http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0971 白馬節會ハ、訓讀シテアヲウマノセチヱト云フ、正月七日ニ行フ儀ナルヲ以テ、又七日節會トモ云ヘリ、元日節會及ビ新嘗會等ト同ジク中儀ト爲ス、是日白馬ヲ觀レバ、青陽ノ氣ヲ調ヘ、年中ノ邪氣ヲ除クト稱ス、因テ天皇豐樂殿ニ出御シテ、左右馬寮ノ官人、牽ク所ノ青馬ヲ御覽アリ、竟テ宴ヲ群臣ニ賜フ、此日又兵部省ヨリ御弓矢ヲ獻ズルアリ、之ヲ御弓奏ト云フ、又文武官敍位ノ儀アリ、又國栖ノ奏アリ、内教坊ノ女樂アリ、其敍位ノ儀ハ、政治部ニ別ニ其篇アレバ、多ク省略ニ從ヘリ、

名稱

〔下學集〕

〈上時節〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0971 白馬(ハクバノ/アヲムマ)節會(セチエ)〈正月七日、於禁中之、或青馬節會共云、馬、陽獸也、青、春色也、正月七日見青馬年中邪氣、從天武天皇始也、〉

〔運歩色葉集〕

〈阿〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0971 青馬節會〈正月七日〉

〔書言字考節用集〕

〈二時候〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0971 白馬節會(アヲムマノセチエ)〈正月七日公事〉

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0972 七日節會及叙位事
白馬事 十節云、馬性以白爲本、天有白龍、地有白馬、是日見白馬、即年中邪氣遠去不來、〈◯中略〉
 帝皇世紀云、高辛氏之子、以正月七日恒登崗、命青衣人青馬七疋、調青陽之氣、馬者主陽、青者主春、崗者萬物之始、人主之居、七者七耀之清徴、陽氣之温始也、

〔看聞日記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0972 應永二十六年正月十三日、經時朝臣參賀、對面暫雜談、白馬節會號青馬事、根元御不審之由、室町殿〈◯足利義持〉諸人ニ有御尋、誰も不存知云々、仙洞へ被尋申、其も無分明之御返事、一條亞相〈◯兼良〉有御尋、寛平法皇御記ニ有此事、被注進之間御悦喜云々、如此事存知之人、當時希有事歟、

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0972 白馬節會     七日
白馬の節會を、あるひは青馬の節會とも申なり、其故は、馬は陽の獸なり、青は春の色なり、是によりて正月七日に青馬をみれば、年中の邪氣をのぞくといふ本文侍なり、仁明の御門、承和元年正月に、豐樂院におはしまして、青馬を見給、同六年正月には、紫宸殿にて御覽ぜらる、されば此馬の事、禮記に春を東郊にむかへて、青馬七疋を用るとあり、七は少陽の數、正月は少陽の月なり、又十節記に白馬を馬の性の本とす、天に白龍有、地に白馬有、又天の用は龍なり、地の用は馬也、人の用は龜也と申本文も侍にや、今の節會には、三七廿一疋をひかるヽなり、是は三は三陽にかたどる、七は七日にあへるよし、寛平の御記にのせられたり、今日の毛つけの奏にも、皆あし毛とばかり有、是白馬をもとヽせる故也、

〔世諺問答〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0972 正月 問て云、けふおほやけにて、白馬をみ給ふは、何のいはれぞや、 答、十節記に、白馬を馬の性の本とす、天に白龍あり、地に白馬あり、また天の用は龍なり、地の用は馬なりと申本文あり、また禮記といふ文に、春を東郊にむかへて、青馬七疋をもちゆるとみえ侍りし、また白馬を青馬と申侍は、陽の獸なり、青は春の色なり、きはめて白き物は、青ざめてみゆるものなり、されば

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0973 青馬とも白馬ともかよひて申にや、正月七日に青馬をみれば、年中の邪氣をはらふといふ本文侍るなり、いまのわらはべのはる駒といふは、これよりはじまり侍るにや、

〔玉勝間〕

〈十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0973 白馬節會 正月七日の白馬節會の白馬、古は青馬といへり、萬葉集廿の卷に、水鳥乃(ミヅトリノ)、可毛能羽能伊呂之(カモノハノイロノ)、青馬乎(アヲウマヲ)、家布美流比等波(ケフミルヒトハ)、可藝利奈之等伊布(カギリナシトイフ)、とあるを始として、續後紀、文徳實録、三代實録、貞觀儀式、延喜式などに多く出たる、みな青馬とのみ有て、白馬といへることは一も見えず、然るを圓融天皇の御世天元のころよりの家々の記録、又江家次第などには、皆白馬とのみあるは、平兼盛集の歌に、ふる雪に色もかはらで牽ものをたが青馬と名づけそめけむ、とよめるを見れば、當時旣く白き馬を用ひられしと見えたり、然れば古よりの青馬をば、改めて白き馬とはせられたるにて、そは延喜より後の事にぞ有けむ、延喜式までは、青馬とのみあれば也、さて然白馬に改められしは、いかなる故にか有けむ、詳ならざれども、源氏物語の榊卷の河海抄に、年始に白馬を見れば、邪氣を去といへる本文、十節録にありと見え、公事根源にも、十節記とて引れたり、さるよしにやあらむ、されどなほもとの本文は、禮記の月令にて、孟春之月云々、天子居青陽左个、乘鸞路、駕倉龍青旂、衣青衣、服倉玉、とあるによれることなるべし、倉龍は青き馬なり、文徳實録にも助陽氣也とあれば、白き馬にはあらず、青なりしこと决(ウツナ)し、貞觀儀式には、青〈岐〉馬とさへあるをや、然るを後世までも、文には白馬と書ながら、語には猶古のまヽにあをむまと唱へ來て、しろむまとはいはず、白馬と書るをも、あをむまと訓によりて、人みな心得誤りて、古は實に青き馬なりしことをばえしらで、もとより白き馬と思ひ、古書どもに青馬と書るをさへ、白き馬を然いへりと思ふは、いみじきひがこと也、白きをいかでか青馬とはいはむ、

〔比古婆衣〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0973 七日の青馬白馬 正月七日青馬を御覽じ給ふ事は、萬葉集に、水鳥乃、可毛能羽能伊呂乃、青馬乎、家布美流比等波、可藝利奈之等伊布、〈かぎりなしとは、命の限り無きよしを賀ぎたるなり、〉右一首、爲七日侍宴

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0974 右中辨大伴宿禰家持預作此歌、但依仁王會事、却以六日、於内裏諸卿等酒肆宴給祿、因斯不奏、とあるぞ書にみえたる始なる、こは前に天平二年春正月三日、〈初子の日なり〉召侍從豎子王臣等、令於内裏之東屋垣下、即賜玉箒宴云々、應詔旨、各陳心緒歌賦詩、始春〈乃〉、波都禰〈乃〉家布〈能、〉多麻婆波〈伎〉云々、右一首、右中辨大伴宿禰家持作云々とある、さし次に載たれば、此卷の例に依るに、聖武天皇の御世、天平二年正月七日の事なり、此事これより前に始給へるにか、其は詳ならず、又其後相續て行はれしにや、それも考るところなけれど、うけばりたる恒例にはあらざりしにや、色葉字類抄に、本朝事始を引て、光仁天皇寶龜六年正月七日、天皇御楊梅院安殿、設宴於五位以上、已而内廳宴進青御馬、兵部省進五位已上裝馬とあり、河海抄にも此文を引て、是青馬始也と注されたり、此事續日本紀には載られざれど、舊記の文ときこえて、實に此事の恒例として行はるヽ事となりたる始にぞあるべき、〈◯中略〉されど此後の御代々々に行はれたる事は、續日本紀、日本後紀等には載られずして、弘仁内裏式、弘仁十二年正月卅日撰上、正月七日の會式に、引青馬式を載られたり、水鏡に、弘仁二年正月七日、はじめて青馬をみそなはし給ひきと見え、詔運録嵯峨天皇の御譜に、弘仁二始覽青馬と見えたるをおもへば、中間廢られたりつるを、此時再興し給へるを、かくは記せるものなり、〈◯中略〉國史には續日本後紀より始て載られて、仁明天皇の御世、承和元年正月壬子朔戊午、〈七日なり〉御豐樂殿、觀青馬群臣と見えたるぞ始なる、〈公事根源に、此時を始のごとく記されたるは疎なり、〉此後三年をおきて、同五年より七年まで行はれ、又中間八年をおきて嘉祥二年に行はれ、同三年には行はれず、但此正月の頃は、天皇不悆し給へり、〈三月廿一日崩給ひき〉次に仁壽元年の正月は、旣に文徳天皇の御世となりて諒闇のほどなり、明る二年正月戊辰朔甲戌、〈七日〉幸豐樂殿以覽青馬、助陽氣也、賜宴群臣常と實録に載られ、相次て清和陽成光孝の三代の實録にも、恒例として廢えず載られたり、これによりて稽るに、仁明天皇の御世に停られたる事も有けれど、嘉祥二年より舊に復して、又恒例

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0975 と爲給ひけるが、上に云へるごとく、明る三年は天皇〈仁明〉不悆ましけるによりて行はれず、遂に崩給ひ、文徳天皇御世を嗣まし〳〵て、明る仁壽元年の正月は、諒闇に坐ましければ行ひ給はず、その明る二年に、其式を相繼て行はれたるなり、故其事を載らるヽ御世の始なれば、覽青馬陽氣也と、其覽給ふ謂を記して、賜宴群臣常と言分て記され、〈此日賜宴の事は舊儀にて、青馬を覽給ふにつきての事にはあらず、〉それよりうち連續て行はれたる事を、年々載られたるをもて知るべし、〈◯中略〉青馬は、儀式の青馬儀の條の宣命に、常毛見留、青岐馬見太萬閉退止爲氐奈毛云々、弘仁内裏式、内裏儀式、延喜式等に載られたるも同じくて、〈◯中略〉そは或は葦毛とも云ふ毛色とぞきこへたる、和名抄に、爾雅注云、菼騅〈今按、菼者、蘆初生也、吐敢反、俗云葦毛是也、〉青白如菼色也とある毛色にて、白馬毛付奏文にも、葦毛と書例なるをもおもふべし、〈◯中略〉さてその青といひ、葦毛ともいふ毛色を、又或は青鷺毛ともいへり、其は新撰六帖の歌に、あを馬を題にて、右京權大夫源信實朝臣、見渡せばみなあをさぎのけつるめを引つヾけたるうま司かな、とよまれたるをもて知るべし、〈◯中略〉然るを後の御世となりて、青馬を白馬に更て覽し給ふ事となれり、其は醍醐天皇の御世、延長の末つ方よりの事なるべし、然稽へたる由は、延喜五年八月詔ありて、延長五年十二月に撰集して奏進られたる延喜式に、正月七日青馬云々、また青馬二十疋、自十一月一日正月七日半分飼之とあるに、紀貫之朝臣の延長八年正月、土佐守に任されて彼國に下り、〈京を發たまへる日頃は詳ならず〉任畢て上京の時の、土佐日記承平五年正月七日の條に、〈◯中略〉今日はあをむまなどおもへどかひなし、たヾ波のしろきのみぞ見ゆると、書れたるをおもへば、延長八年の頃には、其儀の名目にはなを青馬と唱へながら、旣に白き馬を換用ひ給ひたりし事决し、然るに延喜式撰ばるヽ時、旣に白馬を用ひられたらむには、其馬をさして青馬と書るべき謂なし、〈寛平御記にも、禮記に據りて以青馬七疋云云と記し給へる事、上に引たるがごとし、〉しかれば延長六年七年八年の三年が間にぞ更へられたりけむ、さらずば延喜の末つ方より更られたりけるを、式撰集の間、旣に舊式を

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0976 載おかれたるまヽにて、訂し漏されたるにぞあるべき、〈◯中略〉故延長の末よりの事なるべしとは云ふなり、又平兼盛朝臣集に、あをうまを題にて、降雪に色もかはらで引ものをたれあをうまと名づけそめけむ、と云ふ歌みえたり、此ぬし天暦年中越前權守に任され、從五位上駿河守まで進みて、正暦元年に卒り給へり、貫之朝臣には、凡三四十年ばかり後れて壯なりし人なるべし、〈◯中略〉さて遂に其青馬儀の字をも白馬と改られたり、所謂白馬奏、白馬節會などこれなり、されど白馬と書ても、詞にはなほ舊のまヽに、アヲウマと唱ふ例なり、〈◯中略〉かくてしか白馬と書たる事の書に見えたる始は、西宮記七日節會條、左右御監白馬奏とある方始なるべし、〈◯中略〉村上天皇の天暦元年正月七日癸巳、白馬宴ありと書るを始にて、次々皆白馬と書き、其外の書ども、また家々の記どもにも、延喜より後のものには、皆白馬と書て、青馬と書るは、をさ〳〵ある事なし、〈◯中略〉さて然白馬に更給へる謂は、年中行事秘抄に、正月七日白馬事、十節記云、馬性以白爲本、天有白龍、地有白馬、是日見白馬、即年中邪氣遠去不來、〈公事根源、河海抄等にも、此文を引れたり、〉など云るかたの説に、さらに據り給へるものなるべし、

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0976 水鳥乃(ミヅトリノ)、可毛能羽能伊呂乃(カモノハノイロノ)、青馬乎(アヲウマヲ)、家布美流比等波(ケフミルヒトハ)、可藝利奈之等伊布(カギリナシトイフ)、
右一首爲七日侍宴、右中辨大伴宿禰家持預作此歌、但依仁王會事、却以六日、於内裏諸王卿等、賜酒肆宴給祿、因斯不奏也、

〔年中行事歌合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0976 五番 左〈持〉 白馬節會〈正月七日〉   頓阿
松の葉の色にかはらぬ青馬を引ば是もや子日なるらん

白馬節會儀

〔内裏式〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0976 七日〈◯正月〉會式 前一日、所司辨備豐樂殿、構舞臺於殿前、〈自殿南階南去十一丈七尺、舞臺高三尺、方六丈、〉設樂人幄於舞臺東南角、〈南去八許丈、東去二許丈、〉舞臺北四丈、中務置宣命版位、南去一許丈置尋常版位、四位五位座於顯陽承歡兩堂、六位以下座於明義歡徳兩堂、其日平明、左右衞門樹梅柳於舞臺之四角及三面、内藏

