p.0949 鮓ハ、スシト云フ、酸(ス)シノ義ニテ、飯ト鹽トヲ以テ魚ヲ藏シ、酸味ヲ生ズルニ至リテ食スルヨリ名ヅク、鮓ニハ馴鮓ト早鮓ト二種アリ、古ヘニ謂ユル鮓ハ皆馴鮓ナリ、之ヲ製スルニハ、鹽ヲ糝シテ魚ヲ壓スルコト一夜、水氣ヲ拭ヒ淨メ、冷飯ヲ用イテ桶ニ藏メ、重石ヲ以テ之ヲ壓スルコト若干日、味熟スルニ至リテ之ヲ食ス、全國到ルトコロ之ヲ製セシカド、就中近江ノ鮒鮓、大和吉野ノ鮎鮓、山城宇治ノ鰻鮓等、最モ世ニ聞エタリ、早鮓ハ酢ヲ加ヘテ之ヲ製リ、一夜ヲ經テ食スルヲ以テ一夜鮓ノ名アリ、亦之ヲ生成(ナマナリ)トモ云フ、德川幕府時代ニ至リ、江戸ニ テ握鮓、卷鮓等ヲ製リ、京坂ヲ始メ一般ニ流行シ、馴鮓大ニ衰ヘタリ、
p.0950 鮓〈市差反、須志(○○)、〉
p.0950 鮨 爾雅注云、鮨〈渠脂反、與レ耆同、和名須之、〉鮓屬也、野王按、大魚曰レ 、〈側下反、今按即鮓字也、〉小魚曰レ 、〈音侵、一音蹔、〉
p.0950 説文鮨、魚 醬也、 豕肉醬也、釋器云、魚謂二之鮨一、肉謂二之醢一、則知二鮨魚醢一、儀禮公食大夫禮、醢牛鮨、注、内則謂レ鮨爲レ膾、然則膾用レ鮨、段玉裁曰、謂二公食大夫禮之醢牛鮨、即内則之醢牛膾一也、聶而切レ之爲レ膾、更細切レ之、則成レ醬爲レ鮨矣、鮨者膾之最細者也、牛得レ名レ鮨、猶二魚得一レ名レ 也、併二攷已上諸説一、鮨之非二須之一可レ知也、郭璞注、鮨爲二鮓屬一者、以下鮨鮓並令レ藏而熟レ之相似上、擧以比レ之、故曰二鮓屬一、不レ曰二即鮓一也、〈○中略〉釋名、鮓菹也、以二鹽米一釀レ魚以爲レ菹、熟而食レ之也、齊民要術亦有下作二魚鮓一法上略同、訓二須之一爲レ允、
p.0950 鮨〈スシ、音脂、鮓屬也、爾雅云、蜀人取レ魚不レ去レ鱗 レ腹、〉 醋 〈小魚曰レ 〉 〈大魚曰レ 、鮓字也、〉 楚 酸〈已上同〉
p.0950 鮨(スシ) 鮓(同)
p.0950 鮓(スシ) 鮨(同)
p.0950 鮓亦阻也、〈○註略〉以二鹽米一釀レ之如レ菹、熟而食レ之也、〈○下略〉
p.0950 鮨スシ〈○中略〉スとは醋也、シは助詞也、魚を藏するに飯と鹽とを以てし、其味の酸を生ぜしものなれば、かく名づけしなり、鮓は説文に據るに、藏魚をいふと見えたり、
p.0950 すし 酢も鮨も同じ、味酸し、日本紀に醢もよめり、
p.0950 鮓〈音査〉 鮨〈音支〉 〈 同〉 〈 同〉 本綱釋名云、鮓〈和名須之〉醞也、以レ鹽糝鰮釀而成也、諸魚皆可レ爲レ之、大者曰レ鮓、小者曰レ 、〈南人曰レ 、北人曰レ鮓、〉凡鮓發二瘡疥一、鮓内有レ髪害レ人、鮓不レ熟者損二人脾胃一、諸無鱗魚鮓尤不レ益レ人、不レ可下合二豆藿麥醬蜂蜜一食上、令二人消渇及霍 亂一、
p.0951 女房ことば 一すし すもじ(○○○)
p.0951 慶長八年七月一日、しやうぐん、〈○德川家康〉よりすもじの桶二ッ參る、八月七日、ゆふふ〈○德川家康〉よりすもじのおけ參る、
p.0951 魚鮓 本國にて魚鮓の製數種あり、〈○中略〉又在田日高兩郡にて鹽魚を以て馴鮓といふを製す、
p.0951 むかしの鮓は、飯を腐らしたるものにて、みな源五郎鮒の鮓の如し、早鮓といふも一夜ずし(○○○○)なり、料理物語、一夜ずしの仕樣、鮎の鮓を苞に入、燒火にあぶりておもしをつよくかくる、又は柱に卷つけてしめたるもよし、一夜にてなるヽといへり、此外鹽魚、干魚等を漬ること、雍州府志などに見えたり、
p.0951 鮓 今江戸ニアル鮓ハ、延寶ノ頃、御醫師ノ松本善甫ト云モノヽ新製ナリ、〈コノ家ハ、其後亡ビタリシガ、近來再ビ召出サレテ高百俵ナリ、〉サレバ世ニ松本鮓(○○○)ト云、彦根ノ鮒ノ鮓、尾州ノ鮎ノ鮓ナドハ、魚ト飯トヲマゼテ五六日モ經テ食フナリ、吉野近邊ニテ、粟ノ飯ニテ造ル、二三ケ月モカコハルヽナリ、コレ等ノ鮓ハ、右ヨリ左ニハ出來兼ル故ニ、アキナフ者ニアツラフルニ、今日ヨリ幾日經テ取ニ來給ヘト云ニヨリ、コレヲオチヤレズシ(○○○○○○)ト云、松本鮓ハ、直ニ出來故ニ、マチヤレズシ(○○○○○○)ト云、又早鮓トモ云ナリ、元來スシハ上件ノ如ク、飯ト魚トヲマゼテ置ニ、日數經レバオノヅカラスミノ出ルモノニテ、酢ヲ加ヘテ製スルモノニアラズ、鮨ノ字ヨリハ、鮓ノ字ノ方ヨロシ、字書ヲ觀テシルベシ、 コノ一條ハ、亡友狩谷棭齋ノ説話ナリ、
p.0952 一夜ずし(○○○○)の仕樣 鮎をあらひ、めしをつねの鹽かげんよりからうして、うほに入、草づとにつヽみ、庭に火をたき、つとヽもにあぶり、そのうへをこもにて二三返まき、かの火をたきたるうへにをき、おもしをつよくかけ候、又はしらにまきつけつよくしめたるもよし、一夜になれ申候、鹽魚はならず候、
p.0952 鮓粽 早ずし(○○○)、粽(ちまき)の形にして、笹の葉に包まくなり、
p.0952 似せもの語に、なまなりをつけヽる女有けり云々、早ずし(○○○)をなまなりといへり、
