http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1035 藥ハ、草根、木皮、砂石、鳥蟲ノ類、及ビ是等ノ庶物ヲ以テ製シタルモノニシテ、人ノ疾病ヲ療スルモノヽ總稱ナリ、神代ノ時、神産巣日之命ノ、蛤、蚶ヲ用イテ大穴牟遲神ヲ蘇生セシメ、又大穴牟遲神ノ、稻羽ノ白兎ニ、蒲黄ヲ以テ膚創ヲ療スルコトヲ敎ヘシガ如キハ、我史上藥方ノ初見ト謂フベシ、
藥園ハ朝廷所用ノ藥種ヲ植ウル所ニシテ、王朝時代ニハ典藥寮ニ屬シ、藥園師、藥園生藥戸等アリ、後世ハ、京都ニ鷹峯御藥園ナルモノアリテ、此ヨリ朝廷所用ノ藥種ヲ進獻ス、德川幕府モ亦所々ニ藥園ヲ設ケ、本草家ヲシテ、就テ藥性藥方ヲ研究セシメ、其業甚ダ盛大ナリキ、牛乳ハ、古來主トシテ藥用ニ供セラレシモノニシテ、往時朝廷ニハ乳牛院アリテ、乳長上以下ノ職員ヲ置キタリ、又古クヨリ諸國貢蘇ノ事見ユ、蘇トハ酪ノ類ニシテ牛乳ヲ煎煉シテ製セシモノヽ名ナリ、乳牛ノ飼養ハ、中世一時中絶シタリシガ、德川幕府ニ至リテ、再ビ之ヲ起シ、廣ク民間ノ用ニ供スルニ至レリ、
藥種ハ我國ニ生ズルモノヲ倭藥ト云フ、而シテ支那ヨリ舶載スルヲ唐藥ト云ヘリ、草藥中、後世最モ珍重セラレタルハ人參ニシテ、特ニ朝鮮ノ産ヲ貴ベリ、又廣東ヨリ舶載スルモノアリ、其價簾ナルヲ以テ多ク世ニ行ハル、又我國ニ産スルモノモアリテ、其産地ニ由リテ、吉 野人參、薩摩人參ナド稱セリ、藥種ハ往時諸國貢租ノ一ニシテ、朝廷ニテハ典藥寮ヲシテ、此ヲ丹膏丸散等ノ諸藥ニ製セシメ、以テ諸司ノ用ニ供シ、又疫癘流行ノ地方ニ賜ヒテ、濟世惠民ノ一端ト爲シタリ、德川時代ニモ亦賜藥ノ恩ヲ施シタル例アリ、凡ソ製藥ニハ丹、膏、丸、散、湯、煎等ノ別アリテ、種類極メテ多ク、其方劑ニハ家傳ト稱スルモノアリ、又寺院神社等ニモ特種ノ藥法ヲ傳ヘ、神佛ノ夢想ナド號シテ之ヲ製スル所甚ダ多カリキ、
本草ハ草木ヲ始メ、金石其他一切ノ庶物ヲ辨識シ、其藥性ヲ考ヘ、藥劑ノ製方ヲ研究スル學術ニシテ、德川時代ニ至リテ大ニ發逹シ、醫術ノ進歩ヲ助ケシコト少カラズ、而シテ藥品會等ノ起レルモ亦此際ニ在リキ、

名稱

〔運歩色葉集〕

〈久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1036 藥( クスリ) V 同

〈和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1036 倭藥

〔倭訓栞〕

〈前編八久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1036 くすり 藥をいふ、草する也、藥の字、草に從ふも同じ、諸藥の内に、草尤多し、よて藥録をも本草といひ傳へり、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈四藥酒〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1036 藥 説文云、藥、治病草、素問藏氣法時論注云、藥謂金玉、土石、草木、菜菓、蟲魚、鳥獸之類、皆可以祛邪養一レ正者也、昌平本、下總本有和名二字、按、古謂酒爲久志、古事記神功皇后御歌、久志能加美、應神天皇御歌、許登那貝之、惠久具之、皆是、久須久志通音、利是活語耳、以藥與酒其功用同、其名亦同也、廣本無是條

〔奇魂〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1036 醫藥名義〈并醫藥變化附本道辨〉
病を愈す動植を くすり( ○○○) と云、原義は 令和( ナグシ) の意也、其は神を 和( ナゴ) し、人を 和( ナゴ) め、風の 和( ナギ) 、波の 和( ナギ) などの和にて、其詞の活用は、自のかたは、ながん、なぎ、なぐ、なげにて、體言になればなぎなり、物を然するかたは 和( ナグ) さん、なぐし、なぐす、なぐせにて、體言になれば、なぐし也、名越祓と云も〈こ、く、音通、〉神を和し奉る也、〈夏を越と云は俗説なり〉拾遺集に、さばへなすあらぶる神もをしなべてけふはなごしのはらへなりけり、 とある類にて、病を 令和( ナゴム) るをも、動植にまれ、法術にまれ、何にても泛くなぐしといへり見えたり、〈○中略〉記紀〈○註略〉共に記せる應神天皇の御歌に 須々許理賀( スヽコリガ) 、 迦美斯美岐邇( カミシミキニ) 、 和禮惠比邇祁理( ワレエヒニグリ) 、 許登那具志( コトナグシ) 、 惠具志爾( エグシニ) 、 和禮惠比爾祁理( ワシエヒニケリ) 、〈○註略〉とある、この具志も、事和藥、咲藥と云意にて、事和藥咲藥なる藥酒に醉けりと詔玉へる也、

〔隨意録〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1037 藥石( ○○) 之義、宋袁文、甕牖間評云、藥固無疑者、石則砭石也、古者、以石爲針云々、今謂、此説不然也、砭石者古刺瘍疽之具、而與針不同歟、故古語多曰痤疽砭石、左傳曰、季孫之愛我疾疢也、孟孫之惡我藥石也、美疢不惡石、夫石猶生我、按、此傳文、藥石非二物、藥石則藥石、而石之可以爲一レ藥者多歟、後醫所用猶有滑石、靑礞石、礜石、石膏等

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1037 藥方( ○○)

〔古事記〕

〈下允恭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1037 爾、御調之大使、名云金並鎭漢紀武、此人深知藥方、故治差帝皇之御病

〔古事記傳〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1037 藥方は、久須理能美知と訓べし、〈方は 和邪( ワザ) とも訓べし〉書紀神代卷に、定其療病之方、〈此方をば、 サマ( ○○) とも訓れど、然は訓べくもあらず、〉さて知藥方とは、藥を用ひて、術を治むる術を知れるを云なり、〈醫を藥師と云も是なり、漢國の醫書どもに、藥品を合せたるを藥方と云とは異なり、〉書紀天智卷に、百濟の人どもの中に、 解( サトル) 藥と注したるあるに同じ、

〔古史傳〈十八〉〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1037其療病方、療字を、舊く袁佐牟と訓るも惡からねど、〈其は續紀四の詔に、御病欲治、また廿九の詔に、御病乎治賜〉〈比なども有ればなり、〉久須々琉と訓べし、舊訓を集めたる玉篇に、然る訓の有ればなり、〈此は己猶若き時に、下に注せる久須理の考を書て、療字を久須琉と訓まゝ欲き由を、信友に語りしかば、後に見出て、告遣せたるなり、〉然るは、まづ久須里と云語は、いさ、かも古語の樣を知たらむ者は、藥師の術、また藥の病を治むる事は、奇異なる故に、其物を久須理と云ひ、其を以て病を療す人を、藥師と云ならむとは、誰も思ひ寄ことながら、久須理は久須流てふ活語の體語になれるにて、本は貼傳ることの古言なるを、皇囶にて、藥を用ふること、貼るより 始れる故に、其を名に負せたるにて、古は久須理とも、久須泥とも云けむと 所念( オボ) ゆ、〈今も物を揩貼ることを、久須理貼るとも、許須理貼るとも云めり、また久須具流と云語も、體に指をすり付る状など由有げなり、〉然るは、本草和名に、石斛者山精也、又石精也、〈出神仙服http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000231988.gif〉和名須久奈比古乃久須禰、一名以久須利とあり、〈和名抄にもかく有りて、石斛石草之名也、圖經云、五月生苗、莖似竹節、七月開花、十月結宲と云へり、今は古きに依て、本草和名を引きつ、〉これ久須禰とも、久須利とも云る證なり、須久奈比古乃久須禰とは、少毘古那神の藥と云ことにて、諸藥この神の御靈に賴ざるは有まじき中に、此藥は、殊に用給へる故に、當昔よりかく名を負るならむ、以波久須理と云は、此草はも、石斛、山精、石精など、漢人も名けたる如く、岩に著て生る物なれば、久須理と云は、貼る義なる故に、かく名を負るか、岩に生て久須理に用ふる物なる故にいへるか、何れに見ても、久須理、久須禰、同言とは通えたり、

〔奇魂〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1038 藥方〈○中略〉
彼〈○漢土〉も、いと古は病あれば神に祈り、あるは移精變氣などいひて、此の禁厭の如きわざをし、はた内經などを見るに、主と鍼して、萬病を治て、藥のむわざはいと稀也けるを、漢の比、仲景などよりぞ、專ら藥を飮するわざと成にける、是に因て、後世、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000r07421.gif に方の出來し也、今此の人〈○日本人〉の假初の病にも藥するは、彼の風に化たる也、さて漢のは、其藥は、其經に入など虚言しつゝ、許多の品を配合めるは誤也、又一品一能もて配合法に拘らぬも偏也、神代すら、さばかり法の有しにはあらずや、

初見

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1038 其八十神、各有稻羽之八上比賣之心、共行稻羽時、於大穴牟遲神佩爲從者率往、於是致氣多之前時、裸莵伏也、〈○中略〉於是大穴牟遲神敎告、其莵今急往此水門、以水洗汝身、即取其水門之捕黄、敷散而輾轉其上者、汝身如本膚必差、故爲敎其身如本也、

〔古事記傳〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1038 蒲黄、和名抄に、唐韻云、蒲草名、似藺、可以爲席也、和名加末、陶隱居本草注云、蒲黄蒲花 上黄者也、和名加末乃波奈、〈蒲黄は、花上の黄粉なるを、直に波奈と云るは、此方にては、別に黄粉の名は無くて、其をも花と云るなるべし、さて漢籍にも、蒲黄はもはら治血治痛藥とするは、本此神の靈に賴て、上代よりしかつたへしものなり、今人は、加を濁て賀麻といへど、凡て頭を濁言無し、今も蒲生など云地名などは淸を以て、古をしるべし、○中略〉如本也は、本之如爾爲伎と訓べし、 此藥方の物に見えたる始( ○○○○○○○○○○○) なり、

〔古事記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1039是八上比賣、答八十神言、吾者不汝等之言、將大穴牟遲神、故爾八十神怒、欲大穴牟遲神、共議而至伯伎國之手間山本云、赤猪在此山、故和禮〈此二字以音〉共追下者汝待取、若不待取者、必將汝云而、以火燒猪大石而轉落、爾追下取時、即於其石燒著而死、爾其御祖命哭患而、參上于天、請神産巣日之命時、乃遣http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000079679.gif ( キサ) 貝比賣與 蛉( ウムギ) 貝比賣作活、爾http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000079679.gif 貝比賣岐佐宜〈此三字以音〉焦而、蛤貝比賣持水而、塗 母乳汁( オモノチシルト) 者、成麗壯夫〈訓壯夫、云袁等古、〉而出遊行、

〔古事記傳〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1039 さて此の方は、まづ世間に常に萬の傷に、母の乳汁を塗て愈す方ある故に、〈此法、上代にもはら爲しことなるべし、〉今蛤貝の水を、其如くに塗と云意なり、故知志流登と訓べしとは云なり、うつぼ物語俊蔭卷に、紅葉の雫を乳ぶさとなめつ、ありふるに云々とある登に同じ、〈萬葉十四に、信濃なるちぐまのかはのさゞれしもきみしふみてば多麻等比呂波牟、この等も同じ格なり、〉そは、彼 蚶貝( キサガヒ) の焦粉を、蛤の水以てときて、母乳汁を塗如くに塗しなり、さて宇牟岐てふ名は、 母貝( オモガヒ) の約りたるにて、〈さるを宇牟岐の貝と云は、後の重言なり、〉今かく母乳汁の如く塗て、功をなせしに因て負へるなり、さて右の二貝比賣のこと、上に云る外に今一の考あり、そは直に介蟲を謂にはあらで、尋常の神にても有なむ、若然らば、蚶貝比賣蚶貝を、岐佐宜焦而蛤貝比賣蛤貝の水を持てと云ことなるを、神名にゆづりて、その用ひたる貝名をば、共に略けるなり、是るも一の文なるべし、さて然二の貝を用て功をなせしに因て、其貝の名を以、其神名にも稱しなるべし、

法令

〔律疏〕

〈職制〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1039 凡合和御藥、誤不本方、及封題誤者、醫徒三年、〈謂、合和御藥、須先處方依合和、不差誤、若有錯誤本方、謂分兩多少不方法之類合成、仍題封、其上註藥遲駛熱之類并寫本方、倶進若誤不本方、及封題有誤等、但一事有誤者、醫即令徒三年、〉料理簡擇不精者杖六十、〈料理謂應熬削洗漬之類、簡擇 謂去惡留善、皆須精細之類、有精者杖六十、〉未進御者、各減一等、〈謂應徒者從徒上減、應杖者從杖上減、是名各減一等、〉監當官司各減醫一等、〈謂依令合和御藥、中務少輔以上一人、共内藥正等監視、除醫以外、皆是監當官司、並於巳進未進上各減醫罪一等、〉〈餘條未進御及監當官司並准此、〉〈謂下條造御膳御幸舟船乘輿服御物、但應供奉之物未進御者、各隨輕重一等、監當官司又各減一等、故云並准此、〉

〔政事要略〕

〈七十糺彈雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1040 雜律云、醫爲合藥、及題疏針刺誤不本方、殺人者徒一年、〈醫師爲人和合湯藥、其藥即有君臣分兩、題疏藥名冷熱遲駛、并針刺等、錯誤不今古藥方及本草、以故殺人者、醫合徒一年、若殺親屬尊長、得罪輕於過失者、各依過失殺論、〉其故不本方傷人者、以故殺傷論、減一等、〈謂、故增減本方舊法傷人者、其尊卑長幼貴賤並依故殺傷本法一等、〉雖人、笞卌〈謂、不本方、於人無損者、不尊卑貴賤同科笞卌、〉即賣藥不本方傷人者亦如之、〈謂、非的爲人療一レ患、尋常賣藥、故不本方、雖人、合笞卌、已有殺傷者、亦依故殺傷法一等故亦如之、〉

〔法曹至要抄〕

〈上罪科〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1040 一醫違方事
雜律云、醫爲人合藥、及題疏針刺誤不本方人者徒一年、疏云、不本方、於人無損者、不尊卑貴賤同笞四十、詐僞律云、醫違方詐療病而取財物者以盜論、按之、醫師爲人和合湯藥、其藥即有君臣分兩、題疏藥名、或注冷熱遲駛、并針刺等錯誤不今古藥方及本草、以故殺人者、醫合徒一年也、又違背本方、詐疾病、率情增損、以取財物者、計贓以盜可其罪

〔律疏〕

〈賊盜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1040 凡以 毒藥( ○○) 人、及賣者絞、即賣買而未用者近流、〈謂、以鴆毒、冶葛、烏頭、附子之類、堪以殺一レ人者、將用藥人、及賣者知情、並合絞、即賣買未用者、謂買毒藥人、賣者知其本意而未用者近流、〉〈雖毒藥以療一レ病買者、將人賣者不情不坐、〉〈謂、雖毒藥以療一レ病買者將以毒一レ人、賣者不人之情者、賣者不坐、若犯尊長者、各依謀殺及已殺法、如其施於卑幼亦准謀殺已殺論、如其藥而不死者、並同謀殺已傷之法、〉魚肉有毒、曾經人、餘者速禁之、違者杖九十、〈謂、曾經人食爲魚肉上レ病者、餘速即焚之、恐人更食根本、〉故與人食并出賣令人病者徒一年、〈謂、知前人食已得一レ病、故將更與人食、或將出賣、以故令人病者、〉以故致死者絞、即人自食致死者、從過失殺人法、〈謂、魚肉有餘不速焚之、雖人、其人自食、因即致死者、從過失殺人法、徴銅入死家、〉〈盜而食者不坐、〉〈謂、人盜竊而食以致死傷者、魚肉主不坐、仍科速焚一レ之罪、其有害心、故與尊長食、欲死者、亦准謀殺論、施於卑賤死、依故殺法、〉

〔御定書百箇條〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1040 毒藥并似せ藥種( ○○○○○○○) 賣御仕置之事
一 毒藥賣候もの( 寬保七年極) 〈引廻之上〉獄門
一 似せ藥種賣候もの( 從前々之例) 〈同斷〉 死罪

〔御當家令條〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1041 天和貳年五月日
條々
一毒藥、并似せ藥種賣買之儀、彌堅制禁之、若於商賣仕者罪科、たとひ同類たりといふとも、訴人に出る輩者、急度御褒美可下事、〈○中略〉
右條々可守此旨、若違犯之族於之者、可嚴科者也、仍而下知如件、
天和二年五月日

〔譚海〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1041 毒藥に類したる物數品有、皆等閑には商賣せず、病により用る事有時は、何の病に用るよし、一札を出し、藥種屋にて分濟、賣渡す事なり、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1041 明和四丁亥年閏九月十六日
松平右近少監殿
御渡
松平攝津守殿
大目付
〈江〉
御目付
唐和明礬賣買之義、江戸、京、大坂、堺四ケ所會所におゐて、可賣買旨、寶暦五寅年、同十辰年、右四ケ所町中相觸候處、今以諸國出明礬、於國々賣買いたし、會所〈江〉不指出趣相聞候ニ付、自今以後、諸國出明礬之分、右四ケ所之内、最寄之會所〈江〉差出、賣渡可申候、四ケ所會所之外にて、諸國明礬之分賣買致間敷候、尤只今迄商人共貯置候明礬於之候は、右會所〈江〉可賣渡候、若心得違於之者、咎可申付もの也、
右之通り、御料者御代官、私領者領主地頭より可觸知者也、
閏九月
右之通、可相觸候、
明和五戊子年六月廿二日
松平右近少監殿
御渡
松平攝津守殿
大目付
〈江〉
御目付
此度於長崎、龍腦和製被仰付候間、持渡り同樣可通用候、依之別紙名面之通於長崎表、唐和龍腦座相建、江戸京大坂三ケ所取次を定、改め印形いたし可賣渡候、尤藥種、香具屋座賣龍腦買請、小賣いたし候義は、可勝手次第事、右之趣、國々〈江〉可觸知者也、
子六月

〔大成令〕

〈六十七藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1042 寶永元申年八月
一辰砂商賣之儀只今迄、朱と辰砂粉候而致商賣候故、朱之商賣を妨候間、向後藥種屋に而、辰砂商賣相止、前々之通、生之辰砂計賣可申候粉に致拵候辰砂は、彌以致商賣間鋪候、長崎に而は、朱辰砂ともに、不殘朱座〈江〉買取候間自今以後、生之辰砂藥種屋に而賣候儀も、朱座より生之辰砂を買取、小賣は藥種屋に而も可仕候、且又只今迄、藥種屋に有之候粉にいたし拵候辰砂之分は、員數書付朱座〈江〉可差出候、但持合候生之辰砂も朱座〈江〉一通り改を請可申候、右之通被仰出候間、可相守者也、
八月

藥園

〔西宮記〕

〈臨時五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 諸院 藥園〈典藥別所〉

〔續日本後記〕

〈八仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 承和六年八月辛酉、以東鴻臚院二町、宛典藥寮御藥園

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 凡山城國地二町、在葛野郡十三條水谷下里、四至〈東限岑山、南限堀越山谷口、西限岑、北限辛河合、〉永為供御地黄

〔令集解〕

〈五職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 典藥寮〈○中略〉
藥園師( ○○○) 二人、〈穴云、藥園師、在寮以時撿校藥園也、生亦以時隨、倶往園知採種之法耳、私醫疾令云、凡藥園令師撿校、仍取園生本草識諸藥并採種之法、隨山澤藥草之處、採掘種之、所須人功、並役藥戸、〉掌藥性色目、〈謂、寒温爲性、形状爲色、名稱爲目也、釋云、性謂君臣苦辛之状也、色謂白黑之別也、目謂諸草之別名也、如烏頭附子之類、古記同、但無君臣兩字、穴云、藥性謂寒温醫疾令令釋也、〉種採藥園諸草、及敎藥園生、 藥園生( ○○○) 六人、掌諸藥、使部廿人、直丁二人、〈○下略〉

〔延喜式〕

〈十八式部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 凡藥園師乳師等暦六年爲限、遷替之日責其解由

〔唐六典〕

〈十四太常寺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 太醫署
藥園師以時種蒔、收採諸藥
京師置藥園一所、擇良田三頃、取庶人十六巳上二十巳下藥園生、業成補藥〈○藥下恐脱園字〉師

〔延喜式〕

〈十八式部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 凡 藥生( ○○) 十人之中、五人取白丁、勘籍補之、五人用入色

〔延喜式〕

〈十八式部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 凡藥生等雖試、而習合藥療治者、侍醫等共擧申省、任國醫師

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 勸學田十八町〈○中略〉
五町〈大和國〉
右以其地子、充 藥生( ○○) 等食

〔令義解〕

〈一職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 典藥寮〈○中略〉 藥戸( ○○)

〔令集解〕

〈五職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1043 古記云、及釋云、別記云、藥戸七十五戸、經年一番役卅七丁、乳戸五十戸、〈○中略〉右二色人 等爲品部、免調雜徭

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1044 年料雜物
鍬廿五口〈廿口藥園〉

〔雍州府志〕

〈六土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1044 今考之、倭藥有古有而今無之者、王不留行、鱉甲、牛酥之類是也、又有古無而今有之者、當歸、川芎、茯苓之類是也、斯外所々種之者不勝而計一レ之、且寬永年中、鷹峯相攸置藥園、南北二箇所、使和氣氏并丹波氏兩家醫生二人各守一方

〔京都御役所向大概覺書〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1044 醫師儒者之事附鷹峯御藥薗并御藥種獻上之事
御切米高渡リ方ハ、二條御藏一件ニ有之、
一御藥薗總屋敷〈東西八十間南北七十間〉 〈鷹峯住宅御藥薗預り〉 藤林道壽

六拾間四方、御藥種畑之分、 五十間ニ十五間ハ〈中間十人居屋鋪、一人ニ付五間ニ十五間宛、〉 十間ニ十五間ハ、小頭
一人居屋鋪、 二十間四方、自分拜領地、
右の外、總廻り竹藪に而有之候、
御藥獻上目録
一當歸、三斤、 一芍藥、三斤、 一川芎、一斤、一地黄、半斤、一白朮、三斤、 一藿香、二斤、 一紫蘇、一斤、 一桔梗、一斤、 一山梔子、三斤、 一獨活、一斤、 一羗活、三斤、 一前胡、二斤、 一白芷、二斤、 一香木、三斤、 一黄精、三斤、 一大黄、三斤、 一天門冬、三斤、 一地楡、一斤、 一知母、二斤、 一三七、二斤、 一薏苡仁、一斤、 一萆薢、一斤、 一香附子、三斤、 一决明子、二斤、 一菁葙子、一斤、 一紫蘇子、一斤、 一白牽牛子、二斤、 一黑牽牛子、二斤、 一蓖麻子、二斤、 一馬兜鈴、一斤、 一苦參、二斤、一玄參、一斤、 一香薷、一斤、 一白扁豆、二斤、 一萹畜、半斤、 一茵蔯、一斤、 一澤蘭、一斤、 一菁http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000r10441.gif 半 斤、 一益母草、一斤、 一http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000031018.gif 薟、一斤、 一中膝、一斤、 一商陸、一斤、 一合歡、半斤、 一茴香、半斤、 一防風、半斤、 一黄栢、半斤、 一忍冬、半斤、 一良姜、半斤、 一薺苨、拾兩、 一石菖蒲、十兩、 一山藥十兩、 一續隨子、半斤、 一五味子、半斤、 一枳殻、半斤、 一何首、半斤、 以上五十五味、都合七十六斤十兩、右者、禁裏法皇兩御所〈江〉御進獻之御藥種、毎年極月中旬、日限差圖有之、所司代〈江〉被差上候由、

〔江戸名所圖會〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 御藥園 同所〈○白山神社〉の西南にあり、所謂白山御殿の舊地是なり、

〔府内備考〕

〈四十一小石川〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 御藥園
御藥園は、白山御殿の舊地なり、初寬永十五年戊寅、麻布、大塚の兩所に、御藥園をひらかれ、元祿の頃、大塚の御藥園は、麻布へうつされしが、其後又此處に移され、其あづかりは、麻布より引つゞきて、芥川小野寺なり、今は芥川、岡田の兩人にてまもれり、芥川の御預地貳萬二千五百五十八坪、岡田の御預り二萬千六百四十二坪といふ、〈改選江戸志〉當御藥園二區に分れて、中間一條の往來あり、則南の方は岡田左門〈利左衛門の子孫なり〉の御預りにて、御役宅その内にあり、又此内に、施薬院〈養生所ともいふ〉を建置る事は下に記す、北の方は、芥川小野寺御預なり、此御役宅は、小路を隔て、西の方にあり、案に、白山御殿を癈せられしは正德三年の事といへり、御藥園と成しは、それより後に始りしならむ、

〔府内備考〕

〈五御曲輪内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1045 御藥園七ケ所
一は九段坂の傍に在り、當所は元御用屋敷にて、御役宅など建立せし地なりしが、寬政四年七月燒失の後、火除植物場と成り、同七年より御藥園と成れり、三ケ所は、一番町御堀端に並びあり、二ケ所は三番町に在り、以上五ケ所も、寬政四年火災の後、御勘定奉行持火除植物場と成り、同き七年澀江長伯御預りの御藥園と成れり、一は蛙ケ原にあり、こは昔より火除の原にて、大的場となせし處なるを、最後に御藥園に定められしなり、寬政七年四月十九日、澀江長伯が御預りと成し 時、本多彈正大弼より、間宮筑前守、肥田十郎兵衞へ御渡の御書付、左之通り、
壹番町飯田町明地之内、御藥園に可相成場所、奥詰醫師澀江長伯〈江〉、一圓ニ御預被仰付、引請世話可仕旨申渡候之間、得其意談候、定居之者四人、身分之義は、是迄之通居置、勤方之義は、長伯得差圖相勤旨申渡、并植木屋共は、長伯差配可仕旨申渡候間、其段植木屋共〈江〉可申渡候、尤是迄御勘定所持場ニ有之處、以來御普請奉行持場ニ相成候間、可其意候、
その後、御普請奉行の持も止て、長伯のみの御預りと成れり、寬政六年六月十七日より、蝦夷歸り人幸大夫磯吉といふ二人を、御堀端付の御藥園中に移されて、御扶助あり、又同所に於て、羅紗の織立等をもなさしめらるといふ、

〔府内備考〕

〈十三浅草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 澀江長伯御預り藥草植場二ケ所
は福富町一丁目の東に在り、〈○中略〉一は同所西福寺の前にあり、

〔嘉永二年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000004810.gif 小石川御藥園奉行 燒火之間 同心十人
〈二百俵白山御てん〉岡田利左衞門 〈百俵二人フチ白山御てん〉芥川小野寺 〈父孫次郎見習、廿人フチ、〉岡田善十郎〈○中略〉
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000004810.gif 目黑駒場御藥園預 御役料七人扶持 〈御藥ゑん内御役料百俵〉植村左平太 〈父左太郎見習〉植村左太郎

〔大成令〕

〈六十七藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1046 享保七寅年四月
御留守居〈江〉
大久保淡路守支配
丹羽正伯
下總國千葉郡小一作倉野之内、瀧臺野三拾萬坪野場所内拾五萬坪之所〈江〉、和藥作らせ、御用之藥種相納、其外は被下候間、其助成を以、年々多く作らせ、世上〈江〉出候樣に可致候、殘る拾五萬坪は、桐山太右衞門に被下候間、諸事致差圖、是又和藥作らせ可申候、但藥草作り候助力之爲、當分米穀等耕作仕候儀、勝手次第に可仕候、然共拾五萬坪之内、耕作仕 候場、二三萬坪には不過候、此段みだりに無之樣、急度可相心得候、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1047 寬政二庚戌年八月十六日
松平越中守殿
御渡
井伊兵部少輔殿
大目付
〈江〉
御目付
以來年々、唐蠻より藥種御取寄有之、追々植殖被仰付、江戸京駿府長崎御藥園之外にも、諸國御代官之陣屋内〈江〉も、追而は藥種植殖し被仰付候、依之、藥種植殖し度存候者は、御藥薗迄願出候はヾ、藥種苗被下、并植方製之方も書付候而可相渡候、尤朝鮮種人參之苗等、願次第可下候事、一當時四ケ所御藥薗ニ有之藥種も、多分之儀ニ付、藥種之名は、其御藥薗〈江〉出而相尋可申候、藥種有之候而も、未繁茂不致分、又は追々願人有之被下可相成苗不足等之節は、追而繁茂之節に至可下候事、
一向寄御代官所におゐては、當時植方致候義に付、追而相觸候迄は、先四ケ所御藥薗〈江〉のみ可願事、
一領主に而も、領分之内、百姓持畑等〈江〉も爲植殖申度存候ものへは、可下候、尤爲慰植置度等之願ニ而は被下間敷事、

