p.0071 合子 唐式云、尚書局、漆器三年一換、供二毎節料一朱合等、五年一換、今案朱合、俗所レ謂朱漆合子也、
p.0071 按、合子有レ蓋、故名レ合、猶下謂二香匳一爲二香合一、蛤蜊亦以レ有レ蓋得中蛤名上、則知今俗所レ用漆椀卽是、然今節會所レ用合子無レ蓋、爲二撤食器一、恐非二古義一、
p.0071 合子〈カウシ〉
p.0071 合子(ガウシ)
p.0071 一合子(ガウシ)とも合器(ゴキ)とも云は椀の事也、身とふたを合する故の名也、合器を五器と書てめしわん、汁椀、平皿、つぼさら、こし高の五也と云説あり、あやまり也、
p.0071 いみじぐきたなき物
殿上のがうし(○○○)
p.0071 合子にや、引入合子など云也、五器也、
p.0071 御だう〈○藤原道長〉には、かんのとの〈○嬉子道長女〉の御ほうじ、九月〈○萬壽二年〉廿一日に、あみだだうにてせさせ給、きこしめしけるごき(○○)を、ほとけにつくり、たてまつらせ給へるなりけり、
p.0071 就レ其椀折敷二十人前、新用意仕置候、但椀者朽木五器(○○○○)、木具金薄押可レ然候哉、
p.0071 これはつくも所、さいく三十人ばかりゐて、ぢん、すはう、したん、らして、〈○中略〉ろ くろしどもゐて、ごき(○○)どもおなじものしてひく、〈○下略〉
p.0072 十七番 左 ひきれうり
秋うるしぬる夜はいかにわれひきれはけめは白き村雲の月
左さることゝは聞ゆるを、はけめと云やたゝ詞ならん、絶まといふべきを、ひきれに引れていへるにや、〈○中略〉
我戀はしはすのはてのうりひきれぬるかとすればいそぐ別路
左しはすのいそがはしさに、なま塗のひきれは、さもと聞えたり、
p.0072 惠心僧都の頭陁行せられけるをりも、京中にこぞりていみじき御時をまうけつゝまいりしに、この宮〈○遵子〉よりは、うるはしくかねのごき(○○○○○)どもうたせ給へりしかばこそ、かくてはあまりみぐるしとて、僧都乞食とゞめ給ひしかば、〈○下略〉
○按ズルニ、今昔物語ニハ此事ヲ擧テ、カ子ノゴキヲ銀ノ器トセリ、
p.0072 御ものだい九ようひ、こがねのごき(○○○○○○)よきまいり物おなじかずなり、みこたちかんたちめに、したんのついがさね、おなじろくろびきのごき(○○○○○○○○)、ほど〳〵にしたがひて、そなへてまひる、
p.0072 かくてきさいの宮賀、正月廿七日にいでくる、〈○中略〉かねのごき(○○○○○)に、こがねのけうてり、これらよりはじめてせぬ事なし、
p.0072 こもちの宮の御まへに、しろがねの(○○○○○)ついがさね十二、おなじごき(○○)すへて、しきものうちしき、いときよらなり、
p.0072 大和上曰、不レ須レ愁、宜求二方便一必遂二本願一、〈○中略〉備二辨〈○中略〉漆合子(○○○)盤卅且ハ一、
p.0072 建久三年四月二日癸卯、〈○中略〉下官〈○藤原定家〉撤二弓箭、纓劒一、供二朝夕御膳一、〈藏人今夜相觸也〉御黑漆無 レ臺、御座平座敷レ席、有二御脇息圓座一、止二銀器一、用二黑漆合子(○○○○)一、高盛御さば器等缶器如レ恒、
p.0073 里ばなれたる處などには、漆もぬらぬ合子を用ひたる故に、質朴に堅固なるものを、白木合子(○○○○)といふ是なり、夢窻國師本來意をよめる、山賤の白木の合子そのまゝに漆つけねばはげ色もなし、
p.0073 同〈○北院〉御室隨身中臣近武がはかまぎを執し覺し召けるに、何事のはれにてか有けん、上童を召供せらるゝ事有けるに、近武を召て、汝がはかまぎは殊に執し覺しめさる、此童に其定に著せてとらすべしと仰られければ、近武承て則かの童の出立の所へ行にけり、先酒をこひ出していひけるは、大がうし(○○○○)にて五ど召べし、其後たか枕をしてしばしねべきよしをいひければ、童も堪能者にて有けるにや、かひ〴〵敷いふがごとくにのみてねにけり、
p.0073 仁安二年二月十一日庚辰、〈○中略〉關白被レ行二朱器饗一之時、箸、七、幷小合子(○○○)兩三、諸卿懷中之、故實云々、
p.0073 引入合子(ヒキイレカウシ/○○○○)
p.0073 引入合子
貞丈云、引入の二字ひきれと讀べし、職人盡歌合に、ひきれうりあり、歌にもひきれと讀たり、其繪にはうるしぬりの椀を賣る體を畫たり、椀はめしわん、汁わん、ふた等を重ね入るやうに作たる故に引入と云なり、合子はわんの事なり、みとふたと合ふことゆへ合子と云なり、本式の食器はかはらけにてふたなし、
p.0073 曳入合子(ヒキイレカウシ)
p.0073 二十番 右 ろくろし
嬉しくもひきれ(○○○)にしたるつきの木の月のかけぬをこよひみる哉
p.0075 轆轤師靑陽
轆轤師塗師の正月、五日より銫鉞の具足を調、〈○中略〉引入合子〈○中略〉みな此轆轤師より起りて、三國一をうたふ正月、
初春の花をながめて 花見ればこゝろはよし野うるしとは御器ぬしまでもおもひしるわん
p.0075 其前立レ机、〈花立也〉居二飯一坏幷菓子魚鳥等一、但以二他物一造之、非二實物一、其器如二唐合子(○○○)一、〈、菜器以二水牛角一作之〉
p.0075 光隆卿向二木曾許一附木曾院參頑事
中納言〈○猫間光隆〉ハ、斯ル由ナキ所へ來テ、耻ガマシヤ、今更歸ランモ流石也ト思テ、宣フベキ事モハカバカシク不レ被レ仰、興醒テ堅唾ヲ呑デ御座ケルニ、何鹿(イツシカ)田舍合子(イナカガウシ/○○○○)ノ大ニ尻高ク底深キニ、生塗(ナマヌリ)ナルガ所々剝タルニ、毛立シタル飯ノ、黑ク籾交ナリケルヲ、堆ク盛上テ、御菜三種ニ平茸ノ汁一ツ折敷ニ居テ、根井持來テ、中納言ノ前ニサシ居タリ、大方トカク云計ナシ、木曾〈○源義仲〉ガ前ニモ同ク備タリ、木曾ハ箸取食ケレ共、中納言ハ靑ク興醒テメサズ、木曾是ヲ見テ、如何ニ猫殿ハ不レ饗ゾ、合子ヲ簡給歟、アレハ義仲ガ、隨分ノ精進合子(○○○○)、アダニモ人ニタバズ、無鹽ノ平茸ハ、京都ニハキト無物也、猫殿只搔給へ〳〵ト勸メタリ、〈○中略〉其後根井猫間殿ノ下ヲ取テ、中納言ノ雜色ニ給、雜色因幡志、腹ヲ立テ、我君昔ヨリ斯ル淺猿キ物不レ進トテ、厩ノ角へ合子ナガラ抛捨タリ、木曾ガ舍人是ヲ見テ、穴淺增ヤ京ノ者ハ、ナドヤ上臈モ下臈モ物ハ覺ヘヌ、アレハ殿ノ大事ノ精進合子ヲヤトテ取テケリ、〈○又見二平家物語一〉
p.0075 日向 五器
p.0075 室咲の質草
南都の皇居に遠からぬ、六田の郷の質屋と、無理な和訓も典物を預る世渡り、よし野五器堅い身 上羨るゝ、好事屋寶樹といふものありけり、
p.0076 同國〈○近江〉中名物出所之部
朽木塗物〈盆、鉢、五器等、〉
p.0076 一梶井殿平生御膳〈一日兩度也〉御器(○○)、〈表裏黑漆也、無紋也、〉江州クルシノ庄ヨリ毎年進納、〈今ハ不レ納〉
p.0076 長刀はむかしの鞘
紀伊國五器、鍋蓋までさらりと新く仕替へて、〈○下略〉
p.0076 たゞこの君だちの御中には、大納言源昇卿御女のはらの顯忠おとゞのみぞ右大臣までなり給へる、〈○中略〉御めし物はうるはしくごき(○○)などにもまいり、すべてたゞ御かはらけにて、だいなどもなく、おしきにとりすゑつゝぞまいらせける、
p.0076 保延元年正月十六日庚寅、〈○中略〉依二御物忌一無二御出居一、飽飩飯盛二於小盤一、節會時盛二合子一也、
p.0076 久安六年正月十九日丁酉、〈○中略〉次家司〈親隆朝臣同著〉職事侍等著二臺盤一、〈先レ是備二饗於臺盤一交居二合子一飯菜、非職諸大夫不レ著二臺盤一云々、〉
p.0076 ないらんのいゑにもやのだいきやうを、すきのだい饗となづけてせらるゝ事あり、〈○中略〉そむざ以下の上達部に、ちいさき大ばんをすへてがうし(○○○)のやう〳〵なるにて、きやうをすふるなり、
p.0076 御寢之後、主殿司寄レ疊垂レ幕、〈夏之時無レ幕〉藏人等付レ寢、殿上人同之、獻二殿上人一以二合子(○○)一爲レ枕故實也、
p.0076 善惡の二ツ車
今一人の乞食も老足なれば、駕籠に乘せ東路に下りぬ、殘るものとて滅形合器(○○○○)、貝杓子、古筵の朝露夕部に風の身を責め、〈○下略〉
p.0076 編笠は重ての恨み めけ器(ごき)を持て、人の手より口にうつし、時節も有物かな、自由なる御情にあづかると、袖下より手を入るゝも有、
p.0077 是は頓作内儀の手柄
都錦の小路山伏山の町の點者、用事有りて大峰のずしの點者方へ行れければ、亭主立出で樣々の物語しける、折節夕飯時分になり、ごき(○○)や膳の音高く聞ゆれば、定めし夕飯がな振舞るゝよと心待して居けれども、中々熱き茶さへ飮さず、餘り憎しと思ひて、内儀方へ一首贈らるゝ、
大峰のずしに始て來て見ればごきやぜんきの音ばかりなり
内儀おかしく思ひて、取敢ず返歌、
ごきぜんき其品々を聞からは山伏山の町の人かや
p.0077 人はそだち
