http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 八朔ハ、毎年八月一日ニ、物品ヲ贈答シテ其日ヲ祝スルモノニシテ、一ニタノミノ節ト云フ、タノミトハ、田實ノ義ト云ヒ、又依頼ノ義トモ云ヒテ、明ナラズ、朝廷及ビ幕府ニテ、此式ヲ行フニ至リシハ、鎌倉時代ノ頃ヨリナリト云フ、

名稱

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 八朔(ハツサク)〈豫賀西收飮宴、故謂之田面(タノモ)、或云、起仁和帝朝、或云、始建長年中、本説未詳、見四季物語、公事根源、蘂葉、〉

〔日次紀事〕

〈八八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 八朔〈凡毎月朔是吉日、而相賀與中華同、今日特稱八朔、又稱恃怙節(○○○)、又謂憑節供(○○○)、或稱田實節(○○○)、又號田面節(○○○)、中世農民獻稻初穗於禁裏、故謂田實節、又稱田面節、武家借用其訓、而稱憑節供、蓋取君臣朋友相依頼之義也、君臣朋友間互有贈答之義、今日武家并地下良賤、各著白帷子而互修慶、〉

〔秇苑日渉〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1285 民間歳節下 八月一日謂之八朔、士庶互相拜賀、饋送飮食節、謂之田實(タノミノ)節、 按、中原康富記曰、八朔之儀、始于後鳥羽天皇末年乎、或云、起于鎌倉氏、清家嘉元中記亦載此事、要之不其所由來矣、蓋是月也、蔈定禾熟、故饋送飮食以賀秋成也、或是貙膢之遺俗、後漢書禮儀志曰、立秋之日、自郊禮畢、始揚武、斬牲於郊東門、以薦陵廟、斬牲之禮、名曰貙劉、註曰、古今註曰、永平元年六月乙卯、初令百官貙膢、白幕皆霜、風俗通稱、韓子書、山居谷汲者、膢臘而寘水、楚俗常以十二月飮食也、又曰嘗新、始殺食曰貙膢、又劉玄傳曰、欲立秋日貙膢時共刼更始、註曰、前漢書音義曰、貙獸以立秋日獸、王者亦此日出獵、用祭宗廟、冀州北郡以八月朔飮食膢、其俗語曰、膢臘社伏、通雅曰、膢臘謂秋膢冬臘也、祈穀食新曰膢、類奇曰、膢臘皆獵取禽獸以祭之名、膢以立秋、臘以十二月、韓非子曰、山居而谷

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 汲者、膢臘而相遺以水、後志、貙膢以八月、一作貙劉、五雜爼曰、立秋有禮、名曰貙劉、漢書註謂之貗婁、楊子曰、不膢臘也與哉、今人尚知臘、而膢則不知久矣、潛居録曰、古人以八月朔天醫節、祭黄帝岐伯、〈風俗通曰、八月一日、是六神日、以露水調朱砂、蘸小指、宜灸、去百病、〉

〔月令廣義〕

〈十五八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 日次 初一日〈◯中略〉綵嚢柏露〈續齊諧記、弘農鄧邵、八月朔入華山、見一童子、以五色綵嚢栢葉下露赤松先生、取以明目、今作眼明袋此、◯中略〉六神靈露〈風俗通、八月一日、是六神日、以露水調朱砂、蘸小指點、去百病、 又一説、侵晨取百草頭露水、名靈露、點百病、與社日同、〉天灸〈歳時記、八月一日、以朱點小兒額上、名天灸、厭百病、初十日同、〉膢臘〈音義、冀州北、八月朔、作飮食膢、俗曰膢臘、〉

〔月令廣義〕

〈一歳令〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 祀典 膢祭〈韻瑞、祈穀食新曰膢、〉膢臘〈類奇、皆獵取禽獸以祭之名、膢以立秋、臘以十二月、〉

〔嬉遊笑覽〕

〈八慶賀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 八朔の賀は、〈◯中略〉世諺問答に、はじめはたのみとて、よねをおしきに入て、人のもとへつかはしけるとかや、ほつかひとてわらはべのもちはべるはこの故にやと有、たのむは、もとたのみにて、田實なり、源氏あかしの卷に、このよのまうけ、秋のたのみをかりをさめなどいへり、たのむとて、人に物贈らむこと、けふに限るべきにあらず、民間田穀の新たにみのりたるを相賀して贈りしが、上ざまに及び、たのむ方へ物奉りしより、專らたのむといひならひしなり、

起原

〔空華日工集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 應安三年八月一日、泉倉貺沈香一塊、砂糖一壷、蝋燭十條、蓋俗所謂恃怙之節(○○○○)也、時曇瑛來、余謂、今日之節、不知公家果有故否、瑛曰、是則天下之人未决者也、或云、古人以田實初收相餉、謂之恃怙、和語相近云々然未出處、雖然朝廷以下盛賞茲辰、蓋俗習也、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1286 文安五年八月一日乙卯、晝程參局務文第、留守也、暫奉待、被歸之後奉謁、此次雜事略之、不之、 八朔禮事、何比より在之事哉之由尋申候處、後鳥羽院末つ方より出來歟、但不所見慥、所詮先代より沙汰初歟、鎌倉より事起之由、所語傳也、清家之記、嘉元比之記、此事見之、近年如此之由注付云々、又今日尾花之粥事、其由來何事哉、自然見及歟之由令之給、未見及、未其子細之由返答了、

