http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0587 年始ニハ、一月一日ヲ特ニ元日ト稱シテ之ヲ祝シ、三元、〈歳ノ元、時ノ元、日ノ元、〉三始、〈歳ノ始、月ノ始、日ノ始、〉三朔、三朝、〈歳ノ朝、月ノ朝、日ノ朝、〉四始〈歳ノ始、時ノ始、日ノ始、月ノ始、〉等ノ名アリ、後世ハ三元ヲ轉ジテ元三トモ云ヒ、其他三ケ日、〈一日、二日、三日、〉五ケ日〈一日、二日、三日、五日、十五日、〉等ノ稱モアリテ、何レモ年始ノ祝日トセリ、朝廷ノ年始ノ祝ニハ、三ケ日ノ間朝夕ノ御祝アリ、朝ハ朝ノ物ヲ供ジテ、親王女御モ相伴アリ、典侍、掌侍、命婦等、何レモ天盃ヲ賜フ、夕ハ三獻ノ式アリテ、典侍等ノ外、伺候ノ公卿ニモ天盃ヲ賜フヲ例トス、年始ニハ、天皇親ラ院女院等ニ行幸シテ歳首ヲ賀シ給ヒ、院女院等ヨリモ答禮アリ、皇太子以下朝臣ノ拜賀ニハ、モト朝賀ノ儀アリ、朝賀廢レテ小朝拜ノ儀アリシモ、〈朝賀、小朝拜ノ事ハ別ニ其篇アリ、〉後世ハ別ニ諸禮トテ、親王攝家ヲ始メ、門跡、寺僧、社人、醫師ノ類ニ至ルマデ、各々贄ヲ獻ジテ私ニ年始ノ禮ヲ行ヘリ、後陽成天皇ノ慶長初年頃マデハ、其期日モ一定セザリシガ、後水尾天皇以後ハ略々定マリテ、攝家ハ三ケ日ノ間ニ、親王家ハ四日迄ニ、其他ハ八日ヨリ十日迄ノ間ニ、參内スルコトヽナレリ、サレド時ニ臨ミテ延促アリ、殊ニ遠地ノ寺社ニ至リテハ、正月ノ末若シクハ二月ノ初ニ入リテ、參賀スルコトモアリテ、自ラ一様ナラズ、其他二日、三日、四日ノ間ニ、牛飼童ノ御禮アリ、御領農民ノ參賀アリ、共ニ後世ノ事ナリトス、又拜禮トテ三ケ日ノ間ニ、朝臣ノ院、東宮、及ビ女院、皇太后、皇后、中宮等ニ參賀スルノ儀アリ、災異アル時ハ停 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0588 止セラルヽヲ例トス、其他足利氏ノ時ハ、將軍親ラ參内院參シテ年始ヲ賀シ奉リ、徳川氏ノ時ハ、將軍ノ名代トシテ高家ヲ遣ハシ、大刀折紙馬代、其他種々ノ物ヲ獻ジテ、年頭ノ禮ヲ行ヘリ、
幕府ノ年始ノ祝ニハ、足利氏ニテハ五ケ日ノ間、昆布勝栗等ニテ三獻ノ祝アリ、將軍ノ一族互ニ往來シテ、獻酬ノ禮ヲ行フ、徳川氏ニテモ略々之ニ同ジ、武臣參賀ノ式ハ、鎌倉幕府ニ在リテハ、三ケ日ノ間重臣代々埦飯ヲ獻ジ、群臣庭上ニ列坐シテ劒、弓箭、行騰、沓、砂金、馬等ノ引出物ヲ進メ、宴ヲ賜ヒ樂ヲ張ルヲ例トス、足利氏ノ時ハ其儀稍々備リ、元日ニハ、將軍對面所ニ出デ、三管領ヲ始メ、大名、御供衆、番頭、節朔衆、及ビ日野三條以下ノ公家衆等、一人ヅヽ進ミテ盃酒ノ禮ヲ行ヒ、各々練貫ヲ賜フ、三ケ日ノ間斯ノ如シ、四日ニハ、陰陽家、觀世大夫等ノ拜禮アリ、五日ニハ、吉良、澀川、石橋等ノ諸大名、及ビ關東衆ノ參賀アリ、其他八日ヨリ月末ニ至ル迄ノ間ニ、關東管領、遠地ノ代官、各種ノ職人、猿樂等ノ參賀アリ、三職ハ五ケ日ノ間、金覆輪ノ大刀ヲ獻ズ、其他ハ或ハ獻ジ或ハ然ラズ、皆其家格官職ニヨリテ、自ラ一定ノ制アリ、徳川氏一統ノ業ヲ成スニ及ビ、舊規ヲ參酌シテ新儀ヲ定メ、元和二年正月ヨリ之ヲ行フ、元日ニハ、三家三卿ヲ始メ、譜代ノ大小名諸有司、及ビ法印法眼ノ醫師、畫工、觀世等、各々其家格ニ應ジテ大刀折紙ヲ獻ジ、盃酒時服ヲ賜フ、二日ニハ、國主ヲ始メ、外様ノ大小名、及ビ無位ノ醫師、連歌師、諸職人、猿樂等ノ參賀アリ、盃酒并ニ祿ヲ賜フコト前ニ同ジ、三日ニハ、無官ノ大小名及ビ證人陪臣等ノ參賀アリ、斯ノ如クシテ式全ク終ル、蓋シ武臣ノ參賀式ハ鎌倉幕府ニ創リ、足利氏ニ整ヒ、徳川氏ニ大成シタルナリ、寺社ノ參賀ハ、足利氏ニテハ、正月八日ヨリ廿三日迄ノ間ニ於テシ、徳川氏ニテハ、同五日六日ヲ以テス、然レドモ遠國ノモノハ、二月或ハ三月ニ至リテ參賀スルモアリ、是レ亦其格式ニ由リテ、進物祿物等均シカラズ、門跡ノ參賀ニ至リテハ、使 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0589 ヲ遣シテ之ヲ迎ヘ、禮畢テ退出スル時ハ、將軍親ラ之ヲ送ルナド、待遇大ニ普通ノ寺社ニ異ナルモノアリ、又徳川氏ニテハ町人ノ參賀アリ、江戸、京都、大阪、奈良、堺、伏見等ノモノハ、正月三日ヲ禮日トシ、遠地ノモノハ定日ナシ、又徳川氏ニテ參賀ノ使ヲ朝廷ニ發スルニ就キテハ、朝廷ヨリモ答禮トシテ、勅使、院使、東宮使等ノ參向アリ、將軍ニ對顏シテ祝詞ヲ陳ベ、大刀馬代等ヲ賜フ、儀畢テ後、日ヲ期シテ勅使以下饗宴ノ事アリ、勅使ノ參向ト共ニ、親王、攝家、公家衆等モ、或ハ親ラ參向シ、或ハ使ヲ遣シテ年始ノ禮ヲ行フ、門跡モ多クハ此時ニ參賀スルヲ例トス、參向ノ期ハ時ニ由リ變更アレドモ、通常二月或ハ三月中ニ於テセシガ如シ、而シテ幕府年始ノ諸禮ハ、是ヲ以テ大抵最終トスルナリ、
古ハ正月ノ節ニ當リ、猥ニ他人ヲ拜スルコトヲ許サズ、然レドモ兄姉以上ノ親、及ビ氏長ヲ拜スルコトハ、大寶ノ制ニテモ之ヲ許セリ、サレバ年始ニ父母ヲ訪フハ勿論ニテ、氏人ノ其宗家ニ拜賀スルコトモ古ヨリ行ハレ、後世ハ家領ノ農民ニ至ル迄、各々其領主ニ年始ノ禮ヲ行ヘリ、又民間ニテハ、各自互ニ贄ヲ執リテ回禮ヲ行ヒ、或ハ賀状ヲ往復シテ新年ヲ祝スルコト、今日ト異ナルコトナシ、
年始ノ服裝ハ、身分家格ニ由リテ一様ナラズ、諸禮ノ日ハ、天皇ハ引直衣ニ下襲、前張ヲ著シ給ヒ、諸臣ハ必ズ飾劍ヲ帶シ、魚袋ヲ著クルヲ例トス、幕府ニテハ、足利氏ノ時ハ、將軍ハ烏帽子直垂ニ、唐織物ノ服ヲ著ケ、武臣ハ大口、直垂、又ハ小素襖ニテ出仕シ、徳川氏ノ時ハ、將軍ハモト足利氏ニ同ジカリシガ、文政十一年以後ハ、立烏帽子、小直衣ニ、指貫ヲ著スルコトヽナリ、武臣ハ官位家格ニ從ヒテ、直垂、狩衣、大紋、布衣、素襖等ノ別アリ、民間ニテハ一般ニ上下ヲ用ヰタリ、
朝廷年始祝ニハ、上ニ述ベタル朝夕三獻ノ祝ノ外ニ、御藥、齒固、節供等ヲ供スル式アリ、御藥 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0590 ヲ供スル事ハ、嵯峨天皇ノ弘仁年中ニ始マリ、三ケ日ノ間、天皇生氣ノ色〈當年ノ吉方ノ色ヲ云フ〉ノ服ヲ著ケテ清凉殿ニ出御アリ、一獻ニ屠蘇、二獻ニ白散、三獻ニ度嶂散ヲ獻ジ、殊ニ第三日ニハ、膏藥ヲ獻ズル儀アリ、典藥寮ノ官人及ビ陪膳ノ女官等ニ祿ヲ賜フヲ例トス、院宮ニモ亦此儀アリ、民間ニテモ一般ニ屠蘇ヲ飮ミテ之ヲ祝フ、皆其年ノ疾病邪氣ヲ豫防センガ爲メナリ、齒固ハ延年固齡ノ義ナリト云フ、其饌ニ菜蔬、魚類、鏡餅等ヲ用ヰル、モト三ケ日ノ儀ナリシヲ、後世ハ略儀トナリテ、正月ノ中吉日ヲ選ビテ、僅ニ一日之ヲ供スルコトヽナレリ、院宮及ビ幕府等ニモ亦此儀アリ、又節供ト云フアリ、強飯、魚類、菓物等ヲ具シテ、三ケ日又ハ五ケ日ノ間之ヲ獻ズルナリ、院宮、幕府等亦然リ、
朝廷ノ群臣ニ宴ヲ賜フニハ、元日ニ節會アリ、二日ニ淵酔アリ、中宮、東宮等、亦饗宴ノ事アリ、共ニ其篇ニ詳ニス、而シテ幕府ニモ亦年始ニ饗ヲ賜フコトアリ、殊ニ徳川氏ニテハ、元日武臣ノ賀禮ヲ受クル前ニ、先ヅ黒書院ニテ、世子以下一族ノ獻酬アリ、兎ノ吸物ヲ出シ、老中近侍ノ輩相伴スルヲ例トス、又埦飯ト云フアリ、鎌倉幕府ノ時、三管領及ビ大名ヨリ、五ケ日ノ間交番ニ之ヲ獻ズ、御成始トテ、正月中將軍ノ、管領諸大名等ノ邸ニ臨メル時モ、亦此埦飯ノ饗應ヲ受クル例ナリ、其後幕府ニハ此儀絶エシカドモ、徳川氏ノ時在府ノ三家ニ於テ、年始ノ祝儀トシテ、老中以下ヲ饗應スル事アリ、町奉行ノ宅ニ於テ、與力同心ニ埦飯ノ饗應アリ、其他民間ニテハ埦飯振舞トテ、親族朋友ヲ招キテ盛ニ之ヲ行ヘリ、又節振舞(セチブルマヒ)ト云フアリ、正月中貴賤共ニ各々其分ニ應ジテ饗ヲ設ケ、互ニ親戚知人ヲ會シテ歡ヲ盡ス、蓋シ佳節ノ饗燕ノ義ニシテ亦埦飯ノ類ナリ、其他年始ノ祝儀トシテ己ヲモ祝ヒ、客ヲモ饗スルモノニ種々アリ、蓬萊ハ、熨斗、昆布、橙、勝栗、海老等ヲ三方盤ニ飾リタルヲ云ヒ、雜煮ハ、鏡餅ニ、芋、牛蒡、蘿蔔、鮑、田作等ヲ加ヘ、煮熟シテ羹ト爲シタルヲ云フ、年始ノ餅ヲ鏡餅ト稱スルハ、其形ノ鏡ノ如 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 圓形ナレバナリ、又大服トテ、元日ニ若水ヲ沸カシテ茶ヲ點ジ、梅干ヲ入レテ之ヲ服ス、胸膈ヲ清クシ、一年ノ邪氣ヲ禳フノ意ナリ、凡ソ年始ノ祝儀トシテ用ヰルモノ、一トシテ祝意ヲ寄セザルハナシ、例ヘバ大服ニ梅干ヲ用ヰルハ、其面上ノ皺ニ似タルヲ以テ、延齡ヲ祝スルナリ、雜煮ニ芋及ビ數ノ子ヲ加フルハ、共ニ多子ノ義ニ取ルナリ、蓬萊ニ昆布ヲ飾ルハ、ヨロコンブノ縁語ナレバナリ、獨リ此等ノ飮食ノ中ニ祝意ヲ表スルノミナラズ、使用ノ言語モ亦務メテ不祥ヲ忌避ス、例ヘバ衰日ヲ徳日、又ハ得日ト稱シ、疾病ヲ歡樂ト唱ヘ、寢起ヲ稻積、稻擧ナド云フ類是ナリ、蓋シ正月ハ一年ノ始ナレバ、百事凶ヲ避ケテ吉ニ就キ、以テ前途ノ福祉ヲ希フノ意ニ外ナラザルナリ、

名稱

〔伊呂波字類抄〕

〈禰疊字〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 年始 年首 年頭

〔運歩色葉集〕

〈禰〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 年甫(ホ)、年頭(トウ)、

〔下學集〕

〈上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 履端(リタン)〈正月履一切之事端、故曰履端也、〉肇歳(テウサイ)〈正月也、肇始也、〉甫(ホ)年〈正月也、甫始也、〉

〔世諺問答〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 正月は、としの始の祝事をして、知る人なるはたがひに行かよひ、いよ〳〵したしみむつぶわざをし侍る、〈◯下略〉

〔歌林四季物語〕

〈一春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0591 そも〳〵あら玉のとしたちかへる、くもゐの庭の、御おほやけごとよりはじめものして、あまざかるひな人までも、むつきのことたつことぶきのめでたかるべきためし、はじめためりしは、こともおろかや、人の世みはしらにあたらせたまふうきあなのみやゐ〈◯安寧〉より、この事宮の中にてもとりおこなひ給ひ、四の海の外までもいはひものすることになりぬ、まことにいつとはなけれども、一とせのとぢめとはしるくも見えてたてまつる御氣しかうぶりてつらまでも春めき、ふるとしの具は古代めきたるは、人の心の花になりゆくなるべし、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 ◯按ズルニ、正月元日ヲ祝スルコト、安寧天皇ノ朝ヨリ始マルト云フハ、根據ナキ説ナリ、此事旣ニ神武天皇ノ元年ニ在リ、朝賀篇ヲ參看スベシ、

〔名目抄〕

〈恒例諸公事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元日宴(グワンニチノエム)〈今世諸人以僧爲師、爰僧云元日(ゲンニチ)、故爲之註之、〉

〔節用集〕

〈久時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元(グワン)日(ジツ/ニチ)

〔増山の井〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 正月元日〈けさの春 けふの春 四方の春 初空 日の始 三つの始 三つのあした としのはじめ あら玉のとし あらたまの春 としたつ あくる年 初とし 新しき年 上日 年頭 鷄旦 聖節 改旦 歳旦〉

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元日異名〈(中略)改旦、歳旦、元三、年頭、初年、新しき年、明る年、年立、あら玉の年、年の始、三の朝、日の始め、〉

〔日本歳時記〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元日、舜典にいはく、月正元日、舜格于文祖、蔡沈が注に、月正は正月也、元日は朔日也と記せり、しかれば唐虞の時、旣に元日の名あり、

〔後拾遺和歌集〕

〈一春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 正月一日よみ侍りける   小大君
いかにねておくるあしたにいふことぞ昨日をこぞとけふを今年と

〔名目抄〕

〈恒例諸公事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元三(グワンザン/○○)〈後生以三字清歟、故注之、〉

〔運歩色葉集〕

〈久〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元三日(グワンサンニチ)〈秊ノ始、月ノ始、日ノ始ハ正月朔也、謂之元三日也、〉

〔節用集〕

〈久時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元三(クワンザン)

〔榮花物語〕

〈十日蔭の蔓〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 あくる年、長和元年といふ、元三日のありさま、たヾならましかば、いかにめでたからまし、

〔帝王編年記〕

〈二十一二條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 永暦元年庚辰正月、今年依物忩天下無元三儀

〔禮容筆粹〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 元三之事、〈◯中略〉又三始(○○)と謂て古歌、
あら玉の年も月日も行歸り三の始の春は來にけり

〔山之井〕

〈春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0592 正保二年の元日に   讀人不

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 なにはしらずめでたき三つのはじめ哉

〔漢書〕

〈七十二鮑宣傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 明年正月朔日蝕、〈◯中略〉宣復上書言、〈◯中略〉今日蝕於三始、〈如淳曰、正月一日爲歳之朝、月之朝、日之朝、始猶朝也、〉

〔漢書〕

〈八十一孔光傳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 歳之朝曰三朝〈師古曰、歳之朝、月之朝、日之朝、故曰三朝、〉

〔續山の井〕

〈春〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 三ケ日(○○○)
日に日日にあらたな春や三ケ日   攝州鳥養 苞勝
君が春やかぞへもしらじ算ケ日   伊賀上野 正好

〔榮花物語〕

〈三十四晩待星〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 年かはりぬれば、内わたり花やかにいかめしう、御藥まゐり、御まかなひ三日のほどいとめでたし、

〔中島宗次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 正月一日を元三といふ事、〈◯中略〉又五ケ日(○○○)と云事は、正月三ケ日、七日、十五日、これを五ケ日と云、

〔大諸禮〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 萬躾方の次第
一正月朔日を元三といふ事〈◯中略〉 一同五ケ日といふ事、一日、二日、三日、七日、十五日なり、又出家は、五日までをいふなり、能々心得べし、

