菊桐御紋勅許事
菊桐御紋勅許ノ綸旨等紛失乎、元就公へ從正親町院勅許ノ由云傳、古キ御什書箱ニ、菊桐御紋 一文字三星ノ御紋ヲ交ヘ高蒔繪也、輝元公秀就公御具足箱ニ、菊桐蒔繪、右孰モ于今有之、又宗瑞樣御隠居御屋敷御門〈今在沙麓山天樹院〉ニモ、菊桐御紋有之、勅許ナクシテ非用儀、雜書雖用、引書和漢合運ニ永祿四年、元就賜菊桐御紋、〈○中略〉永祿頃、中院内大臣通爲公、在加賀國、久我大納言敦通卿ヘ被書、于今在久我家、其文曰、大禮無爲被行之珍重候、内辨左相、宣命晴無相違候哉、可御憐察候也、兼又藝州元就隆元任官、並賜菊文之由、誠希代之事也、又御侍讀誰人候哉云々、

〔籾井家日記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 八上氷上御先祖事
御卽位〈○正親町〉ノ節ハ、屋形秀治公モ氷上御館殿モ御上洛ナサレ候、〈○中略〉御門ヨリモ、御劒幷ニ御詠歌ノ御短尺マデ銘々拜領アラレ、〈○中略〉其上ニ秀治公宗高公ヘ桐ノ御紋ヲ下サレ、則兩家ヘ桐ノ御旗ヲ頂戴ナサレ候、後マデ屋形ニモ氷上殿ニモ、天賜ノ御旗トテ御進メ候ハ是ナリ、又元就公ヘモ菊桐ノ兩紋ヲ下サル、尤官位昇進アラレ、叡慮斜ナラズ、

〔諸家系圖纂〕

〈十/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 保田氏系圖
宗重
傳聞文永年中、禁裏回祿事、急宗重率士卒、到禁中速救之、時叙三位中將、賜十六葉唐菊御紋、是 因回祿之忠功也、

〔南行雜録〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 當國ノ古市ハ淸原氏也、紋ハ五カイデ也、又自内裏何レノ御代カ、十六葉ノ菊ノ御紋ヲ被下候間、楓ト菊ト紋也、

〔武德大成記〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 大神君上洛之事
二十二日、〈○慶長十六年正月〉神君〈○德川家康〉ヘ勅セラレ、曩祖新田養重ニ鎭守府將軍ヲ贈ラル、先考廣忠ニ大納言ヲ贈ラル、コレヨリサキ帝〈○後陽成〉密ニ傳奏廣橋大納言藤原兼勝、勸修寺大納言光豐ヲ以テ、神君ヘ詔有ケルハ、今度太政大臣ニ任ゼラレ、菊桐ノ紋ヲ賜ルベシトアリケレバ、神君辭讓シ玉ヒケルハ、相國ハ則闕ノ宮ナレバ、輙詔ニ應ジ難シ、願ハ曩祖義重ト父廣忠トニ贈官ヲ賜ベキヤ、菊桐ハ禁中ノ御紋ナリ、其上足利家ニ玉リ、代々用イ來事久シ、今是ヲ賜リ足利家ニ後レ、新田家ノ榮ニ非ズ、家傳ノ葵ノ紋ヲ用テ、某ニ相應也ト奏セラル、帝御感アリテ則贈官ノ詔アリ、

〔伯耆之卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 同〈○元弘三年三月〉十五日の夜、長年〈○名和〉を間近く被召、勅定有けるは、被御代者、於汝所望者可請、今度遁凶徒之難事、海上之故也、今亦御在所船上山也、丸〈○後醍醐〉者船、汝者水、有三心相應之謂、旁以舟爲吉事、更自今改汝紋、水に船を可仕とて、御手自忠顯に敎て、帆懸船を書せ被下けり、

〔豫章記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 高市ノ始、親類中ニ、各別ニ弓馬ノ名ヲ得タル者有、後醍醐天皇、山門御臨幸ノ時、最前ニ馳參供奉仕リタリシ勳功ニ依テ叡感ニ預リ、三八十(○○○)ト云紋ヲ給リ、幕ニ付、名ヲ擧ケル、井門一族是也、其時八十三騎ニテ參タリシ故也、

〔陰德太平記〕

〈三十九〉

〈H 吉川元春元長被四位
經基〈○吉川〉庭上ニ坐シケルニ、〈○中略〉是ハ聞ユル勇士也トテ、忝モ天杯ヲ被下ケル、經基三度頂戴シ、〉

酒引受ケルニ、空中ヨリ大ナル蜘蛛一ツ下ツテ盃中ニ入ニケリ、經基少モ不嫌、其マヽニ呑レケレバ天盃ナルガ故、毒蟲ナガラモノマレケルコソ、武士ノ行迹ニハカヒ〴〵シケレト叡感不斜シテ、三引領ノ御紋ヲゾ下シ賜ハリケル、

〔陰德太平記〕

〈三十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 畠山安見不和事
翌年〈○永祿三年〉二月四日、公方御參内ノ時、長慶〈○三好〉修理大夫ニ任ジ、子息孫次郎議長ヲ筑前守ニ任ジ、松永彈正ハ少弼ニゾ轉ジケル、同四年正月、義長ヲ御相伴衆ニ被加、其後桐ノ御紋ヲ被下、松永ニモ同ク御紋ヲ下賜ハリケリ、

〔京都將軍家譜〕

〈下/義輝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 永祿四年二月朔日、義長出仕、將軍家〈○足利義輝〉賜御紋、此時松永彈正少弼、同賜御紋

〔理齋隨筆〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 永祿四年、將軍家、三好筑前守義長、松永彈正少弼に御紋を賜りし事あり、これ御紋賜はるはじめか、

〔細川兩家記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 一永祿四年辛酉三月廿九日、御所樣、〈○足利義輝〉三好方へ御成を被申候、是は今度長慶修理大夫、同息筑前守義興、御字幷御紋の桐被下、御相伴衆に成被申候御禮と風聞也、家の面目、天下の聞、不之と申候也、

〔重編應仁後記〕

〈九〉

〈藥師寺騒動事
同〈○藥師寺〉與次ハ、今度兄與一ヲ討タル忠賞トテ、公方家ヨリ御感狀ニ桐ノ御紋ヲ下サレ、〈○下略〉〉

〔總見記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513 信長依大忠御感書歸國事
今度勳功ノシルシナキコトヲ、將軍家〈○足利義昭〉思召シ煩ルヽニ依テ、古今無雙ノ御感狀トシテ、三通ノ御内書ヲ書キ下シ玉ハリ、今日ニモ早々罷歸リ、在國休息可仕由被仰下、〈○中略〉
今度依大忠、紋桐引兩筋遣之候、可武功之力祝儀也、 永祿十一年十月四日 御判
父 織田彈正忠殿

〔諸家系圖纂〕

〈三十八/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 高力
桐〈高力氏、累代雖三州、近頃仕公方、而十六騎内也、依茲賜桐紋、〉

〔謙倉大草紙〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 憲實〈○上杉〉兄弟も、先祖代々の寺〈○伊豆國國淸寺〉なれば、此寺にかくれ、其後船にて西國へ赴、周防國へ行脚あり、爰にその頃、中國の大内殿、〈○義興〉威勢を中國九州までふるひける、〈○中略〉憲實入道、此所へ來りけるこそ幸なれと大に喜て、憲實入道を雲洞庵高岩生長棟庵主と稱し、長門國深川大寧寺と申、會下寺にうつしおき、馳走渇仰して、則大内殿は、憲實の養子になり、上杉山の内の系圖を繼、篠の九にまひ雀の幕の紋を請て、憲實を御父とて崇敬限りなし、

〔深谷記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 越後の長尾中納言景虎公、平井ニ御著被成、上杉管領氏乗公と御對面被成、見信被仰候者、我等は未世次無御座候と被仰候、上杉樣は、御子餘多御持被成候よし承候扁れ成とも二人被下ぬかと被仰候、上杉樣、無御敷禮、尤にて候と被仰候、さらばとて、物事紋處書を指添、次男へ被遣候、我家は竹にとまる雀、貴殿は竹に飛雀と被仰候、

〔類聚名物考〕

〈武藝四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 竹に雀の紋
或説に云、政宗福島城へ旗を進る處に、柳川の城兵、政宗の本陣こうりと云所へ押寄、雜兵を追拂ひ、西村仙右衞門、及び三間勘解由左衞門、政宗の竹に雀の紋付たる幕を奪取て大に手柄とす、蓋彼文は、當時伊達上杉兩家共に用て、其故を尋るに、元來上杉家の定紋なりしを、伊達時宗の弟、同兵部大輔實元の母、上杉貞實の女也、しかるに貞實令嗣なき故、孫の伊達實元歳十六、氣賀純直なるに依て、これを養子とし、越後の國を讓らんと、諱字及び宇佐美長光の大刀、竹に雀の紋の幕を贈りて是を契約す、爰において天正の比かとよ、伊達實元越後へ行んと支度すと いへども、祖翁植宗父子内亂出來る故に、實元猶豫して越後へ行ず、終に信夫郡に寓居して、實元一旦の約を思ひ、竹に雀の幕を用ひ、子孫に傳へしとぞ、其後兄晴宗、かの紋の幕を所望しければ、實元これを晴宗に與へし故、今政宗に至り、永く竹に雀の紋を用るといへり、或云、景勝の養父輝虎入道謙信は、長尾六郎爲景の子なりといへども、關東の管領上杉憲政の令子となりぬ、かの上杉家は勸修寺の流にて、世々竹に雀の紋を用ゆ、又伊達家も中納言山蔭卿の後裔にて、これも家の紋竹に雀也、しかるを今度の軍に、伊達家の幕を奪取て、永く其紋を上杉家に用るといふは非なり、

〔諸家系圖纂〕

〈二十七/宇多源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 吉田
佐々水族也、〈○中略〉家紋三𥻘、自佐々木三目結

〔深谷記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 未年矢野左馬尉うち申候覺、〈○中略〉左馬尉、〈○中略〉脇道を雜兵四十人餘りにて通り候處を、中村拾右衞門、言葉をあはせ、馬より突落候を、家來市左衞門則押首をとり申候、〈○中略〉上杉樣〈○謙信〉に差上申候、其時之御褒美に、杉田因幡に、已來上野村永拾五貫文之處被下、其上紋所被下候、

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 織田津田系圖
織田氏之紋〈○中略〉
瓜之紋 舊記脱而不詳、或傳曩祖依軍忠、從朝廷瓜之紋、中比恐憚閣之處正左衞門勝久、征越前國逆亂、令歸陣時、被勳功、御前熟瓜賜之、幷可家之紋之旨奉嚴命云々、又或記、依軍陣而見武衞、瓜切目吉事賜于信秀云々、案伊勢守信安、大和守遼勝等、前角瓜之紋傳依之不審可

〔言成卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 慶應二年正月三日、町人禮來、少將令面會云々、
高田出雲掾、自家公當家紋著用來云々、

改紋

〔諸家系圖纂〕

〈十/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 南部系圖 守行
家紋元來雖割菱、秋田與南部相戰之時、於軍中雙鶴下舞得勝利、後改割菱舞鶴紋

〔鹽尻〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 信長ノ紋 信長天文三年甲午五月廿七日生尾張、母六角高賴女、〈實ハ政賴女也ト云〉童名吉法師、家紋上羽蝶、〈斯波家紋也〉後ニ信秀、改窠紋、前將軍義昭、賜桐及引兩紋云々、

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 梶川〈傳稱出織田族
家紋初一重菊、後改角折敷中ニ菱

〔諸家系圖纂〕

〈四十五/藤原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 伊達〈藤原家紋三段頭至晴宗、改以竹雀紋、〉

〔諸家系圖纂〕

〈五十九/滋野〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 海野
幸恒〈○中略〉
家之紋洲濱、自此代六連錢

〔寛永諸家系圖傳〕

〈五十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 德山
家紋地扇の丸 先祖の家は桔梗なりといへども、秀現時にいたりて、地扇丸にあらたむ、

〔明良洪範〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 天正十三年二月九日、由良信濃守ガ嫡男成繁ハ、秀吉公ノ臣也、嫡孫新六郎高久ハ、中納言秀次ノ小姓卜成テ、江州ニテ五千石給ハル、秀吉公他界ノ後、關東ヘ下リ、初テ出仕セシニ、由良家ノ紋三葉葵ナル故、登城の諸士、神君〈○德川家康〉ノ御公達ト思ヒ、皆下馬シテ通リシト也、此事風説専ラナリケレバ、之ニ依テ由良家ニ縁有ル近藤石見守石川等、不敬ノヨシヲ意見シテ、水葵ニ改メケル、

〔萬世家譜〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 佐橋内藏助
御上洛之時、物頭家之紋、書上ゲ被仰出、甚兵衞、丸之内三ツ星と書上候得ば、御紋に紛れ可申候にて、丸之内六ツ星に可仕旨被仰付候、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 蜂須賀
家紋卍字、先祖柏の丸たりといへども、至鎭よりまんじにあらたむ、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 牧野
家紋丸の内に三葉柏、先祖忠節ありし時、みことのりありて、十六葉の菊をたまはる、秀吉の時にいたりて、朝廷の御紋たるにより、三葉柏にあらたむ、

以文字爲紋

〔太平記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 足利殿著御篠村則國人馳參事
去程ニ、足利殿、〈○尊氏〉篠村ニ陣ヲ取テ、近國ノ勢ヲ被催ケルニ、當國〈○丹波〉ノ住人ニ、久下彌三郎時重ト云者、二百五十騎ニテ最前ニ馳參ル、其旗ノ文笠符ニ、皆一番ト云文字ヲ書タリケル、足利殿、是ヲ御覽ジテ、怪ク覺シケレバ、高右衞門尉師直ヲ被召テ、久下ノ者共ガ笠璽ニ、一番ト云字ヲ書タルハ、元來ノ家ノ文歟、又是ヘ一番ニ參リタリト云符カト尋給ケレバ、師直畏テ、由緒アル文ニテ候、彼ガ先祖武藏國ノ住人、久下二郎重光、賴朝大將殿、土肥ノ杉山ニテ御旗ヲ被揚テ候ケル時、一番ニ馳參ジテ候ケルヲ、大將殿、御感候テ、若我天下ヲ持タバ、一番ニ恩賞ヲ可行ト被仰テ、自ラ一番ト云文字ヲ書テタビ候ケルヲ、頓テ其家ノ文ト成テ候ト答申ケレバ、サテハ是ガ最初ニ參リタルコソ當家ノ吉例ナレトテ、御賞翫殊ニ甚シカリケリ、

〔山内首藤系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 俊通
俊通、白一文字黑一文字爲家紋

〔諸家系圖纂〕

〈二十二/大江〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 毛利家系譜
家紋、一文字三星、

〔寛永系圖〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 柴田 源姓、家紋、藤丸内一文字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百六十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 石原 家紋、一ニ

〔諸家系圖纂〕

〈二十四/越智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 越智稻葉系圖
通信〈河野四郎○中略〉
中比ハ家之紋思々也、自此時、折敷中上三文字専用之

〔南海治亂記〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 老父夜話記
豫州老父、又語曰ク、〈○中略〉大野ハ元河野ノ別種也、故ニ家ノ紋、折敷ニユリ三文字也、

〔豫章記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 賴朝卿天下ヲ打靜給ヒ、鎌倉由井ノ濱ニテ大酒宴有ケルニ、緒侍座ノ位、定テ諍可申、然者先初ヲバ御定可有トテ、賴朝小折敷ヲ御取寄有、座牌ヲ定メ給ヲ、先一文字ヲ被遊、我前被置、北條殿ノ前ニハ二文字、河野殿ノ前ニハ三文字ヲ被書被置ケレバ、兎角云人モナカリケリ、抑當家幕紋事、先祖三並、夷國退治ノタメニ、日本ヨリ大將ニテ被渡ケル時、三番目タリシ、其時幕ノ紋一 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00052.gif (スハマ)也、伊豫皇子、御下向之時ノ例也、異國ニテ似タル紋共有テ紛ケレバ、河野殿ノ船ニハ、折敷ヲ角違ニ、插舟ノ先ニ被立ケルニ、其影白々ト海水ニ移リタルニ、三文字見エタリ、奇異ノ想ヲナス處ニ、其船ヨリ日本軍得利、早歸朝有シ故ニ、幕ノ紋ニモ用之、其三文字、波ニ移リタル體ニテ、縮三文字也、折敷モ只四方ナル折シキ也、其後定ラザリシニ、今由井濱ノ座位、天下三番ナリケレバ、名譽トテ先祖ノ吉例起タリ、但此紋ハ角折敷ニ正三文字、折敷縁有、五納懸ニテ一端ニ二帖也、十枚也、一帖五枚ヅヽ有バ五枚折敷共云、總領計ナルベシ、其外ハ二納或ハ三納也、其一帖十枚ナルベシ、