〔明良帶録〕

〈世職〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1047 澀江長伯 澀江長伯は本草家にて、普く藥性を辨たれば、 和藥種植付之場所( ○○○○○○○○) を拜借仰付られ、明地にて、土地相應之藥草を植て製法せり、諸採藥之御用をつとむ手附其外有て、折折見廻り手入等あり、
田村元雄 田村元雄は、和人參を製法せし家にて、小普請勤仕並にて、三十人扶持下さる、寶曆十 三年に仰付られ、朝鮮種人參の製法御用を勤む、綿羊を齎し來りて、和羅紗を製せり、今吹上之御庭にも織殿有て、出役等多し、

〔有德院殿御實紀附録〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1048 良喜〈○林〉も、少年より藥種の事うけたまはりしかば、より〳〵御前に召て、佐渡の石鐘乳、日光の人參の効驗を試しめ玉ひ、また 花畠田安( ○○○○) の藥苑、そのほか、 京都( ○○) の藥園、 紀州( ○○)などにて産せし藥種の事をも、つかさどらしめ、〈○下略〉

〔烈公行實〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1048 天保十四年癸卯、年四十四歳、〈○中略〉 是歳、弘道館中醫學館落成、公親作賛天堂記、言大己貴少彦名二神之道、中國藥物自足、不必須海外諸物産之意、設藥園養牛場於館側、凡所製奇藥如酥酪、紫雪、紫金錠、千金錠等類甚多、

〔日本敎育史資料〕

〈六舊山口藩〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1048 一小病院、 分析局( ○○○) 、 藥草園( ○○○) ハ、醫校中ニハ不虧事ニ御座候、尤小病院ト申候テモ、急ニ御詮議モ難仰付御事ト奉存候、分析局藥草學ハ、開物成務ノ一大端ニシテ、後來御國益ニモ相成可申候、殊ニ外夷拒絶ノ時節柄、追々藥不如意ニ至リ候事ト奉存候、全體以我物我用ノ義ハ、天理ノ當然ニ御座候、假令ヒ藥物渡リ來不申テモ、 分析學( ○○○) 相開候事ニ候得バ、製煉ノ諸術ニ熟逹ノ上ハ、新藥モ出來可仕候、好生堂中ニ一局御設被仰付、此術巧者ノ輩可申立候間、御撰擧一途引受可仰付候、諸生モ分析學硏究ノ節、現術相試可申候、是迄百草園中ニ於テハ、分析場御小納戸管轄ニシテ、局所丈ケ好生堂ヘ御移轉引請被仰付候樣ニ奉存候、左候得バ、諸生中業間ニ、右之局エ罷出手傳、自然ニ熟逹可仕候、藥草園ハ、是迄之處ニ被差置、同樣ニ被仰付度、御小納戸エモ其段可申出候間、政府ヨリ御申入可下候、
一 諸藥店( ○○○) 之義ハ、藥種一事ニ就テハ、好生堂管轄ニ被仰付度、左候得バ、姦惡眩誣之所業モ少ク、藥品モ自然精撰可致候、第一ニハ於西洋諸國、軍事出張之節ハ、藥局之者、醫師ニ付添、藥物繰出シヨリ、百爾之事務ニ至ル迄、從事致居候、平日管轄被仰付置候ハヾ、不虞之節ハ、軍用之藥物即時ニ相 辨輸送可相成、活然トモ御利用之御用ト奉存候、〈活然トモ、未ダ熟字アルヲ聞カズ、疑クハ當時活用ノ意ナラン、〉

〔本草考彙〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 本藩以醫業門戸者、不其人、獨恨無本草之學也、享德公深憂之、寬政壬子秋、招中梁佐藤先生於東都、居好生堂師授之、以石口求馬、橫田新兵衞、佐藤九門監、小森淸左衞門爲之吏、予與飯田忠林之徒業其門、先生爲人温厚美須髯、循々然能誘人、其窮搜草木魚蟲、則南山之南、北山之北、無遠不一レ臻、大開 藥園( ○○) 於堂後、品列類聚、以辨眞僞、稽留二年而去矣、予每聞見、隨筆隨録、以備忽忘、爾來從事於斯學殆四十年、收輯得數十卷、欲以答先公深仁之萬一也、〈○中略〉時文政庚寅之春 六十八叟藁科玄隆識

〔大成令〕

〈五十七藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 享保十三申年四月
〈甲州郡内領上吉田村〉
田邊伊豫
近年藥草之儀取扱仕、江戸〈江〉も往來候に付、物入有之故、富士之麓諏訪之森より、遊境と申所迄、竪南北貳拾町、橫四町餘之芝間之内、竪拾町被下置候樣に相願候へども、右願之通には難成候、依之竪貳町橫四町餘被之候
、右之通可申渡候、書面之通、芝間之内竪貳町橫四町餘可相渡候、

乳牛院

〔西宮記〕

〈臨時五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 諸院 乳牛院〈典藥別所、在左近馬場西、有別當乳師預等、納山城丹後蒭、大炊雜穀、送立味原牛三宮乳、〉

〔侍中群要〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 日中行事 又同所〈○御厨子所〉延喜十三年六月十九日、定乳分配文云、供御乳日別三升一合、但依宣旨散用云々者、〈○中略〉乳牛院進乳、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1049 凡供御乳( ○○○) 、日別大三升一合五勺、其 年料用度( ○○○○) 絹三丈一尺、〈篩廿一口料、八口別一尺六寸、十三口別一尺四寸、〉緋帛四丈二尺、裏料綠帛四丈二尺、〈並案二脚覆料、長各七尺三幅、〉調布二丈四尺、〈雨日覆案料、長各六尺、二幅、〉橡東絁三匹、〈執案夫三人衣料、人〉〈別一匹、〉曝布五端二丈五尺、〈三丈三尺、同夫三人布帶各四尺、袴七尺料、三端三尺、取乳夫三人潔衫、各三丈六尺、袴七尺料、一端三丈一尺、同夫二人小袖二條、別四尺、襅二條、別五尺、〉〈拭陶鉢布三條、別三尺、水篩二口、別四尺、頭巾二條別三尺、巾二條、別三尺、繫牛足布一丈、懸牛腹布七尺、拭乳布三條、別三尺料〉生絲九兩〈縫篩并夫等衣袴料〉陶鉢五口、平瓶壺 各二口、陶叩盆、由加、瓼、洗盤各一口、高案二脚、明櫃二合、中取案一脚、木蓋二枚、〈並取乳料〉槽一隻、〈飼牛粥料〉油一升、〈十二月晦料〉薪日別一百五十斤、〈煮牛粥料〉乳牛七頭秣料米大豆、各日一斗四升、〈頭別二升〉毎月申省請受、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 凡味原牧爲寮牛牧、其生益牡牛、便充作藥園並爲父牛、凡味原牛牧死牛皮者、賣用寮修理料、但所賣得數、附年終帳申送之、

〔延喜式〕

〈三十一宮内〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 凡典藥寮味原牛牧帳一通年終令進、其課欠乘并斃死及用遺等、省共勘知、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 凡乳牛七頭、犢七頭年料、乾蒭四千四百卅四斤、〈白田蒭二千三百卅二斤、野蒭五百斤、山城國進之、白田蒭一千六百二斤、丹波國進之、〉

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 養老三年六月丙子、令〈○中略〉典藥寮、 乳長上( ○○○) 、〈○中略〉等始把一レ笏焉、

〔類聚三代格〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 太政官符
乳長上歷六年爲一レ限事
右得宮内省解偁、典藥寮解偁、撿案内、難波長柄豐前宮御宇天皇〈○孝德〉御世、大山上和藥使主福常、習乳術始授此職、自斯以降子孫相承、世此居此任、至今不絶、而今終身在職漸致懈怠、望請簡補氏中http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000r10501.gif 了者、以六箇年限者、大納言正三位兼行左近衞大將陸奧出羽按察使藤原朝臣冬嗣宣、奉勅依請、
弘仁十一年二月廿七日

〔享祿本類聚三代格〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 太政官符
乳長上 乳師( ○○) 事
右被右大臣宣偁、奉勅、自今以後、宜長上上レ師、
天長二年四月四日〈○又見類聚國史卷百七

〔延喜式〕

〈十八式部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1050 凡藥園師乳師等歷、六年爲限、遷替之日責其解由

〔令義解〕

〈一職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 典藥寮〈○中略〉 乳戸( ○○)

〔令集解〕

〈五職員〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 古記云、釋云、別記云、藥戸七十五戸、〈○中略〉乳戸五十戸、經年一番役十丁、右二色人等爲品部、免調雜徭

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 和銅六年五月丁亥、始令山背國點 乳牛戸( ○○○) 五十戸

〔春記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 長曆三年十月十四日辛未、今日始服生乳一盃、自今可持來之由、仰 乳牛司( ○○○) 正友已了、予已爲 別當( ○○) 、仍不霍執也、自今日々可持來也、 十九日丙子、徴蒭之使雜色光賴令申云、郡司等申云、件蒭例負名之者蒭等、先日乳牛院徴取已了所奉切蒭、是已無負名、適所在是高家莊中也、爲之如何、召 預( ○) 正友事由之狀、仰雅兼了、

牛乳

〔倭名類聚抄〕

〈十一牛馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 乳牛 唐廐牧令云、乳牛犢十頭、給丁一人牧飼、〈乳牛者牝牛有子之名也、和名知宇之、〉

〔易林本節用集〕

〈女氣形〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 乳牛( メウシ)

〔延喜式〕

〈三十六主殿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 乳牛院油一升〈十二月晦夜料〉

〔新撰姓氏録〕

〈左京諸蕃上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 和藥使主
呉國主照淵孫智聽也、〈○中略〉男善那使主、孝德天皇御世、依牛乳( ○○○) 賜姓和藥使主

〔春雨樓叢書〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 野牛乳( ○○○)
長崎の吉雄氏云く、野牛の雌を多く養ひ置き、其乳を取り、毎日茶碗の茶に少しづヽさし飮む、茶も甘くして甚だ美し、三十日も飮ば、淫事を忘れて、身體甚だ壯なり、是即長壽を得るの法なり、阿蘭陀の人、壽をたもつの藥を、皆牛乳の類、淫道を忘る事を先とす、是れ尤なる事なり、

〔享祿本類聚三代格〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1051 太政官符
闕例貢 蘇( ○) 事
右案太政官去承和十二年八月七日符偁、太政官去弘仁六年十一月十三日下民部省符偁、右大臣 宣、奉勅、諸國所貢之蘇、須十一月以前俾之、若有物實不好、并貢進違期者、國司料違勅罪、使者五位已上亦處同科、六位已下不蔭贖杖六十者、而頃年、國司輕蔑憲章、或稽延乃貢、或調適太麁、所司漏却、只賖其罪、今擬前、恐多陷者、大納言正三位兼行右近衞大將民部卿陸奧出羽按察使藤原朝臣良房宣、宜明舊制下諸國、已往在寬將來必罪者、而曾不愼遵、常致違闕、是則結罪彌重、不必行、國宰積習弃而不勤之〈○之下恐有脱字〉致也、右大臣宣、奉勅有法不行、還同法、宜前格更立新制、五位已上全奪位祿、六位已下折取公廨五分之一、〈○又見三代實録卷十
貞觀七年三月二日

〔政事要略〕

〈二十八年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1052蘇事
本草云、酪蘇微寒、補五藏、利大腸、主口瘡、注云、蘇出外國、亦從益州來、本是牛羊乳所爲作也、自有法、佛經亟稱乳成酪、〈○酪下恐脱酪字〉成蘇、蘇成一レ醒、成醒色黄自作餅、甚甘肥、亦時至江南、謹案、蘇酪作也、性猶與酪異、今通言、恐是陶之未逹、然蘇、牛蘇勝於羊蘇、其牝牛復優於家牛、又云、牛乳微寒、補虚羸、上渴下氣、注云、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000012527.gif 牛爲佳、不新被飮竟、謹案、水牛乳云、造石密須之言、作酪濃厚、味勝http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000012527.gif 牛乳性、爭飮令人利熟飮、含于微温、〈馬乳、驢乳、羊依多文无一レ用不之也、〉
右官史記云、文武天皇四年十月、遣使造蘇、
太政官符七道諸國司
蘇事
右自今以後、納籠進、不檜杉等櫃、今以狀下符、
養老六年閏四月十七日

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1052 諸國貢蘇番次
伊勢國十八壺〈七口各大一升十一口各小一升〉 尾張國十五壺〈五口各大一升十口各小一升〉 參河國十四壺〈四口各大一升十口各小一升〉
遠江國十四壺〈四口各大一升十口各小一升〉 駿河國十二壺〈四口各大一升八口各小一升〉 伊豆國七壺〈並小一升〉 甲斐國十壺〈並小一升〉 相摸國十六壺〈六口各大一升十口各小一升〉
右八箇國爲第一番〈丑未年〉
伊賀國七壺〈並小一升〉 武藏國廿壺〈七口各大一升十三口各小一升〉 安房國十壺〈並小一升〉 上總國十七壺〈七口各大一升十口各小一升〉 下總國廿壺〈八口各大一升十二口各小一升〉 常陸國廿壺〈十口各大一升十口各小一升〉
右六箇國爲第二番〈寅申年〉
近江國十八壺〈七口各大一升十一口各小一升〉 美濃國十七壺〈七口各大一升十口各小一升〉 信濃國十三壺〈五口各大一升八口各小一升〉上野國十三壺〈五口各大一升八口各小一升〉 下野國十四壺〈五口各大一升九口各小一升〉 若狹國八壺〈並小一升〉 越前國十五壺〈六口各大一升九口各小一升〉 加賀國十五壺〈六口各大一升九口各小一升〉
右八箇國爲第三番〈卯酉年〉
能登國九壺〈三口各大一升六口各小一升〉 越中國十壺〈四口各大一升六口各小一升〉 越後國十一壺〈四口各大一升七口各小一升〉 丹波國十一壺〈三口各大一升八口各小一升〉 丹後國八壺〈二口各大一升六口各小一升〉 但馬國十一壺〈三口各大一升八口各小一升〉 因幡國十一壺〈三口各大一升八口各小一升〉 伯耆國十一壺〈三口各大一升八口各小一升〉 出雲國十一壺〈三口各大一升八口各小一升〉 石見國八壺〈二口各大一升六口各小一升〉
右十箇國爲第四番〈辰戌年〉
太宰府七十壺〈十五口各大一升 卅五口各大五合 廿口各小一升〉
右爲第五番〈巳亥年〉
播磨國十五壺〈六口各大一升九口各小一升〉 美作國十一壺〈三口各大一升八口各小一升〉 備前國十壺〈二口各大一升八口各小一升〉 備中國十壺〈二口各大一升八口各小一升〉 備後國七壺〈二口各大一升五口各小一升〉 安藝國八壺〈二口各大一升六口各小一升〉 周防國六壺〈並小一升〉 長門國八壺〈並小一升〉 紀伊國七壺〈二口各大一升五口各小一升〉 淡路國十壺〈四口各大一升六口各小一升〉 阿波國十 壺〈四口各大一升六口各小一升〉 讚岐國十三壺〈五口各大一升八口各小一升〉 伊豫國十二壺〈四口各大一升八口各小一升〉 土佐國十壺〈四口各大一升 六口各小一升〉
右十四箇國爲第六番〈子午年〉
凡諸國貢蘇、各依番次、當年十一月以前進了、但出雲國十二月爲限、輪轉隨次、終而復始、其取得乳者、肥牛日大八合、瘦牛減半、作蘇之法、乳大一斗、煎得蘇大一升、但飼秣者、頭別日四把、

〔侍中群要〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1054 蘇甘栗使事
〈家〉大臣家大饗、内藏人奉仰、召仰出納、令調蘇甘栗等、〈在所〉 蘇四壺( ○○○) 、栗十六籠、各入折櫃一合、〈合二合也〉置土高坏、〈折櫃高坏、并召内藏、〉小舍人一人、〈二人歟〉仕人二人相從之、藏人束帶、〈著麴塵袍〉向彼家立便所、〈中門召之〉家司大夫二人出對傳取蘇等還入、主人召勅使〈敷座召之〉勸酒給祿、

〔敎憲類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1054 享保十七壬子年四月
岩手藤左衞門御代官所武州多摩郡押立村 平右衞門
日野小左衞門御代官所同國同郡中野村 源 助
麟性院領同國同郡柏木村 彌兵衞
右三人之者、江戸内藤宿之末よど橋と申所に而、 象洛( ○○) 并 白牛洛( ○○○) 弘め候義、願之通申付候、試候處ニ、効能も有之、疱瘡、麻疹、癰疔、其外難腫之藥に候間、望之者は、右之所〈江〉參調可申候、
四月
右之通、武士方諸向〈江〉通逹候樣に、大目附〈江〉被仰渡下候、以上、
四月 大岡越前守
稻生下野守

〔享保集成絲綸録〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1054 元文二巳年四月
一 象洞( ○○) 、 白牛洞( ○○○) 藥賣弘め候間、先逹而相觸候通、淀橋之外、今度淺草御藏前旅籠町一町目藏地ニ於て賣出候間、望之者可相調候、
四月

〔美年岡白牛酪考〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 今玆春、正倫奉命視牧馬於房總之間、嘗聞、享保中台旨放養白牛于房美年岡、既至其境而望焉、山谷之間、母犢相從、往々成群、按夫獸乳作酪、牛羊馬駝皆可食、而可以充藥餌者、則必牛矣、而牛又貴白者、而家牛又不野牛之尤良也、其製爲 酥( ○) 爲 醍醐( ○○) 、雖中土人亦據竺典、而始知其方、補内解毒、益于生民、其功非一、 詳見于本草家書( ○○○○○○○) 、德廟〈○德川吉宗〉至仁愛物、夙夜生靈爲念、富庶敎養之外、又憂其夭札http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000022589.gif、凡藥物自域外來者、人參縮砂之類、皆徴其根苗種子、植之内地、以贍民用、且聞 白牛酪( ○○○)益于人居多、購求天下、當時僅獲三頭、乃命放之於此、繼而黄門悠然公請而歳取二頭乳、以製醍醐、厥後日孳息、今正倫所見、至七十餘頭、其所食者、皆仙茅靈藿、非家牛仰厨下之餘、而又無桔繫苙圂之制、起臥優遊、任性自然、其色澤々然若僊家畜、於是試摝其乳、得數斛、製以爲乾酪、明練潔白、恐雖竺産亦不多出其右也、既歸進呈、大君大喜、有命更 繼廣製之( ○○○○) 、 以普施民庶( ○○○○○) 、以終德廟之大惠、恭惟大君仁明孝敬、百度皆紹述享保之政、今此命亦其一端也、〈○中略〉
寬政四年壬子夏六月、從五位下石見守岩本正倫序、

〔文恭院殿御實紀附録〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1055 享保の頃、はじめて白牛三頭を戾州嶺岡に放たしめ玉ふ、其牛、年を追ひ蕃息して、七十頭に及べり、寬政の始、小納戸頭取岩本石見守正倫に命じ玉ひ、嶺岡に行て、牛乳を求めしめ、數石を得て、酪を製せしめらる、こは 白牛酪を製せられし始( ○○○○○○○○○○) なり、又桃井源寅に命じて、主治功能を撰ばしめられ、廣く生民を惠恤し玉ふ、近頃尾島主殿頭某に命ぜられ、其役を司らしめ、廣く衰老の者に施しあたへしめらる、享保の盛慮この御代に至りて遂行はしめ玉ひしは、いとかしこき御事なり、〈國字分類雜記〉

製藥所

〔皇國名醫傳後編〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 福井楓亭
福井輗、字大車、通稱柳介、〈一作立助、號楓亭、〉奈良人、〈○中略〉寬政初、幕府召至江戸、爲醫官、〈○中略〉四年特命内直、爲製藥所監

〔日本敎育史資料〕

〈十九醫學〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 四月〈○安政五年〉四日大和守殿御渡
蘭藥の儀、若差向御上りにも可相成哉に付、奧御有合、 御製藥所( ○○○○) に無之品は、町物買上等にては、何分御不都合に付、靜海、玄朴、其外畑中善良、桂川甫周等持藥の内、奧向取計にて御買上、御製藥所の御品に相備置候樣、可取計候事、

人參製法所

〔皇國名醫傳後編〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 田村藍水〈○中略〉
登、字玄臺、通稱元雄、〈號藍水〉江戸人、世業醫、父儞豐、〈通稱宗宣〉好上古記傳之學、著書數種、登少以本草名、寶曆中幕府擧爲醫官、時新建 製參所( ○○○) 、命登掌其事、又往毛總野奧等州參、初朝鮮國獻人參栽於幕府、凡三、皆弗殖、享保初對州侯又獻六根、德廟命擇地日光山下之、數歳三移其地、始得生殖、乃募諸州民益種之、根株繁息及五百萬、登所製熟參、一擧得千有餘片、民間不復苦貴藥難一レ贖矣、登采藥經渉三十餘州、其於人參、甘蔗、白河附子、白牛酪、芒硝及火浣布、綿羊等、尤多發明云、子善之昌臧、昌臧出嗣幕府醫官栗本氏

〔天明大政録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1056 大目付〈江〉
朝鮮種人參之儀、享保年中御世話被遊、諸國にて出來、段々增長候ニ付、末々輕き者迄、病用之節、容易相用候爲、寶歷十三未年被仰出、神田紺屋町三丁目ニ、 人參座( ○○○) 相建、望之者〈江〉相渡候之處、此度人參座相定、以來者元飯田町中坂上 人參制法所( ○○○○○) ニおゐて、相渡候筈に候、只今まで、武家は兼而印鑑遺し置、在町之分は名主家主印鑑を以、請取來候得共、諸人求め易きため、其儀相止、人參座之物は、制法所〈江〉代金持參候得ば、相渡候筈ニ候、且人參之儀は、次第被增長、當時擇山ニ作出候ニ付、代 料之儀も、別紙之通申渡候、右人參望之者は、勝手次第製法所〈江〉請取ニ參リ可申候、
丁未十一月
朝鮮種人參制法所ニ而、相渡候代料左之通、
上人參壹貫目ニ付、代銀七匁五分、 並人參壹貫目ニ付、代五匁、
割人參壹貫目ニ付、代銀四匁、 肉肝人參壹貫目ニ付、代銀三匁、
細髭人參壹貫目ニ付、代銀貳匁、
但並肉肝髭ハ、小半貫包迄相渡、割ハ五分包迄相渡筈ニ候、
右之通ニ候事

〔市中取締書留〕

〈十ノ八十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1057
竹本主水正他国産人參之儀ニ付申上候書付竹田伊豆守今般、朝鮮種人參實蒔聽シニ罷成候ニ付、向後賣捌之儀、吹上奉行より、藥種屋共相糺候處、當時問屋名目組合と相唱候儀、難相成候ニ付而は、諸品取引等、未海陸共取締相立不申候ニ付、斤數多相捌候儀、見越候而、難申上候得共、御製法人參之儀は、厚御趣意、兼而難有存込罷在、殊ニ取扱馴候事故、夫々申合賣捌可申候得共、此後、他國産之人參、諸國〈江〉相廻り、直々賣買仕候而は、自ら御製法捌方ニ差障候之趣申出候段、掛りより申立候、右他國産人參之儀は、天保二卯年頃より、他國ニ多分作出し、致賣買候ニ付、御製法捌方ニ差障候間、奥州、雲州、其外作元御仕法相立候樣、其頃申上候得共、御沙汰無之、追々作出し、御製法之御趣意も薄く罷成候間、一ト先、文化度之通、他國産人參不相混樣取捌、諸國迄御趣意相届候樣、町奉行所ニ而申渡有之候樣、同四巳年申上候處、同年町觸は有之候得共、賣買御差留と申ニも無之候事故、彌繁茂仕、自然御製法人參不捌ニ付、寬政二戌年以前 之通、諸國人參作賣買共被差止候歟、又は領内限、藥用之外、賣買不相成樣仕度、尤領内之藥用たり共、是迄作來候領分計、其餘賣買は勿論作立之儀、一切相成不申樣仕度段、天保五午年申上候處、不御沙汰候ニ付、連々不捌ニ而、御貯多ニ相成、色變等出來仕、御不益相見候處、去丑年中、多分賣捌出來仕、唐方渡之分も、彼地氣請も宜、追々賣捌相進候樣相成候處、此後、他國産人參、諸國〈江〉相廻候而は、自ら御製法之方不捌之基と奉存候、依之何卒天保五午年申上候通、改革御取調御座候樣仕度、此段申上候、以上、
四月 竹本主水生
竹田伊豆守
寅〈○天保十三年〉八月五日攝津守殿〈江〉黑澤正助を以上ル御製法人參捌方之儀取調申上候書付遠山左衞門尉町奉行御製法人參捌方改革之儀ニ付、竹本主水正、竹田伊豆守申上候書面、被御渡、勘辨仕、可申上旨被仰聞候、〈○中略〉
舊冬問屋組合仲間等唱候儀停止被仰出候ニ付、是迄之振合ニ而は、品々差支可御座、左候迚、主水正、伊豆守申上候通、奉行所より、人數取極、賣捌人等申付候而は、手狹ニ相成、終には〆賣致し候樣成行、諸品手廣ニ賣買可致旨之御趣意ニも相當不仕候間、勘辨仕候處、以來之儀は、定日を立、御拂之積ニ而、代金モ即日納之仕法ニ相成候ハヾ、身元糺等之懸念モ無之候間、御府内藥種屋は勿論、素人ニ而も、望之ものは、勝手次第御拂之儀爲相願、尤小前賣捌方紛敷儀無之ため、上中下共、懸目壹斤ニ付、値段何程、壹兩ニ付何程、百文ニ付何程と相認、見世先〈江〉張出置候ハヾ、 其日稼之者ニ至迄、手輕く買取方出來、賣買手廣相成、御救之ため、御製法被仰付候御仁惠之御趣意も行届可然哉ニ付、右之趣を以、町觸可仕候哉、〈○中略〉右御尋ニ付、取調候趣、書面之通御座候、依之、別紙町觸案相添、御下之書面壹通返上仕、此段申上候、
以上、
七月 遠山左衞門尉
鳥居甲斐守

人參座

〔本朝世事談綺〕

〈五人事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 人參功能
人參の功は、古より普く世にしるといへども、寬文延寶のころ、數原通玄といふ良醫、朝鮮人參の功能を考覺、大病の治しがたきを救ひ、衆人の命を助る事限しられず、其妙術世に鳴而後典藥頭に至、是より大功ある事を彌知る、その頃は、室町伊勢屋孫八方にてこれを求む、そのゝち堺屋七郎兵衞、するが町におゐて、人參座立ツ、それより今の座山形屋なり、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 享保二乙卯年三月六日
石町三丁目長島屋源右衞門、 唐人參座( ○○○○) 相立候樣子は、委細細井因幡守〈江〉可承合候、
三月
右之通、可相觸候、

〔塵塚談〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 朝鮮人參座( ○○○○○) 、寶暦明和の比迄、下谷新し橋通りに開き、門構にして、門の正中に、朝鮮人參座といふ額をかけ、住居せしが、今は如何なりしや、斷絶もせしと思はる、寶暦の初の比か、浪人の類、御旗本の人參判鑑を、目方の多少により、金錢を出してもらひ受、人參座へ行、人參を請取、直に買請人有之、金錢をまうけし事あり、

〔觸留〕

〈六ノ百八十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1059 申〈○萬延元年〉閏三月廿二日
町奉行衆 塚越大藏少輔
唐人參座( ○○○○) 之儀、以來 江戸長崎會所( ○○○○○○) と相唱、長崎屋源右衞門〈江〉、右會所附御用逹申付候積、此程御掛合および候處、御差支之筋無之旨御挨拶有之候付、右之趣、紀伊守殿〈江〉相伺候處、伺之通被仰渡候ニ付、其段源右衞門〈江〉爲申渡候、此段及御逹候、
申閏三月

人參

〔紫芝園漫筆〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 世間庸醫卒不疾、藥之未效、其人疲困則恐元氣難一レ保、於是急周大劑人參湯與服往不元氣不疾補之無益、婦人參誠所謂反元氣於無何有之郷者也、然不見病而專補元氣聞也、〈○中略〉況 今我東方( ○○○○) 、人參之價三倍黄金、亦不多得之物也、豈可妄用以損人命

〔醫事或問〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 一或問曰、今の名醫、朝鮮人參をもて氣を補ふといふ、しかるに氣に拘はらずして、療治し玉ふ事いかん、
答曰、元氣は、天地根元の氣にして、人の胎内にやどる時にうけ、造化の司所ゆへ、人力を以うけ變事あたはず、其氣虚する時は、死ぬるなり、其長短は天にまかすべし、此故に、天子諸侯たりといへども、心のまゝにならざるものなり、なんぞ草根木皮を以、氣を補助する事を得んや、古語曰、攻病以毒藥、養精以榖肉果菜とあり、いまだ藥をもて精を養ふといふ事を聞かず、仲景も、人參は心下の痞鞕を治すといふて、つゐに氣を補ふといふ事なし、氣を補ふといふは、疾醫絶て遙に後世の人の説なり、唐の世迄もいはざる證據には、孫思邈が、千金方に、人參なき時は、茯苓をもてかふるといへり、此語あやまるといへども、人參は元氣を養ふとはいはざる事明なり、