〔公事根源〕

〈八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 八朔風俗 この事はさらに本説なし、又正禮にもあらず、堅固世俗之風儀なり、或假名記に、建長の比より此事有、はじめは田のみとて、よねを打敷かはらけなどに入て、人のもとへつかはしけるとかや、また圓明寺太閤〈◯藤原實經〉の文永の記に、此七八年よりこのかた、殊に天下に流布せるよしのせられたり、誠に建長のころよりの事成べきか、或説には、後嵯峨院いまだ東宮にて、外戚通方卿の亭に御座ありし時、御閑素をなぐさめ申さんとて、近習の男女密々奉りけるに、其後ふしぎに聖運をひらかせ給しかば、御嘉瑞なりとて、内々御さたありけるなども申傳へたり、かれこれいづれもたしかなる事なし、また眞實はじまりたる年紀も分明ならず、たとへば後嵯峨院の御治世の時分よりの事成べきにや、然るに今年中行事の中にしるしくはふる事詮なしといへども、頃殊に世にさかりにもてあそぶ事なれば、筆の次にしるし侍るなり、猶々まことしき大やけ事にては、ゆめ〳〵あるまじきなり、

〔日次紀事〕

〈八八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 八朔〈(中略)一條禪閤兼良公明應二年記云、今日捧物品於各自之主人者、古不之、三十年來聞此事云、依禪閤之記、則康永年中始行、爾後中絶、自寛正年中又再興者乎、〉

〔安齋隨筆〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 一頼之祝(八月) 鴨長明四季物語ニ云、〈秋上ノ部八月〉ついたちには、たのむの御いはひとて、むかしはさしてものし給はざりしを、小松のみかどたヾ人にてましませし比、奉りそめて、御世につかせ給ひて、昭宣公のかたものせさせ奉られしなり、いろ〳〵のくだ物を、その年の御わせにそへて奉る、いつくさのもちゐなど、この事つかふまつる、〈◯中略〉貞丈云、長明が四季物語僞書也、八朔祝のおこり、正史實録に見えず、用る事なかれ、

朝廷八朔

〔海人藻芥〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 八月朔日ニ、小花粥、内裏仙洞以下令用給、良藥ト云々、彼粥調法ハ、薄ヲ黒燒ニシテ粥ニ入合ス也、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1287 朔日、けふは御たのむとて、各おもひ〳〵の進物をさヽぐ、返しをた

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 ぶ、儲君親王よりは、だんし十帖〈鳥子一まいをよこにをりて、たてに中央におしをりて、又三ツにをり、都合八ツづヽ折也、腰に同じ鳥子を五分ばかりに切、女房ひいなの帶の如くにしてさし入、是を一帖として十帖重ね、杉原の帶の如くにはい、又鳥子をたヽみて捻の紉とする也、紉のたけはヾは恰好次第に調るなり、〉にはいし一つヽみをすへて參る、陽明よりは、中高だんし十帖に御扇參る、勾當内侍よりは、だんし十帖御帶二すぢ參る、飛鳥井よりは、たんざく百枚、柳筥にすゑて參る、高倉よりは、だんし十帖に御くみかけ二すぢ參る、みなせよりは御やうじの木一ゆひ、帚二本參ル、てんやくの頭よりは、さかう丸、鴨の社務は、むしこなどしん上す、これらは大方定りたる事也、其外諸家は大概御太刀を進上す、人々の名字を書て札を附、札ばかりをとヾめおかれて、太刀をかへしたぶ、將軍家よりは馬太刀進上也、太刀は此御所のを申出して進上の分也、だいばん所の妻戸より、勾當内侍とり入、武家傳奏披露也、元は太刀もしん上とみえたり、舊院ゆどのヽ上の日記などには、銘などしるしてあり、いつ比より申出さるヽ事にてや、馬は左右馬れうの官人引て出、朝がれひにて御覽あり、御返しには大たかだんし十帖に、うち枝、〈此橘の枝の七なりの枝也〉勅作入てたぶ、陰陽頭札進上、御てんの柱におさる、牛かひ御禮に參る、正月に同じ、あさ盃、あさがれひ等みな例のごとし、夕方の御祝、初獻にそへてをばなのかゆ〈はぎのはし也〉を供ず、是も初獻のうち也、六月朔日のこほりもちゐなどの類也、まゐるやうもおなじ、

〔内院年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 八月 一朔日タノモノ御祝トシテ、色々ノ物、院中、宮々方へまいらせラル、又方々ヨリモ獻之、御盃事如常、
一タノモト云事ハ、田實(タノミ)ト云事也、此事後嵯峨院御時ヨリ初ル事也、未御里ニ御座アル時、諸臣ヨリ當年ノ田ノ實ト云テ、米初尾ヲ獻ズ、其後不慮ノ御位ヲモタセラル、其吉例ナリトテ、御在位ノ時皆獻之故實也、依今ニ諸臣女官マデモ遵之也、此外不見、不知也、

〔辨内侍日記〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1288 寛元五年〈◯寶治元年〉八月一日、中宮の御方よりまいりたりし御たきもの、よのつねな

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 らず匂ひうつくしう侍しかば、辨内侍、
けふはまたそらだきものヽ名をかへてたのめば深き匂ひとぞなる