〔貞丈雜記〕

〈一下祝儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 正月五ケ日とは、朔日、三日、七日、十四日、十五日也、出家方には初の五日を五ケ日と云、書札禮節諸聞書條々等に見、此説非也、〈◯中略〉元日、二日、三日、七日、十五日、是を五ケ日と云て、京都將軍家には專御祝あり、三職御太刀進上ありて、御盃頂戴也、申次記録、東山殿年中行事、殿中申次記、年中恒例記等に見たり、

〔四季舊式〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0593 正月〈◯中略〉五ケ日ト云ハ、朔日、二日、三日、此三ケ日ニ、七日ト十五日ヲ配合シテ五ケ日ト云、朔日天ニ象リ、二日ハ地ニ象リ、三日ハ人ニ比ス、三ケ日ト云祝也、七日ハ人日トテ、往古人出生ノ日也、〈◯中略〉十五日望月ノ祝ナリ、是ヲ合テ五ケ日ノ賀トス、〈◯中略〉釋氏ハ朔日ヨリ五日迄ヲ五ケ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 日ト云テ、五日ノ内諷經有、朔日ハ天神地祇諸神ヲ祈、二日ハ帝道の寶祚、武家ノ武運ヲ祈ル、三日ハ宗ノ祖師開山ノ僧ニ諷經ス、四日一宗ノ旦那、一切の衆生ノ爲ニ祈、五日ニ自身ヲ祈祷ス、是ニヨリテ五日迄ヲ五ケ日ト云ハ釋氏ノ法也、

〔東都歳事記〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 元日 今朝若水を汲む、今日より三日迄、貴賤雜煮餅を食し、大服をのみ、屠蘇酒をすヽむ、屋中年徳棚を設く、今日より六日迄を松の内(○○○)といふ、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 元日 御慶〈新年良賤相遇、先稱御慶、互謂少成(ワカクナル)、是歳初之祝詞也、〉

〔増山の井〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 松の内〈世話〉春なが〈同〉改年之御慶〈世諺問答〉履端(リタン)之慶〈元日に人を賀する詞也、書言故事、〉覆新之慶〈是も正旦に、書を以て人を賀する詞也と書言故事にあり、書言故事、〉

〔和爾雅〕

〈二歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 正月元日〈書曰、正月元日、玉燭寶典曰、正月一日爲元日、〉履端〈履端于始〉元正 上日 三元〈元始也、元日者、歳之元、時之元、月之元、〉三始〈元日者、歳之始、月之始、日之始也、故曰三始、出于鮑宣傳、〉三朝〈朝始也、同上三始、〉三朔 正始〈唐書、履端元日正始之初、〉正日 正朝 正朔 元旦 正旦 七始(シツシ)〈三才四時之始〉天中節 四始〈歳之始、時之始、日之始、月之始、〉天臘〈道書〉元首 三微 人正〈律暦志〉履新〈唐禮樂志〉雞日〈東方朔占書、一日爲雞、二日爲狗、三日爲豕、四日爲羊、五日爲牛、六日爲馬、七日爲人、八日爲穀、〉雞旦 青旦 初正 更始 元辰 歳朝 啓令節 首祚 歳旦

〔書言故事大全〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 正月 履端 元日賀人曰履端之慶、左、文公元年、先王之正時也、〈◯註略〉履端於始、〈暦法、以十一月甲子朔夜半冬至暦元、其日月五星、皆起於牽牛初度更無餘分、以此爲歩占之端、故云履、端始也、〉 履新 正旦以書啓人、曰謹致覆新之慶、唐禮樂志、皇帝受群臣朝賀、曰元正首祚、景福維新、惟陛下與天同體、臣等謹上千秋萬歳壽、〈群臣既上萬歳之壽、制答曰、覆新之慶、與卿等之、〉

朝廷年始祝

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0594 四方拜をはりて、常の御所に還御なり、常にならします方にてあしたの物參る、ひし花平むめぼし茶など供じて、御さかづき參る、御前にて女中御とほしあり、伊與酌をつとむ、儲君御同宿の時、又は女御などあれば、御相伴也、〈◯中略〉秉燭の後御祝あり、〈◯中略、此時先強供御ヲ〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0595 〈供ズル式アリ、〉次第に御前を撤す、御さげなほしはりばかまをもぬがせ給ひて、小袖に赤すヾしの御はかま、垂纓組がけはもとのまヽにて、西の一帖の御座にうつらせおはします、此間におしも兩三輩ひさしに出て、女中男のこさかづきをしたヽめおく、たの御はんは御手長の御しも便宜の所に置、もとはゆどのヽ上におかれしよし也、回祿已後は、里内のことの外に狹少の事なれば、萬ヅを清凉殿ひとつにてとヽのへられしほどに、御ゆどのヽうへも御殿の内とあり、此時の事也、是も便宜の所也、はいぜん手ながおの〳〵きぬをばぬぎて、常の小袖にはかまばかりを著す、はだには白きねり貫紅梅二を重てきる、〈如此の時、毎度上著袷なり、〉おの〳〵著座ののち、はいぜんの人座を起て、母屋の北の間をへて御前にすヽむ、〈御座の右の方〉南の方へそばみて候ず、手長〈右の方〉内侍同じく座を立て、御前にひざまづきて候ず、御しも御盃を持て、申の口より庇に出て、ひざまづきて手長のないしにさづく、内侍とりて、れん臺にのぼりて、はいぜんの人にまゐらす、はいぜん御前におく、次に初獻〈三ツ肴〉を供ず、御さかづき御左方へおし寄て、初獻をたヾしく御前におく、次てうしをもてまゐる、三盃の時御箸をとらす、御さかづきをとらしめ給ひて參る、〈一獻〉此間に手長の内侍、廂にある小さかづきの御はん〈中央に強供御あり〉をとりて、母屋の南の間をへて、れん臺の中央の間の東のはしらのもとにおく、陪膳、御盃をてうしにすゑてすヽみより、第一の人の座前におく、もとの座につく、手長のおしも、すヽみよりて次第にとほす、次に御盃もて參る、初獻の如し、陪膳よりて御前の御はんにすう、次に二獻〈ばうざう〉を供ず、三ツ肴を御右の方へおしやりて、二獻を中央におく、次にてうしをもて參る、御箸くだりて御盃參る、〈一こん〉次第にとほりて又盃出づ、此度は上臈より勾當内侍まで、天盃を玉ふべき料に、其數あいの土器を重ぬ、重ねながらとりて御はんにすう、三獻〈御まな〉を供ず、二獻を撤して三獻を中央におく、次に手長の内侍、てうしを白散のもとにもて行て、とそ白さんを入て後、はいぜんのもとにもて參る、御箸くだり御盃參る、〈三獻〉三獻めに御くはへあり、御前

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0596 の御はんを御右の方にくり寄て女中に給る、天盃をしきゐのうへにならべ置て、酌にて御とほしあり、〈一獻〉勾當ないしまで天盃給り、第二の典侍は、第一の典侍の盃をこひとりてもて參る、第三のないしは第二の典侍の盃をこひとりてまゐる、かくの如くしだいにくりてゆく、勾當のないしは又人につたへず、男の御とほしのときもて出べきため也、上臈ぶんの人の盃つきぬれば、又第二のないしの盃をこひてもて出て、人數によりかくの如く、三反も四反もくりゆくなり、ひら御しもはれんだいにいらざるがゆゑに、廂の南のひがしの一間のしやうじに出、南のすのこをへて、れんだいの南の東の一間のしやうじより入て給はる也、次に勾當ないし左手に盃〈男の御とほしの料也〉をもち、右の手にさきとりをとりて、母屋の南の間をへて御前にすヽみ盃を置、燭のさきをとり、れん臺の中央の間のひがしのしやうじを明てしりぞく、男の次第にてとほしあり、天酌にてたぶ、〈一獻〉人々しりぞくついでに、小さかづきのもとに寄、小さかづきを給る、第一の公卿強供御をとりてしりぞく、最末の人盃をとりて、しやうじさしてしりぞく、手長のないし座を起て次にすヽむ、はいぜんの人御前を撤す、後にまゐりたるをしだい〳〵さきに撤す、毎度毎度かくのごとし、事をはりて入御、女中起座、女中便宜の所にて小さかづき強供御を給る、次に御かれひとて、二のうねめてうしにさかづきを居て、土器物二種とり添てもて出て、申の口にて伊與にのましむ、さかなも同人役す、伊與さかづきを二のうねめに傳ふ、酌もさかなも伊與つとむ、夫よりつぎつぎの采女しゆにいたりて、同人酌にてとほしあり、肴は或は二の采女務なり、おの〳〵たんざしきにてのむ、〈◯中略〉 二日、あしたのもの昨日に同じ、〈◯中略〉夕方の御祝きのふにかはらず、〈◯中略〉女中こよひ紅梅にかぎらず、おもひ〳〵の衣裳也、〈◯中略〉 三日、あしたの物うけとり、昨日にかはらず、夕方の御祝また同じ、〈御朝のもの、毎朝川端道喜是を上ル、是を舌餅とよの人いふ、道喜前名五郞右衞門、當時ちまき名家の名物也、〉けふは女中あひに紅梅、うへはねり貫をきる、是を雪の下といふ、 四日、あしたのもの、同七日をのぞきて十四日

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 迄は、ひし花平を供ず、されどもけふより已後は、御てうづの後むかはる計にて、きのふまでのやうにはあらず、

〔禁中當時年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 御朝物、毎朝川端道喜上ル、川端ハ奈良之京ヨリ今ノ平安城ヘ住居スルヨシ云々、近世カレガ家ノ粽ヲ世ノ人賞翫之、道喜前ノ名五郞右衞門ト云、今以子息五郞右衞門ト名乘ル、 御朝物之事、小豆餅之由、イツノ頃ヨリカ如此アリシ、朝拜被遊ニ早朝ノ事故、是ヲ被召上シ歟、數ハ五十、今ノ一文取ヨリカ大キ成由、今者不召上歟、女房達抔コレヲ可給歟之由云々、又人是ヲ牛ノ舌餅ト云、

〔夏山閑話〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 御朝物は、餅粽菓子の類を、年中毎朝河端道喜といふ御菓子師より調進すると也、民家にても、朝食より前に何にても喰ふ事を、あさぶさと云は、此餘風なるべし、

〔友俊記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0597 年中御作法の大概物がたり〈◯中略〉 一朝〈◯正月元日〉の御祝 第一御膳やきかちむ、〈ひし、はなびら、〉ふくさごぼう、かず〳〵、あさ〳〵、第二御膳きじやき、〈しほやきのおかべとうふなり〉御硯ぶたにもりて、御肴二ツ、左右すぢかいの角に、わうじん、たもじ、ごん、にんじん、中に松たてヽ雉羽もり、毎日左右の御さかなはかへてとりあはするなり、此分御膳所より出る、〈◯中略〉 當番の典侍はいぜん、内侍は御手なが、命婦は役送にて、御いはひの事あり、御てうしくはへまゐらする、おの〳〵きぬを著てまゐらる、 次に女御、上段の次の間、又次の間、典侍、内侍、命婦、次第に座さだまりて、やきかちん御膳のごとく給ふ、女御三方、次は平をしき、次に御とほり、天盃天酌をたまふ、御とほり(○○○○)とは、御前にて此しなじなめい〳〵に給ふなり、御とほりもたまふ、上に一こんなれば女中も一こん、上に二こんなれば女中も二こん、上三ごんなれば女中も三ごん、上にめし上らるヽたびたびにめぐりくだる、上に二こんまでは御くはへなし、三ごんめし上らるヽ時は御くはへあり、御くはへ典侍にはたまふ、内侍よりはなし、大御乳の人の座は當時伊豫の局のうへなり、おさし(御差)は命婦の末座なり、禁

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0598 中の女中十二人、典侍四人、内侍四人、命婦四人なり、大御乳の人、おさしは外也、御陪膳給ふあたり御番の典侍、御手長内侍、役送命婦なり、いづれもはつき袴、大すべらかし、びんを出してつとめらる、女御は上段の御次に座したまふ、中宮よりは、上つかたと同じ、そのゆゑにめしつかはるヽ人も、其時は違あり、びんを出すといふ事、さしびんと云、前がみをわけてほそく出し下るなり、〈◯中略〉 夜になりて 一くしざし(串  指)〈しほおひら(鹽鯛)のさい〉 御はし 二からもの(蘿蔔) 三かずかず 右三ツ肴にて一獻 一あさあさ(蘿蔔莖漬物)〈くき、高もり、〉 二やきかちん(燒菱餅)〈こはぐごの事也〉 右二獻 一きじやき〈鹽燒豆腐也〉 右三獻、此時は御くはへ、 右のとほり、女中へもやきかちん、きじやきにて、右御こんのたびたび御とほりをたまふ、こん數もおなじ、くしさしは、鹽鯛をさいにはやしくしにさし、ほそき紙にあげまきのごとくちヾみをかくる也、からものは大こん三つほどにして葉をのこし、くきつけ物なり、いづれも小かくにのる、かずかずは數の子也、かはらけにもる、あさあさも同じ、やきかちんは小角にのる、きじやきは御すゑものにもりて、くこんをかけらるヽ、きじやきはとうふのしほやき也、 御引かへ 御三つざかな右に同じ 一こん ぼうぞう〈いも、高もり、うへに餅又おきものあり、〉 二こん ひれのこん〈とうふ、高盛、たひのひれ、〉 三ごん 御くはへあり いづれもとその酒を用ひらるヽ、此時天盃天酌をたまふ、女中はつきはかますべらかしていなり、大御乳の人も同じ、おさしの人はすべらかししヾらげよはり也、御さしには天盃はたまふ、天酌はたまはらず、右の御獻、女中の獻ともに、内膳司より調進す、〈◯中略〉 内々小番の公卿雲客には、常の御所にて天盃天酌三獻をたまふ、大中納言、宰相、一二三位等の公卿へはくはへをたまふ、殿上人にはひけの御くはへなし、後に末廣をたまふ、外様の公卿殿上人にはたまはず、元三の朝ごとに内内小番の公卿殿上人とも、元三七日十五日の中、葩ふくさ御こん、きじやき、御てうしひさげを、小番所にたまふ、〈◯中略〉 中宮又女御、緋のはかまはつきめさるヽ、典侍、内侍、命婦も、黒紅梅、赤紅梅、もヽ紅梅、はつき、緋の袴ていなり、又折々はおり

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0599 もんの織物も著す、典侍はさいの目、内侍、命婦は筋なり、いづれも白地也、筋は黒紅いとなり、又地赤白の緞にして、黒紅絲のすぢあるも、織筋ちがひては、典侍、内侍、命婦いづれも用ゆ、うらもあかのおもてほどはあかく、白き所は白うらすぢをあはせてもちゆ、〈◯中略〉御さしは命婦の末につきて、はつきはかまをゆるされず、しヾらの織もの緞そよはりをつくる小そで也、大ひとへは、常にはひとへといふていなり、もえぎの絹、こしより下にきるなり、としよりたる人は小すべらかしにてもゆり給ふ、大すべらかしさほうの事也、常には小すべらかし長かもじ、小そでの上に袴也、御さほうの時ははつき也、大すべらかしにはびん出るなり、まへがみのほとりより、地がみながきをすこし出しさぐるなり、院の御所にても、御さほうおなじ事也、常ていかはれり、さげがみていに長かもじ也、御膳のときははかまなり、女御といふうちは典侍の上につき給ふ、中宮といふよりべち座なり、御上と同じ事也、夫ゆゑ女中のめしつかはるヽ、禁中院中と女御のうちは、上臈はめしつかはるヽにも、その外は女中といふもあらず、かろき女を御こせうとてめしつかふ、女中といふよりは、禁中の女中と打まじりて、しだいに座もきはまりぬる也、天盃天酌もたまふ、

〔嘉永年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0599 正月朔日朝の物 四方拜をはりて、常の御座にて、朝の物、菱花びら、梅干、御茶など供じて御盃參る、御前にて御とほしあり、伊與酌を勤む、其やう先三つ肴、菱花びら、きじ、茶、硯蓋の御肴にて一獻を供ず、〈加へあり〉親王、女御御相伴なり、天盃親王女御へ給ふ、女御より次第に御とほし、女中も内侍の限りは、御前にて菱花びら、きじ、茶を給ふ、命婦はおの〳〵末座の内侍のほとりへ進み出で給ふ、同所にて御膳供ず、朝女中のうけとり進上ある日は、定れる御盃は供ぜず、〈◯中略〉御祝 秉燭の後御祝あり、〈◯中略〉御引直衣脱せ給ひて、御小袖に赤き生の御袴、垂纓御組懸は本の儘にて、西の一帖の御座に移らせ給ふ、御陪膳以下各五つ衣をぬぎ、常の小袖に袴ばかりにて座に著く、先御陪膳母屋をへて中段に進み、御座の右の方北へそはして候ず、御手長下段に候ず、次

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0600 に役送の命婦御盃をもて御手長に傳ふ、御手長御陪膳に傳ふ、御陪膳御前に居ゆ、次に初獻三つ肴を供ず、御盃を御左の方へ押よせて、初獻を御前に供ず、次に御銚子を持て參る、御盃をとらせ給ひ一獻を供ず、御陪膳御盃を御銚子にすゑて下段に出て、第一の典侍の座前に置き本の座につく、手長の命婦進みよりて次第にとほす、次に御盃を持て參る、初獻の如し、御陪膳とりて御前の御盤にすう、次に二獻ばうざうを供ず、三つ肴を御右の方へ押のけて二獻を中央に居ゆ、御銚子を持て參る、御箸下り御盃參る、〈一獻也〉女中へも次第にとほる、又御盃出る、此度は典侍より勾當内侍まで天盃給はるべき料に、あひの土器を重ねながら取て御盤に居ゆ、次に三獻御ひら(鯛)を供ず、二獻を撤して三獻を中央に居ゆ、次に御手長の内侍、御銚子を白散の許にもて行き、屠蘇白散を入れ、御陪膳に傳ふ、御箸下る、御盃供ず、〈三獻也〉三獻めに御加へあり、御前の御盤を御右の方へ押やりて、女中に給る天盃を敷居の上に雙べ置く、女中へ天酌にて給ふ、〈一獻也〉勾當内侍迄天盃給りて、第二の内侍は第一の典侍の盃をこひとり、第三の内侍は第二の典侍の盃を傳ふ、かくの如く次第にとほすなり、〈小のゝりなり〉命婦は簾臺に入らざる故に、下段の南の東の一間の障子より出て南庇をへて、簾臺の南の東の一間の障子より入て給はる也、次第に給はり終りて、御陪膳御前を撤す、次に入御なる、三ケ日、七日、十五日、立春等皆同じ、
三日〈◯中略〉御祝 夕方の御祝元日に同じ、けふは内々の男方に御盃を給ふなれば、三獻女中御とほしおはりて、男方めさる、南庇の御障子の開たる所より入り、中段の兼て設たる中央の御盤の所に致り、小盃を取り御前に進む、天酌にて一獻給はり、本の座に返り飮み、南の御障子のほとりにある小盃の許に至り、小土器に強供御を入れ、御障子を出て、南庇にて次の人に強供御を傳ふ、最末の人御盃を給はり、御障子をさして退く、夫より熊の間にて各へ御末廣を給ふ、勾當内侍傳ふ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 四日、朝の物、 朝の物きのふに同じ、七日を除きて十四日迄は、菱花びらを供ず、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 長享三年正月二日、あさ御さか月おなじ、〈◯中略〉こよひの御いはひ肴ばかりなり、 三日、あさ御さか月おなじ、こよひもこんばかりまゐる、

