http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 役俸ニ、役知、役料、役扶持、役切米、役米、役金、足高(タシダカ)等ノ種類アリ、役知ハ、遠國官ノ最モ重キ者ニ給スル役俸ニシテ、京郡所司代、大坂城代等ニ賜フ、多キ力萬石以上ニ及ブ、役料ハ、切米ト同ジク、春夏、冬ノ三季ニ分チテ、金、米、倂セ給ス、寛文中、大番頭以下ノ役料ヲ定メ、享保年間、役料給與ノ法ヲ制シ、以テ永式ト爲ス、役扶持ハ、毎月給スルモノナリ、役切米ハ、賄方ノ下吏ニ給シ、役米ハ、中間小人ニ給ス、役金ハ、遠國奉行等ニ給ス、多キハ三千兩、少キハ一兩ニ至ル、慶應中、役俸ノ制ヲ改メ、布衣以上ノ吏ノ役知、役料、役扶持ヲ停メ、代フルニ役金ヲ以テシ、三月、六月、九月、十二月ノ四期ニ支給ス、老中一萬兩、若年寄四千兩、以下各、差等アリ、但シ家祿ノ多少ニ由テ、役金ノ全額ヲ給スルアリ、半額ヲ給スルアリ、或ハ全ク給與セザルモアリシナリ、足高ハ、勤役中俸米ヲ加給スルヲ云フ、初メ德川幕府役料ノ制ヲ定メタレド、各自家祿ノ高下ナキ能ハズ、故ニ其小祿ノ者ノ爲ニ、享保八年、新ニ有司足高ノ制ヲ定ム、例ヘバ、高家ハ千五百石高ナルヲ以テ、千石ノ家祿ニシテ之ニ任ズル者ニハ、五百石ヲ加給スル類是ナリ、足米(タシマイ)ハ持高ノ上ニ俸米ヲ加へ給ス、又足扶持、加扶持等アリ、畢竟足高ニシテ、專ラ小吏ニ給ス、

役知

〔憲敎類典〕

〈二ノ五/御役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0437 元文三庚午年三月九日
一遠國御役人〈幷〉御足高御役料定 三千石 御役知千石 甲府勤番支配

〔泰平年表〕

〈大御所〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 文化十二年六月廿七日、大久保加賀守、〈○忠眞〉松平右京大夫〈○輝延〉を召れ、向後所司代御城代共、高無差別、勤役中壹万石宛、御役知を賜ふの旨令せらる、

〔慶應三年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 京都守護職 溜之間 御役知五百石
二十八萬石、正四位中將松平肥後守容保、

役料

〔嚴有院殿御實紀附録〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 諸有司、もとは各の原祿もて奉仕せしを、寛文六年七月、諸司をめされ新に役料を賜はる旨仰下さる、その數は留守居二千俵、大目付、町奉行、各千俵、旗奉行、作事奉行、勘定頭、各七百俵、鎗奉行、留守居番、普請奉行、各五百俵、西城留守居、船手頭、納戸頭、腰物奉行頭、各四百俵、二丸留守居、鐵砲方、新番組頭、各三百俵、西城裏門番頭、廣敷番頭、大番組頭、各二百俵、納戸組頭、小十人組頭、各百俵なり、この後歴朝俸祿の增減はさま〴〵なりといへども、なベて官料下さるヽ事は、この時よりはじまりしなり、

〔憲敎類典〕

〈二ノ五/御役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0438 寛文五乙巳年三月十八日
御役領之覺
二千俵 大御番頭
千俵 御書院番頭 御小性組番頭
七百俵 新御番頭 百人組
五百俵 御書院番組頭 御小性組與頭 御使番 御持弓 御持筒 御先手 御先鐵炮
御目付 御歩行頭 小十人組番頭〈○中略〉
寛文六丙午年七月廿一日
一御黑書院へ出御被成、御役人被召、御役料被下候覺、 一二千 俵大目付 一千俵 町奉行 一千俵 御旗奉行 一七百俵 御作事奉行 一同斷 御勘定頭 一五百俵 御鑓奉行 一同斷 御留守居 一同斷 御普請奉行 一四百俵 御納戸頭 一同斷 御船手 一同斷 御腰物奉行 一同斷 西丸御留守居 一三百俵 二丸御留守居 一同斷 田付四郎兵衞 一同斷 新御番組頭 一貳百俵 大御番組頭 一同斷 御切手番頭 一同斷 御廣敷番頭 一百俵 御納戸組頭 一同斷 小十人組頭

〔德川禁令考〕

〈十八/稍規〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 寛文六丙午年七月廿一日
役料之定
午上刻御黑書院出御、今日出仕之面々、一同御前〈江〉被召出、何も御役料被下、且又萬事可儉約之由被出之、老中御挨拶申上、御役料員數、於欵冬間大和守傳之、

〔憲廟實録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 天和二年四月廿一日、諸番頭、物頭、諸役人の役料を加祿となして給はる、〈○中略〉廿二日、諸役人の役料を加祿として給はる、

〔憲廟實録〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 元祿五年五月十一日、御留守居、議番頭、諸物頭、諸役人ニ役料を給ふ、

〔有章院殿御實紀〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 正德六年〈○享保元年〉四月六日、少老大久保佐渡守常春、大久保長門守敎寛、森川出羽守俊胤、在職の間、各廩米五千苞を賜ふ、

〔有德院殿御實紀附録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0439 すべて諸有司の祿、其職に應せざれば、其任にたへざるもの多く、おのづからものを貪り、財をやぶさかるの心をも生ずるなり、今少祿にして重職に居る者多し、ねがはくはその職に應ずるほど祿を賜ふべきか、某若かりしとき、上洛して郡の有樣をも見しに、所司代は誠に大任にして、あづかる事も多ければ、封邑のみつぎのみにてはたるべからず、別に恩貸の地にてもあたへらるべきか、伏見奉行又繁務にして、しば〳〵都にゆきヽし、其道すがらも先 例にて鎗二すぢをもたせ、その外多くの人を召具することなれば、五六千石を領する人、家祿のみにてはつかふまつりがたし、これにも官料を賜りたき事なり、すでに大坂駿府の定番にさへ一倍半倍の税を賜はる事なれば、伏見奉行に役料下されしとて、誰か議する者あらむや、この外の有司もみなこれにたぐふべし、〈(中略)僖公文案〉

〔享保集成絲綸録〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 享保八卯年六月
諸役人、役柄に不應、小身之面々、前々より御役料被定置下候處、知行之高下有之故、今迄被定置候御役料にては、小身之者御奉公續兼可申候、依之今度御吟味有之、役柄により、其場所不相應に小身にて御役勤候者は、御役勤候内、御足高被仰付、御役料增減有之、別紙之通相極候、此旨可申渡旨被仰出候、
但此度御定之外、取來候御役料ハ、其儘被下置候、〈○下略〉

