http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 式占トハ、六壬、太乙、雷公、遁甲ノ四種ノ占卜ノ總稱ニシテ、皆式盤ヲ用イルニ由リテ名ヅクル所ナリ、六壬占ハ、年月日時、及ビ行年方位ノ支干ヲ推シ、四課、十二將、十二神ヲ辯ジテ占フモノナリ、中古以來、太古既ニ絶エ、易占漸ク衰フルヤ、陰陽寮ハ神祇官ノ龜卜ト相並ビテ、專ラ此占法ヲ用イタリ、太乙式、雷公式ハ、朝廷ニノミ用イテ、私家ノ私用ヲ禁ジ、犯スモノハ律ニ當テヽ處分スルノ例ナリ、而シテ太乙、雷公ハ、共ニ神ノ名ナリトス、遁甲ハ、一ニ奇門ト云フ、此法ニハ、占術ト隱形ノ術トノ二種アリ、占術ハ、日時ノ干支、八卦、天文等ノ關係ヲ推シテ、式盤上ニ現ハレシ所ノ卦ニ由リテ、其吉凶ヲ知ルモノナリ、隱形ノ術ハ、日時ノ吉凶ヲ占ヒ、呪文、符籙等ノ力ヲ藉リ、禹歩ノ術ヲ行フ時ハ、魑魅魍魎見ルコト能ハズシテ、害ヲ加ヘ能ハザル法ナリト云フ、式神ハ、一ニ識神ニ作ル、式占ヲ掌ル神ニシテ、占者ノ頤使ニ從フモノナリ、 九星ハ、九星ノ順行ヲ考ヘテ、人ノ吉凶ヲ占スル法ニシテ、亦式占ノ類ナルベシ、

名稱

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 弓削是雄式占(○○)有徴驗事〈○下略〉

〔二占要略〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0504 二占吉凶符合の例并論 凡奇門(○○)、大乙(○○)、六壬(○○)の諸占、之を精ふせば其驗なきにあらず、故を以て唐山に於ても、古昔深く之を信じて、兵占の宗とせしなり、凡此にかぎらず、巫祝の言ふ所、亦まゝ其驗あるものあり、然共其偶 驗あるに淫して、專ら之に依て行ふ時は、却て大なる惑となる者なり、棄べく棄べからざるの間、人よく之を戒むべし、

〔唐六典〕

〈十四大卜署〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 凡式占辨三式之同異 一曰雷公式(○○○)、二曰太乙式(○○○)、並禁私家畜、三曰六壬式(○○○)、士庶通用之、 凡用式之法 周禮、太史抱天時、與太師車、鄭司農云、抱式以知天時也、今其局、以楓木天、棗心爲地、刻十二辰、下布十二辰、以加占爲常、以月將加卜時、視日辰陰陽、以立四課、一曰日之陽、二曰日之陰、三曰辰之陽、四曰辰之陰、四課之中、察其五行、取相尅者、三傳爲用、又辨十二將、十二月神十二將以天一首、前一曰螣蛇、二朱雀、三六合、四勾陳、五靑龍、後一曰天后、二太陰、三玄武、四太常、五白獸、六天空、前盡於五、後盡於六、天一立中、爲十二將、又有十二月之神、正月登明、二月天魁、三月從魁、四月傳送、五月小吉、六月勝先、七月太卜、八月天閏、九月太衝、十月功曹、十一月大吉、十二月神后、凡陰陽雜占、吉凶悔吝、其類有九、決萬民之猶豫、一曰嫁娶、二曰生産、三曰暦注、四曰屋宅、五曰祿命、六曰拜官、七曰祠祭、八曰發病、九曰殯葬、〈○中略〉 皆辨其象數、通其消息、所以定吉凶焉、

〔武備志〕

〈百六十九占〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0505 太乙 茅子曰、術家之言紛然也、六經所道也、而祖之者、必曰先秦、先秦之時、六經之道殽而爲百家、各以其術之、迎之合于道、則其言騐、言騐則傳、傳而最著者三家、曰太乙(○○)曰六壬(○○)曰奇門(○○)、太乙奇門、皆謂于齊之先公、留之始侯、然無考、至六壬、則范少伯之書詳哉言之、以今之法逆而衡其斷、不爽也、然則謂先秦之言不可也、太乙者、其理該合于暦家之説、故言三家者、又必以太乙統、然太乙之言九、即洛書之九也、其曰主客大將參將始擊之類、皆因兵而命名、然借兵以喩五行、非五行以喩 兵也、以其言兵者切、故因而著之、簡而明、無廟算、詳而核、無遁局圖斷、故載之以兵者思過半矣、至其推而布一レ陣、要之于理、亦不外也、説者謂、其言鑿、鑿者言之過也、非理之罪也、見陣制中、玆不再、若符籙祭禱者、亦六經所道也、六經曰、假之卜筮、告之神明、則其殽而爲符籙禱者、亦勢所必至也、故載其約略示訓也、

〔太乙秘書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 太乙〈陽遁起一宮、順行至九宮、陰遁起九宮、逆行至一宮、因求局、未滿二十四、與二十四、除之、不盡者皆以一宮三數之、即知太乙所在、歳計萬暦戊子陽遁一宮理天、陰遁九宮、〉 太乙者、天帝之尊神(○○○○○)、在北辰前、正當勾陣口中、天乙、紫微垣宮門、右星南主使十六神、而知風雨水旱、兵革飢饉、疾病災害、國主興亡、暦數修短、遊行九宮、而歴八卦太始初分始從其一、一生二、二生三、三即天地人也、日月星也、乙丙丁也、上中下也、以三乘三爲九、以三乘九爲二十七、故太乙行宮、毎位住三年、一年治天、整五星失度、日月薄蝕、妖彗光怪之變、二年治地、整山崩、地陷、水缺、河翻、蝗蟲、土工之變、三年治人、整君臣父子、口舌、妖言、疾病、飢饉、生靈、流亡之變、蓋三年一宮、二十七年一周天、但不中宮、寄七宮、故二十四年一周天耳、

太乙式

〔二占要略〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 太乙星占 太乙星は、其本位北天に在て八方に遊行し、兵亂禍災生死を掌る、靈妙不可思議の一星なり、此八方遊行の位を求て吉凶を占ふ、之を太乙占の法といふ、其之を占ふに、計神、主目、文昌、客目、始擊、定計等の法を以て、主客、大將、參將の處在を求め、八門轉移の法を以て吉凶を照合す、是太乙占法の名目の大概にて、歳計、月計、日計、時計の異り、陽遁陰遁の取樣あり、下に之を詳にす、武備志曰、太乙之言九、即洛書之九也、其曰主客、大將、參將、始擊之類、皆因兵而命名、然借兵以喩五行、非五行以喩兵也、

〔太乙秘書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0506 宋王佐所著有三式書、謂太乙、六壬、奇門、而三式之中(○○○○)、獨尊太乙(○○○○)、蓋陰陽占候家之言也、太 乙占十二辰宮、如災祥禍福主客勝負、乃詳見各宮、歴々如諸掌、先看太乙諸星、若主客大將、主客參主客、算及文昌、始擊、四神、五福之類、諸局中參看多寡并掩擊格迫、審其輕重、察其淺深、而預備之、可息干戈、而坐致太平矣、

〔太乙秘書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 十六宮間之神 子地主 丑陽德 艮和德 寅呂申 卯高叢 辰太陽 巽太靈 巳大神 午大威 未天道 坤大武 申武德 酉大簇 戌陰主 乾陰德 亥大義 太乙諸星 文昌 主大將 主參將 始擊 客大將 客參將 計神 定計將 計參將

〔唐書〕

〈二百四桑道茂傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 桑道茂者、寒人、失其系望、善太(○○)一遁甲術、乾元初、官軍圍安慶緖於相州、勢危甚、道茂在圍中、密語人曰、三月壬申西師潰、至期、九莭度兵皆敗、

〔貞信公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 天慶二年五月十六日、太一式於八省院式兼

〔二占要略〕

〈跋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0507 余向讀五雜俎、曰六壬有四課三傳法、若精之、則天下無測之物、於是始知龜蓍之外、又有占法、後就式備志之、又讀太乙占法、其文佶屈魯魚亦半、不終了解之、頃者花魁先生(○○○○)授業之暇、譯此二占、以便于蒙學、其説詳悉、於是乎、向不解者、一目瞭然、如神通眼、然不亦愉快乎、蓋先生之學、淵源于道牛小幡翁(○○○○○)、翁甲州遺士、勇敢智謀膾炙人口、今不復贅矣、翁傳之升安植木先生(○○○○○○)、先生名悅、一名長春、其學深入閫奧、獨有駿逸名、著書若干、古陳秘法、職原大全、刊行於世、寬文中以其學聘于吾藩、爾後五傳至先生、年甫十四、能升堂、及長發揮道鬼子之道、修明信玄氏之制、嘗注古傳、著鈐秘鈔若干卷、可以壓倒輓近杜撰之學、長喙三尺之徒、然以帳秘敢輕示之人云、若夫占卜與器製、則其支流餘波耳、 文化乙亥星鳥 竹外中井昌元撰

太乙占法

〔二占要略〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0508 吉凶占法大略 凡太乙の占法は、其國に止り守る者を主とし、外國より來る者を客とす、假令ば客南方に在ば、之に向て南蠻を攻るに利あり、或主北方にあつて、敵も北方なる時は、主に向て國を守り、戰に利あるが如し、唯其變易擧て盡し難きのみ、假令は兵を原野に陳ねて、旗鼓相望む時は、先に動くを客とし、後に應ずるを主とす、又安居の時は、先に起は主、後に應ずるは客となるが如く、主客先後一概に論ずべからず、之に關囚迫掩擊の占あり、主客大小將關なく、文昌囚迫なく、始擊掩擊なきは將發とす、吉なり、若大小將關文昌囚迫に遇ひ、始擊掩擊に遇は將不發とす、凶なり、主大將不發、客大將發は客たるに利あり、之に反するは主たるに利あり、若主客大將不發は、同く參將の發不發を見て、主客の利を考ふべし、扨關とは主客の算數と、太乙及天目、或は大小將と宮を同ふして、勢ひ兩立せず、互に相關防するの義なり、これ主客大小將共算長く、〈多きをいふ〉及和する者は勝、算短く、〈少きをいふ、十餘に不及ものは單といふなり、〉不和ものは敗なり、又算等きも凶なり、掩とは始擊と太乙、および主の大小將と宮を同し、〈算和不和有祥災〉陰盛にして陽蝕せらるゝの義なり、囚とは太乙と文昌主客大小將と同、宮相侵を云、拘繫執止の義にして、喪亡奔敗の禍ひあり、迫とは太乙の左右の宮辰、文昌、主客、大小將に遇をいふ、侵逼脅持の義にして、即上下相凌ぎ、左右迫り挾むの象なり、前は外迫といふ、藩臣外國の類とす、後は内迫といふ、后妃宗族の類とす、宮に在れば急とし、辰に在れば緩とす、また始擊の迫を擊と云なり、又太歳太乙の後に在るは、陽年は災淺く、陰年は災深し、前に在るは之に反するなり、又主客大小將相挾るゝも凶なり、又二目大小將太乙と相對するを格といふ、凶なり、又太乙一八三四の宮に在は主を助くとし、九二六七の宮に在は客を助とす、又主客の算一八を得るは、水に屬して曲陣皂旗に利あり、三を得るは、木に屬して直陣靑旗に利あり、四九を得るは、火に屬して鋭陣赤旗に利あり、二五を得るは、土に屬て圓陣黄旗に利あり、六七を得るは金に屬 して方陣白旗に利有、雲氣は主客とも算を得る方より來るを順とし、吉とす、賊を聞ときは、客は始擊の方、主は文昌の方に備ふべし、奇兵亦此方を用ゆ、伏兵は太乙處在の時〈按に方といふに同じ〉を用るなり、又算和不和と云は、太乙八三四九の陽宮に在て、一三五七九の奇數を得るは重陽不和なり、太乙一二六七の陰宮に在て、算二四六八十の耦數を得るは重陰不和なり、太乙陽宮に在て耦を得、陰宮に在て奇を得るは陰陽和なり、又三九の宮を純陽とし、四八の宮を雜陽とし、二六の宮を純陰とし、一七の宮を雜陰とす、太乙天目陰宮に在といへども、算して純陽を得、陽宮に在といへとも算して純陰を得る者吉ならずとす、又算して十四、十八、二十三を得るを上和とす、大吉なり、又三十二、〈武備志二十三に作るは誤りなり〉三十六、二十九を得るを次和とす、又十二、十六、二十七、三十四、三十八を得るを下和とす、〈按ニ此上中下三和は、一十三十の奇數の餘算は耦數を取、二十は耦數故、餘算奇數を取て、陰陽和の算とするなり、〉又算を得て十に滿ざるを〈一より九までをいふ〉無天とし、五將不發算不和なれば天變とす、又算を得て十の餘算五に滿ざるを〈十一、十二、十三、十四、二十一、二十二、二十三、二十四の類、〉無地とし、不發不和なれば地妖とす、又算を得て十に滿るを〈十、二十、三十、四十の類、〉無人とし、不發不和なれば人禍とす、又算を得て十の餘算五以上なるを〈十六、十七、十八、十九、二十六、二十七、二十八、二十九、卅六、卅七、卅八、卅九の類、〉三才倶足の算とす、凡如此の類擧て盡すべからず、因て大略を載す、詳に武備志に見えたり、見て知るべし、殊に兵占の如きは、時計便覽の圖と云て、陽遁陰遁七十二局の圖を出し、各吉凶を委く載たり、故に心を用ひずして一見よく知らるゝなり、扨此時計便覽の圖は、五子元〈甲子、丙子、戊子、庚子、壬子の元、各々七十二局づゝ、〉合して三百六十局なれども、各元皆同例なるが故に、五元を一圖に合して、只七十二局を圖して、圖上に五元の干支何れに合といふ事を知らしめんために、其五干支を載て、三百六十より下の餘算を擧たり、因て其圖を求るには、若干の時數を三百六十の數〈六紀甲子五子元一周〉にて除き、數に滿ざるは甲子元七十二局を除き、尚餘算多き時は、丙子戊子庚子壬子の各元を次第に七十二局づゝ除て、七十二數に不滿餘算を見て、元に入事を知るに、一算ならば第一局、 二算は二局、三算は三局と、是又次第に七十二局までの圖に引合す時は、別に煩しく數法を説にも及ばず、太乙行宮を初め、主客大小將の處在、并各々吉凶まで詳に知るゝ樣にしるせり、但冬至後は陽遁の圖、夏至後は陰遁の圖に引合せて見るべし、又歳日月の三計も、此圖〈三計には陰遁なし、陽遁のみなり、〉に因て求る時は難き事なし、唯吉凶の考兵占のみを擧たれば、三計に於ては用なき事多し、〈假令ば日計庶人の占に、主は土を守る官、家人客は使臣商旅と見やう異るが如し、〉且吉凶方角等は誤り記したる事少しとせず、心得て見るべし、

太乙式盤

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 長元元年四月五日庚午、參關白殿〈○藤原賴通〉令覽故滋岡川人奉持、太一式盤二枚、〈陰一枚陽一枚〉件盤、前年陰陽頭文高語次云、故川人太一式盤、故道光宿禰傳領、常奉置家中、是靈驗物也、尚在或法師許之由云々、其處不慥聞、公家尋取可持者也者、有事次、前日、以此由關白殿、仰云、早可尋召者也者、仍月來令尋問之處、或者傳云、二條與猪熊之邊、小宅在件盤者、仍尋其主、故人道光孫内舍人明任所預置云々、仍召明任、仰公家被尋之由、申云、預置實也、隨召可進者、仍今日令御覽也、則召文高仰云、件盤奉置文高宅、若有損失者、隨形可作加歟、無止之靈物也、相定追可左右者、又時々可供歟者、文高給預退出、

雷公式

〔律疏〕

〈職制〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 凡〈○中略〉太一、雷公式、私家不有、違者徒一年、〈私習亦同、(中略)太一、雷公式者、並是式名、以占吉凶者、私家皆不有、違者徒一年、若將傳用、言渉不順者、自從妖言之法、〉

