幕府年始祝

〔年中定例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 殿中從正月十二月迄、御對面御祝已下之事、
一おもてむき御對面過て、内々の御祝まゐる、次に赤きもちゐ、白き菱の餅を、やがて重ねてちぎりて、角之折敷にすゑ、少き土器にあめを入て添て、御四方にすわりて參候、此餅ゐ、御老女うやかれ候、

〔正月祝儀飾之繪圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 一おもてむきの御祝すぎて、内之御祝參候は、赤き餅、しろきひしの餅をかさねて、角のをしきに居、ちいさき土器にあめを入て、御四方に居て參る、此餅則御前にてやかれ候、此次に御參候、是より次第次第に御祝參なり、

〔正月祝儀飾之繪圖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 【圖】 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png saij_1_0645_001.gif

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0645 年中御對面〈并〉雜事少々
一内儀にて五ケ日參る御祝の三獻めに、御嘉例にて必なすびの坪付、ひともじ、ざこのこさし、此三色昔より參也、子細在之云々、進士説、〈◯中略〉 一正月五ケ日式三獻よりさきに、昆布、あはび、か

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 ちぐり參、かちぐりは正月計參也、進士説、

〔成氏年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 朔日、早朝ニ公方様御行水メサレテ以後、御手水ノ役人直垂ニテ致出仕トキ、足利ヨリ參ル御年男、御手水ヲ楾盥ニ入テ、御ヤウジ御手カケニ置テ、御中居マデ持テ參ル時、役人請取、御前ノ次ノ御座六間ニ東向キニ置申時、上臈様御持有テ御カケアル也、御陣之時ハ役人縁塗小具足ニテ參リ、直ニ懸ラル、其後大御所様〈◯持氏〉御方御所様ヘモ役人參リ、御手水ヲ調進上、二日、三日、七日、十五日同前也、仍早旦ニ昆布、勝栗、鮑御肴ニテ、御酒一獻參ル、其故ハ、京都鎌倉ノ御兩殿ハ、天子ノ爲御代官、諸侍忠否之淺深ヲ糺、可御政務職ニテマシマス間、大樹ト申也、然間朔日早旦御祝ノ始、勝栗、昆布ニテ御酒アリ、其時番ニ伺候アル奉公中、御酒ヲクダサレ、御扇一本ヅツ拜領、御近邊ニ宿所アル人ハ、雖非番ニ參、御祝ニアヒ申方アリ、其後御臺様、御袋様、上臈、中臈、下臈、ミナ〳〵御所ヘ御參アリ、上臈様ハ九間、其以下ハ皆々四間六間ノ御座ニシコウアリ、此三御座ハ何モ御家中也、〈◯中略〉 一朝ノ御祝、參肴ニテ御酒三獻、其時奉公衆老若出仕ス、宿老一人御前ヘメサレ、御サカヅキ并御劒拜領ス、〈◯中略〉 一殿中ノ朝ノ御臺ヲバ、御サンバ計被召、大御所様ヨリ御歸リ以後、晝御臺參、次ニ御椀飯、〈◯管領ヨリ獻ズル表向キノ埦飯ヲ云フ、中略、〉公方様大間ヘ御歸アツテ、内之御椀飯始也、仍御袋様、上臈、中臈、下臈、如朝皆々御參、〈◯中略〉御祝ハ先御二重、御瓶子、御銚子提持參、其後御三獻過テ強飯、同式之御臺參、奉公中令持參、上臈ニ頼申時御持參、大御所様御祝、御方々御椀飯以下御同前也、 一同二日、御祝如朔日、〈◯中略〉大御所様御出、御酒數獻、御臺ヨリ是又久御吉例也、 一同三日、朝御祝同前、〈◯中略〉其外之御祝如一日二日

〔柳營秘鑑〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0646 享保年中行事之略 正月
一元日御表之御規式以前、御黒書院出御、御三家方御相伴、兎之御吸物御祝被成、其以後於中之間老中頂戴之、此節大目附相伴、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 一番 左 兎羹
折にあへば千代の例と成にけり雪の林に得たる兎も〈◯中略〉
判云、兎羹の御事、歌にも言葉にも盡しぬれば、又何をかいひ出む、げにこヽらのいやしきものまでも、けふは元日なりといへば、雜煮もちゐに向はぬものもなき、めでたき御代のためしなるに、雪ふみ分て狩得しを奉りしも、むかひゐたまひしも、其ころの御事をふかく思ひ奉るべきこと也、されば今のよまでも年の始の御式となれる御掟、たうとしともいはむかぎりはあらじかし、

〔官中秘策〕

〈十五年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0647 兎之御吸物之由來者、御先祖世良田左京亮有親公者、上野國徳川を領し、鎌倉之公方持氏之御家人也、然るに永享年中、足利義教將軍者、鎌倉之公方足利左馬頭持氏と、不和之事出來して合戰有しに、持氏公終に自害ありし後は、關東は皆京都將軍之下知に應じ、管領上杉憲實が威勢盛に、大名彼に相從ふ、東國の威權大に衰へり、鎌倉公方の殘黨を捜しに、就中新田一族においては、根を斷葉を枯すべしとの下知なり、然るに有親公は、本より新田の族なる故に、徳川に安堵なされがたし、永享十一年三月上旬、有親公、同子息親氏も徳川を遁れ出、相州藤澤淨光寺において髮を剃、有親公は長阿彌、親氏公は徳阿彌と號せり、左あれども東國のすまひ叶がたきにや、藤澤を立出、信州に向ふ、去る程に信州小笠原清宗が三男、林藤助光政といふものあり、持氏在世之時、數年近習して勤仕しける所に、讒するによりて知行沒收せられ、名字を政林と號し、信州の山中に蟄居して有ける處、有親、親氏、鎌倉にありける時、互むつまじかりけるが、十二月下旬、彼藤助を尋て彼所に至りける、光政大に悦び、如何もして饗應なさんとすれども、家貧して心に任せず、十二月廿九日、光政雪を踏わけて狩せしに、兎を一疋捉得たり、翌十二年庚申正月朔日、有親父子へ雜煮をすヽめて、此兎を吸物にして年始を祝しけり、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648是兎の吸物を以て、徳川家の家例とせり、

〔幕朝故事談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 公方家 御休息の間、御座の間、御黒書院、御白書院、元は元日御黒書院にて、御兩名様御禮なり、此時は御休息の間無之故也、古者御座の間が則御休息の間也、御三家様方、御白書院也、享保中は御座の間にて、御兩卿様、兩御所様へ御禮被仰上、御ひかへ被成候處へ、御引渡被成候也、而後老中御禮なり、若年寄は御廊下にて、奧の衆一同なり、御側衆、御兩卿様方より先へ御禮なり、是は奧より御先立被申故也、

〔元寛日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 元和二年正月朔日、有年始之御禮、卯刻將軍家秀忠公、江城黒書院有出御、御太刀御刀近臣等役之、家光公〈時十三才〉有座テ公之左座、尤被御裝束、〈家光公御長袴召サル〉于時忠長卿〈國松殿事、後ニ駿河大納言、〉著長袴、自御勝手之方出座、于時御太刀目録、酒井雅樂頭忠世持出披露ス、敷居之内ニテ御禮、則著座御座右ノ方、御盃近臣井上主計頭正規、御吸物水野監物忠元、御捨土器主計頭役之、家光公ハ不申、忠長卿ヘモ御吸物捨土器出之、御銚子〈長柄〉御酌ハ主計頭、御加ハ監物、秀忠公被召上御加、其御盃三峯ニ載之、御上壇一疊目ニ御酌扣テ有之時、家光公有御中座頂戴有御加、同御盃持御本座退給、于時酒井忠世取御盃三峯持參ス、御前御盃被召上時、家光公有御出御禮、御歸座之時、御手自御肴ヲ被進、有御出座頂戴、御復座之時有御加、其御盃忠長卿エ被進旨有御會釋、則御盃三峯載之、御上壇ヨリ二疊目御酌扣有之時、忠長卿可御中座頂戴、有加、御次ノ間エ持盃被退、于時大炊頭利勝取盃載三峯御酌エ渡之、其盃被召上時ニ、忠長卿有中座御禮、歸座之時、呉服臺出之、有出座頂戴、復座時御加有之、右御盃御前被召上、御加有之、御納入、御銚子御吸物引之、畢テ家光公忠長卿段々御退座、其後秀忠公白書院出御、

〔東武實録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0648 寛永九年正月朔日、辰ノ后刻、公〈◯徳川秀忠〉御座ノ間ニ出御、〈御不例故御長袴〉御齒固ノ御餅御熨斗出ル、〈御熨斗出テ後、御齒固ノ御餅ヲ引ク、〉御祝ノ御膳及ビ御引替ノ御膳、酒井阿波守忠行是ヲ役ス、御給仕酒井下

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 總守忠正、本多美作守忠相、太田采女正資宗之ヲ役ス、〈右ノ四輩各裝束〉午ノ后刻、御座ノ間ニ於テ索麪ヲ獻ジテ、酒井阿波守忠行之ヲ役ス、御熨斗出、御銚子ハ出デズ、〈御不豫故ナリ◯中略〉今晩御祝ノ御膳ヲ獻ズ、酒井阿波守忠行是ヲ役ス、〈長袴〉 同二日、巳ノ刻御齒固ノ御餅ヲ獻ズ、例ノ如ク酒井阿波守忠行是ヲ役ス、 同三日、巳ノ刻御齒固ノ御餅御熨斗御雜煮出、御祝ノ御膳ヲ獻ズ、

〔視聽草〕

〈二集八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 慶長中御獻立留書
正月元日御祝之次第、但御内儀にて、 初獻 勝栗、熨斗、昆布、御引渡、 二獻 梅干、五種、御雜煮、〈御箸手鹽〉 三獻 御吸物〈兎〉 御相伴 上總介殿、三河守殿、 表御禮之次第、御禮過にて御三〈ツ〉盃參候て、但御前計也、諸大夫衆御ながれ被下、其上御脇被下候也、 同二日、公家衆御禮之次第、 勝栗、熨斗、昆布、御三〈ツ〉盃、〈但御前計也〉 此御引渡公家衆へも出也、但御三〈ツ〉盃はなし、

〔半日閑話〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 御當家御佳例、正月元日獻立、〈未眞僞、古記所見、〉
御本膳 御鱠〈さヽかく大根、しほいなだ、〉御汁〈いてう大根、田つくり、味噌、〉御煮物〈こんにやく、ごぼう、大根、〉是を三河煮と云、 二 さしみ〈鮒小付いり酒〉御汁〈しほ鱈〉いり鳥〈かも〉 引下 御煮物〈鹽いなだ〉細かにさいのめに切、せうゆにて煮る、これをわりこさいにと云、 御燒鳥、〈きじ〉御吸物、〈ひれ〉御雜煮之上、御佳例之兎之御吸物出ル、御老中〈江〉御雜煮、御酒、御吸物被下之、

〔簾中舊記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0649 御なりの事
一正月二日は、時のくわんれいへなり候、御所さま御しやうぞくめし候て、車にめし候、上さまは御むねあけにめし候、御りきしやかき參らせ候、御きちやうなどもたれ候て、くわんれいにて御祝にて候、御女房衆車二りやうにて參候、みな〳〵御はかまめし候て、むねのまほり御かけ候、御所さま女房たちも、やくしやばかり御供に御參り候、みなきぬども御もたせ候、 一五日には、御所さまばかり畠山殿へなり候、 一十日に御二所伊勢の所へなり候、上さまのなり候はねば、御

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 所さまの女房衆も御參り候はず候、 一十一日には、御所さまばかり三ぼうゐんどのへなり候、一十二日には、御所さまばかりぶゑいへなり候、 一十六日には、南の御所へ御ふた所なり候、上様への御ひきいで物、御からおり物候也、三がさね參らせ候、 一廿二日には、御所様ばかり山名殿へなり候、 一廿三日には、御所様ばかり細川殿へなり候、 一廿六日には、しやうれん院殿へなり候、 一廿九日には、御ふた御所日野殿へなり候、

〔長祿二年以後申次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 正月二日 一管領へ年始之御成始在之、〈椀飯御對面以後之間、未刻之過程也、〉同上様も御成候也、先上様渡御成りて、少御逗留候て、やがて御所様御成候也、兩御所の御供衆、何も裏打也、走衆は小すあふ也、上様は走衆無之、御中間共御輿の先へ二行に參也、今日の御成之儀、御女中衆御座候間、御相伴衆之大名不伺候候、又猿樂なども無之、此御成之儀も、應仁亂前迄之事也、

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 年中御對面〈并〉雜事少々
正月二日 一管領へ渡御、上様も同御成也、 一細川殿へ御成始に、於御前進士白鳥を切申候、まないたをば伊勢同苗兩人してかきて參候、伊勢同苗も進士も大江ひたしなり、包丁仁の左の方をかきて出る人上手也、宗五説也、 五日 一畠山御成被下候也、猿樂在之、上様は御成無之、

〔東山殿年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0650 二日、未刻土岐美濃守成頼獻椀飯、御相伴衆其外出仕面々拜台顏、事過テ兩御所様渡御于管領亭、兩御供衆〈裏打〉走衆〈小素襖著ス〉但〈上様ハ暫先ニ御成、走衆ハナキニ依テ、御中間二行ニ、御輿ノ先ヲ行、〉女中衆御供ニ參上故、御相伴衆〈并〉諸大名不供奉、無田樂、〈應仁亂後ニハ御成斷絶云々〉 五日、未刻渡御于畠山殿亭、上様ハ無御成、御相伴衆以下伺公、有猿樂、〈觀世大夫舞之〉當職之方〈江〉ハ、今月兩度御成アリ、 十二日、未刻渡御于武衞亭、御相伴衆當日御供衆走衆供奉、有猿樂、〈觀世舞之〉上様者無渡御云々、 廿日、未刻渡御于赤松亭、還御以後、赤松致出仕、爲御成之御禮御太刀〈并〉萬疋、依之賜御服云々、 廿二日、未刻渡御于山名宗全亭、當日御相伴衆御供衆走衆供奉ス、有猿樂、〈觀世舞之〉上様無御成云々、 廿三日、未刻渡御細川勝元

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651、規式如例、有猿樂云々、 廿六日、未刻御成于京極持清亭、御作法同前、有田樂、〈觀世舞之〉夜深還御、直ニ渡御于畠山教元宅、有三獻之御祝、是舊例也、東山御移徙以後者、無御於諸大名宅云々、

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 建暦三年正月四日丙午、垸飯、和田左衞門尉義盛沙汰之、〈◯中略〉其後將軍家入御相州御亭、次渡御若宮別當雪下本坊、秉燭之程令還御給云云、

〔吾妻鏡〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 仁治四年正月五日壬午、將軍家入御秋田城介甘繩家、被御車、駿河守、遠江馬助、備前守以下供奉、隱岐太郞左衞門尉政義、懸御調度、御臺處、乙若君〈各御輿〉入御前右馬權頭亭、若君并御母儀〈號二棟御方皆御輿〉渡御若狹前司家、是皆御行始之儀也、面々御儲太結構、御引出物及風流云云、

〔吾妻鏡〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 寛元四年正月四日甲午、入道并將軍御行始、入御北條左近大夫將監亭云云、御臺所并若君御前渡御若狹前司泰村亭、將軍御母儀及將軍御臺所武州妹、入御秋田城介義景亭

〔花營三代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 應永廿八年正月二日、大御所様、御臺、御方御所様、管領へ〈細川右京大夫入道道觀〉御成、御方ノ御供畠山次郞持純、畠山中務少輔持清、大館次郞持房、御臺御供貞房、貞彌、 十四日、御所様、御臺様、御方御所様、伊勢守〈江〉有御成、佳例、 十九日、御所様、上様御方、北野殿〈江〉御成有、

〔花營三代記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 應永三十一年正月二日、御方管領へ成、御乘車、義資卿持御劒、被御車參、直垂也、識三獻參、御太刀白、〈御鎧、少弼與左馬助御前ヘカヒテ被參、御弓征矢御馬、左馬助引之、〉御コハ自兼スヘラル、持兼持房コレヲアグ、御供事、一色阿波太郞持兼、大館刑部少輔持房、伊勢守貞經、同兵庫助貞慶、加賀守貞直、與一左衞門尉貞宣、次郞左衞門尉貞房、同七郞左衞門貞彌、〈八人ハ大帷也〉畠山中務少輔持清、大館五郞持貞(二日御供番始也)、〈兩人ハ裏打也〉 御所様成、御方還御後成也、同御臺成、御臺御供、長井宮内大輔元行、長修理亮、熊谷近江守、三上又三郞持高、〈裏打也〉

〔空華日工集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0651 嘉慶二年正月十八日、府君、〈◯足利義滿〉遣以近臣報曰、明後日入寺道話、作新年禮、仍贈繦寶三十條、蓋爲談助茶菓也、余即副于使者、以衣鉢梵意而謹謝恩、且白明後日來賀之事、是日管領玉堂

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 來禮、 廿日、台旆入山、互賀歳華、先入書閤而密語、而後點心座伴等持絶海而已、君復引余入書閤、道話商確古今、品評人材、因問佛乘宗門之樞要、余粗條鬯應對、君不覺前席、出閤打齋、行茶罷、君尚不于座、談及晩而還駕、駕時謂余曰、未新歳禮、今日禮謝、無吉日期、與諸老同來參、余曰、謹聞命矣、廿三日、相國空谷來禮、仍約以參府、 廿五日、詣于上府賀歳、余以賀歳故不敢啓一レ恙、君郤問於余、余以實答焉、

武臣參賀

〔吾妻鏡〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 建久二年正月一日庚戌千葉介常胤獻垸飯、其儀殊刷、是御昇進故云云、午刻前右大將家〈◯源頼朝〉出御南面、前少將家時家朝臣上御簾、先有進物、御劒千葉介常胤、御弓箭新介胤正、御行騰、沓、二郞師常、砂金三郞胤盛、鷲羽、〈納櫃〉六郞大夫胤頼、 御馬 一、千葉四郞胤信、平次兵衞尉常秀、二、臼井太郞常忠、天羽二郞眞常、三、千葉五郞胤通、四、寺尾大夫業遠、五、 庭儀畢上御簾、更出御于西面母屋、被御簾、盃酒及歌舞云云、 二日辛亥、御垸飯〈三浦介義澄沙汰〉三浦介義澄持參御劒、御弓箭、岡崎四郞義實、御行騰、和田三郞宗實、沙金、三浦左衞門尉義連、鷲羽、比企右衞門尉能員、 御馬 一、三浦平六義村、太郞景連、二、三、四、五、 三日壬子、小山右衞門尉朝政獻垸飯、御劒、下河邊庄司行平、御弓箭、小山五郞宗政、御行騰、沓、同七郞朝光、鷲羽、下河邊四郞政能、砂金者、最末朝政自捧持之、自堂上參進、置御座前云云、次御馬五疋、

〔了俊大草紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0652 武家に御引出物を進事は、鎌倉之宮將軍の御時、正月の埦飯の御引出物より始事云々、役人は立烏帽子に水干葛袴也、庭の座より持參しける也、沓をはきて參と云々、一番に御劒を進之、御劒のつかの方を我左の方にして、御劒の齒の方を上になして、むねの方を下に成て、兩方の足の所を諸手に取て持參して、御座の左の方に二尺ばかり隔て、左膝をつきて、御劒の甲金の頭を疊につけて、御劒を取なほして、もヽよせの方を御身の方になして、はかせ給べき様に進おきて、左の手をつきて畏て罷出也、次御弓征矢を進には、御弓を張て弦を前に成て、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 弓の掬革より上、摺藤の所を左手に取て、左の肩さきに御弓を打懸て持て、右手に御征矢の矢結の所を取て、箙の蜻蛉形の所を前にて、右の肩先に打懸て持參して、御前の御左方に弓を立、御右に御征矢をば置也、當時は左に弓も矢も副て立歟、式には左右に置也、次御鎧を進也、上下の役貳人して持參するなり、鎧唐櫃の蓋に置て、甲の落ぬやうに、甲の緒を鎧のしやうじの板にからみ付也、役人むかひあひて持參するあひだ、下手の役人は前に立て、うしろざまに歩也、上手の役人は跡に立て持也、御劒置つる所より少のきて置なり、北面にならぬ様に置也、主君南面に御座あらば西面に置べし、東面に御座あらば南面に置べし、如斯進置て後、下手の役人は急に罷出べし、上手の役人計り殘留りて、御鎧を少押直す様にして後、畏て退出するなり、又御沓行騰を進には、行騰のうらとを含て緒を片結に結合て、白毛方を前にして、中腰の所を折て、兩方の手にて持也、御沓は緒を結合て、鼻を揃へて隻手に持て、行騰の陰に持て參て、御行騰の櫛上の方を、主人の御方に成て、すその方をばこなたに成て、押のして置ざまに、御沓をば白毛のはづれに置也、立ても伏ても置也、又御馬を進には、鞍置馬一疋、はだか馬一疋、引副と號也、役人は組たる烏帽子懸をして、末を結て一からみして、袴のもヽだちを高くはさみて引也、打まぜの手繩を付て、下手の者に引するなり、下手は中間の役なり、引副の馬は始て役人同曳出也、是は下手の手繩あるべからず、只一人引候也、
一御引出物進次第〈三獻目ニ進之〉 一番御劒、二番御弓征矢、三番御沓行騰、四番御鎧、五番御馬也、

〔吾妻鏡〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0653 建久四年正月一日己巳、將軍家〈◯源頼朝〉御參鶴岳八幡宮、還御之後有垸飯、千葉介常胤沙汰之、源氏并江間殿及御家人等候庭上、時刻將軍家出御、上總介義兼起坐參進上御簾、相摸守惟義持參御劒、八田右衞門尉知家御調度、梶原左衞門尉景季持參御行騰、千葉大夫胤頼役沙金、千葉介常胤鷲羽、次引進御馬五疋、常胤子息三人、孫子二人引之、所謂師常、胤信、胤道、胤秀等也、

〔吾妻鏡〕

〈五十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 弘長三年正月一日壬午、垸飯〈相州禪室御沙汰〉相州〈◯北條時宗〉以下著布衣、出仕如常、申時刻之後、各降庭上座列、 左馬權頭時宗、〈◯以下九十八人略〉將軍家〈◯宗尊親王〉出御南面、土御門大納言參進、上御簾三箇間、次進物、御劒、武藏前司朝直、御調度、中務大輔教時、御行騰、沓、宮内權大夫時秀、 一御馬、武藏五郞時直、岡村三郞兵衞尉、二御馬、城六郞兵衞尉顯盛、同九郞長景、三御馬、出羽八郞左衞門尉行世、同九郞宗行、四御馬、佐佐木壹岐三郞左衞門尉頼綱、同四郞左衞門尉長綱、五御馬、相摸三郞時輔、諏方四郞左衞門尉、 二日癸未、垸飯〈相州御沙汰〉御簾、土御門大納言、御劒、尾張前司時章、御調度、越前前司時廣、御行騰、和泉前司行方、 一御馬、相摸左近大夫將監時村、四方田新三郞左衞門尉、二御馬、越後四郞顯時、糟屋左衞門三郞行村、三御馬、城六郞兵衞尉顯盛、同九郞長景、四御馬、出羽八郞左衞門尉行世、同九郞宗行、五御馬、越後六郞實政、伊賀右衞門次郞、 三日甲申、垸飯〈武州御沙汰〉御簾、土御門大納言、御劒、中務權大輔教時、御調度、左近大夫將監公時、御行騰、太宰權少貳景頼、 一御馬、相摸七郞宗頼、安東宮内左衞門尉景光、二御馬、梶原太郞左衞門尉景綱、同五郞景方、三御馬、甲斐三郞左衞門尉爲成、同五郞左衞門尉爲定、四御馬、上野三郞左衞門尉重義、同左衞門五郞宗光、五御馬、陸奧十郞忠時、牧野太郞兵衞尉、