〔憲敎類典〕

〈二ノ五/御役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 享保十六辛亥年三月
御目見以上、御役勤候内、御足高〈幷〉御役料定〈○中略〉
御役料
五百俵〈養仙院樣御用人竹姫君様御用人〉 二百俵〈御鐵炮方、御膳奉行、御廣敷番之頭、諏訪部文九郎、書替奉行、御藏奉行、〉
二百俵(延享三寅年ゟ) 小普請支配組頭
二百俵 御賄頭 〈向後二百俵以下之者被仰付節は、二百俵高御足高被下、御役料も被下、右之通伺之上、延享二壬丑十二月被仰出、〉
百俵 御材木石奉行 百俵(御番料) 御番醫師(御女中樣)
五拾俵 評定所勤之儒者 百俵(御番料)二百石高迄 御番醫師〈○中略〉
享保十六辛亥年三月 本多伊豫守

〔享保集成絲綸録〕

〈三十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0440 享保十九寅年六月 御留守居組頭
右高之多少に無構、三百俵充御役料被之、貳百俵より以下之者は、勤候内、貳百石之高に被成下候事、

〔憲敎類典〕

〈二ノ五/御役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 元文三庚午年三月九日
一遠國御役人〈幷〉御足高御役料定〈○中略〉
〈御役料〉現米六百石〈京都町奉行大坂町奉行〉

〔吹塵録〕

〈二十八/德川氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 寛政元酉年分限高
七万七千六百三拾八俵餘、〈○中略〉 御役料
C 役料渡方

〔淺草米廩舊例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441 書替三季五段手形渡し日
御役料二十四日

〔京都御役所向大概覺書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0441
一江戸〈幷〉遶國御役人御役料之儀、向後等分ニ割、三ツニわけ、春夏冬三度ニ可相渡候依之四月迄 之内、御役御免歟、被召放候ハヾ、春御役料可返納候、五月ニ入候ハヾ不返納候、且八月迄之 内ニ候ハヾ、夏御役料可返納候、九月ニ入候ハヾ不返納候、十二月迄之内ニ而候ハヾ、冬御 役料可返納候、但病死之者ハ、春夏冬共ニ不返納候、御役替之面々ハ、後之御役ニ付、御役料 有之候ハヾ、過不足不指引、御投替以後ハ、後之御役ニ付候御役料高を以、請取可申候事、
附御役料有之候御役ゟ、御役料無之御役へ替候ハヾ、返納之儀、伺之上、御勘定頭添狀可之 候事、
一先役人御役料不請取内ニ、御役御免歟、又ハ被召放候歟、或ハ病死ニ而跡役被仰付候節、四月迄 之内ニ而候はヾ、一ケ年分之積可相渡候、五月ニ入候ハヾ、春御役料相除、殘分ハ定候時節可相 渡候、九月ニ入候ハヾ、春夏之分相除、冬之分定候時節可相渡候事、
附先役人春御役料請取候以後、跡役四月迄之内被仰付候ハヾ、夏御役料請取可申候、先役人 夏御役料請取候以後、跡役八月迄之内被仰付候ハヾ、冬御役料ゟ請取可申候、先役人冬御役 料共ニ不殘請取候以後、跡役其年之内被仰付候ハヾ、冬之分計可下候事、
元祿十五〈午〉年十月
一閏月ハ返納渡方共ニ、其月數之内ニ籠候積可相心得事、
一父子相勤、子御役料取來候時、父相果、跡式被仰付候節、子御役料請取分ハ、不返納候事、
一子細有之、不時ニ請取候御役料ハ、至其節相伺之事、〈○中略〉
巳上
元祿十五午十月

〔御勘定所定書〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0442 御役料渡方之定
一御役料之儀、四月迄内御役被仰付候はヾ、一ケ年分可被下候、八月之内に候はヾ夏分より、十二 月迄之内ニ候はヾ冬之分可下候、但御役料請取、御役退き候歟、御免歟、又ハ相果候面々之跡 役之儀、御役料可請取月割之時節被仰付候はヾ、月割定之通、御役料可下事、
附前々御役ニ而、御役料請取、御役退候共、後役之御役料、八重ニハ被下間敷候、然共右三度之 月割之内、御役退候而、後之御役料高候はヾ、其分は足米可下候、後御役料より前々御役料 多分ハ、不返納候、
一三度相渡候御役料之儀何月御役退候歟、御免歟、相果候もの、請取候分ハ被下、不請取分ハ不下候、或ハ父之家督ニ成候而、御役料不下ニ成候共、請取候御役料不返納候、
附御役被召放候者ハ、四月迄之内ニ候はヾ、春御役料返納可仕候、五月ニ入候はヾ不返納 候、夏之分ハ九月、冬分ハ十二月ニ入候はヾ、不返納候候、
一閏月ハ、月數之内ニ而籠リ候事、〈○中略〉
右之通可其意候、以上、
享保五子年四月

〔書替所定書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 當時定法
一御役料ハ、高三分一渡、〈元祿十六未年より添狀ニて極る〉
一御役料取、御足高被下、御役料上り候節ハ、受取候分之御役料、御足高之内ニ而引落し渡る、
但御足高より最前之御役料多、引不足之節ハ、其年中御足高不相渡、引殘り之分不返納、翌 年より御足高被下候、但御役扶持も同斷、〈享保八卯年、御證文ニ而極る、但書享保十五戊年十二月、寛延元辰年九月、御證文ニて極る、〉
一御役料、御足扶持、御役扶持、取來る者、御加增御足米等被下、右取來る品々上候時ハ、不引落、先 達而受取分ハ其儘被下候、
但御加增御足米被下候以後請取候ヘバ、引落ニ成る、〈享保八卯年、御足高被下候已後より、御證文ニて極る、〉
一閉門御免以後、閉門中之御役料ハ不下、歸役以後之御役料計被下候、御役扶持も、閉門中之御 役扶持ハ不下、歸役之月より御役扶持渡る、尤其時ニ添狀、〈元文二巳年、添狀ニて極、〉
一遠慮逼塞之者、御役料御役扶持、御免以後、溜り之分ハ添狀ニて相渡、但御免之時ハ不渡、
一子御投料取ニて、父家督被下、御役料上り候節ハ、父死後ニても、家督巳前請取候ヘバ、返納無之 候、家督以後ニ候ヘバ、返納ニ成り候、〈享保八卯年伺極る〉

〔御用留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0443 酉冬御切米御張紙寫
當酉〈○文久元年〉冬、御役料請取高、三歩一米、三歩二金ニ而可相渡候、
一御役料二百俵有餘以下ハ、十月十三日より同十四日迄、 右日限之通、美濃部庄右衞門、三雲新左衞門裏判取之、米金請取候義、來十月より十一月廿九日迄可之、但米金請取方之儀も右ケ條ニ准じ、可相心得、直段之儀ハ、百俵ニ付四十六兩之積たるべき事、
酉九月廿六日〈○節略〉