一大和の傍に十市とて大名ありしが、世にをちぶれ、吉野のにしつこうにおはせし時、あたりの者共をふるまはんと觸らるゝやう、此いく〳〵かに、誰々女中どもに、わたり候へとなり、山がつの寄あひ、女中(○○)とは御器(○○)の事なるべし、窂人にてましませば、椀などもあるまじ、てんでにもちて、ゆけやといひつゝ、御器をわたしさまに、是は我等がはげ女中〳〵と、申てさし出した、
二人靜に、にしつかうといふ正字を辨ぜず、色々に書たるあり、彼瀧の東に有村を、東川といひ、西にある在所を、西川といひ、如レ此書也、
p.0077 疊子 唐式云、飯椀、羹椀疊子、各一、〈楊氏漢語抄云、疊子、宇流之沼利乃佐良、〉
p.0077 按〈○中略〉疊子又作二牒子一、法隆寺資財帳有二牒子一、大安寺資財帳有二漆塗圓牒子一、俗又作二楪子碟子一、今俗呼如二茶都一、卽牒子之音轉、〈○中略〉疊子淺薄可二重疊一、故謂二之疊子一、牒、札也、又有二片薄義一、且與レ疊同音、故或作二牒子一也、 ○按ズルニ、疊子楪子音通ズルヲ以テ、其字ヲ共ニ用イシガ、後世楪子ノ字ノミ用イテ、疊子ノ字ハ用イザリシナリ、今俗ニ云フ腰高ハ蓋シ疊子ノ遺製ナラン、
p.0078 濟瀆廟北海壇祭器碑 碑陰〈○中略〉
椀二百箇 疊子(○○)五十隻 盤子五十隻〈○中略〉
按〈○中略〉疊子厠二于椀後一、卽今俗名二碟子一、疊有二重累之義一、碟音舌、集韻云、治皮也、不二與レ碗同一レ類、今俗作レ碟非也、
p.0078 楪子(チヤツ)
p.0078 楪子(チヤツ)〈梡〉
p.0078 楪子(ちやつ)〈椀具〉
p.0078 楪子(チウツ)
p.0078 楪子(チヤツ)〈皿之屬〉
p.0078 國子 言、歲春秋仲月上丁日、釋二奠於文宣王一用二本 官房錢亠ハ十貫一、止レ造二茶食等物一大小楪(○○○)排設、
p.0078 厨子(ツス)
p.0078 豆子(ヅス)〈梡〉
p.0078 ツスチヤツナンドヽ云字ハ何ソ
楪子大ニ淺シ、豆子小深ト書ケリ、楪子トハ宋音歟、楪余渉反ナレバ、楪子ト云ハ、呉漢ノ兩音ニ非ズ、今然ヲチヤツト云ハ、子(ス)ヲ略セルニヤ、是ヲ字ノ訓ト思ヘル人有テ、楪ノ一字ヲ用ル有、是ハ如何侍ラン、和訓ニハ非ズ、〈○中略〉是等皆禪家ノ詞也、
p.0078 楪子(ちやつう)〈○中略〉 豆子 楪子
按、楪子、淺盤而有二高臺一、
豆子者、壺盤之小者、楪子與レ此漆器、僧家多用レ之、盛二調菜一、蓋祭祀器有二爼豆二物一、豆子卽豆之略制矣、
p.0079 牒子(○○)陸拾伍口
p.0079 平家
一橋のゆきげたを、さら〳〵〳〵と走りわたるを、やゝもすればわするゝ、そちは鈍なり、膳にすはる皿にておぼえよといはれ、ある時又橋のゆきげたを、ちやつ(○○○)〳〵〳〵とはしりわたるとかたりことば、
p.0079 木屑の杉やうじ一寸先の命
是がをさめなれば、すこし物入もいとはず、ばんじその用意すれば、近所の出入のかゝども集り、椀家具、壺、平、るす(○○)、〈豆子〉ちやつ(○○○)迄取さばき、手毎にふきて、膳棚にかさねける、
p.0079 ちやつはくわしのみを、盛ばかりにてはなし、客と茶をのむ時、これにすえて出しおけば、一座の中、茶わんまちがわずしてよし、〈○圖略〉
p.0079 托子(タクス)
p.0079 托子(タクス)
p.0079 托子(ちやだい) 茶柘〈音託〉俗云茶臺〈○中略〉
按、手承レ物曰レ托、〈拓同〉今以二托子一進レ茶者、使二熱湯不一レ損レ掌、且憚二己手不潔一也、
p.0079 托子 又曰、〈○事始〉建中初、崔寧女以二金盞無一レ儲、病二其熨一レ指、取二楪子一承盛レ之、旣啜而傾、乃以レ蠟環二楪子中一坐レ之、盃遂定、卽遣下匠以二漆環一易上レ蠟、寧奇レ之、製名二托子一、遂行二於代一、後傳者更環二其底一、
p.0080 茶托 〈和名〉ちやだい
錄〈○茶錄〉に茶橐、譜〈○茶譜〉に茶托、圖〈○茶具圖賛〉に漆雕秘閣などいへり、今俗間に用ふる高茶臺 は全く漆彫秘閣を摸せるものにして、こゝに圖せるは、今の煎茶家に用ふる舶來新渡の形にて、却て後世のものとしるべし、銅錫磁さま〴〵のかたちもあれど、 此類の古色を存せるもの、近今の舶來には絶てなし、
p.0080 長享二年正月十五日、相公曰、茶湯器托子無レ葉、洒水器之托子有レ葉如何、總而如レ此之物乎、愚白、不二相定一者也、然上者只可レ爲二上意一、
延德二年十一月十二日、〈○中略〉又遣二泉里一云、當年未二請待一、今晩有二閑暇一者、來訪爲レ幸、云必可レ參、自二芳洲一沽二却建盞一ケ、同托子(○○)一ケ一、金絲轉曲賜之必可二買得一云々、代三百疋云々、〈○下略〉
p.0080 旦那を尻に敷火燵温かな手代が懷中
万たしなみふかく、連れて來た腰元に、茶臺にて茶をはこばせ、〈○下略〉
p.0080 拔目のない始末の談義利の强ひ世帶藥
次男に鼓を打習はせ、女房娘に不斷鹿子の裲襠著せ、常住高蒔繪の茶臺(○○○○○○)にて茶を運ばせ、〈○下略〉
p.0080 納敬(ちやだい/○○)、茶碗は、湯の沸たつ間に拭て置べし、
p.0080 茶盞室(チヤサンシツ/チヤワンイレ)
p.0080 納盞筒(ちやわんいれ)
p.0080 畚 畚以二白蒲一捲而編レ之、可レ貯二盌十枚一、或用レ筥、其紙帊以二剡紙一夾縫令レ方、亦十レ之也、
p.0080 竹の筒の茶わん入は、高翁もいまだはからざるの佳境なり、尤竹のうつくしきをゑ らび、茶わんの大小によりてつくるべし、〈○圖略〉
p.0081 〈和名〉ちやわんいれ
經〈○茶經〉には畚とあり、此畚とは蒲にて編み、チヤワン十枚を卷きて、しまひおくものとなり、今こ、こに圖せる如き、竹にて製せるを畚とはいひがたし、按ずるに、是全く賣茶翁高遊外などの始て製せるものならんか、こはチヤワン五枚をいるゝを度とす、漢製も漢名もなければ、予はこれを茶盞室(○○○)と稱し、保壽(○○)と銘す、
p.0081 鉢〈甫活反、入レ飯器也、〉
p.0081 鉢 四聲字苑云、鉢、〈博末反、字亦作レ 見二唐韻一、今案無二和名一、以レ音爲レ名、〉學二佛道一者食器也、胡人謂二之盂一也、
○按ズルニ、天文本に俗云二波知一トアリ、
p.0081 鉢〈音撥、亦 、俗云、ハチ、以レ音爲レ名、〉
p.0081 〈正鉢、布末反、器、〉
p.0081 鉢〈ハチ學二佛道一者食器也〉
p.0081 鉢〈梵云二鉢多羅一、此云二應器一、今略云レ鉢也、又呼二鉢孟一、卽華梵兼名也、鉢者乃是三根人、資身要急之物、佛聽レ用二二種一、注レ之如レ左、〉
p.0081 鉢
本天竺國器也、胡語謂二之鉢多羅一、漢云二應量器一、省二略彼土言一、故名レ鉢、西國有二佛鉢一是也、宋廬江王以二銅鉢一餉二祖祈一、則是晉宋之間、始爲二中夏一所レ用也、
p.0081 鉢 音撥 〈本字○中略〉
按、鉢卽鐵鉢也、浮屠毎用乞レ施、有二投米者一、則發レ鉢受レ之、今俗磁器形似レ鉢者亦曰レ鉢、盛二肉及菓餅等一、
p.0081 踐祚大嘗祭儀
次各受二大膳職〈○中略〉陶鉢十六口一〈(中略)已上依二國解一所レ充〉
p.0081 供二神今食一料〈○中略〉 陶鉢(○○)八口
p.0082 供二新嘗一料〈○中略〉
陶鉢八口〈(中略)已上美濃國充之○中略〉 右主神司幷膳部所レ請〈○中略〉
陶鉢一口〈已上美濃國充之〉 右殿部所レ請
p.0082 踐祚大嘗祭供神料
陶鉢十六口〈○中略〉 供奉料〈○踐祚大嘗祭〉 陶鉢一口〈○中略〉 供奉年料〈中宮准レ此〉 陶鉢一口
p.0082 御寶物目錄
一燒物鉢(○○○) 十六
一燒物鉢 一櫃
p.0082 冷し物の事、夏は瓜など又は何にても、錫の鉢或茶碗鉢(○○○)などに水を入、冷して出すものなり、
p.0082 御寶物目錄
一硝子鉢(○○○) 一ツ
一鍮錫之鉢(○○○○) 一
p.0082 同〈○寬永三年九月〉十日、扨行幸ニ付、主上〈○後水尾〉御膳黃金白銀ニテ製調フ左ノ如シ、〈○中略〉御鉢(○)〈大小〉同製、〈○銀、中略、〉中宮ノ御方へ、〈○中略〉鉢(○)〈大小〉同製、〈○銀、中略、〉女院ノ御方へ、〈○中略〉鉢(○)〈大小二○銀製、中略、〉右御道具黃金白銀ニテ仕立、還幸ノ節直ニ御進上ニナル、
p.0082 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、
一銀御鉢 十 松平相摸守光仲 一銀御鉢 五 松平土佐守忠義
一銀御湯漬鉢 一 井伊掃部頭直孝
一カラ金大鉢 六
一カラ金小鉢 十 松平肥前守忠直
一錫御鉢 十 堀美作守親昌
一錫御鉢 十 津輕土佐守信茂
一大錫鉢 十 内藤兵部少輔
一錫御鉢 十 織田上野介
一錫御鉢 十 堀左門
p.0083 一又ある坊主のすゞのはちに、て、なますをあゆる所へ、人の來れば、ふと立てかくさんとすれど、まちかくなれば、あたまにいたゞき、まづ此なりにづきん、女共にぬはするが、何と御座らふといはれた、
p.0083 餅辭
水無月の朔日は氷餅とて、やごとなき上ツがたにも、もてはやし給ふに、草葉もよらるゝ土用の比、水餅の錫鉢にうかび出でたるぞ、上戸のしらぬすゞしさなりけり、
