http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0455 前帝、皇位ヨ讓リ給フヲ讓位ト云ヒ、新帝、之ヲ受ケ給フヲ受禪ト云フ、サレバ讓位ノ式ハ、即チ受禪ノ式ニシテ、前帝ニ就テ言フト、新帝ニ就テ言フトノ異アルノミ、此式ハ、清和天皇ノ貞觀年中ニ至リテ大ニ整頓シ、當日紫宸殿ニ於テ、先ヅ節會ノ儀ヲ行ヒ、次ニ劍璽渡御ノ儀アリ、若シ御父子ニアラズシテ禪讓ノ時ハ、新帝上表ノ禮アリ、〈上表トハ、表ヲ上リ位ヲ辭シ給フヲ謂フ、幼帝ノ時ハ、此禮ナシ、〉然レドモ一二ノ異例ナキニアラズ、後冷泉天皇ト後朱雀天皇トハ、御父子ニシテ此儀アリ、土御門天皇ト順徳天皇トハ、御兄弟ニシテ此禮ナカリシガ如キ是ナリ、又讓位式ヲ行フ時ハ、兼日或ハ當日ニ必ズ警固固關ノ儀アリ、式終テ後數日ニシテ開關解陣アルヲ例トス、」神武天皇以降二十五代ノ間ハ、讓位ノコトナシ、繼體天皇、寳祚ヲ安閑天皇ニ傳ヘ給ヒテ、即日登遐アリ、之ヲ讓位ノ始メトス、其後九代ヲ間テヽ、皇極天皇、位ヲ孝徳天皇ニ讓リ、持統天皇、亦位ヲ文武天皇ニ讓リタマヒシヨリ、歴朝毎ニ讓位受禪アリテ、後ニハ殆ド恒例ノ如クナルニ至レリ、而シテ讓位ノ事情一様ナラズ、光仁、淳和、醍醐、一條等ノ天皇ハ、疾病ヲ以テシ、三條、後堀河、龜山等ノ天皇ハ、災異ヲ以テシ、元明、光仁、正親町等ノ天皇ハ、衰老ヲ以テシ、繼體、後醍醐等ノ天皇ハ、臨終ヲ以テシ給ヘリ、而シテ崩後ナホ如在ノ儀ヲ以テ讓位シ給ヒシヲ、後一條天皇、後冷泉天皇トス、其他、事ニ便セントシテ讓位シ給ヒシアリ、孝謙天皇ノ其皇太 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0456 后ニ孝養ヲ盡サンタメニシ、順徳天皇ノ兵ヲ擧ゲン爲ニシタマヒシガ如キ是ナリ、父祖ノ御意ヨリ出デ已ムヲ得ズシテ讓位シ給ヒシアリ、崇徳天皇ノ、御父鳥羽上皇ノ聖旨ニ隨ヒ、六條天皇ノ、御祖父後白河上皇ノ命ニ隨ヒタマヒシガ如キ是ナリ、又權臣ノ意ニ出デタルアリ、三條、後宇多、花園、後西院等ノ天皇ノ如キ是ナリ、權臣ノ意ニ出デタルモ亦已ムヲ得ザルモノニシテ、其聖意ニアラザルハ一ナリ、
凡皇位ハ、皇子ノ皇太子、之ヲ繼承シ給フヲ例トスレドモ、然ラザルモ亦多シ、嵯峨、淳和、村上、圓融、近衞、順徳、龜山等ノ天皇ハ、皇太弟ニテ受禪シ、文武、後陽成等ノ天皇ハ、皇孫ニテ受禪シ、聖武、仁明、花山、崇光、後桃園等ノ天皇ハ、皇姪ニテ受禪シ、後一條天皇ハ從姪ニテ受禪シタマヘリ、其他從兄弟ニシテ受禪アリシハ、一條、三條、伏見等ノ天皇ニシテ、再從兄弟ニシテ受禪アリシハ、後二條、後醍醐等ノ天皇ナリ、殊ニ高倉天皇ノ、叔父ヲ以テ受禪シ、淳仁天皇ノ、族叔祖父ヲ以テ受禪シ、元正、孝謙、明正等ノ天皇ノ、皇女ヲ以テ受禪シタマヒシガ如キハ、共ニ異例ナリトス、又皇太弟、皇姪、從兄弟、皇女等ニシテ、受禪ノ後、更ニ前帝ノ皇子ヲ以テ皇太子トシ給ヒシアリ、各其條下ニ詳ニセリ、就テ看ルベシ、
又天皇ノ、皇位ヲ繼承シ給フニハ、嚮ニ皇太子ニ立チテ然ル後受禪シ給フヲ例トシ、殊ニ親王宣下ト云フコト始マリシ後ハ、先ヅ親王ノ宣下ヲ蒙リ、更ニ皇太子トナリ、然ル後受禪シ給フヲ例トス、サレド是マタ種々ノ事情ニヨリテ悉ク然ルコト能ハズ、即チ堀河、崇徳、二條、後光嚴、後圓融、明正等ノ天皇ハ、立太子ノ日受禪シ、六條天皇ハ、立親王、立太子、受禪共ニ同日ニシテ、土御門、後小松等ノ天皇ハ、親王宣下ナクシテ、立太子ノ日受禪アリ、其中ニテ元正、稱光、後土御門、後陽成等ノ天皇ハ、親王タルノミニシテ立太子ノ儀ナク、直ニ受禪シタマヒシガ如キハ殊ニ異例ナリトス、

名稱

〔名目抄〕

〈臨時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 讓位(ジヨウ井)〈又遜位、有節會、〉

〔儀式〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 讓國

〔うつぼ物語〕

〈嵯峨の院〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 御くにゆづり(○○○○○○)の事、この月になりぬるを、の給やうは、おなじ日春宮もさだめさせむとなんあめる、

〔つれ〴〵草〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 みくにゆづりの節會

〔名目抄〕

〈臨時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 受禪(ジユゼン)〈無別儀、有讓位者則有此稱矣、〉

〔代始和抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 御讓位事
受禪と讓位とは、新舊の兩主にわたれる名なり、脱屣(○○)といふは、くつをぬぐといふ心なり、昔虞舜といふ聖人の、天位をむさぼる心のましまさヾるに依て、位をさる事をば蔽れたる屣をぬぐがごとく思給へり、やぶれたるくつをぬぎすつる事、露ばかりも惜き心なきにたとふる也、これは舊主につきたる詞也、

〔孟子〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 桃應問曰、舜爲天子、皐陶爲士、瞽瞍殺人、則如之何、孟子曰、執之而已矣、然則舜不禁歟、曰、夫舜惡得而禁之、夫有之也、然則舜如之何、曰、舜視天下、猶(○)棄(○)敝蹝(○○)也(○)、竊負而逃、遵海濱而處、終身訢然樂而忘天下

日時定

〔法性寺關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 保安四年正月廿八日壬午、此日天皇〈◯鳥羽〉有位第一親王〈◯崇徳〉事、雅兼奉仰召陰陽頭賀茂、光平朝臣、令讓位日時、則持來直廬、余披見之、今月廿八日壬午時云云、〈書様如尋常日時也〉返給仰奏聞可上卿之由、〈◯節略〉

〔寛元御讓位記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0457 寛元四年正月廿二日壬子、巳刻參内、御讓位事可議定云云、〈◯中略〉博陸以頭辨顯朝朝臣日次、〈陰陽頭在明朝臣、候藏人所、此日次事、密々前右府問在盛朝臣上之、然而今任度々例之也、〉歸參申云、來廿七日丁巳、廿八日戊午、廿九日己未、爲吉日者、此由先可奏歟、而各可定申之由殿下被之、〈于時主上御于臺盤所〉予申云、廿七八

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 九三ケ日吉日之由、陰陽寮撰申之上者、雖何日、不難、任建久佳例、正月可此儀、其上或午日、或廿八九日之例、強不沙汰歟、廿七日重日、雖例不庶幾、廿八九兩日之間可勅定者、人々次第定申之、大略同趣也、土槐任保安例廿八日之由被之、此日次事、日來如風聞者、十九日己酉叶建久例、尤可用之處、春日行幸以後、日數不幾、廿八九日之間可然云々、於叡慮者、正月廿八日、保安同日爲禪讓之君、已爲佳例用云々、而爲受禪之君不快也、可之歟、可廿九日之由、前右府計申之事一決也、於支干者、戊午己未共無例也、還神妙可保安同日者、長和同日正月廿九日也、又強不庶幾事歟如何、

〔良賢入道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 永徳二年四月十一日庚寅、今日天皇讓位于皇子
 擇申御讓位日時
  今月十一日庚寅  時亥
 永徳二年四月十一日       陰陽助、陰陽頭、權天文博士、〈◯節略〉

〔永徳假名次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 御讓位次第
當日、奉行職事陰陽師を藏人所にめして、御讓位の日時を勘て奏聞、奉行職事日時勘文を大臣に下す、上卿これをかたぬ、職事仰曰、勘申によれ、次大臣、外記をめして日時の勘文を下す、〈◯節略〉

〔寛永記〕

〈乙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 御讓位散状
擇申御讓位日時
  十月三日 甲子 時巳     同 五日 丙寅 時巳
 寛永廿年九月九日          從五位下賀茂朝臣友種
                   陰陽頭賀茂朝臣 友景

警固固關

〔儀式〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0458 讓國儀

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 前三日、遣諸關使、〈造勅符官符木契、及緘封等別有其儀、〉

〔北山抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 讓位事
前一兩日、有警固固關事、〈式云、前三日行之、〉具在別記

〔柱史抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0459 天皇讓位事
當日、内記參内、尋見木契三關使交名、黄紙、紙屋紙、書杖等、刻限内辨着仗座、職事仰勅符宣命事於内辨、内辨召内記其趣、内記奉仰進勅符、即書草一枚、〈紙屋紙〉入筥進之、歴内覽、内記令歸參、内辨起座、於弓場殿之、歸座仰清書、〈不畫、令并儀式如此、但年中行事、清凉記有之、〉清書畢入筥奏之、仰云、進木契〈禮、〉内記退把木契筥、納木契三枚、裹小刀及石之、〈寛徳、親範爲大内記、破木契之間切手、殊可用意之由先達誡之、〉進膝突内辨前、少内記以御硯相隨共置之、内辨書木契銘、先伊勢、〈賜—國〉次近江、次美濃、〈以右爲上、如元入筥、〉書畢、以件筥給内記前〈天〉仰云、破〈禮、〉内記取筥置膝突右、次第破之、〈於筥内之〉總六片、如元相合奉内辨、内辨立小庭、次召外記、外記挿官符於杖參進、内辨就弓場、令藏人奏覽之後、歸着仗座、内記外記共退入、掃部寮小庭敷座、〈東西對座〉軒廊立案、内辨仰内豎諸司、少納言參候膝突、仰云、印、少納言率中務輔主鈴二人、入日華門庭中西座、内記入敷政門同東座、主鈴取印盤案上、内辨召近衞司將監、稱唯參候小庭、内辨仰云、印、次少納言令時刻、内辨召内記、内記微音稱唯參、内辨以勅符筥之、留木契仰云、注〈セ〉〈書年月日事也〉内記奉仰、勅符日下各注時進内辨、内辨以勅符官符等、入、召少納言之、少納言就案、中務輔進就案開勅符、少納言捺印畢、少納言中務輔復座、主鈴進就案、踏官符了復座、少納言如元獻之、内辨留官符、以勅符筥内記、覆奏如元、内辨歸座、召少納言符筥、少納言傳主鈴封、又召内記木契筥、〈右片也、直給之、〉内記等又以紙一枚、各卷裹木契、右片捻、上下以紙捻之、紙面書銘〈如木契銘〉如元並入、又殘左片三枚、取重裹一紙、結上下銘、加入同筥左、又主鈴裹勅符體、各以勅符函、以糸緘函上中下三所、其上以紙裹之、煎消松脂燒付、内記書銘畢、主鈴以薫革各裹其上、以糸結之、以松脂付三函畢、少内記付短册訖、以函并入、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 召渡少納言、少納言取之置内辨前、内記又奉木契、内辨取木契左片裹紙、書封入筥、召少納言之、令印辛櫃、少納言取出鈴三具、立日華門外、内記等退出、掃部參入、撤案并疊等、内辨召内豎、内豎參内、辨宣、左右馬寮召セ、内辨宣、固關使〈爾〉御馬給ヘ、馬允等各退出、又令使等、各給勅符木契等、少納言於日華門外、持官符鈴等、召内舍人等之、内辨召内記、返給勅符筥并筥硯等、次内辨召左右馬兵庫寮使等、仰警固之由、又召諸衞警固之由、次内辨召内記宣命草、次清書奏、〈挿杖〉諸卿着外辨座、内辨着靴、近衞陣闈司分居、内記挿宣命於杖參、〈入宣仁門、在軒廊壇、〉内辨召取宣命、内記把空杖退、内侍臨檻、内辨謝座、昇開門、内辨喚舍人、少納言稱唯、刀禰召セ、少納言出、外辨參、〈東上北面〉大臣召宣命使、中納言作法如例、次内侍給御劒璽、出夜大殿近衞司等、大臣諸卿參新帝、一如行幸儀

〔代始和抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0460 御讓位事
御國ゆづりは、天下の重事、世の替りめたるによりて、非常をいましめんために、警固固關といふ事をまづ最前に行はるヽ也、警固といふは、或は兼日、或は當日に、上卿陣に着て、六府の將佐をめして、司々かためまもりまつれと仰すれば、將佐稱唯してしりぞく、是を警固となづくる也、警固は讓位にかぎらず、毎年の賀茂祭以下ことある時行はるヽ事也、固關といふは、關々をかたむる事なり、むかしは奧州の蝦夷、やヽもすれば都に亂入せんとせし事のありしによりて、その用心のため、東山東海の關をかためしむるなり、今は伊勢の鈴鹿の關、近江の逢坂の關、美濃の不破の關を專らまもらしむるなり、其儀は、大臣陣につき、内記を召て勅符つくるべきよし仰す、又辨をめして官符つくるべきよしをおほす、勅符といふは、三ケ國の國司のかたへ關々をかたむべきよし仰下さるヽ文なり、御畫ある例もあり、又なき例も有なり、御畫とは、内記が月日の間に闕字をしたる所に、宸筆にて日づけをあそばし入らるヽ事なり、官符といふは、是も三ケ國の國司のかたへつかはさるヽそへ文なり、勅符にも官符にもおの〳〵請印の事あり、これに又木契とて、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 内記におほせて、木にて割符をつくりて、上卿その國に給ふといふ四字を書て内記に給へば、内記刀と石とを隨身して、二つにわりて、取合せて上卿に奉るなり、上卿さらに奏聞し、請印等の事終りて、勅符をば少納言主鈴に仰て、木の函に入て絲を以てゆひからめ、松脂にて堅く封ずるなり、木契をば内記紙にてつヽみて、おの〳〵その國の名をしるす也、内記又筥の銘を書て、革の囊に入て某國にたまふ、勅符のよし短册を付るなり、木契の左の方をば國司の方へつかはす、右の方をば少納言にたまひて、鈴の唐櫃におさめしむ、是は固關の時に使にたまひて、其うたがひをやめんため也、固關の使には五位の人を用ふ、則左右の馬寮に仰て御馬をたまふ、上卿其使をめして、勅符木契を給ひて、その國にまかりてその關を守るべきよしを仰す、是に又内舍人一人をおの〳〵そへて、官符と驛の鈴二口とを給ふなり、

〔三代實録〕

〈二十九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 貞觀十八年十一月廿八日辛丑、天意有讓位、故出居外宮、遣使守内外要害之處、以戒不慮、從四位上行右京大夫兼美濃守源朝臣覺、散位從四位下紀朝臣有常、監護左右馬寮、大藏大輔從五位上橘朝臣信蔭、監護左右兵庫寮、從五位上守民部大輔藤原朝臣保則、内舍人一人、警固近江關、散位從五位上藤原朝臣有年、内舍人一人、警固伊勢關、前遠江守從五位下清原眞人惟岳、内舍人一人、警固美濃關、各賚勅符木契、一時馳赴、

〔日本紀略〕

〈二朱雀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 天慶九年四月十九日己卯、於宜陽殿三關并警固事、依明日可一レ天皇御讓位也、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0461 長和五年正月廿五日庚午、右大臣著陣行固關事、大納言公任卿云、大臣頻被官符、于今不進覽、上官云、勅符清書後先例召官符、而依早召進、余答云、上卿強召不惜歟、小時外記文任、挾官符於書杖之、大臣取見畢返給、召大内記義忠朝臣勅符草左府、〈先被件草了、相次經奏覽返賜、後又令清書、木契官符等相加可奏、次第錯亂、〉内記歸來傳申左府命、即仰清書之由、令内記清書勅符〈書黄紙三通、賜三箇國、〉奉之大臣、見畢返給、仰外記可官符之由、大臣進御所奏畢復座、大臣取官符入勅符筥、仰令内豎、内豎參入、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0462 而被追却、庶政參入忽以追却、未其情、此次可木契、已無其事、召近衞府二音、〈木契作法了可召、而早召大失也、〉良久之左將監武文、稱唯參進跪陣前、大臣宣下云、稱唯退出、大臣召内豎二音、不稱唯參來居陣庭、宣所司召〈セト〉、不稱唯退出、〈今夜内豎總不稱唯、違式也、〉少納言庶政、中務少輔惟光、主鈴等着座、庶政著膝突勅符官符案、〈納以筥、件事等木契後也、毎事不便也、可不覺、〉大臣不印事於少納言、仍不印、少納言中務等相竝立案下所作、諸卿云、近衞府主鈴可印歟、餘答云、無少納言、不印歟、大納言公任卿云、尤然事也、仍大臣仰少納言庶政印、主鈴近衞府相率出印、主鈴就案置印、少納言欲勅符、卿相云、未時、不捺者、仍捺印訖、大臣宣問時、少納言等申云、戌ノ四刻者、大臣召内記云、記〈セ、〉稱唯復座注時刻了、奉勅符、大臣仰云、特詣左府覽也、諸卿傾奇云、以草内覽了、至清書覽只可奏也、大臣仰木契事、内記二人持木契筥并硯筥等、大臣執筆書木契上賜某國〈木契三賜三關〉大内記給之居地上、以小刀券石等木契、返入硯筥之、大臣木契勅符等加入一筥、令内記御所奏、復座了便給木契于内記、次召少納言勅符、令主鈴封一レ之、以絲緘之、以松脂之、内記二人書函題書、革囊短籍如式、著短册了、少納言進之、次大臣召内豎宣、召固關使、〈セキ固留使召セ〉次三關使三人列立陣庭、大臣宣將來、〈萬宇古〉稱唯次第著膝突木契、召馬寮左右宣云、固關使〈セキ固ル使仁〉給御馬〈ヘ、〉同音稱唯退出、召内豎宣、所々固御使召〈セ、〉次左右馬寮、兵庫寮、警固使大夫三人參列、宣云、左馬寮固衞奉〈レ、〉次右馬、次兵庫頭、〈先例不膝突、參進一度仰之而巳、〉次召内豎宣、六衞府召〈セ、〉六衞府將佐參列、大臣問誰ソ、次第稱唯官姓名、宣云、依御讓位事常固衞奉〈レ、〉〈依御讓位事常之辭可尋、大納言公任卿云、此詞不然歟、〉大臣以木契右片少納言下給、主鈴相共收鈴櫃、〈依御讓位於御所、〉今日大臣披見懷中草了、無御讓位固關之時木契右片、令内記一紙、上卿加封、賜少納言鈴櫃、而今日大臣不前例、不封下給也、但内記雖仰以紙裹之云云、今日作法前後倒錯、卿相出壁後嘲哢、子二刻事了退出、 廿七日壬申、資平云、昨日左相國云、右府行固關事之間、失誤多端云云、一條院御讓位之固關事、右府行之、依事忌、頗示氣色、不其由、強以行之、依多失儀諸卿咲、至愚之又至

