https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 七月七日ハ、古來其夜ヲ賞シ、是ヲ七夕ト云フ、七夕ハ古ハ、ナヌカノヨト呼ビシガ、後ニタナバタト云フ、棚機(タナバタ)ツ女ノ省言ニテ、織女ヲ云フナリ、支那ノ俗説ニ云フ、此夜牽牛織女ノ二星相遇フ、巧ヲ之ニ乞ヘバ、其願ヲ得ト、故ニ我朝廷ニ於テモ、乞巧奠ノ設アリテ、織女祭トモ稱ス、後世民間ニテハ、葉竹ヲ屋上ニ樹テ、色紙短册等ヲ附スルヲ例トス、亦乞巧奠ノ遺意ナリ、

名稱

〔改正月令博物筌〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 七日節供(○○○○)〈(中略)七は少陽不變の數なり、故に當七日は本朝五節句の一として祝ふこと、日本紀、江次第、公事根源等、其外諸書に出て、歴然たる式日なり、俗二星の祭りにかたよりて、公事の式日たることを忘れたるに似たり、〉

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1215 なぬかのよ〈七夕〉 七月七日のよを七夕といふは、ふるくよりみえたり、いはゆる一年邇(ヒトトセニ)、七夕耳(ナヌカノヨノミ)、相人之(アフヒトノ)、と〈萬葉集〉いひ、また今之七夕(コノナヌカノヨ)、續巨勢奴鴨(ツギコセヌカモ)、と〈同上〉いへるによれば、なぬかのよといふべきを、いつの比よりか七夕をたなばたと訓るは、より所なき事也、されど延喜の比までは、七夕をなぬかのよといふ事たしかなり、いはゆる寛平御時なぬかのよ、うへにさぶらふをのこ共云々、〈古今和歌集詞書〉又なぬかの日のよ讀る、なぬかの夜のあかつきによめる〈同上〉などありて、一所も七日とかけるはなし、しかるを後撰集より以下、いづれも七月七日、又は七日のひに、或は七夕をよめると〈後撰和歌集〉みえたり、以下代々の集おなじ、しかれば萬葉古今の二集を正しとすべし、さて今日をなぬかひと〈古今六帖〉よみ、秋の七日と〈後撰和歌集〉よみ、秋のはじめのなぬかと〈新千載和歌集〉よめ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 り、今夕を星合の空とよめるは、中むかしよりなり是花山院御時、七夕の歌つかうまつりけるに、藤原長能、袖ひぢて我手に結ぶ水の面にあまつ星合の空をみるかな、と〈新古今和歌集〉よめるをはじめとして、星合のかげとよめるも、おなじき比よりとおもはる、能因法師の星合のかげみぬ人のと〈後拾遺和歌集〉よめるをはじめ、是より以前には撰集諸家の集等に所見なし、此能因が歌も長能の家にてよめるとあれば、此比星合といふ詞はいひ出しものとおもはるヽなり、又天つ星合のよ、星合の濱などよめる歌もあり、あげてかぞふべからず、

〔萬葉集〕

〈十秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 七夕
乾坤之(アメツチノ)、初時從(ハヂメノトキユ)、天漢(アマノガハ)、射向居而(イムカヒヲリテ)、一年丹(ヒトトセニ)、兩遍不遭(フタタビアハヌ)、妻戀爾(ツマゴヒニ)、物念人(モノオモフヒト)、天漢(アマノガハ)、安乃川原乃(ヤスノカハラノ)、有通(アリガヨフ)、出出(トシ)〈◯出出蓋亗誤、亗歳古文、〉乃渡丹(ノワタリニ)、具(ソ)〈◯具恐其誤〉穗船乃(ボフネノ)、艫丹裳舳丹裳(トモニモヘニモ)、船裝(フナヨソヒ)、眞梶繁拔(マカヂシヾヌキ)、旗荒(ハタスヽキ)〈◯荒恐莣誤〉本葉裳具(モトハモソ)〈◯具恐其誤〉世丹(ヨニ)、秋風乃(アキカゼノ)、吹來夕丹(フキクルヨヒニ)、天川(アマノガハ)、白川凌(シラナミシヌギ)、落拂(オチタギツ)、速湍渉(ハヤセワタリテ)、稚草乃(ワカクサノ)、妻手枕迹(ツマデマカント)、大船乃(オオブネノ)、思憑而(オモヒタノミテ)、榜來等六(コギクラム)、其夫乃子我(ソノツマノコガ)、荒珠乃(アラタマノ)、年緒長(トシノオナガク)、思來之(オモヒコシ)、戀將盡(コヒツクスラム)、七月、七日之夕(フミヅキノナヌカノヨヒ/○○○○○○)者(ハ)、吾毛悲烏(ワレモカナシモ)、

〔萬葉集〕

〈十秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 七夕
一年邇(ヒトトセニ)、七夕(ナヌカノヨ/○○)耳(ノミ)、相人之(アフヒトノ)、戀毛不遏者(コヒモツキネバ)、夜深往久毛(ヨノフケユクモ)、
 一云、不盡者(ツキネバ)、佐宵曾明爾來(サヨゾアケニケル)、

〔實隆公記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 永正三年七月七日乙酉、星節(○○)幸甚々々、

朝廷七夕

〔令義解〕

〈十雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 凡正月一日、〈◯中略〉七月七日、〈◯中略〉皆爲節日、其普賜臨時聽勅、

〔西宮記〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 七日、内膳供御節供、〈付采女、采女付女房、五七九月同之、但三月不内膳式、〉内藏設殿上酒、〈◯中略〉已上見藏人式

〔江家次第〕

〈八七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 同日〈◯七月七日〉御節供 内膳司付采女、采女付女房、入鬼間北障子於朝餉、御臺二本、盛物十六坏、陪膳女房以下上髮、雖夜朝餉不格子之、 内藏寮居酒肴於殿上恒、

〔東宮年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1216 おなじき〈◯七日〉日、すぜむのかみ、供御せちくをまいらす事、おなじきちやうか

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 うてむしやうをよび、所々のせちくをすふ事、

〔年中行事秘抄〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 七日、御節供事、〈内膳司〉 内藏寮酒肴事

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 七日、〈◯中略〉けふの御料にとて、前一兩日の中、上らふより、ちの輪を調進せらる、御所にて女中衆にたぶ、おの〳〵袖につけらる、主上のも進上あれど、御そでにつけらるヽまでの事はなし、二親有人は輪三、〈金、銀、紅なり、〉かた親ある人は輪二、〈金か、銀か、紅、〉二親ともになき人は輪一、〈金か、銀か、〉朝盃あさがれひ等例のごとし、夕方御祝に初獻〈そろそろ〉御汁を供ず、土器ニ少シ御汁をうけられて後、少シづヽ三口めす、御かへ參る、又二口めす、次に索餅を供ず、是も御はし下る、次に御盃參る、二獻〈御まな〉三こん〈からうり〉を供ず、女中御前のをしきに半そろ〳〵、なかばは索べい入てたぶ、三獻の唐瓜も御ばんに入て、もて出で一臠づヽたぶ、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 七月七日
米糯米各六升、糯糒八斗、粟糒三升、黍子小麥各六升、小豆一升、酒二斗、酢油各五升、醤一斗、鹽一升、東鰒一斤十兩、隱岐鰒二斤五兩、烏賊螺各一斤五兩、煮堅魚十三兩、腊五斤、紫菜四兩、海藻一斤、竃一具、炭四石、薪六百斤、

〔厨事類記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 臨時供御〈内、院、宮儀、◯中略〉 七月七日 索餅 御菓子八種 蔴實 小豆〈◯中略〉已上小預給料米進之

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 五年七月丙子、〈◯七日〉宴公卿、仍賜朝衣

〔續日本紀〕

〈十一聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 天平六年七月丙寅、〈◯七日〉天皇觀相撲戲、是夕徙御南苑文人七夕之詩、賜祿有差、

〔大日本史〕

〈十六聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 七夕宴、至此始見、後世乞巧奠、即是也、故此後不書、公事根源以爲天平勝寶七年始修乞巧奠、然本書所載、故不取、

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1217 天平十年七月癸酉、〈◯七日〉天皇御大藏省相撲、晩頭轉御西池宮、因指殿前梅樹

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 衞士督下道朝臣眞備及諸才子曰、人皆有志所好不同、朕去春欲此樹、而未賞翫、花葉遽落、意甚惜焉、宜各賦春意此梅樹、文人三十人奉詔賦之、因賜五位已上絁二十匹、六位已下各六匹

〔大館常興日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 天文八年七月七日、七夕之草花如例年、六角霜臺進上之、仍披露状今日日付也、佐申入之、〈◯中略〉
一今朝五番衆進上草花、番頭〈佐より〉以水藤上之也、進上五番如此ふだを被付也、毎年五ヶ番進上候儀也、申次豆州可披露候由候歟、被取之也云々、

〔續日本紀〕

〈十八孝謙〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 天平勝寶三年七月丁亥、〈◯七日〉天皇御南院宴大臣已下諸司主典已上、授正六位上紀朝臣伊保從五位下、女嬬无位刑部勝麻呂外從五位下

〔日本後紀〕

〈十七平城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 大同三年七月丁亥、〈◯七日〉幸神泉苑相撲、令文人賦七夕詩

〔日本後紀〕

〈二十二嵯峨〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 弘仁三年七月癸亥、〈◯七日〉幸神泉苑相撲、命文人七夕詩

〔日本紀略〕

〈二朱雀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 天慶八年七月七日辛丑、有御遊事

〔日本紀略〕

〈四村上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 天徳三年七月七日庚戌、御製風驚織女秋、 四年七月七日乙巳、御製月扇動涼風、應和元年七月七日戊辰、御製別路動雲衣

〔百練抄〕

〈十三御堀河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 嘉祿二年七月七日、所々展宴席、七夕相當庚申、 貞觀元年、延喜十六年、永觀元年、寛弘六年、長久元年、長承二年是也、

