p.0419 擽鬢㕞 文選云、勁㕞理レ鬢、〈季善曰、通俗文所二以理一レ鬢謂二之㕞一也、刷音雪、〉釋名云、纛〈音盜〉導也、所三以導二擽鬢髮一也、或曰二擽鬢一、〈擽音歷、和名加美賀岐(○○○○)、〉
p.0419 所レ引嵇康養生論文、注鬢、原書作レ髮、此作レ鬢恐誤、〈○中略〉北堂書鈔引二東宮舊事一云、太子納レ妃、有二漆畫猪氂㕞大小三枚一、則知㕞雖レ所二以理一レ髮、然非二加美加岐一也、又按㕞、拭也、爲二帥レ髮具名一者、轉注也、〈○中略〉源氏物語眞木柱卷、榮花物語初花卷、謂二之加宇加伊一、卽加美加岐之一轉也、按今俗婦人首飾有二加宇加伊(○○○○○○○○○○○)一、蓋所二以拘レ髻令一レ不レ亂者、卽是簪、非二㕞導之類一、宜三呼爲二加无左之(○○○○○○○)一、今俗呼二加无左之一者、插頭花之屬、蓋加佐之也、
p.0419 鬒髮如レ雲、不レ屑レ髢也、玉之瑱也、象之揥(○)也、傳、〈○中略〉〈揥所二以摘一レ髮也、〉
p.0419 箆〈邊兮反 カムカキ 白云銀箆〉 笄〈音雞〉 鈿〈音田、婦人首餝、〉 篦 纓〈已上同〉 擽鬢㕞〈カムカキ、歷賓二音、理レ髮謂二之㕞一、〉 勁㕞鬢 纛〈已上同〉
p.0419 髮搔(カフカイ)〈鉤匙(同)〉筓(同)
p.0419 かうがい 髮搔の義也、倭名鈔に擽鬢㕞、かみかきとみえて、かうがいは其音便なり、本草に搔頭尖ともみえたり、刀に副るかうがいも同物なるべし、〈○中略〉古へ髮を括り上て、かうがいにて留たり、兜鍪など著る時は髮を亂し、其かうがいを太刀にさす也とぞ、
p.0420 かみかき 倭名鈔に、擽鬢馭をよめり、今搔板といふ物成べし、元服にも用う、鬢板も同じ、
p.0420 筓 かうがい かみかき
かみかきを、音をかよはしてかうがいと云は、ミをウと云ひ、キをイといふなり、髮搔にて、頭髮のうちのかゆき時にかくものなり、これを後には首の飾りにせしものなり、されば男女ともに用うることなり、
p.0420 揥枝(かうがい) 抿子 俗云加宇加伊
詩魏風云、佩二其象揥一、女子著二揥於首一、男子佩レ之、蓋揥枝整レ髮釵也、
三才圖會云、揥所二以摘一レ髮、以二象骨一爲レ之、若二今之箆兒(ヘラ)一、古今註云、秦穆公以二象牙一爲レ之、敬王以二玳瑁一爲レ之、始皇金銀作二鳳頭一、以二玳瑁一爲レ脚、號曰二鳳釵一、
p.0420 髮搔(カウガイ)〈筓(カウカイ)〉
筓は刀の具、〈增〉古へは髮を搔くに用う、後世には婦人裝飾の品となる、又刀の鞘中に插むものをいふ、
女の筓は、三河及遠州にてほせ(○○)と云、
p.0420 神代の髮の飾 笄
笄(かうがい)は本字筓(けい)なり、御國にて古書に髮搔(かうがい)とも書たれば、此物の本用は、今の毛筋立(けすぢたて)の如くにつかひ、あるひは髮の内の痒きを搔物としたるなり、
笄を髮の飾に插はじめたる起原
元祿中頃にいたり、笄髷(かうがいわげ)といふ髮の風、京より起り、諸國にうつれり、其結ぶりは、笄を髮の根もとにさし、これに髮を卷つけて狀(かたち)をなすなり、〈○註略〉笄は髮を理(つくろふ)物なるを、始て髮に刺物になりしは、 此笄髷おこりしよりの一變なり、〈○中略〉此後十五年たちては、稍々飾りに插物になりしや、眞葛原、〈享保六年板、鷺水撰俳書、〉あらひ髮にはさゝぬかうがい、〈付〉照のよき縮にすかすお湯の肌、前句の笄を玳瑁として照のよきと附たれば、享保ごろ〈今より百廿年ばかり〉よりかざりにもさしたりけん、しかれども皆一枚甲のひきぬきにて薄き物なり、俳書十七回、〈享保八年板、淡々撰集、〉かうがいの反(そり)たがるのは誰に似る、〈付〉極暑はおそきかまくらの道、鎌倉見物の旅の女中、菅笠の下なる笄、日の照と頭熱にて反りたらんとの句なり、笄のうすかりし證とすべし、
p.0421 貞享年中女の頭に飾物十六品
貞享五年京板盛衰記、〈卷三〉今の女、むかしなかつた事どもを仕出して、身をたしなむ物の道具數々なり、首筋より上ばかりに入用の物十六品あり、〈○中略〉かうがい〈こゝにかんざしをかぞへざるにて、今より百五六十年前は、くじらぞうげなどのかうがいのみにて、かんざしはさゝざりしをしるべし、○下略〉
p.0421 揥枝簪の事
婦女の用ふる揥枝といへる物は、其始は髮をけずる具にて、髮を止めおくものにはあらず、近世揥枝髷といふ振出てより、髮鍵(かゝえ)の物とはなりぬ、古製は楊枝の如きものにて、竹或は角鯨の鰭にて甚素朴なるもの也、
p.0421 髮を結號の事
今の世に兩輪(りやうわ)といふ髷振を、むかしは筓曲といひしなり、異本女用訓蒙圖彙、〈元祿元年印本、此書貞享板本と同本、所所吹し敖、暫異本といふ、〉筓髷は、下髮せし奉公人など、其勤しまひ内々の局などに入、くつろぎまたはおのがじゝうち寄時、下髮は身持むつかしき故、くる〳〵と廻して筓にて假にしめ置たるなり、〈○中略〉此髻振も寬永の頃ほひよりありこしもの歟、左に證出する古書どもを見てしれ、知歌竹〈用附云々といへる條に、髮にかうがいをつけたりとあり、此書奧書に万治三年とあり、〉 諸國万句〈承應元年印本、三之卷十句第四、〉
前句 手ぎわにほりし家のかうがい 正之
附句 上臈はいとゞふりよき髮のわげ 信親
玉海集〈明曆二年印本、一囊軒安原貞室撰、春の部一の卷、〉
おのが枝をかうがいにさせ柳髮 行正〈○中略〉
女用訓蒙圖彙、貞享四年印本卷之三所載、かうがいわげの圖、〈○圖略〉是より古きもの未レ見、筓のかたち楊枝の如し、西鶴大鑑一之卷、銀の筓を楊枝にさしかへ云々といへるも考べし、物類稱呼四之卷に揥、參河及遠州にてほせと云々、〈春明云〉今も此五十瀨の國〈○伊勢〉には、木にもあれ、竹にもあれ、小さく扮しをほせくらといへるもおもふべし、
p.0422 髮飾の事
一揥枝(かうがい)は御三の間以上、朝鮮形か、貝なり形を用ふ、
一同じ老若女の外は、角形にく太く短き品をも用ゆ、
一御廣式附若き女中は、角形にて差込の花小さきを用ゆ、
一兩添、後ろ指、總女中とも禁ず、
一揥枝は、御使番以下、角形にて長く目だつ品をば用ゆ、
p.0422 洛の燈籠菴は、そのむかし小松内府〈○平重盛〉の燈籠を造られし所なれば、その名殘れりとぞ、六波羅より東南にあたりて小高きところなり、あるとき家をつくるとて、そのあたり掘けるに、筓の如きもの多く出たり、赤がねにしてその形丸く、左右に圓く合せたる玉の如きもの附たり、一尺あまりあり、予〈○柳澤淇園〉が友文鎭にしたるを見たり、古雅いはんかたなく至ておもし、往昔の質素たるをおもひやるべし、
p.0423 おもふに物の流行、江戸は足早く、京都は足遲し、十年跡に京に登りて見たるに、帶の幅のせまき、筓の長(○○○)き等、江戸にてむかし流行せし事、其まゝにて有やうに思へり、
p.0423 筓〈カウガヒ〉之事〈○中略〉守貞曰、所詮笄ハ元來㧧具也、筓髷アリテ以來、髷ヲ止ル具トナル、又昔ハ筓簪トモニ形相似タリ、恐クハ一物二名歟、享保以來、耳搔アルヲ簪、耳搔ナキヲ筓ト云テ二物トナル也、又筓モ昔ハ竹、角、鯨髭ヲ以テ製レ之、
p.0423 筓
文化前、筓長大略一尺二寸、幅五分、兩端漸ク廣ク薄ク耳圓也、〈○圖略〉又右ト同形ニテ、象牙製ノ筓、端ヨリ一寸バカリ下テ、唐花ノ定紋〈○圖略〉ヲ漆書ニシタル兩端兩面トモ、四紋アル物、余〈○喜多川季莊〉近年歸坂ノ序、洛ニテ買二得之一テ、今モ藏セリ、〈○中略〉
今世〈嘉永中也〉京坂式正所用鼈甲製〈○中略〉
筓 長ケ概八寸、或八寸五分、其他如レ圖、〈○圖略〉或ハ幅五分半、今世京坂ノ筓兩端角也、古製ハ兩端圓也、
p.0423 筓〈○圖略〉
地黑漆金蒔繪ヲ專トシ、近世用レ之、此形モ全ク無地金ノ上ニ蒔繪スルモアリ、又央黑ニテ兩端ノミ無地金或ハマキエモアリ、
p.0423 寶曆六年印本ニ所レ載少女圖〈○圖略〉
島田曲
如レ此鬂髱ヲ制セザルハ、大凡十二三ノ小女ト見ユ、然ルニ筓ヲ用ヒタリ、是今世ニ爲ザル所也、〈○中略〉當時ノ筓或ハ直、或ハ上ニ反ル、