役扶持

〔憲敎類典〕

〈二ノ五/御役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 享保九甲辰七月十三日
左之趣、大久保佐渡守殿〈○常春〉被仰渡候由、三宅大學被相觸候、大學口上ニて被申聞候ハ、年々御足米願出候場所も有之候、夫共ニ向後相願申間敷由、佐渡守殿被仰渡候、
此度御吟味之上、續兼候小給之者へ、御增高被下候間、自今ハ支配之内より、格別之義も無之候 はヾ、御足米願申間敷候、
〈高多少不構、御役扶持二十人扶持、〉御鐵炮玉藥奉行〈○中略〉
右之通御役扶持被之〈○中略〉
享保十六辛亥年三月
御目見以上、御役勤候内、御足高〈幷〉御役料定、
御役扶持
三百人扶持 火消役〈○中略〉
七人扶持 漆奉行〈延享四卯四月十四日、御役料百俵被下、御役扶持上ル、○中略〉
享保十六辛亥年三月 本多伊豫守

〔柳營秘鑑〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0444 御番頭之次第
一駿府加番ハ万石以上一人、〈是を世上ニて大加番と云〉其外五六千石寄合兩人被仰付、〈○中略〉但加番之面々、一 万石以上ハ減高一万石にて勤仕之、御役扶持一万石ニ四百人扶持被之、其以下之面々ハ、右 之割合ニて被置之

〔概席寶鑑〕

〈御目見以下大概順〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 持高 御役扶持二人扶持 御普請方同心
○按ズルニ、役扶持ヲ給與セル者、此外大坂船手、書物奉行、疊奉行、代官、勘定川船改等アリ、今其 最高額、及ビ最低額ノモノヲ掲グ、

〔吹塵録〕

〈二十八/德川氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 寫政元酉年分限高
五千五百八人半扶持 御役扶持

〔續々泰平年表〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 安政元年正月十六日、御先手本多左京、若林勘解由、金田式部、石川將http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 、永井能登守、坂井右近、松平藤十郎、戸川日向守、川井攝津守、内藤七左衞門、
右の面々へ、市中晝夜見廻り被仰付、同十七日伊勢守殿より御目付へ、夷國船渡來非常の節、其方 共組支配與力同心家來共に至る迄、當番の者相除、寄場等へ相詰候向は、三千石以上持高、〈幷〉御 役高とも、晝夜四度分御扶持方にて日々被付候に付、頭支配に於て配賦可致候、三千石已下の 分は、組支配〈幷〉家來共ニ至る迄、晝夜四度の配賦被下候積リ、且乘馬秣等の儀も、二千石以下の 分は、是又兵粮同樣於場所御渡有之、就ては組人數、〈幷〉家來下々迄の總人數、二千石以下乘馬員 數取調、拙者迄早々可申聞候、尤御軍役に泥み、無益の雜人雇人等召連候儀、可成丈相省、御實備 の處勘辨いたし可申聞候、但屯所相立候夕刻より、御扶持方御渡被下候に付、夫迄の兵粮等 は、銘々用意可致候、且御扶持御賦請取方、〈幷〉場所等の儀は、猶又可申達候、

役扶持渡方/役扶持受取方

〔京都御役所向大概覺書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0445 覺〈○中略〉
一御役扶持有之面々、來月分を、前之月請取候已後、御役替り、又ハ御役被召放候時ハ、可返納候、但月を越候ハヾ不返納候、旦又御役扶持、前之月請取候以後相果候ハヾ、不返納候事、
已上 元祿十五〈午〉十月
但寶永七寅年、御役扶持之儀聞合候處、御藏衆ゟ此書付到來、

〔勘契備忘記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 御扶持方渡之覺
一御役扶持取候面々、來月分之御扶持方請取、相果候類、或は御役退候而御免候共、不返納候、勿 論不請取分ハ、書替相濟候共不下候、此御扶持之儀、元祿十五〈午〉年十月、返納之積り御書付出 ル、
附御役被召放候者、御役料者同斷、跡役之もの〈江〉被仰付候月ゟ可下候事、〈○中略〉
右之通可其意候、以上、
享保五〈子〉年四月 御勘定奉行

〔書替所定書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 當時定法
一御役扶持方計取候者、御足扶持被下、元扶持ハ御足高直ニ被下候者、小普請ニ入、元扶持計りニ 成候時ハ、御足扶持受取候翌月より元扶持渡、〈享保十七年、元高御切米取を、扶持詰の例を以極る、〉
一御作事御被官出役之役扶持、入替り之節、前之者請取候翌年より渡る、尤時々添狀、〈○節略〉

〔淺草米廩奮例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 月々渡方凡石數覺
米六拾石(二日御役扶持)程
米貳百九拾石(廿一日渡御役扶持)程
米五千六百石(勤仕御役扶持)程
米八百石(不勤御役扶持)程〈○中略〉
米六千石(御代官扶持)程 〈是ハ春夏冬ニ渡ル〉

〔札差業要集〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0446 享保年中より文化迄御藏方荒增之扣 同年〈○明和九年〉三月迄、月次御扶持(○○○○○)は、御手形壹枚限渡來候處、御扶持方同樣、札差壹人分、結石〆に而以來御渡し之御逹有之、

〔分限御手當筋御書付留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 寅〈○慶應二年〉十一月十七日、美濃守殿〈○老中稻葉正邦〉貞阿彌を以御渡、

御役扶持、御手當扶持被下之面々、是迄正米ニ而被下候得共、當分之内、三拾五石ニ付代金貳百兩之割合を以、御金ニ而被下候、尤高ニ附御扶持方ハ、是迄之通、正米ニ而被下候間、向々へ可逹候事、

役切米

〔吏徴〕

〈下/御目見以下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 御賄組頭七人
頭支配 役切米三拾俵〈○中略〉
御賄六人
持高 下役、役切米五俵、
○按ズルニ、此外賄調役以下、賄方ノ下吏ハ、皆役切米ヲ給與セラレシナリ、

〔書替所定書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 當時定法
一御賄方役切米之儀、議向之役切米トハ別段ニて、他役へ成候ても不沙汰候由極、