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0977 寮以縹帶結著、即置舞臺鎭子、〈寮官人少數者、用内豎大舍人等、〉掃部寮立位記(○○)案於版位東西、〈自尋常版位南去四尺、東折一丈安親王位記案、又南去七許尺安三位以上案、又南去七許尺安四位以下案、兵部亦同、〉所司預辨供御饌并群臣座饌等、一如元日、〈但元日不非侍從〉乘輿幸豐樂院後堂、賜叙人歴名於内侍、内侍臨東檻大臣、大臣喚内豎宣、喚式兵二省、二省丞各一人參入、大臣賜歴名召計、近仗服上儀、〈少將以上仗槍、左右兵衞佐以上亦同、諸衞同服上儀、但不器仗等、〉陣殿下、旣而皇帝御豐樂殿、内侍置位記筥於大臣之座前、即臨東檻大臣、〈若無大臣者、參議亦得、(得一本作同)〉大臣到左近陣西頭謝座、訖登東階〈凡昇殿人皆用此階〉著座、次皇太子登同階、到座東而西面謝座謝酒〈凡毎拜隨座宜〉著座、所司開豐樂儀鸞兩門、闈司二人出青綺門坐逢春門南北、〈掃部預設座〉大舍人叫門如常、闈司進左近陣東南版奏云、御弓事(○○○)奏賜〈牟止、〉内舍人姓名叫門故〈爾〉申、勅曰、令奏、闈司傳宣云、姓名〈乎〉令申、大舍人稱唯、訖内舍人入逢春門、經左近陣南版奏云、御弓進〈牟止、〉兵部省官姓名等〈謂大輔以上〉候門〈止〉申、勅曰、喚之、内舍人稱唯出喚卿、稱唯、録以上及造兵司等、安弓矢櫃於高机上共舁入逢春門、尋常版北一許丈東去五許尺立置退出、〈兩机之間一許丈〉卿若大輔一人留、〈進立兩机中央〉奏云、兵部省奏〈久、〉造兵司〈乃〉供奉〈禮留〉正月七日〈乃〉御弓、又種種矢獻〈良久乎〉奏給〈波久止〉奏、〈無勅答〉即退出、内藏寮允已下史生已上〈寮官人少數者、用内豎大舍人等、〉共舁机退出、〈舊例大臣先喚内豎喚、内藏寮允已上得之、〉内記授宣命文於大臣若中納言以上、大臣令内侍奉覽、訖返給、〈待宣命時而授宣命者、〉大臣喚内豎、稱唯、内豎大夫趨立左近陣西頭、大臣宣、喚式部兵部、稱唯、出喚二省輔、稱唯、〈若多位記筥丞等隨〉入逢春門左近陣西頭、大臣宣喚式部、稱唯、升殿賜位記筥本所、兵部亦同、訖各捧位記筥趨置案上、〈兵部度馳道之〉相引退出、大臣喚舍人二聲、舍人候逢春門外、稱唯、少納言替入逢春門版位、大臣宣、喚大夫等、稱唯、出儀鸞門之、親王已下五位已上稱唯、親王以下參議非參議三位以上一列、入儀鸞門東扉、比門諸仗共興、次五位已上東西分頭參入、〈並用東西扉〉式部録正容儀、相次六位以下參入、省掌正容儀、〈參議以上後親王五許丈、四位後參議七許丈、五位與四位連屬、五位最後者比明義堂北頭、六位已下參入、但參議以上列行之間三許丈、〉親王以下六位已上、東西分頭立庭中、去舞臺南二許丈東西立定、〈未入之前、酒部等各立酒罇下、〉大臣宣侍座、共稱唯謝座、訖造酒正把空盞、〈便用升殿者酒盞

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0978 來授第一人、〈共跪受授〉更還却二三許丈北面立、親王以下謝酒、訖造酒正受還、〈他皆效之〉參議已上非參議三位已上、以次升就座、次五位已上六位已下東西相分著座、〈見參議以上兩三人升殿、則五位已上六位以下相共著座、不必待參議之昇竟、他皆效此、〉六位已下最後者比堂下、式部兵部率敍人、東西分頭入立舞臺南、〈自臺東南角東去三許丈、南折三許丈、立四位已下行立標、兵部亦同、〉大臣喚宣命參議已上一人、授宣命文、受即復本座、皇太子立座東而西面、次親王以下下殿東階、〈若大臣預敍位者、便往就列、〉自左近衞陣南去三丈、西面北上立、不昇殿者、見殿上者兩三人下殿、則相應倶下、〈復昇亦同、他皆效此、〉各立堂前、〈東西面、進堂前各二丈、他皆效此、〉宣命大夫降同階版、宣制云、天皇〈我〉詔旨〈良麻止〉勅大命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、皇太子先稱唯、次上下稱唯、訖皇太子再拜、次上下再拜、更宣云、仕奉人等中〈爾、〉其仕奉状〈乃〉隨〈爾〉治賜人〈毛〉在、又御意愛盛〈爾〉治賜人〈毛〉一二在、故是以冠位上賜治賜〈波久止〉詔、天皇大命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、皇太子先稱唯、次上下稱唯、訖皇太子再拜、次上下再拜、〈不殿者各當堂前東西面、他皆效此、〉各復著座、訖式部輔進叙之、訖兵部亦同、〈卿叙親王、大輔叙三位已上、少輔叙五位已上、〉訖二省共引退出、次被叙人等相依馳道拜舞、〈不必待二省出門〉訖退出、諸仗共坐、〈若叙親王者、親王先入、次式部卿、共叙畢、卿先出、次親王拜舞退出、〉二省丞〈或一人、或二人、隨筥多少、〉入逢春承秋兩門筥退出、掃部寮參入、撤案與二省同、新叙者親族在殿上及堂上、則被叙人退出之後、各下立殿堂前拜舞、訖各復本座、左右馬寮引(○○○○○)青馬(○○)延明門、從顯陽堂後北上、入逢春門〈近仗興待度畢乃坐〉經舞臺北殿庭、近衞分配前後、〈左近在前、右近在後、〉毎七匹前後寮官人分陣、出承秋門、經承歡堂後萬秋門、訖内膳司〈各著當色〉益供御饌、〈左右各五人〉近仗興〈供饌訖坐、群臣亦同、〉主膳監益供東宮饌、大膳職益送群臣饌、一觴之後、吉野國栖獻(○○○○○)御贄(○○)〈若有蕃客歌、他皆效之、〉奏(○)歌笛(○○)、及大歌立歌人等奏(○○○○○○○)歌(○)如常、〈或不必召、若有蕃客亦不奏、他皆效之、〉舞妓出青綺門、大夫二人〈用堂五位端正帶劍者、若不帶權帶之、〉分在樂前、南向經近仗東頭、更西折一許丈、向南行至幄東、並北面而立、樂人就肆、訖大夫便就顯陽堂座奏、訖引歸如初、皇太子先起座、次親王以下下殿、不升殿者下堂、各立定、皇太子先拜舞、次親王共拜舞、〈他皆效此〉訖大藏省積祿、〈掃部寮舞臺南立祿臺〉辨官前奏曰、絹若干匹、綿若干屯進〈止〉申、〈無勅答〉大臣進宣命文及五位已上見參數、内侍傳取奉覽、訖宣命大夫受宣命文本座、上下群臣避座如上、〈若有蕃客、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0979 〈勅使引客列堂前、倶東面、與此間大夫等倶拜舞、〉宣制云、天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉宣〈不〉大命〈乎〉衆聞食〈與止〉宣、皇太子已下稱唯再拜、更宣云、今日〈波〉正月七日(○○○○)〈乃(○)〉豐樂(○○)聞食〈須〉日〈爾〉在、故是以御酒食〈閉〉惠良岐、常〈毛〉見〈留〉青〈岐〉馬見〈多萬閉〉退〈止〉爲〈氐奈毛、〉酒幣〈乃〉御物給〈久止〉宣、皇太子以下稱唯拜舞、式部大少輔及丞録、相分執札入儀鸞門、〈大輔東扉、少輔西扉、〉先是、預定使祿之參議一人、宣命訖降殿、就祿所名賜祿、〈大少輔唱五位已上、丞録唱六位已下、但六位已下者與五位倶待唱給、唯皇太子祿授坊官、〉所司獻餘物於内侍、〈但六位以下祿殘者、返納大藏省、〉即女史唱名賜命婦及女官等、宴畢廻御本宮、其日逮昏、主殿寮執燎入逢春承秋兩門、與宣命版位平頭、北面列立、左右各十炬、又賜五位以上、祿所各二炬、亦左右衞門門部秉燎入延明萬秋兩門、列於顯陽承歡兩堂前各十炬、〈北面〉又賜六位以下祿所各二炬、若有蕃客(○○)者、前一日所司整設御座常、〈諸衞服上儀、但不器仗、〉不升殿者座整於顯陽堂、六位以下座於觀徳明義兩堂、勅使及客座於承歡堂、構舞臺於殿前、〈自殿南去十三(三一本作五)丈許、方六丈、〉設樂人幄於舞臺東南角、〈南去八丈許、東去二丈許、〉舞臺北四丈置尋常版位、南去四丈當承歡堂北第三階、置勅使宣命位、自勅使位南去二丈五尺、更西折二丈置通事承宣位、自承宣位南去二丈許、置通事承傳位承傳位南去二丈、置客徒、〈◯徒、一本作等、下同、〉大使已下録事已上位、自大使已下位南去一丈、置首領位、自首領位南去二丈、置通事位、但當大使位東去四丈置治部位、東去二丈置玄蕃位、其日未座前、膳部酒部等列立酒樽下、〈臨時簡大學生及内豎等容貌端正者、令當色、其勅使蕃客座、熊羆皮上施床子及食床、氈上施酒器、事具所司式、〉御座定、開豐樂儀鸞兩門、少納言候逢春門外、大舍人同候如元日會儀、少納言奉宣出儀鸞門東扉、召群臣即參入、〈入東扉〉六位以下東西相分參入、〈群臣行立標具式部式〉坐定治部玄蕃通事引客徒參入、比門諸仗倶興、〈(興一本作立)此間新敍者退出之後、通事引客入、通事若帶五位者立客前、帶六位以下者與客相雙入、〉各就位、客徒拜舞、式部少輔丞各一人、入儀鸞門治部前、掃部寮入同門案於宣命位後、〈自宣命位南去三丈五尺、更西折五尺許、立三位以上位記案、南去七尺、立四位以下位記案、〉式部録擎位記筥、入同門案上退出、承勅者自左近仗東頭稍南進、更西折進十許丈、南折進當勅使位、西折即就位、喚通事二度、〈若以五位通事名、以六位通事譯〉通事稱唯、就承宣位、時宣制曰、天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉勅御命〈乎〉渤海客人衆聞食止宣〈不、〉國〈乃〉王差某等進度

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0980 〈志〉、天皇〈我〉朝廷〈乎〉拜奉〈留〉事〈乎〉矜賜〈比〉慈賜〈比、〉冠位上賜〈比〉治賜〈久止〉勅、天皇〈我〉大命〈乎〉聞食〈止〉宣、通事稱唯、就承傳位曰、有勅、客徒稱唯再拜、訖通事傳勅旨、客徒稱唯拜舞、通事復本位、承勅者還本處、時式部少輔進叙大使、次丞進叙副使已下、訖客徒拜舞、輔丞録退出、次式部掃部擎筥却案退出、内藏并縫殿寮入延明門顯陽堂南、預擇容止合禮者、〈臨時擇取儲之〉隨客徒數各取朝服、各到客徒傍、北面賜之、客徒受之、授了、還加入儀、訖治部玄蕃引客徒出、令本國服我朝服、參入列立如前、即拜舞訖供食、勅使就位與出儀同、承勅者喚通事二度、通事稱唯、就承宣位勅使宣、客人〈倍〉安〈良可爾〉座〈爾〉侍〈止〉宣、通事稱唯、就承傳位、勅使宣如常、客徒拜舞、酒部一人把盞、下第四階大使前立、大使跪把盞、酒部跪授、訖西還、録事左北面立、大使以下謝酒、訖酒部進把盞還樽所、勅使西進當承歡堂第二階、北折進當第一階北面立、通事引客徒西進當第四階、北折進當第二階立、首領當第三階立、勅使登就座、次首領升堂著座、〈通事立大使後、若帶五位者、著座勅使後饌、〉治部玄蕃東折就群臣座、左右馬寮各牽青馬延明門、自顯陽堂後北上、入逢春門殿庭西度、出承秋門、經承歡堂後萬秋門、訖所司〈服色見上〉益供御饌、〈近仗并諸臣客徒起座、凡毎近仗興、諸臣客徒起座如常、〉舞妓出青綺門、五位二人分頭在前、差進經左近仗東頭南進、當幕前北面而立、舞妓就肆、訖便著顯陽堂座舞妓奏樂、訖還入五位在前如出儀、群臣各下座列立、供食勅使下第一階、少東進東面立、次通事引録事已上、下第二階東面立、首領下第三階東面立、群臣及勅使客徒倶一時拜舞、〈通事不預、他皆效此、〉舞妓還、訖掃部寮入延明門祿臺於庭中、〈不必待妓還〉辨官并大藏省輔令祿物臺上、宣命拜舞如常、群臣各著座、訖勅使通事引客徒庭中位初儀、其賜祿儀者、式部大少輔入儀鸞門〈大輔東扉、少輔西扉、〉給之、大輔先喚升殿者名、訖唱升殿者名、日旣逮昏、主殿寮執燎、左右分列於殿庭、頃之左右衞門門部各廿人、執燎入萬秋延明兩門、列於顯陽承歡兩堂前、左右京職各廿人、入同門於明義觀徳兩堂前客徒祿訖、治部玄蕃下堂列立賜祿、訖引客徒退出、左右衞士各二人、執燎迎儀鸞門朱雀門、勅使南折進東折度殿庭、自顯陽堂第四階群臣座、訖閉豐樂儀鸞兩門、乘輿廻宮、〈延暦〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0981 〈十三年正月十三日、於射場勅定、〉