六壬占

〔二占要略〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0510 大六壬占 夫六壬の占法は、天盤の十二神〈月將〉と、地盤の十二支と合するに、四課三傳の法を立て、五行の生克を考へ、兵戰及萬事の吉凶を占ふ事なり、直義按に、此法六甲六十圖の生克を以て判斷するなれば、六甲占(○○○)と云べき所を、さは名けずして、六壬と云ゆえんの者は、蓋し天一の水を始とし、月將貴神ともに、壬水亥より逆行順行に數を取て占ふ故に、しかいへるならん、 或説に、行年干支を求るに六丙、六壬より數を起す事あるに因てなりといへるはいかにぞやおぼゆ、直義此書を草して、松石をして校せしむ、松石http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou511001.gif 疑説を引て之を證す、曰、此法自壬而起、壬水數、故起法悉本於一、運於三、而成於五、合三五一之數以爲用、此所謂身壬之法也と、これに因て之を觀る時は、予が説當れりと云、於是予が必安し、

〔通俗編〕

〈二十一藝術〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 六神〈○中略〉 六壬課 晁氏讀書志六壬課鈴一卷、未何人所一レ纂、以六十甲子十二時、成七百二十、三課三傳、入以占吉凶、隋書載六壬之書兩種、金鑾密記、及五代史記、頗言其騐、今世龜筮道息、而此術獨行、

〔武備志〕

〈一百八十二占〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 六壬 茅子曰、六壬之説、其書更繁於太乙奇門、然得其要則可數言盡也、其法詳於六壬直指、故載之、兵占則有軍帳賦、兵帳鈎玄、遊都、魯都占法、熟於斯而可以盡兵事矣、太乙則盡載其局、奇門六壬則否者、以太乙之局、必按圖而斷之、故不以簡、二家之課局、得於訣而足、故不以煩、二者均是也、

〔六壬大占〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 王鳴鶴曰、六壬之法、有宗門九課、曰重蕃、曰元首、曰遙克、曰昴星、曰別貴、曰返吟、曰復吟、曰八專、曰井欄、先看月將、加本日正時、以定陰陽四課、四課之中、以初中末三傳、然後定吉凶、要在神將調和、不相克戰、斯爲大利、如用兵則備于軍帳賦二十四占、繼看游都魯都、以審敵情之緩急成敗、次看四課三傳中神將吉凶、以爲戰守之備、而神將以用神主、參酌五行旺相休囚、即百戰百勝、何疑之有哉、

〔儀度六壬選日要訣〕

〈仁首〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0511 十二神將發用盤式説 二十四山向、所用之課、祿馬在何方、貴人在何位、必須式盤中、逐一排出、眼實見之、心的方能明白、况盤内十二宮、各人生命上、十二神加來、有相生相尅之分、如寅命子神加上、亥命酉神加上、則爲相生而吉、如午命亥神加上、卯命申神加一レ上、則爲相尅而凶、如此之類不辨、是當取其生、不其克知已、然而生不盡生、克不盡克也、又當十二將加來神上者若何、如寅命子神吉已、忽而勾陣將來、則水被土制、又不全吉、如午命亥神凶已、忽而六合將來、則洩水生火、又不全凶、而且有寅木克辰土、辰命似害、殊辰飛入牛宮、將逢蛇雀、則辰得生而強、寅克不動、而且有巳火生戌土、戌命以生、殊已宮子水入、將見虎陰、則已遭克而弱、生戌不能、此一則死中不死、一則生處不生也、未也、而且有生、而加生者、如卯子水來既生已、忽而虎將飛入、是爲水生一レ木、又得金生一レ水、恩上加恩、發福最厚、而且有克而加克者、如子命戌土來既克已、忽而龍將乘一レ之、是爲土克一レ水、轉得木克一レ土、難星受難、禍遂減輕、未也、而且有木一丑命也、入午宮、土得火生、發大財已、而丑爲金局命、却又生災、而且有同一太陰也、入戌向金得土生又發財已、而太陰爲女宿、必先生女、未也、其間又有宮克神、神克將者、如申見卯卯見一レ常、是也、申得卯爲財、申得常爲印、詎非名利兼收、其間又有宮生神、神生將者、如午見辰、辰見一レ虎、是也、午得辰爲洩、午得虎爲財、是又耗中見利、未也、其間又有神生宮、將生神者、如辰見巳、巳見一レ龍、爲恩上加恩、福又添一レ福也、其間又有將生神、神克宮者、如虎加子、子加一レ巳、爲難上生難、禍又生一レ禍也、總之爲神爲將、生々克々、不一、而其大旨、人口衆多之家、總以宅主祭主重、喜生惡克、不游移、其餘有疵、勢所必然、萬母一人而棄合家之大吉、斯善于選擇已、如曰喜忌在一レ必拘、止觀其名、不其實、則四丙申課式中、丑宮克亥神、亥神克雀將、名朱雀内戰、六壬畢法賦不取、爲文章必不華麗也、而塟地、係甲卯龍、甲山穴、丑貴甲、丑命人善作文、甲年中探花、官學士者何哉、則以亥爲丙申日貴人、丑爲甲龍甲山貴人、今丑命人、既爲甲山貴人、加在甲山上、而又得丙日亥貴、加在丑命上、天將朱雀又來亥上、以生丑土、是本位出位、皆作貴人、此丑命所以大富大貴也、〈占卜忌朱雀内戰選日、其吉如此、〉

〔儀度六壬選日要訣〕

〈仁首〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0512 神將加臨盤説 選日之法、有互祿互貴、聚祿聚貴、以及夾拱祿貴、皆大美課、皆以本山本向之主、發出三傳妙、然除本山本向二支辰外、其餘十箇支辰、悉屬生人本命、十二神與十二將、交相加臨、未生有一レ尅、不 察、假如一子命也、酉神(○○)加來子上、太常將(○○○)又加酉上、是爲土生金、金生一レ水、從上生下、子命豈不大利、若未神(○○)加子上、而將(○)爲螣蛇(○○)、加來未(○)上、是火生土、土尅水、子命受尅、又安能吉、若又非螣蛇(○○)而靑龍木來、則未尅子水、得靑龍來尅未土、未土不敢肆毒子水、是爲半吉半凶、是皆爲生人命中休戚相關之處、不詳求者、爰是取十二神、與十二將加臨之盤、逐一輪出于後、以便人觀覽云、 儀度六壬選日祿馬貴人十二神十二將開後 十天干祿元 甲祿倒 寅 乙祿倒 卯 〈丙戊〉祿干 巳 〈丁己〉祿干 午 庚祿居 申 辛祿倒 酉 壬祿在 亥 癸祿居 子 十二地支驛馬 甲子辰 馬居 寅 寅午戌 馬居 申 亥卯未 馬在 巳 巳酉丑 馬在 亥 十二干貴人 甲戊庚 羊 甲貴未陽丑陰 戊庚貴丑陽未陰 乙己 鼠郷 乙貴申陽子陰 己貴子陽申陰 丙丁 猪鷄位 丙貴酉陽亥陰 丁貴亥陽酉陰 壬癸 兎蛇藏 壬貴卯陽巳陰 癸貴巳陽卯陰 六辛逢 馬虎 辛貴寅陽午陰 此是 貴人方 天盤十二神名 神后  水 大吉  丑土 功曹  寅木 太冲  卯木 天罡  辰土 太乙  巳水 勝光  午火 小吉  未土 傳送  申金 從魁  酉金 河魁  戌土 登明  亥水 天盤十二將名 貴人  已丑土 螣蛇  丁巳火 朱雀  丙午火 六合  乙卯木 勾陣  戌辰土 靑龍  申寅木 天空  戊戌土 白虎  庚申金 太常  已未土 玄武  癸亥水 太陰  辛酉金 天后  壬子水 天盤十二神者、即十二地支、隨月將時(○○○○○)、遞臨十二地盤上者(○○○○○○○○)是也、十二將、則加臨天盤十二神上、序云、貴螣朱六、勾靑空白、常元陰后、十二字、作三句讀、貴人在亥至辰、屬 乾坎震四男卦陽(○○)、貴人在此六位、順數、貴人在巳至戌、屬 巽離坤兌四女卦陰(○○)、貴人在此六位逆數、 自卯時申六時爲晝 用陽貴起 自酉時寅六時爲夜 用陰貴

〔十駕齋養新録〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0514 六壬 案六壬式、以月將得時、視干支所加神、以決休咎、十月月將在寅、〈日躔之次、謂之月將、十月建亥、日躔柝木爲寅位也〉、寅爲功曹、夜半爲子時、以寅加子、故以寅子賊之衆寡、於占例、甲己子午數九、乙庚丑未數八、丙辛寅申數七、丁壬卯酉數六、戊癸辰戌數五、巳亥數四、故云寅數七、子數九、〈隋書庾李才稱甲數九、子數又九、〉十干寄位於支、未爲丁寄、酉爲從魁於丁、丁火剋酉金、故云下剋上、甲申旬空午未、〈丁亥在甲申旬中〉丁在未位、故云空亡之事也、古法有日辰四課(○○○○○)、而無三傳(○○○○)、史但云洋善風角、亦不六壬、 〈天乙〉酉丁 戌〈天后〉 亥〈太陰〉 子〈玄武〉 丑〈太常〉 〈太陰〉亥酉 酉〈天乙〉 寅〈白虎〉 〈太常〉丑亥 申〈螣蛇〉 卯〈天空〉 〈天空〉卯丑 未〈朱雀〉 午〈六合〉 巳〈句陳〉 辰〈靑龍〉

〔武備志〕

〈一百八十二占〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515遙克謂遙克者、四課之中、既無上克一レ下、又無下克一レ上、乃先取神遙克一レ日、神即子丑寅之類、如無神遙克一レ日、即取日遙克一レ神、 假令、正月甲戌日寅時、亥將占、以寅時亥、卯上坐子、次第排至丑上、坐戌爲止、甲戌日、甲課在寅、寅上見亥、取亥甲日之陽神第一課、亥本位上見甲、取甲亥日之陰神第二課、支辰戌上見未、未戌爲辰之陽神第三課、未之本位見辰、辰未爲辰之陰神第四課、然四課之中、上下倶無克、但看日課上、亥字被日支上戌土神來遙克、乃以亥上申初傳、申之本位見巳、巳爲中傳、巳之本位見寅、寅爲末傳、此爲神遙克日、名蒿矢卦、 假令、正月庚戌日申時、亥將占、庚課在申、以申爲日干、申時又在此、起亥將、酉上坐子、排至未上、見戌止、庚上見亥、取亥申一課、亥上見寅、取寅亥二課、支辰戌上見丑、取丑戌三課、丑上見辰、取辰丑四課、然四課、上下並無克、又無神遙克日、故取日上庚金日、遙克日神上寅木初傳、寅之本位上見巳、巳爲中傳、巳之本位上見申、申爲末傳、此爲彈射卦

〔六壬大占〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0515 行年小運法 男一歳、起順行、至十一却逆行、女一歳、起逆行、至十一却順行、如男、是甲子旬生人、一歳起丙寅、十一到本旬丙子、二十一爲丙戌、三十一到申爲丙申、四十一丙午、五十一丙辰、六十一丙寅、逆行、如女命、甲子旬一歳起壬申、十一壬戌、二十一到本旬壬子、三十一壬寅、四十一壬辰、五十一壬午、六十一壬申、順行、 六甲旬行運捷徑、男以本旬順前三位上起、一歳逆到本旬、乃十一隔位而行至戌、乃二十一爲丙戌、三十一到申爲丙申、若三十二却返廻順行、到酉爲丁酉、此一定之決法也、女皆以當生本旬後五日位上起、一歳爲壬申順行、十一壬戌、二十一到本旬壬子、三十一壬寅、若三十二、却轉廻逆行、到丑爲辛丑、三十三爲庚子、甲戌旬男、一歳丙子、十一到本旬丙戌、女一歳起壬午、十一壬申、二十一到本旬壬戌、 甲申旬男、一歳起丙戌、十一到本旬丙申、女一歳起壬辰、十一壬午、二十一到本旬壬申、甲午旬男、一歳起丙申、十一到本旬丙午、女一歳起壬寅、十一壬辰、二十一到本旬壬午、甲辰旬男、一歳起丙午、十一到本旬丙辰、女一歳起壬子、十一壬寅、二十一到本旬壬辰、甲寅旬男、一歳起丙辰、十一到本旬丙寅、女一歳、起壬戌、十一壬子、二十〈○十下恐脱一字〉到本旬壬寅

〔六壬大占〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 二比用 所謂、比用者、陽日以陽神比、陰日以陰神比、何謂陽日、甲丙戊庚壬是也、何謂陽神、子寅辰午申戌是也、餘五于六支爲陰、與日爲比者用之、或有三下克上、二下克上、或四下克上、皆以比爲用、上克下亦然、 假令、四月辛酉日、卯時、申將占、以地盤卯上起、申將辰上坐酉、排至寅上、坐未爲止、辛酉日、辛課在戌、戌上見卯、以戌辛日陽神第一課、卯到本位上申、以申卯日之陰神第二課、支辰是酉、酉上見寅、以寅酉辰之陽神第三課、寅到本位上未、以未寅辰之陰神第四課、於内取三傳、以害爲用、蓋三下克上、以害論、然卯見辛、辛克卯、到本位又受二克、寅見酉、酉克寅、至本位路上、見戌爲辛、亦受二克、未見寅、寅克未、到本位路上、又遇卯爲二克、辰上又遇乙木三克、乃未受克爲多取初傳、未上見子爲中傳、子上見巳爲末傳

〔六壬類聚〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0516 甲課寅 乙課辰 丙戊課在巳 丁己課在未 庚課申 辛課戌 壬課亥 癸課丑 月將中氣過宮 正月亥 二月戌 三月酉 四月申 五月未 六月午 七月巳 八月辰 九月卯 十月寅 十一月丑 十二月子〈冬至、大寒、雨水、春分之類、毎月第二節氣爲中炁、〉 月將加時、子加子、丑加丑之類 順寫天盤 先看地盤、本日干課上(○○○○○)得何辰、爲第一課、 再看第二課上得何辰、爲二課、 又看本日支神上(○○○○○)得何辰、爲第三課、 再看第三課上得何辰、爲第四課、 如甲子日、先看甲課寅上一課、寅上之上爲二課、 又看日支子上、爲三課、子上之上爲四課是也、 四課既定(○○○○)、即取發用之辰初傳(○○○○○○○○○)、有下克(○○○)、上克(○○)、遙克(○○)、昴星(○○)、別責(○○)、八專(○○)、反吟(○○)、伏吟(○○)八樣、 下克者、下辰克上辰也、四課中、有下克上者、即以此上辰初傳、以初傳地盤之辰中傳、以中傳 地盤上之辰末傳、 土克水 水克火 火克金 金克木 木克土 甲乙木 丙丁火 戊己土 庚辛金 壬癸水 亥子水 寅卯木 巳午火 申酉金 辰戌丑 未土 上克者、上辰克下辰也、四課中、若無下克上、即以上克下者、爲初傳、亦以初傳之上、爲中傳、中傳之上 爲未傳、 若四課中、有兩三箇下克上、有兩三箇上克下、則取日干陰陽相比和者初傳、如甲丙戊庚壬陽干、取子寅辰午申戌六陽相克者用、乙丁己辛癸陰干、取丑卯巳未酉亥六陰相克者上レ用、名曰比和、〈○中略〉 遙克者、他遙克我、我遙克他也、四課中、若無下克上、又無上克下、則取二課三課四課内有克干用(○○○○○○○○○○○○○○)、名嚆矢(○○○)、謂他遙克一レ我、若無二三四課克干、則取干克二三四課者用、名彈射(○○)、謂我遙克一レ他、亦以用神之上中傳、中傳之上爲末傳、〈○中略〉 昴星者、四課中、若無上克、下克、遙克、則陽日取地盤酉上之辰用、陰日取天盤酉下之辰用、酉宮有昴宿肅殺之氣、故陽從酉仰視、陰從酉俯視也、陽日取支上辰中傳、干上辰爲末傳、陰日取干上辰中傳、支上辰爲末傳、〈○中略〉 別責者、四課中、有一課相重複、只算三課、如第二課支上同、或第四課與干上同、皆棄之不用、名爲不備(○○○)、只看三課中、有克則用克、若無下克上克遙克郤不用、〈○中略〉 八專者、干支同課、只算兩課、如甲寅日干支同寅、庚申日干支同申、癸丑日干支同丑、丁未己未日干支同未、此四者干支同心專一、故名八專、〈○中略〉 反吟者、子午相加、丑未相加、寅申相加、卯酉相加、辰戌相加、巳亥相加、乃六冲之課、上下相冲、主事有反覆、故名反吟、〈○中略〉 伏吟者、子加子、丑加丑、寅加寅之類、伏于本位動、故名伏吟、〈○中略〉 貴人十二神 貴人 螣蛇 朱雀 六合 勾陳 靑龍 天空 白虎 太常 元武 太陰 天后 起貴人法 甲戊庚牛羊、乙己鼠猴郷、丙丁猪雞位、壬癸蛇兎藏、六辛逢馬虎、顚倒貴人方、 如甲日則以羊爲日貴、牛爲夜貴、戊庚日則以牛爲日貴、羊爲夜貴、皆互相顚倒用之、卯時後用日貴、酉時後用夜貴、 貴人既定、又分十二神、順逆布法、如貴人在地盤亥子丑寅卯辰六位、則從貴人布十二辰、如貴人在地盤巳午未申酉戌六位、則從貴人布十二神、 子屬鼠 丑屬牛 寅屬虎 卯屬兎 辰屬龍 巳屬蛇 午屬馬 未屬羊 申屬猴 酉屬鷄 戌屬犬 亥屬猪〈辰戌二位、貴人不到、故無龍犬、〉