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 愚也者、 廿九日甲戌、今日有讓國之事、 二月八日癸未、今日解陣開關事、大納言公任卿行之、一兩事有問送之、 十九日甲午、資平云、今日中納言俊賢開關覆奏也、木契事、攝政被問、資平申云、或被御所、或返給、仍返給了、件事先日余示之、延長九年、三箇國度々返木契、一度被御所、二度被返給、以返給之、可善歟、大納言公任卿今朝消息云、三箇國開關覆奏事可給也、初給開關事、今日可候三箇國使之由、一昨日仰外記、今日欲參給、或告不吉夢、仍不參入之如何者、余答云、外記申、當日上可給也、報云、至返事、當日上可給、於覆奏開關之上猶可給歟者、余指夾算、奉延長九年外記日記、改年准當日上之、非同日隨返上木契、申當日上卿執奏而已、仍大納言見件記當日上之由仰遣外記、又内々示遣源中納言許、仍所行歟、〈◯節略〉

〔宮槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 承元四年十一月廿五日己酉、今日御讓位也、〈皇太弟、(順徳)舊主、(土御門)〉左大臣行固關宣命等事、先行警固事云々、抑警固固關前後不定、近建久先固關〈花山左府催之〉也、此事如式文者、前三箇日或一日行之云々、固關警固爲同時歟、於其内又有前後歟、當日被行之條又流例也、於其儀前後不定也、多者以固關前歟、可勘決一レ之、木契勅符官符等間事、後日可尋記、〈◯節略〉

〔永徳假名次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0463 御讓位次第
當日刻限、大臣以下陣座に着す、職事、警固固關行べきよしこれを仰す、應徳三年の例によるべきよし同これを仰す、
次警固の事を行ふ、
 固關警固、前後不同なりといへども、今度寛元〈◯後嵯峨〉の例にまかせて、先警固を行なはるべし、
先官人をもて、外記をめして仰曰、内豎めせ、
内豎小庭に參す、大臣仰曰、諸衞めせ、諸衞將以下陣小庭に列立、府の次第によりて列立、大臣仰曰、かたくまほりたてまつれ、諸衞同音いせうして退、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0464 次上卿座を起て、宣仁門代をいでヽ纓をまき緌をかけて、平胡籙を帶して、陣の座にかへり着す、次固關の事を行なふ、大臣官人をもて、大内記をめす、内記參す、大臣仰曰、御讓位あるべし、固關勅符草をすべきよし仰す、次辨を召て、固關の官符をつくるべきよし仰す、次六位外記内舍人の着文を覽す、大臣見て返給ふ、奏聞せず、
次内記勅符の草を進ず、
上卿座ながら職事につけて奏聞、返給ふ、上卿内記をめして、清書すべきよし仰す、
次内記勅符清書を進ず、
上卿これを見て、座の前におく、
次木契并硯をたてまつるべきよしを内記に仰す、次内記木契硯を持參して、上卿のまへにおきて軾に候す、
勅符左方、木契中、硯右、
次上卿硯を引寄て墨をすり、筆をそめて、木契をとりて、木契のうへに銘をかく、
伊勢國 賜近江國 賜美濃國
事畢て筥に入て内記に給ふ、内記之を割く、
内記刀拳石をとりいだして、これをわりて、もとのごとくおし合て上卿に進す、
上卿勅符三通を、木契筥に加入て内記に給ふ、内記小庭にたつ、次外記官符を覽す、文杖なり、上卿これをみて小庭にたヽしむ、次上卿弓場に就て、職事二人〈式六位例あり、〉をもて、勅符木契官符等を奏す、
内記外記相從ふ、御覽畢て返給ふ、勅符御畫あり、〈日をあそばすなり〉
次上卿陣の座に還着す、
内記外記、勅符官符をたてまつりて退下、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0465 次上卿、外記をめして座を敷べきよし仰す、
外記、掃部寮に仰て小庭に敷しむ、
次上卿官人をもて内豎をめす、
内豎小庭に候す、
上卿仰曰、少納言召せ、次少納言一人、中務輔一人、内記二人、〈一人持硯〉主鈴二人、印をもつて着座、
次上卿めして曰、近衞司、將監小庭に候す、
上卿仰曰、印、將監退く、
上卿、少納言をめして、仰いはく、印、次少納言主鈴印をいだす、次少納言案下につく、
主鈴印板を案の上におきて、將監の傍にたつ、
次上卿少納言召て、仰曰、時とへ、
少納言内豎に問て、時を申す、
次内記を召て、勅符を給て、仰曰、しるせ、
内記時をしるしてこれを返す、
次少納言をめして、勅符官符を給て請印せしむ、
次少納言官符を上卿に返たてまつる、上卿官符を少納言に返給ふ、
官符は覆奏せず
次職事をめして、勅符を奏す、
木契をば座にとヾめてこれを奏せず、職事返給ふ、
次少納言めして勅符を給ふ、次内記をめして木契右かた〴〵三枚を給ふ、内記一紙に裹て封じて上卿にたてまつる、上卿名の上字を書て、しばらく座の前におく、次内記めして、木契左方を三

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 片を給ふ、内記つヽみわけて三とす、其中色々國の名をかく、此間少納言主鈴をして勅符を封ぜしむ、〈内記三につヽむ、木契入加べし、或革袋に入加云々〉内記凾上銘をかく、内記一人短册を書て革袋につく、次少納言勅符木契なかにあり、
上卿にたてまつる、そのついでに上卿片名かきたる木契を少納言に給ふ、少納言退く、中務輔内記等退、
次内豎をめす、
内豎參す、仰曰、左右馬寮召せ、
次左右馬允各一人小庭に候す、上卿仰曰、固關使等に御馬給へ、馬允退く、次内豎めして仰曰、使ニ候ハシムル大夫等召せ、次使五位三人小庭に列立、次上卿仰曰、參來、目なり、
第一者軾に參す、
上卿革袋一を給て仰いはく、伊勢國に罷りて鈴鹿の關かたくまほれ、次近江使をめして仰いはく、近江國に罷て逢阪の關かたくまほれ、次美濃使をめして仰いはく、美濃國に罷て不破の關かたくまほれ、使等退出、次官人以て内豎をめして仰いはく、左右馬の司、兵庫の司等召せ、
使三人小庭に列立
次仰いはく、左右の馬の寮、兵庫寮にまかりて固衞れ、使等退出、次内記をめして硯筥を返給ふ、以上警固固關儀かくのごとし、〈◯節略〉

〔寛永記〕

〈乙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0466 御讓位散状
勅符 應警備事 使散位正五位下大石正弘、内舍人正六位上和氣朝臣長次、 右今日避位傳皇太子、當此際會、疑警物聽、仍爲警固、彼國〈◯伊勢〉差件人等、賚木契發遣、國宜承知、依例施行、勅到奉行、
寛永廿年十月三日、〈◯此ノ下、近江美濃兩國ニ與フル勅符、及ビ三國司ニ與フル太政官符アレドモ、略同文ナルヲ以テ略ス、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 御讓位警固固關可用意物條々、木契三枚用檜木、長三寸、方一寸、凾三合、以上木工寮以檜木作渡、内記松脂〈左衞門府進之〉建久、主殿寮進之、柳筥、〈内匠寮進之〉燻革二枚〈内藏寮進之〉生糸、〈同上〉以上主鈴作、請奏令藏人奏之、建久記、官催之、
御馬十二疋、〈左右馬寮各六匹奉之〉仁安記、外記否入云々、寛徳治承建久長兼記、外記催歟、
木契事、封左片也、裹分爲之、以紙一枚〈推帖于二枚、〉卷裹之、捻上下紙捻之、其中央書國名、賜近江國之類也、
勅符、以糸結之、以燻革之、以松脂之、

〔禁裏政要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0467 御讓位次第〈警固固關之義、◯中略〉
刻限大臣以下參着仗座
次令官人敷一レ
次職事下日時勘文於大臣、即仰警固固關之由
次大臣召外記給日時勘文、此次問諸司具否
次大臣行警固事、以内豎諸衞之、
次行固關事
内記勅符、召辨令官符
次外記覽内舍人差文
大臣見了返給〈不奏聞
次内記進勅符草
〈先内覽、次奏聞、〉
次進勅符清書〈黄紙、三國各一枚、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0468 次仰内記木契并硯
次大臣書木契銘
次大内記割木契
次給勅符木契於内記
次外記覽官符
次大臣進弓場、奏木契勅符官符等、御覽了返給之、〈勅符有御書
大臣還仗座
次召外記座立一レ
次以内豎少納言
次諸司着座〈少納言、中務、内記、主鈴、〉
次大臣令出仰
次問
次賜勅符於内記
次賜勅符官符請印
次少納言進勅符官符於大臣
次大臣給官符少納言
次大臣召内記、給勅符内覽
次大臣進弓場奏聞、御覽了返給
次給勅符於少納言
次令内記封木契〈右片〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 此間仰少納言勅符
次進勅符木契於大臣、此次令印并木契
次諸司退下
次撤雜具
次以内豎左右馬寮、令御馬於固關使
次召三關使勅符木契、仰衞關之由
此間少納言於月華門代内舍人、給官符驛鈴
次召三寮使、仰固衞之由
次大臣令

讓位式

〔儀式〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0469 讓國儀
天皇預去本宮、百官從遷於御在所、〈◯中略〉當日平旦太政官召式部省、仰會刀禰之状、大臣召内記、令讓位宣命、訖先以草案、就内侍奉覽、〈若有損益、據勅處分筆、〉返賜、大臣復本所、令黄紙、挿於書状祗候、式部置親王以下行立版、中務置宣命版於尋常版北、諸衞服中儀、主殿寮御輿候便所、式部計引百官人於南門外、〈參議以上候門内〉皇帝御南、内侍臨檻喚大臣、大臣稱唯、執宣命文、及定宣命參議已上、付内侍之奉覽、大臣立候階下、皇太子出坊、入就殿上座、次大臣亦升就座、左右近衞將曹各一人、率近衞各二人南門、大臣喚舍人、及親王已下參入等儀如常、〈親王以下五位以上列門内、六位以下列門外、〉立定、大臣喚宣命大夫、授宣命文、受之下殿、蹔立便所、〈得大臣下殿就庭中列〉大臣下同階庭中列、爰宣命大夫進就版、皇太子起座而立、宣命大夫宣制曰、明神〈止〉大八洲國所知天皇〈我〉御命〈良萬等〉詔賜大命〈乎〉親王等王等臣等百官〈乃〉人等天下公民衆聞食〈止〉宣、親王已下稱唯再拜云々、〈臨時宣命無定詞〉大臣以下稱唯、舞訖宣命大夫還就本列、次親王已下退出、次中務丞參入、取版退出、近衞閉門、訖今帝下南階、去階一許丈拜舞、訖歩行歸列、内

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 侍持節劒追從、所司供奉御輿、皇帝辭而不駕、衞陣警蹕、少納言一人率大舍人等、持傳國璽櫃追從、次少納言一人率大舍人闈司等、持鈴印鑰等、進於今上御所、次近衞少將率近衞等、持供御雜器同所、訖今上御春宮坊、諸衞警蹕、侍衞如常、

〔北山抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0470 讓位事
當日早旦、仰外記式部省可集刀禰之由、〈天慶九年例、前一日仰時刻、令供奉諸司、〉參御所宣命草、返給清書候之、所司裝束南殿、〈不御簾〉式部省立行立標、中務省置宣命版、〈儀式、并天長十年、延長八年等例如之、而清凉抄、及天慶九年、永觀二年例、開門後、未舍人前置之、是依内裏儀式、并立后等儀歟、彼式不召儀、仍只開閤門、中務置版、親王以下參入云々、然而叙位式、少納言奉召退出後置之、然則内裏儀式意、召後可置也、天慶例亦隨便被改行乎、但七日會儀、又開門後置、然而制内裏式之後、預前置之、然則立后等儀、雖内裏式、准七日儀、裝束次置、况儀式始制(○○○○)讓國儀(○○○)、亦預置之、式文并舊例已如此也、〉皇太子御休所、近仗陣階下、天皇御南殿、内侍召人、大臣取宣命文參上、付内侍奏之、〈儀式、定宣命參議以上、奏之云々、近例不必奏、於陣座相示而巳、例多用中納言也、〉返給、降殿立東階下、〈天慶例、立軒廊西第二間、〉于時皇太子昇東階〈此間大臣跪候〉着座、大臣又昇着座、所司開門、闈司分居、大臣召舍人、少納言替參入、大臣宣喚刀禰、少納言稱唯退出親王以下參入就行立標、大臣召宣命大夫、稱唯參上、立大臣後、大臣授宣命文、受之下殿立東階下、大臣下殿就標、皇太子起座而立、〈當座前〉宣命使就版、宣制二段、群臣再拜舞踏、〈天長八年、天慶九年例、毎段再拜、以儀式誤云々、而清凉抄有拜舞、延長八年例又如之、〉宣命使復本列、群臣退出、中務取版、〈无御拜者不之〉闈司還入、近衞閉門、近仗引退、今上降南階、去階一許丈、北向當階中央拜舞、畢東行還御休所、〈所司預敷筵道、此間閇敷政門之由、見吏部王天慶九年記、〉内侍二人〈典侍掌侍各一人〉持神璽寳劒前後、〈今上降南階之間、内侍降東階、待候還御、儀式云、少納言一人、率大舍人等、持傳國璽櫃追從、次少納言一人、率大舍人闈司等、持鈴印鎰等、進於今上御所云々、〉此間舊主還御本殿、令内侍奉御笏御袍於今上、〈天慶例、被御衣一襲、◯中略〉今上被本宮藏人殿上人如元可候之由、〈大臣候御前、先召藏人一人、仰藏人之由、即以彼令宣下、〉着帝位御袍皇后
儀式云、左右將曹各率近衞二人、開南門云々、式部記文、近衞陣雜例等同之、但天長十年、淳和院儀者、然則不内裏開門儀、而不其由、載萬代不易式、太可奇之、勅授帶劒人、宣命後脱却、〈被禁色之者〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 〈如之〉待新帝宣旨之、帶刀相替、近衞陣脱弓箭、着縫腋袍退出、但不本冠、脱緌云々、
天慶九年、依雨儀、中務省入永安門、宜陽殿南、第二間砌上、置宣命版、於同殿西廂御拜舞、此間閉敷政門

〔江家次第〕

〈十四踐祚上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0471 御讓位
大臣奉勅、仰外記諸司固關事
當日大臣奏宣命草
式部立標、中務置版位
天皇御南殿
御簾、立太子倚子母屋東三間西面、立内辨兀子庇東二間
内侍二人執神璽寳劒候、太子昇後候東階下、〈典侍一人、掌侍一人、〉近衞將等立階下、〈着縫腋袍、負壺胡籙、〉
内侍出、大臣以宣命内侍奏、〈大臣立階下
太子參上着倚子、〈着靴〉大臣堂上兀子、〈在南庇東二間長押上
近衞開門、闈司着草墩
大臣召舍人、〈二音〉少納言代就版、
大臣仰云、刀禰召〈世、〉少納言稱唯出召、群臣列立、〈衞府公卿帶弓箭
大臣召宣命使〈召大中納言堪者、被召人入廊東一間、登東階大臣後、取宣命左廻下、立廊間北邊南面、〉
大臣下加列、〈出廊東二間標〉宣命使就版、〈太子起〉宣制、〈群臣再拜〉又宣制、〈群臣再拜、或拜舞、自馳道南行、東折行立本列、〉群臣退出、〈中務取版、近衞閇門、〉王卿勅授輩、解劒在左仗
新帝下拜舞、〈雨儀、於宜陽殿西庇拜舞、晴去階一丈、〉内侍等以神璽等相從、新帝就御在所置、内侍被御衣笏、〈入筥居机、有覆、女官等舁、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 少納言〈二人〉大舍人持傳國璽櫃追從、少納言〈大舍人闈司持鈴印、進今上御在所、〉少將持供御雜器之、近衞始警蹕
内豎移簡申
新帝上表、亮學士進舁机立幔外、大臣以下四人舁、〈新帝相扶進庭中、〉前帝迎立砌下、〈着青色〉今上正笏磬折、此間舁机臣下跪候地前表机殿上退、〈今上出、前帝降、〉内侍執表上覽、内侍臨檻召大臣、大臣出、大納言已下舁案出、大臣返表、
今上翌日欲表、前帝止、〈可上覽儀可昨〉
今上服天子服、〈有大后參賀、〉坊官置笏、帶刀解兵〈着縫腋老懸、〉
大臣於新帝御前、定殿上人王卿以下、〈先補所別當、下宣旨左近陣、昇殿者奏賀、〉
大臣奉勅、下勅授宣旨、〈近代當日下〉先帝尊號事、〈御隨身事〉
母氏尊號事、定藏人所事、奉幣伊勢、奉幣宇佐、〈和氣氏五位、或用他氏云々、〉
不義讓之時、大臣近衞將等二人、神璽等奉新君御在所、奉雜器例、以前君命宣命、餘如常、〈◯原本有誤脱、據一本改、〉