〔儀式〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0981 正月七日儀
前一日、所司裝飾豐樂院、〈事見元日〉中務録率史生省掌等、置宣命版於舞臺北四丈、南去一許丈置尋常版、式部丞録率史生省掌等標、〈自顯陽堂北第四柱西去十五丈、南折二丈、一親王標、次太政大臣標、次左右大臣標、次大納言標、次中納言標、次三位參議、非參議三位、四位參議、少退在此列、次臣四位參議標、次王四位五位標、次臣四位標、次五位標、並以一丈三尺間、〉次立叙位(○○)行立標〈自舞臺東南角、東去二丈、更南折一丈立親王標、次一位標、次二位三位標、次王四位五位標、次臣四位標、次五位標、次六位標、竝以六尺間、〉次立位記案標、〈自尋常版南去四尺、東折一丈、立親王案標、南去七許尺、立三位已上案標、南去七許尺、立四位已下案標、〉兵部省丞録率史生省掌等、立叙位行立標、〈自舞臺西南角西去二丈、南折一丈、立親王標、次立一位標、次立二位三位標、次立王四位五位標、次立臣四位標、次立五位標、次立六位標、〉次立位記案標、〈自尋常版南去四尺、西折一丈立親王案標、南去七許尺三位已上案標、南去七許尺四位已下案標、〉當日寅刻、掃部寮設式部座於興禮門以西壇上、〈南面西上〉輔以下就座、點撿五位以上、兼仰御齋會〈◯正月八日〉職掌、諸衞服上儀〈佐以上仗槍、不器仗、〉平明左右衞門樹梅柳於舞臺四角及三面、掃部寮敷調薦於臺上、内藏寮以縹帶著梅柳枝、剪綿爲花形、以兩面薦上、以鐵爲鎭子、〈寮官不足者、以内豎大舍人之、〉掃部寮立位記案、辰刻式兵兩省丞各一人、爲叙人簿、豫就東廊而候、所司辨備御饌羞群臣、時刻乘輿御清暑堂、賜叙人歴名於内侍、内侍臨東檻大臣、大臣喚内豎、内豎稱唯進立、大臣宣喚式兵兩省、内豎稱唯、出而喚、二省參入、大臣賜歴名、丞受出陽祿門、南行就豐樂門外東西列、〈輔已下列立相侍、式部在東、兵部在西、其就列之儀、式部便留就東、兵部度馳道西、〉立定式部丞目録、録進受簿而復列、喚省掌名一聲、省掌稱唯、進受復列、録命唱計、省掌稱唯、唱計叙人等〈不參議已上、無位孫王列六位上、若有不參者、預定其人代、〉稱唯列立、〈西面西上、兵部准此、東面東上、〉訖輔已下相分禮成崇賢二門、列立豐樂門内左右、〈式部北面西上、兵部北面東上、〉先是式部丞録率史生省掌等東西相分北面、列立延英招俊兩堂南頭、〈東列以西爲上、西列以東爲上、史生省掌相分從之、〉彈正忠疏率史生臺掌、東西相分列立、式部史生二人各持大札、左右相分進當録前、〈左西面、右東面、〉唱計五位已上、稱唯列立、六位已下亦東西相分、列立禮成崇賢兩門外、于時乘輿御豐樂殿、内侍置位記筥於大臣之座前、即臨東檻大臣、〈若無大臣者、參議已上得之、〉大臣到左近陣西頭、謝座、升東階著座、〈凡升殿者、皆用此階、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0982 次皇太子升同階座東頭、西面謝座謝酒、就座、所司開豐樂儀鸞兩門、〈大臣升殿則開門、不必待皇太子就一レ座、〉闈司二人出青綺門、分居逢春門南北〈掃部寮預設座〉大舍人叫門如常、闈司進左近東南版奏云、御弓事(○○○)奏賜〈牟止、〉内舍人姓名叫門故〈爾〉申、勅云、令奏、闈司傳宣云、姓名〈乎〉令申、大舍人共稱唯、訖内舍人入逢春門、經左近陣南版奏云、御弓進〈牟止、〉兵部省官姓名等〈大輔已上〉候門〈止〉申、勅曰、喚之、内舍人稱唯出喚、卿稱唯、録已上及兵庫寮官人置櫃〈弓矢引櫃〉於高机上共舁、〈卿輔丞録六人、指笏舁御弓案、丞録及寮官人六人、舁御矢案、〉入逢春門、尋常版北一許丈東去五許尺、立置退出、〈兩机之間、相去一許丈、御弓案在西、御矢案在東、〉卿若大輔一人獨留待僚下出畢、進立兩机中央奏曰、兵部省奏、兵庫寮奉〈禮留〉正月七日〈乃〉御弓、又種種矢獻〈良久乎〉申給〈波久止〉申、〈若親王任卿者、奏詞云太天萬都禮良久乎、〉訖退出、〈無勅答〉内藏寮允以下史生以上參入、〈寮官人内覽大舍人等〉共擧机退出、内記進宣命文於大臣、大臣受令内侍奉、訖返賜、〈待宣命時宣命者〉大臣喚内豎、内豎稱唯、内豎大夫〈元爲内豎者〉趨立左近陣西頭、大臣宣、喚式部兵部、稱唯出喚、二省輔稱唯、入逢春門左近陣西頭、〈若多位記筥、丞隨輔而進、〉大臣喚式部、稱唯升殿、受位記筥降復本處、〈若筥有數、以次授、〉兵部亦如之、訖各擎筥趨置案上、〈兵部度馳道之、出承秋門、〉訖各退出、大臣喚大舍人二聲、舍人共稱唯、〈預候逢春門外〉少納言代入逢春門版、大臣宣、喚大夫等、稱唯、出儀鸞門東戸、立屏幔外北向而喚之、親王以下五位以上稱唯、次六位以下稱唯、參議已上一列入儀鸞門東戸、比門諸仗共起、次五位以上東西相分參入、並用東西戸、式部録進立屏内左右、互稱容止、丞録率六位以下參入、省掌稱容止、〈參議以上後親王五許丈、四位後參議七許丈、五位與四位連屬、五位最後者比明義堂北頭、六位已下參入、但參議已上列行之間三許丈、〉親王以下各就標、大臣宣侍座、共稱唯謝座、〈未入之前、造酒正以下預立樽所、〉訖造酒正把空盞來授貫首者、〈共跪受授〉跪受共再拜、〈造酒正還却三許丈、北面而立、〉親王以下謝酒、訖造酒正進跪受復樽所、參議以上依次就殿上座、次五位以上六位以下、東西相分就座、〈待參議已上兩三人升殿即四位以下依次就座、不必待參議升畢、〉訖諸仗共居、爰式部録二人、左右相分各執大札、升顯陽承歡兩堂、正五位以上座、次史生等左右相分、記諸司六位以下主典以上見參、初六位以下最後者、至觀徳明義兩堂下、式兵兩省率叙人、東西相分入〈諸仗共起〉就標、〈若不親王者卿不率、其人代立叙人後、〉大臣喚宣命參議已上一人

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0983 宣命文受復本座、皇太子立座東而西面、次親王以下降東階、左近衞陣南三許丈、東折一許丈列立、〈並西面、若大臣預叙位者、便往就列、〉東西堂五位已上六位以下、見親王以下兩三人降一レ殿即始下、〈後升亦同、他皆傚之、〉各立堂前、〈東堂西面、西堂東面、他皆傚之、〉宣命大夫降東階、就版宣制云、天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉勅大命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、皇太子先稱唯、次五位已上稱唯、次六位已下稱唯、訖皇太子再拜、次五位以上六位已下共再拜、〈下同〉更宣云、仕奉人等中〈爾〉、其仕奉状〈乃〉隨〈爾〉治賜人〈毛〉在、又御意愛盛〈爾〉治賜人〈毛〉一二在、故是以冠位上賜治賜〈波久止〉詔〈夫〉大命〈乎〉衆聞食〈止〉宣、皇太子先稱唯、次上下稱唯、訖皇太子再拜、次上下再拜、〈不升殿者、各當堂前東西面、〉各復著座、〈宣命使先復著座〉訖式部卿進到案下筥、執位記唱授、叙人稱唯、趨進跪受一拜就列、〈若有不參者、其人代者受位記直退出、〉唱授訖覆筥復本列、〈大少輔亦同之、卿叙親王、大輔叙三位已上及四位參議、少輔叙五位已上、親王任卿、大輔帶參議者、令權輔授一レ之、〉兵部亦如之、訖二省輔丞録相目退出、次被叙人等相依馳道拜舞、〈不必待二省出一レ門〉訖退出、諸仗共居、〈若叙親王者、親王先入、次式部卿、其叙畢卿先出、次親王拜舞先退出、〉二省丞入逢春承秋門筥退出、〈或一人、或二三人、隨筥多少、〉掃部寮參入撤案、新叙者親族在殿上堂上者、各降拜舞、訖復本座、左右馬寮牽(○)青馬(○○)延明門、從顯陽堂後北上、入逢春門、〈近仗起、待度畢乃居、〉經舞臺北殿庭、出承秋門、經承歡堂後萬秋門、其行列也、左近衞左右各五人前行、〈裝束見府式〉左右馬寮頭次之、青馬七疋、〈馬及龓人裝束、見府及寮式、〉在中次之、左右寮允左右各一人次之、青馬七疋在中次之、寮屬左右各一人次之、青馬七疋在中次之、左右寮助左右各一人次之、右近衞左右各五人次之、訖内膳司〈著當色〉益供御饌、〈左右各三人、其次第采女司前行、次正奉膳左右相分擎御饌、典膳次之、典膳不足者、用進物所人、〉升西階、至第一階而留授采女、降階趨退、初内膳司擎御饌進時、近仗起供饌畢乃群臣居、主膳監益供東宮饌、大膳職益賜群臣饌、一觴之後、吉野國栖在儀鸞門外、供御贄歌笛、〈若有蕃客奏〉大歌立歌人等奏歌如常、或不必召、〈若有蕃客亦不立歌〉于時舞妓出青綺門、大夫二人〈用五位容貌端正帶劍者、若不帶劍者聽權帶一レ之、〉分在樂前、南向經近仗東頭、更西折一許丈、南行到幄東並北面而立、樂人就肆、訖大夫即就顯陽堂座樂、畢引歸如初、訖皇太子起座、次親王以下降殿、東西堂四位以下降堂立定、皇太子拜舞、次親王以下拜舞、訖大藏省積祿庭中、〈左右相分、積祿顯陽承歡兩堂間、〉辨大夫進奏云、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0984 絹若干疋、綿若干屯進〈止〉申、〈無勅答〉内記進宣命文、外記進見參文、大臣執進内侍、轉執奉覽、訖宣命大夫受宣命文本座、皇太子起座、親王以下降立如常、若有蕃客、勅使引客立堂前、倶東面、與此間大夫共拜舞、訖宣命大夫降就版、宣制云、天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉宣〈不〉大命〈乎〉衆聞食〈與止〉宣、皇太子以下稱唯、再拜如上、更宣云、今日〈波〉正月七日〈乃〉豐樂聞食〈須〉日〈爾〉在、故是以御酒食〈閉〉惠良岐、常〈毛〉見〈留〉青〈岐〉馬見〈太萬閉〉退〈止〉爲〈氏奈毛、〉酒幣〈乃〉御物賜〈波久止〉宣、皇太子以下稱唯、拜舞亦如上、宣命大夫復座、訖皇太子以下復座、式部大少輔并丞録各二人、率史生等左右相分、入儀鸞門東西戸、〈大輔東戸、少輔西戸、就祿所、〉先是預定給祿之參議一人、即降殿就祿所床、辨史生各一人亦就祿座、輔執札進唱、〈參議以上於殿上稱唯、四位以下於堂上稱唯、并就祿所之、皇太子祿付坊官、〉所司祿物之餘送内侍司、先是中務省丞録各一人、點於女官見參、省即造見參簿内侍之、訖内侍司以所司送祿物、頒賜命婦及女官、〈女史喚名賜之〉宴罷乘輿還宮、其日若逮昏、主殿寮執燭、入逢春承秋兩門、當宣命版位、北面列立、左右各十炬、左右給祿所各二炬、左右衞門門部秉燭入延明萬秋兩門、列顯陽承歡兩堂前各十炬、若蕃客所司整設御座常、〈諸衞服上儀、但不器仗、〉四位已上總就顯陽堂、六位已下分就觀徳明義兩堂、勅使及客徒就承歡堂、〈勅使對大使、客徒東面北上、其勅使大使者、熊羆皮上施床子并臺盤、毯上施酒器、〉構舞臺於殿前、〈去殿南十許丈、方六丈、〉設樂人幄於舞臺東南角、〈南去八許丈、東去二許丈、〉舞臺北四丈置尋常版、南去四丈當承歡堂北第二階勅使宣命位、自勅使位南去二丈五尺、更西折二丈置通事承宣位、自承宣位南去二許丈、置一通事承宣位、自承宣位南去二許丈、置一通事承傳位、南去二許丈、置客徒大使已下録事已上位、南去一丈置首領位、南去二丈置通事位、當大使位東去四丈置治部位、東去二丈置玄蕃位、當日乘輿未御之前、膳部酒部等列立酒樽下、〈擇大學生及内豎容貌端正之、著當色、〉乘輿御豐樂殿後、所司開豐樂儀鸞兩門、少納言并大舍人候逢春門外、大臣升殿、并喚大舍人、少納言稱唯等事如常、少納言奉宣、出儀鸞門東戸喚、群臣參入、〈入同戸〉六位以下東西分參入、此間新叙者退出後、治部玄蕃通事率客徒參入、〈若通事帶五位者立客前、六位以下與客相雙而入、〉比門諸仗共起、客徒各就位定、共拜舞、式部少輔丞各一人入儀鸞門治部前、掃部寮入同門案於宣命位後

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0985 〈自宣命位南去三丈五尺、更西折五許尺、立三位以上位記案、南去七尺四位已下案、〉式部祿擎位記筥、入東門案上退出、承勅者出左近仗東頭、差南進更西折進十許丈、南折進當勅使位西折就位、承喚通事二聲、〈若以五位通事者喚名、以六位通事者稱譯、〉通事稱唯、就承宣位承勅者宣制云、天皇〈我〉詔旨〈良萬止〉勅御命〈乎〉其客人衆聞食〈止〉宣〈不、〉國〈乃〉王差某等進度〈志、〉天皇〈我〉朝廷〈乎〉拜奉〈留〉事〈乎〉矜賜〈比〉慈賜〈比、〉冠位上賜治賜〈久止〉勅、天皇〈我〉大命〈乎〉聞食〈止〉宣、通事稱唯、就承傳位曰、有勅、客徒稱惹拜舞、通事復本位、承勅者復本處、于時式部少輔進唱叙大使、次丞進敍副使已下、訖客徒拜舞、輔丞録退出、次式部掃部擎筥却案退出、于時内藏并縫殿寮入延明門、候顯陽堂南、預擇容止合禮者、〈臨時擇取諸人〉隨客徒員各執朝服、到客徒旁北面賜之、客徒受之、授畢還如入儀、訖治部玄蕃率客徒儀鸞門外、脱却本服賜服、更入列立如初、拜舞訖供食、勅使就位、其出儀同承勅者、喚通事二聲、通事稱唯、就承勅位、勅使宣、客人〈部〉安〈良可爾〉座〈爾〉侍〈止〉宣、通事稱唯、就承傳位宣如常、客徒拜舞、酒部一人把盞降第四階、到大使前立、大使跪把盞者跪授訖西還、録事左北向立、大使以下謝酒訖、酒部進把盞還樽所、勅使西進當承歡堂第二階、北折進當第一階北向立、通事引客徒西進、當第四階北折進當第二階立、首領當第三階立、勅使升就座、次通事引録事以上座、次首領升就座、〈通事立大使後、若帶五位者、設座勅使後饌、〉治部玄蕃東折就群官座、左右馬寮各牽青馬延明門、自顯陽堂後北上、入逢春門、經殿庭西度、經承歡堂後萬秋門、其裝束并次第如常、但龓人近衞停青摺袍、〈前頭并最後龓人紫、自餘緋、〉訖所司益御饌、〈近仗并群臣客徒起座〉舞妓出青綺門、五位二人分頭在前、差進經左近仗東頭南進、當幕前北面而立、妓就肆、訖便就顯陽堂座、奏樂訖還如初儀、群臣各降座列立供食、勅使降第一階、少東進東向而立、次通事引録事以上第二階、首領降第三階、並東向而立、群臣及勅使客徒一時拜舞、〈通事不須、他皆傚此、〉舞妓還畢、掃部寮入延明門、立祿臺於庭中、〈五位已上祿積顯陽堂前、客徒祿於承歡堂前、六位以下祿東西相分、觀徳明義兩堂前、〉辨官并大藏輔令祿物臺上、宣命拜舞如常、群臣各就座、訖勅使通事引客等于庭中初儀、式部大少輔率丞録各二人并史生等儀鸞門、〈大輔東戸、少輔西戸、丞以下分隨、〉就五位以上祿所、丞録各三人、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0986 〈加權丞録〉率史生省掌等同戸、共就六位以下祿所、大少輔持札唱之如常、〈大輔先唱參議以上、訖唱四位三人、少輔唱大使、以下互唱、唯其六位以下祿作三番札唱之、〉各稱唯、進受之一拜而退、左右京職東西相分入同門、列觀徳明義兩堂前、賜客徒祿畢、治部玄蕃降堂列立賜祿、畢引客徒退出、勅使南折進、東折度殿庭、升顯陽堂第四階群臣座、訖閉豐樂儀鸞兩門、乘輿還宮、日若逮昏、主殿寮秉燭、左右各廿炬、列立殿庭、左右衞門門部各秉燭、入萬秋延明兩門、分列顯陽承歡兩堂前、其客徒賜祿畢退出、左右衞士各二人秉燭、迎儀鸞門朱雀門外、掌客使并左右京職相共送鴻臚館