〔陰德太平記〕

〈六十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 久留島屬信長卿
武慶、〈○村上、中略、〉子供ニ向、汝等能聞ケ、〈○中略〉往昔能島、久留島、因島、信濃ヨリ豫州ヘ下リシ時、久留島ハ三男也シカ共、果報愛度ガ故、河野ノ聟ニ成テ、風早郡一萬貫賜リヌ、因茲紋モ亦河野家側折敷ヲ免サレテ、三文字ヲ加ヘタリ、吾先祖ハ、沖ノ島々ヲ僅ニ知行シテ、紋モ圓形ニ三文字也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 加藤
家紋、丸の内九字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 加茂宮
家紋、丸の内に九字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 島津
家紋、十文字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 野々山
家紋、九内十文字、

〔島津國史〕

〈一/得佛公〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 十字家紋者、一縦一横、交午如十字形、以爲器服章幟、而後世名之、曰十文字紋、往往見於公族家譜、又按大玄公舊譜、元祿十三年、菊池藤助、對林祭酒曰、昔淸和天皇、賜六孫王源姓、及升降龍家紋、升降龍云者、畫二抹以象之、所謂二疋龍者是也、島津氏家紋、蓋二疋龍之變樣云、藤助、少受學於林道春、仕寛陽公儒職、而對林祭酒云々、其祝蓋有據、故録之以備異聞、然言二疋龍升降龍、則二抹皆應竪畫、而後世圖其樣者、並作横畫、字亦作二引兩、豈本同而末異者歟、抑原自有兩樣歟、又後世畫十字家紋者、皆於圈中十字形、嘗觀武庫所藏得佛公〈○島津忠久〉甲冑十字紋、眞鍮爲之、形如大錢、貼十字於其中、微與今世圈中十字異、然亦不全無一レ圈也、而島津系圖島津譜略、止云十字家紋、豈其略言之乎、抑別有據乎、以上二説、並俟後考

〔寛永系圖〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 〈藤原〉小出
家紋、額二八字、

〔甲子夜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 小出龜之助トテ、〈二千石〉當時御使番ナル人、予モ相識ニテ武邊者ナリ、此人ノ家紋、額ノ中ニ一八ト文字アリ、予其故ヲ問ニ曰、我ガ先祖、某ノ處〈地名忘〉ニ於テ、首十六ヲ獲テ、其邊ナル祠ノ 額ニ積テ實檢ニ及ベリ、神祖〈○德川家康〉功勞ヲ賞給ヒテ、其狀ヲ家紋ニセヨト命ゼラルヽヨリ、コノ如シト云ヘリ

〔諸家系圖纂〕

〈二十四/越智〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 越智稻葉系圖
新居〈○玉澄、中略、〉姓改橘、二三代過、兄弟別而稱高市、〈○中略〉後醍醐天皇、臨幸山門時、引率八十三(○○○)騎馳參、此時賜三十八(○○○)紋、井門一族是也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 都筑
家紋、卍字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 細田
家紋、藤丸のうちもに卍、

〔寛永系圖〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 〈藤原〉大久保
家紋左巴、添紋鳥居、稱大久保、後改上藤丸内大文字

〔寛永諸家系圖傳〕

〈五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 中川
家紋、藤丸内大文字、

〔安齋隨筆〕

〈後編五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 一梶原氏家紋 源平盛衰記卷三十五義經院參の條に云、大文字三箇書たる直垂に黑糸威鎧は、同國住人梶原平藏景時子息景季生年二十三と名乗る、土佐國主山内氏家臣大庭源之助と云者、家に古き幕あり、先祖の幕なりと云傳ふ、其幕の紋、大ノ字ノ下に二ノ字を小ク書たり、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00053.gif此の紋なり、梶原と大庭とは同家なり、故に名乗に兩家共に景ノ字を付なり、ゆゑに幕ノ紋に https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00053.gif を付るなるべし、彼源之助家は庶流なる故、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00054.gif を用ずして https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00054.gif の代に、大ノ下傍ニ二ノ字を用るなるべし、二ノ字を大キにして大二、如此しては二箇引兩に似たれば、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00053.gif此したる歟、

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓式平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 土屋
家紋、三石疊、後改爲井字

〔寛永諸家系圖傳〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 松平
若狹守康信、家紋丸内利文字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 伊丹
家紋、上藤丸に加字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈六十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 村上
家紋、上の字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈七十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 内藤
家紋、七葉下藤丸の裏に内の字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈八十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 靑木
家紋、輪の丙に生の字、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 屋代 室賀
家紋、丸の内に上の字、 室賀の紋同前

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 佐藤
家の紋、藤丸の内に佐文字、

〔改選諸家系圖〕

〈前編十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 形原 家紋、蔦、六丁子、利、卽是三字、

以動物爲紋

〔奥州會津四家合考〕

〈七附録〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 義光與政宗搦手會津
堯恒ガ次ニ貞秀ト云者アリ、此時ヨリ檜扇易ニ眞羽ヲ繪テ紋トス、元ハ獅子ニ牡丹(○○○○○)ナリ、彼ガ替ヘタル子細ハ、貞秀勇名アリ、故ニ建久ノ比、後鳥羽院被召之時ニ、朝鮮ヨリ獻鷲羽、帝羽二枚ヲ檜扇 ニ載テ賜貞秀、是ヲ榮トシテ家ノ紋トス、是ヨリ家ノ庶子ハ、檜扇ニ鷹羽ヲ畫クト也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百五十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 山口
家の紋、獅子に牡丹丸、

〔又續南行雜録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 一和田氏ノ紋ハ、獅子ニ牡丹也、〈○中略〉
以上元祿三年庚午四月七日、熊野本宮神官竹坊内記口語也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百五十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 小幡
家の紋、立竹に虎、

〔相馬系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 重國〈信太小次郎、此代ヨリ相馬ト云、○中略〉
家紋、繋馬也、

〔寛永系圖〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 近藤 藤原姓、家紋鹿割角九、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 稻田
家紋、月兎、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈六十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 石河
家紋、二連鶴、

〔明良洪範續〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 遠江守守行、〈○南部〉持氏公ノ御味方トシテ馳參リ忠戰ス、其後在國シ、秋田ト南部、合戰有シ時、戰場ニテ酒宴シケル時、何方ヨリカ鶴二羽飛來リテ、守行ノ持居タル盃ノ中ニ、舞遊ビシ鶴ノ影二ツ明ラカニ移リケル、某日ノ合戰勝利ヲ得タリシ故、吉事トシテ、夫ヨリ二ッ鶴ヲ定紋ニセシト也、本家ノ紋ハ割菱也、

〔蔭涼軒日録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522 明應二年五月廿三日、中村皆木大河原者兄弟三人之流也、皆木者號中村、大河原者不中村、紋亦與中村相替也、皆木者與中村同紋也、中村皆木者鷹羽紋也、大河原者龜甲也云々、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 松平
家紋、一鷹羽、

〔寛永系圖〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 〈淸和源氏〉淺野〈○中略〉 家紋、丸之内打違鷹羽、

〔寛永系圖〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 〈村上源氏〉久世 家紋、圈内堅鷹羽二本

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 山田
家紋、丸の内に白鳩二、

〔源平盛衰記〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 熊谷向大手
熊谷〈○正實〉ハ、褐鎧直垂ニ、家ノ紋ナル、鳩ニ寓生ヲゾ縫タリケル、

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 直實
法名蓮生、源賴朝卿、石橋山戰敗之時、隱伏木之内、直實、取葛蔦而覆賴朝之上、其後有鳩、出于木中而去、適見之謂人也、引兵而歸矣、賴朝感直實之忠、葛蔦爲家紋

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 小川
家紋、一文字尾長鳥、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百六十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 石原
家紋、結雁金、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 柴田
家紋、丸の内に二雁、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 花房
家紋、三雁金、

〔會津陣物語〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 杉原彦左衞門物語覺書條々
上杉家モ勸修寺ノ流ニテ、家ノ紋竹ニ雀ナリ、伊達モ山陰中納言流ニテ、家ノ紋竹ニ雀ナリ、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百二十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 堀越
家紋、丸の内波千鳥、

〔寛永系圖〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 〈平姓〉伊勢〈家紋、始折入菱、後向合蝶、〉
貞盛〈○中略〉
唐皮鎧以相向蝶、爲紋、自是改折入菱紋、用相向蝶紋

〔諸家系圖纂〕

〈二十/淸原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 淸原家譜
式俊〈右馬允、自平家蝶御紋、〉

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 織田津田系圖
織田氏之紋 上羽蝶〈平氏累代之紋〉

〔寛永系圖〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 〈平氏〉關 家紋、揚羽蝶、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 大島

童名西扇丸 生國伊豆
家傳にいはく、西扇丸、幼稚にして倭歌をこのむのよし叡聞に達し、あるとき召れて參内す、時 に三の胡蝶飛來て、禁延の梅花にとヾまる、是何ぞやと勅問ありければ、西扇丸、蝶なりと勅答 申す、勅使のいはく、三あるものは、其數半(○)なるを、いかむとしてか、重(○)とは申ぞと難じければ、
一つある鳥も千鳥といふなれば三つあるとてもてふ(○○)といはまし、と詠じければ、はなはだ 叡感あつて、梅樹と三蝶を以て家紋とすべきの勅諚により、日の丸をあらためて、梅と蝶とを 以て紋とす、〈○中略〉
家紋、梅の折枝三連の上羽蝶、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 大河内
家紋、三連の蝶の内に十六葉の菊、

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 宗系圖
家紋 四目結 蛇目 二引兩

〔太平記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 時政參籠榎島
鎌倉草創ノ始、北條四郎時政、榎島ニ參籠シテ、子孫ノ繁昌ヲ祈リケリ、三七日ニ當ケル夜、赤キ袴ニ柳裏ノ衣著タル女房ノ端嚴美麗ナルガ、忽然トシテ時政ガ前ニ來テ告テ曰、汝ガ前生ハ、箱根法師也、六十六部ノ法華經ヲ書寫シテ、六十六箇國ノ靈地ニ奉納シタリシ善根ニ依テ、再ビ此土ニ生ル事ヲ得タリ、去バ子孫永ク日本ノ主ト成テ榮花ニ可誇、但其擧動違所アラバ、七代ヲ不過、吾所言不審アラバ、國々ニ納シ所ノ靈地ヲ見ヨト云捨テ歸給フ、其姿ヲミレバ、サシモ嚴シカリツル女房、忽ニ伏、長二十丈計ノ大蛇ト成テ、海中ニ入ニケリ、其跡ヲ見ニ大ナル鱗ヲ三ツ落セリ、時政所願成就シヌト喜デ、則彼鱗ヲ取テ、旗ノ紋ニゾ押タリケル、今ノ三鱗形ノ紋是也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 川田
家紋、波に蓑龜、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 椿井
家紋、裏菊、或は榮螺、

〔諸家系圖纂〕

〈十三/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 遠藤〈家紋、龜甲、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 松風
家紋、三龜甲、

以植物爲紋

〔太平記〕

〈二十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 藤井寺合戰事
京勢由斷シテ、或ハ物具ヲ解テ休息シ、或ハ馬鞍ヲオロシテ休メル處ニ、譽田八幡宮ノ後ロナル山陰ニ、菊水の旗一流ホノ見エテ、ヒタ甲ノ兵七百餘騎、閑々ト馬ヲ歩マセテ、打寄セタリ、スハヤ敵ノ寄タルハ、馬ニ鞍オケ、物具セヨトヒシメキ色メク處ヘ、正行眞前ニ進デ喚テ懸入ル、

〔牛馬問〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 橘諸兄公、官職を亂し、山城の國井手の里に致仕し給ひ、此玉川のやまぶきを殊に愛し給ひ、此景色を直衣に繍し、常に附著有しとなり、其後胤、是をもて家の紋と定め、水に山ぶきをかかせける、子孫の人、山ぶきを菊とおもひけるや、いつとなく菊水となせり、是河陽侯正成の先祖也、

〔安齋隨筆〕

〈後編六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 一楠家の紋 楠が家の紋は、菊花三ッありて、傍下に流水の形あり、永正七年、立雪齋が畫し見聞諸家紋と云書に見たり、或説に、楠は井手左大臣諸兄公の末孫也、彼公井出の里に住玉ひ、井手の玉川岸の山吹を愛し玉ひしゆゑ、山吹の花の川水に流るヽ形を、楠家の紋に付たるなり、菊の花にはあらずと云へり、此由來さもあるべきがごとくなれども、出所不詳、右諸家紋には菊花なり、太平記にも、楠が旗を菊水の旗と記したり、太平記は、楠正成正行などが存生の時の人の書し物なれば、山吹を菊とは書違へまじき事なり、山吹と云は、理を好む人の附會ならん、

〔諸家系圖纂〕

〈二十紀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 菅谷〈紀氏(中略)家紋、龜甲之内根菊、旗紋祖 之一字書、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈六十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 江川
家紋、菊井、

〔見聞諸家紋〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 源姓 八幡太郎 童名不動丸、或源太、從四位下陸奥守、號金迦羅殿、鎭守府將軍、後冷泉院依勅、父賴義隨兵、奥州之安倍貞任誅、其弟宗任爲降人、攻戰間九ケ年、其後藤武衡家衡與、攻戰 事三ケ年、康平治暦、其間十二年也、合戰討勝、首級得一萬五千餘、天喜年中上洛、爲褒美勅命、五七桐紋免許、故當家〈○足利氏〉御紋五七桐、二引兩云々、桐者根本安家之紋也、八幡殿、貞任御退治以後、御上洛之時、依望申賜此桐紋云々、

〔碧山日録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 長祿四年九月廿一日甲午、南帝之孫大塔太子、嘗聚凶賊笠置之嶮、將軍尊氏、奉詔出師三瓶原、將軍未師之時、入海住山解脱之像、尋欲上人隨身之具、衆僧出之、中有木屐一雙、以桐木造也、將軍喜曰、予前夜夢、以桐屐天下、乃分其片屑、著之甲衣之上、遂平敵、以執天下之柄也、自是以桐葉家紋、且表屐二齒二劃、謂之二引兩云、

〔挾物之記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 はさみ物とは、方四寸の板、本也、〈○中略〉花にも櫻花などは立まじき也、〈○中略〉桐の葉は御紋〈○將軍足利氏〉なる故に立ず、

〔寛永系圖〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 一色 源姓〈家幕〉紋五三桐〈亦〉二引龍

〔羽倉考〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 藤丸ノ文之事
中古以後ノ事ナレバ、藤氏ヨリ出タルナルベシ、中古以來、月卿大略藤氏ナレバ、其姓ノ名ニ依テ藤ノ丸ヲ用ヒ、其後多キニ從フテ、諸氏混ジテ用フルト見エタリ、

〔宗長手記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 越年〈○大永二年〉は薪酬恩庵傍捨密下爐邊六七人あつまりて、田樂の鹽噌のついで、誹諧たびたびに、〈○中略〉
藤原うぢのもんはふぢなし〈○下略〉

〔寶永落書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 紋、蛇の目あがり藤、加藤遠江守
割はなし元じめ共はあがり藤蛇の目もこはき加藤遠州

〔諸家系圖纂〕

〈二十橘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 山中、家紋橘、 和銅元年十一月廿五日、左大臣諸兄、元明天皇列宴會、賜於浮杯之橘、勅曰、橘者是菓物之長、則爲汝姓、故紋圖之、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百七十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 井伊
共保
井伊の元祖備中大夫法名寂明、家傳にいはく、共保は一條院の御宇に、井中より化現の人なり、 〈○中略〉井より出生するゆゑ、井桁をもつて旗幕の紋とす、共保出生のとき、井のかたはらに橘一 顆あり、此ゆゑに神主、橘をもつて共保が産衣の紋につけたり、これにより今にいたるまで、橘 を衣類の紋とするなり、

〔諸家系圖纂〕

〈二十四/三枝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 三枝〈三枝部姓 家紋三枝松 圏内二引〉

〔寛永系圖〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 天野 家紋、丸内三本松三日月、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 西尾
家紋、櫛松、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528
家紋、松葉或は榕葉、

〔寛永系圖〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 〈藤原氏〉丹羽 家紋、本三葉笹、近代違棒、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 山名
家紋桐 添紋七葉根篠

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 桑島
家紋、竹の丸割菱、
養父家紋竹雀、實父家紋割菱に井桁、しかる故に兩家の紋を用、