〔六壬類聚〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0518三傳 傳者、傳課之隱微、發課之發蘗也、故課爲體(○○○)、傳爲用(○○○)傳吉課凶、事終吉、傳凶課吉、事小成、縱成亦無終 始、 凡事之始末(○○○○)、係於三傳(○○○○)、以初中末次第(○○○○○○○)、假令、初鬼、中印、末財、便是先阻、中助、末得也、若初凶末吉、初雖艱難、終則有成、初吉末凶、初雖好終不濟、初末凶而中吉、事雖中合而無益、 初傳爲發端門、乃心之所主、事之所向、順神將比和、上下相生上レ吉、若逢德祿、擧事稱心、事危有救、 中傳爲移易門、乃事體中間一段、初凶中吉、則移凶爲吉、初吉中凶、則移吉爲凶、母傳子則順、子傳母則逆、鬼主事壞、墓主事止、害爲折腰、事多阻隔、破主中輟無一レ成、逢空斷橋折腰、主事體不一レ成、 末傳爲歸計門、乃事之結果、發用在初、決事在末、最爲緊切、若初傳受下克賊、而末傳能制其克賊、終可凶爲一レ吉、末克初爲終來克始、遠行萬里、入水不溺、入火不燒、病甦災止、若加破害則有阻、吉凶皆不成、逢空亡則事無結果、 初傳爲日之長生、末傳爲日之墓庫、則有始無終、初傳爲日之墓庫、末傳爲日之長生、則先難後易、 初傳凶、中末吉、能解之、初中凶而末吉、能解之、三傳行年吉、能解之、若三傳行年倶凶、不能解也、 三傳神將、若將克神、爲外戰、憂輕、雖凶可解、神克將爲内戰、憂重、雖吉有咎、 三傳皆空、占事了無一實、如兩傳空一傳實、郤見天空、亦係三傳空之象、如初中空以末傳主、中末空以初傳上レ主、 三傳自干上發、用傳歸支上者、名朝支格、主我去求人幹一レ事、自支上發、用傳歸干上者、名朝日格、主人來託我幹一レ事、朝日格若神吉傳吉、則事易成、合求自至、若神凶傳凶、則禍起不測、諺云、閉門屋裡坐、禍从天上來、占病産憂訟行人、皆忌之、如丙寅日干上午、三傳辰巳午、壬寅日干上戌、三傳子亥戌、是也、朝支格、俯就於人、不自由、如甲午日干上辰、三傳辰午申、甲木傳於死地、行人不來、病者死、丁亥日干上酉、三傳酉亥丑、財被貴人引入、絶地不利、與貴人交易、反主厄、庚寅日干上午、三傳午辰寅、此乃支助日鬼、反害尊長、 三傳不干支、求物得、謀事遂、行人回、賊不郷、逃不脱、 三傳不四課、號曰如珠走盤、謀事成、吉則吉、凶則凶、忌病訟憂産、如辛亥日干上酉三傳戌酉申、戊子日干上子、三傳子未寅、外庚申甲申庚寅甲寅癸酉癸未反吟同、 三傳離日遠、凡事難成、惟占難及訟、災可退、 三傳日辰互換、三合遞相牽連、占事翻來、覆去不了當、外有三傳三合爲日干、全脱全生全 鬼全兄弟者、倶視天將吉凶、及五行制化何如、假如全鬼爲凶兆、若年命日辰四處、有子孫爻則制鬼矣、故脱氣要父母、全生不財、 三傳與日辰上下皆合緊、則不妄動、要日月冲破方可動也、然又要三傳吉凶何如、若吉則宜合、不冲破、若凶而過冲破則凶散矣、郤不凶論、 三傳生日百事吉、占訟輕、雖無理之訟、亦不於大凶、 三傳克日者至凶、惟被冲則凶、破如癸亥、日辰加癸、三傳辰未戌、初蛇、中句末虎、是戌冲辰、虎冲蛇、以凶制凶、若行年更在戌上則凶可散、或行年在辰、則戌一辰二、冲不破、而辰爲癸之墓、便主全凶、 三傳入盜氣、只宜退散、宜失物、更加於蛇虎空亡之郷、主人不力、官事反覆、 三傳遞生干、或遞克干、吉凶詳課體中、内有干克初、初克中、中克末者、求財大獲、此法最驗、 三傳日辰全、逢下賊上者、全無和氣、訟必刑、病必死、占事必家法不正、自惹其害、或醜事出於堂上、以致爭競、 三傳有日辰夾定中者、若椉凶將凶、不逃、 椉吉將吉、乃可從、惟宜合諸事、若占病訟憂産行人皆不利、外有出支干外、只先緊後慢、更看夾如何、若是夾財則利、求財不利、病訟夾官、利於求一レ官、亦不病訟、夾脱氣憂病、不財、利占孕、不占産、夾生氣、利事、不産、夾兄弟百事不利、夾空亡事多虚詐、枉用其心、卒無實效、如乙丑日干上巳、三傳寅卯辰、甲午日干上卯、三傳辰巳午、是也、 三傳有日辰夾定、而日辰上乘空亡、謂之遇夾不一レ夾、始困終亨、有名無實、過後失時、失於機密、反成差錯、雖凶不深危、有吉不大喜、 三傳有日辰中間、而前欠一位、或後欠一位、謂之夾定虚一格、主小節上レ完、更看虚如何、若是日財、則因財不足、不事、若是官鬼、則因官事外生、若是同類、則因手足兄弟不足、或朋友不足、若是子孫、則因卑下不足、若是父母、則長上不足、或文字不圓、更看天將之吉凶之、假如丁卯日干上申、三傳辰巳午、欠一未字、未乃今日之脱氣、爲日之子孫爻、夜將朱雀、主卑下口舌、文字不足、晝將勾陣、主子孫舊事、牽連未一レ了、若年命塡實、不此限、 三傳有出日辰之外、名透關格、乃當時不時、過後失時、凡事主時或心力不逮、致使已成之事、被人破壞、如甲子日子加丑、三傳子亥戌、是也、看透者是 鬼爻、反吉成一レ凶、主破財、若是退茹透出者、因退之慢而有及、進茹透出者、因進之過、反成及、若是于透出支、不外事、主回還意、先動後靜、支透出干、不内事、惟宜外動

〔北山抄〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 軒廊御卜事 若當子日、或停神祇官、先令陰陽寮奉仕云々、依子日不一レ卜也、其六壬卜(○○○)尚又不快、非急事者、改日共令奉仕宜、

〔江家次第〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 軒廊御卜 六壬卜忌日 子日

〔江談抄〕

〈二雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 六壬占、天番二十八宿可天、而在地番不審事、 被命云、陰陽家事心被得如何、答云、於書籍者、大略隨分雖歴覽、不委學、此間逢陰陽博士宗憲、占事少々所請候也云々、被命云、占事尤可知事也、但番事能被學哉、番不審事在之也、天番可廿八宿地番、地番可十二神天番、如何、此事可學也云々、

六壬占法

〔二占要略〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0521 吉凶占法 四課の法にて日と辰と處を二つにす、三傳を并て五處、年命を加て六處、但年命は二處にかゝる故七處となる、各類神を見て生克旺相をとりて占を決斷すべし、又行年を略して不用、唯天上の時〈天盤の占時の支〉正時〈地盤の占時の支〉大歳月建來人の方等を取て占ふ類、種々の説あり、 占法判斷の例二三を擧て之を示す、假令ば敵國より使來るに、未其善惡虚實を審にせざる時占之て、辰上の神日の上の神を制する時、其言信ずべし、是客畏主なり、之に反して日上の神、辰上の神を克する時は奸心を主る、其言信ずべからず、又日上の神將朱雀天空を見れば來情變あり、其言虚詐なり、信ずべからず、 賊兵至ると聞時、玄武白虎臨む所の神、日を克すれば賊強なり、宜く 急に備ふべし、若我彼に臨めば必ず利を得るなり、主將の行年本命若白虎臨處の神を克すれば師有功、之に反すれば敗あり、又年命の支勾陳のぞむ處の神を克するも吉なり、 覓水求粮の占には、月將を正時にかへて、天盤の未の加ふる處三百歩にして井泉あり、卯の加ふる處三百歩にして水道あり、丑の加ふる處三百歩にして粮草あり、河を渉り水を渡る占に、天盤の辰未卯子、地盤の辰未卯子に加ふる時は、天河覆井と名付て、河を渡る、二沈溺を主る、又天罡加ふる處水道とす、罡孟に在れば前行凶、仲に在れば中行凶、季に在れば後行凶なり、又日干を陸路とす、日支を水路とす、故に支克を受ざれば宜く水路に行べし吉なり、山路に迷ふ時は天罡孟に加れば左行、仲は直行、季は右行、各五十歩にして路を求むべし、子孫父の爲めに仇を報ずる時、出門に甲乙日は火命の人南門、巳午の時丙丁の日は土命の人辰戌未の三方といふが如き、假令ば金命の人金の時申酉は凶なり、又月建の方を見て背之を吉とす、日支を日干の克するは、客たるに利あり、日干を日支の克するは主たるに利あり、來人の善惡を知るには神后落る處孟は良人、仲は商客、季は奸惡細作なりと知る、伏兵或は惡をさぐるには、天盤の子丑卯酉落る處にあり、陽年には大吉を大歳に加へ、陰年には小吉を大歳に加へて、天盤の寅巳未申〈即甲庚丙丁の寄宮〉の方を尋ねて、軍を出せば吉なり、圍を出るには、天罡の下に向ふて出れば吉なり、遊都曾都の占といふ事あり、即武備志に此是先覽眞妙の訣千金莫世人と云て、天盤遊都の上の貴神を其時の貴神とし、其處の地盤の神を天盤に見て、其下の支にて干を求め、扨遊都の對冲を曾都とする、所謂曾都臨處逢白虎とは、天乙若遊都に遇とき、曾都は天空落方に在り、故に順行逆行ともに白虎落る方に臨をいふなり、扨地方〈遊都の本位〉を賊居とし、其上に加る神將を寇とし、曾都を以て賊の遊兵とし、貴神〈貴神の生克は同く臨む處の地の神の生克をとるなり、〉を我將とし、干を我軍とす、此四課〈貴神干賊居寇將〉の上の生克を見るに、我より他を克する時は戰ふべし、他來て我を克する時は攻べからず、貴神干を克する時は軍宜く使ふべし、 干貴神を克する時は軍使ふべからず、地方〈賊居〉其上の將〈寇將〉を克する時は、賊寨を守て動かず、將地方を刑すれば、賊移動すると知べし、此餘種々吉凶の判斷あり、凡この遊都曾都のを精ふする時は、六韜の文を誦ずして賊寇を擒にすと見えたり、〈此遊都といふは甲己の日丑、乙庚の日子、丙申辛の日、寅丁壬の日、己戊癸の日、申を遊都と名つけ、遊都日辰に在れば、賊立處に至るといへり、或は遊都辰に臨めば寇少、日に臨めば賊多しなど、なを種々の占法あり、あぐるにいとまあらず、〉右擧る處は武備志引ところの軍帳賦兵帳鈎玄等に載する處を拔書して、以て占法の大略をしるすのみ、且占法の事に付ては、種々いはまほしき事もあれども、元是門生のために其大槪概を示さんとて、かりそめに著したるなれば、四課三傳の法を略説するまでにて、占法の委曲は武備志に讓りてのせず、勿論三傳を得て後の吉凶判斷に至ては、別に口傳にも不及、只生克旺相を以て考るとき、自ら分明にして何の難事かこれあらん、人宜く三隅を反ふして可なり、

遁甲

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 十年十月、百濟僧觀勒來之、仍貢〈○中略〉遁甲、方術之書也、是時選書生三四人、以俾習於觀勒矣、〈○中略〉大友村主高聰、學天文遁甲、山背臣、日並立學方術、皆學以成業、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 天渟中〈渟中此云農難〉原瀛眞人天皇、天命開別天皇同母弟也、幼曰大海人皇子、生而有岐嶷之姿、及壯雄拔神武、能天文、遁甲

〔武備志〕

〈一百七十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0523 釋義第一 遁甲者何、天干凡十、甲爲之首、統領諸干、至尊至貴、其所畏者、獨庚金耳、故須匿其甲、勿使尅於庚、然乙爲中妹、可以配一レ之、使其情有一レ牽、丙丁爲甲男女、可以制一レ之、使其勢不一レ肆、故以乙丙丁三奇、又十干中、戊己庚辛壬癸乙丙丁、皆專制用事、而甲無專位、與六干同處、甲子同六戊、甲戌同六己、甲申同六庚、甲午同六辛、甲辰同六壬、甲寅同六癸、又以六十花甲子、布於九宮、起宮爲甲子、遁一位甲戌、又遁一位甲申之類、皆有遁甲之義(○○○○○○)、獨餘乙丙丁無與同者、亦三奇之義也、八門者、休、生、傷、杜、景、死、驚、開也、九星者、天蓬、天苪、天衝、天輔、天禽、〈寄坤宮〉天心、天柱、天任、天英也、九星八門在地盤、原有 定位、如休門天蓬屬坎之類、此一定不易者、其在天盤、則隨直符使所一レ指、與地盤參錯、相値而吉凶生焉、乙爲日奇、丙爲月奇、丁爲星奇、三奇若遇休開生三門之奇與門合、休一在坎、屬水、開六在乾、屬金、生八在艮、屬土、即暦家所謂三白也、又八詐門者、直符、螣蛇、太陰、六合、勾陣、朱雀、九地、九天、是也、此直符隨九星直符所一レ指、陽則順旋、陰則逆轉、其中九天、九地、六合、太陰爲吉、若得奇得門、而又直此四位、是爲全吉、然又有反吟、伏吟、休囚、旺相、撃刑迫制之類、不察、神而明之、變而通之、存乎其人耳、

〔日本書紀〕

〈二十八天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 元年六月甲申、及夜半隱郡、焚隱驛家、因唱邑中曰、天皇入東國、故人夫諸參赴、然一人不肯來矣、將橫河、有黑雲、廣十餘丈經天、時天皇異之、則擧燭親秉式(○○)、占(○)曰、天下兩分之祥也、然朕遂得天下歟、即急行到伊賀郡、焚伊賀驛家、還于伊賀中山、 ○按ズルニ、秉式占トハ、其遁甲式ナルヤ否ヤ明ナラズト雖モ、上文引ク日本書紀ニ、天皇天文遁甲ヲ能ストアレバ、姑ク此ニ掲グ、

〔十駕齋養新録〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 奇門(○○) 奇門之式、古人謂之遁甲、即易八卦方位、加以中央、與乾鑿度太一下行九宮之法相合、史記龜策傳載、宋元王召博士衞平、語夢、衞平乃援式而起、仰天而視月之光、觀斗所一レ指、定日處一レ郷、規矩爲輔、副以權衡、四維已定、八卦相望、視其吉凶、介蟲先見、乃對元王曰、今昔壬子、宿在牽牛云々、此遁甲式也、日在牽牛、冬至之候、蓋冬至後、壬子日庚子時、〈子爲夜半〉陽遁第一局、甲午爲旬首、在巽宮、杜門爲直使、時加子、子爲玄武、故云介蟲先見也、規矩權衡、謂坎離震兌四正之位、漢書魏相傳、東方之神執春、南方之神執衡司夏、西方之神執矩司秋、北方之神執權司冬、是其義也、加以四維、故云八卦相望也、