〔延喜式〕

〈十一太政官〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0986 凡正月七日、賜宴於五位已上、若有五位以上者、前二日大臣及參議以上於御所定應叙位、即令位記之、〈事見儀式

〔延喜式〕

〈十三大舍人〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0986 凡正月七日節會、兵部省進弓矢、舍人叫門、其詞曰、御弓事申給〈牟止、〉内舍人姓名門候〈止〉申、

〔延喜式〕

〈十八式部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0986 凡闕荷前使之侍從、及次侍從者、待中務移正月七日節、非侍從者奪位祿、亦無同節
凡正月七日、并新嘗會等祿召名札、令大藏省寫取

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0986 七日〈◯正月〉平旦、丞録率史生省掌武官叙位標、其後獻御弓、卿以下率兵庫寮逢春門外、〈若御内裏、候承明門外、〉内舍人奏畢、省寮舁弓矢案入立庭中、輔已上一人留奏進、其詞云、兵部省奏〈久、〉兵庫寮〈乃〉供奉〈禮留〉正月七日〈乃〉御弓、又種々矢獻〈良久乎〉奏給〈久止〉奏、〈無勅答〉即退出、又率叙人參入、式部叙後、省亦叙之、訖共退出、〈事見儀式

〔延喜式〕

〈三十大藏〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0986 諸節祿法
正月七日節〈十一月新嘗准此〉 皇太子絁八十疋、綿五百屯、一品絁卌五疋、綿三百五十屯、二品絁卌疋、綿三百屯、三品絁卅五疋、綿二百五十屯、四品絁、卅疋、綿二百屯、無品絁廿疋、綿一百屯、太政大臣絁七十疋、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0987 綿五百屯、左右大臣各絁五十疋、綿四百屯、大納言絁卅疋、綿二百屯、中納言絁廿五疋、綿一百五十屯、三位參議絁廿疋、綿一百屯、四位參議絁十五疋、綿六十屯、一位絁卅疋、綿二百屯、二位絁廿五疋、綿一百五十屯、三位絁十五疋、綿六十屯、四位絁六疋、綿卅屯、五位絁四疋、綿廿屯、外五位絁三疋、綿十屯、〈内外命婦准此〉六位女王絁二疋、綿四屯、〈女王明日給之、新嘗會亦同、〉

〔延喜式〕

〈三十八掃部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0987 七日〈◯正月〉設座與元日同、但設六位已下座於觀徳明義兩堂、又版位以南左右相分立置位記筥案、叙位訖撤案、女樂拜舞之後立祿床

〔延喜式〕

〈四十造酒〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0987 諸節會料酒
七日〈◯正月〉三石四斗、〈◯中略〉若可此限辨官處分

〔延喜式〕

〈四十五左右近衞〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0987 中儀〈謂元日宴會、正月七日、十七日大射、十一月新嘗會、及饗賜蕃客、〉凡正月七日青馬龓近衞、著皂緌、末額、細布、青摺衫、紫小袖、〈其頭錦小袖、若蕃客朝會緋袍、但頭紫袍、〉白布帶、横刀、緋脛巾、〈右紺脛巾〉帛襪、麻鞋、〈不弓箭〉其馬前陣近衞十人、〈右近衞十人後陣之〉裝束同龓、〈但帶弓箭

〔延喜式〕

〈四十八左右馬寮〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0987 凡青馬廿一疋、自十一月一日正月七日、二寮半分飼之、〈一疋互飼〉其料日秣米五升、大豆二升、灯油二合、奏聞請受、國飼以正税充之、
凡正月七日青馬籠頭鑣〈一疋、前頭及最後馬別著金裝、自餘烏裝、〉尾帒當額花形、〈已上二種各著鈴〉及龓人錦紫兩色小袖、紺絁脛巾、並收寮家出用、但韁鞚紺細布、〈以一端二疋〉結額髮尾緂絲、臨時請受、其龓人以左近衞充之、著本府青揩衫、末額、寮小袖、〈第一者錦、自餘紫、〉若蕃客入朝之日、著寮緋紫袍、〈第一者紫袍、自餘緋袍、同收寮家、〉其前陣左近衞舍人、次左右寮頭、次馬七疋、次左右允、次馬七疋、次左右屬、次馬七疋、次左右助、次後陣右近衞舍人、〈近衞裝束見各本府式

〔西宮記〕

〈正月中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0987 一七日節會、〈二省入永安門標、有藏人丞之時、出射場殿列、立了歸入、中務丞置宣命版、或開門後入承明門、庭左右立位記案、當卯日此間有御杖奏、東宮奏了開門、次大舍人兵衞奏、次閉門、次下名如例、〉天皇御南殿、〈女藏人持位記筥御供、或男持候、有外任奏者、内辨此間令奏、〉内侍給下名、〈内侍持文出東階、内辨著靴、到東階二三階文、著兀子、召内豎、〈二音〉内豎稱唯參進、雨日立宜陽殿南二間砌上、内辨仰云、式乃省兵乃省召〈世、〉内豎稱唯、出召丞等、參進北面西上立、雨日立宜陽南一間壇上、式部立柱外、兵部立庇内、西

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0988 上北面、内辨召式省稱唯、進倚、〈大臣可跪、〉以左手文、了歸立、召兵省初、稱唯共退、内辨歸入、〉近衞陣階下、〈雨日立平張〉天皇出御、〈警蹕〉内弁著兀子、内侍置位記筥、〈量内弁著程、置臺盤上結緒、上式部二、下式部一、次兵部筥、筥多者女藏人共置、延喜十三年依式御出以前置之、頭藏人示内侍之、〉内侍出、内弁謝座昇、〈如元日、承平七年正七、内弁未昇之間、大納言已下六人舁御元服表案、入日華門、昇南階簀子上、自下臈退出、陣列云々、可之、〉太子昇、〈謝座如例〉王卿著外弁、〈式部列立建禮門内左右、北面西上、彈正立東西、北上東西面、兵部立西、東上北面、〉開門、〈闈司著座〉御弓奏、〈或付内侍、大舍人叫門、雨日立承明壇上、闈司奏、勅令申〈與、〉内舍人奏、勅召セ、兵部卿以下兵庫官人舁案立版南一、〈雨日立承明門〉輔已上一人留奏之、無勅答、内藏官人入日華門、撤案進藏人所、延喜四年正月七日、惟恒親王奏、承平七元良親王奏、〉内弁奏宣命、〈内記以宣命杖候階下、内弁執杖昇、奏進如例、歸下授杖於内記、持宣命、昇著座奏、〉置位記、〈内弁召内豎、内豎稱唯、入立左仗南、雨儀經宜陽壇上、進立近廊西一間西面、内弁仰云、式乃省兵乃省召セ、内豎稱唯、出召二省輔丞〈多用代官〉立標東、北面西上、立六位後、雨儀立廊西一間、北面西上、内弁召式官、稱唯入母屋南面東一間内弁巽、去七尺、内弁搢笏、以上筥右方給、輔下階授丞、歸登立本所、内弁給次筥前、〈有三筥者又登〉内弁正笏召兵司、給筥如前、内弁毎度搢笏、丞等以筥置案上、雨儀立承明門左右腋、取筥、經春興殿案上、〉内弁召舍人、〈二聲、稱唯、少納言就版位、雨日立承明門中央壇上、内弁仰云、刀禰召セ、少納言稱唯、出幔外、王卿列立、少納言出立門壇下、召王卿以下列入〈諸仗立〉雨儀立宜陽殿西廂、諸大夫立南廊東西、内弁云、侍座、〈之支尹〉王卿再拜、酒正授空盞於貫首人、相跪取之、謝酒了、酒正取盞歸、王卿一々昇東階、〈入自廊東二間〉分著堂上、諸大夫著幄下、式部録以簡點撿、〉式部輔率叙人參入、〈參議以上立輔前、式文親王不引、已下可引、雨日立南左右廊、〉立定内弁召宣命使、〈納言若參議被召者立稱唯、立内弁後宣命、右廻復本座、太子立南廂、王卿以下列立、西面北上、異位、諸大夫立幄前、内弁被叙者、下加列、了出歸著之、〉宣命使就版、〈毎曲折揖、雨日立宜陽殿南三間壇上、宣命使指笏披文右顧宣制、太子再拜、王卿再拜、又宣制、太子再拜、王卿以下再拜、宣命使復座、太子已下復座、〉召給位記、〈叙親王者、以參議卿代、就案唱位記、親王取位記左廻歸列、獨拜舞出、大輔唱公卿位記、少輔唱五位已上位記、叙人中不參者、省史生取之、兵部唱武官位記、唱了覆筥、叙人拜舞出、丞代入左右門筥、掃部寮官人舁案、〉拜、〈内裏式云、被叙者親族、在堂上之、王卿以下降殿列立、西面北上、拜舞復座、諸仗居、〉左右御監奏白馬奏、〈御監等下立東階壇上、馬允各執奏令硯、史生等入日華門、參進取御監名、不參者於里亭名、御監執奏杖、登付内侍奏進、左奏間、右御監立東庇北邊侍、左廻歸進倚、无御監者、内弁可相兼奏、復座、無一方御監者可兼奏、大臣兼左御監儀也、又就本殿奏時、允持奏相從、或有白紙之例、左右府生取標、左將監取版、置殿巽角壇上、〈宣命版位不取〉標前取之、諸仗起、〉御馬渡、〈左陣渡、次左右馬頭〈平裝束或以外衞佐代〉次御馬七、次左右允、御馬七、次左右屬、御馬七、左右助、〈助不參者或有六位〉右陣渡、次渡御在所殿前、次分參三宮齋院齋宮等、〉内膳供御膳、〈群臣立、采女撤御臺盤帊、給太子以下、〉供御酒、〈給太子、給臣下、先供三節、〉二獻、〈或一獻〉國栖奏、〈承明門外發歌笛〉三獻御酒勅使、〈内弁奏聞、仰參議例、或文云、樂後仰或二獻、〉内教坊別當奏、〈別當不參者内弁奏、坊家別當立東階下、別當少將令奏杖於將監、將監立巽角壇下、傳取進別當、別當立壇上、披文加署、刺杖登付内侍、右廻復座、樂人等於射場音樂、調子參入音聲、〉舞〈帶劍大夫二人前行、舞妓斜進出、大夫留立校書殿巽方、妓女進登舞臺、大夫歸、舞四曲、皇帝、萬歳、喜春、玉樹等、了退出音聲、雨日登殿舞、樂女候南縁、御酒具置母屋中、〉樂舞、〈太子立南廂、王卿下列、西面北上、諸大夫立幄前、太子拜舞、王卿拜舞、太子復座、已下復座、〉掃部立祿臺、〈立舞臺左右、入承明門、〉大藏積祿、〈入

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0989 〈同門〉弁奏目録、〈立舞臺艮角、雨日立廊下、〉内弁奏宣命見參、〈拜後著陣見歸登奏、召參議等各給儀如常、太子已下拜舞、宣命使歸登、上下復座、〉祿、〈内侍奉太子、式部輔召給臣下、臣下取祿、出日華門、〉天皇還御、〈近仗警蹕◯中略〉
寛平八年正月七日宣旨、雖雜役節會、不謝座酒之禮者、不當日祿、立爲恒例