p.0952 一生成と云ふ物古書に見えたり、年中恒例記三月の部に、生成一折、佐々木越中、進上之日不レ定とあり、又伊勢守書礼之案に云、爲二當年之祝儀一、生成廿到來候訖、喜入候謹言、三月十一日、〈宛所〉總持房とあり、又諸書當用抄の内、佐々木方へ御成之規式に、御こぐご(小供御)七獻めのあい(間)に參とありて、たこなまなりと有、右本膳の御さい也、
p.0952 二月朔日 〈永正十三二十七式日不レ定〉一生成三十(/ナマナリ小鮒ノ事也)〈例年進上之〉 佐々木四郎三郎
p.0952 鮓〈○中略〉 スシノコト、〈○中略〉三都トモ押鮓(○○)也シガ、江戸ハイツ比ヨリ歟、押タル筥鮓(○○)廢シ、握リ鮓(○○○)ノミトナル、筥鮓ノ廢セシハ、五六十年以來漸クニ廢スト也、筥鮓ト云ハ、方四寸許ノ下圖〈○圖略〉ノ如キ筥ニ、飯ニ酢ト鹽ヲ合セ、先半ヲイレ、醬油煮ノ椎茸ヲ細カニキリ納レ之、又飯ヲ置キ、其上ニ〈○中略〉雞卵ヤキ、鯛ノ刺身、蚫ノ薄片ヲ置キ、縱横十二ニ斬ル、横四ツ、竪三ツ、凡テ十二軒トス、中央ト四隅ハ雞卵燒也、白ハ鯛刺身、或ハ蚫片身也、黑キハ木茸也、蓋ハ篗ノ内ニ入リ、底ハ篗ノ外面ト同クス、蓋底トモニ放レ、又トモニ籜ヲ當テ、飯ノ著ザルニ備フ、此筥ノ篗ト均ク飯ヲ納レ、軒石ヲ以テ壓レ之也、押テ 後斬レ之中半椎茸ヲ入ル、故ニ左圖〈○圖略〉ノ如シ、右ノ圖〈○圖略〉ノ如キヲ柿鮓(○○)ト云、コケラズシ也、鳥貝鮓(○○○)ハ圖ト同形ニテ、鳥貝一種ヲ置ク、鳥貝ハ一筥四十八文、柿鮓ハ六十四文也、一軒ハ却テ二種トモニ四文、百文ニハ必ラズ二種一筥宛也、雞卵以下從來極テ薄クス、天保初比、心齋橋南ニ福本ト云ル鮓店ヲ開キ、玉子刺身トモニ厚サ一分半餘二分モアリ、從來ハ五厘許ノ厚サナル故ニ、衆人甚賞レ之、買人市ヲ爲シ、容易ニ買得難キ程也、此時ヨリ他ノ店トモニ一變シテ倣レ之、同製スレドモ、福本ホドハ賣レズ、今ニ至リ福本ヲ稱ス、福本ハ杉本ニ奉公セシ由也、〈○下略〉
p.0953 鮨賣〈○中略〉 因曰、京坂ニテハ、方四寸許ノ箱ノ押ズシ(○○○○○)ノミ、一筥四十八文ハ鳥貝ノスシ也、又コケラズシ(○○○○○)ト云ハ、雞卵ヤキ、鮑、鯛ト並ニ薄片ニシテ飯上ニ置ヲ云、價六十四文、一筥凡十二ニ斬テ四文ニ賣ル、又筥ズシ、飯中椎茸ヲ入ル、飯二段ニナリタリ、又淺草海苔卷アリ、卷ズシ(○○○)ト云、飯中椎茸ト獨活ヲ入ル、京坂ノ鮨、普通以上三品ヲ專トス、而モ異製美製ヲナス店モ稀ニ有レ之、又鮨ニハ、梅酢漬ノ生姜一種ヲ添ル、赤キ故ニ紅生姜ト云、又江戸ニテ原ハ京坂ノ如ク筥鮨(○○)、近年ハ廢レ之テ握リ鮨(○○○)ノミ、握リ飯ノ上ニ雞卵ヤキ、鮑、マグロサシミ、海老ノソボロ、小鯛、コハダ、白魚、鮹等ヲ專トス、其他猶種々ヲ製ス、皆各一種ヲ握リ飯上ニ置ク、〈○中略〉又因云、文政中、大坂道頓堀戎橋南ニ、江戸ノ握リ鮨ヲ學ビ製シ賣ル、今ニ至リテ此一戸アリ、天保中、尾ノ名古ヤニモ傳製之店ヲ開ク、後世三都トモニ、此製ヲ專用スルコトニ成ル歟、〈○下略〉
p.0953 鮓 江戸、今製ハ握リ鮓(○○○)也、雞卵燒、車海老、海老ソボロ、白魚、マグロサシミ、コハダ、アナゴ甘煮、長ノマヽ他、 玉子〈○圖略、下同、〉 玉子卷〈飯ニ海苔ヲ交ヘ干瓢ヲ入ル〉 海苔卷〈干瓢ヲ卷込〉 同麁〈同上〉アナゴ 白魚〈中結干瓢〉 刺ミ〈刺身及ビ〉 〈コハダ等ニハ、飯ノ上肉ノ下ニ山葵ヲ入ル、〉 コハダ 以上大略價八文鮓也、其中玉子卷ハ十六文許也、添レ之ニ新生薑ノ酢漬、姫蓼等也、又隔等ニハ熊笹ヲ用ヒ、又鮓折詰ナドニハ、鮓ノ上ニ〈○中略〉熊笹ヲ斬テ置レ之飾トス、京坂ニテハ隔ニハランヲ用ヒ、又添物ニハ紅生姜ト云テ梅酢漬ヲ用フ、
p.0954 卷鮓 辛み大根をおろし、鹽を合、よくしぼり、川鱒を作り、酢にしほを合漬をき、おろしをまんべんにならし鱒をおきてまき、其上を簀にて半日ばかりしめおき、薄刅にてこぐち切にしてもちゆ、
p.0954 鮨賣 卷鮨ヲ海苔卷ト云、干瓢ノミヲ入ル、新生姜、古同トモニ梅酢ニツケズ、弱蓼ト二種ヲソユル、
p.0954 平維茂罰二藤原諸任一語第五 五六十町計行テ、野岳ノ有彼ノ方西ニ、小河ノ流タル傍ニ打寄テ馬ヨリ下テ、此ニ息マムト云テ調度ナムド皆解テ居タル程ニ、大君ノ許ヨリ、酒大樽ニ入テ十樽許、魚ノ鮨(○○○)五六桶許、鯉鳥酢鹽ニ至マデ、多ク荷ヒ次ケテ持來レリ、〈○下略〉
p.0954 一スシノ事、鮎ヲ本トスベシ、但何ノ鮓成トモ、モノヽ下ヲスルコト不レ可レ有レ之、
p.0954 鮓魚のあらまし 鮎の鮨(○○○) 腹あけ少も洗はず、一日にても一夜にても鹽おしして、翌日其鹽水にて能洗、ゑらを取、又水にて洗ひ、魚燒見候て、少し鹽辛口なるが能候、上白米のめし能さまし、腹へめしをにぎり、腹へ入たるが能候、其の外の食をばみづにて一へん洗、雫をたらし、食を澤山につけ申候、はやくたべんには、少かるめに押置候、久敷置にはおしつよくし、ふたの上に鹽水をため置候、取出し候時鹽水をあけ、仕舞申時鹽水ため候、
