http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 上野國ハ、カウヅケノクニト云ヒ、舊クハ、カミツケヌノクニト云フ、東山道ニ在リ、東ハ下野、西ハ信濃、南ハ武藏、北ハ越後、岩代ニ界シ、東西凡ソ二十三里、南北凡ソ二十五里、其地勢ハ山野殆ド相半シ、田野概シテ開ケタリ、此國ハ古ヘ國府ヲ群馬郡ニ置キ、碓氷(ウスヒ)、片岡(カタヲカ)、甘樂(カムラ)、多胡(タコ)、緑野(ミドノ)、那波(ナハ)、群馬(クルマ)、吾妻(アガツマ)、利根(トネ)、勢多(セタ)、佐位(サヰ)、新田(ニフタ)、山田(ヤマダ)、邑樂(オハラギ)ノ十四郡ヲ管シ、延喜ノ制、大國ニ列ス、明治維新ノ後、屢々廢合ヲ行ヒテ、勢多、群馬、多野、北甘樂、碓氷、吾妻、利根、山田、新田、邑樂、佐波ノ十一郡ト爲シ、新ニ前橋、高崎ノ二市ヲ設ケ、群馬縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 上野〈加三豆介乃〉

〔倭訓栞〕

〈前編六加〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 かうづけ 上野をいふ、上津毛野の略也、

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 上野〈庚子計(コヲヅケ)〉

〔古事記傳〕

〈二十三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0001 上毛野(カミツケヌ)は、和名抄に上野〈加三豆介乃〉國とある是なり、〈毛字を省きて上野と書クは二字につゞめ書例ぞ、齊明紀には、上毛野國とあり、又後世野を略きて、かみつけとのみ云は訛なり、又其をかうづけと云は、美を音便にウと云、又音便のウンの下は多く濁る例にて、ツをも濁りて呼なり、〉萬葉十四、上野國歌に、可美都氣努(カミツケヌ)、又可美都氣野(カミツケヌ)などよめり、〈又一可美都氣乃ともある、乃字は、奴の誤なるべし、和名抄などのころにこそ、野をば、もはら乃と云つれ、古には然ることなく、又野を省きて、加美都氣と云ることも無ければ、辭の乃にも非ればなり、凡そ此國名をよめる歌、十二首ある中に、乃と云るは只一にて、餘はみな奴なるをや、〉名義未思得ず、毛は草木を云か、木を氣と云ることもあり、〈顯昭古今注に、坂東は足柄の關より東いと山なども侍らず、みなはるかなる野な〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 〈りと云り、〉

〔諸國名義考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 上野 下野 和名抄に、上野〈加三豆介乃、國府在群馬郡、國分爲東西二郡、府中間國府、〉下野〈之毛豆介乃、國府在都賀都、〉名義は毛野(ケヌ)なり、國造本紀に、難波高津朝御世、元毛野國、分爲上下とあり、されば上毛野下毛野なりしを二字と定られし時に、毛の字は略かれつれど、猶毛といへる名のこりて、却て野ノ字をば唱へず、さて毛とは、草木五穀などをいへるなるべし、そのはじめは木をいへる名なり、下の紀伊國の條にいへる、須佐之男命の木種蒔をも思ひ合すべし、また筑後國に大なる歴木(クヌキ)株あり、高サ九百七十丈ありて、朝日ノ影には肥前の杵島多良岑を覆ひ、夕日影には、肥後の阿蘇荒爪山を蔽ひたり、〈日本書紀と風土記とはすこし異なり〉よりて御毛國といふ、この木僵れて後、其樹を蹈て往來ゆゑに、瀰概能佐烏麽志(ミケノサヲバシ)と歌にもよみしなり、また日本書紀に、是居於御木川上といふ、分註に、木此云開(ケト)とあり、萬葉集にも、木を毛とよめる事しば〳〵あり、さて令義解に、謂土地之所生爲毛也とあり、外國にも、左氏傳に食土之毛、註毛草也とあり、字典に、桑麻五穀之屬、皆曰毛とあり、素問に、地有草木、人有毛髮之とあり、その外にも窮髮不毛などいへること、漢籍に間々見えたり、

〔上野名跡志〕

〈初編上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 上野國ハ、元毛野國也、〈◯中略〉上野名跡考ニハ、和名抄、豐前國ノ郡名、上毛下毛訓註加牟豆美介、之毛豆美介トアルヲ思ヘバ、毛野ハ美介ノ國ニテ、ミケハ御食ナルベシ、此國ハ地形廣平ニシテ、田畠開ケ、嘉穀豐饒シテ御食物多ヲ野邊ナル故、上ツケ野ト云ナルベシト云リ、亦相馬日記ニハ、和名抄ニ、下野國河内郡衣川郷トアルハ、モト毛野ノ郷トイヒケンニ、川ニヨリテ後衣川トハイヘルナルベシ、毛野テフ國ノ名モ、コノ郷ヨリオコル事ウツナシト云、〈國號考ニハ毛ハ穀物ノ總名、野ハ毛物ノ生ル地ナリト云、〉

〔下野國誌〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0002 毛野名義〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 守弘按ふに、木(キ)を氣(ケ)と云ることもあれば、毛は草木をさし、野は顯昭が古今註にも、坂東は足柄の關より東いと山なども侍らず、皆遙なる野なりと云る如く、都て平らかなる國なれば、毛野(ケヌ)國とも名つけしならむと思へるも、然ることながら、内藏寮式に、氈十枚(カモトヒラ)、下野國所進とありて、當國と古へ好毛席(ヨキケムシロ)を織て奉げし國なり、是に依て毛をむねとし、好毛の出る野といふ義にて、毛野國とは名づけしものなるべし、〈氈ハ、和名抄に加母、毛席撚毛爲席也とありて、上代にハ專ら獸の皮を席とし、又毛をも糸もて織て席となして用ひたり、〉其例は、古語拾遺に、好麻所生、故謂之總國、穀木所生、故謂之結城郡、古語麻謂之總也とあり、〈出羽も好羽の出し故の名また木ノ國も是に等し、〉萬葉集に載たる、之母都家野(シモツケヌ)、美可母乃夜麻(ミカモノヤマ)とあるも、眞氈山の義にて、氈を織出したるに依て負せし名なるべし、

〔日本書紀〕

〈十七繼體〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 二十四年十月、是歳、毛野臣被召到于對馬、逢疾而死、送葬尋河而入近江、其妻歌曰、比攞哿駄喩(ヒラカタユ)、輔曳輔枳能朋樓(フエフキノボル)、阿苻美能野(アフミノヤ)、【愷那】能倭倶吾伊(ケナノワクゴイ)、輔曳府枳能朋樓(フエフキノボル)、 ◯按ズルニ、愷那能倭倶吾トハ、毛野臣ヲ指スカ、是古ク毛野ヲケナト言ヘル一證ナリ國名ニアラズト雖モ、以テ毛野國稱號ノ傍證ニ資スベシ、

〔都のつと〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 春になりしかば、かんつけの國(○○○○○○)へこえ侍りしに、おもはざるに一夜のやどをかす人あり、

〔關八州古戰録〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 信玄西上野仕置付上泉伊勢守小幡泉龍齋ガ事 枝城ノ庭屋ヘハ、城代トシテ信玄ノ旗奉行甲州譜代ノ士タリシ上原圖書入道隨應軒ニ、庭屋左衞門尉以下先方ヲ差副テ是ヲ守ラシメ、西上野七郡(○○○○○)ノ總横目ヲ命ゼラル、

〔上野國志〕

〈仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0003 今按ズルニ、何レノ時ヨリカ、利根川ヲ國ノ中央ト定テ、川ヨリ西ヲ西上州(○○○)ト云、川ヨリ東ヲ東上州(○○○)ト云、 碓氷、片岡、群馬、吾妻、甘樂、多胡、緑野七郡ハ、川西七郡ト云、那波、利根、勢多、佐位、新田、山田、邑樂ヲ川

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 東七郡ト云、然レドモ群馬郡ハ川東ニモ數ケ村アリ、利根那波郡ハ川ヲ跨テアリ、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 各國經緯度〈附里程〉 上野高崎〈本町〉極高三十六度二十分、經度東三度十七分半、從東都〈中山道〉二十八里二町一十四間、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 北極出地 上野 高崎 三六度二〇分◯◯秒 板鼻宿 三六度二〇分三〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 ◯度◯◯分◯◯秒〈◯中略〉 上野 高崎 東三度一七分三六秒

疆域

〔和漢三才圖會〕

〈六十六上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 上毛野下毛野之間有二野、一曰佐野、一曰笠縣野、其中間有一河、名渡瀬、以爲兩國界、西乃上毛野、東乃下毛野、

〔上野國志〕

〈仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 風土記抄云、〈◯中略〉兩國ノ境ニ渡瀬川アリト云、舊説ナレドモ、今ノ國界ニ據て見レバ甚非ナリ、渡瀬川ハ澤入〈上州ノ内〉足尾〈下野ノ内〉山中ヨリ、出テ、勢多郡、山田郡ヲ過ギ折ケテ東流シ、邑樂郡ノ北ニ至リ、又南ニ流レ、下野國足利梁田ノ二郡ヲ過テ利根川ニ注グ、總ジテ渡瀬川ヲ以テ界トスル所ナシ、〈邑樂郡早川田ヨリ下ハ、此川ヲ界トシ、是ヨリ上ハ梁田郡邑樂郡ノ界ハ矢場川ヲ境トスル、此川ハ市場堰ヲ源トス、〉

〔日本地誌提要〕

〈二十七上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 彊域 東ハ下野、西ハ信濃、南ハ武藏、北ハ越後、岩代ニ至ル、東西凡貳拾三里、南北凡貳拾五里、

〔上野國志〕

〈智那波郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 武州兒玉郡都島山王堂宿仁手沼和田等、寛永ノ始マデハ那波郡ニ屬ス、寛永中洪水ニテ烏川北ニ移リテヨリ武州ニ隷(ツ)ク、

地勢地味

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 上野〈上州〉大管十四郡、東西四日路、暖氣、桑多、而絹綿豐也、以http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001cd3f.gif 致貢、大々上國也、

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0004 國名〈◯中略〉 上野〈上州〉十四郡〈◯中略〉南北五日、陰氣深、草木不長、海坥鹽味希、地深一丈、桑麻綿多、大々下國也、

〔日本地誌提要〕

〈二十七上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005 形勢 山勢岩代越後ヨリ來テ信濃ニ連リ、西北最重疊、利根川源ヲ極北ニ發シ、衆水會同、洪流トナリ、武藏ヲ界シテ東下ス、東南夷沃、蠶桑ニ饒ニシテ、繅織ニ長ジ、商估ヲ勤メ、繁富ノ區タリ、