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 應永二十五年八月一日、八朔風俗、千秋嘉兆、幸甚々々、仙洞御憑、〈大鉢一、〈立石〉銚子提、〈小鳥打付地文鳥籠〉〉付永基之、室町殿〈◯足利義持〉進物、〈酒海、銚子提、引合五十帖、〉若公、〈金銅盃、折敷、橘打枝三種入、銚子提、引合三十帖、〉内々付女房、當年初而進之、宮中男女進物如例、三位一獻如恒規、菊第三條勸修寺等如例年、進物注別紙、 三日、菊第三日憑一獻等被之、壽藏主御憑一獻如例、 四日、源宰相參、御憑太刀一振持參、小一獻等申沙汰、 五日、自長階局御憑獻之、則返遣之、 六日、御憑返、宮中男女賜之、勝阿今日進之、遲々比興也、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1289 嘉吉二年八月一日己丑、晝過程、參清外史之文亭、依遲參、先有使、例式賞翫蕙粥、有一盞之後退出了、外史被語云、今日食蕙粥之事、末出處、若被見及歟、予十節記之中、不此粥之事之由返答了、誠可出處文也、
南呂之令節、中華之嘉珍、祝著幸甚、殊先傾一鍋、次用一雙之條、御計殊本望候、爲其禮、太刀一腰、杉原十帖、筵十枚進候、期面賀候也、
  八月一日〈爲返状間歟、表無充所也、〉       業忠
 ついたちのめでたき御返し、ことさらばかり、一かさねつかはされ候よし、おほせ事に候、めでたくかしく、
   日向どのへ
自(鷹司殿ヨリ御返し)御所様返、殊更計ニ、三色被使候由、心ろへて申候へと被仰下候、恐惶謹言、
   八月六日〈引合十帖、扇、茶碗等被下也、〉       季隆
 日向守殿(表書)      季隆 一條少將(裏書)
文安五年八月一日乙卯、八朔之御禮、紙一束、〈杉原旦紙〉御太刀〈金覆輪〉一腰進上、院御所親王御方、同兩種進

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 上之、〈折紙之注文バカリ書載之〉又金覆輪一振、鷹司殿進上之、又同太刀一腰、進入大炊御門殿、又一振、持參局務文第畢、又金覆輪一腰、杉原檀紙一帖、大茶碗一、遣飯尾肥前入道許、即時付使有返報、鵝眼百疋也、木瓜之報歟、祝著、又康顯進入金覆輪一腰、御藏氷御方云々、自前官務亭三種送賜、〈杉原旦紙十帖、五明一本、道芝一足等也、〉祝著返報、自是可進之由先示之、〈此次雜事略之、不之、〉
寶徳元年八月三日辛亥、今夕自院御所〈◯後崇光〉八朔御返ニ、御太刀、〈黒〉引合十帖被之、自親王御方練貫一重被下由、一紙ニ兩御所御被遊載之、御中間御使にて人夫持之云々、即參御所、〈直垂也〉以御燒師明盛法印申入之所、參入目出之由被仰下了、但院御所よりハ、去年之御返シト被遊候、當年分追可下歟、彌有憑畏入者也、自大炊御門殿八朔御返、引合十帖、黒太刀一腰被送下、祝著了、
享徳三年八月一日庚辰、參殿下〈◯藤原房平〉有御一獻、八朔御禮、御太刀持參之、口入之後退出、 三日壬午、八朔御返自處々之、見注文、 八朔御禮進上方々 一院御所(朔日進入了)〈◯後崇光〉御劒一腰、〈御返四日被之、金太刀一、引合十帖、〉 一親王御方茶碗染付、〈壷水(ヘウタン)入〉杉原十帖、〈御返銚子提、杉原十帖、四日被之、〉 一大炊御門殿、御劒一振、〈御方〉唐人人形、〈茶碗ソメツケ〉杉原十帖進入了、 一武者小路若公、小酒海一、杉原十帖、御返引合十帖、梅染染物一、小袖、 一御室〈小蝋燭五十挺、杉原十帖、〉三日御返絹一疋、杉原十帖、 一菩提院〈茶碗花瓶一、杉原十帖進入候、〉四日返、杉原十帖、備中筵十枚給之、 一青蓮院殿〈小蝋燭五十挺、杉原十帖、〉三日御返銚子提、杉原十帖、 一中御門殿(少納言殿)〈金太刀一、青馬一疋、〉御返金太刀一、皿十、 一飯尾肥州〈杉原十帖、大蝋燭十挺、〉返報〈二日〉百疋到來、 一官務送給分〈金太刀一、青馬一疋、〉返報遣候分、〈金太刀一、檀紙五帖、〉 一殿下朔日金太刀一腰持參之、三日御返金太刀被之、

〔宣胤卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1290 長享三年〈◯延徳元年〉八月一日丁亥、八朔風儀如例、亂來諸家停止、只進公武許也、檀紙十帖并虫籠進禁裏、則御返被下、杉原十帖、御扇一本、宣季進太刀、〈金〉同被御太刀、又此次庭前桃并棗枝進上了、又東山殿御太刀、先日付伊勢又七了、又御臺此間依例御述懷、御隱居長谷之間、如去年略定之思處、近日御出京、俄有八朔進之儀之由後日聞之、