p.0083 木鉢(○○)きばち 江戸にてきばち、京にてひきばち、越後にてふくばち、土佐にてきぢばちといふ、
p.0083 御寶物目錄
一木鉢 一
p.0083 行事所雜物等 木鉢三口
p.0084 下野國中ヨリ出ル名物之類
同〈○日光〉木鉢(キハチ)
p.0084 芳野賦
産は、〈○中略〉木鉢、材木、山折敷、
p.0084 大和 塗鉢(○○)
p.0084 靑漆鉢(○○○)
p.0084 從レ堺細物道具來由承候、〈○中略〉染付鉢(○○○)、〈○中略〉加樣之道具一色成共御媒介賴申候、
p.0084 享保十二年極月十日、御茶、〈○中略〉 御肴〈芝川海苔、南京染付鉢(○○○)、〉
p.0084 不粹な客に粹な世話は蝦夷噺
當世は何にてもかはりたる事を仕出さねば、人も眼を止めず、享祿のむかし、都東山邊にて紙細工の鉢を仕出し、南京(○○)、印曼梨(○○○)の摸樣を寫し、錦出(○○)、金襴出(○○○)、さま〴〵に見事なる張たて、水の事は扨置、たきたてのあつものをいれても、すこしも損せず、ぱつちりといふ氣遣なく、麁相の小めろが取おとしてもわれざれば、遠方へのおくり物にして、その輕き事瓢も蔓をくはへ、凝ごんにやくも、中へ入事を耻る重寶、さてこそかるき物がはやると、〈○下略〉
p.0084 手柄は蜆がら身も蓋も蚫の片六
とかく今宵は不審だらけ、太皷仲間からの御慰とて、金銀の紙にて口を封たる蜆貝百計、錦手の鉢に盛て、海老江の庄六素袍の袂をひるがへして、千秋萬歲の千箱の玉を奉ると折目だかに持て出れば、〈○下略〉
p.0084 享保十二年閏正月廿三日、御茶、〈○中略〉 御香物〈○中略〉 鉢〈八角ノ平タキ赤繪ノ南京(○○○○○)〉
p.0085 享保十一年五月朔日〈○中略〉 會席〈○中略〉 鉢ミシマ(○○○)
p.0085 高麗燒物之類
古三島(○○○) 渡りにてひとへに古き物也、愡じて三島手と云は、茶碗の表に三島曆を見るごとくに竪なる細き繪あり、よつて又是を曆手共云なり、〈○中略〉鉢、〈○三島手鉢、中略、〉
一雲靍(○○○) 地紋に雲靍の繪有、繪を書、上に藥をかけたる物なり、〈○中略〉鉢(○)、〈○中略〉
刷毛目(○○○)、トハ内にても外にても、又内外共にても、はけにてはきたるやうに筋あり、ほり出の手と云、〈○中略〉鉢、〈○中略〉
金海(○○)〈○中略〉 鞁革(ツヾミカハ)鉢有、内に金之字色々有、〈○中略〉
御本手(○○○) 利休、織部本なり、是は兩人共に公方より、御本を受物好を加へ、高麗へ誂へ遣されしを、本のごとくにして本朝へわたりたるを、御本手と云、次第々々に御本有、〈○中略〉鉢、皿、
p.0085 染付物之類
金襴手(○○○)〈染付(○○)〉 嘉靖時代鉢皿小道具何れも上手多し、染付之物に所々金を燒付たる也、又金不レ入して、同時代の小道具有、又後渡有、
p.0085 挽鉢(○○)〈○圖略〉
徑一尺四寸六分、高五寸五分、内コウ臺高六分五厘、カウ臺徑八寸八分、同厚五分、
p.0085 入子鉢(いれこばち/○○○)
p.0085 鉢器大小數〈十誦律云、鉢、半鉢、大鍵 (シヨシ)〉〈鍵音處、 音咨、經音疏云、鉢中之小鉢、助鉢用故、〉〈小鍵 、〉〈僧祇同〉〈四分律云、鍵 入二小鉢一、小鉢入二次鉢一、次鉢入二大鉢一、〉〈此律言小鉢卽十誦大鍵 也、次鉢卽半鉢也、〉
p.0085 七鉢(なゝつばち)
p.0085 彼岸參りの女不思議
絹幕、括枕の見透くに、風呂敷引張りし中に、入子鉢の明空を枕にしたも、夢幻の春じやもの、恥の べき見にもあらず、
p.0086 木屑の杉やうじ一寸先の命
亭主の長左衞門、棚より入子鉢をおろすとて、おせんがかしらに取おとし、うるはしき髮の結目たちまちとけて、あるじ是をかなしめば、すこしもくるしからの御事と申て、かい角ぐりて、臺所へ出けるを、〈○中略〉さては晝も棚から、入子鉢のをつる事も有よ、いたづらなる七ツ鉢め、〈○下略〉
p.0086 淵の上に鯇魚(あめのうを)摑取の金銀は孝行の德
淵と思ふ處をさがしけるに、黑きもの山の如く見えければ、一摑み取て上れば、峰より年々流れこんで、堅まりし漆なれば、魚を入れん爲に持來りし、入子鉢へ漆を入て、鯇(あめ)は葛蔓にて結ひ提て豆歸り、〈○下略〉
p.0086 皷鉢(つゞみばち)〈盛レ物之具、形似二細腰皷一、〉
p.0086 寬永發句帳に、たんほゝをあへてやいるゝ皷鉢(○○)、 〈三直〉 立鼓の形したる鉢なるべし
p.0086 冑鉢(かぶとばち/○○)
p.0086 相摸 甲鉢(カブトバチ)
p.0086 親の心子しらず
醬油でからりと煎(いつ)たくわゐを、甲鉢(かぶとばち)、に入れてあがれば、〈○下略〉
p.0086 享保十一年四月廿一日、御茶、〈○中略〉 御香物〈ウリ、ナスビ、アユノ色付三匹〉 手ノアル鉢(○○○○○)〈○中略〉 御菓子〈色チマキ 笹ノ葉付 朝セン竹ノ子〉 靑地小鉢(○○○○)〈水グリ水ヲハリ〉 箸付
p.0086 寢た顏して聞ていれば、最前の肴るゐを、戸棚の小鉢(○○)、重鉢(○○)の類に入て、〈○下略〉
p.0086 引菜(ひきざい)は約束の鮎の叉燒(てりやき)肉、杢兵衞が靑磁の手鉢(○○)に、タツプリとあり、
p.0087 享保十二年五月十八日、午半參上、〈○中略〉 御菓子〈靑グシ、團子三ツ、黃赤白、〉靑磁ノウスキ鉢(○○○○)、〈水タメテ〉米琉璃砂糖入、〈木地フタ〉
p.0087 享保十九年十月四日、右京大夫へ御成、 拙〈○中略〉 鉢引〈シメジ鹽ヤキ、樂ノ薄鉢(○○)ニ、靑松葉ヲシキ、板ノ蓋ニ靑竹ノ取手、〉
p.0087 料理に用る諸道具字盡
丼(どんぶり)
p.0087 高麗燒物之類
金海〈○中略〉 どんぶり鉢(○○○○○)内に金の字有、或はなきも有、
p.0087 蕎麥屋の皿もりも丼(○)となり〈○下略〉
p.0087 天明元年辛丑、小石川布施氏〈○註略〉の宅〈江〉、洲崎望陀欄の主祝阿彌を招請、獻立、
〈琉球〉大丸盆
〈南京染付〉どんぶり 〈車ゑび あはび鹽もみ〉
〈同斷〉どんぶり〈鰯ぬた 唐がらしみそ〉
〈古渡南京染付〉平 鉢〈つくし よめな みつば ごまけし〉
〈くるみせうゆ古肥前小皿 銘々〉〈○中略〉
赤繪南京
大鉢(/○○) 鯉平作り〈ちよろぎ 黑くわゐ いり酒入〉
p.0087 大酒大食の會
文化十四年丁丑三月廿三日、兩國柳橋萬屋八郎兵衞方にて、大酒大食の會興行、連中の内稀人の分書拔、
酒組〈○中略〉
一五升入丼鉢にて壹盃半 〈小石川春日町〉天堀屋七右衞門〈七十三〉
直に歸り、聖堂の土手に倒れ、明七時迄打臥す、
p.0088 給仕酒の肴を、小皿へ取て出さば、大平にても鉢丼の類にても、盛たる姿に傚ひ、〈○下略〉
p.0088 側をみれば飯蛸(いひだこ)が七ツ八ツ、南京のどんぶりの中に、車座に座禪してゐる、〈○下略〉
p.0088 砂鉢(サハチ/○○)
p.0088 砂鉢(サバチ)〈支那所レ謂磁盆〉
p.0088 盤〈○中略〉
按俗用二皿字一、〈○中略〉而小盤爲レ皿、深盤爲レ鉢、淺盤爲二淺鉢一、〈佐波知上略〉並磁器也、
p.0088 又或時紀伊賴宣卿方へ、忠輝卿ヲ招カレ饗應有シ時、如何故ニヤ、忠輝卿兎角機嫌宜シカラズ、賴宣卿心配シ給ヒ、自身盃ヲ進メナドシ給ヘド、酒モ飮ミ給ハズ、然ルニ賴宣卿用事有テ、正木小源太ト云小姓ヲ呼ビ寄セ給フニ、忠輝卿其小姓小源太ヲ御覽ジ給ヒテ、賴宣卿ニ所望シ玉ヒケル、賴宣卿早速御承知有リケレバ、夫ヨリ大イニ機嫌宜ク成リ玉ヒ、興ニ乘ジテ傍ニ有合セシ大砂鉢ヲ取ラセテ、酒ヲナミ〳〵トツガセ、兩度迄飮ミ玉フトゾ、
p.0088 大名の留守居も、大かたは手前の宅にて、しつそに寄合、料理等隨分かろく、もし茶屋にて寄合と云へども、今は燒物に鰹節ひくことさへ、常と心得、傘などひくことあり、又は吸物椀、皿、さ鉢(○○)、その外下直成る道具、煮物には、更に火を不レ入、なまもの持歸り、家内のさいとする、
p.0088 夢かと怪し村雨女郎
二階より、禿とおぼしき女の童、銀の銚子に、金繪の砂鉢持て、女郎も姥も、引請々々のみしが、〈○下略〉
p.0088 ながめことなる高雄の紅葉
鹽漬の楊梅卷鯣に南蠻かけて、枕本に重ねたる砂鉢呑するを見て、病らはしやんすなと、いたは り丈の難レ有さ、
p.0089 磁器〈○中略〉 自二中華所レ來之磁器、有二畫僧牧溪之下畫一者、往々有レ之、多畫二鯉魚一、是謂二牧溪鉢(○○○)一之類也、
p.0089 造備雜物〈○中略〉
韲鉢(○○)二口
p.0089 合白銅漿鉢(○○○○)貳口〈佛物〉
p.0089 僉儀は花崎二枚手形
去年堀川の道具屋喜右衞門方にて、壹兩二歩に相調へし肴鉢(○○)御破り、〈○下略〉
p.0089 難波の色は埓もない者
しる人を相手に、肴鉢にて呑かけ、醉た機嫌に、丹波屋の女郎浮舟をかりて、朝込の約束、〈○下略〉
p.0089 客に下戸なしといふことを 朱樂菅江
客は皆酒の肴の鉢(○○○)なれやちよとよればさしちよとよればさし
