http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1345 玄猪ハ、ヰノコト云フ、十月中ノ亥日ニ行フ、後世幕府ニテハ、上ノ亥日ヲ以テセリ、此日貴賤共ニ餅ヲ製シ、亥子餅ト稱シテ以テ之ヲ祝セリ、朝廷ニテハ始メ内藏寮ヨリ獻ゼシガ、後ニハ丹波國野瀬里ヨリ獻ズル事トナレリ、

名稱

〔増補下學集〕

〈上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1345 豕子〈十月亥日食餅、令人無一レ病、又説、豕能生多子、故女人豕之日獻餅祝、〉

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1346 玄猪(ヰノコ)〈初冬其月建亥、以亥日亥刻、食餅無病、見太平御覽、◯中略〉豕(同)〈或云、亥能生多子、故婦人羨之、至此日餅祀神矣、詳政事要略、四季物語、〉玄猪(ゲンヂヨ)

〔二中歴〕

〈五歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1346 節日由緒
十月亥子〈群忌隆集云、十月亥日、作餅食之、令人無一レ病也、〉

〔源氏物語〕

〈九葵〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1346 その夜さり、ゐのこのもちひまゐらせたり、

〔古今要覽稿〕

〈歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1346 釋名 亥日餅〈年中行事秘抄〉 亥子餅〈同上〉 御嚴重〈二水記、兩朝時令云、三條右大臣〈實條公〉江戸參向ノ時、羅山子道春ニ談ゼラレテ云、亥子餅イツクシクカサヌル故ニ、嚴重ト稱ス、嚴ノ字イツクシト訓ゼリ、シカルヲ俗ニ亥ノ日タルニヨツテ玄猪ト云、獻猪ト云ナラハスハ、無根ノ僻記ナリ、弘賢曰、御ゆどのヽ上の記に、けんしやうと書たるは、かなのたがへるなるべし、〉 豚之嚴重〈宣胤卿記〉 げんでう〈後水尾院年中行事〉 玄猪〈續谷響集云、玄猪或謂亥、猪也、冬屬水、故呼爲玄猪、弘賢曰、女房私記に、けんしよと書たるは、かなたがへり、〉 お玄猪〈雅筵酔狂集云、俗にお玄猪といふは、黒き猪といふにて、此包たる物の名にはあらず、いつよりか誤てしかり、又室町將軍家より此日餅に作り花など相そへ、いつくしく飾り、内々にて獻上あり、仍て御嚴重ともいふ、其外説々あり、〉 御亥子〈殿中申次記〉 御源猪〈年中定例記、かり字也、〉 御まいり切〈宣胤卿記〉 御成切〈御事始記、成氏年中行事、御事始記云、御なりきり共申、又御嚴重とも申なり、弘賢曰、ナリキリとは、喰さしを賜はるゆゑに、いひならはせし異名なるべし、喰さしを賜はるよしは、後水尾院年中行事に、御いきをかけらるヽと、みえたるも其意なるべし、年中定例記には、そも御口にあてられて、まいらせられ候を、賜はるよし見えたり、〉 おなれぎり〈大友興廢記、おなりぎりの轉語なり、〉

〔日本歳時記〕

〈六十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1346 初の亥日餻を製して食ふ事あり、おほやけにも上の亥の日、内藏寮より御玄猪を奉る、あさがれゐにてきこしめす、御玄猪は亥子餅の名なり、〈委き事は公事根源、節供記要略などにみへたり、公事なる故略之、〉又亥子の餻七種の粉を合て作る、七種の粉とは、大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖なりと、掌中暦に見えたり、かヽる事を下にうけて、此日民間にいたるまで餻を製してくらふ、此事いつの比よりはじまるとも見えず、延喜式にのせたれば、往古より有し事とみへたり、承安四年沙汰ありて、大外記頼重師尚など勘文をまいらす、それも本朝のおこりをば、たしかに申さず、みな本書本記をのせたり、しかるに歌林四季物語には、但馬の國よりはじめていのこのもちゐたてまつりし事、國

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1347 史に侍る、時代開化のすべらみことの御くらゐしろしめして二とせの、此月の御事なりとかや、子夜行といふふみには、十月は亥の月にして、亥の用らるヽ事は、子を一年の月の數うみ、うるふには十三うみて、めでたくあさましきまで、いみじき物なればとて、この事をこなはるヽよし侍る、もろこしにてもひさしくなしつたへたりや、はかりがたしとしるせり、しかれども開化天皇の御宇に、亥の日の餻奉りし事、日本紀などには見えず、又榻鴫曉筆といへる書を見侍しに、景行天皇二十三年十月亥日、餻を奉りしよししるしぬれども、これ又ふるき文にも見えず、まいて國史などにもしるさヾれば、かれもこれもみな無稽の言なるべし、源氏物語に、子のこはいくつかまいらせんとあれば、亥の日の餻の殘を、翌日もくふと見えたり、 按ずるに、月令廣義に、五行書を引ていはく、十月亥日餅をくらへば、人をして病なからしむ、又錦繍萬花谷にもかくしるせり、されども其故をしらずいぶかし、右にいへるごとく、豕の多く子をうむによりて、かれをうらやみ、婦人女子のたはふれになし來りし事なるべし、猶ことはりしれらん人に問べし、

〔古今要覽稿〕

〈歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1347 玄猪〈本名亥子餅 一名嚴重 げんでう 御まいり切 御なり切〉 玄猪正しくは亥日餅、又は亥子餅といふ、此こといづれの御時より、はじまれるといふこと詳ならず、然れども禁中年中行事の一つにて、藏人式にみえたれば、貞觀以前より行はれしことなるべし、〈藏人式は橘廣相撰、廣相は貞觀年の人なり、〉昔は餅を豕子の形に作るといひ、〈年中行事秘抄〉又大豆、小豆、及び胡麻等、七種の粉を合せて作るなどみえたり、〈掌中暦〉此儀唐土にても、上古よりありと見えたり、〈初學記〉

〔改正月令博物筌〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1347 亥日 御玄猪〈玄猪餅(いのこもち)、御嚴重(ごけんちやう)、亥の子、能勢(のせ)餅、昔は山猪を奉る事、〈日本紀等ニ出〉應神天皇の御代より、毎歳亥の月亥の日を祝ひたまひ、御亥猪の餅を奉るべき詔ありて、攝州能勢郡木代村切畑村兩村より貢とす、餅を製する當家は能く清め、赤小豆と餅米とにて餅とす、きくの花かえでしのぶの花葉をかいしきとす、色うす赤し、これは豕の子の肉を表したる也、(中略)十月亥の日に餅をくへば、無病長生なり、〈月令廣義〉〉

