http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 鹽ハ、シホト云フ、海鹽、山鹽等ノ別アリト雖モ、海鹽ヲ以テ主トス、海鹽ノ製法ハ、古今ノ異アリ、地方ノ別アレドモ、要スルニ海水ヲ汲ミ、之ヲ海濱ノ沙上ニ灌ギ、煮テ之ヲ成スニ過ギズ、

名稱

〔本草和名〕

〈四玉石〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 光明鹽 一名石鹽、一名石味、〈出藥訣〉一名馬齒鹽、〈出稽疑、〉唐、 綠鹽 唐

〔本草和名〕

〈五玉石〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 鹵醎〈仁諝上音魯、陶景注云、是煎鹽釜下凝滓也、〉一名靑牛落、〈出藥訣〉 和名、阿和之保(○○○○)、 大鹽一名印鹽〈蘇敬注云、人常食者是也、〉一名靑鹽〈色蒼々也、出七卷食經、〉和名之保(○○)、 戎鹽一名胡鹽、白鹽、食鹽、黑鹽、柔鹽、赤鹽、駮鹽、臭鹽、馬齒鹽、〈陶景注云、虜中有九種鹽是也、〉一名倒行神骨、〈戎鹽也〉一名西戎淳味、〈戎鹽也〉一名聖無知、〈赤鹽〉一名黑帝味、〈黑鹽〉一名靑帝味、〈靑鹽〉一名太陰玄精、〈鹽精也、已上六名出丹口訣、〉戎鹽者月精〈出范注方〉白鹽一名方石鹽、〈出崔禹錫食經〉唐

〔本草和名〕

〈十九米穀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 鹽 山鹽〈出西羗〉樹鹽、〈出胡中、出陶景注、〉熬鹽、虜鹽、〈已上出崔禹○中略〉和名、之保、

〔倭名類聚抄〕

〈十六鹽梅〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 白鹽 陶隱居本草注云、白鹽、〈余廉反、和名阿和之保、〉人常所食也、 黑鹽 崔禹錫食經云、石鹽一名白鹽、又有黑鹽、〈今按俗呼黑鹽堅鹽、日本紀私記云、堅鹽、木多師、是也、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈志飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 塩〈シホ亦作鹽、〉 山鹽〈出西羗〉 樹鹽〈出胡中、出陶景注、〉 熬鹽 虜鹽〈已上出崔禹

〔徒然草〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 くすしあつしげ、故法皇〈○花園〉の御前にさぶらひて、供御のまいりけるに、今まいり侍る供御の色々を、文字も功能も尋下されて、そらに申侍らば、本草に御覽じあはせられ侍れかし、ひとつも申あやまり侍らじと申ける時しも、六條故内府參り給ひて、有房ついでに物ならひ侍らんとて、先しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らんととはれたりけるに、土偏に候と申たりければ、才のほどすでにあらはれにたり、今はさばかりにて候へ、ゆかしき所なしと申されけるに、とよみになりてまかりでにけり、

〔武備志〕

〈二百三十一日本考〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 譯語飮食 鹽〈失河(シヲ)、收河(シヲ)、〉

〔玉篇〕

〈十五鹽〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 鹽〈戈占切、宿沙煮海爲鹽、〉http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins047542.gif 〈同上〉塩〈同上俗〉盬〈公戸切、鹽也、又蒼猝也、姑也、不堅固也、〉

〔日本釋名〕

〈下飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 鹽(シホ) 海水にて製する物なれば、潮の訓をかり用ゆ、

〔倭訓栞〕

〈前編十一志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 しほ 鹽をいふは、白穗の義なるべし、

〔日本書紀〕

〈二十五孝德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 大化五年三月戊辰、蘇我臣日向、〈日向字身刺〉讚倉山田大臣於皇太子、〈○天智、中略、〉庚午、山田大臣之妻子及隨身者自經死者衆、〈○中略〉是夕木臣麻呂、蘇我臣日向、穗積臣嚙以軍圍寺、喚物部二田造鹽使大臣之頭、於是二田鹽仍拔大刀擧其宍、叱咜啼叫而始斬之、〈○中略〉皇太子妃蘇我造媛聞父大臣爲鹽所一レ斬、傷心痛惋、惡鹽名、所以近侍於造媛者、忌鹽名、改曰堅鹽(キタシ&○○)、

〔日本書紀〕

〈十九欽明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 二年三月、納五妃、〈○中略〉蘇我大臣稻目宿禰女曰堅鹽媛、〈堅鹽此云岐拖志、〉

〔大上﨟御名之事〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 女房ことば 一しほ おいたみ(○○○○) しろ物(○○○)とも 一やきしほ(○○○○) やきおいた(○○○○○)

種類 海鹽 山鹽

〔物類品隲〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 食鹽 和名シホ、鹽ノ品類多シ、海鹽、井鹽、鹻鹽、池鹽、崖鹽、石鹽、木鹽等、食用ニ充ベキヨシ、皆食鹽ナリ、印鹽ハ獸等ノ形ヲ作リタルヲ云、本邦花鹽ノ類ノゴトシ、飴鹽ハ飴ヲ拌マゼタルモノナリ、本邦所々ヨリ出ルモノハ、皆末鹽ナリ、ハナ鹽ヤキ鹽ノ外ハ製作モナシ、鹽井等モアレドモ、日本ハ四方海ニ近キ國ユエ、製スルモノ希ナリ、紅毛人持來ルモノハ種類多シ、紅毛語鹽ヲソウトヽ云、ラテン語ニテサルト云、 崖鹽 一名生鹽、東璧崖鹽ヲ食鹽トシ、又光明鹽ノ一種トス、今按ズルニ、其説相戻レルニ似テ、却テ説得タリ、崖鹽ハ食鹽ナリ、其中明瑩ナルハ光明鹽ナリ、蠻産紅毛人持來ル、云山崖ノ間ニ生ズト、其形白礬ノゴトク黯色ナリ、下野鹽谷郡鹽産形枯礬ノゴトシ、 自然白鹽、和名ヲランダジホ、呉録曰、婆斯出自然白鹽、如細石子ト、綱目光明鹽集解中ニ見エタリ、今按ズルニ、是亦食鹽ナリ、故ニ此ニ出ス、近世紅毛人持來ルニ因テ、ヲランダジホト云、形方稜纍纍トシテ相重、屋形ノゴトシ、味鹹甘能胸膈ヲ開ク、蠻産上品、讚岐山田郡潟本産、蠻産ト異ナルコトナシ、方言ジネンジホ、又テントウジホト云、亭戸鹵地(シホマキ)ニ海水ヲソヽギ、日ニ晒スコト數次、霜ヲ生ズルヲ待テ刮取、海水ヲ以テ淋滲シタルヲ、名テタレシホト云、是ヲ池中ニ貯置バ、其底自然ニ凝結シタルモノナリ、讚岐小島豆土莊産上ノモノニ同ジ、 戎鹽、蠻國ニ産ス、故ニ胡鹽羗鹽等ノ名アリ、凡ソ中華ニ産セズシテ、蠻國ヨリ來ル鹽ハ、皆戎鹽ナリ、然ドモ古方戎鹽ト稱シテ藥用トスルハ、靑赤ノ二種ノミ、 靑鹽、形色頗ル南蓬砂ノゴトク靑黑色ナリ、 赤鹽、一名紅鹽、一名桃花鹽、形礬石ノゴトクニシテ微紅色ナリ、以上二種紅毛人持來ル、 光明鹽、和名ハルシヤシホ、本唐本草ニ出タリ、是即食鹽中ノ一種、顆塊明徹ナルモノ而已、猶礬石中之明礬、東璧山産水産ノ二種ヲ分別ス、其説精ニ似テ却テ煩雜ナリ、蠻産上品、大塊ニシテ形方解石ノゴトク、色白シテ光徹ナルコト、水精ノゴトシ、壬午客品中長崎紅毛通事吉雄幸左衞門具之、

〔延喜式〕

〈三十二大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 釋奠祭料 石鹽(○○)十顆、〈○中略〉鹽一升五合、

〔倭訓栞〕

〈前編十一志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 しほ〈○中略〉 奥州伊北郡月輪庄に、大鹽といふ里ありて、そこに鹽井あり、此井を汲て鹽を燒り、業とする民家多し、海へは四方ともに四日路なりといへり、西行法師の歌、 あまもなく浦ならずして陸奥の山かつのくむ大鹽の里、古今集に、しほの山さしでの磯とよめるも甲斐の國也、甲斐には海なし、されど其山に溝ありて、鹽出といへり、伊勢飯高郡丹生に、近年川に潮汐ありてしほ水となれり、其山をしほ田山、其谷をしほた谷といふも、よしありしなるべし、凡そ海へ至て近き所五里餘なり、弘法大師の歌とか、 細くびの南の浦にさすしほは丹生の内外のみそぎなりけり、茅原村近し、そこに細くびといふ所ありとぞ、大和吉野郡大名持神社妹山にあり、川原屋村に屬す、社前に潮生淵あり、歳ごとに六月晦日潮水湧出すといふ、又下野國鹽谷郡鹽湯の産、遠州掛川の近邊にも出といふ、河内國錦部郡橫山鹽穴寺の鹽石皆石鹽也、はなしほと稱するは印鹽也、近來佐渡より戎鹽を出す、靑色也、鹽燒は男の業、鹽汲は女の業たる、西土の風も同じ、〈○下略〉