〔江家次第〕

〈二正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0989 七日節會
裝束司奉仕上下裝束 外記催諸司 藏人催内侍闈司并女官等階下饗、〈左近設上官料、右近設殿上人料、〉式部、〈入永安門〉兵部、〈入長樂門〉立標、 中務置宣命版位〈置尋常版北一丈〉 藏人所出納、渡殿上見參於外記、〈今案、非必内辨參上以前事歟、〉 若非一上者、可内辨、 一上時、只被諸司具否、或進被申、 外記申代官〈於小庭之、問諸司具否之間可申、〉 式部〈乃〉輔丞 兵部輔丞代官給 上宣誡〈太リヤ、〉外記申、式省輔代〈爾、〉某官某丸、政人〈乃〉代〈爾〉某官某姓某丸、兵〈乃〉部〈乃〉云々、上宣令勤、 二省輔丞必用代官、以正員違例云々、 諸司奏可内侍所由被奏〈付藏人〉 或奏外任奏次令申〈先召外記問〉 兵部省御弓奏 宮内省腹赤奏〈元日違期不參時也〉 若當卯日、卯杖奏等也、 奉仰、仰外記、〈無御出時、依勅答内侍所由、見延喜十六年御記、〉 往年王卿就外辨後被仰者、外記傳仰外辨外記、外記申外辨上卿云々、 被外任奏、〈先召外記進、入筥付藏人之、〉仰令例、 或給下名後、歸入在陣後奏、 天皇渡御南殿〈經長橋南殿乾戸〉 内侍二人持璽劍、命婦女藏人各四人相從、執政之人候御裾、〈若不參者藏人頭〉藏人持式御靴等、 内侍女藏人等、〈近例藏人〉置位記筥於公卿臺盤上、〈計内辨座前之〉 内侍持下名東檻、〈藏人五位引導之〉 内辨著靴到東階下之、〈於階下笏、後昇二三級、取下名却下、拔笏取副左廻、〉著宜陽殿兀子、〈自壇上南行著之〉召内豎、〈二音高長〉内豎於日華門外稱唯、趍立大臣前、〈當宜陽殿南第二間西去一許丈、北面磬折立、〉 内辨宣、式〈乃〉司兵〈乃〉司召、内豎稱唯出召之、 兩丞〈各一人著靴〉入日華門進立大臣前、〈當宜陽殿南第二間、西去一丈五尺許、北面西上並立、式部西、兵部東、〉 大臣宣、式〈乃〉省丞、稱唯、度兵部前、進昇石階内辨座南頭、〈先於南柱南笏、進倚大臣所、〈判官記〉西宮抄於座南頭笏屈行、貞信公御記磬折給之、以跪爲失、〉 大臣以左手微々給之、丞給之、拔笏取副、左廻經兵部前本所、 次内辨召兵部前、兵部退出間、式部相待、〈未到六尺許先退出〉大臣暫起座入陣後方、〈或此間在外任奏〉 近衞陣殿前〈入日月華門、左次將出敷政門、到日華門下、將曹一人行前、〈若無〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0990 〈者府生〉〉中將執紫幟殳、少將執緋、以上東西面著胡床、遲參將令官人立一レ殳、出宣仁若無名門著、内裏式給下名後、未位記筥前引陣、而清凉抄如之、 王卿著外辨〈出敷政宣陽門、入鳥曹司東戸靴、出南戸辨少納言床子北進、若辨床子逼北立時、令召使引一レ之、登石階著、南面西上、有後參大臣者、納言以下皆起座定居、少納言辨著、四位辨者、先進著上、外記史以下著、有後參參議以上者、少納言辨以下暫起座、〉 外辨上卿非大臣者、令式筥、〈召召使之〉 上卿令召使召外記、問諸司具不、〈外記乍立申〉 近例大臣時、跪申之、〈不見可尋、若雨儀壇上、雖雨令之、〉 大舍人候哉、〈若不四人、以召使滿之、〉刀禰列候哉、 叙人列候哉〈式乃官、兵乃官云々、或可彈正二字、〉 國栖候哉、〈外記毎度申云候不〉上宣令候、 式部入春花門、列立左右兵衞陣南正禮儀、彈正同之、諸大夫列立、二省率叙人立東西、兵部内舍人候御弓、内辨押笏紙、〈以次上儀〉 天皇著御帳中倚子〈先於北廂靴給、入帳北面著御、〉 内侍置璽劍於東机、藏人置式筥於西机、 近杖稱警 内辨又著宜陽殿兀子 内侍臨檻 内辨起座微音稱唯、〈經宜陽殿壇上北行、出軒廊東第二間斜行、到左近階下陣南頭、〈當中將座〉南去七尺、西出五寸西面立、陣不動、此間近衞將爲内辨子族者暫退、〉謝座再拜、〈先突左膝、但起時先右、近例一揖再拜、一揖右廻、經軒廊并東階母屋東一間、計座程之、吏部記曰、内辨入軒廊暫留、顧西望來路、或曰、是爲休息也、〉 開門〈左右將曹各一人、〈若無者用府生〉率番長一人、近衞七人、開承明門、番長以下五人閤門、三人腋門、著緑襖、兵衞志左右各一人、率兵衞建禮門、左右近衞各二人、趍出就長樂永安門外察濫行、〉 闈司著〈二人、自射場安福殿前并廊下、分著左右草墩、〉 大臣奉宣命〈或説未開門前奏之〉 内記候東階南頭壇下、大臣先取宣命、見畢返給、令文杖取而參上、經公卿座末、到御帳東北御屏風妻、付内侍退、把笏右廻、〈九條年中行事左廻〉立障子戸西柱下、〈坤面〉奏覽了返給、進搢笏取之、〈不文杖〉左廻退下、先給文杖内記、取副宣命於笏參上、 内辨宣、内豎於日華門外稱唯、參入立左仗南頭、 内辨宣、式〈乃〉省兵〈乃〉省召〈セ、〉稱唯出召之、 二省輔丞〈代官〉立櫻樹東、〈北面西上〉六位在南、〈以上著靴〉 内辨宣、式〈乃〉省輔稱唯、〈昇東階母屋南面第一間、斜行大臣座巽角、去座七尺磬折立、〉 内辨搢笏、宣命入懷、取位記筥之、〈自座右之、輔挿笏磬屈取筥、降同階、於廊下丞代、更還昇又給退下、給筥間、大臣毎度必搢笏、若叙親王者、丞代有二人、次又召兵部之如前、〉 兩省輔并丞代趍進、置筥於庭中案、〈式部置筥間、兵部輔趍渉馳道、置筥於西案、式部自日華、兵部自月華退、〉 大臣宣、舍人、〈二音〉大舍人四人於承明門外稱唯、 少納言代就版〈候外辨少納言、入承明門左扉、〉 此間外辨公卿起座、經屏幔南行於左兵衞陣南頭、〈西面西上〉辨外記史已下起座立、 内辨宣、刀禰召〈セ、〉 少納言稱唯出召〈左廻出門、先於幔外息、歸立北面稱唯、〉 王卿以下列入立標〈入承明門左扉、異位重行、北面西上、版位南〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0991 〈去七尺、東去二丈五尺親王標、南大臣、次大納言、次中納言、三位參議并散三位、四位參議、小退在此列、次四位參議標、次四位標、次五位標、馳道西、王四位五位標、及臣四位標、次臣五位標、各以七尺間、貫首人頗警咳、〉 近仗立〈王卿入門程〉 内辨宣、之支井爾、 群臣再拜 酒正趍來、〈自軒廊來〉經左仗南頭空盞於貫首人、相跪置笏取之、〈以左右手之、不盤、酒正取盤右廻歸、經左仗南間居小拜立、〉 群臣再拜、畢酒正來亦跪、貫首人相跪返之、取笏跪、先左膝、酒正歸到左仗間居小拜、〈立先右足〉 群臣著座 次第右廻、入軒廊東二間、經南庇一間母屋參東一間上著座、内辨北面、親王南面、著北人經東廂中間北邊、著南人如内辨路、納言以上猶可北面座歟、就中大納言以上必北面、參議對座、非參議二三位著北、參議大辨必著南、 諸臣相分著幄 諸王四位參議以上兩三人皆昇殿、諸臣著幄、 諸仗居 式部録二人持簡、入長樂永安門撿諸大夫、〈近代不見〉 次二省引叙人參入、先親王、次式部卿代、〈以參議之、乃獨留外辨列參入、〉 參議以上先參入、次輔引五位以上、丞引六位、尋常版東去三丈五尺、南折七尺立親王標、次一位、次二位、次三位、次王四位五位、次臣四位五位六位、武官四位以下標在西、卿代標在舞臺艮角東頭、大輔標在舞臺正東、少輔標在其後、 諸仗立 内辨召納言若參議一人、〈其詞在別〉 近例有上階時用納言、〈親王大臣等被叙時歟〉自餘用參議、被召者立座稱唯、揖進立内辨後六尺、〈揖挿笏〉内辨給宣命、宣命使進給之、退拔笏加宣命、右廻復座、 内辨以下下殿、列立左仗南頭、〈西面北上、異位重行、〉 内辨被叙暫留本座、王卿列立後、更下加叙列、〈或依次直行立〉拜舞後引退出、更入宣陽門本座、近例被叙人不内辨、 幄下諸大夫等列立 宣命使下殿就版 自軒廊東二間南行、當日華門北扉南向揖、西折就宣命版、經位記案南、近例自案北往反、有兩案時、經其中間往反、若有三案者、經親王案與三位案之間、 宣命一段 群臣再拜 又一段 群臣再拜〈不舞踏、但叙人不拜揖立、〉 宣命使復座〈卷文把笏、揖而左廻退還到初所、揖北折昇殿、〉 次群臣復座 次卿代、進就最北案親王、就案下笏開筥、〈以蓋置東〉揚筥身蓋上、取位記右開之、召唱之後、被叙之者、進跪於卿代之右邊、卿代相跪授位記、叙人置笏取位記、乍居一拜、把笏左廻還立本標、若親王不參者、省丞進取之授録云々、叙了掩筥、取笏左廻直退出畢、〈入宣陽門參上〉 親王獨舞踏、畢退出、〈四條抄曰、歸列獨拜舞、〉 次大輔代叙公卿、〈以四位大輔〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0992 〈代、〉叙人進還立新叙標、召唱詞云、正三〈乃〉位、從三〈乃〉位等、三位及四位參議以上也、雖武官、三位以上在此列、 次少輔叙五位以上 召唱詞云、正四〈乃〉位〈乃〉上階、從五〈乃〉位〈乃〉下〈津〉階等准可知、但六位被五位者、置笏取位記、不更取一レ笏、立新叙之標、叙了、大少輔暫還立本標、 次兵部少輔叙武官五位以上、 雖文官加階、兼武官者在此列、 在西列者、稱唯、進跪輔左、置弓給位記、一拜取弓起、右廻經列上、從後復本所、五位叙四位者、即加其標、非參議中將叙三位者、不弓箭式部列歟、但不不參、 兩省輔共退出了 次叙人左右相共、依馳道舞踏退出、〈不必待二省出一レ門、東方叙者左廻、西方叙人右廻、〉 次式兵兩省丞代、入日月華門、取位記筥退出、〈兵部自月華門〉掃部寮入兩門位記案、 次王卿以下下殿拜舞、〈謂之親族拜、列立左仗南頭、西面北上、異位重行、諸大夫列立幄前東西上北面、〉畢復座、 次左右大將下殿、立巽角壇上、馬允奉奏文、史生持硯、大將先取之奏覽之、允取硯候、大將加署後取文侍、縱挿文杖鳥口參上付内侍、退著本座、口傳云、左大將參上奏聞間、右大將東庇北間西面而立、左大將度前之後進奏云々、是左大將爲大臣、右大將爲納言之例也、或私記云、左右共爲同職者、左大將退歸間、右大將入母屋相交代者、又見重明親王天慶三年記、九條記曰、大將一人不參者、並挿一杖獨奏、共不參者内辨奏之、〈件奏留御所〉件御馬本必二十一疋也、毎年左右寮各十疋進之、其殘一馬稱之餘馬、隔年兩寮互進之、 大臣大將者、只注朝臣字常、〈天暦三年、右馬寮不進奏、内辨元方卿經奏聞、挿白紙進奏、〉 大將復本座 次左右府生各一人取標〈出本陣〉 次左將監跪取尋常版位〈出本陣、置殿巽角壇上、〉 次左白馬陣度〈近衞舍人也〉 次左右馬頭度〈帶弓箭、雖四位尻鞘靴、〉 次白馬七疋 次左右允 次白馬七疋 次左右屬 次白馬七疋 次左右助 次右白馬陣度畢 次白馬經殿上前無名門、明義門、仙華門御前、自瀧口出、〈此間垂御殿御簾〉雖御物忌猶度、次分參三宮東宮齋院等、 酒部立〈内豎入日華門、酒部入長樂永安門、立胡瓶下、〉 采女撤御膳帊〈自西階之於内膳官人、〉 内膳入月華門御膳〈遲供時、内膳別當公卿起座催之、正以下令史等又手前行、膳部相從、正令史留立版、令史稱警蹕、膳部等八人、相竝登南階第一階、采女迎取供之、〉 群臣諸仗共立 供御膳間、采女磬折立、但陪膳居帳臺上、供了却著草墩、酢、鹽、酒、醤、餛飩、索餅、餲餬、桂心、毎物有蓋擎子、進物所自西階盤、 群臣諸仗共居 次

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0993西階膳〈【G食・追】子、黏臍、饆饠團喜、〉 次給臣下餛飩〈大膳大夫率内豎役送〉 次御箸下 臣下應之 供蚫羹、〈便撤索餅〉供御飯、〈便撤餛飩〉 次供進物所御菜十度〈窪器二、盤六、汁二、〉 次供御厨子所御菜二度〈一度八抔、一度四抔、〉 次給臣下飯汁物追物 次御箸鳴 臣下應之 供三節御酒 一獻 國栖奏〈於承明門外歌笛〉 二獻 仰御酒勅使 内辨起座磬折奏云、大夫達〈爾〉御酒當給、天許了復座、内辨召參議一人、〈詞云、某官朝臣、尋座人之、〉被召者進立内辨巽角七尺、内辨仰、大夫達〈爾〉御酒給、稱唯、左廻下東階、召外記勅使等名、〈外記書進之〉參議取副於笏還昇進南簀子第二間、〈自庇第二柱西去二尺許、西面立磬折、立第二柱坤四許尺乾之、〉召了復微音仰云、大夫達〈爾〉御酒給、〈不必待參進〉右廻復座、 三獻 内教坊別當〈若不候者内辨奏之〉奏舞妓奏、〈別當次將令奏於將監、於巽角壇下傳取奉之、將監執筆候、〉別當加署後參上、付内侍之、〈件奏留御所〉別當復座、 樂人等於射場殿音樂、〈先調子、次參音聲、舞妓并樂女等在校書殿東庇座、〉樂前大夫二人前行、〈用帶劒者、若無者權帶劒、留立橘樹坤、或王卿唱歌、〉 舞妓等登舞臺 樂前大夫等退 次舞五曲〈必大曲一曲〉 皇帝破陣樂 玉樹後庭花 赤白桃李花 萬歳樂 喜春樂等也 舞師一人、以大拍子舞臺下節度、毎一舞了舞妓居、 舞畢退出〈有退音聲、若入夜者、不必可一レ大曲、〉 次王卿以下下殿拜舞〈謂之樂拜、如親族拜儀、〉 次各復座 次掃部寮入承明門、立祿臺於舞臺左右、大藏省入同門祿、 辨奏目録〈近代不見〉 給祿物後、立舞臺艮角物數、詞云、絹フタチムラ、綿比止與ロヅ萬キタテマツルト申、訖著床子、掃部寮立參議以下省官以上床子於春興殿前艮庭 内辨著陣 外記進見參、了返給、〈或七十以上者、雖身不參見參、但參議以上非宣旨入、五位以上一通、侍從非侍從皆書加、〉 内記奉宣命、見了返給、 内辨起座到東階下、外記取宣命、横挿見參杖跪而進之、大臣執之參上、到御帳東北御屏風妻、付内侍前、天覽了返給、大臣下殿返杖於外記、取宣命見參參上、復座召參議一人、〈多用帶劒人〉被召人立内辨後七尺、内辨給宣命、參議給之、右廻著本座、又召參議一人、〈多用大辨〉被召者如初立、内辨給見參、參議給之、右廻下殿〈出母屋一間庇一間〉著祿所、以見參辨、辨下史、内辨以下下殿、列立左仗南頭、〈西面北上、仗頭南去五尺許、異位重行、〉諸大夫各立幄前、 近仗起 宣命使就版〈出軒廊東二間南行、當日華門北扉、乍南向揖、西折經公卿列南宣命版揖〉 宣制一段 群臣再拜〈先可稱唯、近代不然、〉 又一段 群臣再拜 宣命使復座、〈欲版揖、左廻欲北折時有揖、〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0994  内辨以下復座〈右廻〉 諸仗居 式部兵部輔、執簡立舞臺東西召唱之、〈近代不必見〉 王卿以下一々起座稱唯、到日華門下次跪http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f054.gif、插笏取祿稽顙、〈一拜也〉右廻自日華門退出、 省輔以下取祿物王卿、祿所參議待次取祿退出、 天皇還御〈次將警蹕如常〉 遲參王卿、令藏人奏事由、蒙可許著座、詞曰、某官某姓朝臣、朝間有所勞列候陣、 若有追叙者、被内辨後、内辨渡南之後被之、内辨申下下名、仰參議書入返上、〈不筥〉或召外記白紙讀由

〔江家次第〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0994 節會雨儀
七日 二省自壇上進給下名 二省輔代、被召立軒廊南端、 位記案、立承明門東西第二間、 叙人標、在承明門東廊第一間壇上、武官四位以上標在西、 二省丞、入長樂永安門、取位記筥退出、 白馬〈雖甚雨、猶依晴儀、仍疾行度由、見年々記、可之、〉 女樂儀 采女先舁御酒器等、置母屋西第二間御屏風東頭、掃部寮立音聲人座於簀子南階以西、内教坊參上、著座於南廂奏、主殿司副柱炷指燭、 辨於東廊目録、〈不晴雨、近代久絶、〉 西宮抄 内豎立宜陽殿南二間壇上、 丞等立同殿南一間壇上 式部立柱外、兵部立庇幔内、〈西上〉 輔代等立廊西一間〈◯中略〉 御弓奏〈付内侍所〉位記案立承明門壇上東西第一間、叙人立東西廊、於門内相憑拜舞、〈東西一間〉 白馬雖深雨、趍渡猶晴儀、 故俊家大臣爲内辨、自掖門並南廊引入、不可、舞妓於殿上西第三間舞、移御酒具母屋、音聲女官等候南簀子敷