p.0955 鮎〈訓二阿由一○中略〉 鮓古者丹波、伊賀、伊勢、美濃、播磨、美作、但馬、豊之前後、及太宰府貢レ之、又太宰府貢二内子鮨一、近世以二尾張美濃之鮨一爲二上品一、就レ中尾州之鮓爲二絶勝一、至二九月一有二内子鮓一、此亦拔レ群、又有二糟漬内子鮎一、亦爲二絶美一也、紀州有二釣瓶鮓一、是鮎微少之時、而爲二最初之珍一也、凡上都關西尾濃之鮓者、魚之鰭骨軟脆、肉脂厚膩、故味爲レ勝矣、
p.0955 諸國例貢御贄〈○中略〉 但馬國〈(中略)鮨年魚(○○○)、生鮭、○中略〉美作國〈(中略)鮨年魚〉
p.0955 旬料 大和國吉野御厨所進鳩、從二九月一至二明年四月一、年魚鮨火干從二四月一至二八月一、月別上下旬各三擔、〈○中略〉 年料〈○中略〉 伊賀國〈鮨年魚二擔四壺○中略〉伊勢國〈(中略)鮨年魚二擔四壺○中略〉美濃國〈(中略)鮨年魚四擔八壺○中略〉丹波國〈(中略)鮨年魚二擔四壺○中略〉但馬國〈(中略)鮨年魚二缶○中略〉播磨國〈鮨年魚二擔四壺〉美作國〈鮨鮎○中略〉紀伊國〈鮨年魚二擔四壺○中略〉太宰府〈(中略)鮨年魚二百廿三斤六缶、○中略〉 右諸國所レ貢、並依二前件一、仍收二贄殿一擬二供御一、
p.0955 人見二醉レ酒販婦所行一語第卅二 今昔、京ニ有ケル人、知タル人ノ許ニ行ケルニ、馬ヨリ下テ、其ノ門ニ入ケル時ニ、其ノ門ノ向也ケル舊キ門ノ閉テ人モ不レ通ヌニ、其ノ門ノ下ニ販婦ノ女、傍ニ賣ル物共入レタル平ナル桶ヲ置テ臥セリ、何ニシテ臥タルゾト思テ、打寄テ見レバ、此ノ女酒ニ吉ク醉タル也ケリ、此ク見置テ、其ノ家ニ入テ、暫ク有テ出テ亦馬ニ乗ラムト爲ル時ニ、此ノ販婦ノ女驚キ覺タリ、見レバ驚クマヽニ物ヲ突ニ、其ノ物共入レタル桶ニ突キ入レテケリ、穴穢ナト思テ見ル程ニ、其桶ニ鮨鮎ノ有ケルニ突懸ケリ、販婦錯シツト思テ、忩テ手ヲ以テ其ノ突懸タル物ヲ鮨鮎ニコソ韲タリケレ、此レヲ 見ルニ穢シト云ヘバ愚也ヤ、肝モ違ヒ心モ迷フ許思ヘケレバ、馬ニ急ギ乗テ、其ノ所ヲ逃去ニケリ、此レヲ思フニ、鮨鮎本ヨリ然樣ダチタル物ナレバ、何ニトモ不二見エ一、定メテ其ノ鮨鮎賣ニケムニ、人不レ食ヌ樣不レ有ジ、彼ノ見ケル人、其後永ク鮨鮎ヲ不レ食ザリケリ然樣ニ賣ラム鮨鮎ヲコソ不レ食ザラメ我許ニテ ニ見テ鮨調セタルヲサヘニテナム不レ食ザリケル、其レノミニモ非ズ、知ト知タル人ニモ此事ヲ語テ、鮨鮎ナ不食ソトナム制シケル、亦物ナド食フ所ニテモ、鮨鮎ヲ見テハ、物狂ハシキマデ唾ヲ吐テナム立テ逃ケル、然レバ市町ニ賣ル物モ、販婦ノ賣ル物モ、極テ穢キ也、此レニ依テ少モ叶タラム人ハ、万ノ物ヲバ目ノ前ニシテ ニ調セタラムヲ、可レ食キ也トナム語リ傳ヘタルトヤ、
p.0956 三條中納言〈某卿〉は、人にすぐれたる大食にてぞ有ける、〈○中略〉一人鮎のすしといふ物を、五六十計おかしらをして、それもしろかねのはちにもりて置たり、〈○下略〉
p.0956 應永六年六月六日丙辰、祇園修行ヨリ明日ノ神事、治部兩人ヘ手紙被レ越、神事ニ付理リ申遣候、追付素麵十把、鮎スシ一桶被レ越候、則治部方ヘモ右同持セ遣候、
p.0956 永祿十一年五月十七日、於二越前谷一朝倉左衞門督義景亭へ御成事、〈○中略〉 一於二會所一參ル進物并獻立之次第〈○中略〉十七獻 あゆのすし
p.0956 慶長八年二月十一日、丹波ノ里夫婦共ニ來、鮎鮓卅上、
p.0956 慶長九年四月四日、しやうぐん〈○德川家康〉より、あゆのすしもじ二おけしん上、
p.0956 鮓魚のあらまし ふな鮨の仕樣 寒の内に漬申候、ゑらを取わたをぬき、頭を打ひしぎ、鹽澤山にため、兩方nan f鮒を鹽のうへへおし付、鹽付候程つけ漬申候、黑米をこはめしにたき能さまし、喰鹽に鹽まぜ、食(しめ)澤山につけ申候、初よりおしつよく置、廿日ほど過ておしを常のすしかげん程によはく置申候、七十 日程過てよくなれ候、よく年夏秋の時分結句風味能ほねも一段と和に成候、是もおしをゆるめ申じぶんに、鹽水をふたの上へため申候、取出し候後、内の魚食(めし)のかたおしに不レ成やうに直し、押をかけ、右の鹽水の、水ため置なり、 鮒早鮨(○○○) 一酒壹升に鹽三合入煎だし、酢一合加へ申候、四五日置には酢不レ入候、食(めし)をさまし、右のせんじ酒にて喰鹽より少からく合申候、鮒に鹽を一時程しませ置、扨ざつと洗右の食にて漬候、是は二日程にて能候、又四五日も置申候、食の鹽生なれよりからく仕候、おしは漬候時nan二時ほどもおしかろく仕、次第々々におしつよくかけ申候、
p.0957 諸國貢進御贄〈中宮准レ之○中略〉 年料〈○中略〉大宰府鮒鮨(○○)一百七十八斤五缶
p.0957 從二永正十三丙子一、至二同十七庚辰歳一記録事、 三月 一鯛一折、鮒鮨一折、御樽十荷、〈恒例進二上之一、仍御太刀被レ下之、〉 中奥加賀入道〈式日は不レ定〉
p.0957 應永六年六月十六日丙寅、昨日神事御禮、嘉定本所へ相詰、源五殿右馬殿、如二例年一御本所へ御禮、振舞出ル、晝ノ祝儀素麵出ス、澤井殿畠中殿ヘ夕飯、汁、〈鹽鴨牛房〉食指身、〈鯉イリ酒ワサビ〉引テ燒物マス、〈○中略〉鮒スシ、鳥味噌、