〔江家次第〕

〈十四踐祚上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0472 讓位〈幼主儀〉
若御別所者、大臣以下令璽劒於近衞次將、就新帝御所之、其儀如行幸
晝御座、入夜御帳之、有筵道、〈地〉
長和〈◯三條〉例、近衞者縫腋壺胡籙、諸衞者平胡籙闕腋、
御晝御座〈依幼稚御直衣歟〉
其東間鋪菅圓座一枚、爲執柄座
次執柄召藏人一人、〈以内侍宣任云々〉其人應召進砌、候於第一間砌下、執柄仰云、藏人〈爾〉收給〈布、〉稱唯頗出拜舞退入、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0473 次又召件藏人、藏人參入候於簀子敷、仰云、公卿等昇殿、
某人々
某人々
藏人奉仰出仰出納、〈於殿上口仰之〉公卿以下列立拜舞、
先例不慶由拜舞
次又召藏人仰云、牛車輦車勅授等如舊、藏人仰此由於第一上卿
次又召藏人仰云、藏人頭二人、五位藏人三人、藏人六人、殿上人、出納、藏人所瀧口、藏人於殿上口出納、〈或於殿上之〉
次新補藏人頭以下令奏賀、拜舞訖候殿上
次藏人頭奉仰、補出納瀧口三人、先朝一二三也
次被殿上雜物等、藏人加監臨立、〈於殿上口出納受取之〉
  日記御厨子二脚 大床子三脚 同御厨子二脚 師子形二
  琵琶一面 和琴一面 笛筥一合〈笛二管、尺八二、〉 横笛二管狛笛、
  殿上御倚子一脚 時簡一枚〈在杭〉
次藏人等立御物、次内豎奏時、
次申吉書、〈於執柄直盧申也〉先辨次頭以下、
次被藏人禁色宣旨、次供御膳、〈藏人頭陪膳、或曰公卿陪膳、〉
次召鈴繩於殿上、次作殿上簡、令侍臣等、臺盤所同之、於藏人所之、
次藏人日給、次瀧口名謁、殿上名對面、〈或無之〉
次問諸陣見參、次近衞勤夜行、〈◯原本有誤脱、據一本改、〉

〔代始和抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0474 御讓位事
御讓位の時は、警固、固關、節會宣制、劒璽渡御、新主の御所の儀式等あり、是は毎度の事也、〈◯中略〉警固固關といふ事を、まづ最前に行はる、〈◯中略〉其後節會の儀式あり、大臣陣の座にして、内記をめして、宣命の草をたてまつらしむ、内覽奏聞あり、返し給て清書しても又内覽奏聞あり、定れる事也、宣命使には、中納言或は參議を用ふ、則その人に是を仰す、天皇南殿に出御、この日は御簾をかけてあらはにおはしまさず、近衞次將も、縫腋の袍に壺胡籙を負て陣を引く、常の節會には替る(○○○○○○○○)事なり、大臣陣をたちて軒廊にすヽみたつ、内侍階にのぞみて召のよしを告ぐ、内辨宣命を笏にとりそへて、昇殿して兀子に着く、すなはち、開門を仰すれば、闈司座につく、内辨二音舍人をめせば、少納言かはりて版位につく、此時内辨刀禰を召せと仰す、刀禰は六位已上の人をいふ也、其後諸卿參上列立す、異位重行、〈二位一列、三位一列、四位一列、これを異位といふ、二三四位等かさなりたつを重行といふ也、〉衞府の公卿は、弓箭を帶して列する也、次に内辨宣命使をめす、めさるヽ人列をはなれて、階より昇て内辨のうしろにたつ、内辨宣命を授く、是を給はりて殿をくだりて軒廊の北の方にたつ、次に内辨下殿して、公卿の列にたちくはヽる、次に宣命使列の前をへて、版位につきて宣命をよむ、二たびによむによりて、宣制二段といふなり、諸卿これをうけたまはりて、一段ごとに再拜をいたす、或は後段には舞踏する例あり、これは天位を太子に讓たまふよし宣命の文にのせられたるを、百官うけたまはりてかしこまり申由也、宣命使本列にくはヽる、其後内辨以下退出す、勅授帶劒の人は、中門を出る時劒を撤する也、勅授とは帶劒すまじき職にて、ゆるされをかうふりて劒を帶すること、その一代にかぎるにより、代かはれば、先帶劒をやむる事也、もとよりの衞府官は、職につきたるによりて、帶劒かはる事なし、宣制二段の時、拜舞の事、先例不同也、たヾし保元以來、多は拜舞也、次に劒璽渡御の事あり、舊主の御所より、三種の神器を新帝へ渡さるヽ義なり、掃部寮路の間に筵道をしきて、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 近衞次將兩人、劒璽を持て筵道のうへをあゆむ、關白以下皆扈從す、行幸のごとし、近衞の次將、階をのぼりて内侍に是を授く、内侍二人おの〳〵劒璽をとりて、夜御殿に安置す、そのヽち新主晝御座に出御あれば、關白御前の圓座に候す、先藏人一人を定め仰す、藏人すなはち庭にすヽみて舞踏す、其後その藏人をもちて、牛車、輦車、昇殿、勅授等もとのごとくたるべきよしを仰す、藏人陣に出て第一の公卿に仰す、上卿すなはち外記をめして仰す、次に公卿以下この仰をうけたまはるによりて、庭中にすヽみて拜舞す、次に又さきの藏人をもちて、藏人頭二人、五位藏人三人、六位の藏人、殿上人の昇殿等の事を仰す、藏人殿上口にして出納に仰す、次に新補の貫首以下慶を奏して殿上に候す、其後太政官方、藏人方の吉書を進覽す、内侍所渡御の時は、六府ならびに職事一人供奉す、主上は庭上にくだり立しめ給ふ、殿上の雜具どもをわたされて、次第の事共しるしつくるにいとまあらず、殿上の名對面、近衞の夜行等の事あり、近代はそのよしばかりなり、

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 天豐財重日足姫天皇〈◯皇極〉四年六月庚戌、〈◯中略〉天皇授(○)璽綬(○○)禪(○)位(○)、策曰、咨爾輕皇子〈◯孝徳〉云々、

〔續日本紀〕

〈二十一淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0475 天平寳字二年八月庚子朔、高野天皇〈◯孝謙〉禪位於皇太子、〈◯淳仁〉詔曰、現神御宇天皇詔旨〈良麻止〉宣勅〈乎〉親王諸王諸臣百官人等衆聞食宣、高天原神積坐皇親神魯棄神魯美命吾孫知食國天下〈止〉事依奉〈乃〉任〈爾、〉遠皇祖御世始〈氐、〉天皇御世御世聞看來天日嗣高御座〈乃〉業〈止奈母〉隨神所念行〈久止〉宣天皇勅衆聞食宣、加久聞看來天日嗣高御座〈乃〉業〈波、〉天坐神地坐祇〈乃〉相宇豆奈〈比〉奉相扶奉事〈爾〉依〈氐之、〉此座、平安御坐〈氐〉天下者所知物〈爾〉在〈良自止奈母〉隨神所念行〈須、〉然皇〈止〉坐〈氐、〉天下政〈乎〉聞看事者、勞〈岐〉重〈棄〉事〈爾〉在〈家利、〉年長〈久〉日多〈久〉此坐坐〈波、〉荷重力弱〈之氐〉不負荷、加以掛畏朕婆々皇太后朝〈爾母〉人子之理〈爾〉不定省〈波〉朕情〈母〉日夜不安、是以此位避〈氐〉間〈乃〉人〈爾〉在〈氐之〉如理婆々〈爾波〉仕奉〈倍自止〉所念行〈氐奈母〉日嗣〈止〉定賜〈弊流〉皇太子〈爾〉授賜〈久止〉宣天皇御命衆聞食宣、

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 天應元年四月辛卯、詔云、天皇〈我〉御命〈良麻等〉詔大命〈乎〉親王等王等臣等百官〈乃〉人等天下公民衆聞食〈止〉宣、朕以寡薄寳位〈乎〉受賜〈弖〉年久重〈奴、〉而〈爾〉嘉政頻闕〈弖〉天下不得治成、加以元來風病〈爾〉苦〈都〉身體不安復年〈毛〉彌高成〈爾弖〉餘命不幾、今所念〈久〉此位〈波〉避〈天〉暫間〈毛〉御體欲養〈止奈毛〉所念〈須、〉故是以皇太子〈止〉定賜〈留〉山部親王〈爾◯桓武〉天下政〈波〉授賜〈布、〉古人有言知子者親〈止〉云〈止奈毛〉聞食、此王〈波〉弱時〈余利〉朝夕〈止〉朕〈爾〉從〈天〉至今〈麻天〉怠事無〈久〉仕奉〈乎〉見〈波、〉仁孝厚王〈爾〉在〈止奈毛〉神〈奈我良〉所知食、其仁孝者百行之基〈奈利、〉曾毛曾毛百足之虫〈乃〉至死不顚事〈波〉輔〈乎〉多〈美止奈毛〉聞食、衆諸如此〈乃〉状悟〈弖〉清直心〈乎毛知〉此王〈乎〉輔導〈天、〉天下百姓〈乎〉可撫育〈止〉宣、又詔〈久、〉如此時〈爾〉當〈都〉人々不好謀〈乎〉懷〈弖、〉天下〈乎毛〉亂己〈我〉氏門〈乎毛〉滅人等麻禰〈久〉在、若如此有〈牟〉人〈乎婆〉己〈我〉教諭訓直〈弖、〉各々己〈我〉祖〈乃〉門不滅、彌高〈爾〉仕奉將繼〈止〉思愼〈天〉清直〈岐〉心〈乎〉持〈弖〉仕奉〈倍之止奈毛〉所念〈須、〉天高〈止毛〉聽卑物〈曾止〉詔天皇〈我〉御命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、是日、皇太子受禪即位、

〔續日本後紀〕

〈一仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0476 天長十年二月乙酉、皇帝〈◯淳和〉於淳和院位于皇太子、〈◯仁明〉詔曰、現神〈止〉大八洲國所知倭根子天皇〈我〉詔〈良万止〉勅御命〈乎、〉親王諸王諸臣百官〈乃〉人等天下公民衆諸聞食〈止〉宣、太上天皇〈◯嵯峨〉朕〈我〉不徳〈乎〉不棄賜〈志天〉寳位〈乎〉授賜〈閇理、〉忝鍾重睠〈弖〉日日畏愼〈太麻布、〉春秋〈乃〉往隨〈爾、〉舊痾〈毛〉稍發〈流〉故機務〈乃〉暫〈毛〉虧怠〈牟許止乎〉恐賜〈弖〉朝夕煩懷念〈須許止〉久矣、今念行〈佐久〉皇太子〈止〉定〈太流〉正良親王賢明夙彰〈禮、〉仁孝〈毛〉兼厚〈久之天、〉太能毛之久於太比之久在、是以撫安國家〈牟止之天〉此位〈乎〉授賜〈布、〉諸此状〈乎〉悟〈天〉清直心〈乎毛知弖、〉此皇子〈乎〉輔導〈支〉仕奉〈天〉天下〈乎〉平〈介久〉令有〈余、〉又古人有言〈利、〉上多〈支〉時〈爾波〉下苦〈止奈毛〉所聞、是以太上天皇〈止伊布〉號停〈米、〉亦諸〈乃〉服御〈乃〉物〈毛〉停賜〈布、〉皇后宮〈毛〉如是有〈倍之、〉又如此時〈爾〉當〈都々〉人々不好〈留〉謀懷〈天、〉天下〈乎毛〉亂〈利、〉己〈我〉氏門〈乎毛〉滅人等〈毛〉前々有、若〈毛〉如此有〈牟〉人〈乎波〉己〈我〉教諭訓直〈天、〉各〈乃〉己祖祖門不滅、彌高〈爾〉仕奉彌繼〈爾〉繼〈止〉思愼〈天〉无二心〈志天〉仕奉〈倍志止〉詔天皇〈我〉勅旨〈乎〉衆聞食〈止〉宣、是夕今上抗表辭寳位曰、〈◯中略〉後太上天皇〈◯淳和〉不聽、 丙戌、今上重抗表曰、〈◯中略〉後太上天皇遂亦不許、於

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 天皇命車駕、拜謁先太上天皇〈◯嵯峨〉及太皇大后宮於冷然院、還御東宮

〔三代實録〕

〈二十九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 貞觀十八年十一月廿九日壬寅、皇太子〈◯陽成〉自出〈◯自出二字恐轉倒〉東宮、駕牛車染殿院、是日天皇讓位於皇太子、勅右大臣從二位兼行左近衞大將藤原朝臣基經、保輔幼主、攝行天子之政、如忠仁公〈◯藤原良房〉故事、詔曰、現神〈止〉大八洲國所知倭根子天皇〈我〉詔〈良万止〉勅御命〈乎〉親王諸王諸臣諸司百官〈乃〉人等天下公民衆諸聞食〈止〉宣、朕以薄徳〈天〉天日嗣〈乎〉忝〈之〉賜〈倍利、〉日夜無間〈久〉愼畏〈利〉御坐〈須、〉而君臨漸久〈久〉年月改隨〈爾〉熱病頻發〈利〉御體疲弱〈之天〉不朝政、加以比年之間災異繁見〈天〉天下無寧〈之、〉此〈乎〉毎思〈爾〉憂傷彌甚〈之、〉是以此位〈乎〉脱屣〈天〉御病〈乎〉治賜〈比、〉國家〈乃〉災害〈乎毛〉鎭〈女〉息〈无止〉念行〈須己止〉年久〈奈利奴、〉然〈止毛〉皇太子〈乃〉成人〈乎〉待賜〈布止〉爲〈天奈无〉于今經數年〈奴留、〉今所思〈波〉朕〈毛〉昔以幼稚〈天〉得此位〈利、〉賢臣〈乃〉保佐〈爾〉頼〈天〉得於今日〈利、〉然則良佐〈乃〉翼戴〈波〉皇太子〈乃〉大成〈己止〉何遠之有〈牟止奈毛〉念行〈須、〉故是以皇太子〈止〉定〈多留〉貞明親王〈爾〉此位〈乎〉授賜〈布、〉諸衆此状〈乎〉悟〈天〉清直心〈乎〉持〈天、〉皇太子〈乎〉輔導〈岐〉仕奉〈天〉天下〈乎〉平〈介久〉令有〈與、〉又左大臣源朝臣〈波◯融〉爲性蕭疎〈之天〉朝務〈乎〉仕奉〈爾〉不耐〈己止〉先々〈爾〉申乞〈己止〉慇懃〈奈利、〉朕且不其志、右大臣藤原朝臣〈波◯基經〉内外〈乃〉政〈乎〉取持〈天〉勤仕奉〈己止〉夙夜不懈、又皇太子〈乃〉舅氏〈奈利、〉見其情操〈爾〉幼主〈乎〉寄託〈倍之、〉然則少主〈乃〉未萬機之間〈波〉攝政行事〈牟許止、〉近〈久〉忠仁公〈乃〉如佐朕身〈久〉相扶仕奉〈倍之、〉又古人有言〈利〉上多〈岐〉時〈爾波〉下苦〈止奈毛〉所聞、是以太上天皇〈止伊布〉號〈毛〉停〈女、〉亦諸〈乃〉服御〈乃〉物停賜〈布、〉又如此時〈爾〉當〈都々〉人々不好〈留〉謀懷〈天〉天下〈乎毛〉亂〈利、〉己氏門〈乎手〉滅人等〈毛〉前々有〈利、〉若如此有〈牟〉人〈乎波、〉己〈我〉教訓直〈天、〉各〈乃〉己門〈乎〉不滅〈須〉彌高〈爾〉仕奉〈利〉欲繼〈止〉思愼〈天〉無二心〈之天〉仕奉〈倍之止〉詔天皇〈我〉勅旨〈乎〉衆聞食〈止〉宣、皇太子受天子神璽寳劒、御鳳輦於東宮、文武百官扈從如常儀

〔日本紀略〕

〈一醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 寛平九年七月三日丙子、午三刻、太上皇〈◯宇多〉讓天祚于紫宸殿、傳國詔命云、春宮大夫藤原朝臣、〈◯時平〉權大納言菅原朝臣、〈◯道眞〉少主未長之間、一日萬機之政、可奉可請之事、可宣可行云々、