〔甲斐國志〕

〈百二十三附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 鹽〈○中略〉 奈良田村鹽井、本村ハ白峯ノ麓最幽僻ナル孤村ニテ、租税免許ノ地ナリ、其西ハ大山重絶人蹤タレドモ、信州伊奈郡ノ地ヘ續タレバ、古ハ共ニ大草鄕ト稱シタリキ、 伊奈郡記ニ鹿鹽ト云、古來ノ名所ニテ、山中ヨリ出水ヲ鹽川ト名ケ、山中ニ海潮アリ、里人汲テ食鹽トストアリ、水脈此ニ相通ズルナルベシ、鹽井方五尺、里人汲其水煮レバ即鹽トナル、色皎白ナリ、本草綱目云、鹽井者、今歸州及四川諸郡皆有、汲其水以煎作鹽、如海法、蜀都賦曰、濱以鹽池、又云、家有鹽泉之井ト、此類ナルベシ、自是南早川ニ沿タル諸村、湯島ニ温泉アリ、大原野ニ鹽島云處アリ、草鹽村、鹽上村、又鹽澤ナド云地名モアリ、鹽氣多キ處ナランカ、東河内領田原村文左衞門云者ノ宅地ニ、鹽井ト稱スル者アリ、鹹味差薄シ、凡鹽ニ五種アリ、海鹽、井鹽、池鹽、崕鹽、鹻鹽、是ナリ、〈○中略〉舊以物爲名處、古人必有見而呼之コトナリト云、試之ニ本州鹽山ニ鹻鹽ヲ生ズルコトハ、州人モ能言之、又傍ラニ鹽川ト云モアリ、市川平鹽丘ニモ生之トナリ、府中北ニ鹽部云アリ、今城郭ニ接スル地ニシテ、舊構ハ詳ナラネドモ、堺町裏外溝ノ水鹹ケレバ、聊其コトヲ徴スベシ、

〔鷹山公偉蹟録〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0810 小野川鹽燒ノ事 小野川村ニテ鹽燒出シタル根元ハ、代官今成平兵衞ガ見立、申出タルヨリ御世話アリ、仙臺ヨリ其製ニ工ナル者ヲ召寄セ、傳授セシメラレシカバ、一村遂ニ其利ヲ得タリ、公〈○上杉治憲〉其場ヘ入セラレ、上覽マシ〳〵勵マシ玉フ、蓋シ海ナキ國ヨリ山鹽ノイヅルハ、非常ノ御備ヘニモナルベキヲ以テナリ、〈聿脩篇〉

〔一話一言〕

〈十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0810 一奥州會津領の内に大鹽村といふ所あり、山間の川傍に爺が井、姥が井といふ二ツの井あり、其井水を沙にそゝぎ、燒て鹽となす、其鹽色潔白にして輕く味よし、二井爺が井はやや淡く、姥が井は濃なり、長左衞門といふ百姓其井の主たり、其家の祖のために、僧空海呪書てあたふといふ、今に空海の像と並爺姥の二像あり、これ王右軍帖といへる蜀の鹽井也、大鹽村を上れば、ひばら澤といふ所に出といふ、

〔地方凡例録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0810 鹽濱之事〈○中略〉 一奧州會津郡極山中ニ鹽生村と云有、此村ニハ鹽出ル井戸村中ニ何ケ所も極り、往古http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif之、此井之水を汲上干立鹽ニ燒、村中遣ひ鹽、并近村々〈江〉も賣出ス、味ひ海之鹽に不替、右村者今會津侯御預所ニ付、公儀〈江〉鹽運上差出ス、村中水も井も有之、水ニも差支なし、右之類餘國山中ニも稀ニ者有之、中華ニも鹽井有ル由、如何いたし海遠所之極山中ニ鹽有之哉いぶかし、 ○按ズルニ、鹽税ノ事ハ政治部下編雜税篇ニ載ス、

〔東遊雜記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 若松ヨリ二本松ハ寅ニ當リテ、十三里、西ノ方越後の國界へ二十一里、北ノ方羽州米澤へ十里餘、此道筋大鹽といふ所に、鹽の泉と云井あり、此水をとりて鹽にたくと、案内者の物語也、

〔西遊雜記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 阿久根〈○薩摩〉より十町南に赤瀨村といふあり、此所には畑の中より鹽を吹出す事にて、鹽屋數軒あり、其鹽を製するを見しに、砂を畑の中へ一面に振敷し置有、地中より鹽を吹上て、其沙に付事にて、夫を海鹽(○○)を取るやうにたれて、其後鹽竈にて焚ば、海鹽に同じ鹽となる也、〈色あひ白く、味あしからず、〉中華には所々に山鹽(○○)をとる所多しといへども、日本にては稀の地といふべし、

製鹽 製鹽法

〔伊呂波字類抄〕

〈志飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 塩〈シホ亦作鹽、本朝事始云、昔者筑前國遠賀郡有熊鰐、欺人始燒、〉

〔倭訓栞〕

〈前編十一志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 しほ〈○中略〉 神代纂疏には、鹽土老翁始て造れるといひ、西土には宿沙氏より始るといへり、出雲國古老の傳には、大己貴神より始るといふ、神詠に、 しほ汲んあふごのうらのたわむまで月をぞ荷ふ素鵝の里人、あふごのうらは枴の末をいふ、此神詠より五十田狹小汀を、あふごの浦と稱すといへり、

〔事物紀原〕

〈九酒醴飮食〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 煮鹽 世本曰、宿沙氏煮海水鹽、宋衷曰、宿沙衞齊靈公臣、齊保海、故衞爲魚鹽之利、或曰、宿沙氏炎帝時諸侯、唐韻曰、古者宿沙初作海爲一レ鹽、

〔本朝食鑑〕

〈一水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0812 食鹽 集解、本邦海國之民燒鹽者多、以充賦税、又求貨利、構小茅蘆于海濱砂上、廬中設竈、此稱鹽屋、廬邊聚砂作堆作畦、海人肩雙桶水涯潮來、潮來時傾桶互汲潮頭、俗呼此桶田籠、或作田子、以其桶中之潮于沙畦、日々若欺、至好時砂作山樣日、此謂志保之利(シホシリ)、上頭乾則穿之、而上于其下濕處、復如此數回、候砂之上下内外盡乾、而充砂淘筲置桶口、別汲潮水而注于筲中砂上、砂鹽逐潮水而透筲漏下桶中、鹽潮漏盡而滿盤、煮鹽屋之竈、以松葉及蘆葦雜木等之薪、薪火盡而白鹽滿盤、盤状如釜、此俗稱鹽燒釜、而江東海濱燒鹽者皆如此法也、又一法以海中砂於海涯、作鹽場如洲通渠、以界人人之場、其鹽場之渠自有鹽、而不潮也、構小廬于渠上、渠中通潮、故廬中坐汲渠水砂入大釜、廬中有二竈、一設大釜而煮砂及潮水、一築方竈、而上窄有口、下廣至地、高六七尺、前開方窻、長二尺許、廣尺許、而投薪燒之、傍開小窻者二三處、令氣也、竈之上口置木板、板上攤小石、不方圓大小、用炭燼上白灰、和潮水而煉之、綴粘小石以作盤形、而後汲大釜中之潮湯于石盤、石盤得鹽水而固定、則除木板去、初廬上垂細繩二三條、而以鉤懸木板、除木板去時、鉤http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins009207.gif 亦除去、石盤下燒薪火、若多造鹽、則燒之至月餘耳、盤自燒作鹽、復和盤下之苦鹵汁、而再燒作白鹽、不然鹽味苦不佳、色亦不明、其盤上白成一二寸堆時、以木捌攪而收之、此海西諸州海濱燒鹽者如此法也、〈○中略〉官貢私賦不魚利、而貨殖鹽之多祿者也、自古歌人以海邊鹽竈及煙、而爲閑澹之佳趣、以廬稱鹽屋亦佳而已、凡鹽者收肉食之氣、凉温熱之性、使味不一レ變也、調米豆麴、作未醬、作醬油、和梅以佐庖厨之味、收魚鳥瓜蔬、以經年不敗、雖荒饑辟穀沈痾之人、亦嘗之益筋力、然則人間一日不遺失者也矣、一種有燒鹽者、用白鹽再入瓦器口、炭火燒過、則色白如雪、形輕味淡性亦柔、惟不醬豉之味也、一種有花鹽者、用白鹽極細研入盤、亦研于水中百回、而後水飛于日景、久而小花泛于水上、次第花大爲状、此鹽一升、水一升而好、是號花鹽、而凝白透明、其味亦淡美、倶可上饌也、 苦鹽〈訓仁加志保〉 集解、此初造鹽時盤下瀝黑水也、本邦但爲豆腐之用、其餘未之、