p.0957 一三月卅日〈○永祿四年未刻〉御成 一總衆へ參獻立、小西仕分、〈○中略〉七獻 ふなのすし
p.0957 三月 一鮒鮨 壹桶 諏訪因幡守樣〈○中略〉 五月 一近江鮒鮨(○○○○) 一桶 一橋下總守樣〈○下略〉
p.0958 鯖の鮓(○○○) 鯖のすし、ほねぬき皮引にして、腹へ粟をむし、しほを合入て漬る、外はふりめしなり、又さばをすしに漬て三枚におろし、かわをひきたヽみて用るもよし、
p.0958 鯖の鮓(○○○) 京師にては、祇園會には、鯖の鮓を漬て客に出す、また鯖の鮓には鹽加減第一也、加減は米壹升に鹽四文目のわりに入れ、飯に焚て至極能加減なりしを、今にては鹽目五文目入ても、水嗅くて加減あしヽ、諸人幸ひ好になりしか、又鹽のきヽの薄く成りしかと云に、是全く左にあらず、近世一統奢の境なれば、前々の如く辛き鹽の下鯖は用ざるゆへ也と、京師の料理に心ある人の話にてしりたり、
p.0958 鮓魚のあらまし 鯛の鮨(○○○) 一鹽貳升水壹升合參升を貳升に煎よくさます、たい三枚におろし、右の鹽水の中へ入、おしを置、二日過三日めに黑米壹升食にたき、扨粕壹升を合、右の鯛にすれ合不レ申樣に漬申候、但鮭の鹽引も鹽能出し、右のごとく仕ル也、〈○中略〉 鱣の鮨(○○) 能洗雫をたらし、三〈ッ〉四〈ッ〉程にみじかく切、一夜酒に鹽を喰鹽nan辛めにまぜ、是にひたし、翌日食に鹽をくい鹽にまぜ、常のごとく漬、おしは中ぐらゐにかけてよし、
p.0958 近江國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉阿米魚鮨、
p.0958 鰯鮓 生いはし、鹽少して酢に漬、其後かすに漬、かすともに用、
p.0958 鮏〈訓二左計一○中略〉 鮨、古者信兩越貢二獻之一、今常奥及所レ有諸州貢レ之、家々亦造レ之、近世有二連子鮨一、呼謂二古計良鮨一、最珍二賞之一、
p.0959 凡中男一人輸作物、〈○中略〉鮒鮨、鮭鮨、醬鮒各八斤、〈○中略〉 越中國〈○中略〉 中男作物、〈○中略〉鮭鮨、
p.0959 慶長八年十一月二日、飛鳥井へ及レ夜見廻、鮭ノ鮓一桶遣候、
p.0959 鮭早鮓 子を酒にて煮、身を作り、子をうへに置、へだてに昆布をして又漬る、飯をすにてあらひ、鹽かげんして、おもし初はかろく、後おもくするがよし、
p.0959 六月神今食料レ十二月准之〈○中略〉 鮨鰒、煮鹽、年魚醬鮒各二升、〈○中略〉 新嘗祭供御料〈○中略〉 鮨鰒、煮鹽年魚、醬鮒各二升、〈○中略〉 右夜料
p.0959 年料〈○中略〉 太宰府〈(中略)鮨鰒一百八斤三缶〉
p.0959 いすし 土佐日記に見ゆ、貽貝の鮨、延喜式に見えたり、枕草紙に名おそろしき部に、いにすしと見えたるも同物にや、
p.0959 凡諸國輸調、〈○中略〉貽貝富耶交鮨各卌六斤、貽貝鮨三斗、〈○中略〉 參河國〈○註略〉 調、〈○中略〉貽貝鮨三斛六斗、〈○中略〉 若狹國〈○註略〉 調、〈○中略〉貽貝保夜交鮨(○○○○○○)、〈○中略〉
p.0959 月料〈○中略〉 腸漬鰒、貽貝鮨、雜鮨、各二斗二升五合、〈○下略〉
p.0960 十三日、〈○承平五年正月、中略、〉船にのりはじめし日より、ふねにはくれなゐこくよききぬきず、それはうみのかみにおぢてといひて、なにのあしかげにことつけて、ほやのつまのいずし(○○○○○○○○○)、<ruby><rb>すしあ</rb><rt>はび(○○○○○)をぞ、こヽろにもあらぬはぎにあげてみせける、
p.0960 ほやのつまのいずしは、眞淵の説のごとく、式に貽貝保夜交鮨とある、これなるべし、つまは妻の義にあらず、交をいふなるべし、すべて物に物をかて交(あ)へるを、つまにするといへるがごとし、いずしは貽貝鮨にて、保夜をつまにしたる貽貝鮨なるべし、〈○下略〉
p.0960 名おそろしき物 いにすし
p.0960 鱗鮨(コケラズシ)
p.0960 すし こけらずしは、本草に玉版鮓と見えたり、又鮏の連子鮨もいへり、
p.0960 鮏 按〈○中略〉一種有二柿(コケラ)鮓者一、鯛、鮪、鮑、章魚、烏賊、 等、 加レ之以二紫蘇、筍、木耳(キクラゲ)一釀レ之最爲二上品一、〈凡鮓、得二蓼山椒一味美、〉
p.0960 こけらずしの仕樣 鮭をおろし、身をひら〳〵とおほきにつくり、めしに鹽かげんしてかきあはせ、そのまヽをしかけ申ばかり也、
p.0960 鮓 鯛、鱸、鯧(/まな)、鯖、鰺、鰹、さわら、にべ、いはし、鰤、ます、鮭しいら、鯉、鰻、此分身取ても又平につくり、こけら鮓に候、鮒、鮎、わたか、はす、はへ、かろヽ、おいかは、此類は丸ずし(○○○)、此類河邊にて鮮をそのまヽ漬れば骨柔らか也、鮒一夜鹽して其鹽を洗、又めしに鹽加減して腹にこめ、脇に結て漬るを生(き/○)ずし(/○○)と云、鮒、鯖、骨をぬくべし、鯔(いな)は七寸計成を骨をぬき、能洗、古酒にたぶ〳〵と漬、一夜して上、魚をかはかし、飯 に鹽を合せ、腹にこめ、粽の笹に卷、桶に雙べ、間々へ飯に鹽令レ結て、押を掛ル、春ハ三四日、夏ハ二日になるヽ、 鱗 (こけらずし) 魚は右に記す、早鮓は飯に酢少灌、〈取合〉蚫、蚶、ゑび、たこ、いか、茄子、木くらげ、笋、しゐ茸、しそ、たで、めうが、はじかみ、精進は、笋、茄子、茸類、うど、一書、雉子ノ身を平に造り、一夜鹽して鮓に漬ル、
