http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 二宮大饗ハ、毎年正月二日、群臣ノ後宮〈皇后、中宮、皇太后等、〉東宮ニ拜賀シテ、饗宴祿物ヲ賜フヲ云フ、元日朝賀ノ後ニ節會ヲ行ハルヽト、其義全ク一ナリ、而シテ後世ハ專ラ皇后又ハ中宮ヲ東宮ニ並ベテ、二宮ト稱スレドモ、古ハ皇后ノミニ限ラズ、皇太后、太皇太后等ヲモ東宮ニ並ベテ、二宮ト稱シタリ、抑々此事ノ史ニ見エタルハ、淳和天皇ノ天長五年ニ、群臣ノ後宮ニ朝賀シ、同八年ニ、皇后及ビ東宮ニ拜賀シテ、衣被祿物ヲ賜ヒシヲ始トス、然レドモ此等ハ旣ニ朝賀篇ニ載セタレバ、此條ニ略セルモノ多シ、
又臨時客ト云フアリ、期セズシテ客ノ至ルヲ云フ、大饗ニ比スレバ、其儀大ニ簡ナリ、後世ハ毎年此略儀ノミ行ハレテ、大饗ハ全ク臨時客ト變ズルニ至レリ、故ニ二宮ノ臨時客ハ、併セテ此條ニ收載セリ、

名稱

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 二宮大饗   二日
二宮とは東宮中宮を申也、王卿以下本宮に參して拜禮の事あり、次玄輝門の東西の廊にして饗につく、先中宮の饗につく、次に東宮の饗につく、三獻の儀あり、天長七年正月に、群臣皇后を拜し奉る、ふすまを給、又皇太子を賀すとあり、絶てひさしき事にこそ、

儀式

〔延喜式〕

〈十三中宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0531 同日〈◯正月二日〉受女官朝賀
其日、〈◯中略〉先是内侍令所司鋪座立臺盤、女御以上先著座、次尚侍以下四位以上、次内外命婦、〈北面〉次闈

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 司引六位以下北面列座、昇殿者留著座、不昇殿者退出、饗宴訖賜祿、〈妃白褂衣一襲、夫人内親王、各白褂衣一領、三位以上六幅被一條、四位四幅被一條、五位衣一領、三位已上妻、四幅被一條、四位以下妻衣一領、〉女孺之中給折櫃食百合、祿調綿二百屯、〈事見儀式

〔延喜式〕

〈四十三春宮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 同日〈◯正月二日〉受群官賀
内外列定、東宮降座而立、〈◯中略〉群官再拜、東宮即座、群官退出、亮亦退、掌儀賛者以次退出、旣而親王已下侍從已上、更入就位、倶再拜、訖奉觶郞〈以五位之〉持空盞、前授首者、群官倶再拜、訖間升西階、各就座、〈但五位就西殿東廂座〉坐定、雅樂寮入南門座、主膳率坊官群官饌、行觴一周、雅樂寮作樂、行觴五周、坊官積祿物於殿庭、主藏陣衣被櫃於祿物北、行觴九周樂止、雅樂寮退出、亮於庭中四位五位名〈自下唱之〉賜祿物、四位小褂衣一領、五位綿十屯、訖女藏人各持小褂衣一襲親王已下大納言已上、又持同衣一領中納言三位參議、又持褂衣一領非參議三位并四位參議、訖群官以下竝再拜而退出、所司閉門、

〔西宮記〕

〈正月上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 二日二宮大饗 王卿以下參本宮拜禮、〈近代二拜〉於玄輝門邊靴、著中宮饗、〈西北廊〉東上〈五位幄在庭中〉大夫、亮、獻盃〈兩行唱平〉二獻餛飩、三獻飯汁、次樂舞、〈各二曲〉莖立、包燒、蘇、甘栗、七八巡、宮司給祿、〈就内侍候所給〉五位侍從一人、召名給侍從祿、次宮司給王卿祿、次著東宮饗、〈西上、殿上人役送、〉