p.0423 今世江戸市中所用鼈甲製圖〈○圖略〉 筓 極上製ハ全白甲ナレドモ稀也、多クハ上製ト雖ドモ、央ニ黑甲ヲ交ル、黑甲江戸ニテバラフト云、京坂ニテハモクト云、或ハフト云、〈○中略〉
江戸ノ筓ハ、片端角、片端圓也髷テ後ニ圓ノ方ヨリ插シ貫ク也、
p.0424 江戸吉原遊女之扮ハ、京坂ノ太夫天神ヨリ甚ダ華也、江戸市中ノ筓ハ、當時甚ダ短カケレドモ、遊女ノ筓ハ、今モ長キヲ用ヒ、櫛モ甚ダ大形ナルヲ二枚サシ、〈○下略〉
p.0424 櫛挽 挍槩(○○)又これを商ふ、竹(○)、角(○)、象牙(○○)、鯨のひれ(○○○○)をもつて造る、
p.0424 一母屋調度
甲筥懸子納、〈○中略〉髮搔(○○)、〈平(○)二〉〈二兩一分〉〈細(○)二〉〈二兩〉〈○中略〉
懸子納、〈○中略〉平髮搔(○○○)四枚、〈四兩二分、各一兩三朱、單功八疋、各二疋、○中略〉細髮搔(○○○)四筋、〈四兩各一兩、單功八疋、各二疋、〉
p.0424 わらは殿上のこと
かゝげのはこのふたに、〈○中略〉ときぐし一枚、ひらかうがい(○○○○○○)一つ、あぶらつぼにあぶらわたいれて、こがたなひとつ、これらをかゝげのはこのふたにいれて、さうぞくにぐしてとりいだすなり、
p.0424 かうがい
老談記に、信長公より印とて、金の髮搔(○○○○)を給はりけり、其人の名をとひしに忘れしといへり、
p.0424 臨時の祭の使は、とのゝ權中將〈○藤原敎通〉の君なり、〈○中略〉ありしはこのふたに、しろがねのさうしばこをすへたり、かゞみをしいれて、ぢんのくし、白がねのかうがい(○○○○○○○○)など、使のきみのびんかゝせ給べきけしきをしたり、〈○又見榮花物語一〉
p.0424 古帳よりは十八人口
銀の筓に金紋を居させ、さんごじゆの前髮押へ、針がね入の刎鬠(はねもつとひ)を掛て、〈○下略〉
p.0424 心を染し香の圖は誰 過にし頃、勝尾寺の開帳に、大和屋甚兵衞誘ひて參詣しけるに、〈○中略〉後よりいまだ十六と見て十五なるべき美女の、〈○中略〉おとし懸のはね鬠(もつとひ)、すかし形のさし櫛、金銀(○○)延分(のべわけ)のかうがい(○○○○○)、〈○中略〉いづれに一つ惡き物好なく、あらのまゝなる素面、萬にいふべき所なし、
p.0425 元文年中三味線ノ根緖ニテ、〈○圖略〉ケマンムスビニシテ、カウガイニサシ、其外スヾ(○○)ノ類ニテ、コノ如ク拵ヘカウガイトス、
p.0425 守貞云、右ニ筓ト云、乃今ノ簪也、其頃ハ簪ト云ズ、總テ筓ト云歟、
p.0425 享保末ヨリ、ピイドロ筓(○○○○○)ハヤル、筆ノ輪ノヤウニシテ五色ノ綿ヲ入タリ、後ニハビイドロヲ捻リテカウガイニサス、
p.0425 角細工(○○○) 梗槩(○○)櫛揥、〈○中略〉角、象牙をもちゆるたぐひ、これをつくる、寺町通を始め處々にあり、
p.0425 象牙(○○) 以二象牙幷水牛角一造二器物一、〈○中略〉凡書畫卷末軸多用レ之、近世婦人櫛篦(○)又用レ之、
p.0425 延享元年、金銀ノ櫛筓カンザシ堅ク御停止、其後象牙、ツノ、ベツカフ、錫等ニテコシラヘサス、寬延ヨリ御停止ニカマハズサスナリ、
p.0425 明曆アタリ迄ハ女ノカウガイ、〈○中略〉寬文ノコロヨリ鼈甲(○○)ヲサス人モアリ、〈○中略〉早正德ノ比ハ、下女モ鼈甲ヲサシ、グル〳〵結ナリ、
p.0425 松平防州ハ、當時浪華ノ尹ナレバ、當地ノ邸ニハ、婦女子ノ殘リ居ルニ、或夜コノ盜〈○鼠小僧〉入リタリト覺シキ、三月ト五月ノ兩度ナリシガ、〈○中略〉一婦ノ部屋ニテハ鼈甲ノ筓簪等ヲ取出テナミヨク雙べ置キ、銀簪等ハ、折曲ゲテ置キタルノミニテ一物モ取ラズ、〈○下略〉
p.0425 明曆アタリ迄ハ、女ノカウガイ、多クハ鯨ノ棒カウガイ(○○○○○○○)ナリ、〈○中略〉貞享天和迄ハ、鶴ノ脛骨ノカウガイ(○○○○○○○○○)最上タリ、享保比ヨリハ供ヲツレル女ハ不レ用、老母ナド用タリ、元文ノ比ハ、馬ノ骨ヲ鶴(○○○○○) ノヨウニ拵(○○○○○)、價十錢位ニ賣ル、田舍出ノ下女ナド用ル、
p.0426 一庇具
紫檀(○○) 平髮搔(○○○) 各二兩一分 太如レ常也
單功一疋
p.0426 是ぞ妹背の姿山
年のほど十四か五にもせよ、いまだ若木の莟、〈○中略〉落しかけの大島田、忍髻の上に中疊平結、〈○中略〉伽羅の(/○○○)角揥枝(かくかうがい/○○○)に靑貝の折菊、〈○下略〉
p.0426 今や赤銅眞鍮の筓、あるひは竹(○)などにて造れるものは、丹波但馬の在所にてもさゝず、予〈○柳澤淇園〉が祖父の物がたりに、むかし大原にて男も筓をさしたり、近きころは、さすものなしといへり、竹にて短くつくり、結たる髮の横にさしけるとぞ、
p.0426 元文ノ比ハ、馬ノ骨ヲ鶴ノヨウニ拵、〈○中略〉竹ニ銀箔ヲ置(○○○○○○)タル筓モ、此時ナリ、下蒔繪櫛筓(○○○○○)ノ類、享保ヨリ延享迄ニ多ク仕出シタリ、
p.0426 さき筓(○○○)、金龍山千本櫻といふ繪草子に、〈享保十九年〉吉原の遊女兵庫曲にさしたる筓、本一つにて、末二つに分れたり、是さき筓なるべし、今京難波の婦人の髮にさき筓といへども、さる物も用ひず、もとはこの筓を用ひて結べる髮なるべし、
p.0426 武家ノ室息以下媵婢御殿風ニ結ブ者、或ハ此花筓(○○)ヲ用ヒ、或ハ無レ花ヲモ用フ、簪ニモ有レ之、〈○中略〉花簪大形ノ物ハ、筓ト同ク、別ニ差貫ク、小形ノ物ハ、初ヨリ足アリテ、簪ニ付タリ、花簪ハ、市中ノ處女十二三歲以下用レ之也、
筓ニ花ヲ付ルハ、御殿女中ノミ、市間ニハ無レ之、又京坂ニモ更ニ無レ之、
花筓武家下婢モ用レドモ先上輩ノ專用トス 花筓粗製ハ、朝鮮甲ノ摸物アリ、或ハ筓ノミ眞ノ鼈甲、花ハ摸物アリ、又筓花トモニ、眞物ヲ上製トス、
此花ノ如ク〈○圖略〉差貫クヲ、京坂ニテサシコミト云也、差込ト書ク、
花筓ハ、花アル方ヲ右ニ、花ナキ方ヲ左ニス、
花、菊ノミニ非ズ、諸花有レ之、又有因ノ物ヲ附タルアリ、譬バ菊ニ枕ノ類也、文甚ダ大形ナルモアリ、此圖〈○圖略〉ハ筓ニ付ル花ノ小形ナル物也、
p.0427 濡問屋硯
萬賣帳難波の浦は、日本第一の大湊にして、諸國の商人爰に集りぬ、〈○中略〉下に薄綿の小袖、上に紺染の無紋に、黑き大幅帶、赤前垂、吹鬢の京筓(○○○○○)、伽羅の油に堅めて、〈○下略〉
p.0427 みづらをゆふこと
まづときぐしにて、ちごのかみをときまはして、ひらかうがいにてわけめのすちよりおなじ〈○頂〉をわけくだして、まづ右のかみをかみねりしてゆひて、左のかみをよくけづりて、あぶらわたつけ、なでなどして、もとゞりをとるやうにけづりよせて、〈○下略〉
p.0427 大納言行成卿いまだ殿上人にておはしける時、實方中將いかなる憤か有けん、殿上に參會て、いふ事もなく行成の冠を打落て、小庭になげ捨てけり、行成少もさはがずして、とのもり司をめして、冠取て參れと命じて、守刀よりかうがいぬきとりて、びんかいつくろひて、居直りて、いかなる事にて候やらん、忽にかうほどの亂冠に預るべき事こそ覺え侍らね、その故を承りて後の事にや侍るべからんと、ことうるはしくいはれけり、〈○下略〉
p.0427 正治二年十二月廿日壬寅、亥時許、若君〈○藤原兼實子良平、良經養子、〉御元服、〈○中略〉次予〈○藤原定家〉參二著御前圓座一、〈○中略〉若君ウツブキ給、御髮ヲ搔返〈天〉、かうがいにて分取〈天〉、左髮ヲ梳〈天〉、小本結〈ニ天〉結〈天〉、又右ヲ 梳〈天〉、次梳合〈天〉、長本結〈ヲ〉卷〈天〉結レ之、ビンフク以レ櫛押〈天〉、末ヲ卷〈ハ天々〉結固了、其髮末〈ヲ〉又かうがいにてわけ〈て〉、左〈ヲ〉小本結ニテ結〈天〉カキ、又右〈ヲ〉小本結ニテ同結レ之、〈○下略〉
p.0428 揥枝簪の事
古き畫どもを見るに、筓さしたるは町人のみにて、遊女のさせる體はなし、遊女の專飾りとするは、寬延より以後の事なり、