〔二中歴〕

〈八供膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1347 玄子餅七種粉 大豆 小豆 大角豆 胡麻 栗 柿 糖

朝廷玄猪

〔政事要略〕

〈二十五年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1348 藏人式云、初亥日、内藏寮進殿上男女房料餅、〈各一折櫃〉
 内藏所進餅、已見人給料、但又大炊寮出渡糯米、内膳司備調供御、雖式文、寮司供來尚矣、群忌隆集云、十月亥日、食餅除萬病、雜五行書云、十月亥日、食餅令人無一レ病、〈亥日之餅、本縁如此、愛敬之詞、未其説、〉

〔東宮年中行事〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1348 ゐの日、しゆぜんけむもちひをくうずること、
この月のゐのひごとに、これをたてまつる、うねべ大ばん所にまゐりて、とりつたへたてまつりあぐ、又殿上にもすゑたり、

〔年中行事秘抄〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1348 上亥日、内藏進餅事、〈中下亥、又同、殿上并女房、〉
亥子餅事 或記云、盛朱漆盤〈立紙〉四枚、居御臺一本上、女房取之供朝餉、次召藏人所鐵臼、入其上分擣、令猪子形、以錦裹之、挿於夜御殿帳疊四角、但臺盤所殿上料、内藏寮進、
大外記頼業勘申云、 十月亥日餅事〈◯又見政事要略卷二十五
大外記師尚勘申云 亥子餅事 群忌隆集云、十月亥日、食餅除萬病、 齊民要術云、十月亥日、食餅令人無一レ病、 本朝月令云、雜五行書曰、十月亥日、食餅令人無一レ病、 右亥日餅、本縁如此、奉供事、藏人方沙汰候歟、外記不知也、但内藏寮進殿上男女房料餅、〈各一折櫃〉以柳臼杵等朝餉方舂御云々、仍言上如件、
御膳宿申云、内膳司供之、即於御膳宿朱漆盤四坏、立紙居御盤、自大盤所傳供之、或加晝御膳之、〈承安四年〉

〔建武年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1348 十月〈◯中略〉ゐのこは、くられうよりまいる、あさがれゐにてまいらす、

〔公事根源〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1348 豕子餅   上亥日
此餅は内藏寮よりそなへ奉る、朝餉にてきこしめす、十月の亥日餅を食すれば、病なしといふ本説あり、この事いつ比よりはじまるともみえず、延喜式に載たれば、往古よりはやありける事な

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1349 らんかし、承安四年にさた有て、大外記頼重〈◯頼重頼業誤〉師尚など勘文をまゐらす、それも本朝のおこりをばたしかにも申さず、みな本書本説をのせたり、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1349 ゐのこ、亥に當る日なり、あしたのほど御げんでうを供ず、御いきをかけらる、夫を人々の申出すにしたがひて給はる也、御所々々親王方、門跡方、比丘尼衆、大臣等、其外番衆、八幡別當、醫師等にいたるまで、小たかだんしに包、小かくにすゑ、水引にてゆひてとり出、内々の男衆、院の女中、御所々々の上臈、同乳母などの申出すは、椙原に包て出さる、杉原つヽみたるは、小かくにもすわらす也、畢竟或は賞翫の人、或は外様人には、たかだんしに包たるを給はるなり、つヽみの中にいる物は、初度は菊としのぶと、中度はもみぢとしのぶと、三度めはいちやうとしのぶとなり、いちやうの葉に、申出す人の名を書て、つヽみ紙にさしはさむなり、御げんでうのいろは、公卿たる迄は黒白品々、殿上人は赤、五位殿上人已下は白、兒は赤、地下は白、花ぞくの人は三度一度も、二度に一度も赤は黒、白キは赤を給はる也、家を賞翫のゆゑなり、女中は上臈のかぎりは黒、中臈は赤、下臈は白、儲君の親王の上臈をはじめ、御所々々の上臈は赤、其家にては黒かるべきことなれど、禁中にては中臈の准據なればなり、又后はおはしまさぬときも、后の御料とてひらの御はんに、土器三ツすゑて、御げんでう三色をそなへて、御しやうじの内におく、ないしひとへぎぬきてもて參る、菊のわたのたぐひなり、丹波國野勢といふ所より、筥に入て獻る物あり、則のせと名付て、夕方の御祝に供ず、衞士かちんを進上す、高くらてんそう也、夕方御いはひ常の御所にて參る、御座等例のごとし、先つく〳〵〈臺にすう、臺のてい兩方に足あり、花足の類也、當時世俗に流布に足うちとかいふものなり、〉をもて參る、はいぜん御前にすう、すこし亥の方にむかはせ給ひてつかせ給、はいぜん御直衣のそでをおほふ、もとより御直衣はたヽみながら御座におく、つきをはらせ給ひて、御はしをとらせ給ひて、供御を少し參る、親王女御などあれば御相伴なり、次第にもて參る、親王は半尻著用なれ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1350 ば、はいぜんの人、袖をおほふに及ばず、女の御はいぜんの人、唐衣の袖をおほふ、女中と上臈中らふは、次第に御前にてつく、下らふから衣〈上らふは上臈の唐衣、中らふは中臈のなり、〉の袖をおほふ、次第につきをはりて番所へ御しものから衣を置て出さる、男の料とかや、唐衣はいかヾしたることにか、次に御げんでうを供ず、南にむかはせ給ふ、はいぜん手長の人、例のきぬをいだき持て著座、かけおびばかりをかく、下臈はひとへぎぬを著す、つく〳〵と同體臺〈比臺亥のこの外、目にふれざるもの也、〉二ツにすゑて供ず、白き土器五ツに御げんでうを入て、臺ひとつにすう、都合十也、御はしはとらるヽにも及ばず、はいぜんてながてつせずしてしりぞく、又西向に居直らせ給ふ、上臈、中らふ、下臈襠ばかりにて、まづ御盃、次に二獻御まなを供ず、御さかづき常のごとくとほりて、又御さかづき參りて、三獻〈のせ〉を供ず、三獻目は天酌にて御とほし、例のごとくひと〴〵天酌のついで、初獻に供たる御ひだりのかたにある、御げんでうをとらせ給ひて、しきゐのうへにおかせ給ひて、御ゆびにてはじかせ給ふを給はるなり、御げんでうの事前にみえたり、たヾし四位殿上人の内、清花の族、大臣の子或は孫、兩頭などは、二度の時も、三度の時も、一度は黒を給はるなり、五位殿上人も又同じ、これらは賞翫ゆゑ也、亦しきじに補せらるヽ人は、器量を稱せらるヽよし、又親王、女御、第一の公卿などは、はじかるヽ迄はなく、敷居のうへにおかるヽを、さしよりて給はるなり、ゐのこの御いはひは、兩度三度共におなじ、ゐのこには女中の衣しやう、はいぜん、てながの外は、りんず、唐あやなどの小そでを、心次第に著用なり、