道路

〔日本實測録〕

〈三街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0005東京中山道草津〈◯中略〉 上野國緑埜(ミドリノ)郡新町宿 一里二十五町二十一間〈至烏川岸一十九丁四十六間〉 群馬郡倉賀野宿 一里一十六町四十間半 高崎本町、三十六度二十分、 一里三十四町二間〈至烏川岸一十四丁五十五間〉 碓氷郡板鼻宿 二里七町三十八間 安中、三十六度一十九分半、 一里一十六町三十七間 松井田宿、三十六度一十八分半、〈至妙義山一里六町六間〉 二里一十一町一十四間半〈至横川關所一里二十八丁〉 坂本宿 二里二十八町二十三間〈至國界碓氷峠一里一十七丁五十七間〉 信濃國佐久郡輕井澤宿〈◯中略〉 從中山道本庄下仁田借宿〈◯中略〉 上野國緑埜(ミドリノ)郡藤岡町 二里一十七町五十六間〈至白石村一里一十二丁三十三間〉 多胡郡川内村〈至池村多胡碑一十四丁五十七間〉 二町二十四間 吉井中町 一十六町三間 長根村〈至常行院三丁四十二間〉 三十三町二十四間 甘樂(カンラ)郡福島町〈至小幡陣屋二十四丁三十九間、從陣屋前崇福寺、一十五丁三十九間、從寺前長嚴寺、二丁四十五間、〉 二十六町一十五間 富岡町 二十三町 七日市 一十八町三間 一宮町〈至一宮貫前神社四丁一十五間〉 一十二町三十間 宮崎村 二里三町一十二間 下仁田町〈歴中町龍柄寺、四丁三十九間、又從中町上町鏑川岸、二丁一十間、從上町清水寺、七丁四十二間、從清水寺前常住寺、一丁三十間、〉 二里一十二町一間〈至小坂村一里三十一丁十二間半〉 本宿村 二里二町一十五間半 矢川村初鳥屋 三里一十四町三十六間〈至國界鰐坂峠三十一丁一十二間〉 信濃國佐久郡借村 〈從本庄借宿〉街道、通計一十八里一十四町五十八間 從中山道高崎三國峠寺泊 上野國群馬郡高崎本宿 二里一十八町五十八間 金古驛 二里二十一町一間半 澁川河原

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 町 一里一十九町三十八間 横堀驛、三十六度三十三分、 二里一十八町一十六間〈至中山峠一里二十二丁〉 中山驛 一里三十町二十二間〈至不動峠一里四丁五十九間〉 利根郡、上津村、塚原驛、三十六度四十一分、二十一町四十二間 羽場村下新田驛 一十九町一十七間〈至今宿七町五十九間〉 吾妻郡布施町 一十九町一十八間 須川驛 二十五町四十三間半 利根郡相俣驛 一里一十五町四十八間半〈至猿ケ京村一十二丁三十三間〉 吾妻郡永井驛 二里二十二町一十八間〈至國界三國峠一里二十四丁四十七間〉 越後國魚沼郡淺貝驛

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 諸國驛傳馬〈◯中略〉 上野國驛馬〈坂本十五疋、野後群馬、佐位、新田各十疋、〉傳馬〈碓氷、群馬、佐位、新田郡各五疋、〉

〔續日本紀〕

〈三十一光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 寶龜二年十月己卯、太政官奏、〈◯中略〉其東山驛路從上野國新田驛(○○○)下野國足利驛、此便〈◯便原作使、據一本改、〉道也、而枉上野國邑樂郡五箇驛武藏國、〈◯下略〉

〔關八州古戰録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 信玄上州板花合戰附土肥赤働事 同年〈◯永祿三年〉九月中旬、〈◯中略〉斯テ晴信ハ箕輪ヨリ東道一里半此方、板鼻ノ宿(○○○○)マデ押出ラレシニ、長野左衞門大夫業正白井箕ノ人數ヲ召連、廣野ニ待受テ支へ挑ム、

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二東山道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 上野( /カミツケノ) 古毛野國、仁徳天皇之時分爲上下二國、〈國造記〉舊上國、弘仁二年二月、改爲大國、管十四郡、千二百十七村、 邑樂〈八十六村〉 新田〈百十四村〉 山田〈六十三村〉 佐位〈三十六村 拾芥抄作佐井〉 群馬〈二百九村 古國府、和名抄云、國分爲東西二郡、中間國府、蓋其後併爲一郡、未何時、〉 勢多〈百七十八村〉 利根〈百十七村〉 吾妻〈八十八村〉 碓氷〈六十八村 延喜式等作碓氷、景行紀作碓曰、〉 片岡〈三村〉 多古〈二十七村 和同四年三月、割甘良郡織裳、韓汲、矢田、大家、緑野郡、武美、片岡、郡山等六郷、別置多胡郡、〉 緑野〈四十五郡〉 甘樂〈百三十二村 日本紀續紀共作甘良〉 那波〈五十一村〉

〔日本地誌提要〕

〈二十七上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0006 沿革 古へ國府ヲ群馬郡ニ置、〈今ノ東國府西國府村是ナリ〉天長中、親王ノ任國ト爲シ、

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0007 特ニ太守ト稱ス、鎌府ノ時、安達盛長、子景盛相繼デ守護ニ補ス、元弘ノ末、州人新田義貞兵ヲ擧テ勤王、遂ニ北條氏ヲ滅ス、建武中興、義貞ヲ以テ守護トス、足利尊氏ノ反スル、其將上杉憲房ヲシテ守護ト稱セシメ、其地ヲ掠奪シ、第四子憲顯ニ傳フ、憲顯鎌倉管領足利基氏ノ執事職トナリ、群馬郡白井城ニ鎭シ、子孫職ヲ襲テ、鎌倉山内(ヤマノウチ)ニ居リ、家隷長尾氏ヲ守護代トス、五世憲實ニ至リ、管領持氏ト隙アリ、將軍義教憲實ヲ助ケ、持氏ヲ滅シ、憲實ノ弟清方ヲ管領トス、持氏ノ子成(シゲ)氏再ビ管領タルニ及テ、憲實ノ子憲忠ヲ殺ス、憲忠ノ弟房顯、本州ヲ以テ之ニ畔キ、將軍義政ニ請テ關東管領ト稱シ、子顯定ニ至テ、緑野郡平井城ニ移ル、孫憲政ニ至リ兵威日ニ衰フ、天文二十年、北條氏康大擧シテ、平井ヲ圍ム、憲政越後ニ奔リ、東境將士地ヲ以テ悉ク氏康ニ歸ス、獨リ箕輪城主長野業正、西境ヲ守テ相抗ス、明年、上杉輝虎平井城ヲ拔キ、上杉ノ故臣ヲ招撫シ、永祿三年、廐橋沼田諸城ヲ拔キ、大半東境ノ地ヲ取ル、六年、武田晴信長野業盛ヲ滅シ、〈業盛ハ業正ノ子〉箕輪安中諸壘ヲ陷レ、其地ヲ略ス、天正六年、輝虎卒ス、武田勝頼廐橋沼田ヲ掠取ス、十年、織田信長武田氏ヲ滅シ、瀧川一益ヲ關東管領トシテ廐橋ニ居シム、信長弑セラルヽニ及ビテ、城ヲ棄テテ西奔シ、氏康ノ子氏政、遂ニ本州ヲ取ル、十八年、北條氏亡ビ、徳川氏關東ニ遷リ、廐橋〈後前橋ニ作ル〉ヲ平岩親吉ニ、館林ヲ榊原康政ニ、高崎ヲ井伊直政ニ、沼田ヲ眞田信幸ニ、白井ヲ本多廣孝ニ、那波ヲ松平家業ニ、小幡〈後松平忠恒〉ヲ奧平信昌ニ畀フ、廣孝家乘轉封ノ後、二壘皆廢ス、廐橋ハ親吉甲府ニ轉ジ、酒井重忠封ゼラレ、相傳ル十世姫路ニ轉ジ、松平朝矩之ニ代リ、後川越ニ移リ、城廢ス、慶應中、末孫直克再ビ川越ヨリ徙封、館林ハ康政三世ニシテ白河ニ轉ジ、代封數氏ニシテ、弘化中、秋元志(ユキ)朝ニ賜フ、高崎ハ直政佐和山ニ移リ、後亦封ヲ易ル者數氏、最後ニ松平輝貞封ヲ受、沼田ハ天和中廢壘、後ニ土岐頼稔(トシ)ニ賜フ、其餘州内封ヲ受ル者、吉井〈初菅沼忠政、後松平信清、〉安中〈初井伊直勝、後板倉勝清、〉伊勢崎、〈初稻垣長茂、後酒井忠寛、〉七日市、〈前田利孝〉凡テ九藩、王政革新皆改テ縣トシ、岩鼻縣ヲ置キ吉井ヲ併ス、既ニ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 シテ皆之ヲ廢シテ群馬縣ヲ置キ、山田新田邑樂三郡ハ橡木縣ヨリ兼治ス、又群馬縣ヲ廢シ、餘十一郡熊谷縣ヨリ兼治ス、

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 四十八年四月丙寅、立活目尊、爲皇太子、以豐城命、令東(アツマノクニヲ)、是上毛野君、下毛野君之始祖也、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 五十五年二月壬辰、以彦狹島王、拜東山道( ヤマノ/アツマノヤマノミチノ)十五國都督(カミニ)、是豐城命之孫也、然到春日穴昨邑臥病而薨之、是時、東國百姓、悲其王不一レ至、竊盜王尸於上野國、 五十六年八月、詔御諸別王曰、汝父彦狹島王、不任所而早薨、故汝專領東國、是以御諸別王、承天皇命、且欲父業、則行治之、早得善政、時蝦夷騷動、即擧兵而擊焉、時蝦夷首帥、足振邊、大羽振邊、遠津闇男邊等、叩頭而來之、頓首受罪、盡獻其地、因以免降者而誅不服、是以東久之無事焉、由是其子孫於今有東國

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 上毛野國造 瑞籬朝〈◯崇神〉皇子豐城入彦命孫彦狹島命、初治平東方十二國封、

〔續日本紀〕

〈四元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 和銅元年三月丙午、從五位上田口朝臣益人爲上野守

〔日本後紀〕

〈二十一嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 弘仁二年二月庚辰、上野國元上國、今改爲大國

〔類聚三代格〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0008 大政官符 應親王任國守事 上總國 常陸國 上野國(○○○) 右撿中納言從三位兼行左兵衞督清原眞人夏野奏状偁、〈◯中略〉望請、點定數國親王國、迭任彼國、身留京都、意欲京官者、一兩人將聽、若有守闕者、不他人、其料物者納置別倉、支无品親王之要、伏聽天裁者、正三位行中納言兼右近衞大將春宮大夫良峯朝臣安世宣、奉勅依奏、但件等國府官位卑下、宜改定正四位下官、以爲勅任、號稱太守、限以一代、不永例、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 天長三年九月六日