〔權記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0477 寛弘八年六月十三日乙卯、御讓位〈◯一條〉也、自昨有所勞、辰刻勘解由判官平雅康來、傳東宮〈◯三條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0478 令旨、是御讓位以後、可御表、可書之旨也、〈學士宣義朝臣所作也〉所勞依堪、乍簾中相逢、即令清書可獻之由、〈相加下給白色紙陸奧紙等、依檀紙、凡書白色紙、是天慶九年例也、〉清書了所勞頗宜、相扶束帶持參之間、〈午刻也〉開門後、少納言召刀禰之間也、所勞雖相扶、猶未快平愈、列立有憚、然而引列之間、參會無便、稱障憗就行行立、群臣立定、内辨右大辨〈◯藤原顯光〉召彈正尹藤原朝臣、〈大臣着南殿南廂西第二間兀子〉藤原朝臣〈◯時光〉稱唯、經大臣并二位納言列後、入殿西軒廊西第二間、升西階内辨床下〈簀子敷下也〉揖而立、于時内辨以左手宣命、〈内辨大臣豫奏宣命、停簾母屋下奏之、下給之時、退以文刺、賜内記、以宣命副於笏、立西階下、儲君參上、着後參北之着兀子、〉藤原卿搢笏刷袖、進寄而給之、退立本所、拔笏揖而右廻退下、立軒廊東第二間、〈與廊北柱平頭立〉于時内辨又退下、出軒廊東第二間、〈准紫宸殿儀、須西第二間、而自東二間出違失也、〉經納言前大臣後標下、於是宣命使出西第二間、南行東折、〈進退曲折、必有揖、但廊内不揖、〉就宣命版、宣制一段、群臣再拜、又一段再拜、〈此第二段中間押合、于時右大臣内大臣被拜之間、他人不拜、宣命使又讀之、後日四條納言云、此日宣命使非失、諸人失也、而宣命使又稱中間不押合、甚懦弱也、後日見宣、可三段之拜、其故依立太子其事、即讓位事云々、有宣字、又宣云々、太子事宣云云毎宣字拜也、然則讀宣字、押合理可然、群官不覺悟、不拜失也、兩段拜者、尋常之宣命事也、至是希有例也、又御即位宣命、亦有數段拜、〉訖宣命使卷之、拔笏揖而右廻、經大臣東本列、訖群臣退出閣外、所司閇南閤并東西廊小門并中門等、〈大臣以下早廻、在殿下〉太子退下、自南階階一許丈拜舞、〈太子退下之間、典侍少將一人、掌侍一人、并執御劔璽筥、出母屋簾中、下西階、候軒廊拜舞、訖御御休所之時供奉前後如常、〉訖退入西軒廊、〈所司舖筵道布單等〉經右近陣西廊東簾休廬、時午二刻、右大臣、傅大納言〈◯藤原道綱〉御拜之間、脱劒、〈宣命後早可脱也、左大臣少先拜也、又内大臣兼大將不解而脱、共失也、〉自餘勅授者、自外辨歸後脱之、舊主差内侍一人、〈兵衞、此靭負之女也、〉奉遣御笏并御衣一襲、〈笏無筥若入衣筥内歟、有裹、又有御衣机覆等、大和守輔尹、左少辨朝佐等舁之、經殿上御休所、〉次右大臣、内大臣、〈◯藤原公季〉右大將〈◯藤原實資〉彈正中宮大夫、〈以上着靴〉舁新帝御表案、〈件表案宮司等、豫舁立右近陣公卿座壁後、朴木函、象牙花足、并支佐木案、〉立舊主御殿南面西階東簀子敷退出、内侍一人〈能子少將〉出御簾中、取表凾奏覽、蹔之返置、即臨南檻、右大臣參進立砌下、承内侍傳旨、詣今上御所、〈于時余立小板敷下、左大臣問云、御返事令侍從傳申云々、前坊大夫傳申如何、即申便之由、件事先令案内、大臣依召參進、自可奏聞也、〉右大辨道方朝臣、持東宮并坊官等名簿今上、即奉仰到右近陣、仰右大臣除目事、〈此間舊主御惱危急也、上下騷動、權僧正參上奉加持、及酉刻頗平愈給、〉清書之後奏聞、〈後聞此除目、清書奏聞之後、未所司之前、紛失奇事也、右大臣密々不披露、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479執筆人〈參議有國〉令書出下給云々、〉此間左大臣蒙召、參新帝御所、補頭藏人等、〈藏人頭右大辨源道方、右馬頭藤原通任、藏人河内守大江景理、少納言藤原能信、民部大丞紀致頼、大炊助平忠員、修理亮高階業敏、右兵衞尉藤朝元、〉次大臣亦被召、參舊主御所、定院別當等、〈左大臣、大納言道綱、齊信、中納言俊賢、右大辨道方、〈以上後院別當〉左近中將公信、判官代式部亟惟任、成順、主殿助季任、藏人左兵衞尉義通、文章生章信、〉此間先帝御時勅授之人、如舊可聽之由宣下、被聽之者奏慶賀、又殿下公卿以下奏昇殿慶賀、又院殿上公卿以下又奏慶賀、次參東宮、左大臣以下啓慶由、〈着靴非也〉次亦左大臣以下殿上侍臣、令殿上慶、即着殿上座、三獻後給祿參議以上、亥刻今上有幸於左大臣東三條第、出御在所、到南中門輿、〈所司舖筵道〉内侍等候前後常、御輿出於西門、自大宮東路南行、至二條路東折、〈二條堀川院北、雅樂寮奏樂、舊主有御惱音樂歟、〉至洞院西路南行、入西門、神祇權大副大中臣千枝供御麻、到南殿輿、次少納言能信〈依右兵衞佐弓箭也〉進鈴、勅答如常、次右近中將頼宗朝臣問誰〈曽、〉公卿次第稱名、〈左大臣候御後〉次參上殿上、次着右近陣座、頭辨申文於左大臣奏下、依吉日也、次退出、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0479 長和五年正月十四日己未、昨日所作御讓位〈◯三條〉日式、大納言公任卿執筆所作、卿相加詞、今朝見送云、閑案下雌黄返給者、削定可左相府云云、但大路俄道事、付點猶此事云々如何乎者、今報云、持神璽寳劒行大路、此度新儀歟、大道車馬行路也、賚神物歩行、頗猶沉愛、用縁道俗路置歟、就中帝王出御之時、敷縁道璽劒者、自縁道行歩、堂上尚如之、何况道路乎、奉於神鏡也、奉納辛櫃、仍無此儀歟、璽劒者在御所、不宸儀、其儀可用歟、上古五節儛姫、於舞臺之、彼時自殿屬舞臺縁道、何况持候寳劒等之道乎、但可賢慮、件事亦々可案内、 十五日庚申、大納言示送云、縁道事可然云云、侍事也、只敷筵路中といはむとも思給侍、報云、左右可宜之也、是新愚案也、璽劒不御邊、持候之人在宸儀前後、聞御路著奉迎、新君者置御輿中、大臣已下相後須參進、而依進寄、只可持候參進也、仍捧寳劒等、赴行馬車軌路、何如何如、猶展一筵其行路、可車馬路歟、 廿二日丁卯、讓位式從大納言許見送、先是六箇度被送、聊有一兩疑、改直亦被送也、傳國璽不何物、仍尋其事、天長十年記見大刀啓、仍件記昨日送之、即載式文了、

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0480 仁安三年二月十九日壬子、今日可御讓位〈◯六條〉事、其儀豫蒙院宣、自一昨日沙汰、仍今朝先參内、以右兵衞督毎事奉仰、〈◯中略〉可新帝〈◯高倉〉累代御物并御物等、仰藏人光綱取調、五位出納康光注目録、差副行事小舍人諸事撿知了、又參閑院、此間春宮〈諱憲仁、春秋八歳、〉自東山七條御所啓此殿
青糸毛御車    車副着冠褐衣
所司三分副御車 公卿傅右大臣〈◯藤原兼實〉以下、大中納言參議三位供奉廿一人、啓陣近衞以下如例、帶刀騎移馬行列、 攝政殿〈◯藤原基房〉御同車
御車入御西門、經中門并南庭階隱、公卿納言以下列前庭、傅令御簾給、殿下令御裾給、權亮實守朝臣取壺切御劒、儲王下御、經晝御座御北面御所、〈總角、闕腋、赤衣袍、黒半臂、打御下重、浮文袴、糸鞋、他事如常、不帶劔、〉御車引退、公卿退去、〈◯中略〉次撒節會御裝束、又擬清凉殿御簾晝御座、次攝政殿出御晝御座、左右大將〈左大臣、内大臣、〉被西對南面、次内侍二人、取劒璽夜大殿戸、〈各有紫練絹覆二幅、長各六尺許、兩面縫之、内藏司召之、〉左近中將頼定朝臣、右近中將實宗朝臣、蒙殿下召參進、傳取各劒璽南簀子、〈劍前、璽後、〉此間掃部司自西渡殿階下、經庭中并西中門四足等、自洞院大路、南行敷筵道、次劒璽出西中門、同左右大將以下歩行相從、六衞府供奉、左右相分如行幸儀、先左衞門、次左兵衞、次公卿、〈大臣以下下臈爲先〉次御劒、次神璽、〈已上前後一行〉近衞陣左右相分、〈上臈〉次將在中、次攝政殿下、次大刀、次契、鈴、印櫃、〈左大臣仰左少辨爲親、率將監以下、付内侍所請出一レ之、大刀契等、少納言率大舍人、令出鈴印櫃、〉次少納言監物主鈴鎰、次漏刻時簡、次陰陽寮、次版位、〈中務取之〉次兵衞、右衞門、左右相並、辨外記史史生官掌同以行列、出右衞門陣、自洞院東大路南行、自二條大路西行、自洞院西大路南行、至于閑院東四足門、毎大小路辻、所司引㡢、掃部寮敷筵道、〈一町許敷之、次第卷之、又敷展之、〉劒璽着御新帝宮、主上出御晝御座、〈御直衣〉衞門留門外、兵衞留中門外、近衞列殿庭、〈東對南〉上卿列立殿前、攝政先昇對南階御前給、次將昇同階御前、次内侍二人、〈伊豫、先帝一内侍、今日被、時内侍裳唐衣物思々、〉進出取之、安夜大殿御帳中、次次將退下、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481      大刀http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/i7f0000652174.gif  掃部女官納内侍所
     鈴印櫃 内豎置東中門南腋
     版位  中務丞安前庭〈◯中略〉
今日被渡御物等
    玄上           鈴鹿
    沓筥〈在納物〉       御硯筥
    御劒〈獻攝政殿、自殿下又被之、〉    師子形
    大床子三脚       同御厨子二脚
    日記御厨子二脚    四季御屏風
    殿上御倚子      御帳二基〈晝御座、夜御殿、〉
    夜大殿燈樓〈四〉     小板敷前燈樓
    膳棚         時簡〈杭四〉
    御笏筥        式筥
     已上見在
    置物御厨子二脚、〈晝御座置物御厨子也〉臺盤所御倚子、
     已上、五條殿火事之後未調之、
晝御座御劒、先例執柄令獻給、脱屣之時、又返給執柄、蓋先例也、仍舊主件御劒返給殿下、今夕自殿下當今也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0481 仁安三年二月十九日壬子、有今日御讓位〈◯六條〉事、辰刻著束帶東宮、〈七條御所、日來御坐此所讓位、今日有御攝政第也、〉申刻出御、公卿一兩列立之間乘御、下官褰御簾、乘御了攝政被御車、先是右兵衞督時忠、傳

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 皇仰於攝政云、依應徳例御車者、因之所參仕也、應徳堀河院御讓位日、當日早旦、渡御堀河第、京極殿候御車給例歟、余案之何被據彼例哉、故何者彼者非儲君、是者青闈也、其儀不相似之上、日來獨乘御車給也、去年正月、并今年朝覲行啓等、全無同車之人、伺見先例、雖十餘歳儲君、猶傅必所御車、也、而下官以不肖之身、居顯要之職、參御車之條尤可便之故、被舊跡歟、且者後朱雀院成人東宮也、然而傅小野宮右府實資、毎度行啓候御車、依人有其沙汰、頗雖面目、慙身之不肖馳過也、然間今日俄改成人之禮、准幼稚之儀、勘出不似之例、強令御車之條、爲彼人榮花歟、未是非、如先例本有同車之人者、何及此不審哉、自若至老、是生者之習也、自老施少、未其故者也、凡近代作法、依人用先例、隨事失舊跡、悲哉悲哉、行列如常、到閑院下御、子刻劒璽渡御、此間公卿等入中門内列立、〈先例無列立之由、見舊記如何、〉劒璽入御了、左府以下各昇中門北廊、或候對南庇、或坐中門廊邊、是尤違例也、先例不昇殿之前全不昇、或候小板敷、或候帶刀陣邊云云、縱雖昇密々可立中門邊也、如法參候御殿南庇之條、專不當事也、奇々、凡御讓位之間雜事等不見及、人々不着陣、無盃酌違例也、後聞、左大將前行之間、以前驅并隨身松明、右大將以隨身燭、前驅在後、兩將軍作法已相違、以何可佳哉云々、又於舊主御所、内侍一人忽以闕如、筑前内侍成定女、俄云所勞不參、攝政被責敢不參來、仍忽被内侍上レ之云云、又左中將頼定朝臣、持御劒階之間倒了云云、頗見苦云云、下人説有禁忌云云、今度宣命如常云云、而或人云、幼主讓位於皇太子儀、我朝始之、幼主被攝政之由、如嘉承寛治等、以上皇詔之云云、〈◯節略〉

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0482 治承四年二月十九日辛丑、來廿一日可御讓位、〈◯高倉、中略〉秉燭之後、時光自傅御許歸參、示問状之返事
一劒璽渡御時、幼主可御晝御座哉事、應徳嘉承有出御、自餘不分明、仍所申合也、
返答云、成人之時、猶有出御之例、於幼主應徳嘉承不比、今度御齡專不出御

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 一同時晝御座御簾上下如何事、嘉承垂之、自餘不分明、仍所申合也、
返答云、嘉承依舊主御事、若被相愼歟、專此條不然可上也、
一同時大夫可申次哉事、嘉承大夫隆逢攝政事由、仍所申合也、
返答云、強不然事歟、予定存知歟、
一攝政被下藏人時、可圓座哉事、延久應徳永治敷之、自餘無所見、仍所申合也、
返答云、先例只今不覺悟、雖一代之者、尤可敷上、有其理之故、
一持參御衣御笏勅使、祿有無事、長和有祿、自餘無所見、仍所申合也、
返答云、長和例不覺悟、引見可申也、但讓位起楚忽事也、仍調祿無兼日之儲事也者、無沙汰宜歟之由有氣色云云、
 已上大略叶愚案、先例有兩端事、且思後難、爲彼計申也、但此事下官對申之由不申、只爲宮中大事存知、參啓之由可申之旨所時光也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 治承四年二月廿一日癸卯、此日有讓位〈◯高倉〉事、〈◯中略〉發前聲哉否事、嘉承殿暦云、劒璽出御、余降對東面、隨身不前、保安故殿御記云、劒璽渡御余相從、隨身等來會不前音、仁安左右大將始終發之、攝政不之云々、永萬攝政又不之云々、
今案、參内之時不之、劒璽渡御之間、兩官及路頭可之、其後拜舞及退出之時、亦不之歟、凡今日止前聲之條、由緒不審、讓位之儀、多即大故之時有此事、仍止前聲謂、若慣彼例委不尋歟、將又神璽寳劒顯奉持之、行列于路頭、事已嚴重、准伊勢幣發遣之時、偏恐事之崇重、又止前聲歟、此儀頗非謂、嘉承保安兩殿御記之意、臨其期之、隨又案事理此、仍以此状合關白及右大將、各從命畢、

〔百練抄〕

〈十後鳥羽〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0483 建久九年正月十一日己酉、讓位於第一皇子、〈◯土御門、中略〉璽劒渡御之間、見物車濟々焉、無

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0484 先規事歟、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0484 建久九年正月十一日己酉、此日讓位〈◯後鳥羽〉也、〈◯中略〉於新帝土御門宮藏人一臈重資逐電之間、及數刻云々、昇殿勅授之拜混合云々、又殿上人不拜退出云々、新帝今旦先渡御博陸家、自彼宅御閑院云云、今日二條内裏上棟之間、工與行事鬪諍、及刄傷殺害云々、其血流劒璽之幸路、事甚不吉云々、

〔宮槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0484 承元四年十一月廿五日己酉、今日御讓位〈◯土御門〉也、〈皇太弟(順徳)十四歳、舊主十六歳、〉可璽劒於皇太弟御在所云云、節會儀如常、宣命使中納言雅親、其體如獼猴云々、給宣命間無揖云々、總不言云々、大臣以下頗被早練云々、夜陰之上、公事重疊尤可然、劒璽出給寢殿、先自南階前筵道、〈此筵道及新帝御在所、路間卷取又敷也、長和初敷之、實資公之議也、劔璽渡他所儀耶、公任卿作式、不筵道改直者也、〉右大將進階西筵道進云々、里内無階下力不及歟、但進候堂上、相從降階先例歟、雅行持璽先行、宗經持劒有後、毎辻引幔、以同幔相連歟云々、大藏省下部等、持手引張之云々、此外劒璽邊如几帳之、只覆紫絹各持之許也、至于新帝御在所、公卿列南庭、左右大將留階下劒璽、將南階簀子云々、關白同被南階、内侍進出取之、頃之主上出御晝御座、〈御引直衣〉關白候簀子、召藏人坊一http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001fd67.gif 、右衞門尉長宗進居砌下、奉仰後去砌五六尺拜舞、博陸帶劒降中門慶、次公卿奏昇殿慶、衞府公卿左大將外皆拜許、不舞踏云々、建久右大將、傍輩舞踏間被居、今度又立云々如何、是介冑士不拜文、爲其本源云々、曲禮云、介者不拜、爲其拜而蓌一レ拜也、注云、蓌拜失容節也、此文意雖正、其作法當可拜之趣也、抑保安八條相國、傍卿相共拜舞之由所見也、又永治三條内府、又拜舞之由同所見也、右將軍列祖例如何、右大臣以下着陣〈有饗〉覽吉書云々、又殿上有饗、公卿等着之云々、以傳説大概記之闕疑了、強無謬歟、〈◯節略〉

〔寛元御讓位記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0484 寛元四年正月廿九日己未、今日有讓位〈◯後嵯峨〉事、予補院司、可行萬事之由兼有勅定、便是可執事歟、〈◯中略〉翌年〈寳治元〉七月六日、聊屬休暇、隨思出粗記之、節會間事、尋大外記師光記續加之、讓位事有召仰事、頭辨宣下之、博陸〈◯藤原實經〉依左大臣、於里亭仰之、劒璽渡御行列圖、於里亭

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0485 外記、〈執事家司高雅書進之〉前々或於直廬給之、又松殿〈◯藤原基房〉於弓塲下給之、當時皇居無直廬、又松殿御所爲不快、仍於里亭下給之、右大將〈◯藤原實基〉已下參陣、〈◯中略〉入夜事始、先是予依仰、於御前院司并殿上人交名、進置御前、〈書様載左〉應徳〈◯白河〉匡房卿書之例也、節會以前、晝御座夜御殿御帳等被渡、新帝以吉時立之、諸司又立御帳、奉仕節會御裝束、節會訖、裝束司撤件御帳了、兩皇居、南殿御殿通用之間、被御殿之御帳於新宮之後、撤之無煩歟、被劒璽、〈伊豫内侍、少納言内侍役之、近衞司取之、降南階中門、攝政同用此路給、諸卿又供奉、予留候、爲行院中事也、〉累代御物已下悉被之、被御衣御笏等、殿上五位二人〈治部大輔高輔、權大輔資宣、〉舁立御前、〈朝餉〉藏人佐經俊爲御使、於新宮藏人在嗣先奏事由、藏人佐并勘解由次第〈◯第恐官誤〉高雅舁之、〈前々五位藏人二人舁之、而光國雖之、依輕服此役、今一人未補、仍有議高雅役之、且經坊官便宜云々、〉新宮儀如例歟、事訖被奉内侍所、藏人佐又近衞將等供奉、

〔増鏡〕

〈九草枕〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0485 文永十一年正月廿六日、春宮〈◯後宇多〉に位ゆづり申させ給、〈◯龜山〉廿五日夜、まづ内侍所劍璽引ぐして、押小路殿へ行幸なりて、又の日ことさらに二條内裏へわたされけり、九條の攝政殿〈忠家〉まゐり給ひて、藏人めして禁色おほせらる、うへは八にならせ給へば、いとちひさくうつくしげにて、びんづらゆひて、御引なほし、うち御ぞ、はりばかまたてまつれる御けしき、おとな〳〵しうめでたくおはする、花山院内大臣〈◯藤原師繼〉扶持し申さるヽを、故皇后宮〈◯後宇多母后藤原佶子〉の御せうと公守の君などは、あはれに見給ひつヽ、故おどヾ〈◯藤原實雄〉宮などのおはせましかばとおぼしいづ、殿上に人々おほくまゐりあつまり給ひて御膳まゐる、其後上達部の拜あり、女房は朝餉よりすゑまで、内大臣公親の女をはじめにて、三十餘人なみ居たり、いづれとなくとり〴〵にきよげなり、