〔土岐累代記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 齋藤家氏神之事
齋藤家ノ紋ハ、梅鉢ヲ付ル故、菅原氏ト云事誤成ベシ、美濃ニ昔ヨリ梅鉢ヲ付ル者多シ、是皆齋藤 ノ紋ヲ賜リテ付ルモノカ、又其氏族タルモノ成ベシ、

〔諸家系圖纂〕

〈二十二/菅原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 美濃部〈菅原家、紋菊ニ斧、梅鉢、〉

〔諸家系圖纂〕

〈二十二/菅原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 前田〈菅原家、紋梅、輪内、秀吉之時賜菊與一レ桐、〉

〔寛永系圖〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 久松〈本國尾州〉 姓菅原 家紋梅鉢

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 松平
筑後守康盛 家紋梅花

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百四十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 小出
家紋、額内二八の字、 秀政紋、添紋一重櫻、

〔寛永系圖〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 〈大神姓〉藤林 家紋三本杉 左巴

〔奥州葛西實記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 文治四戊申年七月十七日、源賴朝公、奥州へ御進發、〈○中略〉同九月三日、御館泰衡被誅、同十月廿四日、賴朝公鎌倉へ歸る、爰に關東下總國住人葛西三郎淸重、依戰功賴朝公賜奥州五郎、同年十一月中旬、關東を立、東海を船にて牡鹿郡石の卷へ著岸、初知入領地見之祝とて、陸地にて酒宴を催す、酒宴半ばの事なるに、虚空より三ッ葉の柏吹下り、淸重手に扣へる盃に影うつり席に落、淸重太郎盃の臺にして、猶酒宴を祝し、目出度とて家の紋になせり、葛西の三ツ柏の紋是也、

〔山内首藤系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 經俊
此人ノ時マデ、紋一文字也、然而平氏餘流蜂起之時、合戰無利、而勢州佐々良島退去時、大神宮神 膳ニ備フ三角柏ヲトリテ、笠ジルシニ用テ、合戰勝ケル故、柏ヲ紋ニ用之、

〔寛永系圖〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 〈淸和源氏〉中川 家紋二柏

〔萬世家譜〕

〈五上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529 吉川七郎兵衞
石田源太と申もの襲奉らんと、數百人道路へ出向ふ時、吉川父子、卽時に追拂、〈○中略〉右源太を追拂 候節、柏の木を纏に用ゐるによつて、家の紋に可仕旨上意に候、今以柏の折枝を紋に仕候、

〔陰德太平記〕

〈四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 大友宗麟再攻佐賀城附大友八郎戰死事
此時大友家、杏葉ノ紋付タル幕ヲ城中へ取ケルヨリ、吉事ノ例ヲ思、卽龍造寺家ノ紋ニ、杏葉ヲ用ヒケルトカヤ、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈六十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 大森
家紋、丸の内銀杏葉三、

〔秋齋間語〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 或人杏葉の紋の事を問ふ、予〈○上田秋成〉答曰、通方卿の飾抄には、杏葉とかヽせ給ひ、惟仲の記には、堯葉と書たり、藪、中園、高丘の三家に付給ふは、俗間に用るめうがに似て、葉中に花蘂數點あり、武門にて鍋島黨の紋とする是なり、園家に付給ふはかざり抄のていに似たる歟、元來此紋、杏の葉にてはなし、古來通文といふ物あり、花にては唐花、葉にては此紋なり、たれが著してもくるしからぬ由にて、むだ紋たヾ紋など云是なり、鎧具足にも、かけ通しの緒を射切られまじきために、金物にて是を作り、緒の覆ひとす、是通用の具足にて、ぼたん、櫻、四ツ目ゆひ、その外わが家の紋につけても、名はきやうやうと申由申けれぼ、彼人尤と同じ、野宮家の御説も其通りなりと申ぬ、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 津輕
家紋、牡丹丸、

〔寛永系圖〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 〈源姓〉諏訪
家紋、白地用三葉之黑梶、其初梶葉數片雖之、一家末裔、嗣他氏者多矣、此時取一葉以與之、故今唯存三葉而巳、

〔遠碧軒記〕

〈上/人倫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0530 大和國宇多の近所に、山部寺と云有り、この所に、〈○中略〉賴政の具足、幷旗系圖あり、賴 政の紋は、齒朶の葉の丸なり、旗にもその紋あり、

〔完哲叢談〕

〈後編三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 鷹見爽鳩
鷹見氏、本姓曰金澤、其先世遠州人金澤某、又始仕于田原侯、曩祖兜鍪之世、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00049.gif勳功、嘗見白鷹啣鹿角於諸楓樹上而結上レ巢焉、以爲瑞、捕得之、以奉神祖、因賜之姓、曰鷹見氏、當時之人、皆榮焉、〈○中略〉鷹見氏、併繪楓葉鹿角一雙以爲紋、表其得一レ之也、子孫相沿、至爽鳩時改云、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 松平
外記恩實家紋、一葉の蒲萄、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 松平支流長澤流
淸須家紋、四丁子、 正信家紋、丸内竹葉、

〔諸家系圖纂〕

〈十七/藤原〉

長井〈藤原、家紋瞿麥〉

〔諸家系圖纂〕

〈二十五/大藏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 秋月
家紋唐菱、常用撫子花

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 伯耆南條氏系圖〈平氏、家紋夕顔〉

〔見開諸家紋〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 桔梗、但幕者無紋水色、 土岐〈賴光四世孫、國房之末、國房者、賴政之叔父也、〉
童名文殊丸〈正四位下攝津守鎭守府將軍〉
土岐氏、本出于源姓、故其爲紋者、一變白色、乃以爲水色、昔時准用焉、是亦所以貴其先也、有野戰時、取桔梗花于其甲、以大得利矣、因爲之例、遂置之水色之中、以爲之定紋也、然不其年月、又其不何人始爲一レ之也、源賴光爲紋、末裔用之、故不堅取其説、暫依其所一レ聞、以書寫而已、

〔明智系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 家之紋、水色桔梗華、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈五十二〉

土岐
家紋、水色桔梗、
家傳にいはく、土岐の家紋、本は白色也、其後水色をもちゆ、むかし土岐の氏族、秋の頃野原にて 合戰の時、桔梗の花をとりて甲にさし、勝利をうるゆゑ、子孫吉例として、桔梗の花を水色の中 におきて定紋とす、

〔鵞峯文集〕

〈十七/記事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532太田道灌軍扇團扇事〈代太田攝津守資次
頃聞常陸國府中總社明神庫内、藏古團扇、傳稱我家先祖太田左衞門入道道灌軍配之團扇也、懇請借見之、〈○中略〉於是新製其筥、撒金以飾之、繪家紋桔梗於其間、謹藏之、而返納神庫

〔寛永系圖〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 〈平姓〉杉原 家紋、藤丸、

〔寛永系圖〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 〈豐臣姓〉木下 家紋、胡馬〈〇獨樂〉面高、

〔葵御紋考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 王氏を出で源氏を賜ひ、臣に列し給へるは、嵯峨、仁明、文德、淸和、光孝、字多、醍醐、村上、花山、三條、順德、後深草等ましますといへ共、御紋は皆笹輪幢なり、

〔寛永系圖〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 〈村上源氏〉一尾 家紋久我ヨリハ龍膽 今地扇之丸

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 石川
家紋、丸の内に龍膽、

〔筑紫軍記〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 一條康政卿被家臣出奔之事
元親先祖ハ、秦ノ始皇帝ノ末孫、本朝ニ來服シテ朝廷ニ仕ヘケレバ、秦氏ト稱ス、十五代ノ裔孫、川勝秦大臣廣隆、〈聖德太子ノ臣〉其末流秦能俊、始テ土佐ノ國ニ下リ、長曾我部江村ノ庄廾枝郷野田吉原ヲ給領ス、此時綸命ヲ蒙テ參内シケリ、則尊盃ヲ頂戴ス、其盃中ニ鳩酢草一葉浮ブ、是ヲ拜シテ家ノ紋トス、

〔鹽尻〕

六N

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 モツカウノ紋木瓜ト書翠簾帽額ノ事 或問もつかうの紋、木瓜と書、吾子家の紋の傳を 見れば、帽額と書して、元御簾の紋といへり如何、予曰、もつかうとは、根本は帽額窠子といふ事にして、翠簾の帽額〈みすの上縁の如くして下を縫付ず、一幅の絹をもつかうと云、是又今世水引共云なり、〉紋は、繪がくに四ツ花形の窠の紋なり、但し紋にはちいさく竪長に書、是木瓜なり、扨古人用の證は、朝倉氏先祖、日下部高淸、〈太郎入道〉射を能す、源賴朝卿所領を賜ひ、且御簾の紋を下し給る、是より三ツもつかうを家の紋とするよし、朝倉氏系譜に見えたり、是を以て證とすべし、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百九十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 柳生
家の紋われも香 添紋笠

〔諸家系圖纂〕

〈十四/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 高力
家紋 横木瓜

〔諸家系圖纂〕

〈二十/紀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 堀田〈家紋木瓜〉

〔諸家系圖纂〕

〈五十六/日下部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 〈姓日下部家紋三木瓜〉

〔諸家系圖纂〕

〈二十四/伴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 伴氏系圖
資直
裏書云、建武二年、尊氏筑紫へ働ノ時、多々羅濱ニテ菊池武俊大軍ニテ寄來ル時、味方散々ニテ 危カリシ時、伴資直、同高兼、同兼弘、同資家等、以謀御紋ノ旗ヲ作リ、方々ノ御方ヲ麾キ、件氏ノ輩 先登シテ、尊氏勝利ヲ得ラル、故ニ感有テ、二引兩ノ御紋ト、此御旗ヲ賜ル、伴家ノ紋木瓜ト合付 ル事是始也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百五十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 神田
家の紋、木瓜の内に菊、

〔鹽尻〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 一葵の御紋〈○德川家紋〉 源尾敬公、御相傳の御説に曰、源賴義の御嫡男義家を、石淸水の 御氏子として八幡太郎と稱す、當社の神紋を摸して、鞆紋を御旗の紋とし給ふ、
御次男義綱は、賀茂社の御烏帽子子に擬へ、賀茂の次郎と稱し、ひとつ葵を、旗の紋とし給ふ、
御三男義光をば、三井寺の新羅明神の烏帽子子に擬へ、新羅三郎と云、彼神衣の紋を以て、割菱を紋とし給ふ、
義家の御裔新田家、大中黑の御紋は、根本幕なり、鞆繪は御家の秘紋として、德川家へ傳へ玉ひし、親氏公、三州加茂郡入御の後、勢盛んに御子數多生れさせ給ひし、郡名により加茂の朝臣と稱し、御家の鞆繪の御紋を、葵に書なし給ひて、御一流の御旗幕に付させ給ふ、是今の葵鞆繪の御紋なりと云々、丸は大權現御末年の時より付させ給ふよし、葵鞆繪如此、〈○圖略〉共秘設也、努々不他見他聞者也、

〔明良洪範〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 天正十三年二月九日、由良信濃守ガ嫡男成繁ハ秀吉公ノ臣也、〈○中略〉由良家紋三葉葵ナル故、登城ノ諸士、神君〈○德川家康〉ノ御公達ト思ヒ、皆下馬シテ通リシト也、〈○中略〉抑些三葉葵ノ御紋ニ諸説有リ、新田左中將義貞朝臣已來、三葉葵ノ紋也シニヤ、義貞ノ兜ニ三葉葵ノ紋付テ有リ、今ニ由良信州ノ家こ傳來シテ有リト、横瀨采女云リ、

〔藩翰譜〕

〈四上/本多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 忠次が、祖父縫殿助正忠、最初に御方に組みして先陣し、牧野兄弟、既に討たれて、吉田の城に向ひ玉ふに、正忠、城の東門を攻め破て城を落す、爰よりまた田原の城に向ひ玉ふには、正忠おのが伊奈の城に迎へまゐらせ、御酒奉て賀しまゐらす、
家に傳ふる所は、此時御肴を進むとて、池なる水葵の葉に盛りてまゐらせしに、次郎三郎殿、〈○德川家康祖父淸康〉御覽有て、立葵は正忠の家紋なり、此度の戰に、正忠最初御方に參りて勝軍しつ、吉例なり、賜らんと仰ありて、これより御家紋とはなされたり、されば岡崎隨念寺に、自讃し玉ひし御畫像に、立葵の紋を畫がヽれき、今にありと申なり、また德川殿〈○家康〉の御時、高力攝津守忠房 が母に、伊奈の本多の事、尋仰られしに、三河國の本多は、伊奈を以て嫡流とす、されど昔より當國に其數多き本多の人々、伊奈の本多の外に、一城をも領し候ものはさぶらはず、二郎三郎どのヽ御時に、祖父にて候者にこそ、紋をば望ませ玉ひし御事も候つれと申しヽといふ、忠房の母は、正忠の孫にて、忠俊が娘なりき、ある人のいひしは、上野國新田の庄に、ふるき目貫髪掻小刀の柄に、葵の丸の紋あり、これに因て思ふに、葵の丸は、初より新田の家紋にやあらんといふ事あり、是また一説なればこヽに附す、

〔紳書〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 神祖〈○德川家康、中略、〉御旗は、白地に三ツ葵の丸也、一設に、御家人本多、此は城州愛宕郡賀茂の社務職也しかば、葵を以て紋とす、公御もらひ有之、御紋とせられしかば、本多は立葵を用ひて、御紋にわかつと、一説に、三州矢作の領主島田平藏が紋なり、

〔渡邊幸庵對話〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 權現樣御紋は、かたばみ也、葵の御紋は、本多家立葵の葉を御貰、かたばみの如くに被御付候也、此葵を金印に被仰付、夫にて御紋の形押申候、常に戸田左門氏鐵の姉に御預置也、依之予が方へ傳り申候とて見せ被申候、金はインス也、被御付候御紋の恰好、廻りの輪は、輪にあらず蔓葵也、

〔葵御紋考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 御紋の事は、御家の御秘要なれば、容易に論判議定すべき所にあらず、然るに古より葵の御紋につきては、本多酒井の兩家より、捧るの二つをのみ是非の論有て、他の評に及ぶ者なし、予管見古書にくらし、何ぞ能此事の實證を得べき、但諸書に散在せるを見るに、諸説の異儀紛々として分明ならず、〈○中略〉家紋は貴賤共に最要なり、既に諺にも、一子の爭ある時、其胞衣を水上に浮洗ふとき、家紋現出すと云り、されば猥に附紋するものに非ず、况や御當家の御紋の事をや、〈○中略〉茲に於て猥にしるす事にはなりぬ、
關氏藏書云、應仁之頃、實煕〈○藤原〉上洛之時、自其國中小士奉送之、故任三河守口宣、〈中略〉信光家督後 移岡崎、文明十一己亥年七月十五日、夜攻安祥、此時酒井五郎親淸父子三人、率來四拾餘人、而丸盆水葵三、如鼎置之各引渡、以熨斗勝栗昆布、盛葵葉上祝言申、泰親悦曰、自今以後、親淸之可家紋旨、依之丸之内三葵爲酒井定紋、此時三河三分一領之云、又云其後又奉之、〈○中略〉
謹按ずるに、酒井氏其始渡邊黨成べし、三河國には一類多し、其後境村に住て、染戸を業とせしより本姓をはぶきける歟、多門氏の譜にも、酒井多門と一姓にて、三星を家紋とせるにて、渡邊 成を知べし、其後親氏君入聟となり給ひし後、醬草を本紋と定められし、〈此事末に出すべし〉若本文のご とく、泰親君より酒井〈江〉葵を賜りなば、其以前は泰親君何を御家紋となし給へるや、いぶかし き事也、
三河國岩津妙心寺は、崇岳院殿〈信光入道〉の開基、長澤の祖備中守親則の菩提所と定め、母堂眞常院殿も同葬なり、然るに當寺尊牌に五七の桐を附けさせらる、右尊牌古彫往古物にして、慶長以後の物とは見えず、然れば其頃は桐をも御紋とせられしにや、〈○中略〉
其後立葵をも用ゐ給ひしにや、本多家譜に云〈膳所〉本多縫殿介正忠、先祖山城加茂社職也、依以立葵家紋、岡崎二郎三郎淸康君、被吉田城主牧野傳藏、田原御出勢之節、正忠奉入伊奈城、進御酒、獻御肴之節、池中之水葵葉盛之、次郎三郎君、御覽之曰、三之葵者、正忠之家紋也、今度之合戰、正忠最初參味方、而後爲勝利、爲吉例、依被受之旨仰、差出之、御滿悦而別爲御家紋云々、仍岡崎隨念寺御自讃御畫像、被立葵之紋今存、右葵取之地名、花池申傳、
此趣正忠之男、助大夫忠俊女、高力土佐守正長室、同攝津忠房母、言上同斷也、
又或本多家譜云、世俗曰、立葵之紋、本多家度々依武功、神君御所望、御請曰、無憚之由、然者可葉計附御意有之、三葉之葵御附流布、亦當時自賀茂社葵獻上、又本多元賀茂之社職云々、家譜之本、幷藩翰譜等同此、此條前文に見る時は、淸康君の時より、御紋に立葵を用ゐ給へるにや、然るに 今のごとく丸に改めさせらるヽ事、何れの時といふべきか、殊に夫迄は何の御放なりと云ふ 事明らかならざれば、御當家の御紋、淸康君より始まれるやうに思はれて、其以前わかちがた し、又後の儀による時は、東照宮の御代、初めて附けさせらるヽと見えたれば、神君の御時迄、御紋なかりしやうにて、同じ本多の家にての二説、猶いまだ詳ならずといふべし、〈○中略〉
三州岡崎能見郷の松應寺は、瑞雲院殿〈贈大納言廣忠卿〉の御廟所なり、此御廟所は、東照宮の御造營なり、此瑞籬の内外共に、劒銀杏の御紋を附けさせらる、〈○圖略〉
御當家にて、此御紋用ゐさせらるヽ事、諸書に未見えず、然るに天文中、御造營の御玉垣其外に附けさせらるヽこと、其故よしあるべき歟、按ずるに銀杏に夷朝の訓あれば、四夷を悉く征せられ、各御旗下に朝せしむるの御祝兆にて、銀杏を愛し給へば、御父靈を御崇信の時附けさせられしにや、〈○中略〉又按に葵の御紋は、種々の説あれば、劒銀杏は御家の御替紋にて代々遠く附けさせらるヽ故に、御尊父の御靈前、幷神さり給ひし御靈屋前に植ゑさせ給ひけるにや、