〔二水記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 永正十七年八月一日丙戌、早朝御憑、御太刀禁裏宮御方等進上如例、御返即出訖、〈御筵不敷如何〉 九月十二日、女中御憑、去月無之、今日各進御銚子云々、入夜果了、御座敷小御所也、其儀如常、
大永六年八月一日壬子、入夜參内、御盃儀如例、今日八朔、早旦進上、御太刀如恒、御返即被出了、 二日、申刻參番、女中御憑、御銚子事有之、毎年儀也、於常御所數刻、帥卿祗候、其外皆以番衆許也、二位殿三位殿等被參、各被黒衣了、三位殿先帝御宇花帽子御白衣也、今日各始被黒染之衣畢、 七年八月一日丙午、早旦〈◯中略〉御憑、御返則令拜領了、入夜參内、御盃儀如恒、 廿五日、午後參内、女中有銚子事、御憑例年之儀也、地下者〈窪田兄弟〉祗候候也、及數獻了、中務卿宮、梶井門跡、〈依御室御不例去月御出京〉竹内殿等令候給、男衆少々祗候也、御座敷御三間、二位殿被參了、

幕府八朔

〔長祿二年以來申次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 八月朔日 〈公家大名 外様衆 御供衆 申次 番頭 節朔衆 造宮司〉 一御對面次第、同御盃以下同前〈◯七月朔日〉也、 但八朔御憑ニ御取亂之間、御盃被略時も在之、

〔殿中申次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 八月朔日 一公家、大名、外様、御供衆出仕、御對面在之、 一御憑在之、目録別紙有之、一初(禁裏様ヘ參)鯇(アメ)一折〈例年進上之〉 佐々木四郞三郞 一木練(コネリ)一籠〈例年進上之〉 西林院 一同一籠〈例年進上之〉 報恩院(宇治) 一同一籠〈例年進上之〉 鶴原五郞 一柘榴一折〈例年進上之〉 等持寺 一松茸一折〈例年進上之〉大光明寺 一初鴈一(禁裏様ヘ參)〈例年進上之〉 朝倉彈正左衞門尉 一初鴈一〈例年進上之〉 武田伊豆守〈何も式日は不定〉

〔年中定例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1291 八月朔日、御對面御祝、毎月の如し、
一御憑 禁裏様へ御進上、〈目録在之、大高檀紙一枚、伊勢守調之、〉御使傳奏、御返まいる、御使同前、攝家、門跡、公家、大名、外様、御供衆、總番衆、頭人、奉行、其外こと〴〵く進上、地下衆、職人、御牛飼、河原者、さんしよの者まで、似合の物を進上、大和國衆、奈良の門跡坊官、上杉雜掌判門田、いにしへは、かい伊勢守被官蜷川越中なども進上申候、七月晦日、八月朔日、同三日、兩三度、右大名衆は御進上にて、近年は朔日の分進上候、又女中衆、御比丘尼衆、賀茂衆、五靈、今熊野神子も進上申候、大方進物共定候、御返し

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1292 の事は、御はからひの衆と申には、御返し過分に出候、大方の職人には、一重の代として、三百疋二百疋など、人によりて出候、御醫師賀茂衆などには、から物引合などそへて似合たる物出候、
一御たのむ總奉行伊勢守、〈古より此分〉右筆御はからひ方は、代々同前、備後守方に仕候右筆はさだまらず候、近年は下總守仕候つる、
一御返の御使兩人にて候、是は門跡大名衆へまかり候、代々勢州名字仕候、某右筆參候時は、子にて候貞茂仕候、進候は貞遠と兩人仕候、御使在所、日野殿、三條殿、此次に西殿へ參候、門跡へは聖護院殿、青蓮院殿、實相院殿、吉良殿、石橋殿、澁川殿、武衞、細川殿、畠山殿、山名殿、一色殿、讃岐殿、修理大夫殿、〈此四人御相伴に御參次第〉赤松、京極、大内、〈此三人座敷同前〉細川殿、御母上さまへは同朋衆まいる、攝家へは取次の方へわたし候、其外の衆は、殿中へ祗候候て御給候、奈良衆、賀茂衆、取次の方へ渡候、色々故實共候、
一大名御供衆などは、御返しの御禮に御參候、
一朔日殿中にてめしあり、御たのむ方より下行、ひる勢州より點心名へまいらせられ候、御酒あり、佳例也、
一二日、於殿中御憑御返各申合候て參候、此間はからひ右筆の人、各酒をまいらせられ候、
一御はからひとは、御返の物を取調候てをき候を、公方様そと御覽ぜられ候、是を御はからひと申、此衆規模なり、御はからひの同朋衆には千疋づヽ也、
一三日、御憑、今日こと〴〵く御返すみて、のこりたる物を、右筆兩人、御使人、同朋、御ちりとて、鬮にて給候、先勢州へ可然物を二色三色まいらせられ候、いにしへは用脚など過分に御座候て、方方へ御ほうが、又人の御とぶらひなどにもたまはりたる由申候、

〔宗五大草紙〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1292 一いにしへは、御たのむは、三日參て候、七月晦日と八月朔日に參て候、又八月三日

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 に御返しの御禮の心に又進上候しとて候、今は朔日の分計參候、