〔禁中年中行事〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1350 御嚴重〈一番、二番、或三番亥日、〉 野瀬ノ折 丹波ノ野瀬ヨリ調進 御嚴重 道喜調進 同 衞士 つく〳〵 供御所ヨリ調進

〔禁中近代年中行事〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1350 御げんぢやう〈戌の日の夜〉 白もち、赤もち、〈あづきの汁にて色付ル〉くろもち、〈くろごまにてあへる、あいかわらけに、高盛三ツ三方壹ツにのせ、それに御いきをかけ給ふ、〉 折敷合 へぎ板にて長サ七寸程、横四寸程、高サ三四寸、餅の

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1351 内にあづきを入、なまづきあづきもち、米半分ほどはつぶにて有、是を箱の大サにきり、五ツかさね入、もちの間々へさヽの葉をしき、のせもちといふ、丹波國野瀬の里より上ル、 亥の日三ツあれば三度上ル、御所の仕丁とりに行也、野瀬もちを二ツに切、あいかわらけに入、三方にて御まへ出ル、此次につく〳〵出ル、 亥の日三ツ有時、初菊、〈しのぶの葉三度とも入〉中紅葉、下鴨脚、 夜御前〈江〉赤黒の餅十計、菊紅葉鴨脚の時葉を敷、もちをかわらけ五ツに盛ならべ、足打にのせ二膳出る、はしなし、此次につく〳〵御前よりすべる、當番の堂上方へ出る時、表使の女中きぬをかたにかけ、左のかたにかける、持まゐり直にかへり、伊豫の局へさがるなり、 宮々大臣以上上臈の御方へは、くろもち壹ツ、引合紙うすやう包にして、小かくにのせ、白紅の水ひきにて十文字にむすび被下、其外堂上方大奉書にて包、堂上の家來長橋のそうしや所へ、硯ぶた持參申請かへる、御内々相勤、地下の者には白もち壹ツ、杉原かみにて、うすやう包にして、人數ほどぶんこのふたに入被下、

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1351 十月亥之日を玄猪とて、則内侍所等御拜有、備物は赤白黒之小餅を調へ、しのぶ、もみぢ、なんてん抔の物の葉を入、大奉書を蝶花形に折包み、内侍所へ被供し跡を、天子御頂戴有故に、縁を求て下へおろし、厄よけ病よけの頂き物と致す事也、此備の名を内侍所のおくま共、又は御玄猪共申なり、

〔故實拾要〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1351 十月 亥日御獻 此御獻自御臺所三獻供之、又玄猪ノ御祝アリ、土佐衞士等ヨリ獻餅、是代々今日獻ジ來ル家也、又丹波國野瀬郷ヨリ折敷合獻之、是代々獻ジ來ルニ依テ也、凡玄猪ノ爲御祝、親王、攝家、清華、諸家中ニ賜御餅也、長橋於奏者所使者之也、但外様ノ面々如此、近習伺候ノ面々ハ、於御前之也、又此餅ノ色、位階ニヨツテ替リアリ、五位ハ赤一ツ白一ツ也、四品以上ハ黒一、白一也、是ヲ大奉書紙ニ包、内ニ紅葉、銀杏、垣衣ヲ入テ包之賜也、

〔日次紀事〕

〈十十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1351 斯月亥日 禁裏賜赤白黒小團餅於群臣、謂之御玄猪、或稱嚴重、又謂嚴祥、女中御下

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1352 頭伊豫局調進擣餅之木臼并木杵、今日舂之謂幸著、倭俗得幸謂幸著福著、幸著之著與餅之擣倭語相同、故相混舂斯餅祥著、其舂之人敷裳於臼下、舂之時有口誦之歌、凡祝今日者、猪性多産子、故亥月亥日祝之、而祈子孫繁榮者也、有女子者特祝之、此月三旬之間、亥日有三則始用小團餅、并鴨脚、忍草、第二箇度用小團餅、并菊花、忍草、第三箇度用小團餅、并楓葉、忍草、又餅有各色、所典侍方者、用黒色餅、内侍方用白色餅、其以下用赤色餅諸家者又有其差也、團餅并草葉、相共以白紙之、以黒白水引之、載小倍木、又別鴨脚葉一枚記頒賜之諸家交名、而挿結之水引間、始女中諸家各拜戴之

〔鹽尻〕

〈九十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1352 十月亥日、朝廷御嚴重に、供御所より舂形を調進す、これをツクツクと稱す、
 神無月しぐれの雨のあしごとにわがおもふ事かなへつく〳〵、此歌を誦し給ふとかや、是もまた民のわざをしろしめすありさまなるべし、

〔攝津名所圖會〕

〈能勢〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1352 御玄猪餅調貢〈又御嚴重、玄猪餅、能勢餅ともいふ、能勢郡木代村切畑村より、毎歳十月に調貢し奉る、上亥日木代五戸より貢す、中亥日切畑八戸より貢す、若下亥日ある年は切畑八戸の内四戸より貢す、むかしは村長門大夫より調貢し奉る、元弘、建武、康安、應永年間の國宣あり、◯中略〉 能勢餅製造〈當家の四壁に齋竹を立て、家宅を清め新菰を布、燧して先赤小豆を能煮て餅米を白精、甑にて蒸、赤小豆に交て舂粘す、事數十返也、製造の役人はみな〳〵袴を著し、覆面して餈となす、其色薄紅なり、これ豕の肉を表したるとぞ、長さ六寸五分、幅四寸、深サ貳寸の筐に入、赤小豆の煮汁を上に引、其上に栗を切て、これを六ツ計程よく並べ置、又其上に熊笹の葉二枚を覆ひ、此如く幾重ねも重ね、都て年々少々の増減あれども、凡貳百合計也、筐の數は、例年御所より仰出さる也、これを唐櫃に藏め、錠に封印をつけ、注連を張、白幣を指、御用の御會符毎年頂戴してこれを立、淨衣を著する者荷ひ、壹荷に貳人宛、都て三荷、宰領の役人帶刀にて守護し、亥日前々日の夜半に里を出、山路嶮しき道を御紋の挑灯照らし、丹州龜山の驛より、公役の人足にて、例年の定刻亥日の前日未の刻、禁裏へ參著し奉る、其時御料理御酒を賜ひ、下行として米三十俵拜賜とぞ聞へし、〉