〔奇門遁甲元機〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0524 遁甲法 昔大撓造甲子、推天地之數、風后演遁甲、究鬼神之奧、極天幽隱遁之謂歟、以六甲儀直符二十四氣式局、六代貴神攸處、凡王師討伐、料敵制勝、不掌握之内、參合天人之理、則虧衂者鮮矣、因 擇其指要、別加編次、庶開卷而易曉也、〈○中略〉凡五日六十時週而復始、 甲己之日、夜半生甲子、乙庚之日、夜半生丙子、丙寅之日、夜半生戊子、丁壬之日、夜半生庚子、戊癸之日、夜半生壬子、若後天地人遁之時、出軍最吉、 生門、令月奇臨六丁天遁、華蓋日精所蔽、 開門、令日奇加六己、爲天地遁、紫微華蓋所蔽、 休門、與星奇太陰、爲人遁、後太陰所蔽、〈○中略〉 六甲六丁營法 三元經曰、大將兵四出、統衆屯營、必取其法、則其法以六甲首、十時十日一移、 員卓曰、以歳旬而爲http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou052501.gif 、或依歳月、或取六甲旬首而排布之、大將居靑龍、六甲爲靑龍、旗鼓居蓬星、六乙爲蓬星、士卒居明堂、六丙爲明堂、伏兵居太陰、六丁爲太陰、軍門居天門、六戌爲天門、小將居地戸、斬罰居天獄、六庚爲天獄、判斷居天庭、六辛爲天庭、囚繫糧儲居天牢、六壬爲天牢、府庫甲仗居天藏、六癸爲天藏、倣此、 假令、甲己之日、靑龍在子、大將居之、蓬星在丑、旗鼓居之、明堂在寅、士卒居之、太陰在卯、伏兵居之、天門在辰、軍門居之、地伏在巳、小將居之、天獄在午、斬罰居之、餘傚此、〈以上出武經總要○中略〉 十二將 用起天乙、以將兵、大捷、〈一作樓〉闢地千里、敵畏服、用起六合、以將兵、主子女玉帛、用起靑龍、以將兵大勝、得敵之邦國府庫、用起太陰、以將兵、士卒怯怖、用起天后、以將兵、不戰自敗、用起太常、以將兵、無功、用起螣蛇、以將兵、士卒驚駭、上下相尅多傷、用起朱雀、以將兵、士卒驚恐、或妄作口舌、用起勾陣、以將兵、士卒敗、車馬折傷、用起玄武、以將兵、軍多亡遁、戰不利、用起白虎、以將兵、師敗無救援、用起天空、以將兵、士卒死亡、爲敵所欺詐、説曰、天一者人皇之靈也、上潛精而爲星、在紫微宮下十二次、則居己丑、擧慶賀事、治大吉小吉、臨甲乙寅卯、假令天一治大吉小吉、而臨甲乙寅卯也、餘皆例此、凶神將螣蛇者、飄風之精也、居太陽之丁巳、雷公六律曰、天一奉車都尉、凶神也、〈一作而〉大小殺並主憂驚、朱雀者〈一作星〉月之精也、居太陰之丙午、雷公六律曰、天一羽林下爲霹靂凶將也、主刑戮口舌、六合者太陰之 精也、居少陽之乙卯、吉將也、雷公六律曰、天一光祿大夫、主和合吉事、勾陣者雷電之精也、居太陽戊辰、雷公六律曰、天一大將軍也、凶將也、主戰鬪、多傷敗、靑龍者太陽之精也、居少陽之甲寅、雷公六律曰、天一左丞相、吉將也、主喜慶事、天后者水之精也、居太陽之癸亥、雷公六律曰、天一綵女也、吉將也、主蔽匿事、太陰者金之精也、居少陽之辛酉、雷公六律曰、天一御史中丞、吉將也、主陰私事也、玄武者北方七星之精也、居少陰之壬子、雷公六律曰、天一之後將也、凶將也、主逃亡、離別、盜賊、若與風伯雨師二神并、必有盜賊、太常者土之精也、居少陰之己未、雷公六律曰、天一太常卿、吉將也、主財帛、白虎者西方七星之精也、居少陰之庚申、雷公六律曰、天一逆尉也、凶將也、主囚禁骸骨、天空者斗魁之精也、居少陰之戊戌、雷公六律曰、天一宜師〈一作日直〉凶將也、主欺詐事

〔武備志〕

〈二百七十七占〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0526 奇門 茅子曰、奇門之説、昭然于天下也、而精之者寡、非之者不一レ衆也、蓋其故有三、飛宮之法、合于洛書、然其離合變化、雖至熟者而或淆、其難一、超神接氣、奇門之本也、而置閏之法、暦家專門之所難、而欲于倉卒、其難二、分局定盤、説亦瑣矣、約之者、欲十八局而盡一千八十局之變、廣之者、雖千八十局、而不以究十八局之微、其難三、兼之推明其吉凶、則首趨避、首趨避則事符呪、事符呪而尅應歩罡、諸説衆興、其言騐而不以訓也、其言不騐、而不以傳也、于是而精者寡矣、有我同然者、著玄覽、其衡子以定宮、至簡也、酌法以置閏、至明也、因盤以布局、至約也、明乎三者而思過半矣、景祐遁甲符應經者、宋景祐時人所著也、博而析、卓哉莫之過也、刪其起例同于玄覽、而爲之纂、于是乎言奇門而不精、非敎之罪也、六甲者貴神也、六丁者尤貴者也、乘造化之精靈、而幹運陰陽之際、得http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou052601.gif 以制一レ之、其專門之學、有煉器、煉形、祭禱、符籙、要之皆奇門之緖也、有其約略而不一レ詳、所以訓以傳也、〈○中略〉 右四圖、乃張子房所遺之一十八局、至今用之、第毎一局一圖、共十八圖、既拘泥而不相通、且推 布煩琑、故殫心精研、爲日既久、豁然在悟、乃新製此圖、規木爲圖、大小凡四、其下大者爲地盤、内列九星八門原定之位、又以己意入刑制迫墓等忌、其上差小爲九星、又其上差小爲八門、又其上最小爲八詐門、皆推遷無定、故取天盤之義、而以六儀三奇、製爲奇子二副、用則按節氣之、其三奇與八門之休、開、生、及八詐門之六合、太陰、九地、九天、皆以朱書之、以別其爲一レ吉、奇子之六甲、一面書朱、一面書墨、遇直符則用朱面以別之、誠一按圖、而不推算、不査覈、了然在目、視舊所一レ傳、誠精而簡、明而盡矣、 新製奇子體式  申子戊甲戌已甲申庚甲午辛甲辰壬甲寅癸乙丙丁 用象牙或嘉木、製一樣二副、置一於地盤、置一於天盤、隨起之宮、依順逆布排、

〔漢書〕

〈九十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 王莾字巨君、孝元皇后之弟子也、〈○中略〉地皇三年十月二日己酉、城中少年朱弟張魚等、恐鹵掠、趨讙並和、〈○中略〉燒作室門、斧敬法闥、謼曰反虜王莾、何不出降、〈○中略〉時莾紺袀服帶璽韍、持虞帝匕首、天文郞按拭於前(○○○○)、〈師古曰、拭所以占時日天文、即今之用拭者也、〉曰時加某、莾旋席隨斗柄而坐曰、天生德於予、漢兵其如予何

〔抱朴子〕

〈内篇十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0527 登渉卷第十七 按玉鈴經云、欲名山、不遁甲之秘術、而不人委曲説其事也、而靈寶經云、入山當保日及義日、若專日者大吉、以制日伐日必死、又不一一道一レ之也、余少有山之志、由此乃行學遁甲書、乃有六十餘卷、事不卒精、故鈔集其要、以爲囊中立成、然不中以筆傳、今論其較略、想好事者欲山、行當訪索知一レ之者、亦終不於世也、遁甲中經曰、欲道、以天内日、天内時、劾鬼魅、施符書、以天禽日、天禽時、入名山、欲百邪虎狼毒蟲盜賊不敢近一レ人者、出天藏地戸、凡六癸爲天藏、六己爲地戸也、又曰避亂世、絶跡於名山、令憂患者、以上元丁卯日、名曰陰德之時、一名天心、可以隱淪、所謂白日 陸沈、日月無光、人鬼不見也、又曰、求僊道名山者、以六癸之日、六癸之時、一名天公日、必得世也、又曰、往山林中、當左手靑龍上草、折半置逢星下、歴明堂太陰中、禹歩而行、三呪曰、諾皐太陰將軍、獨聞、〈○聞當開〉曾孫王甲、勿開、外人使人見一レ甲者、以爲束薪、不甲者、以爲非人、則折持之草地上、左手取土、以傳鼻人中、右手持草自蔽、左手著前、禹歩而行到癸下、閉氣而住、人鬼不見也、凡六甲爲靑龍、六乙爲逢星、六丙爲明堂、六丁爲陰中也、 比成既濟卦、初一初二跡不任九跡數然相因、仍一歩七尺、又云、一尺合二丈一尺〈一作一丈歩尺〉顧視九跡、又禹歩法、正立右足在前、左足在後、次復前右足、以左足右足、併是一歩也、次復前右足、次前左足、以右足、從左足、併是一歩也、次復前右足、以左足右足、併是三歩也、如此禹歩之道畢矣、凡作天下百術、皆宜禹歩、不獨此事、抱朴子曰、靈寶經曰、所謂寶日者、謂支干上生下之日也、若甲午乙巳之日是也、甲者木也、午者火也、乙亦木也、巳亦火也、火生於木故也、又謂義日者、支干下生上之日也、若壬申癸酉之日是也、壬者水也、申者金也、癸者水也、酉者金也、水生於金故也、所謂制日者、支干上克下之日也、若戊子己亥之日是也、戊者土也、子者水也、己亦土也、亥亦水也、五行之義、土克水也、所謂伐日者、支干下克上之日、若甲申乙酉之日是也、甲者木也、申者金也、乙亦木也、酉亦金也、金克木故也、他皆倣此、引而長之、皆可之也、

〔後漢書〕

〈八十二方術列傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 又有風角、遁甲、七政、元氣、六日、七分、逢占、日者、挺專、須臾、孤虚之術、〈風角六日七分解、並見朗顗傳、遁甲推六角之陰(○○○○○○○)、而隱遁也(○○○○)、今書七志、有遁甲經、〉

〔序列抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0528 六甲ト云ハ、甲子、甲戌、甲申、甲午、甲辰、甲寅也、十日々々ニマハル也、此日一年ニ各六度ヅツアルゾ、甲子ヨリ癸酉ニテ、十日ノ間ハ、陰中ハ癸酉ノ方ニアリ、此方ニ藥ヲカワカセバ、陰乾ゾ、甲乙丙丁戊己庚辛壬癸トカズヘテ、六番メゾ、己ニアタル處ヲ虚ト云、十番メノ癸ニ當ル處ヲ陰中ト云也、甲戌ヨリ癸未マデノ十日ノ間ハ、陰中ハ癸未ノ方ニアリ、甲申ヨリ癸巳マデハ、十日ノ間ハ、陰中癸巳ニアリ、甲午ヨリ癸卯マデ十日ノ間ハ、陰中癸卯ニアリ、甲辰ヨリ癸丑マ デノ十日ノ間ハ、陰中ハ癸丑アリ、甲寅ヨリ癸亥マデ十日ノ間ハ、陰中癸亥ノ方ニアルゾ、十干ノ終ル處ノ支ヲ以テ、陰地トスルゾ、〈○中略〉 又依遁甲 後漢書太子賢ガ註ニ云、遁甲、推六甲之陰而隱遁也、今書、七志有遁甲經ト云々、遁甲法ト云ハ、方ニトレバ、此六甲ノ陰中ト同ジ心也、時ニトルベクハ、土運甲ト己トノ日ハ、夜半ヲ甲子トアテヽ、其次ハ乙丑、其次ハ丙寅、其次ハ丁卯、其次ハ戊辰、其次ハ己巳、其次ハ庚午、其次ハ辛未、其次ハ壬申、其次ハ癸酉トカズヘテ、壬申癸酉ヲ終ヘテ、甲戌乙亥ニアタル時ヲ遁甲ト取ル、金運、乙ト庚トノ日ハ、夜半ヲ丙子トアテヽ、其次ハ丁丑ト、如此次第ニカズヘテ、壬午癸未ヲ終テ、甲申乙酉ニアタル時ヲ遁甲ト取ル、水運、丙ト辛トノ日ハ、夜半ヲ戊子トアテヽ、其ヨリ次第ニ數テ、壬辰癸巳ニ終テ、甲午乙未ニアタル時ヲ遁甲ト取ル、木運、丁ト壬トノ日ハ、夜半ヲ庚子トアテヽ、其ヨリ次第ニ數ヘテ、壬寅癸卯ヲ終ヘテ、甲辰乙巳ニアタル時ヲ遁甲ト取ル、〈○下略〉

〔五行大義〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0529支幹 支干之義、多配合、今略論方位及配所、幹不獨立、支不虚設、要配合以定歳月日時而用、如君臣夫婦、必配合以相成、總而言之、從甲至癸、爲陽爲干爲日、從寅至丑、爲陰爲支爲辰、別而言之、干則甲丙戊庚壬爲陽、乙丁己辛癸爲陰、支則寅辰午申戌子爲陽、卯巳未酉亥丑爲陰、陽則爲剛、爲君、爲夫、爲上、爲外、爲表、爲動、爲進、爲起、爲仰、爲前、爲左、爲德、爲施、爲開、陰則爲柔、爲臣、爲妻、爲妾、爲財、爲下、爲内、爲裏、爲止、爲退、爲伏、爲位、爲後、爲右、爲刑、爲藏、爲閉、陰陽所擬例多、且略大綱如此、甲乙寅卯木也、位在東方、丙丁巳午火也、位在南方、戊己辰戌丑未土也、位在中央、分王四季治、丙丁庚辛申酉金也、位在西方、壬癸亥子水也、位在北方、甲爲干首、子爲支初、相配者、太陽之氣、動於黄泉之下、在建子之月、黄鐘之律爲氣之源子、故以子爲先、萬物湊出於建寅之月、皆以見形、甲屬此月、故以甲爲先而配子、見者爲陽、故從干、未見者爲陰、故從支、干支所以用甲子相配爲六旬之始(○○○○○○○○○○○○)、干既有支、有十二 輪轉、相配終於癸亥、故有六十日、十日一旬、故有六旬、一旬盡一甲癸、便以甲(○○)配子、盡干至癸酉、便盡干、餘支有戌亥、又起甲(○○)配戌、盡干至癸未、餘支有申酉、又起甲(○○)配申、盡至干、癸巳餘支有午未、又起甲(○○)配午、盡干至癸卯、餘支有辰巳、起甲(○○)配辰、盡干至癸丑、餘支有寅卯、又起甲配寅、盡干至癸亥、十干有十二支、有配周畢、還從甲子起、故六甲輪轉(○○○○)、止六十日、十日一旬、一旬之内、二支無配偶者爲之孤、所對鍾者爲之虚(○○○○○○○○○○○○○○○○)、卜筮所云空亡、以支孤無、故干名爲空亡(○○)、亡者无也、无干故亡、所對者全虚、故云空也、算法、橫下十二支於四方、縱下八干於四方、下戊己於中央、若甲子旬取甲干以配子支、如此次第相配至戊辰位、在中央土爲四行主、不移(○○○○○○○○)、故取辰支巳支中央戊己、餘悉以干就支、至戌亥干配一レ之、單故爲孤、辰巳之位支干並无、故名爲虚其空亡之辰、從五行之、如甲子旬、无戌亥、水土半空亡、以戊是土亥是水也、不全無亥子、故云半也、甲戌旬無申酉、爲金全空亡、以金二支並无也、甲申旬無午未、爲火土半空亡、以巳午不全无也、甲午旬無辰巳亦然、甲辰旬無寅卯、亦云木金空亡、甲寅旬無子丑、亦水土半空亡、並以二支不倶無也、兵書云、陽生甲子戌亥、仍爲天門、陰生甲午辰巳、仍爲地戸、陽界甲寅不子丑、仍爲鬼門(○○)、陰界甲申不午未、仍爲人門、陽盛甲辰、卯爲之隔、陰興甲戌、酉爲之隔、此並是六甲之空支也、春秋元命苞云、地不東南右動、終而入虚門、此明甲子孤在戌亥、虚在辰巳也、一干一支爲一日者、以周天三百六十五度四分度之一日、日行一度、故正用一干一支以主一日也、三旬爲一月者、月日行十三度四分度之一、三旬而周天也、十二月爲一歳者、四時時有三月、生殺之功、備遍十二支也、一歳合三百六十日者、六六三十六、六甲之數也、六甲間、兩月之日者、以陰陽奇偶備也、陽者爲奇、陰者爲偶、萬物庶類吉凶之理、以此彰矣、其支干相配、歳月日時並然、立歳之元、起於上元甲子、立月之元、起甲己之歳十一月甲子、立日之元、六旬起甲子、立時之元、冬夏二至後、得甲己之日夜半甲子、四事皆以甲子首(○○○○○○)也、其上配九星、下配九州者、黄帝兵決云、甲子從北斗魁第一星起、順數至庚午、在第七罡星、至辛未還從第六星、逆數至丙子、又從第 一星、順數盡六甲