〔東山殿年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0654 朔日卯刻、將軍家出御于便宜所、御烏帽子〈風折〉着白御直垂、御服唐織物、〈◯註略〉出御于御對面所、御供衆、御部屋衆申次、御次間閾際ニ雜居一同平伏、〈多人數ノ刻ハ二三度ニモ出席也〉當番之申次進居テ披露之、退座ノ後、申次亦出于先所、銘々ニ披露之、退節獻御引渡〈三盃組付〉并數土器、〈載各四方〉御陪膳御酌御供衆勤之、三盃不殘被上之、數土器ハ依人數三組ニモ五組ニモシテ並置也、上一通ノ盃ニテ被召上閣之時、御酌人御銚子ヲバ置御前、御盃ニアル御酒ヲ總土器ニウツシテ、載四方中央、御右方ニ直シテ則一宛取載御銚子、片膝ヲ立、御右方ニ扣有之砌、三職一人宛御太刀〈金覆輪〉持參御禮、膝行御盃頂戴之、欲退刻、伊勢守御服二重〈練貫〉載廣蓋持出、置管領前、謹而拜戴、左手ニ御服ヲ持、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0655 右手ニ盃ヲ取添テ退去、於御次間于同氏申杯云々、〈當職ノ人先座也、管領ノ外ハ不太刀、伊勢守有故障時ハ同姓中役之、或曰、御服ハ御次間ニ廣蓋ニ積重テ被置ヲ、上ヨリ取テ授ト云々、〉次御相伴衆國持衆准國持外様衆御供衆、一人宛出席御禮、御盃御服〈各練貫一重〉拜領之、畢而御酌替ル、先酌人御盃御服頂戴之作法皆同前、〈各練貫、御服拜領之事、應仁亂以後ハ無之、〉然御銚子入、退御盃御膳等、〈右手ニ御銚子、左手ニ四方持退云々、〉至是番頭節朔衆攻衆走衆順々出テ奉賀之、次上池院千阿彌一人宛拜高顏、於是公家申次出于御次間閾際、公家ト披露シテ後、三職進上ノ御太刀取之、御左ノ角方ニ立置退時、〈日野勝光、三條公綱、烏丸飛鳥井雅親、廣橋、中山、山科、藤中納言常慶、伯忠富也、〉一人宛出座拜賀之、旣而申次出于先席、事了之由言上之、則入御于常御所、〈(中略)御供衆細川淡路守、今日御弓御笠懸蟇目等進上ノ事、御盃頂戴ノ時、右手ニ弓ト蟇目ヲ取添、握革三寸計上ヲ引下、持之出于御前、左手ヲツキ、モトハズヲ疊ニ付テ御禮、然後御左方向ノ角ニ立置、則御盃拜戴云々、淡路守不出仕時ハ、早朝以雜掌之、申次於庭上取之、御對面所ノ次間ニ立置、三職御目見過テ、申次右ノ手ニ弓ヲ持、〈取次同前〉左ノ手ニ矢ノ箟中ヲ持テ出于御前露之、御左方向ノ角ニ立置退ク、蟇目持様同前、御弓ハハヅシ弓也、握革五寸計上ヲ水引ニテ弓ト弦ノ間ニテモヂリ、弓ノ方ニテ兩締ニ結ブナリ、外竹ノ方ヲ我前ニシテ、弦ノ方ヲ御前ヘナル様ニ心得テ、少脇(脇一本作隅)ヘヒネル也、 應仁亂前ハ御裝束著ノ後、於御便所御供衆一列、御部屋衆一同、上池院千阿彌一人宛出席奉賀之、總而御部屋衆千阿彌於表向御禮ハ限今日、但御部屋衆ノ御太刀進上ノ時ハ、御供衆ノ次ニ出座云々、 攻衆事、近年ハ申次ノ次ニ出席ナリ、大館伊豫入道常興ニ尋之處ニ、常徳院殿(足利義尚)御引付ニハ、節朔衆ノ次、走衆ノ前ト有之由返答云々、 上様ニテ御禮ノ事、朔日五日七日計也、但於御所様御目見過テ各參上、又御所様申次悉披露之、但隔小路時ハ、上様申次役之、御前ニテ御盃頂戴者、當管領并日野殿計也、御酌ハ上臈衆勤之、於花御所御相伴衆、國持衆、外様御供衆申次迄ハ、御末ノ東ノ脇戸ヨリ參上、番頭以下ハ中ノ御末ヨリ懸筵ノ内ヘ伺公、裏辻ノ外ニテ御盃拜戴、御酌ハ裏辻ヨリ右ノ脇ニ出カヽリテ役之、公家衆并番頭等ハ御所様御盃雖頂戴之、上様御盃ハ拜戴之云々、上ノ御末、中ノ御末ハ、三間梁ニ九間ニテ、間ハ遣戸高閾也、眞中ニ柱有、其際ノ戸兩方ヘ一本宛開ク、此口ニ掛筵アリ、〈但二枚ノ筵四ニキリ縁ヲトリ縫合云々〉朝夕御膳獻ズルニモ、此際ニテ中臈ノ御陪膳衆ニ渡ス、此時褰掛筵、總テ上ノ御末ヘハ日野殿三條殿自然伊勢守、亦御供衆ノ内ニモ、參上ノ仁少々有之、自余ハ不伺公云々、(中略)公家ノ内ニ傳奏參上ノ事モアリ、不官位先座也、日野事、任槐以後ハ、總公家御禮過テ一人出席、日野殿ト有披露云々、如恒例日野殿御太刀〈金覆輪〉青銅二千疋被之、〈但千疋ノ時モ有之〉出御以前目録共ニ於奧方女中披露之、〉 正月二日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、御供衆申次拜賀之次第同上、當番之申次出于閾際銘々ニ披露之シテ退時、獻御引渡〈三土器組付〉數土器、〈各載四方、御酌御陪膳役人如右、〉於是三職一人宛御太刀〈金覆輪〉持參御禮、膝行御盃頂戴シテ被持退、次御相伴衆、國持衆、准國主御供衆一人宛出席御目見、御盃拜戴過而御酌替、先酌人御盃頂戴シテ退去ノ後、御銚子入、規式同于昨日、至是番

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0656 頭節朔衆順々奉賀之、旣而公家申次出于閾際、公家ト披露シテ、三職獻上ノ御太刀如疇昔之テ後、公家衆一人宛出座御禮、退席ノ後、申次出于前所、事畢由言上之、則入御于常御所、〈◯中略〉 正月三日、將軍家〈御裝束同上〉出御于御對面所、御供衆申次奉賀之作法同于朔日、當番ノ申次進居テ披露之、退去之後、申次亦出于先所、銘々ニ披露之シテ退節、獻御引渡〈三盃組付〉數土器、〈各載四方〉御陪膳御酌役人規式等如朔日、於是管領一人宛、御太刀〈金覆輪〉持參御禮、膝行御盃拜戴之持退、次御相伴衆、國持衆、准國主御供衆一人宛出席、御盃頂戴之、次第同上、旣而御酌替、先酌人御盃拜戴、畢而御銚子入、退御膳、至是番頭節朔衆、一人宛拜賀之、然后殿上人出于閾際、公家ト披露シテ、三職進上之御太刀如例納之退時、公家衆、一人宛出座御目見過而、申次出于前所、事畢之由言上之、則入御于常御所、 正月四日、將軍家〈御裝束同右〉出御于御對面所、御供衆申次御禮如毎、當番申次於閾際御身固ト言上シテ後、定行事〈從三位陰陽師安倍有宣卿〉出席三拜シテ勤反閉、畢而申次亦出于前所、銘々ニ披露シテ、則三職御相伴衆、國持衆、准國主外様衆、一人宛奉賀之、於是殿上人出于先座、公家ト披露之後、日野三條御禮、次大外様衆、總番衆、上様御被官一兩人、奉行衆御目見過而、如恒例藝阿獻上之御扇子、〈二本〉申次持參披露シテ納之砌、藝阿出而拜賀之、退去刻、殿上人出于先席、公家ト披露之、于時式日參上之公家并醫師等一人宛御禮過而、申次出テ善通事ト披露之後、〈從三位陰陽師賀茂在通卿〉出席三拜シテ退節、申次亦觀世ト披露シテ入于閾内、開御障子、御縁ニ蹲踞スル時、觀世大夫、同四郞一人宛出于庭上台顏、旣而申次出于御縁閾際、事畢之由言上之、則入御于常御所、〈武家皆著小素袍、大外様衆以下者不披露、或曰、大外様衆、總番衆、上様御被官、奉行、醫師、〈青笛〉藝阿、善通事、公家衆、定行事、觀世ト、次第ニ可之由難之、大館常興ニ尋之處、此順不宜、右ノ次第佳也ト返答アリ、善通事儀、文明十二年調阿日記ニハ、定行事ノ次ニ出席トアリ、予モ亦同意也、藝阿獻上ノ扇ハ閣于御前、藝阿御目見畢而納之事モアリ、亦御禮過テ、於奧方女中進上ノ例モアリト云々、◯中略〉御所様ヘ今日式日ニテ出仕ノ面々、上様ヘ爲御禮伺公、於御對面所拜賀之、畢而於小侍所、一人宛春日御局ニ參會、述慶詞云々、〈春日御局ハ御前様ノ中臈頭也、上様ヘノ御禮ニテ候間、上様ノ中臈頭可出席處、至今如此云々、〉 正月五日、將軍家〈御裝束如上〉出御于御對面所、御供衆申次御禮如

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0657 例、當番申次出于閾際、吉良殿、澁川殿、石橋殿ト一同ニ披露シテ後、吉良殿出座、入于閾内御對顏、畢而澀川殿御目見、欲退出時、御服一重〈練貫〉載廣蓋、伊勢守持參置于澀川殿前、謹而拜戴被持退、次石橋殿御禮、御服拜領之作法同上、次仁木右馬助義昌、上杉民部少輔房定、一人宛奉賀之、次關東衆ト披露シテ後、神山駿河守以下數輩、一人宛出而拜賀之、御服〈練貫各一重〉載廣蓋、頂戴之規式皆同前、〈吉良殿退出ノ後、以御使伊勢名字練貫二重被之、仁木上杉ハ不披露而出席也、御服役事、伊勢守有故障時ハ同名中勤之、今日ハ御盃ノ規式ナシ、御服頂戴ノ作法同于元日、〉 正月七日、將軍家〈御裝束如前〉出御於御對面所、御供衆申次御禮如常、當番申次出于閾際、銘々ニ披露シテ退砌、獻御引渡〈三土器組付〉數土器、〈各載四方〉御酌御陪膳等同朔日、三職一人宛御太刀〈金覆輪〉持參御目見、膝行而御盃頂戴之持退、次御相伴衆、國持衆、准國主、御供衆、一人宛出席、御盃拜戴之作法同于朔日、至是御酌替、先酌人御盃頂戴而退座之時御銚子入、退御膳、規式如例、了而番頭節朔衆一人宛奉賀之、然後申次外郞獻上之御藥持參披露シテ持退節、外郞拜高顏、〈獻物事、御前ニ其儘置事モアリ、〉次公家申次出于先席、公家ト披露シテ、三職進上之御太刀如元日之テ後、公家一人宛出座御禮、過テ申次田樂ト披露シテ入于閾内御障子、御縁ニ出テ蹲踞スル時、田樂一人宛出于庭上台顏、於是申次出于御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、 正月八日、將軍家〈御裝束同上〉出御于御對面所、御供衆申次奉賀作法如毎、當番申次出于先座、評定衆ト披露之シ而後、一人宛出テ拜賀之、〈攝津者朔日出仕ニ付、今日不登營云々、〉次陰陽頭〈從三位安倍泰清卿〉御禮、 正月十日、將軍家〈御裝束同先〉出御于御對面所、御供衆申次拜賀之作法如常、當番申次出于閾際、銘々ニ披露シテ後、三職御相伴衆一列入于閾内御目見、次國持衆、准國主、外様衆、一人宛奉賀之、於是公家申次出于先所、公家ト披露シテ退時、日野三條并常伺候之公家衆一人宛御禮、旣而申次亦判門田(ハネダ)ト披露シテ、入于閾内御障子、下于庭上蹲踞砌、判門田出于同所台顏、然後申次昇御縁閾際ニテ、事畢之由言上之シテ閉御障子テ後、入御于御便宜所、〈◯中略〉從京極大膳大夫白鳥一、鮒二十、從關東管領上杉雜掌判門田、白鳥一獻之、 正月十一日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 對面所、御供衆申次御禮之作法如例、申次出于御次間閾際槙嶋ト披露シテ、槙嶋玄蕃助出座拜台顏、〈(中略)槇嶋事、宇治代官總頭也、〉 正月十二日、將軍家〈◯中略〉出御于御對面所、御供衆申次御禮如前、申次出于閾際、宇治衆ト披露シテ退時、一人宛奉賀之、 正月十五日、將軍家〈◯中略〉出御于御對面所、御供衆申次拜賀之次第如毎、當番申次出于閾際、銘々ニ披露而後、獻三盃并數土器、御陪膳役人規式等同上、於是三職一人宛御太刀〈各金覆輪〉持參之御目見、膝行御盃頂戴之持退、次御相伴衆山名右衞門入道宗全御太刀〈金覆輪〉持參之御禮、次殘御相伴衆、國持衆、准國主、御供衆、一人宛奉賀之、各御盃拜戴之作法同于元日、〈宗全ノ外不御太刀〉畢而御酌替、先酌人御盃頂戴而後御銚子入、退御膳、次第如先、次番頭節朔衆一人宛拜台顏、至是公家申次出于閾際、公家ト披露之而、右之御太刀如例納之テ後、常參上公家衆一人宛出席拜賀之、旣而申次出于先座、事過之由言上之、則入御于常御所

〔長祿年中御對面記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0658 正月朔日、公家、大名、外様、〈少々〉御供衆、御部屋衆、申次、番頭、番方、〈少々、節朔衆之事也、〉走衆、右各出仕
一御太刀〈金〉三振、三職進上之、〈主出之時ハ持參、不參候時、申次持參之、〉 一御弓、御笠懸引目、〈袋入〉細川淡路守進上之、 一御太刀〈金〉二千疋折紙、日野殿進上、〈是ハ御參より申入也〉次大名、外様、〈少々〉御供衆、各御盃頂戴、次御練貫拜領、三職ハ二重、其外ハ一重宛也、公家衆各同一重宛、但公家衆ハ御盃無頂戴、 一御對面之次第ハ、御出之砌御供衆一列ニ懸御目、其後御部屋衆也、申次又同前、但一以前ハ御供衆ハ御びん所にて、被御目也、 出御對面、申次一番に面々と申入て、則三御盃數之御盃參て、其後管領をはじめて、大名以下次第に被參て頂戴之時、御練貫拜領也、常の朔日節句には、管領一人先被參也、 二日、一公家、大名、御供衆、申次、番頭、番方、〈少々、節朔衆之事也、〉各出仕、 一御太刀〈金〉三振、三職進上之、 三日、一公家、大名、御供衆、申次、番頭、番方、〈少々〉同前、各出仕、御盃同前、 一御太刀〈金〉三振、三職進上之、 四日、一公家、大名外様〈并〉大外様、御供衆、申次、總番衆、奉行衆出仕、 御扇二本〈相阿藝阿〉 善通士、觀世、〈同四郞〉右御對

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 面之次第ハ、一番ニ御身固と申入て、有宣、在通參勤、二番ニ大名外様、〈少々〉番頭、〈并〉前後ニ參賀之公家、三番ニ大外様、總番衆、奉行衆、上様御被官一兩人、〈并〉勢田判官大膳亮、加治等、番方につヾきて懸御目也、四番ニ進上之御扇、進上と申入て、御扇備上覽、即懸御目、五番ニ公家と申入て、公家衆被參、其次陰陽〈少々〉續て懸御目、其後善通士と申入て、善通士參、其後觀世と申入て、御しやうじを内よりあけ申て、出庭上御目也、前々ハ吉良東條殿も出仕也、奉行以後公家之前也、吉良東條殿と申入て御參也、 扇ハ其儘御前ニ置申時もあり、但懸御目て則かげへとりて、總口對面以後、女中向參上可然云々、 一吉良東條殿、有宣、在通、相阿等も、御練貫拜領之衆也、東條殿ハ二重、其外一重也、東條殿父子出仕之時ハ、子息ヘハ一重也、次大外様〈并〉奉行衆、御太刀拜領之次、前後之出仕無之時分、御對面之次第、不其沙汰、 五日、一吉良殿、澀川殿、石橋殿、伊勢、仁木、關東衆出仕、御對面之次第ハ、一番に吉良殿、澀川殿、石橋殿と申入て被參也、其次之ハ不申入御目也、吉良殿、御練貫二重拜領、其外仁木殿までハ一重宛也、吉良殿も父子出仕之時ハ、子息ハ一重也、澀川殿ハ近年ハ無出仕、先々ハ外様も少々出仕、外様には御太刀被之也、

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 年中御對面〈并〉雜事少々
正月七日 一今日管領之御母御參り、式三獻供饗御手掛參、進士説、 十一日 一淀だいりより上らせられ、御禮に御參候、一獻、進士説、

〔成氏年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0659 朔日、〈◯中略〉大御所様ヨリ御歸リ以後、晝御臺參、次ニ御椀飯、上古ハ酉刻計ニ始ル、近代ハ夜ニ入、〈◯中略〉御一家以下ノ奉公老若、直垂ニテ出仕、朔日ノ椀飯ハ管領ヨリ參、遠侍ニハ高盛物二アリ、一ニハ波葉、一ニハ螧也、置鳥置鯉アリ、椀飯奉行直垂ニテ出仕、是ハ右筆勤之、管領代官ト兩人御中門ニ令伺公、 一公方様出御奉待、御座ハ妻戸之門也、御酒式三獻、御荷用之人々、各御嘗屋ニ集、初獻ノ御肴ヲ始トシテ、皆々請取持參セラルヽ、二獻目、三獻メ、御酌何モ人體可

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660、三獻メノ御酌御酒ヲ申時、御一家ノ人銀劒持參、管領御代官手ヨリ直ニ被受取也、其後弓征矢ヲ役人持參、其次ニ沓行騰ヲ役人持參イタシ罷出後、管領被官武州守護代子、或ハ孫、或ハ兄弟等、御車寄ノ立砂ノ前ニ、御馬御鞍ヲ置テ引立、同引副ハ裸馬ナリ、其後御酌御前ヲマカリ出、御肴ヲバ初獻ヨリアゲ申、御盃ヲバ三獻目ヨリアゲ申ベシ、如此ノ後、當日番之御中居殿原、號御恪勤人體、御屏風疊テ十二間ノ御座ヲ明申、彼御座三重唐瓶子、同銚子提、ソレヲバ大草申出、御酒參、御マイリノ肴ニテ三獻、御一家并評定衆召サレ、此御祝ニハ宿老中皆御荷用ヲ被申、三獻過テ御隔子役人如朝參御隔子被下、是ハ御一家ノ役也、其後宿老中歸宅、〈◯中略〉 一同二日、朝御祝如朔日、〈◯中略〉仍椀飯相州守護ヨリ一年、房州之守護ヨリ一年、隔年參、椀飯奉行如朔夜參、銀劒弓征矢ヲバ、二日同三日夜ハ、椀飯奉行代官ノ手ヨリ受取テ役人エ渡也、沓行騰ヲバ代官ノ手ヨリ直受取テ持參アル也、御劒弓征矢、自代官手役人直受取事ハ管領職ニ限也、其外ハ皆々先椀飯奉行受取テ可役人、仍近年、御劒弓征矢、如管領之代官役人、直可渡由及異儀、外様代官雖之、爲上聞、如舊規相定者也、〈◯中略〉 一同三日、朝御祝同前、〈◯中略〉御椀飯常州野州ヨリ隔年ニ參、其外之御祝如一日二日、〈◯中略〉 一同六日、從管領御引出物以兩使進上、御劒、御具足、御小袖以下、唐櫃ニ入、御馬ハ別當并御厩者請取、一疋モ二疋モ被御厩、使ニ有御對面、大御所、御臺、御袋ヘハ、御小袖三重ヅヽ、上臈様ヘハ二重、中臈、下臈ヘハ一重、次ニ手長小雜士マデ、或絹或染物ナド被之、御酒料大草方ヘ三千疋被之、如此細事等ニ至迄、自前々定間記之、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0660 二番 左 元日參賀
よろこびの聲もひとしく春にあふ君がみとのヽ内つ諸人
  右 二日參賀
へだてなき春の光に玉だれのをすのと山も千代呼ふ聲〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 元日參賀は、三家三卿の方々よりはじめ、譜代の大名小名、百の司々、皆城にのぼりて拜賀す、〈◯中略〉三家のかた〴〵、溜の間詰、宿老の人々、侍從四位の輩は、白木書院にてかはらけ給ひ、おのおの呉服一重ねをたまふ、それより大廣間に渡御有りて、諸の大名、五位以上の輩、百の司々、法印法眼のたぐひまで、御まへにして大みきの流を給ふ、是を大流と云、皆呉服一かさねづヽをたまひ、かづきつれてまかづ、入御ありて後、布衣の輩に流れを給ひ、諸さぶらひ番士のたぐひ同朋にいたる、これを小流と云、此日四品より上つかたの輩は、太刀折紙みづからもて出てことほぎをのぶ、それより下つかたは、太刀折紙前に置て拜謁す、二日は、大廣間にて國主の面々ひとしく出て拜賀し、相伴の座につらなれば、番頭の輩ひきわたしもて出づ、やがてかはらけ賜り、各呉服一かさねを給ひてまかづ、のち外様の大小名及び昨日殘りし有司の輩、小流れを下され祿給ふ事、すべて元日にかはる事なし、兩御所の奉りものも又おなじ、
三番 右 三日參賀
春立ていく日もあらぬに玉くしげ三たびとなふる松の萬代〈◯中略〉
三日の參賀は、無官の面々松の廊下に列り、井伊、榊原、奧平の家の老ども、その末に有て拜賀す、入御の折とのヽ中ゆるされたる市の長どもを始め、京、大坂、堺、奈良、伏見過書、銀座等のものども皆なみゐて、遙にをがみ奉る也、

〔禮容筆粹〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0661 御流之事 御流とは、大名高家我が下ざまの家人に被下次第也、主人の御前に、土器を幾つも臺につみかさね、主人のきこしめしかけられたる酒を、其かはらけにうつし、段々下へうつしつたへ、兩銚子のわたりの上にかはらけをのせて、御酌持參する也、其時頂戴の人出て御禮を申、土器を取いたヾき酒をうけて、不戴呑て、土器を持罷立なり、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 大流之事 大流は、貴人酒をのみのこし給ひて、銚子の中に打込給ふを、右のごとく土器をわたりにのせて、御酌持參いたす也、此時は土器をいたヾかずして、御酒をうけて後いたヾき、呑立にすべし、〈◯中略〉
御通り之事 御通りといふは、貴人の御酌にて、壹人々々づヽ被召出、御酒をつぎ被下を、盃をいたヾかずして、御酒をいたヾき呑、盃を御前に置罷立也、

〔年中例式傳〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 當江戸柳營年始式中、御通ニ成ト云有、古法躾之名目、御通ト云有、是ハ御通(オンカヨヒ)ト唱、主人酌テ被下云也、又柳營御通有者御通(オントホリ)ト唱、大流事也、銚子渡ニ土器ヲ乘、兩人相并ビ持出ル時、兩人宛罷出頂戴致ス也、又外ニ兩人銚子ヲ持、渡ニ盃ヲ乘持出ル、互ニ兩人宛行違々々酌ヲ致、是ヲ千鳥掛ト云也、盃ヲ戴所ハ同所也、古法文字同シテ唱替リ、品モ替レリ、今御通リハ古御流(オンナガレ)之事也、

