http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 彼岸ハ、毎年二月八月ノ二季、晝夜平分ノ時ヲ以テ、法會ヲ營ム例ニシテ、其縁由ハ詳ナラザレドモ、或ハ延暦二十五年三月十七日ノ官符ヲ以テ、崇道天皇ノ爲メ、國分寺ノ僧ヲシテ、春秋二仲ノ月七日間、金剛般若波羅蜜多經ヲ續マシメシニ濫觴ストモ云ヘリ、此説或ハ然ラン、波羅蜜多ハ到彼岸ノ義ニシテ、即チ轉迷開悟ヲ謂フ、此時啻ニ諸寺院ニテ、法會ヲ修スルノミナラズ、民家ニ在リテモ、或ハ佛事ヲ營ミ、祖先ノ冥福ヲ祈ル等ノ事アリ、

名稱

〔拾芥抄〕

〈下本齋日月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 八月彼岸、欲諸佛淨土者、二八月、八王堯會時、修(○)到彼岸齋會法(○○○○○○)、是云吉祥之時、又云淨滿也、此時修功徳者、所願成就、凡萬事相叶不滅失云々、

〔河海抄〕

〈九乙通女〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069 ひがんの比をひわたり給 彼岸齋法成道云、一切衆生、依二八月齋、十方世界、一切衆生、離苦得樂、靈瑞而已、乃至彼岸二八月幸會時、修到彼岸齋會云々、

〔壒囊抄〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1069二季彼岸、作善根時節トスルハ何ゾ、 夫一年ヲ四季ニ分ツト云ヘ共、誠ハ春秋ノ二季也、夏ハ春ノ餘リ、冬ハ秋ノ餘也、サレバ晝夜ノ長短ヲ云モ、極長ハ夏ニアレ共、春ノ日長シト云、極長ハ冬ニアレ共、秋夜長シト云也、左傳ニモ、二季ニ分ガ故ニ、春秋ノ名アリト云々、此春秋二季ノ間ニ、彼岸ハ是正時也、 經云、晝夜齋等ニシテ、如兩岸左右均等ト云々、仍テ名比岸、又日出日沒ノ兩岸、彼ノ岸ト々々ト齊ガ故ニ、彼岸共書ク、時分相應故ニ、所作成就スト云々、

〔華實年浪草〕

〈二二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 彼岸 時正〈龍樹菩薩天正驗記云、欲界六天中央夜摩兜率中有大城、名曰中陽院、中高樓閣號雲處臺、此院内年二八、七个日間、色界摩醯首羅天尊爲上首、八神并大梵天王、大歳神、乃至玉女道祖神等人中、天上冥官冥衆集會、注一切善惡、天尊降教勅八神、持三卷勘帳、三復八校獻天尊、天尊覽了、爲善帳寶印、爲惡帳縛印、爲處中善非寶非縛印、彼八神者、帝釋閻王天大將軍天一行役司命司祿倶生神也、問彼天尊有何由、以二八月天正勅、召天地神、答阿迦尼吒天自在尊所居宮殿、前有高樹、名天生樹、形如須呂、春開華有七日散、七葉七色、有青黄赤白紫翠、秋結果有七日落、七菓七色如上、見開花中陽院、見落陽本宮、定知法爾道程所然也、〉

〔倭訓栞〕

〈前編二十五比〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 ひがん 源氏に、十六日ひがんのはじめにてとも、又ひがんのはてとも見えたり、諸説佛語を引れたれど附會多し、大般若經に、即便前進得彼岸と見ゆ、我邦上代に、般若波羅密會行はれし、生死を此岸とし、涅槃を彼岸とし、波羅密を到彼岸と飜す、よて彼岸會といへり、されば七日の佛事、日本にのみ行はれて、西土天竺にはなき事成よし、砥平石録に見ゆ、春秋二仲晝夜過不及なし、此を時正といふ、日本後紀に、國分僧に、春秋二中、月別七日、存心金剛般若經を轉讀せしむるよし見ゆといへり、新古今集に、
 今こヽに入日を見てもおもひ知れ彌陀の御國の夕暮の空
日沒觀の意なるべし、二中の入日は、わけて日光の赫奕たる觀て知ぬべし、
天日、天の中道を廻り、晝夜の長短相ひとしきをもて也、夫木集に、
 けふ出る春の半の朝日こそまさしき西の方はさすらめ