〔葵號考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 由良が家は、義貞朝臣の後裔にして、代々丸の内に三葉葵を家の紋とす、卽其先由良國繁が家臣柿沼長門守、天正中の覺書に、御旗大中黑、地白、幕三田町白、内幕は地萌黄、上の田町に桐菊丸の内三葉葵、是は御先祖義貞公より御代々御附被成候、又御家事記に、上野國新田圧、古目貫髪掻小刀之柄、葵の丸の紋有之、仍葉葵の丸者、元來新田家の徽號にして、當家にはじまりしにあらざるをさとるべし、扨義重公は、八幡殿の御孫にて、式部大輔義國君の嫡子たるを以て、丸の内に一文字を用ひて徽號とす、是いはゆる中黑の紋なり、〈○中略〉義重公には、二葉葵をもまじへて用ひさせ給ひけむことは、猶後世の副紋の如くなりけむかし、〈○中略〉往昔芳樹公、〈親氏公〉御本國上野國新田庄世良田庄を去て、諸國を經歴し、三河國加茂郡松平村に入らせ給ひし時、足利家をはヾかり、御本國德川世良田等の御稱號は、ふかくつヽませ給ひしかば、〈○註略〉まして葵章の紋つきたる什 器の世に傳はらぬにても知りぬべし、さらば其頃は何をもて徽號に用ひさせ給ひしと云に、五七の桐などをや用ひさせ給ひけん、五七の桐は、八幡殿已來、新田足利は申までもなく、其支流の家々〈○註略〉等にても多く用ひ來れる事、今猶しかるにて察すべし、さらば桐を用ひんからに、必新田の累葉とかぎるべきにもあらず、又いかに世をはヾからせ給ふとても、さらに其ゆかりなき徽號を用ひさせ給ふべくもあらざめれば、かた〴〵其よせなきにあらず、今松平と稱する家々に、多く桐を家紋とせるは、恐らくは其名殘なるべし、しかはあれど、いまだ芳樹公已來、たしかに桐を用ひさせ給へる確證を得ざれば、推定めては云がたし、試に是をいへるのみ、當家にて葵章を今の如く用ひさせ給ひしは、永祿年中、德川御復姓このかたの御事也、〈是其已前の物等に、たしかに葵草の附たるを、未見開及ばず、御復姓の御時、徴號は古に復させ給ひけん事、もとより其理なればなり、〉考〈○葵御紋考〉に云、永祿年中、東照宮、德川の御本姓に復させ給ひしかば、是迄秘させ給ひし葵とも御家紋となし給ひ、御代々御一同の御紋と定め、不窮御榮昌の御瑞祥に定めさせ給ひしなるべし、又大成記を引て云、東照宮に、朝廷より菊桐を給はらんと有し勅答に、家傳の葵の紋を用ひ、某に相應なりと有り、家傳との上意、千古萬世を貫くべし、酒井本多等よりさヽげしなどいふは、おぼつかなしといへるは、ともに考へ得たりといふべし、

〔幕朝故事談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 御三卿樣〈○德川氏〉も、御賄料三萬石の時は、御紋菊輪なり、十萬石御分國の時に至り、御三家樣〈○德川氏〉の通の御紋に成るなり、御紋の小なるは、德廟〈○德川吉宗〉よりなり、紀伊國流なり、御次男樣方は鐵砲角の内に葵也、外輪は隅きり角なり、

〔安齋隨筆〕

〈後編十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 一カタバミの文 同草子〈○枕草子〉に、もんは、あふひかたばみ云々、カタバミは昔より用る文なり、飾抄にも、車の文にも、面掛(オモガイ)〈馬具〉にも、カタバミの文付ること見えたり、〈又枕草子に、草はと云段に、かたばみ、あやのもんにても、ことものよりは、をかしとあり、〉

〔諸家系圖纂〕

〈一/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 義光
賴義三男、〈○中略〉賴義夢參詣於園城寺新羅大明神社、其路次奉高祖六孫王於湖水邊、聚菱葛以綴衣持之、御手招賴義曰、汝當子、今是衣授其子、賴義纒頭之、拜賀之後、王者立爲八尺龍神御水中、賴義覺以深信仰、遙向近江國方再拜、既而妻室懷胎、以日生義光、賴義大悦、則以菱之文其生衣、從是當流、以菱爲家之紋

〔寛永系圖〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 〈多々 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00018.gif 姓〉大内 山口〈在周防吉敷郡〉 家紋唐菱〈俗謂之大内菱

〔中國治亂記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 大内ハ、代々渡唐ノ使僧ヲ遣シ、アヤ錦ニ至ルマデ家紋ヲ織セ、大内菱トテ、唐ヨリモ色々ノ織物數十艘渡リ、〈○下略〉

〔見聞諸家紋〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 松皮菱 武田〈○中略〉從四位下伊豫守鎭守府將軍〈○中略〉
永承五年、後冷泉院依勅、奥州安倍賴時攻、是時詣住吉社、祈伏夷賊、于時有神託、賜旗一流鎧一領、昔神功皇后、征三韓用也、神功皇后、鎧脇楯者、住吉之御子、香良大明神之鎧袖也、此裾之紋割菱也、三韓歸國後、鎭座於攝津國住吉、以奉納于寶殿、今依靈神之感應、于源賴義之、可希代也、賴義三男新羅三郎義光、雖季子、依父鍾愛之、即旗楯無是也、旗者白地無紋、鎧有松皮菱、故義光末裔當家爲紋、

〔新增犬筑波集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 都より甲斐の國(○○○○)へは程遠し
おいそぎあれや日もたけだ殿(○○○○)
ふしんばを今日わり菱のひしめきて わり菱は、武田の紋なり、

〔諸家系圖纂〕

〈六/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 小笠原系圖
貞宗
或時詔而被下弓法之奥儀、不固辭、奉鳴弦矢叫等之秘術、謂弓馬之家、謂天性之達、叡感之 餘、小笠原、可日本武士之定式之旨、下賜御手判、被正三位、剰以王之一字、可家之紋旨蒙勅 定、雖然奉冥慮、密其形爲紋、今用松皮菱之下太是也、

〔寛永系圖〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 米倉 源姓、家紋角内花菱、

〔羽倉考〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 花菱ノ文ノ事
是ハ風流ノミナルベシ、菱形ハ質樸ニシテ目ヲ悦バシメザル故、花ヲ以テ菱ノ形ヲ摸セルナルベシ、 强テ義ヲ捜ランハ鑿ナリ、

〔諸家系圖纂〕

〈十九/藤原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 三木〈藤原、家紋劒菱、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 石川
家紋、二割菱、

〔言成卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 慶應二年正月十五日、今日町人禮、少將令面會云々、〈○中略〉喜多川、中西等、
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00050.gif家公、賜當家紋、〈折入菱〉著用來云々、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 松平
忠利、家紋澤潟、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 小澤
家の紋、茗荷の丸、

〔永享後記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 享德三年十二月廿七日、結城成朝大將にて、鎌倉西御門管領の亭へ打て入る、成朝が家人に武州牢人金子と云もの兄弟あり、大手より責入、憲忠を害し、御首取てまいりたり、成朝大によろこび、則かれらをめしつれて、御所中へ參上仕、御白洲に畏る、彼兄弟は無位の者なれども、憲忠の御首、平地置べからずとて、たヽみを敷、彼兩人を置、公方兩人の名字を御尋あり、成朝かねことは不呼、結城家老の多賀谷が同名に被成、多賀谷とめす、此兩人則常陸の下妻の多賀谷の元祖、祥永祥賀兄弟是也、依之多賀谷の庭たヽみと云は此由來也、又家の紋に、瓜を用し事も、彼の首に 敷きたる紙に、瓜のごとく血の付たるゆへに、此家のもんに定る也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百五十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 稻富
家の紋、稻に鳴子、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百七十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 内田
家紋、丸の内に稻三本雀三、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十四〉

大岡
家紋、三本稻、

〔鹽尻〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 三州鈴木氏紋ノコト 三州鈴木氏は、鈴木三郎重家が伯父の僧善阿彌陀佛、三州加茂郡高橋庄矢並郷に住せしより、代々矢並村圧一木等に住せり、其裔移りて酒呑村に居せり、文明年中、鈴木與六郎某法名淨本、酒呑村に住すと云々、
始善阿彌陀、矢並郷に有りし時、同庄猿投(サナゲ)山に神宮寺を立て、あみだの像を安置す、今に傳へて善阿の忌を修す、善阿の子孫は、信濃宮方なりし、姓は穗積、紋は拔穂なり、鈴と幣帛とは、彼家の馬印なりしとかや、

〔諸家系圖纂〕

〈四十一/藤原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 上杉系圖
家紋 天月 二本大根 八藤 菊 桐

以器物爲紋

〔佐竹系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 家紋 隆義迄ハ白旗也、秀義之時、從賴朝始而賜此紋〈○扇〉也、

〔吾妻鏡〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 文治五年七月十九日丁丑、巳刻二品〈○源賴朝〉爲伐奥州泰衡發向給、 廿六日甲申、令宇都宮給之處、佐竹四郎、自常陸國追參加、而佐竹所持之旗、無文白旗也、二品令之給、與御旗等之故也、仍賜御扇〈出月〉於佐竹、可旗上之由被仰、佐竹隨御旨之云云、

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 佐治系圖〈平姓、紋軍扇、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 松平
主殿頭忠房.家紋丸の内に開扇、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 丹羽
家紋、九本骨の檜扇、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈九十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 淺羽
家紋、十二本骨扇に日の丸、或は菊、

〔明良洪範續〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 正綱〈○長澤松平〉ノ家紋ハ、浮線綾ノ三蝶ノ舞テ、八重菊ヲ吸フ形也、然ルニ伊豆守〈○信綱〉養子ノ後、右衞門大夫實子出生シケル、後年豆州ニハ段々御取立、養家ヲバ右ノ實子ニ相續仰付ラル、是松平備前守家也、豆州ヲバ別段ニ成サレケル故、備前守方ハ家元ナレドモ、時ノ勢ニテ伊豆守總領家ノ如クニ有シ故、家人ドモ、ヤヽモスレバ爭ヒノ事有ケル、右ニ付、豆州ノ紋所ハ、三蝶ヲ扇子ニカヘ、開キタル扇ヲ用ヒラル、之ハ最初扇ヲ開キシヨリ、立身有シ故事ヲ含ミ、養家ノ三ツ蝶ニ准ジ、三ツ扇ヲ付ラレシニヤ、

〔葵御紋考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 紀伊殿庶流〈松平左京大夫〉にては、三鍬形を以て、神君〈○德川家康〉より讓られ給へる御紋也とて、殊に重く取扱はれ、家士といへ共、故なくしては猥に賜はらず、此御紋は、神祖南龍君〈江、國祖賴宣卿、〉御咄の時、或夢に、織田右府、豐臣太閤、予と三人、一席に天下の事務を論ぜし時、各鍬形の兜を著せしかば、汝忘るヽ事なかれと、上意より附傳ふる所と云々、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 大草
家紋、十文字の轡、

〔屠龍工隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 梶原が紋は、矢筈なりと云ふに、繪に書たるなどを見れば、矢の羽を二ッならべて付たり、武士の紋は、もと幕の紋にて、機の具のりうご、ちきり或はくぎぬき、つるまきなど、手輕きも のを墨にて書たれば、矢はず計を二ツならべて付たるも知らず、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈五十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 仙石
家紋、永樂通寶、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 山中
當家紋、丸の内に裏錢、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 水野
家紋、丸内二本繹潟、永樂錢、
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 物忠善家傳にいはく、先祖軍功あるを以て、參内の時、永樂錢を捧る故、永樂錢を以て家紋と す、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百四十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 松浪
家紋、丸内簾、

〔諸家系圖纂〕

〈六十/大宅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 大宅氏〈武内大臣未葉、家紋竹笠、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈八十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 伊澤
家紋、菅笠、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 波多野
家の紋、丸の内に二前著打違、

〔諸家系圖纂〕

〈二十/橘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 梶川系圖
正治〈○中略〉
宿主賀出頭、角切折敷ニ菱ノ餅ヲスエ進ズ、正治悦喜、則爲家紋

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百三十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 宇佐美
家の紋、瓶子、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百四十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 永井
家の紋、井桁、
長井 家の紋、十六のむさし、

〔安齋隨筆〕

〈前編八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 一景淸家紋 尾張國海東郡馬嶋村明眼院に白山神社あり、社内に古き鎧あり、相傳て惡七兵衞景淸が鎧也といふ、其鎧の圖を尾張の人持たるを乞て寫しぬ、其鎧に車輪の紋の金物あり、其後或人の談しは、信濃國に景淸の建立しわりし古寺あり、堂に車輪の紋付たる金ものありといふ、此事寺を見し人に直に聞かず、人傳に聞し事なれば、郡村の名も寺の名も委しく尋られず、詳ならず、されども景淸が紋、車輪にである事は、彼鎧の紋に符合せり、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 知久
祐起
家傳にいはく、室町將軍家の君達之義より、錦の母衣、ならびに旗をたまはる、書狀これあり、彼旗の紋章輪、これによりて家の紋とす、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 佐藤
家紋、片輪車、或ハ傘、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 榊原
家紋、車、

〔安齋隨筆〕

〈後編十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 一保田家の紋、おほすながしと云、其形〈○圖略〉如此、是は蛇籠のくひ計付るなり、古は〈○中略〉じやかごに、くひを打し形を附しなり、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百九十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 春日
家紋、輪寶、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 鳥居
家の紋、丸の内に鳥居、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 宮崎
家紋、鳥居の上に鳩、

以雜形爲紋

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 雨宮
家紋、日の丸、

〔諸家系圖纂〕

〈三十三/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 平氏大須賀君島之系圖幷神鎭守家紋之事
昔有下總國葛飾府千葉郡一人國主、園種千葉之花樹、其花盛時、必天女各降來、而遊覽于園、使天衣懸置于松枝、其容貌輝於邊、其國主欲之嫁之、故使天女之羽衣竊藏一レ之、然天女各見花了欲歸、一女無天衣歸、則相止爲夫妻子孫、是故改其所千葉、其松名天羽衣松、亦謂天人腰懸松、或號千年之松、其天衣有月星之紋、故相傳爲家紋、亦以薄秋鹿雌雄幷用云、
幕之紋用之、但白地也、薄鹿共可墨繪也、

〔東照宮御實紀附録〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 三五郎〈○野中重政〉に御盃を下され、信國の御刀を引る、盃に三日月を蒔繪にしたれば、向後これを吉例として三日月をもて紋とせしめらる、

〔萬世家譜〕

〈一下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 打越治右衞門
關原戰場にて、景勝之幕を取申候、右幕之紋、則家之紋に仕、丸之内一三星附申候、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 戸田
家紋、六星、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 大須賀
家紋、七曜、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 蒔田
家紋、八曜子持筋、