〔松園漫筆〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1060 烏有いはく、人參を用ること、唐土にしては、和邦の生姜を用るがごとく、或は有、或は無、藥法の常なり、六君子湯も人參あり、小柴胡湯も人參あり、補中益氣湯も人參あり、參蘇飮も人參あり、日本の人參のつかひやうにてみれば、唐土のごとくせば、心やすき病人には、逆上などの 憂あるべき事なり、人參の品數もいろ〱あり、何れが是なりや、老衞門曰、足下のいふごとく、漢土にては、藥方の常にて、生姜、人參、趣を同じふす、和邦は、人參の價高貴なるを以て、人參を組藥方にても、大體は人參なしにこれを用ゆ、今人參の功とする所は、專ら暴に脱するの元氣を補ひ、又は虚勞の元氣を助るを以てす、然れども暴脱の元氣を回復し、請虚の元氣を補ふのみにあらず、よく客邪を除、津液を潤す、故に發散の藥方にまた多くこれを組、和漢つかひかたの同じからざる趣は、價の貴不貴による物なり、生姜亦その功人參に劣るべからず、和邦生姜の澤山なるを以て、人參の如くたつとまず、人常になれて、その功を思ふものなし、漢土は土地によつて生姜のなき所あり、北京のあたりは、大にその價貴く、人參生姜とならべ思ふ趣見えたり、

〔靑囊瑣探〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 人參、生薑、
凡物價貴則人重之、價賤則輕之、世人當病用人參、則秤之而正其毫http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000085974.gif 者甚嚴也、而至正薑幾片、則委奴婢手、不敢顧焉、假令其用一片、薑有乾潤、切有厚薄、而輕重毎不等也、嘗閲奇效醫述曰、生薑三片爲引、約重二錢云々、然則一片重六分六http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000085974.gif 餘也、若夫使正薑價如人參甚穹、則世人必可其權衡矣、噫臨病立湯方、猶師立陣法、雖正薑、有時爲將、雖人參、有時爲卒、豈可價賤常多視之乎、世醫亦恬然以此任病家、可以發一笑也、

〔たはれぐさ〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061 それがしわかき時、むさしにありしに、其頃までは、人參を用ふるくすしはなはだまれなり、もしも人參を用ふるくすしあれば、下手なりといへり、世の人人參の功あることを知らずとて、杉某といへるくすし、つねにうれへとして語りき、そののち李士材、蕭萬與などいへるものゝ方書世に行はれ、けふ此頃に至りては、かろき病にも人參を用ひざるくすしはすくなし、

〔辨醫斷〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1061http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000053080.gif 之説最謬妄矣、乃説而若行、弗啻有一レ我國之生靈、亦將笑於異邦識者歟、何也、夫人參補益之 功、古今方書所録、倭漢名哲所驗、豈不暦可一レ考哉、試以余〈○堀江誠定〉所睹記者言之、余本生對州、自有知來目擊 韓參( ○○) 多矣、參之大長及四五寸者、人含之則走必不喘、雖煙火亦不熏殺之、當暑月諸甌水、俄而其噴出泡沫、有濁醅浡沸之状、焉、是皆稟氣之盛使此歟、故以苦參煎煉成膏、毎投氣虚將脱之證、則獲甦生者不枚擧、對州有一紙薗祠、毎歳六月之望、設國樂以奉祀焉、其樂師、毎舞凌厲奔疾之曲、不勞動、打扮又熱、及舞畢而退、遂至氣昏暈絶者或有矣、故於樂室、豫備參膏、聽其急用、藥一入口、無氣淸息定而立甦矣、又東都有權參局二、一則朝鮮所産者、即對之人往辦焉、一則漢舶所齎者、則長崎吏、就領焉、先是有故將兩國産、各作熬膏以試驗之、漢乃大減、韓則仍如原量云、後予及長往住長崎、奔走斯業者又二十餘載、因視漢參極多、用而獲效者實弗寡矣、且以自服者之、余二十五歳之秋、患痢甚篤、晝夜凡百餘度、漿粥不入、羸憊日甚、毎澀滯、強力久努、精神恍惚、氣息垂絶者屢矣、家人爲常備濃煎獨參湯、輙令我服、呷之不三五口、便覺精神頓爽、努氣得力、膿垢亦易利矣、由是單煮及所加服參凡半斤許、痢止食進而自獲安、是歳仲冬、不幸又罹陰證傷寒矣、豈不前門拒虎後門進一レ狼、厥證安得殆耶、故其處方雖同、仍多服參如前疾、而又獲安後及三十八歳之夏、會因勞役傷寒、亦陰證矣、病未數日、神昏食癈、惡候四出、家君憂甚、遂與一二醫謀於峻補方、重加人參、兼投獨參一貼二三錢者、日二劑、若是旬餘、神漸復、比再旬而食漸進、乃調理遂得痊、又有一嫗水腫、百方罔効、付必死矣、余因特與同道進商榷云、究竟體老病亦虚、弗峻補、何冀一生、遂用人參三錢、附子八分一劑、另以八味參木、並令濃煮迭飮一レ之、若是數劑、溲略多後、日多一日、腫亦隨而泮然矣、噫以是言之、漢參功効不亦宏大哉、雖然匪特此也、至虚風客勞、産蓐、帶下、痢瘧癰瘍等證、雖種々不同乎、但屬正衰弗振者、隨施而輙奏効、稱爲神草、不亦宜乎、且夫雖古方之藥用、至後世益著者夥、奚獨以參爲疑哉、不知謀師有何識鑒、敢謂今之所尚不其古、而必欲倭參耶、狂悖莫焉、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1062 明和元甲申年閏十二月廿七日
松平攝津守殿御渡
御目付〈江〉
朝鮮種人參( ○○○○○) 之義は、世上人參拂底故、末々輕きものは、病用之節も、たやすく難相用、病氣不本復も多有之由ニ付、日本に而致出來候はゞ、萬民御救之事故、先々御代、朝鮮國〈江〉人參種被御所望、野州今市邊に而、御作らせ、其効能御ためし有之候處、全く朝鮮人參相替ず候ニ付、何卒澤山に作り出し、末々之者迄も行届候樣、種々御世話被遊、其後陸奥國に而も、作り初め、段々致增長候ニ付、御製法被仰付、諸人爲御救、神田紺屋町〈江〉、届之者共は相渡、并別紙、名前之者共、下賣被仰付、關八州、陸奥、信濃、東海道筋、京大坂迄賣弘め、右製法人參之義、所々に而ためし候處、至而効能宜候段、粗相聞候、先逹而廣東人參、暫く通用有之候處、右品は、人參之効能は無之段決定いたし、商賣停止被仰付候、此度御製法人參之義は、國々在々病用爲御救、右下賣之者共〈江〉賣弘申付、且又在方にては、紛敷人參も商賣致し候段相聞候間、紛敷無之ため、 人參座より封印致し( ○○○○○○○○○) 、下賣之者共〈江〉相渡、封之儘賣弘めさせ候間、其段觸知する者也、
右之通、國々在々〈江〉不洩樣、可相觸候、
申閏十二月
神田紺屋町三丁目
江戸人參座 岡田治助
關八州并東海道之内 本町四丁目
袴屋庄八〈○以下諸國賣下所姓名略〉
明和八辛卯年正月四日
松平右近少監殿
水野出羽守殿御渡
大目付

御目付
江戸音羽町六丁目 俗醫( ○○)
谷治兵衞
今泉總右衞門
右之者共、上野下野信濃陸奥出羽國城下、并宿場在々町々、其外迄も、 朝鮮種人參( ○○○○○) 相對直段を以、賣弘候旨、當八月中相觸候外ニ、此度伊豆駿河甲斐遠江三河佐渡國迄、前書之五ケ國共、都合十一ケ國、右同樣之賣弘方を以、藥店迄も、人參賣弘申渡候書面之國々〈江〉、江戸本町住居之人參下賣共、其外傳馬町組住居之藥種屋、并南傳馬町伊勢町住居之下賣共よりは、人參賣渡間敷旨、追而是まで之通爲賣渡候節は、可沙汰之段申渡候、右治兵衞、總右衞門、相對直段を以、人參賣弘め候筈に候間、其旨可相心得候、〈○中略〉
右之通可相觸

〔享保集成絲綸録〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1064 元文元辰年十一月
申渡之覺
朝鮮人參之莖葉( ○○○○○○○)
右者病用ニ付、人參服用致し度存候而も、調候儀難儀之者、右人參之くき葉服用致度願候ハヾ、被之候間、病人之好身之ものに、家主成共名主成共壹人附添、下野守樣御番所〈江〉罷出可相願候、尤二度目よりは、壹人罷出頂戴致候樣可致候、曾而六ケ敷事ニ而は無之候條、此旨町々〈江〉可申聞候、以上、
十一月

〔桑韓唱和塤箎集〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 筆語〈○中略〉
一〈玄機問〉 人參( ○○) 、本草、以上黨及貴國所一レ産爲最、而其所説、苗状各異、未孰是、今敢奉問、其莖葉花實色澤形状、及其地之寒暖、肥瘠高下陰陽向背、伏乞詳示、且令畫工圖苗状一本之幸甚、〈權道復〉人參本草、以上黨所産者上品、而我國則以北道高爽處所産者絶品、以全羅道卑濕處所産者賤品、北道人參、枝葉莖苗、與本草所畫上黨人參異、全羅道人參則小異、以此言之、其優劣可知耳、至於横畫、則唯畫師能之、即今畫師痛臥、故未http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000010590.gif耳、

〔廣參説〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1065 嘗聞、攝州恒川生有言、曰 廣參( ○○) 之始來於長崎也、土人安川上田兩生問其名、答曰、是安筮草根、用補治血分之虚、有經驗、而兩生以其有參形而効亦相似、倶多購得以貨於四方、大得其利、竟名曰 廣東人參( ○○○○) 、俗醫用之有驗、爾來淸賈之帶至、陸續不歇、以爲貨物、近有之十善寺所寓程赤城等、答曰、廣東人參之稱、似貴地方言、在唐多有通、至于醫家藥鋪等、唯有 西洋人參( ○○○○) 或 洋參( ○○) 之名耳、此宗原係西洋人年々帶至廣東之地、貿易分售各處云々、或曰、向有淸賈及病篤參於官、詰之曰、汝盍帶來之洋參、其人密言、洋參即我地之三七也、雖眞參、貴邦以爲參用、故多帶爲貨物耳、其事發覺、官有嚴禁、其後蒙禁弛、復儎來、至今其形似人參、肥短、而重皮有横文沙參、有縱文者少、始渡者黄黑色、故肆人以其色彷彿舶芍藥芍薬様、或略呼勺參、今來者黄白色、不芍藥、間有他物造者、其根不重、又有形如節參細而不直者、肆人呼爲蘆頭、又有本根上連蘆頭、又有形團如珠參、倶皆味甘而帶苦、全同人參味、其不苦者、不甘者、帶鹹者、帶薟者、皆係僞造矣、若夫三七則有古渡、傳言、天和壬戌所儎來、今則不來、故世人少之者、言之亦多疑不信、實所謂以睹而不信、若http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000033616.gif雪者也、余所藏古渡三七之品、亦不一而足、其形似節參而不純苦、有細有粗、皆黄黑色、正符東璧言老乾地黄節、味微甘而苦、頗似人參之味、中立言竹節參、味甘而苦、亦似參味、但色不同、參色黄白、而三七色 黄黑〈一本云、竹節參亦彷彿三七、但形小耳、〉之文是所謂竹節三七者也、又有長直而縱者、是所謂人參三七者也、又有圓根如珠參、皆與廣參同、是三七之形色味並不於廣參者也、而李東璧唯言竹節三七與團如白芨、張路玉言、三七廣産形如人參者是、有節者非、陳振先言、三七有數種、羊腸三七竹節三七謂之水三七、人參三七、〈錦囊秘録、本草從新、有此名、〉蘿蔔三七、謂之廣三七、又云旱三七、〈集驗良方有此名〉據張陳二氏之説、則似人參三七是廣産、竹節三七非其産、猶人參有竹節直根、而其種自別、然東璧中立皆言節者廣西之産、而古渡中亦有本根上連竹節、則不別爲二物矣、其陳氏言三七有數種、亦唯以名之多言、非實有多品也、向有淸賈進大孩兒參二枚於官、鑒藥家皆言廣參也、其長近尺、濶逼寸、是所以人參三七有蘿蔔三七之名也、古渡三七中、有粗大如節參、恐當此等蘆頭耳、今也、縁遼參之價躍貴、寒素者無上レ藥用、故病家皆喜廣參之廉、擧世尚之、醫人亦循俗用之、非其驗、故今以大行、以爲補藥、然此品原治血分之聖藥也、嘗聞門生某治肺癰日久、既吐血塊升許、七日幾死者、及折傷流血如湧、三日不止、氣衰色變、諸藥无効者、皆用之有速効、其餘赤白痢疾、吐紅鼻、洪産後血暈一應失血用之無効、而又兼有温補之積故今世醫權代用人參、亦奏其効、寒素輩多得賴焉、然非御種眞韓人可比類也、而廣參治血兼補、即是三七之効驗也、故諸本云、三七性温、陳士鐸云、三七止血而兼補矣、是皆廣參之効驗、不於三七者也、乃知、淸賈所謂洋參、非眞參而三七也者、非虚言矣、而數十年來、帶至之廣參、其員幾巨萬、不勝計焉、愚嘗疑、是必其地所蕃殖之草根、而决非遠境深谷之物也、於是詳其所出、李東璧云、三七生廣西南丹州番峒深山中、〈○下略〉

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1066 寶暦十三癸未年八月廿日
一 廣東人參( ○○○○) 商賣之義、向後堅停止ニ候間、此旨岐度可相守候、
右之通、可相觸候、
八月
天明八戊申年正月廿二日
水野出羽守殿
御渡
松平玄蕃頭殿
大目付

御目付
廣東人參( ○○○○) 之義、先年賣買停止被仰出候處、此度御糺之上、病症ニ依り、其功能も可之ニ付、下々まで容易に相用候ため、向後前々之通、賣買勝手次第に可致旨被仰出候、
右之通、可相觸候、
正月

〔大成令〕

〈六十七藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 享保十九年寅年五月

一町醫者吉田玄庵と申者、 和人參( ○○○) 製法致し、藥種問屋〈江〉相渡賣弘め候間、望之者〈江〉相調候樣ニ、町中〈江〉可觸知者也、
五月

〔松園漫筆〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1067 薩摩人參( ○○○○) は、形状鬚の如し、 竹節人參( ○○○○) の鬆根なるよし、氣味うすし、吉野人參、竹節人參の二品、吉野、葛城、那智、貴船等の山々におほくありて、近代多用ゆ、味甚苦して、胃氣を養ふにはよろしからず、用るに堪たりとて、專ら用る諸醫あれども、我〈○松園茂榮〉も數年もちひ試るに、元氣を補ふの功すくなし、積痞を推ひらくには功多し、其外人參といふもの、四五品あれども、皆人參にあらざるものなれば、沙汰におよばず、然れば大切の病人、元氣を補ふの功、惟朝鮮人參の外他なし、卑賤貧窮のものは、價の貴に力及ばず、見ながら死にいたるを待のみ、こゝに仁君、萬民撫育の御 憐み深く、窮民の力たらずして治すべき病の死にいたるを察し玉ひ、朝鮮國より人參の種及び苗を御取よせ、御手づから御園に御試あつて、其後は命を以て專らこれを作らせられ、次第に蕃茂し、今世上に 御種人參( ○○○○) とて自由に用るもの此なり、其氣味、朝鮮大人參よりは薄といへども、元來朝鮮の種なれば、他の人參に大に勝れり、老夫、數年これを用て、その効驗の著しきも見る、今卑賤貧窮のものまでも、その價の下料なるをもつて、心やすく疾を救ひ、忠臣は主君の命を助け、孝子は親の壽を益、誠に仁君の恩澤、萬民に潤ひ流、窮民を御憐みの御慈悲をおろそかに思ふべからざる事なり、

〔醫事或問〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 本邦、 吉野人參( ○○○○) は、痞鞭に用ひて効あり、故に、余〈○吉益爲則〉は、和參を用ひて、朝鮮參を用ひざるなり、昔は、和漢ともに人參味ひ苦しといふ、本草綱目にも、雷公桐君味ひ苦しといへり、日本にても、天暦帝の朝、源順の和名抄に、人參の和名、くまのゐとあり、熊膽の味ひ苦きゆへに、くまのゐと名付たるなり、然るに今の朝鮮人參は、味ひ甘く製したるなり、製せずして甘しといふは僞なり、用ゆべからず、本邦の人參、愼で必製すべからず、本味をそこなふ時は藥効なし、且又積氣氣虚まどとはいひがたし、いかんとなれば、氣は形なきものなり、何にても其物あれば皆氣あり、人生て居る時は氣あり、死すれば其氣絶ゆ、是天地自然にして形なく、造化の司る所ゆへ、人の積べきものにあらず、

藥種

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 藥種 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if000r1068-1.gif 喜式http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000087896.gif

〔易林本節用集〕

〈也器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 藥種( ヤクシユ)

〔尺素往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1068 和丹兩家之醫師等、雖末代、其術新播効驗候哉、仍隨分秘藏之藥種共所現在者、人參、龍腦麒麟竭、南木香、胡椒、縮砂、良姜、桂心、甘草、川芎、當歸、巴豆、大黄、雄黄、寅膽、辰砂、并煉密等少分進之候、皆新渡之濟物候、山藥、牛膝、牽牛子、香附子、紫蘇、荊芥、乾姜、厚朴、苦辛、茯苓、橘皮、白朮、地黄、鹿茸、石灰、硫 黄、并甘葛等之和藥者、御所持之間不之、

〔撮壤集〕

〈下醫書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 藥種類
龍腦( リウノウ) 龍膽 樟腦( シヤウノウ) 虎膽( コタン) 麝香( シヤカウ) 丁子( チヤウシ) 胡椒( コセウ) 丁香 皮( ヒ) 縮砂( シユクシヤ) 檳榔子( ヒンラウシ) 橘皮( キツヒ) 虎 肉( ニク) 當歸 高良姜( コウリヤウキヨウ) 甘草( ○○) 白花 虵( シヤ) 烏( ウ) 虵 巴豆( ハツ) 薰陸( クムロク) 香 大黄 烏頭 肉蓯蓉( ニクジヨウヨウ) 川芎( センキウ) 南木香 蘇合香油 人參 地黄 4升麻</rb><rt> セウマ</rt></ruby> 附子( ブシ) 麻黄 芍薬( シヤクヤク) 大 戟( ケキ) 巴( ハ) 戟 藿( クワク) 香 蓬莪朮( ホウカシユツ) 肉 豆蒄( ツク) 絡石( ラクセキ) 茜根( センコン) 續斷( ソクタン) 忍冬( ニントウ) 葈耳( シニ) 〈ナモミ和名丨丨〉 景( ケイ) 天〈イキクサ〉 千歳 虆( ルイ) 括樓( クワツロウ) 〈カラスウリ〉 黄芩( ワウコン) 秦艽( シンゲウ) 知母( チモ) 石葦( セキイ) 蓽撥( ヒハツ) 鬱金( ウツコン) 零陵( レイリヨウ) 香 渉釐( チヨクリ) 半 夏( ケ) 連 翹( ケヨウ) 白 檀( タン) 雞舌( ケイセツ) 香 乳( ニウ) 香 呉茱萸( コシユユ) 麒麟血( キリンケツ) 白朮 天門冬 麥( ハク) 門冬 莵絲( トシ) 子 虵床( シヤシヤウ) 子 牽牛( ケンコ) 子 防( ハウ) 風 薯蕷( シヨヨ) 薏苡( ヨクイ) 薄荷( ハツカ) 車前( シヤセン) 子 苦參( クシン) 牛膝( コシツ) 天南星 蒴( サク) 藋 五味子〈サネカツラ〉 蒲黄( ホワウ) 遠志( チンジ) 茴香( ウイキヤウ) 乾姜( カンキヤウ) 桑根( サウコン) 白 茯苓( フクリヤウ)茯神 厚朴( コウホク) 枳殻( キコク) 枳 實( シツ) 安息( アンソク) 香 雷丸( ライクワン) 牛黄( コワウ) 蘇芳木( ソハウホク) 龍骨( リウコツ) 阿 膠( ケウ) 酥酩( ソラク) 醍醐( ダイコ) 鹿茸( ロクシヤウ) 鼈甲( ヘツカウ) 龜甲( キカウ) 荊( ケイ) 芥 穗( スイ) 眞珠( シシシユ) 川山 甲( カウ) 冬葵子( トウキシ) 射干( シヤカン) 常( シヤウ) 山 蓽澄茄( ヒツテウキヤ) 續隨子( ソクスイシ) 枸杞( クコ) 甘 葛( カツ) 甘松 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000083819.gif 砂( マウシヤ) 黄蓍( ワウギ) 砒霜( ヒサウ) 斑猫( ハンメヨウ) 雌黄( シワウ) 鹽消( エンシヨウ) 芒消( ハウセウ) 桃仁( タウニン) 蒼( ソウ) 朮 辰( シン) 砂 蜀椒( シヨクセウ) 沙糖( サタウ) 蜜( ミツ) 防巳( ハウイ) 雄黄( ユワウ) 訶梨勒( カリロク) 靑木香( シヤウモツカウ) 香附子( カウフシ) 京三 稜( リヤウ) 大 腹皮( フクヒ) 山 茱萸( シユユ) 大 腹子( フクシ) 白 礬( ボン) 子 肉桂( ニツケイ) http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000054667.gif 肭臍( チツトツセイ) 蝟皮( イヒ) 菘菜( スウサイ) 元蠶蛾( ケンサンカ) 桑寄生( サウキセイ) 石蓮肉( セキレンニク)

〔日本風土記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 九流〈○中略〉
良醫、亦知疹脈、探病下藥、名曰 骨粟里( クスリ) 、治人病愈量其貧富厚薄酬之、但本國藥餌雖全、常服不効、且無 甘草( ○○) 、毎遣朝貢之使、務得大明藥餌、牛黄射香以爲至寶、若甘草百斤値價三百金、本國醫人、得有中國藥料上等、良醫名曰 醫煞( イシヤ)

〔延喜式〕

〈四十三春宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 十二月四日、造年中藥料 草藥( ○○) 受典藥寮

〔源氏物語〕

〈二箒木〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 こゑもはやりかにて、いふやう、月比ふびやうおもきにたへかねて、 ごくねちのさ( ○○○○○○) うやく( ○○○) をふくして、いとくさきによりてなんえたいめん給はらぬ、まのあたりならずとも、さるべからんざうじらはうけ給はらんと、〈○下略〉

〔本朝醫談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 源氏物語、月頃ふびやうのおもければ、極熱の草藥を服と、大和本草、蒜、夏月食之、解暑毒故といふは、うけがたし、本文は、草の性熱なる事をいふなり、蒜薤の類は、下利を治する物なり、されば、ふびようははら下る事にて、腹病の文字也、古人病ありて、療養の為に、これ等葷物を食する内、毒忌の日數あり、これを名けて 蒜間葱間韮間( ヒルマネキマニラマ) などいふ、故に、歌にもよめり、源氏、さゝがにのふるまひしるき夕暮にひるますぐせといふがあやなき、逢事のよをしへだつる中ならばひるまも何かまばゆからまし、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 諸司年料雜藥 齋宮寮五十三種
芒硝七兩四銖、防風一兩二分四銖、麻黄二兩三分四銖、虵http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000067624.gif 九兩一分、石膏一兩三分、芎藭七兩三分、大黄一斤四兩二分四銖、人參十兩、紫菀二兩二分、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000031383.gif 胡五兩、黄芩十一兩二分二銖、黄連一兩二銖、皂莢二分一銖、芍藥六兩、漏蘆六兩一分、連翹十五兩、白http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000032489.gif 十兩二分、蘆茹四兩一分、附子九斤十五兩、干薑七兩二分、猪膏六十四斤八兩、白朮七斤十兩二分、烏頭十四斤四兩、半夏二兩二分、桔梗九斤五兩二分、細辛七斤十四兩、呉茱萸一斤六兩、昌蒲二兩二分、伏苓二兩二分、蜀椒二斤二分、桃人二兩、枳實十二兩一分二銖、亭藶子二兩一分、杏人二兩三分二銖、 厚朴( ホヽノカハ) 二分二銖、支子百廿枚、升麻十一兩二銖、干藍二分、豉一合一勺、前胡二斤一分、白芷二斤一分、當歸四兩二分、蒴藋一斤一分、商陸四兩一分、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000070145.gif 草三斤五兩、黄蓍四兩一分、牡丹四兩一分、地楡四兩一分、大戟五兩一分、玄參三兩三分、白頭公三兩一分、躑躅花九兩一分、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000r10701.gif 葜一兩一分、〈○中略〉
遣諸蕃使 唐使〈○中略〉
草藥( ○○) 五十九種
芍藥、白朮、地楡、桔梗各八斤、獨活、前胡、升麻、夜干、栝樓、牛膝、伏苓、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000031383.gif 胡、烏頭、附子、天雄、商陸、蜀椒、黄蓍、松脂、 石南草( トヒラノキ) 各六斤、大戟、防巳、黄蘗、紫菀、苦參、昌蒲、各四斤、 石韋( イハカシハ) 、 澤寫( ナマイ) 、玄參、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000015299.gif 本( カサモチ) 、熟艾、漏蘆、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000032324.gif 茹( ネアサミ) 、甘遂、虵http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000067624.gif 、 梨蘆( ヤマウハラ) 、干地、黄枳實、桑根、白皮、丹參各二斤、杏人、 五味子( サネカツラ) 、 莵絲子( ネナシカツラ) 、亭藶子、 虵床子( ヒルムシロ) 、半夏、 蒲黄( カマノハナ) 、 麥門( ヤマスケ) 冬、 僕奈各( クルヘキクサ)四斤、練胡麻一斗六升、桃人一石二斗、黄苓、麻黄各八斤、黄連、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000057987.gif 芋、呉茱萸、防風、橘皮各六斤、白http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000032489.gif 四斤、盛雜藥韓櫃四合、〈著鏁〉裹櫃席八枚、黑葛四斤、麻繩四了、朸四枝、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1071 諸國進年料雜藥
畿内 山城國三十二種
王不留行十二斤、獨活十斤、白朮廿五斤、地楡、黄蓍各十斤、牛膝苦參各廿五斤、桔梗三十斤、香薷、夜干各十五斤、昌蒲三斤、枳實、漏蘆稾本各九斤、薺苨、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000030803.gif 草、小蘗各六斤、龍膽、 通草( アケヒカツラ) 各五斤、紫菀三斤、商陸八兩、芍藥四兩、厚朴十八斤、白http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000032489.gif 二斤二兩、葛根卅二斤、 鼠草( ミソハキ) 三斤、桃人九升、杏人一斗八升、赤小豆四斗六升、蜀椒一斗二升、鼈甲一枚、白粟大一斗、
○按ズルニ、此他大和以下進ムル所ノ年料大抵同ジケレバ之ヲ略ス、

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1071 十四年六月、遣内臣〈闕名〉使於百濟、〈○中略〉別勅〈○中略〉 種々藥物( ○○○○) 可

〔羅山文集〕

〈十四外國書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1071朝鮮國状〈代板坂ト齋、ト齋請紀伊亞相此状、〉望請藥草根并核實之事夫物産不常、或古有而今無者、或古無而今有者、或古今皆有而中世無者、或中世有而古今皆無者、或土地宜與宜者、或四方風氣異而爲有無者、中華既然、日本亦同良醫之用藥、猶離婁之督繩、魯般之削墨、師曠之用六律、如何可癈哉、只恐杜蘅亂細辛、蛇床亂蘼蕪、似而非者、往々不鮮、遂至老芋以爲茯神、雖良醫愼也、嘗聞、榴棠自海上來、戎王子自月氏至、中華植之以爲名種、況張騫自大宛移來者猶有多品乎、夫醫者仁術也、於病不備也、若云其藥治其病、則其藥之眞僞疑似之間不察也、艱于採一レ山、欺于買一レ市、是故今所求者要其眞、而棄其僞、庶幾、貴國廣博愛之仁、播公共之惠、 分寄此藥之根實、則何厚荷如之哉、如是則一視同仁之政、活人衞生之意可以感欣焉沙參 丹參 防巳 白微 蕓薹子 升麻 常山 蜀葵華 前胡 射干 黄蜀葵華 葶藶子 何首烏 五味子 石楠葉 菴閭子 劉寄奴草 馬藺 蜜蒙華 佛耳草 白頭翁右二十一種要其核實
薤 百部根 萆薢 鬱金 延胡索 商陸 藜蘆 胡黄連 山豆根 續斷 天仙藤 烏頭姜黄 銀茈胡 漏盧
右十五種要其根
寬永十四年十二月

〔和漢寄文〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 藥種品付之儀申出候書付
極上藥材五種、再來之日、蒙諭委帶、於巳年七月間遵依回唐之後、分外盡心尋覔極上藥材、毎樣湊集十數觔、内又棟選更好者、此番帶來五種、倶係極上藥材、除此之外、並無極上藥材、外此番帶來石靑沈香二色、倶係分外査棟極上帶來者、爲此具呈、
享保十二年正月日 第四十二番廣東船主費元佐

〔和漢三才圖會〕

〈九十二本山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 人參( ○○) 〈○中略〉
朝鮮人參 朝鮮北韃靼南境有大山、名白頭山、自然生人參最上、其葉花與和人參相似而實異、初靑熟赤、圓如南天實、其根似胡蘿蔔而白色、使甘草汁蒸乾黄色、亦益其味、頭邊有横文、體重實而中亦潤、黄者爲、經年者大愈佳、似人形者亦百斤中有一二本、此雖神而不甚佳、出於咸鏡道者潤白透明爲極上最鮮、
判事( ハンス) 人參 是亦白頭山之産、出於韃靼而未修治良方、故功稍劣、
蝦手( エビデ) 人參 右同、蓋韃靼土地水不淸毒多、故其富豪者常浸人參於井中、用其水更採出人參之、故 帶飴色而尾耑曲似蝦形、所謂湯人參之類乎、
唐人參 即中華之産、山西之潞安、〈古之上黨〉北京之永平、雲南之姚安共爲上、而下種植成、故功不朝鮮自然生者、其大者俗呼曰唐大
小人參 非大人參中擇出者、而本自一種小者其根長一二寸許、猶罌粟與美人草、近年不來、俗以 尾( ヒゲ)人參、稱小人參者非也、
凡大人參老者則大而功勝、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000006667.gif 者小而力劣焉、體輕虚色枯白者、俗謂浮虚人參無効、
尾人參( ひげにんじん) 髭人參〈俗稱〉小人參〈俗稱〉 〈自此一種也、俗以爲大人參之髭細根者非也、〉按、尾人參、朝鮮中華共有之、蔓生而與人參一類異種者也、高一二寸、葉似人參而小、蔓出於莖、布地至處生根如 草石蠺( チヤウロギ) 樣、取其蔓根藥、纎者似萆薢髭、故名髭人參、毎唐船皆將來之小人參、性堅い實、其功勝於大人參之浮虚者