〔北山抄〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 二日二宮大饗事 王卿以下、先進御所拜賀、〈式有拜賀儀、而近代所行如之、輕服人著吉服由、見吏部王記、上曰、著服無便拜禮云々、而猶可吉服裝束之由、見延長二年私記、貞信公仰者、近例從之、〉次向玄輝門邊、著靴就座、〈中宮儲西、以東爲上、四位以上著廊内座、五位侍從著幄下座也、〉三獻宮司勸盃後、王卿遞勸之、其儀於北門前石階壇上盃、二人相對酌酒唱平、擬把人之、突左膝、飮畢起又酌酒唱平、次々唱平行之、如旬儀也、三獻後有音樂、數巡之後、五位侍從一人唱名、王卿進座上http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001fd46.gif、取祿一拜退出、〈宮司給之〉次著東宮饗所、以西爲上、帶刀等陣左右、自餘同前、〈天暦八年、康保三年、傅取二獻盃、〉

〔江家次第〕

〈二正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0532 二宮大饗〈飛香舍儀、准南庭、〉 公卿以下參本宮、飾劍魚帶隱文等、〈近代著樋螺鈿〉令亮啓拜禮、進庭中列立、〈淺履〉公卿一列、四五位一列、六位一列、諸衞將佐縫腋、近代六位不立再拜、畢退出、於玄暉門邊

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533靴、東第一間懸簾爲内侍住所、著中宮饗、自庭中進、雨儀自壇上進、東上對座、四位著徽安門以西床子、〈廻幔北、自西方入著、前例入艮、〉五位著庭中幄、〈近代不著、多懸尻役送、〉一獻〈大夫二人取之、相對兩巡行、〉二獻〈大臣二人〈近代公卿〉取之〉勸盃儀、〈於北門前石壇上、執坏具杓、進至上座、酌酒唱平、隨坏氣色突左膝於地、飮了起而又酌酒唱平授之、至四位王留、〉給餛飩三獻〈在座公卿二人執坏〉給飯汁、雅樂寮進庭中舞、各二曲、〈左萬歳樂、北庭樂、右地久、延喜樂、〉四獻以後、公卿取之、〈近代不三獻〉莖立、包燒、蘇、甘栗等給之、七八巡後、宮司令祿綿、積中取酒部平張東頭、五位侍從一人召名、〈中務輔、或隨有、〉侍從等次第進、給祿〈一拜〉分散、〈自下給之〉宮司等給祿於王卿、王卿次第自座上進跪http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001fd46.gif、搢笏取祿、南面一拜退出、於東一拜退出、於東一間簾〈内侍所候〉前之、大納言以上白大褂二領、中納言同褂一領、參議紅大掛一領、非參議四位柳色合小褂一領、五位細屯一連、〈式參議以上女藏人給之、五位以上令宮司給一レ之、〉次著東宮饗、無内侍座、帶刀舍人等、相分陣左右前庭、平裝束、王卿直渡著座、四位著安喜門以東座〈近代門西〉給祿、〈亮以下陣頭等、自西幕内取給之、〉天暦八年、康保二年、傅取二獻盃、延久四年、傅又取之、〈當時關白左大臣〉

〔三代實録〕

〈二十七清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 貞觀十七年正月二日丙戌、親王已下次侍從已上、奉參皇太后宮東宮宴、雅樂寮擧樂、賜衣被、凡毎年正月二日、親王公卿及次侍從以上、奉參二宮宴例也、而年來不書、史之闕也、今此記之、他皆倣此、

〔三代實録〕

〈二十八清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 貞觀十八年正月二日庚辰、親王已下次侍從已上、奉參皇太后東宮宴、雅樂寮擧樂、賜衣被

〔日本紀略〕

〈三村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 天暦元年正月二日戊子、今夜仁壽殿有太后〈◯穩子〉大饗、 二年正月二日壬子、於朱雀院太后大饗

〔西宮記〕

〈正月上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0533 二日二宮大饗 裏書 天徳五年正月二日、東宮於院巽方御厩町、行大饗事、 延長四年正月二日、吏部王記云、中宮東宮大饗云々、中宮手長益送皆用大夫、東宮式益送用六位云々、〈◯中略〉 延長八年正月一日、吏部記云、彈正親王云、明日、二宮大饗可吉否、〈依親王服内歟〉會了參清凉殿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534、上曰、可吉、問明日裝束、彈正親王奏云、諸卿云、可素服、上曰、二宮饗雖簡易、非拜禮、是用朝賀儀、又兩宮饗非私、可公事、又東宮式云、此日宮人著公服云々、已著公服魚袋靴等、何用素服、又古皆三日就吉服、近年有凶服、是訛也、須吉服、唯三日後可凶服也、二日、參左大臣殿云々、了參冷泉院、設宴如常、賜祿直退出不拜、次參中宮饗所、中務少輔後唱名當宰相座、事畢參東宮饗所云々、帥親王行酒親王座、公卿云、先例親王行酒公卿座、此度乖例云々、〈◯下略〉

