p.0393 賓ハ、賓客、又ハ客人ト云ヒ、邦語ニ之ヲマラビト、又ハマラウドト云フ、旣チ主人ヲアルジト云フニ對スルノ稱ナリ、而シテ主客互ニ相送迎シ或ハ之ヲ饗應スル事ノ如キハ、禮式部各篇ニ收載シタレバ、多クハ省略ニ從ヘリ、
p.0393 賓客 玉篋云、大曰レ賓小曰レ客、〈和名末良比止〉左傳注云、客一座之所レ尊也、野王案、羇二旅他國一、亦謂二之客一、〈旅客、和名太比比度、〉
p.0393 x按周禮大行人職、掌二大賓之禮、及大客之儀一、注、大賓要服以内諸侯、大客謂二其孤卿一、又司儀職、諸公、諸侯、諸伯、諸子、諸男、相二爲賓一、諸公之臣、侯伯子男之臣、相二爲客一、故大曰レ賓、小曰レ客也按説文、賓所レ敬也、周禮注、周書注、廣雅、白虎通、管子注、亦皆曰、賓敬也、呂氏春秋注、客敬也、毛詩正義、賓亦客也、左傳正義、賓卽客也、又周禮司儀、客從拜辱二干朝一、聘禮注作三賓從拜辱二于朝一、禮記曲禮、主人敬レ害則先拜レ客、士相見禮注、作二主人敬レ賓則先拜一レ賓、然則析二言之一、賓客異レ稱、統二言之一不レ別也、
p.0393 客〈濱各二音マラヒト〉 〈下マラヒト和キヤク〉 客人〈マラフト〉 〈必隣反 マラフト 和ヒン〉 賓〈中今下正〉
p.0394 擐客〈マラウト〉 賓客 客 間 〈已上同〉
p.0394 賓客(マロウト) 客人(同/マレヒト) 客人(キヤクジン) 主客(シユカク)〈主人客人〉 賓客(ヒンカク)
p.0394 佛足石歌碑〈○中略〉
久須理師波、都禰乃母阿禮等、麻良比止(○○○○)乃、伊麻乃久須理師、多布止可理家利、〈米太志可利鷄利〉
p.0394 まらうど 賓客をいふ、希人の義なり、和名抄、佛足石の歌などに、まらひとゝもよめり、まらうとさね(○○○○○○)、伊勢物語に見ゆ、上客をいふ也、
p.0394 主〈之廋反アルシ〉 主人〈アルシ〉
p.0394 私天〈アルシ〉 主〈同〉
p.0394 あるじ 主をよめり、又主人をよむ、神代紀にみゆ、りぬ反る也、家にあるぬしの義也、万葉集にあろじとも見ゆ、
p.0394 この君はあるじがたに、こゝろやす〈もてなし給物から、まだまらうどゐのかりそめなる方にいだしはなちたまへれば、いとからしと思給へり、
p.0394 あれはたぞ、けそうにといへば、あらず、いへあるじ、つぼねあるじと定め申べきことの侍るなりといへば、〈○下略〉
p.0394 一云、〈○中略〉豐玉姫卽白二父神一曰、在レ此貴客意(タフトキマゥト)三望欲還二上國一、〈○下略〉
p.0394 二十二年、是歲、復遣二奴氐大舍一、獻二前調賦一、於二難波大郡一次序、諸蕃掌客(マラフトヲサムルツカサ)額田部連葛城直等、使レ列二于百濟之下一、〈○下略〉
p.0394 元年六月、明旦領客東(マラトノツカサ/ヒイテマラヒト)漢坂上直子麻呂等推二問其由一、
p.0394 十六年六月丙辰、客等泊二于難波津一、〈○中略〉於レ是以二中臣宮地連磨呂、大河内直糖手、船史王平一、爲二掌客(マラトノツカサ)一、
p.0395 延曆十五年丙子
從四位下 紀梶長〈(中略)後改名勝長、大納言正三位船守一男〉性潤有二雅量一、好愛二賓客一、接待忘レ倦、饗宴之費不レ問二出入一、
p.0395 柳澤淇園