〔資朝卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0485 文保二年二月廿六日戊午、今日天皇〈◯花園〉御讓位也、予秉燭之間參土御門殿、〈束帶〉節會事、藏人兵部少輔成輔奉行、於事遲引之間、及半更、雨又頻降、仍劒璽渡御、雨儀可如何様哉旨、俄及仗議云々、此間事不口入之間、於便宜所暫休息、雖先規、可雨儀之由治定、供奉近衞司等取唐笠交候云々、於御路天曙、内裏儀了、人々歸參、〈◯節略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 ◯按ズルニ、天慶九年、朱雀天皇禪讓ノ時、雨儀ヲ行ヒ給ヒシコト上文北山抄ニ見ユ、コヽニ雨儀ノ先例ナシト云ヘルハ誤ナリ、

〔後深心院關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 應安四年三月廿一日乙巳、是日天皇〈◯後光嚴〉遷御藤中納言忠光卿柳原第、明後日可讓位之故也、 廿三日丁未、今日天皇讓位也、儲皇〈◯後圓融〉先於柳原内裏〈清凉殿儀〉有御元服事、〈◯中略〉未刻節會始云々、事了人々參新帝御所、〈無劔璽渡御之儀、内侍所渡御云々、〉事未具及數刻之間、大納言早出歸家、于時申斜也、 廿六日庚戌、左大史兼治來、召前相談、今度受禪事等、兼治云、於城外内裏、被此節會之條無先例、不尋下之間不申出云々、

〔後愚昧記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 應安四年三月廿三日、今日讓位〈◯後光嚴〉也、於柳原忠光卿亭其儀、於城外讓國之儀例、先規無之歟、兼日雖其沙汰、京中可然之御所無之故也、被官外記之處、於持明院殿一條殿等、被節會以下公事之條、可准據之由注進之云々、御元服并讓位之儀、後日大外記師秀注送之何〈◯何恐仍誤〉繼之、但如後記堂上之儀、地下之者以傳説記之條、定有參差事歟、雖大様事、一向又似記哉之由存之、後日師又記送、親王御元服儀仍同記之、〈◯中略〉公時朝臣拜舞事、帶弓箭之上、若可再拜哉、將又可拜舞哉、於一家例兩様無存之、可何様哉之由、前内府先日尋之、予答云、此事誠有沙汰篇目也、曩祖淨土寺相國、介冑之士ハ不舞之由執之、然而野宮左府稱、介冑之士者、與弓箭異也、仍拜舞不子細之間執之、於一家例兩様有之上ハ、付理可舞踏歟者、後日尋之處、舞踏云々、後尚案之、白馬節會叙列、武官四位以下帶弓箭、然而不舞踏之由、不儀式以下西宮等歟、猶可勘决事也、

〔永徳假名次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0486 御讓位次第
當日早旦に一上第にて、召仰の事あり、
職事仰て曰、今日讓位の事あるべし、諸司に召仰べきよしこれを申、一上これを承る、職事退下、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0487 次大外記をめして仰て曰、今日讓位あるべし、諸司に召仰べきよしこれを仰らる、外記いせうして退下、次辨をめして仰曰、今日讓位事あるべし、御裝束を奉仕せよ、
刻限大臣以下陣座に着す、上卿、辨を召して仰す、次職事來て、幹仁の親王〈◯後小松〉をもて皇太子として則讓位、太政大臣藤原朝臣をもて、政治を攝行せしめよ、一として忠仁公の舊事のごとし、兼又太上天皇尊號、ならびに服御物をとヾむべし、應徳の例によるべし、次大内記をめして宣命の趣を仰す、
 職事の詞のごとし
次内記宣命草を進す、次職事をめして、これを奏聞、返給ふ、次内記をめして清書せしむ、又職事をめして奏聞、返給ふ、内記をめしてしばらく預給ふ、
次節會儀
内辨、宣命使を其人につぐ、次外辨に出べきよし諸卿に仰す、次諸卿座を起て外辨に出、次内辨陣の座をたちて宣仁門代にて靴を着す、内記まづ宣命とりて笏にとりそふ、次近衞階下に陣す、立陣なり、次内辨宣命を笏にとりそへて軒廊にたつ、西面、次内侍東檻にのぞむ、内辨階下において揖して、階をのぼりて簀子をへて、當間を入て兀子に着す揖あり、北面、次開門、次闈司分ゐる、次召舍人、〈二音〉次少納言版につく、次宣いはく刀禰召せ、次外辨參列、次宣命使をめす、
 笏をならしてこれをめす
宣命使列をはなれて、堂上内辨のうしろに來て、宣命を給はりて、本路を經て下殿して、軒廊にたつ、南面、次内辨下殿、階に向て一揖、右廻して宣命使にむかひて揖す、宣命使答揖、内辨軒廊をいでて、南行して更に西に行て、大納言列のまへ、大臣の後をへて我標にたつ揖あり、次宣命使版に就く、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0488  宣制一段、群臣再拜、又一段、群臣拜舞、
 或共再拜
次宣命使本列にふくす
次諸卿退、上臈より、
 此後勅授人劒をとく
新主儀、今度劒璽渡御なし、
大臣以下諸卿參入
 昇殿以前便宜所に徘徊
新主晝御座に出御
 攝政、御前圓座に候す、〈◯節略〉

〔寛永記〕

〈乙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0488 御讓位散状
御讓位〈◯明正〉御殿御裝束、予〈◯二條康道〉出指圖、故無子細、陣之庭案疊之敷、前代未聞不見事也、又今度内辨失事、召宣命使時はたと失念、父前關白信尋被心、其御時笏被板、此儀式被檜扇笏説有之、予用ニハ以笏鳴板敷、宜説様ニ覺也、又物召時、座下方を顧らるヽ也、これ雨儀之例也、今度晴如何、何座上也、子細ハ座上なれば階之方ヘ向テ次將に召之、次將應之心也、尋常節會にも雨儀時ハ次將日月かひて召也、又内侍臨西欄時、今度初禮に東方より内侍出、是めづらしき事也、不所意也、又内辨列に加はる時、大納言の上に着、是めづらしき事也、大臣大納言は列別也、然ば大納言の前に列べき事也、
 劒璽渡御行列
左衞門陣

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0489  府生 志 尉 督
左兵衞陣
 府生 志 尉 督
公卿
 樋口三位 山科宰相 清閑寺中納言 鷲尾中納言 徳大寺大納言 三條大納言
右近衞陣
 近衞 府生 將曹 將監 右少將 右大將
左近衞陣
近衞 府生 將曹 將監 左少將 左大將
實劒神璽
 攝政予鈴 少納言知長朝臣漏刻
右兵衞陣
 佐 尉 志 府生 督
右衞門陣
 佐 尉 志 府生 督
 辨 外記 史 史生 官掌〈◯節略〉

〔禁裏番衆所日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0489 寛文三年正月廿六日乙未、劒璽渡御、晝御座出御、攝政、新補藏人、昇殿、勅授帶劒、禁色雜袍、吉書以下如例、次大床子御膳、御陪膳頼孝朝臣、役送光雄、源當治次朝餉出御、次於紫宸殿大殿祭、祭主勤之、戌刻御祝天酌、參衆葉室大納言、園大納言、正親町前大納言、東園中納言公起、

〔禁裏政要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0489 御讓位次第〈警固固闕之義〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0490 兼日於大臣召仰事、職事仰之、大臣召外記讓位〈◯後西院〉事、刀禰諸司等可催儲之由、召辨仰御裝束事
執政於里亭外記、下給劒璽可渡御行列圖
奉行職事召陰陽師、於藏人所申御讓位日時、〈先内覽、次奏聞、〉
剋限大臣以下參着仗座
次令官人敷一レ
次職事下日時勘文於大臣〈◯中略〉
次行固關事〈◯中略〉
固關之間、藏人來、仰勅旨田町之由於大臣
大臣召辨仰
次職事來仰云、以識仁親王〈◯靈元〉爲皇太子則讓位、以關白藤原朝臣行於政事〈與、〉一而如忠仁公之舊事、兼又可太上天皇尊號并服御物、依例令宣命〈與、〉
次大臣召大内記宣命詞
次内記進宣命草、即内覽、
次大臣就弓塲職事
 奏聞返賜令清書
次進宣命清書、即内覽、〈或被之〉
次大臣就弓塲奏聞、返賜復座、
次賜宣命於内記陣腋
次諸卿出外辨問諸司、先之式部彈正列立陣外、左右兵衞同列立、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0491 次内辨着靴進宜陽殿壇上、内記持宣命相從、
次天皇出御南殿〈簾中〉
次近仗陣階下〈立陣不胡床
次内侍臨檻
大臣取副宣命於笏昇殿〈着兀子
次開門
 内辨催
次闈司分居
 内辨仰
次内辨召舍人
 大舍人稱唯
 少納言就
次内辨宣、刀禰召〈セ、〉
 少納言唯稱退召
次諸卿參列就
次内辨召宣命使、〈中納言〉宣命使參上授宣命
宣命使取之退立軒廊
次内辨下殿加
次宣命使就
次宣命一段 群臣再拜

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0492 又一段
 群臣舞踏〈或再拜〉
次宣命使復本列
次諸卿退下、徘徊便宜所
 此間勅授人解
次中務取
次近仗退
 劒璽渡御
 先所司敷筵道
内侍二人、於夜御殿劒璽各有覆、出晝御座
關白候弘廂
 左右大將候簀子
近衞次將二人參進
 取劒璽階下
關白相從
 公卿前行
 路頭行列〈毎辻同幔〉
先左衞門
次左兵衞
次上達部〈爲下臈

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 次左右近衞相分供奉
次左右大將
次寶劒
次神璽
次關白
次鈴
次少納言
次漏剋
次版位
次中務
次内豎
次右兵衞
次右衞門
次辨
次外記
次史
次史生
次官掌

〔百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0493 貞享四年三月廿一日、辰刻、御讓位〈◯靈元〉儀初、上卿右大臣、奉行頭中將基勝朝臣、未下刻劒璽被新帝、〈◯東山〉出四足南門前日之門前、着中宮御殿、于時中宮御殿爲新帝居、劒璽渡御奉行宣

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 定勤之、劒雅元持之、璽基輔持之、實久副之扶持、但紫之帊掛之、武官老懸卷纓弓箭帶之、尤帶劒、大官勅授以後帶劒、有拜舞、先使布衣持大刀、供奉輩少々任覺悟之、次第不同、左右大將、左大臣、右大臣、内大臣、關白、醍醐大納言、久我、萬里小路、菊亭三大納言、日野中納言、正親町中納言、姉小路、裏松相公、東坊城相公、油小路相公、時香、季縁、雅豐、隆安、博意、韶光、石井少納言鈴之役勤之、員從爲經、史生官掌六府地下人等供奉、路中設筵道、〈劒璽役人、并關白踏之行云々、〉事畢後、新主與院皇居(○○)爲(○)御交代(○○○)云々、以葉室大納言院執權、菊亭正親町三條爲厩別當云々、

〔御昇壇記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0494 寶永六年六月廿一日、御讓位〈◯東山〉也、〈◯中略〉
 御讓位次第
當日早旦、職事奉勅向大臣第、有召仰之事、諸司奉仕御殿御裝束、剋限諸卿著陣座、次大臣令官人敷一レ軾、次職事就軾、下日時勘文、次大臣結申、職事仰警固固關之由退入、次大臣以官人大外記、給日時勘文、問諸司具否、次大臣更以官人外記、外記候小庭、次大臣仰内豎之由、外記退入、次内豎參進小庭、次大臣仰諸衞之由、内豎退入、次諸衞將佐列立小庭、〈北面東上、守府次、〉次大臣仰警固之由、諸衞稱唯退出、次大臣以官人大内記、仰進勅符之由、次大臣以官人辨、仰進官符之由、次外記覽内舍人差文、大臣披見畢返給、外記退入、次内記持參勅符草、次大臣披見、畢進弓塲代〈内記持筥相從〉奏聞、御覽畢返給、次大臣還着陣、仰清書之由、内記取筥退出、次大内記進勅符清書、次大臣披見、畢仰參木契及硯之由、内記退入、次大内記持參木契、少内記持參硯退入、大内記留候軾、次大臣書國名於木契内記、次内記割畢進之、次大臣加納木契於勅符筥内記、内記取筥退候小庭、次外記挿官符於杖持參、次大臣披見畢返給、外記挿杖候小庭、次大臣進弓塲代、〈内記持勅符、外記持官符相從、〉附職事二人奏聞、御覽畢返給、次大臣還著陣、内記置勅符筥退入、外記進官符、取空杖退入、次大臣以官人更召外記、仰座設一レ案之由、次掃部寮敷座設案、次大臣以官人内豎、仰少納言之由、次

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0495 少納言率中務輔内記主鈴等著座、次大臣召近衞司、將監候小庭、次大臣仰印之由、將監稱唯退出、次召少納言、仰印之由、少納言退出、次少納言率主鈴印、將監相從、次少納言立案下、主鈴置印板於案上、次大臣召少納言刻、少納言稱唯退、令内豎問一レ刻、次少納言就軾、申刻還立本所、次大臣召内記勅符、仰刻之由、内記取勅符復座、次内記注畢持參、次大臣披見、内記復座、次大臣召少納言、給勅符及官符、仰捺印之由、少納言取筥退去、次少納言置筥於案階、次中務輔進案下、披舒勅符於板上、少納言捺印、次少納言披舒官符於板上、主鈴捺印、次少納言持參勅符及官符軾、次大臣披見、畢取勅符座前、返給官符、少納言取之退去、次大臣召内記勅符、内記取之立小庭、次大臣進弓塲代奏聞、御覽畢返答、次大臣還著陣、内記置筥退去、次大臣召少納言勅符、少納言取筥復座、次大臣召内記木契、〈右片三枚〉内記取之復座、次内記裹木契三片於一紙之復座、次大臣書封〈名一字〉置座前、次大臣更召内記於賜國木契、〈左片三枚〉内記取之復座、封三片於三、書國名主鈴、少納言令主鈴緘勅符、〈納加木契〉緘畢與内記、内記封凾書外題主鈴、主鈴授少納言、次少納言持參勅符筥軾、次大臣授封木契一裹於少納言、少納言起座、〈此間主鈴取印鑰等起座〉率主鈴退出、〈於便宜所木契於櫃〉次中務輔内記退出、次掃部寮撒雜具、次大臣以内豎左右馬寮、左右馬允參進候小庭、次大臣仰御馬於固關使之由、左右馬允退去、次大臣以内豎三關使、使列立小庭、〈一守位次〉次大臣召使上首、給勅符及木契、〈納一筥〉仰衞其關之由、〈次々儀同〉使稱唯退出、此間少納言於便所内舍人、授官符及驛鈴、次大臣以内豎三寮使、使立小庭、次大臣仰固衞之由、使稱唯退出、次大臣以官人内記、仰空筥硯等之由、内記取重空筥硯等退出、次職事就軾、仰勅旨田千町之由退入、次大臣令官人召辨仰之、次職事就軾、仰位於皇太子、以某朝臣行政事、一如忠仁公舊事、且停太上天皇尊號及服御物、可宣命之由退入、次大臣召大内記、仰宣命之趣、次内記持參宣命草、次大臣披見、畢内記退入、次大臣令職事奏聞、職事還來、仰清書之由、次大臣召内記、返給宣命草、仰清書之由、内記退入、次内記持參清

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0496、次大臣披見、畢進弓塲代〈内記持宣命相從〉奏聞、御覽畢返給、次大臣還著陣、給宣命於内記、仰陣腋之由、次大臣差其人、告宣命使之由、次諸卿著外辨、次内辨起座、於宣仁門代外靴、進軒廊代東砌、〈内記持宣命相從〉天皇御南殿代、〈簾中〉近仗陣階下、〈不胡床〉次内侍臨檻、次内辨取副宣命於笏、昇殿著兀子、次開門、次闈司著座、次内辨召舍人、次少納言就版、次内辨召刀禰、少納言稱唯退出召之、次外辨參列庭中、次内辨召宣命使宣命、次宣命使降立軒廊代、次内辨降殿加列、次宣命使就版、宣制一段、群臣再拜、又一段、群臣拜舞、次宣命使復本列、次内辨以下退出、勅授人解劒、天皇入御、近仗退出、
今日迄主上〈◯東山〉御假殿、近衞殿御表皇居、同御裏方〈今出川〉東宮御座之處、御讓位御受禪以後、御裏方〈江〉新院被移御入替也、 今日以近衞關白家熙公攝政
同夜劒璽渡御
 劒璽渡御儀
先掃部寮敷筵道、大藏省毎辻張幔、公卿以下列立便宜所、近衞將列庭中、關白昇殿候廂圓座、左右大將昇殿候簀子、内侍二人取劒璽、〈各有覆〉出母屋簾外、次近衞將二人參進、昇簀子、入當間劒璽、降殿歩莚道、諸臣相從前後、〈行列如圖〉至新主皇居
先公卿列立便宜所、近衞將列庭中、左右大將立階下、新主出御晝御座、關白昇階候簀子、次近衞將捧劒璽階、入當間内侍殿、左右大將及近衞將等退出、内侍取之置夜御殿、次被攝政、次攝政召藏人之人、其人應召經庭中砌下、次攝政仰藏人之由、次藏人進庭中拜舞退出、次攝政更召藏人、藏人參進簀子、次攝政下綸旨、公卿昇殿、勅授帶劒、牛車如舊、殿上人藏人〈頭五位六位〉所衆出納瀧口〈以上注折紙〉藏人退出、新主入御、次攝政起座、先上卿著陣座、次藏人就軾、仰勅授帶劒牛車等之事退入、次上卿召外記仰之、外記退去、藏人頭以下之事、藏人下知出納、此間攝政於便宜所帶劒、進弓塲代拜舞、畢著殿上、次聽勅授昇殿、公卿帶劒列立弓塲代、非勅授公卿殿上侍臣等同加此列、次攝政降殿、出

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0497 名門代列、次攝政以藏人事之由、一等拜舞、次諸卿著殿上、〈豫居饗〉攝政召藏人頭、仰頭以下禁色殿上人雜袍等之事、次諸卿起座、次藏人頭以下、持參吉書於、直廬攝政、次上卿著陣座、次職事下吉書退出、次上卿召辨下之辨退去、次職事仰藏人頭以下禁色殿上人雜袍等之事、次上卿召外記禁色雜袍等之事、外記退入、次上卿起座、次職事於臺盤所、仰御乳母禁色之事、次供内侍所御供、次供御膳、朝陪膳藏人頭、夕陪膳殿上四位、次供朝餉御膳、次有大殿祭

