p.1194 納涼ハ、スヾミト云フ、三伏ノ候、水邊ニ赴キ、或ハ閑地ヲ覓メテ、暑ヲ避クルヲ謂フナリ、其朝ニ於テスルモノヲ朝涼ト云ヒ、夕ニ於テスルモノヲ夕涼ト云フ、夕涼ノ地ニテ最モ名高キモノハ、京都ノ四條河原、江戸ノ隅田川等ト爲ス、
p.1194 納凉〈タウリヤウ〉
p.1194 納凉(ナフレウ)
p.1194 追凉(スヾム) 納凉(同)〈逐凉、乘凉、避暑、並同、〉
p.1194 すヾみ 納凉をいふ、すヾみとるなどもよみ、日本紀に避暑を訓ぜり、今京師六月七日より晦日までの風俗は、祓の遺意成べし、凉床は遵生八牋、凉棚は天寶遺事に見ゆ、
p.1194 二夜百首御歌納凉 後京極攝政
日をさふる松よりにしの朝すヾみ(○○○○)こヽには暮ぞまたれざりける
陰ふかき外面のならの夕すヾみ(○○○○)一木がもとに秋風ぞふく
p.1195 七日(○○)祇園會〈(中略)凡自(○)二今夜(○○)一至(○)二十八日夜(○○○○)一、四條河原(○○○○)水陸不レ漏二寸地一、並レ床設レ席、而良賤般樂、東西茶店張二挑燈一設二行燈一、恰如二白晝一、是謂レ凉、其中至二十三日夜一殊甚、是因二夜宮一也、〉 十九日下鴨社〈此月下鴨社司於二川合社前住吉社東河邊一修二六月祓一、自二今日一諸人參詣爲二納凉之遊一、林間假設二茶店一、而賣二酒食及和多加鮓等一、鯉刺身、鰻樺燒、眞桑瓜、桃、林檎、太凝菜(コヽロブト)、或以二竹串一貫二小團子數箇一、燒而賣レ之、是稱二御手洗團子(ミタラシダンゴ)一、社司盛二此團子於臺一而獻二高貴家一、參詣人亦求レ之、或蒲鉾金燈籠(ホウヅキ)草買レ之賺二兒女一、〉
p.1195 四條河原夕凉は、六月七日より始り、同十八日に終る、東西の青樓よりは、川邊に床を儲け、燈は星の如く、河原には床机をつらねて、流光に宴を催し、濃紫の帽子は河風に翩飜として、色よき美少年の月の明きに、おもはゆくかざす扇のなまめきて、みやびやかなれば、心もいとどきそひて、めかれせずそヾろなるに、妓婦の今を盛といろはへて、芙蓉も及ばざる粧ひ、蘭麝のこまやかに薫り、南へ行北へ行、淹茶(だしちや)の店に休ふては、山吹の花香に酔を醒し、香煎には鴨川の流れを汲んで、京の水の輕を賞し、かる口咄は晋の郭象にも勝れて、懸河の水を注が如し、物眞似は函谷關にもおとらぬかや、猿の狂言、犬のすまひ、曲馬、曲枕、麒麟の繩渡は鞦韆の俤にして、嗩吶(ちやるめら)の聲かまびすく、心太の店には瀧水淊々と流て暑を避、硝子の音は珊々と谺(こだま)して凉風をまねく、和漢の名鳥、深山の猛獸も、こヽに集て觀(みせもの)とし、貴賤群をなして川邊に遊宴するも、御祓川の例にして、小蠅なす神を退散し、牛頭天皇の、蘇民將來に教給ふ夏はらへの遺法なるべし、