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 寛弘二年正月二日辛亥、著中宮大饗、一獻、左府〈◯藤原道長〉大夫次々不記、有音樂、左大臣以下預祿、但音樂間、左府脱衣給、舞人等正方及隨身高子丸等兩人被之、余給正方、左府乘興挟酔所爲、彼是相應、余依彼催衣、二宮大饗被物事所明也、可尋記、事了著青宮大饗、一巡後、左府退出來、羞餛飩之前給祿、依深更歟、其後諸卿退出、

〔法成寺攝政記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 寛弘五年正月二日甲子、參中宮〈◯彰子〉大饗、〈◯中略〉南外辨所儲饗如常、立樂間、右兵衞尉多吉茂生年七十五、立舞了、賜衣、是當時第一者内依高年

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0534 寛仁二年十二月十七日乙巳、申刻許參大殿、〈◯藤原道長、中略、〉大殿云、式部卿敦康親王未時薨、〈年廿〉廿二日庚戌、四條大納言〈◯藤原公任〉御消息状云、夜前參大殿、明春事大略承之、朝拜停止如案、無大宮〈◯彰子〉大饗、東宮〈◯後朱雀〉大饗停止、只可中宮〈◯姸子〉大饗、二月可尚侍〈◯威子〉著裳、東宮御元服、依御服延引、春日行幸三月臨時祭後無日、攝政無臨時客事、大殿又不定、明年以後常不面於人、目不見事日日増、有何興其饗云々、攝政大饗事未承之計也、不行歟、 廿四日壬子、大殿攝政被參内、諸卿祗候、於中宮御方雜事、次大殿命云、二日儲爲之如何、按察大納言〈◯藤原齊信〉云、猶可其儲者、命云、目更不見太無便、但二宮大饗被行之時者、諸卿相集、大臣家群參之例也、落合殊不見事也、爲世所思也、人必有云歟、又攝政無儲、李部宮誠雖合聟、宛如聟公、年來同家朝夕相親、可饗饌之由不強勸、然者依彼是勸於家也者、 廿五日癸丑、晩頭宰相來、傳大殿命云、東宮大饗有無未一定、若不

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 行之行之、可行之不行、必可謗難、欲言者、明日可申也、此事思慮太多、大略就康保四年例申歟、 廿六日甲寅、昨大殿被東宮大饗有無事、今朝以宰相申云、明日式部卿親王薨奏、二日大饗太近、亦有御服、須報行之由、而康保三年十二月廿二日、有式明親王薨奏、〈十七日薨〉猶有東宮大饗、彼時被先例、承和〈◯五年〉依芳子内親王薨大饗、承和太子〈◯恒貞〉不宜、延喜五年有中宮東宮大饗、舊年十二月敦固親王薨、延長東宮幼少不御服、然而如康保定者不承和例、以彼因准延長例、深忌避承和例歟、康保太子已成身給、異延長例、只以傍親薨時大饗之例、偏所行歟、依承和例行之由、大難申之事也、左右可御定、件御日記文、大殿即所示也、仍令其旨而已、入夜宰相來云、參大殿、以皇太后宮權大夫〈經房〉令傳申、即被出逢、申子細、命云、此事未思得何爲哉、式部卿親王甚無止、彼式明親王尤劣者、今案道理、不勝劣、只可等親歟、皆是二等也、總可太閤御意者也、 廿七日乙卯、大外記文義朝臣來語、〈◯中略〉東宮大饗事未一定、大略不行歟、延喜十五年十一月、恭子内親王薨、而十六年有東宮大饗、〈保明太子也〉被行之例亦不宜、承和不行之例又不吉者、又云、今夜可御錫紵、無除給之日、廿九日重日、明日坎日、吉年申云、重日有例、〈康保三年〉坎日猶可忌避御、但今日著御日内除御宜歟者、此間被定煩之由承之者、 三十日戊午、宰相來云、〈◯中略〉東宮大饗可行云々、經頼固陳此由