〔光恩院儀同記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 永祿五年正月一日丙戌、豫〈◯藤原孝親〉四方拜以前參内侍所、次於白川亭神拜、退出以後於家中祝儀如例、次參伏見殿、御祝儀如例、入夜參内、御盃參仕輩、予、四辻大納言、〈◯中略〉侍從雅英等也、於御方盃、予第一、仍給御盃、若宮御方御酌也、 二日丁亥、祝儀如昨日、竹園御祝同前、入夜參内、御盃參仕人々如昨夜、 三日戊子、祝儀朔二同前、入夜參内如昨日

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 慶長三年正月一日、一日の御さか月三ごん、いつものごとくまゐりて、女中をとこたち御とほりあり、 二日、こよひの御さか月三ごん、いつものごとくまゐる、御とほり女中をとこたちいつものごとし、

〔視聽草〕

〈七集四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 寛永甲申正月御湯殿の記 寛永廿一年正月一日、御さか月三ごん參、御小さか月もまゐる、三ごんめにとうそう入參らせ候、女中をとこたち御とほりあり、 二日、御さかづき三ごんまゐる、三ごんめよりとうそう、びやくさんいれまゐらする、御とほりもあり、 三日、ぐごに御ひきなほしめさしまして、御さか月三ごんまゐる、二こんめよりながはしとうそう入まゐらする、女中をとこたちこんはいたぶ、内々のをとこたち御あふぎたぶ、

年始行幸及行啓

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 朝覲行幸   同日〈◯二日〉
是は天子年の始に、上皇并母后の宮に行幸なる事あり、嵯峨天皇大同四年八月に、朝覲の儀ははじまる、〈◯下略〉

〔嘉永年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 正月十一日、〈◯中略〉出御始、 女御御殿へ渡御なる日限定らず、御引直衣めす、勾當内侍單衣きて御劒を持ち御供す、女中みな袴をきる、御口祝三獻供ず、女御へも出る、御盃の後、菱花

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0602 びら、きじ、御雜煮、御吸物、硯蓋の御肴にて一獻供ず、女御へも硯蓋の御肴參る、還御の後、女中へ三獻出る、典侍内侍は三方、命婦は足打、御差は平つけにのせて出るなり、
◯按ズルニ、天皇ノ上皇、母后等ニ朝覲ノ事ハ、帝王部朝覲行幸篇歳首朝覲條ニ詳ナレバ、參看スベシ、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0602 長和二年正月十日壬寅、今日青宮〈◯後一條〉被母后〈御枇杷殿〉巳刻可行啓、仍早參、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0602 仁安二年正月廿日己未、此日東宮〈◯高倉〉行啓于院御所、〈法住寺御所、自去夜上皇所遷御也、〉蓋爲拜覲也、巳刻著束帶、〈◯中略〉參東宮殿上、人々未參、頭辨時忠來、余問云、御拜事如何、〈◯中略〉時忠云、東宮御拜可右左右之由、左大臣所申也、是知足院殿仰也云々、勿論歟、

諸禮

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0602 七日、〈◯中略〉このごろ諸禮とて、宮門跡、攝家方、御びく尼衆、外様衆、院家、諸寺の僧、醫師にいたる迄、年始の御禮を申す、慶長の始つかたまでは、一人二人づヽ不時に參りしを、近年は日を定められて各參る事になりぬ、法中は修正にひまなければ、今日迄は參内せず、近來はヾかることのやうになりて、入道尼風情も參らねば、八日より已後の事なり、されば醫師などは、御用あるときは、八日より内にめさるヽこと、又常の事也、諸禮の日は、〈◯中略〉内々宮門跡、攝家方等は、勾當局より伺公なり、まづ局にて一獻あり、その後常の御所にて御對面、二こん參る、二獻め第一の人の酌にて進上あり、おの〳〵に天酌天盃をたまふ、御比丘尼衆も同じ、日野、烏丸、柳原は外様なれど、常の御所〈常御所、日御座、清凉殿、皆一所にて三ツ名なり、〉にて御對面あり、たれにても申つぎ御禮申て後、さし席〈御ひさしのひつじ申の角のたゝみ一帖を撤して、さし席一枚をしく、此さしむしろ、正月朔日より敷て、正月中あるなり、〉に候ず、御はいぜんに候ずべき人、手長の人、しきじ等、兼てより申の口に伺公して、御さがづきを供ず、次にさかな御前に參りて後、さしむしろの衆にもたぶ、六位藏人是を役す、南の戸を明て道とす、手長の人酌にて天盃たぶ、廂の中央にすヽみ出て給はる、本座にかへりて御さかなをとりて一人づヽしりぞく、おの

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 おのしりぞきて後御前撤す、入御、是は外様ながら内々をうけたる心也、此中日野は、武家の傳そうに定められて、後に内々おぼしくはへられて、右の中にはいらざれども、近き比迄の事なれば、三人の名をばあげたるなり、若諸禮十五日已後なれば、已後は三さかなを用ひざれば、こぶあはびをすうる也、院女中などまゐらるヽことも、十五日已後なれば此定なり、正親町院へ後陽成院の女中年始にまゐりし時も、若十五日已後なれば、こぶあはびをすゑられしと、宮内卿かたりし也、外様の攝家衆、外様の門跡衆、外様の番衆、院家、諸寺の僧等は、清凉殿の北の方にて御たいめんあり、八幡別當、本國寺、清水寺、本願寺、醫師やうのものは、小御所にて御對面あり、

〔近代年中行事細記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 諸禮〈日限不定〉 攝家、親王、法親王、常御所御對面、申次武家傳奏、〈兩人〉次出御於清凉殿、〈次將持御劒、藏人候御裾、〉或出御以前卷御簾、但有出御而大臣、外様門跡等御禮了、有加持事、貫首卷御簾歟、清華大臣并攝家門跡、外様公卿雲客、院中公卿雲客、諸院家、諸寺僧、非藏人御對面、右申次職事相替勤之、〈◯中略〉次於小御所、典藥頭、醫師、并八幡社家田中、善法寺等、其外清水寺執行成就院等御禮、申次同右、典藥頭、醫師等御禮了、窺御脉退出、五岳僧徒各御禮同右、但正月下旬、或二月上旬、在時宜也、武家傳奏被催體也、

〔故實拾要〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 攝家諸禮 元日、二日或三日、除御衰日御禮アリ、又元日小朝拜アル時、小朝拜ニ不參ノ攝家ハ別ニ改テ諸禮アリ、參内ノ時、長橋ノ局ノ御車寄ヨリ入テ、於常御殿御禮御獻アリ、都テ攝家清華家々ハ、正月天子御禮ノ時、表向ヨリシテ御禮也、此時天子御衣冠ヲ著御アリテ、御禮ヲ被受事也、此特ニ攝家清華ノ規摸也、此外諸家中ハ内々ニテノ御禮也、更ニ改ル無御規式、〈◯中略〉 親王家諸禮 八日或九日、十日、除衰日、諸親王、門跡、姫宮、比丘尼御所等、自長橋御車寄參内、於常御殿御禮アリ、
外様諸禮 外様諸家、院參ノ諸家、外様ノ門跡、院家、諸寺諸山ノ僧、於清凉殿御禮アリ、又八幡ノ撿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 挍田中、善法寺、新善法寺、鍼博士、諸醫等、於小御所御禮アリ、又柳原家於常御所差筵ノ御禮アリ、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 二日 拜禮〈今日攝關家參内、則於内殿差筵上拜禮、其所屬之家禮公卿、各出禁門而迎之、其家諸大夫各供奉、近衞殿家諸大夫、別參長橋局而有獻、是爲榮、其他不然、◯中略〉 九日 諸禮〈禁裏昨日今明日間、被徳日、年始之諸禮始、諸比丘尼、清華大臣、外様公卿、及諸門跡院中、公卿殿上人、取次而出、凡禁裏近臣謂内々衆、其餘稱外様、諸門跡、諸本寺僧侶、并鍼藥等輩各參内、院中亦多被此日、僧徒中般舟三昧院、并清淨華院中松林院、此兩僧雖黒衣、依舊例而參内、近年泉涌寺西堂亦雖黒衣、或代住職而勤之、又八幡正法寺安養寺長講堂、著香衣而參内、此日天台諸門跡、或院家僧正上首一人、於御前高加持、高加持對内加持而稱之、非必高聲謂也、◯中略〉 〈凡此月自朔日七日、被僧尼并圓頂輩入禁門、〉

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 抑禁中肇春之御儀式、〈◯中略〉二日三日之中、御徳日を撰み、〈御衰日を御徳日と云〉五攝家之御禮參内之節は、御臺所御門より、長橋玄關左に見て、中門より南の御車寄へ昇殿被成、御家來分御門弟の公卿衆、中門之際迄一列に御出迎被成、默禮有之例也、尤前廉に御家門より御使者にて、幾日には參内被成旨、例之通御出迎可進由、被仰遣御事也、平日之參内には、御出迎は無之候、年頭之砌計也、又御家門方之殿上人か諸大夫か、長橋玄關にて、其節從天子酒饌を被下御事なり、難有規摸とかや、四日迄之内、俗親王家伏見、京極、有栖川、閑院四軒の御禮也、〈◯中略〉十三日迄之内、法親王、諸門跡方、院家總洛中の御禮也、日限は替れども、其衆中には御室仁和寺、大佛妙法院、粟田口青蓮院、今出川梶井圓融院、三井寺圓滿院、山科毘沙門堂御門跡、嵯峨大覺寺、岩倉實相院、一乘寺、竹内曼殊院、神樂岡聖護院、白川照高院、南山科勸修寺、南都一乘院、東山智恩院之宮、右は各宮門跡にて法親王宣下有之方々也、併時に隨ひ攝家より御相談の御事も有之、其代々其寺の格に拘らずして、攝家門跡の列に入給ひ、先途漸大僧正に任じ給ひ、格式ひくしと心得べし、其外攝家門跡には、醍醐三寶院、南都大乘院、山科小野隨心院、安井蓮花光院、上醍醐三准門跡、水本坊之報恩院、松橋理性院、釋伽院、此外叡山の學頭、三井の碩學、南都興福、東大、西大、法隆、元眞、般若等之總代、諸門跡方之院家數多、大徳、妙心、輪番之住持、金地院の僧録、五山之紫衣、泉涌寺、般舟院、二尊院、芝山寺等之住僧、淨土鎭

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 西派四ケ之總本山、大谷寺、知恩院、黒谷金戒光明寺、神樂岡百萬遍、知恩寺、洛陽淨花院、西山派之二本寺、東山永觀堂禪林寺、粟生之光明寺、深本派之義は、兩本山洛陽誓願寺、蛸藥師圓福寺、右之外諸寺諸山之總代、諸寺院之僧侶僧綱、臈次を改め、寺法格式に隨ひ、代々の執奏傳奏に付て參内有、〈◯中略〉參内の行粧は、塗肩輿、緋衣、紫衣、香衣、素絹等、僧綱法儀に隨ふ道服也、供奉は、輿廻は布衣、先駈は素襖の青侍也、尤内侍所へも庭上より拜事有、神樂錢壹貫文か五百文、格に依肇之、刀自收納之〈◯中略〉扨各參内有ては天顏を拜す、併禁中の御儀式は、御前は何れも無言の御禮、附札のみ之披露にて、上段二疊臺の上に御褥を被敷、御簾御禮通り迄下れば、輕々敷天顏を拜する事不叶也、然に大徳〈龍寶山大徳寺、開山大燈、〉妙心〈正法山妙心寺、開山關山、〉兩ケの御禮は、左右列座の公卿も驚き恐入計之御禮にて、中段までうち登り、上段の玉縁に兩手を懸、御褥に頭の付程の御禮とかや、御近臣之御秘法有之也、尤寺法格式時の住持の規摸と稱す、此中に智恩院一ケ寺、正月廿八九日兩日之内、御諸司へ付屆之、武家傳奏の執奏にて參内す、當寺綸旨の申次は、時々典侍、大夫典侍、新典侍の御取次なれば、智恩院參内入門の節、右之局方御家來挨拶に於、御局よりの口上も相述る、扨知恩院宮中にての口上に、御忌も首尾能相勤候に付、年頭之御禮申上ると、傳奏議奏の挨拶舊例也、尤法威と稱す、御門の蹴發しを庭中に入や否、杖を突事を定例とす、今に右の如くの格式也、扨又東西兩本願寺は、内々世に知るごとく、五攝家の御連枝方にて、尤門跡號を被下、大僧正を拜任す、寺門に於ては富貴第一、又我宗派にては威權に榮えたまへ共、禁中關東の格式は不足、夫故に右之日限に御禮申上る寺門の列に入給はず、正月の末二月の初めか參内有、強に年禮と申にも非ず、御見廻に口上にて參内有、平日心安く東西六條へ出入被成公家衆一兩輩、御車寄迄出迎たまふ、夫さへ公家衆御傍輩中嘲弄有よし聞り、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006504ff.gif 驢嘶餘〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006504ff.gif 驢嘶餘

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 梶井殿年頭御參内、御門跡香ノ御衣ニ五條袈裟、北ノ御門ヨリ被入、長橋被參、三荷三

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0606 種被進也進物小高檀紙一束、扇一本、院家モ出世モ不御伴、只一人御參也、寺家并坊官ウヅラ衣スヾシノ大口也、ウヅラ衣トハ重子ノナキヲ云ナリ、足半ヲ著テ、敷皮ヲ敷キ、長橋ノ庭ニ居也、

〔友俊記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0606 年中御作法の大概物がたり 元日、親王攝政家の御禮は、常の參内にはことなり、唐門より長はしの局の御車よせより參りたまふ、親王は、しきゐのうち敷石のうへにてこしを出給ふ、一品牛車宣あるは、車寄の邊にておりたまふ、攝家は瑞籬のうち、御門敷居のそとの石壇の上にておりたまふ、車よせよりすぐに常の御殿にて龍顏を拜せられ、天盃天酌をたまふ、先菱葩にて御ごん、かず〳〵あさ〳〵やうのもの、きじやきなどを給ふ、事すみて大ぶくの御茶をたまふ、是は御徳日にあたれば二日にもあり、御陪膳は典侍なり、次の陪膳は内侍命婦なり、攝政家の御禮は、唐門より長橋局の御車寄より參りたまふ、武家傳奏議奏などの出むかひにて、常の御所にまゐり入て龍顏を拜せらる、殿上人御三ツ肴をとりたまふ、主上の御陪膳は、大臣の子孫の卿相、御手長の役送には、四位五位の藏人の中、六位の藏人等也、御陪膳御盃御銚子をまゐらす、ひさげの御くはへは手長の人也、天盃下されば、御銚子にのせて御陪膳に手長の人にわたす、ことすみて攝政家にまゐらす、二獻すみて、ひさげのくはへには六位藏人なり、又それよりもとのごとくかへりて、天盃をはじめのごとく第二の人にたまふことはじめにおなじ、攝政家は三公にあらずといへども、みなことごとくにまゐりたまふ、前大臣も參入し給ふ、又三公ならぬ納言といふとも、おして三方をもちゐらる、元日御とく日にあたれば二日にあり、〈◯中略〉享保四年、殿下〈九條殿〉御舊例を申請たまふ、天盃天酌の事也、御陪膳の公卿御前のみつざかな御さかづきをそなふ、手長の役送轉供也、次御銚子を殿下とりて三獻まゐらせらる、御ひさげは御陪膳にたまふ、すぐに御銚子にのせて殿下にむかふ、主上御てうしを出されて殿下にたまふ、御盃をとりて頂戴、天酌を給ふ、いづれも同じ事にたまふ、ひさげには御陪膳の公卿なり、此事院御所にてもおなじ也、

〔嘉永年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0607 正月朔日 攝家參賀 關白以下參内殿より勾當内侍局へ參り、夫より常の御殿にて御對面あり、御引直衣御張袴をめす、議奏申次なり、御盃を給ふ、先一獻三つ肴を供ず、おのおのへも出る、大中納言〈大臣の子孫にて大中納言たる人〉御陪膳にて一獻參る、職事の酌にて各へとほる、二獻ほうざう(烹雜)を供ず、各へも出る、二獻め第一の人の酌にて進上あり、〈加へ手長の人也〉御銚子を黒縁のほとりに置て、第一の人復座す、御陪膳の人御銚子を取て上段にあぐ、次に各へ天酌にて天盃給ふ、御盃終りておの〳〵退出す、親王方また内々門跡の御盃のやうこれに同じ、小朝拜のある年は、當官の攝家は更に參られず、太刀折紙は勾當内侍披露するなり、 三日、親王家御參賀、 けふは伏見有栖川兩宮の御禮なり、參内殿より參らる、元日攝家參賀に同じ、 清花大臣御禮 車寄より參らる、御禮のやう攝家參賀に同じ、 差筵御禮 北小路三室戸など差筵にて御禮申す、常の御座にて御對面あり、御陪膳大中納言御盃を供ず、次に三つ肴供じて後、差筵の衆へも給ふ、六位藏人居ゆ、職事の酌にて天盃を給ふ、下段の中央に進み出て給ふ、本座に歸り三つ肴を取り、一人づヽ退く、後御前を撤す、次に入御なりぬ、 四日、外様御禮、 外様番所に祗候の人々の御禮なり、常御殿にて御引直衣に生の御袴めされ、小御所へ出御なる、中少將晝御座の御劒を持ち、職事御裾に候し、近習も同じく御供す、上段の御座に出御なりて御對面あり、申次は議奏なり、上卿は下段、殿上人は庇にて御禮申す、事おはりて入御なりぬ、天盃を給ふ家々は、〈冷泉、日野西、伏原、西大路、竹屋、油小路、〉八景繪の間に召し出して給ふ、 八日、内々門跡御參賀、 巳刻に仁和寺宮、午刻に聖護院、梶井、青蓮院、圓滿院、知恩院などの宮々、參内殿より御參賀あり、常の御所にて御對面のやう、攝家參賀の如し、 九日、外様門跡參賀、 隨心院、一乘院、大乘院、三寶院など也、御學問所の中段に出御なり、下段に進み出て御禮申さる、申次は議奏なり、入御の後同所へ召出されて、天盃を給ふ、 内々外様入道御禮 公卿の入道せる人御禮申す、内々は御學問所、外様は小御所にて御對面あり、 黒御所御禮 靈