淇園柳澤氏、諱里恭、字公美、一號玉桂、通名權大夫、大和郡山同姓の士也、〈○中略〉爲レ人曠達不レ拘、客を好みて、才不才をいはず、寄食せしむるもの幾人といふ數をしらず、あるひはかりそめに來たるものをも、年を經て還さず、家祿多けれども、これがために乏しきに至る、初某の年、侯使として、發極の御賀のため、都にのぼりしついで、大雅にまみへて相歡し、これより往來たへず、ある時大雅大和に行しに、路費盡たれば、假初に立よりて是を借るに、例の如くとゞめ門を閉て還さず、家臣又いふこと有、幸にとゞまりて内を好まるゝの病を諫給はれ、多慾のために身を亡し給んを憂といふ、こゝに大雅謀て其よしを説て曰、もし諫に從ひ給はゞ止らん、聞給ずば速に還んと、あるじ首をふりて、諫にも從はじ、還しもせじと、ます〳〵門を堅くして守らしむ、大雅終に裏の垣をこへて歸りしと也、
p.0395 增田鶴樓
鶴樓常に賓客を喜べり、酒肉席に絶ることなく、晝夜來るもの相屬けり、その先に至るもの、あるひは他に行かんことをおもへども、去ることを得せしめず、後なる者と雜然たり、日夕毎に客常に滿ち、主人その中に起座し、衎然として歡び、夜に至れども倦ことなし、たま〳〵熟醉すれば、その席に在りて假寐す、少ありて寤れば、復人を呼て酒を命ず、迎へず送らず、必しも賓主の容を爲ず、おもふに蓋し相忘るゝをもて適意とす、客も亦その眞率を悦べり、至るものわが家に歸るが如くおもへり、鶴樓が主人もとより習ひて常とせり、深更といへども厨膳かならず辨ず、あるひは時として客の來らざることあれば、僮僕ら主翁の樂ざるを憂ひて、平生交遊する友の家に至 り、使と稱して招き來れり、その人來らざる時は、又他に適て、略相識る者といへども招き來る、かくて雜賓惡客といへども、必これを邀ふ、僮者大むね道すがら主翁の相識に遇ことのあれば、苦(しきり)に誘ひて鶴樓に至らしめ、主翁をして喜しむ、晩年これが爲に稍貧しけれども、鶴樓他の好みなく、戸室破損すれどこれを修することなく、身にはたゞ一卉服あるのみ、出行せんことをおもへば卽出、緼袍たりともいさゝかも恥る色なし、されども諸客に饗する飮食の費に至りては、家人日々に得るところの價をもて、こと〴〵くこれを供して足らしむ、しかも他を問はず、かくて十年あまり一日の如くにて衰ずといへり、〈○下略〉
p.0396 根本雄助といへる人は、常陸の産といへり、久敷林家の書生にて有しが、篤學の人にて歷史に委し、且國朝の學に委しく、律令格式より國史まで、悉く推極られたり、然ども其生質名利を厭ふ人にて、諸侯より召せども不レ應、松平左京亮殿より被二聞及一、度々召けれども、斷りて不レ應、林百助殿地面に住けり、予〈○僧雲室〉久敷交れり、八代巢河岸に入塾せし中より、常に戸を閉て人に逢ず、五六月盛夏の時といへども、戸閉て居けり、予が敝院も數々被レ訪、常に往來せり、
p.0396 にくきもの
いそぐことあるおりに、長ごとするまらうど、あなづらはしき人ならば、のちになどいひても、おひやりつべけれども、さすがに心はづかしき人いとにくし、〈○中略〉
こゝろゆくもの
つれ〴〵なるおりに、いとあまりむつましくはあらず、うとくもあらぬまろうどのきて、世の中の物がたり、此ごろある事のおかしきも、にくきも、あやしきも、これにかゝりかれにかゝり、おほやけわたくしおぼつかなからず、きゝよきほどにかたりたる、いと心ゆくこゝちす、