p.0428 鶴人、〈○中略〉先第一江戸で見かけぬことは、大阪の女は、女郎でも素人でも、筓をさす穴を張紙でこしらへて、髮のうちへいれておいて、其中へ指こみやす、
p.0428 なかたゞの侍從、〈○中略〉しうきはちすの花に、かうがいのさきして、かくかきつけてたてまつる、〈○下略〉
p.0428 ひめ君ひはだ色のかみのかさねたゞいさゝかにかきて、はしらのひわれたるはざまに、かうがいのさきしてをしいれたまふ、
p.0428 東宮御元服
唐匣〈○中略〉第三層納二櫛〈二〉、篦子〈一〉、婆佐美二
p.0428 御もとゞりをとること
御くしのはこのふたに、かみをしきて、もとゆひ、御くし二三枚、かうがい、かばさみをいれたり、とることつねのごとし、
p.0428 いなりにまいりたる人の、杉をこひければ遣はすとて、たゝう紙にかうがいのさきして書つけてつかはしける、〈○歌略〉
p.0428 䚣〈上兮丁兮二反、箸也、加美佐志、〉
p.0428 簪〈則含反、平、加牟佐志、〉
p.0428 簪 四聲字苑云、簪〈作含反、又則岑反、和名加無左之、〉插レ冠釘也、蒼頡篇云、簪筓也、釋名云、筓〈音雞、此間〉 〈云、筓子上音如レ才、〉孫也、所二以拘レ冠使一レ不レ墜也、
p.0429 昌平本下總本有二和名二字一、〈○中略〉説文无、首筓也、从レ人、匕象二簪形一、簪俗无从レ竹从レ朁、〈○中略〉文選左思招隱詩注引云、簪筓也、所二以持一レ冠也、此所レ引卽此、慧琳音義引同、按説文、旡首筓也、又云、筓簪也、互相訓、卽此義、
p.0429 簪兓也、以レ兓連二冠於髮一也、又枝也、因レ形名レ之也、
p.0429 簪
桓寬鹽鐵論曰、禹治レ水、墮レ簪不レ顧、簪始見レ此、自二女媧之女一爲レ筓以貫レ髮、亦簪之始矣、其與二冠纓一同レ興乎、
p.0429 筓係也、所二以係レ冠使一レ不レ墜也、〈○中略〉
揥、摘也、所二以摘一レ髮也、〈○中略〉
刷、帥也、帥二髮長短一皆令二上從一也、亦言瑟也、刷レ髮令レ上瑟然也、
p.0429 筓〈古奚切、簪也、婦人筓冠、〉
p.0429 頭髻
自レ古之有レ髻、而吉者繫也、女子十五而筓許二嫁於人一、以繫二他族一、故曰二髻而吉一、榛木爲レ筓、筓以約レ髮也、居レ喪以二桑木一爲筓、表二變孝一也、皆長尺有二寸、沼至二夏后一、以レ銅爲レ筓、於二兩旁一約レ髮也、爲二之髮筓一、
p.0429 簪〈側林反 力ムサシ〉 簮簪〈通正〉 筓〈音雞 カムザシ(○○○○)〉
p.0429 釼〈音叉佳反カムサシ〉 釵〈音叉〉
p.0429 簪〈カムサシ、側吟反、亦作レ冤、亦作含反、釵也、〉
p.0429 簮(カンザシ)釵〈二字義同、髻鬟具也、〉
p.0429 歩搖(カンサシ)〈金歩搖、長恨歌、〉 簪(カンザシ) 鈿(同) 釵
p.0429 簪〈音譛〉 笄〈筓同、音雞、〉〓〈音渡〉 和名加無左之 通簪 氣筒 俗云加宇加比(○○○○○○)
簪插レ冠釘抱レ冠使レ不レ墜也、女子年十五而笄、古者女媧之女、始以二荊木及竹一爲レ笄、以貫レ髮、至レ堯以レ銅爲レ之、 且横貫焉、舜以二象牙一、〈○中略〉
按簪之和名、冠插(カンサシ)也、其通簪(カウカヒ)不レ用二周圍大者一、而婦人插二髮之鬈一使レ不二解亂一也、〈俗謂二加宇加比和介一〉用二瑇瑁及水牛角一作、
p.0430 かんざし 倭名鈔に簪又筓を訓ぜり、插頭と同じ、髮にさして冠を抱へ墜さぬがための用也、
p.0430 かんざしに二義あり、插頭花は髮刺の義、風流に花を折てさしたるがもとにて、是を細工に作り、意巧を加へて樣々にするなり、年賀などに用るは、老をかくす意なり、
p.0430 五せち所のこと
ゑりぐし、まきぐし、かんざし(○○○○)をぐして、五せち所ごとにをきまはるなり、
p.0430 卽位事
著二禮服一次第、〈○中略〉女禮服、〈○中略〉不レ用レ簪(○)、可レ用レ纂、〈○纂一本作レ徽〉是位驗也、
p.0430 佐世郷、郡家正東九里二百歩、古老傳云、須佐能袁命、佐世乃木葉頭刾(○○)而踊躍爲時、所レ刾佐世木葉墮レ地、故云二佐世一、
p.0430 宇受爾佐勢(ウズニサセ)は、髻華(ウズ)に插(サ)せなり、〈○中略〉木草の枝を頭に插すを云、〈宇受にさすと云は、別に宇受と云物ありて、其に插には非す、插物ぞ卽宇受なる、〉後世に插頭(カザシ)と云物、卽古の髻華(ウズ)なり、
p.0430 十一年十二月壬申、始行二冠位一、〈○中略〉幷十二階、並以二當色絁一縫之、頂撮總如レ囊、而著レ緣焉、唯元日著二髻華(○○)一、〈髻華此云二于孺(○○)一〉
p.0430 髻花(ウズ)
兼方案之、髻花者鈿(カンサシ)也、今世插頭花象レ此歟、
p.0430 世俗簪造始事 或人かたられし、今の世、をうなのさすかんざしは、享保のはじめまではなかりけりとぞ、それよりかんがふるに、繪草紙などを見るにも、その頃まではかんざし髮搔のたぐひをすべてさゝず、しかればちか比の物なるべし、
p.0431 今の如く簪をさしたる起原
寬永以來寬文の末まで、五十年ばかりの間の畫軸板本のるゐの女繪どもには、首飾一品もみえず、延寶、天和、貞享、元祿、此間三十四年、菱川師宣が繪本あまたあれど、遊女すら髮のかざりなし、櫛はさしたる事、書にはまれにみえたれど、繪にはみえず、貞享五年板〈此年元祿と改元〉好色盛衰記〈卷三〉に、今の女、むかしなかつた事どもを仕出し、身をたしなむ物道具數々なり、首筋より上ばかりに入用の物ども十六品あり、まづ髮の油、髩付、長かもじ、小まくら、平鬠(ひらもとゆい)、しのびもとゆひ、かうがい、さし櫛、まへ髮立、紅粉、白粉、齒黑、きはずみ、おもり頭巾、留針、浮世つゞら笠、あらましさへ此通りぞかし、かくかぞへたてし中にも、かんざしはいはず、然ども是より二年前、貞享三年板一代女〈前なるも此書も大坂の板〉卷三に、琴のつれびき遊しける時、かの猫をしかけけるに、何の用捨もな 奧樣のおぐしにかきつき、かんざしに小まくらおとせばとあり、おもふにこゝにかんざしといひしはめづらし、此書は、一人の女、さま〴〵に世をわたる一代をしるしたる物なれど、全部五册の文中、此一本のかんざしのみにて、さし繪にもかんざしみえざれば證としがたく、此後廿七年たちて、正德三年板、本朝廿四貞、〈卷三〉辻にて益踊の所、現をぬかし、心をうかして踊る子どもの、さし櫛かんざし、首に掛たる丹前帶とあり、おもふに踊に出る乙女ゆゑ、常にはさゝぬ櫛もかんざしも、さしかざりつらん、しか思ふよしは、正德六年板とある〈此年亭保と改元〉繪本園若草〈京板、大本全三册、西川祐信筆〉に、あまたの婦女を晝たる中に、櫛筓はのこらずさしたるさまをゑがき、かんざしさしたるは四人みゆ、〈○中略〉寬永の比及より元祿中まで八十年ばかりの間、江戸にて上梓の浮世草子は甚稀也、〈○中略〉ゆゑに前にあげ たるは、皆京大坂の風俗なり、されど物の流行は、天の左遷に順ふ物ゆゑ、都浪花の女風も、おほかたは東したるなるべし、さればかんざしさす風も然らんかし、つら〳〵おもふに、びん付油といふ物、〈○註略〉世に出てのち、髮のゆひぶりもくさ〴〵あれば、むかしのすべらかしよりは、かしらも痒からんに、師宣〈○菱川〉が天和元祿あたりの畫などには、北廓の遊女すら、櫛も筓もかんざしもみえず、かしらの痒き時は、爪もてかきしや、〈○中略〉遊女などさへかんざしさゝざりしはいぶかし、さて件の書どもをよみわたして按ずるに、今の如く人みなかんざしをさす風になりしは、おほかた元文あたりよりの事とおもひしに、はたして一證をえたり、我衣、〈此書は、元祿以來の雜事を、古老に聞あつめたる寫本の隨筆、安永の比を盛に歷たる江戸人曳尾庵作、〉花簪(はなかんざし)は、元文寬保の頃、舞乎など、銀の梅の枝に、銀のたんざくをつけたるをさす、ゆきゝすれば、音のするやうにこしらへたる物なり、其頃世にはやるとあり、然れば常の簪もさしたること明し、是今より百年のむかしなりけり、
