https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 我國ハ到ル處山巒鬱結シ、名山高山各地ニ隆起シ、火山亦東西ニ碁布シタリ、而シテ高山ハ、古來富士山ヲ以テ第一ニ推セリ、蓋シ此山ハ、唯ニ高峻ヲ以テ、海内ニ雄タルノミナラズ實ニ山形ノ端正ナルト、位地ノ優秀ナルトハ、他ニ其比ヲ見ザル所ナリ、臺灣島ノ我版圖ニ入リシヨリ、高山第一ノ名ハ、遂ニ新高山ニ讓レリト雖モ、其名山タル價値ハ、之ガ爲ニ減ズルコト無シ、

名稱

〔類聚名義抄〕

〈五山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 山〈所姦反 ヤマ ウム コウム 和セン〉 屾〈音https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006504ad.gif 〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f3b6.gif 〈ヤマ〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000010444.gif 〈ヤマ〉 〔同〈五山〉〕巋〈丘追兵誅二反小山而衆、コヤマ、〉巒〈音欒 山小而高ミ子、コヤマ、〉 岨〈七余反、イシノ山、〉

〔段注説文解字〕

〈九下山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 山、宣也、謂能宣散气萬物也、〈九字依莊子、釋文訂散當https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520ce.gif 、〉有石而高象形、〈所間切、十四部〉、凡山之屬皆从山、

〔説文解字通釋〕

〈十七山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 〈臣鍇曰、山出雲雨、所以宣地气、山海經曰、積石之山、萬物無張華、博物志曰、山有水、有石、有金木火、火故名山、含魄五行具也、象山峰竝起之形、色閑反、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈也地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 山〈ヤマ〉 〈七高山(○○○) 比叡 比良 伊吹 神峯 愛宕護 金峯 葛木〉

〔南留別志〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 山はやむ、川はかはるといふは、理學者の談なり、

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0687 山〈音删〉 廣雅云、山産也、能産萬物也、廣大有石曰山、鋭而高山曰嶠、〈音橋〉小山而鋭者曰巒、〈音鸞〉狹而長山曰嶞、〈音妥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 山多大石礐、〈音學〉山多小石嶅、〈磝同〉土山戴石者曰岨、〈砠同〉石戴土者曰崔嵬、山有草木屺、〈音記〉無草木岵〈音胡〉曰峐、〈音該〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 山ヤマ 義詳ならず、萬葉集抄に、昔は山をいひて子といひし也、ヤマといふは、ヤは高き義也、マは圓(マトカ)なるをいふなり、其形の高く圓なるをいふ也といへり、されど古語に八俣(ヤマタ)といひ、八田間(ヤタマ)などいひし例によらば、ヤマとは、唯その高く隔りぬるをいふに似たり、古語にヤと云ひしには、重り積れるをいひ、マと云ひしには、限り隔りぬるをいひしあり、凡そ物かさなり積りぬれば、其形自ら高し、限り隔りぬれば、その勢自ら間あり、されば後に漢字を傳へ得て、彌の字を讀てヤといひ、間の字讀てマといひ、ヤマなどいひける也、〈古に子といひしは、即嶺也、屋をヤといひしが如きは、高き義なり、玉をタマといふが如きは、圓かなるの義也、されど山の如きは、其形必圓なりともいふべからず、古語にイヤといひしが如きは、イは發語の音なりともいひ傳へたり、今も俗にいやが上に重れりといふが如きは、古語の遺れるなり、彌の字を讀て、ヤともイヤともいふに至て、其字義によりて、此詞の増すといふ義になりし程に、我國太古の時に、重り積れるをいひて、ヤといひし義は、隱れて見えずなりぬ、八の字讀て、ヤといふが如きは、此義ありとも見えけり、凡は古語の義を失ひし、是等の類多かるべし、先達の言に、あながちに漢字に執すまじき事なりといはれしは、是等の事のためにやあるべき、すべてかヽる事の如きは、よく我國の古書を讀む法知らん人は、其義自ら明か成べければ、多く言を費すにも及ぶべからず、〉 山の字讀て、ムレといひし如きは、百濟の方言也と見えたり、釋日本紀に、峯嶺并に讀てミ子といふ、上古には子とのみいひし也、万葉集抄に、昔は山を子といひしといふはこれ也、筑波根、富士根などいふ類也、