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 鑑寺、圓照寺、中宮寺などの尼宮なり、長橋の奏者所より參らる、常御殿にて、ひし花びら、きじ、大服茶、硯蓋のさかなにて一獻參る、 十日、諸禮、 院家、諸寺、非藏人の御禮なり、小御所〈清凉殿代也〉の上段に出御なり、下段にて御禮申す、非藏人は簀子なり、をはりてしばし小庇にまします、此間に御座を改め小御所へ出御なる、八幡の三坊〈田中、善法寺、新善法寺、〉下段にて御禮申す、次に御醫庇にて御禮申、上段の黒縁まで進み天脉を伺ふ、何れも申次は職事なり、 廿日、法中參内、 今日養源院、法淨院、南禪寺、五山の僧侶參内あり、總て諸禮に同じ、大徳寺妙心寺に限り、中段にて御禮申す、 廿一日、法中參内、 今日小池坊、智積院、蓮臺寺、本國寺など參内あり、諸禮に同じ、

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 應永廿四年正月一日、早旦於新主〈◯稱光〉御方三觴祝著了、佛前參舊主〈◯崇光〉尊前、燒香禮拜、其後供強飯例、三位源朝臣、重有朝臣、長資朝臣以下候、女中新尼公號斟酌、或不候、或祗候、云年始、云代始、祝著之儀雖相替、心中舊事戀慕而已、 十二日、總得菴參賀、一獻持參、有盃酌、抑新主御方又一獻、御寮明元等被召、賜引出物、退出之後、予、〈◯後崇光院〉御方へ新主入申、但御方狹少之間、於常御所一獻、三位以下壽藏主等候、殊更表賀禮畢、 十三日、治部卿經時朝臣參賀、於御前一獻、 十四日、予聊盃酌申沙汰、右少辨經興參賀、〈布衣薄色〉一獻料〈五百疋〉獻之、舊冬御事〈◯榮仁親王ノ薨去ヲ云フ〉未其禮、旁以表御禮歟、御對面有一獻、三位以下候、近衞局被祗候、〈◯中略〉五獻畢退出、予不對面、行豐參賀、一獻持參、又一獻重疊、新主御沈酔無極、 十七日、正永參賀、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 長享三年正月一日、とざまのばんしゆ御れいども申、御たいめんあり、 二日、とざまの御れい申さるヽ、 三日、こよひもとざまの御れい申、をぐらの宰相御さか月たぶ、

〔宣胤卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 長享三年正月四日癸亥、今日隆量卿、番代宣秀參候之間、夜著束帶、申年始之御禮云々、六日乙丑、黄昏著衣冠參内、當番之次申年始之御禮、申次以量朝臣也、出御議定所、入戸内、於板拜龍顏、實澄朝臣、長胤、於戸外簀子天顏

〔元長卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 永正七年正月十七日、參内當番也、依召早參、典藥頭親就朝臣去三日申御禮、於御三間馬道御對面、恒例事也、件之道近年自御懸參入云々、然今度自殿上東階前參上、不其意之由仰候處、曽他之道無覺悟由申云々、明日於勾當局堅被召仰、至承伏者可寛宥之御沙汰、若又猶存緩怠者、沙汰之限也、可計御沙汰由申入、大納言典侍局御使也、其後無他之儀其定歟、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609 文明九年正月八日、御ぢそうのさんがあり、あんぜん寺殿、じんせう寺殿、つうげん寺殿、大しやう寺殿御まゐり、 十日、前くわんばく、花山、そのほかさんがどもあり、申つぎ辨、宰相中將殿ばかり御さんだいあり、三ごんめに御けんびしさやまゐる、くわじうじもちてしこう、御たいの御方とりにて御まゐり、おなじく一こんに御さぶらひ、千しゆう萬ぜいめでたし、つゐでに御ちよくろにて御いはゐめでたし、
元龜四年正月四日、とう宰相おなじく侍從御れい申、御みまにて御たいめんあり、あすか井おやこ御れい申、きちやう所にて御たいめんあり、をとこずゑにて御さか月たぶ、藤宰相申すのくちにて御さか月たぶ、 六日大ないき五でう御れい申さるヽ、きちやう所にて御たいめんあり、日の御れい申さるヽ、つねの御所にて御たいめんあり、いつものごとく御まへにて御さか月たぶ、 十日、くわんばくながはしまで御まゐりありて、御れい申さるヽ、月のわ御れい申、下すがたにて御たいめんなし、けふの御たいめんあり、 十一日、りしやうゐんまゐりて、御かぢ申さるヽ、いつも十日に御れい申さるれども、御がいきにてけふ御たいめんあり、
天正十九年正月一日、きくてい殿〈◯晴季〉ない〳〵になされ候、御れい御申あり、つねの御所にて御たいめん、きくていおやこ御ひさしへ御まゐり、二こんまゐる、ぐ御の御はいぜん三でう中納言、御てながさせうべん、きくてい殿御まへ、さまのかう、しん中納言の御まへ、ゑもんのすけなり、御てんしやくにてまゐらるヽ、めでたし〳〵、 四日、八でうの宮〈◯陽光院子智仁親王〉御れいになる、〈◯中略〉つ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 ねの御所にして二こんまゐる、上らうちや〳〵、御ちの人も御まゐり、申のくちにて、こむ御すわりあり、御あふぎまゐらせらるヽ、 五日、五のみやのかた御れいになる、つねの御所にて二こんまゐる、 六日、けふのさんだいゆきふりてのぶる、 八日、大かく寺殿御れいになる、つねの御所にて二こんまゐる、御たる三色三かまゐる、めうほうゐん殿御れいになる、つねの御所にて二こんまゐる、御たる三色三かまゐる、御あふぎまゐらせらるヽ、 十日、くわんばく殿、〈◯豐臣秀吉〉十二日にさんだい御申候はんとの御あんないあり、 十二日、くわんばく殿さんだいあり、つねの御所にて御たいめんあり、こん三ごんまゐる、御しやうばんくわんばく殿、八でうの宮、〈◯智仁親王〉きくてい殿、〈◯晴季〉うきたのさいしやう、〈◯秀家〉うへすぎ、〈◯景勝〉もり、〈◯輝元〉ちくぜん、〈◯利家〉きん五、〈◯秀秋〉三郞じじう、いへやすじじう、〈◯秀忠〉以上十一人也、〈◯中略〉御てんしやくにてみな〳〵御とほりあり、しんくげしゆ廿七人、御たちをりかみにて御れい申さるヽ、〈◯中略〉御しやうばんしゆみな〳〵たヽれて、くわんばく殿八でうの宮のかたばかり御ざしきにて、じゆごう女御女中しゆは、御みやのれいに御いであり、きくてい殿、くわんじゆ寺殿、中山殿御まへに御まゐりあり、きげんよくめでたしめでたし、
文祿四年正月一日、くわんばく殿さんだいあり、ぎでう所にて三ごんまゐる、御はいぜんさねえだ、御てなが右中辨、御しやうばん八でうの宮、右大じん、ぎふの中納言、やまとの中納言、びぜんの中納言なり、殿上人御はいぜんなり、 十一日、けふはさんだいどもあり、せいりやうでんへなり候はぬさきに、御がくもん所にて、せいほうゐんろあん御たいめん、せいそかうしん上申、ろあんりうなんぐわんしん上申、申つぎくわんじゆじ、そののちこ御所へならしまして、ゆぎやう上人せいすい寺のくわん御たいめん、〈◯中略〉六でうの上人御れい申、こ御所にて御たいめん、申つぎひろはし、そののちせいりやうでんへならしまして御たいめん、正ごゐんどのぎでう所にて御た

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 いめん御かぢあり、りしやうゐんかつもと、しんめいゐん御れい申さるヽ、御たいめん同御かぢ申さるヽ、三ぼうゐんどの御れい御申、御かぢあり、九でうどの、一でうどの、たかつかさどの、九でうどの御おやこ御れい御申、御たいめんあり、そののちとざましゆ、せいぐわしゆのこらずをとこたち御たいめんあり、〈◯中略〉けんかうゐんちご御れい申、御たいめん、やうくわんどのちやうらう二人御れい申、〈◯中略〉めうしん寺、二そんゐん、ちおん寺、正ほう寺、せんくわんじ、せんりんじ、ちやうらく寺、大さんゐん、しやうりんゐん、しん女だうのぢうじかんかいじのこらず御れい申、ぎでう所にて御たいめんあり、一そく一ほんいづれものこらずまゐる、ちおんゐんはわづらひとてさんだい申されず、

〔信尹公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 慶長三年正月九日、參内、〈二獻〉親王御方無獻、〈依理也〉聖門御出、二條殿、九條殿、御門マデ迎送之衆、廣橋父子、四辻少將、持明院侍從、山科侍從、萬里小路中納言、富小路、

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 慶長六年正月九日、今日攝家〈并〉門跡、公家衆、諸寺僧等參内、被年始御禮、〈予〉參禁中也、諸寺僧衆之分、早參次第帳ニ書付、令御禮、〈予〉書付之、獻上之次第如引付、然間寺院之次第無之、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 慶長十二年正月廿三日、しよれいにて、せいりやうへならせられ、とざまのをとこたちへ御たいめん、そうじやうも御れい申さるヽ、一そくしん上申、くすししゆうも御れい申、十でう御くすりしん上申、たうさんにいつものごとく御あふぎたぶ、めんほうゐん殿より御たるまゐる、かぢ井殿御しでし、御むろの御所、せうろうゐん殿、たかつかさ中納言殿、ちうじやう殿、ふしみ殿、つねの御所にて御たいめんあり、こん二こんまゐる、このゑ殿より御たちをりかみまゐる、二でう殿御みまにて御たいめん、こん二こんまゐる、からすまるおやこ、やなぎはら、日のおやこ三人、つね御所の御さしむしろにて御れい御申あり、てんはい御いたヾきあり、

〔信尋公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 元和七年正月二日、巳刻許參内、以進藤内々申入之處勅許、先季吉朝臣今日參内之由被

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 申觸、家禮輩各承引、右衞門佐故障、巳刻許參内、於西門閫外下輿、家禮輩被出向、廣橋大納言、四辻中納言、西洞院宰相、廣橋宰相、柳原宰相、西洞院三位、季吉朝臣、孝治朝臣、時興朝臣、泰重朝臣、爲頼、右中辨光長、言總、秀雄、有純、季福、隆郷、季吉朝臣捲輿簾、季福履、下輿之後氣色、家禮輩各平伏、入長橋局中門之時、廣橋前内府下階被出向、於局毎年有二獻、當年内侍依歡樂其儀、頃之内大臣〈◯藤原兼遐〉伺候、先之前内府御禮、次予内大臣參御前、〈◯中略〉於御前二獻、初獻三肴、此時一酌、次二獻ホウザウ、予御酌有加、御酌了退本座、次天酌、予御盃頂戴、次内大臣同前、次予盃女中御通、酌予、三獻ヅヽ、勾當内侍マデ有加、御酌了復本座、申次依氣色退出、

〔視聽草〕

〈七集四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 寛永甲申正月御湯殿の記 寛永廿一年正月一日、ふしみどの、八でうどの御禮になる、つねの御所にて御さか月二こんまゐる、ふしみどの御しやくにて、ぐ御へまゐらせらるヽ、そののちてんしやくにて、ふしみどの、八でうどのまゐらせらるヽ、ふしみどの御しやくにて、女中へもたぶ、〈◯中略〉こんゑ前くわんばくどの御禮にさんだいあり、御みつざかなにて御さかづき一こんまゐる、うけとりの御さか月二こんまゐる、うけとりの御衆御さかづき御いたヾきあり、 五日、一でうどの御禮にさんだい、常の御所にて御三つざかなにて御さかづき一こん參、御たち折かみにて御禮也、 八日、にしきのこうぢどの、しん中將どの、ぢぶきやうどの、しんさいしやうどの御禮に御まゐり、常の御所にて御さかづき一こん參、どれどれへも御みつざかないで申候、てんはいたぶ、 十日、しよれいにて、大かう、九でう前くわんばくどの御禮にさんだいあり、御たちをりかみにて御禮御申あげ、常の御所にて御さかづき二こん參、九でう殿御しやくにてくごまゐらせらるヽ、そののちてんしやくにて御ふたりへてんはいまゐらせらるヽ、御むろの御所しやうごゐんどの、かぢ井どの、しやうれん院殿さんだいなる、いづれも御かぢあそばさるヽ、そののち御さかづき二こん參、御さかづきまゐりやうさきのとおなじ、女中衆へも御とほりあ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 り、おもてむきの御もんぜきがた院けんぞうしゆの御禮、せいりやうでんにてあり、いしやにはこ御所にて御たいめんあり、御さしむしろにてやなぎ原大納言おやこ、からす丸辨、てんはいたぶ、三人のしゆうへも御みつざかないづる、〈◯中略〉川もとだいそうじやう、ぼ大ゐんそうじやう、こんごうわう院そうじやう、まつはしそうじやう、うちやまじやうじやうゐんそうじやう、ほうゐんほうげん、同しんくう院ほうゐん、りじやう院でし、しやうきやう院ほうげん、しやうりん院、とうほう院しゆなんゐん、かや院ほんかうじそうじやう、だいとくじ、はんじゆ院、二そんゐん、こんかいくわうみやうじ、しやうりん院、しんによどう、やはたしやうほうじ、せいぐわんじ、とんくわうじ、くわうみやうじ、こうしやうじ、めうしんじしゆぎやう、ほうしやうゐんぜんぼうじ、しんぜんぼうじ、しやうじゆ院、きやうしゆん上人、いしやしゆみやう院、けんたくほう院、せやくゐむ、ほうゐんそうか、すいせうゐんほうけんいちをう、りうあんほうけん、けいあんほうけん、大しやうじどの、寶きやうじどの、どんげ院どの、入江どの御禮になる、御さかづき二こん參、御とほりもあり、宮内卿殿御れいに御さん有、てんはい御いたヾきあり、 十一日、じゆがうの御かた御禮に御まゐり、御さか月一こん參、御三つざかなもいで參らせ候、ゑんかう院どのも御れいに御まゐりにて御さかづきたぶ、御みつざかないで參らせ候、 十二日、いせのさいしゆ、御はらひ御たる二いろ二か上る、

〔禁裏番衆所日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 寛文三年二月二日、今日諸禮、前攝政〈◯康通〉左府、左大將、一條大納言、式部卿宮、彈正尹宮、妙法院宮、聖護院宮、一乘院宮、青蓮院宮、曼殊院宮、各於常御所御對面、申次勸修寺前大納言、天盃獻等被之、次於御三間、公卿雲客等御禮、申次頼孝朝臣、次出御於清凉殿、大乘院前大僧正、三寶院僧正、勸修寺、隨心院等御禮、申次勸修寺前大納言、次徳大寺前右大臣、内大臣、大炊御門前内大臣、三條前内大臣御禮、申次頼孝朝臣、次上乘院前大僧正以下院家申御禮、次外様公卿雲客、院中公卿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 雲客等御禮、申次頼孝朝臣、非藏人、同院中非藏人等申御禮、柳原前大納言於差筵御禮如例、 三月五日、青蓮院宮爲年頭御禮參内、於常御所御對面、 七日、爲年頭御禮梶井宮同新宮御參、於常御所御對面、

〔百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 延寶二甲寅歳正月八日、門跡、堂上、北面、非藏人、醫師等御禮、 九日、外様門室、院家、諸寺等御禮、 十四日、五山諸禮、 十七日、野宮黄門拜賀、

〔光榮公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 享保元年正月三日、常御殿差筵、西園寺大納言、三室戸三位、徳光朝臣、御禮云々、篤親卿談云、差筵者小筵也、常御殿下段者廂也、依之屋根裏無天井、不疊事也、夫故御盃等之節者敷筵事也、右之旨傳聞云々、

〔宗建卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 元文二年正月八日、内々門跡御禮、青門妙門等有御加持、於禁中此、於洞中兩人御加持可申歟之旨、内々被評定輩、仍兩人有御加持、上皇〈◯中御門〉有御不審、御在位中毎度爲一人、多上首之人勤修、而今度妙門依座主、被申請歟、雖座主、有上首之人之時、上首被申者也、後聞、臨期於禁中彼此有沙汰、元祿二年兩人有御加持、以此例之故也云々、 十三日、諸禮、〈中略〉院家之中、僧正無一人、珍事也、仍報恩院、常住金剛院、兩法印御加持勤修、以法印之身之、太元帥法理性院之外無之、於金剛院者、當時護持僧無難者歟、於報恩院者非御持僧、可難、雖然眞言僧侶上臈也、又一座上首、彼此以勤之、於彼身面目者也、

〔續百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 寛延四歳正月四日、自御所今日親王方清花大臣、於小御所御禮候、爲陪膳參勤候也、

〔輔世卿式中日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 天保六年正月一日辛酉、攝家中御禮、役送辰半刻頼永參勤、午半刻計御對面、御盃之儀有之、常御殿時宜如例、御陪膳醍醐大納言、手長恭光、役送頼永等奉仕、一條准后内府公御不參、其餘御參、二條殿年始御禮御參、御出迎輔世參上、近衞殿同斷、俊廸、俊常等參上、臨期御不參、仍御出迎之義無之、 同三日癸亥、親王丞相差筵等御禮、役送俊廸、俊常、輔世、辰半刻參勤、屆議奏卿池尻承