〔齊民要術〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0813 常滿鹽花鹽 造常滿鹽法、〈以不津甕受十石者一口、置庭中石上、以白鹽滿之、以甘水之、令上恒有淅水用時、挹取煎卽成鹽、還以甘水之、取一升一升日曝之、熱盛還即成鹽、永不窮盡、風塵陰雨則蓋、天晴爭還仰、若黄鹽鹹水者、鹽汁則苦、是以必須白鹽甘水、〉 造花鹽、印鹽法、〈五月中旱時、取水二斗、以鹽一斗水中、令淸盡、又以鹽投之、水鹹極則鹽不復消融、易器陶冶沙汰之、澄去垢土、瀉淸汁於淨器中鹽甚白、不常用、又一石還得八斗、汁亦無多損、好日無風塵時、日中曝令鹽、浮即便、是花鹽、厚薄光澤似鐘乳、久不接取、即成印鹽、大如豆粒四方、千百相似、而成印輙沈、漉取之花印一、鹽白如珂雲、其味又美、〉

〔天工開物〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0813 鹽産 凡鹽産最不一、海池井土崖砂石略分六種、而東夷樹葉、西戎光明不與焉、赤縣之内、海鹵居十之八、而其二爲井池土鹻、或假人力、或由天造、總之一經舟車窮窘、則造物應付出焉、 海水鹽 凡海水自具鹹質、海濱地高者、名潮墩、下者名草蕩、地皆産鹽同一、海鹵傳神、而取法則異、一法、高堰地潮波不沒者、地可鹽、種戸各有區畫經界相侵越、度詰朝無一レ雨、則今日廣佈稻麥藁灰及蘆茅灰寸許于地上、壓使平均、明晨露氣衝騰、則其下鹽茅勃發、日中晴霽、灰鹽一併掃起淋煎、一法、潮波淺被、地不灰壓、候潮一過、明日天晴、半日晒出鹽霜、疾趨掃起煎煉、一法、逼海潮深地先堀深坑、橫架竹木、上鋪葦席、又鋪沙于葦席之上、俟潮滅頂衝過、鹵氣由沙滲下坑中、撤去沙葦、以燈燭之、鹵氣衝燈即滅、取鹵水煎煉、總之功在晴霽、若淫雨連旬、則謂之鹽荒、又淮場地面有日晒自然生霜如馬牙、謂之大晒鹽、不煎煉掃起即食、海水順風飄來斷草、勾取煎煉名蓬鹽、凡淋煎法、起坑二个、一淺一深、淺者尺許、以竹木蘆席于上、將掃來鹽料〈不灰無一レ灰、淋法皆同〉、鋪于席上四圍隆起、作一隄http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins059345.gif、中以海水灌淋、滲下淺坑中、深者深七八尺、受淺坑所淋之汁、然後入鍋煎煉、凡煎鹽鍋古謂之牢盆、亦 有兩種制度、其盆周濶數丈、徑亦丈許、用鐵者以鐵打成葉片、鐵釘栓合、其底平如盂、其四周高尺二寸、其合縫處一經鹵汁結塞、永無隙漏、其下列竈、燃薪多者十二三眼、少者七八眼、共煎此盤、南海有竹爲者、將竹編成、濶丈深尺、糊以蜃灰于釜背、火燃釜底滾沸、延及成鹽、亦名鹽盆、然不鐵葉鑲成之便也、凡煎鹵未即凝結、將皂角推碎、和粟米糠、二味鹵沸之時、投入其中攪和、鹽即頃刻結成、蓋皂角結鹽、猶石膏之結一レ腐也、凡鹽淮揚場者、質重而黑、其他質輕而白、以量較之淮場者一升重十兩、則廣淅長蘆者只重六七兩、凡蓬草鹽不常期、或數年一至、或一月數至、凡鹽見水即化、見風即鹵見火愈堅、凡收藏不必用倉廩、鹽性畏風不濕、地下疊藁三寸、任從卑濕傷、周遭以土磚隙、上蓋茅草尺許、百年如故也、 池鹽 凡池鹽、宇内有二、一出寧夏、供食邊鎭、一出山西解池、供晉豫諸郡縣、解池界安邑猗氏臨晉之間、其池外有城堞、周遭禁禦、池水深聚處、其色綠沈、土人種鹽者、池傍耕地爲畦隴、引淸水耕畦中、忌濁水參入、即淤澱鹽脈、凡引水種鹽、春間即爲之、久則水成赤色、待夏秋之交、南風大起、則一宵結成、名曰顆鹽、即古志所謂大鹽也、以海水煎者細碎、而此成粒顆、故得大名、其鹽凝結之後掃起、即成食味、種鹽人積掃一石、交官得錢數十文而已、

〔播州名所巡覽圖會〕

〈五赤穗郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 赤穗鹽 同製 鹽濱の地面廣さ一町より七八反に至る、是を一軒前といふ、一畝の間に鹽水をたるゝ穴一ツヅヽ有て、一軒前にすべて百穴也、其穴の上ニ砂を入るる所を築く、大きさ半間四方許、上下筵を敷て是に潮を沃ぎ入れば、おのづから沙を越して垂壺に溜る也、潮を取には、大昔は藻鹽たく、藻しほかき集むなど歌にもよみて、藻をかきあつめて、それに入たる潮を燒たるなり、中世にてはこれをやめて、砂の上へ潮をまきて日に干たり、夫も又變りて今の法甚便也、かの鹽濱の四方に渠を穿て、夫へ海より潮を引入て、常に湛あるに、又其廣 き間には幾筋も地面の中溝を堀りて、四方の潮を通し引き、地面の底よりをのづから潮水入上りたるを、日に晒してかきあつめ、かの垂壺の上へ鹽砂をうつし、其上へ潮水を汲みて沃ぎかけて、かの沙の鹽をあらひ落すの心也、かく垂たる砂を、又晩方に成りて取出し、地面へ撒き、耙を以てかきならし、柄を以ておし付け、一夜を經れば同じく鹵氣(しほけ)、此砂に吸上げたるを、晝過るまでよく日にさらせば、鹵氣いよ〳〵上に浮也、これをあつめてたるゝ事、前にいふがごとし、毎日かくのごとし、垂るゝ所の一穴の潮、毎日一斗五升にて、百穴十五石也、一釜に煮る所、一石二斗にして、一晝夜の間に、百穴の潮を十五六釜に煮盡せり、但し夏七月の間は潮多くして、二日一夜に煮る也、鹽は水一升を煮て五合を得る也、一釜に得る所六斗、晝夜に十石許なるべし、釜は小石を石灰にて堅めたるもの也、其大きさ一間に二間計の角にて深さ三寸許なり、竈は其廣さ一はいに築あげ、焚口挾く明たり、先此釜を制るには、釜の大さの板をへついの上に置き、其上に河石二寸許なる薄きを並べ、土を粘し擣爛したる藁と、松葉の灰とを和して塗堅め、又其釜の底へかけて、鐵の釣手を六所かけ置き、其釣手ともに灰にて堅むる也、かくて上より火を焚き乾かし、よき程に候ひて下の柱を拔取、又下よりも焚き乾かす、是すべて火の加減大事也とす、釜用ゆる日數凡そ廿日許にして、崩して又新に作る、焚事晝夜絶ず、鹽を煮て釜底に殘りたるを、にがりといふ、冷して煮る中へ加ふれば鹽甚醎し、是を差鹽といふ、魚肉の鹽によし、又温かなるを加ふれば味和かなり、西濱是を制す、古濱といひて上品なり、味噌醬油によし、東濱は俵に五斗を納るは、是を江戸俵といふ、西濱は一斗二三升にて小俵也、

〔古事記〕

〈下仁德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 時號其船枯野、故以是船旦夕酌淡道島之寒泉、獻大御水也、玆船破壞以燒鹽、取其遺木琴、其音響七里

〔常陸風土記〕

〈行方郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 郡西津濟、所謂行方之海、生海松及燒鹽之藻(○○○○)、

〔古今和歌集〕

〈十八雜〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 田村の御時に、事にあたりて、津の國の須磨といふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人に遣はしける、 在原行平朝臣 わくらはに問ふ人あらばすまの浦に藻鹽垂つゝわぶと答へよ

〔拾遺和歌集〕

〈十七雜秋〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 天暦御屏風に よみ人しらず もしほやく煙になるゝすまの蜑は秋たつ霧もわかずや有らん