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0994 七日節會及叙位事
御弓奏事 件事、近代出御以前、奏事由内侍所
白馬渡御殿前 雖御物忌猶渡
叙列人裝束 帶劒人、螺鈿劍、魚袋、 永久三正、侍從實能列叙列、螺鈿劒、魚袋、

〔建武年中行事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0994 七日〈◯正月〉は、白馬節會なり、このひはことにいそがるれば、まへの日より官に仰て、南殿の御裝束とヽのへたり、記文にゆづりて、御裝束の様などは元日にもしるさず、さりながら

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0995 しつらひの様はかヽず、猶おぼつかなき事ありぬべければ、あら〳〵しるすなり、御帳にかたびらをかけ、もやのかべしろなどつねのごとし、御帳は三方あけて、〈すみのはしらにかたびらをゆひつく、〉うしろはたれたり、うちに平文の御倚子をたつ、そのまへに火びつをすへたり、御いしの左右〈前へよせて〉に机をたつ、かうらいのおほひあり、左には劒璽ををかるべし、右には式のはこを置べし、又とヾまる文は、右の机にをかるべし、火びつの前に御だいばんをたつ、〈よこざま〉その南に二の御だいばん〈たてざまなり〉帳臺のうへに北のはしをかけて、南をば、べちのだいにてこれををく、みな兩めんのおほひあり、大なるかねのうつは物にくだ物を入て、一二の御臺に、をの〳〵これををく、そのまへに左によせて、うねべが草とんををく、もやのひんがし三間に、四尺の臺盤をつヾけてたてならぶ、末には八尺のだいばん一脚たつ、〈たつみいぬゐざまに、いさヽかゆがめてたつる也、北辰にかたどるともいふ、〉下にこんの布をしく、うへにくだ物をすへならぶ、はしかいのだいおく、はしにこれををく、奧端に兀子をたつ、親王大臣のれう兩めんのおもて、納言はみどりのおもて、參議の座はながしやうじなり、御帳のうしとらの方に、五尺ばかり東によせて、大宋の屏風をたつ、内辨この所にて奏を内侍につくるなり、御帳の西北のはづれに、通障子を二脚西ざまへたてならぶ、その内〈北に〉内侍の座をまうく、ひさしの西二間に酒臺ををく、南階の東西に左右近の胡床をたつ、宣命のへん、尋常の版、つねのごとし、へんの東西に位記の案をたつ、〈東式、西兵、上階あらば式二〉參列のへう、所々のまん、胡へいのたてやうなどつねのごとくなるべし、南庭に〈みなみ、いさヽか西によせて〉舞臺を立たり、〈梅柳を舞臺のすみにたつと見えたり〉大臣參議まいりぬれば、加叙あらば先これをかきいれらる、奉行くら人下名をもちて大臣にくだす、大臣參議に仰てこれをかき入しむ、やう〳〵人々參あつまりて、外記しろつかさを申さしむ、いましめたりやと仰すれば、いましめて候よしを申、これよりさき諸司をとふこと常のごとし、外任奏くだされて、御後に出御あり、劒璽は先つくえにをく、式筥もおなじ、藏人位記のはこを内辨座のまへの臺盤のうへに

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0996 をく、式うへ兵下、〈式二あれば、二をうへにをくべし、〉内侍位記の筥の上なる下名をとりて東階にすヽむ、これよりさきに諸卿外辨につく、内辨宜陽殿の壇上のへんにたつ、御後に出御のよしを聞て、近衞の陣はひくなり、内侍東階に出ぬるをみて、内辨はしのもとにすヽみて下名をたまはる、内侍かへり入、内辨宜陽殿の兀子につきて、ちさわらはをめす二聲、内竪すヽむ、仰云、のりのつかさ、つは物のつかさめせ、式兵丞〈六位藏人つねにさぶらふ〉すヽみて内辨のまへにたつ、〈武官弓をもつ〉内辨のヽつかさをめす、稱唯してわしりすヽみて、ひざまづきて下名をたまはり本列にかへる、つはものヽつかさ又おなじ、二省の丞ともにしりぞく、内侍又東階にすヽみてめす、大臣稱唯して軒廊よりねりすヽみて、謝座をはりて堂上にのぼる、大臣ちさわらはをめす二こゑ、内竪さくらの木のもとにすヽむ、仰云、のヽつかさ、つはものヽつかさめせ、二省の輔代、櫻の木の下にたつ、めしによりて式部輔代〈五位〉堂上にすヽむ、式のはこをたぶ、二あらば歸りまいれといふ、輔代丞にはこをもたしめて又歸りまいる、又一のはこを給、又つはものヽつかさめす、輔代まいりてはこを給事さきのごとし、二省はこを丞にもたせて、をの〳〵案にをきてしりぞく、内辨開門仰せ、闈司座につき、とねりめすこと元日のごとし、諸卿謝座謝酒をはりて、堂上の座につく、内辨座をたちて、叙位の宣命をとりて、かへりのぼりて内侍につけて奏聞す、返給て杖をかへして歸りのぼる、上階あるときは中納言の中に宣命使を仰す、しからざれば參議これをつとむ、大臣參議に仰て叙列を催す、式兵輔代叙人を引て前庭にすヽむ、輔代は案のもとにたつ、叙人は標にたつ、宣命使めしによりてすヽみて宣命をたまはる、大臣已下下殿、宣命使こんらうより出て、曲折の揖して、西にむかひて練て、案のもとをへて〈式案二あるあはひなり〉へんにつく、宣制のやう、元日にみえたり、但後のたびも二拜也、叙人は拜せず、宣命使かへりのぼりて、大臣已下おなじくのぼる、式兵の叙人、をの〳〵案の下にすヽみて位記をたまはる、輔代これをたぶ、案の下にひざまづきて給て、いさヽかひらきみる、揖してしり

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0997 ぞく、〈いうありなしせち〳〵あり、式左にめぐり、兵右にめぐる、〉をの〳〵新叙のへうにたちあがる、〈もとは三位のへうに立たりつるが、二位にならば、二位のうへに立あがるなり、〉みなたまはりはてヽ輔代しりぞく、二省の叙人たがひに見あはせて、馳道にすヽみて一同に拜舞す、次第にしりぞく、大臣已下下殿してをの〳〵拜舞す、〈これを親族の拜と云、本儀は加階給たる人々のよせある人々悦心なり、今のよはみな立也、立様宣命の拜のごとし、〉左右の大將下殿して、軒廊にて白馬の奏をとる、御監しよをくはふ、次將これをとりつぐ、隨身に仰て文を杖にはさましむ、左右ともにすヽむ、左もし大臣ならば、右東の廂にとヾまりて立、大將一人あらば、左右ともにとる、大將候はずば、内辨これをとる、御らんじて西の机にをかせ給也、白馬わたる、先左、つぎに右、かみ、すけ、をの〳〵わたる、その人なくば代をさだめらる、次に御膳まいる、三節一こん、くず、二獻みきの勅使、三こんをの〳〵元日におなじ、樂は女樂也、三獻はてヽ、内教坊別當下殿して〈別當大納言の中にあり〉奏をとる、次將とりつぐ、奏御まへにとヾまる、白馬奏のごとし、近衞の樂人ゆみばどのヽへんにて樂を奏す、舞妓舞臺にのぼる、五曲なり、〈皇帝、桃李花、喜春樂、〉樂はてヽ宣命見參をそうす、元日のごとし、せんみやうを宣命使にたび、祿法を大辨にたぶ、宣命はてヽ、群臣祿所にむかふ、祿をとる大辨の宰相ろく所につく也、入御ののち、白馬中殿の前をわたる、神仙無名門をとをりて東庭をわたる、先ねりおとことかやいひて、七度庭をめぐる、近衞官人どもなり、うへのをのこども、小板敷のへん長橋などにて馬をうつ、そのゆへおぼつかなし、中宮東宮にもおなじくまいる、節會の程、北の陣にてけんひゐし雜犯をたヾす、

〔公事根源〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0997 白馬節會   七日
此節會の事、大方は元日などにおなじ、元日は氷の様、はらかの贄、御暦などあるによりて、押なべて諸司の奏といふなり、けふは兵部省より奉る、御弓奏ばかりを内辨も奏聞するなり、若卯日にあたらば、けふも諸司奏と云べし、卯杖の奏あるによりてなり、しからざる時は、たヾ御弓奏候やと仰す、天竺の貝多羅葉は、其長さ七尺五寸なり、弓のたけも七尺五寸なる故に、是をたらしとは

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0998 申にや、〈◯中略〉儀式などは大かた元日におなじ、其上いつもの事なれば、記すも不珍やうなれば書のせず、天武天皇十年正月七日に、御門小安殿におはしまして宴會の儀有り、是や七日の節會の始なるべからん、

〔禁中年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0998 七日 白馬節會北陣 判官〈十七石〉 撿非違使左右衞門尉勤之  看督長〈三石五斗〉 五人 使廳〈貳石五斗〉 九人 火長〈壹石五斗〉 三人 奉行職事 四位五位職事勤之 藏人 四位五位職事六位藏人勤之 陣官人 庭火 主殿寮調進之 催 勢多判官勤之 白馬節會 内辨 〈左右大臣、内大臣、左右大將、或大納言第一人勤之、◯下略〉

〔續近代年中行事〕

〈正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0998 白馬節會
一正月上旬御點被下、申沙汰被仰出、此已後催之條々、
一如元日儀、但舞妓儀、長橋局〈江〉申入置事、
一左右馬寮下知之事
 白馬節會左馬寮役御馬之事、任例可下知者、依天氣執達如件、
   月日    官名
  謹上今出川殿
   右依時官禮節書之、貫首五位職事同前、
 白馬節會右馬寮役御馬之事、任例可下知者、依天氣執達如件、
   月日    官名
  謹上 三條殿
   右同斷
 右三條今出川之内、故障之節、一方〈江〉一所申遣事、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0999 一北陣申遣事(當時被使別當ゝ仍可内于大理事ゝ)
 白馬節會參陣官人之事、任例可相催之状如件、
   月日     官判
  勢多大判事
   〈掛紙〉追仰囚人事、同可存知候也、
   刻限何刻之由、口上ニ而申遣也、
一北陣ニ付、武家〈江〉警固申遣序、何刻之由、是又申遣也、
  當日
一時儀一如元日節會、但御弓奏之事、内辨被仰如諸司奏、職事歸出仰之事、如諸司奏
一白馬奏左右大將取之、就御屏風妻奏聞、無出御時者、進弓場代職事奏聞、如宣命見參奏、但此奏者留御所事、
一坊家奏者、内教坊別當取之、就御屏風妻奏聞、無出御時、進弓場代職事奏聞、〈如前〉若無別當、内辨取之奏聞、〈如初〉此奏者留御所事、
一右次將第一〈江〉坊家奏取次之儀申入置、相知候ハヾ可示之旨申入候事、
一舞妓儀、以表使相催、舞妓舞畢後、内辨〈江〉申入之事、
一節會畢後、早出役付等散状書付儀如元日、御悦申上序、以表使白馬奏坊家奏等獻上之事、
一參内之後、北陣之役人相揃候哉、勢多方〈江〉尋遣、事具之由申來後、以議奏始哉相窺、被仰後勢多方〈江〉可進旨申遣、六位北陣可廻之旨、警固等申付事、北陣相濟後、以議奏言上之事、〈◯中略〉
  左右馬頭代官事〈◯中間文缺〉
   北陣所

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 參内殿中門外西方
   雨儀
西唐門下

〔光臺一覽〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 七日、〈◯正月、中略、〉今夜は白馬之節會、天下安全の祝義の陣是とかや、參候の輩、元日に相同じ、

〔故實拾要〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 同日〈◯正月七日〉白馬節會 節會始ラザル以前ニ、於北陣、勢田、堀河、姉小路、町口等ノ判官、卒看督長、使丁、火長等、犯人恩赦ノ作法アリ、又勢田、堀河、姉小路、町口等ハ、官人ノ稱號也、或勢田左衞門尉、姉小路右衞門大夫抔云也、此人判官タル官人也、此節會參陣ノ人々、内外辨以下、又調進物等、元日節會ノ如シ、但役人ノ内ヘ増加ル官人、 樂前大夫〈兩人〉 舞姫〈兩人〉 左右馬頭 左右馬允 文殿 内教坊 以上加之也 調進物 御硯〈文殿〉 御馬二疋〈左右馬寮〉 坊家奏〈内教坊〉 以上加之也 此節會ヲアヲムマノ節會ト云、白馬ト書テ、アヲムマト讀、又青馬共書也、馬ハ陽ヲ掌ル也、春白馬ヲ見ルトキハ、除邪氣人身ノ氣和スト云々、故ニ馬ヲ被牽也、又白馬ト書テ、アヲ馬ト讀ハ、青キハ春ノ色也、

白馬節會例

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 五十一年正月戊子、〈◯七日〉招群卿而宴數日矣(トヨノアカリキコシメス)、
 ◯按ズルニ、類聚國史ニハ、本文ヲ以テ七日節會部ノ首ニ擧ゲタリ、

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 二十年正月丁亥、〈◯七日〉置酒宴群卿

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 七年正月壬辰、〈◯七日〉宴群臣於内裏

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 二年正月癸巳、〈◯七日〉置酒宴群臣、 十年正月丁丑、〈◯七日〉天皇御向小殿而宴之、是日親王諸王引入内安殿、諸臣皆侍于外安殿、元置酒以賜(○)樂(○)、

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1000 三年正月庚申、〈◯七日〉宴公卿賜(○)袍袴(○○)、 四年正月甲申、〈◯七日〉宴公卿於内裏、仍賜衣裳

〔續日本紀〕

〈三文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 慶雲三年正月壬午、〈◯七日〉饗金儒吉等于朝堂、奏諸方樂于庭、叙位賜祿各有差、

〔續日本紀〕

〈九元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 神龜元年正月戊辰、〈◯七日〉御中宮五位已上、賜祿有差、

〔續日本紀〕

〈十聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 神龜四年正月庚辰、〈◯七日〉宴五位已上於朝堂、 五年正月甲辰、〈◯七日〉天皇御南苑五位已上、賜祿有差、
天平二年正月壬辰、〈◯七日〉宴五位已上於中朝、賜祿有差、

〔續日本紀〕

〈十五聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 天平十五年正月丁未、〈◯七日〉天皇御大安殿五位已上、賜祿有差、

〔續日本紀〕

〈十六聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 天平十七年正月乙丑、〈◯七日〉天皇御大安殿五位已上、詔授從四位上大伴宿祢牛養從三位、從五位下阿貴王從五位上、〈◯中略〉宴訖賜祿有差、百官主典已上、於朝堂饗祿亦有差、

〔續日本紀〕

〈十七聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 天平二十年正月戊寅、〈◯七日〉天皇御南殿五位以上、授正五位上坂上忌寸犬養從四位下、〈◯中略〉宴訖賜祿有差、