〔奥州相馬系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 義胤
幕紋、縻馬、 家紋、九曜星、

〔寛永系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 〈平氏〉佐久間 家紋、圈内三引、九曜、

〔改撰諸家系圖〕

〈前編十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 保科氏
正直〈○中略〉
天正十年壬午九月、正直居高遠城時、藤澤次郎賴親、構https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00056.gif 於伊奈郡箕輪以叛、正直再三遣於使 賴親曰、汝疾可大神君、〈○德川家康〉賴親不諾、於是正直、率兵進攻箕輪城、三日而遂陷城、先是家紋梶 葉也、此時九曜星下、見飜旗上、喜軍爲佳瑞、急發兵得大利、仍家紋用以九曜

〔鵞峯文集〕

〈七十二/行狀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 故江府令朝散大夫親衞校尉石谷叟行狀
西郷屬邑有石谷村、政淸生于此、村有八幡神祠、其傍有九石、政淸敬神之餘、象其石、以九曜星家紋

〔傍廂後編〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 月に星九曜
伊東家の月に星九曜、俗に十曜と云ふ、斯の如き文は、もと千葉の文にて、中は月にて、めぐりに九星あり、今俗に十曜と云ふ、伊東祐親が懇望にて、賴朝卿口入なれば、常胤斟酌に及ばず、ゆづりたる古文、人のしる所なり、さるを伊東家は、その時讓り受けたるまヽにかはる事なきを、中々に本たる千葉家にては、誤りて と 、ふたつになしたるは、いつの頃よりの誤ならん、月に星九曜のひとつを二にしたるなり、

〔見聞諸家紋〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0546 二引兩 源姓 八幡太郎
童名不動丸、或源太、從四位下陸
奥守、號金迦羅殿、鎭守府將軍、

〔太平記〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 瓜生擧旗事
瓜生判官保、足利尾張守高經ノ手ニ屬シテ、金崎ノ責口ニアリ、〈○中略〉折節陣屋ヲ雙べテ居タリケル、宇都宮美濃將 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif ト、天野民部大輔ト寄合シテ、四方山ノ雜談ノ次ニ、家々ノ旗ノ文共ヲ云沙汰シケル處ニ、誰トハ不知、末座ナル者、二引兩ト大中黑ト何レガ勝レタル文ニテ候覽ト問ケレバ、美濃將 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 、文ノ善惡ヲバ暫置ク、吉凶ヲ云者、大中黑程、目出キ文ハ非ジト覺ユ、其故ハ前代〈○北條氏〉ノ文ニ、三鱗形ヲセラレシガ滅ビテ、今ノ世二引兩〈○足利氏家紋〉ニ成リヌ、是ヲ又亡サンズル文ハ、一引兩〈○新田氏家紋〉ニテコソアランズラメト申ケレバ、天野民部大輔勿論候、周易ト申文ニハ、一文字ヲバ、カタキナシト讀デ候ナル、サレバ此御文ハ、如何樣、天下ヲ治メテ、五畿七道ヲ悉敵無世ニ成ヌト覺エテ候ト、字ニ付テ才覺ヲ吐ケレバ、〈○下略〉

〔旗紋引兩之字義〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0547 太平記十四卷新田足利確執奏狀ノ段〈○中略〉
以上一文字ヲ一引兩ト云ヒ、二文字ヲ二引兩ト云ヘルノ證ナリ、〈○中略〉白石軍器考ニ云、新田 大中黑ハ、日ノ字ニ象リ、足利ノ二引兩ハ、月字ニ象レリ、其本兩家ハ、嫡男ト二男家ナル故ニ、 日月ノ二象ヲ分ツテ、旗ノ文ト成シタル由見エタリ、但シ如何ナル故ヲ以テ、日月ノ字ヲ用 テ、嫡家ト二男家ト分ツテ、旗ノ文ト爲タルト云事ハ記サレズ、猶可尋明事ナリ、
右一ツ引兩、二ツ引兩ト云事、引兩ノ義詳ナラズ、或設ニ云、横ニ黑ク引タルヲ龍蛇ノ形象ニトリ、上天騰蛇ノ勢ニ據レリト云フ義ニテ、一ツ引龍、又二ツ引龍ノ謂ヒヲモテ、引龍ノ龍ヲ兩ニ書クハ、假字ノ借字ナリト云ヘリ、〈○註略〉然レドモ此引龍ト云フコト、舊記ノ據ルベキ事ナケレバ、信用シガタキモノ也、謹デ考ルニ、〈○大塚嘉樹〉引兩ノ兩字ハ、靈字ノ義ニテ、引靈ナリ、其據ルトコ ロハ、胡曹抄ニ〈桃華蘂葉ノ中ニ胡曹抄アリ〉天子御袍ノ文、竹桐御兩鳳トアリ、是ヲ權記ニ考ルニ、〈藤原行成卿ノ御記録ナリ〉天子御袍ノ文、竹桐五靈鳳ト書シタリ、是五ハ御、兩ハ靈ニテ、二字共ニ、其字音ヲ借リタル假名書ナリ、〈胡曹抄以下ノ文ハ、野宮定基卿ノ御勘物ニアリ、〉ト見エタリ、抑一引兩二引兩ハ、日精月精ノ二靈ナリト有レバ、全ク一ツ引靈、二ッ引靈ナリ、日精月精ヲ靈ト云フ事ハ、天照大神ヲ大日靈貴ト云ヒ、月讀尊ヲ月精靈貴トイフガ如ク、靈トハ日月精靈ノ事ニテ、其靈ノ字ヲ兩ト字畫ノ省略ニテ借リ用イタルモノナリ、去レバ實ニハ一ツ引靈、二ツ引靈ナリ、〈○中略〉且日精ヲ大中黑トテ、一文字引ハ 字ノ形象、ニツ引兩ヲ二文字引ハ字ノ形樣ナリ、是モ亦上ニ云ヘル軍器考ニ引レタル、日月ノ謂ヒニテ、考ヘ察スベキ事ナリ、

〔倭訓菜〕

〈中編二十一/比〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 ひきりやう 引兩と書り、二ツ引の事なり、鎌倉若宮八幡の神庫を開きて寶器を見しに、二引兩の旗あり、二引兩は、足利氏の旗號なり、相傳ふ、是源義家の旗なりとみゆ、義昭將軍の書に、引兩筋とも見えたり、二ツ引兩、三ツ引兩などは、重ね云なるべし、一説に、源賴朝卿、石橋山合戰の後、下總國府に至り兵を招く、此時大將の陣營幕なし、千葉介常胤、己が白幕に墨紙を粘して二ツ引兩とす、此吉例たるにより、引兩幕を用らる、

〔類聚名物考〕

〈武藝四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 一引兩 ひとつひきれう〈中黑と云〉 二引兩 ふたつひきれう
ひきれうの事、一引兩は新田家の紋にて、即ち中黑と云へり、二引兩は足利家の紋にて、その元は幕の紋より出て、中の幅を黑くし、上下白きを新田家に用ゐ、中の幅を白くして、上下黑きを二引兩といひ、足利家の紋といへる也、後は衣服の紋に用うる事ともなれり、れうとはその義未詳、龍の象也ともいひ、料の字をも書ども、まづは兩字を用ゐ來れり、此外に三浦等は三引も有也、或説にいふ、兩家の系譜に云傳へしは、日月の御紋を朝廷より賜はりしを、日月の古字を用ゐ紋とす、 日字如此、中黑と云、 如此なるは月の字の形也といへり、今案に、是さる事にもせよ、是は 今世衣服の紋といふ事出來し後に、丸の内にさま〴〵形を書なせるに依て、かやうの事も思ひよれるにや、古へ族旗慢幔幕の紋にては、此意かなひ難しといふべし、

〔老談一言記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 岩松萬次郎殿物語に、家に七ケの秘事あり、是はさて秘事にてはなけれども、庶流にて、嫡流たるよしいふ間、秘する也、たとへば御當家御紋、三田町白とて、二田町は黑、三田町は白し、是新田の二ツ引の紋なり、岩松は中ぐろ也、是は三田町白の中を合せたる物にて、中ぐろの紋也、〈○中略〉七ケの秘事、かやうの類也、

〔太平記〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 主上自山門還幸事
同〈○建武二年二月〉八日、義貞朝臣豐嶋打出ノ合戰ニ打勝テ、則朝敵ヲ萬里ノ波ニ漂セ、同降人ノ五刑ノ難ヲ宥テ、京都ヘ歸給フ、事ノ體ユヽシクゾ見ヘタリケル、其時ノ降人一萬餘騎、皆元ノ笠符ノ文ヲ書直シテ、著タリケルガ、墨ノ濃キ薄キ程見へテ、アラハニシルカリケルニヤ、其次ノ日五條ノ辻ニ高札ヲ立テ、一首ノ歌ヲゾ書タリケル、
二筋ノ中ノ白ミヲ塗隠シ新田々々シゲナ笠符哉

〔諸家系圖纂〕

〈三十四/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 正木家譜
家紋〈九曜星、三引兩、〉

〔有德院殿御實紀附録〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 ある時、小姓岡村丹後守直純をもて、大目附有馬出羽守純珍に仰ありけるは、釘拔松河黄紫紅といへるは、三浦家の紋なるよし、いかなる子細あることにか、阿部豐後守信峯が家人松原左大夫〈留守居役を勤む〉は、何事となく老練の者にて、諸家にも廣く往來すと聞けり、汝が申すごとくにして彼に尋ぬべしとなり、出羽守うけたまはり、其夜松原がもとに赴き、かくと申けるに、松原も譜記すべきにあらざれば、つぎの日、三浦志摩守義理が家にもとひ、又諸家をも尋たるに、三浦が先祖平六左衞門義村が、常に用ひし幕、五布の内の中、三布を黄紫紅にそめ、上 下白くせり、その後衣服にもこれを紋としたれど、あまり美麗に過ぎたれば、上下の白きところを丸に直し、黄紫紅を三引のさまになして用ひしなりと聞えあげしかば、松原が常に諸家に交はり、何事も習熟しければこそ、かヽること尋しにも速に答へれと仰ありて、御感を蒙りしと、今も彼が家にいひ傳へたり、

〔鹽尻〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 立花家岩城家大岡氏紋ノ名 諸家中世以來家紋あり、其中に立花は祇園守、岩城は、滿月を代々紋とせり、是名を知らざる人多し、〈大岡氏の紋は、七本そとばとかや、此類多きあり、按るに、今いかきの樣見ゆる、〉

〔尊卑分脈N 十一/藤原〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 公實
通季〈西園寺一流祖〉
通季卿傳〈○中略〉 西園寺家文非鞆繪、公宗卿建武二年被誅之時、彼家錯亂以後用鞆繪文之由、見後押小路殿〈○公忠〉御記、〈○下略〉

〔好古小録〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 諸器物ノ紋ニ、巴ヲ用ユル者、古昔ヨリ多シテ、其形今ト異ナリ、古昔畫ク巴ノ形ハ、多ハ首尖リテマロカラズ、古寫儛樂ノ畫、大鼓ノ巴紋、神祇官 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00051.gif 、及醍醐寺、法勝寺、最勝寺ノ https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00051.gif ノ巴鹿苑寺ノ洪鐘ノ巴紋、皆其首尖リタリ、

〔源平盛衰記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 五節夜闇打附五節始幷周成王臣下事
抑五節ト申ハ、〈○中略〉五人ノ仙女舞事、各異節也、サテコソ五節ト名付タレ、彼舞ノ手ヲ摸(ウツシ)ツヽ、雲ノ上人舞トカヤ、其時拍子ニハ、白薄樣、厚染紫ノ紙、卷上ノ糸、鞆繪(トモエ/○○)書タル筆ノ軸ヤトハヤス也、〈○下略〉

〔秦山集〕

〈雜著/甲乙録六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 巴紋、水渦之象、防火之章也、

〔本朝軍器考〕

〈四/弓矢〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 須佐能乎命ノ御子磐坂日子命國巡行マス時ニ、出雲國惠曇(エトモ)郷ニ至マシテ、國ノ形畫鞆ノゴトクアルカナトノタマヒシヨリ、カクハ名ヅケシヨシ彼國ノ風土記ニハ見エ タリ、サラバ神代ノムカシヨリ、鞆ニハカナラズ繪カクモノニヤ、マサシキ物ヲバイマダ見ネド、近比大神宮ニ進ラノセラレシ、御鞆ノ國ヲバ見ル事ヲ得タリキ、ソノ形モソノ繪カキシモノモ、共ニ世ニイフ鞆繪トイフ物ニハ似テケリ、〈世ニトモエトイフモノハ、水ノサヅマク形ナレバ、巴ノ字ヲ用フトイフナリ、サレドモフルキ物ニ、皆鞆繪トシルセリ、但シ吉部秘訓ニ圖セシ所ハ鞆繪カキシ物ニハアラズ、〉

〔日本書紀通證〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 今按、〈○中略〉一書曰、今所獻伊勢神財鞆、其形如、黑漆以銀粉巴紋、表裏各一也、巴訓爲登毛惠、江次第所謂鞆繪也、出雲風土記如畫鞆是也、

〔安齋隨筆〕

〈後編十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 一巴の字訓 俗に巴の字を、トモエと訓を付たり、其故を知りたる人なし、〈○中略〉貞丈按ずるに、鞆繪の形 如此、巴の字の形、相似たるが故に、其字形に據て、トモエと訓を付たるなり、字の形に據て訓を付たれば、巴の字より外にはなし、正訓には非ず、俗訓也、

〔承久記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 一院〈○後鳥羽〉彌御心タケクナラセ給フテ、先トモエノ大將(○○○○○○)〈○西園寺公經〉ヲウタバヤト被仰ケレバ、公卿殿上人口トシテ物モ不申、
○按ズルニ、西園寺家紋鞆繪ノコトハ、車施紋ノ條ニモアリ、

〔宇都宮系圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 家紋、左巴、
賴朝卿之時、右陣小山、左陣宇都宮也、故以左巴紋、

〔寛永系圖〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 〈淸和源氏〉土方 家紋、左巴、

〔寛永系圖〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 林系圖 源姓、家紋左巴、一引龍、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 山田
家紋、二頭の右巴、

〔諸家系圖纂〕

〈三十九/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 柘植〈家紋三頭左巴、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 板倉
家紋、左巴三頭、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈七十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 曾根
家紋、丸の内に三巴、

〔關八州古戰録〕

〈二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 小田小山成田等始末事
政種、〈○小山〉小山家重代ノ旗幕ヲ氏郷ヘ相讓レリ、蒲生家今マデハ、翔鶴ト松皮菱ヲ衣紋トシケルガ、此後ヨリ三頭ノ左鞆繪ヲ用ヒラレタリ、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 松田
家紋、筋違、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百二十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 矢頭
家紋、輪違、

〔寛永系圖〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 〈嵯峨源氏〉源邊 家紋、三輪拔、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 筑紫
家紋、寄懸、〈源八幡太郎義家これを給ふ〉

〔諸家系圖纂〕

〈二十/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 上田〈小笠原族、家紋釘貫、〉

〔寛永系圖〕

〈十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 〈村上源氏〉有馬〈赤松之族也〉家紋、釘拔左巴、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百七十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 矢部
家紋、丸餅、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百四十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 市橋
家紋、丸餅、或菱餅三、
つたへ稱す、先祖敵城と數年せめたヽかひ、つひに敵城をおとす、ときに正月一日なり、かるが ゆゑに、いはふに鏡の餅をもつて、そのうへに菱餅三つをくはふ、此嘉例によりて、丸餅ならびに菱餅を家の紋とす、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 伏屋
家紋、三刺串團子、

〔寛永系圖〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 〈藤原〉曾我 家紋、丸之内竪二引起波、義晴之時、賜桐之紋於元助

〔寛永諸家系圖傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 小栗
家紋、立波、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 松田
家の紋、丸の内に三浪、

〔諸家系圖纂〕

〈十一/淸和源氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 宍戸系圖
家紋
家譜舊記云、以𥻘爲軍幕幷衣裳之紋、今見其紋、世俗所謂洲濱也、相傳云、洲濱之似六字家政之先出一レ六孫王也、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百七十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 石尾
家紋、もとは橋材、今は蔦の丸

〔諸家系圖纂〕

〈三十六/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 土屋
家紋、丸之内石疊、

〔諸家系圖纂〕

〈六十二/秦〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 鵜殿〈秦姓 家紋、圈内三石疊〉

〔新安手簡〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0553 高綱、三目結、盛衰記本文ノ如クニ候、此事ハ殊勝ニ存ジ候、本ノマヽ用イ候、盛綱、藤戸ノ直垂モ、盛衰記ニハ黄スヾシト候、平家物語ニハ、シゲ目結ト候ヒシカト覺エ申候、佐々木ノ家 ノ紋、是等ノ事ヨリ四目ヲ用イ來リ候カ、モトハ只イヅレニテモ目給ニ候ヲバ、後ニ四ツ目結ニ極リ候樣ノ事ニ成リ行タルト見エ申候、是等ノ事、猶外ノ家ノ紋ニモ是有ルベク候ハンカ、