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈七山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 沙參( ○○) 〈○中略〉
唐種ノ沙參ハ、和産ヨリ花大ニシテ色深ク、葉モ大ニシテ互生ス、根ハ長サ二尺餘、韓種ノ沙參ハ、葉狹クシテ厚ク光アリ、ソノ莖弱ク藤蔓ノ如シ、花戸ニテツルキヽヤウト呼ブ、藥舗ニ販ク者、舶來ニ古今數品アリ、ソノ一ハ形肥大ニシテ輕虚、全ク和産ニ異ナラズ、ソノ一ハ拳沙參ト呼ブ、皆細ク竪ニ劈キテ乾シ、卷束シテ拳ノ形ノ如シ、又卷沙參ト名ク、黄白色、ソノ一ハ全根ヲ中破シテ兩片トナス、コレヲワリ沙參、或ハカウノモノ手ノ沙參ト呼ブ、以上ノ三品ハ古渡ニシテ、今甚ダ稀ナリ、ソノ一ハ竪ニ細ク劈キ、卷沙參ノ如クシテ卷束セズ、コレヲミダレ沙參ト呼ブ、ソノ一ハ楊枝手ノ沙參、或ハ防風手ノ沙參ト稱ス、形細長ク五七寸許、白色ニシテ防風ノ如シ、此ハ全根ヲ乾シタルナリ、此品今多ク渡ル、先年渡リタルハ、根ニ潤アリテ白實ナレバ、北沙參トモ云ベキナリ、今渡ルモノハ皆乾脆ニシテ折レヤスシ、恐ハ眞ニ非ズ、宜シク和ノ沙參ヲ用 ベシ、即ツリガネニンジンノ根ヲ乾シタルモノナリ、今藥舗ニテ誤テセイネイト呼ブ、薺苨ノ音訛ナリ、然ドモ薺苨ハ別ニ一種アリ、混ズベカラズ、蘇頌ノ説ニ據レバ、沙參ニ南北ノ二品アリ、北沙參白實爲佳、南沙參輕虚爲下ト云フ、本經逢原モコレニ因ル、然ル時ハツリガネニンジンハ南沙參ナリ、時珍ノ説ニテハ、沙參ハ體輕鬆味淡而短ト言フ、本草原始ニモ、獨蘆無心黄白内虚者眞也ト云フ、皆南沙參ノ形状ナリ、今別ニ南沙參ノ舶來ナシ、多ク防風中ニ混雜シ來ル、

〔本草綱目啓蒙〕

〈七山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 丹參( ○○) ニコタグサ〈延喜式〉
今新渡多シ、根ニ數枝アリ、枝ゴトニ長サ一寸餘、或ハ二三寸、徑一二分許、兩頭細クシテ連珠ノ如シ、外皮赤色黄丹ヲ塗ルガ如シ、内ハ紫褐色ニシテ白キ筋アリ、苗ヲ連タルモノ稀ニアリ、ソノ莖方ニシテ細ク枝葉對生ス、皆細毛アリ、葉ハ小橢ニシテ鋸齒アリ、和産詳ナラズ、

〔本草綱目啓蒙〕

〈七山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 甘草( ○○) アマキ〈和名抄〉 アマクサ〈同上〉 大和〈和方書〉 カンザウ〈通名〉 一名主人〈種杏仙方〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000054504.gif 蜜珊瑚〈輟耕録〉 大嗷〈事物異名〉
甘草ニ同名アリ、茶薺甘藤モ甘草ト名ク、
舶來ニ數種アリ、南京ヲ上トシ、福州ヲ次トス、新渡ノ福州ハ、甚ダ大ニシテ緊實ナラズ、南京ハ皆細クシテ潤アリ、南京ノ中コシボト名ケテ、外皮縱ニ小皺紋アリ、緊實ナルヲ揀ビ用ユベシ、凡ソ甘草ハ根ノ大小ニ拘ラズ、外皮薄ク肉色深黄ナル者佳ナリ、根大ナリト雖ドモ、皮厚ク肉色淺ク輕虚ナルモノハ良ナラズ、ソノ朽テ黑色ヲ帶ビ或ハhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000032947.gif モノハ並ニ用ルニ堪ヘズ、本經逢原ニ中心黑者有毒勿用ト云、市人根ノ最細小ナル者ヲワラ手、或ハワラ甘草ト呼ブ、下品ノ稱ナリ、形歪斜ニシテ節アル處ヲ揀ビ出シ、剉賣ヲキリコミト云、櫃中ニテ折碎タルモノヲ折甘草ト云フ、朝鮮甘草ハ味過テ甜シ良ナラズ、紅毛甘草ハ甚大ナリ、味ハ美ナレドモ性劣ト云、〈○中略〉
粉草ハ粉甘草トモ書シテ上品ノ稱ナリ、本草原始ニ據ルニ、即汾草ノ誤、汾州ニ生ズルモノ佳ナ レバナリ、今粗皮輕虚ナルモノ薄ク切レバ、皆碎ケテ細末トナルモノヲ以テ、粉草ト爲ハ非ナリ、

〔多識編〕

〈二芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 甘松香( ○○○) 、今案加毛知久左、異名苦彌哆、〈音扯〉

〔和漢三才圖會〕

〈九十三芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 甘松香 苦彌哆〈金光明經〉
本綱〈甘温〉出於外國、叢生山野蔓、葉細如茅草、根極繁密可諸香及裛衣、作湯浴令人身香、按、甘松有蝦手藁手二種、以蝦手上、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈九芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 甘松香 一名麝男〈輟耕録〉
略シテ甘松ト云、和産ナシ、漢渡ニ二品アリ、 蝦樣( エビデ) ノ甘松ト呼ブハ根ナリ、形長ク微シクユガミテ、
一頭ニ鬚多ク蝦形ノ如シ、此ヲ上品トシ、藥用ニ入ル、又葉甘松ト呼ハ、蘆頭ニ苗ノ本一寸許ヲ連ネテ切リテ根ハナシ、ソノ形薹</rb><rt> スゲ</rt></ruby> ノ蘆頭ニ似テ香氣多シ、是ハ香囊ノ用ニ入ル、藥ニ入レズ、世人 春ノヲミナメシ( ○○○○○○○) ヲ、和ノ甘松トスルハ誤リナリ、其草ハ一名カノコソウ、野ガンセウ、サクラガハ草トモ云、雌雄アリ、雌ノ方ハ草小シ、深山ニ多シ、雄ハ大ナリ、共ニ甘松ニ非ズ、 敗醤( ヲミナメシ) ノ一種ナリ、

〔多識編〕

〈二芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif ( ○○) 〈別録上品〉異名草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 、今案豆久、

〔和漢三才圖會〕

〈九十三芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 草果( さうくわ○○)
本艸必讀云、草果仁生閩廣、八月采收、内子大粒成團、外殻堅厚黑皺、凡資入劑取子剉成、氣毎熏人、草果〈辛温〉 消宿食、立除脹滿、辟山嵐瘴氣、治瘧母霍亂惡心、按、本草以http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 草果一物、而時珍辨所産及實之形状異之、本草蒙筌同必讀、愈爲二物甚詳焉、然花葉之形状謂草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 、不草果、似明矣、蓋其草本一物、而因土地實異者乎、實異故氣味亦有和烈之異、主治不同、最不混用一レ之、今將來之草果有外皮厚堅、草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif仁如外皮、而各別也、二物性温能散滯氣、消膈上痰、若明知身受寒邪口食寒物胃脘作上レ疼、方可温散、用之如鼓應一レ桴、或濕痰鬱結成病者亦效、若熱鬱者不用、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈九芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 豆蔲 一名家孽〈典籍便覽〉 竇蔲〈北戸録、音ヲ借リタルナリ、〉 豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000030882.gif 〈同上〉 豆叩〈赤水玄珠〉 草荳仁〈醫學正傳〉 草果一名百子堂〈輟耕録〉
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif ハ草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif ノ略ナリ、草菓草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 各別ナリ、集解ニ時珍形状ヲ別ツハ可ナリ、混ジテ一條トナシ、目録ニモ豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 即草菓ト云者ハ非ナリ、本草蒙筌、本草彙言、本經逢原、本草原始、萬病回春、藥性歌皆二種ニ別ツ、共ニ和産ナシ、草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 多クハ皮ヲ去リ仁バカリ渡ス、稀ニ皮アルモアリ、縮砂ノ氣味ニ似テ香薄シ、草菓ハ形長大ニシテ皮ニ線稜アリ、仁モ亦草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif ヨリ大ニシテ臭氣アリ、增、草豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif 能ク脾氣ヲ行ラシ、滯氣ヲ散ジ、嘔吐ヲ治シ、食ヲ消シ、脾ヲ健ニシ、痛ヲ治ス、凡ソ濕鬱病ヲナス者、コレヲ用テ神効アリ、草菓ハ疫癘瘴瘧ヲ治スルニ効アリ、然ルニ時珍ソノ草菓ニ豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif ノ異名アルヲ以テ、混同シテ一條トス、遂ニ後人草豆蔲ヲ廢シテ、惟草菓ヲ以テ、二物ヲ通用スルニ至ル、宜クコレヲ辨別スベシ、

〔多識編〕

〈二芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 白豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif ( ○○○) 、今案志呂豆久、異名多骨、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈九芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 白豆http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000211487.gif シロヅク 一名宜州樣子〈輟耕録〉 白砂仁〈藥性要略大全〉 殻蔲〈本經逢原〉
白豆仁〈遵生八牋〉 白叩仁〈千金方〉
和産ナシ、舶來唯一種ニシテ僞物ナシ、殻ヲ帶ル牽牛子ノ形ノ如シ、又數多クスヾナリニ成リタル全穗ヲ渡スコト稀ニアリ、コレヲ 鈴樣( スヾデ) ト呼ブ、尋常ノモノハ皆一顆ヅヽハナル、此皮ヲ去レバ縮砂ノ形状ニ同ジ、味モ縮砂ニ近ク、舌ニ透コト甚シ、是味太ダ辛キユヘナリ、氣モ縮砂ヨリ烈シ、

〔多識編〕

〈二芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 縮砂蔤( ○○○) 、今案美加久志、

〔宜禁本草〕

〈乾藥中草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 縮砂 辛温、主瀉痢腹中虚、消宿食氣止休息痢、能起酒香味、治姙女打觸胎動不一レ安、炒末酒下、

〔和漢三才圖會〕

〈九十三芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 縮砂蜜 只云縮砂、砂仁、〈○中略〉
按縮砂、阿蘭陀市舶將來之、東京者爲上、交趾者其扁小爲劣、〈又有茘枝手、粃多而爲下〉、近年碎粒者來、名砂仁最良、
倭縮砂 出於伊豆國、是乃針木之實也、形似桑椹其皮薄而白色、實黑似牽牛子、用之充縮砂者甚非也、既爲草與木之異、故官令禁之、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈九芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 縮砂蔤 ミカクシ〈古名〉 一名風味團頭〈輟耕録〉 賽桂香〈種杏仙方〉 砂仁〈附方、本草蒙筌俗語ナリ、藥肆ニ全キモノヲ縮砂ト云ヒ、バラバラニナリタルモノヲ砂仁ト云フハ誤ナリ、〉
和産ナシ、略シテ縮砂ト云、舶來眞物ナリ、藥肆ニ伊豆縮砂ト呼ブモノハ 山薑( ハナメウガ) ノ實ナリ、用ユベカラズ、舶來ノ縮砂蜜、古渡ハ小ク新渡ハ大ナリ、共ニ皮ニ刺アリ、山薑實ノ皮ニ異ナリ、子モ外黑ク内ハ白シ、香氣モ各別ナリ、廣東新語曰、曰縮砂者言其殻、曰蔤者言其仁、曰縮砂蜜者言其鮮者、曰砂仁者言其乾者也ト、是俗説用ユルニタラズ、

〔多識編〕

〈二芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 益智子( ○○○) 、今案登志志利、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈九芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 益智子 トシゝリ〈古名〉 一名英華庫〈輟耕録〉 益志子〈萬痾必愈〉
和産ナシ、此類皆南方ノ産ナリ、皆舶來ニシテ僞雜無シ、皆殻ヲ連ヌ、ソノ形皮ツキノ縮砂ヨリ痩テ末尖ル、子ハ縮砂ヨリ大ニシテ氣味烈シ、色黑シテ肉白シ、

〔多識編〕

〈二芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 蓽茂( ○○) 、今案阿利加多、異名蓽撥、

〔宜禁本草〕

〈乾藥中草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 蓽撥 辛大温、温中下氣、殺腥氣食、除胃冷陰疝痃癖冷淡嘔逆醋心霍亂、以調食味

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈九芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1077 蓽茂 一名椹聖〈輟耕録〉 蛤蔞〈廣東新語〉
和産ナシ、舶來ノモノ多シ、濶サ二三分、長サ一寸餘、 石菖( セキシヤウ) 蒲ノ穂ノ如ク、又 榛( ハシバミ) 及 赤楊( ハリノキ) ノ花ノ蕾ニ似タリ、細實密ニ綴リ、淡黑褐色、味辛シテ胡椒ノ氣アリ、胡椒ニ換用テ食味ヲタスク、薩州ヨリ出ス ヲ薩摩蓽茂ト云、香味トモニ薄クシテ劣レリ、下品ナリ、今花戸ニ漢種ノ蓽茂ト云モノアリ、三白草ノ夏ニ至テ、葉白クナラザルモノナリ、花實モ三白草ニ異ナラズ、蓽茂ニ非ズ、

〔草木育種〕

〈下藥品〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 防風( ○○) 是は藥に入なり、料理に用るぼうふうとは別なり、防風は享保年中、漢種渡今多し、山畑の野土厚き地に植べし、春種を蒔なり、又舊根を植るには二三月よし、竹にて穴を深くあけさし入て土を柔にすべし、尤畑を冬中に肥置べし、

〔本草辨疑〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 芎藭( ○○)
中古漢ヨリ不渡シテ、甚高直ニシテ一兩價銀一六錢スルコトアリ、庸醫用ルコト不能シテ和ヲ用ユ、其比和芎ヲ捨テ漢芎ヲ貴ブトイヘドモ、易求ニ任テ主能ノ擇ビナク、自然ト使覺テ、今ハ專ラ和芎ヲ貴ンデ漢芎ヲ賤ンズ、本朝ノ俗、諸藥ノ擇ヲ不知、皆藥家ニ任テ求之、故ニ其主能ノ差別ナク、卑キ價ノ高下ヨリ初テ用之コト、誠ニ口惜キ哉、明者可之、諸藥皆如斯ナル故ニ、世ニ誤リ用ルモノ多ク有之、

〔農業全書〕

〈十藥種之類〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 川芎
川芎も良藥なり、古は本朝にはなかりしを、寬永の比、長崎よりたねを傳へ來て、大和にて多く作る、其外諸所に作るは性よからず、

〔和漢三才圖曾〕

〈九十三芳草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 鬱金( ○○) 〈○中略〉
按古者自暹羅多來、故今自廣東及南京福州少來、亦皆稱暹羅鬱金、又自琉球多來、其佳者名御 物( モツ) 、色濃黄色也、故紅帛下染可暹羅、染檰紙等琉球、凡鬱金染黄色、加酸少許良、宜陰乾、如直見日則不鮮、既爲衣後亦不於日色、

〔物類品隲〕

〈三草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1078 延胡索( ○○○) 和産所在ニアルモノ、花葉頗相似タリトイヘドモ、根ノ色白甚小ニシテ不用、漢種上品、享保中種ヲ傳フ、大葉小葉ノ二種アリ、俗牡丹葉延胡索ト云、葉形三叉ニシテ微ク 牡丹葉ニ似タリ、二月紫花ヲ開、 地錦苗( ヤブケマン) 花ニ似タリ、根ノ形半夏ニ類シテ黄色ナリ、

〔和漢三才圖曾〕

〈九十五毒草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 藜蘆( ○○) 〈○中略〉 和名山宇浪良、一云之之乃久比乃木、
本綱、藜蘆山谷處處有、冬凋春生苗、葉似初出椶心、又佀車前草、莖又佀葱白、靑紫色、高五六寸、上有黑皮、裹莖佀椶皮、有花、肉紅色、其根佀馬腸根、長四五寸許、黄白色、鬚三二寸許、二三月采根陰乾、生高山者爲佳、〈○中略〉
按、藜蘆今多植庭園其花、形状全如上説、而根少異耳、性宜陰處、冬亦不凋、葉似車前草而厚、長布地生、三四月抽莖開花、肉紅色、或淡黄、或柿色、或外褐、内白、或外紫内黄、或樺色、或外靑内白者名 吾( ゴ) 須手( スデ) 、或淡紫者名出船、根圓似http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000204608.gif 茈( クロクハイ) 、而中根多如髭、故名 蝦根( エビ子) 、恐此藜蘆也、然自古以万年靑和藜蘆、甚非也、

〔多識編〕

〈二山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 胡黄連( ○○○) 、〈宋開寶〉異名割孤露澤、

〔大和本草〕

〈六藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 胡黄連 黄連ニ似テ大也、黄ナラズ味苦シ、蘆頭モ黄連ニ似タリ、中華ヨリ來ル、此草日本ニアリヤ未詳、 千振( センブリ) トテ秋白花ヲ開キテ、葉細ニ味甚苦キ小草、山野ニアリ、又タウヤクト云、國俗是ヲ好ンデ用之、殺蟲消積、コレヲ胡黄連ト云非ナリ、或曰、倭方ニ胡黄連トカケルハ、皆センブリヲ用ユベシト云、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈八山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 胡黄連
和産ナシ、藥舗ニ舶來アリ、根ノ形チ地黄ニ似テ長サ二三寸、徑リ二三分許、外ハ黄白色ニシテ疙http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000075296.gif アリ、内ハ紫黑色ニシテ五ノ白點アリテ、梅花瓣ノ如ク並ベリ、本草原始ニ、肉黑有白點梅花、外淡黄色ト云フ是ナリ、味苦シ、故ニ古ヨリセンブリ一名トウヤクニ充テ來レドモ誤ナリ、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈十隰草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1079 續斷( ○○) 〈○中略〉
舶來ノ者ハ根皆大ナリ、是南續斷ナリ、其形チ略 薊根( アザミノ) ニ似タルモアリ、故ニ本邦ニテ、薊根ヲトリ テ賣ル者アリ、然レドモ舶來ノ中ニ莖ヲ連ルモノアルヲ見ニ、方ニシテ、對生スル時ハ薊類ニ非ズ、和産詳ナラズ、藥ニ入ルヽニ川續斷ヲ良トス、集解弘景ノ説ニ、桑寄生ヲ俗ニ續斷トスルハ誤ナルコトヲ云フ、獨活寄生湯千金方ニハ寄生ヲ用ユ、古今録驗ニハ續斷ヲ用ユ、即桑寄生ノコトヲ續斷ト書シタルナリ、今人本條ノ續斷ヲ用ユル者ハ非ナリ、

〔物類品隲〕

〈三草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1080 附子( ○○) 其母ハ川烏頭ナリ、天雄、側子、漏藍子皆是ヨリ出ヅ、莖高三四尺、葉草烏頭ニ似テ深綠色ニシテ岐叉少シ、花大抵草烏頭ノゴトク淡紫色ナリ、松岡先生附子ヲトリカブトトシ、培養製法ヲ不知、故不用ト云ハ大ナル誤ナリ、楊天惠附子記、及東璧所説甚明ナリ、考フベシ、此物和産ナシ、漢種希ニアリ、

〔重修本草綱目啓蒙〕

〈八山草〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1080 柴胡〈○中略〉
舶來ニ 銀柴胡( ○○○) ト呼ブアリ、根ノ形肥大ニシテ皮皺バミ黄白色、切レバ内ニ黄紋アリ、コレハ柴胡ニ非ズ、即李時珍根似桔梗沙參、白色而大、市人以僞充銀柴胡、殊無氣味辨ト云モノナリ、而シテ今啞科ニ用テ熱ヲ解ス、炮炙全書ニ、李念莪勞ト疳證トヲ治スルノ説ヲ引ケリ、古方ニ銀柴胡ト云ハ、即銀州銀縣ノ柴胡ニシテ、黑色ノモノヲ指ス、今ノ鎌倉柴胡ナリ、色ノ白キヲ云ニ非ズ、今ノ世ニ色ノ白キ者ヲ以テ銀柴胡ト爲モノハ、乃別ニ一種同名ナルモノニシテ、和産詳ナラズ、又今和俗銀柴胡ト呼モノアリ、別物ニシテ菜類ナリ、

〔皇國名醫傳後編〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1080 古林見宜〈古林見桃〉
古林正温、通稱見宜、〈○中略〉福岡侯〈長政〉遣 西洋藥品( ○○○○) 就訂良否、正温品第之、且告使者曰、近世蠻藥來益多種、人情好奇、爭而趨之、然殊方之物難明實多、千金之子坐不堂、是豈尊人所試乎哉、

〔外交志稿〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1080 九年甲辰〈○正德〉二月、大和ノ人、桂川甫筑命ヲ奉ジテ和蘭貢使ト對話ス、甫筑幼ヨリ平戸ノ醫員嵐山甫安ニ從ヒ、長崎ニ居リ、常ニ蘭館ニ出入シテ、醫術及ビ言語ヲ習フ、十年 己巳、甫筑ニ命ジテ、 西洋藥品( ○○○○) ヲ製煉セシム、〈桂川甫筑墓表〉

製薬

〔尺素往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1081 潤體圓者奇特良藥、神妙驗德、爲最上之由承候之間、和劑方、簡易方、千金方、百一方、直指方、撰奇方、聖財摠録、醫方大成等、各伺考候之處、藥種大略同篇候、仍雖和合之志候、黄牛并白花虵、依之未本望候、蘇合圓、至寶丹、腦麝圓、沈麝園、牛黄圓麝、麝香丸、兎絲子圓、阿伽陀藥、并臘藥等者、當世人々火燧袋之底、面々小藥器之中、必齎持之、以貯爲恥辱候、又瀉藥者感應圓、金露圓、膏藥者太一膏、雲母膏、尤爲重寶云々、妙香圓者、除隺亂之妙藥、鬼哭散者退瘧疾之靈方也、又腫物平愈者、五香連翹湯之故候、

〔撮壤集〕

〈下醫書〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1081 合藥( ○○) 類
蘇 合香圓( カウカウエン) 潤體( シユンタイ) 圓 至寶丹( シホワタン) 靈寶( レイホウ) 丹 續命湯( ソクメイタウ) 羗活( キヤウクワツ) 湯 護命丸( コメイクワン) 正 氣散( キサン) 嘉禾( カクワ) 散 養( ヤウ) 脾湯 詵々( シン〳〵) 湯 理( リ) 中圓 建( ケン) 中湯 神 稜( リヤウ) 丹 治蟲( チチウ) 圓 排( ハイ) 風湯 香蘇( カウソ) 散 聖( シヤウ) 散子 靑蒿( セイカウ) 丸 麝香( シヤカウ) 丸 沈香( チンカウ) 圓 地仙丹 肥( と) 兒圓 惺々( シヤウ〳〵) 散 玄兎( ケント) 丹 三黄( カウ) 圓 金露( キンロ) 圓 温白( ヲンハク) 丹 竹石湯 益湯六一湯 集香( シツキヤウ) 湯 平胃散 勝紅( セウコウ) 圓 妙香圓 十 補( フ) 湯 七 炁( キ) 湯 腦麝( ナウシヤ) 圓 透頂香 五 膈( カク) 散五噎散 解毒( ゲトク) 圓 三稜丸 白伏散 阿伽侘( アカタ) 圓 人參順氣散 烏藥順 炁( キ) 散 八寶回春湯 西州續命湯 順氣木香湯 十全大補湯 五香連 翹( キヨウ) 湯 七味連翹湯 人參 黄耆( ワウキ) 散 人參養 榮( エイ) 湯 錢氏( センシ) 白朮散 無比山藥圓 五 疳保童( カンホウトウ) 圓 蓍婆( キハ) 萬病圓 莵絲( トシ) 子圓 大全 飮( イン) 子 地黄煎丸三五七散 訶梨勒丸 十膈氣散 鶯粟( ワウソク) 湯〈一作罌〉

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1081 臈月卸藥
犀角丸六劑、芍藥丸三劑、温白丸四劑、千瘡萬病膏一劑、升麻膏二劑、耆婆膏一劑、調仲丸一劑、芒消黑丸一劑、鼓丸一劑、供藥漆案四脚、小韓櫃四合、中取案四脚、〈並漆塗、收寮家、〉所須犀角一斤三兩二分、甘草七兩二分、巴豆十一兩一分三銖、桂心四兩、薫陸香一兩二分、楓香一兩二分、蜜小二斗五升七合、〈已上並受内藏寮〉 升麻十兩二分、黄芩一斤五兩、當歸七兩、防風六兩、麻黄六兩、人參八兩、 黄蓍( ヤハラクヒ) 六兩、 支子( クチナシ) 人九兩、干藍六兩、 防葵( アヲツヽラ) 四兩、 黄連( カクマクサ) 十兩、芍藥九兩三分、 葶藶子( ハマタカナ) 九兩、 杏仁( カラモヽノサネ) 十二兩、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000031383.gif 胡( ノセリ) 八兩、 大黄( オホシ) 二斤十五兩二分、烏頭十兩、 紫菀( ノシ) 二兩、 呉茱萸( カラハシカミ) 二兩、 昌蒲( アヤメクサ) 二兩、厚朴二兩、桔梗二兩、 皂莢( カハラフチ) 二兩、 伏苓( マツホト) 六兩、干薑二兩、蜀椒三兩、 前胡( コマセリ)二兩、 麻子( アサノミ) 六兩、 龍骨( タツノホネ) 一兩二分、鼈甲( カハカメ) 四兩、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000200863.gif 虫( アクタムシ) 六十枚、 枳實( カラタチ) 八兩、細辛三兩、芒硝一斤二兩、 栝樓根( カラスウリ) 一兩、 龍膽( エヤミクサ) 一兩、 苦( クラ) 參一兩、 豉( クキ) 六兩二分、大戟二兩、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000030848.gif 草( シキミ) 一兩、 芎藭( ヲムナカツラ) 一兩、獨活一兩、虵http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000067624.gif 七兩、附子一兩、生地黄五兩、薤白廿莖、 白http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000032489.gif ( ヤマカヽミ) 六兩二分、 漏蘆( クロクサ) 四兩、連翹四兩、 蒴藋( ツチヒトカタ) 八兩、 松脂( マツヤニ) 一兩二分、白薇二兩二分、靑木香三兩、〈已上自寮庫之〉猪膏一斤十兩三分、酒酢各五升、油絁二丈、絁一丈、紗二丈、綿一斤、調布三丈、安藝木綿大四兩、紙卌張、陶椀三合、壺三合、盤三口、莒坏十合、洗盤三口、叩盆二口、麻笥盤二口、水麻笥二口、杓二二柄、大笥二合、匏一柄、折櫃二合、炭二石五斗、砥一顆、長席四枚、長薦四枚、〈通用中宮并雜給藥〉右與元日御藥共造備、晦日奏進、其用途雜物、同在元日料内、但件御藥八日更受送於八省御齋會所、十四日返貢、〈○中略〉
遣諸蕃使 唐使十一種
犀角丸、大戟丸各四劑、七氣丸、八味理仲丸、百毒散、度嶂散各十二劑、伏苓散十六劑、神明膏六劑、萬病膏、升麻膏各八劑、黄良膏四劑、所須藥種、各依本方、其用度雜物、篩六口料絹一丈二尺、裏油絁一丈三尺六寸五分、紙九十八張、木綿二斤十四兩、酢七斗七升、調布一端四尺、拭臼布二丈、陶壺廿三口、炭七斛九升、

〔雍州府志〕

〈六土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1082 山城國平安城、八百年來不易之帝都、而繁華之地也、故至醫師之良其人、故緖家有救急之成藥、今擧其大概
龍腦丸〈○中略〉 曾和泉國界和氣氏、有半井春蘭軒者、〈○中略〉一旦入中華、從熊宗立而學醫、歸朝時傳龍腦丸方、〈○中略〉
快氣散并柰調散 堂上山科家之所調合
保童圓 堂上富小路家製之、豐心丹亦然、
屠蘇白散并度嶂散 丹波氏祖康賴、出後漢靈帝末、〈○中略〉至其末裔醫術日々衰、纔領三十石之祿、是為屠蘇料、毎年臘月晦日製屠蘇白散并度嶂散、獻禁裏院中、且棒官家而已也、舊記屠蘇之屠字加一點http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000007761.gif 、忌尸之字而加點者乎、是本朝之故實也、近世醫家曲直瀨道三傳丹家之術而大興家、延齡丹〈○中略〉 天文年中、洛陽有曲直瀨道三者、〈○中略〉門人玄朔爲婿傳醫術、玄朔相續仕公方家延壽院、自製延齡丹而救人、玄朔之末裔、代々少年日暫束髮與半井家之嫡子交爲典藥頭、遂稱和丹兩家、今世業醫術者多出斯兩家之門
蘇香圓( ○○○) 〈○中略〉 號士佛、以士字從十從一レ一、而亞十佛之謂也、其末裔連綿而仕公方家、曾製蘇香合圓家、救人之急、〈○中略〉
豐心丹( ○○○) 傳言、興正菩薩叡尊、住南都西大寺、於http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000066621.gif諸人之疾苦、製斯藥以傳于世、故世稱西大寺藥、今省藥字、專謂西大寺、〈○下略〉