〔鹽尻〕

〈三十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 一暦家春秋の彼岸會を書する事久し、昔は春分秋分の日を中日にあたるやうにせし事、安倍家の暦本に見ゆ、近世は春秋二分より三日目をその初にし、六日目を中日とす、九日目を終りとす、古へは彼岸に入る日、沒日に値れば、一日を延て次の日を入りとせし故實也、貞享暦、沒日を用ひず、いつとても二分一日を隔て、彼岸の初とす、

〔長暦〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1070 二季彼岸事
二八月中〈ヨリ〉前三日也、沒日〈アレハ〉四日〈メニ〉來、專〈ラ〉善根日也、

〔善庵隨筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1071 春秋ノ二分ハ、日正東ニ出デヽ、正西ニ沒スル故ニ、天竺ノ俗、コレヲ時正トイフ由ナレドモ、此時ニ彼岸會ヲ修スルコトハ、佛經ニ所見ナシ、〈但シ立世阿毘曇論ニハ、二月春分ヲ以テ爲歳首、是劫初ニ日月下生ノ日トスル故ニ、彼論ノ日月行品ニ云、是時最初日月下生世間、相去甚遠、日下東弗婆提中央、月下西瞿耶尼中央、爾時光明遍照、滿四天下、日照一半、月照一半云々、是故梵暦ニハ、春分ヲ以爲暦元、宿曜經云、上古白博又二月、春分朔、于時曜http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001be0e.gif 婁宿、道齊景正、月中氣和、庶物漸榮、一切増長、梵天歡喜、命爲暦元、已上、又云、大唐ニハ、以建寅歳初、天竺ニハ、以建卯年首云々、是乃唐土日本ノ春分ハ、天竺ノ歳首ナル故ニ、世俗皆祝之、佛家ニハ是日ヲ爲吉日ナリ、八月秋分ニハ、日輪又再ビ赤道線ヲ通ル故ニ、時刻春分ニ同ジ、天竺ニハ爲自恣時也、但彼岸ト名クル事ハ、一向無據、〉十六觀經ノ日想觀ノ文ニ、正坐向日、諦觀於日、專想不移、見日欲一レ沒、状如鼔ナドアリテ、日想觀ハ必シモ時正ニ限ルコトニハアラザレドモ、淨家ニテ、時正ハ日正東ニ出デヽ、正西ニ沒スレバ、日想觀ノ時節トセルヨリ、其徒コノ時ニ乘ジテ、一七日ノ法筵ヲ開キ、談義説法シ、沒日ヲ觀念スルヨリ、西方淨土ヲ識知セシムルノ因ヲ以テ、彼岸會トハ名ヅケシ、コノ彼岸會ヲ暦ニ載スル故ハ、昔時談義説法ハ、比叡山ノ阪本ニ限リ、廿一箇所ノ談義所アリテ、能辯ノ僧出席シテ説法スルコトニテ、他ノ寺院ナドニハ絶テナカリシ故ニ、都鄙善信ノ男女、阪本ニ群集シテ聽聞スルモノ、彼岸ノ時節ヲ辨知セズシテ、毎度迷惑セシユヘ、叡山ヨリ暦家ニ請テ、暦本ニ書キ載セモラヒシヨリ、イツトナク時候ノ様ニナリタリ、〈◯中略〉佛説彼岸功徳經、龍樹菩薩天驗記ナドニ説ク所ハ、杜撰附會、齒牙ニ掛ルニ足ラズ、前文ノ次第ユヘ、昔ハ春分秋分ノ日ヲ彼岸ノ中日ニ當ル様ニセシト、安倍家ノ暦本ニ見ヘシヨシト、鹽尻ニ云ヘリ、左モアルベキコトニゾ、今ハ春分ヨリ六日マヘ、秋分ハ二日マヘヲ彼岸ニ入ル日トス、〈榊http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650efe.gif 談苑ニ、春秋分ノ後二日ヲ、彼岸トイフ事ハ、イツノ頃ヨリイヒ出デケルニヤ、行幸ノマキニ、十六日彼岸ノハジメニテトアリ、蜻蛉日記ニモ、彼岸トイフコト見ユ、〉暦家ノ説ニ、二十四氣ヲ一年ニ割付ル、平實ノ二法アリテ、本朝ノ暦ハ平氣ヲ用ヒ、唐土ノ暦ハ實氣ヲ用ユ、故ニ本朝ノ春秋分ハ平氣ニシテ、實ノ春秋ニアラズ、實ノ春分ハ、平春分ヨリ三日前、實ノ秋分ハ、平秋分ヨリ三日後ニアリ、實ノ春秋分ハ、太陽赤道ヲ行キ、晝夜等分ユヘ、此日ヲ彼岸ノ中日ニ當テヽ、平春分ヨリ六日前、平秋分ヨリ二日前ヲ彼岸ニ入ル日トスルコトナリ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 本朝ノ暦、天保八年丁酉、春分ハ二月十七日、彼岸ニ入ル日ハ十二日、秋分ハ八月二十二日、彼岸ニ入ル日ハ二十一日ナルヲ、唐土ノ暦ニテハ、道光十七年丁酉、春分ハ二月十五日、秋分ハ八月二十四日、即チ彼岸ノ中日ナリ、コレニテ知ルベシ、
◯按ズルニ、當時ハ春秋二分ノ日ヲ以テ、必ズシモ彼岸ノ中日ニ當テザルモノヽ如シ、右ノ天保八年ノ外、數十年ノ暦日ヲ査スルニ皆然リ、例ヘバ享保十三年ハ、二月十二日春分、十四日入彼岸、八月十八日秋分、二十日入彼岸、寶暦十年ハ、二月二十二日入彼岸、二十七日春分、八月三日入彼岸、四日秋分、文化十一年ハ、正月大ニシテ、其二十七日入彼岸、二月二日春分、八月八日入彼岸、九日秋分ナルノ類ナリ、