〔柳營秘鑑〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0662 享保年中行事之略 正月〈◯中略〉元日御規式之次第
一御白書院公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言様〈是亦緋之御裝束〉出御、御先立〈月番之老中勤之、御太刀御劒、〉御上段御著座、尾張中納言殿、紀伊中納言殿、水戸宰相殿、松平加賀守、松平相摸守、松平兵部大輔、松平越後守、 右御三家方順々被出座、御太刀目録老中披露之、直ニ御下段御右之方に著座、松平加賀守同斷、其餘相摸守以下壹人宛出座、銘々御太刀目録持參之、御敷居之内にて御禮、〈但侍從ハ、御太刀目録ハ内に置之、其身ハ外にて御禮、〉則御左之方に著座、各相濟而以後、年頭之御祝儀被申上候段、老中言上有之、御太刀目録奏者番引之、御盃、御吸物、御捨土器、〈但御酌加ハ高家役之〉御三家初著座面々へ賜之事、〈御引渡等ハ、兩番頭中奧五位之輩役之、〉右何も吸物出之、御酌御加御前〈江〉被召上、御加有之、其御盃を三方に載之、上より二疊目に御酌扣有之時、御三家先官次第一人宛被出席戴之、加有之、盃を持御次之間へ被退時、老中取之、三方に載之、御酌〈江〉渡し御前〈江〉被召上之時、中座有之御禮、御加有之、御扣之節、御呉服臺出る、〈但三疊目之上より〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0663 四疊目かけて南北〈江〉長く置、中奧五位輩役之、〉御加有之、其御盃三方に載之、上より三疊目之下御酌扣有之時、加賀守出座頂戴之、此間數之御土器出之、加賀守歸座之節、明三方引之、呉服臺出る、〈四疊目の中より五疊目かけて南北へ長く置〉御前に有之數の御土器にて被召上、御加へ無之、其御盃を御銚子に載之、四疊目御酌扣有之時、相摸守を初一人宛出座頂戴之、歸座之節呉服臺出る、御敷居之内、〈東西に長く置〉右畢而御銚子入、御吸物等引之、過而何も御禮、上意有之、老中御取合申上之退座、〈但御酌扣處、官位に隨而高下有之、宰相ハ三疊目、中少將ハ四疊目、侍從ハ六疊目なり、〉
一御三家御在國之節、名代之使者を以、御太刀目録獻上之、老中披露之、御太刀目録御奏者番引之、右御使者は其家々之長臣務之、勿論御白書院御疊縁腰障子際にて御禮申上ル、 數々御土器、御捨土器、御酌、御加、御前〈江〉被召上、御加無之、其御盃御銚子に載之、四疊目御酌扣有之時、松平肥後守、松平讃岐守、井伊掃部頭、 右一人宛御太刀目録持參之、御敷居之内にて御禮、御盃頂戴之、呉服拜領之、御太刀目録御奏者番引之、呉服臺出、〈御敷居之内二疊目東西へ長く置〉御前に有之、數之御土器に而被召上、御加無之、其御盃御銚子に載之、六疊目御酌扣有之時、松平下總守、松平但馬守、松平左京大夫、松平大學頭、松平甲斐守、松平播磨守、松平左兵衞督、松平左近將監、酒井讃岐守、松平伊豆守、本多中務大輔、黒田豐前守、松平右京大夫、阿部豐後守、小笠原右近將監、右一人宛御太刀目録持參之、御敷居之内に置之、少將ハ内、侍從ハ外に而御禮、御盃頂戴之、呉服拜領之、呉服臺出之、〈少將ハ御敷居之内一疊目、侍從ハ外、東西へ長く置、〉是より四品之列、松平備後守、松平若狹守、松平出雲守、松平大和守、酒井雅樂頭、酒井左衞門尉、右一人宛御太刀目録持參之、御敷居之外ニ置之御禮、御敷居を隔而御盃頂戴之、呉服廣蓋にて拜領之、相濟而御銚子入、〈廣蓋ハ進物番大紋著用役之、是を假諸大夫と云ふ、御盃ハ四品以上五位以下御流頂戴之、〉
一大廊下御奏者並居、御太刀目録前ニ置之御禮、老中披露之
一大廣間公方様大納言様出御、御先立、〈老中役之〉此節老中西之御縁より御向を通り、御襖障子際ニ罷

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0664 在、御下段迄兩上様御一同に出御、此時御次之御襖障子老中披之、老中披露之、御次之間に御譜代衆、并外様萬石以上之内、交代寄合之出禮分、表高家、御留守居、大番頭、御書院番頭、御小性組番頭、其外諸大夫、法印法眼之醫師、〈奧醫師共〉布衣并若年寄支配之寄合、御書院番諸役人、大御番小十人組、且又西丸之面々、准御本丸一同に御禮三千石以上之分、御太刀目録前に置之、右相濟御襖障子閉之、重て兩上様御上段御著座被遊、御引渡〈御土器ハ組付〉御酌、御加、御前〈江〉被召上、御加無之、其御盃御銚子に載之、御中段之時御酌代り御酌御加、御酌御下段二疊目に扣有之時、御勝手より御銚子出之、二銚子ニ成、數之御土器出之、松平遠江守、松平和泉守を始め、譜大夫兩人宛、御流呉服頂戴、御勝手より又一銚子出て三銚子に成、萬石以上之諸大夫、若年寄、并御側衆、御留守居、大御番頭、兩番頭、其外萬石以下之諸大夫、法印法眼之醫師、御流呉服頂戴之、右畢而御銚子入、入御、御先立、
一入御以後於大廣間無官之高家出座、呉服廣蓋ニ而頂戴之、重而七銚子に成、布衣之面々、御流被之、九銚子にて寄合衆、御番衆、諸役人、御流被之、御同朋まで頂戴之、畢而二銚子板縁にて幸若彌三郞觀世大夫、右一同に罷出、御流頂戴之、御銚子入、
一御白書院御次之間、御小性組之面々並居、一同御禮、人見又兵衞、人見七郞左衞門、人見帶刀、人見又四郞、久志本左京、久志本式部、久志本民部、久志本内藏助、久志本隼人、後藤、本阿彌、狩野、呉服師、幸阿彌、御扶持被下諸職人、右並居御禮、御奏者番披露之
一八頭之御杉戸前、〈◯註略〉大友因幡守、畠山下總守、右御太刀目録前に置御禮、〈◯註略〉
一御黒書院御勝手之方、〈◯註略〉新御番組頭、表御右筆組頭、御膳奉行、新御番、奧御右筆、表御右筆並居、一同御禮、
一大廣間御流頂戴之内、御白書院御縁側にて、御役高家、寄合之高家、右一人宛呉服臺にて頂戴之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0665 一入御以後大廣間上之間にて、在國在邑之面々、名代之使者を以、御太刀目録獻上之、御奏者番請取納之、老中列座、 大納言様に獻上之御太刀目録も、御本丸〈江〉納之、
  二日
一御白書院公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言様〈御裝束〉出御、御先立〈老中役之、御太刀御劒、〉御上段御著座、御三家之嫡子方順々一人宛被出席御禮、御太刀目録老中披露之、直に御下段御左之方に著座、〈御太刀目録御奏者番引之〉年頭之御祝儀被申上之段、老中言上之、御盃御引渡御捨土器、右嫡子方〈江〉も引渡出之、御嫡子給仕御酌御加、御前〈江〉被召上御加有之、其御盃三方に載之、上より三疊目に御酌御扣有之時、右御嫡子方順々一人宛出座頂戴之、歸座之節、明三方引之、呉服臺出之、〈少さげて四疊目かけて東北ヘ長く置〉右畢而御銚子入、御引渡等引之、過而御禮上意有之、老中御取合、申上之退座、松平中務大輔、右御太刀目録持參之、御敷居之内に置之、外にて御禮御次之間迄退去、〈御太刀目録、御奏者番引之、〉呉服臺出ル、〈東西ヘ長置〉畢而出座頂戴之
一大廣間兩上様出御、御先立〈老中勤之、御太刀御劒、〉御上段御著座、松平陸奧守、松平大隅守、松平出羽守、松平信濃守、松平大膳大夫、松平安藝守、細川越中守、松平大炊頭、佐竹右京大夫、宗對馬守、松平筑前守、織田美濃守、上杉彈正大弼、松平土佐守、伊達遠江守、松平淡路守、右一人宛御太刀目録持參之、御下段御敷居之内に而御禮、直に御左之方に著座、〈御太刀目録、御奏者番引之、〉御引渡〈御土器組付〉御捨土器著座之面々〈江〉も引渡出之、御酌御加御前〈江〉被召上、御加無之、其御盃御銚子ニ載之、御中段四疊目ニ御酌扣有之時、著座之面々順々ニ一人宛出座頂戴之、歸座之節、呉服臺出、〈東西へ長く置、但中將ハ四疊目、少將ハ五疊目、侍從ハ六疊目置之、〉三人目頂戴之時、數之御土器出之、銘々御盃呉服頂戴之、畢而御銚子入、御引渡取之、數之御土器其儘置之、著座面々御禮相過て退出、重而御銚子出之、御酌御加、最前より御前に有之、數之御土器にて被召上、御加無之、其御盃を御銚子ニ載之、御下段上より三疊目に御酌扣有

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0666 時、松平丹波守、立花飛騨守、有馬中務大輔、右表大名之四品一人宛御太刀目録持參之、御下段御敷居之内に置て、其身は板縁にて御禮、御盃頂戴之、呉服廣蓋にて拜領之、畢而御銚子入、〈御太刀目録、御奏者番引之、〉
一喜連川右兵衞督御下段中央にて御禮、御太刀目録御奏者番持出之、御中段置之披露之、退座、於御次之間呉服臺にて拜領之、呉服臺出之、〈但老中御襖障子之方に出座有之、右兵衞督頂戴畢而、老中最前之席へ著座、〉
一御下段迄兩上様出御、此時御次之間之御襖障子老中開之、老中披露之、御次之間に外様万石以上之大名、表高家并諸大夫、若年寄支配之寄合、〈但三千石以上〉御番衆、何も三千石以上之分、御太刀目録前に置之、一同に御禮、御襖障子閉之、
一重而兩上様御上段御著座、御引渡〈御土器組付〉御酌御加、御前〈江〉被召上、御加無之、其御盃御銚子載之、御中段西之方より四疊目に御酌扣有之時、御酌代り御酌御加、御下段二疊目に御酌扣有之時、御勝手より一銚子出之、諸大夫兩人出座、御流并呉服頂戴之、又一銚子出之、三銚子に成、諸大夫相濟、御銚子入、過て入御、御先立、〈老中務之〉
一入御之後、表高家右出座、呉服廣蓋にて拜領之、重而七銚子に成、布衣以上の面々御流被之、九銚子に成て若年寄支配之寄合〈三千石以上〉御番衆御流被之、御銚子入、入御、御先立、
一御白書院御次之間、御代官、無官醫師、神道者、片山三七郞、連歌師、井關〈落縁〉諸職人、右進物前に置之、並居御禮、年頭之御祝儀申上候之段、御奏者番披露之
一山吹之間、總撿挍進物前に置之御禮、御奏者番披露之
一大廣間三之間にて、在國在邑之面々名代之使者を以、御太刀目録獻上之、御奏者番請取之之、老中列座、〈但西丸〈江〉獻上之御太刀目録も御本丸納之、〉
  三日

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 一御白書院兩上様、〈御長袴〉御先立、〈老中役之〉御刀、御上段御著座、幼少無官之大名、右一人宛御太刀目録持參之御禮、〈御奏者番引之〉
〈但國持及御連枝方之嫡子、或ハ家によりて掲禮、中少將之嫡子ハ、御太刀目録御敷居之内に置て、其身ハ外にて御禮、其餘ハ御太刀目録も外に置之、〉
右相濟而
一大廊下溜迄兩上様御一同出御、〈老中著座〉無官之面々三千石以上ハ、御太刀目録前に置之、小普請支配之三千石以上之諸大夫、并布衣其外之面々並居御禮、老中披露之、後座に榊原式部大輔家來原田權左衞門、奧平大膳大夫家來奧平修理、夏目勘解由、井伊伯耆守家來松下源左衞門、並居御奏者番披露之、〈◯中略〉御連歌之間北之御縁側通、岩松萬次郞、右進物前に置之御禮、御奏者番披露之、畢而入御、〈◯下略〉

〔要筺辨志〕

〈一年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0667 正月元日
一御家門方、御譜代大名、諸御役人、裝束ニ而六ツ半時出仕、御禮、
一三千石以上太刀目録獻上、大中納言、參議、中將、少將、曁侍從、四品、五位之諸大夫迄、時服二領宛賜之、
一御白書院御相伴、御三家様方御官位順御著座、御對顏御禮相濟候而、引續松平加賀守、松平越前守、松平因幡守御禮右同斷、御盃頂戴之、〈文化十四丑十月八日、松平越後守康孝五萬石御加増、十萬石被仰付、舊例ニ任セ年始元日著座、御相伴被仰付之、因幡守同様也、〉御酌高家肝煎、
右畢而御連枝方、溜詰〈并〉松平越後守、松平左兵衞督、松平淡路守、松平大和守、松平備後守、官位順出禮、御目見御盃被之、〈御酌高家、時服侍從以上者臺、其外者廣蓋、諸大夫之面々、法印法眼之御醫師迄賜之、〉
一大廣間松平和泉守、松平遠江守ヲ始、御譜代大名柳之間出座之分、交代寄合、表高家御役人不殘、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0668 寄合御番衆、幸若、觀世大夫、右御酌、中奧御小性、〈◯中奧御小性、一本作兩御番頭、〉
一外様出府之分、子寅辰午申戌出府、松平淡路守、松浦肥前守、仙石越前守、龜井隱岐守、秋月筑前守、土方大和守、大村上總介、堀大和守、一柳美濃守、
一同丑卯巳未酉亥出府之分、加藤遠江守、松平備後守、藤堂佐渡守、織田左衞門佐、大關土佐守、九鬼長門守、小出信濃守、久留島伊豫守、六郷阿波守、木下肥後守、片桐石見守、松浦織部正、一柳對馬守、新庄駿河守、伊東播磨守等、京都所司代在府之時者、御禮溜詰次席、
  同二日
一御三家様方之御嫡子、國主城主、外様大名、〈并〉喜連川左兵衞督、裝束に而、辰刻出仕御禮、御盃頂戴之
一三千石以上、太刀目録獻上、參議、中少將、曁侍從、四品、五位之諸大夫迄、時服二領宛賜之、
一御白書院、御三家様方御嫡子様方、御酌高家肝煎、
一於八頭之間、松平直之丞、但御盃不之、
一大廣間、國持大名外様衆、官位順、喜連川左兵衞督、諸大名、表高家、其外諸番頭、諸役人、御番衆、〈但御酌四品以上者高家、其外者中奧御小性、喜連川ニ者御盃不之、◯中略〉
一帝鑑之間著座、〈并〉雁之間詰御役人方、菊之間御縁頰詰出仕、元日之通、大坂御城代在府ニ候得者、當日御禮、
  同三日
一諸大夫息無官之輩長袴著、辰刻前出仕御禮、榊原式部大輔、奧平大膳大夫、井伊右京大夫家來、太刀目録獻上、御目見御禮、〈◯中略〉
一御連歌之間北於御縁頰、徳川之岩松滿次郞御目見御禮、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669   同六日
一寺社御禮裝束、辰之刻出仕、〈并〉八王子千人頭、〈◯中略〉上州之正田隼人、〈◯中略〉富士見御寶藏番〈并〉御天守番之頭組共、御目見御禮、
一富士見御寶藏番〈并〉御天守番共御禮式、寛政四卯年中、松平越中守定信御役中より被仰付之事、依之是を半席と云、

〔正寶事録〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 寛文五〈乙〉巳年
    覺
一明三日、御城様ヘ御年頭之御禮ニ上り申候衆中、勿論致月代を、上下を著し、明三日明六ツ前に、進物持參仕、追手大腰掛ケ迄可相詰候、尤毎年出不申衆者、堅無用たるべし、少も違背有間敷候、以上、
 巳正月二日   町年寄三人
附録、寛文十一年迄、同御文言にて有之、尤少々宛は違も有之候處、寛文十二〈子〉年より御文言改り候、

〔正寶事録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0669 寛文十二〈壬〉子年
    覺
一明三日、御城様〈江〉御年頭之御禮に上り候もの共、月代を致し、麻對之上下を著、明三日明六ツ前、御進物銘々持參仕、追手御大腰掛迄可相詰候、尤毎年出不申者共壹人も、堅無用ニ可仕候、勿論手代抔出候儀可無用候、縱雨降候とも可相詰事、
一近年者、子供〈并〉むざといたしたる者罷出候様相見〈江〉、殊之外猥に有之間、自今以後、左様之者壹人も罷出不申候様、其町々名主方より急度堅吟味可仕候、若於相背者、可越度候、以上、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670   子正月二日   町年寄 三人
右之通當年御文言改候、此前之御文言者、寛文五〈巳〉年ニ有之、延寶九酉年又改ル、

〔享保集成絲綸録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 延寶八申年十二月
    覺
一元日御本丸〈江〉出仕之面々、同日西丸〈江〉登城、太刀目録ハ三日午刻以前、以使者西丸〈江〉獻上之、但在國名代之使者長袴、在江戸之使者可半袴事、
一二日御本丸〈江〉出仕之面々、同日西丸〈江〉登城、太刀目録ハ四日巳刻、以使者西丸〈江〉獻上之事、
一三日御本丸〈江〉出仕之面々、同日西丸〈江〉登城、太刀目録ハ五日巳刻、以使者西丸〈江〉獻上之事、
一壹萬石以下三千石以上之面々、御本丸出仕、太刀目録獻上之輩、右之日限之通、以使者上之、中口より入、同朋部屋脇にて、奏者番之家來受取之、納使者可半袴事、
 但三千石以下之諸大夫、法印、法眼之面々も右同斷、
一總御番衆無官之醫師、〈并〉御扶持被下候町人等、西丸〈江〉六日七日兩度可出仕事、
   以上
  十二月
    覺
一紀伊殿、水戸殿、甲府殿、西丸〈江〉元日出仕、尾張中納言殿名代之使者同斷、何も太刀目録奏者番受取之事、
一御三家御息方、西丸〈江〉二日出仕、太刀目録ハ右同斷、
是より以下、元日二日三日、壹萬石以下三千石以上之面々、總御番等之文言前同斷、

〔享保集成絲綸録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0670 寶永三戌年十二月

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0671     覺
一來年始も、當年始之通、御本丸〈江〉登城之面々、西丸〈江〉も可罷出候、御太刀馬代も當春之通、御本丸御納戸〈江〉可相納候、
一年頭者三日より七日迄之内、右何れも不込合様、勝手次第可參候、但風烈之節者、年禮可無用候、〈◯中略〉
一前々も相觸候通、供之者大勢無之様可致候、
   以上
  十二月

〔享保集成絲綸録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0671 享保二酉年十二月
  御留守居支配寄合面々之覺
一三千石以上計、月次五節句登城可致候、其以下者、年始計可罷出候事、
一年始御禮にも、三千石以上計可罷出候、其以下者、罷出候儀無用候事、 但年始ニ三千石以下者、諸大夫布衣之面々にても、三日に長袴著之可罷出候事、
   以上
  十二月

〔寶暦集成絲綸録〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0671 延享元〈子〉年十二月
    覺
一年禮之儀、元日より七日迄之内、右何もへ勝手次第不込合様可參候、
  附風烈之節ハ、年禮可無用候、
一寺社之分も可前々之通候、〈并〉町人諸職人等も可同前候、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 右前々も相觸候通、供之者大勢無之様可致候、
  十二月
右御書付同文言にて、寶暦九年迄毎年十二月に至、御觸有之、

〔憲教類典〕

〈三ノ二御禮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 延享二〈乙〉丑年十二月廿八日
 正月朔日
一大御所様附、大納言様附、
右之趣、面々於西丸年始御目見可仰付候之間、御本丸〈江〉者二日ニ罷出、御禮可申上候事、 但御太刀差上候面々者、例年之通、御本丸〈江〉可相納候、〈◯中略〉
延享二〈乙〉丑年十二月晦日、中務大輔殿、伊與守殿御渡、大目附御目付へ、
正月朔日西丸之面々者、御本丸へ不罷出、正月二日不殘御禮罷出候筈ニ候、 但奧醫師も、西丸之分者、御本丸へ正月二日罷出、御流頂戴之事、
右之趣被心得、向々〈江〉も可申談置候、

〔天明集成絲綸録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0672 明和四〈亥〉年十二月
  大廣間御禮申上候面々之持參御太刀置所疊目
年始 中將〈御下段下より四疊目に置、三疊目にて御禮、〉 少將〈御下段下より三疊目に置、二疊目にて御禮、〉 侍從〈御下段下より二疊目に置、一疊目にて御禮、〉 四品〈御下段御敷居之内、一疊目に置之、板縁にて御禮、◯中略〉
右之通、大廣間にて御禮申上候面々、爲心得寄々可相達置候、
  十二月
明和五〈子〉年十二月
   大目付〈へ〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673      雁之間詰 菊之間 同縁頰詰
元日御禮只今迄於南拭縁、御禮申上候得共、向後大廣間、二之間、御譜代衆脇北之御襖ヘ附、御禮可申上候、
右之趣、雁之間詰、菊之間同縁頰詰〈へ〉可相達候、
 御流時服頂戴之節、外様と組合不申被出候様可致候、
右之趣、雁之間詰〈へ〉可達候、
  十二月
   大目付〈へ〉
     雁之間詰 菊之間 同縁頰詰
右元日御禮、向後大廣間、二之間、御譜代衆脇北之御襖〈へ〉附、御禮可仕候、御流時服頂戴之節、御譜代外様次〈へ〉雁之間詰御奏者番差出候節、御譜代外様兩人殘り候節、雁之間御奏者番不組合殘ハ、二人差出雁之間詰御奏者番と差出可申候、外様之内一人殘候節ハ、二人宛前に繰越差出、雁之間詰御奏者番と組合不申候様可差出候、嘉祥御菓子頂戴之節も、右之通可心得候、
  十二月
寶暦十二年十二月
  〈西丸へ年始〉出仕之覺
一御本丸〈へ〉登城之面々、其當日西丸〈へも〉出仕、謁奏者番退出、 但御太刀馬代ハ、御本丸御納戸〈へ〉納之、

〔家忠日記増補〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 天正二年正月一日、諸士遠州濱松の城に登て、大神君〈◯徳川家康〉に謁して、新正を祝す、

〔武徳大成記〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0673 五州ノ諸士歳初ヲ賀スル事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 天正十一年正月朔日、參河、遠江、駿河、甲斐、信濃、五州ノ諸士、濱松ノ城ニ入テ、神君及ビ秀忠公ニ拜謁シ奉リ、新正ヲ賀ス、

〔武江年表〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 天正十九年正月、關八州の諸家、歳首の御賀として、始て登城ありしと云、

〔家忠日記追加〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 文祿元年正月一日、群臣江戸の城に登て、大神君に謁し、新正を祝す、

〔家忠日記追加〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 慶長五年正月一日、列候以下大坂の城西の丸に登て、大神君に謁し、新正の賀儀を獻ず、秀頼大坂の城本丸に在り、例の如く朔旦より五日に至て、諸大名及び近習外様の面々城に登り、秀頼に謁して、各歳首を祝す、

〔慶長日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 慶長十四年二月四日丙辰、〈◯中略〉此頃關東衆駿府へ祗候、被年頭禮、又九州衆も去年不參間駿府へ下、有移徒禮〈并〉年頭禮、於駿府伊達政宗進物事、金子百枚、馬貳疋、脇指二腰、小夜物〈唐織緞子也〉拾、其外女房衆五人ニ金五枚宛被年頭、自女房衆萬事言上、男方ヨリ言上之事、大小共不成間、女房衆賄賂不勝計、又男人三四人へ銀五拾枚宛、

〔駿府政事録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 慶長十七年正月朔日丙申、巳刻出御前殿、〈御裝束白水干〉御劒高力河内守持之、越前少將忠直名代、御孫子、越後少將忠輝名代、幕下御舍弟本多上野介披露之、今日出仕輩大澤少將、松平河内守、松平和泉守、松平主殿頭、松平玄蕃頭、本多縫殿助康俊、水野日向守、戸田土佐守、〈◯中略〉各獻御太刀御馬、本多上野介、永井右近、西尾豐後守披露之、其外無官侍出仕之輩、不勝計、 二日、巳刻出御、〈◯中略〉今日出仕輩、西尾豐後守、遠藤但馬守、竹中丹後守重門、一柳監物、九鬼長門守、古田大膳大夫、稻葉右近大夫、谷出羽守、平野遠江守、長谷川縫殿助、日野入道唯心、水無瀬入道一齋、山名禪高、上杉黨、土岐黨、大島黨、高木黨、木曾黨、各御太刀御馬獻之、三日、國々諸大名、爲年頭之賀儀金銀御服獻之云云、

〔元寛日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0674 元和二年正月朔日、有年始之御禮卯刻將軍家秀忠公、江城黒書院有出御、御太刀御刀近