p.0089 享保十二年四月三日、午後ヨリ左典厩ガ宅へ、茶ニ御成、卽チ御供、〈○中略〉 香物鉢(○○○)〈ヲリヘ四角、手付角ヨリ角エ、〉
p.0089 去る所の下女が、香の物鉢をとりおとして割ましたれば、内儀が大聲をあげて、おりん何をわつたのじや、〈ハイ〉かうのもの鉢を取おとしまして、大きに不調法でござりました、〈○下略〉
p.0089 菓子は菓子鉢(○○○)歟、銘々盆の類ならば、紙を敷に不レ及、〈○下略〉
p.0089 再進鉢(サイシンハチ/○○○)
p.0089 再進鉢
p.0090 再進鉢(サイシンバチ)
p.0090 再進鉢(ナイシンバチ)
p.0090 人の相伴する事
一さいしんをうけ候事、〈○中略〉又さいしん鉢を座敷にをく事は、もとはなく候、まいらせ候て、かげへ取候て、又なをし候て出候、貴人の御前へは、別に參候、當時さいしん鉢を、座敷にをかれ候故、勢州へ不審致候へば、其事にて候、當時如レ此候との給ひ候し、
p.0090 踐祚大嘗祭儀
和泉國、〈○中略〉鉢一口、
p.0090 凡應レ供二神御一雜器者、〈○中略〉和泉國所レ造、〈○中略〉鉢一口、
p.0090 凡左右京五畿内國調、〈○中略〉其畿内輸雜物者一丁、〈○中略〉鉢八口、〈受二五升一〉玉手土師鉢五十口、〈受二一升○中略、〉
凡諸國輸調一丁、鉢三十口、 美濃國調、〈○中略〉水鉢廿五口、 播磨國調〈○中略〉鉢卅二口、 讃岐國調、〈○中略〉鉢六十口、
p.0090 供二新嘗一料〈○中略〉
鉢八口
p.0090 供二新嘗一料〈○中略〉
鉢八口
p.0090 新嘗祭供御料
鉢廿六口、〈○中略〉右解齋料、但雜器年中七節通用、〈次條准レ此○中略〉 鉢廿六口、〈○中略〉右豐樂料、〈○中略〉 鉢廿六口、〈○中略〉右同中宮豐樂料、
p.0091 故の笹山の祖君〈靑山大藏大輔幸成、(幸成蓋忠成誤)從四位侍從、〉の許に客あり、菓子をつみて出しけるに、客歸られけるを過て、常にはうちの方より直に歸られけるが、いかゞ有けん、もとの道より入なんと有けるに、若者ども彼菓子をうち散し、喰などし、すべき樣なくして、其儘うづくまりしかば、打笑て菓子は心にまかされよ、鉢は秘藏のものぞ、わられなと云入られけり、
p.0091 執念は箱入の男
其後に水溜て深き鉢に櫻の花を浮て、生貝を角切にして、先細の箸を添て出せ、色座敷は仕掛ばかりの物ぞ、錢三十の物が小判貳兩になるを知らずや、〈○下略〉
p.0091 暗女晝化物
されども手の屆棚のはしに、〈○中略〉堀江燒の鉢に飛魚の干物、〈○中略〉絶えず取肴のある事ひとつなる客は是も喜悦也、
p.0091 筴箸〈上古狹反、箸、下丁庶反、飯敧也、筴也、亦取也、顯也、二字波志、策同、〉
○按ズルニ、飮食具ノ箸ハ治據切ナリ、而シテ戰國策ニ、智伯曰、兵箸二晉陽一三年矣トアリ、又列子仲尼篇ニ、形物其箸トアル箸ハ、直略切ナリ、爰ニ丁庶反トアルハ蓋シ誤ナラン、
p.0091 箸 唐韻云、筯〈遲倨反、和名波之、〉匙也、字亦作レ箸、兼名苑云、一名扶提、
p.0091 廣韻、箸、匙箸、説文、箸、飯敧也、廣雅筴謂二之箸一、玉篇、箸筴也、飯具也、卽此義、玉篇又載レ筯云、匙筯與レ箸同、按説文無二筯字一、又借二箸明附箸字一、遂爲二借義一所レ奪、後人作二筯字一、以爲二匙箸字一也、玉篇於二箸字下一不レ云二或作一レ筯、別出二筯字一、恐後人所レ增、〈○中略〉按禮記曲禮、羮之有レ菜者用レ梜、注梜猶レ箸、今人或謂レ箸爲二梜提一、兼名苑蓋本レ之、急就篇注、箸一名梜、所二以梜一レ食也、王應麟曰、字從レ木、則從レ木似レ是、然説文、梜、檢押也、挾、俾持也、二字不レ同、則知挾提之梜、古從レ手、後人從レ木以別二俾持字一、故王氏曰、从レ木、遂與二檢押字一混也、
p.0092 、飯 也、〈 各本作レ敧、支部敧持去也、危部 䧢也、 者傾側意、箸必傾側用レ之、故曰二飯 一、宗廟宥座之器、曰二敧器一、古亦當レ作二 器一也、箸曲禮謂二之梜一、假借爲二箸落一爲二箸明一、古無去入之別一、字亦不レ从レ艸也、〉从レ竹者聲、〈陟慮切、又遲倨切、五部、〉
○按ズルニ、説文ニ箸アリテ著ナシ、故ニ七箸ノ箸モ著明ノ著モ並ニ竹ニ從フ、
p.0092 筯(ハシ)〈拾遺〉
釋名、箸、〈時珍曰、古箸以レ竹、故字從レ竹、近人兼用二諸木及象牙爲レ之矣、〉
p.0092 箸
禮記曰、飯レ黍無レ以レ箸、韓子曰、紂爲二象箸一、觀レ之明箸前有二商紂一、始以レ象爲レ之耳、
p.0092 筯箸〈或正、長慮反、筴、ハシ、上又助箸二音、下音除、〉
p.0092 箸〈ハシ、亦作レ筯、〉 扶提 鋷
p.0092 筯(ハシ)
p.0092 箸ハシ 倭名抄に、筯はハシ、字又作レ箸、唐韻に、筯は匙箸也といふ、匙カヒ、兼名苑に匕一名は匙といひ、説文に、匕は所二以取一レ飯也と云ふと註したり、箸をハシといふは觜也、其食を取る事の、鳥觜の如くなるをいふなり、又ハシとは端也、古には細く削れる竹の中を折屈めて、其端と端とをむかひ合せて、食を取りしかば、かく名づけしなり、猶弓の弰、箭の筈をハズといふが如しといふ也、カヒとは古語に物の柄を呼びてカヒといふ、匕匙飯匙の如き幷にカヒといふも其義也、〈古の時に、箸竹幾株など云ひしは、今の如く二筋をもて、一前などいひし如くにはあらず、細く削り成したる一筋を、中より屈めて、その兩端を對して、食を取りたるなり、萬葉集に見えし弟の挽歌に、父母が成しのまに〳〵箸向ふともよみ、又今も諺に、箸折り屈めし兄弟なりなど云ふ事のあるは、古の遺言にして、其本一つなるものゝ相向ひぬるをいふなり、〉
p.0092 はし 箸も食する橋なるべし、よて御箸の渡るといふ辭あり、新撰字鏡に筴もよめり、今も大嘗會の箸、古へ尚方の箸も、竹を用ゐたる事、内膳式、姓氏錄に見えたり、中世も親王大臣にあらざれば、白箸を用ゐずといへり、箸臺といふあり、後世漆箸だにあるに、文正の比の 奢には、金をのべ沈をけづりて用ゐ、今は民間に象牙骨咄犀(ウニコル)を用るに至れり、驕奢の甚しき るべし、〈○中略〉信濃には、箸をはなぞうといふ、
p.0093 故所二避追一而、降二出雲國之肥河上在鳥髮地一、此時箸(ハシ/○)從二其河一流下、於レ是須佐之男命、以爲人有二其河上一而、尋覓上往者、老夫與二老女一二人在而、童女置レ中而泣、〈○下略〉
p.0093 賀茂初齋院幷野宮裝束
銀箸三具、〈各長八寸四分〉料銀小十二兩、和炭三斗、長功三人、中功四人半、短功六人、
白銅箸四具、料白銅大八兩、細布三尺、信濃布五尺、油二合、炭一斛、長功十二人、中功十四人、短功十六人、
p.0093 銀器
箸二雙 記云、長八寸四分、或記長七寸五分、一説八寸七分、
朝餉銀器
箸 記云、長八寸四分、或記同レ前、〈○長七寸五分〉
p.0093 折をしきじきろうのはしの長さ七寸たるべし、けづりやうは、かうばしのごとくけづり、金銀にみがき用る也、〈○下略〉
p.0093 主人ならせられ候事
箸はいねのほのはらみたるを學びてけづり候なり、てんしん箸は一尺二寸、御食の時は一尺一寸計也、
p.0093 箸〈○中略〉
按筯用二桑槐一作者良、杉檜次レ之、椹(サハラ)有二臭氣一不レ堪レ用、竹箸多漆二髤之一、凡異國人用二匕與一レ箸、本朝人不レ用レ匕、唯用レ箸、
p.0094 箸
杉の箸あり、竹の箸あり、竹の節をこめたるもあり、長短太細削かた等、流義によつて品多し、
p.0094 箸の寸法
長サ八寸五分〈大ノ方〉 同八寸〈小ノ方〉
右杉木也、あとさきを少細く、總體四角ニ少シ平目なるものなり、但、眞の不二角切一折敷の箸は、八寸五分の箸なり、但巾二分ニ厚サ壹分歟、
竹箸も同寸なり
p.0094 喰初の祝
喰初は誕生ありし當日より、百廿日めに養初の祝義あるなり、〈○中略〉箸は勝木なり、長サ壹尺二寸を用ゆ、
p.0094 亂前御晴之事
九番ニ花之御幸也、去レバ花御覽ノ結構ハ、以二百味百菓ヲ一ツクリ、御相伴衆ノ筯ヲバ、金ヲ以展レ之、御供衆ノ筯ヲバ、沈ヲ以削レ之、
一職掌禰宜内人物忌事
忌鍜治内人無位敢石部廣公
右人行事卜定、任日後家雜罪事祓淨〈氐〉、三節祭仕奉、御贄作奉淨小刀幷金御箸(○○○)作奉〈氐〉、別小刀三柄御箸四口、〈○下略〉
p.0094 左の大殿大きみ、春宮にさぶらひ給がもとより、〈○中略〉ちいさきしろがねのはし(○○○○○○○)、あまたすへて奉り給へり、
p.0094 人給料〈○中略〉 白銅箸(○○○)四具
p.0095 觀世音寺 嘉保年寶藏實錄日記
第三韓櫃〈○中略〉 銅箸(○○)貳具 前帳云、全、 寬治亠ハ年帳云、同前、
第六韓櫃〈○中略〉 鐵箸(○○)壹隻 前帳云、片平料、 鍜冶箸 寬治六年帳云、今撿同前、
p.0095 治承三年正月六日乙丑、今日東宮〈○安德〉御五十日也、〈○中略〉
此間供二市餅一云々、銀盤一枚盛レ之、柳箸(○○)匕摩粉木等置二樣器一、〈其體如二箸臺一云々〉