幕府七夕

〔長祿二年以來申次記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1218 七月七日〈公家 大名 外様衆 御供衆 申次 番頭 節朔衆〉
一御對面次第、同御盃以下同前之、
一草花禁裏様へ御進上也、此草花は五ヶ番より參を、御花瓶に被立、御盆に被居候而、以傳奏御進上なり、御藏籾井被官ども、草花をもたせ候而、傳奏に相隨而内裏へ參也、花は代々立阿彌立申也、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 一所々より草花進上候、御對面以前にても、以後にても宜時宜、御末より以女中向申入候也、

〔年中定例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 殿中從正月十二月迄御對面御祝已下之事
一七月朔日御對面、内々の御祝如常、
一七日御對面已下同前

〔成氏年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 朔日御祝如例、同七日御索麪參、其外御祝如常、公方様御單物、御紋梶ノ葉也、

〔殿居囊〕

〈武家年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 七月四日、日光御門主七夕之御祝儀、以使僧上之、六日御三家方始、例之面々、以使者七夕之御祝儀鯖代獻上有之、七日五時白帷子、長、七夕御祝儀出仕如上巳

〔徳川年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1219 七月三日四日頃
一日光御門跡より七夕爲御祝儀、二種壹荷以使僧上之、於燒火之間月番老中
一御三家方より七夕爲御祝儀、御城附を以て一種一荷被上之、於詰所前廊下、月番老中御目録請取之
七月六日
一七夕爲御祝儀、左面々より以使者鯖代獻上之、 黄金壹枚、尾張中納言殿、 同、紀伊中納言殿、 同、水戸宰相殿、 〈黄金壹枚、刺鯖二百刺、〉松平加賀守〈◯中略〉
七月七日
一七夕御禮有之、白帷子半袴、
一辰中刻西詰橋通大納言様、御本丸〈江〉被入、御禮過被還御
一辰下刻公方様、大納言様御表〈江〉出御、〈白御帷子御長袴◯中略〉
〈此節御黒書院御勝手之方、新御番組頭、(中略)右一同並居、御通がけ御目見、〉
一竹之御廊下通御黒書院出御、御上段御著座、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 〈但御白書院御禮之内、御下段御敷居之外西御柱際ニ月番老中著座、鷲之御杉戸前溜詰老中列座、櫻之間御奏者番著座、若年寄中者帝鑑之間御椽頰西御障子際列座、西御椽御帳臺之内御納戸構御側衆奧向之面々伺公、御納戸構後御使番兩人勤仕之、〉                    御三家方
右順々被出席御禮、老中披露之、直ニ御下段御右之方ニ被著座、御祝儀被申上候段、老中言上之、上意有之、老中及御取合退座、〈◯下略〉

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 七月七日、七夕爲御祝儀辰刻前出仕、白衣長袴、

〔柳營新編年中行事〕

〈七七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 七日
一七夕白帷子長袴ニ而御禮、總出仕有之、如上巳、 一禁裏〈江〉初鮭御進獻之

〔幕朝年中行事歌合〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 廿二番 右 七夕參賀
かさヽぎの翅ならぶるをりしもあれ袖をつらねていはふ諸人〈◯中略〉
七夕參賀は、おの〳〵白き無紋の麻の單を著す、このほか上巳端午にかはる事なし、〈◯中略〉此日大名の面々、その家々により、鯖代を獻る、

〔親元日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 寛正六年七月七日壬子、御祝物三御方分令調進上畢、

〔台徳院殿御實紀〕

〈五十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 元和八年七月七日、御喪制により星夕拜賀停廢せらる、都下煙火戲を翫ぶ者なし、

〔台徳院殿御實紀〕

〈五十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 元和八年七月三日、松平肥前守利常〈◯前田〉の北方加賀の金澤城にて逝去あり、御歳は二十五、御所〈◯徳川秀忠〉第一の姫君〈珠姫君〉なり、

〔浚明院殿御實紀〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1220 寶暦十一年七月七日、七夕の拜賀を停廢せらる、〈◯是年六月、徳川家重薨、〉群臣白帷子に麻平袴著て宿老に謁す、

臣庶七夕

〔執政所抄〕

〈下七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 七日 早旦別御菓子、年預下家司調進之例、
御節供 朱器〈如例〉 様器〈同〉 已上所課、家司依所充役所被勤行也、 陪膳役送、藏人所所司沙汰如常、

〔日本紀略〕

〈五冷泉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 安和二年七月七日壬子、左大臣〈◯藤原師尹〉於白川家七夕宴

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 承安三年七月七日、歸家之後、節供如恒、〈陪膳季長朝臣、行事邦業、〉乞巧奠如恒、〈行事信光〉
文治二年七月七日壬午、戌刻女房始羞節供、家司上臈季長朝臣勤仕、陪膳權右中辨平基親朝臣參勤、〈年預也〉役送北政所家司光綱長房、不足余〈◯藤原兼實〉方職事等補闕也、折敷高坏十二本、白龜甲織物折敷、南西簀子立灯臺二本、擧灯無立明、女房著二藍單重、女郞花二重織物、表著蘇芳二唐織物小褂、生紅袴、陪膳女房〈京極局〉并取入女房兩人皆著物具張袴等、他女房少々又刷衣裳祗候、女房御座帳臺前敷高麗端疊一枚、其上敷龍鬢一枚、其上敷唐錦茵也、余節供不之、〈◯中略〉乞巧奠、職事良清奉行、

〔梵舜日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 文祿五年七月七日、七夕逍遊差樽兩種ニテ嶋田與兵衞より音信也、
慶長二年七月七日、七夕禮如常、

〔房總志料〕

〈五安房附録〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 一房總の俗、七夕重九、倶に佳節たる事をしらず、相傳、天正十八年七月七日小田原城陷、又元和元年九月九日館山城陷、これよりして二節を惡日なりといひて忌來れりと、此比の民情さも有ぬべき事也、

神社七夕

〔鹿島宮年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1221 七日、大宮祭大宮司、〈◯中略〉
今日之節會出社務始中官マデ頂之、祭子細多ニヤ、略ス、サテ王之箱駄丈八龍神楯之板三枚、懸鉾(カケホコ)御行器(ホガイ)一ツ、右之外神寶餘多出ル、祭之場、即彼寶藏之面、本社之御後也、然今月七日之會畣ニハ、先神前エ奉索餅、此事高辛氏之惡子、七月七日ニ死、其靈鬼ト成テ人ニ疫病、常彼小子好索餅故ニ、今日以索餅是祭レバ、年中之瘍病除之、内裏ニテモ、七日節會ニハ、專以索餅ヲ之、有

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 式法云、奉天子故、於當神モ、今日奉索餅、人モ食スレバ病ヲ除、本誓勿論也、扨件之神寶等取出シ、異朝退治之靈法勤行畢テ座ヲ立、御正面藤之方〈與利〉北ニ出、大宮司始テ神官等立並居、三韓降伏調義之火ヲ立ル例有〈利〉、是中神大神役ス、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 年中行事略式云、星の宮の神事は、筑前國大島の星の宮と云あり、北は彦星の宮、南は織女の宮、兩社の間の川を天の川と稱す、土人婚禮の望ありて、女を得んと欲する人は、川北の彦星の宮に祈る、七月朔日より七日の夜半に至り、近郷の男女群集して、晝夜の神事嚴重なり、川の中に二つの棚をかまへ、名香を燻、灯明をかヽげ、瓜、果物、神酒等をそなへ、竿のはしに五色の糸をかけ、梶の葉に歌をかきてたむけ、琴笛等を列らね、たらひに水を湛へ、星の影をうつし、若男女の望ある者は、其名前を短册にしるし、彦星の棚には男の短册を置、織女の棚には女の短册をつらね、七日の夜に必ず風ありて、彼短册を川水に吹流す、若婚縁の神慮にかなふものは、男女の短册、たらひの水にならび浮む、是を縁定の神事と號する也、〈◯下略〉

索餅

〔掌中歴〕

〈上歳時〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 節日由緒
七月七日索餅 高辛氏小子、七月七日死、其靈無一足鬼神、於人致瘧病、其存日常喰索餅故、

〔年中行事秘抄〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 七日御節供事〈内膳司〉 昔高辛氏小子以七月七日死、其靈爲一足鬼神、致瘧病、其存日常食麥餅、故當死日麥餅靈、後人此日食麥餌、年中除瘧病之惱、後世流其矣、

〔公事根源〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 七日御節供 内膳司より是を調進す、けふさくべいを用事、ゆへある事にや、むかし高辛氏の小子七月七日に死たり、其靈鬼となりて、人に瘧病をいたす、その存日に麥餅をこのみしがゆへに、けふ索餅をもて是をまつれば、年中の瘧病をのぞくといへり、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 治承四年七月七日丁巳、節供如常、〈陪膳季長朝臣◯中略〉又嫁聚之後、三年不入索餅於家中云々、

索麪

〔壒囊抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1222 七月七日索麪、鬼腸トテ食之、高辛帝ノ小子七歳ニシテ、此日死、湯以祭ル、然巳午時、沐浴

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 衆病除、索麪以祭テ、下食ヲ食スレバ、其年瘧病ハ不病也、

〔日次紀事〕

〈七七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 七日 七夕〈世稱七夕、武家并地下良賤各著白帷子慶、家々喫索麺、又互相贈、〉

〔浪花の風〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 七夕には西瓜を賞玩す、一統に冷索麪を食ふこと江戸と同じ、燒物にはかますを用ふ、飯の菜にはおしなべて天不羅を用ふ、

〔貞徳文集〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 名物奈良索麪、道明寺糒送給候、則七夕用立可申候、殊梶葉被取別候、〈◯中略〉恐々謹言、
  七月七日          水淵石見守
    高槻駿河守殿