〔倭訓栞〕

〈前編三十四也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0688 やま 山をいふ、止の義、動かざるを稱すといへり、古今集にも、ひらの山をかくして、かくてのみ我おもひらのやまざればとよめり、一説に、彌間の義、彌高く間隔せるをいふなりともいへり、山陵をも山といへり、神祇式に到山作所といひ、三代實録に山作司も見ゆ、神代紀にも、斬仆喪屋、此即落而爲山と見えたり、源氏にも陵墓をさして山といへり、塵積りて山となるといふ諺は、古今集の序に、高き山も麓のちりひぢよりなると見えたり、説苑、土積成山と見え

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 たり、

〔塵袋〕

〈二地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 一ハ山(○○)と云フハ、イカナル山ヲ云フベキゾ、葉山ノ正字如何、 木ノシゲキ山ハ、葉ノイロヲ面ニタテヽ、ハヤマト云フ歟トオボユルヲ、日本紀ニハ麓(ロク)山トカキテハヤマトヨメリ、麓ハフモトヽヨム字ナレバ、山ノハシノカタヲハヤマト云フベキ歟トオボユ、ハヤマシゲ山シゲケレドナド云ヘルニハ、葉ノ心歟トキコユレバ、兩端ニワタルベキニヤ、

〔圓珠庵雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520cf.gif 〈シギ〉神代紀にhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520cf.gif 山祇(シギヤマヅミ)、これは麓山祇(ハヤマヅミ)にのぞむるに、常にもはやましげ山とよみて、深くしげれるをしげ山といふ、それにかくかりてかヽれたればしげとしぎと通へることしるべし、 眞淵云、しぎの語は、繁をつヾめいふは、さることながら、鳥のしぎはさる意にはあらじ、餘り思ひよせ遠し、且繁山をしぎ山といふは古語なり、それを違へしめじとて、こと様の字をわざと假りたる物なり、然れば却りて鳥のしぎは同じ意ならぬなり、

〔古今和歌集〕

〈一春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 題しらず よみ人しらず み山(○○)には松の雪だにきえなくに都はのべのわかなつみけり

〔古今和歌集〕

〈二十大歌所御歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 神あそびのうた とりものヽうた み山には霰ふるらしと山(○○)なるまさきのかつら色付にけり

〔詞花和歌集〕

〈四冬〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 題しらず 曾禰好忠 と山なるしばの立枝にふく風の音きくおりぞ冬はものうき

〔日本書紀〕

〈一神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 次生素盞嗚尊、〈一書云、神素戔嗚尊速素戔嗚尊、〉此神有勇悍以安忍、且常以哭泣行、故令國内人民多以夭折、復使青山(○○)變枯

〔日本書紀〕

〈二十四皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0689 四年四月戊戌朔、高麗學問僧等言、同學鞍作得志、以虎爲友、學取其術、或使枯山(○○)變

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690青山

〔松屋筆記〕

〈八十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 雄山雌山 山に、雄山あり、雌山(○○)あり、福山(○○)あり、貧山(○○)あり、盛山(○○)あり、衰山(○○)あり、佛祖統紀四十二の卷、法運通塞志八、〈二丁ウ〉唐ノ代宗ノ大歴三年、詔https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 忠國師入内、引太白山人之、師曰汝蘊何能、山人曰、識山、識地、識字、善算、師曰山人所居、是雄山雌山、茫然不對云々、與清曰、富士山は雄山也、物を産せず、伊豆の天城山は雌山也、物を産する事おほし、近江の三上山は貧山なり、孤立して草木繁茂せず、金石を出さず、福山は形豐に張起して、金銀玉を出すをいふ、盛山は日光比叡山などをいふ、草木榮えて山形冨饒也、衰山は焰火たえず、草木生ぜず、國に害ありて、山形かじけたるをいふ、 三藏法數十六ノ廿六丁オに、四山ノ事アリ、老山、病山、死山、衰耗山也、大藏法數十九ノ十三丁、祖底事苑七ノ十丁にも、

〔奧義抄〕

〈中ノ中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 山をあしびきといふ、それは日本紀に見えたり、推古天皇かりし給ふとき、あしにてくゐをふみて、なえきてひきけるより、山をば足引と云也、