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615、未刻過於常御殿御對面、御盃之儀〈有供替〉萬事如例相濟、申刻頃各退出、 同六日丙寅、外様御禮、辰半刻各參勤、屆議奏卿、八景間天盃、役送議奏被頼永申渡、即俊廸勤仕之旨申答、議奏被頼永、今日御對面不在、御用無之、勝手可退出、申刻頃被申渡、於内々番所南間三肴、俊常、輔世從之、於八景間天盃、俊廸役送、 同八日戊辰、内々門跡御禮、役送辰半刻、輔世參勤、屆議奏卿、未半刻過於常御殿御對面、賜天盃、有供替時立如例、御陪膳源中納言、手長愛長、役送輔世、前物役送内々雲客亦如例、 一仁和寺宮内内門跡御禮御盃役送、其儀如左、 先陪膳手長參進 次役送持參御酒盞、〈土器一枚〉次役送持參御三肴、 賜臣下三肴 賜臣下三肴、〈殿上人陪膳〉次役送持參御銚子、〈御釃土器一枚添〉賜臣下一獻、〈巡流三獻、手長取酌、〉次撤御銚子、 次役送持參御酒盞、〈御員盃〉次撤御三方、 次役送持參御烹雜 次撤御三肴、賜臣下烹雜、〈便撤三肴〉次役送持參御銚子、〈初御釃留御前時、更不參土器、〉次役送持參御提、賜臣下二獻、〈各盃三獻、天酌陪膳取加、〉次撤御提、次撤御銚子、 次撤御烹雜、撤臣下烹雜、 次撤御三方 次手長陪膳退入 次第如左、但御前〈江〉參進以前、先議奏ヨリ以御詰非藏人案内有之、御陪膳手長役送等、御詰清手水所ニ而洗手、 次議奏卿ヨリ案内有之、御陪膳手長役送以下御三間南廂〈江〉參進、御陪膳以下次第列座、其次陪膳殿上人列座、出御以前議奏卿ヨリ案内有之、御陪膳手長役送等、常御殿御下段之北虎之間〈江〉參進、〈役送虎之間〈江〉參進ノ上降裾〉御陪膳以下次第列座、 次出御御對面畢、議奏卿可參進旨被示、御陪膳手長參進、役送直令御物役送也、 同十日庚午、今日黒御所、大覺寺門跡、隨心院門跡、三寶院新門跡、大乘院門跡、内々外様入道等、御禮參内之日也、俊常、外様門跡御禮役送參勤之處、異卿不參、仍テ巳半刻計退出、
外様門跡御禮、若出御之時、於御學問所空位天盃賜之也、御對面者於小御所在由也、其儀左之通、 先手長參進〈中段御座、手長下段西ノ方中程也、〉 次役送持參御銚子手長 次役送持參御提〈手長之候下方〉隨 次御獻奉行持參天盃〈置御銚子之上〉退〈但天盃載三方〉 次門跡參上拜領也 次役送撤御提 次撤御銚子 次手

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 長役送退出 同十三日癸酉、今日依諸禮、辰刻總參、〈雖辰半刻申合〉臨期無出御、秉燭以前一統退出、今日於省中諸禮參勤、交名執筆如左、〈但從傳奏渡之、書改之上言上、中奉書認之、外ニ傳奏ヘ中奉書、議奏ヘ次奉書、管首ヘ杉原、院藏人ヘ杉原、以上五通認之差出也、〉院家、〈此分清凉殿代御對面〉諸寺、〈同上〉若王子前大僧正、 妙心寺 住心院權僧正 泉涌寺 尊勝院大僧都 大徳寺 勝安養院少僧都 法常寺 遣迎院 妙顯寺 正法寺 永源寺 八幡社僧、〈小御所御對面〉醫師、〈同上〉新善法寺權僧正、 玄蕃權助晋 法眼勝順 越中介源徳咸 豐後介源具訓 安房介源隨 甲斐介賀茂保之 大炊少允源光敬 主計少允源克淳 右院家以下各參勤之上、人數次第官位等無相違哉相糺、且獻物引合、無子細後、附議奏卿獻上、其後傳奏卿以下附之、〈議奏役所扣、獻上之序附之、〉
 院家、諸寺、八幡社僧、醫師之内、大炊少允、主計少允、内見相願、則申入貫首、追々有内見例、 清凉殿代御對面、出御時、議奏西廂衝立ノ北ニ候、傳奏南廂東ノ御襖下ニ候、〈北上西面〉内々公卿殿上人等、東廂簀子等ニ候、外様公卿殿上人等、西廂簀子等ニ候、職事南廂南面ノ唐戸ノ下ニ候、〈東上北面〉藏人南廂西面唐戸下南ニ候、〈東上北面〉出御後、先院家、以下次第小御所西取合廊下ニ合列居、申次參進後、藏人氣色次第令參進龍顏也、 小御所御對面、先院家、次諸寺、次非藏人等、訖暫入御、内々公卿殿上人等敷替御茵、今度候西廂西簀子等、外様、公卿殿上人等退入、非藏人依議奏命、撤東廂簀子等圓座、傳奏如元候南廂東方、以上具後更出御、藏人令社僧醫師等東取合廊下、次第令參進也、 御對面出御之事、從議奏渡藏人後、藏人院家以下ヘ可申渡、且直可引率、 非藏人清凉殿代小御所御對面也、於南簀子天顏也、 此時藏人南廂西面唐戸下北ニ候ズ、〈東上南面〉是非藏人等自南取合參進也、非藏人奉行二人候、南取合ニ列居、〈東上北面〉 拜診醫師御對面訖後、傳奏兩卿於中廊下天脈安否、醫師言上後退入、 一未半刻過臨期無御對面旨、傳奏卿被示退出被申渡、各秉燭前退出、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 慶長三年四月十四日、太閤やがてさんだいとの御事にて、をとこたちめして御とりおきあり、 十六日、太閤、秀頼十八日さんだい候はんとの御あんないなり、こんかたいつ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 ものごと、ぐごあづかりにながはしより御申付、御ふるまひはとくぜんゐん申つけらるヽ、 十八日、太かうのひでより御さんだいあり、つねの御所にて三ごんまゐる、〈◯中略〉太かうよりねんとうの御禮、白がね五十まい、はくてう(白鳥)三ツ、おんたちしん上あり、ひでよりねん頭の御禮、白がね五十枚、御なか(綿)百は、はくてう三ツ、御たちしん上、大くら卿より二十でうしヾら二おもて、うきやうの大夫よりすぎはら二そく、しヾら二まきしん上、〈◯中略〉しんわうの御かたへ太かうより白がね廿枚、はくてう二ツ、御たちまゐる、ひでよりから白がね廿まい、はくてう二ツ、御たちまゐる、杉原十束、これもひでよりまゐる、じゆごうの御かた、女御の御かた、そのほか女中しゆ、いつものごとくおんみやあり、すゑしゆ御物し女しゆまで、みな〳〵のこらず御みやあり、めでたし、する〳〵とてんきよくさんだいにてめでたきよし、てんそうしゆ御申あり、

〔義演准后日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 慶長三年四月十八日、太閤并秀頼御參内、當年始也、御花見ニ付御延引歟、

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 慶長五年正月十一日丙辰、太閤若君秀頼卿爲御名代、大津宰相參内被御禮

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 慶長十三年正月廿三日、ひでより〈◯豐臣〉ねんとうの御禮に、いちのかみのぼり、御たちおりかみ、御むまだい五十枚まゐる、

〔實麗卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 文久三年正月二日己酉、酉刻計更出御、會津中將有御對面、賜天盃、入御之後、於小御所取合廊下兩役列座賜紅打御袙、大江俊堅役送之、 三日庚戌、今日松平相摸守、〈因州〉松平長門守、〈長州〉松平土佐守、〈土州〉松平伊豫守、〈豫州〉毛利淡路守〈徳山〉等參内、申刻出御、有御對面、賜天盃、入御之後、相摸守、土佐守、長門守等賜御衣、〈御襲云々〉如昨日、 十五日壬戌、今日尾張前大納言參内、有御對面、賜天盃云々、

〔議奏言渡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 正月〈◯文久三年〉二日、松平肥後守參上伺天氣、年甫御禮申上、且同人上京ニ付宜申上旨、大樹口上等、武傳被示、以駿河申入候、肥後守不存寄結構御沙汰を蒙候上、厚恩賜、重疊畏入、御禮申上旨、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 武傳被示、以大乳人申入候、

〔光臺一覽〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 又萩の城主松平大膳大夫兼長門守殿は、毎年禁中へ年頭歳暮勤められ候、大身之遠國大名可成由緒やらん、大名多きなかに一人の格式也、

牛飼御禮

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 二日、〈◯中略〉牛飼御禮に參る、清凉でんのにしの庭にこうず、勾當ないし、西面の簾をすこしおし出して、たヾめでたいめでたいと三度いふ、牛かひ其聲をきいて、かしこまりて退出す、

〔公家年事〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 正月三日 牛飼御禮 御牛飼彌一丸、仙納丸、跪テ候清凉殿西庭上、内侍自内搖御簾、頓而退出ス、

〔天明年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 正月四日 牛飼童御禮 是ハ、御車童子藤木仙納、吉田彌市、清凉殿の西の御庭〈江〉參る、女中方御簾を動かし給ふを見て退く、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 四日 御牛飼仙納并彌市〈參禁門、仙納在御泥池村、彌市在京師、常飼御車之牛、〉

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 長享三年正月四日、御うしかひども御れい申、慶長三年正月四日、うしかひいやいちせんなふまゐる、ぎでう所の御庭へまゐる、れん中より長はしめでたきよしなり、

〔視聽草〕

〈七集四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 寛永甲申御湯殿の記 寛永廿一年正月四日、いやいちせむなふ、御れいにぎじよう所の御にはまでまゐり、ないしはかまにて、みすのうちよりめでたきよし御申あり、

農民參賀

〔日次紀事〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 三日 御領農民〈毎年今明日間、禁裏御領農民參清所年始、則賜餅并酒、〉

將軍參賀

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 年中御對面〈并〉雜事少々
正月十日 一御參内次第事、先御立烏帽子御直垂を被召て、三御盃をまゐりて、則長橋殿迄御參、則長橋殿御冠、御指貫、御袍を御著用候て、有春御身固め在之、次傳奏禁裏様へ御案内被入之、則

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 長橋殿之南の方の御みすを卷あげ被申候時御參也、然に禁裏様御座所之御障子を、内より長橋殿あけられ候時、御縁と御座敷との際のかべ邊にて、御檜扇を持たれながら、ふかく御禮を御申也、其時長橋殿請じ被申候て、御庇より御簾臺へ御參也、御ひさしに御茶湯在之、御茶湯棚のわきより御參入也、仍三獻參、三獻ながら御盃御頂戴之、これ正月にかぎる御儀也云々、臨時の御參内時は、必二獻めをば、大上臈被給之也、三獻めに御酌を御沙汰也、又天酌にて天盃御頂戴之、又御酌御沙汰候て、女中衆より公家まで御れんだいにて御とをり在之、三獻めの御盃、禁裏様きこしめさるヽとき、御平鞘を傳奏持參候て、御進上のよしを禁裏様へ被申入候て、禁裏様御座候御右の御たヽみの上に置被申候也、次三獻以後、御肴あけ被申候て後御退出也、如本御ゑんへおりてて御ゑんぎはのさいのへんにて御禮御申候て、其儘長橋殿御退出候て、如元御直垂、御立烏帽子をめされて後、長橋殿被參、又三獻參、御盃三ツながらはじめらるヽ、初獻の御盃長橋殿被給之、二獻めのをば公家衆の中いちの上首被給之云々、三獻の御酌長橋殿持參候てきこしめされ候て、御盃長橋殿被給之、御酌也、公家衆迄御酌にて御とふり在之、如此ことすみて、長橋殿御かげへ被退て御退出也、御みす傳奏あげ被申候、〈◯中略〉 一五百疋、定て長橋殿へ參也、一獻料と號、長橋殿へ伊勢守持參、 一御供之事、御供衆三騎又は五騎七騎、同御供の同朋一騎、御小者六人、走衆六人めしつれらるヽ、 一御警固は大名勤被申候、近年は大略右京大夫勤仕せらるヽのみ也、 一御出奉行とて、右筆方の内兩人御さきへ伺候仕て、庭上に敷皮をしき著座仕也、 一御直廬の役と號て、同朋一人長橋殿に伺候仕て、御裝束以下取あつかひ申也、長橋殿赤きへりの掛席の外にて三獻在之云々、 一御冠御裝束御著用の役者は藤宰相殿、御前裝束の役も公家衆也、又藤宰相殿父子御參之時は、御息は御前裝束を役せらるヽ也云々、 一禁裏様御配膳は上臈被申之、御相伴の配膳は佐殿也、又長橋殿と申は内侍のかしら也云々、御ひさげは内侍の役なり、長橋殿にての

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 御配膳は殿上人、近年は被申之、 一御とをりには、上臈佐殿内侍以下、次に公卿少々、正月十日御參内にかぎりて御とをりの事、公家衆之中にも參つけられたる御人數在之云々、此御とふりに被參公家衆は、一段規摸のよし、藤宰相殿被申之也、 一御立石のきはにて御下輿の砌、公家衆あまた被參て蹲踞被申候とき、其中一の上首にそと御ゑしやく在之て御參也、これを參會の衆と申て、昔より御人數定まる也、御退出のときも此分也、 一禁裏様於庭上著座次第、先長橋殿の御ゑんのきはに、御劒の役已下御供衆伺候、次御供の同朋、走衆、次御出奉行也、走衆のうしろのへんに、御小者、公人朝夕以下在之、御供の衆は、御供の同朋迄に打刀を持、引敷の上に著座、走衆は小太刀也、大雨にて御庭しるき時は、引敷の下に打板を敷と云説在之、 一御立石とて、伏見殿の邊に昔より石立之、其きはにて御下輿也、御輿の御あとへんに、御朝夕まゐる也、 一御裝束唐櫃の宰領には、公人つき申て、於長橋殿御直廬に伺候の同朋〈并〉藤中納言殿にわたし申なり、 一御道をば走衆もヽだちをとり、太刀をはきて被參候、御立石より太刀を右の手にさげ、もヽだちをおろして被參也、御供衆もヽだちおろさるヽ也、御供の同朋、御小者などは、そのぎにおよばざるのみ也、但じぎによる也、 一還御之後、御供衆、同朋、走衆、御出奉行、其日の當番衆已下、御太刀金進上之、御參内初の御禮也、

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 年中御對面并雜事少々
正月十日、御扇一本狩野進上之、御太刀被之、御參内に御用之也、

〔後深心院關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 永和三年二月廿七日庚午、大樹〈◯足利義滿〉參内、是先々毎年儀也、而去年不參入之、

〔花營三代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 康暦三年正月十三日、御參内、年始恒例、前驅四人、〈衣冠下絬、以下臈先、〉重冬、成量、行冬、惟教朝臣、次番頭八人、〈二行〉次御牛飼八人、〈二行〉次御車、〈八葉御直衣〉雨皮持仕丁退紅、傘持舍人、次隨身五人、下毛野武音、秦兼茂、秦久方、秦久勝、下毛野武藤、次衞府侍齋藤三郞左衞門尉、眞下勘解由左衞門尉、朝山次郞左

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 衞門尉、粟生田次郞左衞門尉、小島又三郞、濱名四郞、杉原四郞、松田丹後八郞、次公卿車、〈八葉各直衣〉萬里小路中納言、按察中納言、藤中納言別當、次殿上人車、頭中將公仲朝臣、山科少將教冬朝臣、
應永三十一年正月一日戊寅、御所様御參内、〈并〉御院參、御方同、御方御供之事、 大館刑部少輔持房、同五郞持貞、畠山伊與九郞持安、三淵二郞持清、三上又三郞持高、二郞左衞門尉貞房、與一左衞門尉貞宣、貞彌等也、

〔二水記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 文龜四年正月十日癸酉、今日悉參賀武家云々、〈◯中略〉未刻武家〈◯足利義澄〉參内、〈下形直垂〉從一條置石〈綾小路明前〉下輿、先參會衆勸修寺、中山、正親町中納言、甘露寺中納言、上冷泉右衞門督房卿、言繼等也、先傳奏直沓、月卿雲客悉平伏、騎馬五騎、右京大夫政元、武家參内已後參、〈自正親町〉先於長橋〈爲直廬〉改衣冠、〈冬袍〉繪文、藤宰相次祗候常御所、主上御引直衣御垂纓、三獻云々、其後右京大夫〈折烏帽子上〉常御所於縁拜龍顏、而戴天盃、先例稀者歟、珍事也、只武家追詔云々、前代未聞歟、又於長橋七獻有之、事外譏嫌云々、右京大夫中間迄祗候、珍事也、入夜退出、細川爲御禮萬疋進上、〈但折紙歟〉

〔宣胤卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 文龜四年正月十日癸酉、今日大樹御參内、於勾當局衣冠給、内々御參、一獻之時、細川右京大夫源政元朝臣被常御所之御縁、被天盃云々、希代事也、但永享度、彼祖父持之召御縁巡流盃、進十萬疋云々、其時武家堅被辭申、殿下頻被召上云々、今度者大樹頻被執申云々、殊天盃如何、當時程不云、只天道也、進萬疋之折紙、終不納云々、

〔元長卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 永正六年正月十日、著直衣參内、室町殿御參内爲參會也、參仕人々、予、飛鳥井中納言、三條宰相中將、右大辨宰相中將、新宰相、雅業、言綱、永家等也、御退出之後、出禁門

〔二水記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 永正十六年正月十一日、御參内也、〈昨日雖例日、從常御所始御參之間、被吉日云々、〉見物罷出於近衞邊見物了、未終刻許有御出、御輿如常、騎馬六人、同朋一人、行粧驚目、於置石下輿給云々、其邊之義、程遠之間不見、〈◯中略〉後聞、今日御參内之儀、如常三獻、武家〈◯足利義稙〉御酌、廣橋大納言、勸修寺中納言、