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0675 臣等役之、〈◯中略〉其後秀忠公白書院出御、御太刀御刀之役人右同斷、此時尾張國主參議從三位兼右近衞權中將義直卿御禮、太刀目録土井利勝披露、御座左ノ方ニ著座、駿遠國主參議從三位兼右近衞權中將頼直卿御禮、右同斷、御太刀森川出羽守重俊引之、常陸國守從四位下右近衞少將頼房卿御禮右同斷、何モ追次第著座、次ニ越前守護從三位中將忠直卿御禮、太刀目録酒井忠世披露ス、次ニ加賀守護小松少將利常、〈筑前守、後改肥前守、〉播州姫路城主、〈始備前岡山、因幡鳥取、又播州姫路、〉從四位下利隆、〈松平武藏守、池田三左衞門嫡子、〉太刀目録持參御禮、何モ著座御禮、御盃井上主計、御引渡水野監物、御捨土器森川出羽守勤之、著座面々ヘモ引渡出之、御給仕ノ役トシテ、義直卿ヘハ阿部備中守正次、頼宣卿ヘハ水野隼人正忠清、頼房卿ヘハ青山伯耆守忠俊、忠直卿ヘハ内藤若狹守重俊、前田利常ヘハ松平越中守定綱、池田利隆ヘハ新庄越前守直定等勤、御酌ハ井上主計頭、御加ハ水野監物、御前被召上御加、其御盃、載三峯、自上壇二疊目御酌扣有之時、尾張殿有出座頂戴、加ヘ有之、其盃御次間〈江〉被持退、于時酒井忠世取之、載三峯御酌ヘ渡ス、御前被召上時、義直卿有中座御禮、復座之時、呉服臺出之、掛三疊目、南北方ヘ長ク置、高力左近大夫忠房、山口但馬守重邦持出之、尾張殿出座頂戴之テ、其後御前御盃駿河殿頂戴、御作法右同斷、呉服臺松平出雲守乘高、松平石見守康安持出之、駿河殿出座頂戴、其後御前御盃載三峯、水戸殿頂戴、御作法右同、呉服臺水野備後守介長、松平豐前守勝茂持出之、頼房卿出座頂戴、其後御盃載三峯、三疊目ニ御酌扣有之時、數土器出之、御盃越前中將忠直卿、加無之、其盃持退時、明キ三峯引之、阿部備中守役之、呉服臺高木主水正正成、皆川山城守廣照持出之、掛四疊目之、忠直卿有中座頂戴、御前御盃載三峯、御銚子三疊目ニ扣有之時、前田利常有出座頂戴呉服臺出之、松平大隅守重利、植村帶刀康勝持出之、自右所少下テ置之、利常在出座頂戴、御作法右同、御前御盃載三峯、御銚子三疊目ニ扣有之時、池田利隆有出座頂戴、加無之、其盃持退、明三峯引之、森河出羽守役之、呉服臺出之、置所右同、堀市正利重、牧野内匠頭信成持出之、利隆有出座、順盃入御銚子、水野監

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0676 物御雜煮、井上主計頭吸物、著座面々エモ雜煮出之、御酌監物、御加主計頭、御前被召上御加、其御盃載三峯、最前席ニテ尾張殿頂戴、加有之、御次ノ間〈江〉被持退時、忠世取之御酌渡之、御前被召上、駿河殿〈江〉被之、有頂戴、被退時、忠世取之、御酌ヘ渡之、御前被召上、水戸殿被之、有頂戴、被退時ニ、明キ三峯引之、森川出羽守役之、其盃載手、越前忠直卿、前田利常、池田利隆順盃入御銚子、三獻御盃、主計頭御吸物、監物、御雜煮引之、著座之面々〈江〉モ吸物出御替雜煮、御酌主計頭、御加森川出羽守、御前被召上、御加有之、御盃載三峯、右ノ席ニテ尾張殿頂戴、御前被召上、駿河殿被之頂戴、御前被召上、水戸殿被之頂戴、復座之時、明三峯引之、監物役之、其盃載手、忠直卿、利常、利隆順盃入御銚子、御吸物引之、何モ退出、其後御譜代大名近臣侍從ノ輩、太刀目録持參、敷居ノ内ニ置之、御禮ノ時、御前被召上、御盃戴、御銚子自上六疊目、御酌扣有之時、松平伊與守忠昌出座、御盃頂戴、次ニ松平出羽守直政、松平甲斐守忠良、松平隱岐守定勝、酒井雅樂頭忠世、土井大炊頭利勝、安藤對馬守重信、永井信濃守尚政、青山大藏大輔幸成以下大勢、太刀目録持參、面々一人宛御禮、御盃并呉服頂戴、或ハ臺或ハ廣蓋出之、頂戴シテ退出ス、太刀目録ハ、何モ近習衆引之、右畢テ大廣間〈江〉出御、上壇ニ著御、此時雅樂頭開間ノ襖障子、敷居際御次間ニ御譜代大名、諸番頭、近習、外様諸大名、三千石以上之面々、法印法眼、太刀目録前置之、其外布衣并寄合、御書院番頭、諸役人、大番頭、扈從人組並居テ一同御禮、忠世披露畢テ御障子閉之、重テ御上壇ニ御著座、御引渡〈御肴組付〉主計頭、御酌監物御加御盃御前被召上、御加有之、御盃載御銚子、中壇西ノ方自下二疊目ニ扣有之時、代御銚子酌、下壇二疊目ニ扣有之時、數ノ土器出之、出羽守役之、松平和泉守家乘、〈大給ノ家、御一族上座、〉松平宮内少輔忠頼、〈初メ左馬允、櫻井家也、〉松平主殿頭忠利、〈深溝家也〉松平伊豆守信吉〈初メ勘四郞、藤井之家也、〉以下諸大夫面々賜御流、呉服廣蓋ニテ頂戴、自御勝手銚子出之、或二或三銚子、法印法眼御流呉服頂戴、畢入御銚子、主計頭、監物、出羽守、呉服頂戴〈是御役ニ依勤ル〉畢入御銚子、重テ五銚子出之、布衣諸役人御番衆御流頂戴、畢テ二銚子板縁下、桑名小八郞、次觀世大

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0677 夫、右御流戴之、入御銚子、亦入御之刻、大廊下久志本、并諸國高家有由緒面々並居テ御禮、御白書院次間ニ、御小性組面々並居テ一同御禮、御縁後藤本阿彌、狩野、御服所、其外御扶持人諸職人、其進物、面々前ニ置之御禮、阿部備中守披露之、〈御奏者役也〉白書院ノ溜、伏見勘四郞〈代々勘四郞云〉太刀目録前ニ置之御禮、黒書院御勝手方ニ、諸番頭、組頭、同組中御前奉行、御右筆並居一同ニ御禮、入御、廣間御禮過テ已後、白書院御縁頰ニ於テ、主計頭、監物、出羽守、〈當時此三人高家衆勤ル〉何モ廣蓋ニテ呉服頂戴、入御已後、大廣間三ノ間ニテ、在國ノ面々以名代之使者、太刀目録獻上、阿部備中守、青山伯耆守、内藤若狹守、水野隼人正、松平越中守、新庄越前守、高力左近大夫、山口但馬守、奏者番請取之之、老中列座也、於是元日御禮儀式事終、同晩景秀忠公、酒井忠世、土井利勝ヲ召テ、唯今迄於駿府江戸、正月元日二日御禮〈并〉三日御禮、〈◯中略〉五日六日寺社御禮、往々雖其儀式、次第混亂シテ放埒也、仍而自去年御吟味、御禮之儀式新被之、自今以後、御子孫於御代々、可定式之旨被仰出、 同二日、秀忠公大廣間〈江〉出御、御太刀御刀近臣役之、松平左衞門督忠繼、松平宮内少輔忠雄、嶋津兵庫頭義弘、淺野但馬守長晟、毛利長門守秀就、細川越中守忠興、〈後號三齋〉森右近大夫忠廣、蜂須賀阿波守至鎭、立花左近將監宗茂、〈後號立齋〉宗對馬守義成、鍋嶋信濃守勝茂、右一人宛太刀目録持參、下壇敷居際二疊目ニ而御禮、直ニ御左右ニ著座、太刀目録奏者番引之、御引渡〈三組之盃〉井上主計頭、御捨土器水野監物、御前被召上、御加有之、著座之面々〈江〉モ引渡足打ニ而出之、御盃載御銚子ニ、中壇四疊目ニ扣有之時、池田忠繼有出座頂戴、歸座之時、呉服臺出之、自上五疊目ニ東西〈江〉長ク置之、忠繼頂戴、次ニ池田忠雄御盃并呉服頂戴、御作法右同斷、嶋津義弘御盃頂戴之間、數之土器出之、森川出羽守役之、呉服、侍從ハ自少將少シ下テ置之、右順々頂戴シ畢テ入御銚子、御引渡シ引込之、數土器其儘置之、出御銚子、御酌監物、御加主計頭、最前ヨリ御前ニ有之、數土器被召上、御盃載御銚子、御酌扣有之時、佐竹右京大夫義宣、伊達遠江守秀宗、黒田筑前守長政、京極若狹守忠高、右一人宛太刀目録持參、下壇敷居之内ニ置之、其身

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0678 板縁ニ而御禮、則御盃頂戴有之時、呉服廣蓋ニ而拜領、畢而入御銚子、各退去、次ニ喜連川左衞門督〈足利左馬頭基氏末葉〉御禮、太刀目録忠世持參、中壇ニ置之披露、中央ニ而御禮、呉服臺ニ而於御次間拜領、右過而襖障子開之、敷居際ニ出御、諸大夫之面々太刀目録置前、一同御禮、重而御著座、御引渡〈土器加組付〉御銚子出之、御前被召上、御加有之、御盃載銚子、中壇西之方ニ而御酌代、御酌下壇之一疊目ニ有之時、諸大夫之面々一人宛出座、御流并呉服頂戴、此時御勝手ヨリ御銚子土器出之、二銚子御流被下、畢而入御銚子、次ニ畠山下總守、前田大和守豐孝、廣蓋ニテ呉服拜領、畢テ入御銚子、重而出之、御銚子御流被下、自大廣間入御之刻、大廊下無官醫師連歌師、進物置前御禮、白書院ニ御著座〈私曰、當時此所ニ而御三家之御公達御禮有、御盃呉服頂戴、〉之間、御襖障子開之、御次之間ニ御代官、〈樽代前置〉御前通ニ鈴木遠江、奈良大和、落縁ニ者諸職人並居而御禮、奏者番披露、入御以後、大廣間三ノ間ニ而在國在所大小名之名代之使者、太刀目録、奏者番請取納之、老中列座、大廣間〈江〉自出御以前、著烏帽子出テ座ス、落縁ニ者舞々、猿樂伺候ス、右參勤在國不定故ニ、御禮之儀式、出座之次第、年々少シ宛相違、是ハ大概此式可例年之式旨被仰出、 同三日、秀忠公辰刻白書院出御、御上壇ニ御著座、御刀近臣役之、國持大名息、無官之面面各一人宛、太刀目録持參御禮、太刀目録番頭引之、畢テ御廊下陷迄出御、無官大名、太刀目録前ニ置御禮、忠世披露ス、右之後座ニ、諸大名證人并井伊兵部少輔直好、松平式部大輔忠次、奧平美作守忠昌等ガ家老御禮、奏者番披露、 同六日、〈◯中略〉自元日六日迄御禮之儀式如右、是御當家御禮之格式被定者也、

〔東武實録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0678 寛永五年正月七日、加賀中納言利常、新正ノ賀儀トシテ、太刀一腰、馬代黄金三十兩ヲ獻ズルニ依テ、御内書ヲ利常ニ玉ル、是日豐前少將忠利〈細川越中守〉年始ノ賀儀トシテ、太刀馬代黄金十兩ヲ獻ズ、是ニ依テ奉書ヲ忠利ニ玉ル、 二月三日、松ノ丸〈太閤秀吉ノ室〉ヨリ年始ノ祝儀トシテ、呉服二ヲ獻ズ、是ニ依テ御内書ヲ玉ル、

〔元寛日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 寛永十九年正月朔日、諸御禮如例年、竹千代君二之御丸被御座、依之諸大名并旗本之健士、其外御本丸出仕之輩、悉二之御丸ヘ參上御目見故、例年ヨリ御城中賑ヒ群集、

〔寛永小説〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 家光公、〈◯中略〉正月無官之衆御禮之節、事畢て入御被遊、老中へ御尋被成候ハ、無官之内に織田右近〈山城守事〉在之かと御覽被成候、彌其通に候哉、左候はヾ留置候様にと上意に付、致僉議留置候處、信長より筋目之者、一同の御禮可請分ケにて無之候間、又御請直し可遊とて、わざと出御、右近計の御禮御請被成候由、

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 慶安三歳正月元日、御譜代大名松平越後守、松平相摸守、松平淡路守、藤堂大學頭、松平右京大夫、松平播磨守、松平刑部大輔、此外御旗本大名悉登城、然ドモ公方様〈◯徳川家光〉少シ依御腹中氣御目見、大納言様〈◯徳川家綱〉御表ヘ被成、今日太刀不納、 二日、國持大名出仕ス、御太刀ハ不納、三日、無官ノ證人出仕、無御目見、大納言様御表ヘ被成、御禮相濟、 廿八日、御譜代大名衆年頭ノ御禮相濟、國持衆ハ如例年一人宛、其外ハ總一同ニ御禮、御盃ハ何も頂戴無之、 廿九日、國持大名年頭ノ御禮、儀式如昨日、 二月四日、大納言様ヘ國持大名於二ノ丸御禮申上、年頭ノ儀式如例年、何モ太刀馬代ニテ御禮、 九日、無官ノ面々〈并〉證人之輩、今日年頭ノ御禮可之由ニテ、悉ク出仕スル處ニ、御禮相延退出ス、

〔續太平年表〕

〈十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0679 文久四年正月朔日、年頭之御禮、水戸殿御太刀目録を以被上之、紀伊殿徳川元千代殿より、名代之使者を以、御太刀目録被之、加賀中納言名代之使者を以、御太刀目録獻上之、其外萬石以上以下、法印法眼之醫師、布衣〈并〉若年寄支配之寄合、御太刀目録獻上之、御禮申上、於席席老中、在國在邑病氣幼少之面々より、名代之使者を以、御太刀目録獻上之、於御玄關御奏者番家來請取之、 同五日、備前守殿御渡御書付、明後七日當日之御禮、〈并〉隱居之面々、年頭之御禮、老中謁候事、但四時揃ニ候事、隱居之面々、在邑〈并〉病氣之者、年頭御太刀馬代獻上之義者、田安假御殿御

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 玄關ヘ以使者差出候、尤御間狹之儀にも有之候間、官位家格等ニ不拘、來掛リ次第、御奏者番家來ヘ相渡候様可致候事、和宮様、天障院様〈江〉獻上物之儀も、檜之間替席において、御留守居謁候筈ニ候事、右之趣可相觸候事、 同六日、御覺書、年始御太刀馬代、差合等に而後れ獻上之面々、田安殿假御殿御玄關〈江〉使者を以差出、御奏者番家來〈江〉相渡候之様可申渡候、尤差出候日限之義者、御奏者番ヘ可承合候、右之趣、萬石以上之面々〈江〉可相達候事、右之通、大目付御目付ヘ相達候間、可其意候事、

〔瀬田問答〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 一來午年〈◯天明六年〉元日日蝕なりと承る、公にて御禮有之候哉、いかヾ、
答、來午正月元日日蝕皆旣、午の一刻西の方よりかけ初め、午の六刻甚しく、未の二刻南の方に終る、如斯に候得者、御禮明〈ケ〉七ツ時より始り、蝕以前退散の事と被存候、
正月元日日蝕の例 元祿五〈壬〉申年 未申の時蝕七分半 同十四〈辛〉卯年 卯辰の時蝕八分半 享保四〈己〉亥年 酉の時蝕二分 明和四〈丁〉亥年 未の八刻より申の刻迄
斯に候、右の内元祿十四年の蝕、御禮刻限に候、其節も蝕終りて辰の中刻より御表〈江〉出御、右の外は皆御禮之刻限の外也、右の趣を以相考候得者、蝕の内は迚も出御は無之、來春も蝕以前御禮相濟候様、未明より御禮始り候事と被存候、

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 正月元日 但元旦朝蝕之時者刻限早ク出仕、天明六丙午年蝕之時、曉七ツ時前出仕、六ツ時退出、

〔類例略要集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0680 日蝕ニ付御禮出御有之御刻限
天明六午年正月元日辰刻皆旣ニ付、御禮御引上六ツ時、
文政十三寅年正月元日三分〈辰二刻より巳二刻迄〉御禮午后刻
 但享保の例を以、去年中暦師共より内伺有之、暦〈江〉不之、諸向都而知者無之、

〔柳營年中行事〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 正月四日
一年始三ケ日御規式、并御謠初相濟而、爲御祝儀御三家方、且御嫡子よりも、使者被出之、於躑躅之間、月番老中謁之、

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 正月十三日
一年始御規式向相濟候爲御祝儀、諸家方より、御城或者月番御老中宅抔へ、以使者申上候事、

〔玉露叢〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 延寶三年分ノ參勤御暇ノ扣上
一同〈◯正月二十三日〉ニ尾張殿ヨリ年始ノ諸御禮、首尾ヨク相濟ニ付テ、使者安東甚左衞門ヲ指上ラル、
一同廿九日ニ、右ノ使者安東甚左衞門御暇ニ付テ、時服ニ羽織ヲ玉フ、

寺社參賀

〔東山殿年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0681 八日、將軍家〈御裝束同上、◯元日ノ裝束ニ同ジ、〉出御于對面所、〈◯中略〉當番申次出于先座、〈◯中略〉法中ト披露シテ而後、北野松梅院、妙藏院、密乘院、寶成院、常際院、常光院、清水寺之慈心院、一人宛拜台顏、至是殿上人亦出于先席、護持僧達ト言上シテ、入于閾内御障子退刻、〈◯中略〉住心院若王子一人宛御禮、各暫著座有御加持、退去、〈(中略)住心院若王子者無御送、今日出仕ノ法中衆、皆殿上人披露ノ事モアリ、殿上人不參ノ時ハ、申次勤之、殿上人勤役ノ節ハ、御供衆申次ハ西御縁脇ニ伺公云々、〉八幡善法寺、同社務因幡堂執行等、獻御香水、不出御前後於奧方女中披露之、則有御頂戴云々、 正月十一日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、〈◯中略〉次造宮司進上之卷數申次持出於先席披露之刻、御前ヘ持參、御頂戴之後持退時、造宮司奉賀之、次蔭凉軒出于先所、長老達ト言上シテ、入于閾内西御障子砌、御相伴之長老達一同出席御目見、退去之節御縁迄御送、 正月十三日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、御供衆申次御目見如常、當番申次出于閾際、賀茂輩ト披露シテ退砌、社人一人宛御禮、過而又法中ト披露シテ後、岩倉衆、眞乘院、本初院、順々奉賀之、至是申次出于前所、日吉ト言上シテ入于閾内西御障子、御縁ニ蹲踞スル時、出于庭上台顏、 正月十六日、將軍家〈御裝束同上〉出御于御對面所、御供衆申次御目見如常、當番申次出于閾際、律家法中ト一同ニ披露而後、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0682 〈速成就院、法勝寺、元應寺、妙行寺、善福寺、神護寺、泉涌寺、智恩寺、〉一人宛出座奉賀之、畢而申次出于先席、定泉正實ト披露而退時、御太刀〈糸卷〉定泉持參置于閾内、外ニ居而拜賀之、正實御禮獻物作法同前、申次又出于先所、事畢之由言上之、則入御于常御所、〈自然淨土宗智恩院ナド參上ノ事アリ、別ニハ無披露、又別ニ法中ト披露スル事モアリ、速成就院事、東山太子堂別當也、定泉坊正實坊事、御倉法師ナリ、不披露儀ト云ドモ、年始又ハ御太刀獻之時ハ披露アリト云々、〉 正月十七日、將軍家〈御裝束同先〉出御于御對面所、御供衆申次御禮如例、當番申次出于閾際、善法寺ト披露シテ、入于閾内西御障子、出于御縁、可出座之旨達之而後、御太刀〈金覆輪〉持參入于閾内賀之、退去之後、申次出于御縁閾際、事畢之由言上之、則入御于常御所、〈善法寺事、東衆ノ雖列、限今日テ、加西衆出座ナリ、御太刀獻上モ近例云々、◯中略〉今朝從善法寺、獻鮮鯛二十、於奧方露之、 正月十九日、早朝從八幡善法寺、以雜掌幣帛〈幣串三尺餘〉伊勢名字於庭上之、雜掌退于塀重門外砌、將軍家〈御裝束同上〉出御于御表、御立于庭中筵上、至是伊勢守獻御幣、則被之、向南被三拜而後、御幣賜于先役人時、塀重門之外ニ持出、渡于彼雜掌、旣而著御于御對面所、獻三土器、〈載四方〉御盃不殘被召上、御銚子入退四方、於是申次出于閾際、日吉樹下ト披露シテ退刻、樹下御禮、退去之後、申次出于先座、事畢之由言上之、則入御于常御所、 正月廿日、將軍家〈御裝束同右〉出御于御對面所、御供衆申次御禮如例、當番申次出于閾際、山徒樂人ト披露シテ後、山門衆徒御太刀〈糸卷〉一振持參置于閾内、外居ニテ御禮、次行者一人宛出座拜賀之、次使節〈月輪院、上林坊、護正院、杉生坊、乘蓮坊、最勝坊、福泉坊、圓明坊、〉一人宛奉賀之、次伶人〈豐筑後守、山井安藝守、同佐渡守、異本曰、一山徒使節ノ事、杉生坊、圓明、竹泉、護院、上林院、西林院、月輪院、金輪院、南岸、養乘連、山徒ノ内使節是也、山門ノ儀ニツキテ、御使ナド被仰付儀也、一樂人ノ事、豐筑後、山井安藝、同筑前、凡此等也、豐筑後ハ、公方様ノ笙ノ御師範ニテ候、〉一列出テ拜台顏、然後申次出于先所、四條上人ト披露之、退時、出座御禮、畢而右三人之行者一同ニ出席、有御加持云々、〈山徒トハ總名也、衆徒トハ行者ノ事也、仍山徒、樂人ト一同ニ披露ス、行者御加持ノ事、應仁亂以後ノ事也、御加持ノ儀、御對面以前ニ、申次以女中言上トノ義也、或曰、四條上人ハ衆徒ヨリ前ニ出座ノ事モアリ、亦樂人ノ前ニ出席ノ時モ有ト云々、其節ハ山徒樂人ト一同ニ披露者如何ナリ、亦衆徒不參ノ時ハ、山徒樂人ト披露ハ不宜、以内々言上トノ御沙汰アリ、四條上人ノ義、去十二日ニ參賀ノ事モアリ、異本ニ、蓮養坊、金輪院、南岸坊、西林坊使節ノ列ニアリ、〉 正月廿三日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、御供衆申次御禮如常、當番申次出于閾際、七條ノ聖ト披露而後、上人

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 出座奉賀之、畢而入御于常御所

〔長祿年中御對面記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 正月八日 一護持僧、法中、泰清評定衆、御對面之次第、〈◯中略〉其後東より參法中、其次護持僧以下、是ハ西之衆也、御加持在之、西之衆をば殿上人被申次也、〈◯中略〉 一因幡堂執行、一重被之、 一評定衆〈并〉小野寶成院、御太刀被之、 十日 一法中參賀 十一日 一長老達法中少々、造宮司、眞木嶋も參也、御對面之次第は、一番に眞木嶋、其次造宮司と申入て、御祓申次持參申、御頂戴有て、則造宮司懸御目、其後法中也、先々は南都衆數多在之、大乘院、一乘院、長老達は、蔭凉軒被申次なり、猶一番也、 一造宮司、一重被之、 十三日 一賀茂輩、眞性(岩倉)院同本初院參賀、日吉も參也、 一御對面次第は、賀茂輩、其次岩倉衆、其後日吉と申入て、於庭上御目、〈◯中略〉 一岩倉衆、賀茂御師、日吉、各一重宛被之、 十六日 一律家法中〈少々〉參賀、御太刀〈絲〉二定白水正實進上之、下鴨輩も今日參賀と存候、 十七日 一善法寺參賀、年始は西より參也、三重又は二重拜領也、十九日 一日吉樹下參賀、一重被之、 廿日 一山徒樂人出仕、御太刀〈絲〉山門執當進上之、御對面次第は、一番ニ執當、其次御加持衆、其次使節以下、其後樂人也、〈執當一重被之、次使節并樂人御太刀被下、〉 廿三日 一春日御師參賀、廿二日にも參也、一重被之、〈◯中略〉 二月朔日〈◯中略〉 一臨時に御禮申上輩有之時は、さだまれる御對面已後申入候也、〈◯中略〉 一年始に御練貫以下各拜領之事は、一亂已前之由、