〔成氏年中行事〕

〈八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 一八月朔日、八朔御祝ト號、御連枝様方、護持管領奉公、外様當參之人ハ不申、在國之方々ニモ、皆々御頼進上、御連枝様之御使、管領之使計御對面、其外ハ無之、進上之御劒以下申繼之人數被仰付、名字ヲ書テ被押、御劒ハ廿間之御座、唐物十二間ニテ被替、早旦ニ宿老中ヘ近臣爲御使、急々有出仕テ、御劒可申替旨被仰出ノ間、則皆以被參、唐物ハ中老被替、宿老中老申繼、於殿中御食ヲ被給、御返御劒唐物等、申繼人ニ持テマカリ出、代官々々ニ請取セテ後、大御所様進上、御返モ皆代官給テ、其徒厩別當被官人等、御馬毛仕所ヘ代官行テ、毛付悉終テ代官各宿所ヘ罷歸、其後公方様七間御厩侍ヘ有御出、二間御厩ト七間御厩ノ間、御庭ニ御馬被替也、其間別當御酒數十獻被申、御劒以下進上、宿老中有伺候、別當相談、御馬ヲ見合テ被替、御馬ヲバ御厩者受取、其以後別當被官人引立掛御目、御馬替アケ及夕天、御酒過、公方様御前ヘ有御歸、別當并宿老中モ皆歸宅、

〔殿居囊〕

〈武家年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 八月朔日 五時、白帷子長袴、八朔御祝儀、三千石以上太刀目録御馬代獻上之、大中納言、參議、中將、少將、侍從、四品五位之諸大夫、布衣以上無位無官之面々嫡子共御禮申上、但病氣幼少隱居之面々、名代使者を以右同斷、獻上は都て年頭之御規式に准ず、三千石以下諸番頭諸役人、奈良揔代、諸座人御禮、右は天正十八〈寅〉年、當日關東御打入之御恒例にて、如斯御祝義始ルと申傳ふ、

〔江戸鹿子〕

〈二御城之年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 八月 朔日 八朔御祝 諸大名白衣服ちやくす

〔官中秘策〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1293 八月朔日
一卯中刻登城、諸大名白帷子長袴、閏月之朔日には染帷子半袴、獻上御太刀目録、先而留主居持參、年頭に同じ、留守居染帷子半袴、御太刀獻上之使は白帷子長上下、勤方年頭に同じ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1294 御規式、〈是者台徳院様御代之記なり〉御白書院兩上様白御帷子御長袴出御、御先立老中、御上段御著座、尾張殿御太刀目録御禮、〈左近將監披露之〉御奏者引之、御右ニ御著座、御祝儀は申上候段、右近申上之、右近御取合申上候而被退座
一紀伊殿式前に同じ、水戸殿御幼少ニ付、使者家老を以御禮申上候、
一松平肥後守、松平下總守、松平修理大夫、右壹人ヅヽ御禮申上、
一大阪御城代土岐丹後守御禮申上候
一松平中務大輔御禮申上候
右次第畢而、御襖際〈讃岐守伊豆守〉開之御通候由、
 高家、雁之間、御奏者番、同嫡子、菊之間、同嫡子、其外諸役人、御次伺公之面々、〈但三千石已上御太刀〉目録前ニ置之、右一同御禮申上候旨、老中言上之
一大廣間兩上様渡御、御先立老中、此節御白書院西御縁側、松平若狹守、有馬中務大輔、松平隱岐守、右壹人宛御太刀目録持罷出、 但表大名、其外御譜代之四品以上在府之時、御禮如此、
一松平遠江守を始、諸大名三人宛交番、寄合表高家之内畠山治郞四郞、御太刀目録持參之、板縁にて御禮、御太刀目録引立畢而、表高家板縁三人可罷出御禮、〈但獻上無之〉
一金地院、〈一束一卷〉護持院、〈同斷〉御禮申上候、右相濟、御間之襖障子開之、御敷居際兩上様御一同ニ立切、御次之間三千石已上御太刀目録前に置、其外伺公之面々御祝儀申上候段、右近將監言上之、此節落縁へ舞猿樂共並居平伏、畢而入御、御先立老中、此節大廊下石川大隅守、若年寄、御側衆、三千石已上、目録前ニ置、一同ニ御禮申上、
一御白書院御次之間板縁、奈良總代晒布二十疋、銀座〈白銀、御袷六枚、〉朱座、〈朱百兩〉
 右獻上物前ヘ置、一同平伏、此外職人町人並居、獻上物前に置、一同平伏、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 一大廣間御禮之内、西の御縁頰、法印法眼之道師平伏、
一入御已後、大廣間雁之間ニ而、在國在所、其外幼少、并病氣之面々、名代を以使者、御太刀目録獻上之、老中出座、

〔柳營新編年中行事〕

〈八八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 八朔御城中勤番 一御玄關前、御書院番頭、〈本番加番〉 一塀重御門、御持頭、 一中之御門、御弓御鐵炮頭、〈本番加番〉 一御臺所〈江〉御持頭 一大手御門、百人組之頭、 以上

〔柳營秘鑑〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 一八月朔日御禮之次第 享保十五戌年御規式書也 御白書院 兩上様〈白御帷子御長袴〉出御、御先立、〈松平左近將監勤之〉 御上段御著座 尾張中納言殿
一右被出席御禮、御太刀目録左近將監披露之、御奏者番引之、直に御右の方に御著座、御祝儀被申上候段、左近將監言上之、年寄共及御取合退座