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 治安四年正月二日辛卯、著東宮大饗、〈◯中略〉戍三點事訖、宰相乘車後、今夜給祿間、執喫(○○)狼藉、上達部時日稱物忌出行、仍給隨身祿、〈將監二疋、將曹一疋、府生疋絹、番長信乃四段、近衞等各二段、〉

〔宇治拾遺物語〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 今はむかし、利仁の將軍のわかヽりけるとき、そのときの一の人の御もとに、格勤して候けるに、正月に大饗せられけるに、そのかみは大饗はてヽ、とりばみ(○○○○)といふものをはらひていれずして、大饗のおろし米とて、給仕したる格勤のものどもの食けるなり、

〔榮花物語〕

〈二十四若枝〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0535 はかなくて萬壽二年正月になりぬ、〈◯中略〉枇杷殿〈◯姸子〉には、ことし大饗せさせ給

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0536 はんとていそがせ給、女房なにわざをせんといひおもひたれど、このたびのことには、ものぐるほしく、さまあしき事なくて、たヾうるはしうとの給はするに、〈◯中略〉關白どの〈◯藤原頼通〉の大饗は廿日なるべし、このみやのは廿三日とさだめさせ給て、われも〳〵をとらじまけじと、急ぎのヽしりたり、〈◯中略〉かくてびは殿のみやには、廿二日のよさり、廿三日のあかつきなどにぞ、さとの人々まゐりこむ、廿二日に、寢殿の東のたいなどの御裝束、關白殿の大饗にことにかはるべきにもあらねど、御ひき出物の程かはる、又上達部のはじめは、東の對につかせ給て、のちは御まへの南おもてのすのこにこそはおはすべければ、さやうの事こそかはるべき、其日になりぬれば、日ごろいつしかとまちおもひたりつる、わかき人々はまた人のきぬのいろにほひにやをとらん、まさらんのいどみむねさわがしかるべし、〈◯中略〉扨まゐりこみぬれば、寢殿のみはしのまに、御几帳うるはしくたてさせ給て、そのにしのまよりわた殿より、又にしの對東南おもてまで、ひとまにふたりづヽゐたり、みはしの東のかたより東ざまにをれて、水のうへのわたどのまでゐたり、かずはしらずおしはかるべし、關白殿參らせ給さま、御隨身おどろ〳〵しうめでたしと見る程に、小野宮のおとヾ〈◯藤原實資〉のまゐり給ふをみれば、〈◯中略〉まづ東のたいのもやに、西むきにつきたまへり、殿上人は南のひさしにつきたり、もやはみなみをかみにし、ひさしはにしをかみにしたり、事どもとヽのほりぬる程に、みなれいのさほうにて、〈◯中略〉拜禮はてヽ、左大臣にてこの關白殿おはしませば、それをさきとして、いとうるはしうのどかにあゆみて、寢殿の東おもてのみはしよりのぼり給て、南の階の東西を一の座にて關白殿、つぎに小野宮の右のおとヾつき給ひぬ、つぎに中宮大夫などさしつヾきなみゐさせ給ぬ、〈◯中略〉おはしましゐて、このみすぎはをたれも御らんじわたせば、このにようばうのなりどもは、やなぎ、さくら、やまぶき、かうばい、もえぎのいついろをとりかはしつヽ、ひとりに三いろづヽをきせさせ給へるなりけり、ひとりはひといろをいつ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0537 つ、三いろきたるは十五づヽ、あるは六づヽ七づヽ、多くきたるは十八廿にてぞ有ける、このいろいろをきかはしつヽなみゐたるなりけり、あるはからあやをきたるもあり、あるはおりもん、かたもん、うきもんなど、いろ〳〵にしたがひつヽぞきためる、うはぎはいつへなどにしたり、あるは柳などのひとへは、みなうちたるもあめり、から衣どもの色みなまたこのおなじ色どもをとりかはしつヽきたり、裳はみなおほうみなり、〈◯中略〉殿ばらあさましう、めもあやにて、かたみに御めをみかはしあきれたまへり、〈◯中略〉おまへには、ひんがしのらうのまへのかたに、やヽにしにいでヽ、がく人どもヽ候、おまへのひたきやのもとの梅の、人しげきけはひの風にちりくるかほりもめでたし、れいのさほうの樂人四人づヽいきて、萬歳樂、太平樂などまふほど、いみじうおもしろし、がくのおとなどもをりからにや、すぐれてめでたう聞えたり、樂人ども、おまへのかたのみすぎはをうちまぼり、樂あぐる心ちも興ありて、物のねいとおもしろし、小野宮のおとヾ、關白殿にさしよりきこえ給て、おもしろき事ども、めでたき事ども、いまも年へぬる人はおのづから見る物也、いざけふの女房のなりのやうなる事こそまだ見はべらね、たヾかヽる事は、あさましうけしからずぞありけるなど申給へば、關白殿うちほヽゑませ給ふほども、みすの内には何事ならんと、すヾろはしう思ふべし、一日の關白どのヽ大饗をぞ、とのヽありさまよりはじめ、えもいはずめでたしと思ひしに、かれはやみの夜なりけり、けふはあきらかなるかヾみにさしむかひたる心ちしてこそは、わがはづかしければ、さやうにこそはおぼえ侍れ、〈◯中略〉まづけふは、よろづのことのあまりいたうつくろはるヽに、いとわびしやなどの給も、いとさま〴〵をかし、〈◯中略〉日のくるヽ程に、所々のはしら松どもに、またてごとにともしたるひかりどもなどの、ひると見ゆるに、〈◯中略〉殿ばらいまは御あそびになりて、いみじうをかしきに、夜にいりたり、ものヽねども心ことなり、御かはらけに、花か雪かのちりいりたるに、中宮大夫うち誦し給、梅花帶雪飛琴上、柳色