〔本朝醫談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1083 奇應丸( ○○○) は、永正の頃、東大寺の太鼓破れて張かへんとて見れば、ふるき皮のうらに藥方書付てあり、製して用るに、奇應ありければ、依て名づくと、雙桂集に見えたり、 返魂丹( ○○○) は、儒門事親方妙功十一丸の變方也、 金屑丸( ○○○) は、局方金液丹の變方なり、 安神散( ○○○) は、導道師の製にて、妙香散の變方なり、 延齡丹( ○○○) は、蘇合香圓の變方なりといふ説非なり、蘇合香圓本名吃力伽丸とて、木を用ひ、安息蘇合犀角等あり、元來梵醫の鬼病を治する藥なり、延齡丹はそれらの品なく、咽喉を利し、呼吸を通ずるを主とす、順氣の藥にして、導道師一溪翁授受相傳の方なりと、預藥集に見えたり、夫咽喉は、氣の路なり、氣は生の本なり、呼吸通順なれば、目明にして、耳きこえ、四肢百骸五臟六腑皆ととのふ、呼吸の本を知るものは、道心人心君火相火を語るべし、

〔塵塚談〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 氣付( ○○) といふ 藥( ○) の事、延享寬延寶曆の比迄は、卒倒或は垂死の時は、延齡丹を用ゆ、寶曆の末より熊膽を專用とし、延齡丹も用ゆ、寬政以來目藥の沃雪を用ゆ、熊膽をも用る事となれり、人身に古今の差別なければ、療病に今昔のひとしからざるべきはずはなし、醫道も時勢により定らざるは、疑ふべき事なり、又、紫圓、備急圓、澹痰丸、石膏、附子の類は、寬延寶曆の比迄は、恐れてむざと用ひざりし藥也、庸醫には法銘をも知らざりしもありしに、近比は、右の攻擊の藥を、庸醫までも、陳皮甘草などを遣ふごとく用ふる事となれり、

〔靑囊瑣探〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 上總州 舌疳藥( ○○○)
余童年在藍溪先生塾中時、竊思吾長而爲人治疾、小恙則嵌甲、鵞眼、黑痣、雞眼子等、大患則傷寒、脚氣、痢疾之類、莫論而已、其他至于癩疾、癲癇、鼓脹、偏枯、勞瘵、肺癰、舌疳、乳癌等之古今所治者、亦欲奇方妙藥以盡治上レ之、是以求諸百家醫籍、或問諸友朋、後游城攝、探名家秘方之、今旦二十餘年、經驗不枚擧也、然至于鼓脹、偏枯、勞瘵、肺癰、乳癌、舌疳、〈邦俗呼曰舌疽〉則取効僅々無幾、常以此爲憾焉、嗚呼此數證素係癈疾者歟、曩橋本四郞左者、抱一レ病與吉田道見俱自上總州九十九里來、就余求治、渠云、隣邨有一老醫、妙起舌疳、然秘惜其方、不敢傳一レ人、余頃請二子重利其方、未我手中、〈近吉田道見得此方來傳之、因録後卷、宜〉〈以參看、〉

〔天保集成絲綸録〕

〈八十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1084 寬政七卯年八月
町奉行〈江〉
銀拾枚 〈町醫師〉松本良甫
右先逹而 藥法呈上( ○○○○) 候ニ付被下候間、其段可申渡候、被下銀は、御納戸頭相談可請取候、
寬政九巳年四月
町奉行〈江〉
銀拾枚 〈町醫師〉佐藤元庵
右 家傳之藥方( ○○○○○) 、多紀永壽院〈江〉傳逹候ニ付被下候間、其段可申渡候、被下銀は、御納戸頭相談可受取候、

丹藥

〔倭名類聚抄〕

〈十二藥名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 丹藥 大唐延年經云、九微丹、〈一名七耀丹、一名流珠丹、一名延年丹、一名寶珠丹、一名歸命丹、一名玄霜丹、一名http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000027520.gif 雪丹、一名無忘丹、一名寶花丹、〉紫靈丹〈一名長生丹、一名反魂丹、一名耀月丹、一名神仙丹、一名太一丹、一名太昜丹、一名濟神丹、〉 招魂丹〈一名金生丹、一名大陽丹、一名倒景丹、一名上景丹、〉 四神丹〈一名神變丹、一名重耀丹、一名重玄丹、一名流雪丹、一名延壽丹、一名控鶴丹、一名神濱丹、〉 三景丹〈一名飛雪丹、一名忘憂丹、一名練神丹、一名赤耀丹、一名紫微丹、〉 太一三使丹〈一名捧香丹、一名持節丹、一名雲奔丹、一名太一丹、一名上仙丹、一名太一力神丹、〉 五靈丹〈一名昇霞丹、一名雲花丹、一名九華丹、一名力變丹、一名九光丹、〉 八石丹〈一名麗日丹、一名素日丹、一名度厄丹、一名八景丹、一名四時丹、一名飛陽生仙丹、〉 金膏丹〈一名昇仙丹、一名朝霞丹、一名http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000027520.gif 綾丹、一名冲虚丹、一名玄塵丹、〉 金液丹〈一名玉液丹、一名靈花丹、一名靈景丹、一名神化丹、一名玄塵丹、一名不老不死丹、〉王粉丹〈一名金英丹〉 紫遊丹〈一名歩空丹、一名凌虚丹、一名輕擧丹、一名華景丹、一名同人丹、一名披雲見日丹、〉玄黄丹〈一名黄花丹、一名散華丹、一名紅景丹、一名春苑丹、〉 流珠丹〈一名雄黄丹、一名赤流珠丹、一名紅紫相間丹、一名太一中黄丹、一名太一虚丹、〉 紫雪丹〈一名歩虚丹、一名紫房丹、一名紫陰丹、〉凝階積雪丹〈一名琉珠白雪丹、一名玄珠http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000027520.gif 雪丹、一名飛化神美丹、一名朝霞散粉丹、〉 白雪丹〈一名廻雪丹〉

〔續日本後紀〕

〈二十仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 嘉祥三年三月癸卯、帝叡哲聰明、苞綜衆藝、〈○中略〉留意醫術盡諳方經、當時名醫不敢抗論、帝嘗縱容謂侍臣曰、朕年甫七齡得腹結病也、八歳得臍下絞痛之痾、尋患頭風、加元服、後三年始得胸病、其病之爲體也、初似心痛、稍如錐刺、終以增長如刀割、於是服七氣丸紫苑生薑等湯初如効、而後雖重劑曾効驗、冷然聖皇〈○嵯峨〉憂之、勅曰、予昔亦得此病、衆方不効、欲 金液丹( ○○○) 并白石英、衆醫禁之不許、予猶強服遂得疾愈、今聞患、非草藥之可一レ治、可金液丹、若詢諸俗醫等、必駮論不肯、宜海淡海子細論問、隨其言説上レ之、虔奉勅旨玆丹藥、果得効驗、兼爲救解、古發設自治之法、世絶良醫、倉卒之變可畏故也、今至晩節、熱發多變、救解有煩、世人未朕躬之本病上皇之勅旨、必謂、妄服丹藥、兼施自治而敗焉、宜由來上レ此謗、恭遵詔旨、記而載之、

〔大和名所圖會〕

〈三添下郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1085 西大寺〈○中略〉
豐心丹( ○○○) 〈坊中にこと〴〵くあり、道宣律師もろこしより、豐心丹の方を傳へ來られしとぞ、一説に、畠山の何がし、唐土より方を求め、秘方とせられしが、西大寺の大衆軍場に心のはたらきあり、此賞として、豐心丹の方に、三百石をそへて寄附せられしと也、畠山の記録に見へたり、〉

膏藥

〔倭名類聚抄〕

〈十二藥名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 膏藥 諸家方云、千瘡膏〈一名病膏〉澤蘭膏〈生髮令長〉枕中膏 升麻膏〈治http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000203754.gif 〉水銀膏 賊風膏犀角膏 白芷膏 生髮膏 蓮子膏 五黄膏〈治諸熱瘡〉耆波膏〈治一切風毒〉丹參膏〈令産〉胡粉毫〈治蝸瘡〉烏犀膏〈治一切瘡〉雄黄膏〈治痛瘡〉附子膏〈治白電〉藍漆膏〈治疥瘡〉商陸膏〈治水瘡〉長髮膏〈治落髮〉麝香膏〈治惡瘡〉芎藭膏〈治丁腫〉木蘭膏〈治http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000022916.gif〉當歸膏 射干膏〈治喉痺〉黄芩膏 大黄膏、〈治熱瘡〉消石膏〈治惡瘡〉甘草膏〈治小兒惡瘡〉松脂膏〈治惡瘡〉五味膏〈治頭白禿〉麻子膏〈治燒爛〉槐皮膏〈治http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000022223.gif

〔下學集〕

〈下器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 羊蹄膏( ヨウテイカウ) 膏藥( カウヤク) 竺傳膏( チクテンカウ) 〈此膏藥方者、 自天竺傳來( ○○○○○) 、故云爾、〉

〔雍州府志〕

〈六土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 膏藥 凡本朝外科有兩流、一本朝所傳來也、一傳西洋耶蘇治療之法、治癰瘍并金瘡、是謂南蠻流、今以斯傳良、太乙膏、萬應膏、楊柳膏等所々賣之、

丸藥

〔倭名類聚抄〕

〈十二藥名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1086 丸藥 諸家方云、七氣丸〈治七氣病、七氣者、寒熱氣之類、其狀各異、〉决明丸〈治目不一レ明〉理中丸〈治霍亂下痢〉乾薑丸烏梅丸〈治丁腫下痢〉當歸丸 犀角丸 七疝丸〈治七疝病〉備急丸 消飮丸〈治五病飮者、皆飮水過度所成病也、〉紫菀丸 芒消丸〈治水腫小便不一レ利〉前胡丸 雞距丸〈如雞距而附目眦〉胡椒丸〈治胸中冷氣〉桃人丸〈治月水不一レ通〉黄耆丸〈治虚勞小便不一レ利〉伏芩丸〈治心昏多忘〉黄連丸〈治赤目〉大黄丸 杏人丸〈令耳目聰明〉二車丸〈此藥載車常隨之後以名之〉昌蒲丸〈治耳聾〉定志丸〈治人志不一レ定〉鎭心丸〈治狂心〉不胃丸〈治腹中百病〉四神丸〈治萬病魏文帝後傳武帝〉九虫丸〈治腹中九虫虫各有名〉人參丸 龍骨丸〈治長血〉駐車丸〈治下痢〉厚朴丸〈治暴下痢〉牽馬丸〈病家常牽馬買之故以名之〉防風丸 升麻丸〈治咽喉腫〉橘皮丸〈治口中爛瘡〉通明丸 甘草丸 葛椒丸 千金丸大棗丸 礬石丸 麝香丸 亭歴丸 消脹丸〈治脚氣腹滿不飮食〉昆布丸〈治瘻癭〉桓山丸〈治瘧日發〉支子丸〈治小兒下痢〉棄醫丸〈一邑有此藥醫故以名之〉槐子丸〈治http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000022170.gif一レ止〉桂子丸〈治痎嗽〉桑皮丸 玉壺丸〈治痎病〉松脂丸〈治二十年耳聾〉十水丸〈治十水病〉平内丸〈治心腹滿〉露宿丸〈服之耐寒熱露宿霞覆故以名之〉白解丸〈治萬病〉雄黄丸〈治癲病〉細辛丸〈治百節疼痛〉朴消丸〈治復中溝〉胡麻丸〈補五内傷氣力〉遠志丸 腎氣丸〈治腎氣不滿足〉温泉丸〈治一切病〉殺氣丸〈尺囊懸家四角、又朔望夜半於庭中之則殺鬼、〉入軍丸〈可五兵虎狼〉萬物丸 〈一名天竺丸一名神仙丸〉度世丸〈王子喬服之三年飛行〉

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087陰陽効驗
吉備大臣私敎類聚云、可醫方事、右 丸料藥( ○○○) 者、杏人〈去心皮之〉亭歴子〈熬〉芒消〈熬合白〉大黄、〈先擣細篩〉蜀椒〈汗〉遠心〈去心皮〉桂心、〈去皮〉甘草、〈炙〉巴豆、〈去心皮之〉烏頭附子、〈並炮〉鹿茸、〈炙〉

〔日本風土記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 醫用〈○中略〉
藥丸〈 買六( マル) 藥〉

〔基熙公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 延寶六年八月二日庚午、入夜無憚罷出、令參妙藥方、爲後代之、
奇應丸( ○○○)
人參一兩 沈香一兩 麝香六分 熊膽一匁五分 金薄十五枚
右細末シテ、熊膽水ニテトキ、總藥ヲ入レ丸ス、此大キサニ金薄ヲ衣ニス、
此藥効 一瘧 一大霍亂〈但腹痛甚時別用之〉 一産後チノミチ 先大槪是等也

散藥

〔倭名類聚抄〕

〈十二藥名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 散藥 諸家方云、神仙散、 飛雪散 菊花散 人參散 日月散 四時散 署預散 防風散〈治遍身風腫〉干薑散 決明散〈治目不一レ明〉昌蒲散 蜀椒散 帶齒散〈如核裹綿帶齒疼上云云〉熨火散〈以綿裹之、令燒以慰〉〈背痛處、〉木蘭散 桂心散 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000217814.gif 莢散 細辛散 寒食散〈服之寒飮寒臥故以名之〉龍骨散 浮石散〈治咳嗽〉小豆散〈治赤病〉慈石散 挑膿散〈治膿不一レ止〉惡内散 商陸散〈治白疾〉雞舌散〈治胡臰〉牛http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000035116.gif 散 赤耳散 蒲黄散〈治下血〉豆醬散敗醬散〈治陰中瘡〉伏芩散 壁土散〈治肝門出〉消石散〈治大小便不一レ通〉鉛丹散〈治陽病〉五痔散〈治五痔〉定志散 鹿角散〈治陰不一レ起〉胡麻散〈治腰脚疼〉麻子散 枸杞散〈益氣延年令人不一レ老〉聰明散 別離散〈治男夢見女女夢見御所悲愁喜怒〉十精散 益多散 委雞散
禿雞散 七類散 柏葉散

〔多聞院日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1087 天文十三年八月四日、新造屋發心院御參籠之間、よひの間參語申御物語申、 平胃散( ○○○)は、最上ノ妙藥ナル由、向井殿被申間、我本三凌など加テ呑候由申ス時給候、此ノ藥ハ、日本ノ方也、 興性菩薩ノ、醫師ニ談合シテ、不辨ノ客僧ナド朝腹ニテ乞食ニ出ル時、風ヲ不引飮食ヲ能クスヽメ氣力虫等ニ可然タヤスキ藥何カアルベキト被仰付、此藥可然旨依異見申スニ、世ニ流布云々、

〔本朝醫談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088 老談一言記、加藤淸正の醫師いひし事あり、高麗陣の時に、水土にも習はず、 正氣散( ○○○) の方劑しかるべしとて、其料を用意して渡りしが、按の如く、皆々煩ふ事ありしかば、不換金正氣散を服せしむるに、其驗なし、かの醫試に與ふべき藥ありとて、一人に先づ藥を與ふるに、立處に驗あり、玆に於て其佗の者どもに與ふるに、こと〴〵く功あり、其方を問に 香蘇散( ○○○) なり、其故を問に、陣中にて氣鬱を兼たる故なりといふ、それより他の大將の家中も、皆香蘇散にて病いやせる事を得たりと見ゆ、太平の世といへども、時を踰る旅行はある事なれば、此心得あるべきなり、本藥を外感に用ふる事、知ざる醫なし、食傷にもよきなれば、〈○中略〉諸病に加減して用ふるなり、

湯藥

〔倭名類聚抄〕

〈十二藥名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088 湯藥 諸家方云、皇子湯〈一名王子湯、治下痢欲一レ死、〉小豆湯 白石湯 大黄湯 破棺湯〈服之破棺蘇生二皮湯〈用桃李梓三樹皮〉石榴湯〈治痢〉杏人湯 犀角湯〈治脚病腫〉鯉魚湯 五香湯〈治丁腫〉葵根湯〈治渴〉大豆湯〈一云大豆紫、治産後〉〈中風、〉走馬湯〈治下痢走馬〉大棗湯〈治吐血〉厚外湯〈治霍亂〉理中湯 麻黄湯 梁米湯 竹皮湯〈治衄血〉離瘧湯〈治瘧未發之前〉〈服之即離、故以名之、〉桂心湯 龍骨湯 靑龍湯 玄龍湯 白虎湯 伏芩湯 麻子湯 生薑湯 當歸湯甘草湯 瞿麥湯〈治胞衣不一レ出〉救明湯〈治上氣欲一レ死〉遠命湯 還魂湯〈全死口噤者服之亡生〉九盞湯〈煮藥之間加九盞水之、故以名之、〉馬道湯〈治下血〉三沸湯 五木湯〈煮槐柳桃桑穀五木、治脚氣、〉

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088陰陽効驗
湯料藥( ○○○) 者、大黄http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000079457.gif 咀以淸少水、經一宿而令其水、然後諸藥所煮過半、復加大黄、但芒消煮了之後加而硏耳、如是之類可其理、但不業也、

煎藥

〔倭名類聚抄〕

〈十二藥名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1088 煎藥 考聲切韻云、煎、〈煎http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000050835.gif 一音箭〉煮藥汁稠也、諸家方云、枸杞煎、骨塡煎 蘇密煎生薑煎 地黄煎 茱萸煎〈治胃中〉杏人煎〈治聲不一レ出〉百部煎〈治咳嗽〉厚朴煎

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 地黄煎( ○○○) 料
生地黄廿石、〈十石和泉、十石藥園、〉絹一疋二尺、漉煎絁六尺、壺http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000008808.gif 絁六條、〈別長一尺、廣九寸、〉椀一合、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000008808.gif 絁一條、〈長一尺、廣九寸、〉 釜( カナヘ) 口http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000008808.gif 綿一屯半、絞地黄調布二端四丈、綿三屯、商布一段、由加http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000008808.gif 調布三條、〈別長四尺、二幅、〉轆轤綱熟麻廿斤、〈隨損請受〉調布潔褠五條、〈別六尺〉襅五條、〈別六尺〉手巾一條、〈長五尺〉燈油六升、酌煎匏三柄、 沫籮( アハシタカ) 二口、納汁由加六合、盛煎陶壺十六合、〈受大五升已上〉受絞汁叩盆六口、盛樣煎陶椀一合、〈加盤〉麻笥三口、杓三柄、紙十六張、〈覆壺口料〉結固壺口木綿大一斤、薪二千四百巾、炭廿石、官人三人、侍醫四人、〈已上官人、臨時增減、〉史生二人、潔衣各絁一疋、綿二屯、藥生十人、駕輿丁二人、各調布二丈七尺、〈衣二丈、袴七尺、〉
右件雜物、九月一日申省請受、但地黄有多少、所須料隨亦增減、其造煎之間、限十六日酒食、〈○中略〉凡合藥所須麴料、小麥一石、〈御藥寮二斗、雜給料八斗、〉蒸乾黄芩五十斤料、糯米七斗、每年申省請受、〈○中略〉造儲御藥料胡麻二石〈練料〉豉一斗、〈造雜藥料〉粟二斗、〈煮湯料〉鹽三斗、〈湯并熨料〉調布帳一條、〈長七尺、三幅〉明櫃一合、臼一口、〈加杵〉薪七百廿斤、
右鹽已上、每年十二月中旬申省、但帳并明櫃臼等並隨損請受、

〔三代實録〕

〈四淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 貞觀二年十二月二十九日甲戌、從五位下行内藥正大神朝臣庸主卒、〈○中略〉庸主性好戯謔、最爲滑稽、與人言談必以對事、嘗出禁中 地黄煎( ○○○) 之處、途逢友人、問云、向何處去、庸主答云、奉天皇命、向地黄處、此其類也、然處治多効人皆要引、療病之工、廣泉沒後、庸主繼塵、太收聲價焉、

〔菅家文草〕

〈三詩〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089良藥倉主簿
霜白老、分寄 地黄煎( ○○○) 、若和盃中物、當飮酒仙

〔本朝世事談綺〕

〈一飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1089 地黄煎
古へ、堂上より、醫家に命じて、地黄煎を製せしむ、其法、穀芽末粉に、地黄の汁を合せ、これを煉て用 ゆ、腸胃を潤し、氣血を益すの良糕なり、今は地黄の汁を用ひずといへども、此名を以す、京稻荷前にて專製之、江戸にては下り飴と稱す、

雜藥

〔扶桑略記〕

〈二十二宇多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 仁和五年八月己巳日、又相撲事、從栢原天皇〈○桓武〉御代今、代々天皇皆盡好之、貞觀以後寂然無音、今聖主不之、亦不樂乎、朕本自筋力微弱、而無敵者、今亂國之主而莫日致愚慮、每念萬機、寢膳不安、爾來玉莖不發、只如老人、依精神疲極、當此事也、左丞相答云、有 露蜂( ○○) 者、命宗繼調進、其後依彼詞之、其驗眞可言也、

〔雍州府志〕

〈六土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 齒牙藥〈○中略〉 又一種有 御坊藥( ○○○) 、凡本朝京師邊有五三昧、主土葬及火葬之者、是稱御坊、此事始僧徒勤之、倭俗僧謂御坊、近世僧徒使葬場之土人爲一レ之、故今雖束髮人又稱御坊、傳言、此人有新死之者、則尋其病、若有積聚癥瘕入火不燒者、竊取其不燒之癖塊、再燒爲霜、授其有病者、 是從治之法乎( ○○○○○○)、凡御坊之於治療也、多此類乎、今專稱御坊藥師、〈又謂御坊藥

〔昔物語〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 一昔( 延寶天和) 六七十年以前、 みいら( ○○○) といふ藥大きにはやり、歴々衆大名も呑む、下々も呑、癪氣痞に能く虚性を補ひ、脾腎を調へ、氣力を強くし、食傷其外諸病に能とて呑ざる人なし、方々の藥種屋にて賣、赤坂みいらとて、赤坂に大坂屋と云生藥屋、下直に賣、皆調て呑ける、代は長崎屋抔にて廿双三十双抔に賣、十五双計のも有、赤坂みいらは五双三双に賣る、何か藥種二三種に松脂にて煉たる樣なる藥なり、病氣にはきかず、又あたりもせず、何の益なき藥なり、七八年殊の外はやりて、段々止し、

藥性

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 藥性

〔政事要略〕

〈七十糺彈雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1090 新修本草〈第一〉云、 藥有君臣佐使( ○○○○○○) 、以相宣攝合和者、宜一君二臣五佐、又可一君三臣九佐、本説如此、 今案猶如令制、若多君少臣多臣少佐、則氣力不同故也、而撿仙俗諸方、亦不必皆爾、養命之藥則多君、養性之藥則多臣、療病之藥則多佐、猶依本性所一レ主、而兼復斟酌、詳用此者、益 當善、又恐上品君臣中復各有貴賤、譬如列國諸侯並難稱制、而猶歸宗周臣佐之中亦當此、所以門冬遠志別有君臣、甘草國老、大黄將軍明其優劣、不皆同一レ秩、自農岐之徒敢詮正正、應略輕重其分處也、

〔神農本草經〕

〈序録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1091 上藥( ○○) 一百二十種、 爲君( ○○) 、主命以應天、無毒、多服久服不人、欲身益氣不老延年者、本上經、 中藥( ○○) 一百二十種、 爲臣( ○○) 、主性以應人、無毒有毒、斟酌其宜、欲病補虚羸者、本中經
下藥( ○○) 一百二十五種、 爲佐使( ○○○) 、主治病以應地、多毒、不久服、欲寒熱邪氣積聚上レ疾者、本下經、藥有君臣佐使、以相宣攝合和、宜一君二臣五佐、又可一君三臣九佐、 藥有陰陽配合、子母兄
、根莖華實、草石骨肉、有單行者、有相須者、有相使者、有相畏者、有相惡者、有相反者、有相殺者、凡此七情、合和視之當用、相須相使者良、勿相惡相反者、若有毒宜制、可相畏相殺者、不爾勿合用也、
藥有酸鹹甘苦辛五味、又有寒熱温凉四氣、及有毒無毒、陰乾暴乾、採治時月、生熟土地所出、眞僞陳新、並各有法、 藥有丸者、宜散者、宜水煎者、宜酒漬者、宜膏煎、亦有一物兼宜者、亦有湯酒、並隨藥性違越、〈○中略〉 治寒以熱藥、治熱以寒藥、飮食不消、以吐下藥、鬼注蟲毒、以毒藥、癰腫瘡瘤、以瘡藥http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000017992.gifhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000017992.gif、各隨其所一レ宜、

〔萬安方〕

〈五十五諸論説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1091君臣藥〈○中略〉
藥性論、乃以衆藥之和厚者定爲君、其次爲臣爲佐、有毒者多爲使、此謬論也、今則設若欲堅積、則巴豆輩豈得君也、

〔道三切紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1091 四證四治劑味多寡〈○中略〉
一藥味多寡之分別
明察 藥性( ○○) 之緩急、而後辨病證變異、則用藥材、或多或寡、 多味則自八九種十味、漸及十餘種、寡味、則自二三味六七種、 制方之法、當流不東垣二十餘味之類、言未藥性微旨、而用藥多 味、則雜亂之患生而已、深意尚在口傳矣、
時元龜二辛未年季秋中澣
洛下 雖知苦戸 盍靜叟 道三

〔道三切紙鈔〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 藥味多寡之分別一トハ二通メノ故也、總ジテ急病ノ食積、傷寒ナドハ、藥味寡ク使ゾ、多ケレバナレドモ、性ガ緩カニナル也、單行藥方ナルハ、能偏ニキク也、所詮此切紙ハ、藥味ヲ寡クセヨト曰心也、緩トハ、芍芩ノ類也、急トハ、肉圭、附子、烏豆、巴豆之類也、材ハ、劑ハコシラヘタ藥、此材ノミ木ノ材也、未製ノ藥也、制ハ與製同ジ、コシラヘヤウ也、微肯ハ深遠幽ミノ也、患ハ病ミガ也、東垣ハ能藥性ヲ明メタ以來ノ人、不明藥性ノ多味ヲ好ムベカラズ、東垣ハ内傷ヲ專ニシタ故ニ、脾胃ヲ和センタメニ、多味ヲシタゾ、今モ其心持アラバ、東垣ニシタガフベキゾ、在口傳トハ、是モ又多ク使コトアリ、遠國ナドカラ、一書デ取ニ來ルハ、チャッ〳〵ト加減ナラヌ故ニ、多味ニシテ、偏ニナキヤウニシテ遣故也、

調劑

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 醫疾令云、典藥寮、每歳量合傷寒、時氣、瘧、利、傷中、金創、諸雜藥以擬療治、〈謂合者、和合雜藥也、傷寒者冬傷於寒即病者也、時氣者時行之病、春時應暖而反寒、夏時應熱而反冷、秋時應凉而反熱、冬時應寒而反温、非其時其氣、是以一歳之中、病无長少率相似者、此則時行之氣、一名疫癘、言陰陽之氣不和致其病、譬如人、故曰疫癘也、瘧者夏日傷日者、秋必病瘧也、利者下痢之病也、傷中者、府藏有病者也、金創者、爲刃所一レ傷、〉諸國准此、

〔周禮註疏〕

〈一天官〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 食醫、中士二人、註、食有齊藥( ○○○) 之類、疏〈食醫、釋曰、案其職云、春多酸、夏多苦之等、皆須和與一レ藥、故同鄭云、食有齊藥之類、故在醫官之内也、〉

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 凡合藥所須麴料小麥一石、〈御藥料二斗、雜給料八斗、〉蒸乾黄芩五十斤料糯米七斗、每年申省請受、

〔醫心方〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1092 合藥料理法( ○○○○○) 第六
千金方云、凡搗藥法、燒香洒掃潔淨、勿雜語、當使童子搗一レ之務令細熟、杵數可千萬過多爲佳、和合已訖、置於佛前案上、啓告十方三寶藥王藥尚耆婆菩薩愈附扁鵲、一心求請、哭願具述本心、即有神助、 八方生氣充溢四體、當以四時王相日造所求皆得攘災滅惡病者得差死者更生、 凡合腎氣、署預、及諸大五蟲、大麝香丸、金牙散、大酒煎膏等、合時、勿婦女小兒産婦喪孝固疾六根不具之人、及雞犬六畜等見一レ之、凶其續命、麻黄、大黄等、諸小湯、不禁限、比來、田野下里家、因市得藥、隨便市上雇人搗合、非止衆見、諸不法、至於石解等諸難搗之藥、費人功力作者悉盜棄之、又爲塵埃穢氣皆入藥中、羅篩漉惡、隨風飄揚、衆口嘗之、衆鼻嗅之、藥之精氣、一切都盡與朽木殊、又復服餌不法、服盡之後反加虚損、遂謗醫者處方不一レ効、夫如此者、非醫之咎、宜思之、 凡百藥皆不數々曬曝、多見風日、氣力即薄歇無用、宜知之、諸藥末即用者、候天晴時、烈日一日曝之、今火干以新瓦瓮之、泥頭密封、須用開取、即急封之、勿風、雖年亦如新也、其丸散、以瓷器貯、蠟封之勿泄、則卅年不壞、諸杏人及子等藥凡器貯、則鼠不之、 凡貯藥法皆去地四尺、則土濕之氣不之、凡藥冶擇、熬炮訖、然後秤之、以依方、不生秤