p.0961 鮨賣 毛ヌキズシト云ハ、握ズシヲ、一ツヅヽ、クマ笹デ押タリ、價一〈ッ〉六文バカリ、〈○下略〉
p.0961 鮓 ヘツツイ川岸毛拔鮓ハ、一〈ッ〉六文ニテ各々笹卷ニス、卷テ後桶ニ積ミ、石ヲ以テ壓レ之、
p.0961 鮓 散シゴモク鮨(○○○○○○)、三都トモニ有レ之、起シ鮨(○○○)トモ云、飯ニ酢鹽ヲ加フコトハ勿論ニテ、椎茸、木茸、玉子燒、紫海苔、芽紫蘇、蓮根、笋、蚫、海老、魚肉ハ生ヲ酢ニ漬タル等、皆細カニ刻ミ、飯ニ交ヘ、丼鉢ニ入レ、表ニ金絲玉子燒ナドヲ置キタリ、丼ト云ハ、一人分ヲ小丼鉢ニイレテ、價百文或ハ百五十文許也、或ハ數客ノ所ヘ大器ニ入レ出シ、手鹽皿ナドニ取分テ食スモアリ、京坂ニ江戸鮓ヲ傳ヘ製セザル前ハ是ヲ精トシ、押鮓ヲ粗トス、江戸ハ握鮓モゴモク鮓モ同比トス、トモニ精粗アリ、
p.0961 上力にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉おこし鮓をごもく又ちらし(○○○)共云、
p.0961 鮨賣 又天保末年、江戸ニテ油アゲ豆腐ノ一方ヲサキテ帒形ニシ、木茸干瓢等ヲ刻ミ交ヘタル飯ヲ納テ鮨トシテ賣巡ル、日夜賣レ之ドモ、夜ヲ專トシ、行燈ニ華表ヲ キ、號テ稲荷鮨(○○○)或ハ篠田鮨(○○○)ト云、其 ニ狐ニ困アル名ニテ、野干ハ油揚ヲ好ム者故ニ名トス、最モ賤價鮨也、尾ノ名古屋等從來有レ之、江戸モ天保前ヨリ店賣ニハ有レ之歟、蓋兩國等ノ田舍人ノミヲ專ラトス、〈○下略〉
p.0962 山城 六條飯鮨 大和 奈良飯鮨(イヒズシ)
p.0962 飯鮓 六條人家製レ之、精飯長三寸許、四圍寸許物相盛レ之、貼二乾魚皮一片一、堅密壓レ之而出レ之、再盛レ桶以二別飯一酢二藏之一、爲以レ石壓レ之、是謂二飯鮓一、或號二月夜一、以二其色白一也、熟後盛二磁器一、灌二冷酒一加二生蓼(タデ)葉一而食レ之、是又夏日珍味也倭俗量レ飯之器謂二物相一、或一合、或二合、或三合、隨レ用而有レ之、相木形之謂也、毎年西本願寺門主待二藤花開一、而與二飯鮓一被レ獻二禁裏院中一、凡松蕈竹笋茄子、皆傚二魚鮓一而藏レ之、〈○下略〉
p.0962 飯鮓銘 〈吾仲〉 飯鮓はいづれの時よりか、もてはやしけむ、此六條の銘物にはいへりけり、今はおほやけの奉りものにかぞふれば、下ざまの人は日を限りても待べし、まして卯の花の咲ころは、此ものヽけしきも淸からんに、藤の花の咲時に、それら節をあはせたらん、いかなる人の深き心の侍りけむ、是にて二季(フタキ)草の名も、世の人はいふべし、器物は杉の香もてつけたる折に入て、此花をかざしにも又は文など付てもやるべし、かくこと〴〵しきやうなれど、すべて上ざまのもてあそびもの也、長良の鮎はむかしをしのぶより、梅津かつらの名にしられて、大津松本の旅人も、笠かたぶけずといふ事なし、かの茄子たけの子の鮓といへば、何のこけらにも似かよひて、あま法師のこがれものならんに、是は形のもてはなれたれば、人の得しらぬも尤なるべし、是に黄な粉といふものを、など添ては給はらぬぞと、ある人のいひたるを、飯ずし見るたびの笑ひ草にはいふなるべし、其銘にいはく、 以レ飯名レ鮓 鮓而非レ飯 一點二鱧皮一 十重二鳥子一 色於レ雪白 香非レ梅酸 藤花漸暗 橘香已近 貴介尤褒 下臈未レ知 昔 和玉 似レ之是照
p.0963 松茸すし(○○○○)の漬樣 一新敷松茸をよく洗、常のごとくに切、湯をたヽせ、ざつとゆであげ、白米をこわくめしにたき、鹽かげん人々口にあふほどにして、新敷桶に松茸一通ならべ、其上に食を置、又松茸一通置、上にめしを置、一日置て明日めし共に出しくふ也、
p.0963 御膳神八座〈○中略〉 雜鮨(○○)六十斤〈○中略〉 六月神今食、十二月准レ此、〈○註略〉 小齋給食、總二百六十二人、〈○註略〉五位已上一人、〈○中略〉雜鮨九兩、〈○中略〉六位已下一人、〈○中略〉鮨七兩、〈○中略〉 鎭魂〈○中略〉 雜給料、參議已上、人別〈○中略〉鮨二斤四兩、雜鮨十一兩、〈○中略〉五位已上卅人、人別〈○中略〉鮨二斤四兩、〈○中略〉 六位已下二百六十人、人別〈○中略〉鮨二兩、〈○中略〉 新嘗祭〈○中略〉 小齋給食總三百卅四人、〈○註略〉五位已上一人、〈○中略〉鮨八兩、〈○中略〉六位已下一人、〈○中略〉鮨六兩、〈○中略〉 右依二前件一、其男辰日旦、女卯日夕、辰日旦給レ之、〈○中略〉 同會皇后宮小齋人卌二人、〈○中略〉六位已下一人〈○中略〉鮨六兩、〈○中略〉 宴會雜給 親王以下三位以上并四位參議、人別〈○中略〉雜腊鮨各二斤、〈○中略〉四位五位并命婦、人別〈○中略〉雜魚鮨各四兩、〈○中略〉 右新嘗會宴食料依二前件一、〈○下略〉