占列

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 弓削是雄式占(○○)有徴驗事〈善家略記〉 内竪伴宿禰世繼、貞觀六年、爲穀倉院交易使、歸來之次、宿近江國介藤原有蔭館、時有蔭招陰陽師弓削是雄、令屬星、與世繼宿館中、其夜世繼頻有惡夢、令是雄占夢吉凶、是雄轉式(○○)、大駭曰、君若歸家、即日當鬼殺戮、愼勿家、可此殊、世繼辭家在旅、度歴二年、顧念妻子、促駕入洛、俄聞此占、中心歎慨、更亦同云、我必可家、而今有此占、若有防護之法乎、是雄亦轉式語曰、君家寢室艮隅、有君之鬼、君須刀劒、持弓矢、直入寢室、引弓矯矢、瞋目向艮方語云、汝若不出、我當殺汝身、若能如此、當此厄、於是世繼到家、周旋毎事、如是雄之語、時有一沙門、手持匕首、出長跪再拜自首云、某无状、與君婦淫、近日聞君來、將待其寢寐、欲其殺害、而今君有先覺、將殺某身、是以歸誠自首、世繼立逐其妻、捕其沙門獄拷掠、即録状上聞、天下皆云、是雄占驗、管郭之輩也、

〔權記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 寬弘八年五月十九日壬午、文室爲義來云、一昨子刻、一宮御方天井上、有多瓦礫之聲、甚奇怪也、承女房仰、即書占方、問遣大炊頭許、占云、五月七日庚辰、時加子、〈見怪日時〉勝光臨亥爲用、將天后、中大吉、天空、終傳送、螣蛇、御行年寅上從魁朱雀、卦遇傍茹絶紀、推之、國家可愼御歟、期、怪日以後卅日之内、及來六月十月節中、並丙丁日也、何以言之、曰、下刻上、註曰、絶紀亡其先人、必有孤子、章曰、臣事君、子事父、今皆下賊上爲絶紀、臣害其君、子害其父、男妨父、女妨母、故曰其先人、是謂孤子之故也、至期愼御、兼被攘災法、無其咎乎、端書、此占文不他見、怪體如何、早被奏耳、陰陽頭文高推之、若聞召驚口舌之事歟、主計頭吉平占卦遇傍茹、推之無咎、自然所爲哉、今案、主上御惱、廿三日丙申發動、遂有大故、光榮之占如掌(○○○○○○○)、可神也、〈後日之公案也〉

〔類聚符宣抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 陰陽寮 一占八幡宇佐宮西門南外腋御幣殿東方柞木俄枯怪〈三月十三日申時〉 三月十三日庚寅、時加申、天剛臨卯爲用、將六合、中太一、將勾陣、終勝光、將靑龍、卦遇聯茄、 推之、怪所宮司中非寅子年人鬪亂之事、丑未年人憂病患之事哉、期怪日以後三十日内、及來八月節中丙丁日也、何以言之、用起王氣之所一レ勝、辰上及傳見朱雀勾陣、以之主鬪亂、又以天剛主病患之故、件怪所至期愼之、無其咎乎、 一占鴨一雙集南樓上〈三月十七日辰時〉 三月十七日甲午、時加辰、神后臨未爲用、將螣蛇、中太一、將大裳、終河魁、將六合、卦遇聯茄、 推之天下非疾疫之事、坤艮國有兵革之事哉、期恠日以後二十日内、及六月七月十一月節中庚辛日也、何以言之、用起死氣之所一レ勝、以之主疾病將得螣蛇、傳得太一、以之皆主兵事之故也、至期愼之、無其災哉、 萬壽三年五月九日 少屬大中臣 頭惟宗朝臣 主計頭安部朝臣

〔類聚符宣抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 陰陽寮 占太宰府言上八幡宇佐宮寶殿去四月廿二日顚倒怪異 今月廿日己丑、時加酉、太一臨酉爲用、將靑龍、中大吉、將螣蛇、終從魁、將玄武、卦遇從革、 推之、從申酉丑寅方、奏兵革事歟、期今日以後三十五日内、及明年四月七月節中并甲乙日也、何以 謂之、用起金神(○○)、卦遇從革、又大歳上臨一凶神、將帶勾陣、皆是主兵革事之故也、至期被誡、無其咎乎、 長元五年七月廿日 允中原 助兼陰陽博士巨勢朝臣 頭兼漏刻博士大中臣朝臣

〔朝野群載〕

〈十五陰陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 陰陽寮 占吉田社司言上怪異吉凶〈十一月十九日申時御祭、奉御戸、鏁舌破損、不開、〉 十一月十九日丙申、時加申、大衝臨戌爲用、將裳、中傳送、將六合、終大吉、將大陰、卦遇元首、 推之、依神事不淨不信致歟、公家可御藥事歟、期怪日以後廿日内、及明年二月九日節中壬癸日也、何以言之、辰上及終將太陰、御年上見天空、主不淨不信、又大歳及日上河魁螣蛇、是以御藥事之故也、至期愼御、無其咎歟、 永久元年十二月十八日 陰陽博士兼因幡權介賀茂朝臣宗憲 助兼主計助權暦博士賀茂朝臣家榮

〔諸道勘文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 八幡御體可改造否御占相論事 勘申陰陽寮占、今月一日八幡宮外殿御體可造新像哉、將可護國寺御體否、御卜訛謬事、可造由占申事 今日甲戌時加酉、〈奉宣旨日時四月節〉神后臨丑爲用、將天后、中徴明、將大陰、終河魁、將玄武、卦遇狡童佚女天吏、推之、被改造吉歟、以何言之、用傳并日辰、上皆見吉將、是主吉之故也、 今案件推條、旁有訛謬、具戴状左、 用起神后、中得徴明大陰云々、徴明大陰主穢氣不淨、〈一凶也〉終見河魁玄武云々、河魁玄武主不淨不信、〈二凶也〉御歳上同之、〈三凶也〉大歳上得小吉天空云々、小吉天空主欺殆不信、〈四凶也○中略〉 右就用傳之、第一御占、用雖吉神良將、傳終得凶神凶將、尤不快也、第二御占尤吉也、三傳雖惡將、無内外戰之上、已得禮也者、以護國寺御體、被置於正殿、有何難哉況長元御占、尤可准據歟、抑御體事、國家之疑議也、當道之大事也、愚管所覃、不申、仍所勘申件、 保延六年五月七日 主計助安部朝臣泰親 五月八日持參鳥羽殿、以相摸守範宗之、叶叡慮之由被仰下、自院可大内之由被仰下云云、 辨申去一日御占有紕謬之由事 今月十日宣旨偁、左大史小槻宿禰政重仰偁、左少辨源朝臣雅綱傳宣、左大臣宣奉勅、主計助安部朝臣泰親、勘申八幡宮外殿御體可造新像哉、將可護國寺御體否、御占紕謬事、宣陰陽助賀茂朝臣在憲、天文博士安部朝臣廣賢等辨申子細者、 可造由占申事 今日甲戌、時加酉、〈奉宣旨日時四月節〉神后臨丑爲用、將天后、中徴明、將大陰、終河魁、將玄武、卦遇狡童佚女天吏、推之、被改造吉歟、以何言之、用傳并日辰、上皆見吉將、是主吉之故也、今案件推條、傍有紕謬、具戴状左者、 用起神后、中得徴明大陰云々、徴明大陰、主穢氣不淨、〈一凶也〉終見河魁玄武云々、河魁玄武、主不淨不信、〈二凶也〉御年上同之、〈三凶也〉大歳上得小吉天空云々、小吉天空主欺殆不信、〈四凶也〉金匱經云、始吉終凶、先吉後凶云々、據件等文、可改造之由、推申之條、未其理、今度御占、始吉終凶之故也、又本條云、一凶二吉爲吉、一吉二凶爲凶、而今如占申者、一吉四凶也、就中可造御體御占、主不淨不信之神、尤可其咎者也、何況去長元元年十一月、石淸水御殿修造間、御體可假殿之由、吉凶有其沙汰、被軒廊御卜之時、主計頭賀茂朝臣守道、陰陽頭惟宗朝臣文高等占申云、十一月二日壬辰、時加未、〈十月節〉勝先臨壬爲用、將天后、中大吉、勾陣、終傳送、玄武、卦遇聯茄狡童佚女、推申云、奉移不快也、何以言之、三傳終玄武、辰上見徴明天空、皆是主不淨不信之故也、以彼謂此、今度御占、與彼長元御占、頗同趣歟、依三傳終玄武、申不吉之由、今度御占、終河魁、玄武、是同趣也、又彼御占、辰上見徴明天空、仍申不淨不信之由、今度又大歳上得小吉天空、是又主不淨不信、大略同前也者、推申可改造之由、尤不當事歟、 〈○中略〉 右一々之難、事々不當也、卜筮之道(○○○○)、以將只辨其吉凶(○○○○○○○)、依傳不其勝劣(○○○○○○○)、是奉經奧旨、先儒嘉摹、更非今案、皆即舊例也、就中勿論之事、何及陳謝、然而綸言有限、不默止、仍或操書籍之文、或課相傳之説、聊注大略、言上如件、 保延六年五月十六日 圖書頭兼天文博士安部朝臣廣賢 勘申主計助泰親勘申、今月一日酉時、占申八幡宮外殿御體、可改造哉、將可護國寺像歟、兩條吉凶子細事、 可造御體事 用起神后、中得徴明大陰云々、徴明大陰、主穢氣不淨、〈一凶也〉終見河魁玄武、主不淨不信、〈二凶也〉御年上同之、〈三凶也〉大歳上得小吉天空、主欺殆不信〈四凶也〉者、 件勘申之旨、本所存知也、仍雖御占形、殊愼穢氣不淨不信、可改造之由、於軒廊之座上卿也、何處紕謬乎、抑徴明大陰、主穢氣不淨云々、然而斯金匱及大橈經云、徴明主天社、〈吉一〉同經云、大陰者請求神道、錢財相通、〈吉二〉又太玄經云、北右大陰也、陰者鬼神之府也、亥性爲災、災於鬼神必以盡敬齋也、〈吉三〉然則徴明大陰、吉多凶少、河魁玄武、主不淨不信云々、然而河魁者有氣也、神之所喜也、〈吉四〉又主守視、論語云、苞氏云、犬之守禦云々、河魁是犬也、然則大菩薩、殊有禦敵國、守護國家之誓願、仍河魁爲守護之神、在終并御年上、可吉兆也、〈吉五〉玄武者水長也、御體者木主也、五運之道、從水生木者、玄武之水、可生木主、豈非改作之兆哉、〈吉六〉御年上又同之、〈吉七〉小吉天空、主欺殆不信云々、然而小吉者爲吉神也、〈吉八〉又有氣也、〈吉九〉天空者上也、同有氣也、〈吉十〉已上帶十吉、何稱一吉四凶哉、未其理、被御體、更不凶也、立占之術、依事施推、陰陽之法、遇境垂化者他、何守一隅、猥致偏執哉、 一以長元元年八幡宮御體動否御占、不申證據事、 件御占者、推動否之一條、今御占者、渉作渡之兩方、然則一事之占(○○○○)、依神將之吉凶(○○○○○)、兩方之推(○○○○)、判彼是之勝劣(○○○○○○)、專不准據者也、〈○中略〉 一二籌御占、依不吉、不護國寺御體事、 發用帶螣蛇、凶將也、傳得太一、凶將也、將帶勾陣、凶將也、終帶白虎、凶將也、大歳上又帶白虎、凶將也、日上帶螣蛇、凶將也、卦遇伏吟、凶卦也者、 今檢經説等云、新撰陰陽書云、螣蛇臨人年日辰、憂驚恐精魂、又神樞靈轄云、在床上疾病、又神樞秘要云、螣蛇者、廻徨曲宜、達車呻吟、同神樞秘要云、螣蛇有氣無氣之時常爲凶者也、隨又有床上、加之在日上用、然則被御體、深可恐歟、又新金匱及大橈經云、太一主火災、勾陣主留連、又神樞靈轄云、勾陣主稽留、據件等文、縱雖護國寺御體、稽廻徨難心事歟、又新金匱及大橈經云、白虎主瞋怒、似凶、縱雖護國寺御體、稽留中途、不心事歟、伏吟者、凶卦也、具見上文、抑如泰親之勘申、以穢氣不淨等、可凶者、用帶螣蛇、主穢氣、〈凶一〉日上同之、〈凶二〉終傳送白虎、共爲金神、爲死氣、主穢氣不淨也、〈凶三〉大歳上同之、〈凶四〉辰上河魁玄武、主不淨不信、〈凶五〉御年上徴明大陰、主穢氣不淨違例、〈凶六〉卦遇玄胎四牝、主不淨、〈凶七〉就之案之、第一御占、有四箇之不淨不信、用起神將吉多凶少、第二御占、有七箇之穢氣、不淨不信違例、用起神將、凶多吉少、兩條之是非、一決而可知、泰親之所引申、長元御占、雖得禮、不不淨、今二籌已有得禮、又不不淨歟、且任神慮、且仰聖斷而已、 右兩方推條、依宣旨勘申如件、 保延六年五月十二日 陰陽助兼陰陽博士因幡權介賀茂朝臣在憲

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 仁安二年十月九日癸卯、殿下〈○藤原基房〉今朝令宇治給、明日還御後可内覽、仍隨身御卜形歸、 陰陽寮 占、去九月二十七日子時、五條皇居燒亡、若有咎祟致歟、 去九月二十七日辛、時加子、〈十月節〉太一臨卯爲用、將六合、中小吉、將靑龍、終河魁、將白虎、卦遇嚆矢、龍戰天吏 推之、依自然致歟、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 治承五年〈○養和元年〉二月十三日庚寅、未刻藏人左少辨行隆來、呼簾前子細、先日所尋之行幸之間沙汰也、就余〈○藤原兼實〉申状、御藥并御所事、被官〈依穢中陣外、内々問之、〉寮〈召藏人所之〉等之處、申旨各別、就何可行哉、須官卜申旨也、然而至今度、不必然、事體猶有行幸者可宜歟云々者、 申云、先日被尋問之處、有殊急事者、不議定、早可行幸、依御藥之一事者、御所之凶、有無之條、可御占之由令申了、就之被問、官寮申状、各別之時、被官申状者例也、今可其状之由難定申、此上事、只可御意也、愚慮難定申者、行隆内々語云、若有行幸者、來廿日可宜之由所擇申也云々、行隆所持來之卜形等如此、〈○中略〉 御所吉凶(○○○○) 占、今日己丑、時加申、〈候正月節〉徴明臨、巳爲用、將螣蛇、中小吉、將靑龍、終大吉、將天空、御行年已上徴明、螣蛇卦遇反吟、 推之、被皇居御藥事、不吉、以何言之、月并御年上帶螣蛇、是主御藥事、又三傳爲無氣、卦遇反吟、是主御所不吉之故也、 資元 廣元 業俊 季弘 泰親 在憲〈○中略〉 凡此行幸之沙汰、狂亂也、何強被諸人哉、只任雅意行事也、

〔宣胤卿記〕

〈渡方〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 明應七年三月廿二日、有宗朝臣持來、 怪異吉凶〈去正月一日戌刻、多武峯寺大織冠大明神御面令破裂給事、〉 右去正月一日戊戌、時加戌、神后臨戌爲用、將白虎、中功曹靑龍、終天岡靑龍、御年上大吉天空、 卦遇聯茄之、怪所之依神事穢氣、不淨不信所致之上、可御愼病事火災等歟、并從震艮方口舌兵革之事哉、期怪日以後三十五日之内、及十月十二月、明年正月節中(○○○○)、并甲乙日(○○○)也、兼被祈請者無其咎乎、 明應七年三月廿二日 陰陽頭有宗 多武峯の占文、かやうにて候、やがて返下され候て、寺家へつかはし可下候、このよし御心得候て、御披露可下候、かしく、 のぶ胤 勾當内侍どのへ御返事 先規雖入禁裏、占文可見參之由、在昨日之御返事、 神體令破裂事、注進之旨被驚思食候、仍御占文如此、早々被祈謝、〈○下略〉

〔晉書〕

〈九十五戴洋傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 戴洋、孛國流、呉興長城人也、〈○中略〉咸康三年、〈○中略〉洋曰、十月丁亥、夜半時、得賊問、干爲君、支爲臣、丁爲征西府、亥爲邾城、功曹爲賊、神加子、時十月、水王木相、王相氣合、賊必來、寅數七、子數九、賊高可九千人、下可七千人、從魁爲貴人丁、下剋上有空亡之事、不敢進武昌也、賊果陷邾城而去、亮問洋曰、故當石城否、洋曰、賊從安陸石城、逆太白、當身、無慮、亮曰、天何以利胡而病我、洋曰、天符有吉凶、土地有盛衰、今年害氣三合己亥、己爲天下、亥爲戎、胡季龍亦當死、今乃不賊、但憂公病耳、