p.1195 寶暦六年六月十四日、暮かたきよく晴ぬれば、こよひより始てすヾみあり、三條のわたりへ用ありてまかりしかば、かへさに大橋へ出て、川原のけしき見侍るに、星の如くにともしび見えて、いとにぎはし、かヽる事は江戸難波にもあらじと思ふ、ましてさらぬゐなかなどはさら也、 十八日、このすヾみの比は、みやこの中のにぎはしきおもしろき最中也けらし、すずみも廿四日迄、日延かなひ侍るよし、こよひなどはわきてにぎはしく見ゆ、 廿四日、すヾみもこよひかぎりとかや、ことしは十四日夜よりはじまりて、こよひ迄、一夜もかけ侍らず、さりけれ共、例より人もすくなかりしとかや、是より又鴨の糺のすヾみ也、 七年六月七日、けふよりひよ
p.1196 りつヾきて、すヾみ一夜もかけず、そも〳〵七日のよより十八日までつヾける事は、十三年まへに有しまヽ也とぞ、
p.1196 凉賦 渡吾仲
洛陽の東に川ありて、上をかも川といひ、下をしら川といへる、君がちとせの石川や、蝉の小川ともいふなるべし、されば年ごとの六月七日より、十八日の夜もすがら、五條の橋のこなたより、三條の橋をかぎりとして、その川水に床をならべ、繪すだれの繪には、愛宕の雪を思ひ、花むしろの花には、音羽の嵐をさそふ、まして宵月をむかへ、有明をおしめる、こヽに四時の風景をあつめて、そよ時鳥いづち行らん、况やみやこ人の錦繍をかざり、蝶鳥の香も風におふらん、夜は一きは物のはへあるにこそ、さて東西の岸にのぞみて、その家々の挑灯を出し、をのがさま〴〵の名をしるせる、大和山城は名にこそあふれ、鶴屋龜屋のめでたさも、やを屋萬の軒につヾきて、扇屋はよし此折なるべし、風も柳屋の凉しきには、かりのやどりの西行も、宿かしは屋の色にめでけむ、誰かはまつ屋の松を染かねて、眞葛がはらや祇園があなたまで、萬燈のひかりに、白日をあらそひて、沈香火底の管絃をも聞つべし、しからばもろこしの歌吹海には、いかなる事の面白かりけむ、爰の錦城のあそびには、雨に神鳴をもしらざりし、さて年々の河原おもてには、餅あり、酒あり、になひ茶屋ありて、櫻皮燒の煙はふん〳〵と、三千坊の比叡にたなびき、石花菜(トコロテン)の瀧はさつ〳〵と、八十抔の龍門にみなぎる、名も安兵衞が地黄煎をよばれば、味も芳野屋の長命草をうる、辻談義あり、放下師あり、歌祭文には女中をなかしめ、太平記には浪人をたヽずましむ、あるは水囊投に猿猴の手をのばし、あるは滅多的に王餘の目をふさぐ、辻に早嫁の戀をさへ、橋に乞食の無常をだに、覗からくりの地獄極樂も、都は一錢に善惡を見すれば、一刻千金のあそびの中に、巾著摺はいかに見るらん、〈◯下略〉
p.1197 兩國橋(○○○)〈◯中略〉 此地の納凉は五月廿八日より始り(○○○○○○○○○)、八月廿八日に終る(○○○○○○○○)、常に賑はしといへども、就レ中夏月の間は尤盛なり、〈◯中略〉兩岸の飛樓高閣は大江に臨み、茶亭の床几は水邊に立連ね、燈の光は玲瓏として流に映ず、樓船扁舟所せくもやひつれ、一時に水面を覆ひかくして、あだかも陸地に異ならず、絃歌鼔吹は耳に滿て囂しく、實に大江戸の盛事なり、
p.1197 廿八日、兩國橋の夕凉、今日より始り、八月廿八日に終る、并に茶屋、看せ物、夜店の始にして、今夜より花火をともす、逐夜貴賤群集す、〈◯中略〉