曝涼

〔西宮記〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 凉御調度〈◯七日〉 藏人所人等共凉之、〈召長筵、敷東孫庇拂拭、〉凉仁壽殿御屏風

〔江家次第〕

〈八七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 同日〈◯七日〉拂拭御物
廣筵於清凉殿孫庇、風戻(イタツテ)御物等、良久拂拭後、如元返置、又披清凉仁壽宜陽殿等御物

〔東宮年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 七日御もちをはらふ事
御もちおほくすくなきにしたがひて、ぎやうじ(行事)のくら人おこなふ、

〔年中行事秘抄〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 七日 拂拭御調度〈藏人行之〉

〔建武年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 七月〈◯中略〉七日、藏人御てうどをはらふ、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 治承四年七月七日丁巳、乞巧奠又如例、〈◯中略〉今日拂書籍虫常、

〔嚴有院殿御實紀〕

〈八〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 承應三年七月七日、佳節朝會例のごとし、左馬頭綱重卿、右馬頭綱吉卿より二種二荷獻ぜらる、松平伊豆守信綱、數寄屋茶具書畫等の曝凉を閲視す、

〔雍州府志〕

〈三神社〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1223 北野宮〈◯中略〉 七月六日出外陣之神寶於西間并幣殿及會所之、其間宮司掃内外陣之煤塵、同七日曉、松梅院主一人入内々陣御手水、神寶中、松風硯筥上置穀葉之、爲七夕祭之歌也、

乞巧奠

〔伊呂波字類抄〕

〈幾疊字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 乞巧(キツカウ)〈乞巧祭 或タナハタマツリ〉

〔同〕

〈太天象〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 織女〈タナバタツメ〉 河皷〈同〉 七夕〈同〉

〔名目抄〕

〈恒例諸公事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 乞巧奠(キカウデン)〈今世俗云キツカウデン、不言云々、〉織女祭(タナバタマツリ)

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 たなばたつめ 倭名抄に織女を訓ぜり、萬葉集も同じ、棚機姫神をして、神衣を織しめたまふこと、古語拾遺に見えたり、よて織女をたなばたつめといひしより、織女星をも同じく名くる成べし、つは助語なり、織女の年に一度牽牛に嫁する事は、齊諧記に出たり、たなばた妻てふ意に心得るは誤れり、神代紀の歌に、おとたなばたとよめるは、弟棚機の義也、〈◯中略〉七夕を義訓するは後世の俗也、理なし、萬葉集にはなぬかの夜とよめり、宋時、節序皆有休暇、惟七夕、有司皆入局不假、と委巷叢談に見ゆ、七夕の歌に糸をよむは、月令廣義に、是夕人家婦女結綵縷、穿七孔針と見えたり、ねがひの糸は、白居易が詩に、憶得少年長乞巧、竹竿頭上願糸多と見えたり、まうけの糸ともいへり、庭の琴も七夕の琴也、衣をよむは、竹林七賢傳に、舊俗七月七日、法當衣とみえ、七夕の雨を洒涙雨といふよし、歳時記にみえたり、源順が歌に、
 織女はそらに知らんさヽがにの糸かくばかりまつる心を、是は事文類聚に、京師七月七夕、婦女望月、以小蜘蛛合子内、次日看之、若網圓正之得巧、〈◯中略〉星夕は御硯水、江州山邊邑星の井の水を用う七月初旬に、文殿の官人下向し採來といふ、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1224 たなばた祭 たなばたまつりの事、ふるくは書に見えざれど、七月七日織女祭と〈延喜式〉見えたるを初とせり、是より百四十有餘年前、天平勝寶七年にはじまりしよし〈公事根源〉見えたれども、是を續日本紀にたヾすに、此事なし、七月七日乞巧奠云々、天平勝寶七年勘文云々と〈年中行事秘抄〉見えたり、これらによりて、此年織女祭のはじまれるよしを、一條禪閤のしるされしにや、又天平勝寶七年の勘文に、はじめてたなばたをまつれる事を書つらねたるを、兼良公は見給ひしによりて、公事根源にしるされしにや、此勘文いづれの書にいでたるや、いまだ見あたらず、しか

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 はあれど延喜前より此事年々行はれけるによりてこそ、式にはしるされたれ、さて此御時より年々歳々に、祭器祭供等も追々設けられしと見えて、延喜式よりも江家次第に、種々の祭器を書載たり、くはしくは上に出せば略せり、さて織女祭を七夕祭といふは、七月七日の夕に祭る故にしかいへり、又乞巧奠ともいへる、是西土より事起れり、乞巧といふことも、唐土より事おこれり、七夕まつりともいふ也、香花をそなへ供ぐをとヽのへて、庭上にふみを置て、さほのはしに五色のいとをかけて、一事を祈るに、三年のうちに必叶といへり、此故に乞巧と申なりと、〈公事根源〉いへり、扨たなばたまつりといふ時は、神祇にかヽはるごとく聞ゆれど、乞巧奠といふときは、さしたる祭祀とは思はれず、且その上神祇官年中行事に、たなばた祭の事見え侍らず、又さしたる恒例にもあらざるにや、諸家の年中行事に、乞巧奠の事をかきのせず、しかりといへども、此祭年々かくべきにもあらざるにや、諒闇時猶祭と〈江家次第、年中行事秘抄、〉みえたり、江次第にしるせるは、村上天皇天暦八年の例也、是は朱雀帝天暦六年に崩御し給へば、八年は諒闇の中なり、行事秘抄の方は、延久五年の例也、是は後三條天皇延久四年十二月、天皇傳位於太子、而明年五月崩じ給ふ、しかるを其年七月祭りし例を擧たり、又天暦八年より延久五年までは、百二十年の間也、後世いづれも此例によりて、諒闇をさけずして、乞巧奠行はれしと見えたり、又内裏有穢時猶祭と〈同上〉みえたるは、應和二年、貞元四年の例を引てしるせり、しかるをいかなる義にや、産後百日内乞巧奠有憚事を〈年中行事秘抄〉しるせる、是は元永二年五月、中宮於三條殿御産あり、其七月七日乞巧奠を行ひたまはざるよし〈同上〉しるせり、是五月より七月七日にいたりて、百日にみたざる故なり、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1225 七月六日爲乞巧奠例 七夕は七月七日の夕をいへり、しかるを六日を以て、牽牛織女の二星をまつる事あり、これ皇國にては中古行なはれし例あり、いはゆる爭教七夕縮爲一レ六、更課秋風計會新と〈新撰朗詠〉みえたり、西土に此例多し、京口人七月六日爲七夕、而常南唐重七夕、而

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 常以帝子京口、六日輙先乞巧と〈入蜀記〉いひ、古書皆以七月七日之夕之七夕、今北人即以七月七日之夕巧、詢其所一レ自則有異端、靜而思之、抑有由也云々、北朝帝王必當七日而崩者、故其俗間用六日之夕、南人不之忌と〈兼明書〉いへれば、當時かヽる事のありしによりて、六日を以て乞巧せられしと見えたり、又初六初七晩、貴家多結綵縷于庭、謂之乞巧縷、則當時初六初七兩日、皆可乞巧と〈香祖筆記引東京夢華録〉いへるは、前の例とはいさヽか異也、これは六七兩日ともに乞巧行はれし一例なり、しかるに乞巧に六日を用ひられし始は、たしかならざれども、五代にはじまりしと見えたり、唐世無此説、必出於五代耳と〈容齋三筆〉いへるをもてしられたり、此風俗四五十年にしてとヾめられしとおもはる、宋の太平興國三年七月の詔に、今之習俗多用六日舊制也、宜復用七日と、〈同上〉禁じ給ひたるにてしられたり、また七夕改北俗六日、太平興國三年七月乙酉、詔曰、七夕改用六日、宜七日七夕、頒行天下と〈瑯邪代酔引詒謀録〉いへるは、同時同年の詔なれども異文なり、しかれども六日をとヾめられしは同義なれば、此年より以後は、六日を乞巧に用ひ給はざる事しるし、

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1226 七月七日二星に物を手向る事 凡二星にこよひ物を手向る事、ふるくよりみえたり寶治二年百首に、乞巧奠を常磐井入道太政大臣よませ給ふ歌に、しら露の玉のを琴の手向して庭にかヽぐる秋のともし火、とみえたるをはじめ、手向るとよめる歌外に數首あり、又たてまつるといふことは、いとふるくより見えたり、天のがは瀬ごとにぬさをたてまつると、〈萬葉集〉みえしをはじめとせり、また七夕に星に物をかすといふ事も舊くよりあり、衣或は琴などの類、何物とかぎらぬなり、太郞百首に、玉のをごともけふはかさましとみえたり、かすとよめる歌はあまたあり、これらは皇國のならはしなれど、西土にも是に似たる事あり、咸與籍居道南、諸阮居道北、北阮富而南阮貧、七月七日北阮盛曝衣、錦綺粲目、咸以竿掛大布犢鼻褌於庭、曰未俗と〈晋書列傳〉いへるをはじめ、竹竿頭上願絲多と〈白居易詩〉みえ、七月七日云々、暴經書及衣裳習俗然也と〈崔寔四民月令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 いへるをおもへば、これらの事いにしへよりの事にて、皇國にて今時竹竿に五色の短册をつけ、家々にたつるもこれらによりしならん、又庭上にふみを置て、さほのはしに、五色のいとをかけて、一事を祈るに、三年の内に必叶と〈公事根源〉あるは、全く暴經書及衣裳といひ、竹竿頭上願絲多といへるによりしなり、

〔塵添壒囊抄〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 乞巧奠事 七月七日七夕祭り也、風土記曰、七月七日牽牛織女會天河、俗掃庭露机筵ト云々、牽牛ヲ爲夫ト、織女爲婦ト、七月七日ニ庭上ニ机ヲ立テ、供具ヲ備ヘ、香花ヲ調ヘテ、又筆ノ前ニ色々ノ絲ヲ懸テ、織女ニ供ジ奉ル也、只是織女祭リ也、