〔貞丈雜記〕

〈六飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1352 一能勢餅の事、古京都將軍の御代、毎年八幡の善法寺より、十月亥の日ごとに、能勢餅を獻上しける由、年中恒例記、殿中申次記等にみえたり、此餅今に絶ず禁裏へ獻上する也、攝津の國能勢郡木代村は、大阪の天滿と云所より、七里北の方なり、其村に數代居住して、其名

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1353 を門大夫と名のる者あり、毎年十月亥の子の餅を禁裏へ奉る、不淨を禁じて別火にて餅をつく也、赤小豆をつき交へたる餅也、幅四寸、長さ六寸五分、深さ二寸の筥へ入て餅の形を作るなり、上に栗を五ツ五角において蓋をおほふ也、亥の日三ツあれば、初の亥の日百筥、中の亥、終の亥の日は年により増減ありといへども、八九十におよびて百に及ばず、初の亥には門大夫自身に獻ず、後の亥の日には、門大夫が親類五人の内宰領して獻ず、京都迄傳馬を給る也、此由緒にて居屋敷、除地、諸役御免也、其初りは凡千年計にも及ぶといへり、古善法寺の寺領などにてありし故なるべし、〈當時は禁裏へ獻じたる内を分て、關東の將軍家へも參らせらるヽとぞ、又米の價一石に付五十目わづかに及ばざれば、餅一筥のあたひ二匁五分づつ、一石に付五十目の時は、餅一筥のあたひ三匁づヽ、白銀を以て、禁裏より被下とぞ、八九十年以前、兩年獻上怠りし事有しに、主上御惱の事有しかば、又本のごとく獻ずべきよし、仰付られて、今に絶ず獻上するよし、攝津の國の事書たる書にみえたり、〉

〔類柑子〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1353 御玄猪 細川家の茶道、京都の御内縁につきてのぼりし比、近衞左大臣〈基熙公〉御茶にめして、御手づから御菓子を下し給へり、碁石形して色々に染たる餅也、偖仰せ下さるヽやうは、此餅はきのふ御玄猪なりし宸宴供拜のあまりなり、いたヾきおさむべきにこそ、〈◯中略〉爰に丹波ののせの郡久路の庄より、御玄猪〈餅の名也〉備へ奉る事、内藏寮より是を行ふ也、昔をしのぶべき御心ばへとかや、〈◯下略〉

〔厨事類記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1353 臨時供御〈内、院、宮儀、◯中略〉 十月豕子 餅一折敷〈角〉五種〈白、赤、黄、栗、胡麻、〉 菓子一折敷八種、各用角小外居、〈本立掻敷〉居色々粉一折敷、〈角小折敷也〉入小外居、〈掻敷〉臼杵一具、〈居折敷〉已上内々御沙汰歟、

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1353 十五日七種粥 御記云、寛平二年二月卅日丙戌、仰善曰、〈◯中略〉十月初亥餅等、俗間行來以爲歳事、自今以後毎色辨調、宜供奉之、

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1353 應永二十四年十月五日、今夜亥子也、三位以下候、 十七日、今夜亥子也、 廿九日、亥子也、

〔宣胤卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1353 文明十二年十月五日辛亥、今日亥子也、禁裏御まいり切事、元は以雜色勾當局申出也、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1354 歸路入夜、當時難儀間、兼而都護申出之、翌日令頂戴了、
文龜元年十月七日壬子、去夜内裏豚之嚴重兼日申來、黄門今日一裹〈此内兩人分小餅二〉到來令頂戴了、

〔二水記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1354 永正十六年十月二日、〈◯癸亥〉入夜參内、御亥子御盃如恒、親王御不參、仍於御妻御所、各令戴御嚴重了、 十四日、〈◯乙亥〉入夜參内、御亥子御盃如常、 廿六日、〈◯丁亥〉入夜亥子之御禮如例、今朝亥御樂不參候、

〔御湯殿の上の日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1354 慶長三年十月七日、たんばののせこヽろみに、長はしよりとりよせ候て、十二がうまいる、 十一日、御いのこにて、いつものごとく御げんじやう申いだしあり、のせ久しくまいり候はぬとて、たんばへ尋ね候へば、こしらへこんよし申候て、長橋より百講申つけ候、けふ百講のほうし、のせのしやうを、しまずりうはくと申ぶし、ちぎやうにとりしとて、百かうしん上申、女御ひろう、こんゑのゑぢより御申あり、のせ、御所々々、女中、男たち、御配りあり、いのこてんのかちん、いつものごとく二折參る、藤宰相申つぎ、こよひのしそく、れいぜい、四辻少將也、御盃いつものごとくまいる、いまだ御心わろく候て、御盃も三ごん一どに重ねまゐらせ候て、男たちの御とをり中の口にてあり、長はし御げんじやうも御いだしあり、 八年十月四日、女御の御かたより、かき參る、のせとし〴〵のごとく、おほせつけられ候へば、ほりのけんもつむすこ、ちぎやう所にて、みやうがのためにて候まヽ、申つけ上申候はんよしにて、百五十かうしん上申、 五日、御いのこにて、御げんでうはう〴〵より參りていづる、夕かた御さが月三ごん參る、つく〳〵いつものごとく、ひとへぎぬにて參り、女中おとこたち御とをりあり、御げんでうくださるヽ、しやうぐんへ御げんでう、うすやうにつヽみて參る、 十七日、御ゐのこにて、御げんでうはう〴〵より申に參りていださる、夕かた御さか月いつものごとく、女中おとこたち御とをりあり、 廿九日、御いのこにて、御げんでうどもはう〴〵申に參る、

〔時慶卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1355 慶長九年十月五日、御嚴重如例給、御所、女院御所、親王御方也、金千世ニハ親王御方ヨリ別ニ給、家中猪子申付候、 十七日、御嚴重戴、御三所ナリ、此方亥子モ祝、家中マデナリ、 廿九日、御番ハ時直勤、御嚴重、御三御所ヨリ戴候如例、家中ノ祝、又々同、