〔柳營諸舊例的〕

〈一八朔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1295 文化五〈戊〉辰八月
一八朔御太刀獻上御禮願       津田主膳(寄合)
私儀來ル八朔登城仕、御太刀目録獻上御禮申上度、大納言様〈江〉も同様獻上仕度奉存候、家督初而之儀ニ付、此段奉伺候、以上、
       七月廿三日 津田主膳(寄合)
同年七月
一八朔御太刀獻上願       戸田順次郞(寄合)
私儀病氣罷在、御目見未仕候得共、來八朔御太刀目録、以使者獻上可仕哉、大納言様〈江〉も同様獻上仕度奉存候、家督後初而之儀ニ付、此度奉願候、以上、
七月二十二日       戸田順次郞(寄合)
同年七月
一八朔御太刀獻上窺 室賀兵庫(寄合)
私儀家督之御禮未申上候得共、從部屋住之内、五節句月並御禮出仕候間、當八朔登城仕、御太刀目録獻上、御禮可申上哉、大納言様〈江〉も同様獻上可仕哉、此段奉伺候、以上、
   七月廿七日      室賀兵庫(寄合)
同年七月
一八朔御太刀獻上窺 青山喜右衞門(寄合)
私儀退役後、今以病氣罷在候ニ付、來ル八朔御太刀目録、以使者獻上可仕哉、退役後初而之義ニ付、此段奉伺候、以上、
   七月      青山喜右衞門(寄合)

〔徳川年中行事〕

〈東京帝國大學圖書館所藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1296 八朔參賀圖【圖】 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png saij_1_1296_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png saij_1_1297_001.gif

〔梅松論〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 一或時夢窻國師談議の次に、兩將の御徳を條々褒美申されけるに、先將軍〈◯足利尊氏〉の御事を仰られけるは、國王大臣、人の首領と生るヽは、過去の善根の力なる間、一世の事にあらず、ことに將軍は、〈◯中略〉御心廣大にして、物惜の氣なし、金銀土石をも平均に思召て、武具御馬以下の物を人々に下給ひしに、財と人とを御覽じ合る事なく、御手に任て取給ひし也、八月朔日などに、諸人の進物共、數もしらず有しかども、皆人に下し給ひし程に、夕に何有とも覺えずとぞ承し、

〔親元日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 寛正六年八月朔日丙子、出仕如例年、 貴殿已下御進物〈式部丞持參之〉 別記之 佐々木馬淵進上太刀、〈金〉馬、〈次郞四郞渡之〉御返太刀、〈金〉貴殿〈江〉二百疋、御返白木一張、染革二枚、 今出川殿〈江〉八朔御禮在之、
文明十七年八月朔日己卯 一東山殿御憑所へ、貴殿より、點心、〈むしむき〉御さかな、すし、のし蚫、柳三荷、

〔御隨身三上記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1298 永正九年八月
一朔日、依所勞出仕不申、李部へ八朔のぎ、大刀〈金〉三郞〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 一同二日、李部より飯隼、使にて、八朔の太刀持來候、又去月廿八日書状にて、李部へ申御尋の物之事、先此方より可尋候、萬一とかく申上候、一段と可仰付候ほどに、無事に事行候様に可申具に申上候、御祝著のよし被仰出候、然間李部へ申候趣は、然ば公儀の分に可申付候、その御返事によりて、やがて可申遣由申候て、其左右を相待申候也、

〔大館常興日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 天文七年九月二日、一越前朝倉方へ公方様より八朔進物爲御返御太刀一腰〈持〉被下之由承及也、進物は御太刀御練貫三重、〈代千疋〉御馬一疋〈代五百疋〉進上之云々、仍御返御太刀の外、今一種被出候哉之由、不審申候へば、去年御馬を相副候處、只御太刀計にて御ざ候由、彼雜掌申て、御馬をば不請取申候、先々此分にて御座候由申けると云々、さては勢州被申次候時、其分にて候けると存候也、

〔親俊日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 天文八年八朔 八月〈丙寅〉
一貴殿御出仕 疊面十枚、俵十進上之
一禁裏様〈◯後奈良〉へ、大御所様〈◯足利義晴〉より御太刀一腰、御馬一疋、〈何毛にてもあれ、毛付ハ鴾毛被遊候由、傳奏被仰云々、〉 若公様〈◯義輝〉同前、
一御靈別當一荷兩種、貴殿へ進上之、御見參ニて御盞參之到來之、
一野洲井兩種一荷、貴殿へ進上之、同私へ、
大森二郞三郞十疋、高倉與五郞十疋、小島子十疋、並木十疋到來之、
一樂阿、巽阿、冬阿、才阿、薫阿、何も扇到來、面一枚ヅヽ遣之、〈◯下略〉

〔言經卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1299 慶長十年八月一日癸卯、殿中〈◯二條城〉ヘ御禮ニ各被參了、御太刀大中納言ハ揔別申次披露、今日宰相衆ハ持參也トイヘドモ、將軍〈◯徳川秀忠〉御辭退也、申次披露スベキ由也、殿上人ハ持參也、參仕衆、大炊御門亞相、烏丸亞相、日野前亞相、花山院亞相、六條相公、烏丸右大弁、廣橋左中弁、花山院少

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 將、四條少將、土御門佐馬助、内藏頭、藤侍從、冷泉侍從、舟橋式部少輔等也、