〔海録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 暦に彼岸をのする事は、あづからぬことながら、中古よりのことなり、白河燕談卷の二曰、古老有言、古者如今諸寺説法談義無之、故比叡山坂本廿一箇所有談義所、能辯僧出之、春秋二時説法、令在俗聽、諸方群參、因茲爲其時節令一レ知、遠近請之暦家書載、到于今同矣と見えたり、むかしは下段に、神よし、佛よし、といへる事のありしを、佛よしは省きて、今神よしのみあり、彼岸はたまたまに殘れる事なるべし、又半夏生といふ事も、今は竹の子くはぬ見合にのみなりしなれども、是ももとは七十二候をこと〴〵く中段へ書入たるが、たま〳〵半夏生のみ殘りたるにこそあれ、

〔隨意録〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 倭暦之節、春秋之中、有彼岸者、彼岸者、是佛氏之語、梵言波羅密、譯以爲到彼岸、又以爲度、斯非節氣也、按、彼岸、飛鴈之訛也已、月令、以鴻鴈來往春秋之候、故作倭暦之初、亦以飛鴈春秋之節也、而自佛之盛、傅會以爲彼岸、流俗期其日數七日、以行佛事者、亦可笑也、

〔海録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1072 日本後紀卷六、延暦二十五年二月官符、應五畿七道諸國轉讀金剛般若經云々、宜使國分僧春秋二中、月別七日存心奉讀之云々、〈是爲崇道天皇也〉信景云、春秋二仲、一七日佛事、蓋和俗彼岸會權輿歟、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073金剛般若波羅密多、按波羅密譯到彼岸則彼岸會名依般若經而起乎、然延暦二十五年春分〈中日也〉彼岸會之始也、この説用ゆべし、暦林問答集、假名暦注などいへるものにも、春秋何の故に彼岸といふ事をしるさず、先にのする彼岸の説をあはせ見て、始めて暦に彼岸をのするのゆへよしを詳にせり、

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 凡諸國春秋二仲月各一七日、於金光明寺、請部内衆僧、轉讀金剛般若經、其布施三寶綿十屯、僧各布一端、但供養用本寺物、若無國分寺、及部内無物寺者、并用正税
◯按ズルニ、金剛般若經ハ、具ニハ金剛般若波羅蜜經ト云ヒ、略シテハ金剛經ト云フ、金剛經略疏ニ云ク、波羅蜜亦梵語、此云彼岸到、意以生死此岸、煩惱爲中流、涅槃爲彼岸、全由般若爲之舟楫、乃能離生死岸、渡煩惱流、而登涅槃岸也ト、此經ヲ轉讀セシメシ意以テ觀ルベシ、