〔勘契備忘記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0447 享保二十一辰年〈○元文元年〉御賄方御役御切米被下方書付
一御賄役被仰付候節者、賄方之内より被仰付候ハヾ、組頭御役御切米以來被下候積、
一組頭ニ成候者、諸繰上ニ而申付候ハヾ、其場所之御切米、有來之通被下候積、
右之通、其場所々々之御役切米無相違、元御證文を以被下候積奉存候.
一御賄方之者之忰共、跡式被下、御奉公ニ罷出候節、當分ハ被下間敷哉、左候ハヾ、其節拙者共ゟ御 勘定所へ印形斷狀ニ而、右取高相除高、追而被下候節も、拙者共儀、印形斷狀を以、元御證文之通、 請取候樣可仕哉と奉存候、
右之通奉伺候、以上、
〈辰〉三月 御賄頭
御附紙
伺之道可爲候、其節之御勘定奉行より添狀遣候樣申渡候間、可談候、但忰共、父家督被下、御 奉公相勤候ハヾ、役切米可下候、是又御勘定奉行添狀遣候樣申渡候間、其節ニ可談候、

役米

〔吏徴〕

〈下/御目見以下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 御中間五百五十人
十五俵一人扶持 御旗指之者、役米十五俵、御持鑓之者、役米五俵半扶持、御馬髪卷役、役米五俵、〈○中略〉
御小人四百五十人
十五俵一人扶持高 御小馬驗役之者、役米三拾五俵、 龜井坊二十五俵、役米拾五俵、御長刀役之者、役米拾五俵、御小道具役、役米五俵半扶持、

役金

〔吏徴〕

〈上/布衣以上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 長崎奉行一人
老中支配 御役金三千兩

〔概席寶鑑〕

〈御目見以下大概順〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 十五俵 御役金一兩三分 六尺(紅葉山御高盛)
○按ズルニ、此外駿府武具奉行、奥坊主組頭、普請方等ニモ役金アリ、

〔寶暦集成絲綸録〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0448 延享元子年三月
上坂安左衞門〈○代官〉
御切米七拾俵三人扶持宛 元〆手代三人 外役金拾兩宛
右安左衞門元〆手代三人常々實體ニ相勤、別而去亥年、〈○寛保三年〉御取箇其外、精出シ相勤候ニ付、向 後右之通御宛行被之、直御抱被仰付安左衞門手へ附相勤候樣可致候、〈○中略〉
右之通、可申渡候、
三月

〔天明集成絲綸録〕

〈二十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 明和九辰年九月
御勘定奉行〈江〉 〈御普請役〉
大河内庄右衞門
右佐渡奉行支配、與力格、廣間役ニ可申渡候、勤候内、役金三拾五兩被下候、

〔佐渡奉行公務扱〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 享和元〈酉〉十二月十一日、廣間役被仰付候、
〈高三十俵三人扶持小普請方手代ゟ〉
平野仁左衞門
〈戊〉年二月十七日出立、三月十二日佐渡著.
右御切米者、酉年分先役ニ而請取、役金は當酉冬之分拾貳兩貳分、此外來戌年春渡御役金拾壹兩貳分、同春渡御借米七俵取越請取、取來之御扶持方は戌正月分迄、先役ニ而請取、御切米御役金共、戌夏渡ゟ佐州ニ而請取候、
支配組頭(文化元子十月廿四日)被仰付候 〈元百俵五人扶持、内三拾俵御足高、御役扶持拾五人扶持、小普請方、〉
本高七拾俵五人扶持ニ成ル 杉浦文左衞門
右佐州行越ニ付、取越請取物左之通、
御役金御役料共、當冬來春夏之分、百兩三百俵取越請取、御切米は當子年分先役ニ而受取、來丑春夏御借米之分三拾四俵取越請取、
來丑冬之分より、御切米御役金御役料共、佐州ニ而渡候.