〔日本紀略〕

〈十四淳和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 天長八年正月壬戌、三品明日香親王爲上野大守(○○○○)

〔鎌倉大草紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 上州は上杉の分國なりければ、足利は京都并鎌倉御名字の地にてたにことなりと、かの足利の學校を建立して、種々の文書を異國より求め納ける、此足利の學校は、上代承和六年に、小野篁上野の國司(○○○○○)たりしとき建立の所、同九年篁陸奧守になりて下向の所、此時に學校をたてけるよし、〈◯下略〉

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 上野國〈國府在群馬郡、行程上三十九日、下十四日〉、

〔上野名跡誌〕

〈二編上群馬郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 國分村 和名抄ニ府中間國府〈國府ハ往昔國司ノ住玉ヒシ地也、土人コクボト唱フ、〉

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 治承四年九月卅日己卯、新田大炊助源義重入道、〈法名上西〉臨東國未一揆之時、以故陸奧守嫡孫、插自立志之間、武衞雖御書、不返報、引籠上野國寺尾城、聚軍兵、又足利太郞俊綱、爲平家方人、燒拂同國府中(○○)民居、是屬源家輩、令居住之故也、

〔鎌倉大草紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 永壽王殿關東におもむき給ふ、これにより上杉相模守は越後上野の境へ出むかひ、政事を輔佐し、同顯定は上野國府中(○○○○○)へ參、還御の御支度を馳走被申、八月廿七日、上州白井をたち、鎌倉へおもむきたまふよし聞へければ、〈◯下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 上野國、〈◯註略〉管十四、〈◯註略〉碓氷、〈宇須比〉片岡、〈加太乎加〉甘樂、〈加牟良〉多胡、〈胡音如呉〉緑野、〈美止乃〉那波、群馬、〈久留末、國分爲東西二郡府中間國府、〉吾妻、〈阿加豆末〉利根、〈止禰〉勢多、 佐位 新田、〈爾布太〉山田、〈夜末太〉邑樂、〈於波良岐〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 上野國、大、〈管〉 〈碓氷(ウスヒ) 片岡(カタヲカ) 甘樂(カムラ) 多胡(タコ) 緑野(ミトノ) 邢波(ナハ) 群馬(クルマ) 吾妻(アカツマ) 利根(トネ) 勢多(セタ) 佐位(サヰ) 新田(ニフタ) 山田(ヤマタ) 邑樂(ヲフアラキ/オハラキ)◯中略〉 右爲遠國

〔上野名跡志〕

〈初編上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0009 延喜式民部上、上野國大、管十四、和名抄國郡部ニ、上野國管十四、類聚國史上野國十五郡(○○○)、十五郡トアルハ、和名抄ニ、群馬〈久留末、府中間國府、國分爲東西二郡、〉トアレバ、群馬郡ヲ東西二郡トカゾ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 ヘテナルベシ、然ルニ源平盛衰記ニ、田原又太郞忠綱、宇治川ノ先陣セシ功ニ、上野十六郡ノ大介ト、新田ノ庄ヲ屋敷所ニ望ムトアルハ、上野國十四郡ニ、下野ノ足利郡梁田郡ヲ加ヘテカゾヘシナルベシ、

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 上野國〈十四郡〉 碓氷(ウスイ) 〈安中 ●松井田 ●戸倉 ●モロタ <權現町 ●トフミ子 △碓氷 横川廿 △鳥川 信界〉 片岡(カタヲカ) 〈高崎 ●松鼻 ●倉野 國中〉 甘樂(カムラ) 〈●白井 ●砥澤 ●下仁田 ●宮崎 △妙義山 信界〉 多胡(タコ) 〈<小幡 國中小郡〉 緑野(ミトノ) 〈驛町無シ 武界カンナ川ニ添小郡〉 那波(ナハ) 〈厩橋 ●伊香保 ●玉村 ●芝廿 國中〉 群馬(クルマ) 〈●横堀 國中利根川ヲ横キル〉 吾妻(アカツマ) 〈●草津 ●長原 ●川原 ●大戸 ●塚原 ●永井廿 信越後界〉 利根(トネ) 〈<沼田 ●戸倉 △利根川源 △高科川 越後下毛奥界〉 勢多(セタ) 〈黒川 下毛界〉 佐位(サイ) 〈<伊勢崎 國中小郡〉 新田(ニイタ) 〈●木崎 ●太田 △新田社 下毛界〉 山田(ヤマタ) 〈●桐生 下毛界小郡〉 邑樂(オハラキ) 〈舘林 ●矢木 ●板倉 武界カンナ川ニ添小郡〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0010 上野

碓氷郡

〔上野國志〕

〈信碓氷郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 今村落十六村、租入參萬漆仟肆佰肆石伍斗壹升肆合、

〔續日本紀〕

〈二十八稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 神護景雲元年三月乙卯、上野國碓氷郡人外從八位下上毛野坂本公黒益、賜姓上毛野坂本朝臣

片岡郡

〔上野國志〕

〈仁片岡郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 今村落三村、租入肆仟貳百陸石肆斗壹升肆合、

甘樂郡

〔碩鼠漫筆〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0012 甘樂郡名義 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 倭名鈔に、上野國郡名、甘樂〈加牟良〉とあるは、方今(イマ)もカンラと呼ビなれたれど、本義はカミラと呼べくぞおぼゆる、甘をカミと呼ブ例ハ、甘南備(カミナミ)山、甘南備(カミナミ)河など、万葉中に多く見へたり、〈甘南備山ハ、神並(カミナミ)山の義なリ、備をミと呼ぶハ呉ノ轉音なリ、欽明天皇紀〈卅六右〉に、備前兒島(キミサキコジマ)郡とも見へて、此備(ミ)ハ吉備(キミ)にて、酒實(キミ)の義なリ、此他(ホカ)万葉集卷〈廿卅七右〉に可奈之備伊麻世(カナシミイマセ)、續日本紀卷十七〈十七左〉に、撫惠備(ナデメグミ)賜事、皇太神宮儀式帳に、大御壽乎慈備給比(オホミイノチヲイツクシミタマヒ)、また五穀物乎慈備給部(イツゝノタナツモノヲイツクシミタマヘ)などミと訓べきものおほし、〉かく思ひとらるゝゆゑハ、葷菜の介瀰羅(カミラ)より付キそめし名とおぼしければなり、抑葷菜にハ、薤蒜葱(ミラヒルキ)等の種類多しといへども原(モト)ハ都て薤(ミラ)といふが、總名にて有けるなるべし、〈◯註略〉さて上野國甘樂郡に出る冬葱(フユキ)ハ、比類なき名産なり、〈武藏の岩附、下野の栃木等に産るをも名物とすれど、上野のにハ比べがたし、〉殊に郡中西牧村に産るものを上品とすれば、國人ハ西牧葱(サイモク子ギ)と呼べども、此地ハ下仁田驛の隣村なれバ、他國人ハ下仁田葱と呼べり、かゝれバ上古ハ此冬葱(フユキ)をも臭薤(カミフ)とハ呼けむからに、郡名としもなれるにぞあるべき、

〔上野國志〕

〈義甘羅郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 今ノ村落百漆拾玖村、租入肆萬參仟玖佰漆拾漆石伍斗捌升肆合、

〔續日本紀〕

〈二十六稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 天平神護元年十一月戊午朔、上野國甘樂郡人中衞物部蜷淵等五人、賜姓物部公

〔續日本紀〕

〈二十七稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 天平神護二年五年甲戌、上野國甘樂郡人外大初位下礒部牛麻呂等四人賜姓物部公

〔日本後紀〕

〈二十二嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 弘仁四年二月丁酉、上野國甘樂郡大領外從七位下勳六等壬生公郡守、特授外從六位下、以戸口増益、爲民所一レ懷也、

多胡郡

〔上野國志〕

〈智多胡郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 今村落參什陸村、租入壹萬仟佰貳拾參石玖斗肆升貳合、

〔續日本紀〕

〈五元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 和銅四年三月辛亥、割上野國甘良郡織裳、韓級、矢田、大家、緑野郡武美、片岡郡山奈等六郷、別置多胡郡

〔好古小録〕

〈上金石〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0013 上野國多胡郡碑〈碑石高四尺、濶二尺八寸、蓋方三尺、〉 弁官符、上野國片岡郡、緑野郡、甘良郡、并三郡内三百戸、郡成給羊、成多胡郡(○○○)、和銅四年三月九日甲

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 寅宣、左中弁正五位下多治比眞人、太政官二品穗襀親王、左大臣正二位石上尊、右大臣正二位藤原尊、 碑上野國多胡郡池村ニ在、〈◯中略〉此碑始テ多胡郡ヲ置レシ時建タル碑也、土人誤テ羊大夫ナル者ノ碑トシテ牽合附會ノ説アリ、村民故事ヲ談ズルノ憑據ナキ者、論ズルニタラズ、

緑野郡

〔上野名跡志〕

〈初編中緑野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 今土人ハミトリ郡ト唱、上野名跡考ニ、神奈川、蕪川、鮎川皆當郡ニ落合ハ、美止乃ハ水處野カト云、

〔上野國志〕

〈仁緑野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 當郡ハ多ク高山庄ト云、〈日野金井村、高山氏ガ居ル所ナリ、高山ハ秩父ノ族ナリ、秩父十郞武綱ガ子權守重綱ガ第三ノ子三郞重遠、始テ封ヲ受テ高山氏ト稱ス、ソレヨリ子孫相續ス、藤岡モ高山庄ナリ、神田大塚モ、長樂寺寄附状ニ高山庄トアリ、〉今村落伍拾捌村、租入貳萬捌仟肆佰陸什肆石壹斗陸升玖合、

〔日本書紀〕

〈十八安閑〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 二年五月甲寅、置〈◯中略〉上毛野國緑野屯倉

〔續日本紀〕

〈三十二光仁〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 寶龜四年六月壬子、上野國緑野郡災燒正倉八間、穀穎卅三万四千餘束