〔唐六典〕

〈十四太常寺〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 太醫署
凡藥有陰陽配合、子母兄弟、根葉花實草石骨肉之異、及有毒無毒陰乾曝乾、採造時月、皆分別焉、凡藥八百五十、種三百六十、神農本經一百八十二、名醫別録一百一十四、新修本草新附一百九十四、有名無用、
皆辨其所出州土、每歳貯納擇其良者而進焉、

〔萬安方〕

〈五十五諸論説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1093 湯散圓( ○○○)
湯、散、圓、各有宜、古方用湯最多、用圓散者殊少、煎散古方無用者、唯近世人爲之、大體欲五臟四肢者、莫湯、欲膈胃中者莫散、久向後散者莫圓、又無毒者宜湯、小毒者宜散、大毒者須圓、又欲速用湯、稍緩用散、甚緩者用圓、此大槩也、近世用湯者全少、應湯者全用煮散、大率湯劑氣勢完壯力與圓散倍蓰、煮散多者、一啜不三五錢極矣、此功効力、豈敵湯勢、然既力大不失、消息用之、要在良 工、難定論也、

〔醫事或問〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 一或問曰、仲景の治跡を見るに、一病一方なり、今 煎湯( ○○) に、 丸散( ○○) を雜へ用ゆる事、古とことなり、いかん、
答曰、異にあらず、傷寒論、金匱にも、大便通ぜざる時は、先調胃承氣湯をあたへ、大便通じて後、證に隨ふて、藥を用ひたる事あり、古になしといふべかず、

〔續古事談〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 唐人ノ云ケル、ハカリニテ藥ハ合テ服スベキ也、反魂香ト云物アリ、死人ノタマシイヲカヘス香也、一銖モタガヒヌレバキタルコトナシ、カヽレバ、コト藥モ、ヨクハカリヲサムベキナリ、

〔太平記〕

〈二十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1094 宮方怨靈會六本杉事附醫師評定事
四五日有テ後、足利左兵衞督〈○直義〉ノ北方相勞ル事有テ、和氣丹波ノ兩流ノ博士、本道外科一代ノ名醫數十人、被招請テ脈ヲ取セラルヽニ、或ハ御勞リ風ヨリ起テ候ヘバ、風ヲ治スル藥ニハ、牛黄金虎丹、辰沙天麻圓ヲ合セテ、御療治候ベシト申ス、或ハ諸病ハ氣ヨリ起ル事ニテ候ヘバ、氣ヲ收ル藥ニハ、兪山人降氣湯、神仙沈麝圓ヲ合セテ、マイリ候ベシト申、或ハ此御勞ハ、腹ノ御病ニテ候ヘバ、腹病ヲ治スル藥ニハ金鎖正元丹、秘傳玉鎖圓ヲ合テ、御療治候ベシトゾ申ケル、斯ル處ニ、施藥院師嗣成、少シ遲參シテ、脈ヲ取進セケルガ、何ナル病トモ不辨、病多シトイヘ共、束テ四種ヲ不出、雖然混散ノ中ニ於テ、致料簡ヲケレ共、更ニ何レノ病共不見、心中ニ不審ヲ成處ニ、天狗共ノ仁和寺ノ六本杉ニテ評定シケル事ヲ、屹ト思出シテ、是御懷姙ノ御脈ニテ候ケル、シカモ男子ニテ御渡リ候ベシトゾサヽヤキケル、當座ニ聞ケル者共、アラ惡ノ嗣成ガ追從ヤ、女房ノ四十ニ餘テ、始テ懷姙スル事ヤ可有ト、口ヲ噤メヌ者ハ無リケリ、去程ニ、月日重、誠ニ只ナラズ成ニケレバ、ソゾロナル御勞リトテ、 大藥( ○○) ヲ合セシ醫師ハ、皆面目ヲ失テ、嗣成一人、所領ヲ給リ、俸祿ニ預ルノミ ナラズ、軈テ典藥頭ニゾ申成サレケル、〈○下略〉

〔醫者談義〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1095 配劑大小之談義
其比〈○織田信長ノ時〉天下に道三といふ名三人あり、〈○中略〉一人は曲直瀨一溪翁道三なり、〈○中略〉其名天下に聞えたり、今世上に用ゆる所の服藥の分量、水一杯半入て一杯、煎法常のごとしといふ法は、此道三より極れり、かるがゆへに、新流を當流といひ、古流を他流といふ、包形も、當流他流ともに昔は皆小包は香包にせしを、片臂驢菴の片手にてつヽまれしより、半井流は山形包なり、上包を劒形に包に、右は短く、左は長くするは、出の字の形也、發散催生一切病を去出すに用ゆ、左短く、右長くするは、入の字の形なり、反胃、膈噎、不食、虫積等の病を治するに用ゆ、〈○中略〉凡藥に甘草の入は、峻なる藥味のあるには、和緩ならしめんがためなり、生姜の入は表逹引用のためなり、棗の入は脾氣を助養するが為なり、道三の撮甘草、片生姜一粒棗といふは、甘草多ければ、和し過して餘藥のちからうとし、生姜多ければ逆上の害あり、棗多ければ、胸膈に變て食することあればなり、藥の拵やうも、麻豆のごとしとは、麻はあさだねなり、豆はあづきなり、藥のつぶの大きさ、麻だね小豆のふとさなり、粗からず、細ならず、中庸の刻かげん、是當流の法なり、古流は細末を用ゆるなり、然るに此頃は、藥品の彩色を好で、角こしらへにするは、病家に衒ふなり、〈○中略〉道三の切紙に、一番に、水天目に一ツ半入て一ツに煎じ、二番は、一ツ入て半に煎ずとあり、此天目といふもの、むかし高麗の天目山にて燒し茶わんなり、是にも大小ありといへども、大やう、水八十目入を正とせり、八十目は明朝の半斤なり、明の一斤は百六十目なり、是を廣秤といひ、又大秤ともいふ、半斤を半秤といひ、小秤とも云ふ、故に水は半秤を用ゆ、天目に一杯は京升に二合入、京升一合に水淸上なるもの四十日入る、然れば天目に一杯半は、水目百二十目、京升に三合入なり、〈○中略〉然して當家の配劑の服量貳匁五分をかぎりとせり、是兩の四分の一、水廣秤の四分の三と配合す、〈○中略〉然るに近 年、淸水燒の藥盞小く成て、やぅ〳〵京升に一合入、是に準じて藥も少服になれば、病人の平愈もすくなし、

裝藥

〔倭訓栞〕

〈中編六久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 くすりづヽみ 藥を包むには、古へより法あり、

〔日本風土記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 醫用〈○中略〉
藥包〈骨宿里子米〉

〔道三切紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1096 當流藥劑調進之法則
一小紙ナラベ配スルニ、我前膝ノ際ヨリ向ヘ次第ニ並ルナリ、萬物下ヨリ生ズル也、易爻モ下ヨリ畫之、 我左ヨリ右ヘナラベ重也、起精〈○起精恐起請假借〉ツギニナラヌ樣ニト云心也、 假令七包之時ハ、前ニ四ツ、向ニ三ツ也、天輕地重象之、
一小包ツヽム時、打合シテ、我衣裳ノ打合ノ如ニツヽム也、左リ前ニナラヌヤウニト也
一煎藥之銘ハ、必裹紙ノ内書之、三字五字可然也、
一大裹之時、紙二枚ナレバ、内ノ面ニ銘ヲ書也、紙一枚ナレバ、左ノ端ヲ折返テ銘書ベシ、
一七包ノ時ハ、我前ノ方ニ四包、向ニ三包並ルナリ、左リノ方ヨリナラベ始候、十五包ハ、五包ヅヽ三トヲリ並ル也、以上准之、
一銘ヲバ、煎ジ樣ノトヲリヨリ一寸五分バカリサゲテ書ベシ、包數モ、銘ノハテヨリ、一寸五分バカリ間ヲ隔テ注之、
一煎樣ハ
一ツヽミニ、水天目一ツナガラ入、一ツニ煎ジワケテ、二フクニ、カスニ一ツ入ナガラニセンジ、
一フクニ、
一七歳ヨリ内ノ小兒ヘハ、劑包モコフクニ合ル也、
一包ニ、水天目一ツ入、七分ニセンジワケテ、二三ブクニ、カスニモ一ツ入、三分ニセンジ、一二フクニ、
一貴人ヘ合藥劑調進仕ニハ
一ツヽミニ、水天目一盃半入、一盃ニセンジワケテ、二度ニ御進上、カスセンジノ儀不之、
一至貴人ヘ劑藥奉進上ニハ
一ツヽミニ、水御天目ニ一盃半入、一盃ニセンジ、御試ヲナサレワケテ、二度ニ御進上、
一生姜、棗、竹葉、生橘葉、忍冬葉ナド入候ハヾ、其理可之、入ザルニハ、其沙汰ナシ、
一大裹ノウラノ封ジハ、封ノ字ヲ書事通法ニテ候、難産催生ノ藥胞衣遲滯ノ合藥ナドニハ、驗ノ字ヲ可書、大便久秘結シ、或小便不通ノ療藥ニモ、驗ノ字尤可然候、
一合藥持テ出、或病者使者ニ相渡時ノ仕合、銘ヲ我前ヘ順ニナシ、左手ニ持テ、口上ヲ宣テ、右手ヘ逆ニ取直渡之、トリナヲス云名詮也、
一丹藥、丸粒、或通治ノ散藥ナドハ、銘ヲ裹紙ノ上ニ書也、
其病者々々ノ療治ニ調進スル散藥ナドハ、裏紙ノ内ニ注之、
一阻遠路調逹スル合藥ハ、大裹上ヲ復ツヽミテ、封ノ上書ヲスベシ、

賣藥

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1097 嘉吉三年五月二日丙辰、入夜伴鴨權禰宜祐顯、施藥院使丹波盛長朝臣宿所了、諸藥商買之千駄櫃申間事爲談合也、藥賣者施藥院所相計也、仍下知状可出之由領掌之、無子細者也、如令條者、諸國貢進之藥種、被納施藥院典藥寮等者也、藥生事、同爲院使所成敗也、盛長朝臣語云、近來者絶了、我父祖之時、諸藥商買之輩、下知状書寫之者先例也云々、予案之、令第二典藥之下、種採藥園諸草藥及敎藥園生云々、
判〈盛長朝臣加袖判也〉
諸藥商買千駄櫃等中
右諸藥商買、爲本通物輕物等、如先例其沙汰、敢不違犯輩之由、施藥院使下知所候也、仍執逹如件、
嘉吉三年四月廿九日 長久〈奉○中略〉
此後、商買之輩、祐顯等來茅屋其禮、不思寄沙汰也、予權禰宜令合施藥院之禮也云々、

〔晴豐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 天正六年十一月四日
地黄煎商買事、從往古十五人之外無之處、近年恣儀曲事次第也、如先規堅可申付旨可知典藥頭之由者、依天氣言上如件、充房謹言、
天正六年四月五日 右少辨判
進上勸修寺中納言殿
地黄煎商買事、先年被綸旨候處、紛失之由候之條、重而被綸旨候、然者諸國拔賣等之儀、如先先堅被申付朝役之由被仰出旨、座中〈江〉可申付事肝要候也、四月五日 判
典藥頭殿

〔天保集成絲綸録〕

〈八十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 寬政十一未年四月
三奉行〈江〉
町家之見世に而、 賣藥( ○○) 之渡世、〈○中略〉以來決而無用之事、
右之趣、夫々行屆候樣可申付候、
四月

〔町觸〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1098 文政十三寅年九月朔日申渡
池之端淨圓寺門前市五郎店
町醫庭隣 後見隆素
一瘤之藥 一瘡毒之藥 一人參奇應丸 一熊膽黑丸子 一癪〈和蘭方〉之藥 一婦人血之道之藥右者、先祖より、瘤之藥、瘡毒之藥相傳致、奇効も有之、且外より追々傳法之奇應丸、黑丸子、癪之藥、右五品之藥、賣弘之儀、文政六未年中願出、其砌申渡置候處、猶又此度外より傳法之血之藥一品差加、以前之通、江戸町々并武州在、相摸上野下野上總下總〈江〉賣弘度義、相對之上、望之者〈江〉勝手次第可致旨、從町御奉行所仰渡候間、此段相心得、組合不洩樣可申通候、寅九月朔日

〔觸留〕

〈六ノ二百〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 御書付出候ニ付、取調濟上ル、
伊勢守殿
嘉永六丑年十一月十一日
町觸案
近年、賣藥之看板抔を、蘭字ニ而認候も相見候、以來蘭字は無用可致事、
右之通、天保十一子年申渡置候處、兎角今以市中諸看板等横文字認差出候も有之由、不埒之至ニ付、早々取拂可申候、
右之趣、町中不殘樣可觸知もの也、
丑十一月

〔明良洪範續篇〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1099 今大路道三、上京セラレシ時、大津邊ノ在家ニ、賣藥ノ札ヲ掛置タル見ルニ、ハクランノ藥ト書付有シ、供ノ者ドモ申ハ、此所ハ、往還ナル上ニ、京都ヘモ纔ノ所ナレバ、カタ〴〵加樣ナル文盲ノ片言ハ書マジキ事也ト笑ヒケルヲ、道三乘物ノ中ニテ聞、夫ハ汝等ガ申ス所片 言ナリ、其故ハ、ハクランノ藥ハ、ハクランヲ煩フ者ガ呑、霍亂ノ藥ハ霍亂ヲ煩フ者ガ用ユル事ゾト申サレシトナリ、

〔先哲叢談後編〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 臼田畏齋 名可久、號畏齋、通稱五郎左衞門、本姓坂口氏、備前人、〈○中略〉
或勸畏齋祿仕、不答、勸之敎授爲一レ業、又不答、勸之煉藥而鬻於市、從之、自讀方書、製地黄丸益氣湯類、尤窮力於磨研蒸擣矣、人皆曰、斯人而煉斯藥、劑料必眞、脩治必精、買者頗衆、從是之後、衣食聊足云、

〔守貞漫稿〕

〈五生業〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 是齋賣( ○○○) 消暑ノ抹藥也、東海道草津驛ノ東ニ梅木村ト云アリ、其所ニ此藥舗五六戸アリ、一戸ヲ是齋ト云、其他定齋等ノ音近キヲ名トス、
蓋藥名和中散ヲ本トス、大坂市街ニ賣ル者ハ、住吉神社北天下茶屋某ノ家ニ製ス、夏日ノミ大坂ニ賣巡ル者數夫、各一樣ノ襦袢ヲ著ス、地白木綿ニ濃鼠ノ碁器ノ形ニ似テ、五分許ノ小紋ヲ染タリ、江戶ハ府内三戸アリ、是又夏月ノミ賣之、所荷藥筥ノ文字記號、筥朱漆靑貝等ヲ以テシ、又擔之夫ハ、歩行ニ術アリテ、藥筥ノ鐶ヲ鳴シ、笠ヲ用ヒズ、又江戸ノ西大森村ニ和中散ノ店アリ、藥磨ノ車等ヲ設ケテ、前ノ天下茶屋ニ似タレドモ、夏月市中ニ賣巡ルコトヲセズ、世事談曰、定齋藥ハ、大明ノ沈惟敬、本朝ニ來テ靈藥ヲ秀吉ニ獻ズ、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000066621.gif ニ大坂藥種屋定齋ト云モノ、俳優ヲ好シ、秀吉申猿樂ヲ催ス時、召ニ應テ意ニ合ヒ、彼名方ヲ授ク、定齋業之トス、故ニ名トス、今京東洞院靑木屋ハ定齋ノ裔也云々、然バ本名定齋也、 枇杷葉湯賣( ○○○○○) 是亦消暑ノ散藥也、京師烏丸ノ藥店ヲ本トス、三都皆稱之、又三都扮、蓋京坂ハ巡リ賣ヲ專トシ、江戸ハ橋上等ニ擔筥ヲ居テ息ヒ賣ヲ專トス、又大坂元舗天滿ニアリ、賣詞ニ曰、御存本家天滿難波橋朝田枇杷葉湯云々ト云、

〔都の手ぶり〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1100 兩國橋
かたつかたに人あまたつどひたてる所あり、何ぞとよりてのぞけば、くろき筥ふたつならべ、こ れにおほきなる太刀ふたつをかけ置きつ、わかき男の裾ひきあげて襷ゆひたるが、たかあしだはきてついがさねのやうなる物、ふたつかさねたる上にのりて、この太刀をひきぬき、さま〴〵うちふりて、とみに鞘にをさめなどす、ずさと見えたる男、これもたすきひきゆひて、これはいますこしみじかき刀をぬきて、ぬしとうちあふまねをす、さてかの人のいへるは、かヽる太刀うちのわざは、たゞもろ人のめをよろこばしめんわざなり、まことあが家のいとなみは、藥ひさぐわざにこそあれとて、さヽやかなる紙つヽみふたつとうでヽ、此ひとつは 足とらず( ○○○○) といひて、家に傳へたるらうやくなり、あだはら、あくたのやまひ、あるは尻より口よりこくやまひ、舟やまひ、酒やまひ、いづれにもちひても、とみにしるしあり、又こなたなるは、 齒をみがく藥( ○○○○○○) なり、このくすり、むしかめばをいやし、口のうちのくさきかを除く、はをしろくせんことは、ことにすみやかなりなどいひつヽ、ぜにひとつを、かの藥もてみがくに、十日の月の雲間をいづるがごと、てりかヾやきて見ゆ、みな人おのがじヽもとめつヽいぬ、

藥廛

〔延喜式〕

〈四十二東西市〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 東市司〈○中略〉 藥廛

〔七十一番歌合〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 六十番 藥うり
御藥、なにか御用候、にんじん、かんざう、けいしん候、ぢんも候、

〔通俗編〕

〈二十一藝術〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 藥店 宋讀曲歌、飛龍落藥店、骨出只爲汝、又、張籍詩、長安多病無生計、藥鋪醫人亂索錢

〔雍州府志〕

〈六土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 成藥店( ○○○) 俗、藥品未剉刻 木藥( ○○) 、近世藥店主、擇眞僞精麁、法製而剉之篩之、應需而賣之、元雖醫家之修治、又於草醫甚得便、中華所謂見成藥是也、今所々有之、是稱成藥屋、又近世市中有虎屋藤屋、製丸散之藥而賣之、庶人得其便

〔春雨樓叢書〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1101 貝原篤信
尾陽の學醫、貝原篤信は、世人その名譽を知る、一世の編集諸書あり、〈○中略〉ある時尾州公へ、一萬金の拜借願をなす、此段役人衆より、公へ言上いたしける處、深き尊慮あつて、願の通拜借仰付らる、篤信右の一萬金を以、自國又は隣國の 藥店( ○○) にある處のhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000022786.gif ( カビ) 藥を買ひ切て、船に積、波濤へ捨たり、是より藥店にhttp://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000022786.gif 藥なし、故に藥店の藥入替つて病者少しと、篤信の筆記に見へたり、實に難有聖醫の仁、後代醫道の龜鑑と云べし、

〔大成令〕

〈六十七藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 寬文六〈午〉年九月
一江戸町 藥屋( ○○) 共、私として座を定、藥種之内何ニよらず、一所〈江〉買取しめうり致候、又はにせ藥等有之由に候、向後堅く可停止、總而藥種にかぎらず、何事にても座を定、しめうり致候もの有之候はヾ、兩町奉行所〈江〉可申逹之旨、江戸町之年寄共に申渡候、其上藥種之問屋、并藥屋共不殘評定所〈江〉召寄、藥種の内何によらず、一所〈江〉かい取商賣高直に仕候事、又はにせ藥種致候儀、自今以後爲停止之旨、可其趣候、自然右の旨趣相背もの有之ば、藥種仲ケ間たりといふとも、訴人に可出、若隱置他所より露顯申候はヾ可曲事候由申附候事、
九月

藥種問屋

〔大成令〕

〈六十七藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1102 享保七〈寅〉年七月

一此度和藥眞僞吟味之儀、 藥種問屋( ○○○○) 共、〈并〉桐山太右衞門問屋申付、伊勢町におゐて、 改會所相建( ○○○○○) 、都合間屋廿五人之者相改候筈に候、然所只今迄は、所々より出候和藥問屋之外、中買〈并〉藥種屋共方に而も、直々に買請候由、自今は右廿五人之問屋共之外、脇々に而、山々より出候和藥直買不仕、廿五人之問屋共之内に而、勝手次第相調可申候、若相背、和藥直買仕候はヾ、急度曲事可申付候、只今迄和藥持來候者、向後は參次第、右會所〈江〉持參候樣に致差圖遣候、若不埒之者も有之候はヾ、問 屋共より訴出候樣に申付候間、此旨急度可相守候、
右之趣於相背は、吟味之上可曲事者也、
七月
享保十四酉年閏九月

一藥種之儀、 廿五人之藥種問屋( ○○○○○○○○) 之外は、上方表并在方より出候藥種共に、直荷引請候儀停止に申付候處、大傳馬町組藥種屋拾九人之者共、古來のごとく、唐藥和藥共に直荷物引請申度旨、其砌より段々相願、猶又此度願之趣も在之付而、大傳馬町組拾九人之者、向後京大坂堺〈并〉在方より出候藥種、直荷引請候筈ニ申付候、此以後たとへ外之者相願出候共、大勢は難申付候、先逹而相觸候通、直荷引請候事、彌停止候間、此段猶又急度可相必得候、

〔大坂諸一覽之寫〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 唐藥問屋藥種仲買
一 唐藥問屋( ○○○○) 、貳百貳拾八人、内 年行司( ○○○) 五人、 一藥仲買、百貳拾九人、内 年行司( ○○○) 五人、

〔守貞漫稿〕

〈四生業〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 藥種問屋 享保七年、二十五人ニ定ム、 是後ニ本町組ト云フモノニテ、廿六戸トナル、〈○中略〉 江戸昔無砂糖店、藥店兼之、享和中大傳馬町ニ大坂屋勘兵衞、堺屋九左衞門ト二人棄藥テ賣糖一種、是糖店ノ祖トス、今ハ問屋卅餘、然ドモ藥問屋ヲ陽ニス、〈今世藥ヨリ砂糖賈盛也ト雖ドモ、砂糖問屋無御免、藥問屋本町組廿五、傳馬町組二十五、合五十戶ノ中、今ハ三十餘戶、棄藥テ糖賈トナル、〉

賜藥

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 又〈○醫疾令〉云、五位以上病患者、並奏聞、遣醫爲療、仍量病給藥、〈謂、疾病之家、申牃宮内省、事少即省直處分、事〉〈重者申太政官、官奏聞給、故公式令云、奏給醫藥、即畿内亦准在京、〉致仕者亦准此、

〔令義解〕

〈五軍防〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1103 凡大將出征、〈○中略〉其家在京者、毎月一遣内舍人存問、若有 疾病( ○○) 者、〈謂、大將之父母妻子等、有疾病也、〉給醫藥

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 凡五位已上、有草藥者、就寮請之、

〔續日本紀〕

〈三文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 慶雲元年十二月辛未、大宰府言、去秋大風拔樹傷年榖、是年夏伊賀伊豆二國疫、並給醫藥之、

〔天保集成絲綸録〕

〈百六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 享和二戌年三月
御目付〈江〉
此節、一統風邪流行ニ付、御目見以下之者共〈江、〉御煎藥被下候、諸事明和六丑年之通相心得、可取計候事、
但西丸御目付〈江〉も相通、西丸ニ而も、右之通被下候樣ニ可取計候、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 元文四己未年二月二日
兎腦催生丹
一切之難産ニ驗有之藥ニ付、栗本瑞見ニ調合被仰付候、妻娘姑など、今年http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000r11041.gif 妊ニ而拜領仕度面々、御目見以上之分可下置候間、瑞見方迄承合頂戴可致候、調合御藥數多ニ付、一統ニハ不下候間、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000r11041.gif 妊ニ而有之面々計可相願候、
元文四己未年二月廿日
兎腦催生丹
御目見以上之者、姪從弟女等、御目見以下陪臣等〈江〉片付置候ものは、御目見以上之者願候はヾ、御藥可下置候、先逹而相逹候通リ、栗本瑞見方〈江〉可相願候、右之趣、隱岐守殿被仰渡候、尤瑞見方〈江〉被願候分、書付大岡右近方〈江〉も可遣候、以上、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1104 元文五庚申年正月廿八日
病瘡はやり候ニ付、 陰陽二血丸( ○○○○○) 可下候間、布衣以上并御目見以上之面々、望之者有之候ハヾ、河 野仙壽院、栗本瑞見方迄相願拜領可仕候、最勤候者は、於御城仙壽院瑞見〈江〉申逹候樣可仕候、但いまだ病瘡不致子供大勢有之、餘慶にも拜領致度者は、子供何人と申義、兩人方〈江〉申逹可相願候、
右之趣、向々〈江〉可逹置候、
正月

〔浚明院殿御實紀附録〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 すべて御側ちかく給事する人々、病にて家にこもりたる時は、いく度も侍醫をつかはされ、病をとはせ玉ふ、御次の間に候する小納戸、もし、せき、くさめなどすれば、かならず體中和せる所ありや、氣分よろしからずやなど委しく御尋あり、いさヽかも常ならぬこヽちなりなど申上れば、御藥など賜はりしかば、あまりに御心にかけ玉ふことの恐れおほければとて、後々は相たがひにかたりあはせて、せきくさめもなるべきほどは、聲を低し、聞えざるやうにせしといへり、

採藥

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 十九年五月五日、 藥獵( ○○) 於兎田野、取鷄鳴時于藤原池上、以會明乃往之、粟田細目臣爲前部領、額田部比羅夫連爲後部領

〔萬葉集〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 乞食者詠二首
伊刀古( イトコ) 、 名兄乃君( ナセノキミ) 、 居居而( ヲリヲリテ) 、 物爾伊行跡波( モノニイユクトハ) 、 韓國乃( カラクニノ) 、 虎云神乎( トラトフカミヲ) 、 生取爾( イケドリニ) 、 八頭取持來( ヤツトリモチキ) 、 其皮乎( ソノカハヲ) 、 多多彌爾刺( タヽミニサシ) 、 八重疊( ヤヘダヽミ) 、 平群乃山爾( ヘグリノヤマニ) 、 四月與( ウヅキト/○○○) 、 五月間爾( サツキノホドニ) 、 藥獵( クスリガリ/○○) 、 仕流時爾( ツカフルトキニ) 、 足引乃( アシビキノ) 、 此片山爾( コノカタヤマニ) 、 二立( フタツタツ) 、 伊智比何本爾( イチヒガモトニ) 、 梓弓( アヅサユミ) 、 八多婆佐彌( ヤツタバサミ) 、 比米加夫良( ヒメカブラ) 、 八多婆佐彌( ヤツタバサミ) 、 宍待跡( シヽマツト) 、 吾居時爾( ワガヲルトキニ) 、 佐男鹿乃( サヲシカノ) 、 來立來嘆久( キタチナゲカク) 、 頓爾( ニハカニ) 、 吾可死( ワハシヌベシ) 、 王爾( オホキミニ) 、 吾仕牟生( ワレハツカヘン) 、〈○中略〉右歌一首、爲鹿述痛作之也、

〔萬葉集略解〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1105 推古紀十九年五月五日、兎田野に藥獵し給ふよしあれど、此歌によれば、其日に限らざるべし、

〔夫木和歌抄〕

〈七五月五日〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 家集夏歌 惠慶法師
くすりひ( ○○○○) のたもとにむすぶあやめ草たまつくりえにひけばなるべし

〔類聚名物考〕

〈時令一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 藥日 くすり日
五月五日は、採藥の日なればかくいへり、河社に、契冲が、紀貫之集の歌を引て、こぞくすりび、いかにいへる事に歟といへるは、思ひ殘せし也、こぞくすりびは、是ぞ藥日のすしるし也といへる也、またこは誤なるも知るべからず、

〔鹽尻〕

〈四十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 荊楚歲時記ニ、五月五日、競て雜藥を採ると、夏小正には、此日、畜藥以止除毒氣ともいへり、凡百草を採て、撞てその汁をとりて、石灰に和して團とし、陰乾にしてかためおけば、萬の小疵、又は血留に妙なり、

〔月令廣義〕

〈八夏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 事宜〈○中略〉
採藥、〈採茈胡即柴胡、稀薟草葉曝乾、四五月採白蘚根陰乾、楮實中子晒四十日乾、蕤仁、黄葵花日乾、析冥子、一名大薺、夏至取螻蛄、夜出者良、即土狗、五六月收水蛭、即馬蝗、桃杏仁、蒼耳子、名http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000217603.gif、〉

〔政事要略〕

〈五十九交替雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106 藥疾令云、藥品施典藥年別支料、依藥所一レ出、申太政官散下令時收採者、

〔萬安方〕

〈五十五諸論説〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1106採藥
古者、採草藥、多用二八月、此殊未當、凡用花者、取花初敷時、採用葉者、取葉初長足時、採用實者、取實成實時、採皆不限以一レ時、月綠土氣早晩、失時有愆、伏以如平地、三月花著、深山中須四月花、白樂天遊大林寺詩云、人間四月芳菲盡、山寺桃花始盛開、蓋常理也、此地勢高下之不同也、如笙竹笋、有二月生者、有三四月生者、有五月方生者、謂之晩笙、稻有七月熟者、有八月九月熟者、有十月熟者、謂之晩稻、一物同一畦之間、自有早晩、此物性之不同也、嶺嶠微草凌冬不凋、并汾喬木望秋先隕、諸越則桃李冬實、朔漠則桃李夏榮、此地氣之不同也、同畝之稼、則糞漑者先芽、一丘之禾、則後種者晩實、此人力之不同也、豈可一切拘以定月哉、