〔德川禁令考〕

〈十八/稍規〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0449 慶應三丁卯年九月廿六日 足高役料等ヲ廢シ役金給與ノ定
布衣以上御役相勤候面々〈江〉、向後御足高御役知御役料御役扶持不下、是迄之場所高ニ不拘、今度御改正、別紙之通、役金被下候旨被仰出候事、
別紙
御役金被下高之覺
金壹萬兩〈隱居幷部屋住ヨリ被仰付候〉老中 金五千兩〈同上〉老中格 金四千兩〈同上〉若年寄〈但御役宅〉〈江〉〈引移、月番相勤候者〉〈江〉〈者金六千兩、〉 金八百兩〈若年寄、山陵奉行、〉戸田大和守 金四千兩〈萬石以下〉若年寄格、若年寄並、〈但高八千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減〉 金千五百兩高家〈但高三干石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高貳千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同千俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、肝煎〉〈江〉〈ハ別段金五百兩、〉 金貳千五百兩御側〈但高五千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米三千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同千五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金貳千兩宛、駿府御城代、甲府御城代、〈但高ニ不拘被下、在府中ハ不下、〉 金千五百兩山田奉行〈但高ニ不拘被下〉 金貳千五百兩宛、御留守居、海軍奉行並、陸軍奉行並、外國總奉行並、大目付、町奉行、御勘定奉行、〈但高五千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高三千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同千五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金貳千五百兩京都見廻役〈但高ニ不拘被下〉 金七百兩林大學頭 金八百兩宛、一橋殿家老、龜之助殿〈○田安〉家老、〈但高ニ不拘被下〉 金貳千兩宛、軍艦奉行、奥詰銃隊頭、騎兵奉行、歩兵奉行、〈但高四千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高貳千五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同千俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金貳千兩宛、御勘定奉行並、御作事奉行、〈但高四千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高貳千五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同千俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金貳千兩禁裏附〈但高ニ不拘被下〉 金千五百兩甲府小普請組支配〈但同上〉 金貳千兩外國奉行〈但高四千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米貳千五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同千俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金三千兩神奈川奉行〈但高ニ不拘被下、在府之者〉〈江〉〈ハ金千五百兩、高三千石以上ニ而在府之者〉〈江〉〈ハ金七百五十兩、御切米高貳千俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ不下、同七百俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ金七百五十兩、〉 金四千兩長崎奉行〈但高ニ不拘被下、在府之者〉〈江〉〈ハ金千五百兩、三千石以上ニ而在府之者〉〈江〉〈ハ金七百五十兩、御切米高貳千俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ不下、同七百俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ金七百五十兩、〉 金千五百兩浦賀奉行〈但高ニ不拘被下〉 金四千兩箱館奉行〈但高ニ不拘被下、在府之者〉〈江〉〈ハ金千五百兩、高三千石以上ニ而在府之者〉〈江〉〈ハ金七百五十兩、御切米高貳千俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ不下、同七百俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ金七百五十兩、〉 金三千兩兵庫奉行〈但高ニ不拘被下〉 金貳千五百兩宛〈京都大坂〉 町奉行〈但同上〉 金貳千兩京都見廻役並〈但同上〉 金千五百兩宛〈日光奈良駿府甲府〉奉行〈但同上〉 金三千兩佐渡奉行〈但同上〉 金貳千兩新潟奉行〈但同上〉 金千五百兩宛、軍艦奉行並、騎兵奉行並、歩兵奉行並、製鐵所奉行、遊擊隊頭、軍艦頭、銃隊頭、砲兵頭、騎兵頭、歩兵頭、撒兵頭、〈但高三千石以上之者江ハ半減、御切米貳千俵以上之者江ハ不下、同七百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金七百兩宛、〈西丸御留守居、學問所御用、〉林式部少輔、坂井右近將http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/km0000m00023.gif 、〈西丸御留守居格、陸軍所修行人敎授役頭取、〉下曾根甲斐守、 金三百五十兩宛、〈同上〉山口近〉〈江〉〈守、〈新番頭格同上〉松平石見守、 金八百兩淸水小普請組支配〈但六高千百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金貳千兩火消役〈但高ニ不拘被下〉 金千兩御目付〈但高貳千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金六百兩御小性〈但高千貳百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同三百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金三百兩吹上奉行〈但高六百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同貳百五十俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金六百兩宛〈靜寛院樣、天璋院様、御簾中樣、〉御用人、〈但高千貳百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高七百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同三百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金四百兩〈法印法眼〉之奥醫師、〈但高八百石以上之者〉〈江〉〈ハ半滅、御切米高四百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同貳百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 御匙〈江〉別段金百兩、 金八百兩御作事奉行並、〈但高千六百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金千兩外國奉行並〈但高貳千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金千五百兩神奈川奉行並〈但高ニ不拘被下、在府之者〉〈江〉〈ハ金千兩高貳百石以上ニ而在府之者〉〈江〉〈ハ金五百兩、御切米高千俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ金五百兩、〉 金貳千兩宛、長崎奉行並、箱館奉行並、〈但高ニ不拘被下、在府之者〉〈江〉〈ハ金千兩、高貮干石以上ニ而在府之者〉〈江〉〈ハ金五百兩、御切米高干俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上同斷之者〉〈江〉〈ハ金五百兩、〉 金八百兩宛、軍艦頭並、製鐵奉行並、遊擊隊頭並、砲兵頭並、歩兵頭並、銃隊頭並、騎兵頭並、〈但高千六百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減御切米高千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金五百兩宛、〈歩兵頭並格、陸軍所修行人教授役頭取、〉飯田庄藏、榊原鏡次郎、 金八百兩撒兵頭並〈但高千六百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高千俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金貳百兩御使番〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減御目付介之者〉〈江〉〈ハ金六百兩同斷、高千石以上之者〉〈江〉〈ハ金三百兩、同七百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金三百兩駿府勤番組頭〈但高六百石以上之者〉〈江〉〈ハ半滅、御切米高五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同貮百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金六百兩宛、〈別手組出役頭取取締〉 澤井鎭之助、鈴木猪三郎、塚原寛十郎、小泉兵庫、 金五百兩宛、〈同上〉神保常次郎、寺西直次郎、山田勝三郎、〈儒者〉奥村秀五郎、永井三藏、〈和學所頭取〉伊丹桄之丞、〈沿革調頭取〉松 平庄九郎、〈遊擊隊調方頭取〉伴野七之助、〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切来高三百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金四百兩宛、〈遊擊隊頭取〉伊庭軍兵衞、三橋寅藏、榊原健吉、高橋伊勢守、加藤平九郎、勝與八郎、〈但御切米高貳百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金五百兩開成所頭取〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高六百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同三百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金四百兩〈開成所頭取格、遊擊隊頭取、〉湊信八郎〈但高八百石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高五百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同貳百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金五百兩御鐵炮玉藥奉行〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高六百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同三百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金六百兩宛、御納戸頭、御勘定頭、頭取、奥御祐筆組頭、〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高七百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同三百五十俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金五百兩奥御祐筆組頭格〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高六百俵以上百者〉〈江〉〈ハ不下、同三百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉 金五百兩宛〈姫君様方、本壽院樣、實誠院樣、〉御用人、〈但高千石以上之者〉〈江〉〈ハ半減、御切米高六百俵以上之者〉〈江〉〈ハ不下、同三百俵以上之者〉〈江〉〈ハ半減、〉金三百兩〈姫君樣御用人格、奥御祐筆所詰、〉妻木主一 金三百兩宛〈美濃、西國、飛驒、〉郡代、〈但高ニ不拘被下〉
右之通、御役金月割を以被下候、渡方之儀者、三月、六月、九月、十二月、右四度ニ相渡ニ而可之候、請取方等之儀者、御勘定奉行可談候事、

〔吹塵録〕

〈三十一/德川氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 慶應三年改革後有司俸金總計豫算
慶應三卯年十二月調
布衣以上御役金一ケ年凡積
一金三拾壹万三千八百兩餘〈○中略〉
布衣以下御役金一ケ年凡積
一金三千兩餘
御目見以下役金一ケ年凡積
一金七千八百兩餘〈○中略〉
右之通、御勘定所御勝手掛ニおいて、取調候ものに御座候、

足高

〔有德院殿御實紀附録〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0452 享保八年六月十八日、諸職の有司俸米の定額を定らる、これを足高とい ふ、この日近習の人々も、五百石にたらざるものは、給米をまして五百石の數にみてらるべしとなり、是より先同職の内ばるかに微祿なるものもうち交りければ、祿少き者は、費用たらざるにくるしむこと多かりしに、かくおもはずなる御惠により、なべてかしこみ奉る事大かたならず、今に於てこの御德をぞあふぎける、後にきけば此事申出せしは、小納戸大島近江守以興が父古心入道〈初稱大島伴六守正〉なりといへり、これまで父にかヽりて家にあるものを近習となさるヽ時は、別に三百俵の祿賜ひ、官料も亦三百俵を賜ふことなれば、すべて事たるといへども、家つぎし者の祿少きは、官料のみのたすけなれば、勤仕にだえぬ人おほし、願くは五百石より下っかたのものを近習となされんには、別に給米をたまはらんことをと、うち〳〵聞え上けるとぞ、この古心、そのはじめ紀藩にて番頭奉行の職つかふまつりしが、年老てとく仕をかへし、今は片山里に引寵りてありしが、大統をつがせ玉ひし〈○德川吉宗〉後、ふたヽび召れて江戸にまゐりしかば、勘定奉行を命せらるべしとて、先其心をとはせ玉ひしに、それがし不肖の身をもて、深き御いつくしみを蒙り、府下までも召よせられしことかぎりもなき御惠なり、いかにも仰にしたがひ侍らば、家をも身をもおこし、子孫までも光榮をのこし侍るなれども、かヽる重職にのぼりては、心のまヽに直言を聞えあげ、微忠をつくす事もなりがたし、重任となさるべき才略の御家人はいくらも侍るべし、あはれ某をばこのまヽにすておかれ玉はれかし、さすれば誰に憚る事もなく、思ふ程の事をつヽまず言上すべしとて、かたく辭し申ければ、其心に任せられ、年ごとに金百兩、御衣御羽織などかづけられて、政にあづかる事ども、折々問せられけり、其子近江守をも重く用ひ玉はんとありしかど、これもよひとのごとくみだりに職をむさぼる心なく、多病なりとて、職にすヽめらるヽ事を辭し申けるとなん、父子共に近き世にいとめづらしき人なりき、