p.0432 婦人首飾、昔は首飾なし、〈○中略〉賢女心化粧〈○其磧作〉に姑六十年以前の事を〈延享よりなれば貞享頃に當る、〉定規にして、むかしも今も同じやうに思はれ、嫁の髮みるに、〈○中略〉透とほる玳瑁の櫛をさして、筓の前にかんざしとやらいふ物をさゝるゝは、何の用にたつことぞ、時代ちがひ姑の目からは、辨慶が七ツ道具を、あたまにいたゞくと思はるゝは無理でなし、凡そ首筋より上ばかりに入る物廿一二品もあり、かりそめに出るに戴身拵に隙なき事思はれける、〈○中略〉筓、かんざし、つと出し、〈○中略〉あらましさへ此通りぞかし、かく有は西鶴がいひし貞享より六十年に及べり、
p.0432 文化文政中、巨戸ノ處女䙝服ノ圖〈○圖略〉
京坂ハ今ニ至リテモ、簪等數ケヲ插テ、髮飾最モ華也、蓋近年僅ニ不レ華、 江戸モ文政以前ハ此圖ノ如ク兩天釵、ビラ〳〵簪、前刺、背口刺、〈則後差ハベツカウ〉櫛等ヲ插シ、紅丈長等ヲ用フ、如レ此飾今江戸更ニ廢テ、處女ト雖ドモ、櫛一、中刺簪一、〈婦ノ筓ノ所ニ用フ〉前差簪一ケ、銀ノ頭搔簪〈ホソキ小形〉ヲ用ヒ、其他ヲ插ズ、 今世京坂中民之處女禮晴之扮〈○中略〉
櫛ト前差簪ハ鼈甲、ウシロザシハ銀釵、〈○中略〉又三都トモニ、禮晴ニハ、鼈甲簪櫛ヲ用ヒ、略䙝ニハ、〈○中略〉簪ハ銀、鍮等ヲ用ヒテ、鼈甲ヲ用フ声者稀也、婦人モ准レ之、〈○中略〉
今世〈嘉永中也〉京坂式正所レ用鼈甲製〈○圖略〉
式正時、䙝トモニ、櫛、筓、髷止、以上三具ハ各一個ヲ用ヒ、簪ノミ應レ時テ數ヲ異ニス、
式正ニハ專ラ前後左右各一ケ、凡テ四個ヲ用ヒ、髮カキニハ、銀釵等一ヲ加フ、
䙝ニハ、簪前後各一ケ、都テ二個ヲ用フ、或ハ前ノミ一ケヲ用フ、背ニハ銀釵ヲサス、江戸ハ近世式正ニモ背ニ簪一ケヲ用フ、文政前ニハ前ニモ插レ之シガ天保以來廢ス、〈○中略〉
櫛以下四具トモニ、極上製ハ白甲ノミヲ以テシ、中品ハ黑點アル物ヲ交へ用フ、蓋古製ハ全體黑點アル物ヲ用ヒシガ、今ハ稀ニシテ、黑點ヲ交ルニモ、〈○中略〉筓ハ、中央髮ニ插テカクルヽ所ノミ、簪モ、下ノミ曲止中央ノミ皆專ラ髮』入テ不レ見所ノミニ黑點ヲ交へ、極上製ハ全ク白甲也、
p.0433 世俗簪造始事
ふるき人のものがたりをきくに、享保の比までは、女のこどもなどは、花すゝきなどのかたしたる白銀のかんざしをさしけり、しかるに御厨子所預故若狹守宗直わかゝりしより好事のものにて、みゝかきをその花の上につけてつくらし、め、かんざしみゝかき、通用たよりありと思ひて、人におくりしに、たよりあるものなれば、よろこびてしだいにつくりそへ、色々このみをくはへ、今は貴賤となく、しろがねにでつくりて、さしもてあそぶ事にはなれり、それかんざしは、髮のかざり、みゝかきは理髮の具のうちなり、そのへだてをわきまへず、たかき人の用ひらるゝは、くちをしき事なり、宗直は時の興にてやつくられしならん、しからざれば、遠きおもんはがりなしとやいふべき、
p.0434 雜器
世ニ婦女ノ普ク用ル筓ハ、貞享年間御厨子所預故備前守始テ工人ニ造ラシム、後ワヅカニ十數年ニシテ宇内ニ弘マリタリ、
p.0434 釵子に耳搔を作り添し肇
筓に耳かきのあるは、前にしるしたる如くいと古し、かんざしの耳搔は近し、〈○中略〉おのれ〈○岩瀨百樹〉文化十三年上京の時、加茂の季鷹大人に玄ば〳〵對話しつるに、ある時、話右の事におよびけるに、大人謂やう、閑窻自語にかゝれたる如く、かんざしへみゝかきを付たるは、宗直ぬしの創意なり、然るに其頃北野に開帳ありしに、さかしき商人、宗直の創意を襲ひ、梅ばちの紋に、みゝかきある銀ながしのかんざしを、北野の社内にて賣けるに、人々もてはやしたるより、みゝかきある簪世にはやり、今はかんざしといへば、耳搔ある物になれり、今げいこどもがさす、べつかふのかんざし、もし唐人がみば、日本の女は耳の穴ひろしとおもふべしと、大笑ひしたる事ありき、件の説どもに據ば、簪に耳搔ありし肇は、享保三四年の事なるべし、
p.0434 撥耳琴柱形〈○圖略〉
此肩ノ二段ニナリタル、三都トモニコトジト云、江戸モ先年ハ有レ之、今ハ廢シテ稀也、
p.0434 今世江戸ノ奔簪、圖〈○圖略〉ノ如ク短キヲ流布ス、然ト雖ドモ畫圖ヲ見ルニ、甚ダ長ク畫ケル物多シ、故ニ先日始テ江戸ニ來ル大坂ノ女客アリ、其簪太ダ長シ、其故ヲ問ヘバ、江戸ニテ短キ物ヲ用ヒズ、必ラズ簪ハ長ヲ流行ト察テ特製レ之所也ト、余再問、何ニ據テ察テ長キヲ流布トスト云バ、江戸一枚摺ト云錦繪ヲ見ニ、筓簪太ダ長シ、故ニ江戸風ヲ倣テ如レ此ト、今當所ニ來テ畫圖ノ非ナルヲ知ト云リ、今世ノ人スラ東西此誤アリ、况ヤ後世ノ人、今ノ畫ヲ見テ證トスルコト用捨アルベシ、
p.0435 東福門院御簪事
東福門院の御かんざしとて、當家〈○柳原〉にもちつたふるあり、こがね(○○○)にて作り、うへに三色のたまをつゝみつけたり、安永年中そのかたによせて、しろがね(○○○○)にてつくらしめ、三色のたまをいれて、家内のものにさゝしむ、内院の女房、あるは友なる人々など聞および、所望ありてつかはしぬ、されば玉えがたきによりてつくらしむる事かたし、そのうへ、これはいやしきものゝさすかんざしにはあらざるべし、のち〳〵心をうつし、世間の人は、享保のはじめまでの如く、花すゝきなどのみゝかきなきかんざしをさすべし、この玉のかんざし、あるものしりがほなる人びとにかたちていふ、かんざしに玉いるゝこと、いにしへはなき事なるべし、所見なしと、此事ちかき書にあり、
p.0435 合雜物貳拾捌種〈○中略〉
銀髮刺(○○○)參〈○中略〉
右一色、平城宮御宇天皇〈○聖武〉以二天平二年歲次庚午七月十七日一納賜者、
以上資財等、天平十八年本記所レ定、注顯如レ件、
p.0435 孝謙天皇の御簪
難波の好古家梅園主人、天保二年に開板せられ、たる梅園奇賞に載たる、和州法隆寺の寶物、孝謙天皇の御簪とて其圖あり、〈○中略〉天保十二年の春、江戸本所回向院にて、法隆寺聖德太子の御開帳ありて、種々の御寶物もありときゝて、〈○中略〉朝早く往てをがみしに、かの梅園奇賞にある圖に露もたがはず、たゞ脚岐少し狹きのみにて、物は銀にぞありける、此時いひたてする人にゆるしを乞ひ、ちかくよりて臨寫したる圖左の如し、 孝謙天皇御簪銀製寸法如レ圖 南都法隆寺寶物之一
摸樣は平なるに毛彫したるにて、雲中に鳳凰の舞ふかたちと見えけるが、手に探て見ざれば、千百餘年の古色に昏眼して視さだめがたくありし、
p.0436 享保頃ヨツカンザシト名付ル物〈○圖略〉
上耳カキ、下髮カキ、銀ニテ作ル、
p.0436 茗荷屋之簪〈○圖略〉
日本堤の向ひ、淺草山谷町のうらの方なる畠地へ、むかしよりよし原町のちりあくたを捨し所あり、今はさる事もなく、元のはた地と成ぬれば、農業のをりからは、年々さま〴〵のものを掘出す事あり、ある人このかんざしを掘出したりとて、もてきぬるまゝに、うちかへしみるに、元祿の頃ほひの物とたしかに見えたり、金は眞鍮に銀をやき付し物とみゆ、めうがの紋あれば、茗荷屋某の禿などのさしたるものならんかし、いとてがるく作れるもの也、又かたちの古雅なるによりて、近頃世にはやれるも、これらより出たるものなるべし、
p.0436 松岡恕庵
恕庵松岡氏、名は玄達、〈○中略〉平安の人、〈○中略〉白銀の調度國禁となりし時、世間銀の細工ものをあつめ、官にさゝげしが、其後又年を經て、しきりに白銀のかんざしをさしたる比、女達の頭を先生みて、先年銀は國禁なりしに、などて是をさすぞと仰ければ、娘たちかへすことばなく、是は銀にてはなし、箔おしてこしらへしもの也と答へければ、さはよき細工よなどとて濟けるとぞ、
p.0436 銀釵〈○圖略〉 此紋ノ花モ種々有レ之、蓋簪形ハ是ヲ專トス、上輩下婢トモニ有レ之ドモ、下輩ノ專用トス、又此丸ヨリハ小形ナルモアリ、
御殿女中ノ簪ニ、右ノ銀簪其他モ用フレドモ、用之ハ稀也、多クハ耳搔ナシ、大略此圖ノ耳搔ヲ除キ去リタル如キ銀ノ髮搔ヲ、筥セコト云、懷中囊ニ刺納テ持レ之、頭ニハ筓ノミノ者ヲ專トスト思ヒシガ、夫モ誤ニテ、形ハ種々アレドモ、大略左ノ如キヲ髻邊髷ノ内ニ差ス、故ニ他ニハ見へ易カラズ、 銀釵、形種大小不レ同、〈○圖略〉