〔大江俊矩公私雜日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1355 文化七年十月六日丁亥、御玄猪禁中計被出申出之儀如例年、 十八日己亥、御玄猪申出如例、今日仙洞東宮被三御所拜領、尤如昨年、東宮者未刻後申出也、秉燭前相濟罷歸也、佐々木左門麻上下著用相勤也、〈三御所共、紅葉しのぶ也、尤白餅、〉 三十日辛亥、御玄猪申出、辰刻以使附長橋奏者所申込、午半刻更令申出、如例給之、尤禁中計也、

幕府玄猪

〔殿中申次記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1355 御亥ノ子諸家出仕様體之事
一御對面所へ御出座候て、則申次御前へ參、面々と申入候て、則三職以下御相伴衆之大名、一列に御前〈江〉被參著座候て、御膳參り候、同二ノ御膳も參る、左様ニ候て、三職以下一人ヅヽ直ニ御給候て、直に退出なり、次ニ國持の外様、同打つヾきて被參、如此之後二ノ御膳をあげ被申候て、御とほりニ置申て、常の外様一人ヅヽ被參候て、則御ぜんの御なりぎりを給て、頂戴候て退出なり、如此ありて御とをりに置被申たる御膳を、かげへ取申され候也、
一如此次第ありて、別の御膳を持參候て、御前に置被申時、御供衆御部屋衆申次已下被參候て、直に被之候也、
一各參すみて公家と申入て、公家衆一人ヅヽ御參候て、直ニ被給候也、
一傳奏御事は、公家達の中ニ被參候也、
一禁裏様より參らせらるヽ御嚴重は、傳奏公家中にて被參時、被持參申候也、如此之段、もと〳〵よりの御様體也、然に惠林院殿様〈◯足利義稙〉御代禁裏様御嚴重を、一番に御頂戴ありたき由上意にて、面々よりも前に、傳奏と申入て被參候也、其分至于今相違也、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1356 一御膳は以上三膳參り候也、御配膳は如常御供衆勤役也、
   右趣者貞記録在之〈◯中略〉
一御亥子次第之事〈季遠卿ノ御筆なり、〈歌ニ〉神無月時雨のあめのあしごとにわがおもふことをかなへとぞつく   つく〳〵ノ歌〉
常御對面所へ被御出、則申次面々と申入、三職を始て、御相伴衆之大名一列ニ御前へ祗候候て、二膳まいり候て、御相伴衆次第ニ頂戴候て退出候、其次國持之衆、此内國持ならねども、國持に准じて、外様も少々在之、被參候て後、二膳まいり候、内一ぜん御とをりへ被出候て、如常に外様被參候て、此一膳は則あけ申て、又別ニ一膳御前へまいり候て、御供衆申次番頭已下節朔衆、醫師〈上池院又清も參候歟〉參り候て、其後公家と申入て、公家被參候、又御部屋衆は御供衆と申次の間に被參、御供衆御部屋衆申次と次第在之、
一御亥子の事、古記録の上にては難分別間、御佐五御局〈并〉春日殿へ尋申候處、懇ニ注給之趣寫置之、同御兩御局の文在之、
  御亥子の御祝之様體之事
一一番ニ三ツ之御盃參候
一二番ニくろき赤白三色の御嚴重、かくの折敷につませ候て、三ならび、御四方にすはりて參候、又同かくのおしきに、黄なると青きと二ならびて、御四方ニすはりて參候、
一三番ニつく〳〵御四方ニすはりて、なかぼそは御はしのすはり候ごとくに、御まへにをかれ候、何も一度にまいり候て、御祝の様體、常のごとく御座候て、やがて御てうし參候、三の御盃は、女中衆ばかり御いたヾき候、御げんでうの事は、御手づからみな〳〵に下され候、
一四番目ニのし四方にすはりて參候、さて御てうし參候、
一つく〳〵の上にをかれ候五色のこは、くろきをなかにをかれ候、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1357 一つく〳〵は御ひと 御所様ばかり參候
  つく〳〵の上ニをかれ候 〈御四方の上ニすはり候、三ツすはり候を、まづまいり候て、のちに二すはり候が參候、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1357 黄、赤、黒、青、白

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1357 白、黒、赤

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1357 黄、青
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http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1357 一かくのおしきニ、しのぶ菊をかひしきニして、御げんでう十七八廿ばかりほどつみて、うつくしききく、しのぶにてかざり候、
一つく〳〵には、くもはくのやうにゑどり候て、きくしのぶなど繪にかきて、金はく白はくにて、うつくしきゑどり候、何も五色にさいしき候、
一なかほうも、つく〳〵のごとく、時々の繪をかヽれ候、一番の亥にはきく、二番は紅葉、三番はいちやうにて、何もうつくしく色どり候、
一御げんでうのつヽみ紙には、きくしのぶを、ちうでい、しろでいにて、とき〴〵の繪をかヽれ候、從永正十三丙子同十七庚辰歳記録事〈◯中略〉
十月三日 一公家、大名、外様、御供衆、申次以下出仕、 仍御成切頂戴之、如例年之、 一能勢餅卅合、〈例年進上之〉善法寺、 一初鱈三、武田大膳大夫、 一鮭二尺、大草三郞左衞門尉、
十五日〈辻ノ坊八瀬童子ハ、亥ノ子三ツ有之時は、中ノ亥ノ子進之、〉 一柿餅三籠、〈例年進上之〉宇治辻ノ坊、 一餅一籠、栗一籠、〈例年進上之、御太刀被下之、〉八瀬童子、 一能勢餅卅合、〈例年進上之〉善法寺、 一公家、大名、外様、御供衆、申次已下出仕、 仍御成切頂戴之前、 一柿餅二籠、〈例年進上之〉宇治報恩院、
廿七日 一能勢餅卅合、〈例年進上之〉善法寺、 一鮭十尺、〈例年進上之〉細川右馬頭、 一公家、大名、外様、御供衆、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1358 申次已下出仕、 仍御成切頂戴之前、