〔享保通鑑〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0453 享保八年六月十八日 今日諸役人、一役より一人ヅヽ可登城ニ付、出仕有之候處、於芙蓉之間老中列座、被仰出之趣、水野和泉守被申渡、御書附二通出候而、向々へ寫取候由、御書付之趣、諸役人、役柄ニ不應、小身之面々、前々より御役料被定置下候處、知行高下有之故、今迄被定置候御役料ニ而ハ、小身之者御奉公續兼可申候、依之此度御吟味有之、役柄ニより、其場所不相應ニ、小身ニて御役勤候者ハ、御役勤之内、御足高被仰付、御役料增減有之、別紙〈○勘契備忘記同文故略〉之通相觸候、此旨可申渡旨被仰出候、
但此度御定之外、取來候御役料ハ、其儘可下置候、

〔勘契備忘記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0454 享保八卯年
諸向御足高御書付
千五百石内者千五百石高 高家衆
肝入者御役料八百俵
五千石内者五千石高 御側衆
五千石内者五千石高 御留守居衆
五千石内者五千石高 大御番頭
四千石内者四千石高 御書院番頭
四千石内者四千石高 御小性組番頭
三千石内者三千石高 大目付
三千石内者三千石高 町奉行
三千石内者三千石高 御勘定奉行
貳千石内者貳千石高 御旗奉行
三千石内者三千石高 百人組之頭 貳千石内者貳千石高 御鑓奉行
千五百石内者千五百石 御持弓御持筒頭
貳千石内者貳千石高 西丸御留守居
三千石内者三千石高 小普請支配
貳千石内者貳千石高 新御番頭
貳千石内者貳千石高 御作事奉行
貳千石内者貳千石高 御普請奉行
貳千石内者貳千石高 小普請奉行
千五百石内者千五百石高 總御弓御鐵炮頭
千石内者千石高 御留守居番
千石内者千石高 御目付
千石内者千石高 御使番
千石内者千石高 御書院番組頭
千石内者千石高 御小性組番頭
七石百内者七百石高 西丸御裏御門番頭
千石内者千石高 御徒士頭
千石内者千石高 小十人頭
七百石内者七百石高 二丸御留守居
只今迄之通千石内者御役料貳百俵 御鐵炮方
七百石内者七百石高 〈元方拂方〉御納戸頭 七百石内者七百石高 御船手
七百石内者七百石高 御腰物奉行
只今迄之通千石内者御役料三百俵 御勘定吟味役
只今迄之通四百俵内者御役料二百俵 奥御祐筆組頭
六百石内者六百石高 新御番組頭
只今迄之通四百俵ゟ内者御役料百五十俵 御祐筆組頭
當時者三百石高御役料百五拾俵
高之多少ニ無構御役料百五拾俵 御膳奉行
只今迄通四百俵内者御役料百俵 御納戸組頭
當時ハ四百俵高
六百石内者六百石高 大御番組頭
三百俵内者三百俵高 小十人組頭
只今迄之通四百俵内者御役料百俵 御勘定組頭
當時ハ二百五拾俵高、御殿詰、幷御勝手方御取箇方組方ハ御役料百俵
只今之通三百石内者御役料百俵 御金奉行
當時ハ貳百俵高御役料百俵
四百石内者四百石高 西丸切手御門番之頭
四百石内者四百石高御裏 御門切手番之頭
高多少ニ無構御役料貳百俵 御廣敷番之頭
四百石内者四百石高 御天守番之頭 只今迄之通三百俵内者御役料百俵 御細工頭
當時ハ貳百俵高御役料百俵
四百石内者四百石高 〈富士見御寶藏〉番之頭
高多少ニ無構御役料貳百俵 御賄頭
只今迄之通貳百俵四人扶持内八百俵 御臺所頭
〈七百石内者七百石高 御役料貳百俵〉 〈一位樣 御用人〉
〈七百石内者七百石高 御役料貳百俵〉 〈月光院樣 御用人〉
〈五百石内者五百石高 御役料貳百俵〉 〈瑞雲院樣 御用人〉
只今迄之通御役料五百俵 〈壽山院樣 御用人〉
〈四百石内者四百石高 御役料百俵、當時ハ御役料五百俵、〉 〈竹姫君樣 御用人〉
〈四百石内者四百石高 御役料百俵〉 〈德心院樣 御用人〉
〈四百石内者四百石高 御役料百俵〉 〈蓮乘院樣 御用人〉
〈四百石内者四百石高 御役料百俵〉 〈壽光院様 御用人〉
七百俵御役料 〈駿府〉御定番
千俵宛御役料 〈高井飛驒守土岐信濃守〉
〈五百石内者五百石高 御役料只今之通千石内者三百俵〉 御小性
但部屋住者、只今迄之通御切米御役料可下候、次男ニ而も同斷、
〈五百石内者五百石高 右同斷〉 御小納戸
〈五百石内者五百石高 右同斷〉 〈西丸 御小性〉
〈五百石内者五百石高 右同斷〉 〈西丸 御小納戸〉 〈五百石内者五百石高 御役料三百俵〉 〈御廣敷 御用人〉
卯六月

〔御書附留〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 京都町奉行 大坂町奉行
千五百石ヨリ以下之者ハ、向後千五百石之高御足高被之、御役料ハ唯今迄之通リ被下候、
長崎奉行 駿府御定番 禁裏附 院附 山田奉行 堺奉行 奈良奉行 駿府町奉行
佐渡奉行 浦賀奉行
千石ヨリ以下之者ハ、向後千石之高御足高被之、御役料ハ唯今迄之通被之候、
右之通候間、可其意候、
元文三年三月

〔吹塵録〕

〈二十八/德川氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 寛政元酉年分限高
貳拾六万三千百三拾五俵餘、八百五拾五人半扶持、 御足高
拾壹兩 同

〔大概順〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 御目見以下大概順
三拾俵持扶持 〈御鷹匠同心御犬牽〉
但以下は御足高被下置、見習は御金も御扶持も被下置候、

〔寶暦集成絲綸録〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 寛延四未年九月
御勘定奉行〈江○申略〉
佐々木勘三郎支配
直井(猪御犬牽組頭)喜七
木村伴四郎 倉知(猪御犬牽)重藏〈〇以下十四人略〉
右之分、小普請ニ入、御足高取來分は上り、當年分之御足高は被之、〈○中略〉
右之通申渡候間、得其意談候、