〔續日本紀〕

〈十九孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 天平勝寶六年正月癸卯、〈◯七日〉天皇御東院五位已上、有勅召正五位下多治比眞人家主、從五位下大伴宿祢麻呂二人於御前、特賜四位當色、令四位之列、即授從四位下

〔續日本紀〕

〈二十二淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 天平寶字四年正月己巳、〈◯七日〉高野天皇〈◯孝謙〉及帝御閤門、五位以上及高麗使依儀陳列、〈◯中略〉宴於五位已上及蕃客、賜祿有差、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 神護景雲二年正月壬子、〈◯七日〉宴五位已上於内裏、賜祿有差、授從三位圓方女王正三位、從四位上伊福部女王正四位下、 三年正月丙子、〈◯七日〉御法王宮於五位已上、道鏡與五位已上摺衣人一領、蝦夷緋袍人一領、賜左右大臣綿各一千屯、大納言已下亦有差、

〔續日本紀〕

〈三十二光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 寶龜四年正月丁丑朔辛未、〈◯辛未恐癸未誤〉勅曰、〈◯中略〉宜可赦天下、〈◯中略〉是日御重閤中院、授從五位上依智王正五位下、〈◯中略〉禮畢宴於五位已上、賜物有差、

〔續日本紀〕

〈三十五光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1001 寶龜十年正月戊申、〈◯七日〉宴五位以上及渤海國使仙壽等於朝堂、賜祿有差、

〔續日本紀〕

〈三十六光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 寶龜十一年正月癸酉、〈◯七日〉宴五品已上、及唐新羅使於朝堂、賜祿有差、授從五位上田上王、山邊王、並正五位下

〔續日本紀〕

〈四十桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 延暦八年正月己酉、〈◯七日〉宴五位已上於南院、授從五位上笠王正五位下

〔類聚國史〕

〈七十一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 延暦十二年正月丙戌、〈◯七日〉宴五位已上女樂、賜祿有差、叙位云々、 十四年正月丙子、〈◯七日〉宴群臣、賜束帛差、

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 延暦十八年正月壬子、〈◯七日〉豐樂院未功、大極殿前龍尾道上構作借殿、葺以彩帛、天皇臨御、蕃客仰望、以爲壯麗、命五位已上宴樂、渤海國使大昌泰等預焉、賚祿有差、

〔日本後紀〕

〈十七平城〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 大同四年正月甲申、〈◯七日〉宴侍臣衣被、 丁亥、令諸國停一レ正月七日十六日兩節會珍味、以民也、

〔日本後紀〕

〈二十一嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 弘仁二年正月壬寅、〈◯七日〉宴五位已上并藩客、賜祿有差、

〔帝王編年紀〕

〈十二嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 弘仁二年正月七日、始覽(○○)青馬(○○)

〔日本後紀〕

〈二十二嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 弘仁四年正月辛酉、〈◯七日〉宴五位已上於豐樂院樂、賜祿有差、

〔日本後紀〕

〈二十四嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 弘仁六年正月己卯、〈◯七日〉宴五位以上并渤海使女樂、是日正四位下藤原朝臣緒嗣、秋篠朝臣安人授從三位、〈◯中略〉賜祿有差、

〔類聚國史〕

〈七十一歳時〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 弘仁十一年正月庚辰、〈◯七日〉宴五位已上及蕃客於豐樂殿

〔續日本後紀〕

〈三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 承和元年正月戊午、〈◯七日〉天皇御豐樂殿青馬、宴群臣

〔大日本史〕

〈二十五本紀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 按、舊史書青馬、始見于此

〔續日本後紀〕

〈八仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 承和六年正月庚申、〈◯七日〉天皇御紫宸殿、覽青馬、宴百官、詔撿正四位下菅原朝臣清公從三位、〈◯下略〉

〔文徳實録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1002 仁壽二年正月甲戌、〈◯七日〉幸豐樂院以覽青馬、助陽氣也、賜宴群臣常、

〔三代實録〕

〈十清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1003 貞觀七年正月七日己丑、天皇御前殿、簾中覽青馬、及宴群臣、賜祿如常、太政大臣〈◯藤原良房〉自去冬疾彌留、故拜爵之儀、今日寂寥焉、

〔三代實録〕

〈十六清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1003 貞觀十一年正月七日乙丑、天皇御紫宸殿青馬、宴于群臣女樂、日暮賜祿各有差、

〔三代實録〕

〈三十陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1003 元慶元年正月七日己卯、天皇御前殿、〈◯中略〉覽青馬群臣、日暮賜束帛、諸國牧宰五位已上、奉使入京者、預參賜祿、

〔日本紀略〕

〈二朱雀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1003 天慶三年正月七日癸酉、宴會、無音樂、不出御、依東國兵亂也、

〔日本紀略〕

〈三村上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1003 天暦元年正月七日癸巳、白馬宴(○○○)、

〔小右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1003 天元五年正月七日庚子、未時許參内、南殿御裝束了、申時出御南殿、左大臣爲内弁、節會如恒、但御弓奏(○○○)被内侍所、是依夜也、〈須不位記筥之前、可奏、似吉例、〉丑二點事了還御、今日左中少將遲參、仍左大臣被奏、以右中將時中左陣引陣之由依請也、樂前大夫二人、〈治部大輔利蔭、雅樂頭守節、〉舞妓進舞臺、已無敷板、仍暫致庭舞
長元四年正月七日乙卯、未時許參内、中納言乘車後、資房、資高、經季相從、内大臣〈◯藤原教通〉已下候、余〈◯藤原實資〉著内座、内大臣在外座、依内弁事歟、外記相親申外任奏候由、内府問下官云、外任奏甚早、如何、餘云、更不早晩、隨申奏覽之例也、頭辨令奏即下給、又召外記返給、仰詞不聞也、有定詞之事也、次外記相親申代官、内府問云、戒乎、申式兵輔丞等代官、内府只目、稱唯退出、有仰詞、其詞云、仰宣ヘ、内府起座、若著靴歟、亦令笏文歟、良久之後、進軒廊東階、受取内侍所持下名退歸、〈於階下笏太早、昇階於三級許笏歟、取下名笏取副笏退下、〉使隨身直立宜陽殿兀子、未見之事也、可裝束司立歟、著兀子内竪二聲、同音稱唯、別當之清參入、仰召式司兵司、稱唯退出、次二省丞參入、立定後召式司、稱唯進給下名本所、次召兵司式司、相共退出、次内弁起座退、又諸卿出、外弁右大弁經頼一人留陣、依下官一人也、左右近陣階下、次御座定、近仗警蹕、刻移、内弁著兀子、内侍臨檻、起座歸入東出軒廊東二間、於左仗南謝座、〈不慥見

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1004 了參上、次開門、内弁退下、立巽壇上新叙宣命、先例立軒廊失誤、但坊家奏相撲奏等立壇上之例也、宣命見參者不然之事也、頭弁傳下官云、兵庫寮官人不參、御弓奏如何者、余答、寮官不候者、只可内侍所、頭弁含勅命内弁、内弁仰外記、内弁執新叙宣命參上、即退下、内記國成歸陣腋階下、差隨身召、經營參入、於本所返給、文夾之所指非前跡、有見人必致傾奇歟、上官等不階下座、依下官之候一レ陣歟、尤可然矣、内弁召内竪二音、於日華門同音稱唯、別當之清參入、仰召式司兵司、稱唯退出、二省輔丞參入、召式司、〈相成〉稱唯參上、給筥退下、傳給丞、次召兵司、〈廣遠〉如式部、兩省丞代執筥置案上退出、次召舍人二聲、〈其聲猶長如元日〉小時大舍人同音稱唯、少納言經成入就版宣召刀禰、稱唯退歸、群臣參入各立標、宣侍座、群臣謝座謝酒如常、公卿參上、即引叙列、此間下官著靴參上著奧座、欲新叙宣命使、仍下官退出、須春花門輦車、而未御本殿之間、退出非事恐、仍令引輦車於東宮坤乘之退出、是謹之致也、黄昏歸家、入夜慶賀人々來、丑時許、頭弁來拜、了來格子外云、侍從信家〈内大臣息、叙四品、新一品宮御給、〉被還昇、今日見參、左大臣、〈◯藤原頼通〉内大臣、大納言頼宗、能信、長家、中納言實成、師房、經通、資平、定頼、參議通任、兼經、顯基、公成、重尹、經頼、三位二人、〈惟憲、兼頼、〉 九日丁巳、大藏省進七日之祿絹

〔日本紀略〕

〈十四後一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1004 長元九年正月七日丙戌、節會内辨内大臣〈◯藤原教通〉諸卿謝座了、造酒正不參不空盞、内辨忽下殿賜代官

〔江家次第〕

〈一正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1004 内辨細記 大嘗會
故行成大納言抄云、七日、有腹赤之時、先何奏哉、供御爲先者、腹赤可先、依省次第者、御弓可先、稱御弓奏久絶、一條院御時、令實成大輔奏一レ之、承保二年、故源右府〈◯師房〉爲内辨、又稱御弓奏久絶、令大輔實宗奏

〔中右記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1004 寛治八年〈◯嘉保元年〉正月七日己卯、御弓奏付近代儀、付内侍所歟、

〔百練抄〕

〈六崇徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1004 保延二年正月七日、節會、公卿饗無飯、

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1005 治承四年正月七日庚申、此日白馬宴會也、余〈◯藤原兼實〉勤内辨、大將〈◯兼實子良通〉可奏、仍早旦修諷誦、余三ケ寺、〈吉田、崇神院、六角堂、〉大將七箇寺、〈賀茂、春日、大原野、吉田、崇神院、法成寺、六角堂、〉又大將祈仰僧等、終日令祈念

〔伏見院御記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1005 正應三年正月七日辛亥、白馬節會、辰一點、光泰參行事、巳一點、内弁内大臣〈◯藤原實兼〉參候、相續而公卿等參集、光泰奏外任奏、見了返給内侍、勾當典子出西階、關白令持之、給下名於内弁、次將陣階下之後、出著倚子、〈先下臈内侍置璽筥於西机退、次上臈内侍同机上置劒了、〉位記筥自本置臺盤上、内弁歸著宜陽殿兀子、内侍〈勾當典子〉臨西檻内弁内弁謝座昇、次開門、此間内弁召藏人仰以式二筥可上之由、藏人置之了、次闈司著座、次内弁付内侍宣命、覽了返給、次内弁召内竪、〈二音〉稱唯參入、即堂上式省兵省召〈セ〉、内竪稱唯退、内弁言可橘木南頭、堂上太不然云々、二省輔參進給位記筥、二省輔給之授丞代、丞代以筥置案上、次内弁召舍人、〈二音〉次少納言親氏朝臣就版、内弁宣、刀禰召〈セ〉、少納言稱唯退召之、次王卿權大納言藤原朝臣、〈實重〉春宮大夫藤原朝臣、權大納言藤原朝臣、〈兼基〉左衞門督藤原朝臣、皇后宮權大夫藤原朝臣、左大弁藤原朝臣、右近中將藤原朝臣〈冬季〉等列立標下、〈異位重行〉内弁宣敷尹、次群臣再拜、次造酒正授空盞、群臣再拜、次王卿等著堂上座、此間白地起座入内、〈大宮女院御幸之間、暫起座也、〉即歸著座、宣命使就版之程也、宣命使皇后宮權大夫宣制一段、群臣再拜、又一段、群臣拜舞、王卿復座、別當藤原朝臣、中納言中將冬季朝臣、武官少將業顯朝臣等給位記、拜舞退出、次二省丞撤筥、次掃部寮撤案、次親族拜舞、次左右御監奏白馬奏、内大臣付内侍之、〈不返給机上〉次内弁降殿著兀子、可標版位之由催之、左右府生取標、左將監取版位、主殿寮取松明參上供掌燈、次左近陣渡、次左右馬頭代、次白馬渡、次右近陣、次供御膳元日、二獻之後、召左大弁御酒勅使、三獻之後奏舞妓、不返給東机、次樂人發音、次舞妓出、次王卿下殿拜舞、次掃部寮立祿臺、大藏省積祿物、次内弁奏宣命見參、覽了返給、次内弁召參議冬季宣命、又召俊定見參、次内弁以下下殿列立、宣命使著版、宣制一段、群臣再拜又一段、群臣拜舞、次宣命使并内辨已下復座則退出、次入内、近仗稱警、此後白馬可東庭、而御殿通用之間、以西向中

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1006 門内東庭代、侍臣藏人等打白馬例、次白馬參中宮、於御殿前之、次參東宮御方儀同前歟、

〔續史愚抄〕

〈後醍醐〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1006 元弘四年〈◯建武元年〉正月七日丙申、節會、

〔言繼卿記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1006 永祿二年正月七日庚辰、白馬節會有之、内辨三條大納言、外弁廣橋大納言、勸修寺中納言、新宰相、滋野井宰相中將等也、陣儀外弁之座已下如元日、次將左公遠朝臣、右言經朝臣、召内侍、長橋局内弁開門闈司舍人宣之、少納言代言經朝臣著版、内弁宣、マチ公達召セ、進退如元日、公卿參列再拜堂上、次白馬渡、左馬頭代助源爲仲、右馬頭代言經朝臣、次一獻以下如常、二獻ノ後、御酒勅使新宰相、立樂有之、笙隆秋、笛景長、兩人也、三獻宣命見參如常、祿所參議新宰相、弁輔房等著祿所、則起座、言語不可説、誰人之商量哉不審、節會了可起座事也、内弁下殿、坊家奏大膳職書之、〈插杖〉言經朝臣傳之、次奏聞、次内弁以下下殿、右杖宣命使滋野井宰相中將如常、次内弁賜祿退出了、

〔公卿補任〕

〈後水尾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1006 慶長二十〈乙卯〉年〈◯元和元年〉白馬節會、奉行藏人左少辨光賢、

〔大江俊矩記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1006 文化四年正月六日戊申、白馬節會御裝束設試也、未刻奉行資愛朝臣助功等參勤、官外記方諸司同刻出仕、以奉行命御裝束令奉仕例、今日藏人方諸司不出仕、仍南殿格子以鳥飼侍之、御裝束設了、奉行點撿後、御酒具置炭等令便所、如元令格子、庭上版標其儘、其餘明日鋪設舞臺者修理職也、揔如例年、〈◯中略〉 自評定卿御用觸到來、予參洞、當番評定樋口前宰相被申渡曰、明日白馬御覽、申次如例可存知旨也、畏奉、即助功參勤之旨申入置、即刻退出了、 七日己酉、白馬節會、辰一點早參也、奉行頭辨資愛朝臣、官外記出納以下同刻出仕、出仕次第、以奉行命御裝束令奉仕但雨儀也、〈大外記依重服不參、催分配外記權少外記禹昌也、出納職厚雖實重服出仕也、父子相並出仕、今日初度、◯中略〉
一樂前大夫今日出仕交名、權少外記、禹昌、中務大丞俊彦兩人也、昨年亦俊彦雖出仕、昨年者中務省相兼出仕故無煩、當年者中務省別人宗岡行有出仕故、俊彦者樂前大夫而已出仕之様子也、元來樂前大夫者、外記史之中、可帶劒者本儀也、雖然如昨年、則中務省重役出仕之事故無子細、如當年、樂