〔和漢名數〕

〈三篇醫家〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107藥根二時〈本草〉 二月〈春宜早〉八月〈秋宜遲〉居家必用曰、春正月、秋九月爲佳、陶弘景云、花實莖葉、各隨其成熟爾、

〔三代實録〕

〈十三淸和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 貞觀八年九月廿二日甲子、是日〈○中略〉從五位上行肥後守紀朝臣夏井配土佐國、〈○中略〉夏井天性聰敏、〈○中略〉又閑醫藥之道、配土佐之後、 自行山澤藥( ○○○○○○) 、合練以施民、民多得其驗、嘗有一人、中風被髮狂走、夏井與一匕散藥以令之、此人立瘉、皆此之類也、

〔閑散餘録〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 本草ヲ講究シテ、物産採藥ヲ事トスルコトハ、向井玄升、〈靈蘭先生ト號ス〉ヨリ始ルトイフ、稻生若水ニ至テ尤盛ナリ、貝原篤信モ、本草ヲ好ミ、大和本草ヲ著ス、

〔平賀鳩溪實記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 平賀源内儒學講釋の事
源内は、日々に門弟はふへ、名は高くなり、殊更採藥などに出るには、本草に委しき故、近國の醫師聞傳へて、二三百人も弟子付ければ、暫時金銀も出來、差支もなかりける、門弟中相談して、何卒此先生を、當所に留置たき者也と工夫し、各申合せて、稽古所普請を取立んと相談一決しければ、〈○下略〉

〔東遊記〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 藥品、此地〈○松前〉より出で、賣買するもの、熊膽http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000054667.gif 肭臍ばかり也、藥草多けれども、漁利におほはれて採製するものなし、予がきヽたるもの四五品をしるす、附子上品也、竹節人參あり、先年江戸より採藥に來られし醫師、江差の島にて、三椏五葉のもの三四根を得て持歸りしといひ傳ふ、蝦夷人は、人參の事を、五葉草といへり、人參あること疑ひなし、

〔勢州採藥志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 文化元年甲子之秋七月廿一日、廿二日、勢州志州採藥可仕旨被仰渡、〈○小野蘭山〉

〔海外事類雜纂〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1107 植學獨語
植學及び採藥旅に有用とする書籍器械の事
一花實解剖の圖説 一各國所産草木の名集 一藥鑽 一花筒 一腊葉帖 一腊花銕板 一 コールンタング 一細刀 一細鉸 一細錐 一結金繃針 一顯微鏡

採藥師

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 十五年二月、百濟〈○中略〉別奉勅貢〈○中略〉 採藥師( ○○○) 施德潘量豐、固德、丁有陀

〔政事要略〕

〈五十九交替雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 又條〈○醫疾令〉國輸藥之處、置採藥師、令時採取、其人功取當處近下配支者、

〔先哲叢談續編〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 阿部將翁〈○中略〉
享保中往來江戸、專試、物産種藝、會幕府博徴海内俊傑之士、有一技能者、各充其選、將翁以本草學召、乃上言、甄別物類、採擇産殖之學、亦經濟之一端、而不廢棄者也、官納其議、使之按驗、於是奉命採藥於安房、上總、伊豆、相摸、駿河、遠江、三河、大和、河内、二丹、三越、信濃、上野、甲斐、飛騨、奥羽諸州、曁松前、蝦夷等諸島、深山幽谷人跡所通、博搜弘索、不餘力、其所往訪必有獲焉、數年之間、其所齎得、草木八百五十八種、金石五十二品、吾邦古今未嘗聞見者也、而無苟益於世用者、雖珍希物敢厝一レ意、自謂、李蘋湖綱目、徒誇宏覽博聞、李正宇原始空論附會陳言、其大者既若此、小者不言、而況於目未其物、脚未其地、詳辨效驗、悉言形状耶、余所表章之種類、未於一千、皆獲之實地者也、夐異於西土諸家之間文字矣、

〔憲敎類典〕

〈四ノ十一藥種〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1108 享保十四己酉年九月
植村佐平治、藥草御用ニ付、武州兒玉郡河内村迄罷越候、右道筋に而、野山〈江〉入込、藥草致見分、但御料之内交り候私領、并寺領社領之分、最寄之御代官所より相通し可申候、
一藥草籠 貳箇
但引りうきう包差礼状箱
一うすべり、三拾枚、 一むしろ、百枚、 一とま、百枚、 一藥草見習之者五人 一其所之道筋案内之者、 一人足
是は其所之御用之品ニより、佐平治差圖次第に可差出候、差圖之外、人足差出申間敷候、最用意 として、無用之人足差出候義、并御用之外馳走がましき儀一切無用候、
御代官所にて、支配之内、手代一人附添、諸事御用可相辨候、私領方ニ而も、相應之役人壹人附添、諸事御用可相辨候、以上、
酉九月

〔諸國採藥帳〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1109 夫諸國藥草見分之一條は、享保聖君有德院樣、御仁德之御惠廣大ニ被御座、御側小笠原石見守樣、松下千助樣等、毎々上意被成候事あり、〈○中略〉今我朝文華盛に發て、何一ツとして不足事なきは、全神君の御放勳によれり、然に醫術におゐては、藥方奇劑全立すといへども、効驗粗少し、是方書備在して、疾病の不癒事は、偏に其藥品疎かなる故ならん事を被思召候所、常憲院樣、此思召を被繼、藥草之逹士、稻信濃に被命、我朝の田野山谷にいたる迄、採藥被仰付たり、〈○中略〉
松井敬編

本草

〔運歩色葉集〕

〈保〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1109 本草

〔大和本草〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1109本草書〈○中略〉
蜀韓保昇曰、藥有玉石草木蟲獸、而云本草者、爲諸藥中草類最多也、宋掌禹錫曰、本草經三卷、神農所作而不經見、漢書藝文志亦無録焉云々、前漢平帝紀、及ビ樓護傳ニ 本草ノ名初テ見ユ( ○○○○○○○○) 、淮南子云、神農嘗百草之滋味、由是醫方興焉、寇宗奭曰、漢書雖本草、不何代而作、世本淮南子雖神農嘗百草以和上レ藥、亦無本草之名、惟帝王世記云、黄帝使岐伯嘗味草木本草醫方以療衆疾、乃知本草之名自黄帝始、陳藏器唐玄宗開元時人、撰本草拾遺、時珍曰、其所著述博極群書、精覈物類、訂繩謬誤、搜羅幽隱、自本草以來一人而已、又曰、歴代本草惟陳藏器辨物最精審、尤當之、歴代本草名目、載在本草綱目第一卷
文獻通考曰、本草之名始見漢書平帝紀樓護傳、舊經止一卷、藥三百六十五種、陶隱居增名醫別録亦三百六十五種、因註釋爲七卷、唐顯慶中增一百四十四種、廣爲二十卷、謂之唐本草、蜀孟昶又嘗增益、謂之蜀本草

〔神農本草經〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1110 重輯神農本草經序
夫醫之有本草、猶學者之有説文也、藥性之有良毒、猶篆文之有六書也、未藥性而能爲醫者、亦未篆文而能爲字者也、余〈○森立之〉從幼注意於本草學、日夜研究、殆卅年矣、毎歎、近世以本草、爲家者、大抵奉李氏綱目以爲圭臬、不古本草之爲何物、則其弊有勝道焉、余嘗竊欲古本草之舊、仍取證類本草之、而始知綱目之杜撰妄改不一レ據矣、再校以新修本草、而又知證類之已經宋人刪改上レ信也、更以眞本千金方及皇國醫心方、太平御覽所一レ引校之、而知蘇敬時校改亦復不一レ少也、於是、反覆校讎、而後白黑二文始得陶氏之舊、白黑二文得陶氏之舊、而後神農之經可因以窺其全豹焉、遂就中採摭白字、輯爲四卷、攷經名以本草者、蓋謂藥物以草爲本、故説文解字云、藥治病草也、呂氏春秋孟夏紀云、是月也、聚蓄百藥、高誘注、是月、陽氣極、百草成、故聚積也、百藥既是爲百草所一レ成、則可見藥物以草爲本也明矣、其玉石鳥獸蟲魚屬、亦謂之藥、則六書轉注之義、本經計藥品、毎偁幾種、亦與此一例、本草釋云、藥之衆者莫於草、故擧多者之本草、〈惟宗時俊醫家千字文引〉韓保昇云、按藥有玉石草木蟲獸、而直云本草者、爲諸藥中草類最衆也、〈證類本草引〉此説是也、〈○中略〉嘉永七年甲寅正月、福山森立之、書於員山温知藥室中

〔海外事類雜纂〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1110 植學獨語 江戸宇田川http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000012449.gif 菴著
植學は本草と同じからざる事
唐山にて、本草といふは、凡そ採て藥用とすべき者、水火土砂より、草木金石は勿論、牛溲馬勃敗鼓の皮に至まで載て遺すことなく、其物を辨識し、其等を品隲し、良毒を辨明する學問なり、然れど も、藥物は草類最多きが故に、草を本とするといふ意にて、本草とは名けしものならん、西洋にて、http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000031360.gif 多厄河といふは、此に植學と譯して、唯植物のみに限りて、効能の有無と、藥の用事と不用とに拘らず博く搜索し、辨識記載し、尚且植物之生々、長生開花結實するの理を論ず、しかれば植學と本草とは、逈に別の學問なり、
西洋にては、別に草木金石蟲魚の類、物々なべて吟味する一種の學問ある事、〈○中略〉
西洋にも、アポテーケルマンストとて、藥品のみ論じて、唐山の本草學にあたる學問のある事、西洋には、右三有學の外に、アポテーケルマンストと唱ふる學問ありて、専ら藥物の効能と等の美惡修治製法など宗とする一科あり、アポテーケル、是に藥鋪と譯して、藥舗の學問なり、然れどももと三有究理學の内にて、藥鋪庸醫の爲になるべきことを拔萃せし者なるゆへ、醫家の一派ともいひ難し、是故に、唐山の本草に得とはあたらず、然れども唐山の本草書と云もの、効能美惡修治製法をいふを宗とするを見れば、姑くこれを本草學と思ひ玉へ、

〔醫範提綱〕

〈題言〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1111 一和蘭ノ醫書ヲ概シテ云ヘバ、〈○中略〉本草物産ノ書ニハ、凡ソ草木金石土鹽ノ類ヨリ、禽獸蟲魚ニ至ルマデ、醫藥ニ供シテ効驗アルモノ、衆邦ノ生ズル所ヲ彙集シ、旁ク求メ、歴ク試ミテ、主治功能ヲ明ラメ、培養土宜ヲ詳ニシ、寫眞ノ圖畫ヲ銅版ニ鏤メ、形状ヲ察セシム、或ハ藥品ノ西域ニアリテ、東方ニナク、彼ノ地ニ繁殖シテ、此土ニ培栽セザル類ハ、性質氣味功用ヲ考ヘ徴シテ、活用スベキノ理ヲ明ニス、

本草家

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1111 十年正月、是月、〈○中略〉以大山下〈○中略〉http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000065366.gif 日比子、賛波羅、金羅、金須、〈解藥〉鬼室集信、〈解藥〉以小山上逹率德頂上、〈解藥〉吉大尚、〈解藥〉

〔續日本紀〕

〈二十四淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1111 天平寶字七年五月戊申、大和上鑒眞物化、和上者楊州龍興寺之大德也、〈○中略〉又以諸藥物眞僞、和上一々以鼻別之、一無錯失

〔本朝醫考〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 宗桂
宗桂稱意安、以醫術大有聞、陳日華宋開寶年中 撰諸家本草( ○○○○○) 、能分寒温性味、宗桂亦能 辨知倭藥( ○○○○) 、故世人以日華子之、遂自以爲別號、天文八年伴入明使僧天龍寺策彦而赴大明、明人以宗桂之診治有神察、呼稱意安、蓋取醫者意也之義也、梅崖書稱意之二大字以贈焉、同十六年與使僧策彦再遊大明、于時獻藥於大明皇帝、著醫名於異域、而携方書本朝、爾後令名彌彰、自成一家、子孫世々以意安號、元龜三年十月二十日死、

〔皇國名醫傳後編〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 長澤道壽( ○○○○) 〈中山三柳〉
長澤道壽、〈號柳菴、又丹陽坊賣藥山人、〉土佐人、受業於曲直瀨正紹、吉田宗恂、〈○中略〉中歲仕織田公、無幾辭去家京師、其學祖述素難、折衷李朱、尤致精於藥品、大坂堺市藥鋪、至今稱藥之良者土佐用

〔駿府政事録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 慶長十六年九月二十二日、 施藥院崇伯法印( ○○○○○○○) 、自京都下著、則被御前、宗哲法印、同有本草藥種之御雜談

〔東照宮御實紀附録〕

〈二十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1112 醫藥本草の事なども、御心よせさせ玉へり、京都より、 施藥院宗伯( ○○○○○) まかりしに、常に御前にめして、與安法印等と、物産の事ども御尋問あり、又ある時、光明朱を求められしに、いづれも下品なれば、吉田意安宗恂が父は、明國へ渡海しつれば、意安父が持來りし朱を獻りしに、御心にかなひ、さすが名家なり、かヽるものまで貯へたりと、御賞譽あり、この後は、海舶に、これを證として、購求せらる、又意安に、紫雪を製して奉らしむ、意安和劑局方に據りて、調して獻りしかば、是も御けしきにかなひ、此より衆醫、みなこの製に傚ひて作るとなり、ある時、南舶より、薄き石の一尺ばかりにして、側柏の如くなるを獻る、其形、木賊、柏葉の連なりしに似たれば、めづらしと思して、衆醫に問せ玉へども知者なし、意安、こは瑪瑙の花なるべしと御答せしが、後に、本草綱目を撿點せしに、果して申所の如くにて在しとぞ、

〔淇園文集〕

〈一序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113唐僧獨立批書本草綱目首〈○中略〉
獨戴曼公( ○○○○) 、人莫其履歴、及其書一レ偈、叙云、明浙江杭州府學秀才恥虜陷明庭、人心盡死、棄儒隱醫久之、遂附交易賈舶化於我、會黄檗隱元禪師、亦歸化而東、遂染薙爲僧、改名而從之、及偕東來山城萬福寺以居、會隱元歿、遂代主其寺、然則人皆知其歸化闡敎之浮屠也、而莫能其忼慨激烈燭蹈東海一男子也、豈非其所遇合幸與不幸哉、鈴鹿生家藏獨立所貯本草一部、毎卷有朱墨書批評皆其蹟也、蓋生家世業刀圭、其祖以皆翁師北山壽菴叟、叟以良驗治術於一世、叟乃傳其業於獨立、是故家得此書、又 傳獨立醫方( ○○○○○) 、 學之龔雲林( ○○○○○) 、皆奇聞也、〈○中略〉于時明和己丑李冬朔日、

〔杏林雜話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 望月鹿門曰、爲醫者宜于本草、 貝原篤信( ○○○○) 著大和本草、最有於我、而雖殊方異域藥石、亦不識焉、

〔先民傳〕

〈下醫術〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 福山德順( ○○○○) 、爲人沈毅有識、從南部先生〈○景衡〉受經、且究心于本草、先是本國無本草、唯盧草碩考究是書、作 藥性集要( ○○○○) 、德順請從而學之、乃得其傳、延寶中移業攝水、專倡其學、名著當代、弟子從講業者日多、而賀州之稻若水學之稱最、自此而後、世傳本草藥性、皆本於福山氏

〔皇國名醫傳後編〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1113 稻生若水( ○○○○) 〈○中略〉本草之學以氣性主、西土據其名、求其産、尚且不差失、我邦隔海萬里、因彼名以求我物、欲其不一レ繆、抑亦難矣、故我之爲斯學、須先討究名物、然後及于氣性、古昔地有藥園之設、職有采藥之使、又命深江輔仁本草和名、以布于世、好生之德可至矣、中世喪亂百度http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000043518.gif 弛、醫學弗講、斯典亦廢矣、慶元革除、神祖留心醫藥、如吉田宗恂辨珊瑚栢枝嘉賞、稱爲異聞、當時諸醫於藥物氣性各有撰著、然率不陳演腐、爲課蒙之資、要屬草創、至肥前向井元升、筑前貝原篤信〈○註略〉等、始對照彼我、親驗物産、既而稻生宜義者出著庶物類纂一千卷、其徒承而精之、高者足以駕西土諸家而上上レ之也矣、江戸又有阿部照任、特以此學顯、於是本草名物遂爲一科矣、後道本草者、率祖稻生阿部二氏

〔先哲叢談續編〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1114 阿部將翁( ○○○○) 〈○中略〉
將翁蓋以慶安三年庚寅於奥州盛岡、寬文中、初到江戸、又到京及大坂、漫遊數年而還郷、延寶中、嘗欲運貨物之船、再到大坂、南部八戸洋颶風大作、漂流海中殆七閲月、艱苦萬状、不殫言、柁裂桅碎、薪水皆盡、自分必死、無向、飄搖出沒、遂著阿馬港、其地近廣東、即海外諸州商舶所輻湊也、土人憐之、傳送廣東、竟到兩浙間、後托之互市商舶、護送長崎還焉、將翁在於杭州、始學醫術心本草、歸郷之後益講習之、辨別物品、凡係藥餌者、精覈研究莫意、設有之者、則到崎嶴諸於淸客蘭人之有識者、不其旨則不措、故其所講習、皆得之實驗矣、〈○下略〉

〔皇國名醫傳後編〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1114 阿部將翁〈○中略〉
阿部照任、通稱友之進、〈號將翁〉南部人、少時乘漕船江戸、遇颶漂到淸國、止於福建十八年、得本草學歸居江戸、享保中、幕府求知本草、或廌照任、乃辟使藥於東海北陸諸州、三至蝦夷、以勞賜俸及宅、更給地於城東、植養藥種、照任前後所得物品甚夥、至石藥尤多前人所道者、其在甲州、得黄芩以進、時舶載黄芩眞物絶少、先是照任弟子植村某、〈通稱信濃大掾〉奉幕府命長崎定藥品、會寧波商齎黄芩數十萬斤、某排衆議斥其僞、幕府命却之、於是德廟〈○德川吉宗〉謂、國産黄芩、延喜式所載、而照任始得之、其功偉矣、且足以破西商之姦矣、乃命送之長崎、使淸客米來頻視一レ之、來頻嘆異焉、公因厚賜照任、又得大附子於蝦夷、公皆種之藥園、朝鮮人參種法亦自照任發焉、淸商嘗獻貝母栽、公令諸醫徧視、莫知者、乃摘三葉盛以竹筒、使人就問、照任曰、是爲貝母、郭璞所謂白華葉、似韮者爲最上品、世所稀見也、嘗於相州雨降山〈世稱大山〉觀神庫、有一小石如一レ玉、主僧傳爲秘寶、而不其爲一レ何、照任曰是鮓答也、以祈雨必有驗、主僧喜、時適大旱、即取試之、俄而雷雨大起、及辨甲州金峯所出石英非水晶、其精鑒博識率是類也、時京師有遠藤元理、諳悉藥性、頗負時譽、著本草辨疑、論和漢諸藥精粗眞僞及古今有無、照任指讁其誤繆、玄理聞而大服、遂來執贄云、

〔杏林雜話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 松岡成章以本草、聞於京師、享保中、辟鑒別藥品、時淸商始齎空靑至、有司私請曰、此物若非眞、則官不啻失一レ利、吏亦從有罪、幹旋賴子之一言、請圖之、成章曰諾、鑒畢、大聲曰、是僞也、空靑内必蓄水、一碎試之而可、有司錯愕、不爲、碎而視之、果乾涸無水矣、人皆服其精鑒、官將留祿成章固辭曰、臣邱壑念頻矣、請賜放歸、官不奪、賞以金若干、成章即以爲路資、迨京師、封其餘、還之於官府

〔續近世畸人傳〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 松岡恕庵( ○○○○) 〈附稻若水〉
恕庵松岡氏、名は玄逹、字は成章、怡顏齋と號す、垂加の神道を學びては 眞鈴潮( ますヾしほ) 翁ともいふ、平安の人、其先は尾張名護屋に出づ、淺井圖南子いふ、恕庵先生は、もと本草者にあらず、儒家たれども、詩經の名物を困しみ、稻生若水にしたがひて、本草を三遍見給ひしが、大方暗記して、同じ頃、 後藤常之進( ○○○○○)などいへる、本草者あれど、其右に出たり、故に人しきりに本草をとひ、終に本業となりしかども、其志にあらずとぞ、博覽好古、儉素淳樸の人なること、人のしる處なり、今其眞率なる二三條を擧ぐ、大きなる倉を二つたて、一ツには漢の書、一ツには國書を藏られしほどのことなれども、火桶は深草のすやきを、紙にてはり用ゐられし、〈○中略〉
因に云、稻生若水、名は宣義、字は彰信、江戸の人なり、若水を通名とせしかども、頭は月代あり、しかも被風を著し、兩刀を帶たれば、人皆あやしむ、或時台命ありて、詩經を講ぜし時、草木鳥獸の、筆におよぶほどは、圖して獻ず、其頃木下順庵も、力をあはせられけるとかや、すべて産物を見ること、別才ありて、他の及ぶ所にあらず、加賀の太守より、祿三百石を賜ふ、 庶物類纂( ○○○○) といふ書、千卷を撰み、原本副本ともに自筆にて書る、原書はいま官府にあり、副本は加賀に有よし、惜らくはいまだ五旬に滿ずして逝す、

〔杏林雜話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1115 田村藍水( ○○○○) 〈名登、通稱元泰、〉精于本草、而性骯髒、酒間喜食諸毒蟲及蠟燭、又以灰和飯而喫、唯不煙耳、井上金峩詰其故、曰、煙草與蚰蜒反、故不之、金峩笑曰、余寧捨蚰蜒而取煙草耳、

〔先哲叢談續編〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 平賀鳩溪( ○○○○) 〈○中略〉
鳩溪不惑之後、以才名高於世、自侯伯貴人文學方技之士、苟有本草者、無交識一レ面、列相館林侯武元、服其器宇、深優待之、嘗勸方技兼本草褐醫員、先是、 阿部將翁( ○○○○) 、 田村藍水( ○○○○) 、皆以本草學草莽、奉仕大府、賜俸二百苞、故事列醫員者、慶長而降以薙髮髠頭式、鳩溪不髠、且入仕籍、以藝術進者、其初所受無此數、雖偉器之士、非加增至其上、姑從此、亦必能有處置、鄭重喩之、鳩溪常謂、大丈夫不祿千石敢不仕、故王侯藩鎭雖賓師待之、其所給秩不五百石、則辭謝不應、而今欲贍衣食、柔心屈縮、孜々矻々乎干求祿仕、豈所欲哉、而侯猶眷顧之、又告曰、釋褐上仕、其勢與侯國異、累遷拔擧自微俸起、至千石萬石、素存于其任、我有力、請推考之、慫憊不已、鳩溪不敢謝其恩旨、自負才氣、俄然謂人曰、二百苞家常茶飯、僅々小鳥餌耳、後著話本一卷、暗諷刺侯之不一レ人、以謂、巨魚不http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000017372.gif、大鳥不小木

〔杏林雜話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 小野蘭山擧爲本草敎諭、年已七十餘、手寫稻若水庶物類纂六百卷、人稱爲今胡徴君

〔半日閑話〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 一文化七庚午年正月、小野蘭山翁年八十三にて沒す、机に寄て、ねぶるが如しと云、蘭山、寬政十年戊午、京都にて召れ、同十一年己未七月廿八日、 御納戸格( ○○○○) にて、初而御目見、三拾人扶持被之、

〔本草圖譜〕

〈敍〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 吾友、 岩崎灌園( ○○○○) 、酷嗜赭鞭之學、又善寫生、所著有本草圖譜若干卷、頃者、釐草部一類、鋟諸梓板、請序於予、灌園刻意斯學殆三十年、平居植藥卉於庭、二千餘種、籬笆綰錯、磁斗相接、灌園日逍遙其間、親加培漑、循覽諦視、以察其根莖花實之形色、句柝榮悴之變態、超然有於中、輙援毫寫之、是以精麗詳密、分析毫芒、凡方土産殖之同異、深阻幽崖之殊品、以至海外絶國賈舶所一レ賷纎悉羅陳、不足而得之几案間、其用力可勤矣、〈○中略〉 文政十一年晩秋望日、奉朝請醫官喜多村直撰、

〔杏林雜話〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1116 靑池芳滸( ○○○○) 〈名林宗、字子逹、〉譯喎蘭書、著本草及地誌、皆漢籍所載者、其詩云、神農經外分三殖、大禹 鼎餘記八根

本草書

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 又〈○醫疾令〉云、 敎習本草( ○○○○) 、〈○中略〉博士皆案文講説、

〔政事要略〕

〈九十五至要雜事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 醫疾令分經受業條、釋云、 本草( ○○) 初三卷、中七卷、今選十卷、神農乘飛車而問本草名、黄帝成經也者、仍就暦帝記其形像

〔續日本紀〕

〈三十九桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 延暦六年五月戊戌、典藥寮言、蘇敬注 新修本草( ○○○○) 、與陶隱居 集注本草( ○○○○) 相撿、增一百餘條、亦今採用草藥、既合敬説、請行用之、許焉、

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 延暦十八年二月乙未、贈正三位行民部卿兼造宮大夫美作備前國造和氣朝臣淸麿薨、〈○中略〉長子廣世起家、補文章生、〈○中略〉大學會諸儒、講論陰陽書、 新撰藥經( ○○○○) 、 大素等( ○○○) 、

〔倭名類聚抄〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117于倭名棄而不屑、〈○中略〉適可其疑者、辨色立成、楊氏漢語鈔、大醫博士深江輔仁奉勅撰集 新抄倭名本草( ○○○○○○) 、山州員外刺史田公望日本紀私記等也、然猶養老所傳楊説纔十部、延喜所撰 藥種( ○○) 只一端、

〔本草和名〕

〈提要〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 謹案、本草和名原本、不作者名氏、開卷首頁、唯記新撰二字、考源能州和名類聚鈔序曰、大醫博士深江輔仁奉勅撰集新抄和名本草、仁和寺書目曰、倭名本草、大醫博士源輔仁奉勅撰、藤少納言書目曰、本草和名下一帖而類聚抄引用書中、有新抄本草、新撰本草、和名本草、又有單稱本草、其所載和名、皆與是書合、則雖數名、其實一書、倶指是書而言、其間有小小異同者、乃流傳之轉訛、不苛論也、丹波丹州醫心方第一卷、載諸藥和名、亦全與是書符、〈○中略〉但輔仁未何朝人、或曰、醍醐帝時、爲大醫博士、延喜十八年撰掌中要方、〈法曹類林、承平六年、侍醫滋根輔仁問醫師之座次、案古我朝人多改姓者、如興原敏久後改中原、伊豫部眞貞賜姓善道之類是也、醍醐帝昌泰元年、距朱雀帝承平六年凡四十七年、時世相直、不知滋根輔仁與深江輔仁亦同人否、姑存俟後考、〉源順、天暦永觀間之人也、而類聚序中已稱之、則其説似乎可一レ據、然〈簡〉昧於國史、不別得確證、博究其學者、必有稽攷云、〈元簡 丹波 識〉

〔本朝食鑑〕

〈自序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1117 本邦自古不醫師、不藥物、而迄今辨其性者希矣、有書而既沒歟、有論而不傳歟、論 藥性者、宜之綱目、厥辨旦夕所用之飮食者誰哉、雖食經、食忌、食治、食療、食性、食制、食醫、食物、膳饈、飮膳等書、而不本邦人民之日用、能州源刺史集和名類聚、以及草木禽獸鱗介、而載崔禹錫食經、辨色立成、楊氏漢語、深江博士本草、田山州私記等書、以證之者多、但恨不其書、就中唐崔禹錫者、崔融之子、開元中中書舍人也、源刺史所載鯛鮏蕗骨蓬山葵之類、本邦古今所賞、而諸本草中未言、惜乎、禹錫食經今則亡矣、焦竑經籍志有崔氏食經十卷者即是也乎、僕毎謂、飮食者民物平素之大欲、死生存亡之職由、而飮水吹火穿土茹穀蔬禽魚、擇獸蟲、悉搜求其氣味主治、凡三十餘年、漸得大略、而分品類、會拾古言之餘苴、以附己志、輯成十二卷、目之曰 本朝食鑑( ○○○○) 、〈○中略〉元祿壬申菊月丹岳野必大、漫書于松竹窩

〔大和本草〕

〈敍〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1118 本邦邃古果有百草而治疾病耶、但聞其事矣、未其緒也、果有本草而辨物識性者耶、但聞其名矣、未其書也、中葉已降其亦有斯之作在耶、惟恨窮郷之生毎遠於名山而未上レ聞也已、逮于近世乎僣命本草云者一二出焉、特專於飮膳食治而不於庶物、所以有乎博洽者發闕焉之嘆也、吾老先生〈○貝原篤信〉嘗有斯學、何也、自謂其爲禀也孱弱善病、欲其天年則無他焉、知識品物之形状、而旌別性味之良毒、以補之以攻之之方不自助也、乃自弱冠、把讀明李時珍本草綱目、及諸家本草、諸州府志、群書集類之中、凡有此者、平昔無旁逹遠引以采録之、積且成編、其舊聞與新得亦復不捐也、遂合纂以爲大和本草十六卷、以詔于世、〈○中略〉寶永戊子四月二十七日 門人鶴原〈韜〉謹題