〔難波宗建卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0497 享保廿年三月廿一日、皇太子〈◯櫻町〉渡御于南殿、〈◯中略〉宣制、此間皇太子令御椅子前給、次新主御拜舞、了還御休廬、内侍二人、捧劒璽奉前後、次舊主〈◯中御門〉入御、事々了舊主渡御于別殿、伺候輩參別殿、今日有宜陽殿饗、今度御再興也(○○○○○○)、御讓位儀了、自新主壺切御劒於院、院依御同居、劒璽不大路

〔友俊記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0497 延享四のとし五月二日、〈◯中略〉今上〈◯櫻町〉御讓位、新主〈◯桃園〉七歳にならせたまふ、此日刻限、大臣〈内前公〉仗座につきたまひ、官人をして軾をしかしむ、外記を召して諸司の具否をとはれ、つぎに辨を召て御輿の御さうぞくの事を仰せて起座、天皇南殿に出御、劒璽の内侍左右に候じ、近衞陣をひく、左右大將中少將の次將階下にたつ、陰陽反閉して闈司の奏、次に主鈴印の辛櫃をかき出す、少納言鈴を奏す、中務版位を撤す、次に御輿をよす、上達部次將階下に離列、主殿寮御座の覆を撤す、掃部寮筵道をしく、上臈次將すヽんで戸をひらき、御劒を御輿に入てしぞく、天皇駕御、大將警をせうす、次將すヽんで璽のはこを御輿にうつし、戸を閉てしぞく、公卿離列、前を先とす、御輿出御、大將御綱を仰、月花門を經て、右衞門陣代より出たまひて、諸臣前後に供奉、御輿櫻町殿中門に入らせたまひ、殿の階上に安じ奉る、これより先に公卿庭中に列立、〈東上北面〉左右大將および次將階下分立、上臈次將進で戸をひらき、御劒をとり内侍にさづけてしぞく、天皇下御、大將蹕を稱す、次將すヽんで璽筥をとりて内侍にさづく、戸を閉て退去、大將上達部次將、公卿くはヽり列に、中

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0498 つかさ版位をおく、少納言鈴奏、主鈴印櫃を舁て、便宜の所におく、供奉の行列嚴重に列せり、

〔御讓位禁秘抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0498 文化十四年三月廿二日、子刻公卿殿上人以下、地下官人に至まで行幸に供奉、劒璽渡御、供奉院司等に參役候輩、前後をあらそひ令參内給ふ、先大臣の方々左右番長近衞雜色等召し具給ひ、轅に乘り給ひ御出門、路次松明を照らし靜行す、先陽明門代置石の外にて御下車、門代置石之内南扉代より入給ふ、右番長前行、左番長御裾に相從ひ、前駈近衞等北扉を入、夫より建春門入給ひ、直に諸大夫間より御昇殿御休息あり、諸卿殿上人以下、具近衞雜色等、御歩行にて令參内給了、寅刻過云々、未刻頃、劒璽渡御之御催しに付、車寄より御下殿如前、中門内東上北面御列立、自下臈進出前行、右府公中門被出、次左府公、次劒璽渡御、唐門外被出、路頭〈御行列奧に有〉御靜歩あり、先唐門前地へ建春門御入、〈尤陽明門より置路等御通行、仙院廣御所前より禁中清凉殿迄路頭不殘筵道なり、且筵道は劒璽計御通行なり、供奉司々筵道左の方行なり、〉劒璽舊主〈◯光格〉より新主〈江◯仁孝〉御授あるなり、〈◯中略〉右劒璽禁中〈江〉渡御、新主授之給ひて、夫より吉書御覽之式始り、子の刻に終り、公卿殿上人又々仙洞御所〈江〉御歩儀あり、今日院司被補候人々、院廣御所において舞踏有之、寅刻頃事終り、みな〳〵退出いたされけり、

宣命

〔朝野群載〕

〈十二内記〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0498 御讓位
現神〈止〉大八洲國所知〈須〉倭根子天皇〈我〉詔旨〈良万止〉勅御命〈乎〉親王諸王諸臣百官〈乃〉人等天下公民衆聞食〈止〉宣、朕以薄徳〈天〉久纂洪緒、是以皇太子〈止〉定〈多留〉某親王〈璽〉授萬機〈介〉賜〈ヘ、天、〉令賢者〈天〉君臨四海〈セシ女天、〉令徳化〈天、〉子育萬民〈女牟止〉念行〈古止〉既經多年〈奴、〉知人鑒〈波、〉聖帝之明〈毛〉難〈止勢禮止〉所聞〈ドモ、〉此皇子温恭蘊性、仁孝凝神〈天〉太能毛之久於多比之久在〈仁〉依〈天奈牟〉此位〈乎〉授賜〈布、〉諸衆此状〈乎〉悟〈天、〉清直心〈乎毛知天、〉此皇子〈乎〉輔導〈支〉仕奉〈天、〉天下〈乎〉平〈久〉令有〈與、〉又古人有言〈利、〉上多〈支〉時〈仁波〉下苦〈ト毛〉所聞、故是以太上皇〈止〉云號〈モ〉停〈奴、〉亦諸服御〈乃〉物〈毛〉停賜〈布、〉又如此時〈璽〉當〈都々〉人々不好〈須〉謀〈利〉懷〈天、〉天下〈遠〉亂〈リ、〉己〈加〉氏門〈遠毛〉滅人等〈毛〉前々有、若此有〈牟〉人〈遠波、〉己〈我〉教々訓直〈天、〉各〈乃〉己祖〈乃〉門不滅、彌高〈爾〉仕奉欲繼思愼〈天、〉无

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0499 貳心〈之天〉仕奉〈ヘ支止〉詔天皇〈我〉勅命〈遠〉衆聞食〈止〉宣、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0499 治承四年二月廿一日癸卯、今日有讓位〈◯高倉〉事、〈◯中略〉
現神〈度〉大八洲所知〈須〉倭根子天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉勅御命〈乎〉親王諸王百官〈乃〉人等天下公民衆聞食〈止〉宣、〈◯宣下恐脱朕字〉以薄徳〈弖〉天日嗣〈乎〉永傳賜〈倍留〉事送年序〈禮利、〉愚庸之身〈波〉此位〈爾〉不堪〈度〉歎畏賜〈比氐〉令皇位賜〈比那牟止〉隨法〈爾〉可有〈支〉政〈登〉爲〈天〉皇太子〈止〉定賜〈倍留〉某親王〈爾〉此天日嗣〈乎〉授賜〈布〉衆諸此状〈乎〉悟〈天〉清直〈乃〉心〈乎〉持〈天〉皇太子〈乎〉輔導〈支〉仕奉〈天〉天下〈乎〉平〈介久〉令有〈與、〉但關白藤原朝臣輔導朕身〈天〉爲朝重臣〈利、〉見其誠心〈爾〉幼主〈乎〉寄託〈志都倍志、〉然則皇太子〈乃〉未萬機間保輔幼主〈天〉攝行政事〈世牟古止〉一如忠仁公〈◯藤原不比等〉故事〈世與、〉又古人有言〈利〉上多時〈仁者〉下苦〈止那牟〉所聞〈須、〉故是以太上天皇〈止以布〉號〈毛〉停〈免〉又諸〈乃〉服御〈乃〉物〈毛〉停賜〈比、〉又如此時〈爾〉當〈都都〉人人不好〈留〉謀〈乎〉懷〈天〉天下〈乎毛〉亂〈利〉己〈加〉氏門〈乎毛〉滅人等〈毛〉前々有〈利、〉若如此有〈牟〉人〈乎波〉己〈加〉教教訓直〈天〉各〈乃〉己祖〈乃〉門〈乎〉不滅〈須〉彌益〈仁〉仕奉〈利〉欲繼〈止〉思愼〈天〉無貳心〈志天〉仕奉〈倍志止〉詔天皇勅命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、
 治承四年二月廿一日     〈大内記業實成草 少内記惟宗業昌清書〉

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0499 貞和四年十月廿七日庚寅、今日儲君〈◯崇光〉冠儀、并讓國〈◯光明〉立坊、重疊嘉禮之日也、〈◯中略〉
現神〈止〉大八洲國所知根子天皇〈我〉詔〈良萬止〉勅御命〈乎〉親王諸王諸臣百官〈乃〉人等天下公民衆諸聞食〈止〉宣、朕以薄徳〈天〉久纂基〈利、〉徳政多闕〈天〉天下不靜〈須、〉朝夕〈爾〉思畏賜〈巳氐〉春秋漸積〈奴、〉是以皇太子〈止〉定〈多留〉興仁親王〈乎〉今日新加元服〈氐〉此天日嗣〈乎〉授賜〈布、〉諸衆此状〈於〉悟〈天〉清直〈乃〉心〈於毛知天〉此皇子〈於〉輔導〈支〉仕奉〈天〉天下〈於〉平〈久〉令有〈與、〉又如此時〈爾〉當〈都〉人人不好〈留〉謀〈於〉懷〈天〉天下〈乎毛〉亂〈利〉己〈加〉氏門〈乎毛〉滅人等〈毛〉前前有〈利、〉若如此有〈牟〉人〈於毛〉教訓直〈天〉各〈乃〉己祖〈乃〉門〈乎〉不滅〈須〉彌高〈爾〉仕奉〈利〉欲繼〈止〉思愼〈天〉無貳心〈之天〉仕奉〈倍志止〉詔天皇〈我〉勅旨〈於〉衆聞食〈止〉宣、又隨法〈爾〉可有〈支〉政〈止之天〉直仁親王〈乎〉皇太弟〈止〉定賜〈而〉此状〈於〉悟〈天〉百官人等供奉〈倍志止〉天皇〈我〉勅命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0500 貞和四年十月廿七日

〔寛永記〕

〈乙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0500 御讓位散状
 宣命
現神〈止〉大八洲國所知〈須〉倭根子天皇〈我◯明正〉詔〈良萬止〉勅命〈乎〉親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食〈止〉宣、朕以薄徳〈氐〉天日嗣〈乎〉承傳賜〈倍留〉事漸送年序〈禮利、〉愚昧之身〈波〉此位〈爾〉不堪〈止〉歎畏賜〈比天〉令皇位賜〈比奈牟止〉所念行〈天那牟〉隨法〈爾〉可有〈岐〉政〈止〉爲〈天〉紹仁親王〈乎◯後光明〉皇太子〈止〉定賜〈比天〉此天日嗣〈乎〉授賜〈布、〉衆諸此状〈乎〉悟〈氐〉清直〈乃〉心持〈天〉皇太子〈乎〉輔導〈岐〉仕奉〈氐〉天下〈乎〉平〈介久〉令有〈與、〉但攝政藤原朝臣〈波〉朝重臣〈奈利、〉見其誠心〈爾〉幼主〈乎〉寄託〈志都倍志、〉然則皇太子〈乃〉未萬機之政間保輔幼主〈天〉攝行政事〈世牟古止〉一如忠仁公故事〈世與、〉天下〈乎毛〉教訓直〈之天〉各己祖〈乃〉門〈乎〉不滅〈須〉彌高〈爾〉仕奉〈利〉欲繼〈止〉思愼〈天〉無貳心〈之天〉仕奉〈倍之止〉詔天皇〈我〉勅命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、
 寛永廿年十月三日

〔御昇壇記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0500 寶永六年六月廿一日、御讓位〈◯東山〉也、〈◯中略〉
 御讓位宣命
現神〈度〉大八洲所知〈須〉天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉宣〈布〉勅〈乎〉親王諸王諸臣百官人等天下公民衆聞食〈止〉宣〈布、〉朕以庸質〈氐〉天日嗣〈乎〉承傳賜〈比氐〉既送年序〈禮利、〉菲徳之身〈波〉此位〈仁〉不堪〈止〉歎畏賜〈比氐、〉避皇位賜〈比奈牟止〉所念行〈志、〉禮讓之儀太正〈久、〉惻隱之仁至深〈志、〉隨法〈仁〉可有〈岐〉政〈止〉爲〈氐〉皇太子〈止〉定賜〈倍留〉慶仁親王〈爾◯中御門〉此天日嗣〈乎〉授賜〈布〉即以關白藤原朝臣攝政、偏致鹽梅之和〈志、〉益結水魚之契〈氐、〉清直〈乃〉心〈乎〉抱〈岐、〉忠敬〈乃〉道〈乎〉盡〈氐、〉皇太子〈乎〉補佐〈志免〉賜〈倍止〉所念行〈奈須〉古人有言〈利、〉上多〈岐〉時〈爾波〉下苦〈止奈牟〉所聞〈須〉故〈仁〉太上天皇〈止以布〉號〈毛〉停〈免、〉又諸〈乃〉服御〈乃〉物〈毛〉停賜〈布、〉此状〈乎〉悟〈氐〉食國〈乃〉天下之政〈乎〉平〈久〉安〈久〉令有〈止〉所念行〈須、〉天皇朝廷〈乎〉助仕奉〈禮止〉宣〈布〉天皇〈我〉勅〈乎〉衆聞食〈止〉宣、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501  寶永六年六月廿一日
 ◯按ズルニ、宣命ハ此他讓位式ノ中ニ雜出シタレバ、參看スベシ、

新帝上表

〔西宮記〕

〈臨時一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 新帝表
天皇依義讓之時、上表、〈詞如臣下表〉新帝扶案、大臣已下舁表案、立前主御前、〈縁上〉内侍取之奏返給、公卿徹案、後朝重可上表、〈前帝停之、新帝着位服、〉

〔北山抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 讓位事
當日〈◯中略〉今上奉辭讓表、其儀置表凾於案上、〈厚朴函、支佐木案、有足結組總等、〉春宮亮學士大進等、〈着靴〉舁之候射塲邊、此間舊主〈着麴塵〉著御座、于時大臣以下四人〈着靴〉舁案、今上〈用太子時御袍劔笏、又着御靴、〉相扶進於庭中、舊主下殿、立南階東頭、〈父子之間可此禮〉今上端笏磬折、復御座、〈此間舁案、臣下跪地、〉舊主昇著御座、次舁案立殿南榮、自下退出、今上還御之間、舊主降階相揖、今上還御休所、内侍執表凾舊主、畢置於案上、臨檻召大臣、大臣進立庭上、内侍傳勅旨、稱唯退出、次大臣以下昇殿、舁案退出、〈清凉抄云、大納言以下舁之云々、天慶例歟、彼時有大臣一人、即奉勅參入、仍納言以下舁之、〉于時大臣以返表之状今上、〈天慶例、又奉今上綸旨、還奏舊主、〉明日重上表、其儀如初、〈舊主預止、今上相扶、幼主无(○○○)上表儀(○○○)、後日參上有御拜舞、延長安和例也、〉

〔代始和抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0501 御讓位事
父子にあらずして受禪の時は、皇太子參上して倚子につきて上表の禮あり、天慶九年、村上天皇の、御兄朱雀院の御讓をうけ給ふ時、上表揖讓の義あり、其後安和二年に、圓融院の、冷泉院の御ゆづりを受給ひ、寛弘八年に、三條院〈◯冷泉皇子〉の、一條院〈◯圓融〉の御讓を受て位につき玉ふ時、皆この禮ありし也、幼主の時は揖讓の禮なし、長和五年、後一條院の、三條院の御ゆづりを受給ふ時は、後一條九歳なり、幼主たるにより此禮なし、抑承元四年、順徳院の、土御門院の御ゆづりを受て踐祚有し時、順徳院十四歳にてまし〳〵しかば、上表の儀式有べきに、上皇後鳥羽院の仰によりて其義なかりしをば、世以て難じ侍りし事なり、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 父子讓國の時は、子たる道、よろづ父の命をそむくべきことわりなきによりて、義讓の事なし、幼主成人によらざる也、しかるに寛徳二年に、後冷泉院の受禪は、父帝後朱雀院よりつたへ給ひしかば、揖讓の義あるべからざるに、上表の義ありし、是又しかるべからざるよし其沙汰ありけり、

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 天豐財重日足姫天皇〈◯皇極〉四年六月庚戌、天豐財重日足姫天皇思欲傳位於中大兄、〈◯天智〉而詔曰云々、中大兄退語於中臣鎌子連、中臣鎌子連議曰、古人大兄殿下之兄也、輕皇子〈◯孝徳〉殿下之舅也、方今古人大兄在、而殿下陟天皇位、便違人弟恭遜之心、且立舅以答民望、不亦可乎、於是中大兄深嘉厥議、密以奏聞、天豐財重日足姫天皇授璽綬位、策曰、咨爾輕皇子云々、輕皇子再三固辭、轉讓於古人大兄〈更名古人大市皇子〉曰、大兄命是昔天皇所生、而又年長、以斯二理、可天位、於是古人大兄避座逡巡、拱手辭曰、奉順天皇聖旨、何勞推讓於臣、臣願出家入于吉野、勤修佛道、奉祐天皇、辭訖解佩刀、投擲於地、亦命帳内皆令刀、即日詣於法興寺佛殿與塔間、剔除髯髮、披着袈裟、由是輕皇子不固辭、升壇即祚、
◯按ズルニ、孝徳天皇ハ、皇極天皇ノ同母弟ナリ、後世父子ニアラズシテ受禪シ給フ時ニ、必ズ固辭シテ上表シ給フハ、蓋シ此時ニ萌セルモノナラン、

〔日本後紀〕

〈十七平城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0502 大同四年四月丙子朔、〈◯中略〉天皇自從去春、寢膳不安、遂禪位於皇太弟、〈◯嵯峨、中略、〉後太上天皇〈◯嵯峨〉涕泣固辭、乃上表陳讓曰、臣幽昧自天、教訓無染、逸遊率性、機務未渉、陛下奬飭、恭茲儲貳、顧惟重託、罔顏〈◯原本脱寄顏二宇、據一本補、〉頃者聖體乖和、淹除日月、醫藥無驗、責在臣躬、今忽遜神器、傳之孱蒙、事殊恒制、聞命兢惕、若登此皇階、當彼大寳、人神之聖既缺、中外之心又沮、冀日復甞藥、祈天遠壽、佇昇平於半武、濫庶績於一簣、無懇迫之至、謹奉表以聞、天皇不許、 丁丑、天皇避御於東宮、上未敢當一レ命、
 戊寅、上復抗表曰、臣聞天下神器、不輕傳、皇業大寳、非聖不踐、抗表冐請、庶蒙優容、丹欵不孚、玄鑒悠邈、俯仰焦惶、心魂靡厝、臣學慙一物、勤缺三朝、生長深宮、素闇稼穡、常欲靜忝宸位、周施聖訓、頌王澤