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0683 應仁亂以前、正月各御ねりぬき拜領之事、伊勢同苗役之、〈◯中略〉 八日 一聖護院殿へ〈五重此外在之、〉三寶院殿へ〈五重、〉實相院殿へ〈五重、〉引合、因幡堂執行〈一重、〉 十一日 一造宮司〈一重〉 十三日 一岩倉衆〈一重、〉賀茂御師〈一重、〉日吉〈一重、〉 十七日〈◯中略〉 一善法寺〈三重、又ハ二重、〉 十九日 一日吉樹下〈一重〉 廿日 一山門執當〈一重〉 使節、樂人御太刀〈金〉被之、 廿三日 一春日御師〈一重、〉但廿二日にも參也、〈◯中略〉
  年中御對面〈并〉雜事少々

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 正月一日〈◯中略〉 一唐納豆二箱、大福田寺日不定 一御こきのこ臺にすわる也、光雲寺進上之日失念也、 四日〈◯中略〉 一御守、御餅、御守、祇園執行進上也、 八日 一護持僧、〈◯中略〉因幡堂執行小野寶成院已下法中少々參賀、〈◯中略〉 一久喜 神護寺進上之 一梅漬一桶 三寶院殿より參〈◯中略〉 一護持僧事〈◯中略〉 毘沙門堂、隨心院、尊勝院、上乘院、〈號岡崎〉理性院 十日〈◯中略〉 一青海苔一折、蒟蒻一折、扣牛蒡一折、若王子進上之、 十一日 一御對面次第は、一番眞木嶋、次造宮司、次法中、是は盛富説也、 一長老達法中參賀、伊勢祭主、造宮司、眞木嶋出仕、 一御對面次第ハ、一番に長老達、是は蔭凉軒申被次候て、西より一列被參候也、次東より伊勢祭主と申入て、御祓を御頂戴有て、祭主懸御目、次眞木嶋掛御目、法中被御目也、〈◯中略〉 一五山之長老は必おくり御申也、紫衣にて候はねども、長老にて候へば、必おくり御申也、又會下の長老、念佛之長老などは、紫衣にて候得共、おくり御申無之、〈◯中略〉 一先々は、大乘院、一乘院以下、南都衆數多在之、是は盛富説也、因幡守説同之、十二日 一御室青蓮院御參、法中少々〈◯中略〉出仕、〈◯中略〉 一久喜 法金剛院より進上之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006504ff.gif 驢嘶餘〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006504ff.gif 驢嘶餘

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 一寺家年頭ニ武家御所ヘ參ル時ハ、裏衣ニ白綾平絹ヲ裏付タルヲ重ネニシ、生絹ノ大口ヲ著テ、五條ノ袈裟ヲカク、塗輿ツカヒ小者伴ニ中方裏衣ロクロ袴ノ衆多シ、其アト若黨中間アリ、御太刀進上、奏者大館左衞門大夫、被物一重賜也、同比丘尼御所ヘ被參也、 一被物一重トハ、綾小袖、或練貫一重ノ事ゾ、祿物金銀等也、〈末法橋凡僧ハ、ウス袈裟トテ、平絹ノ裏ノナキ袈裟ナリ、◯中略〉

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0684 六番 左 寺社參賀
春をしる聲はかはらじ神のます鳥ゐのからす法の山鳩〈◯中略〉
寺社の參賀は正月六日也、兩御所御風折烏帽子御直垂〈御所ハ薄色、西御所ハ赤色、〉各ひたヽれ狩衣大紋を著す、白木書院にして増上寺大僧正をはじめ、獨禮の寺院、山王の宮司など出て、ことほぎをのぶ、後大廣間に渡御ありて、諸國の寺社山伏等の拜賀を受らる、

〔甲子夜話〕

〈五十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 正月六日衆僧御禮、寺社ノ年頭御禮ハ、例年正月六日大廣間ニテアリ、出禮ノ僧ニ聞クニ、獨禮格ノ寺社ハ、一人ヅヽ、著坐ナレバ、勿論次第アリテ混ゼザレド、總禮ノ者ハ〈各獻上モノ有リ、扇箱等ヲ自ヲ持出ルトゾ、〉一同著坐シテ禮伏ノコトユヱ、淨土、眞言、諸禪、法華、門徒、其餘宗社人山伏マデ、先ニ進タル者前坐シテ、僧祝數百、混雜ナリトゾ、ソノ中西ノ久保光明寺〈法華宗〉ハ例年梅ノ鉢植ヲ獻上スレバ、此物上覽ノタメ御下段御襖ノ外、二ノ間御鋪居際ニ置ク、其右ニ本庄華嚴寺〈淨土宗〉折枝ノ梅ヲ獻上シテ置ク、其左ニ谷中天龍院〈禪宗〉コレモ亦折枝ノ梅ヲ上ル、依テコノ三僧ハ例年獻上モノヽ爲ニ總禮ノ上坐ヲスルトゾ、又コノ日ノコトヽヨ、徳庿ノ御時カ、奏者番披露スルト、僧一人御柱ヨリ上リ、鴨居ニ釣下リテ、尊容ヲ望タリトゾ、諸人群囂ノ状想フベシ、

〔柳營年中行事〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 二月朔日
〈御太刀銀馬代三束二卷杉原金蘭〉日光御門跡、右被出席、於御上段年頭之御禮、御太刀目録高家披露之則引之、御右之方ニ被著座、御對顏辱之旨老中言上之、上意有之、老中御取合被退去、此節御下段迄御送り、但御太刀目録御上段下より二疊目ニ置之、進物ハ御下段上より二疊目ニ置之、中奧御小性役之、右畢而從御帳臺御褥御側衆持出敷之、御刀掛出之、但毘沙門堂御門跡御禮在時ハ、杉原二束金蘭壹卷指上之、御太刀銀馬代、青蓮院御門跡使者、御太刀銀馬代、隨心院宮使者、〈御太刀銀馬代御薫物壹箱〉妙法院御門跡使者、右壹人宛罷出御目見、年頭之御禮、御太刀目録高家披露之則引之、

〔柳營秘鑑〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0685 享保年中行事之略 正月六日寺社御禮
一御白書院、公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言様〈御裝束〉出御先立、〈老中勤之、御太刀御劒、〉御上段御著座、〈三束二卷〉増上寺大僧正、 右出座御奏者番披露之、於御下段年頭之御禮申上、直ニ御右之方著座、進物ハ御下段下より二疊目に置之、〈進物番役之〉 〈一束一卷〉 〈小石川〉傳通院 上同〈新田〉大光院 右同〈飯沼〉弘經寺 右同〈西久保〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0686 天徳寺 右同〈淺草〉誓願寺 右一人宛罷出、於御下段年頭之御禮、披露同然、進物ハ御下段下より一疊目に置之、〈進物番役之〉 〈一束一本〉 〈増上寺御佛殿〉別當不殘 上同〈西久保〉大養寺 右同〈深川〉本誓寺 右同〈増上寺御佛殿〉役者 右同〈増上寺〉一臈 右同〈増上寺〉役者 右罷出進物持參之、於御疊縁年頭之御禮、披露同然、進物ハ進物番引之、過而増上寺〈江〉上意有之、老中御挨拶退去、 〈二束二卷〉金地院 〈三束二卷〉護持院僧正 〈一束一本〉 〈品川〉東海寺 上同〈池上〉本門寺 右一人宛罷出、於御下段年頭之御禮、披露同然、但進物ハ御下段下より二疊目ニ置之、〈進物番役之〉 〈三束二卷〉護國寺 〈一束一本〉 〈淺草〉大護院 〈一束一本〉 〈湯島〉靈雲寺 右一人宛罷出、於御疊縁年頭之御禮、披露同然、進物ハ御敷居之外、一疊目ニ置之、〈進物番役之〉
一大廣間、兩上様渡御、御先立〈老中役之〉御上段御著座、獨禮之寺社山伏、右最前より御下段上より二疊目に進物置之列座、社人山伏等後座板縁に群居、一同に年頭之御禮、御奏者番披露之、畢而御帳臺〈江〉入御被成、老中最前より御下段左右に伺公、寺社奉行退散、布衣之輩進物等引之、相濟て御帳臺より出御、御次之御襖障子老中披之、御敷居際出御、御次之間寺社山伏、右四疊目より進物前に置之、三之間并御車寄南之方板縁迄群居、一同奉之台顏、年頭之御禮、御奏者番披露之、畢而入御御先立、
一入御之節、御白書院御次御疊縁、 八王子千人頭 〈鞍打〉伊勢 〈上同〉因幡 〈長熨斗蚫〉春木大夫(伊勢御師) 〈上同〉山本大夫 〈一束一本〉 〈上州徳川〉滿徳寺 〈金壹兩〉庄田隼人(上州徳川百姓) 右進物前に置之、一同に御禮、御奏者番披露之
一十五日、〈◯中略〉今日山王別當、同樹下民部、根津別當、同神主、神田明神之神主、氷川別當、其外駿河寶臺院、遠州可睡齋參州觀音寺、足利學校、高野山、在府之院家等、年頭之御禮、且又遠國之寺社御次一同に年頭之御禮有之、〈◯中略〉
  二月

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 一朔日〈◯中略〉山門總代、日光山總代、凌雲院大僧正(兼越後國要禪寺) 傳法院僧正(淺草) 喜多院權僧正(武州仙波) 信解院權僧正 長樂寺權僧正(上州世良田) 惠應院(目黒龍泉寺) 覺王院(目黒) 自證院(四ツ谷) 覺樹院(兼水戸御宮別當吉祥院) 右一人宛罷出、年頭之御禮、御奏者番披露之
〈但山門總代、日光總代、并僧正之進物ハ、御敷居之内二疊目置之、中奧御小性役之、其餘ハ御敷居之外二疊目置之、進物番役之、山門日光總代ハ三束一卷、僧正ハ一束一卷、其外一束一卷也、〉
御宮別當(上野) 御佛殿別當(同所) 徳音院(久能山) 松高院(鳳來寺) 保福寺(千駄木) 青龍院(瀧山御宮御別當) 感應寺(谷中) 右進物持參之、六七人宛罷出、年頭之御禮、御奏者番披露之、進物ハ進物番引之、過而御間之御襖障子老中披之、敷居際に立御、此節御次之間、東叡山總中、遠國之寺院、紅葉山別當、〈日光山東叡山〉社家共、 家老(日光御門主) 山口圖書(日光御目代) 田村權右衞門(東叡山目代)、樂人共、 右之輩進物前に置之列座、一同に平伏、年頭之御禮、御奏者番披露之、右相濟而入御、〈御先立〉

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 此月、神人僧徒、其外勤公用之輩、或連歌師、〈◯中略〉各爲年始東武

〔官中秘策〕

〈十六年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 一正月六日寺社御禮〈◯中略〉
一當日寺社御禮之由來者、神君御父廣忠公、天文十八年己酉六日逝去し給ふ、時に御年二十四歳にて、大樹寺に奉葬、瑞雲院殿應政道幹大居士と奉稱而、六日は御忌日たるによりて、諸出家年始を賀する日と定め玉ふとぞ、

〔徳川禁令考〕

〈四十二僧侶作法〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 慶安五辰年正月七日
  寺社之輩參來之定
    定
一年頭〈并〉御祝儀等之節、關東中此書立十ケ國、武州、相州、豆州、上州、野州、上總、下總、常州、房州、甲州寺社之輩、自前々參來、寺社領貳拾石以下ハ、自今以後不參府、縱雖貳拾石已上、自此跡

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 參來輩ハ、不參來事、
一寺社領貳拾石以下、又者領知雖之、由緒有之〈而〉、雖例年參府致來輩、向後ハ寺社奉行〈江〉相窺之、可其指圖、縱唯今迄毎年雖參來、由緒無之寺社之輩ハ、二年三年一度宛可參來事、
一從遠國〈右十ケ國外爲遠國也〉年頭〈并〉御祝儀之節、寺社之輩、雖參來、寺社領五拾石以下ハ、自今以後不參府、縱雖五拾石以上、自此跡參來輩ハ可無用、但子細於之ハ、寺社奉行〈江〉伺申之參府事、寺社領五十石以下、又領知無之、由緒有之而、雖例年參府致來輩、向後ハ寺社奉行〈江〉相伺之、可其指圖、縱唯今迄毎年雖參來、由緒無之寺社之輩ハ、或二年或三年一度可參來事、
  慶安五年正月七日     豐後守〈◯以下連署姓名略〉

〔教令類纂〕

〈初集九十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 元祿十六癸未年十一月
    覺
一御年禮ニ罷出候遠國之寺社山伏、毎年致出府候〈而〉ハ、人により可難儀候間、向後ハ只今迄毎年罷出候分ハ隔年、隔年に罷出候ものハ、二三年に一度ヅヽ出府可然との旨、御老中被仰聞候に付、右之通、來年始より相心得候様に、向寄次第可相通旨、觸頭共〈江〉申聞候、准右參府之年數可相延之旨、御料之面々〈江〉被觸知候様に、御代官衆〈江〉御通じ可下候、以上、
斯寺社奉行衆より書付被相渡候付寫遣候、御代官所之寺社山伏〈江〉可申通候、右文言之内聞合度儀候ハヾ、寺方ハ觸頭、社人ハ其支配支配〈江〉聞合候様ニ可申渡候、以上、
  未十一月
   總御代官中〈江〉觸

〔大成令〕

〈四十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 享保十六亥年十一月
  諸國寺社山伏、來〈子〉年より御年禮に罷出候定、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 一當〈亥〉春迄毎年罷出候分、向後三年目可罷出候、
一隔年ニ罷出候分、向後四年目、
一三年目ニ罷出候分、向後五年目、
一四年五年六年目ニ罷出候分、向後七年目、
一七年目より相延候分ハ、當春迄通、 但當春迄年々罷出候年より之積を以、向後御定之通可罷出候、
一江戸より貳拾里四方、只今迄之通可罷出候、且又寺院總代并代僧神主社家等、名代を以御札等差上來候分ハ、只今迄之通可相心得候、
右之通、御料ハ御代官、私領ハ領主〈并〉地頭より可申付候、承合候儀有之候ハヾ、寺社奉行へ可談候、以上、
  十一月
右之趣可相觸

〔空華日工集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 永徳二年正月十六日、〈◯中略〉余與僧録大清下府、〈◯足利義滿〉府君出接、略賀而退、人事銀劒一腰、杉紙十力、〈◯中略〉就于管領宅賀歳、人事青磁爐瓶一襲十力、時令弟將作在焉、次過赤松宅、他之不面、 十七日、大御所、次大方殿、次無等局賀歳、

〔梵舜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 慶長八年正月十六日癸酉、伏見〈◯徳川家康〉へ諸家御禮、二位卿爲名代權少輔太刀折紙、予杉原十帖、扇〈二本〉令持參也、

〔駿府政事録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 慶長十八年正月二日、〈◯中略〉醫者衆、法印法眼、御太刀持參、 六日、奧之御書院、金地院崇傳御目見、増上寺觀智國師、使僧廓山上人、其外天臺、眞言、淨土、法華御禮、伊勢内宮、外宮、三社人等御禮、諸社人等御禮、

〔元寛日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 元和二年正月朔日、晩景秀忠公、酒井忠世、土井利勝ヲ召テ、唯今迄駿府江戸正月〈◯中略〉五日六日寺社御禮、往々雖其法式、次第混亂シテ放埒也、仍テ自去年御吟味、御禮之儀式新被之、自今以後、御子孫於御代々、可定式之旨被仰出、 同五日、秀忠公被御長袴、白書院御著座、叡山諸院或ハ權僧正ノ面々、淺草寺〈知樂院〉山王現今之社家、日吉大膳、別當最教院等獨禮、其外諸院并今小路民部卿中里等ハ總禮、 同六日、秀忠公御裝束、白書院御上段ニ御著座、増上寺御禮、御右ノ方下段ニ著座、次ニ傳通院、大光院兩人一人宛御禮、誓願寺、本誓寺、大養寺、并増上寺ノ役者二人、右進物持參一同ニ御禮、其後大廣間ヱ出御、上段ニ御著座、獨禮ノ諸出家退出、于時下壇之御障子開之、下壇ニ御立座、諸出家諸神主一同御禮、入御之時、御白書院御次之間、上野新田庄徳川萬徳寺、〈比丘尼寺〉并其所古來之地下人知行作取自家康公仰付タル輩、御縁頰ニ蹲踞シテ御禮、又伊勢某、千人頭、右進物前ニ置一同ニ御禮、右同座之御納戸構杉戸ノ際ニテ御禮スル有輩、然ドモ其人不定、其後入御、自元日六日迄御禮之儀式如右、是御當家御禮ノ格式被定所也、 七日、〈◯中略〉其外京都五山、鎌倉五山、并總録司等御禮、或名代御目見ノ次第坐位等事、昔足利義滿將軍之時、所定置以定式ト被仰定

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 寛永八歳正月六日、御膳過出御、巳上刻御長袴御廣間、當年御小廣間御禮無之、増上寺依住持也、傳通院、蓮馨寺、大念寺、新知恩寺、弘經寺、大善寺、淨國寺、結城弘經寺、是ヨリ二箇寺宛、天台、眞言、禪宗、日蓮宗、時宗、山伏、社家、外宮長官、御祓上段、則御床ニ置、内宮長官同上、山田三方進物下段、何も諸大夫役之、内宮總中、山崎八幡、已下略之、 二月朔日、南光坊大僧正御禮進物、〈酒井下總守、本多美作守役之、◯中略〉山門總中〈并〉天台ノ出家數十人、〈付〉信州ノ八幡神主何モ御禮、披露酒井阿波守、進物御書院番衆役之、

〔東武實録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 寛永九年正月六日、例年今日神社ノ輩御禮タリト云ドモ、御不豫〈◯西城ナル徳川秀忠ナリ〉ニ依テ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 出仕ナシ、 同二十二日、御小廣間ニ於テ、大僧正天海毘沙門堂御禮、各三束一卷ヲ獻ズ、榊原大内記照久御禮、太刀目録、大僧正伴僧十餘輩獻物ヲ捧ゲ、御縁ニ於テ一同ニ御禮、〈◯中略〉伊勢〈内宮外宮〉兩長官御祓熨斗ヲ獻ズ、御祓ハ御上段ニ是ヲ置ク、山田三方内宮總中御祓ヲ獻ズ、右同所ニ是ヲ置ク、山崎八幡總中御札菖蒲革五枚ヲ捧テ御禮、御札ハ右同所ニ是ヲ置ク、是日江戸町人御禮、

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 正保二歳正月六日、諸出家社人山伏等有御目見、獨禮ノ衆御目見畢テ、公方様出御ノ砌、諸出家社人等悉ク奉拜トテ立騷ギ、不作法タルノ間、當年ハ作法正シキ様ニ、兼テ可申渡ノ旨依上意、兼日ヨリ廻状ヲ以、寺社奉行衆ヨリ本寺本社ヘ相觸ル、今日又安藤右京亮、松平出羽守并ニ御目付ノ衆立替リツヽ、出御ノ前ニ相斷ル、然處ニ今日モ又出御ノ砌後ロナル出家立騷デ、寺社奉行ノ下知ヲ不用、御目付ノ衆トモニ立騷テ下知スレドモ不聞入、入御ノ后漸ク靜ル、御機嫌如何ト案ズル處ニ、別ニ仰出サレモナシ、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 寛文改之 年中行事上附天和二年之追加
年頭叙禮 正月三日御禮略〈◯中略〉
一正月六日、増上寺方丈御禮也、御白書院上段著御、酒井河内守披露也、三束二卷進上、進物番衆捧出之、但著大紋、置所圍之内三疊目也、方丈ハ二疊目著座、門流之衆僧御目見之内歸座、畢而退座也、 小石川傳通院、新田大光院一束一卷ヅヽ進上之、同人披露之、右三箇寺者定紫衣之所也歟、 寶松院(台徳院様御佛殿別當) 最勝院(崇源院様御佛殿別當) 大養寺 天徳寺(西久保) 誓願寺 本願寺(伯樂町) 増上寺役者兩僧 東海寺輪番僧 右一束一本ヅヽサヽゲ御禮也、奏者以番衆露之也、進物者各持參候、御疊縁に並居、一同に平伏、畢進物番衆引之、各退出也、 右過て大廣間出御、上段御著座、例年獨禮也、出家社人任先規、出御以前下段御向之方に並居、前一通に進物置之、後之板縁御向之方に伊勢兩宮之社人、尾州津嶋、八幡山崎之神主、神明之社人、常州鹿嶋之神主、此外所々之神主數輩、御札、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 御祓、卷數、熨斗鮑、品々前に置之、一同御禮畢て、御納戸構之内へ入御、此間右之面々退出、進物悉引也、重て出御、下段間之襖障子開之、敷居際に立御、御次間二三之間并東西之板縁迄、諸出家神主山伏等數輩群候、進物前置之、一同御目見也、奏者御番衆披露之
一凡諸宗著紫衣僧ト、又僧正之面々、酒井河内守披露之、餘者奏者御番衆披露之、〈◯中略〉
一増上寺方丈御盃無頂戴、正月廿四日彼寺御參詣之刻、方丈ヘ入御、御吸物獻上也、方丈被召出之、御盃被下之、且白銀時服等拜領之

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 寛文十一年正月六日ニ、出家衆御禮ニ付テ、巳ノ后刻御白書院ヘ出御、御上段ニ御著座、〈緋ノ御裝束〉 三束二卷、増上寺方丈、一束一卷、新田大光院、一束一卷、小石川傳通院、右ハ獨禮、酒井河内守披露、宗源院殿御靈屋別當最勝院、台徳院殿御靈屋別當惠眼院、馬喰町本誓寺、愛宕ノ下天徳寺、西ノ久保大養寺、淺草誓願寺、増上寺役者、〈連的良我〉御佛殿役者、常行院、壽光院等、各一束一卷ヲ持參、兩度ニ御目見、 一束一本、品川東海寺、酒井河内守披露御禮、終テ大廣間へ出御、上段ニ御著御、下段ニ出御以前ヨリ、例年獨禮ノ諸宗之出家並居、一通リニ進物ヲ置テ、後ノ板縁ニハ、伊勢内宮外宮ノ社人、尾州津嶋、八幡山崎、鹿嶋香取、芝ノ神明、神田明神、鎌倉鶴岡八幡ノ神主等ノ外、神主山伏等數輩御禮、〈并〉熨斗鮑鳥目前ニ置テ、一同ニ御目見、過テ寺社退去ノ内、御納戸構〈江〉入御、良アリテ重テ下段間ノ御襖障子明テ、下段ニ御立御、次ノ間ニ諸宗ノ出家、并ニ板縁ニモ出家神主山伏數輩並居、前ニ進物品々ヲ置テ御禮、一同ニ御目見、奏者御番衆披露、即入御、 入御ノ刻、御白書院下段ニ立御、御次ノ間御疊縁ニ、〈◯中略〉御祓、熨斗鮑一折、伊勢春木大夫名代、同、伊勢山本大夫、一束一本、徳川萬徳寺、金一兩、徳川ノ庄田隼人、扇子箱、鞍上、伊勢因幡、同、同、同傳左衞門、右並居、進物ヲ前ニ置テ、一同ニ御目見、
一二月朔日、日光御門跡、山門總代年頭ノ御禮アリ、吉良上野介披露ナリ、凌雲院、修學院、知樂院、檀

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 那院、松高院、眞光寺等ノ僧正、各一束一卷ヅヽ進上有テ御禮アリ、右ノ外今日寺院數輩御禮アリ、