〔拾遺抄註〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 たごの浦にかすみのふかくみゆる哉もしほの煙たちやそふらん モシホトハ藻ニテ鹽ヲバ燒ナリ、故ニモシホトハ云ナリト書タルモノハベレド、イカヾトオボユ、モシホタルトハ、ウシホヲ藻ニシメテ、コレヲタレテヤクナリ、鹽木トテ木ニテヤクナリ、ソレヲモシホヤクトハ申ナリ、

〔屠龍工隨筆〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 もしほといふは、上古鹽をたるゝに、今のごとく砂にたるヽ事を知らずして、海の藻を集て、夫に鹽をたれてやきたるといへど、何とやらんおぼつかなし、よしそれはともあれ、もしほたる、もしほやく、もしほの烟などゝいへるも、もしほくむといはざるは、おもふに海の水をくんで、鹽にやかんとするより、以後の詞なるべし、

〔謠曲〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 忠度 〈ワキ〉あまならば浦にぞ住べきに、山ある方に通はんをば、山人とこそいふべけれ、〈シテ〉そも海士人の汲鹽をば、やがて其まヽ置候べきか、〈ワキ〉實に〳〵これはことはりなり、もしほたくなるゆふけむり、〈シテ〉たえまを遲しと鹽木とる、〈ワキ〉道こそかはれ里ばなれの、〈シテ〉人音まれにすまの浦、〈ワキ〉ちかき後の山里に、〈シテ〉柴といふ物の候へば、〈地〉柴といふ物の候へば、鹽木のためにかよひくる、〈○下略〉

鹽濱

〔日本山海名物圖會〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 鹽濱 海邊の鹵地をけづり、能ならして、平かならしめ、海よりうしほをくみてこれへまきかけ、よく日にかはかし、さらへにてかきならし、よくされたる時、桶へいれて水にたれ、其水を釜にうつして松柴にてたく也、海より潮をくむ、皆女の所作なり、あるひは所によりて樋をかけて、潮を鹽濱へ取もあり、諸國海邊より多く鹽出るといへ共、播州赤穗の鹽を名物とす、

〔地方凡例録〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 鹽濱之事 鹽濱者、海有國には何國にも雖有、又鹽に不成汐も有て、鹽濱なき海邊も多し、新濱願出れば、田畑新開同前、大繩反別分間にて相改、鍬下年季致吟味、濱相應地代金も納させ、年季明撿地致ス、仕方は田畑撿地ニ替る事なく、持主限反別を改メ、餘歩も田畑同然ニ差加へ、上中下三段ニ位分致ス、位ノ見分ケ樣は、濱之樣子浪當之模樣宜、浪荒もなく平かにして、鹽之干加減迄宜キを上々とし、其次を中、又潮際度々普請ニも入り、地面高低有場所を下とす、潮を引入り大溝を堀、夫http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 濱中に小溝を立、濱之内ニ凡壹反歩ニ井戸六七宛堀ル、是は汐を干上ゲて鹽を垂る場所なり、深くは不堀、此溝敷井戸敷者、反別之外ニ除ク、尤海之模樣ニより、溝もなく海http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 直ニ汐を汲、一面ニ掛る濱も有り、國々所々ニ而少々宛之違有、燒方鹽釜之仕形も、所々の仕來りニ而少々宛違有り、

〔伊勢物語〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 むかし男有けり、〈○中略〉ふじの山をみれば、さ月の晦日に、雪いとしろうふれり、〈○歌略〉その山はこゝにたとへば、ひえの山を、はたち計かさねあげたらん程して、なりはしほじり(○○○○)のやうになん有ける、

〔鹽尻〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 伊勢物語に、富士の形をしほじりのごとしといへり、歌人其汐じりを秘とす、予海濱に遊びて、鹽竈の煙を見しに、海民鹽を燒くに沙をあつめて堆をなし畦を作す、潮水來りて砂畦をひたす、〈所によりて潮を汲て砂畦をひたす〉日々にかくして後沙をつみ、山樣をつくり日に曝す、これを鹽尻 といふ、實に富士の形に似たり、海邊の俗語にて秘とする事、あながちあらざれども、歌客京に居り、遠海の事にうとく、時さりてしる人なく、偶につたへしもの、秘して是を傳へしにこそ、

〔倭訓栞〕

〈前編十一志〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 しほじり 伊勢物語に、不二の山の事を、なりはしほじりのやうにてと書り、海人の潮たるゝ砂をたれはてゝ後、うちこぼしたるを鹽尻といふ、今もいふ詞、鹵坵也といへり、一説に融の大臣、ちかの鹽がまを、六條河原にうつし、難波の鹽をくませて、鹽を燒たりしより、京家の人のめづらしがりて、其鹽尻のかたを燒物にして、火桶に用ゐたるをも、同じく鹽尻といふを、こゝに指てたとへばといへりとぞ、

鹽釜

〔伊勢物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 むかし左のおほいまうち君、〈○源融〉いまそかりけり、かも川の邊に、六條わたりに家をいと面白く作りて住給ひけり、神無月のつごもりがたに、菊の花うつろひさかり成に、紅葉のちくさに見ゆるおり、みこたちおはしまさせて、夜一よ酒のみしあそびて、夜明もて行ほどに、此殿のおもしろきを、ほむる歌よむ、そこに立けるかたゐおきな、板敷のしたにはいありきて、人にみなよませはてゝ讀る、 鹽がまにいつかきにけん朝なぎにつりする舟は爰によらなん、と讀けるは、みちの國にいきたりけるに、あやしく面白き所々おほかりけり、わがみかど六十よこくの中に、鹽がまといふ所に、にたる所なかりけり、さればなんかの翁さらに爰をめでゝ、鹽がまにつきにけんと讀りける、

〔今昔物語〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 川原院融左大臣靈宇陁院見給語第二 今昔、川原ノ院ハ、融ノ左大臣ノ造テ住給ケル家ナリ、陸奧ノ國ノ鹽竈ノ形ヲ造テ、潮ノ水ヲ汲入テ池ニ湛ヘタリケリ、〈○中略〉其ノ子孫ニテ有ケル人ノ、宇陁ノ院ニ奉タリケル也、

〔今昔物語〕

〈二十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818河原院歌讀共來讀和歌語第四十六 今昔、河原院ニ宇多院住マセ給ケルニ、失サセ給ヒケレバ、住ム人モ无クテ、院ノ内荒タリケルヲ、 紀貫之土佐國ヨリ上ヲ行テ見ケルニ、哀也ケレバ讀ケル、 キミマサデ煙タエニシ鹽ガマノウラサビシクモミエワタルカナ、ト此院ハ陸奧國ノ鹽竈ノ樣ヲ造テ、潮ノ水ヲ湛ヘ汲ミ入レタリケレバ、此ク讀ナルベシ、

〔顯注密勘〕

〈十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 君まさで烟たえにし鹽がまの浦さびしくも見え渡る哉 これは河原左大臣〈○源融〉の六條河原にいみじき家作て、池をほり水をたゝへて、うしほ毎月に三十石まで入て、海底の魚具等をすましめたり、陸奧國のしほがまの浦をうつして、あまの鹽屋に烟をたゝせて、もてあそばれけるに後、おとゝうせられて後、鹽がまの烟たえたるをみて、貫之のぬしよめる歌也、

〔東遊記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 鹽竈 奧州仙臺の東北四五里に鹽竈といふ町あり、鹽竈明神を祭る地故其所の名とす、甚繁花の地にて、家數も千軒に餘り、〈○中略〉神代の釜とて玉垣ゆひ廻して、其中に釜四ツを並べたり、是を見るに誠に希代の神物也、釜の内皆各潮水を貯ふ、其潮の色赤きあり靑きあり紫あり、四ツの釜皆潮水の色を異にす、鹽水ゆゑに此釜の鐵氣出て、水の色を變ずるにや、毎年七月十日早曉、社人齋戒沐浴して此潮を汲替る事也、此釜は神物ゆゑに、何事にもせよ、此國に變異ある時は、此釜の中の水色、たちまちに變じて奇色をあらはす、往古より毎々しるしありといふ、釜の大さわたり四尺餘、深さ纔に貳三寸、或は四五寸に不過、皆少しヅヽの大小淺深ありて、四ツともに同じからず、皆甚淺くして足無く鍔無く、其形たとへば家々常に用ゆる所の丸盆のごとし、全體鐵にて作りたるものにて、其厚さ三寸計もあり、不相應に厚きもの也、實に神代の舊物にして、五百年千年の物にはあらず、傳へ云、鹽竈明神上古の世、此地に降臨まし〳〵て初て、此釜を鑄給ひ、海潮を煮て鹽を取ることを人民に敎給ふ、今に至るまで、天下鹽を食ふ事を得て、明神の德を蒙る、今に其時の釜 の殘れる也と、誠にさも有ぬべく見ゆるものなり、されど釜甚厚くして、中々物を煮るの用に立べくもあらず、上古の世富るゆゑに薪澤山に、人民閑暇なれば、是程の物も用に立けることにや、いぶかし、又釜殿の三四軒程東の町家の裏に、牛石とて牛の臥たるごとき石あり、是は明神の鹽やき給ひける時、其鹽を背負たりし牛なりしが、後に石に化したるなりと云傳ふ、