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1007 前大夫而已出仕之時、用攝家諸大夫事如何、分配相改可然歟、一應可相糺旨奉行被示、即傳命權少外記禹昌相糺之處、分配巡番之事故難相改、勿論如此先例有之由申答故、其趣申奉行處、然則其先例可注進旨被示、即又命權少外記處、年月人體不記臆故、少外記康敬聞合、其上可注進、暫可遲々段相斷、後刻書付差出如左、 樂前大夫 享和三年正月七日 中務少丞光泰(花山院家諸大夫梅戸石見守) 文化三年正月十六日 同 右書付進奉行處、落手相濟也、
一造酒正依闕官本司佑由、内辨御命之旨奉行被示、申渡權少外記、且陣頭申詞之儀、爲心得相尋之處、禹昌曰、諸司ハ候ヤト内辨御尋之時、造酒正未ダ任ゼズ、佑ヲラシメテ候ト答申、覺悟之旨也、
一御裝束諸司、悉相具後告奉行、〈次將兩三人有遲參、奉行被示、以仕人催促、〉一午半刻過、陣始、直節會出御、且外任奏内覽鬼間、奏聞朝餉之旨奉行被觸、即鬼間設殿下座、官外記出納、内膳司御厨子所等、出御之儀申渡、
一奉行參陣、藏人一人相從、執筥如例、〈助功〉外任奏鬼間内覽、朝餉奏聞也、
一未刻前出御南殿、先是於朝餉御座、著御御服、外任奏御覽等如例、所役如元、 早參職事 重能朝臣、資愛朝臣、明光、建房、俊明、予、藤原助功、源常顯、大江俊常、 御服奉仕 八條三位、言知朝臣、 御裾 關白〈◯鷹司政熙〉 御插鞋御靴 重能朝臣 予(取傳) 劍璽扶持 通知朝臣、公師朝臣、 式筥 建房 内侍扶持 明光 命婦扶持 藤原助功、大江俊常、
一白馬渡馳道後入御、被出御服、次將、扶持將官、外記、出納、内膳司、御厨子所等申通、
一公卿堂上了、催入御、〈御服扶持將出納等也〉
一白馬渡馳道入御也、所役如初、〈時申刻〉
一入御暫時後、白馬被渡東庭、〈先是白馬渡南庭後、暫繫馬繫廊置事、可例年、奉行被命出納掛引了、〉其儀先以奉行藏人、下

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1008 面御簾、令出納催修理職、開長橋馬道、明義仙華等門扉密々撤之、露臺代下切戸開之等之事相具後告奉行、〈筵道布單不之、長橋馬道之間、打反卷置而巳如例、〉奉行附議奏伺、其後可只今示、即頭五位六位職事各列候南廊壁下、〈但藏人一兩人在南殿者不之、〉以奉行命出納、告只今參進之儀於左右馬頭、左右馬頭以下白馬渡東庭瀧口戸代、時儀如例、但當年亦依雨儀左右馬頭掛裾相渡也、〈左馬權頭治資、右馬權頭基標、〉事訖職事退入、馬道門扉等如元修理職奉仕、藏人卷御簾、申半刻前相濟、
一助功依洞中白馬御覽申次、參院早出之儀、今朝〈予〉申入奉行置、此時勝手可參院旨奉行被示、仍即刻助功早出參院也、〈洞中之儀、巨細在奧、〉
一予依中宮白馬御覽早參參宮、早出之儀、今朝申入奉行置、自此時早出處、暫可見合旨奉行被示、〈中宮奉行裏松辨〈江〉者、自奉行理被申置云々、〉其後勝手可參宮旨被示、酉刻前早出參宮也、〈此時裏松辨亦參宮也、飛香舍之儀、巨細在奧、〉
一出御方御裝束撤却退出(白馬渡東庭以後也)、奉行被官外記、出納内膳司御厨子所等申渡、
一藏人亦申合一人相殘、可退出旨奉行被示、常顯可退出之處、御殿御裝束撤却、且令掌燈、點撿之儀等、彼是繁多、其内宴終、兩人同時戌刻頃退出也、
一一獻催舞妓廻來、於御拜道廊下西方裝束、〈以表使催之時、申半刻前也、其後表使尋來曰、只今即刻於參進者不脂燭故、不女官相具廻一レ之歟之旨也、仍答曰、只今即刻於參進者雖脂燭、今暫可隙間、先女官相具廻來可然申之、仍如例脂燭女官亦相廻居也、〉同時催采女廻來令御膳宿、〈是依雨儀、移設御酒具於母屋故也、〉
一三獻坊家奏之間、令采女移入御酒具於母屋西第二間、〈依雨儀舞妓舞廂故也、不元故、采女直歸入御内儀、〉内教坊別當不參故、續内辨坊家奏畢、〈經御後弓場、以職事之、〉催立樂復座、次立樂、〈於西廻廊之如常〉吹調子畢參入、音聲初太鼔之後出舞妓、〈藏人催之〉其儀舞妓二人降女官階、出神仙無名等門、經軒下南殿西階、〈其道豫設筵道、掃部寮奉仕之、〉經南簀子西第三間南廂、其間一ケ間之間舞之、引導闈司一人立南簀子、〈同間東柱下西面也〉依白晝女官差脂燭、〈近來希有之儀也〉舞畢舞妓經本路退入、〈時秉燭以前也〉樂前大夫止立西階下例、〈依雨儀此也〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1009 一舞妓舞畢及黄昏、仍催主殿女官掌燈、先藏人二人供御帳前燈臺二基、次女官臺盤脇燈臺二基、南廂燈械八、御粧物所燈薹一基等、如例供奉之
一戌刻前宴會終、所役早出、聞糺官外記、告奉行撤却退出、以命示官外記、出納、内膳司等、戌刻計、常顯俊常兩人退出、

〔蒼梧隨筆〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1009 白馬節會拜見のありさま 正月七日の節會を白馬〈阿於と訓ず〉の節會といえり、抑春は東方に位して木の徳あり、木の色は青し、よて青陽共、青春とも賀す、然して年のはじめに馬を見れば、其年の邪魔を除くといへる事、禮記に見えたり、是を以、今日主上群臣と共に白馬を覽し玉ふの義也、〈◯中略〉 古此節會には、月毛の馬を廿一疋牽出て底上をわたる事なり、則左馬寮より十疋、右馬寮より十疋、此外に餘馬と稱して、左右馬寮より隔年に一疋ヅヽ牽わたせるよし也、是は大内裏時の義にて、諸の官舍も備り、庭上も其を行るヽにたへたる結構なるゆへなり、今は庭上もせは〳〵しく、左右馬寮も名のみなるをもて、たヾ禮容を失ざるの義のみにて、廿一疋の十分一にて、たヾ二疋を引わたすのみなり、然れども節會に大小の二様あり、白馬と豐ノ明リは、大節會にて、元日踏歌などいへるより、又一しほに嚴重なる趣きなるよし也、中世以來、四節會共〈元日、白馬、踏歌、豐明、〉大凡酉の刻の催にて、日入て後の行事にて、其御式のはてぬるは曉方に及べり、然るに當今〈◯光格〉の御代に至りて、殊更の僉議をもて、馬は青春覽し玉ふ事は、春の陽氣をむかへて邪氣をはらふの古實にて、舊例も晝の間に馬を覽し給へる事なり、去れば古は除目の義は六日の事なりしかども、其式の繁多なるに及ては曉に及べる事もありしによて、然る時は白馬の節會の妨なりとて、五日に除目を轉ぜられて行るヽよし桃花の御説見えたれば、古しへ、白馬の御式は、晝行れし事顯然たるもの也、去程に今年の春、去年の霜月に京上して、其處此處逍遥して、おもはず年を重ねたるの幸に、件の御式を拜し奉りし、其義年來拜し來れるに聊も替れる事なく、誠に嚴重

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1010 なる御次第なりし、况や毎年拜見せしは、夜の節會のみなりしに、此年や幸に右のごとく改たりし白日の御式、殊にもて田舍翁が眼を驚し奉る事のみなりしまヽ荒々拜見の趣左に筆して、孫子供への家土産に備るものなり、 抑御節會の式は、内弁外弁の公卿、武官の警固、執柄の諸司等、夫々の束帶して、堂上砌下より集ひ給ふこと、式は御帳臺〈江〉出御の御作法、公卿の練足、宣命の次第、又庭上に版を設、標を建、鳥瓶子とて、頂に鳥の形の五色に色どりたる大瓶子を居置れて、御酒を設給ふのありさま、内弁の大臣の開門、闈司等を仰するの事、又は立樂を奏し、舞妓の袖をひるがへし舞つるの事、其義はてヽ、月花門にして祿を給ふまでも、悉く三節會豐の明りに同じ次第也、然して今日の義の替れるありさま、其大抵を申さんには、外弁の公卿南門より練り參らせられて、西の階より昇殿まし〳〵、臺盤につかせられて、御酒賜へる一獻二獻の間に、立樂とて、舞人樂人庭上にすヽみ出て音樂ヲ奏し、舞妓は東階のもとにて、袖をひるがへして、舞ひかなでしありさま、〈此時樂前の大夫とて、中務の丞束帶して舞妓を誘ひめぐる也、舞姫は五衣ニ裳からぎぬ等を著ス、二人也、〉其間に庭上に立らるヽ鳥瓶子より、造酒司の御酒うつすありさま、内豎の進退、殊に以て嚴也、又此間に庭上に立られたる標版を撤して、砂をならして庭の面を粧へば、馬寮の頭日花門より馬部舍人を率て、白き馬二疋庭上ヲ引わたして、月花門の方へわたる也、〈此二疋の馬には、各々馬衣をかけて引わたす也、〉此義は御帳臺の中より叡覽まし〳〵、群臣も共に拜見して、事はてヽ入御まし〳〵、公卿も又西の階を下りて退りたまふありさま也、扨月花門の許には、大藏省の官人、祿のものをかづくありさま、最嚴重也、 此節會、辰の刻の催しといえ共、やう〳〵午の刻より少シ前に始まる事、後には夜に入候ゆへ、退り給ふには、唐門より炬火をとりて、召具のもの供まうすありさま、申も中々及びなき事なり、〈◯中略〉 天明八年正月十日記之 老邁嘉樹〈◯大塚〉

停節會

〔續日本紀〕

〈二十二淳仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1010 天平寶字三年正月甲戌、〈◯七日〉停節會、雨也、

〔三代實録〕

〈二清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 貞觀元年正月七日甲子、是日天皇不青馬、停節會之事〈◯去年八月文徳帝崩〉也、

〔三代實録〕

〈二十一清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 貞觀十四年正月七日戊寅、天皇不紫宸殿、以節會也、召左右馬寮青馬各七疋於内殿前之、青馬及龓人並不裝飾

〔西宮記〕

〈正月中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 七日節會 貞觀十四正七、無節會、去九月太后〈◯仁明后藤原順子〉崩、心喪中也、召左右馬寮御馬各七疋於内殿前覽、龓人不裝束云々、

〔三代實録〕

〈三十九陽成〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 元慶五年正月七日丙辰、節會停止、〈◯去年十二月清和帝崩〉不青馬也、

〔日本紀略〕

〈五冷泉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 安和元年正月七日辛卯、止節會、〈◯去年五月村上帝崩〉御弓奏付内侍所

〔日本紀略〕

〈十一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 長保二年正月七日乙酉、停止叙位并節會、依同崩〈◯去年十二月太皇太后昌子内親王崩〉也、但於中殿覽白馬、 三年正月七日己卯、停節會、依皇后崩〈◯去年十二月一條后藤原定子崩〉也、但左大臣以下參入、今日節會等皆以停之、

〔日本紀略〕

〈十二三條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 長和元年正月七日乙亥、無節會、依諒闇〈◯去年十月冷泉帝崩〉也、但諸卿參仗座

〔左經記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1011 長元元年正月三日己亥、頭中將被示云、一日詣左府、〈◯藤原頼通〉奉節會之時、白馬清凉殿御前之儀、命云、御前御裝束下東廂御簾、上達部座如御讀經之時、上卿進弓場頭奏御馬奏之後、有召皆著御前座、次御馬〈不裝束〉經日月兩門并殿上前御前常、馬頭助闕腋淺沓樋螺鈿、龓葛衣伊知比脛巾布帶、次第如例云々、馬數左右各十疋、或八疋云々、或又敷菅圓座於御前云、上達部云々、是卒尓之時例云々、 四日庚子、今朝大外記頼隆眞人云、白馬貞觀七疋、長保十疋、貞觀例合式條義者、 七日癸卯、傳聞、節會停止、但御覽白馬云々、其儀下東廂御簾、御座敷南第三間、〈小筵二枚上敷半疊、晝御座南方、〉東又廂南第一二間敷緑端疊上達部座、〈如季御讀經時之〉及午刻、右大臣、藤中納言、〈朝經〉大藏卿、〈通任〉左大弁、〈定頼〉新宰相、〈公盛〉參左仗、頃之參殿上侍、左右馬助允取御馬奏弓場、右府、〈兼右大將〉於弓場殿兩寮奏、付藏人資房朝臣奏之後、昇候殿上、次有召著御前座、餘卿同參著、次左右御馬各七疋、入春華門、經中隔并宣陽

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1012 日月華等門殿上前、入明義門御前、先左右馬助、〈著闕腋袍、平胡籙、靴沓等、〉次左御馬七疋、〈結唐尾、無銀面、〉龓近衞、〈褐衣布帶、伊知比脛巾、〉次左右允、〈平胡籙、麻鞋、〉次御馬七疋、〈如左儀〉次左右屬、〈裝束如允〉渡了右府以下次第退出、次上御簾、抑院宮小一條院無牽別、東宮有牽別云々、又或人云、宜陽殿敷座、大膳儲饌云々、而大外記頼隆眞人稱先例之由撤却先了云々、又兵部省御弓等付内侍所退出云々、

〔日本紀略〕

〈十四後一條〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1012 長元元年正月七日癸卯、無節會、但白馬不裝束牽渡、右大臣以下參仗座見參事

〔孝亮宿禰記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1012 慶長十年正月一日子、主上〈◯後陽成〉依御不例、四方拜無之、節會同無之、

雜載

〔枕草子〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.1012 ころは正月、〈◯中略〉七日は、〈◯中略〉白馬見んとて、里人はくるまきよげにしたてヽ見にゆく、中の御門のとじきみひきいるヽ程、かしらども一ところにまろびあひて、さしぐしもおち、よういせねば、おれなどしてわらふも又おかし、左衞門のぢんなどに、殿上人あまたたちなどして、とねりの馬どもをとりて、おどろかしてわらふを、はつかに見いれたれば、たてじとみなどの見ゆるに、とのもりづかさ女官などの、ゆきちがひたるこそおかしけれ、いかばかりなる人、こヽのへをかくたちならすらんなどおもひやらるヽうちにも、見るはいとせばきほどにて、とねりがかほのきぬもあらはれ、しろきものヽゆきつかぬところは、まことにくろき庭に、雪のむらぎえたる心ちしていと見ぐるし、馬のあがりさはぎたるもおそろしくおぼゆれば、ひきいられてよくも見やられず、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:59 (387d)