p.0095 除目のころ、子日にあたりて侍りけるに、按察更衣のつぼねより、松をはしにて(○○○○○○)たべものをいだして侍りけるに、 もとすけ
ひく人もなくてやみぬるみよし野の松はねのひをよそにこそきけ
p.0095 七不思議〈○中略〉 七には、松の箸(○○○)更に脂いでず、正月七日の間は太箸といひて、松の箸をつくりて、家毎に朝夕用ふる也、
p.0095 大僧供頭支度事
箸五十前〈檜(○)〉
p.0095 樂助が靱猿
さる人庭櫻咲きて見に罷りしに、〈○中略〉其竹椽の端に、丹波筑籬に入れて、杉箸(○○)を洗ふて干して置かせしは、此心入のうるさし、〈○下略〉
p.0095 箸のふときは蕎麥屋の樣なりと譬しも、いつしか細き杉箸を用ひ、天麩羅蕎麥に霰そば、皆近來の仕出しにて、〈○下略〉
p.0095 天仁元年十一月廿一日、亥一刻供二神膳一、其次第自二柏殿東一、其行列次第、〈○中略〉一人執二御箸筥一、〈納二竹箸(○○)六具一歟可レ尋、屈レ竹以レ絲結之、入二本柏四束一、〉
p.0096 乞食も橋の渡り初め
時に彼の老人、數多の者共を近ふ呼びて、萬を我にあやかるべし、〈○中略〉心の樂みを申せば、何れもあやかり者とて、竹の箸(○○○)切て貰ひける、
p.0096 十五日、名月御さかづき、つねの御所にて參る、まづいも、次ニ茄子を供ず、なすびをとらせまし〳〵て、萩のはし(○○○○)にて穴をあけ、穴のうちを三反はしをとほされて、御手にもたる、
p.0096 十四日 今明日龜戸香取太神宮祭禮〈○中略〉 祭禮の式、都ていにしへの儘にて、御供とて小麥をふかし、それへき葉〈芋の葉を紛にせしなり〉の粉をかけて、薄の箸(○○○)をそへて、御假屋にて寶前に供し、産子の人民も是を食す、
p.0096 少將〈○良岑宗貞〉には、ひろき庭に生たるなをつみて、むし物といふ物にして、ちやうわんにもりて、はしには梅の花のさかりなるをおりて(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、その花びらにいとおかしげなる女の手にてかくかけり、
きみがためころものすそをぬらしつゝはるの野にいでてつめるわかなぞ〈○又見二續後拾遺和歌集一〉
p.0096 ながえのてうしにもみぢのかわらけ〈○中略〉に同じ意也、 赤板のはし(○○○○○)を、紅梅のはしと云
p.0096 ある人のいへるは、いにしへの奢りといふは、今の質朴なるといふ程のことなり、〈○中略〉唐土の天子なれば、常に象牙の箸を用ゆといふ共、驕りとい、ふべき程の事にあらね共、天子といへども、古は象牙の箸(○○○○)など用る事なく、竹又は木の箸を用ゆと見えたり、近代唐船より象牙の箸はいふに及ばず、瑪瑙琥珀にて造たる盃、色々の彫物多く持渡れり、今は奢とも珍し共いふ人なし、
p.0097 一箸ノ事、白ハシ(○○○)バ銀ヲ學、赤ハシ(○○○)バ銅ヲ學也、銀ハ毒ヲ消故ニ學レ之也、赤ガネハ藥ヲ生也、依レ之學也、
p.0097 白箸 在二四條坊門一、箸木者美豆木、或宇利木用レ之、元出二丹波幷若狹一、於玆又改二斵之一、杉箸專用レ杉、
p.0097 白箸翁 紀納言
貞觀之末、有二一老父一、不レ知二何人一、亦不レ得二姓名一、常遊二市中一、以レ賣二白箸一爲レ業、時人號曰二白箸翁一、
p.0097 寬永五年正月三日、善兵衞白箸百膳持來也、
p.0097 寬永十年九月六日、二條殿、九條右大將殿、八條殿、三條前内府四人ハ敷居之内ニ、此四人ヘハ木具ノ臺ニ、御菓子餅ナドスエテ、白箸添テ、其外ノ衆ハ舖居ノ外ニ祗候、杉原ニ菓子居テ、亦箸添テ、右四人ヘノ御給仕ハ梅園、橋本也、
p.0097 寬永十二年正月廿八日、公方樣〈○德川家光〉御側ニハ、九寸ニ何ヤラン造花二本ニ、常ノヲコシ炭三ツ四ツ置合、カラスミト杏仁ト置マゼテ、白箸一膳アリ、
p.0097 長刀はむかし鞘
早極月初に万事を手廻よく仕廻て、割木も二三月までも貯へ、〈○中略〉塗箸(○○)、紀伊國五器、鍋蓋までさらりと新く仕替て、家主殿へ目黑一本、〈○下略〉
p.0097 世帶の大事は正月仕舞
町内へ例年ぬり箸二膳づゝ、年玉つかひ候へども、是も門々多し、無用に仕るべく候、
p.0097 別れは當座拂
祇園細工の足附に、杉板につけて燒きたる魚、お定まりの鮹、漬梅、色著の薑に、塗竹箸(○○○)を取添へ、
p.0097 天保十四卯年正月十四日 髮差、喜世留、其外翫物之銀箸〈幷〉高蒔繪之箸(○○○○○)類、高價之小間物手遊之類、世上賣買不レ致分、御用之節ハ、兒島伴助、同虎之助〈江〉被二仰付一、調進ニ相成、猥ニ仕込置、他所〈江〉賣出し候義は無レ之筈ニ付、是迄御用達之手ニ付、前書之品納方いたし候者、幷右品仕込置候者、名前早々御取調、來ル廿日迄、持田勝助方〈江〉御申越可レ有レ之事、
〈卯〉正月十四日 北三廻り
p.0098 太箸(フトバシ/○○)〈又謂二之羮箸一〉
p.0098 或人の曰、日本正月の儀式は、神代の風俗をうつして、淸淨質朴を本としたる禮法なり、〈○中略〉雜煮のしな〴〵、木具太箸の體、質素をよしとす、
p.0098 大節季に無い袖の雨
夫婦さこそは老の波、かゝる憂事も是非なし、せめて子どもが、正月に太箸取らぬも情なし、
p.0098 執念は箱入の男
其後に水溜て、深き鉢に櫻の花を浮て生貝を角切にして、先細の箸(○○○○)を添て出せ、〈○下略〉
p.0098 書ものゝ禮にとて、割かけの箸(○○○○○)をもらひて、
勘定の外とも思ひそろばんのたまものなれや割かけの箸
p.0098 をりはし(○○○○) 式、野ノ宮の條に、兆竹折箸事と見え、續日本後紀の長歌に、折箸の本末しらにと見えたり、
p.0098 はしむかふ 万葉集に、父母が成のまに〳〵箸向弟(ナセ)の命と見えたり、箸は一對なるものゆゑにしかいへり、今俗箸折屈の兄弟といふ是也、古へ萩の折箸などいへば、折屈めて一對ともなせし也、又童謠に、はしをれすゐをれといふは、箸折末折といふなるべし、されば古の時に、箸竹幾株などいひしも、今のごとく二條を一前などいふごとくにはあらず、細 く削成たる一筋をよりかゞめて、食を取たる也といへり、
p.0099 生膾箸(マナバシ) 爼箸(マナバシ)〈同レ上、八寸五分、〉
p.0099 木砧〈○中略〉
魚箸以レ鐵作レ之、長六寸、柄四寸許、而左挾レ肉抑持也、
p.0099 一まなばしニ七の病有、刀ニ五の病、此内禁忌箸刀あり、秘事ナリ、
一箸〈○魚箸〉の長サ一尺二寸、手形四寸ニ切かむきめあり、崎一寸二分こがす、
一魚箸の木、つげ、若つげなくば山桓、是は式箸の事也、膳部方ニハ何にても用木を可レ用、〈○下略〉
p.0099 筯(ハシ)〈○魚箸〉之事
長一尺〈金定〉
先キ一寸ヲコガスベシ、平形有ベク候、口傳アリ、先一寸ヲコガスベキ樣、口傳ニ可レ有候、木ハウツ木、又ハコメ〳〵ヲ可レ用也、猶口傳在レ之、
一筯ノ形コヽニアリ、此ガンギガタノ事口傳有、ヒシ形トハ當世人ノ申付タル也、然間ヒシ形トハ不レ可レ言、ガンギ形ト云ベシ、古ハガンギノ如ニ剉タル也、又網ノ目ノ如クホリタル也、口傳在レ之、筯サキコガスハ、鶉ノフヲマナビタル間如レ毛成ベシ、數ハ不レ定、スヂノ數ハ半成ベシ、
p.0099 食物之式法の事
一まな箸の寸一尺に切るべし、手がけを四寸に切也、さきは八分也、一尺貳寸にも切る也、
p.0099 左京屬紀茂經鯛荒卷進二大夫一語第三十
今昔、左京ノ大夫ノト云フ舊君達有ケリ、〈○中略〉而ルニ其ノ職ノ屬ニテ紀ノ茂經ト云フ者有ケル、〈○中略〉今日包丁茂經仕ラムト云テ、魚箸削リ鞘ナル包丁ヲ取出シテ、打鋭テ遲シ遲シト云居タル程ニ、遣ツル童ハ糸疾ク木ノ枝ニ荒卷三卷ヲ結付テ、捧テ走テ持來タリ、
p.0100 山城 魚箸(マナバン)
p.0100 菜箸(○○)
長八寸五分〈中にて三分つよし、跡先角々ほそく、裏に角あり、〉
p.0100 元日
今朝すわる雜煮の箸(○○○○)の横雲にはしをならして渡る小烏 六起園糸浪
p.0100 同日〈○元日〉宴會事
供二御膳一〈○中略〉天皇撩二御箸一、〈内弁端レ笏候二氣色一〉群臣搢レ笏下レ箸、次供二御飯一、次賜二群臣飯汁物一畢、重下二御箸一、〈舊例不三必待二臣下汁物一、〉群臣食畢、供二三節御酒一、
p.0100 大臣家大饗
三獻〈○中略〉次居二汁物一、〈汁膾魚盛二別坏一、雉燒有之、〉次箸下、〈先立二七於外一、次立二箸於内一、○中略〉主人勸二盃於非參議大辨一、或七巡後云云、〈殿上五位執二瓶子一〉經二西簀子敷一着二座上一、辨以下離レ座取レ笏〈拔レ箸不レ拔レ七〉平伏、
p.0100 七日節會
自二西階一供レ膳、〈○中略〉御箸下、臣下應之、〈○中略〉供二御飯一、〈○中略〉次御箸鳴、臣下應之、
p.0100 一御膳事
昔正食レ之、近代只立レ箸許也、取二佐波一立レ箸、陪膳取二其御箸一、又立二別御箸一折出也、著御之時、二臺盤物陪膳自居レ之、不レ然之時ハ藏人居レ之、立レ箸後經二本路一還二本所一、
p.0100 多武峯增賀聖人語第卅三