將軍使參賀

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 七番 右   京都御使
東路のかすみとともにたち初て雲井のはしを渡る春風
判云、京都への御使、伊勢日光の御代參、一時に召出て沙汰せしめ給ふなど、神と君とのかはらぬ御崇敬、實に斯有べき事とこそ誰もいふめれ、只何事ともたどらで、かヽる事よとのみおもふ輩も有ぬべし、尊き事も常となれば、何とも人のおもはぬぞいとたふとかりけり、〈◯中略〉 京都御使は、前と同じ日、〈◯正月七日〉伊勢日光代參の御事をはりて後、うちへの御使にさヽれし高家を召され、年頭の賀儀を奏せらる、

〔柳營年中行事〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 正月十三日
一京都御使高家肝煎 右近々當地就發足登城、御判物之御内書、且准后〈江〉之御目録、兩傳奏〈江〉御判物御目録奉書覺書、白銀證文并諸司代〈江〉之奉書、舊臘官位被仰付面々〈江〉口宣之奉書、且御使高家〈江〉人馬〈八人七疋〉御朱印被下之、於羽目之間月番老中出座渡之、 但京都御使高家、正月十五日江戸發足、
一大納言様より御進獻之御太刀目録等、於西丸老中渡之、
一禁裏〈江〉御進獻之品左之通 禁裏〈江〉御太刀、御馬代銀百枚、蠟燭千挺、 御目録折紙、兩傳奏〈江〉御内書、 仙洞〈江〉御太刀、御馬代銀五十枚、蠟燭五百挺、 御目録折紙、兩傳奏〈江〉御内書、 女院、御太刀、御馬代銀三拾枚、 女御〈江〉右同斷 右女房〈江〉老中より奉書添 勾當内侍〈江〉卷物五卷 兩傳奏〈江〉御太刀、馬代黄金壹枚宛、 右之通被進之〈◯中略〉
二月十七日、京都御使歸、
            高家肝煎
 右出座、老中披露之御目見、禁裏御所方御使相勤候趣、高家言上之、上意有之、老中及御取合退座、

〔官中秘策〕

〈十八年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 年中諸國〈江〉御代參〈并〉御使者之事
一正月禁裏御年始之御使、高家之肝煎面々勤之、御暇之節於御座之間、判金拾五枚、時服三、御羽織被下之、

〔天明年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 正月晦日 關東御使 是は、年始御祝儀御使として、高家肝煎三人の内上京あり、參内の日限仰出され、御使所司代衣冠にて同伴、唐御門より參内、諸大夫の間より昇殿、鶴の間に著座、傳奏出席、御口上申述有、兩卿言上の後、御對面有べきのよし仰出され、清凉殿御上段へ出御、兩卿誘引、布障子邊に列座、御進獻之御太刀折紙、傳奏披露、御使中段において龍顏を拜せらる、次に亞相公御進獻の御太刀折紙、披露の次第前に同じ、次に貫首申次にて、御使所司代自分の御禮、御太刀折紙、壹人ヅヽ御中段へ持參有、ひさしにおいて龍顏を拜せらるヽ、次に天盃下され、中段にて一人ヅヽ頂戴、畢て鶴の間へ退き、御禮申退出也、參院の次第、凡右に同じ、
女院の御所へ參上之儀は、御客之間にて兩局出會なり、御返答は、日限仰出され、御使の高家烏帽子直垂にて長橋の奏者所へ參上也、内院御附同伴案内にて上の間へ著座、傳奏兩卿出席有、御所所よりの御返答一所に仰出され、御暇の拜領物御物仕の女中持出、兩卿申渡さるヽ、又菓酒を被下、是も御物仕給仕なり、廿七日頃京著、廿八日廿九日頃參内の事も有、今は大かた廿八日頃著にて、二月朔日ニ日頃參内、其後御暇なり、

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 抑禁中肇春之御儀式、〈◯中略〉月末に從關東、年頭之御上使、高家衆二人參洛有之、〈◯中略〉年頭之御上使は、正月十五日、關東上元之御禮總詰、十五日之朝御登座にて、御直に年頭之御上使被仰付、兩人とも御城より直様に品川迄發足有、供奉之面々も追懸供之氣色なり、前度に御老中方より御内意有事とかや、禁中へ關東より御獻上物は、御太刀一腰、御馬代判金一枚、御内書一通、兩傳奏連名、又傳奏衆へ御太刀馬代被之、各通に御内書一通宛被下、御内書の御文書は、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624  猶以委細兩使可相述候、以上、
青陽之慶賀、不際限候、禁裏彌御機嫌能被御超歳、珍重存候、依之以大友少將、織田侍從、御太刀一腰御馬壹疋致進之候、件之趣宜奏達候、恐々謹言、
   正月十幾日     綱吉御書判
       高野大納言殿 柳原前大納言殿
兩傳奏拜領各通御内書之御文言は
 年甫之嘉儀欣幸候、彌御無異越年之由、多慶處候、依之太刀一腰、馬一疋、相贈之候、猶兩使口上可演候、謹言、
   正月十幾日     綱吉御書判
       高野大納言どのへ
斯なり、綱吉公と申奉るは五代目常憲院様なり、彼御代より御文言如斯、文言延寶年中以前は、今少御念入たり、併宛名置所、月日の恰好、殿文字何れも如此、〈◯中略〉扨高家衆參著之由、從御諸司傳奏迄屆有之、二日め三日めの内、禁中院方關東御三方之御徳日を選み參内有、御諸司御附之武家衆同道にて、長橋玄關より昇殿あり、小御所にて天顏を拜し、天盃頂戴する事なり、〈◯中略〉六七日め月番之傳奏之館にて饗應有、御料理は三汁十一菜、美食厚味之御振廻、御相伴は御附の御武家衆一人也、御料理出ると、追付禁中より八九寸計之生鯛炙掛け、卸生姜大皿に盛、肴之眞中に十文字切目を入る、是は天子御箸を被御との印とかや、此肴天子の御箸屬られたるを臺に申立、御所方にては、此振舞を今日は御上使へ御下也、御料理被下ると申習はし候也、御所より傳奏之御館迄持參之、御使は鳥飼衆也、〈◯中略〉頂戴事終り挟箱へ入、旅宿へ御持歸也、天子より御慇懃の御會釋也、兩傳奏と三々九度の盃事有、〈◯中略〉但錫冷酒也、日限有之、御暇被下節參内、長橋殿御上使に直に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 段々被述、奧向女中預之公家衆一人、兩傳列座にて、女中晴之御風情とかや、御口上奉りし儀も有之、中々長口上也、傳奏公私二通御内書之御請返答、從長橋殿消息一通、是女房奉書と云へり、一處に諸司へ被渡、其席にて御上使へ被付屬なり、御内書御返答文言、
御内書之趣、謹而早披閲候畢、禁裏彌御機嫌能被御迎歳、珍重被思召、則以大友少將、織田侍從、御太刀一腰、御馬壹疋、被御進獻也、疾々遂奏達天覽候處、叡感未斜御事候、猶以女房奉書之旨、宜言上候、恐々謹言、
   二月幾日     資廉 保春
    土屋相摸守殿、小笠原佐渡守殿、秋元但馬守殿、本多伯耆守殿、大久保加賀守殿、井上河内守殿、
右文柄ハ少宛之違ハ可之候得共、一體如斯、殿文字、留書、名宛置所も無違、〈◯中略〉自分拜領御内書御受御返答は、
御内書被成下、謹而致披誦畏入候、大樹公倍御機嫌能被御超歳、恐悦之至存候、依之爲御賀儀御太刀一腰、御馬壹疋、令受之、加祐之仕合難申盡候、此等之趣、御序之刻、宜御披露候、〈保春〉恐恐謹言、
   二月幾日     保春
    土屋相摸守殿、御老中連名具在前、〈◯中略〉
外に女房奉書とて、長橋御局被認出一通、時に隨ひ女中之御祐筆認る事も有、其文言は、
將軍家より年の始の御祝儀とお座し候て、御太刀一腰、御馬壹疋進ぜられ、大友少將、織田侍從兩使を差上せられ、披露申て候へば、世に〳〵おもしろく思しめして、此よし能々心得候て申せとの御事にて、此よし能々心得候てお申べく候、めで度かしく、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626       高野大納言どのへ 柳原前大納言どのへ
斯被認御事也、立文にて卷文尤也、奧向の名は不書也、尤上使自分獻上之太刀馬代有、禁中より拜領物は、八景十體之和歌、公卿寄合書の色紙短册、或は勅方之薫物香袋等、時に隨ひ品々也、

〔嘉永年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 二月 大樹年頭使〈并〉年中獻物 日限定らず、關東使參れば、先鶴の間にて、武家傳奏へ大樹よりの祝詞を申す、傳奏承りて、常御殿にて言上す、夫より御引直衣めして、小御所へ出御なる、大樹より進上の御太刀折紙と、三家よりの太刀折紙とを傳奏披露す、關東使中段に進み御禮申す、退き庇にて自分の御禮、頭辨申次ぐ、太刀折紙を中段に置き、庇にて御禮申す、次に天盃を給ふ、御陪膳御手長例の如し、關東使天盃給はり退出す、次に入御なる、慶長十三年二月に、將軍の名代年頭の御禮として參る、夫より年々の事になれり、 關東使御暇の日は、長橋の奏者所へ參る、公卿の間にて、傳奏より大樹への御返答の由を仰す、次に御暇給ふべきよし傳奏申し、品々を給ふ、關東使御禮を申す、三獻を給はり退出す、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 慶長六年正月十八日、内府〈◯徳川家康〉より年頭の御禮として、名代に池田三左衞門參り、御太刀折紙、馬代白銀五十枚參る、親王の御方へ、御太刀折紙、馬代三十枚進上申さるヽ、池田三左衞門、御兩所へ御太刀折紙進上申、 十三年二月廿八日、江戸の將軍より、年頭の御禮とて、大澤侍從御使に參り、蠟燭千挺、白銀百枚進上あり、宮の御方へも、女御の御方へも、長橋殿へも、白銀廿枚參る、大澤侍從御太刀折紙にて御禮申、右少辨酌にて天盃いたヾく、 十四年正月十六日、前しやうぐん〈◯徳川家康〉よりねんとうに、大さはのぼる、せいりやうでんにて御たいめん、しやうぐんより御たち折かみ、御むま一疋、しろかね百まい、らうそく千ちやうまゐる、宮の御かたへも御たちをりかみ、しろかね五十まいまゐる、ひやうゑのすけ、ひたちのすけも、御禮に御たちをりか

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 みまゐる、御むま代三百疋まゐる、大さはも御禮申、御たち御むまだい三百疋しん上申、みやの御かたへくわんとうがみしん上、御こぶ、あはまゐる、御さか月下さるヽ、

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 慶長十九年正月廿五日戊寅、自駿河大御所〈◯徳川家康〉禁中年頭之御使大澤上洛、今日參内也、禰藏人依召參之、自將軍大御所銀子百枚御進上云々、

〔東武實録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 元和二年正月三日、禁裏ニ新正ノ賀儀ヲ獻ゼラル、 當今エ白銀百枚、蠟燭千挺、 院御所エ白銀五十枚、蠟燭五百挺、 女院御所エ白銀五十枚 女御エ白銀五十枚 白銀二十枚、長橋ノ局、 黄金十兩、廣橋大納言、 黄金十兩、三條大納言、 白銀三枚、秋篠大弼、 白銀三枚、岩倉木工頭、

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 元和十年正月廿三日戊寅、武家年始之御使上洛、今日參内、大御所御使織田兵部少輔、〈白銀百枚御進上有之云々〉大樹御使吉良左兵衞督、〈御進上物同大御所云々〉兩御所御使依參内之事、忠利參禁中、女院御所御進物、自兩御所銀五十枚宛有御進上云々、

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 寛永八歳正月六日、禁裏〈江〉爲年頭ノ御祝儀、大澤侍從被仰付之、毎年雖四日、依御徳日斯云々、又御内書日付累年六日也、七日依立春是又如斯、 二月十六日、禁裏ヘ年頭ノ御使ニ大澤右京被差遣、今日罷歸御返事申上云々、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 寛文改 年中行事下附天和二年追加
一爲年首之御禮、禁裏ヘ上使高家衆毎年被之、御進獻之品、
 御諱識仁 禁裏〈◯靈元〉ヘ白銀百枚、蠟燭千挺、 同政仁 法皇御所〈◯後水尾〉へ同五十枚、同五百挺、 同興子 本院御所〈◯明正〉ヘ同五十枚、同三百挺、 同良仁 新院御所〈◯後西院〉ヘ同五十枚 同和子 女院御所〈◯東福門院〉ヘ同五十枚 東福門院女御方ヘ同三十枚 勾當内侍 白銀二百枚 兩傳奏ヘ 黄金十兩

〔武家嚴制録〕

〈四十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 公帖〈并〉御内書之次第
禁裏〈江〉御内書
 爲年頭之御祝儀言上候、仍御太刀一腰、御馬一疋、〈并〉蠟燭千挺進上之候、此旨宜叡聞候、謹言、
   正月九日     秀忠
      廣橋大納言殿 勸修寺中納言殿
院中〈江〉御内書
 爲年頭之御祝儀言上候、仍御太刀一腰、御馬一疋、〈并〉蠟燭五百挺進上之候、此等之趣、宜奏達候、謹言、
   正月九日     秀忠
      秋篠彈正大弼殿 岩倉木工頭殿

〔東武實録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 寛永元年正月二日、禁裏ヘ年始ノ賀儀トシテ、織田少將信良〈兵部大輔〉ヲ遣サル、
年始之御禮、以織田少將言上候、仍御太刀一腰、御馬一疋進上之候、宜様可奏進候也、
   正月二日     御諱〈◯徳川秀忠〉
      三條大納言殿 中院中納言殿
としのはじめの祝儀として、をだ少將をもつて申上候、よきやうに申さるべく候、さてはしろがね二十まいまゐらせ候、めでたきのしるしまでに候、かしく、
           ひで忠
      勾當内侍どのへ

〔東武實録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 寛永五年正月六日、禁裏ヘ年始ノ御嘉儀トシテ、御太刀御馬ヲ獻ゼラル、大澤侍從基量

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 〈右京亮〉御使トシテ京師ニ赴ク、
年始之御禮、以大澤侍從言上候、仍御太刀一腰、御馬一疋令上之、宜奏進候也、謹言、
   正月六日     御諱
      三條殿 中院殿
三條殿、中院殿ト相認ル事、如何アルベクノ由、御不審ニ依テ、建部傳内、本光國師ヘ〈金地院〉是ヲ問フノ處ニ、稱號計ニテ尤ノ由ヲ是ヲ答ル、曾我又左衞門在世ノ時モ、此事御尋アリ、稱號計リ然ルベキノ由申上ルニ依テ、其ヨリ以後當年ニ至テ、右ノ趣ニ調ヘ來レリ、
  御太刀 一腰 御馬 一疋 以上
禁裏親王家兩通目録カクノ如シ、此度本光國師ヘ尋聞テ、大高紙一枚ヲ以テ是ヲ調ル、親王家ヘ御内書無之ノ義、國師ニ相尋ルノ處ニ、御即位ナキ以前ハ、御内書ナキ尤ノ旨ヲ答ル、中宮女院兩御所ヘモ進ゼラレズ、兩女院ノ御所ヘハ以前進ゼラル、中宮ヘハ終ニ年始ノ御内書進ゼラレザルニ依テ、女院ノ御所ヘモ去歳ヨリ以來進ゼラレズ、
年甫之祝儀、太刀一腰、馬一疋相送之候、猶大澤侍從可達候也、謹言、
   正月六日     御諱
      三條殿 中院殿
  太刀 一腰 馬 一疋 以上

〔視聽草〕

〈七集四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 寛永甲申御湯殿の記 寛永廿一年正月廿三日、江どよりねんとうの御れいに、大さは右京御つかひにまゐらせらるヽ、しやうぐんよりらうそくせんてう、しろがね百枚參、わか君より大ごん十兩、まき物廿まき參、大さはせいりやうでんにて御たいめん、てんはいたぶ、をはり大なごん、きいの大なごん、水戸中納言より御太刀馬代、大ごん十兩づヽ參、

〔禁裏番衆所日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 寛文三年二月八日、從大樹年頭御祝儀、大澤侍從參内、御太刀一腰、御馬代白銀千兩、蠟燭千挺、於清凉殿御對面、申次勸修寺前大納言、大澤侍從、牧野佐渡守等、爲自分御禮、各御馬太刀白銀十兩進上、申次頼孝朝臣、各天盃頂戴、御配膳源大納言、御手長資廉、

〔輔世卿式中日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 天保六年二月一日、今日高家武田大膳大夫、松平伊豆守、爲東使同伴參内ニ付、獻物披露、役送俊廸、俊常、辰半刻參勤、同議奏卿催、同刻天盃役送〈予〉參勤、今日松平伊豆守不參、主上無出御、空位天盃拜領也、手長藏人權佐恭光也、畢一統退出、申刻計也、但無出御之間、獻物不披露也、其儀如左、 先手長參進〈下段南第一間西ノ方ヨリ參進、役送同從此所參進也、手長役送退出同之、〉 次役送持參御銚子手長、〈下裾〉訖候西廂、 次御獻、奉行持參御盃、置御銚子上退入、 次東使參進拜領〈天盃、訖〉退入、 次役送撤御銚子、 次手長退入 但所司代同伴之時、拜領天盃也、仍御獻奉行、東使拜領訖後亦更持參御盃、置御銚子上退入也、仍役送兩人、拜領後撤御銚子也、

〔續太平年表〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 安政六年正月十五日、將軍宣下ニ付、京都ヘ御使、茶宇嶋十反、干鯛一箱、酒井雅樂頭同上人差添被遣、且年始御使兼ニ付、和紙一箱、

將軍奉幣

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 七番 左 伊勢日光御代參
旅衣にしに東に立わかれ行衞のどかにかすむ海山〈◯中略〉
伊勢日光御代參は、七日の日これを命ぜらる、前の夜よりさうじ清まはり有て、兩御所おまし所に御著座、伊勢大神宮、日光御宮へ年の始の代參奉らる、つぎつぎ召出て仰事あり、皆高家の面々是をうけたまはる、此日朝とく執參各一人づヽ出仕して、其事をさたせらる、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 寛文改 年中行事下附天和二年追加
一伊勢太神宮御名代高家衆也、五ケ年ニ一度宛被遣之處、兩宮ヘ御太刀御馬代黄金百兩宛、御進獻之也、