那波郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 上野 那波〈ナバ ナハ〉

〔上野國志〕

〈智那波郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 按ニ、昔時那波氏二家アリ、一家ハ藤原秀郷ノ後、淵名大夫兼行ガ二男成綱ガ子那波二郞季廣ト云、其子ヲ太郞廣澄ト云、〈泉龍寺ノ開基ナリ〉其子家澄孫景澄ノ後聞ルコトナシ、〈東鑑建久六年ニ、那波太郞アリ、コレ廣澄ナルベシ、又那波彌五郞ト云アリ、コレラ藤氏ノ那波ナルベシ、大江氏ノ那波ハ、年代ヲ以計ルニ、コレヨリ後ノ封ナルベシ、又考ルニ、大江廣元ガ三男政廣、始テ封ヲ那波ニ受ク、政廣兄弟ノ次弟ニ於テ太郞ト稱スルコトナルベシ、〉一家ハ大官令大江廣元ガ第三ノ子掃部助政廣、〈始名宗元〉始テ頼朝卿ノ封ヲ受テ那波ヲ領ス、其子左近大夫政茂、關東ノ評定衆タリ、ソレヨリ子孫相續シテ那波ヲ領ス、〈又按藤氏ノ那波衰微シテ、後ニ大江氏ノ那波其地ヲ兼子併セシナルベシ、〉 今ノ村落四拾四村、租入貳萬仟捌佰拾參石參斗壹升貳合、

〔續日本後紀〕

〈十七仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0014 承和十四年十月癸巳朔、上野國那波郡人左近衞府將監正六位上檜前公綱主賜

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 姓上毛野朝臣

群馬郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 上野 群馬〈クルマ クンマ〉

〔上野名跡志〕

〈二編上群馬郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 群馬ハ元久留末ナリシヲ、和銅六年ノ詔ニ、著好字ノ時書改タリケン金井澤ノ神龜三年ノ碑ニ、群馬郡トアリ、地名字音轉用例ニ、群馬ハ元久留末、クンヲクルニ用タリト云、榛名山ナル元享三年ノ鐵燈籠ニ、車馬郡トアルヲ見レバ、其頃マデモクルマト唱ヘケンヲ、今ハ字音ニ群馬トノミ唱ル也、上野三碑考ニ、久留末ハ玄馬也、ロウノ反シル、上野ハ牧野所ニテ、馬ニヨシアル地名多シト云、名跡考ニハ、郷ノ名ヨリ郡ノ名ニモ及シナルベシ、今白川ノ水源善地村ニ、群馬ノ名ハ、ソノマゝ殘レリ、川ヲ車川ト云ト云、東西二郡ノ堺ハ定カナラズ、利根川ヲ爲堺トイヘド、昔ハ利根川群馬勢多ノ間ヲ流、應永ニ變流セシトイヘバ、外ニ堺アリシナルベシ、

〔上野國志〕

〈禮群馬郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 和名鈔曰、久留末(クルマ)、國分爲東西二郡、府中間國府、〈今按、東西二郡ノ境界不詳、但利根川郡中ヲ流、川東ニ數十村アリ、コレヲ東郡トスルカ、故府ノ跡モ詳ナラズ、今ノ總社ノアタリ府城ノ跡ナルベシ、國分村モ其近所ナリ、國分寺ノ在シ處ナルベシ、或ハ謂ラク、國分ハ國府ノ訛ナルベシト云ハ非ナリ、餘國ニ國府ノ名遺ルアルモ、多クコフト謂來レリ、コクフト唱ル處ナシ、◯中略〉 今村落佰捌什陸村、租入拾壹萬仟參佰陸什漆石伍斗陸合、

吾妻郡

〔上野國志〕

〈禮吾妻郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 和名鈔云 阿加豆末 日本武尊東征ノ時、碓日ノ坂ニ登リ賜テ、弟橘姫ヲ忍賜ヒ、吾嬬耶ト宣ヒシヨリ、山東諸國ヲ吾妻ト稱スト、日本書紀ニ見ヘタリ而シテ此郡山東ノ郡縣ニ於テ、最モ西ニ居ル、因テ吾妻ノ稱ヲ專ニスト見エタリ、〈◯中略〉 村落凡漆拾玖村、租入壹萬參仟捌佰陸石肆斗貳升參合、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0015 四十年十月癸丑、日本武尊發路之、〈◯中略〉於是日本武尊曰、蝦夷凶首咸伏其辜、唯信濃國、越國、頗未化、則自甲斐、北轉歴武藏上野(○○)、西逮于碓日坂、時日本武尊、毎有弟橘媛之情、故登

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 日嶺而東南望之、三歎曰、吾嬬者耶、〈嬬此云莵摩〉故號(○)山東諸國(○○○○)曰(○)吾嬬國(○○○)也、

〔古事記〕

〈中景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016和山河荒神等而還上幸時、到足柄之坂本、〈◯中略〉故登立其坂三歎詔云、阿豆麻波夜、〈自阿下五字以音也〉故號(○)其國(○○)謂(○)阿豆麻(○○○)也、

〔古事記傳〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016其國阿豆麻也、其國とは、細に云ば相模國を指て云るなり、彼弟橘比賣命の亡坐しは相模國の海なればなり、然れども廣く云ときハ、此ノ足柄山より東ノ方なる諸國なり、〈其國と云るは、必一國を指るがごと聞ゆめれども、京より言ときハ、山東ノ諸國を統ても其國と云べし、〉書記に、故因號山東諸國吾嬬國と見えたる如く、古も今も泛く東方の國々をぞ、阿豆麻とは云なる、〈◯中略〉書紀には、歴常陸于甲斐國とありて、後に自甲斐北轉歴武藏上野、西逮于碓日坂云々、進入信濃とあるは、路次順はず、〈◯中略〉さて彼御歎ありし地も、足柄と碓日と傳の異なる、此は何れか正しからむ、決めかねつ、上野國に吾妻〈阿加豆末〉郡あるを以見れば、碓日の方や正しからむ、〈凡て郡名などは大方いと古きことにて、必由縁あるべければなり、さて若碓日を正しとするときは、此記に號其國阿豆麻とあるも、此吾妻郡によく當るべく、又下文に給東國造とあるも、此郡の地とすべし然れども此國造の事も、郡名の事も、足柄にしては又別に考あり、〉

利根郡

〔上野國志〕

〈義利根郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 當郡都テ沼田ト稱、蓋シ沼田氏ノ領スルニ依テナルベシ、在昔ハ渭田ト書シテ、何ノ比ヨリカ沼田ニ書替シヤ、東鑑ニハ沼田トアリ、呉桃(ナクルミ)ハ村名猶存ス、 村落玖拾伍村、租入壹萬捌仟貳佰拾參石玖斗參升捌合、

〔日本後紀〕

〈二十一嵯峨〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 弘仁二年十月丙寅、上野國利根郡長野牧、賜三品葛原親王

勢多郡

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 上野 勢多〈セタ エタ〉

〔上野國志〕

〈信勢多郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 村落百參什漆村、租入伍萬漆仟陸佰肆什參石壹斗漆升肆合、

〔續日本紀〕

〈十七聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0016 天平勝寶元年閏五月癸丑、上野國勢多郡小領外從七位下上毛野朝臣足人〈◯中略〉授從五位下

佐位郡

〔上野國志〕

〈義佐位郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 村三十五村、租入壹萬伍仟捌佰陸拾玖石貳斗伍升、

〔續日本紀〕

〈二十八稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 神護景雲元年三月乙卯、上野國佐位郡人外從五位上檜前君老刀自、賜姓上野佐位朝臣

新田郡

〔上野國志〕

〈智新田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 新田郡ハ源家累代ノ領所ナリ、其初將軍頼義ヨリ、陸奧守義家ニ相傳シ、義家ノ三男陸奧三郞義國ニ新田ノ領家ヲ讓與セラレテ、始テ新田式部大夫ト稱ス、義國ノ長男大炊助義重コレヲ傳領ス、是ヲ新田ノ元祖トス、義重ヨリ八代ノ嫡孫左近衞中將義貞、後醍醐天皇ノ勅ヲ奉ジテ北條高時ヲ滅シテ後、上野越後播摩三箇國ヲ賜ル、此時上州義貞ノ分國トナル、新田氏義貞ヲ宗室トシテ、一族各其所居ノ地ヲ以氏トス、 村落凡八十八箇村、租入五萬六千二百五拾九石三斗二升三合二勺六撮、

〔續日本後紀〕

〈十三仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 承和十年正月丁酉、上野國新田郡人勳七等犬養子羊弟眞虎等二人賜姓丈部

山田郡

〔上野國志〕

〈禮山田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 今按ニ、上古ノ縣四ツアリ、今不詳、但山田郡ノ内多ハ園田庄ト云、桐生ヨリ渡瀬川ノ南通皆園田庄ナリ、〈和名ニハ圍田ト書テソノト誦ム、後世字ノ如ク讀、〉 村落五拾四村、租入參萬貳仟佰參什陸石壹斗肆升肆合、

〔續日本後紀〕

〈四仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 承和二年七月甲子、以空閑地〈◯中略〉上野國山田郡八十町諱、〈田邑〉

邑樂郡

〔伊呂波字類抄〕

〈加國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 上野國 邑樂〈オホアラキ〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 入聲フノ韻ヲ同シ行リノ音ニ通用シタル例 おはらき 邑樂〈上野郡〉於波良岐(オハラキ) 邑ハ呉音オフナルヲ、オハニ用ヒタリ、〈◯中略〉 入聲クノ韻ヲ同シ行リノ音ニ通用シタル例 おはらき 邑樂〈上野郡〉於波良岐(オハラキ) 樂(ラク)ヲラキニ用ヒタリ

〔郡名考〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0017 上野 邑樂〈ヲハラキ ヲハラ〉

〔上野國志〕

〈信邑樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 和名鈔、於波良岐(オハラキ)、〈◯中略〉 今村落七拾四村、租入伍萬漆仟捌佰陸什伍斛陸斗捌升壹合、

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 神護景雲三年四月甲子、上野國邑樂郡人外大初位上小長谷部宇麻呂、甘樂郡人竹田部荒當絲井部表故等十五人、賜姓大伴部