〔年中定例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1358 殿中從正月十二月迄御對面御祝已下之事
一亥の日暮ておもてにて御祝參、其様ちいさき餅五色なるを、角の折敷につみて、さきに五色の粉すはり候、又前の如くの餅を二三百、御四方につみたるがまいる、さて面々一人づヽ御參候へば、其おほき餅を一ツ御取候て、そと御口にあてられてまいらせられ候、御たまはり候て、御頂戴候て、御まいり候、面々過て、其おほき餅を、御對面所の御さいのきはに、御配膳の人御をき候、其を外様衆一人づヽ被出候て、一づヽとられ候て頂戴候、外様衆過候ては、此御膳をあげられ候、さて又餅つみたる膳參候、前のごとく御取候て、御供衆、御部屋衆、申次、攝津、二階堂、小笠原直にたまはられ候て、さて公家の御かた〴〵御出候、
一餅をたまはられ候て、頂戴候てくひ候が能候由、貞宗申され候つる、懷中したるがよきといへり、又わろしとも被仰候、人によるべし、
一禁裏様御源猪のつヽみ紙を、一番に傳奏御持參にて、ひろげて被參候へば御頂戴候、其次に傳奏御給候、
一國々又御不參候大名、國持衆は、御源猪を申出され候、女中より御つヽみ候て御出し候、急度したる方へは、下繪のつヽみ紙につヽみて、その上を杉原にてつヽみ候て御出候、中臈の御役なり、大方の衆へは、きりはくの御つヽみ紙、其外は引合也、つヽみ様あり、觀世大夫には、下繪のつつみ紙にて候、申次遣之、

〔年中恒例記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1358 十月十日、のせ善法寺、當月亥日ごとに進上之、御臺様へも參也、 今月亥日ごとに御嚴重各拜領之、公家、大名、外様衆、御供衆、御部屋衆、申次衆、番頭、節朔衆、走衆、上池院等也、 亥日次第事、御對面所に御出座の面(ミキリ)、禁裏様御嚴重を傳奏持參、則御頂戴之次、申次面々と申入て、三職はじ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1359 めて御相伴衆は、大名一列に御前へ被參候て、御亥子の餅すはり御膳二膳參候て、御相伴衆次第頂戴ありて被參也、其次國持衆、此外正月一日數御盃を頂戴之人數被參候て、後二膳參候内、一膳御とふりへ被出候て、常外様衆被參候て、此御膳をばあげられ候て、又別に一膳參候て御供衆、申次、番頭以下、節朔衆、走衆、御藥師上池院迄參候て、其次公家と申入て、公家官位次第に被參也、御部屋衆は御供衆後に被參候哉、是は伊勢肥前守盛富説也云々、 昔は禁裏様御嚴重は、公家衆被參候時、傳奏持參候て御頂戴也、近年は先一ばんに御頂戴と也、 御嚴重包様事、三色に在之、一には繪、二には切箔、三には白紙也、先繪のつヽみ紙の事、角の折敷に物の葉を敷て、御嚴重を一すえて繪かきたる引合にて包、〈つヽみ様口傳在之〉其上を白引合にてうはづヽみあり、香包の様に包也、此うはづヽみに給人の名を書也、次切はくの事、假令繪書所に繪はなくて、切薄たるかはりばかり也、こしらへ様は繪に同、次に白紙事、假令繪書所之繪をもかヽず、切はくをもせず、白紙にて包也、白紙のには、うはづヽみと云事なし、うはづヽみなき間、名書もなき也、繪切薄のごとく、角に葉を敷、御成きり一すはりてつヽむまで也、 三職計常角にてはなくて、大角にすはる也、三職女中同前、又三職以下こと〴〵く上包に名書あり、但仁木にかぎりて名書無之、 御嚴重の下に敷く葉事、一番の亥には、しのぶと菊、〈花たるべし〉二番の亥には、しのぶと紅葉楓、三番の亥には、しのぶと鴨脚の葉を敷也、繪にも如此、一番にはしのぶと菊、二番にはしのぶと紅葉、三番にはしのぶと鴨脚を、泥白でいにて書也、又切薄も銀薄にてする也、 つヽみ紙以下用意事、中臈衆の役也、うはづヽみの名書は、上臈の役也云々、繪切箔などは、土佐調進上之、御成切は〈きんとんの様なる餅也〉御美女方より參、諸下行は亥子がけと云て、倉役を相懸、以納錢付之、 番方へ御嚴重出事、杉原にて御嚴重を二十も卅もつヽみて、御四方をうちかへし、うらへ此五包を銘々に入て、五ケ番へ一膳づヽ出也、此つヽみ候事も、番頭へ渡事も、會所同朋之役也、これも菊、紅葉、鴨脚など、時々の物を敷べき也、又番

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1360 頭義は、その番々の月行事へ渡也、 大名の被官衆へ御嚴重出様事、めい〳〵には無之、角に葉を敷て、御嚴重を十五も二十もひとつに入て、其上を白引合にてつヽみ、總中へ一つヽみ出也、つヽみやうは、まづ御嚴重を引合の中に置て、引合をうち合て、あとさきをしかへしたる計也、これを中臈衆調之、 禁裏伺候女中衆十人、繪上壹名書無之、但十人にかぎらず、御所々々様、轉法輪三條殿、 花山院殿 大名衆 同大名女中 松梅院 和泉守護 三條西殿 日野殿 八幡善法寺 右繪也、上包在之名書有之、 御紋候御供衆 同御供衆 兩傳奏 飛鳥井殿 萬里小路殿類 早輪院 そくりん院 かみ〴〵御部屋衆 攝津 以下評定衆 右切薄也、上包在之、名書有之、 右筆方法中醫者 在富卿 正實坊 河村中興〈伊勢被官〉 同朋御末同朋 土佐 伊勢同苗 佐々木七郞 右_紙也、上包名書無之、 仁木切箔うはづヽみ有之、名書無之、 名書の下に殿文字かくと、かヽさるとの事、武家にては御紋候大名、同御供衆、同外様衆、御部屋衆、殿文字有之、御紋候といへ共、番方衆 不沙汰候、大名たりと云共、御紋の衆にあらざれば、殿文字無之、公家衆はこと〴〵く不殘殿文字有之、御所々々かみ〴〵皆殿文字有之也、

〔公方様正月御事始之記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1360 一十月ゐのこの御成切之事 公方様御直ニ被下方へは、其分にて候、又御直に不下方へは、御前之御成切過候て、五ケ番へ御なりきり四方へすはりて、一膳づヽ五ケ番へ被出之、五ケ番へ月行事あり、祗候請取之、番子にちやうだいさせ申候、又奉行衆には、公人奉行祗候仕候て請取申、是も各に頂戴させ申候也、毎年此分にて候也、御成切共申、又御嚴重共申也、