〔類聚三代格〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 太政官符
 應五畿内七道諸國轉讀金剛般若經
右被右大臣〈◯神王〉宣偁、奉爲崇道天皇、〈◯早良親王〉令永讀件經者、宜使國分僧春秋二仲月別七日(○○○○○○○○)存心奉之經、并僧數附朝集使言上、其布施者、三寶調綿十屯、衆僧各調布一端、自今以後、立爲恒例
  延暦廿五年三月十七日〈◯又見日本後紀十三

彼岸例

〔源氏物語〕

〈二十九行幸〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 かくのたまふは、二月ついたちごろなりけり、十六日ひがんのはじめ(○○○○○○○)にて、いとよき日なりけり、ちかう又よき日なしと、かうがへ申けるうちに、〈◯下略〉

〔源氏物語〕

〈四十七總角〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 廿六日、ひがむのはて(○○○○○○)にて、よき日なりければ、〈◯下略〉◯按ズルニ、總角卷ハ、細流ニ、薫廿三歳の秋より、冬までの事也トアレバ、此ひがんハ、秋ノ彼岸ナリ、

〔台記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1073 久安六年二月十九日丙寅、自今日七ケ日〈彼岸〉潔齋、〈夜前沐浴後、服淨衣淨筵、〉於不動尊銀三寸像〈件像、去十二日鑄之、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 〈今日令覺仁供養、〉前、滿其呪十萬遍、〈七ケ日間、十万反也、千反間無言、非要事、有數千反無言之時、〉祈請七ケ日之内〈自今日廿五日〉可立后宣旨之由、〈書願趣、納本尊御身、〉又七箇日、日別讀心經廿一卷、〈雖過日、無不足日、〉奉春日請同事、初(○)〈今日〉中(○)〈廿二日〉後(○)〈廿五日〉持齋〈不戒〉法眼賢覺來讀願書、 廿二日己巳、今日持齋、先日一條殿仰曰、彼岸中日(○○○○)、午時燒薫陸、以求一事佛、無成就矣、仍不動愛染王聖觀音〈不佛教之由、有一條殿仰、〉前、備佛供香花燈明、到午時薫陸、〈例香上散之、一條殿仰也、〉滿三尊呪、祈請立后宣旨彼岸内可蒙之由、 廿五日壬申、持齋入參高陽院、歸家通夜不動尊御前、今夜奉年來所持明鏡一面於賀茂下社、〈昨日欲之、而恐人見奉、仍事成後奉之、〉今朝問禪閤〈◯藤原頼長父忠實〉曰、初有彼岸竟日持齋之志、而立后之定爲最吉事、持齋非憚、若亦不持、恐變先約、仰曰、猶須持齋、仍從此命、但定後、取念珠佛前

〔兵範記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 仁平三年二月廿三日壬午、彼岸初也、高陽院於北川御所恒例御懺法、下官〈◯平信範〉奉行、寢殿中央母屋敷錦地鋪、立大壇御經筥、在天蓋、其東間奉釋迦三尊、大壇西間立七寶御經、大壇前立前机、禮盤磬臺等如常、南庇敷僧座帖三枚、立經机六前、他事如例、未委記

〔醍醐寺雜事記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 一自八月〈◯壽永三年〉八日〈◯中略〉 彼岸者、自十一日始也、其饗役人、皆此僧前勤之、内々各申云、彼講非恒例式日彼岸、以後秋物普出來之後、被宛勤者、爲人宜歟云々、又爲講衆料者於御社之、

〔吾妻鏡〕

〈四十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 建長六年八月十一日辛巳、今日彼岸懺法之結願、導師左大臣法印花山院中將、尾張少將、中御門少將、各取唱導布施、那波左近大夫政茂、能登右近藏人仲時等、役請僧布施

〔本朝高僧傳〕

〈二十一淨禪〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1074 相州淨智寺沙門正念傳
釋正念、自號大休、〈◯中略〉咸淳五年夏、乘商舶東渡、本朝文永六年也、繼屆相州、〈◯中略〉遷建長壽福圓覺諸刹、〈◯中略〉彼岸上堂、日本風俗有春二月秋八月彼岸修崇之辰、教中道、譬如船師不此岸彼岸、不中流、唯欲此岸衆生於彼岸、〈◯下略〉