〔甲子夜話〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 中川氏ノ家紋ニ、 此ゴトキ紋アリ、彼家ニハ轡クヅシ、又クルストモ云ト聞ク、予竊ニ思フ、彼先瀨兵衞ノ頃ハ、南蠻寺、盛ニ行ハレテ、瀨兵衞モ此宗ナリシト云、然バコノ紋ハ、彼ノ崇奉スル所ノ十字聖架ナルベシ、今轡クヅシト謂ハ、忌諱ヲ避ルナルベシ、又クルスト云モ、キリスノ蠻語轉ゼシニヤ、一日此コトヲ松平冠山〈因幡鳥取ノ支侯〉ニ語レバ、曰ク吾家ニ コノ紋ヲ用ルコト、由緒詳ナラズ、傳ル所ハ、天王ヨリ拜領セシ紋ナリト云、世上ニハ祇園守ト云ナレド、思ニ中川ノ紋ノ類ニテ、恐クハ十字ナラン、天王ノ王ハ、主ノ字ナリシモ計ガタシ抔話リテ、一咲シテ止ヌ、又思ニ兩氏ノ紋、イカニモ蠻物ノ象ヲナセリ、薩ノ轡紋モ、ヤハリ十字ト見エタリ、封内霧島山ノ絶頂ニ建ル、天ノ逆鉾ト云モノ、コレ亦彼徒ノ立シ十字ナルベシト或人云シハ、ゲニモトゾ思ハルレ、

〔南行雜録〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 宇喜多和泉守三宅朝臣宗能像賛
竊按和泉之前司能家家牒、世居乎百濟國、甫兒時兄弟三人、泛船來于備前一島、始厝新第、旗幟皆書兒字紋矣、仍其所曰兒島焉、

車施紋

〔鹽尻N 〕

十二

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 車大八葉小八葉龜甲蟹甲 事の大八葉小八葉と云は、 此紋繪有より起る、慶長六年に、宮内少輔幸綱、奥書せし車繪圖一卷、官庫に有、夫を考ふれば、八葉とは、 靑蓮花の八葉を摸して、九曜の星は、これを丸くかきなせし物にや、九條關白經敎公の車の繪樣一卷あり、是には九曜をかけり、又龜甲の紋は、 世の人普く知る所なり、蟹甲紋と云は、人しらず、 此繪樣をいふなり、

〔翁草〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 八葉の車は、輪の葉八ッ有り、常より大形成を大八葉、小さきを小八葉と云、七葉は、輪之 葉七ツ有り、

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 車之事 紋章、家々紋、網代組付、又袖ニモ繪書之、

〔門室有職抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 車文事
院御車文、中ハ大八葉、袖ハ唐草、上ハ白、此晴儀之御車也、
一ノ人ハ、上ハ白シチ、袖ハ牡丹、
花山院、幷中御門左府、杜若、
中院源氏、〈通親之黨也〉上ハ龜甲、中ハ大顔、袖ハ杜若、中ハ鶴、
實家卿、鞆畫、〈閑院黨也〉
泰行脚、大酢漿ト杜若トフシマゼタリ、物見ニ文ヲ指セリ、
實禎卿、篠圓、 兼良卿、菱中ニ牡丹、
公繼卿、御簾ノ裳額、〈德大寺左府實能之時、此文は出來云々、〉 信淸卿、龜甲、
公房卿、磐篠、〈閑院也〉 家賴卿、袖菱子、中ハ八葉也、〈勸修寺氏也〉
兼仲卿、大酢漿、〈中院也〉 宗輔卿、龍膽
親雅卿、杏葉、〈勸修寺也〉 公時卿、鷰、〈閑院也〉
實明卿、菊、〈閑院也〉 經家卿、澤潟、〈諸大夫也〉
季經卿、文同、〈諸大夫也〉 季能卿、文同、〈諸大夫也〉
隆房卿、鴛圓、〈諸大夫也〉 親能卿、蝶飛散、
高三位、滋小葉、〈諸大夫也〉 六波羅黨、蝶圓
成口卿、鷄冠圓 知光卿、二フヂニ立涌雲、〈俊成黨也〉 經房卿、此一家ハ、三葎ノ圓、〈勸修寺也〉 日野氏、松鶴
平家、竹ニ雀.或穀葉又葵ニ雀、

〔飾抄〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 文車
仁安二二十五、殿記曰、殿〈久我〉被仰曰、車文如何、侍從同樣如何、故入道殿〈○雅定〉不御之時、予中宮權 大夫出仕之時、令袖、〈予本定紋、ヲモタカ、鶴、〉又物見〈予緑靑紋金靑〉然者爭不違哉、袖中ニ鶴ヲ作テ令起如何、被仰曰、不然、此一家通文不吉也、

〔尊卑分脈〕

〈十一/藤原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 實季 公實
通季〈○中略〉
嚴親春宮大夫公實卿記云、當家車文鞆繪也、先公始而被用也、相傳于予、當家正嫡一人可用者、所通季也、

〔愚管抄〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 公經の大納言は、この立坊〈○仲恭〉の春宮大夫になりて、いみじく候はるヽに、大方その人は、閑院の一家の中に、春宮大夫公實の嫡子に立、ともゑの車などつたへたりける、中納言左衞門督通季のすぢ也、

〔伯家部類〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 當家紋之事
白川父子ノ車文、菖蒲子白梅唐墻、已上今出川亞相本借受書寫了、建久十年業資王記、梅丸長物見、文保元年廳始之記云、資淸王車紋、長物見白梅書之、

衣服施紋

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 家々文事、〈○中略〉裝束ノ紋ニ、家ノ紋ヲ付ル家門モ多之、僧中ニモ、家門ニ隨テ紋ヲ付クル段子細ナシ、但僧中法服ノ紋マデ、如家門紋ナラズトモ有ナン、且ハ片腹痛キ事ニモアリ、

〔四季草〕

〈秋草中衣服〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 一家の紋の事
紋といふは、衣服に五所に付るをのみ紋といふにはあらず、すべて物の模樣を紋といふなり、束 帶の時、上に著する裝束を袍だ云、此袍は綾を以て縫なり、其綾に樣々の織紋あり、天子のめす黄櫨染といふは、桐竹鳳凰麒麟の織紋あり、麹塵の御袍には、唐草に鳥の織紋あり、赤色の御袍には、唐草に窠の内に菊の紋あり、〈○註略〉又臣下の袍には、或は浮線綾の丸、或はくつはからくさ、或は輪無、或は輪違等の紋あり、此外家々に定りて用る紋あり、〈これを定紋といふ、各家の紋なり、〉右は公家の事也、武家の紋は、旗幕の目じるしなり、是は保元平治の合戰の頃よりはじまりし事歟、後には旗幕ならでも、衣服にも紋付る事になりしなり、宗五記に云、公方樣御服と申は、織物〈色御紋不定〉白きあや、又はあやつむぎを、地をいろ〳〵に染て、御紋むらさきなどに付候云々、是は東山殿〈義政公〉時代の事なり、御紋不定とあるを見れば、其頃は衣服には、家の紋にかぎらず、何紋にてもつけしなり、後世には必家の紋の外には付ぬ事になりしなり、

〔名目抄〕

〈衣服〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 異文〈諸家大臣已後著之、家々之説不同、西園長子唐草、三條大龜甲、久我菱歟、當流藤鞆繪、〉

〔三條家裝束抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 一冬袍はしヾら地の綾文縁家用之、輪無は當家大炊御門中院黨日野勸修寺等用之、轡唐草は西園寺德大寺花山院四條以下多用之、夏冬無差別、大臣以後異文(○○)袍定レル事也、當家は壯年の時雖大臣、暫輪無用之也、宿老之後用龜甲、大龜甲遠文居之、大サ七寸計なり、八條大相國〈○藤原實行〉被此文、依而當家用之、他家異文袍、西園寺は長命唐草、大炊御門龜甲、閑院藤鞆繪、自餘只今不覺悟、追而可尋記、又異文(○○)袍は熨地なり、裏普通物なり、冬袍は裏有之、平絹なり、 强張調之、色の事、四位已上は稱黑袍、フシカネにて染之、面はフクサ張なり、夏の袍は文同上、薄物織之無裏、色又同上、餅ノリにて 强張之、

〔隨兵日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 一大將まづ鎧ひたヽれに、我家の紋をぬひものに織付著すべし、

〔道照愚草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0557 うら打著用之事、〈○中略〉紋之事は、家々の紋を付候方も候、大略松竹梅鶴龜などを付候、いさうなる紋などは不付候、

〔貞助雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 一御紋御著用之諸大名、人の子に名字をわけられ候はヾ、其人も御紋著用あるべく候歟の事、名字を被分御方の可御存分候歟、又は被仰出次第にもよるべき歟、近比も畠山殿の名字を被分、御紋著用ありて、御供に參勤の例、連綿在之、

〔秦山集〕

〈雜著/甲乙録三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 公方家御服、紋五所也、衣服本无紋、衣服有紋、中古事也、故熨斗目无紋、是亦近年著紋、

〔賤のをだ卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 一羽織も世々に轉變したり、延享寛延の比は、〈○中略〉紋所もくづし紋にして、色々工夫物好に付たり、其比世に鳴たる俳譜の紀逸といふが、高點の句に、身代のくづしはじめは紋所、といふ句有たり、

〔增鏡〕

〈十三/秋のみ山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 年かはりて正中元年といふ、やよひの廿日あまり石淸水の社に行幸し給ふ、〈○中略〉右大將〈實衡○西園寺〉松がさねの下かさね鶴のまるををる、〈○中略〉西園寺の隨身もおなじにしきなれど、松をむすびて鶴のまろを白ビ黄とにうちてつけたる、山吹よりはにはひなく見ゆ、

〔增鏡〕

〈十三/秋のみ山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 卯月〈○正中元年〉十七日、賀茂の社に行幸なる、〈○中略〉けふの使は、德大寺中將公淸なり、〈○中略〉もえぎの下襲、御家の紋のもこうを色々におりたりしにや、近比のつかひにはにず、いといみじくきらめき給へり、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百八十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 羽太
家紋、鶴丸、衣服紋、藤丸、

〔雍州府志〕

〈四/寺院〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 極樂院 此院内、一老稱上人、〈○中略〉其餘十八家者、不髪携妻子、〈○中略〉平定盛、〈○中略〉剃髪爲僧、今十八家其裔、而所著之衣、定盛曾平生所著狩衣之袍、直爲衣、至今存其遺風也、各々衣上有紋、是俗體家々之紋也、

〔柳亭記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 薄金(ウスガチ)の紋所 好色萬金丹〈元祿七年印本〉に、男だての、出たちをいふ條に、釘拔の眞鍮紋、あれたる駒の中形小紋といふ事あり、前に自綸手足踏の條に引たる一代男に、紋所は、銀にてほの字切りぬかせ、五所の光りと見えたれば、女は銀の薄がね、男は眞鍮の薄金にて、紋所をつけし事ありしなるべし、今もたまたま小兒の羽織などにあり、

〔嬉遊笑覽〕

〈二上/服飾〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 箕山が大かヾみ、近代は、〈○中略〉大紋處すたれて、成ほど小き紋を付、又二ツ紋をも用ゆ、所詮時々の風儀なれば、常任の格に定めがたし云々、かくいへるは、延寶中の流行なり、又云、鹿子紋處風流なり、自然に著すべし、鹿子の小ちらしなり、ぬひ紋處また風流なり、成ほど小くして、二ツ紋などよろし、〈○中略〉鹿子紋は、紋所を鹿子にしたるなり、萬治寛文ころの繪に見えたり、衣食住記、〈享保初より天明に至る、六十餘歳の人の託なり、○中略〉又云、安永天明、衣服の紋處、大く二寸三寸に變る、其頃はやり物をよせて、三寸紋、五寸模樣に日傘、こはだの鮓に、花が三文とあり、

〔當世武野俗談〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 菱屋おりつかるた名譽
兩國橋向、本所一ツ目近所、茶屋町寄合茶屋にて、菱屋小左衞円と云ふもの有り、かれが父は常憲院樣〈○德川綱吉〉御代御出頭たりし、柳澤松平甲斐守殿氣に入り、定紋花菱の小袖上下をゆるされ、其家の名も菱屋と名乘りけり、

〔浪華の風〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 前にいへる豪家の内、舊家と稱せる平野屋平兵衞抔、家風も古來よりの風儀を堅く守りて崩さすといふ、主人の傍向にて召仕ふ年若のもの、丁稚と稱する分抔、今以て不斷に振袖を著せり、予〈○久須美祐雋〉も見及びし事ありしに、木綿ものにて、定紋と思しき紋を染出せり、何となく古風存して、ゆかしく思はる、

幕及旗幟施紋

〔塵添壒嚢抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 幕紋事
武士ノ幕紋ノ中ニ、文字難知多シ、定テ字可有歟、 物ノモント云ニ、文ノ字ヲ用ル常ノ事也、アヤトヨム、アヤハ卽モンナレバ、子細无ケレ共、委ク云バ、糸篇ノ紋ノ字ヲ用べシ、物ノモンヲバ織出セルガ故ニト云々、抑幕紋事、不際限歟、頗荒 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00057.gif ノ至リナレ共、隨見及之、但シ桐塔等ノ易知字ヲバ不申ニ
木瓜(モツカワ) 輪違(ワチガヘ) 瓜紋(クワノモン) 三鱗形(ミツイロコガタ)〈又 色子方(イロコガタ)〉 四目結(ヨツメユイ) 𥻘(スハマ)〈斯同〉 巴(トモヘ) 角巴(ツノドモヘ) 杏葉(ギヤウヨウ) 桒穀(カチノ)〈或楮〉葉(ハ) 中黑(ナカグロ)
椶櫚丸(シュロノマル)〈又棕櫚〉 裙紺(スソゴ) 引兩筋(ヒキリヤウスヂ) 菱(ヒシ) 澤潟(ヲモダカ) 松皮菱(マツカハビシ) 輪子(リウゴ)〈又輪鼓〉 鉸具(カコ)〈又 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00058.gif 具〉 蝶圓(テウノマル) 舎(イホリ)又廬 直違(スヂカイ) 傍折敷(ソバヲシキ) 團扇(ウチハ)〈又打敷〉 唐傘(カラカサ)〈又唐笠〉 帆懸船(ホカケブネ) 苽〈又瓜〉 酢漿(カタバミ) 玳瑁(カメノカウ)〈龜甲〉

〔三内口決〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 一幕事
尋常に用候幕は、家紋等、公家武家之差別無之候、

〔曾我物語〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 やかたまはりの事
みちにて十郎〈○曾我祐成〉申やう、わどの〈○祐成弟時致〉は、やかたへかへり給ふべし、二人つれては、人もあやしく思ひなん、すけなりばかりゆきで、やかたのあんない見てかへらんとて、たちばかりもたせ、やかた〳〵をめぐらけり、思ひ〳〵のまくのもん(○○○○○)、こヽろ〴〵のやかたのしだひ、なか〳〵ことばもおよばれず、こヽにニツもつかうのまく(○○○○○○○○○)うちたるやかたあり、たがまくやらん、これはわれらがいへのもん(○○○○○○○○○)なり、御てきとなりほろびぬ、いとうとなのるものなければ、此まくうつべきものなし、たれなるらんとふしぎにて、たちよりまくのものみより見いれければ、かたきさへもん〈○工藤祐經〉がやかたなり、

〔豫章記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 抑當家幕紋事、先祖三並、夷國退治ノタメニ、日本ヨリ大將ニテ被渡ケル時、〈○中略〉其時幕ノ紋一𥻘也、

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 千劒破城軍事
城ノ大手ニ、三本唐笠ノ紋書キタル旗ト、同キ文ノ幕トヲ引テ、是コソ皆名越殿ヨリ給テ候ツル 御旗ニテ候ヘバ、御文付テ候間、他人ノ爲ニハ無用ニ候、御中ノ人々、是ヘ御入候テ、被召候ヘカシト云テ、同音ニドツト笑ケレバ、〈○下略〉

〔太平記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 先帝船上臨幸事
長年ガ一族、名和七郎ト云ケル者、武勇ノ謀有ケレバ、白布五百端有ケルヲ旗ニコシラヘ、松ノ葉ヲ燒テ煙ニフスベ、近國ノ武士共ノ家々ノ文ヲ書テ、此ノ木ノ本、彼ノ峯ニゾ立置ケル、