〔冠辭考〕

〈一阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0690 あしびきの 〈やま いはあらし〉 古事記に、〈允恭の條〉阿志比紀能(アシビキノ)、夜麻陁袁豆久理(ヤマダヲツクリ)、顯宗紀に、〈室壽の御詞〉脚日木此傍山(アシビキノコノカタヤマ)、万葉卷二に、〈大津皇子〉足日木乃(アシビキノ)、山之四付二(ヤマノシヅクニ)云々、〈集中に此冠辭いと多く、字もさま〴〵に書たれど、皆借字にて、且山に冠らせし意の異なる事なければ、略てかつ〴〵あぐ、〉こはいとおもひ定めかねて、さま〴〵の意をいふ也、先私記には、山行之時引足歩也といひたれど、何のよしもなく、一わたりおもひていへる説と聞ゆれば、とるにたらず、此冠辭は、ことに上つ代より、いひ傳へこし物なれば、大かたにて意得べくもあらず、既いへる如く、足を引の、足いたむのと様に、用の語より之の辭をいふは、上つ代にはなし、然れば此あしびきのきは、必體の語にして、木てふ事ならん、こを以て思ふに、神代紀に軻遇突智(ガグツチノ)命を、五きだに斬給へば、その首(カウベ)、身中(ムクロ)、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 腰手(コシテ)、足(アシ)おの〳〵それにつけたる、高山、短山、奧山、葉山となれるが中に、足はhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520cf.gif 山祇(シギヤマヅミ)となりぬといへり、此https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520cf.gif は借字にて、繁木(シギ)山てふ意也、然れば安志妣木(アシビキ)の志妣(ビ)木は、繁(シミ)木の謂也、さて山はさまざまあれど、木繁(キノシゲ)きをめづれば、總て山の冠辭とはせしならん、〈志美と志妣と、清濁の通ふは例也、〉且その繁木の上の阿(ア)てふ語には、あまたの説あり、其一つには、本このしぎ山は、天にての事也、それがうへに、上つ代に物をほめては香(カグ)山を天(アメノ)香山、平瓫(ヒラカ)を天ノ平瓫など様にいひつるなれば、こをもあめの繁木の山といふ意なる歟、天をばあはれ(天晴)、あをむく(天向)など、あとのみいふ事多しことに語をつヾめいひて、冠辭とせる例なれば也、二つには、山をば紀にも集にも、青(アヲ)山、青垣山、青菅(スガ)山などいふが中に、卷二に、青香具山(アヲカグヤマ)者、〈略〉春山跡(ハルヤマト)、之美佐備立有(シミサビタテリ)とよみて之美(シミ)は即繁(シミ)也、これらに依ときは、青繁(アヲシビ)木の山てふ意なる乎、あをのをヽ略きしにや、青をあとのみいへる例は、暫おもひ定めぬこと有て擧ねども、語は略きて冠辭とするは、右にいふが如くなれば、是も強ごとにはあらじかし、三つには、かの足ゆなりつるしぎ山なれば、足(ア)繁木之山といふか、かヽる上つ代の歌ことばは、專ら神代のふること乎もてよみたりけるをおもへば也、足をあとのみいふは、駒のあおと(足音)、あがき(足搔)てふ類ひ數へがたし、これらいかヾあらんや、人たヾし給へ、思ひ泥みてみづから辨へがたし、 卷三に、〈家持〉足日木能(アシビキノ)、石根許其思美(イハ子コヾシミ)、こは奈良の朝となりて、いといひなれて、あしびきを、やがて山のことにいひすゑて、石につヾけたる也、卷八に、足引乃、許乃間立八十一(木 コノマタチクヾ)、霍公鳥(ホトヽギス)、卷十一に、足檜乃(アシビキノ)、下風吹夜者(アラシフクヨハ)、卷十七に、安之比奇能(アシビキノ)、乎底母許乃毛爾(ヲテモコノモニ)、等奈美波里(トナミハリ)などつヾけしも、皆今少し後のこと也、〈菅原贈太政大臣も、あし引の此方彼方と詠給へり、〉

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0691 山 あしひき たかさこ〈又在所名〉 山のかひ〈間也〉 春山 夏 秋 冬 夕 この〈ひえの山也〉 ね の 奧 と は しけ やへ もヽへ 我〈ひえの山也〉 かた おか 西 北 ひら