〔薩戒記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 正長元年八月九日己丑、參院、供御之次、於御前飯酒、今日彼岸中日也、雖精進、依勅定魚味、直被御膳物之故也、

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 永享十年二月廿五日、彼岸中日也、違例中不持齋

〔親俊日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 天文十一年八月九日丁亥、彼岸中日、

〔秇苑日渉〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 民間歳節上 自春分前五日凡七日、謂之彼岸、浮屠爲彼岸會、俗多供佛嚫僧、

〔日次紀事〕

〈二二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 凡當月彼岸中、諸寺院有法事、七條金光寺、四條金蓮寺、大炊道場聞名寺、五條御影堂、丸山安養寺、靈山正法寺、大津莊嚴寺等、時宗寺僧作踊躍念佛、莊嚴寺法事、東山法國寺僧行彼地而勤之、四條坊門極樂寺空也像前、毎日有踊躍念佛、京極光明寺宇津宮彌三郞朝綱持佛彌陀開帳、江州東坂本西教寺、并來迎寺有法事、西教寺今兼法勝寺、來迎寺今兼元應寺、 攝州天王寺參詣、短聲堂修大念佛

〔上醍醐雜事記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 社領彼岸田(○○○)五段〈範國寄進 字此藤心〉
 南山科郷四條大薮里十四坪内〈西繩本〉
  所當地子段別四斗、〈炊料斗定〉二季彼岸(○○○○)僧前料、
  季別一石宛

民間彼岸

〔日次紀事〕

〈二二月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 凡京師俗、彼岸中偶逢親戚之忌日、則供茶菓而祭之、以其祭餘之菓互相贈、或請親戚朋友而饗茶菓、彼岸中稱菓子茶子、點茶曰茶、食麸燒經、倭俗彼岸中專作佛事、民間請熊野比丘尼、使極樂地獄圖、是謂畫、又請巫女死人使思、是謂口也、或念佛講中、男女毎夜聚頭人宅、掲彌陀像、鳴鉦高聲唱彌陀號、其終高揚音急唱之、是謂責念佛

〔改正月令博物筌〕

〈八月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1075 彼岸〈當月の節より、十五日めに入る也、後の彼岸とか、又は秋季を結びて、秋のひがんとす、(中略)京東山靈山念佛おどり、又空也堂にもあるなり、大坂天王寺、春の彼岸と同じく、參詣人おほし、〉

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 彼岸〈春秋トモニ七ケ日〉
大坂ニテハ諸人四天王寺參詣ス、此時婦女美服ヲ著スコト、洛ノ知恩院御忌詣ニ比スベシ、 江戸ニテハ親鸞宗ノ徒、東西本願寺ニ參詣スル人多シ、他宗ノ輩ハ參詣ノ所ナシ、

〔江戸名所圖會〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 春秋二度の彼岸には、六阿彌陀廻(○○○○○)とて、日かげの麗なるに催され、都下の貴賤、老たる若き打群つヽ、朝とく宅居を出るといへども、行程遠ければ、遲々たる春の日も長からず、秋はことさら暮やすうおもはるべし、

〔百家琦行傳〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1076 河内屋太郞兵衞
大坂備後町堺筋に、河内屋太郞兵衞といふ者ありけり、世人略して河太郞と呼ぬ、商家にして家もつとも富り、安永より寛政の頃まで、浪華に名高き滑稽家なり、常に人と談話するに、其おもしろき事譬ふべからず、浪華の風俗にて、彼岸の茶の子といふ物を、家毎にくばる事あり、是は彼岸會のこヽろざしなれば、みな齋物を專として、蘿蔔四五根、豆腐一ちやう、或は胡蘿蔔牛房のたぐひ、其外何にまれ、價十四五錢ぐらゐより、廿四五錢が程のものをくばる事、家毎大やう相おなじ、河太郞思ふやう、彼岸の茶の子、何れも同じ物をやつたり貰たり、不益の事なり、何ぞ跡にのこりて、要にたつものを配んと思ひ、或彼岸に竹を多く買入おき、物干竿を一本づヽ配りけり、衆人をかしき茶の子なりとて笑ひしが、後々永く要に立て、何日までも河太郞が名をいひ續しとぞ、〈◯下略〉


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (387d)