〔諸家系圖纂〕

〈五十/橘〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 楠氏系圖
正成
主上〈○後醍醐〉賜御盃時、白採菊花一英、詔正成曰、菊有千歳功、卽浮之於盃上正成云々、飲之三盃、卽以此花旗紋、菊水旗是也、

〔太平記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 兵庫海陸寄手事
須磨ノ上野ト鹿松岡鵯越ノ方ヨリ三引兩、四目結、直違、左巴、倚カヽリノ輪違ノ旗、五六百流差連テ、雲霞ノ如ニ寄懸タリ、

〔太平記〕

〈十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0561 新田殿湊河合戰事
楠〈○正成〉巳ニ討レニケレバ、將軍〈○足利尊氏〉ト左馬頭〈○尊氏弟直義〉ト一處ニ合テ、新田左中將ニ打テ懸リ給フ、義貞是ヲ見テ西ノ宮ヨリアガル敵ハ、旗ノ文ヲ見ルニ、末々ノ朝敵共ナリ、湊河ヨリ懸ル勢ハ、尊氏義直下覺ル、是コツ願フ所ノ敵ナレ、〈○中略〉是義貞ガ自當ルベキ處也トテ、二萬三千餘騎ヲ左右ニ立テ、將軍ノ三十萬騎ニ懸合セ、兵刃ヲ交ヘテ、命ヲ鴻毛ヨリモ輕ゼリ、〈○中略〉兩方ノ勢共、今ハイツヲカ可期ナレバ、四隊ノ陣一處ニ擧テ、敵ト敵ト相交リ、中黑ノ旗ト二引兩ト、巴ノ旗ト輪違ト、東ヘ靡キ、磯山風ニ翩翻シテ、入違ヒタル計ニテ、何レヲ御方ノ勢トハ見エ分カズ、新田足利ノ國ノ爭ヒ、今ヲ限リトゾ見エタリケル、

〔太平記〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 山門攻事附日吉神託事
屏ノ上ヨリ見越セバ、是コソ大將〈新田義貞〉ノ陣ト覺エテ、中黑ノ旗三十餘流、山下風ニ吹レテ、龍蛇ノ如クニ翻リタル其下ニ陣屋ヲ雙テ、油幕ヲ引、爽ニ粧タル兵二三萬騎、馬ヲ後ニ引立サセテ、一勢一勢並居タリ、無動寺ノ麓、白鳥ノ方ヲ向見上タリケレバ、千葉、宇都宮、土居、得能、四國中國ノ兵、コヽヲ堅メタリト覺エテ、左巴、右巴、月ニ星、片引兩、傍折敷ニ三文字書キタル旗共、六十餘流木々ノ梢ニ翻テ、片々タル其陰ニ、甲ノ緒ヲ縮タル兵三萬餘騎、敵近付カバ、横合ニカサヨリ落サント轡ヲ雙テ磬タリ、又湖上ノ方ヲ直下タレバ、西國北國東海道ノ、船軍ニ馴タル兵共ト覺テ、龜甲下濃ノ瓜ノ紋、達錢、三星、四目結、赤旗、水色、三𥻘、家々ノ紋畫タル旗三百餘流、鹽ナラヌ海ニ影見エテ、漕雙ベタル舷ニ、射手ト覺エタル兵數萬人、掻楯ノ陰ニ弓枝ヲ突テ、横矢ヲ射ント構ヘタリ、

〔太平記〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 義貞軍事附長年討死事
追手ノ大將新田義貞、脇屋義助、二萬餘騎ヲ卒シテ、今路西坂本ヨリ下テ、三手ニ分レテ押寄ル、一手ハ、義貞、義助、江田、大館、千葉、宇都宮、其勢一萬餘騎、大中黑、月ニ星、左巴、右巴、丹兒玉ノウチハノ旗、三十餘流連リテ、糺スヲ西ヘ打通リ、大宮ヲ下リニ被押寄

〔大塔物語〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 村上滿信者、九月〈○應永七年〉三日屯兵擧旗打立、相隨人々誰々〈ゾ〉、千田讃岐守、飯沼四郎、〈○中略〉郡合其勢五百餘騎、打出屋代城篠井岡取陣、〈○中略〉各相分十一手方々取陣、思々旗笠驗、幕〈ノ〉文(モン)社〈ソ〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00060.gif (ヤサシケレ)、一文字、二文字、二引兩、三引兩、木合(モツカツ)、輪違、亂〈レ〉文、菱形、龜甲(キツコウ)、連錢、裙濃(スソゴ)、蝶(テレ)丸、鶴丸、三葉柏(ミツバガシハ)、二本唐笠(カラカサ)、三本松、天蓋揉(モマセ)嵐耀夕日之景、挑(ヒラノキ)亘(ワタル)爲體(テイタラク)、桔梗苅萱女郎花(ヲミナヘシ)〈ノ〉不https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00061.gif (ナビクニ)野風

〔長倉追罰記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0562 同年〈○永享七年〉十月廿八日、結城宇都宮相續、籌ヲイバクノ中ニ廻シ、長倉遠江守開陣畢、彼ノ遠江守名ヲ日本ニ上、譽ヲ八州ニ振、此時某打メグリ、次第不同ニウチナガスマクノモンヲゾカゾヘケル、御所ノ陣カトヲボシクテ、梢ノ冬ノナカ空ニ、桐ノマンマク二引、御一家モミナコ レ同ジ、竹ニ雀ハ上杉殿御兩家、九トモヘハ長尾ガ紋、水色ニ桔梗ハ土岐ノ紋、齋藤ガナデシコ、鹿ハ富樫之介、伊勢國司北畠殿ノワリビシ、大内介ガカラビシ、甲斐武田トワカサノ守護ハ武田ビシ、半月ニ丸ビシハ興津左衞門、越前ノ織田ト、由佐ノ河内守ガ瓜ノ紋、秋元モ是ヲ打、朝倉ガ三ツモツカウ、飛驒國司姉小路殿ハ日光月光、月ニ九エウハ千葉之介、八エウハ上總介、三引兩ハ三浦之介、小山ハ左巴也、朝比奈モ是同ジ、但遠江ノ朝比奈ハケンビシ也、宇都宮ハ右巴ナリ、行方岡部モ是ヲ打、永井ト那波ハ三星ニ一文字ニテ、昔ノ因幡守廣元ガ末葉毛利ノ一家ニテ、一品ト云字ノ表體也、三文字松河ハ赤松ト小笠原、四ツ目結ハ佐々木判官、十六目結ハ本間四郎、海老名ハ庵ニ瓜ノモン也、松ニ鶴ハ高井左衞門、サンキニサルハ洲西ガモン、牛ノ尾ガヘフネツル、楠浦加、月ニホシ、極樂寺ガ水車、三本杉ハ狩野介、但タカノ羽ヲ打事モ有、山中ガサガリフジヽメヒキカゴハ松田ガモン、葛西ハカシハ大石ノ源左衞門ハイテウノ木、五フン筋ハ結城七郎ヽ但卜モへヲ打事モ有、永樂ノ錢ハ三河ノ國水野ガ紋、中條ハサヽノ丸、アシナシスハマ小田ノ大輔、シヽニボタンハ多田ノ三郎、萩ノ矢モ是ヲウツ、カブラ矢ハ武藏國ノ住人太田源次郎也、十六葉ノ菊ノモンハ野田福王ガモン也、團ニ菊ハ兒玉タウ、簗田ハアホヒ、ワチガヒハ高家ノモン、タテツナハ二階堂、同六郷モ是ヲ打、シユロノ丸ハ富士ノ大宮司、キボタンハ杉ガモン、内藤備前ガリウゴニテマリ、楠藥師寺ガ菊水、小山ノ藥師寺ガトモエノ紋、久下ハ一番ト云文字、アゲハノテウハ伊勢守、ヒロナリモ是ヲ打、マヒサキハ御櫛ノモン、北條殿三ウロコ、同横井モ是ヲ打、大極入道ハ巴ノモン、緒方佐伯モ是同ジ、神保ガ藤ノ丸、椎名ガヲモダカ、大戸羽尾ガ飛ツバメ、十文字ハ島津左馬頭、一文字伊東六郎、鷹ノ羽ハ菊池モン、熊野鈴木ハ稻ノ丸ニ榊也トヒナリ、鱸ハマナ板ニマナバシ、三河鈴木ハ藤ノ丸、大スナガシバ、泉安田、三本カラカサ名越ノ紋、小モンノ皮ハ秩父ドノ、カリガネハ安倍ドノ、八ツボシハ飯塚、スミヲシキニ三文字ハ伊豫ノ國ノ河野一黨、備前コジマハ品ノ字、駿 河小嶋ハ八ノ字、下總ノ境ハトモヘ、是ハ千葉ノゾウトカヤ、サヽリドウハ石川、モツカウハ熊谷、車ハ伊勢ノ外宮ノ宮方榊原ガ紋也、鳥居ノモンハ八幡ノ神職宮崎ノ法印ガ紋也、七星ハ望月、梶ノ葉ハ諏訪ノホウリ、三タウシハ皆岐ノ八郎、宮原モ是ヲ打、矢ハヅグルマハ服部、松ニ月ハ天野藤内、帆カケ舟ハ熱田大宮司、山城ガスナカシ、水ニカリハ小串五郎、粟飯原ガカヤクノモン、ヒシツルハ南部ガモン、庵ノウチノ二頭ノマヒ鶴ハ天智天皇ノ後胤葛山備中守、御所モ是ヲ打、扇ニ月ノ書タルハ常陸ノ佐竹ガモン也、地黑菱ハ板垣、松皮ニ釘貫ハ阿波ノ三好ガモン也、一宮ハ日雲也、左巴ハ下枝ノ紋、マヒ違鴈ハ櫛置ノモン、根引松ハ常葉ノモン、下條ハ梶ノ葉、折野ハ木瓜、坂西ハ丸ノウチニマツカハノモン也、山中ハ日扇、溝口ハ井桁、但三葉ガシハヲ打事モ有、高畠ハ違カブラ矢、松尾ハ九ノ中ニマン字、二木ハチギリヲ打、松岡ハ瓜ノモン也、赤澤ハ松皮ニ十文字、遠州ノ小笠原、松皮菱ニ、水落九曜星ハ標葉也、山邊西牧ハ梶ノ葉ヲ打、犬耳平瀨嶋ハ一黨甃、後聽ハマヒチガヒノ鶴ヲウツ、其外幕ノ數々、當世ハヤル國々ノ作リ名字ノ幕ヅクシ、ウテホウタヒニ立ナラブ、

〔豆相記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0564 綱成者、相州甘繩城守、又字上總介、地黄四方旗、書八幡二字以爲紋、無暴虎憑河之悔、臨事而懼、好謀而成、故攻而無破、戰而無勝、世人呼號黄八幡矣、

〔勢州四家記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0564 一伊勢の國司は、村上の源氏、北畠なり、〈○中略〉幕之紋は、割菱也、
一工藤の一家とは、工藤左衞門尉藤原祐經の後胤也、〈○中略〉幕紋は、三引兩なり、
一關の一黨とは、六波羅太政大臣平淸盛公の後胤也、〈○中略〉幕紋は、上羽の蝶也、

〔北條五代記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0564 小田原北條家旗馬じるしの事
見しは昔、北條氏直公時代、關八州の武士の旗、家々に傳ふる紋をあらはし、さし物は、其身一代にかはると見えたり、おもひ〳〵のさし物、品樣々の紋あり、去程に、我指物に似たる紋あれば、他の 家中たりといふ共、由來を尋ねとがむる、其上ほまれなくして異樣をこのみ、分際に過たる紋のさし物をば、見る人あざける故、身に應じたるをさしたり、

〔伊達成實記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0565 八森相模ハ、〈○中略〉政宗公ノ御指小旗ノ紋ヲ、其身ノ小旗ノ紋ニ仕候故、深口惜被思召、小國へ被遣上、郡山民部少輔ニ被相渡、相模妻子共ニ死罪ニ被行候、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0565 竹中
康忠
孫七郎、後に七九郎と號す、生國同前、〈○三河〉
東照大權現、三州岡崎に御座のとき、隣國さわぎたちて、たヽかひやむ事なし、康忠本より射藝 を得たる故、其名を矢にきざみ、數百の敵をふせぐ、その矢にあたりて、疵をかうふり、命をおと すもの數十人、敵その精兵錬士の器量を感じて、はなつところの矢六十三をとりあつめ、又疵 をかうふり死するものをしるして、我が陣におくる、大權現、これを御覽じ、其武勇を感じ給ひ、 御諱の康の字を給はり、其上旗文に六十三の字をつけ、〈○下略〉

〔奥羽永慶軍記N 〕

十五

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0565 三春今戰附新地駒ケ嶽落城事
政宗ハ、〈○中略〉三春ノ軍、心許ナク、斥候ヲ以テミセ給フニ、三春三里來テ、相馬義胤陣ヲトリ、覊馬ノ幔幕引テ、大旗小旗翻シテ扣タリ、次ニ蘆名盛重ト打見得テ、巴ニカタバミノ紋也、岩城常隆ハ、櫺子ニ月ノ幕ヲ引、

〔諸家系圖纂〕

〈三十八/桓武平氏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0565 鳥居
旗紋、華表、 幕紋、竹雀、

〔諸家系圖纂〕

〈四十九/藤原〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0565 井伊〈家紋橘、旗幕紋井桁、〉

〔寛永系圖〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0565 戸澤〈旗紋段筋 幕紋鶴丸、九曜星、〉

〔寛永諸家系圖傳〕

〈三十八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 石川朝成
二頭左巴を旗幕の紋とす

〔寛永諸家系圖傳〕

〈四十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 太田
家紋、桔梗、 幕紋、鏑矢、
賴政鵺を射る時、その勸賞として、勅して鏑矢を給ふゆゑ幕の紋とす、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 多田
正行幕紋、丸内可字、昌繁幕紋、一葉葵内六星、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 小栗
幕紋、角の内に月下立波、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百五十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 鳥居
旗の紋、鳥居、 幕の紋、竹に雀、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈百九十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 伊藤
景秀
吉良氏につかふ、此ゆゑに吉良より幕の紋、茗荷の丸をさづく、

〔寛永諸家系圖傳〕

〈二百五十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0566 田口
幕紋、巴、
越後の長尾謙信、關東に發向のとき、古主眞壁にしたがふ、このとき小山家吉次が幕の紋を見 て、うたがふて其故をとひあらためむ事をこふ、これによりて幕のすそ一幅、黑色にそむるな り、

〔寛永諸家系圖傳N 〕

二百六十一

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 柳澤
幕紋、一階傘、

〔萬世家譜〕

〈一上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 山名主殿
代々三ツ引に、下に山の字旗紋付來候處、神君上意に三山は唱へ惡し、二引に可致旨、依之旗紋、二ツ引に山の字付申候、

〔白石子筆話〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 一龍紋の儀ニ付、御尋之趣申達候得者、曾而旗紋などに龍を付申候儀憚候義相覺不申候、決而俗説と奉存候、追而其旨書付、差上可申旨、有增に被申聞候、

器物施紋

〔海人藻芥〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 家々文事、各當家ノ文ヲ車輿ノ網代以下ニ付之、或杉障子ノ縁ノ繪、或ハ唐紙障子ノ文等、一切ノ家中家具ノ蒔繪以下ニ、皆家ノ紋ヲ付ル也、

〔羽倉考〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0567 菊紋等愚考六條
凡衣服器物等ニ枚ヲ附ル事ハ、至リテ近世ノ事ナルベシ、一條院以來、小袖ヲ著スト雖、紋ノ事ハ記録等ニイマダ見及バズ、タヾ車ノ紋アリト雖、家ニ依テ定マリアル事ニハ非ズ、建久ノ比ヨリ、陣屋ノ幕ニ紋ヲ附テ、各其陣屋ノ標トシ、後世ニ至リテ、小袖ナドニモ之ヲ用フルナルベシ、仍テ近世マデモ、猶碁ノ紋ト稱セラルニヤ、塵添壒囊抄ニ、武士ノ慕ノ紋ノ字ト記セリ、此抄ノ比マデモ、幕ヨリ外ノ物ニハ附ザルト見エタリ、又袍直衣以上ノ綾ニ、草木虫鳥ナドヲ織事モ、上代ニハ定マリタル事ナキ故歟、令式等ニハ不載、中古以來、如此ノ事マデモ、流例ニ從フヲ故實ト爲來ル故ニ、攝籙ノ袍ハ雲立涌、太閤ノ袍ハ雲鶴ナドヽ定マリテ、文樣ノ大體員數モ極リアル樣ニ爲リ來レドモ、必ズ此外ハ袍ノ紋ニ用イズト云ニハアラサルベシ、然シテ中古以來ノ諸抄、文ノ形狀、及用フル人、用フル時ナドヲバ記シタレドモ、本ヨリ先例ニ從フバカリノ事ナレバ、何ナル義ヲ以テ、此紋ヲ用フルナド云事ハ、百分ノ一二ニ不過、仍テ僻案而巳ニシテ所見ナシ、其初ヲ思フニ、 今ノ婦女ノ小袖ノ模樣ノ如ク、各其人ノ欲スルニ從ヘルナルベン、必義アル事トセンハ鑿ナリ、