製鹽戸

〔常陸國風土記〕

〈信太郎〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 乘濱里東有浮島村、〈長二千歩廣四百歩〉四面絶海、山野交錯、戸一十五烟、里七八町餘、所居火鹽爲業、

〔常陸國風土記頭注〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 昌秀〈○小宮山〉云、浮島村今在信太之湖中、人戸繁殖、然無鹽者、湖亦淡水而無鹽、

〔續日本紀〕

〈七元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 靈龜二年八月癸亥、備中國淺口郡犬養部雁手、昔配飛鳥寺燒鹽戸(○○○)、誤入賤例、至是遂許免之、

〔日本靈異記下〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820流大海敬稱釋迦佛名命綠第廿五 白壁天皇〈○光仁〉世、實龜六年乙卯夏六月六日、天卒吹強風暴雨、潮張大水出雜木、萬侶朝臣遣于駈使、取於流木、長男小男二人取木編桴、乘於同拒桴逆而往、水甚荒急、絶繩解栰、〈○中略〉其小男者逕之五日、其日夕時、淡路國南西田町野浦燒鹽之人(○○○○)住處僅依泊也、

〔日本後紀〕

〈八桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 延暦十八年十一月甲寅、備前國言、兒島郡百姓等、燒鹽爲業、因備調庸

〔人倫訓蒙圖彙〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 鹽燒(○○) 汐汲汐水は女の業としてこれ汲也、同じ海邊の者なれば、魚とる海人になぞらへ、汐汲海人ともいへり、汐は海にて汲、薪は山にもとめてこれを燒ゆへ、薪とる老夫を鹽木の翁ともいへり、誠に鹽やくありさま、みるにくるしき業なり、人家はなれたる海邊にて燒ぬれば、朝夕に立のぼるけふりの風にしたがひて、さま〴〵の風情をなすは、又くらべみんものなきゆへ、しほ屋の煙とてこれをあひし、歌人もこれをめでゝ和歌には詠ずるぞかし、

産地

〔本朝食鑑〕

〈一水〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 食鹽 集解、〈○中略〉今播州海濱多燒鹽氣柔味美、能和食物、爲海西第一、海西諸州最用之、其餘四州中州海濱雖之、而不播産、北海亦處々燒鹽不佳、惟若州前越稍好、江東諸海濱燒之、駿之田籠、奧之松島、自古爲燒鹽之浦、而呼名者久、歌人亦詠賞之、然不全佳、近代武之業得多燒鹽、海遠鹽柔、能雖調物難久保、總上州之海濱燒鹽、潮盛氣猛、鹽亦厚峻收物久保、於是調日用之食者、可播州業得之産、調經年淹藏之物者、可總海之産也、江都者、天下之會、播州及海西之鹽無至、

〔泉州志〕

〈四泉南郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 花鹽 出津田村 津田村有正菴者、近來燒花形鹽于世、津田花鹽是也、

〔堺鑑〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 湊壺鹽 今ノ壺鹽屋先祖ハ昔年ハ藤太郎トテ、猿丸大夫ノ末孫ト云リ、花洛上鴨畠枝村ノ人也シニ、天文年中ニ、當津湊村ニ來住居シテヨリ以來、紀州雜賀鹽ヲ求、土壺ニ入テ燒反、諸國ヘ商賣シテ壺鹽屋藤太郎ト號シ、世ニ廣用故ニ、今ニ至迄其子孫相續ス、承應三年甲午ニ、女院御所ヨリ天下一ノ美號不苦トアリ、時ノ奉行石河氏是ヲ承リ頂戴ス、又延實七年ノ比ニハ、鷹司殿ヨリ折紙状アリ、呼名伊織ト號ス、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 和泉 湊壺鹽 播磨 阿古鹽

〔張州府志〕

〈八愛智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 土産 海鹽〈出星崎村以充税〉

〔張州府志〕

〈二十八知多〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 土産 生路鹽〈出生路村、延喜式曰、生道鹽一斛六斗、然則其産久矣、今東浦諸村皆燒鹽爲業、〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 東寺中台五佛左方五菩薩、右方五忿怒料、生道鹽(○○○)日別五合七勺、海藻六兩、

〔新編武藏風土記稿〕

〈七十三久良岐郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 産物 鹽 當所ノ鹽ハ鐵釜ヲ以テ製スルユヘ、其色殊ニ白カラズ、行德鹽ヨリ亦劣レリ、按ニ當所ノ鹽濱ハ古ヨリ始リシニヤ、稱名寺所藏永和二年六月二十三日ノ文書ニ、稱名寺領内外敷地鹽垂場等事、早任觀應三年三月三日御寄進状之旨、可領掌ト載セ、及ビ同寺所藏康安二年五月二十四日ノ文書ニモ、鹽場ノ事出タリ、

〔江戸名所圖會〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 鹽濱 同所〈○河崎〉南の方の海濱なり、寬文九年己酉、叶榮雲及び泉市右衞門といへる者開初たりと云、依て今も大師河原、川中島、稻荷新田等の村々、鹽を制するを以て産業とするもの少からず、此地風光甚佳景なり、

〔江戸名所圖會〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 鹽濱 同所〈○行德〉海濱十八箇村に捗れりと云、風光幽趣あり、土人云、此鹽濱の權輿は最久しく其始をしらずといへり、然に天正十八年、關東御入國の後、南總東金へ御遊獵の頃、此鹽濱を見そなはせられ、船橋御殿へ鹽燒の賤の男を召し、製作の事を具に聞し召れ、御感悅のあまり、御金若干を賜り、猶末永く鹽竈の煙絶ず營て、天が下の寶とすべき旨、鈞命ありしより以來、寛永の頃迄は、大樹東金御遊獵の砌は、御金抔賜り、其後風浪の災ありし頃も、修理を加へ給はるといへり、〈事跡合考に云、此地に鹽を燒事は、凡一千有餘年にあまれりと、〉

〔武江産物志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 行德鹽〈川崎行德等の鹽田に、朴消又凝水石あり、〉

〔日本書紀〕

〈十六武烈〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 十一年〈○仁賢〉十一月戊子、大伴大連率兵、自將圍大臣〈○平群眞鳥〉宅火燔之、所撝雲靡、眞鳥大臣恨事不一レ濟、知身難一レ免、計窮望絶、廣指鹽詛、遂被殺戮、及其子弟詛時、唯忘角鹿海鹽(○○○○)不以爲一レ詛、由是角鹿之鹽爲天皇所食、餘海之鹽爲天皇所一レ忌、

〔播州名所巡覽圖繪〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 須磨鹽屋〈今は燒事なし、されども古歌悉鹽燒をよめり、東はあしのやの灘の鹽やきとも詠り、又明石より西高砂邊りなどは、五十年前迄もありしとぞ、それさへ絶て次第ニ西の方へ移れり、此理いかん、〉 〈萬葉〉すま人の海べ常さらず燒鹽のからき戀をも我はするかも

〔近世畸人傳〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 儈似雲 儈似雲、始の名は如雲、安藝の國廣島の人なり、〈○中略〉須磨の浦に有ける時、久しく絶たる鹽竈を興して、しほやきそむるとて、〈是延享四年卯正月十五日と、その自記に見ゆ、〉 絶てみぬもしほの煙立かへり昔にかすむしほがまのうら しほたれし昔の人の心までけふ汲みてしるすまの浦なみ 我再興せし鹽がまも、又けぶりの絶侍りければとて、 身にぞしむ又こりずまにやく汐の煙も絶し跡のうらかぜ

〔先哲叢談〕

〈續編十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 赤松滄洲、名鴻、〈○中略〉播磨人、仕于赤穗候、 滄洲起儒員諸官、超遷意至家老、執藩政、赤穗自茅土、所曾有之擧也、蓋赤穗先封、爲嚴然一大藩鎭、慶長中始受封於美作全國十八萬六十石、世之所謂鬼武州長可男忠政、是爲侯家官閥之始祖、襲封四世、至曾孫長成〈一作成時〉之時狂疾、國除爲郡、別封長成男長紀於赤穗二萬石之地、使之奉其祭祀、自此而降、雖繼守、比諸曩時、小大不均、貧富亦異、及滄洲當路於此、修典刑調賦役預設方略、救濟士民、百廢盡興、封境富饒、亦得匱、上下悉依賴焉者、蓋以鹽法今云、

〔赤穗鹽業誌〕

〈下地盤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 元和六〈庚申〉年 鹽屋村舊記 一濱畝數三十五町四反一畝十二歩 内字名、向濱、中筋、今新田、道場南、北濱イラヽ、南イラヽ、オチヤ、 一同三反七畝十歩 内字名クハンメン、八ツ釜屋、