〔江戸總鹿子〕

〈七江都年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 八月朔日 今日をたのむの祝と號して、後深草天皇、建長のころよりはじまるとも云、又後嵯峨の帝より起るともあり、但し東武にては上下ともに、別して佳節として祝ふべき日也、天正十八年八月朔日、台駕〈◯源家康〉始て東都に入らせたまひしよりぞ、萬代不易の地と成、今日此太平の國となりて、鼔腹して樂しむにあらずや、五節句の祝義より、わけていわゐことぶくべき日也、御當地開闢の日なれば、誰か祝し奉らざらんや、

〔武江年表〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 天正十八年庚寅 今年八月一日、臺駕はじめて江戸の御城へ入らせ給へり、そのころは、御城の邊葦沼汐入等の地にして、田畠も多からず、農家寺院さへ所々に散在せしを、慶長に至り、始て山を裂地をならし、川を埋め溝を堀、士民の所居を定め給ひしより、萬世不易の大都會とはなれり、しかりしよりこのかた、萬民干戈の危きを忘れ、鼔腹して娯みを極め、泰平の御恩澤に浴し奉るのありがたき事、申も中々おろかなるべし、〈中古より八月一日を田(タ)の實(ミ)と號して佳節とす、わけて今年御打入、八月一日なる故、毎年八朔の御祝儀、五度の佳節と等しく、御嘉例となりしとぞ、〉

幕府獻馬

〔故實拾要〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 將軍家〈◯足利氏〉御馬獻上 是毎歳自將軍家八朔ニ御馬獻上也、左右馬寮、件ノ御馬ヲ清凉殿ノ南庭ニ立、牽之備天覽、事終テ是ヲ納寮、

〔夏山雜談〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 八朔ニ禁中ヘ大樹ヨリ御馬御太刀ヲ進ゼラル、此時之御太刀ハ禁裏ノ御物ヲ借用ヒルナリ、其次ノ日御太刀代トシテ鳥目ヲ納ラルヽナリ、是又室町家ノ時ヨリノ事ナリト、公物ノ御太刀ヲ借用ヒラルヽ事モ、古例ニテ秘藏ノコトナリトイヘリ、
頭注 室町將軍家ノ時、公物ノ太刀ヲ借用ラルヽコト、おゆどのヽ記ニミヘタリ、

〔高貴八朔考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1300 一八朔の駒牽といふは、古しへ國々の御牧より貢の駒を獻じ、左右馬寮にて其事を掌れる事、延喜式、江家次第、其餘の舊記に詳なり、〈◯中略〉當家の世となり、慶長八年將軍宣下ありて、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1301 その年八朔に、太刀御馬を進獻し給ひし事、御湯殿上日記に見ゆ、それより以來は、世々太刀馬を進上せらる、〈室町の代、八朔進獻の太刀は、禁裏の御物を借り用ひ、次の日太刀代として鵞目を納む、當家に至りても、其例にしたがひ、太刀代は舊によりて別進らせらる、進獻の馬何毛にても月毛と目録にしるす事なり、都て白を用ゆるは當季の色なれば也、〉御使は二條在番の大番頭也、正徳三年までは長袴を著し參内せしが、同じき四年より衣冠にて參る事となれり、これ將軍にて馬寮御監を兼させられしゆへとぞ、天和二年よりして、關東よりはる〴〵牽のぼせらるヽは、古へ武藏國小野秩父平野等の牧より貢獻ありし遺風にかなへり、禁裏にも御返しとして橘の折枝に薫物をいれ、大高檀紙銚子提子等を贈らせらる、これ室町以來の舊例にて、天盃を賜はるの意なるよし、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1301 慶長八年八月一日、あさ御さか月參る、あさがれい、ごんすけしんないし殿こや御まわりあり、御たのむども、あなたこなたより參る、けふは御とく日にて、御かへしなし、ぶけ〈◯徳川氏〉より御むま、たち、おりかみ參る、だいばん所の御にわへ、おほぎまち三でう少將御むまにつきていて參るヽ、女ゐんの御所ならします、女御の御かたより花參る、夕かたの御さか月いつものごとく三こん參る、女御の御かた御しやうばん女中おとこたち御とをりあり、

〔言緒卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1301 慶長十七年八月一日癸亥、從將軍〈◯徳川秀忠〉御馬禁裏へ被進了、令院參了、次ニ勸修寺、廣橋大納言、鷹司殿、竹内、六條、四條、女御様、近衞殿政所、近衞殿各々へ御禮ニ參了、 二日甲子、昨日從大樹御馬、今日於御前、豫、嗣良庭騎仕了、