〔太平記〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 山崎攻事附久我畷合戰事
尾張守〈○名越高家〉ハ、元ヨリ氣早ノ若武者ナレバ、今度ノ合戰、人ノ耳目ヲ驚ス樣ニシテ、名ヲ揚ンズル者ヲト、兼テ有增ノ事ナレバ、〈○中略〉黄 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00051.gif 毛ノ馬ノ太ク逞キニ、三本唐笠〈○家紋〉ヲ金具ニ磨キタル鞍ヲ置キ、〈○下略〉

〔〈伊豫/吉田〉御家系譜〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 村信教〈○伊達氏〉
同年〈○寶磨七年〉三月五日、御在所御乗船、四月五日、御著府、右御參府ヨリ、竹ニ雀御紋所、只今迄御武器計御附被成候處、遠州樣へ被仰達、御召物其外迄も、外笹御附被成候樣相極、

〔御家舊記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 一同〈○寛文〉八年、御船印日ノ丸、公義御船印ニ相成候故、此方樣〈○宇和島伊達氏〉御船印、九曜ノ丸ニ改ル、

〔雲萍雜志〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 予〈○柳澤里恭〉がいとけなき時までは、忍び提灯といふものありて、貴人の私用にしのびて夜行などせらるヽ折などは、提灯に替りたる紋をしるしてともせしが、その事流布して、誰も誰もかはり紋をつけざる者なし、これはもと、人にその人としられまじき爲の用意なりとぞ、されば公卿武家に限るべし、旗に紋を染め、幕に紋をつくるは、誰某と知らするためなり、農人町家までも今は紋ありて、定紋のあらそひあれども、もとより農夫商賈などには、紋はなきはづなり、羽織といふものは、道服にて禮服にあらず、これに紋をつくること、いよ〳〵いはれなしとおもひぬ、世の中のうつり行ありさま、多くはみなかくのごとし、

〔御家舊記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 同〈○貞享〉四年、御家中〈○宇和島伊達氏〉挑灯爲相印、面々定紋之上へ、割九曜附之、

〔八水隨筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0568 金華先生、鬼の首をてうちんの紋に付けられしを、徂徠先生の見給ひて、金華が、物ずきの俗なると笑はれしと也、

〔賤のをだ卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 昔は女の、帽子と云ものをかぶりて歩行たり、〈○中略〉扨其ぼうしをとむる針を銀にて物好に拵ひ、贔負のかぶき役者の紋所などをうたせてさしたり、

〔洞房語園異本考異〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 中の町の茶屋近江屋半四郎方に、二代目高尾が所持したる盃とて、持傳へしあり、七合入の朱の大盃に、三つ楓と九曜の比翼紋の蒔繪をしたり、此九曜は北國の君の御替紋なり、

〔嬉遊笑覽〕

〈二中/器用〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 西鶴大鑑に、えびす橋筋に、根本浮世楊枝とし、芝居若衆の定紋をうちつけ置しに云々とあり、其頃の俳諧集に野郎の紋やうじ付合の句、往々見えたるよし、柳亭子いへり、思ふに紋の模を作り、楊の木の軟かなれば、その模を打たるものと見ゆ、

神社用紋

〔安齋隨筆〕

〈後編十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0569 一鞆繪(トモヒ)輪鋒 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00059.gif 字(リンボウマンジ)を神の紋とす 上古弓射る人、左の腕に鞆と云物を著、革を以て作り、其形圓にして、腕に當る所は平にして、腕に卷く革ありて緒を付く、是弓弦の腕を彈くを防ぐ器なり、〈○中略〉伊勢の神寶に獻ぜらるヽ鞆は、鹿の皮にて作て、白きに紋を黑く畫く、延喜式の兵庫寮式に見たり、上古鞆張と云工人有て鞆を作りしが、後代は其工人絶てなきに依て、神寶の鞆を木にて形を作り、黑く塗て、銀泥にて紋を畫く、今如此し、さて其紋に、古今ともに卽ち鞆の形を三つ寄せて圓く畫くなり、鞆の形は、左の圖の如し、
鞆の形如此なり、此形を似せて、 如此して、是を三つませて圓く畫けば、三ツド モエの紋となるなり、鞆の繪なるゆへ、トモエと名付るなり、右に云如く、神寶の鞆 に、此繪を畫く故、俗に鞆繪を神の紋と云習はせるなるべし、然れども伊勢神宮に獻ぜらるヽ神寶種々あれども、外の神寶には鞆繪を畫く事なし、武家の紋と稱するがごごく、鞆繪を神の紋と云は俗説なり、 輪鋒をも俗に神の紋也と云、此紋見たる體は、劒を十六柄集め、柄を内に向け、鋒〈キツサキ也〉を外へ向け圓く並べ、輪のごとく置たるやう見ゆる故、輪鋒と名付くれど も、詳に見れば劒には非ず、佛家に用る所の獨鈷と云物を、八ツ打ちがひたる形也、獨鈷の頭畫かきては三角にて、劒の鋒に似たり、故に誤て輪鋒と喚ぶ也、出羽國の羽黑山の不動袈裟に、此紋を金にて打て付るも獨鈷にて作りたる紋なるが故なるべし、是を神の紋とするは、かの神と佛とをアヘマゼにする兩部の神道にて用る也、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00059.gif 字をも俗に神の紋也と云、眞俗佛事編に、按華嚴十地品、十地菩薩の胸臆に有卍字、又云、如來の胸に大人相あり、其形 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00059.gif 字の如し、此れを吉祥海雲と名づくと云々、飜譯名義集云、按卍字、本非字、大周の長壽二年、主上〈則天皇后〉權に制此文、著於天樞、音之爲萬云々、是又佛家に用る字なれば、神の紋と云も、兩部神道の俗説也、神をも人間のごとくに心得て、紋を定るこそをかしけれ、武家の定紋替紋とて、二ツも三ツも用る事ある故、神にも鞆繪輪鋒 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00059.gif 字の三ツを神の紋と定しなるべし、神の紋と云ふ事、令式國史、其外正しき古書には曾て見へず、唯後代の俗事なり、

〔遠碧軒記N 〕

上/神祇

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 伊勢内宮の紋は、屋形なり、外宮の紋は車の輪なり、神に紋ある事不審、俗説か、云不足、祇園天王の紋は、木瓜なり、吉田に六月廿三日に毎年神事なり、其内に木瓜大明神と云一社あり、此素盞烏尊と云、されば祇園なるべし、今智恩院の内に、瓜生石と云石あり、此所が根本牛頭天王の降下の地にて、此石上に一時に瓜のつる出て、瓜なる奇瑞ありたるといふ、それによつて瓜生石と云、〈○中略〉祇園の木瓜は、きうりの事なり、今はもつくわと心得て、ぼけの事とおもひ、くはの紋を云ふ、あやまりなり、

〔秦山集〕

〈雜著/甲乙録九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 經晃曰、内宮御紋五窠者、櫻花也、又有屋形御紋圖、上古屋形也、蓋皆非口外之事
外宮有小車御紋、又有倭文御紋、鶺鴒也、其説未詳、倭文地名、産織絹、〈重遠謂、延經曰、御被有鶺鴒御紋、〉

〔古老口實傳〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 一神宮者、桐竹幷小(神御衣文也)小車文形、不衣裳文也、

〔熱田神社問答雜録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0570 問神宮袍ノ紋ハ何ゾヤ、答桐竹也、是蓋神衣之紋ニシテ、昔神宮申下シ著セシ ヨリ、家ニ傳ヘテ如此歟、

〔雅筵醉狂集〕

〈雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 泉州堺の地主、三村明神と申て、住吉の大神と御同體也、三ツ茄の折枝、御紋ゆゑ、そ のなすびを繪がヽせて、賛をのぞみければ、
明神は墨のえながら御紋こそみつむらさきのなすびなりけれ

〔常陸國賀茂大明神由緒書〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 一當社者先方佐竹樣御造營、宍戸四郎義利承而野田三郎奉行成就、棟木書之、且亦御本社破風五本骨扇之御紋于今御座候事、

〔金毘雁大權現深秘神靈考〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 寶暦年中、金紋之箱.紫菊御紋附之幕、御簾、御紋附の挑灯等、從禁裏御所御免被仰付

〔筆のまに〳〵〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0571 神の紋所
祇園の氏子は、木瓜を喰ぬといへるは、神の紋なればなりと、是も元來織田信長、京都の仕置をなし給ふとき、祇園の社を建立なす故に、則其家の紋を以て、屋根の https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00051.gif など、其外奉納の品々に、織田の紋を附られし由、今も御寄附とて、神社佛閣にも葵の御紋あるに等しく附たり、みな瓜の紋なり、織田は瓜の紋ゆゑ、其形ち瓜の切口に似たれば、木瓜と心得たりといふ、をかしき話なり、瓜にはあらず、窠なり、和訓ホノスとよむ、ほのすとは、鳳凰の巢といへる事にて、鳳凰は鳥の王なれば、天子の御顔ばせを鳳顔とも龍顔ともいふ、御車を鳳輦といひ、御所を鳳闕といふ、斯る尊きもの成故に、裝束の地紋などに此紋あり、大刀にスガルの大刀といふあり、柄頭に鳳風あり、是鳳の巢を出たる形ちなりとぞ、仭また都て神の紋といふ事、元來なかるべし、然ども當時神佛の紋所には、卍巴輪など、其神の紋となして用る事、是等はいづれよりか書始め、いづれより書終るといへる所知れ難し、是神の德は始めもなく終わもなし.環の端なきが如く、とこしなへに虚然として、誠心を以て祭る時は、來格あるに象る所にやあらん、爰にをかしき一話あり、本所總鎭守の牛の 御前王子權現の紋は、劒かたばみに菊を用るなり、是はむかし、紋を附たるが劒かたばみにて有しをもて、牛の御前の神紋となせしとぞ、菊は後に、何ぞ由緒ありて付たるにや、

雜載

〔貞丈雜記〕

〈五/裝束〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 紋を丸の内に畫事、永正年中、立雪齋が畫し諸家紋に、紋の外に丸を畫たる多く見えたり、家の紋の外に丸を畫く事、時により人の好みにもよる事にや、室町殿の紋は、五七の桐にて丸なし、是も諸家紋にみえたり、宗五大雙紙に、公方樣御腰物は、御目貫、丸の内つぶ桐燒付、又云、公方樣御打刀は、御目貫、前の如く丸に桐やきつけ、又御劒は、御目貫、丸の内桐燒付と見えたり、これをみれば、丸なき紋も、好みによりて丸を用る事もありしなるべし、諸家紋に、島津氏の紋 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00062.gif此なり、何頃より歟、丸の内に、筆勢もなき十文字になりしなり、

〔諸家系圖纂〕

〈五十四/坂上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 田村氏家譜
家紋 桐 菊 車前草 卷龍 左三巴〈有因縁、而近代交用 之(○○○)、〉
蝶 梅鉢 〈此二紋者、庶子用之(○○○○)、〉
澤潟 〈有所縁(○○○)、家臣用之(○○○○)、〉

〔皇都午睡〕

〈三編上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 元來江戸の作事は、〈○中略〉土藏多きこと、町家うら〳〵に有うへ、河岸端は大方土藏にて建續きたり、〈○中略〉往來の正面と裏手川の方とに、家號、又は店印、定紋などを、しつくゐにて置あげて、立派にあやどる、

〔有德院殿御實紀附録〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0572 有馬出羽守純珍、御前に出し時、朝比奈三郎義秀が紋は、何なるかと御尋ありしかば、鶴の丸とうけたまはりしと申けるに、そは中村勘三郎といへる俳優が、はじめて朝比奈が狂言せしとき、おのが紋をつけしより、あやまりて世人皆鶴の丸を朝比奈の紋と覺えたるなり、朝比奈が紋は、草合とて稻束を打ちがへしものなりし、その圖をかヽしめて下されしかば、出羽守甚だ感佩し、初て承りぬと申て退きしに、なほしばし留め玉ひ、我さきに日光山に參 りし時、番士のうちに、かヽる紋をそめし幕の有しかば、其名をとはしめしに、小林源五郎正壽とて、朝比奈が子孫にて、古へより數世、この紋を用ひ來れりと申しヽをもつてしるべしと仰有りければ、出羽守、いよ〳〵感服してまかでけり、

〔嬉遊笑覽〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 明石〈○猿若勘三郎〉が母は、中村姓にて、紋は角の内銀杏の葉と云へり、後これを用ふる事は、加賀見遠淸が、江戸砂子標識にいへり、菱川が畫に、勘三郎芝居の、やぐらの幕紋、丸の内に舞鶴をかけり、今の鶴の丸とは形ことなり、昔は幕の紋にも鶴を付たるが、堀川百首題狂歌、安井了忠、舞にしも舞たる鶴は其家の紋ぞと人のいばら左衞門、といへるは、舞師の紋をよそへたる歌と聞ゆ、鶴はよくまふものなれば、舞々が紋に用ひしなるべし、勘三郎が鶴の紋も、それらの流にや、朝比奈が鶴の丸の紋は、中村傳九郎が狂言よりなるべし、

〔古今役者大全〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 師弟分派系譜之凡例
一中村前傳九郎紋は https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00063.gif なり、中村本家の紋、銀杏葉なれども、其外猿若と號せし役者は、皆 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00063.gif を用ゆ、

〔賤のをだ卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 紋付とて、歌舞伎役者の紋所を集め、ひらにならべて板行にして、其中に一ツ紋を別に封じ張付て、扨紋一ツを何錢と定めて、戸々家々に持歩行、或は巡廻して、心々にその紋所に印を付遣はすなり、紋所二ツも三ツも一人にて付るものは、皆紋所主付て、かの張付たる封を開きて、其紋所にあたりたるもの勝にて、其品を得たり、始はきせるたばこ入樣の物なりしが、後は反物櫛 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00064.gif 袴地の類を出したり、樣かはりたる三笠付の類なり、御改正後は、こと〴〵く其類は皆停止せられたり、

〔配所殘筆〕

〈奥書〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0573 淺野氏眞先主也、素行子〈○山鹿甚五左衞門義以〉壯年之時、千石にて召抱られ、其後願にて牢人也、其頃者牛込早稻田に借地して住居也、諸大名旗本諸家中に數門人有り、
定紋丸の内打違の鷹の羽也、淺野殿へ被呼出候節、鷹の羽の紋、遠慮して、丸に橘に改られし也、母方の紋之由、

〔織文圖會〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0575 御袍之類
黄櫨 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00065.gif
桐竹鳳麟
大サ竪八寸横六寸五分程
赤色
院著御
大サ四寸
後陽成院御文歟

〔前九年合戰繪卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576
宗任陣中楯
光貞陣中楯

〔後三年合戰繪卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0576
堀川夜打繪卷
土佐坊正尊幕

〔竹崎五郎繪詞〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0577
太宰少貳三郎左衞門尉景資旗
菊池次坤郎房旗
竹崎五郎兵衞尉季長旗
薩摩國守護下野守久親旗

〔春日權現驗記繪卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0578
藥師寺縁記

〔織文圖會〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0579 奴袴之類
久我家
龍膽夕須岐
大五寸
西園寺家車圖大臣車

〔雲上明覽〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580
近衞
九條
日野

〔見聞諸家紋〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0580
佐竹和泉入道
藤氏
上杉
椎屋 左巴
小山
一番
結城左近將監
二番
土肥右馬助淸平
二番
山下孫三郎秀忠
二番
沼田彌太郎
號角巴
三番
杉原
丸豐前七郎朝達
右京大夫勝元被官
香河五郎次郎和景
越後
長尾
伊勢平氏

二番
西田三郎左衞門
三番
河内

〔緒家紋鑑〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0582
御當家之
御紋
三州之
松平
德川
尾張大納言殿
紀伊中納言殿
水戸宰相殿
一橋中納言殿
德川右衞門督殿
松平讃岐守
松平越後守
松平越前守
松平出羽守
松平肥後守
松平隠岐守
皆葵也
尾張紀伊
水戸
サヌキ
ダイカク





上二同
松平左京太夫
松平大學頭
松平大炊頭
松平雅樂頭






松平大學頭
松平大炊頭
松平雅樂頭


トップ   差分 履歴 リロード   一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:17