p.0437 江戸銀釵今世風
江戸銀簪、〈○圖略〉大略四寸前後也、古製ハ五六寸、今製短キヲ專トス、珊瑚、或ハ砂金石ノ丸、又ハ瓢簞等ヲ製シ付ル、又ハ銀ニテ種々ノ形ヲ摸スモアリ、又更ニ付物ナキモアリ、
江戸モ近年、銀釵ニ流金ヲ專トス、或ハ素銀モアリ、又半以上ヲ赤銅ニ金象眼ノ有紋、半以下ノ髮搔ノミヲ素銀ノ物モアリ、
p.0437 京坂ノ銀釵
京坂ノ銀簪、古製六寸餘、今世同レ之、或ハ五寸餘、〈○圖略〉
京坂耳カキ長ク、江戸ハ短カシ、此丸〈○簪玉〉天保前、珊瑚流布、年給銀百二三十目ノ炊彈モ用レ之、江戸モ同レ之、今モ用レ之トモ、又近年、金水晶玉ヲ流布トス、江戸モ又コレヲ流行トス、又砂金石甚流布ス、重サ一匁、價金三兩餘、珊瑚下品小丸、價十五雙重サ一匁、銀十五匁ヲ云、
天保中ヨリ銀釵ノ表ヲ滅金ニ製シ、コレニ珊瑚其他ノ珠玉ヲ付ケ、或ハ銀紋、或ハ玉モ紋モ無レ之物ヲ用フ、滅金ヲ流金トモ云銀ヲ素ニテモ用フレドモ、流金ヲ流布トス、
p.0437 銀製芒簪〈○圖略〉
文政末年、江戸ニテ流行ス、處女娼妓トモニ用フ、團扇ト此芒ノ簪ハ、今モ芝居ニテ田舍娘ニ扮ス 者ハ用レ之、蓋芒ヲ專トスル也、
銀製葵簪〈○圖略〉
天保七八年頃、江戸ニテ流布シ、處女及ビ娼妓トモニ用レ之シ、
p.0438 三都トモ眞鍮釵(○○○)モアリ、然ドモ貧家ノ婦女モ用レ之者稀、鄙客ノ買レ之、或ハ鄙ヨリ來リ仕フ炊婢小婢ノミ用レ之、彼輩モ江戸ニ久ク住ス者ハ、又用レ之者稀也、
p.0438 鐵釵(○○)ノ上製ハ、却テ風流ノ婦モ用レ之、蓋是亦半以上鐵、以下銀ノ髮搔也、或ハ全鐵モアリ、
p.0438 五節のあしたに、かんざしの玉(○○○○○○)のおちたりけるを見て、たがならんととふらひ てよめる、 河原の左のおほいまうちきみ〈○源融〉
ぬしやたれとへど白玉いはなくにさらばなべてや哀と思はん
p.0438 かんざし かざしの玉といふも、筓の飾の玉也といへり、
p.0438 今はむかし、唐になにとかやいふ司になりて下らんとする物侍き、名をばけいそくといふ、それがむすめ一人ありけり、ならびなくおかしげなりし、十餘歲にしてうせにけり、父母なきかなしむことかぎりなし、〈○中略〉その母が夢に見るやう、うせにしむすめ靑き衣をきて、白きさいでして、かしらをつゝみて、髮に玉のかんざし一ようひをしてきたり、
p.0438 をみなへしをるもをしまぬしら露のたまのかんざし(○○○○○○○)いかさまにせん
p.0438 今世〈嘉永中也〉京坂式正所用鼈甲製(○○○)、〈○中略〉京坂甲簪、專ラバチミゝ、江戸ハ丸耳ヲ用フ、
同京坂所用、〈○中略〉耳搔ノ圓ナルヲ、京坂ニテ江戸耳卜云、〈○圖略〉此形簪鼈甲製ハ、風流ヲ好ム婦女用レ之、風流女俗ニ粹ト云也、又木製モアリ、三都トモ櫛簪木製ハ伊須材也、蒔畫ヲ描キ用フ、蓋木製ヲ略褻ノ用トスルコト三都同風也、〈○中略〉木製蒔畫筓簪ヲ用フ時ハ、同製月形櫛ヲ用フ也、〈○中略〉蒔畫 物ハ簪モ一ケヲ用ヲ、月形櫛、筓、簪、曲止各一ケヲ四ツ揃ヒト云、木製ハ筓以下三具トモニ無レ稜シテ 如レ此マルミ也、
p.0439 松岡恕庵
恕庵松岡氏、名は玄達、〈○○略〉南天の木(○○○○)のふとき幹を取出し、人をよびて、是はよき南天なれば、かんざしにけづりて娘どもにとらせよと命ず、
p.0439 竹簪(○○)
關氏世々書を以てその名高し、〈○中略〉鳳岡の子南樓は、家君午谷翁が師なり、南樓の弟子潢南〈名は克明〉その嗣となる、その子東陽、予〈○山畸美成〉と同庚、交情殊に厚く、莫逆の友たり、その家竹簪を藏す、傳へて云、潢南の曾祖母なる人、享保中有德院樣〈○德川吉宗〉に宮つかへせしに、その頃反質の政を行はせたまひし折にて、宮中の婦人の髮の飾に、金銀を停止せしめられて、竹にて簪を造り、すべての女中に賜はりし物とぞ、
p.0439 簪 かんざし釵 筓 髮刺なり
瑯環記 人謂二步搖一、爲二女髻一非也、蓋以二銀絲一、宛轉屈曲、作二花枝一、插二髮後一、隨レ步輙搖、以增二媌媠一、故曰二步搖一、〈採蘭雜志〉思ふにこれ、今世の花かんざし(○○○○○)也、或は金銀にて花の折技を作り、蝶鳥または短册など付る物なり、
p.0439 花かんざし
花の枝を髮に插は、往昔男女の風なり、〈○中略〉插頭花と書て、かざしとよむは義訓なり、本字は翳なり、〈○中略〉大内の花の宴には、公卿の人々、花をかざし玉ふ事諸書にみゆ、のちには剪綵花(つくりはな)をも用ふる事もみへたり、西土にも生花又は剪綵花をも男女髮に插事、陔餘叢考〈卷卅一〉簪花の條に諸書を引て、あまたの故事を記せり、〈○註略〉又天竺國にても、佛在世の時、〈○註略〉生花もつくり花も、かんざし する事、慧林音義〈第十八〉翻譯名義集〈第七〉などに、花かんざしを、天竺ことばに、麼羅とは華鬘なりといひ、又釋迦如來叔母に示されたる大愛道比丘經にもみへたれば、花かんざしをさすは、三國古今の風也、
p.0440 踏歌
藏人催二内侍以下一〈泥繪唐衣、〓結裳、華釵、錦鞋等、〉
p.0440 一品翟九等花釵九樹、二品翟八等花釵八樹、三品翟七等花釵七樹、四品翟六等花釵六樹、五品翟五等花釵五樹、寶鈿視二花樹之數一、
p.0440 一衣服の色も、其比〈○寶曆〉は丁子茶と云色流行出て、〈○中略〉又子どもは花かんざしとて、美しく花を付たるかんざしをさせり、是は畢竟よし原の禿のあたまを眞似たるなり、其比の歌に、丁子茶と五寸もやうに日傘朱ぬりの櫛に花のかんざし、とて貴賤吟みたり、
p.0440 首飾の類も、江戸とは同じからず、〈○中略〉また女子供も、銀かんざしを用るは稀にして、多くは絹、又は紙抔にて、美しく作りし花簪など、下直の品を用るなり、これ中より以下の風俗なり、
p.0440 裁細工(きれさいく)の花かんざし まげゆはひ まへざし
裁(きれ)あるひは紙細工の花かんざし、今もつはら用ふ、京製なるはすぐれて美工なれど、價は廉く樸にして雅なり、此物今より四五十年前、某の御館に仕へたる女中偶然つくりはじめけるに、徐々職人の作るやうになりしと、そのみたちにつかへたる老婦がいへり、
p.0440 元文、寬保ノ比ニハ、舞子、金銀ニテ梅ノ枝ニ色紙短冊ヲ付テサス、往來スレバ音ノスルヤウニコシラヘタリ、
p.0440 守貞〈○喜田川〉云、是近世花簪ノ初トモ、又中興トモ云ベシ、源氏若菜上四十賀ニ云、カザシノ臺ハ沈ノケソク、マガネノ鳥、銀ノ枝ニ居タル心ロバへ云々、古ハ高貴ノミ用レ之、近世ハ 下賤用レ之、今世ハ銀ヲ却テ賤トシ、滅金等ヲ用フコト多シ、〈○下略〉
p.0441 花簪ハ、三都トモ小間物店ニ賣レ之、又稠人ノ街ニ立テ小賈賣レ之、花見遊山ノ所モ亦賣レ之、皆幼女ノ所用ノミ、然モ野步ニハ中途買レ之、妓婦等モ往々戯ニ差レ之者アレドモ稀ト云、又江戸筆道、及三絃ノ師家、男女門弟ノ童男童女ヲ携テ花見ト號シ、向島其他諸所ニ往ク時、群童ヲ携フ故ニ、其群ヲ離レ迷ンコトヲ恐テ、皆必ズ此花簪ヲ頭ニ差テ標トス、梅櫻等ノ造ハ花精製絹也、然モ普通ハ染紙也、葉同レ之、而テ眞ノ花ノ如ク、簪磨キ竹也、〈○圖略〉江戸師家ノ花見ニハ、其一群男女長少トモニ插レ之也、老夫老嫗モ、是群ニハ用レ之テ耻トセズ、
利非の命勝負
胡蝶菊若二人美兒、緋の袴こしだかに、紋羅のかたぎぬ、まくり手の紫紐、玉牡丹の簪(○○○○○)、〈○下略〉
p.0441 步搖簪(ひら〳〵のかんざし/○○○)寬政の間、ぴら〳〵のかんざしとて、花の折枝などに鎖を幾すぢもさげ、其すゑには、鳥蝶あるひは鈴のるゐ一品の物を鎖毎に付たる、銀のかんざしはやりし事ありて、振袖きるほどの乙女は、ぴら〳〵ならざるはなかりしゆゑ、其比の千柳點に、ぴら〳〵にびら〳〵からむ由良の助、〈寬政八年泉岳寺義士開帳〉文化にいたりてふつとすたり、俤ばかりは、箱せこかんざしといふ物に殘りしも、今はまれなり、此ぴら〳〵、西土はいと古し、〈○中略〉步搖は、ぴら〳〵かんざしなり、〈○中略〉我衣にみへたる正德の花かんざしに、たんじやくさげたるは、ぴら〳〵のかんざしの權輿とすべし、