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 むら 中 よも ひむろ いは 島 本 御〈熊野〉 を 杣 松 見 さとを たる おほ しは 重る 中〈狹衣〉 万、あしびきのあらしふくよともいへり、 山のおのへ 山のすその 山のとかげ〈常影と書、又跡陰書山のかげなり、〉 山かたつきて〈山のかたそば也〉たきヾとる山をば、ふみる山と云、〈一説也〉日本紀、やまをばむれといへり、 山のたうげをば、こやのふるみちと云、〈一説未之〉 いはたヽみは〈磐疊書〉 いはねふみは〈石根踏〉 いはかね〈石金と書り〉 皆しげき山也、はしたかのとぶ山は、きはめてふるき山也、 しゐは紅葉すと云、總てもみぢせぬ山なり、狹衣歌にも、せめて紅葉せぬよしによめり、古今如此多、 川 井 岸 水 道 はた 田 里 寺 風 嵐 おろし こしかせ 下つゆ 下風 櫻 柿 梨 あゐ 橘 ゆり 鳥 郭公 姫 人 伏 烏 すけ かつ もり きは もと 口 加氣形 廻 かた かつら すみ こもり こえ かへり わけ衣 ひこ へ 中

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 羽黒山〈◯中略〉 按、大峯〈和州〉温泉(ウンセン)嶽〈肥前〉金毘羅〈讃州〉立山〈越中〉比叡〈江州〉比良〈同〉金剛山(セン)〈和州〉愛宕(アタゴ)等之高山、〈不圖〉詳于其國下、凡深山幽冥之處、則有陰鬼、俗云、天狗山神之類是也、而有硫黄之山、則火燃煙起、湧出温泉、其音甚者如泣如叫、或有閗爭音、猶浮圖所謂八大地獄、即稱之地獄、往昔小角泰澄行基之輩、好蹊山徑、栞叢林、且使山鬼、爲神社佛閣靈場、勸善懲惡之器也、齋戒可登、而秘山内之分野、禁漫語一レ之、

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 嶽 蔣魴切韻曰、嶽高山名也、五角反、又作岳、訓與丘同未詳、漢鈔云、〈美太介〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0692 玉篇嶽岳同上、按、説文、嶽古文作岳、云象高形、然則岳上非丘也、按、丘訓乎加、見下文、則岳不丘同訓、而古人誤訓岳爲乎加、神武紀國見丘、或作國見岳、萬葉集、此岳爾、菜摘須兒、又神岳、皆訓乎加、其他尚多、故云訓與丘同、然丘岳徑庭、故源君云未詳、疑之也、山田本、昌平

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 本、漢語抄云下有嶽字、按、美與眞訓一レ万同、美稱也、峯訓美禰、岬訓美佐木、道訓美知、宮訓美也、皆同、多介、高也、與長竹同語、然則謂直上者、可多介何仭、不凡物長多介也、〈◯中略〉廣本、蔣魴下有切韻二字、見在書目録云、切韻五卷、蔣魴撰、今無傳本、按、説文、嶽東岱、南靃、西華、北恒、中泰室、王者之所以、巡狩所至、是嶽五嶽字、謂凡高山嶽者、轉注也、白虎通、嶽之爲言捔也、捔功徳也、風俗通、嶽者埆功考徳、黜陟幽明也、廣雅、嶽确也、王念孫曰、确謂堅确也、廣本無標目山字