〔官中秘策〕

〈十八年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 年中諸國〈江〉御代參〈并〉御使之事
一同〈◯正月〉伊勢ヘ高家被之、兩宮ヘ御太刀馬代黄金十枚ヅヽ、御使拜領物於御座之間、黄金十枚、時服貳、御羽織被之、 一同十七日、日光ヘ高家被之、拜領物黄金五枚、時服二、御羽織、

〔吾妻鏡〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 承元三年正月九日癸卯、將軍家於鶴岡八幡宮、有年首御奉幣、御使遠江守親廣、經供養之後被施物於供僧、民部大夫行光沙汰之

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 寛文四年二月七日ニ、伊勢ヘ御名代トシテ内藤式部少輔被之、於御座之間御目見御暇被之、御召之御羽織拜領之、御前退去、於御次ノ間金十枚被之、
一内宮〈江〉御太刀〈長光代金二枚五兩〉金十枚 一外宮〈江〉御太刀〈信國代金二枚〉同十枚 右之通御奉納之

院宮拜禮

〔建武年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 正月〈◯中略〉二日、さしたる公事にもなけれど、けふあすは、かんだちめ、所々にまうづるなり、さるべき人殿上にさぶらへば、臺盤所にめして御對面あり、女房ども心づかひあるべし、女房の御方には扇をさしたり、よせあるかんだちめなど、めし入られたるをりは、皆扇をぞおくめる、

〔故實拾要〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 小朝拜〈◯中略〉 又同日、〈◯正月元日〉院ノ拜禮〈◯中略〉アリ、院ノ拜禮トハ、小朝拜以前ニ、仙洞御所ヘ院參アリテ拜禮アリ、是ヲ院ノ拜禮ト云、

〔友俊記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 年中御作法の大概物がたり 元日親王攝政家の御禮は、常の參内にはことなり、〈◯中略〉院の御所へもすぐにまゐらる、院傳奏の申にて、小御所において御禮あり、上段の次の間に列座せらる、御陪膳大臣の子まご、四位の殿上人、四位五位の上北面まゐりて、御手長役送す、院にては四位殿上人の手長なり、上北面四位の事役送なれば、階級のたがひなり、御みつざかなは、殿上人の中より攝政家にそなふ、御さかづきの事はまへ〈◯禁中參賀〉におなじ、殿上人上北面銚子提をとりそなふ、

〔爲房卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 延久五年正月一日辛巳、院拜禮、〈◯中略〉午刻諸卿以下參集、次垂晝御座庇御簾、〈五ケ間〉次御出、〈直御裝束也〉次關白前太政大臣、右大臣、〈并〉大納言、〈能長、忠家、〉中納言、〈祐家、資綱、經季、能季、泰憲、資仲、〉參議、〈基長、經信、伊房、實季、〉以上一列庭中、次殿上四位以下別當、判官代等一列、〈藏人頭師忠公房等也、位階雖多、上臈立最前、如何如何、六位判官代宗基爲資清立此列之末、小朝拜儀、六位列立五位後、又如何、〉拜舞了之後、從上臈次第退、次上御簾、事了之後、左大臣、中宮大夫、〈顯房〉治部卿、〈隆俊〉宰相中將、〈宗俊、隆綱、〉等參殿上退出、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 天永二年正月一日甲子、午時許參殿下、〈◯藤原忠實、中略、〉大納言入東階昇、自餘人々暫徘徊中門邊則出御、〈令立對南階給〉次參院〈◯白河〉御所鳥羽北殿給、〈今日無四位前驅、依其人也、〉諸卿連車扈從、三位中將〈(藤原忠通忠實子)前驅六人、五位四人、六位二人、府生行忠、番長六位二人、〉路間小雨時々灑、但不衣濕、申時有拜禮、先令院別當藏人頭爲房朝臣奏事由、勅許之後、入西中門立庭中、攝政殿内府以下公卿十七人、殿上人五十人許一列、〈六位立後〉拜舞了殿下令御前給、不幾程則令歸給、
永久二年正月一日戊寅、午時許先參關白殿、〈◯藤原忠實、中略、〉殿下則出御、從東門諸卿連車扈從、〈按察大納言宗通卿被逢門前也〉令院〈◯白河〉御所給、〈大炊御門萬里小路長實朝臣宅也〉則有拜禮、先令院別當播磨守長實朝臣奏事由、聞召者、又仰云、夜前追儺之間參議遲參、是最末所役、右大辨長忠懈怠也、頻雖遣召、遂以不參、而只今欲拜禮、甚無便慥可問、殿下以頭辨問之處、長忠強無陳申、件旨奏聞之處、重仰云、可恐申、仍長忠退出、其後有拜禮、但此御所前庭西東甚狹少、不列立、仍納言以上一列、〈内大臣雅、民部卿俊明、右衞門督顯通被參加、東上北面、〉藤大納言、〈經實〉按察大納言、〈宗通〉參議七人一列、殿上人四位一列、五位一列、六位一列、拜舞如常、
元永三年正月朔日壬寅、先參一條殿御方、〈御出居廊〉申時許有御出、内大臣殿、予〈◯藤原宗忠〉別當、殿上人、頭中將以下七八人扈從、令院御所、〈正親町東洞院御所〉依雨無拜禮、只今雖雨止、依庭濕拜禮、 二日癸卯、午時參殿下、未時許内府令參給、皆令參院給、此間雨脚暫止、仍有拜禮、〈俄令白砂
天承二年正月一日癸巳、從去夜終日雨降、依雨無所々拜禮、豫任大臣後、今日日次不宜、就中院拜禮

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633止之間、不出仕也、 三日乙未、未時參大殿、〈◯藤原忠實、中略、〉關白殿〈◯忠實子忠通〉昇對南階給、予以下昇中門廊、大殿則出御、〈◯中略〉被人々云、行歩不叶也、車欲乘、依無禮早可出者、依此仰人々或被出、或立隱、予、治部卿、民部卿、宰相兩三人、徘徊中門邊之間、寄御車於中門廊乘御、〈檳榔半蔀車〉引關白殿以下〈紺地平緒、打下襲、〉諸卿、參入從院御所三條烏丸第西門、〈院御所西對也〉左大臣、右大臣、大納言實行卿、左兵衞督實能卿、列立西中門外相加、爰大殿召藤中納言長實卿拜禮由、大略行歩不叶之間、暫不庭中、早不人々到先可拜歟、大殿立寢殿南階前庭給、關白殿〈頗依南給〉以下諸卿列立之間、大殿早拜舞、此間殿下予以下諸卿、及殿上人居地、大殿舞蹈之間、關白進寄令扶持給、萬人屬目、或有感涙人、未我身爲太政大臣、被上レ子太政大臣、今日勝事只在此事、大殿先令舞蹈、進退有度、令參院殿上給、其後關白殿以下舞蹈、 四日丙申、早旦大殿給御消息云、昨日院拜禮、誠希代勝事也、大臣五人列立、未曾有之例也、就中太政大臣同時相承列立前庭、古今無此例者、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 康治三年正月一日癸丑、事終參院、〈白川押小路未、新造離宮、〉大宮權大夫連車、皇后宮權大進顯遠來傳法皇〈◯鳥羽〉命云、須院拜禮車中門西上列立、廊東上列立也、而日隱以東庭狹、院拜禮、雖東中門、可東上列歟如何、申云、小朝拜庭狹、因公卿多時、漸々北進、今准漸々西進、有何難哉、又如仰入東中門東上列立、非便宜、且亦可仰者、左大將云善、顯遠歸來云、西上列、漸々可西進者、左大臣參入後、有院及皇后拜禮了、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 保元四年正月一日丙辰、向納言御許、〈花山院◯中略〉納言殿隨院拜禮有無出仕之由被仰、被一獻菓物等於豫、未時雨脚休止、拜禮一定云々、仍納言殿令參院〈高松殿〉給、予并少將兼雅扈從、高松殿西中門外、博陸以下東上北面列立、納言殿不列立、暫佇立門邊、于時別當信頼卿又參上、經公卿列前進立關白前揖、參御前事之由、歸立復命後加列、次關白被練出、庭中公卿位次次第一列、次四位五位一列、依所狹五位少々不之、次舞蹈、此間霰降、拜了殿上人自下退出、次博陸經公卿列前退

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 出、親隆卿蹲居、次第退出、

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 仁安三年十二月廿七日甲寅、殿下以下移著院殿上、攝政令端座上給、下官進寄居御座上條々仰詞、先院中事有定、 元日院拜禮可候否事〈◯中略〉 拜禮事 太政大臣、内大臣、左大將、〈師長〉權大納言、〈隆季〉平宰相、右大辨等被申云、年首拜禮者、臣拜君也、非公議、不謙仰、被候之由

〔愚昧記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 嘉應二年正月一日壬子、參院、先是太政大臣〈◯藤原忠雅〉在上達部座右、武衞已下卿相在殿上、予〈◯三條實房〉著此座、少時攝政〈◯藤原基房〉左大臣〈◯藤原經宗〉内大臣、左大將參上、相次右府參入、此間攝政已下列立中門邊、〈自下臈下立〉令修理大夫奏事由、可許畢列立庭中、〈攝政被練、太相府已下不練、後日左府云、大臣皆可練歟、然而太相府不練、仍不練歟、但上臈〉拜舞了退去、 二日癸丑、未刻許參左府亭、平宰相來會云、昨日兩方拜禮申次之間、有兩事之相違、〈右兵衞督於地脱沓、歸出之後、不本列、立妻戸前修理大夫脱沓於沓脱上、歸出之後、手自取下沓於地之復本列、〉如何、左府云、脱沓於沓脱上、是常事也、但有子息之人、昇畢後、取沓退去、歸出之時、持來著之有便宜、不然之人、手自取下之之無便宜歟、又不昇著之、不本列、立妻戸前也、不列也、
承安四年正月一日乙丑、朝晴、午後時々微雨、仍拜禮有無有疑、尋申中將之處、相府御返事云、光能朝臣許尋遣了、及申刻許、自相府仰可拜禮之由、仍著衣裳〈飾劍隱文帶魚袋如恆〉參對殿、則相府令出給、〈於門外乘車〉予、相公、〈參合二條京極〉中將、侍從成定、土佐守資頼等、連車扈從、參院入給西對簾中、予同入、〈◯中略〉頃之有拜禮事左右府以下下立中門下、〈關白遲參也、抑依小雨下、人々戴笠列立、〉令大臣申事由、了列立南庭、〈相府練給〉納言以上一列、參議一列、殿上人一列也、參議以上可一列、其所狹之時、或依列儀後列也、而去今年如此、如何々々、殿上人下臈兩三不立終之間、博陸參上、經參議列後、再上加列、此道如何々々、執政臣不人後歟、若自列前加歟、不然者納言以上後參議列前可宜也、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 建久三年正月一日甲戌、未刻人々來、〈◯中略〉次餘出簾外南階、〈左中將親能朝臣持來履〉出中門、〈大將并兼良卿等居中門内、定能已下列居中門外北方、〉北向、定能卿小揖、出門外乘車、〈兼良捲簾〉參院御所、〈七條殿〉余到門外之間、公卿等降立、右大

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 臣已下列立中門外余降車、〈右中將伊輔朝臣獻沓〉經列前右大臣上、他公卿等追參之輩皆加列、左衞門督通親卿歸出自御所方同加列、〈右大臣云、件卿可申次、豫爲出御御所方了、今歸來、已以出御歟云々、〉依右大臣氣色來余前相揖、昇中門外、參寢殿簾前、〈候階東間〉右廻歸出、降中門内方、〈降簀子南妻也〉仰聞食之由、〈其詞不聞〉余目之、通親獨立中門外北方、〈其息通季令沓〉次余氣色于右大臣、進出溜外二三尺許練始、當南階東間柱更向北練歩、〈頗練廻也〉去階隱間溜四五丈許北面而立、〈揖如常〉次右大臣已下次第列、依納言人數多、余一間許立進西、參議已下立後列、次殿上人保盛朝臣已下列其後、四位殿上人下臈數輩不列之、依其所也、次五位殿上人又列四位後、〈納言已上、參議已下、四位五位并四列也、〉皆悉列立〈六位不列〉了、餘已下拜舞如常、公卿經房已下及殿上人等、皆直出中門了、通親已下猶列、余揖離列、大輪ニ右廻シテ練廻テ經列前、〈左大將藤中納言等、小退列跪居、通親深被磬折、〉於寢殿東妻程練留、於中門外同外簀子北腋戸、〈不車寄戸、是故實也、〉暫居公卿座
正治二年正月一日戊子、傳聞、〈左大臣説也〉院拜禮之間、攝政〈◯藤原基通〉作法不審非一、第一不練歩事、〈去年稱脚病拜禮、今年已列之、計知無恙歟、然者何故略練歩哉、古之明主必咎之、〉第二舞蹈了、乍居一拜而立、是流例也、而無件小拜事、〈先年如此、忠親嘲之、今又追彼失儀、而其子右大臣(基通子家實)被左大臣(藤原良經)已有此拜、不父作法、父子之案是非如何、〉第三不飾劒、著螺鈿劒事、

〔明月記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 正治二年正月一日、後聞、院拜禮、攝政殿〈◯藤原基通〉不練給、舞踏訖之後、取笏無一拜、是先年出仕給之時無此儀、仍始終有其事歟、但左大臣殿〈◯藤原良經〉以下皆同有之、右府〈◯基通子家實〉聞此儀給云々、父子間如何、諸人乍座一拜之間相待漸立給云々、

〔玉蘂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 承元四年正月一日庚寅、今日院〈◯後鳥羽〉拜禮、〈◯中略〉次關白〈◯藤原家實〉以下進立南庭、〈關白被練、右府(藤原良輔)不練尤宜、内府(藤原公繼)練未聞及事也、不言不言、◯中略〉抑今日院拜禮、關白進庭中、〈被練〉次右府〈不練〉尤可宜、次内府被練、不言事也、未聞及事也、不左右也、傳聞、院仰云、不言、第一尾籠人也云々、

〔増鏡〕

〈五烟の末々〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 寳治も三年に成ぬ、春たちかへるあしたの空のひかりは、おもひなしさへいみじきを、院〈◯後嵯峨〉うち〈◯後深草〉のけしきまことにめでたし、攝政殿にも拜禮おこなはる、院の御まへはさ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 らにもいはず、大宮院〈◯後嵯峨后姞子〉にもあり、まづ冷泉までのこうぢ殿といふは、わしのをの大納言たかちかの家ぞかし、このごろ院のおはしませば、拜禮に人々まゐり給ふ、攝政殿、〈兼經〉左大臣、〈かねひら〉右大臣、〈たヾいへ〉内大臣、〈さねとも〉大納言にはきむすけ、實雄、あきさだ、道良、中納言にためつね、よしのり、資季、冬忠、實藤、公光、みちなり、定嗣、さいしやうにみちゆき、もろつぐ、あき朝、殿上人はりやう貫首をはじめかずしらず、つねのとし〴〵にこえて、此春はまゐりこえ給へり、人々たちなみ給へるとき、左のおとヾは攝政の御子なれば、引しりぞきてたち給へり、右も又そのおなじつらにたヽれたるに、内のおとヾすヽみいで給へり、夫につきて大中納言もおなじつらなり、よしのり、きんみつ、師繼、あきとも、またしりぞきてたちたれば、いで入して屏風ににたり、この事みにくしと、のちまでさま〴〵院の御まへにおほせられて、攝政殿にたづね申され、さたがましく侍りけるを、貞應元年のためしなどいできて、古のヽみや左大臣〈◯公繼〉いまの内のおとヾ御おや、右大臣にてしりぞきたるつらにたヽれたりけるを、そのときのきろくなど見給はざりけるにやとて、内のおとヾの御ふるまひ、心えずとぞさたありける、〈◯中略〉又大宮院の拜禮めでたくぞ侍りける、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 康永三年正月一日壬戌、仙洞拜禮已下可參仕也、〈◯中略〉參持明院殿、四足門下車、登中門暫祗候、以教言朝臣入參上之由、良久可西面格子遣戸之由有召、仍參彼方、出御此處、〈◯中略〉有仰下事等、拜禮申次事、舊冬隆蔭卿忠季卿等可勤仕之由被仰了、而資明卿可參之旨申之、然者爲上首隆蔭卿勤仕定愁申歟、然者中々兩御方共可忠季卿歟、將又納言二人勤仕歟、可何様哉云々者、申入曰、忠季卿女院御方申次歟、理運勿論歟、其外四條家又代々勤仕勿論也、就中勸修寺輩勤仕雖常例、日野流不承引、藤中納言雖參候申次者、最前被思召定之分無相違哉、此上事可時宜之旨申入了、重仰云、日野輩勤仕不打任之條勿論、但正安故俊光卿勤仕了、就彼無御不審、有例之上者、又難如何歟、然者上首兩人可宜歟云々、忠季卿兼聊雖仰之旨、就上首參被仰之由、可仰之旨

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0637仰、仍示其趣了、良久關白已被參云々、〈◯中略〉申次院御方藤中納言、女院御方別當之由、予〈◯藤原公賢〉密密示申之、仍被色于藤中納言
貞和六年正月一日、參院、執柄未參也、及子刻參云々、已到門邊之由、有其聞之間、人々次第立列、立御車宿前、〈西上北面無揖〉此後執柄可下車也、而公卿未立整之間、下車被門下、未曾聞事也、以仲房朝臣予云、殿上人可公卿未也、而相向公卿然、且去年如此之間、令立直了、可何様哉、去年如然沙汰之上者、不左右之由報了、其後面々立改之歟、其後執柄被加予上、〈先有氣色也〉其後被申次於予、春宮大夫之由、承之旨答之、其後聊氣色、權大夫參進向關白立、關白氣色、權大夫退昇中門外沓脱、〈當妻戸北頭沓脱并縁、不膝昇、此兩ケ間、一ニハ可膝之由、先公所命在、不懸又一説歟、可尋、〉參進寢殿階間東邊事由、歸出下廊中門内切妻、出中門關白小揖、至初昇所沓復本列、〈此一儀也、又或本列前向列立、是又庭訓也、〉次關白氣色予中門、自砌外一丈許練歩、〈遲練心歟、其體非豫等所一レ存、可尋、〉當御座間東柱立留〈北面、去砌三丈餘、〉一揖、其後予以下次第除歩列之一揖、〈◯中略〉一同舞踏、予拜舞、左右左、以後毎度突笏起、老力屈之故也、其後自下臈退出、至中納言退了、關白被練歸、〈春宮大夫欲揖之間、予制止之事、〉次予以下次第自上退、予可列而腰痛興感、起居更不容易、仍觸申子細於執柄早出了、尤爲恐、予退列前之間、春宮大夫蹲踞了、〈◯中略〉 拜禮公卿 關白、〈御參〉右大臣、右大將、四條大納言、中院大納言、春宮大夫、松殿中納言、春宮權大夫、花山院宰相中將、葉室宰相、定宗朝臣、 殿上人 仲房朝臣、經方、時光、藤原範康、教光、 抑今日拜禮散状一見之處、左右延尉相連、其間無人、仍爲用意内々談勸修寺前大納言、返状續左、但右佐時光依内裏御藥奉行、拜禮以前參内不之、仍不沙汰也、
改年御慶、最前向御方申籠候了、幸甚幸甚、可參賀仕候、抑前驅鞍皆具進上候、下品物候、難御用候哉、兼又拜禮、兩廷尉相并候之條、文治四年經房卿記、殿上人頭中將以下一列、兩佐相並、仍以下臈親經中、是近代今案歟之由所見候、此外只今不覺悟仕候、下臈佐以下臈上候、近來大略流