p.0441 步搖上有二垂珠一、步則搖也、
p.0441 天寶初、貴族及士民、好爲二胡服胡帽一、婦人則簪步搖釵、袊袖窄小、
p.0441 銀ノビラ〳〵 簪〈○圖略〉
文化文政頃ハ、三都トモニ流布ス、京坂ハ是亦兩差ト同ク江戸ヨリ後ニ廢シ、三都トモニ、今ハ極 テ稀ニ用フ者アリ、蓋以前ヨリ新婦處女ノミ用レ之、年長ハ用ヒズ、銀グサリ長短アリ、又三アリ、五アリ、七筋モアリ、〈○中略〉文久中ニ至リビラ〳〵簪等全ク廢ス、
p.0442 白硝子ビラ〳〵簪(○○○○○○○○)、圖〈○圖略〉ノ如ク大同小異種々、硝子グサリ七筋、或ハ九筋許リ、天保二三年ノ頃、京坂ニテ流布ス、處女ノ用也、
p.0442 瑇瑁を斑なしに作る起立
父が廿四五の頃、〈寶曆十一二年なるべし〉斑なしの松葉かんざし(○○○○○○)とて、〈掛目一匁五分 長サ六七寸〉今にくらべては、甚細きかんざしを四五本作り、問屋へみせける内を、一本手みせに京へものぼせしに、江戸京とも追々註文ありて、松葉かんざしはやり、銀にても作れり、是かんざしに形ち物いできしはじめなりと、父がいへりと照よし翁かたれり、
p.0442 毒瑁を斑なしに作る起立
かんざしに形の飾り物とて流行しは松葉なりしに、今はさしこみ(○○○○)といふ便利ありて、鶯は梅に初音をうたひ、蝶は菊に翅を動すあり、是も國澤の餘滴ぞかし、
p.0442 朝鮮べつかふ ばづの事
照義の話に、〈○中略〉爪甲(つめかふ)といふは爪にはあらず、眞甲のへりの所の甲なり、おほかたは、さしこみ形物に作るに用ゆ、
p.0442 兩てんのかんざし(○○○○○○○○)
もやう一對のかんざしをさす事は、享保あたりの繪にもみへ、近き寬政の間もはやりしが、今はすたれてさる物をみず、此兩てん、西土は古くよりありし物なり、名を鈿合といふ、
p.0442 兩天簪
京坂ニハ兩差(○○)ト云、リヤウザシト訓ズ、江戸ニテリヤウテント云、江戸モ先年專ラ用レ之、今モ右圖 〈○圖略〉ノ如クナル、往々䙝及略服ノ時ハ、筓ニ代テ用レ之、中銀製也、京坂ヨリ短カシ、兩丸珊瑚、或ハ瑪瑙ノ類也、先年ハ珊瑚流布、近年砂金石流布也、男子提物押目ニモ流二布之一トス、〈○圖略〉全ク銀製也、又鼈甲製モアリ、
p.0443 京坂兩差簪
リヤウザシハ、文化文政頃迄用レ之、蓋三都トモニ略䙝ノ時ニ筓ニ代テ用レ之、江戸ハ京坂ヨリ僅ニ前ニ廢ス、〈○圖略〉全ク銀製也、兩端ニ定紋又ハ種々花形等定リナシ、兩差三都トモニ、今モ稀ニハ用フ人アリ、
p.0443 後刺 靑龍刀のかんざし(○○○○○○○○)
三十年前、靑龍刀のかんざし、歌妓どもさしはやらせし事あり、簪には似氣なき物とおもひしに、西土にも搜神記〈卷七〉に、晉の惠帝元康中に、宮中の婦人瑇瑁の屬にて斧鉞戈戟のるゐを作りて當筓(かんざし)にしたる事みへたり、
p.0443 いやみ十二段
七段〈○中略〉又女のかんざしの模樣、しのぶ、すゝきやうの物は、古風ながらしほらしゝ、靑龍刀(○○○)なども、きつとしていやみなけれど、近頃めづらしきをこのみて、まとひ、かなぼう、あるひは臺所の道具、わさびおろしなどに至つては、もつともいやしきとも、いやみともいふべきやうぞなき、
p.0443 武藏野簪(○○○○)〈○圖略〉
天保十一二年頃、江戸ニテ暫時流布ス、竹簪ニ鳥ノ羽ヲ屬タリ、處女娼妓モ用レ之卜雖ドモ、銀製ノ物ノ如クニ非ズ、唯一時ノ興ニ差スノミ、賣レ之ハ專ラ行人多キ所ニ、天道見世、又ハ路上ニ賣リ步クノミ、賣レ之詞ニ深川名物ノ武藏野簪ト云シガ、不日シテ深川等ノ娼妓ヲ禁ジ、其家ヲ壞ツ、時人後ニ此簪ヲ賣リシハ先兆カト云リ、
p.0444 團扇簪(○○○)ハ古キ物也、俗ニアタボ簪(○○○○)ト云、〈○圖略〉柄黑朝鮮甲ヲ用フ、文政以前、江戸ニテ再ビ行レシ由ヲ聞リ、天保以來ハ廢シテ、今モ黑點アル鼈甲製ニハ有レ之、十二三以下ノ女童ニ用フノミ、黑鼈甲團扇極薄クス、蒔畫アリ、
p.0444 慶應三年五月十九日、下賤の婦女、簪二本をつかねて頭へさすものあり、めをとざし(○○○○○)といふ、
p.0444 今世江戸市中所用鼈甲製圖
簪 文政前ハ前差(○○)ト號テ、此ゴトキヲ〈○圖略〉髷前ニサス、今ハ廢ス、今ハ背ニノミ挿レ之、〈○中略〉
江戸今世ノ婦女、式正ニハ、〈○中略〉簪右圖ノ如キヲ曲背ニ差シ、或ハ右圖ノ簪ヨリ纎キ鼈甲製ニテ、珊瑚製ノ瓢簟、或ハ甲製ノ造リ花等ヲ付タル物ヲ曲背ニ差ス、
p.0444 今世江戸巨戸之處女禮晴之扮〈○中略〉
三都トモニ禮晴ニハ鼈甲ヲ用フ、今世櫛一、簪一、〈無花〉同一、〈花アリ、上方ニ云、サシ込ノ類、〉小形銀釵一ケヲ用フ、前差簪ヲ不レ用コト天保以來也、
p.0444 江戸ノ婦、上中下民トモニ略䙝ノ時ハ、筓ヲ用ヒズ、簪ヲ以テ代レ之、故ニ中差(○○)ト云、
p.0444 今世婦ハ、正ニハ必ラズ筓ヲ用ヒ、晴略䙝ニハ、中差簪ヲ以テ代レ之也、略䙝ニモ筓不レ用ニ非レドモ、用レ之ハ稀也、晴ニハ筓ヲ專トシ、中差ハ稀、又中差モ鼈甲ハ晴ヲ專トシ、木製ニ金蒔繪ノ物ハ、略䙝ニ專用トス、
中差簪〈○圖略〉
同白魚形〈○圖略〉同德利形〈○圖略〉竹之節〈○圖略〉是等形筓ナレドモ、江戸今俗ハ專ラ中差ト云也、
此形〈○圖略〉ニテ、丸モアリ、兩端象牙ニテ中紫檀也、今嘉永中大ニ流布シ、婦人䙝ニ用レ之、嘉永末象牙廢シテ、中ハ紫タン、或ハイス、兩端無地鈖ト云テ、無地ニ金フンヲ蒔ク、無地金或ハ金ダミトモ 云、安政元年比ヨリ兩端象牙、或ハ金無地ナレドモ、中ヲ細クシテ、髻ニサス時、太キ分一方ヌキ、央ノ細キ所ヲ髻ニ插シ、而后ニ一方ヲサス、號テ杵形ト云、
此二品〈○圖略〉金無地ノ上ニ、再ビ金フンヲ以テ蒔繪シタルモアリ、又杵形兩端丸形ヲ圖セドモ、角形モアリ、丸角並行ル、
杵形中差〈○圖略〉右圖ニ似タル形ニテ、牙ノ小口ヲ梅櫻等ノ花形ヲ彫ミ、匂ニハ小珊瑚ヲ用ヒタルアリ、牙ノ全體モ花形ニ應ジ鐫レ之、
p.0445 後刺(○○) 靑龍刀のかんざし
今うしろざしとて、簪を耳の後にさす事、五十年前寬政間(ごろ)よりの風なり、其以前、書にも畫にもみへず、西土はいと古し、字彙、釵の字の註に、繁欽定が情詩を引て、何以慰二別離一、耳後玳瑁釵とあり、和漢駢事なり、
p.0445 一理髮具
末額髮二流、〈○中略〉簪、
p.0445 風俗
婦女小民家簪用二玳瑁一、長尺許、倒插二髻中一、翹二額上一、髻甚鬆、前後偏墮、疑卽所レ謂倭墮髻也、
p.0445 楴枝簪の事
すべて昔の筓簪同物なるを、紋又は耳搔をつけしより、別の物とはなれるかとおぼし、〈○中略〉右に擧たる圖の如く簪をさしたるに、一本より外用ひざるを見るべし、もとより金銀等を以て製する事いと〳〵稀也、無論里問答に云、めつたに長いかんざしを、天窻のかざり數多くさす云々といへるは、數多刺事は、寶曆以後の事也、
p.0445 寶曆中 昔ハ簪、必ラズ一本ヲ差ス、大略寶曆以來、長簪ヲ數本差ス也、
p.0446 今世〈○嘉永頃〉京師ノ島原及ビ大坂新町大夫職遊女之扮、
簪ハ京坂無紋ニテ、圖〈○圖略〉ノ如ク數皆一文字ニ插ス、是ヲ霞ニサスト云、江戸ハ末ヲ開キテ插シ、佛像ノ後光ニ似タリ、紋ノ有無、插樣兩地必ズ然リ、
江戸吉原遊女之扮ハ、京坂ノ太夫天神ヨリ甚ダ華也、〈○中略〉簪、背ノ左右各三四本、皆耳搔ト髮ノ間ニ、定紋或ハ花形等ノ作リ者アリテ、〈○中略〉銀釵ノ形ニ似テ又甚ダ長ク、八九寸モアルベク、前ノ左右ニハ、紋ナシノ簪、左右是又各三四本ヲサシ、簪凡テ十二本、或ハ十六本バカリモサシ、又ハ櫛ノ不レ伏ヤウニ、前ヨリ竪ニ一二本サスモアリ、髷尻ヲ高クシ、專ラ島田髷也、
p.0446 髮飾の事
一髮指は御三の間以上、式の節は藏し(/○○)筓(かんざし/○)用ゆべし、
一同く平日は是といふ定りもなし
一おなじく留袖前、平うち定紋、銀の髮ざし用ゆ、