p.0963 親王以下月料 無品親王内親王、〈○中略〉 鮨十五斤〈日八兩○中略〉 妃〈○中略〉 鮨廿五斤十兩〈日十三兩二分一銖○中略〉 夫人〈○中略〉 鮨廿斤〈日十兩二分四銖〉 女御〈○中略〉 鮨九斤六兩〈日五兩〉
p.0964 供御月料〈○中略〉 雜鮨二斗三升二合五勺〈○中略〉 右月料、小月减二卅分之一一、
p.0964 造二雜魚鮨(○○○)十石一、味鹽魚六斗、〈河内國江厨所レ進〉料布十六段、信濃麻百斤、白米一石、鹽一石三斗、造二醬鮒鮨鮒(○○)各十石一、味鹽鮒三石四斗、〈近江國筑摩厨所レ進〉造缶卅口、商布十八段、信濃麻一百斤、酒五斗、米一石、鹽八石、醬大豆二石五斗、
p.0964 魚鮓 集解、作レ鮓法(○○○)、取二生魚最鮮者一、去二腮腸及鱗一、洗淨數次、先用二白鹽一壓レ魚者一周時、或用二鹽水一浸一夜、取出壓取レ水、或久醃者亦用、倶拭淨別煮二白粳米一作レ飯、待レ冷入二鮓桶一埋レ魚莫レ令二魚、兩々相捎一、而隔レ之以レ飯、用二木蓋一緻塞二桶口一、要レ當二桶裏飯魚一、還壓二蓋上一以二兩三石一、令二緊縛一レ之、經二兩三日一而鮓水溢二于蓋上一、復經二一兩日一而熟、不レ腥不レ鹹不レ堅不レ酸、此爲二上饌一、有二少酸味一亦好、其半熟者亦可、浸レ醋食、此俗謂二生成一(○○/ナマナレ)、至二其酸臭時一則不レ用、最爲レ有レ毒、是不レ日生レ蛆者也、復有二早成法一(○○○)、有二一夜鮓法一(○○○○)、倶切二魚肉一令二細薄一、或加用二鰒鰕橙蓼薑之類一、各浸二煖鹽水一者飯熟時、飯熟而取二出鹽水之切肉一、以攄二乾之一、待二飯半冷一、而抹二魚肉一合二好醋少許一、混雜入二鮓桶一、掩レ蓋載二小石一壓二于魚飯一置二煖處一、或以レ蓋塞レ桶、用二長繩一重々緊縛二于暖處大柱一、倶不レ過二一日夜一而熟成焉、有二經年鮎鮨法一(○○○○○)、亦妙、諸魚僉可レ作レ鮓、鮒鮎最美、就レ中江之鮒、濃之鮎、爲二本朝第一一、鯛鮏鯔鰺鰻之類亦佳、而諸家爭二誇造成之法一焉、
p.0964 魚鮓 李時珍但言、以二鹽糝醞釀一而成也、按近世造二魚鮓一法、毎二大魚一片一切作二片臠一、不レ得レ犯レ水、以二淨布一拭乾、夏月用二鹽一兩半一、冬月用二鹽一兩一、待二片時醃魚水出一再擗乾、次用二薑橘絲蒔蘿紅麯饙飯并葱油一、拌匀入二磁 一、 實箬葉蓋、竹簽插覆、 去レ滷盡即熟、或以二元水一浸、内緊而胞、此與二本邦之鮓一、邈相隔矣、
p.0965 作二魚鮓一第七十四 凡作レ鮓、春秋爲レ時、冬夏不レ佳、〈○註略〉取二新鯉魚一、〈○註略〉去レ鱗訖則臠、臠形長二寸、廣一寸、厚五分、皆使二臠別有一レ皮、〈○註略〉手擲二著盆水中一、浸洗去レ血、臠訖漉出、更於二淸水中一淨洗、漉二著盤中一、以二白鹽一散レ之、盛二著籠中一、平板石上迮去レ水〈○註略〉水盡炙二一半一、嘗二鹹淡一、〈○註略〉炊二秔米飯一爲レ糝、〈○註略〉并茱萸橘皮好酒、於二盆中一合二和之一、〈○註略〉布二魚於甕中一、一行魚一行糝、以レ滿爲レ限、腹腴居レ上、〈○註略〉魚上多與レ糝以二竹蒻一交二横帖上一、〈○註略〉削レ竹插二甕子口一、内交横絡レ之、〈○註略〉著二屋中一、〈○注略〉赤漿出傾却白漿出、味酸便熟、食時手擘、刀切則腥、〈○下略〉
p.0965 鮓 按釀レ鮓法、鹽少糝壓レ之一夜、拭二淨水氣一、用二冷飯一藏二于桶一如二糟漬法一、而春冬四五日、夏秋一二日熟、凡江州鮒、濃州鰷、和州吉野鰷、〈名二釣瓶鮓一〉城州宇治鰻 、〈名二宇治丸一〉攝州福島小鰡、〈名二雀鮓一〉和州今井鯖、皆得レ名者也、
p.0965 鮨賣 又因云、京坂ノ鮨酢味強クスルヲ良トス、近年江戸ノ製酢味甚ダ淡シ、鮨ノ本意ヲ失ス、
p.0965 山城 守治川饘鮓〈是を<ruby><rb>宇治丸</rb><rt>○○○と云〉
p.0965 鮨 此魚は都に馴し鮨ながら世にうぢ丸と人はいふなり 榮治
p.0965 宇志丸鮨(ウシマルノスシ)〈江州鰻 勢多之産爲二最上一、然其肥大者土俗謂二之宇治丸一、〉
p.0965 釣瓶鮨(ツルベズシ/○○○)〈和州吉野所レ出、鮎鮨也、〉
p.0965 國々土産、所々珍奇、日々進物菓肴衣服器財以下、雖レ令二混亂一、任二思出一粗馳二禿筆一訖、〈○中略〉疋田(○○) 鮎鮓(○○)、釣瓶鮨、
p.0966 大和 吉野釣瓶鮓〈鮎也、枉物ニ入、藤ニテ手ヲスル故ニ云、〉
p.0966 攝津 福島雀鮨(○○)〈江鮒也、腹ニ飯ヲ多入タルガ、雀ノ如クフクルヽヲ以云ナリ、〉
p.0966 攝津名物の内、雀鮓江ふな也、腹に飯を多く入たるが、雀のごとくふくるれば、かくいふなりといへり、江ふなとは、江戸にておぼこといふいなの子なり、後撰夷曲集、ちよこ〳〵とおどれどへらぬ我腹は飯の過たる雀鮨かも、山井、はねのはへた飯に漬てや雀ずし、〈意朔〉めしのこはきをはねのはへたと云もふるし、五元集、五月十日、雷雨永代島の茶店にやどりして、明石より神鳴晴て鮓の蓋、〈貞享頃の吟なるべし、此句源氏明石卷、雷雨の事をおもひていへり、鮓の蓋にはむかし傘の紙を用たり、〉思ふに今諺に神なりならねば放つまじなどいふ、此句これなるべし、鮓はなるヽまでは、容易に蓋を開かざるもの故、かみなりによつて、蓋を開くと作れるなるべし、