書籍

〔新撰六旬集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 斯依滋岳川人、貞觀十三年奉勅撰進六甲進之、 〈甲子〉一勝先臨酉爲用、將靑龍、卯〈朱勾〉子〈后白〉卦〈四時三交春、亦三光正月七月高蓋駟馬、〉占怪夢、〈四時就婦女財物及宅内奸人、若正月七月乾官有慶、若乾孕動行期卅日、及五八月壬癸日年酉子孫、〉占病、〈春夏貴神祟、秋冬立王時道路鬼祟、解謝有應也、暮將膰地卦三交也、卦四時三交、〉

〔三代實録〕

〈二十五淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 貞觀十六年五月廿七日甲寅、從五位上行陰陽頭兼陰陽博士安藝權介滋岳朝臣川人卒云々、川人作世要動靜經三卷、指掌宿曜經一卷、滋川新術遁甲書二卷(○○○○○○○○○)、金櫃新注三卷

〔日本國見在書目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 五行家〈九百十九卷 呪禁 符印 五行 六壬 雷公 太一私略之 易 遁甲 式 相 仙術○中略〉 六壬雜占一 六壬經二 六壬式樞機經二 釋六壬式六十四卦法四卷 六壬式一切法一 六壬式雜占書一 六甲右左上符一 六甲圖一 大道老君六甲秘符一 八史圖一 六甲神符二 九宮式經一 九宮經四〈鄭司農經〉 九宮經一 九宮飢穰暦一 交異九宮經三 太一經二〈宋昆撰〉 太一經一〈周氏撰〉 秘要三〈第三四五〉 秘要立成一 秘要口決一 秘要立成十二〈張氏撰〉 秘要鑿度一 秘要四神暦基三 秘要決并雜陰陽十 秘要式二 秘要日計立成圖〈刑璹撰○中略〉 遁甲六 遁甲二〈袁宏等撰〉 遁甲一〈信都等撰〉 門元太一 門元經六 門元秘要一〈葛洪撰〉 門元經要抄一〈抱朴子撰〉 三元九 宮三元三 三元立成六 三元經序一〈陶隱居撰〉 三元用決〈張良四晧撰〉 式經一 式經尺卅六 用決一〈朱先生撰〉 式〈庄子撰〉 式占十二 將決一 式家用印字決一 雜祭暦一〈賈誼更撰〉 黄帝式龍昻經一 黄帝式用常年經一 八公靈纂經一 八公靈纂卜經二 宇宙經一 京房占六 情百鳥鳴一 京房雜占一 乙巳占十

〔漢書〕

〈三十藝文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 泰一陰陽二十三卷〈○中略〉天一六卷、泰一二十九卷、〈○中略〉風鼓六甲二十四卷、風后孤虚二十卷、六合隨曲二十五卷、轉位十二神二十五卷、羨門式法二十卷、羨門式二十卷、文解六甲十八卷、〈○中略〉 右五行三十一家、六百五十二卷、

〔隋書〕

〈三十四經籍〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 六壬式經雜占九卷〈梁有六壬式經三卷、亡、〉六壬釋兆六卷

〔十駕齋養新録〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 六壬 隋書經籍志、五行類有六壬式經雜占九卷〈梁有六壬式經三卷、亡、〉六壬釋兆六卷、六壬之名始見於此(○○○○○○○○)、

〔唐書〕

〈五十九藝文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 孫僧化六甲開天暦二卷、翼奉風角要候一卷、王琛風角六情訣一卷、〈○中略〉祿命書二卷、遁甲開山圖一卷、劉孝恭風角鳥情二卷、文祿命書二十卷、鳥情占一卷、風角十卷、〈○中略〉太一大游暦二卷、大游太一暦一卷、曜靈經一卷、七政暦一卷、六壬暦一卷、六壬擇非經六卷、〈○中略〉太一暦一卷、曹氏黄帝式經三十六用一卷、玄女式經要訣一卷、董氏大龍首式經一卷、桓公式經一卷、宋琨式經一卷、六壬式經雜占九卷、雷公式經一卷、太一式經二卷、太一式經雜占十卷、〈○中略〉太一飛鳥暦一卷、太一九宮雜占十卷、九宮經三卷、堪輿暦注二卷、殷紹黄帝四序堪輿一卷、地節堪輿二卷、伍子胥遁甲文一卷、信都芳遁甲經二卷、葛洪三元遁甲圖三卷、許昉三元遁甲六卷、杜仲三元遁甲一卷、榮氏遁甲開山圖二卷、遁甲經十卷、遁甲嚢中經一卷、遁甲推要一卷、遁甲秘要一卷、遁甲九星暦一卷、遁甲萬一訣三卷、三元遁甲立成圖二卷、遁甲立成法三卷、遁甲九宮八門圖一卷、遁甲三奇三卷、陽遁甲九卷、陰遁甲九卷、遁甲三元九甲立成一卷、〈○中略〉王璨新撰陰陽書三十卷、〈○中略〉僧一行天一太一經一卷、又遁甲十八局一卷、太一局遁甲經一卷、

式神

〔倭訓栞〕

〈前編十一志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 しきがみ 歌書に見ゆ、しきの神ともいふ、新猿樂記陰陽道の條に、仕式神と書り、式伏といふ事もあり、實は人形の識神にて、巫蠱の妖術なりといへり、撰集抄に物の識になんかゝりてと見え、宇治拾遺にしきにうてけると見え、古記に式に厭著(マシナヒ)などいふも身代の人形より起るともいへり、

〔続古事談〕

〈二臣節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 神泉ノ競馬ノ時、陰陽識神ヲhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou057001.gif シテウヅメルヲ、今ニ解除セズ、其靈アリトナンイ ヒツタヘタル、今モスグベカラズトゾ、アリユキトイフ陰陽師ハ申ケル、〈○下略〉

〔枕草子〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 宮〈○皇后定子〉にはじめてまいりたる比、物のはづかしき事かずしらず、〈○中略〉物など仰られて、我をばおもふやととはせ給ふ、御いらへに、いかにかはとけいするにあはせて、だいばん所のかたに、はなを高くひたれば、あな心う、そらごとするなりけり、よし〳〵とていらせ給ひぬ、いかでかそらごとにはあらん、よろしうだにおもひきこえさすべき事かは、はなこそはそらごとしけれとおぼゆ、〈○中略〉猶こればかりはけいしなをさせ給へ、しきの神(○○○○)も、をのづからいとかしこしとてまいらせてのちも、うたて折しもなどてさはたありけん、いとおかし、

〔大鏡〕

〈一花山〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 さてつちみかどよりひんがしざまにおはしますに、晴明がいへのまへをわたらせ給へば、みづからのうへにて、手をおびたヾしくはた〳〵とうつなり、みかどおりさせ給ふと見ゆる、天變ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな、まいりて奏せん、車にさうぞくとらせよといふこゑきかせ給ひけんは、さりともあはれにはおぼしめしけんかし、かつ〳〵、しき神一人だいりにまいれと申ければ、めには見えぬものゝ、とをしあけていづ、御うしろをや見まいらせけん、たゞいまこれよりすぎさせおはしますと、いらへけりとかや、〈○下略〉

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 安倍晴明隨忠行道語第十六 亦此晴明、廣澤ノ寬朝僧正ト申ケル人ノ御房ニ參テ、物申シ承ハリケル間、若キ君達僧共有テ、晴明ニ物語ナドシテ云ク、其識神(○○)ヲ仕ヒ給フナルハ、忽ニ人ヲバ殺シ給フラムヤト、晴明道ノ大事ヲ此ク現ニモ問ヒ給フカナト云テ、安クハ否不殺ジ、少シ力ダニ入テ候ヘバ、必ズ殺シテム、虫ナドヲバ塵許ノ事セムニ、必ズ殺シツベキニ、生ク樣ヲ不知バ、罪ヲ得ヌベケレバ由无キ也ナド云フ程ニ、庭ヨリ蝦蟇ノ五ツ六ツ許踊ツヽ、池ノ邊樣ニ行ケルヲ、君達、然バ彼レ一ツ殺シ給ヘ、試ムト云ケレバ、晴明罪造リ給フ君カナ、然ルニテモ試ミ給ハムト有レバトテ、草ノ葉ヲ摘切テ、物ヲ 讀樣ニシテ、蝦蟇ノ方へ投遣タリケレバ、其ノ草ノ葉、蝦蟇ノ上ニ懸ルト見ケル程ニ、蝦蟇ハ眞平ニヒシゲテ死タリケル、僧共是ヲ見テ、色ヲ失テナム恐ヂ怖レケル、此晴明ハ家ノ内ニ人无キ時ハ、識神ヲ仕ケルニヤ有ケム、人モ无キニ蔀上ゲ下ス事ナム有ケル、亦門モ差ス人モ无カリケルニ、被差ナムトナム有ケル、此樣ニ希有ノ事共多カリトナム語リ傳フル、其孫于今公ニ仕テ、止事无クテ有リ、其土御門ノ家モ、傳ハリノ所ニテ有リ、其孫近ク成マデ、識神ノ音ナドハ聞ケリ、然レバ晴明尚只者ニハ非リケリトナム語リ傳へタルトヤ、

〔宇治拾遺物語〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0542 昔晴明陣にまいりたりけるに、さきはなやかにをはせて、殿上人のまいりけるをみれば、藏人の少將とて、まだわかく花やかなる人の、見めまことにきよげにて、車よりおりて内にまいりたりけるほどに、この少將のうへに烏のとびてとをりけるが、ゑどをしかけゝるを、晴明きとみて、あはれ世にもあひ、年などもわかくて、見めもよき人にこそあんめれ、しきにうてけるにか、このからすは、しき神にこそありけれと思ふに、しかるべくて、此少將のいくべき報や有けん、いとおしう晴明が覺て、少將のそばへあゆみよりて、御前へまいらせ給か、さかしく申やうなれど、なにかまいらせ給ふ、殿は今夜えすぐさせ給はじと見奉るぞ、しかるべくて、をのれにはみえさせ給へるなり、いざさせ給へ、物心みんとて、このひとつの車にのりければ、少將わなゝきて、あさましき事かな、さらばたすけ給へとて、ひとつ車にのりて、少將の里へいでぬ、申の時計のことにてありければ、かくいでなどしつるほどに、日もくれぬ、晴明少將をつといだきて、身がためをし、又なに事にか、つぶ〳〵と夜一よいもねず、こゑもたえもせず讀きかせ、かぢしけり、秋のよのながきに、よく〳〵したりければ、あかつきがたに、戸をはた〳〵とたゝけるに、あれ人出してきかせ給へとて、きかせければ、この少將のあひ聟にて、藏人の五位のありけるも、おなじ家にあなたこなたにすへたりけるが、此少將をば、よき聟とてかしづき、今ひとりをばことの外に 思おとしたりければ、ねたがりて陰陽師をかたらひて、しきをふせたりけるなり、さてその少將は死なんとしけるを、晴明が見つけて、夜一よいのりたりければ、そのふせける陰陽師のもとより人の來て、たかやかに、心のまどひけるまゝに、よしなくまもりつよかりける人の御ために、仰をそむかじとて、しきをふせて、すでにしき神かへりて、をのれたゞいましきにうてヽ死侍ぬ、すまじかりける事をしてといひけるを、晴明、これきかせたまへ、夜部みつけまいらせざらましかば、かやうにこそ候はましといひて、その使に人をそへてやりてきゝければ、陰陽師はやがて死にけりとぞいひける、しきふせさせける聟をば、しうとやがてをひすてけるとぞよろこびける、たれとはおぼえず、大納言までなり給けるとぞ、

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 播磨國陰陽師智德法師語第十九 今昔、播磨國ノ郡ニ、陰陽師ヲ爲ル法師有ケリ、名ヲバ智德ト云ケリ、年來其ノ國ニ住テ、此道ヲシテ有ケルニ、其ノ法師ハ、糸只者ニモ非ヌ奴也ケリ、〈○中略〉此偏ニ智德ガ陰陽ノ術ヲ以テ、海賊ヲ謀リ寄セタルナリ、而レバ智德極テ怖シキ奴ニテ有ケルニ、晴明ニ會テゾ識神(○○)ヲ被隱タリケル、然レドモ其ハ其法ヲ不知バ不弊、、此ル者播磨國ニ有ケリトナム語リ傳ヘタルトヤ、

〔源平盛衰記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0543 中宮御産事 治承二年十一月十二日寅時ヨリ、中宮〈○平得子〉御産ノ氣御座スト訇ケリ、去月廿七日ヨリ、時々其御氣御座ケレ共、取立タル御事ハナカリツルニ、今ハ隙ナク取頻ラセ給ヘドモ、御座ナラズ、二位殿心苦ク思給テ、一條堀川戻橋ニテ、橋ヨリ東ノ爪ニ車ヲ立サセ給テ、橋占ヲゾ問給フ、〈○中略〉一條戻橋ト云ハ、昔安部晴明ガ、天文ノ淵源ヲ極テ十二神將ヲ仕ニケルガ、其妻職神(○○)ノ貌ニ畏ケレバ、彼十二神ヲ橋ノ下ニ呪シ置テ、用事ノ時ハ召仕ケリ、

九星

〔九星圖説日要精義大成〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0544 日家九星の起例を詳に解記す 天の元氣は萬物の精にして、亦吉凶を發する事最も明なり、抑吉神凶殺と稱するもの、其原天地の氣質にして、則万物の元氣たる陰陽の兩儀なり、分つて年月日時の四課に起り、吉凶のよつて生ずる事、固より靈ある所以なれば、動靜小事と雖も、能陰陽の理を擇し、趨避忽にする事勿れ、凡方位の吉凶に隨ひ、祟害幸德の生ずる期を未前に察知する事は、偏に洛書の九星に倚ものなり、就中日時九星の顯然たるや、恰も明鏡に物の形の映が如く、禍福の起源を探索するの主要なれば、信用せずんば有べからず、尤古來より漢土の諸書に屢起例を載と雖ども、陰陽の差異を立るが故、近世の有職、其順逆の起元においては、審に學得したる輩稀なり、予〈○松浦琴鶴〉是を探索する事累年にして、遂に其的適する所の配當を得て、万般の吉凶を考ふるに、禍福掌中に有がごとし、今其眞法を著はし、以て世俗に益す、所謂陰陽二遁といふは、凡天に三陰三陽の氣あつて、是を客氣と稱し、地に三陰三陽の有て、これを主氣と稱す、都て六陰六陽の氣、一歳十二ケ月に應じ、天地に顯遁して移り替ること、暫も止るときなし、已に夏至に至つては、六陽殘らず天に顯はれ、六陰はみな地中に遁る、故に夏至を以て陰遁の初とす、反て冬至の節に至れば、六陰殘らず天に顯はれ、六陽みな地中に遁る、故に冬至を以て陽遁の初とするなり、都て陰陽は天地の理にして、艸木花葉と雖も、冬至夏至に隨つて、左へ芽ざし、右へまとひて、自然順逆の差別をなす、况んや星辰の循環に於てをや、故に冬至雨水穀雨三氣の九星は、陽遁なるを以て順に行き、夏至處暑霜降三氣の九星は、陰遁なるをもつて逆に行なり、而して順逆ともに、上中下の三元に渉り、彼陰陽二遁、すべて六元を一周とし、六六三百六十日にして一歳終るなり、其六元といふは、則冬至甲子を陽遁の上元として、坎の一白星、中宮に起り、雨水甲子を陽遁の中元として、兌の七赤星、中宮に起り、穀雨甲子を陽遁の下元として、巽の四綠星、中宮に起り、夏至甲子を陰遁の上元として、離の九紫星、中 宮に起り、處暑甲子を陰遁の中元として、震の三碧星、中宮に起り、霜降甲子を陰遁の下元として、乾の六白星、中宮に起なり、是陰陽二遁の三元、日家九星の起例なり、