一髮ざしは、御使番以下、平打定紋か、又は我が名の文字ほり附、大形にて目立品用ゆ、
p.0446 筐(○) こかんざし
是はちさき簪也、〈○中略〉今案に、簪は西土にても、たゞ髮に刺のみにあらず、異事にも用ゐしと見へて、長恨歌傳に、方士が楊貴妃の魂を尋ねて仙宮へ至りし所にも、〈○中略〉方士抽レ簪扣レ扉と見ゆ、かゝる事にも、時として用ゐし成べし、
p.0446 たゞかの御形見にとて、〈○中略〉御くしあげのてうどめく物そへ給ふ、〈○中略〉かのをくりもの御らんぜさす、なき人のすみかたづねいでたりけん、しるしのかんざし(○○○○○○○○)ならましかばと、おもほすもいとかひなし、
○按ズルニ、しるしのかんざしハ、白氏文集ノ長恨歌ニ據テ作レルナリ、
p.0447 金紙の匕髻結
或時雨の淋しく、女交りに殿も宵より御機嫌もよろしく、琴のつれびき遊ばしける時、彼猫をしかけけるに、何の用捨も無く奧樣の御ぐしにかきつき、かんざしに小まくらおとせば、〈○下略〉
p.0447 女郎の風俗も、〈○中略〉簪とて色々もようをしたるを、七八本さしちらし、祭りに賣步行だしやら、辨慶の人形やら見わけがたし、〈○中略〉
女郎の身持昔とはちがひ、せつなきこと多し、〈○中略〉今は二人り禿と云へども、我衣類に少しもちがはざるをきせかさね、くし、かうがい、かんざしに至る迄替ることなし、〈○中略〉かのかんざしも一本に付、二三分一兩位、〈○下略〉
p.0447 簪 釋名云、筓〈音雞、此間云、筓子(○○)、上音如レ才、〉係也、所二以拘レ冠使一レ不レ墜也、
p.0447 類聚名義抄、筓子訓二佐伊之一、與二此云上音如一レ才合、空物語初秋卷亦有二佐伊之一、然其音可レ疑、伊勢本、山田本、曲直瀨本無二上音如レ才四字一、
p.0447 釵〈楚街切、婦人岐筓也、〉
p.0447 釵
實錄曰、燧人始爲レ髻、女媧之女、以二荊梭及竹一爲レ筓、以貫レ髮、至レ堯以レ銅爲レ之、且横貫焉、舜雜以二象牙玳瑁一、此釵之始也、
p.0447 爵釵、釵頭及上施レ爵也、
p.0447 筓子〈サイシ〉
p.0447 釵〈サイシ カンサシ〉 筓子〈サイシ〉
p.0447 さいし 筓子の音轉也、かんざし也、和名抄に、筓、此間云、筓子、上音如レ才と見ゆ、
p.0447 夏冬のよそひをすきばこに入て、そのしきものうへのおほいうへのくみ子せ られける、〈○中略〉今二には、おほんくしのてうど、すへひたひよりはじめ、さいし(○○○)、もとゆい、おほんくしどもなど、そのくさともいはずめでたてゝ、たかつきなんまうけ給へりけり、
p.0448 釵子 是は宮女の髻の飾なり、字音サイシなり、今世の詞にオシヤシと云ふは卽ち御釵子なり、サイシの轉語なり、玉篇に釵は婦人岐筓也とあり、〈○中略〉貞丈云く、女房式正の時は、垂髮して頂の上に髮を瘤の如く束ねて、是をカブと名づく、其のカブに釵子をさすなり、別に圖あり、如レ斯するを髮あげと云ふ、
p.0448 さいしといふ髮のかざり
さて此さいしといふ首飾、文字には釵子とありて、むかしより和訓のなき物なり、此さいしは七八百年の中昔の比及よりや、女の髮のかざりとなしけん、新撰字鏡にも、和名抄にも釵子といふ物みへず、後の物には、さいしとのみ名はみへたれど、形狀はしられず、雅亮裝束抄には、五節の舞の下仕の女に、さいしを著てやる仕方を委くかきたる文をみれば、紐ありて髮に結びつける物也、然るに東山殿比の記錄女房飾抄に〈寫本〉圖あり、
釵子の圖〈さいしをよみくせにて、かいし、おしやしともいふよし、〉
二本一對さいしにそふる物なり、銀にて作る、
銀にて作之
右のさいしを髮にかざるには、垂髮のつむりのまん中へ小枕をいれて、瘤だつ物をこしらへ、これにさいしを結びつけるなり、結びやうは雅亮裝束抄に〈五せちの所〉くはしくみへたり、髮の毛を瘤 だつ形ちに作るを寶髻と名づく、是髮のゆひ風に名あるのはじめなり、
p.0449 首飾
女の首飾つぶさにしりがたし、〈○中略〉玉海に、理髮具〈○中略〉釵子四〈花釵子一、二有レ緖、○中略〉と見ゆ、〈○中略〉釵子四といへる注に、花釵子一ツ、二有レ緖とは、花釵子左右よりさす二本にて一具也、二有レ緖とは釵子也、〈○中略〉釵子もかづらとかみとをひとしくかたむる料也〈○中略〉花釵子はもとゞりをとめむ料也、〈○中略〉江家次第、節會の内命婦なども、朝服にはあらねど、華釵とあれば、首飾のみは、やゝ殘りてけり、後の代、となりては、ゑりぐし華釵などつくることなく髻もなし、たゞかみをあげてさいしさし、くしのみなりき、〈釵子の緖は、髮あるにはもちゐず、髮なき時も或はもちう、五節には、たれかみにも、さいしをさして緖をたるゝ也、〉是を平額といふにや、常に陪膳などするには、かくしたりけり、
p.0449 五せち所のこと
ひめ君は五せち所にて、かみあげのさうぞかすこと也、〈○中略〉おほかたは五せちのあいだは、ひ め君以下さぶらふべきことなり、わらは、しもつかひのさいし(○○○)、ひめ君のかづら〈○中略〉とりぐし て、うちみだりのはこのふたにいれて、二かゐにおくべし、〈○中略〉
ひめ君のさうぞく〈○中略〉
とらの日〈○中略〉かんざし(○○○○)、さいし(○○○)四すぢあるを本所にまうく、〈○中略〉しもづかひのさうぞくの寸法〈○中略〉
しもづかひのさうぞく、〈○中略〉つぎにさいしをさすべし、むらごのみつくりのをゝつけたり、ま づむらごをとりて、なかをりにとりなして、ひとむすびして、さいしをつらぬくべし、たゞしか たかたをすこしながくすべし、いたゞきよりひきこさんよういなり、さいしをひだりのてに とりて、しもつかひにむかひてたちて、わけめの右のかたのかみを、すこしさいしにてすくひ て、わけめをこして、又わけめの左のかたのかみを又すくひて、さいしのさきのいでたるに、このむらごのいとのかた〳〵を、わけめのうへよりひきこして、さいしのさきにからむなり、
p.0450 御膳事
朝餉女房皆上レ髮、三位以上釵子許也、暑氣比、凡聽レ不レ上レ髮、
p.0450 一理髮具〈○中略〉釵子
p.0450 にしによりて、おほみやのおもの、れいのぢんのおしき、なにくれのだいなりけんかし、そなたの事はみず、御まかなひ宰相の君さぬきとりつぐ、女房もさいし(○○○)もとゆひなどしたり、
p.0450 壽永元年七月廿三日辛卯、藏人少輔問二立后事一、〈○中略〉
金釵子〈○中略〉如二注文一者、被レ用二永久御物一歟、在二何所一哉、答云、如二注文一者、年預所レ課之中也、然而被レ用二永久御物一歟、其在所不二覺悟一、但不レ違之注文載二其旨一者、勿論御膳女房裝束之内、裙補、比禮、釵子等誰人所レ課、件裝束等自二院御方一内々有二沙汰一、其中釵子、年預調進、但近代其數减歟如レ例、 八月十四日壬子、今日有下册二命皇后一〈○安德准母亮子内親王、後白河皇女、〉事上、〈○中略〉此間皇后理二御髮一、〈○註略〉御理髮具、鬟、金釵子、〈(中略)巳上永久御物也、至二于承安一被レ用之、今度被二尋出一之、〉
p.0450 元曆元年十一月十八日癸卯、此日踐祚〈○後鳥羽〉大嘗祭也、 廿二日丁未、大將〈○藤原兼實子良經〉五節裝束已下饗祿等注文、 丑日〈余(藤原兼實)沙汰○中略〉梅唐衣〈○中略〉釵子〈在レ緖○中略〉 卯日〈攝政○藤原基通、中略、〉萌黃唐衣〈○中略〉釵子〈在レ緖○中略〉
五節雜事、〈依二略儀一無二定文一、長寬例也、〉此注文、泰經注進之、〈○中略〉
一理髮具〈○中略〉釵子四〈花釵子(○○○)一、二在レ緖、〉
文治六年〈○建久元年〉五月三日丙辰、此日中宮〈○後鳥羽后任子〉八社奉幣也、〈○中略〉先レ是中宮有二御湯殿事一、〈○中略〉其後著二御帳南面平敷御座一、〈(中略)又雖レ不レ理二御髮一、差二給釵孑一、是憶二事理一所爲也、〉陪膳御匣殿同差二釵子一、〈不レ理レ髮〉著二物具等一、可レ然之中臈 等各有レ障、仍兵衞督爲上取二入御贖物一之役人上、〈装束釵子、同二陪膳一、〉