納凉 兩國橋邊〈前にいへり〉 大川通(○○○) 隅田川(○○○) 不忍池邊(○○○○)〈五月の半よりは、黄昏より辻々廣場等に、假の出茶屋を儲け、ならびに街の商人多く、夜々の賑ひいふも更なり、神佛の縁日は夏を專として、植木その餘商人わけて多し、 江戸店や戸ざヽぬ御代の下すヾみ、梅翁、 通り町筋 上野黒門前廣小路 山下 淺草雷神門前 四谷御門外 市谷御門外 芝神明宮境内 赤羽根川端〉
◯按ズルニ、納涼ノ時、花火ヲ弄スル事ハ、遊戲部花火篇ニ載セタリ、
p.1197 隅田川凉賦
水無月のあつさの、けふことにさめがたければ、いざ隅田の川風に、扇やすめばやと、牛込といへる所より舟出してまづ凉し、〈◯中略〉數々の橋こへ過、兩國の河づらにこぎ出れば、風はかたびらの袖さむきまで吹かへすは、秋もたヾこの水上より立初るなるべし、椎の木の蝉、日ぐらし、けふもくれぬと啼すさみ、岸の茶屋々々、火影をあらそふほど、今戸あたりのかけ船も、ともづなを解、糸竹をならして、をのがさま〴〵にうかべ出ぬ、京に四條の床をならぶるより、爰に百艘のふなばたをつらねたるは、誠に都鳥の目にも恥ざるべし、舟として諷はざるはなく、人として狂せざるなし、高雄丸の屋形の前には、花火の光もみぢを散し、吉野屋が行燈の影には、樺燒のけぶり、花よりも馥し、幕の内の舞子は、鶯聲聞にゆかしく、舳先の生酔は、鵆足みるにあぶなし、伽羅薫物のかほり心ときめきて、吸物かよふ振袖は、燭臺のすきかげいとわかく、大名の次の間には、袴著たるp.1198 物眞似あり、女中の酒の座には、頭巾かぶりし醫者坊あり、かしこにどよむ大笑ひは、いかなる興にかあらん、こヽに船頭のいさかふは、何の理屈もなき事なり、老人の碁會は、仙家のかげをうつし、役者の聲色は、芝居もこヽにうかぶかとうたがふ、卵子々々、田樂々々、瓜西瓜、三味の長糸、賣る聲西南にかしかましく、東北に漕めぐる、風呂をたく船、酒をうる船、菓子にあらぬ饅頭あり、鼔にあはぬ曲舞あり、あるはみめぐり、深川にうかれ、あるは兩國の橋にとヾまる、遊ぶ姿こと〳〵なれども、たのしむ心ふたつにならず、〈◯下略〉
p.1198 兩國の橋
大江戸より本所へわたしたる橋を兩國の橋とぞよぶ、〈◯中略〉夏のころは、ことに舟あまたつどひて、いと竹の音、川波にひヾきあひておそろしきまで聞ゆ、げにひろき都の中にも、なぞらふべき所だになく、こよなうにぎはしきわたりになむ、川づらには、葭をあみてへだての垣となし、すのこだつ物あまたならべて、いこふ人ごとに茶をもてあきなふめり、又おなじつらなる假家つくりて、小弓の射場まうけて、いとなみとするものもあり、髮つがぬる家、舟かす家、もちひ、くだもの、酒うる軒など、所せきまでたちならびたり、