〔玉露叢〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 延寶二年分ノ參勤御暇之扣上
一同〈◯正月〉十五日ニ、遠國ノ寺社數輩、進物ヲ捧ゲテ年始ノ御禮ヲ申上ル、〈◯中略〉
一同廿八日ニ、〈◯中略〉遠國ノ寺社并ニ門跡方、使者、使僧ヲ以テ、年始ノ御禮トシテ獻上物アリ、〈◯中略〉
一同晦日ニ、公家門跡并遠國ノ寺社、年始ノ御祝儀トシテ、使者、使僧指上ル、今日御暇ニ依テ時服白銀等ヲ給フ、〈◯中略〉
一同〈◯二月〉五日ニ、年始ノ御祝儀トシテ、參上ノ寺院御暇ニ付テ、黄金時服ヲ給フ、稻葉美濃守正則出席、戸田伊賀守渡之、 一小袖三、山門總代光聚坊、 一〈金一枚小袖二〉鳳來寺學頭松高院 一〈金一枚小袖三〉久能徳音院 一小袖二、毘門坊官今小路式部卿、 右ノ席ハ柳ノ間也 一小袖一、鞍馬妙壽院、 右ノ席ハ檜ノ間也〈◯中略〉
一同十五日ニ、例月ノ御禮過テ、遠國ノ寺社年始ノ御禮アリ、

〔玉露叢〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 延寶三年分ノ參勤御暇ノ扣上
一同〈◯正月〉廿三日ニ、年頭ノ御禮ニ參府ノ僧中、 二束一卷、黄檗萬福寺、 右同斷、小田原結泰寺、 御札、三束一卷、三井寺總代、 卷數一束一卷、〈甲州ノ身延山〉久遠寺、 一束一本、甲州大野本遠寺、 御札、菖蒲革五枚、豐藏坊、 右ノ通リ捧上シテ各獨禮〈◯中略〉
一二月一日ニ、山所總代御禮、三束一卷ヲ獻上、凌雲院、旦那院、松高院、智樂院、眞光寺ノ面々、一束一卷ヲ捧テ一人ヅヽ出座ス、圓覺院、靈山院、圓徳院、自證院、高重院、常徳院、見明院、一乘院、覺成院、寒松院、徳音院、東漸院、青龍院、大保福寺、觀理院ノ面々、一束一本ヅヽ指上出座御禮、
一同日ニ、山王神主、日吉大膳、御祓絛十筋ヲ捧テ御目見、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 一同日ニ、明神神主芝崎宮内、御祓絛十筋ヲ捧ゲ御目見、
一同日〈◯二月十五日〉ニ、參府ノ御禮ノ族、〈◯中略〉 一束一本、竹生嶋吉祥院、 御札、富士灰、富士山池西坊、〈◯中略〉
一同日〈◯二月二十七日〉ニ、參府ノ御禮ノ衆、 一束一本、竹生嶋妙覺院、 一束一本、大先達大善院、 御札、熊野三山總代坂本内匠、 右ノ通リ捧上
一同日〈◯三月十二日〉ニ、吉田侍從、名代大隅外記ヲ以テ御祓絛二筋ヲ捧上、是年頭ノ御禮、〈◯中略〉
一四月一日ニ、京大佛養源院權僧正、年頭ノ御禮トシテ、卷數一束一卷ヲ捧上、〈◯中略〉
一同日ニ、鴨社家二人、例年此節江府參上付テ、卷數葵二曲物捧上シテ御禮、御臺所ヘモ御札葵曲物ヲ捧上、〈◯中略〉
一同日〈◯閏四月一日〉ニ、參府ノ御禮ノ僧中、 一束一卷、吉野山學頭明王院、 同斷、山門惠心院、 同斷、山門松禪院、 同斷、山門福壽院、 同斷、愛宕山福壽院、 二束一卷、知恩院使僧西恩寺、 同斷、京都興聖寺、 右之通ヲ指上ル

〔玉露叢〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 延寶三年分ノ參勤御暇ノ扣上
一同〈◯正月〉十五日ニ、使僧ノ面々御暇、 小袖二ツ、不動院、圓光院、右ハ高野山三十六院總代、 小袖二、巴陵院、右ハ高野山行人方總代、 小袖一、笹之坊、右ハ上醍醐行人方總代、 小袖一、金剛證寺使僧、是伊勢淺熊總代、 右ノ通リヲ給フ〈◯中略〉
一同十九日ニ、御暇ノ面々、 小袖四ツ、駿州ノ寶臺院、 小袖三ツ、濃州ノ立政院、 右同斷、遠州ノ可睡齋、 小袖二ツ、雲州大社千家内記、 右同斷、宇佐大宮到津主膳、 右同斷、富士三浦内記、 小袖一ツ、京愛宕山長床坊、 右ノ通リヲ賜フ〈◯中略〉
一同〈◯二月〉二日ニ、御暇ノ族、 時服二、三井寺總代、 時服二、銀十枚、八幡山豐藏坊、 時服二、〈同所社僧總代〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 梅之坊、 時服一、〈同所社家〉總代、 時服二、〈遠州見付〉上村清兵衞、 右ノ通リヲ賜フ〈◯中略〉
一同七日ニ、山門總代妙觀院時服三、三州鳳來寺學頭松高院時服二、金一枚、駿州久能山學頭徳音院時服二、金一枚、鞍馬妙壽院時服二、銀十枚ヲ御暇ニ付テ賜、〈◯中略〉
一同十九日、御暇ノ族、 時服三、八幡田中坊、 金一枚、時服五、〈鳳來寺學頭〉醫王院、 時服二、竹生嶋吉祥院、 右同斷、〈智恩院使僧〉忠峯院、 時服一、愛宕山大善院使僧清傳、〈◯中略〉 右ノ通リ賜フ〈◯中略〉
一三月日、御暇ノ僧中、 時服、地藏院、 時服二、竹生嶋妙覺院、 同斷、大先達大善院、 同斷、熊野總代坂本内匠、 時服一、京愛宕威徳院使僧卜雲、 右ノ通リ賜フ〈◯中略〉
一同〈◯四月〉二日ニ、御暇ノ面々、 銀廿枚、時服二、高野山寶性院、 時服四、京東山圓光寺、 時服三、京都誓願寺、 時服二、北野徳勝院、 右同斷、賀茂社人、 銀十枚、小法師石見、 右ノ通拜領也
◯按ズルニ、以上ハ皆年始御禮ノ後暇ヲ賜ヒタルモノナリ、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 延寶八年二月廿七日 年頭之御禮 御太刀目録、菅谷太輔法印(妙法院門主名代)、 二束一卷、今小路式部卿(毘沙門名代)、 三束一卷、知樂院權僧正、 一束一卷、山門總代、 同、長樂寺權僧正(世良田)、 同、喜多院僧正(仙波)、 同、眞光寺權僧正(三州)、 同、仙妙寺權僧正(遠州)、 一束一本、信解院(上野)、 同、勸理院(山王別當)、 同、本關成院(上野)、 同、勸修院(戸隱山)、 同、自證院(市谷)、 三束一卷、信光明寺(遠州)、 同、三井寺總代、 二束一卷、久遠寺(身延)、 菖蒲革十枚、豐藏坊(八幡)、 一束一卷、護國院(上州)、 一束一本、寒松院(同)、 同、松高院(三州圓來寺)、 同、徳音院(久能)、 同、吉祥院(水戸)、 同、常徳院(上野)、 同、東漸院(同)、 同、青瀧院(三州)、 同、大保福寺(駒込)、 同、宮内卿(知樂院弟子)、 〈大緒十筋御札〉 日吉大膳(山王神主) 〈手介十筋御札〉 芝崎宮内(神田明神) 右終テ御次ノ間ニ天台宗〈并〉遠國之寺社、日光目代、上野目代、同社家、久能目代、日門家老、樂人衆並居、進物前置、一同ニ御禮、

〔有徳院殿御實紀附録〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 大岡越前守忠相、〈◯中略〉寺社の奉行命ぜられし時、はじめてその曹司に入んとせしに、同僚井上河内守正定、こヽは奏者番の伺公する所なり、おことは寺社奉行をこそ命

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 ぜられたれ、奏者のことはいまだ奉らざればいるべからずといなみしかば、忠相その日は休息する事を得ざりしが、後にこの事を聞召れ、奏者の曹司の隣に、別に寺社奉行の居所をくだし賜はりしとなり、さて河内守其次のとし正月六日、出家社人拜賀の時、播州書寫山の社僧總代の名だいめんするとて、いひあやまちけるを、いさヽかおそるヽけしきなく、かほを仰ぎ、尊顏をみながらあざ笑ひたり、其心不敬なりとて、御咎蒙りぬ、公もとより御寛仁なりといへども、不敬のふるまひするものを、つねに重く罪し玉ひけり、

町人參賀

〔柳營秘鑑〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 享保年中行事之略 正月三日
一御白書院御次之間御襖障子老中開之、御脇に、 江戸町々年寄、上京、下京、大坂、堺、奈良、伏見、過書、銀座、朱座、五ケ所割符之者共、當所町年寄、總町中、 右並居御禮、御奏者番披露之

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 正月三日
一上京、下京、大坂、奈良、堺、過書、銀座、朱座、五箇所割符之者共、兩所町年寄、總町人、舞々猿樂迄、御目見御禮、江戸町年寄、紅葉之間ニ而御禮、

〔日次紀事〕

〈十二十二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 此月〈◯中略〉上下京年寄兩人、并大坂、堺、奈良、伏見、大津年寄、各爲年始東武

〔正寶事録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 慶安二〈己〉丑年
一御年頭之御禮ニ上リ候者、手代留主居又はむざと致たるもの出シ申間敷候、以上、
   丑極月廿六日

〔享保集成絲綸録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 享保六丑年正月
一明三日御城〈江〉御年頭に上り候面々、さかやき仕、麻上下を著し、明六ツ前大手大腰掛邊迄可相詰候、縱雨降候共、無遲遲罷出候、舊冬書上候名主并角屋敷の外壹人も罷出申間敷候、勿論手代名代堅無用可仕候、前後猥成儀有之間、町々名主方より吟味可仕候、若於相背者、可越度

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 候、以上、
  正月

〔武家嚴制録〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 御成ニ付諸御禮被請之次第御書立
    覺〈◯中略〉
一年頭西丸にて諸禮ハ、四日五日たるべき事、〈◯中略〉
一無官之面々、年頭之西丸之御禮ハ、七日たるべき事、 附、江戸町中、京大坂所々町人、此内に可付事、〈◯中略〉
   以上
  慶安二年九月十八日

〔憲教類典〕

〈一ノ二十一西丸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 享保十〈乙〉巳年六月廿四日
  西丸〈江〉出仕之覺
   年始〈◯中略〉
一町人諸職人等、西丸〈江〉御禮ニ罷出ニ不及、獻上物者御本丸〈江〉相納、〈◯中略〉
右之通可相觸
  六月

〔駿府政事録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 慶長十八年正月二日、京、堺、大坂、奈良、伏見町人等御禮云々、 四日、駿府町人等御禮云云、

〔元寛日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 元和二年正月三日、白書院次ノ間御縁ニ、江戸、上京、下京、大坂、堺、奈良、伏見、大津過書〈近代銀座朱座加之〉並居御禮、奏者番披露之

〔大猷院殿御實紀〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 寛永元年〈二月晦日改元〉正月七日、市人等新春の賀とて拜し奉る、

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 承應三歳正月三日、諸町人御禮有之、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 寛文三年二月廿八日ニ、長崎町年寄參上、 天鵝絨十端、高崎四郞兵衞(町年寄)、 縮緬二十卷鵝毛二端、同市右衞門、 紅絲五斤、池田市郞兵衞(長崎總代)、
 右何モ落椽ニテ、一同ニ御禮、

〔玉露叢〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 延寶三年分ノ參勤御暇ノ扣上
一同日〈◯二月二十七日〉ニ、長崎ノ町年寄高嶋四郞兵衞、鵞毛十卷、縮緬廿卷ヲ捧上シテ御目見、〈◯中略〉
一三月廿一日ニ、銀座年寄野村新兵衞御暇ニ付テ、小袖二ヲ賜フ、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 天和二年二月十五日 年頭御禮〈◯中略〉 御十、上林竹庵、 縮緬三十卷、綸子十卷、高木平九郞(長崎町年寄)、 扇子、伊勢隼人、
三年正月三日、辰下刻ニ御白書院ヘ出御、〈◯中略〉次ニ御白書院下段御フスマ障子明之、下段ニ立御、御次ノ間御疊縁ニテ、當所町年寄三人、進物前ニ置之居ス、同所御小性組御番所ノ内ヨリ南ノ御疊椽通マデ、當所ノ町名主數輩並居、前一通ニ進物ノ品々置之、并落椽ニテ上京、下京、伏見、淀、過書、大坂、堺、奈良、右町ノ年寄共、總町、總代、朱座、銀座、大黒長左衞門、墨屋若狹、秤屋守隨等、進物前ニ置、一同ニ御目見、奏者御番披露之、則入御、

〔洞房語園〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 吉原開基之次第 御煤拂御疊替に、例年人歩出之、御年頭獻上の事、甚右衞門の〈◯傾城町總名主〉時より今に至る迄、奉指上事私ならず、

勅使參向

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 十四番 左 新年勅使參向
にほひくる大内山の花にまた春とこたふるみねのまつ風〈◯中略〉
  右 勅使饗宴
さくら花かざす春べに成ぬとや大みや人にみあへすらしも

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 判云、上を尊み誠を盡し給ふ御政、むかしより今に至る迄聊かはる事なし、實に有難き御代ならずや
新年勅使參向と申は、年毎に禁裏、仙洞、中宮、東宮より勅使として、上達部を下されて歳首を賀せる、二月三月の間此事有、御たいめの日は、兩御所御直垂を召れ、白書院に出させ給ひて其式あり、勅使の人々各大内よりの賜ものもて出て御前にすヽむ、有司の輩直垂、狩衣、大紋等を著けり、御返答の日もまた是におなじ、老職の人もて歸京の暇給はり、引出ものあり、勅使饗宴は、大廣間の舞臺にして、猿樂を興行せられ、要脚廣蓋等の事あり、此日、白書院にしてあるじまうけありて、七五三の饗膳を出され、奈良臺を賜ふ、出仕の面々皆熨斗目長袴を著せり、

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 當月〈◯三月〉上旬之内、關東へ年頭之御禮として、勅使を被差下、勅使は武家傳奏兩人、院使は院傳奏、法皇使、女院使、東宮使、女御准后使等、御所方有合次第、大方は兼合公家衆五人計參府有、〈◯中略〉禁中方より被進物、家々格式之進物、御朱印箱に押續き、道幅狹しと荷ひ出、尤道中は御傳馬にて、十三日、春永日の頃には半慰なる驛路也、城下城下にては、勅使の御參府とて掃除、自身番非常を戒め、領境より領境迄、露拂の足輕爲案内先駈す、桑名は時之城主の御馳走船被之、宮は名護屋より被出て、何も使者一札之往返有、荒井の今切は天下の御船出るなり、宿次は泊り〳〵休迄、問屋馬借立傳ひ、怪我過ちのなきやうに大切に送り迎し奉る、凡道中筋如何成大名諸旗本の往來も行違事不叶、不圖出合頭駕籠を田面に引隱れ、堂上方雜人下郞の行過る迄待せらるヽ、勅の威は勿論、殊更關東の御權勢也、勅使各關東御下著之處は、傳奏屋敷とて、大名小路に御屋敷有、則御評定所の隣也、常々御徒頭格の士兩人、堤野村之何某留守居仕なり、外之公家方は似合似合に居館を預け下され、傳奏衆を始、何れも五萬石三萬石位の大名方を御馳走人に被仰付、御公

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 儀よりも、御旗本御寄合衆抔の内にて、心得能物馴たる仁を被添、山谷海河の珍物厚味、朝夕の御饗應、公家衆の御膳下ると否、御馳走人の御大名方、御自身膳具を御改被成、禁好物等を尋求探り、伺書記させたまひ、城主の御身にて、公家方少祿の青侍共に、御言葉迄謙りたまひ、晝夜の機嫌、起居の様體、飮食沐浴等の節程等、心を盡して御饗應有御事共、實に天下の餘光也、〈◯中略〉扨諸卿著府、月番の御老中、三高家迄屆有之、翌日御老中御上使にて入來したまふて、禁中御所方の御安否を御尋被進、諸卿長途之辛勞を訪ひ被下、三日四日之内、禁裏關東之御徳日、御忌日を撰み登城有、御玄關迄御老中、三高家御出迎被成也、御殿中御休息所に入たまひ、扨勅使御對面之席は白木書院也、關東に居合給御三家様方、三大守并國主郡主、或は御大老、大御留守居、御老中、御側御用人、若年寄、奏者御番、御詰衆、御小性組、其外間所之諸役人、番頭、御書院御番、新御番之諸士方、殿中狹しと列候す、尤大手口より御玄關迄、番所々々は總下座にて、畔鍬同心拍子木を合せ、登城退出ともに威光嚴密之御粧也、將軍様も御官位相當の御衣冠にて、白木書院之御上段之左の方に著御有、兩卿之中下座之仁、禁中より被進候御太刀目録御持參有、將軍様へ手自御渡し被成、御口上は上首の傳奏右座に付、將軍様と御對座にて被演述、將軍様御平伏有て、勅諚之旨御拜聽奉畏給とかや、御太刀目録頂戴被遊し後は、三高家三方に載せ、御床に直し奉る、此儀終て、兩卿は中段之左之方に著座有、其次院使、女院使等之御使之堂上方、夫々之御役目被勤、終次第中段之左右に、官位次第に著座有、將軍様にも御上段之正面に居直らせたまふ時、自分々々の獻上物、高家衆御披露にて一人宛勤らる、勅使御口上往返相濟迄は、武臣達は一座一列、一同に勅使の聲のとヾかぬ處迄も平伏なれば、自分御禮申さるヽ以後、將軍様の上意に隨ひ、兩卿へ御老中方一二口も御挨拶有事とかや、扨將軍様入御可有由、兩卿御會釋有共、其侭御座を被締、先にと有御上意に任せ、兩卿下段に下り給へば、將軍様中段之上之二疊目迄御送被遊、其節御老中方、大樹公是迄と被仰に付、兩

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 卿顧見平伏有て退座有、將軍様にも入御有、〈◯中略〉當時勅使の御會釋は、大臣以上之格式に可仕旨、堅諸役人へも末々迄御内證之御上意とかや、尤も重き御事也、日柄を見合、増上寺、東叡山へ御佛參、扨其次之日御殿中にて御振舞、黒木書院、御料理三汁十一菜、嘉肴珍味、旨酒券卷、言に盡ぬ御馳走、御能被仰付、將軍様も御好之御方には、三番めのかづら事、御自身に御勤被遊事也、翌日は御休息日、其日は旅館へ御見舞として、從御城狩野法印、法眼何某共、御上意を蒙り參上し、御慰みとて繪を仕、色々品々所望に任せ差上る、尤歸洛之土産に被用御事也、其翌日登城御暇勅答之上、拜領物は勅使兩卿、恒例銀二百枚、綿二百把宛也、御對面送迎前日の如し、其外御所方之御使御暇迄、各舊例に隨ひ御返答、臨機應變之拜領物次第有、〈◯中略〉夫より旅宿に退出有迄は、御三家様方を始、縁縁樞機之諸大名諸旗本、品々之御進物、金銀、馬代、時服、卷物、目を驚す御音物、奏者も口上の侭、祐筆も腕痺るヽばかりにて、夥しき事ども也、日を經て歸洛有、勅答天聞に達し、公私の賀儀を賀し申さるヽとかや、實に公武御往來、君臣の道違はせたまはず、折にふれ時に隨ひ、主となり伴となり、勤させ給ふ御事、天下泰平の基ゐ、武運長久の表也と、上下とも恐奉感歎御事也、

〔嘉永年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 二月 關東へ御使 日限定らず、關東へ年頭御使として、武家傳奏參る、御暇の日に御學問所へ出御なり、御對面にて各へ天盃を給ふ、申の口にて妻紅の末廣を給ふ、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 寛文改 年中行事下附天和二年追加
一勅使兩人、法皇使一人、本院使一人、新院使一人、從禁裏御太刀目録、金三枚、從法皇御所同、二枚、從本院御所同、同、從新院御所同、一枚、從女院御所同、從女御御方同、
一公家衆滯留中御馳走人、勅使五萬石ヨリ六七萬石迄、兩院使二萬石ヨリ四萬石迄、新院使一萬石ヨリ一萬九千石迄、各五位ノ面々被付之

〔柳營秘鑑〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 享保年中行事之略

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 三月上旬、公家衆參向ニ付御對顏、御返答、御馳走、御能之次第、
〈但勅使、法皇使、東宮使、當著之日、爲上使老中、副使高家一人被之、御對顏之前日、上使高家被之、右相濟候後、上使高家を以御樽肴被之、御能之前日上使被之、高家勤之、◯中略〉
一御對顏御白書院、公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言様〈御裝束〉出御、御先立老中勤之、〈御太刀御劒、〉御上段御著座、〈但御上段御座疊、御しとね除之、〉
一禁裏より被遣之御太刀目録、御前〈江〉中山前大納言持參之、園大納言、〈近來〉三條西大納言同列、爲年始之御祝儀進之旨、勅使之趣演之、御次〈江〉退去、御太刀目録御頂戴以後、高家御床納之、御馬代黄金三枚也、
一法皇より被進御太刀目録、御前〈江〉坊城前大納言持參之、御祝儀被進之旨演之、御太刀頂戴之後、高家御床納之、御馬代黄金二枚也、
一東宮より被遣御太刀目録、御前〈江〉園大納言持參、中山同列、御祝儀被進之旨演之、御太刀御頂戴以後、高家御床に納之、御馬代黄金二枚、 右相濟而
一大納言様〈江〉從禁裏遣之御太刀目録、中山持參、園同列、御祝儀被進之旨演之、御太刀御頂戴以後、高家御納戸構に納之、
一同法皇より被進之御太刀目録、坊城持參之、御祝儀被進之段演之、御太刀御頂戴以後、高家御納戸構納之、
一同東宮より被遣御太刀目録、園持參之、中山同列、御祝被進之旨演之、御頂戴、高家御納戸構〈江〉納之、〈◯中略〉
一御對顏御返答之節、御譜代大名其外諸役人、其官位に隨而裝束著之登城有之、
一參向之公家衆御馳走御大名、左之通、 勅使〈表大名、且御譜代衆も有之、〉四五萬石位 法皇使〈右ニ同〉二三萬石

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 位〈◯中略〉
一公家衆御馳走之御能御規式、〈但前日上使之次第、先條記之、◯中略〉享保十五〈戌〉年三月六日之記、 勅使法皇使御馳走之御能被仰付各登城、且御三家を始、溜詰御譜代大名登城、御表出御以前、何も見物之席〈江〉著座、
一大廣間兩上様出御、〈御長袴〉御先立、〈松平左近將監〉御刀、御下段御著座、御三家出座、御對顏、和泉守披露之、御能見物之御禮、同人言上之
一御間之御襖障子〈和泉守、左近將監、〉披之、御敷居際に兩上様御一同に御著座、中山前大納言、園前大納言、坊城前大納言、右一同に御次之間著座御對顏、御能見物之御禮、松平左近將監言上之、此節末座に御譜代大名、其外群居一同に御目見濟而、御襖障子閉之、
一御能上覽之御席〈江〉御著座、御簾〈中奧御小性勤之、〉
一御能初太田備中守務之、翁三番叟相濟而、御側衆を以、左近將監、和泉守召之、勅使法皇使緩々と見物可之旨、左近將監を以被遣之、御三家〈江〉和泉守を以被遣之、御能三番過、要脚廣蓋相濟而御中入、
一勅使法皇使退座休息有之、御饗應之席〈江〉被相越、御白書院勅使法皇使右御饗應、〈七五三〉年寄共出座及挨拶、配酒二獻過而盃臺出之、此節之御使左近將監、年寄共出座、高家侍座、畢而膳部撤之、茶并餅菓子出之、重而吸物出之、二獻にて撤之、殿上之間〈江〉退去、竹之間御三家方右御饗應、〈◯中略〉柳之間、御譜代大名、雁之間詰、同嫡子、菊之間椽側詰、同嫡子、桧之間地下、右席々に而御料理被之、
一勅使法皇使休息有之、御能見物之席〈江〉被出座、高家令案内
一御能過而、御三家方、如今朝兩上様御對顏、御饗應之御禮、和泉守言上之、畢而最前之席〈江〉被退去候而、御間之御襖障子〈和泉守、左近將監、〉開之、勅使法皇使一同に御對顏、御饗應之御禮、左近將監言上之