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 列罷成候歟、若下臈不候者、下臈佐略之條、可宜候哉、但亦相並候之條、定傍例御覽ト存候、經顯、恐惶謹言、
   正月一日     經顯上

〔薩戒記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 永享五年正月一日丙辰、參院、〈◯中略〉此間攝政被參入、拜禮依雨可停止歟、又於中門廊下此事歟、凡雨儀拜禮例、不慥歟之由、以四辻宰相中將合攝政、雨儀有例之由、日野新中納言〈國盛卿〉發言、但不悟年記云々、雨儀可然歟之由、日野中納言〈兼卿〉申之、于時雨止、地上深泥、然而猶可晴儀之由、有法皇〈◯後小松〉仰、仍諸卿降立中門外南方、〈北面東上〉殿上人等列其末、不然事也、西園寺中納言申次之、〈依仰也、日野中納言爲執權、不次之如何、〉復命之後、大納言加立本列、攝政練歩、以下次第進立庭中、南庭狹、仍予以下北折立、先例猶自上臈次第如輪立廻也、今日不然、至日野中納言一列、逼中門廊簷立也、仍豫以下更北折立之了、殿上人列立大納言後、六位藏人立其後拜舞、〈甚早速、是地濕之故歟、〉自下臈退出、

〔康富記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 文安五年正月一日戊子、院〈◯後崇光〉御所拜禮也、御出家以後、尚被拜禮之例、連綿故也、殿下以下公卿殿上人濟々被參列之、

〔百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 元祿十年正月二日、仙洞御禮、諸家參集、頭辨宣顯與四位雲客位次議、宣顯雖位次下臈、猶貫首先例上座之旨募申、仍上首雲客早出去也、

〔宗建卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 享保十七年二月六日、〈◯中略〉予申云古來法皇出御于簾外、有拜禮云々、如何、殿仰云、白河院ハ御落飾之後、出御于簾外拜禮之由、二條後淨明珠院〈康道公〉物語之由、妙有眞空院〈尚嗣公〉聞書有所見、出何記哉難心得、院拜禮出御于簾中常事也、况於御落飾之後乎、且入道前大納言〈良覺〉亦先年東園故大納言〈基量〉物語之由被申了、是亦不何書、殿下於今無御所見之由也、 二十一年正月三日、院中御禮、隆秀、宗城未近習、列御禮之事、

〔續百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0638 延享五年正月一日、宰相様、兵部大輔様、御同道ニ而御參内、酉刻御退出、 二日、〈◯中略〉久我

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 中將様ヘ御使ニ參、 洞中御禮、來四日可參旨被觸候處、自八條殿二日三日之内可參旨、別被觸候間、明三日令參院候、爲御心得御屆申入候也、 正月二日 資枝 久我中將殿

〔續百一録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 寛延三歳孟春七日、來八日院御禮、布衣着用可勝手旨候、爲御心得申入候也、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 長和二年正月二日甲子、諸卿參皇太后宮(○○○○)、〈◯彰子〉右大臣〈◯藤原顯光〉可拜禮乎否之由、以左衞門督〈◯藤原頼通〉取案内、不拜禮者、仍右大臣以下著渡殿饗座、〈頼通〉左大臣先入、兼在座、拜禮有無必不案内歟、右府舊年有思之後、今日初參左府、〈◯藤原道長〉萬人屬目、朝衣如泥、或卿云、今年令滿七旬、亦無子孫、強被追從、不然者、亦有女御事等、左府奉三宮〈◯後朱雀〉出居卿相座、小選入給、一兩巡後、左大臣以下秉燭參内、暫候雲上、〈◯中略〉次參東宮、〈凝華舍〉左大臣已下宮殿上人拜禮、〈左大臣不中宮拜禮、可歟、但列青宮拜禮亦可然歟、〉
治安四年正月三日壬辰、早朝宰相來語云、今日諸卿參太皇太后宮(○○○○○)〈◯彰子〉并皇太后宮、〈◯娀子〉下官有愼不參上、以宰相示、權大夫、〈經通〉新中納言、〈朝經〉新三位〈雅憲〉來、稱愼由相逢歟、昨今辨并兩宰相等來臨、夜宰相來云、關白及諸卿參會、禪室〈◯藤原道長〉關白〈◯藤原頼通〉相引諸卿太皇太后宮先拜舞、次有盃酌、次參皇太后宮拜禮者、后宮之拜禮有大饗之儀、而於太后宮拜禮、異他宮歟、拜舞亦如此、

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0639 寛治八年〈◯嘉保元年〉正月一日癸酉、未時許人々參集殿下御所賀陽院、有拜禮、〈◯中略〉殿下則御出、引公卿御一院〈◯白河〉御所六條殿拜禮、〈◯中略〉退出給後、女院(○○)〈◯六條院媞子、白河皇女、堀河母代、〉御方有拜禮、依御同所同南庭、左府以下殿上人又依位階、或人云、故上東門院御時有拜禮、雲客以貫首先、尤不位階、而今度依位階如何、申刻事畢、人々則參内、
天承二年〈◯長承元年〉正月一日癸巳、依雨無所々拜禮、 三日乙未、〈◯中略〉又有女院方拜禮、予問新任公卿未女院殿上、然者不此物歟、新大納言被答云、今朝人々皆如舊可女院還昇之由被許可了、仍新任人々皆可此列、〈院御方還昇、去廿八日被許下、〉女院拜禮畢、及秉燭人々各退出、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 長承二年正月一日丁巳、臨未時院拜禮、〈◯中略〉行東中門、令女院院司越後守清隆朝臣申事由、於女院又有拜禮、〈猶以西爲上〉上達部如元、殿上人三十人許也、〈女院御寢殿南東面、女房打出蘇芳衣、〉

〔長秋記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 保延二年正月一日己巳、未刻著束帶、師行、師仲相從、詣關白亭、〈三條高倉◯中略〉拜了退出、關白出給於門外、乘車參院、〈◯中略〉關白以下經列前東、令清隆朝臣、拜禮由被女院、昇對代南簀子敷申之、返出申聞食由又拜舞、昨日雨濕、餘氣未于、仍諸人衣服濕損、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 康治元年正月三日丁酉、抑攝政札云、明日太后宮〈◯崇徳后藤原聖子〉拜禮在、今日未刻參四條殿、〈法皇、上皇、皇后皆坐、〉申刻參攝政殿、光房傳事由、報云、歡樂不相逢、早々皇太后可拜舞也、余申云、去年十二月廿七日立后日有沙汰、於皇后拜舞、又於此宮拜舞之條如何、報命云、可拜舞之由、有法皇之命者、鄙生承諾、即參内、先内御方、次參宮御方、蹔在殿上、人々參集後、於仁壽殿南壺拜禮舞蹈、余已下也、先以權亮爲通朝臣事由、依庭狹殿上人下臈不立、 三年正月一日癸丑、參院、〈◯中略〉左大臣參入後、有院及皇后〈◯鳥羽后得子、號美福門院、中納言藤原長實女、〉拜禮、〈◯中略〉次參攝政〈◯藤原忠通〉御許、今日不出仕、今上〈◯近衞〉御時、元日不出行、疑若不皇后歟、雖母后、已爲諸大夫女、因不拜歟、雖尚其事之美、似君之心、事君之朝君之母、可無禮歟、拜禮了歩行參内、先皇太后拜、
天養二年正月一日丁未、未刻伴兩相公〈忠基、教長、〉參院、〈六條烏丸新造宮、院及皇后居之、〉有院并皇后拜禮、〈院使右衞門督家成奏、皇后使亮忠隆啓、〉東面依所便、共自西面出入、還昇參新院、〈◯崇徳〉秉燭後拜禮、〈使右宰相中將教長奏云々〉還昇更參待賢門院、〈◯鳥羽后藤原璋子〉依召參簾前、〈◯中略〉次皇太后宮〈◯崇徳后藤原聖子〉拜禮、〈兩亮不候、大進泰兼朝臣啓之、〉

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0640 保元三年正月一日壬戌、入夜右大臣殿并中納言中將令退出給、入東中門、進出南庭、被皇嘉門院〈舞蹈、不事由、他人并四位以下不列、唯兩人親族拜也、殿下御定也、〉 二日癸亥中宮拜禮、〈右兵衞督雅通以下云々〉次春宮拜禮、〈傅右大臣内大臣以下皆參云々〉次中宮饗、〈宣耀門西廊〉次春宮饗、〈同門東廊〉亥刻事了、上下退出云々、是儀以右大臣殿御記大概記之、今日右大臣殿、有文御帶、螺鈿劒、魚袋、殿上人同前云々、但四品少將信能、丸鞆帶、蒔繪劒、不魚袋、下

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 官丸鞆帶、蒔繪劒、不魚袋、依饗所也、

〔山槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 保元四年正月一日丙辰、權左中辨俊憲朝臣奉院宣、於中門外博陸前云、美福門院拜禮令參給者〈事ノハニ有テ〉能候歟者、博陸揖被退出、關白以下皆被彼院、〈押小路殿〉申次前中納言朝隆卿云々、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 嘉應二年正月一日壬子、參院、〈法住寺御所◯中略〉有拜禮〈舞蹈如常〉畢次第經列前本中門外、依女院拜禮也、次院司兼雅卿〈中納言右兵衞督〉進出氣色于攝政、參上〈其路同成頼卿、但脱置沓於庭、兩人作法已以不同、〉申事由、〈其所不見及〉如初下中門内方聞食之由、出中門履、獨立北方、次攝政以下進立庭中〈今度攝政不練〉拜舞、〈殿上人列立如初〉畢各歸出、〈◯中略〉次參中宮、〈參御前
承安二年正月一日庚午、申刻著束帶〈色目如恒〉參建春門院、〈七條殿〉拜禮之間也、舞蹈已了、仍不列、竊昇中門方殿上、則拜禮儀了、攝政并左大臣直被出了、内大臣、左大將著殿上
建久六年正月一日丁亥、今日七條院拜禮、左大臣已下參入、余不參、美福門院拜禮、故殿不立給、雖帝母、未必可一レ攝籙之拜歟、况於今之女院者、非上皇之同居哉、是以不參、女院打出裳唐衣、爲公家御沙汰、被召諸國也、

〔玉蘂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 承久二年正月一日壬辰、次有修明門院拜禮事、其儀如初、但關白不練、仍予以下次第歩從也、申次權中納言顯俊卿、〈直復本列、無別列之儀、先例歟、可尋、〉殿上人列立終、頭三位中將實基參入、如馳列立、頗有未練之氣歟、〈須殿上人列立了加一レ列也、而馳入殿上人之中、衆人屬目、〉次間、關白、予、右相府、右大將、昇中門内、自餘昇外方、關白云、可新院拜禮歟、予云、隨體可參入者、則被出了、次予退出、

〔明月記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 元仁二年正月五日、右武衞書状之次云々、女院拜禮、元日被遂、〈秉燭已後〉上首雅親卿、公宣、公氏、家行、申繼、資經、基隆、光俊、經高、頼資一列、公卿座不簾、掌燈〈拜禮之間〉廳官立明、光時奉行雜事、〈光時光資二人聽昇殿、顯俊所行歟、〉

〔玉蘂〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0641 安貞二年正月一日乙亥、右府〈◯藤原教實〉依召參御所女房、女房持參、女院拜禮事、始邂逅、美

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 福門院拜〈鳥羽院崩之後〉法性寺殿〈◯藤原忠通〉不參給、七條院〈◯高倉妃殖子、修理大夫藤原信隆女、〉拜禮、故禪閤〈◯藤原兼實〉不參給、是非貴種之國母、上皇無御同宿之時、必不參故云々、仍此兩年併遲參不參也、關白同不參歟、而今年有思之上、建春門院拜禮、上皇御熊野之間、一所拜禮、故入道爲右大臣參給、准據佳例也、加之北白川院雖貴、又高倉院崩御後、建禮門院拜禮、故内府被參、故入道殿御計也、公卿歟、美福、建春、七條、修明等院等、但前執政人者、猶不參歟、崇重之故也、引撿先例處、保元三年美福門院拜禮、六條攝政〈◯藤原基實〉被參、于時鳥羽院崩御之後也、

〔明月記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 寛喜二年正月一日甲子、小時雪又止、雨猶降、所々拜禮定止歟、 二日乙丑、宰相示送、〈◯中略〉北白河院、〈拜禮未定、若有者三日、別當稱之云々、〉 四日丁卯、宰相示送、昨日〈◯中略〉參北白河院拜禮、
貞永二年正月二日丁未、次中宮拜禮、〈大殿令御前簾中給了、此間已及昏、〉亮申之、殿下不練給、土御門大納言參加、

〔平戸記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 延應二年正月二日丁卯、今日有鷹司院〈◯後堀河妃長子〉拜禮、舊年有議、昨日不行、其由被奉行院司俊兼了、而今日之由、不人々之間、各不存知、内府及晩自然參入、右大將殿又令參給、然而餘人不候之間、沙汰出來、奉行院司不披陳、秉燭已後、俄相催人々之間、毎事不合、堀川中納言別當左大辨等、及深更參入、如形被遂了云々、奉行院司有勘發云々、今日又有式乾門院〈◯四條准母利子〉拜禮、處々拜禮無障、末世之至歟、

〔伏見院御記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 正應三年正月一日乙巳、後聞、今日院拜禮、次女院、〈東二條〉次引參春日殿、拜禮凡三度云々、〈東二條院御方同舞蹈云々〉

〔公名公記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 永享五年正月一日、次有女院拜禮、攝政出中門北腋、中門外被立、〈如先〉申次日野新中納言國盛卿、舞蹈畢退出於陣家、改裝束北山蓬蓽、窮屈之外無他、

〔薩戒記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0642 永享五年正月一日丙辰、參院、〈◯中略〉如初列立中門外、依女院拜禮也、日野新中納言〈國盛、此卿兼示予云、女院申次事被仰下、我未女院之司、藤中納言忠秀并予也、爲院司、何不仰哉、爲之如何、予答云、被藤中納言之條不審、但女院殿上始等未之、毎事無沙汰、然者貴下又已被院司之〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 〈由候歟、被勤仕何事之有哉、納言諾之、〉申次之、〈復命後不本列、立殿上屏前、〉加前參列、拜舞了各退出、于時丑二刻許歟、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 治承三年正月一日庚申、參内參御前龍顏、即入御、〈中將同候御前〉其後以女房、依歡樂節會小朝拜等之状奏之、有勅許、仍參東宮(○○)中宮御方等申入、即退出、〈中將同參〉

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 貞和六年正月一日、參東宮御方、於常御所暫奉之、亥刻許出御入見參、小時退御前、相待拜禮之所、執柄拜禮未了、就中仲房朝臣只今罷向、歸參之時可行云々、事々遲々不便、

〔宗建卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 享保十九年正月一日、參東宮、今日依拜禮、當官輩不御對面、〈◯中略〉皇太子御束帶、麹塵袍初而著御之、極臈丹波尚秀著位袍、東宮著御麹塵故也、主殿立明如例、按主馬立明有前例歟、主殿佑可然歟、當時無佑、於然ハ佑代可之歟、亮重熙朝臣萬事申沙汰也、内々有傅大臣命歟如何、今日人々著魚袋、或不之、於予著之、不著之儀如何、就中節會參仕之輩不之、彌以不審、可有職人也、抑於東宮拜禮、著靴拜舞之事希代例也、舊冬有議、於今年ハ御元服後、初度之儀、殊東宮出御簾外、旁以可然旨、關白傅大臣依之、各如此歟、且簾外立倚子、出御儀簾外、舊冬傅大臣被勘物、尤其説全雖相叶其儀歟、仍今日立倚子、出御于簾外、又雖御靴、於此儀之、令御草靴給云云、帶刀陣階下之儀、是又傅大臣所見之旨、被勘物、〈◯中略〉今年雖拜舞、不常例、又申拜賀人人、必可二拜云々、今夜左大將〈宗熙〉被大納言拜賀二拜云々、其後被拜禮了、

停參賀

〔後二條關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 寛治六年正月一日甲申、殿下〈◯藤原師實〉參給六條院、餘〈◯藤原師通〉以下候御供、殿下立給中門、以源大納言執申之處、依雨停止拜禮

〔愚昧記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 仁安四年正月一日戊午、無院〈◯後白河〉拜禮、是依去年神宮事〈◯神宮火災〉也、

〔百練抄〕

〈九安徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 養和元年正月一日、無小朝拜所々拜禮、〈◯中略〉依南都火事也、

〔百練抄〕

〈十四四條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0643 嘉禎二年正月一日己未、依春日御事、藤氏公卿不出仕、〈◯中略〉又無拜禮、衆徒等奉御神木神寶於宇治北門退散、

〔園太暦〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 貞和二年正月一日辛巳、東大寺八幡宮神輿未歸座之間、院拜禮小朝拜等被之、

〔後深心院關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 應安五年正月一日庚戌、小朝拜并院拜禮無之、神木在洛之故也、

〔前恭禮門院御凶事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0644 寛政七年十一月三十日、女院崩御、 八年正月一日、無節會、攝家中以下御禮總延引、尤正月式無之、〈在二月


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:58 (387d)