足高渡方

〔書替所定書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 當時定法
一御加增、御足米、御足高之分ハ年中渡候、御加增御足米渡り方も、時々御證文を以渡、〈御足高ハ、享保八卯年より、御證文ニて極る、〉
一父子御足高有之父相果、家督御足高被下候時、子取來る御足高、父死後受取候ヘバ返納いたし、 家督之御足高渡り、三季共同斷、
但父存生之内、父子受取候ヘバ、不返納差引
一御足高取、御加增被下、御足高上り候節ハ、永代之事故、御足高指引無之、
一大御番組頭御足高取り、在番ニ付、夏高半分請取候以後、小普請ニ入候ヘバ、足高春夏四分一よ り渡り、過之分返納ニ成る、〈延享元子年十月伺〉

〔淺草米廩舊例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 遠國御役人取越米之事
一御當地御役人被仰付、御足高被下候節、譬バ夏御張紙之内、春夏之御借米、一紙手形ニて出候は ば、手形引分ケさせ、夏之分ハ米金ニて相渡候事、

〔寶暦集成絲綸録〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 寶暦四戌年二月
御勘定奉行〈江〉
高家衆
長崎奉行
右御足高御役料、只今迄、各裏印ニ而相渡候得共、向後直判手形ニて受取候樣申渡候間、得其意、其 段書替奉行へ可申渡候、

〔天明集成絲綸録〕

〈三十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 寶暦十一巳年八月
御勘定奉行へ
此度御役御免、寄合又ハ小普請入被仰付候面々、當巳年中、御足高之分ハ不殘被下候旨被其意、向々へ可達候、尤御勘定奉行被談候樣可致候、
右之通、御目付へ申渡候間、可其意候、

〔天明集成絲綸録〕

〈四十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 天明五巳年九月
御勘定奉行〈江〉
都而遠國御役人御足高、於其場所請取筈之處、願之上、御役中、於江戸表相渡候も有之候得共、是迄請取來候分も、以來ハ都而於江戸表相渡候儀ハ難相成候間、於其場所請取候樣可致候、

〔憲敎類典〕

〈五ノ十/御藏前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 寛政二庚戌年十一月廿七日
〈久世丹後守 久保田佐渡守〉被
諸向御切米、御足高米、御役料、御扶持方、請取手形認方振合、近來區々ニ相成、手形相止高、書替所、御藏方、御勘定所取扱方差支ニも相成候間、以來別紙案文之通、御認被成候樣存候、
書付手形案
〈朱書 程村紙ニツ切〉
但御役料も同樣
請取申冬御足高米之事
高何千俵内
米合何千俵者 但三斗五升入 外〈何千俵ハ當春何千俵ハ當夏〉爲御足高米誌取申候
右是ハ當何冬、爲御足高米請取申處實正也、仍如件、
年號月日 何(高家)之誰
伊庭惠兵衞殿
榊原小兵衞殿

〔天保集成絲綸録〕

〈八十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 文化八未年十二月
御勘定奉行〈江〉總而御役替、御番入等被仰付、御切米御足高被下候面々、十月以後被仰付候節ハ、向後半年分可下候、
右之通、向々寄々可相逹候、

〔吹塵録〕

〈三十一/德川氏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 慶應三卯年九月
〈大目付 御目付〉〈江〉
此度布衣以上御役人、御役金被下、是迄之御足高等上り、銘々持高ニ相成候ニ付而ハ、御藏御證文ハ不相渡、是迄之證文を以、本高之分相渡候筈に候間、此段爲心得、御藏米取之面々〈江〉可逹候、

〔佐渡奉行公務扱〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 一佐渡奉行被仰付御足高御役料請取方心得之事
〈文政十一子年十二月八日、元本高百俵御勘定吟味役ゟ 百俵御加增、貳百俵高ニ被成下、佐渡奉行被仰付候、〉 鈴木傳市郎
右御加增高、御足高御役料、御扶持方共、渡り方左之通.
御加增之分 當春之分ゟ丸渡
御足高之分 半年分渡
御役料は 當冬之分計渡 御扶持方 當十二月分ゟ渡ル

〔柳營沙汰書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 慶應三年四月二十九日
御同人〈○老中松平周防守康直〉御渡 兩御目付〈江〉
御抱筋之者其場所ニテ番代申付候節、場所高ヨリ元高之者ハ、場所高ヲ以番代申付、元高小高之者ハ、元高ヲ以番代申付勤候、同場所高並之通、御足高被下候筈之處、近來區々ニ付、以來ハ都テ前文通り相心得候樣可致候、
右之趣、組支配有之面々可達候事、

足米

〔柳營秘鑑〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 諸御番所〈幷〉末々迄御切米並高之大概
一御坊主組頭〈並高之上 廿俵御足米被下〉

〔憲法部類〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 享保四年十月十一日、左之御書付、上田新四郎被相觸候、
御足米御褒美願之義、只今迄ハ、勤之功無功之無差別、一統並立候樣、申出候類も有之候、左樣ニハ有之間敷義ニ候、去年も申通候通り、彌向後ハ隨分遂吟味、御足米之義ハ、格別勤之功有之もの、又ハ小給ニて、決而御奉公難取續もの、御褒美にも、別て骨折候譯、得と吟味詰候て、相願候樣可仕候、右願之義、自今此方より年々申通間敷候間、九月中可願出候、其年者十月より差出候、以上、