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 此節御次伺公之面々一同に御目見相濟而、御襖障子閉之、
一勅使法皇使退去之節、殿上之間迄年寄共送之、高家御玄關迄送之、勅使法皇使退去、御玄關前より被立歸、於殿上之間板縁年寄共謁之、御禮被之退去、
一御三家方、御書院番所前板縁にて年寄共謁之、御禮被之退去、 御能組、〈◯中略〉右御能八ツ半時相濟而何も退去、〈◯中略〉
一公家衆上野増上寺參詣之節、御馳走之大名、何も官位に隨て裝束著之、先達而宿坊〈江〉相越、御佛殿警固之大名同斷、〈◯中略〉
一御返答御白書院、公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言様〈御裝束〉出御、御先立老中勤之、〈御太刀、御劒、〉御上段御著座、勅使法皇使右一人宛罷出御目見、則御下段御右之方に著座、高家披露之
一勅使御前〈江〉被之、從禁裏年頭之御祝儀被進候御禮、御返答被仰含、且又大納言様〈江〉も年始之御祝儀被進候御禮ともに被出之、御次〈江〉退去、
一法皇使御前〈江〉被之、從法皇年頭之御祝儀被遣候御禮、且又大納言様〈江〉も年頭之御祝儀被之候御禮とも被含之、御次〈江〉退去、
一春宮使〈勅使勤之〉御前〈江〉被之、從春宮年頭之御祝儀被進候御禮、且又大納言様〈江〉年頭之御祝儀被進候御禮とも被含之、御次〈江〉退去、
一大納言様より御返答之次第同然、右畢而老中御前〈江〉召之、勅使法皇使歸路之御暇被下之旨被出之、於御次之間、老中列座、御諚之趣演達之、且又拜領物被仰付之旨傳之、高家侍座、重而老中御前〈江〉罷出御請申上之、過而勅使法皇使一同に出席御暇、且拜領物之御禮老中言上之、相濟而退去、〈◯中略〉畢而御次之御襖障子老中開之、御敷居際公方様、大納言様出御、此節御譜代大名、其外並居御目見相濟而入御、御先立老中勤之、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 一御白書院御下段に而、公家衆拜領物頂戴之、 勅使兩人江〈白銀貳百枚、綿百把宛、〉 法皇使江〈白銀百枚、綿百把、◯中略〉
一柳之間にて、地下〈江〉被下物、老中申渡之戴之、〈◯中略〉 勅使家臣〈白銀拾枚、時服二ヅヽ、〉 法皇使家臣〈白銀拾枚◯下略〉

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 元和九年三月四日甲午、西三條大納言今日下向江戸、公家年頭御使也、〈公家衆十三人歟、粟田口迄被之、〉

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 承應二歳二月廿六日、公家衆御禮之次第、 禁中様、御太刀黄金三枚、 仙洞様、御太刀黄金二枚、 新院様、黄金二枚、 女院様、黄金一枚、廿八日、明廿九日公家衆馳走ノ御能被仰付、仍大名出仕可延引之旨、老中ヨリ被觸、 廿九日、公家衆出仕有御能、大名ハ無登城、御譜代大名、諸物頭番頭出仕、

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 明暦元歳二月廿四日、勅使清閑寺大納言殿、野々宮大納言殿、院使小川坊城大納言殿、橋本中納言殿、右今日當著ニ候故、爲上使酒井雅樂頭ヲ被遣、 廿三日、禁中様ヨリ御年頭太刀、仙洞様ヨリ御年頭太刀、新院様ヨリ御年頭太刀、女院様ヨリ御年頭金一枚、女御様ヨリ御年頭金一枚、 廿五日、公家衆御馳走ノ御能被仰付、白髮、實盛、東北、安宅、祝言、 廿七日、公家衆御暇出ル、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 寛文四年二月十九日、年始ノ公家衆、來月十日頃參向ニ付、御馳走人被付之、 勅使、飛鳥大納言、 柴村二郞右衞門(秋田安房守) 院使、芝山中納言、 熊澤喜兵衞(木下淡路守) 新院使、清閑寺中納言、 深谷喜衞門(土方備中守)〈◯中略〉 右ノ面々殿中ニ被召、被付之

〔玉露叢〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 延寶二年分ノ參勤御暇之扣上
一二月三日ニ、女院御所ヨリノ年始ノ御使、日野藤兵衞御暇ニ御返事ノ御書ヲ渡サル、御使ヘ白銀五枚ヲ賜フ、〈◯中略〉
一三月四日、今日勅使院使參府ニ依テ、上使トシテ酒井雅樂頭并ニ吉良上野介ヲ遣ハサル、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 一同五日巳后刻ニ、白書院ヘ出御、紅ノ御直垂、勅院兩使ヘ御對顏次第ハ例年ノ通、
一同六日ニ、參向ノ勅院使ヘ、大澤少將、上杉侍從ヲ以テ、例年ノ如ク一種一荷ヅヽ遣ハサル、
一同七日ニ、勅使院使御馳走トシテ、明八日ニ御能仰セ付ラル間、見物致サルベキ旨、尾張殿、館林殿、尾張中將殿、水戸少將殿ヘ上使ヲ以テ仰セ遣ハサル、並ニ御譜代大名ヘモ相觸ラル、
一同八日ニ、御能五番アリ、
一同十一日ニ、勅使院使御暇、遣ハサルヽ物等例年如シ、

〔玉露叢〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 延寶三年分ノ參勤御暇ノ扣上
一三月十二日ニ、禁裏ヨリ御太刀目録黄金三枚、法皇御所ヨリ御太刀目録黄金二枚、本院御所ヨリ右同斷、新院御所ヨリ御太刀目録黄金一枚、女院御所ヨリ黄金一枚、女御御方ヨリ右同斷、右何モ年頭ノ御祝儀ニ進ゼラル〈◯中略〉 中高十帖、繻珍一卷、勾當内侍、 右ノ通進上〈◯中略〉
一御臺所ヘ、本院御所ヨリ金襴二卷、

〔機務覽要〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 參向之院使勅使、旅中ニ而病氣歸洛之事、
文化九年三月廿七日
一勅使廣橋前大納言、六條前大納言、院使唐橋前大納言下向之處、唐橋遠州濱松驛迄被相越候之處、病氣ニ而旅行難相成、逗留有之、廣橋六條兩卿、三月廿八日江戸著、唐橋ニ者院使御斷被申上候故、院使者兩卿ニ而兼相勤、唐橋ニ者直歸洛致候様被命候由ニ而、直ニ歸洛被致、則御對顏御返答共、院使者六條廣橋と申順ニ兩卿一同ニ而被相勤、拜領物モ例院使ヘ被下候通、兩卿各被之、大納言様より之被下物も、例年之通ヅヽ兩卿各ヘ被之、御對顏朔日、御返答二日、

〔泰平年表嗣記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 勅使〈并〉仁和寺宮參向 弘化二年九月廿五日、年頭爲御祝儀勅使參向、〈◯中略〉 當春者、御本城御普請出來不申、御移徙以前ニ付、公家衆參向當節ニ至、 同廿七日御對顏、同廿八日

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 御馳走御能、同廿九日御返答、

〔實久卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 安政三年九月五日己未、去月廿五日夜、關東稀成大風雨、城内外大破、且市中一同風破不少、依之年始爲御祝儀武傳兩卿參向之處、自大樹公其理被申上、被聞食、〈龍野侍從、於役宅當年御祝儀拜受之由也、〉

親王門跡攝家公家衆參賀

〔東山殿年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 八日、將軍家〈御裝束同上◯元日ノ裝束ニ同ジ〉出御于御對面所、〈◯中略〉至是殿上人亦出于先席、護持僧達ト言上シテ、入于閾内御障子退刻、大覺寺殿、圓滿院殿御參賀、〈◯中略〉各暫著座有御加持、退去之時御縁迄送之、則入御于常御所、 正月十日、將軍家〈御裝束同上〉出御于御對面所、〈◯中略〉然後申次昇御縁、閾際ニテ事畢之由言上之シテ、閉御障子テ後、入御于便宜所、被御裝束、亦出御于御對面所、殿上人出于先席、攝家其外門跡ト一同ニ披露シテ、如最前御障子退刻、一人宛出座御對顏、退去之節、御縁迄御送、〈但大納言迄者無御送、清花等ハ任槐以後モ不御送云々、〉次典藥頭并官外記御禮、畢而殿上人出于御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、〈前後出仕有之時ハ次第如斯、東西之出仕無之時ハ、日野三條并武家大名以下無登營、西衆トハ門跡攝家清花等也、典藥頭官外記ハ雖東衆列、今日ハ西衆之跡ニ就出座如斯也、公家中東西出仕之時ハ、官位次第出席云々、〉 正月十一日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、〈◯中略〉申次出于先座法中ト披露シテ、如最前西御障子刻、南都一乘院殿、大乘院殿以下一人宛御禮、退出之後申次出于御縁閾際、事畢之由言上之、則入御于常御所、〈一乘院殿大乘院殿ハ、非准后故無御送云々、〉 正月十二日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、〈◯中略〉殿上人出于前所、法中ト言上シテ後、青蓮院殿御門下一人宛拜台顏、於是殿上人御室ト披露シテ、入于閾内、開西御障子退節、仁和寺殿御參賀、退座砌至御縁御送、然後殿上人出于御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、 正月十三日、將軍家〈御裝束同前〉出御于御對面所、〈◯中略〉申次出于前所、門跡ト披露シテ退節、所先開ノ口ヨリ梶井殿、妙法院殿御參賀、退席之刻、御縁迄御送、而後申次於御縁閾際、事過之由言上之、則入御于常御所、〈妙法院殿事、六月十六日御參賀ノ事モアリト云々、〉

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707正月一日同七日御對面之時、公家法中西衆東の衆と申候、廣橋大納言兼秀卿記、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 西衆〈外様むき也〉 宮、〈伏見殿〉常磐井殿、木寺殿、攝家、〈近衞殿、九條殿、二條殿、一條殿、鷹司殿、〉清花、〈久我、花山院、徳大寺、大炊御門、西園寺、菊亭、〉中院、正親町、四條、橋本、清水谷、葉室、小川、坊城、綾小路、田向、園、持明院、高倉、〈南家〉平松、高辻、五條、唐橋、河鰭、西洞院、水無瀬、法性寺、木幡、姉小路、勧修寺、町、官務外記、〈但清家ハ東衆也〉 宮門跡、〈并〉門跡護持僧法中には、此分西の衆也、此外は皆東の衆也、護持僧も不召加已前は、東之衆にて候也、 東之衆 節朔、日野、正親町、三條、烏丸、飛鳥井、高倉、廣橋、〈以上六人、根本直近也、〉三條西、勧修寺、中山、上冷泉、北畠、〈伊勢國司〉同木造、白川、山科、阿野、滋野井、町、東坊城、此外甘露寺、柳原、小倉、松木、〈號中御門〉萬里小路、〈近代節朔〉中御門、下冷泉、醫陰兩道、清家外記、〈宣覽流〉伊勢祭主、吉田、平野、

〔簾中舊記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 御なりの事
一十一日〈◯正月〉にはくろき御所々々、御れいになり候、ひるは内裏の御衆御參候、上臈すけ殿ながはしくちの人御參り候、御所々々のなり候時は、〈◯中略〉七獻御さかな參らせ候、つねの御所にだいりの上らふすけ殿は御入候、ながはしは御ゆどのヽうへに御入候くぎやう(供饗)共にて參らせ候、御なかだちは御こしども御よせ候、御はんせんも御さた候、〈◯中略〉
一十一日に御參り候はぬ御かた〴〵は、十六日の御ちやに御參り候みや〳〵へは、小上らうたち御はんせん候、とうたうたち御はんたちへは、御なかだち御はんせんを御さた候、入江殿より御ちやのこ參り候、參りさまには一いろづヽもちて御參り候、御あけ候時には、御ちやのこ御けんさん(建盞)ひとつに御あけ候、〈◯中略〉大上臈は御出候て、御みやづかひ候はず候、御さかなは參らせ候はで、のちにそと御たいめん候てかへし參らせ候、

〔長祿二年以來申次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 正月八日
一護持僧と申は、假令聖護院殿、實相院殿、大覺寺殿、圓滿院殿、三寶院殿、〈◯中略〉此外末在之、
一公方様被送申御方事、箇様之類也、假令御室梶井殿、青蓮院殿、聖護院殿、三寶院殿、實相院殿、妙法

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 院殿、竹内殿、此外末御入候なり、此御人數も准后にて御入候者、可送申也、門跡にて御入候者、縱准后にて御入無之候といふとも、必送被申候也、
  同十日
一攝家御事、攝家の内にて被送申方在之と申は、御童形并御官大納言迄は、不送申候也、大臣以上の時被送申也、
一清華の御事、御淺官の時は不申、御官大臣にて御入候へども、清華は被送申さず候、

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 年中御對面并雜事少々
  正月六日
一御所々々〈并〉上々より御文參、御返事御所々々へは御自筆被之、又は大上臈御筆也、安禪寺殿よりも、其旨御所々々より參御使には、帶二筋被之、上々より參御使には、帶一すぢ被之、奉行左京大夫局杉原につヽみて出也、
  八日
一護持僧門跡〈◯中略〉參賀
一門跡は准后に御なり候てのちにおくり御申也、いかに門跡にて御入候得共、准后にて御座候はねば、おくり御申無之、常興説也、宮御門跡は又替るべし、
一護持僧事
  三寶院門跡 聖護院門跡
  十日
一攝家清花〈并〉公家、同官務外記、典藥、又門跡〈并〉法中參賀也、
一攝家は任大臣以後おくり御申也、清花其外の公家衆は、たとひ太政大臣に被任候へ共、おくり

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 御申儀無之候、
  十一日
一御所々々御成在之、依一獻在之、
一御所々々御參の一獻次第事、御所々々一臺の上口より御輿を御おりありて、やがてうへくちに御座也、さて常の御所へ公方様御出座ありて後、次第々々に御所々々御茶の湯所より御參也、其次にすい花院殿類のかみ〴〵著座、さて三の御盃參、三御盃かみ〴〵へは不參、公方様きこしめされて後、上様きこしめされて、次南御所よりはじめて、御所々々きこしめす、公方様三の御盃、御所々々御三御所へ一づヽ被參也、其次初獻の御さかな參、御酌は一の臺也、公方様きこしめされて、次上様きこしめされて、次南御所よりはじめて、御著座次第にきこしめして、御とほり無之、二獻め御酌小上臈上様はじめられて後、公方様きこしめす、次南御所より次第にきこしめして、御とほり在之、三獻御酌公方様南御所はじめられて、次公方様きこしめされて、上様きこしめされて、次第に御所々々きこしめす、御とほり在之、小上臈衆にまじりて、永久房類の御はん御とほりに御參也、如此三獻參て御膳あがりて後、數の御盃參て、三御盃御たまはりめは、又御所々々きこしめす、同上様へも數の御盃參て、御所々々きこしめす也、女中衆御無人のときは、御びくに衆もみやづかひ被申云々、是は曇花院殿御説也、法慈院は上々にて候得共、四方にて參らせ候、
一御所々々、御輿をば小上臈よせ被申候、かみ〴〵は一臺上臈分人よせられ候也、又播磨局類の御衆被申と申一説在之、かみ〴〵は一臺の中の間より輿をおり給云々、
一御はんも御末にて三獻さかなに向はれ候、御配膳御下也、近年は伊勢同名〈并〉つめ衆勤申候也、輿は一臺の御女房よせ申候、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 一宮々の御輿は、松の御庭の西向の唐戸へよせられて、御下輿ありて、則其御座敷に御座候也、是も小上臈よせ被申候也、御様體御所々々の御趣也、但一かどの御賞翫の御事也、〈◯中略〉
一御所々々、少々御こきいた以下進上之
  十二日
一御室青蓮院殿御參、法中少々〈并〉宇治大路橋本已下出仕、
一御對面次第は、一番に宇治衆、次法中東より被參、其後御室青蓮院已下西の衆被參、此申次も殿上人也、御室御參候へば、被御裝束、青蓮院殿計御參の時は、不其儀云々、〈◯中略〉
此書、宮々御所々々かみ〴〵と云事あり、 御比丘尼方宮之御事 大聖寺殿、安禪寺殿、慶安寺殿、岡御所、〈大慈光院と申之〉曇花院殿、入江殿、〈三慈知恩寺と申也〉以上禁裏御寺御參内勿論云々、 御所々々之御事 南御所、〈大慈院殿と申〉入江殿、曇花院殿、通玄寺殿、總持院殿、寶鏡寺殿、光照院殿、持壽院殿
かみ〴〵の御事、次第不同、 くわうしゆ院、ほんくわう院、かうし院、すいげ院、しやうえ院、せう慶院、慈光院、ちしやう院、しやうくわう院、此外も御座候哉、
一御はんと云事あり、右色々御所々々などの伴僧の比丘尼を御伴と云歟、
一蔭凉軒と云は、相國寺の西堂也、殿中に參られ、出家方の奏者を勤られしなり、

〔伊勢貞助雜記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 一攝家御參賀の時、諸大夫〈并〉御侍など、殿中御縁へはあがり不申之由候、如何、攝家の御供の時、諸大夫御縁へ祗候の事は無之候、自分に御禮被申時祗候勿論也、御侍衆の事不申候、御門跡方坊官衆も同前、坊官衆の事、時代にもより可申歟、勝定院(義持公ノ事也、自尊氏公四代目、)之御母儀様は勝鬘院殿と申て、其俗姓は三寶院殿坊官大谷安藝法眼息女にて御座候はるヽ間、他に異なる御威勢たるに付て、坊官安藝一段の立舞、諸家の譽非大方、其例を被引事も在之、此段は各別子細之由、古人注置之、隨時儀事也云々、 御侍衆は御對面も於御殿は無之由候、然に近代近藤山城御通に祗候、各不審

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712之、是は上様御里かたたるによりての事也、不洩、自餘由其沙汰在一レ之、さもあるべき事歟、

〔日次紀事〕

〈二二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 此月、禁裏院中兩傳奏并院參之公家、爲使節使關東而被新年、諸親王、諸門跡等、各以使者之、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 十一番 右 台宗參賀
枝高き御法の花の春の色に苔の衣は名のみなりけり〈◯中略〉
台宗年賀は、御札納の式畢て、輪王寺の宮御所に出給ひ、歳首の賀あり、台宗紫衣色衣の僧等まで出て拜謁す、御たまやの別當、坊官、家司の類は、帝鑑の間の庇に並居て賀し奉れり、

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 當月〈◯三月〉上旬之内、關東へ年頭之御禮として、〈◯中略〉五攝家親王家四軒、清花九軒、宮門跡、攝家門跡等之者、代之使者、諸大夫坊家十九軒之昵近衆之家司、尤武家傳奏の雜掌四人供奉す、其外地下被番の内、御禮勤來りし族は、右の堂上方の馬下に付などして參府す、〈◯中略〉扨勅使御對面、〈◯中略〉其次は攝家、親王、宮門跡方、清花の諸大夫、昵近の名代家司、任例御禮相濟、此御座敷是迄也、其後右之諸大夫家司、傳奏雜掌等、格式舊例之獻上物にて、自分の御禮申上る、御書院の廣椽也、何れも披露は高家方也、〈◯中略〉扨其次之日御殿中にて御振舞、〈◯中略〉翌日は御休息日、〈◯中略〉其翌日〈◯中略〉攝家、親王、諸門跡方清華、昵近の諸大夫家司、傳奏雜掌迄御暇被下、銀十枚、時服一襲宛拜領する也、是等の家司雜掌之内には、別にも無筋目拙き諸士なるべし、一旦高家に仕官せる御影にて、日本の大將軍の御前に出て拜領物等仕事、時之面目身之冥加、あり難き事ども也、

〔光臺一覽〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 扨御攝家方より關東へ御書通之御文言格式は、又面白き御文體なり、享保の初年頃、鷹司前關白左大臣兼熙公御書御文言拜見仕畢、總體五攝家如斯よしなり、御祐筆認之由也、大中納言にて御若年之方は、御自筆も有げに候、
肇年之慶賀多幸に候、大樹公倍御機嫌能御迎歳之旨、目出度珍重に思給候、依之以名代牧野宮

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 内權大輔、目録之通令上之給候、右之趣宜披啓候、嘉祝、
   三月幾日 兼熙
     土屋相摸守殿、大久保加賀守殿、秋元但馬守殿、井上河内守殿、阿部豐後守殿、〈◯中略〉
又從關東御書、御老中より四品以上之諸大夫迄、御奉書御返答到來せり、
前關白殿御書被成下、謹而致拜見候、大樹公倍御機嫌能御迎歳之旨、被聞召候に付、爲御名代、以牧宮内權大輔、御目録之通令上之給候趣共、則遂披露候處、早速御名代御對面被仰付、例年之通役義首尾能相勤之候、右之趣宜言上候、恐々謹言、
   三月幾日〈◯此下阿部豐後守以下連署ノ名アリ、略ス、〉
     小林主税頭殿、種田信濃守殿、〈◯中略〉
兩人は、彼御家之諸大夫也、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 寛文改 年中行事下附天和二年追加
一御對顏之時、御白書院出御、〈◯中略〉攝家衆ヨリ毎年以使者年始之嘉詞被之、御太刀進上之使者被出之御目見、〈◯中略〉
一攝家之大臣、御門跡、御參向御對顏之節は、御白書院上段御座也、御右之御床之方著座也、退座之時、下段敷居之内一疊目迄被送、此時御一禮有之、清花大臣、攝家之門跡方ハ、上段御左之方主居之座ニ被之、退座之時、下段上より四疊目迄御動座也、上段御座疊并御褥御腰物掛何も除之、〈◯中略〉
一御暇之節、御門跡方、并攝家、清花大臣、攝家之大納言、此等之衆中以上使御暇也、白銀綿花等被之、爲御禮登城、自餘之大納言已下於殿中御暇、白銀綿花等被之、〈◯中略〉
一御能之時、上方様大廣間下段御著座、公家衆御門跡方二之間著座、間之襖障子開之御對顏、則畢

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 テ閉之、御能初ムル、〈◯中略〉
一公家衆御饗應金銀之七五三也、御座席、御門跡方、攝家之大臣大納言、清花之大臣參向登城之節ハ、御白書院上段著座也、宰相中將等ハ紅葉之間也、又攝家衆御門跡方大臣等、御白書院下段之時ハ、自餘之大納言ハ竹之間、御兩殿ハ圍之間也、不然時ハ御兩殿竹之間、御三人方ハ必御黒書院西廂之間也、坊官北面地下人等ハ檜之間、此外登城之面々、於所々御料理被之、

〔柳營秘鑑〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 享保年中行事之略 二月
一朔日、日光御鏡久能卷數等御頂戴ニ付、御白書院公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言〈御裝束〉出御、御先立老中役之、〈御太刀御劒〉御上段御著座、 公方様大納言様〈江〉上リ候 日光山御札 同所御鏡 同所牛玉 久能卷數 同所御鏡
右順々高家持出之、兩上様御頂戴被遊、御帳臺若年寄納之、御帳臺之内にて御側衆請取之、過て日光御門主被出席、於御上段年頭之御禮、御太刀目録高家披露之、則引之、御右之方に御著座、御對顏忝之旨老中言上之、老中御取合申上退去、此節御下段敷居之内二疊目迄御送、御會釋有之、
〈但御進物は御下段上より四疊目に置之、中奧御小性役之、右相濟御褥敷之、御刀掛出之、〉
一諸御門主方之年頭御禮使者、御太刀目録高家披露之、則引之、〈◯中略〉
 三月上旬公家衆參向ニ付、御對顏御返答御馳走御能之次第、
〈但勅使、法皇使、東宮使、當著之日、爲上使老中、副使高家一人被之、御對顏之前日上使高家被之、右相濟候後、上使高家を以御樽肴被之、御能之前日上使被之、高家勤之、攝家親王諸門主〈江〉も御會釋大體同然なり、〉
一御對顏御白書院、公方様〈緋之御裝束〉出御、大納言様〈御裝束〉出御、〈◯中略〉
一攝家親王家御門主方年頭之使者、右壹人宛罷出、御太刀目録高家披露之、則引之、勾當内侍右進