今昔、多武ノ峯ニ增賀上人ト云フ人有ケリ、〈○中略〉增賀自ラ黑ク穢レタル折櫃ヲ提ゲ持テ、彼ノ僧供引ク所ニ行テ此レヲ受ク、〈○中略〉增賀受ケ得テ、房ニハ不二持行一ズシテ、諸ノ夫共ノ行ク道ニ、夫共ト並ビ居テ、木ノ枝(○○○)ヲ折テ箸トシテ、我レモ食ヒ、傍ノ夫共ニモ令レ食レバ、人々此レヲ見テ、此レハ 只ニハ非ズ、物ニ狂フ也ケリト、轉ガリテ穢ガリケリ、
p.0101 仁平二年正月廿六日壬戌、今日於二東三條一再行二大饗一、〈朱器初度〉戌日也、〈○中略〉居レ飯、〈○註略〉尊者把レ笏目レ余、〈○藤原賴長〉余已下依レ次立二匕箸一、〈先立二匕於外方一、後立二箸於内方一、〉了一同食レ之、〈○中略〉次羞二温汁一、〈○註略〉辨已上座居了、資信朝臣拔レ箸、〈不拔レ七〉把レ笏伺二尊者氣色一、尊者拔レ箸、〈不レ抜レ匕〉把レ笏レ目レ余、卽一同食レ之、
p.0101 中の院右大臣、鳥羽殿へ參られたりけるに、さけをなんすゝめられけるに、御前にさかなもの有けり、右府のまへにもまぜくだ物すへられたり、其間に院御笛にて、胡飮酒をふかせおはしましたりけるに、右府柑子を箸にさして祓にして、ひさうの手をつくしてまはれたりける、いと興有てぞ侍ける、
p.0101 行尊琴絃附靜信箸事
京極源大納言雅俊卿、亭ニテ講行ヒ給ケルニ、導師ハ如覺院ノ靜信法印ニゾオハシケル、諸僧座ニ著テ僧供行ハントシケレ共、導師アマリニ遲カリケレバ待侘テ、終ニ僧膳行ケル、中間ニ法印來リ給、遲參ヲ惡ミテ僧中ニ導師ノ箸ヲ取隱ス、法印著座シテ高坏ヲ見レバ箸ナシ、暫打案ジテ、法印懷ヨリ箸ヲ取出シテ物ヲ拾ヒ食ケリ、何ノ料ニ持給ケル箸ゾト、上下惡マヌ者ナシ、誠ニ優ナル用意ニハアラネドモ、遠慮賢クシテ角用意有ケルガ、智慧深シテ、時ニ臨テ化現シ給フカ、此人人ノ事ハサモ有ナン、
p.0101 箸師 四條坊門にこれをつくる、上を數寄屋箸といふ、白木、杉、丸箸(○○)、八角箸(○○○)品々あり、又塗箸所々にあり、
p.0101 煎じやう常とはかはる問藥
何とぞ只取事をと、氣を付心を碎中に、屋形々々に行て殿作り仕舞、大工屋根葺、おのがひとつれに二百三百人、〈○中略〉跡より番匠童に鉋屑木(かんなくづこつは)をかつがせけるに、可惜檜の木切々をちて捨るをか まはず、〈○中略〉其後は日ごとに暮を急ぎ、大工衆の歸りを見合、其道筋に有程拾ひけるに、五荷よかすくなき、事なし、雨の降日は此木屑より箸を削て、須田町瀨月物町の靑物屋におろし賣、箸屋甚兵衞と鎌倉柯找(かまくらがし)にかくれなく、
p.0102 白箸屋
日本橋北一丁目 新九郎
p.0102 同〈○禁裏〉御箸所
一條新町西〈江〉入町 箸屋喜右衞門
p.0102 水藩の檜山氏が慶安五辰年四月十五日ゟ同廿二日まで、〈○註略〉水府の御宮別當なる東叡山中吉祥院が、江戸ゟ水戸〈江〉下りたりし時分の、賄料請取品直段書付、幷入用をしるしたるものを見せたるが、其直段の下直なる事おどろく計也、〈○中略〉
一白はし 五拾膳 代四拾文
p.0102 箸類引下ゲ直段取調書上
一白尺長箸 〈當五月引下ゲ直段卸拾膳入百文ニ付四把、小賣壹把ニ付錢廿八文之處、當時百文ニ付四把三分、小買壹把ニ付同二十六文、〉
一杉尺長箸 〈當五月引下ゲ直段卸拾膳入百文ニ付六把、小賣壹把ニ付同廿文之處、當時百文ニ付六把半、小賣壹把ニ付同十八文、〉
一白箸 〈當五月引下ゲ直段卸拾膳入百文ニ付七把、小賣壹把ニ付錢十六文之處、當時百文ニ付七把半、小賣壹把ニ付同拾五文、〉
一杉箸 〈當五月引下直段卸數百膳ニ付八拾八文賣之處、當時百膳ニ付八拾貳文、〉
一同斷 〈當五月引下ゲ直段卸拾膳入百文ニ付拾三把、小賣壹把ニ付同拾文之處、當時百文ニ付拾四把、小賣壹把ニ付同九文、〉
一染杉箸 〈當五月引下ゲ直段卸拾膳入百文ニ付拾六把、小賣壹把ニ付錢七文之處、當時百文ニ付拾七把、小賣壹把ニ付同六文、〉
一下丸割箸 〈當五月引下直段卸九拾六膳束ニ而同七十六文之處、當時九拾六膳束ニ而同七拾貳文、〉
一割箸 〈當五月引下ゲ直段卸九拾六膳束ニ而壹把ニ付同五拾六文之處、當時九拾六膳束ニ而壹把ニ付同五拾貳文、○中略〉 右之通、此度錢相場御定有レ之候ニ付、箸類引下ゲ直段取調、此段申上候、右直段ゟ高直之賣方不レ仕、猶直安に仕入候分は、右直段に不レ拘、下直ニ賣々致し、木品爲レ劣不レ申、正路に渡世可レ致旨申聞置候間、此段奉二申上一候、已上、
右引下ゲ直段、銘々見世先江張出し置候樣申達仕度候、
寅八月廿六日 〈諸色之内箸類掛り牛込馬場下横町〉名主 小兵衞印
〈同所早稻田町〉同 虎三郎印
p.0103 供二御藥一
次供二御銀匙一、〈本方五分匕云云〉居二馬頭盤一、〈又居二中盤一○中略〉
藥殿雜具〈金銅小器一口、同輪一脚、銀匙一枚、銀馬頭盤一枚、〉
p.0103 東宮御元服
皇太子御座前立二朱漆四尺御臺盤一脚一、〈無レ覆有二引物一〉兼供二朱漆馬頭盤一、〈右二銀箸匕等一○下略〉
p.0103 供二御膳一事
御大盤二脚、〈采女二人、先昇二立鬼間御格子外南北妻一、〉北臺盤居二馬頭盤一、若兼不レ供者、召二御膳宿一仰二馬頭盤可レ供之由一、其詞云、〈馬頭盤末以禮○、下略〉
p.0103 朔日、〈○中略〉采女女官等、だいばん所の南の妻戸よりいりて、馬頭ばん金器等の物を、だいばんのうへにとり雙て、次第に供ず、
p.0103 銀器〈○中略〉
馬頭盤一枚 記云、長八寸八分、首尾弘三寸八分、中三寸五分、足高一寸七分、或記云、長八寸四分、弘端四寸四分、中三寸六分、四角有レ足、一説長八寸四分、〈○中略〉
朝餉銀器〈○中略〉 馬頭盤 記云、長九寸
三分、或記八寸四分、或
長一尺二寸、弘四寸八
分、〈○中略〉
銀器繪圖
馬頭盤〈足四付レ之〉
p.0104 一箸の臺と云は、みゝかはらけの事也、七五三などの膳、すべて式正の膳には、必みみかはらけに箸をおくなり、
箸の臺
耳かわらけ
箸の臺にはしを
置たる形なり
p.0105 賀茂初齋院幷野宮裝束
銀箸臺二口、料銀小卌八兩、炭四斗、和炭一斛、油二合、鹽二升、長功八人、中功十人、短功十二人、
p.0105 執聟例〈近代例〉
聟公來、〈○中略〉供レ餅銀盤三枚、〈有二尻居一、各盛二小餅一、〉加二銀箸臺一雙、木箸一雙一、件箸臺多作二鶴形一、
p.0105 銀器〈○中略〉
箸臺 記云、弘三寸二分、長四寸、
銀器繪圖
箸臺銀雙鶴
羽上案レ箸
箸臺
p.0105 齋王定畢所レ請雜物
膳器〈○中略〉 銀箸臺(○○○)二口
p.0105 供二御藥一
御厨子所供二御臺二本一〈一御臺有二御箸臺土器(○○○○○)木箸一雙一〉
p.0105 御元服
西机立二居陶器箸臺一
p.0106 一保延二年十二月日、内大臣殿〈○藤原賴長〉廂大饗差圖、〈東三條殿○中略〉
箸臺〈口徑五寸、二方折立端、〉 已上深草土器(○○○○)用レ之
p.0106 一天皇元服
寬仁不レ儲二御箸幷臺等一、仍忽依二太政大臣仰一削二御箸一、以二樣器盤一爲二箸臺(○○○○○○○)一也、
p.0106 一貴賤饗應事
公卿ノ饗ハ高坏、例飯ヲフクラカニ盛テ神妙、菜居廻シテ、一本ニハ箸ノ臺可レ有レ之、〈○下略〉
p.0106 たゞ君の御前にまいり給て、ちさきしやうぶにかくかきてをきたり、はしのだいに、
けふだにもあふとしらなんあやめ草なみだの河のふかきみぎはに、とあり、
p.0106 御はしのだいあるおしきのおもてに
君がへん萬代のかずかぞふればたゞかたはしの千とせなりけり
p.0106 御いかは霜月のついたちの日、れいの人々のしたてゝのぼりつどひたり、〈○中略〉わか宮〈○後一條〉の御まかなひは、大納言のきみひんがしによりてまいりすへたり、ちいさき御だい、御さらども、御箸のだい、すはまなども、ひいなあそびのぐとみゆ、〈○又見二榮花物語一〉
p.0106 三條中納言食二水飯一語第廿三
今昔、三條ノ中納言〈○藤原朝成〉ト云ケル人有ケリ、〈○中略〉中納言侍ヲ召セバ、侍一人出來タリ、中納言例食フ樣ニシテ、水飯持來ト宣ヘバ侍立ヌ、暫許有テ、御臺行ヲ持參テ、御前ニ居エツ、臺ニハ箸ノ臺許ヲ居エタリ、
p.0106 久安三年三月廿八日辛卯 入道殿御賀〈○藤原忠實七十賀〉雜事〈○中略〉
一後宴日〈○中略〉 御賀御前物目錄〈右大將調レ之○中略〉 銀器一具〈○中略〉 御箸一雙〈在レ臺、以レ金鶴州濱形、〉
p.0107 久安五年十月十九日丁卯、今日於二宇治縣小松殿一、有二左府若君〈○藤原賴長子師長〉元服事一、〈年十二○中略〉殿上人幷懸盤六前、〈菓子干物生物窪坏物各二種、飯酢鹽箸臺等備レ之、〉座上置所、爲レ居二理髮前物一也、
p.0107 治承三年正月六日乙丑、今日東宮〈○安德〉御五十日也、〈○中略〉
所々居レ饗、内殿上垸飯、〈○註略〉飯廿坏、〈盛二樣器一臺盤三脚、緣居レ之、〉〈奧十坏、端十坏、〉〈其傍樣器箸臺置レ箸、〉
p.0107 一專當郡入部之時口開饗營之、〈○中略〉又號二箸臺錢(○○○)一五十文專當前計、箸臺ノ佐羅置之間、專當ガ得分也、