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538煙入酒中、又たれぞの御こゑにて、御かはらけのしげヽれば、一盞寒燈雲外夜、數盃温酎雪中春など、御こゑどもをかしうての給にほひにか、けふは萬歳千秋をぞいふべきなどの給ふもあり、さま〴〵をかしくみだれ給ふ、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 康和三年正月三日乙未、有中宮大饗、公卿參藤壷、先有拜禮、右大臣内大臣以下公卿一列、〈西上北面〉殿上人兩貫首以下二拜了、向玄輝門靴、被饗座、〈玄輝門西掖一間、懸簾爲内侍候所、其次至徽安門東、立大盤并兀子床子公卿座、次四位殿上人廊南壁引軟障、燈北庭儲五位殿上座幄南北行、其東立酒部所幄、北庭皆引廻幔、右大臣殿端座、内大臣奧座、以下人々左右相分座、〉一獻、〈權大納言家忠、權大夫能實懸下襲尻於劍笏、於徽安門前盃、殿上人五位二人瓶子、内端座相分、酌唱平擬人、突左膝飮了、起又酌酒巡流、至最末人、如節會内竪儀也、〉二獻、〈新大納言、左衞門督、〉居餛飩、〈殿上五位上人陪膳、地下五位益送、〉三獻、〈源中納言、左兵衞督、〉居飯汁物等、及深更止、次盃酌、亮實朝臣付内侍候所簾前、取祿進、公卿一々起取之、一拜退出、〈今日止樂、依故陽明門院御忌月也、是中宮母儀也、〉
天永二年八月六日、入夜向按察大納言直廬、及深更、言談之次、語云、院仰云、正月二宮大饗時、公饗先參本宮方、二拜也、而主上若渡御宮御方者、可舞踏者、仍貫首人内々先主上渡御哉否由必相尋者、是萬人不知、第一人所傳者、此事尤有興、乃所記置也、

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 保元三年正月二日癸亥、中宮拜禮、〈◯中略〉次東宮拜禮、〈◯中略〉次中宮饗、〈◯中略〉次東宮饗、〈◯中略〉亥刻事了、上下退出云々、〈◯中略〉 今日右大臣殿、有文御帶、螺鈿劍、魚袋、殿上人同前云々、但四位少將信能、丸鞆帶、蒔繪劒、不魚袋、下官、丸鞆帶、蒔繪劒、不魚袋、依饗所也、
 ◯按ズルニ、年中行事繪卷ニ收ムル所ノ中宮大饗ノ圖ハ、禮式部饗禮篇饗饌條ニ在リ、