〔段注説文解字〕

〈九下山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 嶽、東岱、〈見下〉南靃、〈南靃者衡山也、在今湖南衡州府衡山縣西北、風俗通曰、衡山一名霍山、爾雅釋山曰、霍山爲南嶽、尚書大傳、白虎通、皆擧霍山、毛傳則曰、南嶽衡許宗老者也、曰南霍正皆謂今湖南之衡山、即漢地理志長沙國湘南縣東南之禹貢衡山也、封禪書漢武帝元封四年、巡南郡江陵、而東登禮灊之天柱山、號曰南嶽、此郭景純所謂武帝以衡山遼曠、移其神於天柱者、蓋自是天柱始有霍山之名、而衡山不霍山矣、許言霍者、從其朔偁也、天柱山者今安徽六安州霍山縣南之霍山是也、〉西https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000010445.gif 、〈見下〉北恒、〈爾雅曰、恒山爲北嶽、毛傳曰、北嶽恒、禹貢職方之恒山也、在今直隷省定州曲陽縣、〉中大室、〈大各本作泰、今正、古書大字、俗或讀他蓋切、改爲太又改爲泰、蓋不正矣、爾雅曰、嵩高爲中嶽、封禪書、郊祀志、皆曰中嶽嵩高也、按禹貢曰外方、左傳曰大室、國語曰崇山、崇之字亦作崈、亦作嵩、故崇山亦曰崈、高山亦曰嵩、高山地理志頴川郡崈高縣、武帝置以奉大室山、是爲中岳、古文以崇高外方山也、大室崇高錯擧、可見一山數名、即今河南、河南府登封縣北之嵩山也、〉王者之所以、巡狩所至、〈㠯用也、王者所用、至此而巡狩也、巡狩者、巡守也、天子適諸侯巡狩、按堯典、二月至于岱宗、五月至于南嶽、八月于至西嶽、十有一月至于北嶽、不中嶽也、而封禪書、郊祀志、述堯典皆云、中嶽嵩高也、何氏住公羊則偁堯典而補其文曰、還至嵩、如初禮、應劭風俗通則曰、中嶽嵩高也、王者所居、故不巡焉、其説乖異、〉从山嶽聲、〈五角切三部〉岳、古文象高形、〈今字作岳、古文之變、〉

〔説文解字通釋〕

〈十七山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 臣鍇按、白虎通、嶽确也、王者巡狩、确功徳也、尚書曰、王乃時巡守、考制度于四嶽、逆捉反、

〔類聚名義抄〕

〈五山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e87b.gif 〈ヤマタケ〉 〈ミ子ヲカ 音樂ミタケ〉 岳〈古ヲカ山ノミ子 クマ サカシ〉 嶽〈谷〉

〔伊呂波字類抄〕

〈太地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 嶽〈タケ〉 嵩〈同 山大曰嵩〉

〔同〕

〈見地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 嶽〈ミタケ亦作岳〉 山岳〈同〉

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 嶽〈音樂〉 岳 音樂、以同音俗爲五嶽之嶽、 和名太介 嶽衆山之宗、高而尊者曰嶽、唐虞有四嶽、至周始有五嶽

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0693 嶽タケといふ、タケは高(タケ)なり、倭名鈔には、漢語抄を引て、嶽の字ミタケと讀むと註せり、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 ミといふは、ミネのミの字に同じ、舊事紀、日本紀には、共に峯の字を用ひて、タケと讀まれし也、

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 たけ 神代紀に峯をよめり、高き義、よて万葉集に高とも多氣とも書り、たをにごりてよみならへるは、いつの比よりの事なりしにや、伊勢神宮の邊に、朝熊がだけを略して、常にたけと稱し、清く唱ふ、契冲も元亨釋書を引て、嶽と竹とを聞あやまりし事をいへり、

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 いこまのたけ〈大神さふるしたにはより雲みゆ〉 よしのヽ〈同新古〉 〈頼政〉 ゆつきか〈同万〉 あさまの〈信〉 〈新〉 〈業平〉

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 峯 祝尚丘曰、峯敷容反、〈和名三禰〉又用下二字、岑音尋、嶺音領、山尖高處也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 新撰字鏡、嶢訓彌禰、按美者褒稱、禰謂高峻、所謂高禰、筑波根、富士乃禰、甲斐加禰是也、按峯山耑也、見説文新修字義、山高而小岑、見爾雅、説文亦云、岑山小而高、釋名、岑嶃也、嶃嶃然也、峯岑雖同、然並可美禰、嶺山道也、見説文新附、古無嶺字、皆用領字、列子湯問篇、終北國中有山、曰壺領、漢書嚴助傳、輿轎而隃領、注項昭曰、領山嶺也、蓋山可道之處、其状如人領、後人從山、以別領頸字、則嶺宜多牟計、今俗譌呼多宇偈是也、以嶺爲美禰是、景行紀、嶺訓多計、亦非、山田本、岑音尋、嶺音領、作音尋領三字、〈◯中略〉祝尚丘増加切韻字、見廣韻卷首、見在書目録云、切韻五卷、祝尚丘撰、今無傳本、按玉篇云、峯高尖山、即此義、

〔段注説文解字〕

〈九下山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 岑、山小而高、〈釋山曰、山小而高曰岑、釋名曰、岑嶃也、嶃然也、〉从山今聲、〈鉏箴切〉