〔宗五大草紙〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1360 殿中さま〴〵の事 一十月いのこの時、御まいり切とて、きんとんのやう成もち參候、それを直に面々其外人によりて御給候、又不參時諸國又御前にてえ給はぬ人の方へ、申次して申出され候、其つヽみ紙にけぢめ候、大名衆其外國大名きつとしたる方へは、下繪の紙に包まれ候、大方の人へは、切はくの紙につヽまれ候、すゑ〴〵は引合一かさねにつヽまれ候、つヽみ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1361 やう候、觀世大夫には大名のごとく、下繪の紙につヽまれ候、つヽみ候事、上臈の御使にて候、つヽみ紙のうへを、又杉原ひとかさねにて御包候て御出し候、申つぎとりつぎ候て、かたがたへまいられ候、

〔成氏年中行事〕

〈十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1361 一十月朔日御祝如例、亥子之御祝三度アル時ハ、三度ナガラ御祝有之、御成切管領ヨリハ以使可下由被申上、其使ニ御對面、其以後御使被遣之、管領御成切直ニ請取有頂戴、御使ニ一獻、其後被太刀、歸參シテ其由ヲ申上、自餘ノ外様ヘハ近付方々申出シテ被遣之、奉公中在郷之方々御亥子之御祝ニ、多分參上アル也、
一亥ノ子ノ餅之事、御祝亥ノ時也、白餅、赤豆餅、黒餅、衝重ニ積テ、胡麻ノ粉、小豆ノ粉、栗ノコ、フチダカニ紙ヲシキ、三種ノコヲ、三所ニヲキテ御前ニ置也、松ノ木ニテ、リウゴノセイニウスヲ作リテ、柳ノ木ニテキネヲ二本作、強飯ヲウスニ入、三種ノコヲカケテ、キネ二ヲヲシソロヘ、右ノ手ニトリテ、女ハイノチツクサイワイト、三キネツイテ食ベシ、オトコハイノチツクツカサト、三キネツキテ食ベシ、白強飯マイル也、

〔享保集成絲綸録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1361 寛永二十一申年十月八日
一今晩御玄猪ニ衆人登城之刻限之事、御近習之面々〈未刻より同下刻迄〉總番衆〈未下刻より申刻迄〉諸衆申刻より同下刻迄を可限、此外は如例年たるべき之旨被仰出之趣、彌可其旨之由上意也云々、是例年は申刻以後より酉刻迄之間に、不殘登城付而、下乘之橋之邊、僕從一同に群集候而、騷動之故也云々、

〔嚴有院様御代覺書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1361 一十月初之亥日、御玄猪御祝、酉刻御長袴ニ而、御白書院〈江〉出御、松平左京大夫、松平攝津守、松平出雲守、井伊掃部頭、松平讃岐守、保科肥後守、松平刑部大輔、松平播磨守、藤堂和泉守、松平大和守、松平出羽守、松平下總守、此外酒井雅樂頭、吉良、大澤、老中侍從以上之高家衆、四品之御譜代衆、右何も官位之順に壹人充出座、自御手御餅頂戴、右之外御譜代衆、御詰衆同息、御番頭衆、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1362 御役人衆、布衣以上之面々、中奧衆貳百五六拾人餘、不殘壹人充自御手之、薄盤之餅出、御手〈江〉被附御下壇に置、新御番之組頭衆、御膳奉行初小役人御番衆寄合衆、三人五人充罷出頂戴、御同朋頂戴畢而入御被遊、

〔要筐辨志〕

〈一年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1362 十月朔日
一玄猪御規式夕七時出仕、熨斗目長袴、 御連枝方、溜詰、御譜代大名、諸御役人、大廣間席ニ而、藤堂和泉守、有馬玄蕃頭、松平出羽守、松平大和守、立花左近將監父子、柳之間ニ而、丹羽左京大夫、藤堂佐渡守、遠山美濃守父子、堀丹後守、片桐主膳正、
右御手自御餅頂戴之、畢而戌刻前退出、諸御門内外正月三日夕之通、〈〇中略〉
文化四丁卯年十月六日、亥之日之所、常憲院様〈〇徳川綱吉〉百回御忌御法事御取越、六日より於上野御執行有之候ニ付、中之亥之日、玄猪御規式有之候事、

〔享保集成絲綸録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1362 寶永六丑年十月二日 今晩玄猪御祝有
御手自御餅頂戴之面々者、爲御禮明日中老中間部越前守〈江〉可相廻候、
  十月

〔享保集成絲綸録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1362 享保元申年九月
一玄猪御祝儀之節 御書院番頭三人 御小姓組番頭三人 林大學頭 大目付壹人 町奉行壹人 〈御黒書院御勝手ニ而御目見之面々、布衣以上之御役人、壹役之内より壹人ヅヽ、〉 御旗奉行壹人 百人組之頭壹人 御鑓奉行壹人 御持弓頭壹人 御持筒頭壹人 火消役壹人 中奧御小姓壹人 御用(㆒位様)人壹人 御用(月光院様)人壹人 〈三千石以上寄合之内、諸大夫布衣之無構壹人、但壹人之外は不出仕、〉 半井驢葊、今大路道三、此内壹人、 法印之醫師壹人 法眼之醫師壹人 林七三郞、林百助、此内壹人、 總御弓頭壹人 總御鐵砲頭壹人 御目付壹人 御使番壹人 御書院番組頭壹人 御小姓組與頭一人 御鐵砲方壹人 御(西丸)裏

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1363 御門番之頭一人 御徒頭壹人 小十人頭壹人 御船手壹人 板橋(下田奉行)五大夫 御用(瑞春院様)人壹人 御用(竹姫君様)人 御用(法心院殿)人 御用(蓮淨院殿)人 御用(壽光院殿)人 二丸御留守居一人 〈元方拂方〉御納戸頭之内一人 御腰物奉行一人 御勘定吟味役一人 奧御祐筆組頭 伊奈半左衞門 右之通頂戴に罷出候、其段向々〈江〉可達候、布衣以下之分は、前々之通罷出事に候、
一三千石以下、五百石以上之寄合は、御祝之節不登城候、是又可達候、
一御留守居嫡子、大御番頭嫡子も不罷出候間、得其意、大御番頭〈江〉可達候、御留守居〈江〉は、此方より相達候、尤相達候向には、〈大目付御目付〉可談候、以上、

〔幕朝故事談〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1363 公方家 玄猪の出御は、とび色の御小袖に、黒の御羽織なり、布衣以上、御自身被下置