〔倭名類聚抄〕

〈七國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0018 上野國 碓氷郡 飽馬〈安木末〉石馬 坂本〈佐加毛土〉礒部〈伊曾倍〉石井〈伊波井〉野後 驛家 俘囚 片岡郡 若田〈和加多〉多胡 高渠〈太加無曾〉佐沒 長野〈奈加乃〉 甘樂郡 貫前〈奴木乃佐〉酒甘 丹生 那非 端下 宗伎 端上 有只 那射 額部〈奴加倍〉新屋〈爾比也〉 小野〈乎乃〉拔鉾 多胡郡 山宗〈也末奈〉織裳〈於利毛〉辛料〈加良之奈〉大家 武美 俘囚 八田 緑野郡 林原〈八也之波良〉小野〈乎乃〉升茂 高足 佐味 大前 尾張 保美 土師〈波爾之〉俘囚 山高 那波郡 朝倉〈阿佐久良〉鞘田〈佐也多〉田後〈多之利〉佐味 委文〈之土利〉池田〈伊介多〉韮束〈爾良都加〉 群馬郡 長野〈奈加乃〉井出 小野〈乎乃〉八木 上郊〈加無佐土〉畔切〈安木利〉島名〈之萬奈〉群馬 桃井〈毛々乃井〉有馬〈安利萬〉 利刈〈止加利〉驛家 白衣 吾妻郡 長田〈奈加太〉伊參〈伊佐萬〉大田〈於保太〉 利根郡 渭田〈奴末太〉男信〈奈萬之奈〉笠科〈加佐之奈〉呉桃〈奈久留美〉 勢多郡 深田 田邑〈多無良〉芳賀〈波加〉桂萱〈加以加也〉眞壁〈萬加倍〉深渠〈布加無曾〉深澤〈布加佐波〉時澤 藤澤〈布知左波〉 佐伊郡 名橋〈有桐原形、(形恐牧誤)奈波之、〉岸新 反治 佐井 淵名〈布知奈〉驛家 雀部〈佐々伊倍〉美侶 新田郡 新田 滓野〈加須乃〉石西 祝入〈波布利〉 淡甘 驛家 山田郡 山田 大野〈於保乃〉園田〈曾乃〉眞張〈萬波利〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 邑樂郡 池田〈伊岐太〉疋太〈比木太〉八田〈也太〉長柄

〔古京遺文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 上野國山名村碑 辛巳歳集月三日記 佐野(○○)三家定賜、健守命孫黒賣刀自、此新川臣兒斯多禰足邊孫大兒臣娶、三兒長利僧母爲記定文也、放光寺僧 碑在上野國緑野郡山名村山上觀音堂傍、文義古拙不讀、佐野在山名村北廿餘町、古歌所詠佐野船橋即此、距佐野村一許町有一小堂、俗呼云放光山顚邊寺、或云、是放光寺之蹟、又上野國神名帳有群馬郡放光明神、然則放光寺在於此、亦未知也、蒙齋以其文似高田里碑其所在亦相近云、或出一手、定以辛巳天平十三年、余則謂、高田里碑以神龜年、此特不天平之號、以干支紀、則辛巳當天武天皇之十年也、 ◯按ズルニ、好古小録ニハ、佐野伏野ニ作ル、

〔萩藩閥閲録〕

〈八ノ二福原對馬〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 讓渡所領并鎌倉地事〈◯中略、〉 一上野國佐野郷(○○○)内〈在家四宇、田八丁、〉 右ちやくし彈正藏人貞頼御下文以下手次等をあいそへて讓渡所也さらにたのさまたげあるべからず、もし子細を申仁子孫中あらば、ふけうの仁たるべし、上へ申て、おもきざいくわに申おこなわるべき状如件、 元徳元年十二月廿二日 道可判(長井頼秀)

〔好古小録〕

〈上金石〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0019 上野國群馬郡下賛(シモサノ)郷碑〈碑石高二尺餘濶一尺七寸許〉 上野國群馬郡下賛郷(○○○)高田里三家子爲七世父母現在父母、〈◯中略〉 神龜三年丙寅二月廿九日 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 明和中、上野國高崎ノ山崩レテ出ヅ、文義通ジ難シ、後考ヲ俟ツ、

〔古京遺文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 高田里結知識碑〈◯中略〉 碑在緑野郡山名村金井澤山中、舊在山下村民彌一家側、彌一家貧族絶、村民等謂、犯穢是碑之所致、遂移碑於山上、或云、明和中、烏川厓畔崩壞而出者、非是、下賛郷、或云、今佐野村、高田里今不其處、上野國神名帳有群馬郡高田明神、蓋即其地、〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 治承五年〈◯養和元年〉閏二月廿五日辛未、足利又太郞忠綱雖意于義廣、野木宮合戰敗北之後、悔先非後勘、潜籠于上野國山上郷(○○○)龍奧、招郞從桐生六郞許、數日蟄居、遂隨桐生之諫、經山陰道、赴西海方云云、是末代無雙勇士也、三事越人也、所謂、一其力對百人也、二其聲響十里也、其齒一寸也云云、

〔吾妻鏡〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 壽永三年〈◯元暦元年〉七月十六日壬寅、澀谷次郞高重者、勇敢之器、頗不父祖之由、度々預御感、凡於事快然之餘、彼領掌之所、於上野國黒河郷(○○○)、止國衙使入部、可別納之由、賜御下文、仍今日被含其由於國奉行藤九郞盛長云云、

〔小山結城家之證文〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 將軍家政所下 下野國日向野郷(○○○○)住人補任地頭職事 左衞門尉藤原朝政 右壽永二年八月 日御下文云、以件人、補任彼職者、今依仰成賜政下文之状如件、以下、 建久三年九月十二日 案主藤井判

〔吾妻鏡〕

〈十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0020 正治三年〈◯建仁元年〉四月三日壬午、遠州、廣元朝臣、善信等參會、就越州飛脚資盛謀反事、仰在國士追討否、可當參之輩否、各被評定、而長用雖之、其伴類未散之時也、〈◯中略〉但折節當國無然輩、佐々木三郞兵衞尉盛綱法師〈法名西念〉有上野國礒部之郷(○○○○)、可彼者、仍催越後國御家人等、可資盛之旨、遣御教書於盛綱入道、件御教書義盛給之、付飛脚遣上州云云、

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 建暦三年〈◯建保元年〉五月七日丁未、勳功事今日先被之、〈◯中略〉 上野國桃井(○○)〈藤内左衞門尉〉

〔和名抄諸國郡郷考〕

〈八上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 上野志略、按桃井庄存、今按、今も桃井郷とて、十三ケ村あり、伊加保の邊也、

〔吾妻鏡〕

〈三十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 仁治二年六月二十八日甲申、有臨時評定、故佐貫八郞時綱養子太郞時信、訴申後家藤原氏改嫁之由事、今日被沙汰、爲式目以前改嫁之間、不罪科、仍於本夫遺領上野國赤岩郷(○○○)者家領云云、

〔上野名跡志〕

〈初編中緑野郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 白倉村板倉村鮎川〈◯中略〉 武州秩父郡大河原御堂淨蓮寺ノ鐘ニ、上州緑野郡板倉郷(○○○)圓光寺鐘、正慶二年〈癸酉〉三月廿二日〈願主尼蓮阿大工妙彌禪門〉トアリ、〈今板倉ニ、圓光寺ト云寺ナシ、〉

〔伊達文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021今年七月二十六日宣旨、知行不相違之状、國宣如件、 元弘三年十二月五日 源朝臣〈花押◯新田義貞〉 上野國公田郷(○○○)一分地頭伊達孫三郞入道々西謹言上、 欲早且任傍例、且任相傳道理、賜安堵國宣、全當知行公田郷一分地頭職間事、〈◯中略〉 右道西最前參御方、屬頭中將家〈◯千種忠顯〉御手、致合戰忠節之間、申恩賞之上者、任傍例、可安堵國宣者也、當知行之條、若有御不審者、可尋伊達彦七郞朝基哉、然者早賜安堵國宣、爲全當知行、粗言上如件、 元弘三年十月 日

〔長樂寺文書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0021 上野國大胡郷(○○○)内野中村地頭職事、長樂寺了愚上人禪庵、義貞〈◯新田〉寄進被聞食了、不相違之由、綸旨如此、早可沙汰付之旨、國宣所候也、仍執達如件、 建武二年六月十九日 平〈花押〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 源〈花押〉 沙彌〈花押〉

〔田文〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0022 上野國新田庄嘉應年中目録持國當知行分 大間郷(○○○) 太田郷(○○○) 田島郷(○○○) 東牛澤郷(○○○○) 額戸郷(○○○) 成墓郷(○○○) 西牛澤郷(○○○○) 濱田郷(○○○)〈彼郷四内、昔柏井分、〉 石蝠郷(○○○) 大島郷(○○○) 由良郷(○○○) 今井郷(○○○) 高林郷(○○○) 村田郷(○○○) 廣田郷(○○○) 高島郷(○○○) 岩瀬河郷(○○○○) 尾次島郷(○○○○) 千歳郷(○○○) 小島郷(○○○) 堀口郷(○○○) 多古宇郷(○○○○) 高墓郷(生新野/東光寺領) 鶴留田郷(○○○○)〈慶雲寺領、自去年守山押領分、〉 藪墓郷(○○○)〈半分〉 阿佐見郷(○○○○)〈半分〉 鳥山郷(○○○)〈半分〉 以上廿七ケ所 一田中郷(○○○/阿佐見郷半分)〈四ケ村〉 田中民部大輔知行 一徳川郷(○○○) 〈畠山上總介同名右馬助〉兩人知行 一大館郷(○○○) 一井郷(○○○) 大館知行〈京都祇公〉 一鳥山郷(○○○)〈四分ノ一〉 一飯田郷(○○○) 長斗郷(○○○) 寺井村半分藪墓郷半分 鳥井式部大夫知行 世良田郷(○○○○) 一小角郷(○○○) 世良田遺跡知行 三木村 一綿打郷(○○○) 綿打九郞知行 他庄へ殘押領地之事

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 飯墓郷(○○○) 佐貫庄へ押領 新河郷 山上へ押領 小廣田郷(○○○○) 西庄へ押領 小泉郷(○○○) 西庄へ押領 花香(○○) 緑郷(○○) 同前木島郷 同前 足乘郷(○○○) 薗田庄へ押領 藤心郷(○○○) 薗田庄へ押領 以上八ケ所、此外十七郷他庄へ相分、在所分明ニ不存知候也、 應永十一年甲申四月七日 沙彌〈判〉

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 上野國(御料私領) 〈上州 東西四日〉 拾四郡 高五拾九萬千八百三拾四石四斗四升八合八勺七才 千貳百拾三ケ村 ●高崎 二十六里半 ●館林 十八里 ●沼田 三十七里餘 ●安中 二十九里九町 ●厩橋 川越ノ持 ◯小幡 廿九里十六町 ◯伊勢崎 二十四里 ◯七日市 廿九里廿九町 ◯矢田二十七里 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 田島 岩松滿次郞 <岩鼻 〈二十五里出ハリ〉 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 上野 十四郡千二百十七村 高六十三万七千三百三十一石六斗三升三合一勺(御料私領) 邑樂郡八十六村 新田郡百十四村 山田郡六十三村 佐位郡二十六村 那波郡五十一村 群馬郡二百九村 勢多郡百七十八村 利根郡百十七村 吾妻郡八十八村 碓氷郡六十八村 片岡郡三村 多胡郡二十七村 緑野郡四十五村 甘樂郡百三十二村