〔寛政武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 森右兵衞佐忠贊〈○播磨赤穗〉 時獻上〈三月〉燒鹽

〔筑紫紀行〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 十三日〈○享和元年四月、中略、〉くだ松の驛〈○周防〉にいたる、〈島田より此迄二里〉一里餘りの入海の邊なり、この入り口より二町許り此方に、とゆひといふ鹽濱あり、此迄の鹽濱は、船にてよそにのみ見つゝ通ければ、珍しくて、よく見聞きするに先渚の方に鹽燒共の家三四十見え、大道より濱手へ向けて土手を築て、數百反計の地を平に概して、それに砂をふり散し、さらへにてならして、其上に汐を汲かけて日に干す、是等皆女の業なり、かくて其砂をかき寄せて、大なるへつひの樣なる所に入て、其上に又汐を汲かけて、灰汁をたるゝ樣にして、其垂たるを鹽釜に汲入てたくなりと、

〔紀伊續風土記〕

〈物産十下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 鹽 延喜式に、紀伊國鹽所々に散見す、〈詳に堤鋼に載す〉古牟婁郡相賀莊中にて、多く鹽を燒たりと見えて、正應六年正月の文書に、津本のかま引本のうはちの竈と見え、貞和四年の文書に、木本の西竈とみえ、天正二十年の文書に、引本矢口七つの鹽竈と見えたり、又同郡會根莊梶賀浦にても、鹽を燒しとて、村の南に鹽竈といふ字殘れり、海部郡加太浦西莊村邊にも、鹽濱等の字殘れり、又名草郡神宮下鄕中島村に、慶長以前までは鹽濱多しといふ、今は同郡五箇莊三葛村の鹽、國中第一の佳品とす、村の西雜賀川の東岸、周十三町の鹽田あり、其開發の始詳ならず、田所氏に藏むる文明七年三葛鹽年貢沙汰状あり、其製鹽田中に細沙を置き、其上に海潮を灑ぎ、其砂數日を經て乾き白色となる、快晴の時此砂を削り集め、山樣になして日に曬す、内外乾盡き砂を淘筲に盛り、下に桶を置き、叉海水を汲て其淘筲に注げば、海鹵桶中に漏下る、此を煮て白鹽となす、是海鹽にして上品なり、海部郡雜賀莊和歌浦の製も同品にして、少し劣れり、又名草郡神宮下鄕船尾村の新田河内濱の鹽は、延寶元年より始めて製し出す、これは鹽土を以て採る鹽にして、海邊の沙地に堤を築き、其内の地を平にならし置けば、自然と鹽ふくなり、毎朝深霜の降るが如し、是を砂と共に集めて、竹簀の上に置き、海水を以て漉し、煎じて鹽とす、〈三葛村船尾村の二條を併せ見るべし〉是鹻鹽にして色黑みあり て粗く、味烈く下品なり、叉牟婁郡田邊莊新莊村の鹽も鹻鹽なり、又先年和歌浦にて、五色鹽を製す、今は止む、

〔儀式〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 踐祚大嘗、祭儀下 太政官符諸國司 紀伊國〈○中略〉 螺貝燒鹽五壺 右六種國所造備

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 年料 索餠料、〈○中略〉紀伊鹽(○○○)二斛七斗、

〔諸事留〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 水野越前守殿〈江〉伺之上申渡 下〈リ〉鹽問屋北新堀町家持 松之助 外三人 同仲買問屋小網町三丁目三治郎店 〈吉右衞門紀州住宅ニ付店預り人〉 茂助 外拾壹人 此者共儀、松平阿波守領分國産齋田鹽(○○○)之儀、近年荒濱等致出來、荷物出方減候ニ付、國内爲引立、是迄問屋付之鹽舟者、諸事仕來之通買積取引無差支致、於領主今般荒濱ニ相成候場所起返、并新規之分共鹽濱追々取立、右場所http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 焚出候鹽者、領主手船を以、御當地〈江〉積廻、阿波守下屋敷内〈江〉揚ゲ置、問屋仲買素人民家方〈江〉も望之者〈江〉者、屋敷http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 直捌致度旨申立有之ニ付取調候處、齋田鹽五 ケ年之入津高平均壹ケ年分百萬八千三百六拾三俵ニ有之、然ル處荒地起返し、新規取立候濱http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 出候鹽之分致手捌候趣ニ者候得共、取計方ニ寄、内實是迄鹽問屋共引受來候荷物、往々致減少候筋ニ成行候而者、迷惑之段申立、尤問屋仲買共取扱候鹽之儀者、御當地并關東筋在々〈江〉も賣捌來、兼々鹽荷物買積いたし候、諸國之廻船〈江〉新造又者作事等之節、用立金并荷爲替前金等貸渡置、入津高相增候樣手配致置候ニ付、不絶入津有之候得共、屋敷直賣出來候ハヾ、廻船之船頭ども、手捌之齋田鹽而已積下り候樣相成候而者、問屋共船手前金渡し方見留難相付、不融通ニ相成、追々買積荷物減少いたし差支相成候間、齋田鹽諸國廻船并領分廻船共、濱元http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 買積致し、全御當地入津高壹ケ年百萬俵と相定、右員數丈國産之分ニ候共、是迄問屋共引受來候通、仕切金壹兩ニ付口錢銀三匁ヅヽ申請、其餘之分者、此度領主ニ而元入金致、新規濱取立候義ニ付趣意を立、此者共儀賣捌方取扱爲相任候ハヾ、無口錢ニ順じ候樣、格別ニ引下ゲ、都而領主辨利ニ相成候樣可取計旨申立、尤右口錢引下ゲ方之義者、問屋仲買取扱方之手數にも寄候ニ付、其段者屋敷之存寄通可致段申立候ニ付、追々相糺候處、此度多分之入用相掛候濱方取立之義ニ付、乍無口錢問屋共〈江〉相任候義ハ、迷惑之筋ニ而差支候旨、阿波守家來http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 申立候趣も有之、乍然一體之引受方近年減少致居候趣者、無相違相聞候間、已來齋田鹽問屋共〈江〉引受高、壹ケ年凡百貳拾萬俵と相定、御當地問屋共〈江〉無相違積下り候樣、濱元鹽商人并買積船々〈江〉鹽積高不減樣取締爲致、其餘全く新規濱々荷物手捌可致、乍然鹽出來榮之義者、年々旱魃水挽之摸樣にも寄候義ニ付、精々手繰爲致候得共、年ニ寄少々者相減候義も可之哉、成丈右定之俵數、問屋方〈江〉入津致候樣取計可申、國元役人共〈江〉も相達、右俵數不減樣取締方爲致、且濱方http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 江戸積船〈江〉賣渡候分〈江〉者、問屋仲買當之送状相渡、御當地問屋共〈江〉爲相送、其段割印帳を以、御役所〈江〉相屆候樣可致旨申立候ニ付、右齋田鹽江戸問屋仲買〈江〉可積送員數之外、阿波守下屋敷〈江〉揚ゲ置、手捌之義、爲試五ケ年季之積取計、併萬一差支、又者延 商売等之取引ニ紛敷筋等相聞候ハヾ、縦令年季中而も差上候積、兼而可相心得旨、同家來〈江〉申渡候間、其旨可相心得、尤已來俵敷不減樣、濱元http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 割印附送り状可持來間、不紛樣取集置、濱元http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 割印元帳相廻候節、右送状差出突合改候樣可致、 右之通被仰渡畏候、爲後日仍如件、 北新堀町家持 天保十一子年七月廿日 〈松之助煩ニ付代〉治兵衛 〈五人組〉 太兵衛 外拾五ケ所 松平阿波守家來 集堂小平太 前書之通、問屋仲買問屋共〈江〉申渡置候間、齋田鹽江戸問屋仲買〈江〉可積送員數之外、下屋敷〈江〉揚ゲ置、手捌之義、爲試五ケ年季之積取計、萬一差支又者延商賣等之取引ニ紛敷筋も於之者、譬年季中ニ而も差止候積、兼而相心得、先般申立候通、問屋共〈江〉可積送俵數不減樣取締致、荷物送状之義者突合爲致候間、割印帳國元http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 年々爲相廻、當御役所〈江〉差出候樣相心得、右之趣主人〈江〉可申聞、右之通、被仰渡畏候、爲後日仍如件、 松平阿波守家來 集堂小平太 前書之通、被仰渡候段奉畏候、爲後日仍如件、 諸色掛 〈堺町名主〉五郎兵衞 〈靈岸島濱町名主〉太一郎 〈深川熊井町同〉理左衞門