〔續齊諧記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 七夕牛女 桂陽成武丁有仙道、常在人間、忽謂其弟曰、七月七日、織女當河、諸仙悉還宮、吾向已被召不停、與爾別矣、弟問曰、織女何事渡河去、當何還、答曰、織女暫詣牽牛、吾復三年當還、明日失武丁、至今云、織女嫁牽牛

〔西京雜記〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 戚夫人侍兒賈佩蘭、後出爲扶風人段儒妻、説在宮内、〈◯中略〉至七月七日、臨百子池、作于闐樂、樂畢以五色縷相覊、謂爲相連愛、八月四日出雕房北戸竹下碁、勝者終年有福、負者終年疾病、取絲縷北辰星、求長命乃免、

〔開元天寶遺事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 蛛絲ト巧 帝與貴妃七月七日夜、在華清宮遊宴、時宮女輩陳瓜花酒饌、列於庭中、求恩於牽牛織女星也、又名捉蜘蛛、閉於小合中、至曉開視蜘網稀密、以爲之候、密者言巧多、稀者言巧少、民間亦效之、〈◯中略〉
乞巧樓 宮中以錦結成樓殿、高百尺、上可以勝數十人、陳以瓜果酒炙坐具、以祀牛女二星、嬪妃各執九孔針五色線、向月穿之、過者爲巧之候、動清商之典、宴樂達旦、士民之家皆效之、

〔荊楚歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1227 七月七日、爲牽牛織女聚會之夜、 按、戴徳夏小正云、是月織女東向、蓋言星也、春秋斗運樞云、牽牛神名略、石氏星經云、牽牛名天關、佐助期云、織女神名收陰、史記天官書云、是天帝外孫、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 傳玄擬天問云、七月七日、牽牛織女會天河、此則其事也、河鼔黄姑牽牛也、皆語之轉、
是夕人家婦女結綵縷、穿七孔針、或以金銀鍮石鍼、陳瓜果於庭中以乞巧、有喜子網於瓜上、則以爲符應、 按、世王傳曰、竇后少小頭禿、不家人上レ齒、七月七日夜、人皆看織女、獨不后出、有光照室、爲后之瑞

〔東京夢華録〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 七夕
初六日七日晩、貴家多結綵縷於庭、謂之乞巧樓、鋪陳磨喝樂、花瓜酒炙、筆硯針線、或兒童裁詩、女郞呈巧、焚香列拜、謂之乞巧、婦女望月穿針、或以小蜘蛛合子内、次日看之、若網圓正、謂之得一レ巧、里巷與妓館往々列之門首、爭以侈靡相向、〈磨喝樂、本佛經摩睺羅、今通俗而書之、〉

〔和漢三才圖會〕

〈四時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 七夕 七月七日祭河鼔織女二星、謂之乞巧奠
按、河鼔星〈俗誤爲牽牛星〉主軍鼔鐵鉞、備關梁而拒難、中央大星爲大將軍、左將軍、右將軍、共三星以明大光潤吉、織女主果蓏綿絲寶玉及女功、以明大光潤吉、七月上旬夜半二星中於天、以此時之、祈幸福者有所以、然二星以爲夫婦者不可也、〈二星宿度詳天文牛宿之下

〔和漢三才圖會〕

〈四時候〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 【圖】

〔秇苑日渉〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1228 民間歳節下 七月七日謂之七夕、是夕婦女懸彩絲於竹竿、陳酒饌果瓜、以祈牽牛織女

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229之乞巧奠、六日之夕、兒女題詩於楮葉及彩牋、繫竹枝燈毬數十、嚾呼至鴨河之、因亦以六日之夕七夕、 荊楚歳時記曰、七月七日爲牽牛織女聚會之夜、〈◯中略〉 香祖筆記曰、七夕之説、自三代以相沿舊矣、宋太平興國中、詔以七日七夕、著之甲令、而其後多以六日七夕、名七夕而用六、不于何時、右見異聞録、按、東京夢華録、初六初七晩、貴家多結綵縷于庭、謂之乞巧樓、則當時初六初七兩日、皆可乞巧、遂相沿而不察耳、然今並無初六爲七夕之説、 言鯖曰、古書皆以七月七日之夕七夕、今北人即以七月六日之夕七夕、思之未其説、當其所一レ自、 琅邪代酔編曰、遇月三七日酒肉、蓋重道教之故、而七夕改北俗六日、太平興國三年七月乙酉、詔曰、七夕改用六日、宜七日七夕、頒行天下、蓋方其改用六日之時、始於朝廷、故釐正之、自朝廷始、〈詒謀録〉

〔古今和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 なぬかの日の夜よめる   凡河内躬恒
七夕にかしつる絲の打はへて年のをながく戀やわたらむ

〔夫木和歌抄〕

〈十七夕〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 寶治二年百首乞巧奠   信實朝臣
見るまヽに庭のともし火かすかにて七夕祭る夜は更にけり
寶治二年百首乞巧奠   常磐井入道太政大臣
しら露の玉のをごとの手向して庭にかヽぐる秋のともし火

〔年中行事歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 十九番 左〈持〉 乞巧奠〈七月七日〉   爲邦朝臣
七夕にけふは手向る琴の緒のたえぬや秋のちぎりなるらん

〔宗長手記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 大永六年七月、〈◯中略〉七夕に法衣かし奉とて、
法にあふ二の星のかり衣けふのえにてや思ひはなれん、今日の法衣を借衣にて、二星ともに萬年の業をつくしはて侍れかしといふこヽろなり、

朝廷乞巧奠

〔延喜式〕

〈三十織部〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1229 七月七日織女祭

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 五色薄絁各一尺、木綿八兩、紙廿張、米酒小麥各一斗、鹽一升、鰒堅魚脯各一斤、海藻二斤、土椀十六口、〈加盤〉坏十口、席二枚、食薦二枚、錢卅文、
右料物請諸司辨備、造棚三基、〈二基司家料、一基臨時所料、〉祭官一人、祭郞一人、供事祭所、祭郞先以供神物次第列棚上、祭官稱再拜、祝詞訖亦稱再拜、次稱禮畢

〔西宮記〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 乞巧奠〈◯七日〉
内藏寮辨備祭物二前四脚、〈召神泉蓮内侍所粉〉雨夜奠仁壽殿砌下、所人雜役終夜候南廊砌下、曉撤之、〈以上見藏人式〉貞元四年七月七日、内裏有穢、而依例有乞巧祭、其儀如恒、

〔江家次第〕

〈八七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1230 七日乞巧奠事
兼日行事藏人令廻文、令雜役雜色以下、 當日掃部寮鋪葉薦於清凉殿東庭、〈當南第三門〉其上鋪長筵、〈東西妻〉 内藏寮官持雜器奠物於仙華門外、雜色以下傳取供之、 朱漆高机四脚立筵上、〈東西妻二脚在北、二脚在南、相並立之、〉其東南机南妻居菓子等、 一坏〈梨、東第一、〉 一坏〈桃〉 一坏〈大角豆〉 一坏〈大豆〉 一坏〈熟瓜〉 一坏〈茄子〉 一坏〈薄蚫〉 或説加干鯛一坏、然而違式歟、〈式謂藏人式也〉北妻居酒坏一口、 以上並尾張青瓷有朱漆華盤、 西南机〈同上〉 西北机居香鑪一口、〈在西、納殿百和香四兩盛之、〉居朱彩華盤一口、〈在東、盛神泉苑蓮十房、五房歟、〉置楸葉一枚(東在苑)、〈挿金針七銀針七、件針別有七孔、以五色絲縒合貫之、裏書曰、七孔針、荊楚歳時記、七月七日牽牛織女會天河、此則其事、家家婦結絲縷穿七孔針、或以金銀鍮石針、設瓜菓於庭中、以乞巧、有蟢子羅於瓜果上、則以爲巧、〉 前例件針金銀各一、差色紙一枚而近代各七可之、 東北机〈同上、但無針、〉 自御所下筝一張東北西北等机上北妻、〈延喜十五年例用和琴〉立柱(筝裏書云)有三様、常用半呂半律秋調子也、 立黒漆燈臺九本於件机四方四角并中央、〈加打敷、謂之九枝燈、〉内藏寮供御燈明、〈用土器〉 件中央燈明有兩説、或向北或向御前、 召内侍所粉五合、散机上及筵上、立御倚子於庭中、〈或無之〉爲二星會合也〈令殿上侍臣結番〉窺之、 藏人取御挿鞋祗候、鋪座於河竹臺東雜色以下祗候座、〈式可南廊壁下云云〉 或有御遊御作文等事、事了給祿及曉更之、事了下格子、〈雖明猶下之亦上云云〉 諒闇時猶祭〈天暦八〉 内裏穢時猶祭〈應和二〉 雨濕時設於仁壽殿西庇

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 行事藏人終夜束帶監臨候小板敷、雜色以下亦終夜遞撿知之、束帶、

〔雲圖抄〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 七月七日乞巧奠事〈清凉殿東庭供之、南階間立之、或立御倚子於東庭、伺見二星之佳會、臨曉召侍臣管絃、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 灯 灯 針差楸葉 灯

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 火舍蓮房 琴 火舍蓮房

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 〈立朱漆高机四脚、東西妻立之、或説又南〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 〈北妻立之、以掃寮部筵下敷、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 〈雨濕之時、仁壽殿西砌内奠之、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 東庭 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a47.gif

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 灯 或置琵琶 灯 灯

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 茄 桃 大豆 干鯛 酒盃 熟瓜 梨 大角豆 薄蚫 色目如

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 〈雜色所衆等候南廊壁下、終夜巡撿、臨曉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 〈散香粉也、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 〈灯一向逐南、或又相對各有打敷、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 灯 灯 灯