〔武藏上野〕

〈國村名帳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 關東村數 上野國 千二百五拾四ケ村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0023 郡邑島嶼奇名 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 上野 碓水(ウスイ)郡、行田(ヲクノタ)郡、甘樂郡、南蛇井(ナンジヤイ)村、神成(カミナリ)村、

〔夫木和歌抄〕

〈三十一里〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 くるまの里〈上野〉 題不知懷中 よみ人不知 都よりかへりくるまの里(○○○○○)人はひとねがはをばわたらざらなん

〔長樂寺文書〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024寄進 上野國世良田長樂寺 右當國新田莊〈◯新田郡〉平塚村(○○○)内得分貳拾貫文、地所奉寄進也、仍如件、 元弘三年七月二十日 源行義〈花押〉

〔上野國志〕

〈智新田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 徳河村(○○○) 義重ノ次男義秀、徳河ト稱シ玉フ、此郷何レノ時ヨリカ、誤テ勢多郡ト稱ス、勢多郡トハ隔リテ相接ス、ソノ誤リ傳ル所以ヲ詳ニセズ、此御當家御姓氏ノ地、貢役免除ノ郷、誠ニ欽々敬ベキ村名ナリ、

〔田文〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 新田庄江田郷内得河(○○)方目録 合田畠拾貳町貳段半 分錢都合貳拾七貫五百文定 明徳五年甲戌八月廿七日 國政〈判〉

〔集古文書〕

〈四十施行状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 應永二十七年施行状〈相模國鎌倉建長寺藏〉 建長寺寶珠庵雜掌申、上野國奈久留見村參(○○○○○)分貳才内瀧安名事、任先月二十六日御奉書之旨、退發旨伊豆守違亂寺家所務之由也、仍執達如件、 應永二十七年六月八日 花押 神谷掃部助殿 瀬下隼人佐殿

〔高崎志〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0024 上野國群馬郡赤坂ノ庄ハ、名義未詳、〈◯中略〉和田氏居住ノ頃ハ、民家ソノ北ヨリ東南ニ立

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 ツヾケリ、是所謂和田宿也、〈◯中略〉慶長三年戊戌、中山道ヲ開カレシニ及テ、和田ハ緊要ノ地ナレバトテ、直政〈◯井伊〉ニ仰セ、城ヲ築シメテコレヲ賜フ、此時直政地名ヲ更テ松ガ崎(○○○)ト云シト、龍廣寺ノ住持ノ白庵ニ語ラレシニ、白庵曰、尤然ルベク、去ナガラ諸木ニ榮枯ノ時アリ、物ニ疆ノアルコトハメヅラシカラズ候、公既ニ命ヲ奉テ此城ヲ築キ玉ヘルハ、所謂盛事大名也、サレバ成功高大ノ義ニ取テ、高崎トシ玉ハレバイカヾト云ケレバ、直政大ニ悦テ高崎(○○)ト名ヅケラレ、且高崎ノ二字ヲ以、龍廣寺ノ山號トスベキヨシヲ命ゼラル、

〔木曾路名所圖會〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 高崎〈上野〉 倉加野まで一里十九町、此所は松平右京亮侯居城の地也、城下の町長し、凡三十町ばかり繁昌の地也、此國都會の地にして、月毎に六度の市あり、第一に上州絹、館煙草、白目竹とて、馬の鞭に用、其外種々の物を出して交易す、賑ひいはんかたなし、これより少し行て佐野むらにいたる、

〔上野國志〕

〈信邑樂郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 館林城(○○○) 佐貫庄ニアリ 弘治二年正月、赤井但馬守照康入道法蓮ガ築ク所ナリ、〈◯中略〉御入國ノ後、榊原式部大輔康政ニ賜フ、〈天正十八年八月、外張ノ町屋今ノ所ニ移ス、文祿二年正月ヨリ郭外ノ總堀ヲ堀ル、〉

〔古文帖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 植村駿河守藏 大神君 上州館林(○○)大島村五百石、右宛行之證、全可知行者也、仍如件、 天正十九辛卯年 御朱印 植村新六郞どのへ

〔前橋風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 前橋方域 前橋(○○)古曰厩橋(○○)、在于上野國群馬郡矣、

〔上野名跡誌〕

〈二編下群馬郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0025 厩橋

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 名跡考ニ云、前橋、中世廐橋トモ書、古ノ利刈ノ驛ノ轉ジタルナルベシト云、三碑考ニ、厩橋ハ驛橋ノ意ニヤト云、〈前橋ハ群馬勢多兩郡ニワタレリ、傳説雜記ニハ、前橋廐橋ハ別、今混ジテ一ニスルハ非也ト云、〉和田記ニ、廐橋城ハ廐橋氏代々居住、其後長尾持ト成、後又小田原ノ抱城ト成、福島孫十郞城代ト云、

〔信長記〕

〈十五下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 瀧川武藏野合戰之事 去程ニ、瀧川左近將監一益ハ、關東管領職ニ任ゼラレ、上野國厩橋城ニ在シカバ、關八州ノ大名小名咸厩橋城ニ居ヲ卜、上下ノ因ミヲ深セント媚ヲナス事、恰昔平相國清盛公、源氏ヲ討亡シ、覆勢一天威四海ガゴトシ、

〔關八州古戰録〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 近衞前久公關東動坐附輝虎於東上野所々軍事 斯テ謙信西上野ノ先方衆ヲ、驅促シ、先以テ勢多郡那波ノ城エ働ヲ懸ラル、〈◯中略〉輝虎悦喜斜ナラズ、桐生(○○)ノ城ノ繫ギ要樞ノ處ナリトテ、北城丹後守長國ヲ入テ守シメ、夫ヨリ廐橋エ軍ヲ出サル、〈◯中略〉此折節何ナル放茆者(ヲトケモノ)ヤ仕タリケン、沼須川ノ端ニ落首ヲ書テ立タリケル、 小田ハラヲ結バン繩ハ朽果テ廐橋落ス沼田永荒、勢多郡伊勢崎(○○○)ノ砦エハ、谷備中守宗次、荻田備後守、潮玉主税助、毛利丹後守、四百餘騎ニテ馳向ヒ、早速ニ攻落シヌ、

〔上野國志〕

〈義佐位郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 伊勢崎(○○○) モト赤石村ト云、横瀬氏ノ説ニハ、弘治元年〈或ハ天文十五年トモ云〉由良成繁那波ヲ手ニ入レ、赤石郷神人村ヲ伊勢神領ニ寄附シテヨリ、伊勢前ト稱スト云、

〔古文帖〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 伴野氏 上野國緑埜郡大塚村七(○○○)百石、右宛行之證、全可知行者候、仍如件、 天正十九辛卯五月 御朱印 伴野隼人どのへ

莊保

〔集古文書〕

〈十二下文〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0026 保元二年下文 由良家藏

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 左衞門督家政所下 上野國新田御庄(○○○○)官等、補任下司職源義重、右人依地主、補任下司職件、御庄官等宜承知、依件用之、敢不違失、故下、 保元二年三月八日 安主宮内録菅野

〔田文〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 ちうしん〈につたのみしやうかおうこねんの目六、たはたけさいけにの事、〉合 田 二百九十六町十だい 畠 百町六反三十だい 在家二百八字 此内そヽ田二十四町八反 神田十六町八反 享徳四年乙辰閏四月吉日

〔東路のつと〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 明る朝利根川の舟渡りをして、上野の國新田の莊に、禮部尚純隱遁ありて、今は靜喜かの閑居に五六日、連歌度々におよべり、 露分て袖にみるべき野山かな

〔沙石集〕

〈六上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 榮朝上人之説戒之事 一上野國新田(ニイタ)庄世良田(セラタ)ノ本願釋圓房ノ律師榮朝上人ハ、慈悲深ク智惠賢クシク、顯密共ニ學シ、説法説戒マコトニタツトカリケレバ、近國ノ道俗歸依渇仰シテ聽聞シケリ、

〔太平記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0027 新田義貞謀反事附天狗催越後勢事 相模入道、舍弟ノ四郞左近大夫入道ニ、十萬餘騎ヲ差副テ京都ヘ上セ、畿内西國ノ亂ヲ可靜トテ、武藏、上野、安房、上總、常陸、下野、六箇國ノ勢ヲゾ被催ケル、其兵粮ノ爲ニトテ、近國ノ庄園ニ、臨時ノ夫役ヲ被懸ケル、中ニモ新田庄世良田ニハ、有徳ノ者多シトテ、出雲介親連、黒沼彦四郞入道ヲ使ニテ六萬貫ヲ五日ガ中ニ可沙汰ト、堅ク下知セラレケレバ、使先彼所ニ莅テ、大勢ヲ庄家ニ放入テ、譴責スル事法ニ過タリ、新田義貞是ヲ聞給テ、我館ノ邊ヲ雜人ノ馬蹄ニ懸サセツル事コソ、返

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 返モ無念ナレ、爭カ乍見可怺トテ、數多ノ人勢ヲ差向ラレテ兩使ヲ忽生取テ、出雲介ヲバ誡メ置キ、黒沼入道ヲバ頸ヲ切テ、同日ノ暮程ニ、世良田ノ里中ニゾ被懸ケル、

〔上野國志〕

〈智新田郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 長樂寺〈◯中略〉 永宣旨 上野國新田庄世良田山長樂寺別院眞言院事、勅願處上者、門徒中官位之事、爲住持下知之旨被聞食之、彌專佛法興隆、宜寶祚長久者、天氣如此、悉而以状、 永正十七年後六月廿三日 右中辨 眞言院住持御坊

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 治承四年十二月二十四日壬寅、木曾冠者義仲、避上野國信濃國、是有自立志之上、彼國多胡庄(○○○)者、爲亡父遺跡之間、雖入部、武衞權威已輝東國之間、成歸住之思此云云、

〔吾妻鏡〕

〈三十四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 仁治二年三月廿五日癸丑、海野左衞門尉幸氏、與武田伊豆入道光蓮、相論上野國三原庄(○○○)與信濃國長倉保境事、幸氏所申、依其謂、任式目押領分限、可沙汰之旨、被含于伊豆前司頼定、布施左衞門尉康高等訖、

〔太平記〕

〈十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 新田義貞謀反事附天狗催越後勢事 則武藏上野兩國ノ勢ニ仰セテ、新田太郞義貞ハ舍弟脇屋次郞義助ヲ討テ、可進ストゾ被下知ケル、義貞是ヲ聞テ、宗徒ノ一族達ヲ集テ、此事可如何ト評定有ケルニ、異儀區々ニシテ不一定、或ハ沼田庄(○○○)ヲ要害ニシテ、利根河ヲ前ニ當テ、敵ヲ待ント云義モアリ、