〔新撰字鏡〕

〈山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 嶢〈牛消反、山高危峻之貌、太加志、又佐加志、又彌禰、〉 嶼〈因與反、上山豐貌山乃彌禰、太乎利、又井太乎利、又志万、〉

〔同〕

〈連字〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 岌峩〈山頭也、山高之貌、美禰、又伊太太支、〉崱屴〈山峻嶮之貌、佐加志、又彌禰、〉嶢https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f39b.gif 〈山木安之貌、又作加志峩也、嶮也、 彌禰、〉岝峉〈山高之貌、又不齊也、參差也、美禰、〉岑崟〈岑居陰岐、彌禰、〉

〔類聚名義抄〕

〈五山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 岑〈音尋、仁僉反、ミ子〉 峯〈音蜂ミ子〉 〈フウタケ〉 〈ホラ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈見地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 峯〈ミ子山也〉 嵕 嶺〈山頂嶽也、山尖高處、〉 岑〈已上同 山尖而高也〉

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0694 峯〈音風〉 岑〈音尋〉 崧〈音嵩〉 和名三禰 嶺〈音顚〉 和名以太々木

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 峯、山尖高處也、小而高曰岑、大而高曰崧、山頂曰巓、

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 古語に子といひしには、止るの義ありしかば、峯を子といひしは、其止る如く、動かざるの義なるべし、又高きを神にし、尊むでミ子といふ事、たとへば後世の俗、みつの御山、伊豆の御山などいふ如く、道をも始は、チといひしを、後にミチなどいふ事にもなりけり、

〔倭訓栞〕

〈前編三十美〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 みね 倭名抄に、嶺、峯、岑をよめり、大(ミ)根の義成べし、刀のみねも、峯の義成よし、古今著聞集に見えたり、俗にむねといへり、刀背也、異朝に山背を峯といひ、屋脊を棟といへる、其義同じ、倭名鈔に梁をよめり、鼻梁をはなみね、脊をせみねといふ類也、

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 ね みね 嶺 富士のね、甲斐がねは、皆岑也、嶺は、ねに眞字をそへていふなり、み吉野のみ山、み熊野といふが如し、太山をみやまといふ、俗には深山とも書り、水の深き所を、みをといふ、山の高き所も尾上共いへるが如し、家の棟を屋根といふも同じ、根とて山の麓にはあらず、又岑をみの一言にいひし事、たま〳〵萬葉〈第三〉に見ゆ、

〔類聚名物考〕

〈地理十五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 嶺 ね 嶽 不二のね、甲斐がね、筑波ねの類ひは、みねの略言なり、假字に根と書しによりて、心得違へて、山の裾の事と思ふは僻事なり、今俗に、富士の根方などヽて、裾の山口のわたりを云はその意にて、木草の根は下に有り、枝葉は上に在るより、轉りて心得しものなり、みは眞と同じく、ほむる事にいふ詞なり、俗に家の上を、屋根と云ふにてしるべし、家棟(ムネ)なり、むねみね相通へり、劒太刀をも〈みねともむねとも〉云ふなり、

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0695 山のたかね 山高嶺 山の高峯なり、甲斐がね、富士のねの如きは、みな峯なるを、猶山の中にも、谷有り、尾あり、岑あれば

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 かくいふなり、重言にあらず、

〔半日閑話〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 山の根と云は、頂上の事也、富士の根も同じ、麓の根に、古歌など詠たるはいかヾ

〔枕草子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 峯は ゆづるはのみね あみだのみね いやたかのみね

〔奧義抄〕

〈上ノ末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696萬葉集所名 普通名所不注 峯(みね)〈付嵩(だけ)〉 あをねがみね〈みよしのヽ〉 いまきのみね ゆつきがだけ ふじのたかね〈しろたへの〉 よしのヽたけ いこまのたけ

〔八雲御抄〕

〈三上地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 峯 つくはね〈又在名所〉 あまそき やたけ〈万岑〉 たけとも〈詠〉 たかね〈岑ならねど、山のたかきところ也、〉 さいわいのみ〈俊抄〉