〔愛媛面影〕

〈二野間郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 波止濱 此所鹽田多し、天和の頃經營をはじめたりと云、樋口川の堤長六百三十九歩、杣田川六百十一歩、南高部村の境を經て河水を導き海に入、鹽田の害を避く、汐留の勸請とて龍神祠あり、毎年三月八九日の間祭禮賑はし、民家漸く繁榮して、今に二百餘年、鹵鹽の利甚多しと云、

〔筑前續風土記〕

〈二十七土産〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 鹽 長政公〈○黑田〉入國の後、姪濱其外所々海濱にて鹽を多く燒せらる、凡鹽は民食軍用に切なる事、五穀につげば成べし、姪濱鹽尤美也、〈○中略〉近國海に遠き所、此國より鹽を遣はす、至らざる所なし、甘木に毎月六度市ありて、海味を商のふ、近國より來り買、

〔荒木古老傳〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 慶長之頃、乙女村〈○豐前國宇佐郡〉濱開發の次第、鹽濱畝數合壹町五反七畝七歩、鹽四拾壹石六斗八升、右ハ慶長八年之開、遠山勘左衞門殿御定分、鹽濱畝數合三反、〈分鹽〉四石五斗、慶長十年之開、同畝數合貳反九畝、〈分鹽〉四石三斗五升、慶長十一年之開、同畝數合三反、〈分鹽〉四石五斗、慶長十五年之開、右之高五拾五石三升、畝數貳反壹畝廿六歩、分鹽三石貳斗八升貳合、松田若狭殿見付ニて、御定斗之上、口鹽共に開、物成、慶長十六年之開濱三拾九牧川成あり、是は敎雲橋より東南の濱なるべし、

貢進

〔令義解〕

〈三賦役〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 凡調、〈○中略〉正丁一人、〈○中略〉若輸雜物者、〈○中略〉鹽三斗、〈○中略〉其調副物、〈○註略〉正丁一人、〈○中略〉鹽一升、

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 凡諸國輸調、〈○中略〉一丁、〈○中略〉鹽三斗、〈○中略〉 凡諸國輸庸〈壹岐對馬等島並不輸〉 一丁、〈○中略〉鹽一斗五升、〈○中略〉 凡中男一人輸作物、〈○中略〉破鹽七升五合、〈○中略〉 伊勢國〈○註略〉 調、兩面十疋、〈○中略〉自餘輸絹鹽、 庸、韓櫃廿三合、〈塗漆著鏁八合、白木十五合、〉自餘輸米鹽〈○中略〉讚岐國〈○中略〉 調、兩面五疋、〈○中略〉自餘輸絹鹽、〈阿野郡輸熬鹽○下略〉

〔延喜式〕

〈三十四木工〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 諸國所進雜物 出雲國 鹽廿斛〈六十四斛内、配修理職之遣、〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 志摩國司解 申神龜六年輸庸事 管郡貳、課丁壹阡陸拾貳、〈正丁九百卅二、次丁一百卅、〉 輸庸鹽壹伯肆拾玖斛伍斗伍升 神戸參所課丁壹伯肆拾壹〈正丁一百廿五、次丁一十六、〉 輸庸鹽壹拾玖斛玖斗伍升 伊勢大神宮課丁壹伯參拾〈正丁一百一十五、次丁一十五、〉 輸庸鹽壹拾捌斛參斗漆升伍合 陸拾壹籠漆升伍合 粟島神戸課丁伍〈正丁〉 輸庸鹽漆斗伍升 貳籠壹斗伍升 伊雜神戸課丁陸〈正丁五次丁一〉 輸庸鹽捌斗貳升伍合 貳籠貳斗貳升伍合 公納課丁玖伯貳拾壹〈正丁八百七次丁一百一十四○下http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins088573.gif

〔續日本紀〕

〈三十稱德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 寶龜元年三月癸未、外正八位下周防凡直葦原、獻錢百萬、鹽三千顆、授外從五位上

賜興

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 年料 菜料鹽、〈秋亦准此〉親王五十斛、〈内親王同〉太政大臣卅石、左右大臣各十石、大納言六石、中納言五石、參議三位四 位各三石、中宮職五十石、春宮坊六石、侍從所春一石一斗四升、秋一石九斗、縫殿寮四石二斗四升八合、内匠寮一石五斗、木工寮七石、主殿寮六斗、掃部寮六石、左右近衞各八石、左右兵衞府各六石、左右衞門府各二石、隼人司一石四斗三升七合二勺、左右馬寮各春夏季二石四斗八升、〈漬菜寮一石、造馬藥醬料一石、藥料四升八斗、〉内敎坊二石五斗、女官厨五石、命婦已下六百籠、〈三百籠、各納三斗、三百籠、各納二斗、〉堅鹽一線五百顆、 右依前件毎年二月八月隨符給之、其參議已上月別上旬充之、但命婦已下者内侍一人臨職班給、 親王以下月料 無品親王内親王〈○中略〉 鹽一斗五升〈日五合○中略〉 賀茂齋内親王月料〈○中略〉 醬鹽未醬各一斗五升〈○中略〉 同院雜給料、鹽月別二斗二升六合、〈小月二斗一升八合四勺七撮〉 妃〈○中略〉 鹽一斗五升〈日五合○中略〉 諸講書博士各日別鹽一合〈○中略〉 内堅二百人料、鹽三斗六升、〈小月三斗四升八合〉 畫所年料、鹽二斛、 采女卌七人料、鹽二斗一升一合五勺、〈小月二斗四合四勺五撮〉 藏人所料〈○中略〉長人日別鹽五勺、〈○中略〉 諸衞異能士、月別鹽一斗、〈小月亦同〉

〔續日本紀〕

〈十聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 神龜四年二月丙寅、詔曰、時臨東作、人赴田疇膏澤調暢、春事既起、思九農之方茂、異五稼之有一レ饒、順是令節、仁及黎元、宜京邑六位已下至庶人戸頭人鹽一顆榖二斗

鹽商

〔延喜式〕

〈四十二東市〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins083001.gif (○○)〈○中略〉 右五十一http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins083001.gif 東市〈○中略〉 鹽http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins083001.gif 〈○中略〉 右卅三http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins083001.gif 西市

〔本朝無題詩〕

〈七旅館〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831香椎宮見之事 釋蓮禪 二月三旬韶景天、不圖客舍暫留連、紅霞礙日山林外、白鷺伺魚水巷邊、獻餠丁寧家僕切、〈○註略〉賣鹽子細土民傳、〈門前有鹽之者、戯問ニ直法、子細答之、○下略〉

〔七十一番歌合〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 卅八番 左 鹽うり(○○○) あきなひの秋のあたひも高潮の今宵ぞ月の名をもうるなる 思ひ初るむねのやきての鹽けぶりなびきなびかずせめてとはゞや

〔淺井三代記〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 淺井大津の浦より鹽を買取事 かくて敵寄來らざれば、十一月中旬〈○永正十三年〉までに、小谷城中堀塀柵不殘丈夫に拵へ、味方領分の年貢米等納取、城中へこめられ粮澤山なり、其上上坂の城より武具馬具等まで、悉く運び取ければ、一年二年籠城せしむとも、兵粮米秣等にとぼしき事あらじと悦びたまひけるが、是に難儀せしは、鹽城中に不足なり、いかゞ有べきと僉議せられて宣ひしは、宮川左兵治兵衞筧助左衞門尉は、兩人して今濱近邊にて賣人近付可之間、才覺いたすべしと宣ひければ、兩人今濱の商人に賄をつかはし頼可申、畏候とて大津の浦へ行、鹽二三百俵買取候へども、著岸の便おだやかならざれば、此鹽は何方へうり申などゝ、とがめられてはいかゞと思ひ、右の鹽を箱に入替へ、呉服櫃に事よせ、小舟五六艘に取乘、舟長に心を合せ、中濱といふ所へつけ、それより川船にのせ、馬渡川を心ざし、丁野村へ可著と相巧み、〈○中略〉丁野川原へ付、則助左衞門尉左治兵衞尉兩人、小谷に籠りゐる故、此旨注進したりければ、夜の間に小谷へ運び入る、

〔武將感状記〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 北條ト今川ト相計テ遠州武州ノ鹽商人(○○○)ヲ留テ、甲斐信濃ニ鹽ヲ入ズ、此ヲ以テ信玄ノ兵ヲ困ントス、謙信コレヲ聞テ、領國ノ驛路ニ令シテ、シホヲ甲信ニハコバシム、我ハ兵ヲ以テ戰ヒヲ決セン、鹽ヲ以テ敵ヲ窮セシムル事ヲセジト云送ラレケレバ、信玄受ラレタリ、