〔方鑒秘傳集〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0545 三元九星之説 通德類情に曰、河洛は天地の秘を洩す、而して羲文は畫卦に因るを以てし、禹箕は演濤に因るを以てす、其理至て精しく、其用至て博くして區々たり、撰擇は特に其中の一端耳と、今方鑒家者流の論各異同ありて、或は紫白吉星を採、又天月二德を尊み、乃至陰陽貴人を信ずる抔、皆得たる所の術を以て、互に權を張り我を募りて、撰擇區々なりと雖も、其原を推ときは、すべて河洛より起る者ゆえ、唯大同にして小異ある耳、然を彼家にて褒善するものを、是家にては貶惡するの類ひ屢ありて、俗是が爲に迷惑する者少からず、かく吉凶相反するは、只其神殺の名稱而已に泥み、進退盛衰の理を察(あきら)めずして、猥に善惡を示すが致す所なり、謂つべし、易は六十四卦にして、兩筮同卦を得ること稀なり、然れども事物一なるときは、判斷符節を合すと、入神の徒の考察此のごとし、故に曰、筮に吉凶なし、事に吉凶ありと、易の繋辭傳に見えたり、今此方鑒の術も又他ならず、其習道を異にする耳、止る所は一定なり、依て玄術を得れば、兩考更に互迭なきこと理の自然なり、學士つとめて怠ることなかれ、抑方鑒の起例を論ずるに、三元家九星を以て原とす、玆に天月德及び陰陽貴人等は、乃九星の生旺に乘じて以て其德益あるの趣、既に五要奇書に述るが如し、又紫白吉星と號るは、遁甲奇門の名稱にして、三元家九星に備はれる吉凶の稱なし、唯其生剋を以て吉凶を辨ず、三台便覽及び三白寶海等に、五性命の人須く白中の剋殺を忌べしといへる即是なり、蓋すべて吉凶の眞理は、偏に生剋を以て原とす、通德類情に曰、今協紀辨方一書を閲て始て知る、吉凶神殺は悉く五行の生剋製化を本として、之を爲ことを、而して爰に其本を考ふれば、自から河洛に始まると、所謂河洛は渾然轉運の氣機即體用の二なり、彼の三元家九星は河洛の星 名にして、一に始り九に至り、各五行の一氣備はりたるは、即生剋必用の原にして、即方鑒の體なり、而して其星年月日時に循還し、禍を爲し福を顯すは、即吉凶妙要の理にして、即方鑒の用なり、今九星の體位及び屬性を示して、活用妙旨の便とす、夫一白は水星にして、此方を本宮とし、二黑は土星にして、西南を本宮とす、三碧は木星にして、東方を本宮とし、四綠又木星にして、東南を本宮とす、五黄土星にして、中央を本宮とし、六白は金星にして、西北を本宮とす、七赤又金星にして、西方を本宮とし、八白は土星にして、東北を本宮とす、九紫は火星にして、南方を本宮とし、九星各九宮に位を定むる者なり、則左に圖を出す、 三元九星定位圖  右に設ところの圖は、則洛書の圖に據因て、更に九星の名目を施し、以て九局に配當せしものなり、是殊に方鑒備用の根本、三元分別の規矩たるものにして、一切星神の主位弔宮ともに、此局を用ゐずといふ事なし、蓋又九星の名目たるや、其化用最も廣く、彼本命星(○○○)といへるも、即此九星の 關所にして、頗る人事の禍福を顯し、時運の吉凶を主どる明星なり、又玆に三元といふは、万物を生ずる自然の數にして、造化窮なきの稱たり、易に曰、一二を生、二三を生じ、三万物を生ずと、夫太極已に判れ、淸るは升て天となり、濁るはくだりて地となる、天地已に開けて以て人道立、是を三才といふ、彼一二を生じ、二三を生ずといふもの即是なり、凡三の數は元より木氣の生數にして、東方震に位す、木は乃仁を主として太歳に配す、太歳は是木星の精にして、仁を專とし、万物を觀察すといふ、見つべし、九星中の三碧震に位するも、亦万物を生ずる自然の數なる事を、夫万般の吉凶すべて三元に隨つて、種々變化あるものなれば、今淸朝に年々頒行はるゝ時憲書にも、年首月首に循環九星の圖を載記し、年月とも其配星によつて、三元の差別ある事を記して、方位に過迭なからん事を示す、呼嗚方鑒主要の深事たることを得て知べきなり、 本命星操格之辨 時用通書に曰、上元甲子生のごときは、坎局を以て本命官とすと、此本命官といふは、即其年中宮に起りたる星の本宮なり、故に其本宮の星を取て本命星(○○○)とす、抑本命星といふは、彼三元九星、年年交々中宮に巡り入ものにして、是即一歳中の主星たり、能時令を行ひ、其年の豐凶を主どるなり、されば此主星を取て、其年出産人々の本命星とはする事にて、男女の命に別あること更になし、三才運用棟金通書に曰、生成各其性一にして、男女各其極一なりと、彼乾道男を成、坤道女を成と云るは、剛弱別あるの理とし、唯其物にして、其剛弱備はるをいふ、易に曰、天道立陰陽と云、又地道立柔剛と云、又人道立仁義と云、みな其物にして、其理備はるなり、凡君臣父子の大倫、夫婦朋友の奇偶も必此本命星の管る所にして、吉凶の應驗甚だ明なるものと知べし、 附軒廊御卜 軒廊御卜ハ、天變地災、神社佛寺ノ怪異アル毎ニ、朝廷ニテ、特ニ紫宸殿ノ軒廊ニ於テトハシ ムルヲ云フ、コハ神祇官、陰陽寮、共ニ伺候シテ、官ノ龜卜ト寮ノ式占トヲ以テ占スル例ナリ、而シテ内々ノ事ハ、藏人所ニ於テ行ハル、

名稱 儀式

〔北山抄〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 軒廊御卜事〈卜部直氏卜之、中臣氏相具、但至件氏具例、六位者依姓次著座云々、〉上卿奉仰、仰外記、令神祇官陰陽寮、各率僚下參入、應召入日華門、著軒廊座、〈東第三間以東、神祇官候、西上、第一間以西、陰陽寮候、東上、掃部寮預敷座、主殿寮主水司設水火、大膳職奉坏云々、〉上卿召神祇官第一人名、〈四位召官如常〉稱唯、進就膝著、仰其事吉凶可卜申之由、〈若有文書給之、即令見陰陽寮、〉還復本座後、召仰陰陽寮前、各成勘文、置莒蓋等進之、上卿見畢、召外記筥之、付仰人奏、重無仰者、官寮退出、〈御卜返給者、下給外記、〉 若當子日、或停神祇官、先令陰陽寮奉仕云々、依子日不一レ卜也、其六壬卜尚又不快、非急事者、改日共令奉仕宜、禁中有穢者、書出事旨、令外記傳給於本官之、陰陽寮於陣掖奉仕云々、可尋之、諸司諸國言上怪異解文、不必在官奏、仍上卿早令別奏、隨官寮勘申旨、被攘災之法、至于瑞物、隨其方色、可先合、譬猶東國連理靑色物、西國白鹿等也、〈件方色无所見

〔名目抄〕

〈禁中所々名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 軒廊(コンラウ)

〔江家次第〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0548 軒廊御卜 上卿奉抑、率參議陣、如恒仰辨令座、仰外記神祇官陰陽寮、或有史召、〈非也〉 各率僚下參入、應召入日華門、著軒廊座、 東第參間以西、神祇官候、〈西上〉第一間以西、陰陽寮候、〈東上〉以上掃部寮豫敷座、主水設水、主殿設火、大膳奉坏、 上卿召神祇官(○○○)第一人名、〈四位召官朝臣、五位召名朝臣、但至伊勢事、不位階中臣名云々、〉稱唯進就膝突、仰其事吉凶可卜申之由、〈若有文書給之、即令見陰陽寮、小野宮大臣、齋王卜定時、召外記筥、入文下給、依辨少納言等外以手不一レ給歟、〉還復本座、次召仰陰陽寮(○○○)、如前各盛勘文、置筥蓋等進、〈陰陽寮借用神祇官筥蓋〉上卿見畢、召外記筥之、付傳仰人奏、若有官符宣旨者、本解御卜下 官、無重仰者、官寮退出、〈御卜返給下給外記〉文書留中者、不空筥

〔禁秘御抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 御卜 諸社寺、并所々奇怪珍事出來、先有軒廊御卜、上卿行之、神祇官陰陽寮卜申、上卿以職事子細、被輕重子細、上卿兼日問官寮之、可御物忌、職事下知之、又不軒廊御卜、内々之事召陰陽師於藏人所問、進占文皆連署、或三人若七人神祇官卜於弓場勤、如藏人卜、非強事御卜不行之由在寬平誡訓、官寮不同之時用官也、又内々密々以女房書陰陽師家常事也、

卜例

〔日本紀略〕

〈三村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 天暦三年六月廿一日癸巳、召神祇官陰陽寮官人於軒廊、有旱魃御卜、令申艮巽坤乾神社山陵成祟之由、即可撿深草栢原等陵之由、召仰撿非違使

〔江家次第〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0549 軒廊御卜 天德四年五月十三日、召陰陽寮於陣頭云々、占雨由、神祇官於左衞門陣外、令外記傳仰之、上卿在衡卿、承不元年閏五月七日、大納言令霖雨、依内裏穢、各令本司卜之、同六年八月十五日、召陰陽寮於軒廊、令霖雨事、〈貞公、若子日歟、〉天暦四年、重服上卿行之、〈○中略〉 天慶八年六月十七日九記云、公卿座在左近陣之時者、件諸司座以中爲上、今公卿座在宜陽殿西庇、仍計便宜而從天慶年中改敷也、 件日神祇官西上、陰陽寮東上、並北面、 同年七月二日、依旱魃神祇官卜方二枚、 一枚〈有祟歟〉 坐〈巽坤方大神成祟〉 一枚〈巽方大神者、伊勢大神宮、并豐受大神宮歟、推之、依神居不一レ宜有此旱、 坤方大神者、八幡宮歟、有怨氣、依神舍破損歟、又住吉神崇歟、依神社破損、 無中臣行例 萬壽四年十一月三日、按察使大納言〈行成〉被行軒廊御卜、官人等不候、仍無官人行例、被神祇少副、卜部兼忠申云、多有其例、又被外記、外記申云、天暦六年三月十九日、左大臣〈小野〉尋前例、無中臣官人御卜、 依中臣官人、用他司官人例、 寬治七年五月八日、卜尾張臥木忽起臥、 少監物經元 嘉保三年五月十九日〈卜去九日電、上卿江中納言、〉 玄蕃允惟俊 御即位以前行軒廊御卜例 治暦四年六月廿日卜祭主事 嘉承二年十月十八日、石淸水怪、北野木倒怪、 諒闇年卜神社怪異吉例、 嘉承二年十月十八日、里内無軒廊時、於陣座前之、 若雨降者、於陣座角檻外之、 甚雨時、或於角檻内之、 齋王卜定時、御卜留御所 長元四年 馨子齋王卜定時、藏人頭經任返下卜方於上卿、非例云々、

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0550 寬仁元年七月一日丁酉、有召參攝政殿、被仰云、天下有霖雨愁云々、早仰上卿、召神祇官陰陽寮等、令霖雨祟、〈○中略〉頃之申神祇官陰陽寮等參由、次掃部軒廊敷疊二枚、〈一枚神祇官料東、一枚陰陽寮料西、〉主殿火 東座前、主水水盛五器其傍、次有召、神祇官著座、〈少副守隆朝臣率卜部龜卜等之、東北面隨身小辛櫃入卜具等也云々、〉次陰陽寮著、〈吉平文隆等也、西上北面、隋身硯筥、〉各座定、大納言召云、守隆朝臣、朝臣稱唯、進著膝突、上卿仰云、霖雨祟可卜申者、稱唯歸、吉平朝臣稱唯進膝突、奉仰歸座祟平神祇大副守隆卜文入櫃蓋、進奉上卿、取筥歸座、次上卿目之、官寮次第退出、〈官寮櫃并硯等、本官寮下勞官人等取之進退云々、官人令置之、〉次上卿召余、余進候膝突、仰云、隨御卜趣、近京諸社、差遣檢非違使等、可實檢者、〈神祇卜云、艮巽方神祟歟、先賀茂上下、并伊勢大神宮者、陰陽卜云、理運之上、巽坤方神社、神事違例祟、并西北方神社邊、置死骸祟者、〉即以使官人等、合方角社々近邊可實檢之由、仰史明義已畢、次參攝政殿、奉勘文等、被仰云、召中臣官人放申之由可仰、兼又合方角、召社々司事違例之由、兼可能可祈申之由者、 長元四年八月四日己卯、次侍從中納言移著南座、召史仰云、依宇佐宮怪異、可軒廊御卜(○○○○)也、仰諸司座、并儲水令火者、史令諸司、如例令勤仕、次召頭辨、仰神祇陰陽之由、暫少副卜部兼忠、率祐大中臣惟盛伊岐則政卜部等、經宜陽殿壇上廊座(○○○)、〈西面北上〉次頭實光、率博士時親、助則秀等、自同道著座、〈東上北面〉主殿官人明隆生火、主水官人土器盛水居之、次上召云、兼忠宿禰、宿禰唯經小庭、〈此時小雨〉居膝突、以府解經元申吉凶之由、兼忠唯歸座、令見下、次上召云、實光朝臣、實光朝臣唯經同庭、居膝突、仰云、太宰府申宇佐宮在怪奇之由、可申吉凶之由者、實光唯歸座云々、仰旨仰下神祇官書所府解、以正文陰陽寮、同寫留、以正文官、各筮卜了、兼忠以筮文櫃蓋上卿、上卿披見了、被仰云、文然有諱忌、書可奉者、兼忠歸座、令改書之、次實光以卜文筥奉上、〈件筥須寮隨身參入也、不具、仍忽借外記云々、〉上卿開見了、召外記筥之由、外記奉筥入卜方等、令頭辨奏、仰云、依神祇筮、可火事疾疫之由、報符可太宰云々、上卿辨退出、余又退出、傳聞、自去五月二日、至于晦比、宇佐神殿上、雀群集、或作栖云々、仍有此御卜云々、官申云、本所火事疾疫云々、寮申云、天下疾病若御藥云々、

〔春記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0551 長暦四年八月十日壬辰、有軒廊御卜事、〈内大臣(藤原敎通)行之○中略〉神祇官卜物怪事、 問、伊勢豐受大神宮、去七月廿六日、子時許、正殿并東西寶殿、爲大風顚倒、怪歟、 推之、天下有疫癘若兵革事歟、〈卜合〉灼乎、 斉院宮主直 長暦四年八月十日 宮主少祐伊岐宿禰則政 權大副大中臣朝臣輔宣 七月廿六日己卯、時加子、〈八月節〉等去(○○)臨卯爲用、將天后、中徴明、將六合、終大衝、將白虎、起遇龍戰、類曲直、 推之、奉爲公家咎、天下有疫疾兵革事歟、期、怪日以後四十五日内、及來九月、明年五月六月節中、並甲乙日也、何以言之、日上得吉將、卦遇類、以是奉爲公家無咎、用起老氣、終帶白虎、以是主有天下之疾疫、大歳上見金神、卦遇龍戰、皆是主兵革事之故也、且於怪所祈禱、兼且至期被愼、災禍自銷、天下無爲哉 長暦四年八月十日 少屬大中臣貞良 允中原恒盛 助兼丹波介大中臣爲俊 權助兼主税助安部時親