〔東都歳事記〕

〈四十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1363 上亥日 玄猪御祝儀、諸侯申中刻御登城、大手御門、并に櫻田御門にて、御笧を焚せらる、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1363 廿八番 左 玄猪
秋をおきて時こそあれと咲花の鏡はけふのもちいなりけり〈〇中略〉
玄猪は亥の子と稱せり、十月上の亥の日を用ひらる、障あれば後の亥を用ひらるヽこともあり、溜詰、譜代の大名、外様にも藤堂、立花、遠山、片桐の類、むかしより出仕せし家々のものは、皆熨斗目長袴著て城にのぼる、暮かヽる頃より、白書院におほく燈を點じ、兩御所上段に著御在、五色の餅ひ薄盆に盛て、菊の花を摘そへて御前にすヽむ、布衣より以上の輩には、御みづから是を賜ふ、次に大きなるひら臺ふたつに、餅あまた積重て、しきみのきはにおき、布衣以下の司、もろもろの番士同朋に至る迄、七人づヽ出て、臺にある餅を取てまかづ、此夜兩御所御のし目のしたに、紫の御衣を奉るとなん、是室町家などの、ふるき世のすがたなるべし、

〔徳川禁令考〕

〈三十年始嘉節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1363 慶應三卯年三月廿三日 御祝儀事御廢止之件々

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1364    河内守殿御渡     大目付〈江〇中略〉
玄猪〈〇中略〉右御祝儀御禮等御廢之事〈〇中略〉
右之趣向々〈江〉可相觸
  三月

〔親元日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1364 寛正六年十月朔日乙亥、御祝四御方分調進上之、亥子、 十三日丁亥、亥子御祝四御方分調進上之、
文明十三年十月十日辛亥、貴殿無御出仕、大内どのへ御方御所様、御なり切之事、藝阿方へ申之、土岐どのへ、同御なり切、兵庫殿より給之、大御所様、上様、御なり切は當年不出云々、 廿二日癸亥、御方御所様之御なり切、土岐殿への分、翌日兵庫殿被下之、御なり切事、大内殿、土岐どのへ御状あり、

〔大館常興日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1364 天文十年十月十一日〈御いのこ也〉能勢餅十合、善法寺殿より以使者給之、例年儀也、 十二日、夜前〈御いのこ〉御げんでう公方様〈并〉上様兩御所さま御分二つヽみ拜受之、今朝從佐方持遣給之也、〈使松平也〉 廿三日〈今夜御いのこ也〉

臣庶玄猪

〔秇苑日渉〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1364 民間歳節下 十月謂之上無月、玄日謂之玄猪、士庶作糍糕以相饋送、〈〇中略〉 初學記引雜五行書曰、十月亥日食餅、令人無一レ病、〈政事要略曰、十月上亥内藏寮進餅、群忌隆集云、十月亥日食餅除萬病、〉 淵鑑類函曰、十月命有司司寒、司中、司命、司人、司祿於國城西北亥日祭之、 南齊書禮志曰、永明三年、有司奏、來年正月二十五日丁亥、可先農即日輿駕親耕、宋元嘉大明以來、並用立春後亥日、尚書令王儉以爲、亥日籍田、經記無文、通下詳議、國子助教桑惠度議、尋鄭玄以亥爲吉辰者、陽生於子、元起於亥、取陽之元以爲生物、亥又爲水、十月所建、百穀頼茲沾潤畢熟也、 月令廣義曰、歳時記、荊楚十月一日食燋糟、或作燋糖、見杜詩、峽人十月朔、以蒸菓節物、楚俗是日裹蒸京飩充節物、南粤志、閩中是日作糯糍或京飩、以祀

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365冬、

〔江戸鹿子〕

〈二年中行事〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 十月亥日 三ツあれば、中祝、

〔東都歳事記〕

〈四十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 上亥日 玄猪御祝儀、〈〇中略〉貴賤餅を製し時食とす、〈武家にては公の例にならひて、白赤の餅を家臣に給るなり、町家にては、牡丹餅等製す、又中亥をも祝ふ、〉

〔源順集〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 天元元年十月初の亥の日、右大臣の女御のひをけどもに、もちゐくだものもりて、うちの女房どもにつかはす次でに、大臣にもひをけ一つ奉らせ給ふ、銀にゐのこ、かめのかたを作りて、すゑさせ給へるに、くはヽれる歌、
わたつ海のうきたる島をおふよりはうごきなき世をいたヾけや龜

〔古今著聞集〕

〈十八飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 同法印、〈〇泰覺、中略、〉ゐのこのもちをよめりける、
なによりも心にぞつくゐのこもちびんぐうすなる物とおもへば

〔執政所抄〕

〈下十月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 亥子御餅事〈毎亥日勤仕之料物別三石〉 度別六外居〈寸法方一尺深八寸〉 餅二外居〈寸法方弘一寸、水永丸長、〉 栗二外居 柿二外居 已上外居加之、上品紙八枚、〈二枚重盛之〉 御強飯一合〈例折櫃〉 五種 胡麻 大角豆 大豆 小豆 栗 深草小春日坏立紙盛之、居例折櫃、 件事秉燭、所課下家司調進、御臺盤所料米及別三石、年預申成下文廻文所課下家司申執行、家司之所課下家司戞大酌別也、停止濫雜、女致清淨勤之、

〔臥雲日件録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 應仁二年十月廿六日、廖侍者持餅二片來、俗所謂亥子也、去年在西山時、宗聯西堂來話次曰、太平御覽曰、十月上亥喫髓餅、髓字何義、此方亥子亦有故也、今年今月有三亥日、昨日下亥也、此方不必限上亥耳云々、

〔言經卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1365 慶長十年十月十日辛亥、四條冷等ヨリ亥ノ子給了、 廿二日癸亥、冷四等ヘ亥ノコモタセ遣了、此方祝詞如例了、寶壽院殿ヘ亥ノコモタセ進了、

〔南龍公言行録〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1366 玄猪御祝儀の事
十年詰御歸國〈〇徳川頼宣〉の翌年之十月、玄猪之御祝儀、末々迄御手づから餅を取て被下けるニ、其夜夥敷人數なり、御仕廻被成、奧へ爲入候時、三浦長門守爲時、佐野良庵御供して申けるハ、今夜ハさてさて大勢ニ而御退屈可成と、第一御氣色ニ障り可申候と、乍憚氣遣仕候と申上ル、御意ニハ、侍共ハ此上また五増倍多ても退屈ハせぬ也、大將者人數ニハ飽ぬものなりと被仰けると也、

〔槐記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1366 享保九年十月十七日、今宵御玄猪御祝儀、


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