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 於泰平、覩至治之欝起、而陛下不鄙衷、〈◯原本脱衷字、據一本補、〉強授鼎祚、臣之檮昧、何堪之有也、但以君唱臣和、上下之分、綸詔忽降、敢不對揚、苟欲志、還懼命、臣冀咨詢公卿、權攝萬機之務、穆卜有効、當翌日之瘳、然後臨學齒冑、道終年、在臣至願、實爲欣幸、無悚戰之至、謹重詣闕奉表以聞、詔不許、天皇遂傳位、

〔日本紀略〕

〈嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 弘仁十四年四月庚子、帝御前殿今上〈◯淳和〉曰、朕、〈◯中略〉欲位於太弟、已經數年、今果宿心之、今上避位跪言、〈◯中略〉不敢承一レ勅、帝不許、〈◯中略〉今上奉表曰、臣聞云々、帝不聽、詔曰、現神〈登〉大八洲所知云々、翌日今上朝于冷然院、重抗表陳讓曰云々、帝遂不許、

〔續日本後紀〕

〈一仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0503 天長十年二月乙酉、皇帝〈◯淳和〉於淳和院位于皇太子、〈◯仁明〉詔曰、〈◯中略〉是夕今上抗表辭寳位曰、臣某言、照以明鏡、妍蚩難逃、逼以恩綸、喜懼失據、臣某誠恐誠惶頓首頓首死罪死罪、臣道徳兩蕪、進退多躓、情性雙昧、執守無常、維昔扈先皇於姑射、優遊霜雪之光、順聖后於後園、匍匐章珮之陰、而皇帝陛下枉恩紫霄、延登分外、啓榮耀於欲一レ隱、導慈訓於未一レ知、悲深而父、愛鍾猶子、辭不免、久辱洊雷、露往霜來、十載於此、徳誘不倦、顧恤殊甚、思欲隨形逐聲、心神是役、終天畢地、身命不一レ疲、今亦推大寳以錫昭華、避樞極以授乾象、前愧未已後懼更頻、實以纕纖塗重、輈徹任博、施之人事、尚有負乘之慙、求之天途、何无盈之釁、伏願日月貞明之景、毎照蒼生、雲雨行施之恩、永潤品彙、然則世寢喧嘩、臣免譴誚、若不允容、悉纒衆讟、君臣之議謂天下何、不傾戰憂懼之至、拜表以聞、後太上天皇不聽、 丙戌、今上重抗奉曰、臣某言、人之所願天必隨、道之所通物不擁、臣承恩詔、伏瀝血誠、既踰匝辰、未允亮、臣某〈申謝〉夫大陽方照、空履泮之氷、悚汗頻流、猶臨不測之底、踏焦非懼、渉呂須傾、天道无私、冀垂鑒許、若不已、猶御閑蹤、則民厭善仁、世倦聖治、然後逐洞庭之野、於事纔宜也、當今群品得所、黔首繫心、覆燾之恩、江海可謝、亭毒之徳、乾坤惟均、加以雷門之下、布鼔失聲、朝陽之餘、蛍火難照、竟究詞盡、不爲、君擧必盡、恐遺物議、伏用丹誠、非敢矯飾、懇慤之深、重表陳請、後太上天皇遂亦不許、於是天皇命

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504、拜謁先太上天皇〈◯嵯峨〉及太皇太后宮於冷然院、還御東宮

〔踐祚部類抄〕

〈村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 天慶九年四月廿日庚辰、受禪、〈◯中略〉
十九日、有拜表儀、其儀畢令内侍獻御服一襲於新帝、加御笏、廿二日、新主遷御綾綺殿

〔踐祚部類抄〕

〈圓融〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 安和二年八月十三日戊子、受禪、〈◯中略〉
十二日、〈◯中略〉今上不南殿、有上表、父子之間可此禮云々、

〔踐祚部類抄〕

〈花山〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 永觀二年八月廿七日甲辰、受禪、〈新帝即日入御大内、(中略)有拜表儀、〉
廿七日、出御南殿此拜表、兩主揖讓、爲光卿於今上御前、定申藏人昇殿已下勅授昇殿人等拜、申刻遷幸大内、有、亥刻東宮入御梅壺

〔日本紀略〕

〈十一一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 寛弘八年六月十三日乙卯、有御讓位事、午刻宣命云、皇太子〈止〉定賜〈へ留〉居貞親王〈仁◯三條〉天日嗣〈遠〉授賜〈布、◯中略〉新帝上表陳謝、

〔踐祚部類抄〕

〈後冷泉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 寛徳二年正月十六日癸酉、受禪、〈◯中略〉
 同日、〈◯中略〉有拜表儀
◯按ズルニ、後朱雀天皇後冷泉天皇御父子ノ禪讓ニ、拜表ノ儀アリシハ異例ナリ、

官人裝束

〔西宮記〕

〈臨時四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 天皇讓位〈◯中略〉
裝束如例、諸衞將佐、着縫腋壺胡籙靴也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 仁安三年二月十九日壬子、今日有御讓位〈◯六條〉事、〈◯中略〉左大將隨身官人褐垂袴、右大將官人束帶如節會云云、兩將軍作法已相違、以何可佳哉云々、 三月四日丙寅、相公云、〈◯中略〉去御讓位日、左右兩大將、隨身裝束相違云々、左府云、依應徳之例用也云云、先帝御讓位日、當攝政束帶云々、是如右大將也、左府者褐垂袴云云、又云、攝政行啓日者、被蒔繪劒歟云々、下官云、蒔繪也、相公云、於禁中更被帶螺鈿劒云々、是事如何、縱東宮行啓必可蒔繪節會日也、自本被螺鈿劒何事哉、何况東

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 宮行啓裝束如行幸也、是不于今事也、而今如此、若有存知歟、尤不審也、
◯按ズルニ、此處ニ東宮行啓ト云ヘルハ、受禪ノ日、南殿ヘ行啓セラルヽヲ云フ、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 治承四年二月廿日壬寅、余依召參御前、以應徳爲房記、御讓位之間事有沙汰、依仰余書出次第進覽畢、今夜參上、殊有叡感、〈◯中略〉今日女房等問余云、明日取劒璽次將之内侍裝束、節會儀歟、〈用纐纈云云〉行幸之儀歟、〈紫末濃云々〉余答知之由、但案事理、可行幸裝束也、女房又云、先可節會召、仍件内侍不裝束役歟之由人々不審也云々、此條又尤可然、但主上可御南殿、仍只召内侍一人、可節會裝束、今一人ハ不然、仍兩人裝束相違歟、然者行幸裝束可宜歟、猶可人々之由答之、 廿一日癸卯、此日有讓位〈◯高倉〉事、〈◯中略〉戌刻余參東宮、於殿上春宮大夫忠親卿言談、此次有讓位之日、諸衞并隨身裝束事、忠親云、仁安花山相國官人束帶云々、〈彼時右大將〉余云、兩主同居之時有此例、所謂保安永治如此、御所各別之儀未此例、長和隨身狩胡籙應徳近衞官人著褐衣〈不胡籙事〉之由見爲房記、仁安者、別所之儀也、可長和應徳例歟如何、忠親無又言、頗有理之色也、〈◯中略〉
今日隨身裝束事
式文云、近衞服中儀、長和小右記云、近衞服中儀、〈縫腋壺胡籙〉攝政及左大將隨身狩胡籙、余隨身壺胡籙、應徳江記云、近衞次將縫腋壺胡籙、外衞闕腋平胡籙、六位糸鞋云々、〈隨身裝束事不見〉同爲房記云、近衞次將裝束同江記、但官人褐衣、外衞平胡籙、官人平裝束云々、〈隨身裝束不見了〉
 已上劒璽渡御他所
永治宇治左大臣記云、攝政已下隨身官人束帶、番長已下壺胡籙垂袴云々、久壽記云、隨身等垂袴云々、
 已上同居之儀
永萬仁安兩度共、攝政左右大將隨身壺胡籙垂袴、官人束帶云々、是則別所之儀也、但仁安左大將

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 官人褐衣云々、但垂袴也、
此等例之、兩主同居之儀、偏准節會、官人著束帶歟、〈此條猶以不審、立太子、任大臣等、官人著褐衣、讓位之禮、同立太子等例、至隨身裝束、有此相違哉、但己爲流例歟、〉御所各別之時、劒璽渡御之行列、大途同行幸、仍長和帶狩胡籙、又應徳記雖載、隨身不束帶歟、仍別所之儀、同居之禮、頗有相違歟、而永萬仁安等、偏守保安永治之近例、不御所各別之相違歟、仍束帶之條有疑、次狩胡籙、壺胡籙之間事、應徳之記不詳、長和之例炳焉、爲御堂餘流之人、豈存異議哉、仍余及大將隨身、狩胡籙葈脛巾也、又以此例關白、但永萬例一向難棄歟、此上可斟酌之由加示之、而猶被長和例、左大將又依長和右大將實資跡、用垂袴歟、且是久壽得大將左大臣例云々、彼已同所儀也、不今度歟、凡讓位之日、諸衞裝束、首尾錯亂、難一偏、只以古賢之跡證乎、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 治承四年二月廿一日癸卯、今日有讓位〈◯高倉〉事、〈◯中略〉申刻著束帶〈有文帶、不魚袋、螺鈿劔也、平緒相具靴、乘檳榔毛車、〉參内、左少將兼宗縫腋垂纓、蒔繪劔、紺地平緒、桐壺緌懸、平題箭、不具靴、或雖之、今日用淺履、隨身壺蘇芳狩袴、召仰之後可弓箭也、供奉劔璽之時、近衞司猶不裝束、至于外衞者、召仰時著縫腋、供奉劒璽之時著闕腋、依歩行尻鞘、或又用之、於隨身者、猶垂袴壺也、但靱負佐隨身用狩胡籙葈脛巾、〈◯中畧〉
傳聞事〈◯中略〉
  劒璽出御事
頭辨役、次將左中將泰通朝臣、右中將隆房朝臣、賜弓於隨身裾、先日隆房朝臣嚴親帥卿、内々被合之、可裾哉否、堂上儀雖然、持劒璽之役降堂下、自不裾、又以如隨身之懸、甚可便、闕腋縫腋其儀雖異、行幸之時、取劒璽時不闕腋、相准之何事有哉者、後日相尋此事兩代人々之處、皆懸之云々、又問云、筵道上可沓哉否、答云、舊例所見不分明、仁安頼定實宗著沓、不可否者、後日

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 面謁之時被示云、筵道上之著沓無理、徒韈可宜之由所存也者、而今日雨濕不叶、仍著之出中門之間、隨身置淺沓於筵上退、兩將著之、抑又帥卿示送云、雨猶不止者可表衣前、而參進堂上時可懸歟者、答云此事雖打任不一レ相違、裾爲甚雨之可參上歟、今夜雨止、仍不前、又云、雨不止者、誰人可笠哉、將監如何者、答云、雖讓位雨儀、劒璽渡御他所之時、無雨儀例、今案如命將監何事之有哉、但奉仕御輿雨皮之時、近將勤之、一人差笠之例也、准彼儀若次將可差歟、但一定不思得者、後聞左府云、將監可宜歟云々、笠事可私笠歟、極雖便、此外無計略、人々案又如此云々、〈◯中略〉
  人々裝束并隨身
 公卿
  隱文帶〈不魚袋〉   螺鈿劒   平胡籙   靴〈路頭淺履〉
  隨身〈攝政、右大臣、左大將、狩胡籙、攝政官人同著褐衣狩胡籙、左大將以下、自餘公卿、皆壺垂袴、別當隨身同垂袴壺也、看督長不葈、引布帶、火長引布帶、〉
 辨官
  巡方帶
 近衞將
 縫腋   丸鞆帶   蒔繪螺鈿劒   淺履〈或靴〉
 外衞佐
  左衞門佐
  權佐光長
   召仰後改著闕腋袍  巡方帶  平胡籙  螺鈿野劔〈差尻鞘
   隨身、葈脛巾負狩胡籙
看督長四人、葈脛巾布帶、火長二人、〈烏帽子如恒〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508   右衞門佐隆雅
   裝束同前、但不尻鞘
   隨身垂袴壺
  權佐親雅
   如左權佐
  左兵衞佐
  權佐
  右兵衞佐
  權佐

〔宮槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 承元四年十一月廿五日己酉、今日御讓位〈◯土御門〉也、實時公棟等參勤之由談之、垂纓蒔繪劒丸鞆帶等之由兼諷諫之、行幸之時自里亭卷纓爲常事、其定如何之由實時尋之、此日猶垂纓可參内也、况於警固事者、勿論承其事之後卷纓也、關白隨身官人平裝束、〈依節會歟〉番長以下壺垂袴、左大將隨身狩胡籙、市比脛巾、右大將隨身壺垂袴、大將別當平胡籙先例也、別當隨身以下皆狩胡籙云々、昨所合予也、其外公卿將衞府公卿皆平胡籙云々、内侍、〈白衣濃打衣◯節略〉

〔徳大寺相國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 承久三年四月廿日甲戌、今日御讓位〈◯順徳〉也、仍自家卷纓縫腋具壺弓靴等、其後䡨毛車於中門、前駈一人、隨身三人也、帶弓箭西中門、公卿群集此邊、新參議雅清卿又予之外、无壺之人、皆平胡籙也、〈◯節略〉

〔平戸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 仁治三年正月十八日辛丑、人々以消息合劒璽供奉之儀、先例有文無文帶、螺鈿蒔繪劒等皆不同事也、共不難歟、但今度不有節會、只可劒璽許歟、仍無文帶、蒔繪劔、淺沓可宜歟、久壽例似今度、其時多以如此、彼時〈モ〉師長經宗雅通著靴、三人隱文帶、平胡籙、螺鈿劒云々、以此等之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509退參了、

〔永徳假名次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 御讓位次第
當日早旦に、一上第にて召仰の事あり、
奉行職事參仕の時、御冠直衣御袴きはにて、公卿座に御著座、〈◯中略〉
刻限大臣以下陣座に著す
有文帶、螺鈿大刀、紫緂平緒なり、緌平胡籙は用意せられてもたせらるべし、今度別勅によりてなり、〈◯中略〉
次上卿座を起て、宣仁門代をいでヽ、纓をまき緌をかけて、平胡籙を帶して、陣の座にかへり著す、〈◯中略〉
次節會儀、内辨陣の座をたちて、宣仁門代にて纓緌をとりて、纓をたれ、弓箭を撤して、笏をとり、靴を著す、〈◯中略〉
大臣以下諸卿參入
御下車の時、纓を卷て、緌をして、弓箭を帶せらるべし、

〔常永入道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 應永十九年八月廿九日壬午、今日御讓位〈◯後小松〉也、奉行頭右大辨藤原清良朝臣也、酉刻親王御方、〈◯稱光〉自裏松亭御土御門内裏、室町殿〈◯足利義持〉爲御同車參彼亭、公卿殿上人少々扈從、永藤朝臣御共、文車束帶如恒、牛飼〈狩衣〉雜色如恒、親王御服〈御年十二〉自一昨夜御裏松亭也、御冠、御直衣、〈三重たすき〉紅御引部木、〈文小葵、不御妻、〉更衣御單、紫御指貫、〈御文窠霰、生浮織物御服白自上下ウシナ組之、〉紅御下袴、御帶、〈蘇芳遠菱如恒〉蝙蝠御扇、御沓、御車、〈網代庇〉以上予奉仕之、雖法體召參、絹直綴生大口著之、眉目之至也、永藤朝臣出御前裝束也、親王御方扈從、公卿毛車、殿上人前馳、皆束帶也、室町殿束帶如昨日

用途

〔良賢入道記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0509 永徳二年四月十一日庚寅、今日天皇〈◯後圓融〉讓位于皇子、〈◯後小松、中略、〉今度藏人方調進御調度

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 等新調、古物修理等事、兼日用途折中、藏人方折中過分、仍被大藏省年預親弘、非分調進云云、傳奏萬里小路一品被仰付云々、

〔後花園院御讓位下書注文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510  六月
二日     七千疋     内裏仙洞御服方
三日     千五百疋 内〈千疋、御厨子小預調進方、五百疋、御服臺新調、〉
      參千疋     内裏御替物方
      千八百疋   御輿并南殿御裝束方
四日    貳千疋     網代庇御車修理料足
      千疋      大藏省并木工寮調進方
      貳千百疋   内侍所御神樂御用脚
      五百疋    内藏寮調進方
      八百疋   藏人方爲調進料
八日    萬疋     大法供料聖護院へ
十一日   參百疋     朝餉御膳具修理料
十二日    參百疋     朝餉御膳具修理料
      千七百疋   親王渡御日御裝束新調、并御潤色已下要脚、
十三日   百疋     御讓位總用之御服方
廿一日   參千五百疋  内侍所織錦代
      參百疋   兩御所御冠要脚

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511       參千疋     衞府長二人御訪
      五百疋     掃部寮
      五千疋    内裏御替物方
      萬疋      女房達御訪
      五百疋    内藏寮年預調進方
      貳千疋     瀧口兩人御訪
廿四日   萬疋     内藏寮御服方、且又山科家雜掌ニ下行、
廿一日   參百疋     内侍所渡御御白木御臺二脚、并御草鞋新調代、
      參千七百五疋 網代庇御車御修理料
      九百五疋   内侍所御膳具
廿六日   貳百疋    内侍所御神樂留所作人御訪
廿七日   千疋     内藏寮調進方
      參千疋    室町殿御寢殿御簾御疊方
      千百七拾疋  大藏省木工寮方
      千疋     行幸供奉東豎子御訪
      七百五拾疋  〈朝餉臺盤、并唐櫃高燈籠、儲御所劔璽机一脚、代一貫五百使人御訪、〉
      五百疋    掃部寮且下行
七月
二日    五千貳百疋  〈刀自九人御訪、同内侍所渡御御供奉御訪、御湯始御訪、御匣御訪、主殿司一人御訪、女孺御訪、〉
廿七日(六月)   貳千疋    召次八人御訪之内

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 五日(七月)     貳萬五千疋  兩御所御女房達十六人御訪
      八千疋    〈親王渡御牛飼三人御訪、自内裏御牛飼御遣手狩衣御訪、直垂着十人御訪、〉
      貳千疋    瀧口兩人御訪殘也
      貳千疋    南殿御裝束御輿修理木殘
      七千疋    衞府長二人御訪殘
      六千疋    還御料諸大夫四人御訪
      千參拾五疋  朝餉御膳具、御臺所具修理以下下行、
      萬參千八百六拾疋 内裏御督物方殘
      六百五拾疋  御湯殿始御湯桶新調、并親王渡御御訪、
      五百疋    行幸供奉雜隼人五人御訪
      七百五拾疋  内藏寮年預方調進物殘
      貳千疋    藏人三人
      千九百七拾疋 内侍所御膳具下行殘
      三千五百疋  行幸供奉官人御訪
      萬七千九百參拾疋 御膳方要脚
      參千七百疋  内藏寮之官調進方所殘也
      七百疋     行幸立樂御訪
      百疋     南座兩日御訪
      四千貳百疋  〈行幸并御讓位女官十人御訪、采女六人御訪、水司六人御訪、〉
      貳千四百疋  還御之時番頭八人御訪