〔上椙古文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0028 八幡庄〈◯上野〉被下事、所事書也、守彼状、可沙汰之状、依仰執達如件、 建武四年十一月二日 武藏權守〈花押◯高師直〉 上椙民部大輔殿〈◯憲顯〉

〔太平記〕

〈三十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 薩埵山合戰事 宇都宮ハ藥師寺次郞左衞門入道元可ガ勸ニ依テ、〈◯中略〉十二月〈◯觀應二年〉十五日、宇都宮ヲ立テ薩埵山ヘゾ急ケル、〈◯中略〉路ニ少シノ滯モナク、引懸引懸打程ニ、同十九日ノ午刻ニ、利根河ヲ打渡テ、那和庄(○○○)ニ著ニケリ、

〔集古文書〕

〈二十八下知状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 正平七年下知状〈伊豆國熱海走湯山東明寺殿〉 走湯山造營料所、上野國淵名庄(○○○)事、正平七年正月二十日、被一圓御教書之處、新田大島讃岐前司義政、去年十月十一日以御書拜領之上者、所詮中分彼所沙汰付半分下地於當山雜掌、可執進請取之状、依仰執達如件、 正平七年閏二月十六日 前遠江守〈花押〉 宇都宮下野守殿

〔鎌倉大草紙〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 長尾景春は、上州勢を引卒して、五十子梅澤といふ所に陣を取、太田道灌所々の軍に打勝て、上州那須の庄(○○○○)へ兩上杉の迎に來り、同〈◯文明九年〉五月十三日、利根川を越、五十子へ歸陣す、

〔神田孝平所藏文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 寄進 上野國山上保(○○○)葛塚村、諏方兩社〈上下〉神事、并燈油等料田事、 右當保田部村新平三入道作田屋敷、并葛塚村和泉房作田屋敷、源六入道跡田屋敷、河ハタ田等、限年紀沽却訖、年紀以後所進當社也、以件得分、神事料田不足之時、且令行祭祀、且可當社燈油也、爲祝管領、可彼役也、仍寄進状如件、 建武元年十一月二十七日 前美作權守貞宗〈花押〉

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0029 松平右京亮輝照(雁間 朝散大夫)〈◯中略〉 八万二千石、居城上州郡馬群高崎、〈江戸ヨリ〉二十六里半 〈天正八、井伊兵部少輔直政、慶長九、酒井左衞門尉家次、元和二、松平丹波守康長、同三、松平伊豆守信吉、同五、安藤對馬守重信、同右京進重長、同對馬守重治、元祿八、松平右京大夫輝貞、寶永七、間部越前〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 〈守詮房、享保二ヨリ再右京大夫輝貞、以後領之、〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 秋元但馬守(雁間 朝散大夫) 六万石、居城上州邑樂郡館林、〈江戸ヨリ〉十八里 〈天正十八、榊原式部大輔康政、同遠江守康勝、松平式部大輔忠次、寛永廿癸未年迄、正保元、松平和泉守乘壽、同宮内少輔乘久、寛文元、館林宰相綱吉公御居城、延寶八以後中絶、寶永四、再築之、松平右近將監清武、同肥前守武雅、同源之進武元、享保十三、太田備中守資晴、同十九、御番城、元文五、太田攝津守資俊、延享三ヨリ松平右近將監武元、同右近將監武寛、同右近將監齊厚、天保七、井上河内守正春、弘化二ヨリ秋元但馬守志朝領之、〉 土岐山城守頼之(帝鑑間 從五位下) 三万五千石、居城上州利根郡沼田、〈江戸ヨリ〉三十六里餘 〈當國小田原北條持、猪俣能登守範直居、天正十八、眞田安房昌幸、同伊豆守信幸、元和八、眞田阿波守信吉、同伊賀守信利、同彈正忠信成、天和二、被領地廢城、元祿十五、再依台命之、本多伯耆守正永、同遠江守正武、同豐前守正矩、享保十七、黒田豐前守直邦、同大和守直紀、寛保二、土岐丹後守頼稔、以後領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 板倉主計頭勝殷(雁間 朝散大夫)〈◯中略〉 三万石、居城上州碓氷郡安中(アンナカ)、〈江戸ヨリ〉廿九里九丁 〈慶長年中、井伊兵部少輔直之、後水野備後守、同信濃守、同後堀田備中守正俊、延寶九、板倉伊豫守重同、元祿十五、内藤丹波守政森、同山城守政里、同金市郞政苗、寛延三、板倉佐渡守勝清、以後領之、〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 松平攝津守忠恕(帝鑑間 朝散大夫) 二万石 居城上州甘樂郡小幡格〈江戸ヨリ〉廿九里十六町 〈元和五ヨリ織田氏代々領、明和四ヨリ松平攝津守忠恒、以後代々領之、〉 酒井下野守忠強(菊之間 朝散大夫) 二万石 在所上州佐位郡伊勢崎〈江戸ヨリ〉廿四里 〈寛文年中ヨリ、酒井氏代々領之、◯ 節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 前田丹後守利豁(柳間 朝散大夫)〈◯中略〉 一万石餘 在所上州甘樂郡七日市〈江戸ヨリ〉廿九里廿九町 〈慶長年中ヨリ、前田氏代々領之、〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 松平鐵丸信謹(大廊下下之御部屋)〈◯中略〉 一万石 御在所上野多胡郡吉井〈江戸ヨリ〉廿七里 毎歳米一万俵宛拜領之〈寶永六年四月、松平越前守信清、于當所營居、以後代々住之、〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0030 上野國〈◯註略〉管十四〈(中略)田三萬九百三十七町百四十四歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈加地儀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 上野國〈管十四◯中略〉 本田二万八千五百四十四丁

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 上野〈大遠〉十四郡〈(中略)田二萬八千五百卅四町〉

〔新撰類聚往來〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 國名〈◯中略〉 上野〈上州〉 田數二万七千四百六十町

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 上野州 郡十四、水田三萬二千一百四十町三段、

〔前關白秀吉公御檢地帳之目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 四十九万六千三百八十石 上野

〔國花萬葉記〕

〈十一上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 上野國〈上州〉 大、管、十四郡、〈◯中略〉 田數貳萬八千五百三十四町〈◯中略〉 知行高四十六万八千石

〔和漢三才圖會〕

〈六十六上野〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 十四郡(一宮拔鉾大明神) 高四十六万八千石

〔官中秘策〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 上野國 十四郡〈◯中略〉 一石高五拾九万千八百三拾四石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 天保度御國高調〈◯中略〉 上野國〈御料私領〉 一高六拾三万七千三百三拾壹石六斗三升三合壹勺

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 上野國、正税公廨各卅萬束、國分寺料五萬束、興福寺料三萬束、文殊會料二千束、藥分料一萬束、學生料一萬束、修理地溝料四萬束、救急料十二萬束、俘囚料一萬束、勅旨御馬秣料四千七百廿束、同繫飼御馬秣料五千九百束、占市牧牛直四千三百十五束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 上野國〈◯註略〉管十四〈(中略)正公各三十萬束、本頴八十八萬四千束、雜頴二十八萬四千束、〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0031 年料別納租穀〈◯中略〉 上野國〈一万七百卌五石◯中略〉 年料別貢雜物 上野國〈筆一百管、零羊角六具、杏仁三斗、膠十二斤、樺皮四圍、◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 上野國十三壺〈五口各大一升 八口各小一升◯中略〉 右八箇國爲第三番〈卯酉年◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 交易雜物〈◯中略〉 上野國〈絁五十疋、布一千五百九端、商布七千七百卅一段二尺二寸八分、苧八十斤、席九百枚、細貫席六十枚、紫草二千三百斤、鹿革六十張、履料牛皮廿張、櫑子四合、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 上野〈◯中略〉 右十一國麁絲〈◯中略〉 上野〈◯中略〉 右十國輸絁〈◯中略〉 上野國〈行程上廿九日、下十四日、〉 調、緋帛五十疋、紺帛五十疋、黄帛八十疋、橡帛十三疋、絁三百十疋、紺布五十端、縹布十五端、黄布卅端、榛布卅五端、緋革十五張、自餘輸布、 庸、輸布、中男作物、麻一百五斤、席、漆、紙、紅花、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 上野國十五種 青木香、黄芩、黄蓍各十斤、細辛六十四斤、芍藥、當歸各廿斤、升麻三斤二兩、防風六十斤、銅牙五斤、干地黄、胡麻、蜀椒各一斗、麥門冬八升、附子四斗、猪蹄四具、

〔庭訓往來〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 常陸紬、上野綿、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 上野 日野絹 新田山絹 佐野白苧 布 漆 戸澤砥 盆山石 利根川鯉

〔諸國名物盡〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 上野 絹綿、島絹、〈單袴に用之、藤岡より出る也、〉麻苧、砥、高崎足袋、同節菪、山名節菪、新田山絹、松枝鈿美島、漆、利根川盆石、同鮎、鱣、沼田串柿、漬蕨、紙、佐野白苧、

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 和銅六年五月癸酉、相模、常陸、上野(○○)、武藏、下野五國輸調、元來是布也、自今以後、絁布並進、 七年正月甲申、令相模常陸上野(○○)三國、始輸絁調、但欲布許之、

〔續日本紀〕

〈八元正〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 養老五年正月戊申朔、武藏上野(○○)二國並獻赤烏

〔續日本紀〕

〈十九孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0032 天平勝寶六年正月丁酉朔、上野國獻白烏、宴五位已上於内裏、賜祿有差、

人口

〔官中祕策〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 上野國 十四郡〈◯中略〉 一人數五拾七万六千七拾五人 内〈三拾壹万五千六百九人 男 貳拾六万四百五拾六人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數四拾九万七千三拾四人(御料私領) 上野國(高五拾九万千八百三拾四石餘) 内〈貳拾六万六千貳百七人 男 貳拾三万八百貳拾七人 女 ◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數四拾貳万八千九拾貳人(御料私領) 上野國(高六拾三万七千三百三拾壹石餘) 内〈貳拾貳万九百七拾五人 男 貳拾万七千百拾七人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 上野國 上野國ノ風俗ハ、碓氷、吾妻、利根三郡ハ、人之形儀信州ニ似タリ、亦勢田、佐位、新田、片岡四郡ハ、風儀信州ヨリ上分ノ風俗也、然ドモ詰ル所之意地少信濃ヨリハ不足也、其譬ヲ云ニ、人之氣上分成故ニ免ス所ノ氣有テ、我ト我ガ非ヲ少キ也ト、小罪ヲ免シテナスガ如シ、小罪ヲナス時ハ後大罪ニ及ブ事眼前也、然レバ信濃ノ風俗上下トモニ弓箭ヲ取レバ、負テ氣ノ屈スル事ナク、亦出テ先悔ヲスヽガントハゲムガ如ク、此國ハ二三度モ如斯ナレドモ、後ニハ理非ヲ談ジテ不入剛氣ナレバ、人數ヲ損ゼンヨリハ、戰ヲ可止ナドヽ、半ヨリ能分別發テ、差置ク等ノ風儀ニ而、シマリスクナク而、亦邑樂、群馬、甘羅、多胡、緑野、那波、山田等之郡ノ風俗ハ、一氣勢ニ而一人氣ヲハゲマセバ、諸人氣ヲ一ニ而一同シヌ、一人氣ヲ縮メ氣ヲクヂカレテ退ク氣ハ、諸人其氣ニ同スルノ類ノ風儀也、雖然根性ハ徹シタル心アレドモ、氣質ノ變ニツナガルヽ事餘ニコヘタリ、