延引

〔類聚國史〕

〈七十一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 天長七年正月戊寅、〈◯三日〉群臣拜賀、皇后宮賜被衣、又賀皇太子、宴賞如常、

〔日本紀略〕

〈一醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 延喜十一年正月四日己丑、皇太子、〈◯崇象〉參覲、今日東宮大饗也、

〔西宮記〕

〈正月上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0538 二日二宮大饗
九記云、天暦三年正月五日、行幸二條宮、二三日宮御物忌也、仍今日行幸、又宮大饗恒例二日也、而依

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 御物忌停止、今日便饗王卿及侍從等、即給祿、侍從等疑云、若著魚袋歟、而王卿不著、隨諸大夫等不著、故權大納言行成今案云、天皇拜覲皇后之日著魚袋、是依大饗日侍從可著也、而彼年二日依御物忌大饗、五日行幸次行、猶或偏稱天皇覲皇后之日之云々、〈◯中略〉
天暦五年正月二日(以下裏書)、小一條記云、諸卿參院、次參東宮饗所、依御物忌后宮饗、三日東宮之臣致拜禮、須二日、而依雨濕昨日停止、〈◯中略〉
九記云、天暦五年正月三日、東宮侍臣大夫以下於南庭拜、四位五位一列、六位一列、北面東上、撤晝御座設掃部寮倚子、垂母屋御簾廂簾、昨日依雨、今日行之、〈昨日大饗也〉

〔日本紀略〕

〈八花山〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 寛和元年正月五日庚戌、東宮大饗、

〔日本紀略〕

〈十二三條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 長和二年正月五日丁酉、中宮〈◯姸子〉大饗、

〔本朝世紀〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 康和五年正月三日癸未、中宮大饗、并右府臨時客也、

停止廢絶

〔日本紀略〕

〈三村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 天暦三年正月二日丙午、無中宮大饗

〔日本紀略〕

〈四村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 應和三年正月二日乙卯、東宮大饗、中宮無大饗、依去年十二月降誕皇女薨也、

〔日本紀略〕

〈十二三條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 長和三年正月二日己丑、東宮大饗、中宮依内裏饗事

〔日本紀略〕

〈十三後一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 萬壽四年正月二日甲辰、東宮大饗、中宮依内裏大饗

〔建武年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 二日〈◯正月〉二宮大饗なり、玄輝門の東西の廊にて此事あり、近頃はたえにたれば、その儀をしるさず、大内など出きて、中宮、東宮同じ御所、定めて行はれなんかし、
    ◯

二宮臨時客

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0539 大治六年正月三日辛丑、人々參中宮御方、有臨時客(○○○)、御所女房持出、〈一色〉南廊三間敷指筵高麗端疊饗饌、〈机各一脚、東西對座、〉西庇長押下敷紫端爲殿座、〈机六前一行〉關白殿、〈西一座〉中宮大夫、治部卿、民部卿、源中納言、皇后宮權大夫、左大史、左大辨、頭中將、頭辨以下、及藏人爲基各著座、右大臣追參加、端座上權

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 亮重通朝臣獻盃、〈居折敷重通取杓〉巡流至左大辨殿上座、二獻、〈頭中將宗能〉藏人爲基取瓶子、右府受盃、次居飯、次居海雲汁、左大辨氣色立箸、三獻左大辨、〈侍從憲俊瓶子〉次居汁物、著下、依殿御氣色、下官朗詠、佳辰令月句、徳是北辰兩三度、治部卿又朗詠、東岸西岸之句、人々乘興被肩脱、下官拍子、安名尊、席田、庭生、又朗詠、四獻、皇后宮權大夫師時卿、〈俊雅瓶子〉師時卿勧盃之間、歌更衣、居菓子、五獻、下官、依本宮大夫也、依殿下仰右府、〈少納言忠頼取瓶子〉此間掌燈乘興、人々及酔舞、始殿上人萬歳樂、至大納言座之、居薯蕷粥、其後人々退出、〈此間右大臣隨身腰指本宮屬等取之〉