p.0966 福島雀鮨を 口のうちにはおとの高くきこゆるは喉を飛こす雀鮨かも 惠立
p.0966 紀伊國屋於滿鮓〈上槇町新道〉 何歳初開鮓屋店、連綿數代市中鳴、海苔玉子鹽梅妙、知是女房於滿情、
p.0966 文化のはじめ頃、深川六軒ぼりに松がすし(○○○○)出きて、世上すしの風一變し、〈○下略〉
p.0966 安宅松鮓(○○○○)〈御船藏前〉 本所一番安宅鮓、高名當時莫レ可レ并、權家進物三重折、玉子如レ金魚水晶、
p.0966 與兵衞鮓(○○○○)〈向兩國元町〉 流行鮓屋町々在、此頃新開兩國東、路次奥名與兵衞、客來爭坐二間中、
p.0966 吉原通鮓(○○○○) 吉原名物兩三種、通鮓此頃製尤寄、遊客通來多喰盡、樓中首尾十分宜、 柳庵書
p.0967 文政末頃ヨリ、戎橋南ニ松ノ鮓(○○○)ト號ケ、江戸風ノ握リ鮓ヲ賣ル、烟華ノ地ナルヲ以テ粗行レ、後ニ大西芝居西隣ノ角〈江〉轉店シ、是亦今ニ存ス、是大坂ニテ江戸鮓ヲ賣ルノ始也、余在坂ノ時ハ、此一戸ナリシガ、今ハ諸所ニテ賣レ之ト也、其外鮓ニ名アル道頓堀相生橋南ヅメ杉山、新町東口ノ鮓、サマバ明石淀川鮓麁製ニ大也、〈○中略〉 江戸鮓ニ名アルハ、本所阿武藏ノ阿武松ノスシ、ヲ略シテ松ノ鮓ト云、天保以來ハ、店ヲ淺草第六天前ニ遷ス、又呉服橋外ニ同店ヲ出ス、東兩國元町與兵衞鮓、〈○中略〉深川横櫓、小松鮨、〈○下略〉
p.0967 近江 源五郎(○○○)鯽(○/ブナ)〈獵師大ナル鮒ヲ取度ニ、源五郎ト云聟ノ方ヘ遣ス故ニ、是ヲ源五郎ト名ツク、〉同鮨(○)〈○中略〉大溝紅葉鮒同骨拔鮓(○○○) 出羽 ハタ〳〵鮨(○○○○○)〈 ニ似タル魚也〉
p.0967 一鯔 氷見曲鮨(○○○○) 越中氷見にて仕込ぼらのすし也、昔は魚大きにして桶に曲漬込故にいふ異名也、近年段々魚ちいさくして曲鮨のせんなし、尤名物也、春に至て風味ヲ增、
p.0967 越中 松波鮓(○○○)〈世俗ニ<ruby><rb>虵ノ鮓</rb><rt>○○○ト云、龍ニ似タル魚ト云、〉
p.0967 蛇鮓 俗に稀なる食物のことによそへて蛇鮓と云、全く據なきにあらず、王子年拾遺記、〈前漢昭帝紀〉帝常 以二季秋月一泛二衡蘭雲鷁之舟一、窮晷係レ夜釣二於臺下一、以二香金一爲レ鉤、 絲爲レ綸、丹鯉爲レ餌、釣二得白蛟一、長三丈若二大蛇一、無二鱗甲一、帝曰非レ祥也、命二大官一爲レ鮓、肉紫骨靑味甚香美、班二賜群臣一、帝思二其美一、漁者不レ得二復得一知レ爲二神異之物異一とあり、又龍鮓と云るもあり、晉書張華傳云、陸機嘗餉二華鮓于賓一時、客滿レ座、華發器便曰、此龍肉也、衆未二之信一、華曰、試以二苦酒一濯レ之、必有レ異、既而五色香起、機還問二鮓主一、果云園中第積下得二一白魚一、質状殊レ常、以作レ鮓過美、故以相獻と見えたり、
p.0968 魚鮓 本國にて魚鮓の製數種あり、中にも府下の雀鮓(○○)、〈吉鬣魚兒の鮓をいふ〉那賀郡粉河村の香魚の鮓(○○○○)は、近國へ出して其名高し、
p.0968 江戸鹿子、〈貞享四年〉鮓并食すし、舟町横町近江屋、同所駿河屋とあり、只鮓と有は數日漬たるをいふ、增補江戸鹿子、深川鮓、〈深川富吉町柏屋〉御膳箱鮓、〈本石町二丁目伊勢や八兵衞、交鮓、切漬、早漬、其外望次第云々、〉是にても食物賣し處少きを知らる、温故集、地紙箱木の下闇を宿とせば、〈蓮谷〉鮓や今宵の蓋をとらまし、〈貞佐○中略 寛延ごろの繪、兩國橋廣小路に鮓賣の出たる處を書しに、今の凉み臺めくものを置き、其上に賣人居、鮓箱と、旁にあん燈あり、〉衣食住の記、芝の神明祭禮には、醴鮓の名物にて、右祭禮の外は、常に鮓、あま酒の店賣はなかりしに、芝邊にて醴を賣はじめ、鮓を賣出し、近年おまんずし、わけて夜のにしき鮓、醴は三國一の名物になる、〈此説おぼつかなし、神明祭によりての事と聞ゆ、江戸鹿子等に其邊の鮓屋みえず、〉
p.0968 おまん鮓は、寶暦の頃よりと覺ゆ、京橋中橋おまんが紅といふより、居所の地によりて、おまんずしと云たるなるべし、此ころまでも當座鮓を賣(○○○)事は稀也、鮓賣といふは丸き桶の薄きに、古き傘の紙をふたにして、いくつも重ねて、鰶の鮓、鯛の鮓とて賣ありきしは、數日漬たる古鮓(○○)也、
p.0968 鮓 江戸ハ鮓店甚ダ多ク、毎町一二戸、蕎麥屋一二町ニ一戸アリ、酢屋名アルハ、屋體見世ヲ置ズ、普通ノ見世ハ專ラ置レ之、又屋タイミセノミニテ賣モ多シ、
p.0968 鮨賣 三都トモニ自店、或ハ屋體見世ニテ賣レ之アリ、唯京坂ニ巡二賣之一者無レ之、江戸ニテモ或ハ重ネ筥ニ納テ肩レ之、或ハ御膳籠等ヲ擔ギ賣ルモアリ、初春ニハ專ラ小ハダノ鮓ヲ呼賣ル、〈○中略〉 又因云、江戸ハ京坂ヨリ諸小賣多ク、特ニ鮨、蕎麥ノ二店大略毎坊在レ之、〈○下略〉