〔前橋風土記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0033 風俗 村落農商各尚志励勇兇強、而好殺輕生矣、然以強不禁、出入帶利刀、信佛知文字、言語重濁、死則多

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034石碑、作一小石室、而設裏小佛石像耳、制大行於民間、遇塗于官吏、不尊鄙、下馬捨蓋、跪于車塵馬蹄之間、官吏不逝則不敢去、励業勤農、素長絹、故地産綾絹花紋絹矣、山間之小民〈根利山之民〉重君恩己貧、孜奉賦税矣、仕士尚儒重書、或長射或能御、性素質朴無貴賤之品、各以木綿服、然退讓談話不其序矣、

名所

〔日本鹿子〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 同國〈◯上野〉名所之部 黒髮山 むば玉の黒髮山を朝越て木の下露にぬれにけるかな 佐野 道遠き佐野の舟橋夜をかけて月にぞわたる秋のたび人 伊香保ノ沼 いかほのやいかほの沼のいかにして戀しき人をいまひとめみん 吾妻川 北より南へ流るヽ大川也、すそハとね川也、 衣の關 戸根川 碓氷峠

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 諸國健兒〈◯中略〉 上野國一百人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 上野國〈甲六領、横刀廿口、弓卌張、征箭卌具、胡簶卌具、〉

〔日本書紀〕

〈二十二推古〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 九年九月戊子、新羅之間諜者迦摩多、到對馬則捕以貢之、流于上野

〔日本書紀〕

〈二十六齊明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 四年十一月戊子、捉有間皇子與守君大石、坂部連藥、鹽屋連鯯魚、送紀温湯、〈◯中略〉流守君大石於上毛野國

〔續日本紀〕

〈六元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 和銅七年十月丙辰、勅割尾張上野(○○)信濃越後等國民二百戸、配出羽柵戸

〔三代實録〕

〈十清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 貞觀七年五月十七日丁酉、上野國言、加擧權任國司公廨料稻七萬束、從之、

〔吾妻鏡〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 承元四年九月十一日丙申、故足利又太郞忠綱遺領、上野國散在名田等、此間稱出之、安達九郞右衞門尉景盛令注進、仍被新地頭

〔吾妻鏡〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0034 建暦二年八月廿七日庚子、安達左衞門尉申、上野國奉行辭退事、今日有其沙汰、無恩許

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 殊可撿斷之由云云、

〔太平記〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 安鎭國家法事附諸大將恩賞事 元弘三年、〈◯中略〉諸軍勢ノ恩賞ハ、暫ク延引ストモ、先大功ノ輩ノ抽賞ヲ可行トテ、〈◯中略〉新田左馬助義貞ニ、上野(○○)播摩兩國ヲゾ被行ケル、

〔梅松論〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 今度兩大將に供奉の人々には、信濃常陸の欠所を勳功の賞に充行るヽ處に、義貞の討手の大將として關東へ下向のよし風聞しける間、先義貞の分國上野の守護職を上杉武庫禪門に任ぜらる、是を拜領して用意の爲に國に下る、

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0035 相聞〈◯中略〉比能具禮爾(ヒノグレニ)、宇須比乃夜麻乎(ウスヒノヤマヲ)、古由流日波(コユルヒハ)、勢奈能我素低母(セナノガソデモ)、佐夜爾布良思都(サヤニフラシツ)、 安我古非波(アガコヒハ)、麻左香毛可奈思(マサカモカナシ)、久佐麻久良(クサマクラ)、多胡能伊利野乃(タコノイリヌノ)、於父母可奈思母(オクモカナシモ)、 可美都氣努(カミツケヌ)、安蘇能麻素武良(アソノマソムラ)、可伎武太伎(カキムダキ)、奴禮杼安加奴乎(ヌレドアカヌヲ)、安杼加安我世牟(アドカアガセム)、 可美都氣乃(カミツケノ)、乎度能多杼里我(ヲドノタドリカ)、可波治爾毛(カハヂニモ)、兒良波安波奈毛(コラハアハナモ)、比等理能未思氐(ヒトリノミシテ)、 或本歌曰、可美都氣乃(カミツケノ)、乎野乃多杼里我(ヲノヽタドリカ)、安汝治爾母(アハヂニモ)、世奈波安波奈母(セナハアハナモ)、美流比登奈思爾(ミルヒトナシニ)、 可美都氣野(カミツケノ)、左野乃九久多知(サヌノククタチ)、乎里波夜志(ヲリハヤシ)、安禮波麻多牟惠(アレハマタムヱ)、許登之許受登母(コトシコズトモ)、 可美都氣努(カミツケヌ)、麻具波思麻度爾(マグハシマドニ)、安佐日左指(アサヒサシ)、麻伎良波之母奈(マギラハシモナ)、安利都追見禮婆(アリツヽミレバ)、 爾比多夜麻(ニヒタヤマ)、禰爾波都可奈那(ネニハツカナヽ)、和爾余曾利(ワニヨソリ)、波之奈流兒良師(ハシナルコラシ)、安夜爾可奈思母(アヤニカナシモ)、 伊香保呂爾(イカホロニ)、安麻久母伊都藝(アマグモイツギ)、可奴麻豆久(カヌマヅク)、比等登於多波布(ヒトヽオタハフ)、伊射禰志米刀羅(イザネシメトラ)、 伊香保呂能(イカホロノ)、蘇比乃波里波良(ソヒノハリハラ)、禰毛己呂爾(ネモゴロニ)、於久乎奈加禰曾(オクヲナカネソ)、麻左可思余加婆(マサカシヨカハ)、 多胡能禰爾(タコノネニ)、與西都奈波倍氐(ヨセヅナハヘテ)、與須禮騰毛(ヨスレドモ)、阿爾久夜斯豆之(アニクヤシヅシ)、曾能可把與吉爾(ソノカハヨキニ)、 賀美都氣野(カミツケヌ)、久路保乃禰呂乃(クロホノネロノ)、久受葉我多(クズハガタ)、可奈師家兒良爾(カナシケコラニ)、伊夜射可里久母(イヤザカリクモ)、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0036 刀禰河泊乃(トネガハノ)、可波世毛思良受(カハセモシラズ)、多々和多里(タヾワタリ)、奈美爾安布能須(ナミニアフノス)、安敝流伎美可母(アヘルキミカモ)、 伊香保呂能(イカホロノ)、夜左可能爲提爾(ヤサカノキデニ)、多都弩自能(タツヌシノ)、安良波路萬代母(アラハロマデモ)、佐禰乎佐禰氐婆(サネヲサネテバ)、 可美都氣努(カミツケヌ)、伊可保乃奴麻爾(イカホノヌマニ)、宇惠古奈宜(ウヱコナギ)、可久古非牟等夜(カクコヒムトヤ)、多禰物得米家武(タネモトメケム)、 可美都氣努(カミツケヌ)、可保夜我奴麻能(カホヤガヌマノ)、伊波爲都良(イハヰヅラ)、比可波奴禮都追(ヒカバヌレツヽ)、安乎奈多要曾禰(アヲナタエソ子)、 可美都氣奴(カミツケヌ)、伊奈良能奴麻能(イナラノヌマノ)、於保爲具左(オホヰグサ)、與曾爾見之欲波(ヨソニミシヨハ)、伊麻許曾麻左禮(イマコソマサレ)、〈柿本朝臣人麿歌集出也〉 可美都氣努(カミツケヌ)、佐野田能奈倍能(サヌダノナヘノ)、武良奈倍爾(ムラナヘニ)、許登波左太米都(コトハサダメツ)、伊麻波伊可爾世母(イマハイカニセモ)、 伊加保世欲(イカホセヨ)、奈可中次下(ナカナカシゲニ)、於毛比度路久麻許曾之都等(オモヒトロクマコソシツト)、和須禮西奈布母(ワスレセナフモ)、 可美都氣努(カミツケヌ)、佐野乃布奈波之(サヌヽフナバシ)、登利波奈之(トリハナシ)、於也波左久禮騰(オヤハサクレド)、和波左可禮賀倍(ワハサカレガヘ)、 伊香保禰爾(イカホ子ニ)、可未奈那里曾禰(カミナナリソ子)、和我倍爾波(ワガヘニハ)、由惠波奈家杼母(ユヱハナケドモ)、兒良爾與里氐曾(コラニヨリテゾ)、 伊香保可是(イカホカゼ)、布久日布加奴日(フクヒフカヌヒ)、安里登伊倍杼(アリトイヘド)、安我古非能未思(アガコヒノミシ)、等伎奈可里家利(トキナカリケリ)、 可美都氣努(カミツケヌ)、伊可抱乃禰呂爾(イカホノ子ロニ)、布路與伎能(フルヨキノ)、遊吉須宜可提奴(ユキスギガテヌ)、伊毛賀伊敝乃安多里(イモガイヘノアタリ)、 右二十二首、上野國歌、〈◯中略〉 譬喩歌 可美都家野(カミツケノ)、安蘇夜麻都豆良(アソヤマツヾラ)、野乎比呂美(ヌヲヒロミ)、波比爾思物能乎(ハヒニシモノヲ)、安是加多延世武(アゼカタエセム)、 伊可保呂乃(イカホロノ)、蘇比乃波里波良(ソヒノハリハラ)、和我吉奴爾(ワガキヌニ)、都伎與良之母與(ツキヨラシモヨ)、多敝登於毛敝婆(タヘトオモヘバ)、 志良登保布(シラトホフ)、乎爾比多夜麻乃(ヲニヒタヤマノ)、毛流夜麻能(モルヤマノ)、宇良賀禮勢那奈(ウラガレセナヽ)、登許波爾毛我母(トコハニモガモ)、 右三首、上野國歌、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:49:00 (387d)