p.1198 世ノ有様ハ、今ト昔トハ變ルモノナリ、予〈◯松浦清〉十歳頃ヨリ十八九バカリ迄ハ、兩國ノ納凉ニ往キ、或ハ彼ノ邊ヲ通行セシニ、川中ニ泛ル舟イク艘ト云數シラズ、大ハ屋形船、小ハ屋根舟、其餘平タ船、ニタリ舟抔云フモ數シラズ、或ハ侯家ノ夫人女伴花ノ如ク、懸燈ハ珠ヲ連子タルガ如キ船數十艘、コノ餘絃管、鬪拳、倡歌、戲舞ニ非ザルハ無シ、故ニ水色燈光シテ、映ニ繁盛甚シ、コノ間ニ往々一小舟アリテ、大ナル鼔ヲ置キ、節操モナク、漫ニ累撾シ、ソノ喧噪云バカリナシコノ舟必ズ絃詠謠曲、或ハ倡舞スル船ノ傍ニ到テ鼔ヲ打テ大叫ス、人以テ妨トシテコレヲ避ケシムレドモ退カズ、止ムコトヲ得ズシテ、金錢ヲ與ヘテ退カシム、鼔舟コレヲ受ケ、乃退テ又隣船
p.1199 ノ傍ニ至テ然カス、隣船モ又コノ如クス、或ハ金ヲ得ルコト少ケレバ退カズ、遂ニ數金ヲ獲ニ至ル、世コレヲアヤカシ舟ト呼キ、寛政ニ諸般改正セラレテヨリ、風俗一變シ、コノ舟絶テナクナリヌ、今三十餘年ヲ過テ、世風寛政ノ頃トモ大ニ違ヘレド、彼舟ナドハ竟ニ昔ニカヘルコトナク、今知人モ稀ナリ、又兩國川ノサマモ、屋形船ハ稀ニ二三艘、屋根舟モ處々往來スレドモ、多クハ寂然僅ニ絃歌スルモ、有ルカ無キカナリ、タマ〳〵屋形船ノ懸燈ハ川水ヲ照セドモ、多クハ無聲ノ船ノミ、年老タルハ悲ムベケレドモ、昔ノ盛ナルヲ回想スルニ、カヽル時ニモ逢シヨト思ヘバ、亦心中ノ樂事ハ、今人ニ優ルベキ歟、如何、
p.1199 開河( /カハビラキ) 五月念八、兩國橋下放二烟火一、名二開河一、自レ是遊舫始盛、昏暮橋上、士女塡溢、夾レ水樓臺、明レ燭待レ客、又有三臨レ岸編レ葦代二牆屋一、列レ榻賣レ茶、擔端懸二燈毬一如二繁星一、水面遊舫密布、唱彈嘔唖、與二橋上足音一相混、轟轟不レ異二殷雷一、
畫舫叢中湧二酔歌一、人言今日是開河、太平樂事君須レ記、十里無レ由レ見二寸波一、
p.1199 三十八年七月、天皇與二皇后一居二高臺一而避レ暑(サカリ/スヽミタマフ)、
p.1199 夏日左大將軍藤原朝臣〈◯冬嗣〉閑院納凉探二得閑字一應レ製一首
令製〈◯淳和、時皇太弟、〉
此院由來人事少、况乎水竹毎成レ閑、送レ春薔棘珊瑚色、迎レ夏巖苔玳瑁斑、避レ景追レ風長松下、提レ琴搗レ茗老梧間、知レ貪鸞駕忘レ囂處、日落二西山一不レ解レ還、
嵯峨院納凉探二得歸字一應レ製 巨識人
君王倦レ熱來二茲地一、茲地清閑人事稀、池際追レ凉依二竹影一、巖間避レ暑隱二松帷一、千年駮蘚覆レ堦密、一片晴雲亘レ嶺歸、山院幽深無二所有一、唯餘朝暮泉聲飛、
p.1199 貞觀八年十月廿日辛卯、勅、山城國乙訓郡相應寺者、元是漁商比レ屋之地也、往年權僧
p.1200 正壹演泛レ水觀二行橋頭一、遭二天暑熱一上レ岸風凉、有二一老嫗一避レ舍獻レ地、壹演便在二其中一、
p.1200 かヽるほどに、六月の比ほひにもなりぬ、大將はいけひろくふかく色々のうへきヽしにておひたり、水のうへにえださし入などしたるなかじまに、かたはしは水にのぞき、かたはしはしまにかけて、いかめしきつり殿つくられて、おかしきふねどもおろし、うきはしわたし、あつき日ざかりには、人々すヾみなどし給ふ、十二日いとまの日にてまいりたまはぬを、つりどのにてけふすヾませたてまつらん、けうあらんくだものなど給へよなど、きヽしをきたまひて、つりどのにいで給ひぬ、