〔享保集成絲綸録〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 享保九辰年七月
此度御吟味之上、續兼候小給之者共ニ、御增高被下候間、自今支配之内ゟ、格別之儀も無之候はヾ、御足米願申出間敷候、
右之趣、向々〈江〉可逹候、
五拾俵高 紅葉山附坊主 持扶持之儘〈但御役料有之分ハ只今迄之通〉
御役扶持貳(高之多少無構)拾人扶持 御鐵炮玉薬奉行
御役扶持拾(高之多少無構)人扶持 御鐵炮御簞笥奉行
同斷 御弓矢鑓奉行
同斷 御具足奉行
百俵高 御天守番
持扶持之儘
百俵高 〈富士見御賓藏〉番
同斷 〈御本丸二丸御女中樣方〉添番
八拾俵高 奥火之番
持扶持之儘
五拾俵高 進物取次上番
持扶持之儘
三拾俵高 〈御本丸二丸御女中樣方〉御廣敷伊賀之者
貳人扶持
二百俵高 御留守居與力
御役扶持七人扶持 漆奉行
百五拾俵高 御勘定
〈但取來候御扶持方共、部屋住之者ハ只今迄之通、〉
百俵高 支配勘定 持扶持之儘
御役扶持七(高之多少無構)人扶持 御疊奉行
百俵高 御作事方下奉行
持扶持之儘〈但御役扶持ハ只今迄之通〉
二拾俵高 改役下(小普請方)役組頭
貳人扶持〈但役扶持ハ只今之通〉
六拾俵高 西丸火之番
持扶持之儘
四拾俵高 西丸御坊主組頭
持扶持之儘
百五拾俵高 御留守居番與力
但取來候御扶持方共ニ
同斷 表火之番組頭
同斷
百俵高 御掃除之者頭
持扶持之儘
八拾俵高 御徒押
持扶持之儘
八拾俵高 御提灯奉行
持扶持之儘 七拾俵高 表火之番
持扶持之儘
八拾俵高 御小人頭
持扶持之儘
六拾俵高 御駕籠之者頭
持扶持之儘
百五拾俵高 西丸御裏門番與力
但取來候御扶持方共
七拾俵高 西丸御門添
持扶持之儘
六拾俵高 二丸火之番
持扶持之儘
七拾俵高 御侍(一位樣)
持扶持之儘
二百俵高 御用達(月光院様)
七拾俵高 御侍(御同所)
持扶持之儘
同斷 御侍(瑞春院樣)
同斷 御侍(養仙院樣)
同斷 御臺所(御同所)組頭 四拾俵高 平御臺所人
持扶持之儘
貳百俵高 御用逹(法心院殿)
取來候御扶持方共
七拾俵高 侍(御同所)
持扶持之儘
同斷 侍(蓮淨院樣)
七拾俵高 御賄組頭
五人扶持
四拾俵高 勘定役(御賄方)
持扶持之儘
同斷 御(同)膳御酒役
二拾俵高 御召御馬口附之者
壹人半扶持
五拾俵高 御膳所御臺所人
持扶持之儘
七拾俵高 〈一位樣 淨圓院樣 竹姫君樣〉御臺所組頭
持扶持之儘
四拾俵高 御臺所人(御女中樣方)
持扶持之儘 同斷 表御臺所人
役扶持三人扶持 小間遣頭
同斷 御掃除之(御休足御庭)者組頭
四拾俵高 二丸御坊主組頭
持扶持之儘
二百俵高 奧御祐筆
村松太郎兵衞 稻垣運平
御役扶持拾五人扶持ヅヽ
田中主膳 加藤傳右衞門
八拾俵高 御鳥見
持扶持之儘、野扶持五人扶持取來通、
〈但見習之者ハ只今迄之通〉
百俵高 幸田春知
持扶持之儘
右之通、御增高被下候間、向々〈江〉可相談候、以上、

足扶持

〔寶暦集成絲綸録〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 賓暦三酉年三月
御勘定奉行〈江〉
關根(御留守居河野豐後守同心)文平〈○以下三人略〉
右之者共、大坂御米藏番人ニ申付候、鈴木伊左衞門儀ハ、勤候内二人扶持之積、御足扶持被下候、尤並高現米七石二人扶持ニ候間、得其意御留守居へ可談候、

〔譜代家督留〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 丑〈○天保十二年〉四月三日、備後守殿、〈○老中太田資始〉林阿彌ヲ以御渡、〈○以上朱書〉
町奉行〈江〉 三拾俵貳人扶持 永島(筒井紀伊守同心)金十郎跡
内〈御足高拾五俵御足扶持半扶持〉
貳一拾俵貳人扶持 〈同人組同心〉 金右(實子總領)衞門右金十郎、元來御切米御扶持方實子金右衞門被下、尤父取來御足高御足扶持〈茂〉勤候内被之、 但金右衞門取來御切米御扶持方ハ上ル

〔譜代家督留〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468
權平實子(町奉行遠山左衞門尉組同心)總領
一元高拾五俵〈町奉行遠山左衞門尉組同心被成、元同所同人組同心無足見習、〉 渡部錠助
壹人半扶持
外〈御足高拾五俵御足扶持(○○○○)半、扶持〉
都合三拾俵貳人扶持之高被
右父相果、家督書面之御切米御扶持方被下候間、引付直之、向後如父時、以判形手形相渡候、但權平勤候内、御足高拾五俵御足扶持半扶持被下候處、錠助儀、如父時相勤候ニ付、直ニ御足高御足扶持勤候内被下候問、被其意、家督御切米御足高共、來申春之分より、御足扶持者當十二月分より可相渡候、尤御扶持方渡り候月を考、無相違樣可之候事、
弘化四未年十二月

足扶持渡方

〔書替所定書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 當時定法
一御足扶持ハ、被仰付候月より渡す、〈享保八卯年より、御證文ニて極る、〉
一御足扶持取來る者相果、家督被下、如父時相勤候ニ付、子ニ御足扶持被下候節、御足扶持ハ家督 被仰付候月より渡候、 一父御足扶持取候て相果、家督被下、御足扶持上り候節、父之不受取月より、子ニ元扶持被下候、 但御足扶持父死後ニ請取候ヘバ返納ニ成る、
一御足扶持取來候もの、役替ニて御足高被下、御足扶持上り候時ハ、受取之御足扶持之分、御足高 ニて引落しに成る、〈享保十九子年、御證文ニて極、〉

加扶持

〔寶暦集成絲綸録〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 寛延三午年十二月
御勘定奉行
澀川圓書
右暦補之御用相勤候内、如父時加扶持七人扶持被下候聞、被其意相渡候、

〔寶暦集成絲綸録〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 寶暦八寅年六月
御勘定奉行〈江〉
谷口(石川玄蕃組)安右衞門〈○以下三人略〉
右淺草本所御藏見廻り假役可相勤旨可申渡候、勤候内爲加扶持五人扶持被下候間、其段も可申渡候、尤御勘定奉行へ可談候、
右之通申渡候間、御徒頭可談候

〔天保集成絲綸録〕

〈八十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 寛政四子年五月
御勘定奉行〈江〉
八王寺千人同心組頭、持添抱相止候ニ付、以來日光火之番在勤中半組半組頭五人へ、別段加扶持二人扶持ヅヽ被下候間、〈○中略〉可其意候、

雜載

〔憲敎類典〕

〈二ノ五/御役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 總而宜方ニ而御役替被仰付、場所ニより高低之處〈江〉參候義有之節は、吟味之上相伺、取來候高〈幷〉御扶持方等、勤候内可下候事、 右之通、以有馬兵庫頭仰付候、
享保十六辛亥年三月 本多伊豫守

〔勘契備忘記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 享保十八丑年、右衞門督殿〈○德川宗武〉附、徒以下切米扶持方御書付、
現米五千石
右之通被遣候間、自今徒以下宛行、於其許被下候樣可致候、此已後被召抱候者有之節者、御賄料之内ニ而御抱可致候、右五千石之内、御人出入ニ付、初米ニ若餘り候樣成儀候ハヾ、御賄料同斷侯間、可其意候、以上、
丑十月


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:58 (386d)