一衆頭饗ト名付、總御田内一段カ丁部、毎年ニ巡ニ廻テ、半宛二日ニ饗膳營之、〈○中略〉箸臺錢五十文在之、〈專當前計也、自除無之、〉
一廻饗ト名付、丁部等皆寄合テ饗營之、〈○中略〉是ニハ箸臺錢無之、
p.0107 凡諸國輸レ調、〈○中略〉陶器〈○中略〉一丁、〈○中略〉箸壺、片盤八十四口、〈○中略〉
美濃國〈○中略〉 調、〈○中略〉箸壺十四口、
p.0107 供奉年料〈○中略〉
箸坩十五口
p.0107 職掌雜任卌三人
陶器作内人無位礒部主麻呂〈○中略〉
大宮、荒祭宮、瀧祭宮、瀧原宮、伊雜宮、幷五所之料者、祭時之奈保良比供給料、〈○中略〉箸坩六十口、〈○中略〉止由氣宮〈仁〉進上御食料、御酒缶六口、〈○中略〉供給料、〈○中略〉箸坩卅口、
p.0107 供二奉神事一諸司行列
采女八人〈(中略)一人執二神八枚手箸筥一〉
p.0108 古帳よりは十八人口
ひとつ釜の加賀米にはしらかし、汁鰯菜も同じやうに居りて、主下人のへだてなければ、朔日、二十八日に膾せぬ事もあらためず、精進日には香の物にて、朝夕お主のお影と箸箱をいたゞき、〈○下略〉
p.0108 筯筒(はしづゝ)
p.0108 父〈○新井正齊〉の仰せしは、我父は〈○中略〉つねに物めしけるに、箸筒の黑くぬりしに、かきつばたの蒔繪をしたりしより、箸とりいでゝ物めして、めし終りぬれば、箸をおさめてかたはらにさしをき給ひしを、〈○下略〉
p.0108 御箸〈一雙〉次紙包レ之
p.0108 普茶卓子略式心得
箸を牙筯といふ、箸紙に差て細き朱唐紙にてまき、福祿壽などの目出度文字をかく、
p.0108 八仙卓讌式記
牙筯 象牙ノ箸ナリ 白紙ニテ包ミ、中ヲ朱紙ニテ卷ク、箸ノ先キヲ銀ニテ張リタルモノナリ、
p.0108 風來山人、芳町及び南方にのみ遊びて、北里の事は不通なりしが、箸紙客の替名をしるせば、文にはおのが本名をあらはしといへる語、山人の自讃なりき、
p.0108 元日
箸紙のかみよの春や元日に祝ふぞうにも杉のにほん紀 萬榮亭龜丸
p.0108 十年九月壬子、〈○中略〉爰倭迹迹姫命、仰見而悔之急居、〈急居此云二莵岐于一〉則箸揰レ陰而薨、乃葬二於大市一、故時人號二其墓一謂二箸墓一也、
p.0108 御齋會加供解文 左大臣家 奉レ送二八省御齋會加供一事
合〈○中略〉 箸
右奉レ送如レ件
大治二年正月囗日 事業肥後掾中原盛尚
p.0109 皇國人の食事するに、禮儀正しき事は、万國に比類なく、其は何なる卑しき者どもゝ、親子夫婦兄弟を云ず、膳を別にし、菜箸といふと、自の箸とを別つこと、蕃夷ノ人らが見る者ごとに感心する由なり、
p.0109 箸を戴く侍
拜領の時服などは、妻女勿論下々の手にかけさせず、ゐぎたゝみをくなど自身仕り、朝夕の箸をいたゞき、〈○下略〉
p.0109 箸供養 かれがしかけ針のくやうにひとしく、年中の箸の恩德を報ぜざれば、地獄に落るなりと、つと古風のときは、信仰したる者多かるべし、今ざれたる憂世にさへ、片邊土には、だまさるればこそ、根からたゆる事はなし、
p.0109 匙 説文云、七〈卑履反、和名賀比、〉所二以取一レ飯也、兼名苑云、匕一名匙、〈是支反、與レ疵同、又音提、見二唐韻一、〉
p.0109 、相與比敘也、〈比者密也、敘者次第也、以二妣籀一作レ 、 或作レ 、秕或作レ 等、求レ之則比亦可レ作レ 也、此製字之本義、今則取レ飯器之義行、而本義廢矣、〉从二反人一、〈相與比敘之意也、卑履切、十五部、〉匕亦所 用レ比取レ飯、〈 者用也、用字衍、比當レ作レ匕、漢人曰レ匕、黍稷匕、牲體凡用レヒ曰レ匕也、匕卽今之飯匙也、少牢饋食禮注所レ謂飯橾也、少牢饋食禮廩人概甑獻二匕與一レ敦、注曰、匕所三以匕二黍稷一者也、此亦當二卽飯匙一、按禮經匕有二二匕一、飯匕黍稷之匕、蓋小經不二多見一、其所三以別二出牲體之匕一、十七篇中屢見、喪用レ桑爲レ之、祭用レ棘爲レ之、又有二名疏名挑之別一、蓋大二於飯匙一、其形製略如二飯匙一、故亦名レ匕、鄭所レ云有下淺斗狀如二飯操一者上也、以レ之別出二牲體謂之匕一、載猶取二黍稷一謂二之匕黍稷一也、ヒ牲之匕、易詩亦皆作レ匕、大東傳震卦王注皆云、匕所三以載二鼎實是也、禮記襍記乃作レ枇、本亦作レ 、鄭注特牲引レ之而曰レ 、畢同材曰レ 載、蓋古經作レ匕、漢人或作レ 非二器名一作レ匕、匕載作レ 、以レ此分別也、若士喪士虞特牲有司篇、匕載、字皆作レ 、乃是淺人竄改所レ爲、鄭注易亦云、匕牲體薦鬯未二嘗作一レ 、牲體也、注中容有二木旁之 一、經中必無劉昌宗分別非レ是、〉一名柶、〈水部曰、禮有レ柶、柶匕也、所二以取一レ飯、〉凡匕之屬皆从レ匕、 、匕也、〈方言〉 〈曰、匕謂二之匙一、蘇林注漢書曰、北方人名レ匕曰レ匙、元應曰レヒ、或謂二之匙一、今江蘇所レ謂 匙湯匙也、亦謂二之調羮一、實則古人取レ飯載レ牲之具、其首蓋鋭而薄、故左傳矢族曰レ匕、昭廿六年傳是也、劍曰二匕首一、周禮桃氏注是也、亦作レ鍉、元應曰、方言作レ㮛、〉从レ匕是聲、〈是支切、十六部、地理志朱提縣讀如二此字一、〉
p.0110 匙
方言曰、匕謂二之匙一、説文曰、匕所二以取一レ飯、文王之贊レ易、至レ震曰不レ喪二匕鬯一、大東之詩曰、有二捄棘匕一、注云、匕所三以載二鼎實一、則匕三王之制也、
p.0110 匙(カヒ) 勺子(シヤクシ)を云、物をかきとる意、かき也、
p.0110 かひ 匙をよめるは飯匙の類也、貝の形に似たる也、古へ我邦にも、匕筯ともに用うと見ゆ、枕草紙に、はしかひのとりまぜてなりたるといへり、今節會の臺盤に、必ず匕筯を具ふ、或いはく、大禮に金銅の匕筯を用う、漢家の儀に准らふる成べし、新撰字鏡に鉽をよめる、此義にや、又 を藥のかひとよめり、
p.0110 〈音妾〉 飯臿 俗云於大以加比 飯匕 和名抄、匕和名賀比、狹匕俗云世加比
按、 飯臿也、插二釜中一扱二取熟飯一也、柿核中有二小白肉一、形似二飯臿一、〈俗呼レ飯曰二於太比一、加比者匕之和名、〉世俗相傳曰、有レ閏歲制二飯臿一、則屋富也、未レ知二其由來一、
飯匕、〈音時、匙同、〉説文云、所二以取一レ飯也、異國人食レ飯皆以レ匕、肉以レ箸、日本飯肉共以レ箸、
狹匕、卽片殺削レ之用、刮二扱未醬一者、似レ匕而狹、〈世加比者狹匕之訓、中略、〉蓋此本朝之製也乎、
p.0110 菩提院入道關白〈○藤原基房〉説々〈建曆二年○中略〉
於二節會座一令レ食レ物事、中古以來無レ之云々、然而至二五十年一之間ハ令レ食、カキ或如二柑子一者剝レ之食、又如二粉塾一ナル物ノ候ヲバ以レ匕スクイテ、入二箸臺一テ以レ箸突摧テ食レ之候也云々、
p.0110 伊勢初齋院裝束 銀匕四枚、料銀廿四兩、信濃布四尺、炭五斗、和炭一石、單功八人、
賀茂初齋院幷野宮裝束
銀匕二柄、料銀小十八兩、和炭二斗、油一合、長功四人、中功六人、短功八人、
白銅匕八柄、料白銅大九十六兩、鐵一廷半、細布五尺、信濃布七尺、油四合、炭八斗、長功六十四人、中功七十二人、短功八十人、
p.0111 銀器〈○中略〉
匙 記云、長八寸、或説大一支、弘二寸六分、柄長七寸五分、小一支、弘一寸五分、長二寸、或説長八寸四分、〈○中略〉
朝餉銀器〈○中略〉
匙 記云、大二寸七分、柄長少二寸三分、柄長或記長八寸、大少同レ前、
p.0111 治部卿のぬし、〈○中略〉たちをぬききらめかして、かたはしよりをいはらひて、かうふりをしりへざまにし、うへのはかまをかへざまにき、かたしにあしふたつをさしいれて、夏のうへのきぬに、冬の下がさねをき、ひきおひていゐがひ(○○○○)をさくにとり、〈○下略〉
p.0111 今はうちとけて、髮をかしらにまきあげて、おもながやかなる女の、手づからいひがひ(○○○○)とりて、けこのうつはものに、もりけるを見て、心うがりて、いかずなりにけり、
p.0111 三條中納言食二水飯一語第廿三
今昔、三條ノ中納言〈○藤原朝成〉ト云ケル人有ケリ、〈○中略〉中納言侍ヲ召セバ、侍一人出來タリ、中納言例食フ樣ニシテ、水飯持來ト宣ヘバ侍立ヌ、〈○中略〉一人大キナル銀ノ提ニ大キナル銀ノ匙(○○○)ヲ立テ重氣ニ持テ前ニ居タリ、然レバ中納言鋺ヲ取テ侍ニ給テ、此レニ盛レト宣ヘバ、侍匙ニ飯ヲ救ツヽ高ヤカニ盛上テ、nanニ水ヲ少シ入レテ奉タレバ、〈○下略〉
p.0112 摺鉢傳
その比せつかひ(○○○○)といひしおのこは、檜のきの木目細かに、その姿やさしきから、昔は御所にうぐひすの名にも呼れしが、〈○下略〉
p.0112 杓子(シヤクシ)
p.0112 貝杓子(カイシヤクシ)
p.0112 帆立蛤〈訓如レ字、或稱二伊多良加比一、〉
海人采レ殻賣二難波之市一、市工磨琢夾二竹柄一而造二成大食匙一、以貨二四方一、是酌二味噌汁醬汁一之匕杓也、〈○中略〉
發明、帆立蛤殻解二諸毒一、故造二成大匕杓一以酌二諸汁羹一、而解二禽魚蔬菜之毒一、是本朝古來何人之所レ爲乎、其博識仁術不レ耻二於農黃一矣、