p.0451 藏人所注進御卽位調進物用途事〈○中略〉
一女房禮服四十具〈今度三十四具〉
褰帳二人、〈○中略〉位驗一頭、〈釵子上居二金鳳一含二玉一顆一、高一寸、長二寸、○中略〉 平釵子(○○○)二枚〈如レ常○中略〉
内侍二人、〈○中略〉位驗一頭、〈釵子上立二麟形一、長一寸五分、高六寸、居レ雲、長二寸、飾二玉四顆於頸一、○中略〉
平釵子二枚〈同〉
威儀命婦四人、〈○中略〉位驗一頭、〈同前〉 平釵子二枚〈同前〉
p.0451 鑷〈ミヽクシリ〉
p.0451 耳攪(カキ) 耳觽(クジリ)
p.0451 耳攪(ミヽカキ) 耳搔(ミヽカキ)
p.0451 穵子(ミヽカキ)〈又云穵耳〉
p.0451 みゝかき 穵耳を訓ぜり、耳爬子も同じ、穵はくしる意なり、類聚雜要には耳决と見えたり、
p.0451 耳决
〈銀一兩三分 單功一疋〉
p.0451 銀耳觽
p.0452 鑷子 釋名云、鑷〈尼輙反〉攝也、拔二取毛髮一也、楊氏漢語鈔云、〈波奈介沼岐〉俗云、〈計沼岐〉
p.0452 按、説文無レ鑷有レ籋、云箝也、徐音尼輙切、則知籋鑷古今字、
p.0452 鑷攝也、攝二取髮一也、
p.0452 鑷〈音聶 ケヌキ〉 鑷子〈ハナケヌキ、俗云ケヌキ、〉
p.0452 鑷子(ケヌキ)〈拔二収毛髮一〉 鑷 鋏刀〈巳上同、亦ハサミ、〉
p.0452 鑷子(ケヌキ)〈毛抜也〉
p.0452 銸(けぬき)〈音攝〉 鑷〈同〉 和名波奈介沼岐
p.0452 鑷子(けぬき)
p.0452 鑷子 けぬき 毛拔 〈異名〉却老先生
p.0452 ありがたきもの
ものよくぬくるしろがねのけのき(○○○○○○○○)
p.0452 一母屋調度〈○中略〉
甲筥懸子納〈○中略〉鑷子二〈一兩二分○中略〉
懸子納〈甲乙同前○中略〉鑷子四枚〈銀三兩、單功四疋、各一兩二分、各一疋、○中略〉
一庇具〈○中略〉
鑷子
銀一兩二分
單功一疋
一北庇具〈○中略〉 納物懸子〈○中略〉鑷子〈六疋○中略〉
納物料銀百九十七兩三分四朱〈○中略〉鑷子〈一兩六疋六升〉
p.0453 銸
凡用二古船釘一爲レ(○○○○○○)鑷者良爲レ潮腐鏽、再鍛レ之卽鐵更柔輭、
p.0453 げつじき 木鑷子
p.0453 關東昔侍形義異樣なる事
諸侍の形義異樣に候ひし、〈○中略〉扨又げつじきと名付て(○○○○○○○○)、木をもて大きに木ばさみを作り(○○○○○○○○○○○○○○)、其げつじきにて、かしら毛をぬき、又鬢の毛のあひをぬきすかし、皮肉の見ゆる程にして、髮をばびなんせきにて、びんを高くつけあげ給へり、〈○又見二慶長見聞集一〉
p.0453 銸〈○中略〉
按、華人不レ拔二髭鬚一、而長者以爲レ美、本朝亦古者然矣、唯拔二鼻毛及白髮一爾、故和名以二鼻毛拔一爲レ本乎、近世面部不レ好二眉外有一レ毛、
p.0453 月額
月額そる事、北條氏執權せし頃より始まるにや〈○中略〉むかしは、げしきとて髮をぬくものを以て、額上を少ぬきしに、信長公髮をぬきて益なく、頭のいたむ事をうれひて、剃刀を用給ひし也、其いにしへは髮をそる事、僧尼の外は、きはめていま〳〵しき事にせしとかや、
p.0453 眉を畫くは、もとの眉を鑷子にて拔さりて〈○註略〉畫くにて、こはいと後の風俗なり、
p.0453 東宮御元服
二階南立二唐匣一、〈○中略〉第二層、有二櫛四枚、刷二、鑷刀(○○)一、
p.0453 海なふて生魚絶えぬ都かな 日數消行ての後、源右衞門、劒術功者のよし、誰れいひふるゝともなしに、家中へばつと其沙汰聞へて、額に鑷子をあて、鬢に伽羅を引程の若い者ども打より、心安だての師匠にたのみ、〈○下略〉
p.0454 增譽曰、前田利家ノ姓ハ菅原ナリ、〈○中略〉利常鼻毛ノ延過テ見苦シケレドモ、是ヲ申出ス者ナシ、本多安房守ガ鏡ヲ土産ニシテ、近習ノ士ニ申付、鼻毛ヲ夜詰メニハ拔セテ見レドモ、知ラザルヨシニテ居給フ、此節近仕シケル掃除坊主入湯ノ土産ニ、横山左衞門佐ガ指圖シテ、鼻毛ヌキ(○○○○)ヲ捧サセケル、利常是ヲ見給ヒテ、老臣以下ヲ招キ申サレケルハ、我鼻毛ノ延タルヲ、何レモ笑止ニ思ヒ、世上ニテ鼻毛ノ延タル虚氣者ナドイフハ、利常モ心得テ居ルゾ、此頃安房守ガ鏡ヲ送リタルヨリ、近習ノ者共、懷へ顏ヲ差入、鼻毛セヽクリ、態ザト痛ムツラツキ、此ノ坊主ガ、鼻毛ヌキヲ持參シタルモ、汝等ガサシヅセズバ爭デカ持參セン、皆察シナガラ其マヽニサシ置シ也、其意昧申聞スベキ爲呼タリ、我今大名ノ上座ニシテ、官祿日本ニ知レタル利常、利口ヲ鼻ノ先ニ顯ハス時ハ、人氣ヅカヒシ大キニ疑ヒ、存ジ寄ザル難ヲ請ル者也、我タハケヲ人ニ知ラセテコソ心易ク三ケ國ヲバ領シ、何レモ樂シマシムルハト宣ヒシト也、
p.0454 公方家
館林樣御加增の時分は、御老中御用部屋迄御禮に御出被レ遊候、其節空印髭を拔て居、御著座の時に臨て、鑷を收て御仕合の儀など御挨拶申上る、
p.0454 鑷子、髭を作る事を好むころ、書院のたばこ盆に毛拔を添置たり、是を書院けぬきといふ、明曆二年の刻梓、世話燒草に、なむぼうか冷る書院の内ならん月にくさめをするはな毛拔、南方(○○)は毛拔の異名なり、漢土にても白髮を拔く、これを鑷白といふ、楊誠齋、鑷白詩、止レ酒愁無レ那、哦詩意已關、鑷レ髭非二急務一、也遣半時閑、〈○中略〉
ある通人と稱する者、心に恊へる鑷工あり、是を雇ひて額髮を拔しむ、鑷工家内に要事ありて歸 らんことを請ふ、通人これを今しばしとめて金壹分を與ふ、やがてまた歸らんとすれば又金を與ふ、其内、家より小者を遣して呼しむ、通人又金を與ふ、二時に至らずして金子あまた費したりとぞ、
p.0455 尾張 南方鑷(ナンバウケヌキ) 越前 金津鑷(カナヅケヌキ)
p.0455 諸職名匠諸商人
鑷子屋 日本橋南四丁目 うぶけや茂左衞門 淺草通九町目 河内
p.0455 けぬきを南方と名つけしこと
一名古屋鑷を製する鍛冶に南方と云者有、傳へ言、義敎將軍〈○足利〉の富士御覽の時、熱田の圓福寺に御止宿ありし時、鑷鍛冶、けぬきを奉りしかば、なんぼうよき鑷也と仰ありしより、家號とせりとなん、〈按此説非なり〉此號は近衞龍山公より拜領の號なりといふ、是は孔明出師表に、ふかく南方不毛の地に入とありしより、能喰ふ鑷の號に被レ下しとなん云傳ふ、此説是ならんか、
p.0455 南方鑷(○○○)
尾州名護屋の産也、南方の名は近衞殿のつけさせられしと云、孔明が出師の表に、深く不毛に入り、今南方已定、甲兵足れりの心也と云、
p.0455 榊巷説苑曰、鑷子を南方と名づけたるは、不毛と云心にて、出師表よりいふとぞ、むかし關東へ下りける勅使の、かのけぬきもとめて、さる名をばつけゝるとぞ、筑後守君美申されし、
p.0455 南方鑷
諸の道中記には漏たれど、尾張宮宿の〈○中略〉南方の鑷は、古來只一家にて、あまた賣るゝものにもあらねば、贋物を造る人もなく、分家などいふもある事なし、寬永十五年重種の編輯しける毛吹 草〈四卷〉諸國名物にも載て、尾陽發句帳〈撰集の年月をしるさず、明曆のころの古調也、〉上卷にも、
柳 南方のかぜは鑷の柳がみ 何人
と詠り、〈○中略〉南方は北につきての稱號かと思ひしに、此鍛に通稱次郎左衞門は世々中山と名のれるよし自いへり、此家の招牌極て古朴なるものなれば、先手習おきつるをこゝに縮寫す、文字は皆彫上たるものなり、〈○圖略〉
義敎將軍の頃より有無は、何ともいひがたけれど、いと古き名物なる事は論なし、今も他物は造らず、鑷のみ製して世を渡るは、めづらしき家なりといふべし、
p.0456 一説に尾張國名古屋に南方といへる鍛冶あり、彼を南方といへるは、源敬卿、かれが作りし毛拔にて御髭をぬき給へば、よくぬけて少しも殘らず、南方不毛之地といふことのあれば、常にかれを南方と仰られしより名となるなり、二説いづれが是なるを知らず、
p.0456 題しらず
鑷是南方强
中庸云、南方之强與、北方之强與、けぬきのつよきをいふ、