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 物中奧御小性持出之、高家披露之、進物中奧御小性引之、〈◯中略〉
一御向之明障子高家開之、〈地下〉攝家方使者、親王方使者、御門主方使者、兩傳奏家老、樂人總代、御冠師、御烏帽子師、御末廣師、右之輩板縁に並居、進物を前に置之、一同平伏、御奏者番披露之、畢而御間之御襖障子老中披之、御敷居際ニ兩上様立御、吉田二位使者、右於御次御疊縁平伏、御奏者番披露之、〈◯中略〉
一攝家方親王家諸門主方參向之時は、御白書院於御上段御對顏、直に御右之方著座、上意有之老中御取合申上之、退去之時、御下段迄御送り被遊、御太刀目録ハ高家披露則引之、兩本願寺右同斷、〈但攝家親王宮門跡方にハ、御下段御敷居之内貳疊目、清花之大臣攝家門跡方にハ、御下段上より四疊目まで御動座、〉其外自分參向之公家衆等ハ一人宛御禮、則御下段御右之方に著座、上意有之老中御取合申上之退去、御太刀目録高家披露之、御奏者番引之、
一親王家之殿上人下向之時ハ、御太刀目録持參、御敷居之内ニ置之、其身ハ外にて御禮則退去、高家披露之、御太刀目録御奏者番引之、〈但五攝家、親王方、諸門主方、兩本願寺參向之儀、恒例之事にあらず、所謂有之時下向なり、◯中略〉
一參向之公家衆御馳走御大名左之通〈◯中略〉
右扣代被仰付、五攝家親王方參向之時御馳走五萬石位、其餘自分參向之輕き公家衆にハ下行被之、
一公家衆御馳走之御能御規式、〈但前日上使之次第、先條記之、攝家諸門主方參向之時同斷、◯中略〉享保十五〈戌〉年三月六日之記、〈◯中略〉
一御饗應之節、右之通之内、攝家親王家參向之時ハ御白書院、御門主參向之時ハ大方竹之間ニ而御饗應有之故、御三家方西湖之間にて御饗應有之、〈◯中略〉
一御返答御白書院〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 勅使法皇使一同に出席、御暇且拜領物之御禮、老中言上之、相濟而退去、扨又自分參向之公家衆有之時、御暇之次第大概右同然、〈◯中略〉
一御白書院御下段にて、公家衆拜領物頂戴之、〈◯中略〉 自分參向之公家衆〈白銀百枚、或五拾枚、或ハ白銀二十枚モ有リ、時服十、時服其人に依て差別有、〉
一柳之間にて、地下〈江〉被下物、老中申渡頂戴之、 攝家親王諸門跡方使者〈白銀十枚、時服等品有之、◯中略〉 自分參向之公家衆家臣〈白銀十枚、尤人ニ寄品有之、〉
一親王、攝家、御門跡方、兩本願寺歸洛之御暇之節、上使老中高家差添、〈白銀五百枚、綿五百把、〉兩本願寺〈白銀二百枚、綿貳百把、〉被之、御暇之爲御禮登營、被前條之通、此衆中參向之儀非恒例之事、被遣物大概を記而已、

〔後深心院關白記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 應安四年正月五日庚寅、今日遣使者於武家〈◯足利義滿〉賀年首慶、同仰遣武藏守頼之朝臣許

〔宣胤卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 長享三年正月七日丙寅、自勸修寺亞相回覽之折紙到來、加筆返之、室町殿參賀事也、是遠路參事被痛思食之故也、自去々年江州御在陣之故也、
 室町殿年始之由、御禮不御參之由被仰下候、將又御合番方ニ、同此子細御傳達、可恐悦候、
   正月七日     教秀
     柳原殿、葉室殿、冷泉殿、一條殿、中御門殿、三條殿、菊亭殿、久我殿、
 室町殿年始之御禮、不御參之由被仰下之旨、御番方ニ可傳申之由、勸修寺大納言被申、可御意候、
     宣胤
   西園寺殿、正親町殿、西坊城殿、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 十日己巳、今日室町殿諸家參賀、式日也、雖然從去々年江州御在陣之間、去年者他日思々所參也、於當年者不參之由仰旨、去七日勸修寺大納言所相觸也、今日東山殿諸家參賀也、予故障不參、近年參人最少也、自殿下今日御參賀爲御乘用、予輿被借召之間、皆々進了、亂來攝家清華皆以乘板輿、不車之沙汰、輿所持方尚以希之、末代作法可悲之、文龜二年正月六日庚辰、自二條殿祖母禪尼御方、文到來、來十日武家御參賀事、以家司之状、御參否之由、勸修寺中納言申之、可案云々、
年始御禮御參事、就總並儀仰出候歟、家門元服以前無出仕儀候、其間事可然之様、可御意候、光賢謹言、
   正月六日     光賢上
     勸修寺殿
十日甲申、今日參賀室町殿、式日也、相伴右大辨宗相出京、於戸部旅所〈南北所内也、去々年火事以後構假屋、濟繼朝臣同宿、〉改衣裳、人々多自此所相伴、依咫尺也、巳刻許參集將軍御亭、御對面遲々及申刻、先東衆、次西衆、〈◯中略〉御臺御方御禮、無參候、雖折紙進之由、勸修寺中納言演説之、 東衆〈◯註略〉 民部卿、〈政爲卿、冷泉、〉小倉中納言、〈季種卿〉左大辨宰相、〈俊名卿、坊城、〉賢房朝臣、〈頭右中辨、萬里小路、〉濟繼朝臣、〈姉小路中將〉伊長、〈藏人右少辨、甘露寺、〉親康、〈典樂頭歟、折烏帽子、大ワウ、〉頼量、〈醫家〉宣賢、〈少納言、清三位入道子、未昇殿、〉 西衆〈◯註略〉 近衞前關白、〈政家公、大閤准后前太政大臣、〉一條前關白、〈冬良公、前太政大臣、〉關白、〈尚經公、九條殿、〉徳大寺前左府、〈實淳公〉花山院前左府、〈政長〉前内府、〈豐通公、久我、〉左府、〈公興公、菊亭、〉内府、〈公藤公、西園寺、〉右大將、〈實香卿、三條、〉三位中將、〈經名卿◯中略〉次直垂衆、余、新大納言、〈實仲卿◯中略〉權帥、〈廣光卿〉前權中納言、〈公兼卿、正親町、〉源中納言、〈重治卿、日向、〉園中納言、〈基富卿〉右大辨宰相、〈宣秀〉菅宰相、〈和長卿〉持明院三位、〈基春〉家幸朝臣、〈刑部卿、清閑寺、〉永宣朝臣、〈左兵衞佐、冷泉、〉行季、〈侍從、世尊寺、〉隆康、〈侍從、鷲尾、〉重親、〈八歳、童形也、◯中略〉藤原資直、〈極臈〉師富朝臣、〈大外記、局務、〉師親、〈大外記〉時元宿禰、〈官務〉富仲朝臣〈左衞門佐、五辻、〉等也、公卿各參疊上、殿上人猶至簀子退了、普廣院殿以來、雖公卿長押上、去年可

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718之由被仰云々、當年談合勸修寺中納言藤宰相等、且又伺定云々、尚顯〈直垂、重大口〉爲申次、參候御臺御方、書立東西書一折紙、付勸修寺中納言、姉小路中將之、次各行政元、〈細川右京大夫〉

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 慶長五年二月九日癸未、大坂秀頼亭諸家御禮之事、十五日之由定申之處、内府〈◯徳川家康〉末子就他界延引云々、 四月四日丁丑、今日於大坂城秀頼卿亭、諸公家衆被御禮、内府御禮參、各有一獻、 六年正月廿八日、今日〈予〉向大坂、明日依内府諸禮也、〈予〉參二條殿御舟、鷹司殿、九條殿、關白、同御方御所、梶井殿、中御門中納言等御同船也、 廿九日、於大坂諸家御禮有之、秀頼卿御太刀持參、十五年正月十七日甲午、今日公家衆被大坂、明日依總禮也、 十八日乙未、於大坂諸家被年始之御禮

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 寛永八年二月朔日、日光ノ御札、〈酒井阿波守役之〉御鏡、〈永井信濃守、松平右衞門大夫役之、〉御頂戴已後御床ニ置之、久能ノ御札同斷、御鏡同斷、〈◯中略〉毘沙門堂門跡御禮、進物御書院番衆役之、正保四歳正月五日、日光御門跡年頭ノ御禮被仰上、次ニ例年御奧方ヘ御祝儀上ゲ付タル衆ヨリ皆上ル、 承應二歳二月廿六日、公家衆御禮之次第、〈◯中略〉 太刀目録銀馬代、近衞關白殿下、太刀馬代銀二枚、二條殿、同斷、二條前攝政殿、一束一卷、長橋、紗綾〈三卷〉銀馬代、清閑寺大納言殿、同斷、野宮前大納言殿、同斷、清水谷大納言殿、燒物、高倉大納言殿、御小袖〈廿、〉銀百枚、本願寺門跡、天鵝絨〈廿卷〉黄金一枚、〈本願寺〉茶々丸、 明暦二歳三月九日、公家衆下向、〈◯年始祝儀ノタメナリ〉馳走被仰付、 二條前攝政殿、秋田安房守、宿坊表門跡本願寺、〈◯中略〉 實相院門跡〈伊達遠江守、或兵部大輔、〉宿坊法禪寺、 聖護院門跡、溝口出雲守、宿坊雲光院、 大覺寺門跡、山崎虎之助、 晦日、公家衆登城御暇出、被下物ハ、 〈銀子千枚、小袖三十、〉上使ヲ以二條前攝政殿ヘ、〈同百枚、綿三百把、〉上使ヲ以聖護院殿ヘ、同斷、同、大覺寺殿ヘ、銀子五百枚、上使、實相院殿ヘ、同斷、同、圓滿院殿ヘ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 〈銀子貳百枚、綿百把、〉上使、徳大寺内大臣殿ヘ、〈銀子百枚、小袖十、〉上使、東泰院殿ヘ、〈◯中略〉銀三百枚、綿百二把、清閑寺一位殿、同斷、野々宮大納言殿、銀二百枚、小袖十、小川坊城大納言殿、同斷、同六、飛鳥井大納言殿、同斷、同十、勸修寺大納言殿、銀百枚、小袖十、薗池宰相殿、同斷、同六、中院宰相殿、同斷、同五、五條三位殿、銀十枚、小袖二、北小路刑部、同、同、富田主膳、同、同、齋藤主水、同、同、桑坂主水、同、同、村瀬采女、同、同、安田宮内、同、同、片山將監、同、同、木村壹岐、同、同、木村筑後、

〔萬天日録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 寛文四年二月十九日、年始ノ公家衆、來月十日頃參向ニ付、御馳走人被付之、〈◯中略〉 花山院佐府〈御馳走所高倉屋敷〉野村彦大夫(久留島信濃守) 三寶院門跡〈宿眞福寺〉中川八郞左衞門(市橋下總守) 瑞眞院門跡〈宿青松寺〉高室郞左衞門(細川豐前守) 右ノ面々殿中ニ被召被付之

〔玉露叢〕

〈三十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 延寶三年分ノ參勤御暇ノ扣上
一同日〈◯正月十九日〉ニ、新正ノ御賀詞ヲ、使者ヲ以テ述ブル面々、 御太刀銀馬代、安藤内匠頭(伏見殿使者)、右同斷、御香包、園式部卿(知門使者)、右同斷、寺賀宮内卿(梶井御門主使者)、右同斷、川村内藏助(圓滿院御門主使者)、 右ノ通リヲ獻ゼラル
一同廿九日ニ、伏見殿使者安藤内匠頭時服二、知門使園式部卿時服二、梶井門主使者寺賀宮内卿時服二、圓滿院門主使者川村内藤助時服二ヲ、御暇ニ付テ玉フ、〈◯中略〉
一二月一日ニ、日光御門跡年頭ノ御禮トシテ御對顏也、依テ御太刀目録卷數三束一卷ヲ獻ゼラル、〈◯中略〉
一同月〈◯三月〉十二日ニ、〈◯中略〉御太刀目録銀馬代、鷹司關白、同斷、近衞内大臣、同斷、二條前攝政、右同斷、一條右大臣、同斷、照高院御門主、同斷、青蓮院御門主、 右ノ通、使者使僧ニテ進上、〈◯中略〉 御太刀馬代紗綾三卷ヅヽ獻上シテ、一人ヅヽ出座御禮ノ衆中、日野前大納言、花山院前大納言、高倉大納言、池尻中納言、今城中納言也、〈◯中略〉 近衞、二條、鷹司ノ衆中使者、照高院、青蓮院兩門主ヨリノ使僧、何モ進上物前ニ置テ、一同ニ御目見、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 一御臺所ヘ、〈◯中略〉日野、花山院ヨリ練貫三端ヅヽ、池尻、高倉、今城ヨリ紗綾二卷ヅヽ、勘解由小路ヨリ御下帶二筋ナリ、〈◯中略〉
一同十八日ニ、公家衆〈江〉御暇ヲ賜フ、 銀二百枚、綿百把、日野大納言、右同斷、花山院大納言、銀百枚、小袖十、池尻中納言、銀百枚、小袖六、高倉大納言、右同斷、今城中納言、
一鷹司ノ使者廣庭中務大輔、近衞ノ使者齋藤玄蕃助、二條ノ使者隱岐修理大夫、一條ノ使者入江三河守、照高院ノ使者近藤織部正、青蓮院ノ使者進藤采女正、日野家司兩人、西野左近衞將監、上田采女正、花山院家司兩人、檜山石見守、石川隼人正、御冠師木村筑後、御裝束師、豐田志摩、筑後子木村壹岐、樂人總代上越後、吉田侍從使者大角外記等、御暇ニ付テ、銀十枚、小袖二ヅヽヲ賜フ、
一御臺所ヨリ 小袖十、日野大納言、右同斷、花山院大納言、小袖六ヅヽ、池尻、高倉、今城ノ面々、 右ノ通ヲ賜フ
一同十九日ニ、毘沙門堂門跡當著ニ付テ、上使酒井壹岐守ヲ遣ハサル、〈◯中略〉
一同廿六日ニ、毘沙門堂門跡參府ニ依テ、〈◯中略〉年頭ノ祝儀ニハ、御禮二束一卷也、〈◯中略〉
一同日ニ毘沙門堂家來、扇子箱ニテ一同ニ御禮、拜伏ノ面々、安田治部卿、今小路式部卿、清水左兵衞、渡邊木工助等也、御臺所〈江〉毘沙門ヨリ年頭ノ御祝儀ニ一束一卷、〈◯中略〉
一同晦日ニ、聖護院御門跡江府著ニ付テ、上使酒井雅樂頭ヲ遣ハサル、吉良上野介同道ナリ、〈◯中略〉
一同日〈◯四月四日〉ニ、梶井御門主當著ニ付テ、上使トシテ酒井雅樂頭ヲ遣ハサル、吉良上野介同道ナリ、
一同五日ニ、竹内御門主到著ニ付テ、上使トシテ酒井雅樂頭ヲ遣ハサル、吉良上野介同道ナリ、〈◯中略〉
一同十四日ニ、聖護院御門跡、梶井御門跡、竹内御門跡ヘ上使トシテ、畠山下總守ヲ以テ御菓子ヲ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0721 遣ハサル、〈◯中略〉
一同廿三日ニ、銀馬代、紗綾五卷、轉法輪右大臣、同斷、菊亭大納言、同斷、烏丸中納言、同斷、櫛司中將、銀馬代計、久世中將、同斷、土御門極臈、 右一人ヅヽ御禮ナリ 銀馬代、繻珍十卷、聖護院御門主、右同斷、梶井御門跡、銀馬代、緞子十卷、竹内御門跡、 右一人ヅヽ御對顏ナリ〈◯中略〉 一束一卷〈聖護院内〉伽耶院、一束一卷〈竹内醫師〉壽元法眼、一束一卷〈梶井内〉本寛成院、一束一包、竹田眞慶法橋、右同斷、〈梶井醫師〉玄清法橋 右御目見畢テ、聖護院家來八人、梶井家來七人、竹内家來七人、轉法輪家來二人、菊亭家來一人、大佛師左京、繪所了琢、樂人四十五人ノ面々、進上者前ニ置テ一同ニ御禮、
一同廿五日ニ、御門主方公家衆御馳走トシテ、御能ヲ仰セ付ラル、
一右三門跡方ヨリ薫物一包ヅヽ進ラセラル、是今日御能見物ニ付テ也、〈◯中略〉
一同廿八日ニ、御暇ノ衆中、 白銀二百枚、御袷二十、中御門大納言、白銀二百枚、御袷十、菊亭大納言、右同斷、烏丸中納言、白銀五十枚、御袷十、甘露寺宰相、白銀百枚、御袷五、久世中將、右同斷、櫛笥中將、銀百枚、御袷四、土御門極臈、銀十枚、高松寶珠院使、同斷、一條殿簾中使、同斷、西本願寺使僧、同斷、東本願寺使僧、金一枚、御袷二、大經師以俊、銀十枚、大佛師左京、同斷、繪所了琢、御袷二ヅヽ、樂人四十五人、銀十枚、菊亭家司堀川因幡、 右何も御暇ニ付テ也 轉法輪右大臣ヘ、上使大澤兵部大輔ヲ以テ、白銀五百枚、御袷二十ヲ遣ハサル、同御家來入江和泉守、入江壹岐守ニ御袷二ヅヽヲ賜フ、是上使ノ次デ也、
一同廿九日ニ、聖護院御門跡〈江〉白銀千枚ヲ遣ハサル、同キ院家伽耶院ニ、白銀十枚ニ御袷五、同キ家來八人ヘ銀十枚ヅヽ、同キ醫師竹田眞慶ヘ御袷五ヲ賜フ、
一同日ニ、梶井御門跡〈江〉白銀千枚ヲ遣ハサル、同キ院家本實院ニ銀十枚、御袷五、同キ家來七人〈江〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 銀十枚ヅヽ、同キ醫師法橋玄清ニ御袷五ヲ賜フ、
一同日ニ、竹内御門跡〈江〉白銀千枚ヲ遣ハサル、同キ家來七人〈江〉銀十枚ヅヽ、同キ醫師眞瀬壽元ニ御袷五ヲ賜フ、 右三門主ヘノ上使、酒井雅樂頭並ニ吉良上野介ヲ以テ遣ハサル、彼院家家來ヘノ面々ヘハ、上使ノ次デニ下サル、〈◯中略〉
一御臺所ヨリ、三門跡ヘ時服二十ヅヽヲ進ゼラル、且又轉法輪右府〈江〉時服十、中御門大納言、菊亭大納言ヘ時服六ヅヽ、烏丸中納言ヘ時服五、甘露寺宰相、久世中將ヘ時服四ヅヽ、櫛笥中將ヘ時服四、土御門極臈ヘ時服三ツ、御使岩瀬市兵衞ヲ以テ下サル、

〔泰平年表嗣記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 勅使並仁和寺宮參向
弘化二年九月廿五日、年頭爲御祝儀、〈◯中略〉仁和寺御門跡到著、〈◯中略〉同廿九日、仁和寺御門跡〈江、〉御使青山下野守を以、銀五百枚、綿三百把、又右大將様よりも銀二百枚、綿百把被之、猶又御逗留中爲御尋、御使高家横瀬美濃守を以、色繻子二十反、御文臺〈並〉御硯箱、右大將様より御花活、昆布一箱被之、

〔續太平年表〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 安政六年正月八日、松平遠江守代り相良越前守、當春參向之公家衆御馳走人被仰付候、

外國人參賀

〔日次紀事〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 當月阿蘭陀人自長崎港東武、拜公方家、時自大坂京師旅寓而謁所司、於茲暫休憩、則刷旅裝、或携東武之珍禽奇獸、則洛人群聚而觀之、

〔長崎港草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 紅毛江府拜禮 阿蘭陀平戸ヘ著船ノトキモ、年ゴトニ年頭ノ御禮トシテ、江府ヘ加比旦參勤イタシ、獻上物品々ヲ捧ゲ、御役人方ヘ進物ヲ上ルニ、松浦家ヨリ撿使馬廻リノ侍一人、徒歩一人、通詞以下差添、前年ノ冬平戸ヲ出立シ、翌年ノ正月拜禮ヲ勤ム、寛永十八年長崎ヘ來テヨリ以來ハ、御奉行所ヨリ撿使トシテ、與力同心町使大小通詞以下數十人差添ラレ、前年ノ冬長

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0723 崎ヲ出立、翌年正月拜禮ヲ相勤ム、正保四年六月、黒船二艘來リシ時、其年ノ加比旦ヘンテレキコヱタ、例ノ如ク參著スルニ御咎メアリ、年來御制禁ノ黒船日本ニ來ルヲ注進スベキ處ニ、其儀ナク候儀不屆ナリトテ、即拜禮御受無之シテ、空シク長崎ヘ歸ル、其翌年慶安元年、加比旦テレキスノク渡來タレリ、上使井上筑後守下向アリテ、目明仲庵ヲ以テ、去年黒船來リシ時、注進セザル趣御吟味アルニ、加比旦其儀曾テ不承及旨、横文字ノ書一通差出ス、即通詞ニ命ジ和解ノ文認サセ、御歸府ノ時、江府ヘ持參アルニ、則御免アルベキ旨仰アリテ、以前ノ如ク拜禮相勤ムトナリ、明暦三丁酉正月十八日江戸大火以來、萬治三年マデ四年間、正月ゴトニ阿蘭陀旅宿類燒セシニ付、翌寛文元年辛丑年命アリテ、正月十五日長崎ヲ出立、三月朔日拜禮スベキ旨仰出サレ、夫ヨリ以來定例トナル、夫ヨリ七十四年後、享保十八年癸丑ノ年、西國饑饉ニテ世間物騷シクナルニヨリ、四月十五日當地出立ス、 阿蘭陀ノ拜禮獻上物ト云ハ、端物ハ猩々緋以下奧嶋ニイタル、其外金唐草硝子器物名酒等也、從御本丸呉服三十、從西御丸呉服二十、大小通詞ヘ白銀拜領ナリ、又御役掛リノ諸家ヘ、阿蘭陀人ノ進物各品アリ、從諸家又阿蘭陀ヘ物ヲ賜フ也、昔シヨリ獻上ノ大概如左、 獻上物銀高四十三貫目分 御老中、銀高五貫目分、御坊主頭衆、五拾目分、御若年寄、同貳貫目分、秋鹿長兵衞、六拾目分、御支配人、同貳貫三百目分、御給人衆、貳貫六百目分、寺社奉行、同壹貫百目分、御下役衆、壹貫百目分、江戸町奉行、同壹貫目分、町使二人、貳百五拾目分、御諸司代、同壹貫七百目分、筆者二人、貳百三拾目分、京町奉行、同七百目分、料理人二人、百三拾目分、大坂町奉行、同四百目分、〈江戸和蘭陀宿 長崎源右衞門〉壹貫貳百目分、同御家老衆、同貳拾目分、同家來、貳拾目分、百人御番頭、同百拾目分、〈京宿鮫屋與右衞門〉壹貫目分、御徒目附衆、同三拾目分、〈大坂宿 長崎屋五郞兵衞〉壹貫目分、下關宿禮、四拾目分、〈馬指荷宰領駕籠頭〉貳拾目分、

〔寛明日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0723 承應二歳正月十五日、阿蘭陀六人御目見有之、所謂メストロアシ、コシツアヒタレ、モミ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0724 チヨ、シルセレトロ、ヲヒアレ、キリシトシ、右六人獻上物ハ、一ウニカヲル一本、一猩々緋三端、一花絲毛氈二端、一黒羅紗三端、一金手猪驢絹三端、一浮羅紽三端、一アメレトヲ三十斤、一白縮緬廿卷、一阿蘭陀タイヒ三端、一紋曇子三端、一紗羅紽筋繻珍十端、一絲紗羅紽嶋廿端、一猪驢絹三卷、一木綿紗羅紽嶋廿端、一サヽヘイ廿筋、一琥珀砂時計一ツ、一チンタ酒一桶、一蒲萄酒一桶、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:49:00 (387d)