〔大和本草〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1118本草書
凡草木禽獸蟲魚金玉土石ヲ記セシ書、神農本草ヲ始トス、三百六十五種アリ、是ヲ本經トス、梁ノ陶弘景名醫別録ヲ作リ、神農本經ヲ增補ス、又三百六十五種アリ、コレヨリ以來歴代ノ名醫、各有增益、諸家ノ本草多シテ、名品漸加レリ、明ノ李時珍、歴代本草ノ内ヲ撰輯シテ、自己ノ見聞ヲ加ヘ 廣之、本草綱目ヲ作リ、品物大ニ備ル、萬暦六年ニ成レリ、本朝ノ天正六年ニ當ル、所載品數凡一千八百九十二種アリ、

〔享保集成絲綸録〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1119 享保十九寅年三月
此度、丹羽正伯、書物編集之儀ニ付、諸國之産物俗名、并ニ其形、其國々〈江〉承合申儀も可之候間、正伯相尋候ハヾ、申聞候樣、御料は御代官、私領は其領主、且地頭、并寺社領は其支配頭々より可申渡候、以上、
三月
右向々〈江〉可相觸

〔本草綱目啓蒙〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1119 我邦在於蒼波浩蕩之外、方域已殊、風土隔絶、物産不同、或有彼有而我無者、或有我無而妄充彼某物、或有我有而不彼某物、蓋爲斯學乃難於彼土人邪、夫人之才力有限、已殫精于醫經經方診候處療之術、又欲僻藥奇品所罕用盡覈甲レ之、自逸群之資、誰堪其繁、又將于此、故庸工麁醫日用要藥、僅諳其主療、猶且多不物品之眞贋良苦、至其甚、則認錫爲餳、亦或有焉、宜乎海舶所齎致、諸州所采送、一歸于市肆、縱令巧詐百般、甘受其侮、不怪也、其亦可重嘆哉、是以我邦前輩有專以物産別爲一家、乃藥性主療、付之于醫家、置而不講、如若水稻氏、最稱閎覽君子、著庶物類纂七百卷、恕菴松岡氏受其學、亦有闡發、著用藥須知若干卷、然稻氏過于浩博、松岡氏嫌于簡約、並不便於醫家焉、今蘭山翁出乎松岡氏之門、獨以李氏綱目宗、而汰稻氏之博、廣松岡氏之約、參之於群籍、取之于親驗目睹、得之乎沈思默想、歴渉數十年之久、殆極其精微博大矣、啓蒙之書者、係其孫士德、與門人岡邨生、筆記所一レ於翁、而經其手訂、而翁平生之心力、全存焉于斯、凡歴代諸書、所載異名、我邦所呼之稱、及窮郷僻壤諸州方言、羽毛鱗介根莖花葉之形色、春秋秀實之候、地産之異同、與夫市肆之眞贋良苦、盡臚于各藥之下、一千八百八十二種、疑者决之、謬者匡之、審辨細釋、鴻纎 無遺、抑謂、我邦本草之學、至于此集大成歟、洵醫家必用之偉寶也、〈○中略〉 享和二年臚月之望、東都醫官督醫學事丹波元簡譔、

〔本草圖譜〕

〈序〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1120 余蓋憂之、蚤嗜斯學、毎取群書關係於斯、竊敢折衷衆説、各歸其當採山野、移圃栽盆凡 二千餘( ○○○) 種、苗葉花實隨時寫生、乃至異境僻地之産、其所目撃悉圖一レ之、如斯者二十餘年、積成若干卷、名曰本草圖譜、其爲圖抖擻精神、盡竭筆力、極之精巧、施之采色、自以謂無復所憾者、試開視之、雖兒童走卒亦不口舌、而辨某爲某物也、或使世醫者、易彼急於射一レ利之心而用之於此學、資余此圖講而明之、名實不差、揀擇無失、主治適當、療病如意、〈○中略〉 文政戊子冬至日、灌園岩崎常正、

〔皇國醫事沿革小史〕

〈後編第六期〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1120 玄眞、〈○宇多川〉又之ヲ憂ヒ、 和蘭藥鏡( ○○○○) ヲ著ハシ、又 遠西醫方名物考( ○○○○○○○) ヲ撰ス、洋醫家益々其澤ヲ蒙ル、玄眞亦子ナシ、美濃ノ人江澤養樹ノ子某ヲ養テ嗣ト爲ス、即チ榕庵〈名ハ榕〉ナリ、榕庵少フシテ物産學ヲ好ム、後チ 植學啓源( ○○○○) ノ著アリ、是レ我邦泰西ノ植物學アル初ニシテ、其著天保四年〈紀元二千四百九十三年〉ニ係ル、又 百網譜( ○○○) ヲ著ス、門人伊藤圭介 泰西本草名疏( ○○○○○○) ヲ作ル、先是天明ノ頃、〈紀元二千四百五十年代〉舊譯官石井恒右衞門、白河侯ノ名ニ由リ、ドヽニュース植物學飜譯ノ擧アリ、惜ヒ哉其業半ニシテ死セリ、

藥品會

〔物類品隲〕

〈凡例〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1120 一以藥物友也、藍水田村先生、寶暦丁丑歲、會于東都湯島者、是爲其始矣、翌年戊寅、又會于神田、己卯歲、予〈○平賀源内〉繼之而會于湯島、庚辰歲、社友松田氏會于市谷、壬午歲予又會于湯島、 凡爲會五次( ○○○○○) 、其會主自具者爲主品、同好諸子所具者爲客品、不草木、鳥獸、魚介、昆蟲、金玉、土石、和漢蠻種、其主品則毎會以百種限、如初二會主品、則固皆田村先生園庭中物、雖後三會主品、亦其半、則先生之所助具也、丁丑至庚辰四會主客品物不七百數十種、壬午會則倫乃告海内同志者凡三十餘國、所湊品物一千三百餘種、通向四會物類會萃者凡二千餘種、夏夷異類於是爲大備矣、今擇於其中以編此書、凡品物重復者、及論當未核者、及常種凡類世人所能識者、皆略不載、〈○中略〉 讚岐平賀國倫士彜識

〔平賀鳩溪實記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1121 平賀源内初て居所を求る事并醫師兒島圓逹が事、
源内は標札を出し、儒醫の書籍ども會讀講釋の看板を出し、其上本草會を催したり、其頃は、神田佐久間町の醫學館の初りし時分ゆへ、醫學繁昌の時也、爰に中橋邊に、兒島圓逹といへる、本道醫師あり、源内が、本草會を聞て珍敷會也、今まで所々本草の會有といへども、會讀等にて書籍の沙汰計也、然るに此度平賀源内といへる者、 藥草會( ○○○) 取立しは幸なる哉、我等も年來藥草に苦んだり、出席して器量の程を試んと、同志の醫師十五六輩、各異草或は鳥獸の異るを持參して、案内し入來れば、源内は上席に客座を設け、門下の諸生左右に居并び、和漢山海の異物を集め、衆議判をいたしけり、圓逹は應對終つて、藥物を取出し衆議判に及ぶ所、大勢にて名を付られぬ異物は、いづれも、源内は委しく知り、和漢の名目、明らかに付て論定り、また源内が所持の物は、大勢あつまるといへども、一つとして知るものなし、數日の會、何にても、右の如くなりければ、圓逹はじめ、江戸中に、本草家と稱する醫師、源内に屈服せざるは一人もなく、是よりして、源内が名は高く成て、儒醫ともに信仰せり、圓逹は、宿所へ歸り、成程源内は博物なり、中々及べきにあらずと云て、社中の者へも、兎角本草におゐては、平賀程なる者はなしと感心して、夫より心易く出會せり、源内は、此本草會を催せし故に、高名を取り、弟子抔も多くなりて、不自由なる事もなく、中華蠻國の名産共に集れり、諸大名へも出入すれば、召抱べき沙汰あれど、仕官の存知寄なくして、御直參にも成たき心と、人々評判しける、夫よりして、藥種屋書物屋共、源内に近付て、和漢の藥種製法など、或は書籍新渡の直段付、日々寸暇なく、其間には、會讀講釋諸家へ出入ける故に、殊の外手廣になり、近國は扨置、中華までも名を揚しは、先本草が初めなりしと也、住居抔も手狹になれば、神田白壁町へ轉居して、鳩溪先生と號して、儒書醫書の釋義に光陰を送りける、

〔江戸繁昌記〕

〈二篇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1122 藥品會
西洋人同、〈状如猿而能察人事〉朝鮮http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000057321.gif 蛇( ウハヾミ) 、〈長四丈餘、廣三尺餘、〉漢土玳瑁竹、〈斑文〉飛州魚尾竹、武州 蔓烏頭( ツルウヅ) 、蠻産 堪逹爾汗( タンタツジカン) 、金龜、〈城州産、色如黄金、〉黄猫、〈朝鮮産、大如犬、而毛色如金、〉其他品物一時雲集、其數凡七千餘種、乃座而目之、指而辨之、非這繁昌都内焉得、非這太平世焉得、不亦一大奇會哉、要亦係會主厚志於其學之所上レ致、然且不彼書畫會其實者、思將欲此藥彼病而然歟、何但此而已、七千藥物如能辨其主治、而本草者則本草、又不彼 橐駝( ウヘキヤ) 師其樣也、儒病佛病無藥焉、會主者誰、吾友春水福井氏、

〔觸留〕

〈六ノ百八十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1122 戌〈○文久二年〉四月九日
町奉行衆 多紀永春院來ル十九日、醫學館 藥品會( ○○○) ニ付、前々之通、同心相詰可申旨、御申渡有之候樣いたし度存候、依之御逹申候、以上、
戌四月

〔日本敎育史資料〕

〈十九醫學〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1122 藥品會之事
毎年四月、藥品會ト云コトアリ、館中〈○醫學館〉貯ルトコロノ藥品等ヲ、風入スルノ爲メ、設ケタルモノナレドモ、終ニハ衆庶ノ觀覽ニ供ルコトヽナル、此ニ至テ、館中貯ル所ノミナラズ、諸醫官競テ珍品奇物ヲ持寄ルコトヽナル、或ハ俗家ノ奇品ヲ所持スル者ハ、醫官ニ托シテ出品スル者アリ、本會ハ、二日間ニシテ、觀覽セントスル者ハ、必ズ切符ヲ要ス、此切符ハ賣捌スルコトナク、諸醫官ヨリ其知己ニ分ツモノ也、

〔日本敎育史資料〕

〈四舊福井藩〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1122 福井醫學所〈○中略〉
藥品會記事 文政二年六月、濟世館ニ於テ藥品會執行アリ、學監妻木榮輔ヲ監訂ニ命ジ、講師細 井玄篤ヲ會主トス、外ニ助手三名アリ、畢テ其總目録一冊ヲ製シ、國守治好公ノ一覽ニ供ス、天保三年九月、第二回藥品會ヲ執行ス、監訂會主前ノ如ク、助手五名ヲ置ク、國守齋承公親ラ此會ニ臨マル、天保十三年八月、第三回藥品會ヲ執行ス、監訂ハ學監妻木敬齋、考訂ハ都講細井玄篤ニシテ、助手八名ヲ命ズ、國守第二子楷五郎公此會ニ臨マル、〈○中略〉維新前ニ至ル迄保續ス、

藥劑器具

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 寮家儲物
稱( ○) 一箇、 藥斗( ○○) 一口、 藥升( ○○) 一口、 鐵臼( ○○) 十口、 鐵杵( ○○) 十枚、 鐵匕( ○○) 五枚、 藥刀( ○○) 六枚、漆中取案一脚、藥殿承塵橡絁幔一條、〈長三丈、十幅、〉行幸儲橡幕一條、紺布幕一條、並隨破損、申省請替、

〔尺素往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 藥盤、藥剪、藥研、藥臼、藥銚、藥篩、砂鉢、雷槌等、定御用意候哉、

〔下學集〕

〈下器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 藥鑵( ヤクワン) 藥器( ヤツキ)

〔撮壤集〕

〈中家具〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 藥器( ヤツキ/○○) 藥研( ヤゲン/○○)

〔雍州府志〕

〈七土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 藥罐 以銅製之、今造諸品物、然元出藥器、故總號藥罐屋

〔倭訓栞〕

〈中編六久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 くすりばこ( ○○○○○) 類聚雜要に、藥筥入物有四合、一合伽梨勒、一合梹榔子、一合紅雪、一合紫雪と見え、河海寢殿の裝束、二階には置藥子匣、其下階藥匣と見えたり、今醫家にいふは、藥籠也、

〔源氏物語〕

〈三十四若菜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 かうご、くすりのはこ、御すヾり、ゆするつき、かヽげのはこなどやうの物、うちうちきよらをつくし給へり、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 治承二年十月晦日己未、良通爲春日祭使發向、〈○中略〉手振十二人、〈○中略〉近衞允武國、〈○中略〉紫褐〈其色〉〈濃蘇芳也、不損朽、〉靑末濃袴、靑單張半臂下襲、蘇芳打袙、靑單衣、細花鳥尾冠、葈脛巾、〈付 藥袋( ○○) 、其緒靑革也、普通用赤革、今又用丸緒之由、府者所申也、而此藥袋鈴唐鞍之具也、仍不直之、〉

〔運歩色葉集〕

〈屋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 藥籠( ○○)

〔易林本節用集〕

〈也器財〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1123 藥籠( ヤロウ)

〔本朝世事談綺正誤〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1124 印籠
笠澤筆塵三の卷曰、器物ノフカク打オホフ蓋ヲ ヤロウ( ○○○) ト云ハ、古藥籠印籠有リ、印籠ハ印判ヲ入レ、藥籠ハ藥ヲ入ル器也、藥ヲ風ニアタラヌタメニ、蓋ヲフカクス、ソレニナゾラヘテ、フタノ深ク掛ル器ヲ皆 藥籠( ヤロウ) 蓋トス、ヤロウハ音ノ轉ゼル也、

〔安齋隨筆〕

〈前編十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1124 一 印籠藥籠( ○○○○) 二ツともに唐物也、大サ定らざれども、大概徑三寸五分許にて、重筥也、三重四重あり、飾ハ、堆朱、堆黑、螺鈿等種々あり、其形圓なるを藥籠と云、四方なるを印籠ト云、藥籠ハ藥入也、印籠ハ印と色を入もの也、今世も、右の二色此方へ渡りたるを傳へて、座席の飾、違棚などの置物にする也、此方にて、今世印籠と名付て、小キ重筥ノ兩傍に紐通しの管を作リ付て、緒を通して、腰に付るハ、彼右に云ふ所の印籠藥籠を小クしたるが如き者也、されば藥を入れるものを印籠と云ハ、名の唱へ違也、小キ物なれば、印ハ入られず、藥を入る物なれば、藥籠とこそ云べけれ、又筥の蓋に、ヤロウブタと云ふものあるハ、右の藥籠の蓋の如く、筥の身の端をうすくして、蓋の内へ呑み入るやうにしたるを云也、奇異雜談〈六册アリ〉と云書あり、古版也、今ハ絶版す、室町殿の代の人の記したる書にて、明應文明天文の年號見へたり、其書に、古キ堂の天井に、女を 磔( ハツヽケ) にかけ置たる物語の中に云、是を見ずんば有べからずとて藥籠より火打蠟燭を取り出し、火をともし、天井にのぼりて見れば、女人を磔にかけてをけり云々、此藥籠ハ、蠟燭を入たるなれば大なる物なるべし、腰に付たる由ハ見へず、旅僧なれば、笈の中に入れ、具に藥籠を以て蠟燭筥にして、火打筥にも兼用しなるべし、

〔本朝世事談綺正誤〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1124 印籠
印籠は、元來、印判印肉を入具なり、今藥を入る、藥をたしむ物を藥籠と云、印籠の一種なるものなり、蓋を中にて合せ、風の入らぬやうにしたるなり、今箱に藥籠蓋といふは、この藥籠より起るこ となり、今は藥籠印籠とりかへて用、

〔白石紳書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1125 今の印籠は、魚袋に符を入れし遺制と、然る歟、

〔嬉遊笑覽〕

〈二中器用〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1125 印籠は、下學集に、印籠〈簍同〉と見え、林逸節用集に印籠〈印判印肉〉と見ゆ、同書に、藥籠も出たり、今堆朱などにて、四方なる重匣を、印并印肉を入るヽ物といひ、同じやうにて形圓きを藥籠なりとす、いづれも唐物なれば、其實は知り難し、此二色、本邦にては、ちがひ棚の飾などに置、また腰に佩る印籠は、名のみにて、其用は藥入なれば、實は藥籠なり、安齋云、此物、もしは信長秀吉などの頃、軍中の用意に、鎧の上帶に付る爲に作り出せし物にてもあるべき歟などいへるはわろし、尺素往來に、丸藥等の事を云て、當世人々、火燧袋の底面に、小藥器之中、必齎持之、以貯爲恥辱候とあり、又諸器を連ねたる處に、印籠、食籠とあるは、印の箱也、〈今古き印籠に、東山殿時代の蒔繪なりと云ものあり、東山時代この物なし、心得がたきもの也、〉安齋又云、室町殿の頃、殿中へ、刀に火打袋付て參ることなし、老人病者などは、藥を入る爲に、御免を申て付候由、宗吾記に見えたり、今も御前へ、腰にさげ物して出る事は、制禁なり、

〔明良洪範〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1125 綱吉公、御能拜見仰セ付ラレ、登城セシ時、玄説、弟子ヲ以テ、平日用ユル、印籠ノ藥ドモヲ、皆入替ヨト申付シ、弟子ニモ、此印籠コソ見苦シケレ、能印籠ノ有ニト云ナガラ、師命ノ如ク、丹藥ドモ詰替ケル、扨、御能拜見シ、御中入ノ節ニ、將軍家如何思召シケン、玄説ガ印籠御覽有ベシ迚、御取寄有シニ、用ヒ古セシ黑塗ノ印籠ナレバ、御笑ヒ有リ、内ヲ披カセラレシニ、名方ノ丹藥ドモ、悉ク詰置テ、藥氣鼻ヲ通シケレバ、器ハ麁相ナレドモ、醫ノタシナミコソ賴母シケレ、誰モ斯コソ有ベケレ、玄説ハ、名醫程有テ、御感ジ遊バサレ、其印籠ヲバ戻サレ、御前ヘ召サレ、御手ヅカラ、壽ノ字ノ御印籠ヲ給ハリケリ、玄説ハ、存ジヨラザル仕合ニテ、家室ニモ傳ヘケリ、諸門人ニモ、カカル幸ヒニ逢事、偏ニ家業ノ事タシナミ厚キヨリ出タリ、御城ヘ召ルヽカラハ、諸事改ムベキ事ナリ、サレドモ隱居ノ身ナレバ、光リ輝ハ如何ト、藥ハ家業ノ事ナレバ、念ヲ入ベキ所ヲ思ヒ、詰替 シケリ、此度ノ首尾ハ、醫ノ冥利ニ叶ヒタリ、門弟末々迄モ、此嗜ノ心忘ルベカラズ迚戒メケル、

〔醫賸〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1126 刀圭( ○○)
陶氏本草序例云、刀圭者十分方寸匕之一、准梧桐子大、〈○中略〉又按、千金太乙神明丹方後云、凡言刀圭者、以六粟一刀圭、一説云、三小豆爲一刀圭、〈○下略〉

〔茅窻漫録〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1126 刀圭
醫者の用ふる藥匙を刀圭といふ事、和漢とも、詩文章に書く人多し、白樂天が挽茶の詩に、湯添勺水魚眼、未刀圭麯塵と作り、蘇東坡が句に、促膝問道要、遂蒙分刀圭といひ、元の林坤が誠齋雜記に、出篋中刀圭藥、滲之悉化爲水と書たれど、其名義しれざりしに、王士禛が池北偶談、〈卷二〉刀圭字常用之、而未確義、碧里雜存云、在京師得古錯刀三枚、形似今之剃刀、其上一圈如圭璧之形、中一孔即貫索之處、蓋服食家擧刀取藥、僅滿其上之圭、故謂之圭、言其少耳、泉布錯刀皆古錢名といへり、〈○下略〉

〔皇國名醫傳後編〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1126 後藤艮山〈○中略〉
後藤逹、〈○中略〉惡庸醫任意作劑無定準、 造圓匕三等( ○○○○○) 以正分量、世以爲法、

〔蒹葭堂雜録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1126 淸李勇卿〈名爲〉著す普救堂藥方三卷あり、其中に、 計粒匙( ○○○) といへる匙の圖あり、匙の舌の所に二十箇の凹穴あり、一匙とりて丸藥をかぞへずして則二十粒あり、いかさま巧なるものなり、此は甚だ珍書にして、日本の俗用療治調寶記の類の書なり、就中此匙ばかり珍奇といふべし、

〔日本風土記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1126 醫用
藥刀〈 骨宿里乞索密( クスリキザミ) 〉 藥箱〈 骨宿里白哥( クスリバコ) 〉 藥碾〈 藥徤( ヤゲン) ○中略〉 藥http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000024603.gif 〈 骨宿里http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/if0000024603.gif ( クスリクハン) 〉

〔醫心方〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1126 藥斤兩升合法第七
本草經云、右秤、唯有銖兩而無分名、今則以十黍一銖、六銖爲一分、四分爲一兩、十六兩爲一斤、〈今案、范注方云、六十黍粟爲一分、〉又云、凡方有分等者、非分兩之分、謂諸藥斤兩多少皆同耳、又云、凡散藥有刀圭十分、方寸匕之一、准如梧子大也、 方寸匕( ○○○) 者、作匕正方一寸、〈今案、蘇敬云、正方一寸者、四方一寸、此作寸者、周時尺八寸、以此爲方寸匕、〉又云、錢五上者、今五銖錢邊五字者、〈今案、葛氏方云、五銖錢重五銖也、〉又云、一撮者、四刀圭也、十撮爲一勺、十勺爲一合、〈今案、千金方云、以六粟一刀圭、范注方云、二麻子爲一小豆、三小豆爲一梧實、廿黍粟爲一簪頭、三簪頭爲一刀圭、二刀圭爲一撮、三撮爲一寸、匕五撮爲一勺、十勺爲一合、〉又云、 藥升( ○○) 方、作上徑一寸、下徑六分、深八分、又云、凡丸藥有云如細麻者、即胡麻也、又以十六黍一大豆、如大麻者、即大麻子、准三細麻也、如胡豆者、今靑斑豆是也、以二大麻之、如小豆者、今赤小豆也、粒有大小三大麻之、如大豆者、以二小豆之、如梧子者、以二大豆之、一方寸匕散密和得梧子十丸度、如彈丸及鷄子黄者、以十梧子准、〈今案、方寸匕散爲丸、如梧子十六丸、如彈丸一枚若鷄子黄者准册丸、今以彈丸鷄子黄、此甚不等也、〉

〔昆陽漫録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1127 藥升( ○○)
古へ方寸匕の類に、散藥を量る藥升あり、陶弘景曰、藥升方、作上徑一寸、下徑六分、深八分、内散藥、勿插之、正爾微動令平調爾、今人分藥不復用一レ之と、〈今の人用ずとあれば、梁より前、藥升ありとみゆれども、いづれの代に始まること知れざるゆゑ、〉周尺を以て量るなり、〉今周尺を以て量るに、〈度量衡考に云、周尺は今の七寸一分九厘六亳三絲有奇に當る、〉上徑一寸は、今の七分一厘九亳六絲三忽、下徑六分は、今の四分三厘一亳七七八、深さ八分は今の五分七厘五七零四に當り、一升今の三撮零々四六六九一五九餘なれば、〈上徑の冪と、下徑の羃と、上下徑相乘の數を相併せて、百零一分五零一九九八三二四となる、これに深さを乘じ、三約して百九十四分七八三六七八五八となる、今の升法六萬四千八百二十七分を以て除すれば、三撮零々四六六九九一五九餘を得るなり、〉甚小くして他に用ふべからず、散藥の升たること疑なし、李時珍升積を算せず、藥升を以て古量となして註せしゆゑ、通じがたし、尚證類本草を考ふべし、

〔道三切紙鈔〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1127 秤量( ○○) ハ、秤ハ體也、量ハ用也、廣秤〈唐朝十文目一兩〉半秤〈宋朝五文目一兩〉大 方書ノ中ニ、一斤ト曰者、十六兩也、即百六十文目也、半斤ト曰者、八兩也、即八十文目也、一兩ト曰八十錢也、即十文目也、又 四分トモ曰也、大分六朱ハ一分、凡二文目半分ト曰、一朱二分五リン、是ハ小分ノツモリ也、三分ト曰ハ七錢半也、二分ト曰ハ五錢也、即半兩也、一分ト曰ハ二錢半也、一斤ト曰ヨリ已下ノ分兩ハ、皆大分也、

〔羅山文集〕

〈七十五隨筆〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1128 醫方稱藥輕重、則曰一字者、四分一錢之一也、一錢文皆有四字、則二分五釐爲一字

〔譚海〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1128 藥種は、目形四匁を一兩とす、四拾匁を一斤とす、砂糖、金米糖も是に同じ、茶は目形二百目を壹斤とす、羽州にては、蠟目形壹〆四百目を壹斤とす、

〔續視聽草〕

〈七集五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1128 醫方分量衡 吉益爲則撰正
夫、古今度量衡、其説班々雖一定、其起以黄鍾管也古今一也、黄鍾管容千二百黍、然黍品有多種、且土地有肥瘠、年有豐凶、故黍不一、不一則所容因黍律管、違則樂亂、樂亂則度量衡亂、天下無規矩準繩、無規矩天下不治、宜哉正一黍一亳矣、如醫不然、唯知古今分量之大概乃可矣、班固曰、黄鍾之重一龠、容一千二百黍、重十二銖、兩之爲二十四銖兩、十六兩爲斤、三十斤爲鈞、而鈞爲石、是古書所謂五種也、而雖世々所校因有一レ違、豈有米與黍之重違哉、然此一千二百黍、以今日本秤之、有八分五厘、假令大而多不一錢目、然則漢一兩者、本邦二錢目也明矣、或説、千二百黍、明秤三倍者也、則漢一兩者、今六錢目也、何有今黍三倍者也、明秤疑有本邦之秤違、故隨黍、而漢一兩爲二錢目也、且淮南子説苑爲粟、則黍無大異、可以知矣、秦半兩錢、前漢書曰、秦兼天下、銅質如周錢、文曰半兩、重十二銖、由是觀之、半兩無疑、然古半兩錢、集之正之、往々重本邦秤八分強、則漢一兩爲二錢目以知矣、尤雖其複半兩重有種々、非今作度量衡、只爲醫方分量、則大概乃可矣、鄭也子律呂精義曰、分者初出千金方、是然、仲景方中有分、是後人攙入也、漢書曰、五權之制、漢無分錢之名、可以知矣、藥種重有三等、一曰石膏、與殼相等、二曰菓實、三曰草葉、

雜載

〔徒然草〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1129 唐の物は、藥の外はなくとも事かくまじ、書どもは此國におほくひろまりぬれば、かきもうつしてん、もろこし船のたやすからぬ道に、無用のものどものみとりつみて、所せくわたしもてくる、いとおろかなり、遠き物をたからとせずとも、又得がたき寶をたふとまずとも、文にも侍るとかや、

〔日本歲時記〕

〈四六月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1129 刻み置たる藥種をも紙に包みながら、其口をひらき、日にあてヽ晒すべし、さざまざる藥は、其まヽ日に干すべし、千金方にいはく、藥をさい〳〵日に干すことなかれ、藥力うすくなる故なり、當時用ひざる藥は、烈日にほし、新瓦器に入、土にて口を封じ、用る時開き出して、急に又封ずべし、年をふれども新しきがごとし、丸散の藥も、如此すべしとぞ、凡世の人、茶を壺に貯へよく保護すれども、藥をたもつ事をしらず、藥は尤人を養ひ病をいやす物なれば、貴重して收めたくはへ、氣味のぬけざるやうにして、性をたもつべし、口せばく、手の入ほどなる新瓶を多く作らせ、藥を入、わらをつかねて、口をよく封じ置くべし、如此すれば、久しく有ても、氣味うせず、是藥をたもつの良法なり、地黄、白芷、當歸、羗活、川芎、神麯、黄茋、甘草などは、時々晒ざれば、蟲くふ物なり、其餘は志ば〳〵さらす事なかれ、氣味うすくなるゆへなり、

〔皇國名醫傳後編〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1129 福井楓亭
福井輗、字大車、通稱柳介、〈一作立助、號楓亭、〉奈良人、幼有志操、師名醫菅隆伯、〈○中略〉寬政初、幕府召至江戸醫官、講靈樞於躋壽館、四年特命内直、爲製藥所監、是年卒、初輗之創業、先召藥賈帛商、謂之曰、藥者醫療本根、人命之所關係、必擇上品者、第二品以下謹勿持來、吾見其價賤或生鄙心粗藥而不効、至人命、甚可畏也、若衣服此矣、美麗者不爾持來、華奢之成習、令人不一レ覺、恐損吾宿志焉、

〔隨意録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1129 明太祖嘗論兵曰、用兵猶藥、藥能去疾、亦能致疾、苟無事而動兵、是猶妄以 暝眩之藥( ○○○○) 、強進無病之人、縱不身亦損元氣、如今我淸平之世、動兵之患則無有焉、庸醫誤藥治、以損人身、則多有焉、

〔隨意録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1130 醫家謂藥一劑以爲 一貼( ○○) 、貼義問之衆醫、亦皆曰不知、按、增韻、貼裨也、依附也、此言衆味相依以裨輔與、

〔先哲醫話〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1130 北山友松〈○中略〉
余療南源、悦山、高泉、諸僧、皆用 大劑( ○○) 、何者、西土人比之本邦、頗厚腸強胃、非輕品所一レ敵、風土人物之異不知、〈西土醫診病、直記其藥按、以與病者、病者購之於藥鋪以服之、故其品劑量適正、 與邦醫輕劑射利者逈異( ○○○○○○○○○○) 〉、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (386d)