p.1200 いとあつき日、ひんがしのつりどのにいで給てすヾみ給、中將のきみもさぶらひ給、したしき殿上人あまたさぶらひて、にし川より奉れるあゆ、ちかき川のいしぶしやうのもの、おまへにててうじてまいらす、
p.1200 忠文炎暑之時不二出仕一事
又云、忠文、秋冬者、勤二陣直一夙夜匪レ懈、炎暑之時請レ暇、向二宇治別業一以二避暑一爲レ事、或時被レ髮洗二于宇治川一云云、
p.1200 夏日於二左親衞源相公河陽別座一、同賦二何處堪一レ避レ暑、 慶保胤
何處堪レ避レ暑、河陽館勝境矣、誰家好レ逐レ凉、源相公別第焉、古松老檜蔽二其天一、青苔白石鋪二其地一、從二平旦一及二黄昬一、有二清風一無二赤日一、移レ床連レ榻、優二息其陰一、蓋颯然冷然、如二八月一如二九月一矣、夏天炎居、去レ此何求、袁氏昔有二河朔之飮一、相公今有二河陽之期一、食客保胤聊記二勝遊一云レ爾、
p.1200 世に宇治大納言物語といふ物あり、此大納言は隆國といふ人なり、西宮殿〈高明也〉の孫、俊賢大納言の第二の男なり、年たかうなりては、あつさをわびていとまを申て、五月より八月までは、平等院一切經藏の南の山ぎはに、南泉房といふ所にこもりゐられけり、さて宇治大納
p.1201 言とはきこえけり、もとヾりをゆひわけておかしげなる姿にて、むしろをいたにしきてすヾみゐはべりて、大なるうちわをもてあふがせなどして、往來の者たかきいやしきをいはずよびあつめ、むかし物語をせさせて、我はうちにそひふして、かたるにしたがひて、おほきなる雙紙にかかれけり、
p.1201 弘安五年七月十五日壬申、向二經持第一、長講堂盂蘭盆奉行之間同車、予伴、爲二便宜一之間、暫所二納凉一也、及レ晩歸了、
p.1201 御野郡中原に公〈◯池田光政〉の遊覽の地あり、中原は旭川の傍にて、夏日暑を避給ふ時は、爰に至らせ給ひ、里正の家に幕と串とを預け置せ給ひ、幕打廻し、毛氈を野土に敷せ、行厨を開きて憩はせ給ふ、今彼蒿萊の地數丈の間に牛馬を牧せず、公の憩はせ給へる地とて民共敬せり、召伯甘棠の古を思ひ出られ侍る、
p.1201 七言、夏夜守二庚申一侍二清凉殿一、同賦三避レ暑對二水石一應レ製一首、〈并序、以レ清爲レ韻、◯中略〉
幸入二蓬萊一近二聖明一、逐レ凉避レ暑石泉清、五更眠覺巖風冷、三伏汗收岸雨晴、展レ簟空欹孫楚枕、開レ襟自濯子陵纓、千秋溪體今移得、長備二天臨一頌二太平一、
p.1201 避暑〈勒〉 源經信
移二座林間一欲二夕陽一、夏天景氣似二秋光一、張公簟冷風空拂、班氏扇團月自凉、送レ老交遊詩兩韻、忘レ憂郷邑酒三觴、不三唯此地消二炎日一、學レ雨松聲足二斷膓一、
閑中納凉
三伏納凉何處好、閑中待レ客立徘徊、愛レ眠獨臥清風簟、多レ暇誰妨避暑盃、蘿月開レ衿臨二晩水一、樹陰移レ榻掃二殘苔一、泉聲松響夏天外、勝地不レ知炎熱來、
p.1201 だいしらず そねのよしたヾ
p.1202 夏衣立田河原の柳かげすヾみにきつヽならす比かな