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0540 天承元年正月三日、參院、依兼日催中宮、〈院催〉依臨時客也、參中宮御方、南北渡殿座是饗座也、關白、大夫顯雅、左大辨雅兼在西面座、北上對座、治部卿、民部卿參加、次右府〈西面〉忠宗卿參會、〈東面〉下官巡當東面、仍遷著、殿上人著同廊西庇座、頭宗能、顯頼、中將成通、重通、初獻、重通〈亮〉出下戸盃居折敷、經殿上人座前、就殿下座下之、關白取盃給置折敷、取瓶子盞之後返授瓶子退歸、次飯汁、二獻、頭中將瓶子、藏人盛定羞雉羹、三獻、左大辨經諸大夫座東面之、右府受傳關白、此間依關白命中宮大夫唱歌、借用源中納言笏、穴貴、頭中將助音可廻、後朗詠〈令月〉一兩遍、後唱筵田、又朗詠、〈徳是嚴粧金屋〉治部卿東岸西岸句、依大夫命下官四獻盃經諸大夫座中、於東南遣戸際盃、〈殿上人瓶子〉就殿上座上向坤居、一揖入酒向眼博陸、被命云、不然一曲受、不氣色、不承引給、唱更衣曲、大夫頭中將同音唱一兩反、〈後日大夫云、音枯可唱之聲不時音、而依汝一曲音曲也、〉博陸許給、仍飮之、又入酒、博陸了、揖退歸、倩案、爲饗應一曲、予可酌也、次居菓子、五獻、大夫、先是中將成通退出、藏人盛定著座、最爲雜藝也、依大夫命殿唱萬歳樂、打拍子、笏扇也、自下臈立舞、於座舞也、及大臣之間、大夫制被曲、 今日不審事 一萬壽二〈大宮、皇太后宮、〉應徳二〈中宮〉寛治二〈前齋宮〉皆有拜、今日不然、何度例哉、 一大夫於大丞舞由被存、如何、後聞、關白可舞之由令存給云々、 一藏人必召付不舞也 右府不參、先關白命云、明日中將可慶賀、〈四位〉無文可參歟、將禁色歟、人々多可禁色由被申、下官同

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 之、雜袍宣旨、四位後重下由不聞、准是令申也、重命地下者、著禁色事、尚不穩便歟、中宮大夫云、於雜袍、靫負佐近衞次將雖地下之、可之歟、予申云、相尋可一定也、〈◯中略〉
 康平年正月七日、故入道殿叙四位、著無文下重袴等之由被注載、仍注送中宮大夫許、返事日來所儲綾裝束也、改有煩、今日下還昇禁色宣旨奏慶云々、 追注云、源左府不禁色人也、康平已參議納言歟、此記旁不得心

〔明月記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0541 貞永二年正月二日丁未、今日先參女院、可臨時客云々、夜前節會退出之後、聞無人由、又直衣參院、名謁已及酉時、以下人内府、猶不出、權大夫別當實持、實光、頼氏、實清朝臣車立門前云云、臨時客夜陰事歟、可奇、終日有和暖之氣、日入次後纖月如弓高懸、宿賢寂宅、依近々便宜、典侍時程退出、宮女房御匣殿、冷泉殿之外無人云々、打出紫匂柳表襲蒲萄染唐衣、身裝束同衣山吹表襲青色唐衣、御服紅梅句十赤色御唐衣、〈地文梅散花、梅折枝、青白白文、〉寢殿〈南面〉階間同東間二間之外、五間西面三間有打出、猶有忩事等、不程歸參、亥時許又名謁了、金吾〈直衣一身名謁〉來臨、人々大略參入之後、被土御門大納言、春日徒暮、彼卿參入、〈蒔繪螺鈿劒、有文帶、〉兩息相隨、〈皆螺鈿劒〉公卿列西上南面、〈如大饗時歟〉右大將獨被中門南方、〈北面定有存旨歟、不其故、〉内府向土御門大納言揖、大納言答揖、中宮大夫以下不揖、〈不其由〉殿下御沓中將殿取給、〈大納言顯定、大將基平、大夫通氏、新大納言定具云々、〉中納言已下昇中門切妻、公卿座狹、納言皆悉著了、參議之中別當〈三獻盃〉大辨〈可申上〉近候、行事三位資雅所候依其座、此間逐電退出、


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