〔高貴八朔考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1301 御馬進獻之記      牧野成著〈伊豫守〉
古き世のためし、とし〴〵あづまより駒ひきて、八月朔日大うちにさヽげらるヽ、御使は、大御番おさの役なり、かくて文政むつのとし、左の役つとめよと仰を蒙りければ、かしこみたてまつりて、
 あふぐぞよ今日こヽのへのみかは水汲ども盡じ君が惠は、さてその日にもなりしかば、湯あ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 びくしけづりなどして、從者どもにいたるまで、身をきよめ、朝とくよりいでヽ、まづ施藥院といへるかたに立より、しばしやすらひ、衣冠著してまちける、やがて御附森川美濃守氏昌、松平伊勢守定朝よりあないありければ、すぐに立出て行ける、宣秋門の前にて、のりものよりおりぬ、美濃守、伊勢守同じく衣冠にて出むかひ、御車よせのまへ清凉殿のかたを左にして、また、ひら唐門のうちにいり、諸大夫の間にいたりぬ、美濃守、伊勢守かたはらに侍り、むかひに非藏人ふたり、みどりの袖をつらねてざせり、やがて廣橋一位胤定卿、甘露寺前大納言國長卿いできたり給ひぬ、御使つとめらる、次第恐れあればこヽにしるさず、 それより美濃守、伊勢守あないにて、神嘉殿のわきより月華門の前を過、右腋門をいり、紫宸殿を拜し奉れば、みとのヽさまよのつねならず、ゆほびかにつくりなして、御障子にはいにしへのひじり、又かしこき人々のかたちをあまたゑがきたるは、住吉内記廣行の筆にして、威風凛々たり、〈◯中略〉節會の儀式此所にて行はるヽよし、日花門のうち廻廊より左掖門を出て、御鳳輦を拜し、内侍所を左にして廻廊之外承明門の前を過て、もときしみちにかへりぬ、

〔内安録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 一八朔御進獻馬の目録、何毛にても月毛と書來りしを、御右筆頭久保吉右衞門、如前例月毛と認、堀田老中筑前守へ入見分たる時、筑州、是は今度の御進獻馬と毛附が相違せりと申されければ、あなた様、何を御存じでと返答しければ、即座に久保吉右衞門は改易被仰付、向後は月毛と不認、全の毛附を認可申と仰渡されしは、故實を失ひ口をしヽ、近頃御進獻は野馬になれど、毛附の復古はなし、

臣庶八朔

〔東都歳事記〕

〈三八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1302 朔日 八朔御祝儀、〈五ツ時白帷子にて御禮有〉貴賤佳節を祝す、〈今日を田實(タノミ)といひて、往古よりの佳節とすれども、東都にては、わけて祝すべき日なり、天正十八年八月一日、台駕はじめて江戸に入らせ給ふ、かくてぞ四海昌平に歸し、萬民鼔腹して樂しむにあらずや、神恩たれか尊み祝し奉らざるべき、公にも五度の佳節より、わけて祝はせらるヽとぞ聞えし、 元祿の頃、清原長須といふ人の編輯の中に、江城八朔の白かたびらは、八月の節を白露といふによる歟といへり、◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 今日吉原遊女、一般に白小袖を著して仲の町へ出る、

〔浪花の風〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 八朔には、家々小豆飯を祝ふ、都て毎月朔望には、家並赤豆飯多し、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 康永三年八月一日戊午、稱習俗風、今日種々物等流布、就中關白〈◯藤原師平〉并北政所、一條前關白〈◯經通〉等被物、又自式部卿親王薫物、其風流妙也、又自近衞前關白〈◯基嗣〉同被之、自北山中將又送、此兩人者可合體之由許之、
貞和三年八月一日辛未、仲秋朔、幸甚幸甚、稱俗習内外諸方少々有志與事、就中近衞前關白〈◯良基〉并右大將跡、予〈◯藤原公賢〉并大夫方、前關白白麻百帖被父子、右幕下鞦遣繩銚子提被予、鞠歌被大夫云々、予分牛一頭〈班〉進前殿、硯文臺銅筥入薫物扇、進幕下了、大夫分牛一頭〈黒〉進前殿、李白註文集十册進幕下、其後一條前關白、鷹司前關白、李部王、兵部王已下方々有此事

〔碧山日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 長祿四年八月一日乙巳、勤行如規、 舊紀所謂吾俗之憑日也、門客有珍貨於春公憑者、乃返之、在服而避吉也、

〔武江年表〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 此年間〈◯元祿〉記事 吉原の遊女、八朔に白無垢を著する事、元祿中、江戸町壹丁目巴屋源右衞門が抱へ高橋といへる太夫、その頃瘧(ギヤク)をわづらひ居けるが、馴染の客來りし時、臥居ける白むくの儘にして、揚屋入しける容の艷なりしより、是を眞似て八朔には、一般に白むくを著る事になりし由、花街大全にいへり、〈思ふに、昔の遊女に、米島丹後守、出來島長門守抔名のりしもの有、是等のともがら、武家の例に事よせ、八朔に白き衣裳を著したるか、尚可考、〉

〔一話一言〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1303 池田氏筆記 一桂女、毎年始、八朔、所司代ヘ御禮トシテ三四人ヅヽ來ル、年始ニ飴、八朔ニ菓ヲ上ル、〈菓ハ柿梨ノ類ナリ〉桂ノ里ニ住ス、人別ニ鳥目一貫文ヅヽ下サルナリ、目見無之、著服ハ途中ニテハ、カヅキヲシ、例席ニテハ、カイドリヲシテ、頭ニ古キ布ヲ頂クナリ、桂女ノ名、左ノ如キモノ也、 婦クリ 地ゾウ フクラ抔ト云リ

〔心田詩稿〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1304 八月初吉詩〈并序〉
本邦風俗名仲秋朔旦憑日、以資相贈、贈則有答、以故無貴也、无賤也、習以爲常、不亦宜乎、余結交足下一日之雅、然則於是辰獻以小詩乎、所庶幾者酬答如嚮、所謂投以木瓜、酹以瓊瑤者乎、 中秋初吉日、憑寄小詩篇、未飛奴、好教黄耳傳、蕭朱无頼甚、管鮑有終焉、猶記昨宵面、夢回鏡度前、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:57 (387d)