p.0112 ほたてがひ 帆立貝の義、海扇也といへり、車渠の一名も海扇といふ、相似て別物なり、今俗多く杓子に用ひたり、よて杓子貝ともいへり、諸毒を解すといふ、
p.0112 杓子〈用二字音一〉
按、杓子倭之製、以扱二飯及臛汁一、形似二人掌一、而用二橅木一作レ之、勢州多鬼郡藤小屋村始作レ之、相傳、惟喬親王令旨曰、東限二江州一、西限二播州一、杓子木免二伐取一之書、于レ今有、〈有二神祠一、以爲二什物一、〉蓋惟喬雖二一宮一不レ能レ卽二皇位一、閑二居江州一、何爲有二免許令旨一乎、〈與二弟惟仁親王一有二位爭一之事虚説也〉今江州多賀里多作レ之、
髤杓子、小而宜レ盛二飯於盌一、〈俗云猿手〉今皆漆髤、
凡民家饗應、掗レ食進レ人、曰二今一匕一焉、當初用レ匕、近世異二名狀一也乎、
貝杓子以二車渠貝一、竹爲レ柄、扱二臛汁一佳、今則惡二野卑一而不レ用、多用二銅杓子一、
p.0112 長短解
摺粉木は兩手に握るを程とし、杓子、さい槌はかた手にたれり、下ざまの物ながら、天理のまゝな るぞたうとけれ、
p.0113 鍋取杓子之古製
鍋取公家といふは、いやしめていふにはあらず、老懸をかけたるをいへるなり、老懸を俗に鍋取又釜取ともいふ、さて今厨にて鍋取をもちふる家、たま〳〵はあれども、革鞋足半の形に作れり、〈○中略〉此畫〈○百鬼夜行畫〉の杓子の柄いたく曲れり、案るに昔はみなかくの如くなりし故に、杓子定規の諺はあるなるべし、此古製百餘年前までは、江州多賀社より守りに出す杓子のみに、殘りありしとをぼしく、尤の草紙〈原板寬永十一年刻〉まがれる物の品々の段、〈大工のかねや藏のかぎ、檜物屋の仕事、なべのつる、おたがしやく(○○○○○○)、〉と並べ出せり、又俳諧にも、
玉海集〈貞室撰明曆二年印本〉
ゆがみなりにも壽命ながかれ
手づよさはお多賀杓子の荒けづり
など見えたり、蝌蚪をおたが杓子といふも、〈お玉じやくしといふは誤〉水中にて尾のうね〳〵とうごめくさま柄の曲りたる杓子に似たる故の名なる事必せり、今のお多賀杓子は、常の杓子にかはらねば蝌蚪にも似ず、柄は定規ともなるべく、眞直にて古製を失ひたり、
p.0113 杓子
黑塗は黑の食次に用ひ、朱は朱の食次に用ゆ、黑の手付には形長きを用ゆ、金は朱の手付食次に添ふ、尤火色なり、
p.0113 かゝる所に、杓子の荒太郎、本より山そだちの男にて、心も甲にはやり物なりけるが、たゞ一人かけ入て、ひたとくむで御器の中へどうとおとす、〈○下略〉
p.0113 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徒ノ時、御一門 及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一銀御杓子(○○○○) 一 井伊掃部頭直孝
p.0114 花の色變へて江戸紫
在郷より逢ひに寄られたる人、畚に酢德利鹽朽ちたる目黑、二十五日樣のお筆、表具の仕替へ、塗杓子(○○○)を取交ぜ、〈○下略〉
p.0114 くけ帶よりあらはるゝ文
下女は又それ〴〵に金じやくし(○○○○○)片手に、目黑のせんば煮を盛時、〈○下略〉
p.0114 善惡の二ツ車
今一人の乞食も老足なれば、駕籠に乘せ、東路に下りぬ、殘るものとて、滅形合器(めけがふき)、貝杓乎(かひしやくし/○○○)、古筵(ふるむしろ)の朝露夕部に風の身を責め、〈○下略〉
p.0114 箱根宿〈○中略〉 以前ハ今ノ蘆川町ノ邊ニ、民家纔ニアリテ、山杓子(○○○)ヲ細工シ、箱根權現ノ坊中へ鬻ギテ活計トナセリ、故ニ當時ハ杓子町トイヘリト、〈此杓子ヲ、坊中ヨリ檀家ヘノ配札ニ添テ贈リシト云、〉
p.0114 杓子
身を捨てあまねく物をすくふが爲に、釋子と字せり、此故にもろ〳〵のぼさつも、これにしたがへり、こゝにえせ者有て、取て定規として、其難をまうく、しかじ御意に入まいらせて、その果報にあづからんには、猶その風情なまめく人の小手招にこそ、
月はいも招く手もとは杓子かな
御多賀土産勿レ鄙 老若男女長命址 數奇者雖レ不レ誣レ飱 祝言振舞今一匕
p.0114 杓子頌 伊東恕 世は衣食住の三の中に、食を天として第一となせるは、釋迦孔子の八千餘卷も、毛嬙西施が三十二相も、喰はねば面白からぬ故也、〈○中略〉さらや五器、皿のうつは物さへ、萬葉ノ古風には、椎の葉にもるとよみ置しを、東山殿の物數寄より、赤繪錦手の風流にわたる、それが中にも此杓子は、神代に三杵の姿を失はず、蒔繪のさたに及ばぬもたふとし、そののち信長の信玄のと、鑓長刀の骨をおりて、我朝の王道をおさめむとせしに、今は是をもて彼をまねげば、百万の敵をもいやがらせ、遊行はあらめの一杓子に、八十万人をすくひ給ふとよ、しかれば佛法といひ、王法といひ、三種の神器は雲井の沙汰にして、是は万民の重寶といふべし、
註曰、〈○中略〉按ズルニ、童ノ諺ニ杓子ニテ人ヲ招ゲバ、必ズ死スルトテ忌ム事ナリ、何ノ故ニヤ知ラズ、
p.0115 杓子銘〈或人杓子を床の飾物に物ずきして、此銘をもとむ、〉
爰に千早振お多賀杓子ありて、用ひざれば鼠と遊びて、味噌桶の陰にかくれ、用ひられては、虎の勢ありて、床のうへにものぼらんとす、さるを杵も摺小木も同じ幸を眞似んと思へる、これを世のたとへにして、杓子定規とはいふなりけり、
p.0115 水藩の檜山氏が慶安五辰年四月十五日ゟ同廿二日まで、〈○註略〉水府の御宮別當なる東叡山中吉祥院が、江戸ゟ水戸〈江〉下りたりし時分の、賄料請取品直段書付、〈幷〉入用をしるしたるものを見せたるが、其直段の下直なる事おどろく計也、〈○中略〉
一玉じやくし 三本 〈壹本ニ付〉代八文ヅヽ
一貝じやくし 五本 〈壹本ニ付〉代四文ヅヽ
p.0115 唐韻云、 〈初限反、與レ剗同、和名夜以久之、〉炙レ宍 也、 〈音束〉 炙具也、
p.0115 按、夜伊久之、燒串之義、久之刺レ肉之名、與三櫛以插レ髮有二久之之名一同、〈○中略〉下總本串皆作レ 、廣本同、伊呂波字類抄也部亦作レ 、按、廣韻 、炙肉 、初限切、串、穿也、習也、古患切、二 字音義不レ同、此作レ 爲レ是、然皇國古人、串字訓二久之一、古事記痛矢串、萬葉集五十串、大神宮儀式帳太玉串、皆是、蓋依二穿也之訓一、源君旣慣二用串字一爲二久之一、又見三唐韻訓レ 爲二炙宍 一、謂二 串同字一、途引二廣韻一、改作レ串也、下總本廣本作レ 、恐係二後人校改一、伊呂波字類抄亦蓋知二串之不一レ可レ訓二炙宍串一改レ之、非二源君之舊一也、又按、串 二字、皆説文所レ無、而毛詩皇矣云、串夷載レ路、傳云、串、習也、爾雅釋詁同、蓋串俗毋字、詩傳訓レ串爲レ習者、借レ母爲レ慣也、慣習也、見二説文一、説文又云、毋、穿レ物持レ之也、故廣韻云、串穿也、 蓋俗籤字、後世所レ作象形也、或諧聲作レ 、説苑雜言篇、智伯厨人亡二炙 一而知レ之、韓魏反而不レ知、是也、與下廣韻訓二竹緣一 字上自別、
p.0116 唐韻云、 〈昨先反、與レ前同、和名太介乃久之、〉細削レ竹也、
p.0116 廣韻一先云、 、説文蔽絮簀也、昨先切、 上同、與レ此音同義異、廣韻二十四鹽云、籤、説文驗也、一曰、鋭也、貫也、七廉切、訓レ鋭訓レ貫、與二細削竹一其義相近、而音則不レ同、恐源君混二籤 一爲二一字一也、 俗籤字、下總本作レ籤、福井本伊勢本作レ 、
p.0116 中 〈イクシ炙具也〉
p.0116 串〈クシ〉
p.0116 (くし)〈音産〉 和名夜以久之 〈音喘〉 〈音前、和名太介乃久之、〉
按、 炙レ肉器也、韓昌黎詩云、如二以レ肉貫一レ 、〈與レ串不レ同、串音釧、穿也、貫也、〉 俗云、鐵弓之屬也、
p.0116 一ヤキ串ノ事、大ヤキグシト云時ハ長一尺二寸、小ヤキ串ト云時ハ一尺可レ成、大燒串ノ時ハ、節ヨリ上七寸、節ヨリ下五寸、合一尺二寸ト可二心得一也、小ヤキグシノ時ハ、節ヨリ上六寸、節ヨリ下四寸、合一尺ト可二心得一也、何モ節ヨリ上ヲバ、竹ノコウヨクケヅリ、節ヨリ下ヲバ、コウヲ殘也、竹ノ腹ノ方ヲシノギニ可レ立、尚口傳有レ之、
p.0116 食物之式法の事
一燒串の寸の事、節より上をば六寸、下をば五寸にする也、總じて一尺一寸也、けづる刀のかず十 一刀なり、さきを丸くひらくすべし、竹の皮を付る事ひけふ也、
一鳥の燒串はかはるべし、さきをけんさきにすべし、本よりけづるもの也、〈○中略〉
一うをの燒串けづる事、上三寸下四寸、これは一流也、たぶんは上七寸下五寸也、
p.0117 彼岸參りの女不思議
二王門を出る時、四十三四と見えし女房、地無しの古著物に、金入りの帶して、仲間らしき者につぎつぎの袋持たせて行くに、袖乞數多著きける、袋の口明けて、田樂串を一把づゝやつて通る、貰ひながら、竈は無しと笑ふ、
p.0117 堅田祐庵
ある人豆腐の串に貫たるを〈俗に田樂といふ〉食しむるに、此串の竹は遠く來れるもの也といふ、主もしらず、厨下にとひしに、浪花より物を荷來る竹をもて削たりといひしなどは、奇といふも餘あり、
p.0117 さす物のしな〴〵
竹のくしには、でんがくをさす、