〔東宮年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1231 おなじき日〈◯七日〉きつかうてんの事
この日のゆふべに、ぎやうじのくら人、ひのござのみすをたれて、にはにひろむしろ三枚をしきて、しゆでんのかみのしもべこれをしく、そのうへにつくゑをたてヽ、まつりの物どもをそなふ、たいりやくさしづにみえたり、くら人ならびに所のざうしき、おなじき所のしゆ、たちはきをのをのそくたいをして、これをやくす、又同ともがら、よもすがらかはるがはるこの所に候、ちやうくわむもせう〳〵候べきなり、あか月にのぞみて、つくゑならびにむしろのうへにかうをちら

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 す、あけぼのかたにまつりのぐどもをてつす、
ざう料 むしろ かもれう しろきのつくゑ四きやく もくれう
御かヾみ 御ひとり しやうのこと こがねしろがねのはり 香粉等 已上自御所
奠物等 蓮花トウダイ 已上チヤウニマウク
あぶら しゆでんのかみ 今案、つくゑはうちにも、春宮にも、ふるくはづしよれうのつくゑをもちゐられたり、しかるをえんぎ十七年に、うちに候し朱のつくゑを、とヽのへまうけられてのち、そのつくゑをもちゐらる、とうぐうには、もくれうしらきにてたてまつる、たヾしとばのゐんのとうぐうの御時、しらかはのゐむより、これをたてまつられたりと見えたり、その日あめふる時には、びんの所にとヽのへまうく、ふるくはぎよゆうある時は、くわんぐゑんにたへたるともがらめして、そのことをはり、又別の仰にて詩歌の事もあり、

〔年中行事秘抄〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 七日 織部司織女祭事 乞巧奠事〈於御殿庭藏人行之◯中略〉 先例重服不之云々 用神泉苑蓮房 觸穢時乞巧奠事 江記云、寛治八年七月六日乙巳、自院〈◯白河〉判官代季安、奉仰示送云、觸穢時、乞巧奠可行否如何、即令申云、西宮抄穢時尚祭、〈延長例〉應和二年雖穢尚祭、〈見二代御記〉貞元四年内裏有穢時、乞巧奠如常云々、 諒闇時、被乞巧奠事 延久五年七月例也、藏人著吉服、 産後百日内、乞巧奠有憚事、 元永二年五月廿八日、中宮於三條殿御産事、〈皇子〉七月七日、不乞巧奠、是御産以後、百日内有憚之故云々、 穢中乞巧奠例 永祚二年七月、宮中有穢事、而依舊例乞巧奠、〈見西宮裏書〉 相尹記、正暦元年七月七日、乞巧奠、〈大内雖穢氣、依延喜十一年例之、〉案之、去二日、大入道殿〈◯藤原兼家〉薨去、

〔建武年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1232 七日、〈◯七月、中略、〉夜に入て乞巧奠あり、庭に机四をたてヽ、燈臺九本をの〳〵ともし火あり、机に色々の物すへたり、しやうのこと柱たてヽこれををく、つくゑの火とりに夜もすがら

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 空だきあり、陰陽寮ときをそうす、ことぢに三の様有、つねは盤渉調、半呂、半律あきのしらべなり、しる人すくなし、

〔體源抄〕

〈十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 乞巧奠に筝をしらべてつくゑにおく事、机二脚なり、東西にこれを次で又一脚も侍也、二脚あらば東のつくゑは雙調にしらぶべし、西は平調にしらべて、筝は一張なるべし、但一ちやうだてつくゑも一きやくあらば、平調のことぢにしらべておくべきなり、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 七日、梶の葉に歌をかヽしめ給ひて、二星に手向らる、御引なほしめして、御三間の御座に著御、御はいぜんの人、例のきぬをいだきて御前に參る、かけ帶ばかりをかけて候ず、内侍ひとへ衣をきて、御すヾりをもて參る、其やう重硯の中のすヾり七ツをとり出し、ひろぶたにすう、二とほりに並ぶ、上に三ツ、下に四ツ也、いもの葉に水をつヽみゆひて、ひろぶたの上の方の御右の方角によせて、あたらしき筆を二管、墨一挺、硯の傍におく、梶の葉七枚を重ね、おなじ枝の皮七すぢ、そうめん七すぢ、索べい二ツを三方にすゑて御前におく、七ツの硯にいもの葉の中なる水をそヽがせたまひて墨すり、梶の葉一枚ヅヽとりて、歌をかヽせ給ふ、或は當座御製、或は古歌定やうなし、硯七面をかへて一首づヽかき終せ給ふ、〈古歌ならば七首也、當座の御製ならば、同じ一首を七枚に書なり、〉はいぜんの人梶葉七枚を重ねて、索べい二つを中に入ておし卷、上下を折てかぢの木の皮七すぢ、索餅〈◯索餅恐索麪誤〉七すぢをもて、十文字におし結びて出すなり、女官便宜の所やねに打あぐ、中なるものに心をかけて、からすなどのかけてゆくこと、毎度の事也、御硯は院女院親王女御等御座の時、次第にまゐらせらる、御ものし右京大夫などもて參る、〈◯中略〉こよひ星の和歌兼題にて各詠進す、講ぜらるヽ迄はなし、たヾとり重ねて置るヽばかり也、毎年一首懷紙也、若七首のくわいしあり、同御遊あり、勿論御所作堂上地下のがく人しこう、盤渉調七なり、但御遊は有無不定也、

〔洞中年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1233 七夕從禁中御硯まいらせらるヽ、右京大夫持參なり、内侍請取獻之、則かぢの

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 葉に手向の歌を被書付、是を御硯蓋にのせ、内侍持出て藏人に被渡、藏人請取て是を七夕に備るなり、御殿の棟へ上る也、 御硯調やう廣蓋に御硯石計七ツ、御筆墨あり、〈◯圖略〉御歌被書付て後、其かぢの葉に供物を包、其上を紙のひねりにて十文字に結なり、供物は秋の景物などやうのもの也、委は不見、此外不指事

〔禁中近代年中行事〕

〈七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 七日夜七夕祭 常の御殿御庭に、二間四方程に四角に、ゑだ付の竹長サ七八尺程、ふとさ五寸廻り程、上に小なわを四方に引、御前の方のなわに、五色のきぬ糸かけさげる、竹四方の内にはこもを敷、御ゑんがわに高つくへ有、其上に、はり、糸、あふぎ、笛をおき、あこだうりを皮ともに輪切にして、かわらけ七ツに入、臺にのせ、しほあわびを切、かわらけ七ツに入、臺にのる、かぢの葉、ひさごの葉をしき、此上にはすの花をむしりおく、御ゑんにもこもを敷、つのだらひに水いっはい入おく、御燈七ツともし、御くわいししよくの上にあり、

〔日次紀事〕

〈七七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 七日 扇子〈禁裏賜扇子於諸親王及女中、高貴童形人、金銀茅輪一雙以絲結之、懸衣領之間、其中有兩尊親之人、則用茅輪兩箇、至晦日而止、〉

〔左經記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 長元元年七月六日己亥、及晩景參殿、依御出、權辨云、宮〈◯後一條中宮藤原威子、去年十二月父道長薨、〉乞巧奠祭可有歟如何、尋先例、延長間、大内有穢猶被祭、又御讀經修法僧等雖祭日退出、但御服時、被祭之例不見、天暦八年諒闇時有祭、以此由等還御申事由示也者、權辨諾畢、 七日庚子、早旦權辨相示云、乞巧祭可停止之由有仰者、仍召仰屬爲信畢、

〔知信朝臣記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1234 天承二年七月七日、夜有乞巧奠事、下官依行事、著束帶宮、供奉奠物、其儀晝御座庭中掃部寮敷葉薦二枚、其上施長筵、〈東西妻〉其上立赤漆高机四脚、〈皆東西妻、件机木工寮進之、而依異様美麗造調、爲永年物廳、今日用之、〉北二脚居十六坏、〈色目見差圖〉南二脚中央横置筝一張、南西机辰巳角居火取一口、〈有籠、焚名香、〉其西敷楸葉一枚婉置五色糸、其西敷同葉蓮、南東机未申角居御鏡一面〈開蓋〉其東敷楸葉一枚、差金銀針各二、〈穿五色糸〉其東敷同葉、又盛蓮花燈臺九本、〈三行立之、有打敷、〉北廊北砌内、掃部寮司敷帖爲侍等通夜座、諸司女

〔知信朝臣記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 【図】

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1235 丑寅向 東向 辰巳向 蓮花 五色糸 火取 居物同東机 南庭 北向 北向 南向 侍座 鏡 針 蓮花 干鯛 薄蚫 枝大豆 枝大豆 酒盞 茄子 梨 瓜 桃 戌亥向 西向 未申向

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 官侍等〈束帶〉供奉雜役長以下、無官侍兼日催、當日參集刻限、結番次第、通夜祗候、撿知、行事宮司同前、自御所申出物、 箏 火取 御鏡 名香 等廳存例皆催儲之 内女官持參白粉之廳辨備衝重、進大盤所、又居侍所饗例、 廳相折云、乞巧奠料米五石四斗 油三升〈代米九斗〉 七日料米廿四石二斗〈色目同五月〉 別納相折云、御節供料米廿石、
承保三年乞巧奠、高陽院内裏儀御所南面也、准彼年例供奉也、又可後代例

〔長秋記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 長承二年七月七日庚申、自女院仰云、七月七日、當庚申時於乞巧奠前、不男女七人會同、各書舊歌百首、都合爲一卷、用歌占指不違云々、早可書進者、此事未聞、然而依仰奠之、於其前書、女房二人、大夫公尼也、花見〈天〉男五人師任、師仲、舞人忠方男、近方男、當時依來合也、事畢結調納置、後知此事之人語云、件歌等都合作造紙一帖也、自其夜明年七夕置東向戸上、七夕取出問占也、若其間爲風爲鼠被吹落者、不七夕之、問事例事也、各百首中有同歌、又無事妨云々、