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0552 天永二年四月廿七日己未、今夕從内裏御内大臣土御門亭也、是明春依一條院、爲方忌御臨幸也、〈明年從淸凉殿大將軍并金神方之由所勘申也〉入夜陰參内、著仗座、内大臣參仕被申云、今夕可軒廊御卜也、遷御之後三ケ日中、如此事不行之故也、行幸以前被軒廊御卜事有先例由、大外記所申者、内大臣移著端座、以官人膝突、召頭辨座之由、所司敷座於軒廊、〈東三間以東〉置水火外記、仰官寮可召之由、〈猶神祇官陰陽寮可仰也、官寮二字省略之故也〉大中臣輔淸、卜部兼俊、〈官〉宗明、〈寮〉參入著座、内府召之、輔淸〈雖五位朝臣二字也、名許召如何、〉給解状卜申、〈去九日豐受宮蕃垣御門、依風顚倒事、〉次召宗明、被此趣、此間宗憲參加座、〈兼申事由 參加也〉各進卜形、召外記筥文書、付頭辨奏聞、〈召殿下〉官寮退出、 裏書云、御卜趣、官寮共、御藥天下疾疫者、頗件御卜體重者、可御愼歟、 永久六年五月二十四日、予移著端座、召官人膝突於次門前、〈本在第二間〉是爲軒廊御卜也、召藏人辨座、則置水火後、召外記、問神祇官陰陽寮參否、申皆參之由、可召之旨仰下、入候日花門、著軒廊座、公長兼俊宗憲參入、公長下解状、仰吉凶可卜申之由、是大和國大和社、去二月九日戌刻、俄有大寶殿三宇、并御正體燒亡也、又召宗憲件趣、吉凶可卜申者、公長持來御卜形、披見之處、神事不淨之上、可天下疾疫口舌者、 又宗憲占形持來、神事不淨之上、可平所病事指物忌日也、召外記筥、入本解并御卜形等、付頭辨、欲奏之處、頭辨不參、仍以外記頭辨許了、是近代之作法也、件御卜頗重之由、官寮共所申也、依御物忌、書宿紙也、已過夜半事了歸家、 大治二年正月二十四日甲寅、申時許、相具右少辨參内、行軒廊御卜、是祭主公長言上、大神宮去年十一月日、假殿遷宮之間、柱卷布被喰損事、神祇官少副兼俊、陰陽寮頭家榮朝臣、助宗憲參來官卜申云、神事不信不淨者、寮占申云、神事不信不淨、公家御示、怪日以後三十日内、四月十一月甲乙日者、本解御卜形等欲頭辨之處、只今不參、仍乍筥、以外記頭辨許了、本奉行職事不參、頗以奇怪也、近代度々如斯行御卜之由、雖告示參、何爲哉、入夜退出、 三月六日、頭中將忠宗、依院宣書云、齋院卜定所、自御本所當大將軍方、可避忌哉否事、右延久天仁保安、齋宮卜定所、自各本所當王方、已有先例、就彼例忌歟、但彼時不必被忌避歟、今度沙汰出來、猶可憚歟、宜量申給者、予進返事云、不忌由、已有度々例、仍不忌也、如此事只可先例也、就中神事強、不大將軍王相方忌歟、早此旨可奏達給者、後聞、付民部卿申、猶可忌云々、 八月五日、早旦頭中將仰下云、近日霖雨者、廿四日有止雨奉幣、而其後猶以連々降雨、仍今夕可軒廊卜也、可奉也、他上卿多以故 障、縁事所司内々且催了、右中辨左少辨可催者、申承了由、且又召新史俊重仰下了、申時許參内、先著陣奧座、尋頭中將并官寮、頭中將未參也、暫相待之處、臨秉燭頭中將來、御卜之趣、可書給由示之、則書紙屋紙一枚下之、近日雲膚難晴、雨脚頻下、依何咎徴致哉、宜官寮卜申者、予移著端座、令膝突、以官人辨、右中辨師俊來、仰座之由、掃部寮敷座於軒廊、主殿寮主水司居水火、予召外記、官寮候哉ト問、申候之由、又仰云召セ、神祇官大副兼政、陰陽寮頭家榮朝臣以下四人、入日華門座、予召云、兼政朝臣來膝突、下給仰詞云、可卜申者、歸座之後、又召云陰陽頭朝臣〈依四位名也〉來膝突、以詞仰、其詞云、可卜申、歸座各卜占了、持來卜形、見了返給筥蓋、又占形持來、共披見處、官寮相合有恐、理運之上、乾巽方大神、依神事不信不淨違例祟也、召外記筥入之、付頭中將、予申云、明後日可奉幣歟、然者暫候陣、可申使如何、期日近々也、明後日外、日次忽不見故也、頭中將申云、及深更、院御寢已成了歟、明旦參院、取御氣色、可左右、明日依重日定許何事有哉、次召外記、仰官寮、可退出之由、則起座歸家了、中臣官人有障不參也、非伊勢事、總事御卜時、中臣氏人不來例、間有之、仍所行也、 五年正月廿四日、軒廊御卜、陰陽寮占云、公家御藥重、神祇官卜云、天下病事怪所同前者、今度御卜之間、民部卿以官寮頭中上臈座之由被張行云々、此事古儀歟、近代只以東西端上臈座也、如此公事以常事行也、強異説不用歟、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 久安三年七月三日乙丑、召陰陽頭守憲朝臣、問軒廊御卜日、申曰、九日可也、召外記、仰其日并可神祇官陰陽寮參議之由、近例、仰辨令官寮、失也、仍任正禮、仰外記之、隨又仰外記催之由、見治暦四年六月廿日御暦

〔愚昧記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0554 仁安四年二月廿七日、酉刻許參内、〈經仲憲成爲前駈〉直著外座軾、令官人召寄文書也、〈前駈所持也〉次召右中辨長方、問官寮參否、申皆參之由、予〈○藤原實房〉問云、官上臈誰人哉、示云、兼康候、神祇官人依見知問也、仰云、座令敷、辨唯稱退去、〈○中略〉以掃部寮、敷座於柱外、主殿寮掌燈、〈官寮座右二所〉并居火於神官 座、主水司盛水、居官寮座、次召外記、仰云、官寮召〈セ、〉外記唯退去、即官寮著座、〈官西、寮東、〉予召云、神祇官權大副朝臣、兼康稱唯經座末軾、予給本解、〈外記勘例、取笏卷籠本解三通於禮紙、〉仰云、吉凶占申〈セ、〉兼康退去、次又召云、陰陽頭朝臣在憲著軾、〈經座上〉予仰云、今月九日鴨御祖社賀茂別雷社等神館舍顚倒、并同十日別雷社寶殿蚯蚓出來事、吉凶可占申、在憲稱唯復座、神官令本解於寮、在憲見之申云、官續文被御卜之由、不勘申、何樣可候哉、予答云、雖先例、可御占之由被仰下了、不左右、况先例或行之、或不行也、又申云、本解不申時、以何時占申哉、予云、以宣旨之日時占申歟、在憲云、先々如此候者、各卜了後、兼康持來卜文、〈入櫃蓋、本解者以占文插合也、〉予取之、披見之、次在憲又持參之、〈借官櫃蓋之〉予同披見了、相具外記卷之、召外記筥之、招兼光之云、二ケ條事、神官載一紙也、須二枚歟、然而申先例之由、其上書改者、可深更歟、仍隨宜也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0555 治承元年十一月七日壬寅、入夜大夫隆職來、召簾前近日公事等、申云、今月有軒廊御卜、上卿左兵衞督云々、是則去月廿七日地震之時、東大寺大佛螺髮少々落云々、又大鐘落了、官藏艮角壞了由進奏状、被件事也、又有地震之御卜云々、 廿八日癸亥、大夫史隆職註送大地震卜形、昨日被下云々、去七月御卜、昨被下、以外懈怠歟、 神祇官卜怪異事 問、去十月廿七日地震、東大寺大佛螺髮二口落、并大鐘釣切落地、及官藏艮角頽落事者、是依何咎等祟致乎、 推之、公家可愼給之上、怪所可動搖事歟、 治承元年十一月七日 從五位下行權少祐大中臣朝臣範隆 宮主從五位下行權少祐卜部宿禰兼衡 陰陽寮 占、東大寺言上怪異吉凶、〈十月廿七日地震間、大佛螺髮二口落、或項上螺髮拔上、又大鐘釣切落地、拜官藏丑寅角頽落、〉 今日壬寅、時加酉、〈十月節、奉宣旨同時、〉神后臨未爲用、將白虎、中太一、將天一、終河魅、將靑龍、卦遇聯茄類、 推之怪所有口舌病事歟、期、今日以後廿日内、及今月十二月、明年六月節中、並戊己日也、何以言之、用并日上大歳上皆爲比、御年上見白刑神、辰上得朱雀、用帶白虎、卦遇類、是主怪所口舌病事之故也、早被祈請其咎乎、 治承元年十一月七日 權漏刻博士菅原朝臣秀親 權暦博士兼伯耆權守賀茂朝臣憲定 掃部頭兼陰陽博士安部朝臣秀弘 主税助安部朝臣時晴 主計頭兼頭土左介賀茂朝臣在憲 建久二年十一月十三日戊申、被軒廊御卜、上卿同人〈○藤原良經〉也、神宮上卿藤大納言所勞不參之替也、件御卜、去比自御杣筏四鼻、其中第三筏之師、入河水溺死、其筏雖穢〈筏在上人流下、仍筏不穢、〉所乘之人已沒亡、以彼材木正殿〈○伊勢大神〉之條、依事疑、被先例、寬治以後、度々有此事、且依先例用捨之處、不用之由、官寮占申之、又被其祟之處、公家御愼、又所愼之由占申之、深更自宗賴之許内々所進也、早奏事之由、註御卜趣、不第三筏材木之由、可宣下之旨仰了、

〔伏見院御記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0556 正應元年正月十一日丁酉、依去年神宮怪異、行軒廊御占、右大臣〈○藤原忠敎〉行之、神祇官卜申云、問豐受大神宮禰宜等言上、去年十二月廿一日注文偁、去十月十一日見付心御柱卷繩、寸々切落、卷布等切破、黏付御柱、所飾御榊、一向損失、兼又今日見付件御柱爲虫令損事者、是依何咎祟致哉、 推之、依神事不信不淨致之上、可公家御愼、及天下動搖病事歟、 問、同宮禰宜等言上、同年同月廿六日注文偁、昨日子刻、依深雪、當宮以西松木、倒懸西寶殿、御殿令破損給間、累代本樣神寶以下破損上、東寶殿并瑞垣御門千木等折損事者、是何咎祟所致哉、 推之、依神事違例不信不淨、所致之上、怪所并天下可動搖病事歟、 弘安十一年正月十一日 從四位下行權大副大中臣朝臣高宣 從四位下行權大副兼山城守卜部宿禰兼方 從四位上行權大副卜部宿禰兼益 正四位下權大副卜部宿禰兼秀 陰陽寮 心御柱http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_hou055701.gif 損事 去年十月十一日戊辰、時加巳、功曹臨戌爲用、將螣蛇、中徴明、將太陰、終傳送、將白虎、卦遇玄胎四牝、推之、依神事違例、穢氣不淨致之上、公家可御御藥事歟、期、彼日以後卅日内、及今月、又來四月節中、並甲乙日也、以何言之、傳有徴明太陰、卦遇玄胎四牝、是主違例穢氣不淨、又用終日大歳上見螣蛇白虎、是皆主御藥事之故也、兼致祈請、至期愼、其咎自銷乎、 松木倒懸西寶殿事 同年十二月廿五日辛巳、時加子、太一臨巳爲用、將六合、中傳送、將天空、終功曹、天一、卦遇伏吟玄胎四牝、 推之依神事違例不信不淨、所致之上、禁裏可火事、又從巽離方、奏口舌鬪諍事歟、期、彼日以後廿五日内、及來四月七月節中、並丙丁日也、何以言之、用并辰上、帶太一六合、傳有金神天空、終見旬天 火神、卦遇伏吟胎四牝、是皆主違例不信不淨、及火事口舌鬪諍之故也、兼祈謝、至期被誡愼、無其咎乎、 心御柱虫損事 今日丁酉、時加戌、〈奉宣旨日時〉徴明臨戌爲用、將太陰、中神后、將玄武、終大吉、將大裳、卦遇聯茄、 推之、依神事違例不信、所致之上、公家非御御藥事、怪所有病事歟、期今日以後卅日内及來九月十月節中、並壬癸日也、何以言之、用起日鬼、爲徴明太陰、傳帶玄武、辰上并御年上、有螣蛇白虎、卦遇聯茄、是主違例不信御藥事、怪所病事之故也、至期愼御、其咎銷乎、少允安部朝臣良康、主計頭賀茂朝臣在言、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 貞和二年八月十九日 同月〈○正應三年八月〉十五日、被軒廊御卜(○○○○)、〈依御劒事也〉 神祇官卜云、神事違例、不淨所致之上、怪所可口舌病事者、 陰陽寮占曰、神事違例、穢氣所致之上、公家御藥事、天下有疾病之憂、又自巽離方口舌兵革事

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0558 嘉吉二年十二月廿四日辛亥、今夜被軒廊御卜、伊勢豐受大神宮正殿盜人奏昇事也、又吉田社第三神殿神服紛失、同社四御殿神服鼠喰損事等被付行者也、入夜上卿權大納言藤原資廣卿、〈神宮傅奏也〉權右中辨同俊秀、〈藏人方、兼行神宮職事、〉官務左大史晨照宿禰、權少外記予、〈今月御卜分配〉右大史高橋員職、神祇官權大副大中臣淸國朝臣、同卜部兼名朝臣、陰陽寮頭賀茂在盛、天文博士安部有季等參陣之、局務師世朝臣、依目所勞、辭申顯職之時分、被淸大外史、今夜御卜事、淸史被勘文者也、神官并吉田社解、今日自上卿外記局、及夜陰勘文、上卿無沙汰之至歟、倶於吉田社事モ、自去夜俄被仰下之由職事所語也、及夜予參陣、陣官人遲參、兼日自文殿催促、愁訴未違之由、申子細之間、爲奉行之外記宥仰畢、半更被始行之、其儀、上卿著杖座〈奧、〉以職事〈俊秀〉被御卜之由、職事歸出、仰 聞食之由、次上卿移端座軾、以陣官雜色所持之文書、〈神宮吉田之社解、并勘文等也、〉 次召辨仰座事辨主水司事也、可存知云々、予申云、縱雖主水司之所役、如此事者、寮官年預沙汰來歟、長官尚以不存知也、所詮非外記方之催之間、難存知之由申了、官務云、於火者主殿寮之所役也、既申付云々、當座加下知之間、主殿寮炭火爐等俄尋出如形置之、於水者尚不置之處、予不存知之由申切之間、官務又内々以卜部下知水、〈件水納土器畢〉卜部座下程也、 此事、後日尋申淸史之處、無所見云々、如次第者、水火事、上卿下知之樣不之云々、或本主水司獻水掃部寮置火云々、然者今夜爲主殿寮役、官務加下知火之條、又不其意者哉、

〔建内記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 文安四年二月廿九日辛酉、吉田社第一御殿在之、烏食損、已穢神殿之上者、被御卜、可造替之由、預兼名朝臣注進、軒廊御卜(○○○○)事、俄難周備歟、内々以御卜祈謝之條、如何之由、爲頭中將親通朝臣奉行、今日被下大外記、仍眞人申云、雖軒廊御卜事、以内々御卜(○○○○)被祈謝事、非先例、當社事依龜甲、内々御卜有近例(○○○○○○○)歟、今已有甲歟、其上可替神殿之由、社家已申請、及大儀也、猶任本儀、被軒廊御卜者、爲後記殊可然歟云々、

藏人所御卜

〔禁秘御抄〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 御卜 諸社寺并所々奇怪珍事出來、先有軒廊御卜、〈○中略〉又不軒廊御卜内々事、召陰陽師於藏人所問、進占文皆連署、或三人、若七人、

〔日本記略〕

〈十三後一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 寬仁元年十月十六日辛巳、召主計頭吉平於藏人所、被鹿入内裏之事、占申御藥火事

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 長元元年十一月二日壬辰、召守道文高於藏人所、石淸水御殿修造之間、被御體於他所哉否之由、共卜云、奉御體頗不快云々、頭中將〈顯基〉以卜方予云、令關白殿、并奏事之由了、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0559 安元三年〈○治承元年〉十一月廿五日庚申、或人云、牙御笏昨日出來了、其由來者、三臈出納所從〈號戸屋衆 云々〉妻女嫉妬餘、爲損失、盜取件御笏、打入實定卿燒失之跡、木守男取置之、件事自然露顯被尋出云々、此次第頗非不審、彼出納、始搦誤之者、自問落、其事已無實、加之今彼僕從有此犯、以之言之、出納之身、罪科難遁、而都無其沙汰、邁心所鬱陶也、抑此事、紛失之時、於藏人所御卜、〈在憲、泰親、季弘、〉各占申云、必件笏、出來自西巽等方之由云々、又泰親申云、件御笏可疵、既而果以有疵、仍自讃云々、〈但其疵微少不見分之程云々〉又邦綱同未出來之旨也、晩頭大外記賴業參、召簾前難事、此次申云、牙御笏紛失事、先規未見得云、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0560 治承四年二月七日己丑、戌刻内侍所鈴破落云々、天承有此事、故殿〈○中山忠親父忠宗〉爲藏人頭、令奉行給、贈左大臣〈時信〉爲藏人同致沙汰云々、後聞、頭辨經房朝臣、召陰陽師於藏人所御卜、〈其日可發〉藏人通業許著藏人所、御卜趣、御藥殊重云々、 三月十九日辛未、於藏人所御卜云々、〈受禪之後、未軒廊并藏人所御卜、今度始也、〉去十四日辰時還御、晝御座茵持出被咋損事也、藏人左衞門權佐光長奉行之、光長不所、陰陽頭在憲朝臣、陰陽博士濟憲朝臣、天文博士業俊朝臣等參著、藏人占申、公家御藥可聞食、口舌鬪諍事、御卜趣殊重云々、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:57 (390d)