p.0969 諸職名匠諸商人 鮓并食すし 舟町横町 近江屋 同所 駿河屋
p.0969 江戸名物并近國近在土産 深川鮓 深川富吉町 柏屋 御膳箱鮓 本石町二丁目南側 伊せや八兵衞 交鮓、切鮓、早漬、其外色々望次第有レ之、
p.0969 〈御膳一流〉おまんすし 本店 〈堺町通元大坂町〉ふしや利右衞 出店 〈淺草並木町〉 ◎〈御膳〉すし所 〈新よし原あげ屋町〉太田屋與兵衞 〈御膳〉きんとんすし 〈新よし原あげや丁〉よろづや卯兵衞 〈御膳〉つるべすし 〈日本橋通四丁目〉よしのや久藏 〈御膳名物〉笹卷鮓品々〈御誂御重箱詰御遣ひ物御望次第日本橋品川町〉西村屋平兵衞 〈名代〉御鮓所 〈赤坂傳馬町二丁目〉吉野屋藤右衞門 〈大坂〉御膳(なには/めいぶつ)御鮓所 〈芝宇田川町〉龜屋九右衞門 〈吉野〉御つるべ鮓所 〈本家〉大和國吉野郡下市村 〈横山町二丁目〉御鮓屋彌右衞門 〈御膳〉ねさめすし 〈本石町一丁目北側中程富山のうら〉美濃屋喜八 〈御膳〉けぬきすし 〈へつついがしやぐら下〉笹屋喜右衞門 〈御膳〉吉野すし 〈神田すじかい御門外はたご町壹丁目〉よし野や武兵衞 〈御誂〉あつますし 〈市谷左内坂町〉海老屋喜太郎 〈於滿御膳〉御鮓所 〈にほんばし南通四丁め西しん道〉きのくにや藤ゑもん 〈御膳ひと夜すし笹まきすし〉 〈日本橋北さや町〉いづや平七 御膳御鮓所 〈元飯田町中坂上南側〉美濃屋源右衞 〈御膳〉若葉すし 〈湯島切通シ下〉鈴木丑太郎 〈御折詰御重詰御桶詰〉 〈其外御誂御好次第仕候〉 〈御膳〉初音すし 〈吹屋町がし〉たんばや市右衞門 〈三國一流〉御鮓袖しか浦〈にしきすし笹まきすし〉 〈おまんすし折すし〉 〈人形町通田所町〉すしや六右衞門 〈御膳一流〉翁すし 〈村松町三丁目〉西村屋伊兵衞 御上りつるべすし 本家大和國下市村彌助 〈淺草かや町二丁目〉すしや彌三右衞門 〈江戸前〉地引すし 〈中橋廣小路〉ゑどや十兵衞 〈風流小判すし〈名代〉あやめすし〉 〈赤坂田町四丁目〉桑田屋製
p.0970 凡鮓ハ冬食レ之コト常平ヨリ減ズルガ故ニ、江戸ニテハ十月以後、鮓店ニテ專ラ鮒ノ昆布卷ヲ製シ兼賣ル、蓋前ニ云ル如キ名アル鮓屋ハ、是ヲ賣ラズトイヘドモ、普通ノ店ニテハ必ズ兼レ之也、京坂ニハ、別店ニテ賣レ之ノミ、スシヤニテハ賣ラズ、
p.0970 鮨賣〈○中略〉 毛ヌキズシノ他ハ、貴價ノモノ多ク、鮨一ツ價四文ヨリ五六十文ニ至ル、天保府命ノ時、貴價ノ鮨ヲ賣ル者、二百餘人ヲ捕テ手鎖ニス、其後皆四文八文ノミ、府命弛ミテ近年二三十文ノ鮨ヲ製スルモノアリ、
p.0970 鶚鮓(ミサゴズシ/○○) 西海巖上の窪中に往々鶚鮓あり、海上の人探り得て珍味とす、是は海鳥小魚を捉りて石窪の中に貯へ潮汐に漫漬し、自然に熟せる物なり、丹後へ行きし人咋ひたりとて、状に鵃の字を書きておこせたるが讀めずと云ふ人ありし、説文に鵃は似二山鵲一小とありて、魚をとるさたはなし、關睢の疏の郭璞曰、雎鳩は鵰の類なり、今江東呼びて爲レ鶚好みて食レ魚とあれば鶚の字がよし、
p.0970 みさご鮨は、みさごは詩經に雎鳩と詠じ、本草には鶚といへり、名物辨解にみさご、本邦古より有レ之、日本紀〈景行紀〉に覺賀鳥といへり、形鷹に似て深目赤黑色なり、水禽には非ずして、水邊に魚を掠食ふ、或は魚を取貯へ、岸の沙石の間に積置を、みさごの鮓と云ふ、漁人或は好事の人探得て、不レ加二鹽醬一して食ふ、味は人の作れる酢に似たりといふ、本草啓蒙に、深山の巖陰に魚を多く積重置を、みさごの鮓といふ、是冬の貯なり、人これを取に、重ねたる下の魚を取れば、追々新に魚を含み來りて積重ぬ、もし積たる上の魚を取れば再び含み來らず、又樹枝の繁茂したる處 に、柴を襯してその上に魚を積重ぬるもあり、此等の鮓久しくなりたるも腐らず、人取て賞食すといへり、秋坪新語、忠州山中黑猿善釀レ酒ことを載、猢猻酒といへり、みさごずしに對すべし、
p.0971 鮓鮓 鵢鮓(ミサゴズシ)は、鵢と云鳥、沖にて浮みゐる魚を爪にかけ、海岸の巖に生たる藻を掻分て埋み置を、海士の子藻の影より是を取食する也、藻の上より取る時は、重ねて漬る事なし、下よりとる時は、しけ日和の食料にとか、いやが上にも漬置物也とて、海邊の者に聞たり、
p.0971 一すしは、刀をなびけて一文字に切て、すぎもりにする也、
p.0971 鮨賣〈○中略〉 因曰、京坂押レ之時、及ビコレヲ器ニ盛ルニ、必ズ葉蘭ヲ用フ、又音物ニ用フル時、鉢重筥等ハ三都トモ用、或ハ京坂籜裏ニス、江戸自食ニハ同レ之、音物ニハ麁折ヲ用フ、白杉板製ノ折也、俗ニサヽオリト云、〈○下略〉
p.0971 抑鮓 鮓を漬ることを、何れの書にも爲鮓とのみあり、二字不雅して、詩などには入れがたし、芥隱筆記に云く、宋景文詩、蟹美持レ螯日、魚香抑レ鮓天、用二楊淵五湖、賦連 抑鮓一、といへり、これ今いふすしをおすといふによくかなへり、又鮓桶を鮓 と云ふべし、
p.0971 公方家 尾公鮓獻上は、五日目〳〵なり、