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 仁安三年七月七日丙寅、内裏御遊具於清凉殿東庇佳例、被於東庭、乞巧奠如例、藏人基光奉行於桂芳坊御服犬頭糸奉織女例、白河殿御節供、家司左衞門佐信基調進之

〔増鏡〕

〈十三秋のみ山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1236 七月〈◯元亨二年〉七日、乞巧奠いつのとしよりも御心〈◯後醍醐〉とヾめて、かねてより人々に歌もめされ、ものヽねどもヽこヽろみさせ給ふ、その夜は例の玄象ひかせたまふ、人々の所作ありし作文にかはらず、笛篳篥などは殿上人どもなり、板の程にさぶらひてつかまつる、中宮もうへの御局にまうのぼらせ給ふ、御すのうちにも琴琵琶あまた有き、播磨の守ながきよの女、いまは左大臣の北方にて、三位殿といふも筝ひかれけり、宮の御方の、はりまの内侍も、おなじく琴ひきけるとかや、琵琶は權大納言の三位どの、〈師藤大納言女〉いみじき上手におはすれば、めでたうおもしろし、蘇香萬秋樂のこるてなく、いく返となくつくされたる、あけがたは身にしむばかり、わかき人々めであへり、さらでだに、秋の初風は、げにそヾろさむきならひをことはりにや、御遊

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 はてヽ文臺めさる、此たびは和歌の披講なれば、その道の人々、藤大納言爲世、子どもむまご共引つれてさぶらへば、うへの御製、
 ふえ竹のこゑも雲ゐに聞ゆらし今宵たむくる秋のしらべは、すむことなかるめりしかど、いづれもたヽ、あまの川かさヽぎのはしより外は、めづらしきふしは聞えず、まこと實教の大納言なりしにや、
 おなじくばそらまでおくれたき物のにほひをさそふ庭の秋かぜ、げにえならぬ名香の香どもぞ、めでたくかうばしかりし、

〔看聞日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 應永廿三年七月七日、七夕爲御法樂草花人々被召集、仍早旦人々獻之、座敷聊被餝屏風立廻、本尊唐繪懸之、其前チガヰ棚一脚立之、種々唐物共置之、花瓶盆等數十瓶置之、委細記別紙、花所進人々新御所、余、〈◯後崇光〉綾小路三位重有朝臣、長資朝臣、大光明寺僧達、指月坊主、藏光菴、行藏菴、退藏菴、淨隱菴、即成院、光臺寺、玄忠、憚啓、有善、寶泉、北藏等獻之、廿六瓶出來、餝具足唐物等、寶泉悉進之、僧俗參拜見申、節供如例、 廿四年七月七日、七夕梶葉法樂依服暇之、草花殊更五六瓶立之、花面々所進令略、但光臺寺一兩瓶獻之、御節供廣時申沙汰爲下司役、自往古定置、而近頃善理下司職雖知行、不沙汰之間中絶畢、廣時下司被補之間、任往古之例懃仕珍重也、

〔薩戒記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 應永三十二年七月七日甲辰、自早旦院於泉殿、被草花、四辻宰相中將奉仰相觸、緇素所召進也、及百餘瓶云々、法樂御樂例年儀也、而今日依雨被停止了、參集人々空退出云々、内裏乞巧奠權大納言〈實秀〉奉仕筝、依雨撤長橋、其跡立棚云々、院乞巧奠相待雨脚之休止、被晴儀、季保卿調筝云々、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1237 永正十四年七月七日、今日内裏和歌題乞巧奠、詩題星夕雲似衣、中納言兩席共詠進、余得度以後者不詠進也、内藏頭和歌無了簡云々、詠遣了、私手向如例、索麪賞翫、四條右少等在席、内裏御

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 樂如例、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 慶長三年七月七日、朝御さか月まいる、七夕の御うた御がくもん所にて、いつものごとくあそばし、御すヾりあらはれて、きぬにて長はしおかるヽ、いつものごとく、かぢのはにあそばしたる御うたに、さくべい(索餅)を入て、とくせん(得選)にいださるヽ、小御所の御やねにあぐるなり、朝かれい新大すけ殿、新内侍どの、さへもんのすけ御まいり、こよひの御さか月三こんまいる、じゆごう御まゐりなし、女御よりうりまいる、御神事の御行ずいまゐる、

〔後拾遺和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 七月七日、風などいたくふきて、齋院にたなばたまつりなどとまりて、八日まであるべきにあらずとて、まつり侍けるによめる、   小辨
たまさかにあふ事よりも七夕はけふまつるをやめづらしとみる

幕府乞巧奠

〔年中定例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 七月七日、御對面已下同前、梶の七葉に御詠あそばされ候也、

〔年中恒例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 七月七日、〈◯中略〉梶葉に七夕の歌七首あそばさるヽ也、〈◯中略〉寅時の水にて、御硯を御會所同朋あらひ申て、御硯水には、いもの葉の露を、そのまヽ葉にて包て、御硯水入の上に置申也、又御硯のふたをあほのけて、梶葉七枚、梶皮、そうめん等を入て、梶葉に歌をあそばされて後、梶皮そうめんにて竹に付て、御やねへあげらるヽ也、

〔伊勢貞助雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 七夕に梶の葉に御歌被遊候御事候哉、七夕の御會は面向に而御座候、梶の葉に御歌被遊候御事は、内々の御事候哉、梶葉七枚に御歌をあそばされ、やねへ後向れて打上られ候、何も内々に而の御事に而候、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1238 廿二番 右 七夕參賀〈◯中略〉
六日のゆふべより、さヽ竹に願の糸をかけ、短册などにものかきて星に備へ、管絃の具など手向る事、乞巧奠をまねびし也、

臣庶乞巧奠

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 永久六年〈◯元永元年〉七月七日、今夕牽牛織女相見、乞巧慇懃祈萬歳
大治四年七月七日癸未、晩景風頗吹小雨下、今日被乞巧奠穢也、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 文龜四年七月七日乙未、七夕手向如例、人々來七夕同詠織女雲爲衣和歌、

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 七月 同日〈◯七日〉七夕祭 江戸中子供、短册七夕ニ奉ル、

〔東都歳事記〕

〈三七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 六日 今朝未明より、毎家屋上に短册竹を立る事繁く市中には工を盡して、いろいろの作り物をこしらへ、竹とともに高く出して、人の見ものとする事、近年のならはし也、

〔嬉遊笑覽〕

〈六下兒戲〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 江戸にて近ごろ文政二三年の頃より七夕の短册つくる篠に、種々の物を色紙にて張りてつるす、其頃はなべてせしにはあらざりし、只濱町邊の町屋などにて見しが、今は大かた江戸の内、せぬ所もなきやうなり、

〔諸事留〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 天保十二〈丑〉年六月
例年七月七夕祭と唱、笹〈江〉短册を付差出候者、前々より之義ニ候處、近年大行之造物、又は如何敷造物等差出、年々致増長候由、短册下〈江〉付候位之小き品は苦カル間敷候得共、短册竹之外ニ、格別大行之造物等は、今般御趣意も有之候ニ付、不然哉、町々名主共より心付候様、今日樽藤左衞門殿ニ而、御演説有之候間、此段御達申候、御組合限月行事持場所共、不洩様御申合可成候、以上、
  六月廿八日     南北小口 年番 世話掛

〔守貞漫稿〕

〈二十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1239 七月七日、今夜ヲ七夕ト云、〈タナバタト訓ズ、五節ノ一也、◯中略〉
今世大坂ニテハ手跡ヲ習フ兒童ノミ、五色ノ短册色紙等ニ、詩歌ヲ書キ、青笹ニ數々附之、寺屋ト號ル筆道師家ニ持集リ、七夕二星ノ掛物ヲカケ、太鼔ナド打テ終日遊ブコト也、江戸ニテハ兒アル家モ、ナキ屋モ、貧富大小ノ差別ナク、毎戸必ラズ青竹ニ短册色紙ヲ付テ、高ク屋上ニ建ルコト、大坂ノ四月八日ノ花ノ如シ、然モ種々ノ造リ物ヲ付ルモアリ、尤色紙短尺ハト

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 モニ半紙ノ染紙也、如此江戸ニテ此コトノ盛ナル、及ビ雛祭ノ昌也ハ、市中ノ婦女多ク大名ニ奉公セシ者ドモニテ、兎角ニ大名奧ノ眞似ヲナシ、女ニ係ル式ハ盛ナル也、故ニ男ノ式ハ行レズ、形バカリニテ女式ハ昌也、〈◯圖略〉作リ物、昔ハ家ニ自造シテ興トス、今ハホヽヅキ形、帳面ノ形、西瓜ヲ切リタル形、筆形等、又枕ノ引出シヨリ文ノ出タル形ナド賣ル、然レドモ稀ニ自作シテ、種々ノ形ヲ付スル者往々有之、作リ物多クハ竹骨ヲ用ヒ、紙ヲ張ル、右圖ノ梶葉クヽリ猿瓢等ハ、紙ニテ切タルノミ、

〔房總志料〕

〈四上總附録〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 一夷隅の俗、星夕に藁にて牛馬の形を造り、戸上にかく、云牛郞、紅女をむかゆと、他邦にもある事にや、艾虎などの轉ぜるにてあらん、かヽる古俗はあらたむまじき事なり、

〔水戸歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 七月七日、七夕登城奉賀、五色ノ紙ニ和歌ヲカキ、竹枝ニ著テ庭ニ立ル、

〔藻鹽囊〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 星祭
 信濃路やすくなき竹の星祭   長霍
關東にて幼童の諺に、色の紙をたちて歌を書、笹につけて、七夕にさヽぐる事あり、都邊は、楮(カヂ)の葉桐の葉などに歌を書て、川へ流して星の手向とす、