〔蒹葭堂雜録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 信州松本の城は、いにしへ武田信玄の居城にして、深瀨の城と號せし所なりとぞ、當時例年正月十一日、鹽市(○○)といふ大法會あり、生土宮村大明神の社司、當日市神〈或は鹽市大明神ト云〉と號し、城下の市中に社壇をかざりて、神事を執行ふ、遠近よりこれに群參して賑へるゆへ、觀物放下師など夥く有て、隣國に無雙紋日なり、然るに亦城下の富家よりして、鹽を些づゝ紙につゝみ、參詣の多勢に施す、おの〳〵是を受得て家土産とし、或は神棚に供ふ、此事往昔より有て、其初ること最久しとぞ、里人傳へて云、往昔戰國の折から、敵方よりして當國へ鹽運送の道を塞ぎ、國兵を苦めんとす、さる程に自から鹽乏しく漸に盡て、國兵しば〳〵氣力を失ひ、幾難儀に及べり、然るに隣國の好みを以て、越後の長尾謙信より鹽を運送す、國兵これに力を得て戰ひに敗せず、頗る勝利を得たりとぞ、その吉例によって、後世にいたりても尚鹽市と號して、是を祝ふものなりと聞ゆ、實(げに)鹽は五味の中にして、一日も缺べからざるものなり、

〔江戸總鹿子〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 鹽屋(○○) 小あみ町新堀 新橋北出雲町横丁

鹽直

〔東大寺正倉院文書〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 駿河國天平十年正税帳 買鹽漆斗捌升直稲貳拾陸束〈束別充鹽三升〉

〔東大寺正倉院文書〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 伊豆國天平十一年正税帳 毎年正月十四日讀金光明經四卷、又金光明最勝王經十巻、合壹拾四卷供養料稲肆拾玖束、〈○中略〉 鹽壹升玖合貳勺價稲陸把肆分、〈○中略〉 依太政官天平十一年三月廿四日符、講説最勝王經調度、價稲壹仠肆伯玖拾伍束、〈○中略〉 供養料稲伍拾伍束〈○中略〉 鹽貳升壹合陸勺價稲漆把貳分

〔續々修東大寺正倉院文書〕

〈四十三帙十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 解 申請用錢并賣綿價事〈○中略〉 用一百卌五貫五十九文〈○中略〉 八十文鹽五果直〈果別十六文○中略〉 右買雜物如件、以解、 六年〈○天平寶字〉潤十二月六日 下道主上馬養

〔相良文書〕

〈三十六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 慶長拾一年丙午 江戸御屋形作日記〈○中略〉 永樂貳貫九百九十三文買にて 遣方〈○略〉 〈六月五日〉一永樂四十四文 鹽貳斗九升五百代〈市助ニ渡シ○中略〉 〈七月一日〉一同廿二文 鹽貳斗の代

〔三省録〕

〈四附言〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 水藩の檜山氏が慶安五〈辰〉年四月十五日http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 同廿二日まで、〈○註略〉水府の御宮別當なる東叡山中吉祥院が、江戸http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/ra_ins002001.gif 水戸〈江〉下りたりし時分の、賄料請取品直段書付、并入用をしるしたるものを見せたるが、其直段の下直なる事おどろく計也、〈○中略〉 一しほ 三升 〈壹升ニ付〉代九文六分ヅヽ

雜載

〔儀式〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 平野祭儀〈四月十一月上申〉 皇太子於神院東門外下馬、神祗官中臣〈若無中臣者、卜部傳授進以上供、〉迎供神麻鹽水、訖入休息舍、〈○下略〉

〔延喜式〕

〈三十三大膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 仁王經齋會供養料〈○中略〉 鹽九合八勺八撮、〈好物料五勺、茹菜料二合、生菜料二勺、薄餠量三勺、海菜料二勺、汁物料ニ勺、漬菜料五合ニ勺八撮、菓餠料一勺、索餠料六勺、羹料五勺、〉

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 諸節供御料〈中宮亦同、下皆准此、〉 正月三節〈○中略〉 鹽六升 五月五日節〈○中略〉 鹽二升 七月七日節〈○中略〉 鹽一升 九月九日節〈○中略〉 鹽二升 供御月料〈○中略〉 鹽一石一斗八升五合

〔延喜式〕

〈一四時祭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 園并韓神三座祭〈園一座韓神二座、○中略〉 鹽二顆、杯十口、〈(中略)解除料〉 四面御門祭〈十二月准此〉 五色帛各四丈、〈○中略〉鹽十六顆、鮭十六隻、〈○下略〉

〔延喜式〕

〈三臨時祭〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834新宮地祭 金銀各五兩、〈○中略〉海藻五籠、〈別受六斤〉鹽五籠、〈別受三斗〉 八十島神祭〈中宮准此〉 五色帛各一疋二丈、〈○中略〉鹽五籠

〔北山抄〕

〈一 四月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 同日〈○朔日〉旬事 十月給氷魚、其儀采女二人〈一人陪膳〉取氷魚指鹽〈預盛片垸供之〉進來、坐貫首人西頭、下座跪給之、置大盤上復座目出居、令内竪、内竪二人參上、取氷魚等次第持到、各以匕一度掻取、指鹽沃上、

〔江家次第〕

〈一 正月〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 内辨細記 七日 俊明卿稱故俊家公説、欲音之間取鹽食之、此事予問申故二條殿、〈○藤原敎通〉被仰云、供膳以前竊取鹽食、甚鄙説也、不然、若懼聲乾故歟、内辨自家有聲乾云々、子細不仰、

〔日本書紀〕

〈十一仁德〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 三十八年、俗曰、昔有一人兎餓宿于野中、時二鹿臥傍、將及鶏鳴、牡鹿謂牝鹿曰、吾今夜夢之、白霜多降之覆吾身、是何祥焉、牝鹿答曰、汝之出行必爲人見射而死、即以白鹽其身霜素之應也、〈○下略〉

〔日本書紀〕

〈二十七天智〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 九年二月、修高安城穀與一レ鹽、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 年料 木臼四口、〈二口春鹽○○井楡等料、二口春粉料、〉杵八枝、〈春雜物料、〉箕五枚、〈二枚簸擇鹽○○○并楡等料、三枚簸擇粉米料、〉

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835用寺息利酒償、死作牛役之償債綠第卅二 聖武天皇世、〈○中略〉岡田村主石人夢見、〈○中略〉彼牛放退屈膝而伏、流涙白言、我者有櫻村物部磨也〈、字號鹽春也、是人存時不矢猪、念我當射鹽○○往荷見之无猪、但矢立於地、里人見咲號曰鹽春、故以爲字也、○下略〉

〔類聚符宣抄〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 太政官符東海東山北陸山陰山陽南海等道諸國司 令疫之日治身及禁食物等時漆條〈○中略〉 一凡此病者、定惡飮食必宜強喫、始從患發、灸火海松并擣鹽(○○)屢含口中、若口舌雖爛可用良之、〈○中略〉 天平九年六月廿六日

〔大和物語〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 よしみねのむねさだの少將ものへゆく道に、五條わたりにて、雨いたうふりければ、あれたるかどに立かくれて、〈○中略〉日もやう〳〵暮ぬれば、やをらすべりいりて、この人をおくにもいれず、女くやしと思へど、せいすべきやうもなくて、いふかひなし、〈○中略〉此女のおや少將少將に饗(あるじ)すべきかたのなかりければ、ことねりわらはばかりとゞめたるに、かたしほ(○○○○)さかなにして、さけをのませて、〈○下略〉

〔甲斐國志〕

〈百二十三附録〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 一鹽 本州ニハ海鹽ナク、皆駿州ヨリ取リ、又信州諏訪郡伊奈松本ヘモ送レリ、昔時ハ陟嶮荷駄シテ運ビ、中道姥口ニ關鹽相物諸役免許ノ御朱印ヲ賜ハリシ類ナリ、慶長中富士川通船始リテ、民至今其利ヲ蒙ルト云、

〔西遊記〕

〈續編二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 五ケ邑 隈本〈○肥後〉の旅人宿に逗留せし頃、〈○中略〉此地の人に五ケ村のこと尋問ふに、〈○中略〉彼方の人の世間へ出初て人交りをせし事は、元和寛永のころにもや、此あたりにては隈本名家なれば、此手に屬したきよし申立て、公にも其由聞屆られ、肥後の支配と仕給ふ、〈○中略〉それより此方多年隈本よりP 836 鹽幾十俵を賜ふ、彼方よりは五人の頭分のもの、替り〳〵年始の禮詞をつとむる爲に、隈本に出るなり、〈○中略〉其人皆質朴にして武をはげみ、男子皆長き大小を横たふ、みづから平家高貴の人の御末なりと高ぶりて、世の人を輕んず、其地鹽なし、近ごろまでは數百年が間、彼地の人は一人も鹽氣を食ふものなかりしが、近ごろ隈本より賜る鹽をわかち食す、其外も格別家富る者は、肥後より鹽を買入て食す、故に甚だ拂底にて、中々末々までは行屆かず、然れども鹽は食して藥なりといへるにや、百姓の家々に皆見鹽とて、紙に少しの鹽を包み、臺所の柱にかけ置て、家内みな毎朝此鹽をみる事なり、


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