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0513       千貳百五拾疋 〈内侍所供神物、宜陽殿下机、同勸盃、〉
      參百五拾疋  内侍所渡御供奉刀自三人御訪
      千貳百疋   〈行幸并御讓位主殿官人二人、南殿兩御所掌燈、平呉床四人御訪、〉
      千五百疋   所衆三人御訪
      貳千四百疋  〈行幸并御讓位兩日分理髮二人御訪、得選三人御訪、闈司御訪、内裏仙洞臺所替物、〉
      八千七百五拾疋 〈御厨子所調進以下、内裏仙洞兩日一獻等殘也、〉
      貳千五百疋  廳官御訪、召使御訪、
      貳千疋    大外記御訪
      參百參拾疋  供御所調進方
      千四百參拾疋 〈召使御訪、内舍人三人御訪、文殿御訪、中務省版外記使部二人御訪、〉
      百五拾疋   御出方召次御訪
      貳千疋    〈陣官人御訪、固關使三人御訪、劔璽渡御六府御訪、〉
      貳千疋    御輿固四人御訪、大舍人八人御訪、内舍人御訪、
      四千參百拾疋 御廂殿鋪設翠簾方
      五百疋    行幸供奉釜殿六人御訪
      參千五百疋 御輿長廿人御訪
      五千九百七拾疋 〈行幸并御讓位出納御訪、同小舍人御訪、仙洞御帳帷未下分、同几帳手一本新調分、同殿上臺盤三脚代、高燈籠六本代、同打敷六代、〉
      六百疋    衞士御訪御物渡、并掃除以下分、
      四千貳百疋  御車副六人御訪
      參百五拾五疋 東洞院殿鎭宅御祈供料

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514      四百疋    内豎二人御訪
      貳百疋    官使丁御訪
十一日   貳百疋    掃部寮未下分
      千疋     東洞院殿大鎭御祭料
      參百疋    行幸反閇御訪
      千疋     御讓位御祈、略泰山府君祭料、
      貳百疋    宜陽殿三ケ夜饗膳
      貳百疋    進物所雜具料、御膳持御訪、
      千疋     親王渡御御祈祭之料
      參百疋    親王渡御反閇御訪
十二日   千疋     大殿祭忌中御訪
十三日   參百疋    大殿祭忌物
      貳千疋    内膳奉膳屋形引渡御訪
十二日   四百疋    六位外記御訪
十四日   貳百疋    内膳司御膳調進、御膳持御訪、
十五日   貳百疋    〈御湯殿御湯桶皆具代未下分、部屋泉御訪、〉
五日    七千貳百疋  召次八人御訪
十二日   六拾疋    内匠寮
  以上貳千六百五拾五貫捌百文歟
七、廿四   九百參拾疋  仙洞御祈始、同御湯殿始、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515  廿六   千疋     仙洞御祈始祭料
      五拾疋    同御祈始
       參百貳拾疋  同御祈始大藏省注進
七、廿九   萬貳千八百五拾五疋 御幸始唐廂御車御修理料
      五千四百疋 同時御隨身付花要脚
七、卅日   參千八百六拾疋 同時毛車御修理料
七、廿六   七百疋    禁裏御祈始七瀬御祓祭料
八、三    五千參百疋
      參千六百疋  御幸始御隨身八人付花要脚
      千貳百七拾八疋 御幸始御車下簾代
七、卅    萬疋     御幸始御隨身將曹御訪
八、三    八千疋    御幸始御隨身番長御訪
      八千疋    御幸始御隨身府生御訪
      萬疋     御幸始官人番長御訪
八、一    五千疋    御幸始御渡官人御訪〈◯節略〉

〔東寺百合古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 〈六月十六日到來〉
  留守所下
御讓位〈◯後花園〉方   若狹國段錢之事
 太郞莊本所 十二町九反廿歩〈一反別八十文宛〉
右任卯月廿八日御事書旨、來十五日以前可究濟、若於難澁之在所者、譴責使可入部之状如件、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516  寛正五年六月九日
               花押
            目代

〔蔭凉軒日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 寛正五年七月十四日、就當寺讓位〈◯後花園〉段錢三百〈◯百下恐脱貫字〉文而、今日中可皆濟之旨、夜前以伊勢備中守仰出仍嚴命于寺家、都間盛都聞可勤之由被仰出也、昔年大徳院月浦和尚、被百五十貫文、今無其人、故捨五十貫文、自寺家百貫文之由被仰出、雖然自寺家出之三百貫文、尚以難辨、况月浦和尚之分被閣、則爲幸之由申之、依寺産多少配當也、究明追可仰出之由被仰出、先以爲喜也、 十月廿七日、播州寳雲寺領、讓位段錢京濟之事、齋藤四郞右衞門伺之、

〔東寺百合古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 包紙〈寛正五、七、廿四到來、〉
  自新見莊              金子彈正左衞門尉
                     福 本 式 部 尉
                     宮田帶刀左衞門尉〈◯中略〉
 進上〈東寺〉公文所殿
畏申上候、
抑自守護方、〈去廿五日〉御讓位〈◯後花園〉段錢被申候而、催促を大勢被入候、公私めいわく此事にて候、さ候間此方の事は、自先例守護不入之在所之事にて候を、今更かやうに催促候間、驚入存候、御百姓等は、中々使のあいしらい、ふつと申事あるまじく候と申候て、日々寄合仕候而、使をおつたて申候て、其まヽ家をあけ候はんと、かたく申定之處を、先々相留候て、使を我々としてあいしらいさうじ等を仕候、使大勢にていらんとも仕候間、談合申候て、守護代へ京都一注進之間、先御使をも御立候て給候へと、わび事之状を政所殿より御つかはし候へども、使不立候、風渡公文殿を上

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0517 せ申候はんと申定候處に、御風ふるい出候而、無其儀候間、公私一大事之御出事にて候間、政所殿御上洛候て、こヽもとの時宜御念頃に御申候はでは、地下ちやうさん可仕候間、風渡御上候、尤我々も罷上候て申上べく候へ共、一注進之間、〈十五日、廿五日、〉使を御立候へと申候へ共、不立候間、重守護代自御代官、地頭方へひつかけを以御わび事候へと、我々申上候、料足壹貫文先しゆん付と被仰候て御出候、同五十疋御禮物と談合仕候て御出候、守護代申され候やうは、禮物之事は公事道行候はば可給候、先しゆん付之分、請取を進じ候と申され候て、うけ取を取出候、則其請取返事之状、御代官御持候て御上候、御披見めさるべし、定而日數廻候はヾ重使可入候間、さやう之時は、我々國にて其あつかひをも仕、御百姓中へもいけんをも仕候はでは、事やぶれ候はんずる間不罷上候、委細者政所殿御申あるべく候間、大方申上候、御奉書なんど被畏候はん時之御禮錢なんどの事は、御百姓中へも可申付候、地頭方之ごとく事行候者目出度可畏入候、返々御奉書を御申御下候はでは、地下無異にあるまじく候、安富方之時、兩度使入候しか共、不入之事にて候間、おつ立申候て、其沙汰を致たる事なく候、今度もさやうに可仕候へ共、今は御ちきむの御事にて候間、御出事をも仕出候て、御本所之御煩も出來候てはいかヾと存候て、むくらに我々として先使をもあいしらい、さうじ等をも仕候而、こヽもと無爲に使をも立候て、政所殿を上せ申候、仍地頭方政所殿之事、御意之まヽいづれも作立申候、公文殿政所殿、久々御しんらうぜひなく候、我々もがいぶん奉公をいたし申候間、政所殿御申あるべく候、此公事に付候て罷上候ては、行事はて候はヾ御しんしやく候へども、公方様地下之一大事にて候間、御上洛候はではと申候て風渡上せ申候、いかやうにも無爲の御けいりやく候はヾ、御目出度畏入可存候、此旨以可御披露候、恐惶謹言、
  七月十六日                衡氏〈判〉
                      盛吉〈判〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518                       家高〈判〉
 進上〈東寺〉
     公文所殿

〔東寺百合古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 新見莊領家職御讓位段錢折紙事認置候、早々可召候、恐々謹言、
  十月一日          齋藤左近將監基敦〈花押〉
 東寺雜掌
進――――――――――――

〔東寺百合古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 御讓位段錢配付 とうじ〈寛正、五、十二、〉
御讓位要脚段錢事、壹段別百拾參文宛、來十三日以前可究濟、若有難澁也、可部譴責使者也、
  寛正五年十二月八日           從眞〈花押〉
                     正應〈花押〉
   とうじ

〔蔭涼軒日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518 寛正五年五月廿日、天龍臨川三會就段錢、以前御免許之折紙有之、當時定有其例、然同前可御免許歟之由申之、但寺奉行以支證披露、可理運乎之由申之、仍天龍臨川三會奉行飯尾兵衞大夫披露之、與伊勢守評論之由被仰出云々、 八月十五日、備前新田莊寺庵段錢、自守護方懸之事、以先規御免除御奉書、遣于飯尾兵衞大夫也、津掃部頭支證奉于御目、仍御免除御奉書之事、於殿中于飯尾兵衞大夫也、 十月三日、新田莊三箇保讓位段錢、定光請状奉于御目也、御小袖三重盆段子高檀紙杉原各十帖、自天龍寺之、

〔東寺百合古文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0519 相國寺領、備中國大井莊、并石蟹郷等御讓位段錢事、爲直進之上者、可止國催促候由也、仍執達如件、
  六月九日           布施下野守貞基〈判〉
               飯尾兵衞大夫貞有〈判〉
   守護代
相國寺領、備中國大井莊并石蟹郷等御讓位段錢之事、任六月九日御奉書旨、可止國催促由候也、仍執達如件、
  寛正五、六月十四日 基敦〈在判〉
   石河左近將監殿
   莊右京亮殿
   有岡左近將監殿
御讓位料太良莊段錢免除状案
東寺領、若狹國太郞莊御讓位段錢事、先々爲免除地上者、早可止國催促候由候也、仍執達如件、
  寛正五、六月十九日           齋藤遠州玄良〈判〉
                     飯尾大和元連〈判〉
   武田大膳大夫殿
御讓位料太良莊段錢免除武田折紙案
東寺領、太良莊御讓位段錢事、爲免除地之上者、早可國催促候由候也、仍執達如件、
  寛正五、六月廿日            長行〈判〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520    内藤八郞殿
   山中但馬守殿
山城國御讓位段錢免除状案〈寛正五、十二、廿六、〉
東寺領、山城國久世上下莊、上野拜師植松莊、東西九條〈號女御田〉所々散在田地等、御讓位段錢事、爲先々免除地之上者、所止催促之状如件、
  寛正五、十二月廿六日           布施新右衞門清基〈判〉
                    清 式 部 秀數〈判〉

參賀進獻

〔蔭涼軒日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 寛正五年七月廿日、今晨奉報、來晨慶雲院御成之事也、今晨雖讓位〈◯後花園〉御禮、自夜前禁裏節會未終、仍參侍而被之、門庭如市也、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0520 天正十四年十一月七日、御じやうゐ〈◯正親町〉あり、をとこたちのこらずしこう、女中ものこらず御ともなり、てんきよくてめでたし〳〵、御てんのうへにつる五はまふ、みな〳〵御らんずる、しんわうの御かた、〈◯後陽成〉こよひより御所にならしまし、くわんはく殿より御しやうぞく、なつのはう、ふゆのはう、御なたヽいの御ふく參る、御ふくも十かさね參るめでたし〳〵、しこうのをとこたちみな〳〵御れい御申めでたし〳〵、 八日、くわんはく殿より、みづしのたなにかいのたな、御ちやのゆだな、文ばこ三ツ、ふでばこ一ツ、すみとり、すみあるじきろう一ツ、ちいさきじきろう一つい、御はんざうつのだらい三ツ、ぢんの御こきやうそく、うちみだれのはこ、たんざくばこ、この御だうぐ色々參る、めでたし〳〵、御代はじめの御れい、ない〳〵御たちきんふくりんにて御れい申さるヽ、 九日、くわんはくしよ大夫、木下はんざへもん、日ねのはんざへもん、一そくまき物にて御れい申、くわんじゆ寺中山日ろう、花山院殿より三色三が參る、 十日、ゐんの御所二位殿より三色三が參る、同上らう一位殿よりみのがけ一そく參る、頭中將まつの木

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 じヾう、きんふくりんにて御れい申さるヽ、こが殿より五色五か參る、さいおん寺より三色三が參る、十一日、ゐんの御所上らうごん大納言そちどの、はりまどのより御たる參る、どんげゐん殿よりも三色三が參る、きくてい殿より三色三が參る、三でう大なごんより三色三が參る、〈◯節略〉

〔常憲院殿御實記〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 貞享四年三月十四日、京にて御讓位〈靈元院〉御受禪〈東山院〉ありし賀使命ぜられ、高家畠山民部大輔基玄いとま給ふ、大内に銀三百枚、小袖三十、本院新院に銀二百枚、綿百把、各御大刀そひたり、中宮に銀百枚、女五宮に五十枚進ぜらる、一條關白兼輝公に御大刀銀五十枚、傳奏に金一枚づヽ、内侍に銀三十枚くださる、 廿七日、こたび京にて御讓位御受禪ありしをほがれて、家門より使奉らる、

〔御昇壇記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 一就御讓位〈◯東山〉御受禪、〈◯中御門〉東使畠山下總守、六月〈◯寳永六年〉廿三日上着、廿五日參内院參、廿九日、御暇、被從四位下
一就御讓位御受禪、自六月廿三日七月三日、攝家、親王、諸家、内々外様、門跡、黒御所ニ迄御禮、
  御受禪之御祝儀
 從新帝仙洞〈江〉
  御大刀 御馬〈代黄金三十兩〉 紗綾〈二十卷〉 三荷三種
 女院、中宮、大准后、
  黄金 一荷二種宛
  御讓位御祝儀
 從新院仙洞〈江〉
  御絹〈五疋〉 白銀〈五十枚〉 二荷三種

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0522  女院、中宮、大准后、
  白銀〈二十枚〉 一荷二種宛
一就御讓位御受禪、從關東御祝儀、
  從大樹公
 新帝〈江〉 御大刀 白銀三百枚 御袷三十
 仙洞 御大刀 白銀三百枚 綿百把
 院御所 右同
 女院 白銀百枚
 中宮 右同
 大准后 右同
             御大刀 白銀五十枚 近衞關白殿
             御大刀 黄金一枚 高野大納言
             右同 庭田前大納言
             白銀三十枚 勾當内侍
  從御臺御方
 新帝 紗綾三十卷 二種一荷
 仙洞 紗綾二十卷 一種一荷
 院御所 右同
 女院 縮緬十卷 一種一荷
 中宮 右同

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523  大准后 右同
            畠山下總守獻上
 禁裏 御大刀馬代〈銀一枚〉 干鯛一箱 御樽一荷
 仙洞 御大刀銀馬代 和紙五十束〈箱入〉
 新院 右同
 女院 和紙三十束
 中宮 右同
 大准后 右同
            尾張中納言吉通卿 〈使者〉岩田長右衞門
 禁裏 紗綾〈三十卷箱入〉 昆布〈一箱〉 鹽鯛〈一箱〉 鰑〈一箱〉 御樽二荷
 新院 白銀〈三十枚〉 昆布〈一箱〉 鹽鯛〈一箱〉 鰑〈一箱〉 御樽二荷
            水戸中納言綱條卿 〈使者〉豐 外 記
 禁裏 縮緬〈二十卷箱入〉 昆布〈一箱〉 干鯛〈一箱〉 御樽一荷
 新院 縮緬〈十卷箱入〉 昆布〈一箱〉 干鯛〈一箱〉 御樽一荷
            紀伊中納言吉宗卿 〈使者〉目賀田五郞七
 禁裏 白紗綾〈三十卷箱入〉 昆布〈一箱〉 鹽鯛〈一箱〉 鰑〈一箱〉 御樽二荷
 新院 白銀三十枚 御樽肴右同
            水戸三位中將吉孚卿〈使者〉川勝權右衞門
 禁裏 縮緬〈十卷箱入〉 干鯛〈一箱〉 御樽一荷
 新院 縮緬〈五卷箱入〉 干鯛〈一箱〉 御樽一荷

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524  右仙洞御所、女院御所、中宮、大准后へ進獻無之、使者御祝儀口状計也、

〔有徳院殿御實記〕

〈四十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 享保二十年三月十八日、こたび御讓位〈◯中御門〉御受禪〈◯櫻町〉によて、京に進らせ給ふ品は、主上に大刀、銀三百枚、小袖三十、院に大刀、銀二百枚、綿百把、近衞關白家久公に大刀、銀五十枚、兩傳奏に金馬代、勾當内侍に銀三十枚、大納言殿より内に大刀、銀二百枚、綿百把、院に大刀、銀百枚、天英院殿より内に紗綾三十卷、二種一荷、院に二十卷一種一荷なり、 閏三月十三日、こたび御讓位御受禪を賀せられ、日光准后に、高家前田隱岐守玄長御使せらる、准后よりも御使あり、〈◯節略〉

〔續百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 延享四年四月廿八日、〈◯中略〉
一御讓位御受禪御祝儀之事、御當日に御無用、翌日可獻候、新帝〈◯桃園〉様へ公卿御方様ヨリ御大刀、御馬代金百疋、殿上人御方様ヨリ御大刀計可右之通候、院御所〈◯櫻町〉様へ之儀可御先格之通候、
一御移徙之御祝儀も、右同日可御獻上候事、〈◯中略〉
      口上
來月三日、新帝様院御所様〈へ〉、御組合〈に而〉御祝儀可之候様、梅溪家〈へ〉被相催候、明日御案内被申入御伺被成、思召も御座候はヾ、御名之下に御書付可遣候以上、
五月四日、來六日院御禮候間、午刻參院可之候也、〈◯中略〉口上先達而得御意候、院御所へ、御讓位御移徙爲御祝儀獻上、御肴代割合、生鯛二尾、代百拾五匁、海老貳十、代六拾五匁、居臺貳ツ、代拾四匁五分、〆百九拾四匁五分、右十方様割、御一方様ニ、拾九匁四分五厘宛ニ御座候間、一兩日中梅溪家へ被遣可下候、

〔浚明院殿御實記〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 明和七年十二月三日、御讓位〈◯後櫻町〉御受禪〈◯後桃園〉すみければ、三家使して賀

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0525 し奉らる、


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