〔鹽尻〕

〈十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 同所〈◯信濃松本〉七夕、木ニ人形ヲツル、又初秋七夕、町に繩を以て家ごとの軒にかけ、路をよこぎり、それに木にて人形を、いとおろそかに作り、紙衣をきせ、いくつとなく彼繩につりおく事、城下皆同じ、國々節序の風俗、いと珍らし、

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 たなばたつめ〈◯中略〉 信州松本の七夕の風俗に、繩をもて家と家との軒にかけ、路を横ぎりて、張木の人形に紙衣をきせ、いくつとなく彼繩につり置りといへり、

〔年齋拾唾〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1240 七夕 本朝の風俗に、七月六日夜、土民おほく野邊に出て、火をもやして、たはぶるヽ事侍り、是牽牛星を祭るなるべし、予〈◯惠空〉此夜二三子を誘引して、和歌山の城下を出て、北の方宇

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 治川にあそびて、四方をのぞみければ、山の麓河の堤、さかりに火をたいて、秋の夜も晝かとうたがふ、一葉の輕舟をわたり、むかひの里粟村などよぎりて、大谷と云村にちかづく、まぢかくよりて是を見侍に、里人續松に火をかヽげて、たがひにたヽかひあへり、予たちよりて、ひとりの老人にあふていはく、かく燃してたヽかふ火は、何の益ありけるにか、こたへて申さく、今宵たヽかひて勝理を得たる里には、當年の秋の田よくみのりて、世の中ゆたかなる事をおぼゆ、又此續松の灰をとりて、明日の朝、牛の鼻にふれ、或は今宵牛に水をあみせて、此火にてあたヽむる事あり、みな牛の病ひをさけんがためなりと、かたりをはれり、五畿内、其外近國所々に、此風俗ありときこゆ、愚案ずるに、石申暦星經に、牽牛六星は、牛をつかさどる星也、春夏は木の姓をそなへ、秋冬は火の姓ありといへり、故に七月七日は、牛女の二星をまつる日なるにちなんで、前の夜より火をたきて、牽牛をまつり、耕牛の恙なき事をいのると見えたり、漢武帝の正月十五日に、太乙星をまつられしも、火を燒ておこなはれしとあり、〈◯下略〉

七遊

〔古今要覽稿〕

〈時令〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1241 七遊〈七物〉 七月七日七遊といふ事、ふるくは物にみえざれども、此事のはじまれるは、南北兩朝の頃よりや初りけん、其證は七月にもなりぬ云々、七日は七百首の詩、七百首の歌、七調子の管絃、七十韻の連句、七十韻の連歌、七百の數のまり、七獻の御酒なりと〈おもひのままの日記〉みえたり、〈此日記は、後普光園院攝政良基公のしるさせ給ふ所なり、〉此説によりて、此公の暦年をおしはかるに、貞和二年に關白にならせ給ふ、貞和二年は建武に後るヽ事、十一二年なれば、此以前より此遊びありし事しられたり、しかはあれど、此日記に年月をしるし給はざれば、若年の時しるし給へるや、晩年に及たまへる時なるやいなやはしるべからざれど、嘉慶二年に薨じ給へり、嘉慶二年は後小松天皇の在位の中なり、後小松院御代七物といふ物の興行ありし事あり、享徳三年七月七日丁巳、抑今夕於禁中七物七〈以上五十歟〉御樂可有之由被定、此事後小松院御代被興行之後中絶と〈康富記〉いへり、後小松

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1242 院の至徳元年より、上にいふ所享徳三年までは七十一年なり、此年暦の間いつの頃よりか中絶したるを、ふたヽび興行せられしとみえて、洞院内府有申沙汰、旣可之由治定と〈同上〉記したり、又文明十二年七月七日晴、今日有七種事と〈親長卿記〉見えたるは、享徳三年に後るヽ事二十六年なり、又七種法樂、七色御手向といふ事あり、永正十五年七月七日、〈上略〉又於此亭〈大納言方〉七種法樂と〈宣胤卿記〉みえたり、天正十八年七月七日、七色御たむけとて、御歌、鞠、御碁、花、御貝おほい、御楊弓、御かうありと〈御ゆどののうへの日記〉みえたり、これらの二箇條は、二星にたむけの爲に設けられし事とおぼしき也、桃園院御代には七遊とて、詩歌管絃をはじめ、七種の御遊びあり、御當代は御沙汰なしと〈恒例行事略〉いへるは、もつともちかきこと也、さて諸家の日記によりて考ふるに、七遊の事はおもひのまヽの日記にはじめてみえ、それより後は、御代御代或は廢し、或は行はれしとみえて、此事後小松院御代、被興行之後中絶と〈康富記〉記せるにてもしらる、扨また七つ物といひ、七種の事といひ、七色の御遊といひ、七遊といふ名はかはりたれど、いづれもおなじ意なるべし、これらは其御代其時によりて異なるなり、故に後普光園院の御記には、七百首の詩、七百首の歌、七調子の管絃、七十韻の連句、七十韻の連歌、七百の數のまり、七獻の御酒と、こと〴〵く七數をそなへて、遊を設けられしかば、七遊とこそいふべけれ、以下はたヾ七種の遊を設けられしのみなれば、七つ物といひ、七種の事といひ、けふの御遊七色などヽありて、七數を用ゐざるは、時の興廢によりてかはれる也、親長卿記には鞠、楊弓、樂、郢曲、和漢五十韻、和歌七盃飮とみえたるを以ておもふに、七の數を用ゐたるは、七盃飮の名のみ也、和漢五十韻とあるにても、他は七數を用ゐざる事しられたり、諸家の記に御遊の品異同まち〳〵なり、此等の事は其時代時宜によれば、彼を是とし此を非とするにも及ばじ、偖又いつの比よりか始りけん、此日飛鳥井家、難波家蹴鞠の會あり、又六角堂池坊、東西兩本願寺立花を設るよし、〈日次紀事〉しるせり、これらも七遊より事起れる也、鞠、花は七物の數の中なれば、さ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 もあるべし、扨凡の物多くは西土より事起りて、皇國に傳りぬれど、皇國のみにありて、西土にしらぬ事まヽあり、これ風俗のしからしむる所にして、國異なれば物異なる理なり、これらのあそび西土にてしらざる事は、彼土の書籍中に一もうはさなきによりてなり、

〔おもひのまヽの日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 七月にもなりぬ、吹たつ風のけしきやう〳〵おもしろきころなり、七日は七百首の詩、七百首の歌、七調子の管絃、七十韵の連句、七十韵の連歌、七百のかずのまり、七こんの御酒なり、さま〴〵れいの事なれば注に及ばず、

〔年中定例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 七月七日 常徳院殿〈◯足利義尚〉御時は、笠懸、犬追物、御歌、御連歌、御鞠、楊弓、御酒、以下七種の御遊び御座候時も御入候、

〔園太暦〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 貞和四年七月七日、今日禁裏詩御會、仙洞和歌御會、并御遊春宮七調子御樂等也、

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 享徳三年七月七日丁巳、抑今夕於禁中七物七〈以上五十計也〉御樂可有之由被定、此事後小松院御代被興行之後中絶、仍洞院前内府有申沙汰、旣可有之由治定處、樂人等有所存、各不參候、仍俄被略了云々、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 文明十二年七月七日、今日有七種事、 一鞠 一楊弓 一樂 一郢曲〈依人々故障之、俄改圍碁了、〉一和漢五十韵 一和歌〈兼日七首題賦之、當日披講〈講師元長、讀師飛黄門、〉飛鳥井中納言、披講之時來了、予早歸了、〉 一七盃飮 人數 予、中御門中納言、飛鳥井中納言、侍從中納言、新宰相〈基綱〉元長、寂譽入道、空齋法眼、富就朝臣、俊通、三善清房、永有、景益、良世法眼等也、酒畢又有楊弓碁鞠等、依興也、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 永正十五年七月七日、今日内裏和歌題、月前望二星、詩題禁庭巧夕、宣秀卿兩席共詠進之、各不持參内ニ付甘露寺大納言、余得度以後不詠進也、御人數者御月次衆許也、〈及夜有御參〉又於此亭〈大納言〉七種法樂左金吾、〈同中將基規朝臣〉四條山科左少以下來、和歌、連歌一折、楊弓鞠、花、酒、索麪等也

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1243 天正十八年七月七日、けふ七色の御たむけとて、御うた、まり、御五、はな、御かい

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 おほひ、御やうきう、御かうあり、ながはしにてぐ御二どあり、ひるはそろ〳〵あり、慶長六年七月七日、あさ御さか月まゐる、けふのみあそび、七色、詩歌くわんげん、御やうきう、たてばな、御まり、御五、せつけ、せいぐわ、とざま、ない〳〵いづれもやくしやたち、御しようなり、〈◯下略〉

七夕踊

〔日次紀事〕

〈七七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 七日 踊躍〈今日洛下兒女結帶爲襷襅、擊太鼔踊躍、〉
◯按ズルニ、七夕踊ノ事ハ、樂舞部踊篇小町踊條ニ在リ、

雜載

〔空穗物語〕

〈祭の使〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 七月七日に、大將殿にあくる日とヾめて、にしのおとヾよりあをいろに、すはうがさね、れうのうへのはかま、みへがさねのはかま、ひとへがさねのあや、かいねりのあこめきたるわらは、かみたけひとしき八人のなかのおとヾより、あか色にふたあゐがさねのあこめはかま、おなじき八人、きたのおとヾより、うすものにあやかどりかさねたる、をみなべしいろのかざみ、あこめはかま、おなじやうにて八人、かた〴〵よりあゆみいでヽ、おまへのぜんざいまへのしたに、そりはしうきはしをわたしつヽ、いろ〳〵のいとどもを一づヽ、たなばたにたてまつる、つぎてすのこに、まきゑのたなつま七ツたてヽ、ひさしにみすかけならべたてヽ、よきけづりさほわたして、色々の御ぞ共いろをつくしときほどき、おほいかをならべ、御てうどいろをつくし、なをとヽのへ、御かづらどもたけをとヽのへ、かずをつくして、かた〳〵にかざられたり、風にきほひて、ものヽかどもふきくはへぬところ〴〵なし、節供れいのことあづかり、ことにをしきまゐり、物はおなじかずにまゐり、あづかりどもに女のよそひこと〴〵く、本家の御方より、めしならべて給、なみたちてぶたうしたり、

〔源氏物語〕

〈四十一幻〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1244 七月七日も、例にかはりたることおほく、御あそびなどもし給はで、つれ〴〵にながめくらし給て、星合みる人もなし、まだ夜ふかう一ところおきゐ給ひて、妻戸をしあけ給へるに、前栽の露いとしげく、わたどのヽ戸よりとをりてみわたさるれば、いで給て、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 七夕のあふせは雲のよそにみてわかれの庭に露ぞおきそふ

〔北條五代記〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 昔矢軍の事
見しは昔、關東諸國に弓矢とる東西南北にをいて、やんごとなし、〈◯中略〉扨又鐵を木鋒のごとくうちのべ、さきをのみのごとく作り、矢の根とす、是をすやきと名付、毎年七月には、七夕の矢と號し、大名、小名、知行役に主人へ上る、十筋の内五ツはすやき、五ツは木鋒、いづれも是を數矢と名付たり、

〔日次紀事〕

〈七七月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 六日 穀葉〈今日市中賣穀葉、明夜書詩歌、以所二星也、〉

〔梅花無盡藏〕

〈三下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 戊午〈◯明應七年〉之夏、余庭背生穀一株、無培植而自然萌生、予欣然撫之、蓋殷之中宗以桑穀生于朝、而能欽其道、一新遂保位七十五霜、由是則桑穀還眉壽之祥也、本邦風流之家、星夕必摘穀葉歌、獻牛女祐、今取庭背一葉小律二星云、
一道銀灣如帶回 星房會合不媒 曉邊枕穩歡聲湧 雖隔雲秋早催

〔懷風藻〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 大學頭從五位下山田史三方
  五言七夕一首
金漢星楡冷、銀河月桂秋、靈姿理雲鬂、仙駕度潢流、窈窕鳴衣玉、玲瓏映彩舟、所悲明日夜、誰慰別離憂

〔本朝麗藻〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1245 七夕佳會風爲使〈以知爲韵〉   御製〈◯一條〉
靈匹佳期素在斯、凉風爲使去來儀、感通鵲趐橋路、韻訪龍蹄駕崖、且託歡情飄至報、追傳別恨咽中知、一從蘋末秋起、念化自慙未移、
  牛女秋意   儀同三司〈◯藤原伊周〉
何爲靈匹久相思、一歳唯成一會期、行佩應冷露玉、雙蛾且畫遠山眉、未終秋夜難來意、巳至朝雲欲別時、此恨綿々無説盡、蒼茫天水問阿誰

〔本朝文粹〕

〈八詩序〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 七夕代牛女曉更製   野美材
夫七月七日、靈匹佳期也、仰秋河之耿々、瞻白氣之弈々、守夜之人、以此爲應、登仙之語、信而有徴、今夕詔詩臣曰、伉儷相親、天人惟一、易離難會、古今所傷、宜牛女、深惜曉更、臣奉綸綍、敢獻蒭韻、原夫二星適遇、未別緒依々之恨、五夜將明、頻驚凉風颯々之聲時也、香筵散粉、綵縷飄空、宮人懷私之願、似面不同、墨客乞巧之情、隨分應異、臣有一事、非富非壽、家貧親老、庶不官云爾、

〔萬葉集〕

〈十秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 七夕
天漢(アマノガハ/○○)、安川原(ヤスノカハラノ/○○○)、定而(サダマリテ)、神競者(カンツヽドヒハ)、磨待無(トキマタナクニ)、
 此歌一首庚辰年作之、右柿本朝臣人麿歌集出、

〔萬葉集〕

〈八秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 山上臣憶良七夕歌十二首
天漢(アマノガハ)、相向立而(アヒムキタチテ)、吾戀之(ワガコヒシ)、君來益奈利(キミキマスナリ)、紐解設奈(ヒモトキマケナ)、一云向河(カハニムカヒテ)、
 右養老八年七月七日應令〈◯中略〉
牽牛者(ヒコボシハ)、織女等(タナバタツメト)、天地之(アメツチノ)、別時由(ワカレシトキユ)、伊奈宇(イナム)〈◯宇恐牟誤〉之呂(シロ)、河向立(カハニムキタチ)、意空(オモフソラ)、不安久爾(ヤスカラナクニ)、嘆空(ナゲクソラ)、不安久爾(ヤスカラナクニ)、青浪爾(アヲナミニ)、望者多要奴(ノゾミハタエヌ)、白雲爾(シラクモニ)、渧者盡奴(ナミダハツキヌ)、如是耳也(カクノミヤ)、伊伎都枳乎良牟(イキヅキヲラム)、如是耳也(カクノミヤ)、戀都追安良牟(コヒツヽアラム)、佐丹塗之(サニヌリノ)、小船毛賀茂(ヲブネモガモ)、玉纏之(タママキノ)、眞可伊毛我母(マカイモガモ)、朝奈藝爾(アサナギニ)、伊可伎渡(イカキワタリ)、夕鹽爾(ユフシホニ)、伊許藝渡(イコギワタリ)、久方之(ヒサカタノ)、天河原爾(アマノカハラニ)、天飛也(アマトブヤ)、領巾可多思吉(ヒレカタシキ)、眞玉手乃(マタマデノ)、玉手指更(タマデサシカヘ)、餘宿毛寐而師可聞(ヨイモネテシカモ)、秋爾安良受登母(アキニアラズトモ)、
  反歌
風雲者(カゼクモハ)、二岸爾(フタツノキシニ)、可欲倍杼母(カヨヘドモ)、吾遠嬬之(ワガトホヅマノ)、事曾不通(コトゾカヨハヌ)、
多夫手二毛(タブテニモ)、投越都倍伎(ナゲコシツベキ)、天漢(アマノガハ)、敝太而禮婆可母(ヘダテレバカモ)、安麻多須辨奈吉(アマタスベナキ)、
 右天平元年七月七日夜、憶良仰觀天漢

〔萬葉集〕

〈九雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1246 七夕歌一首

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 久堅乃(ヒサカタノ)、天漢爾(アマノガハラニ)、上瀬爾(カミツセニ)、珠橋(タマハシ/○○)渡之(ワタシ)、下湍爾(シモツセニ)、船浮居(フネウケスヱテ)、雨零而(アメフリテ)、風不吹登毛(カゼフカズトモ)、風吹而(カゼフキテ)、雨不落等物(アメフラズトモ)、裳不令濕(モヌラサズ)、不息來益(ヤマデキマセト)、玉橋渡須(タマハシワタス)、〈◯中略〉
 右件歌、或云、中衞大將藤原北卿宅作也、

〔萬葉集〕

〈十秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 七夕
天河(アマノガハ)、打橋(ウチハシ/○○)度(ワタセ)、妹之家道(イモガイヘヂ)、不止通(ヤマズカヨハン)、時不待友(トキマタズトモ)、
機(ハタ)、蹋木持往而(モノヽフミキモテユキテ)、天河(アマノガハ)、打橋度(ウチハシワタス)、公之來爲(キミガコンタメ)、
天漢(アマノガハ)、棚橋(タナハシ/○○)渡(ワタセ)、織女之(タナバタノ)、伊渡左牟爾(イワタラサムニ)、棚橋渡(タナハシワタス)、
 作者未

〔家持集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 秋歌
かさヽぎのはし(○○○○○○○)つくるより天川水もひなヽむかち渡りせん

〔古今和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 だいしらず   よみ人しらず
天の川もみぢを橋に渡(○○○○○○○)せばやたなばたつめの秋をしもまつ

〔夫木和歌抄〕

〈十七夕〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 家集七夕歌を   躬恒
雲はるヽあまのさよはし(○○○○○○○)たえまかもと渡りくらし七夕つめは

〔海人手子良集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247
鵲の行合の橋(○○○○○○)の月なれば猶わたすべき日こそとほけれ

〔新勅撰和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 だいしらず   殷富門院大輔
かさヽぎのよりはの橋(○○○○○○○○○○)をよそながら待渡るよに成にける哉

〔續古今和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1247 光明峰寺入道前攝政家秋三十首に   正二位知家
かさヽぎの雲ゐの橋(○○○○○○○○○)の遠ければ渡らぬ中に行月日哉

〔新後撰和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 題しらず   雅成親王
けふといへば暮るもおそく彦星の行合の橋(○○○○○○○)を待わたりつヽ

〔玉葉和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 龜山院に奉ける七夕歌の中に   安嘉門院四條
またれつる天の河原に秋立てもみぢをわたす波のうきはし(○○○○)

〔萬葉集〕

〈八秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 山上憶良七夕歌
牽牛之(ヒコボシノ)、迎嬬船(ツマムカヘフネ/○○○)、己藝出良之(コギイヅラシ)、漢原爾(アマノカハラニ)、霧之立波(キリノタテレバ)、

〔萬葉集〕

〈十秋雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 七夕
彦星之(ヒコボシノ)、川瀬渡(カハセヲワタル)、左小舟乃(サヲフネノ)、得行而將泊(トユキテハテム)、河津石所念(カハヅシオモホス)、

〔新撰六帖〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 後のあした〈◯織女〉   光俊
久かたの天の河とは明にけり妻をくりぶね(○○○○○○)今やいづらん

〔新古今和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 花山院御時、七夕の歌つかうまつりけるに、   藤原長能
袖ひぢて我手にむすぶ水の面にあまつ星合の空(○○○○)をみる哉

〔後拾遺和歌集〕

〈四秋〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1248 長能が家にて七夕をよめる   能因法師
秋のよをながき物とは星合のかげ(○○○○○)みぬ人のいふにぞ有ける


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:19