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0696 嶺 おほしまみね〈大和、万、〉 あをねが〈同、万、みよしのヽ、 苔席〉 たかまとの〈同〉 をぐらの〈大、万、〉 いまきの〈紀、万、〉 いぶきの〈みの 新古今家房卿〉 よしのヽ〈大〉 たつたの〈同〉 つくはねの〈常、陽成御歌、總て岑名云一説也、〉 かさこしの〈信詞家經〉 をぐらの〈豐前 ひしかたのをぐら、是はうさのみや御事なり、〉 たかちほのくしぶるみね〈日本紀云、是はあまつひこのいたり給し所也、◯中略〉 根 いこまたかね〈大、万、 神さぶる雲かヽる〉 こしのしらね〈越前 後撰 通俊之こしのたかねは、其所不定也、たヾ大方の山なり、〉 ふじのたかね〈駿、万、 飛鳥もとびものぼらず 白妙 雪煙 甲斐 駿河二ケ國の中より出たりといへり、其神は石花梅と名付て、我國を守神也、〉さがみね〈相模、万、さがみねのをみねとよめり、〉つくはね〈常を總岑の名也、 さゆはりの花 有水 紅葉〉 いかほね〈上野 万、いかほねろとも、〉 たこのね〈同〉 かひがね〈甲 古今、かひのしらねとも、後撰、〉 あひつね〈奥 万、三ケ國の際也、〉 あたヽらね〈同〉つしまのね

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 〈對馬、万、雲、〉 ふかむのね〈同、万、〉 やまとしまね〈新古 寄歌事〉 ひらのたかね〈近古兼盛〉 いよのたかね〈伊與、万、〉

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 巓 孫愐曰、巓山頂也、都年反、〈和名以太太岐〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 神武紀同訓、新撰字鏡、岌峨訓伊太々支、按顚訓伊太々岐、山巓與人顚同、故亦云伊太々岐、〈◯中略〉廣韻同、按説文無巓字、古只作顚、説文、顚頂也、轉謂山頂顚、後人從山、以別人顚字也、

〔伊呂波字類抄〕

〈伊方角〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 巓〈イタヽキ山頂也〉 椒〈音イ雚巓〉 塡〈同〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 巓イタヽキといふは、人の頂にかたどり云ひし也、

〔倭訓栞〕

〈前編三伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 いたヾき 新撰字鏡に顚頂をよめり、至高の義成べし、巓をよむも、山頂也と注せり、倭名鈔に見ゆ、字鏡に岌峩もよめり、天武紀に蓋をもよめり、

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 山頂 やまのいたヾき 是を絶頂と云ふ、夫木抄〈二十〉日よし山嶺の小松のいたヾきにいや高からん千世のはつ春、

〔塵袋〕

〈二殖物〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 一山桝トハ何木ゾ 文選ノ注云、山桝ハ山頂ナリト云ヘリ、山ノイタヾキナルベシ、山巓オナジコト歟、巓ノ字ヲバ、左傳ニハタフルト云ヘリ、僞巓トカキテ、イツハリテタフルヽマ子ストヨメリ、字ノ下ツクリニヨリテカヨヘル歟、

つかさ

〔萬葉集〕

〈十秋雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 里異(サトモケニ)、霜者置良之(シモハオクラシ)、高松野(タカマツノ)、【山司】(ヤマノツカサ)之(ノ)、色付見者(イロヅクミレバ)、

〔萬葉集略解〕

〈十下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 山の司は、野司、岸の司などいふ如く、山のことさらに高き所をいふ、

〔倭訓栞〕

〈前編十六都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0697 つかさ 萬葉集に、山のつかさ、野づかさ、岸のつかさ、屋づかさ、市のつかさなどいふは、高き所をいふなれば、もとは積重るの義にて、そこを目當とし、本處とするより、官司

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 も名づくる成べし、

〔倭訓栞〕

〈前編三十四也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 やまを 山の岑なるべし、又古事記に、山ノ尾と見ゆ、顯昭説に、山垂下處を、尾といふといへり、兼好集に、 うごきなく絶ぬためしときぶねなる山を河をに世を祈かな

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0698 尾上 をのへ 山の岑の長く岬(サキ)のさし出たる所を尾といふ、その又上を尾上といへり、尾は獸尾の如く、長きにたとへたり、山のみにあらず、水にもいへり、水尾は水の深き所の長くあるをいふ、そこにしるしの柱をして、舟の行來のしるしとするを、標澪と書て、みをつくしといふ、又はみをぐひとも云ふ、水尾串の意なるを、つを助字にいひ入しなり、草にも尾花は長く細く、獸尾に似たればいふなり、車の長く出たる所を、もとひのをと云ふ、鳶尾の意なり、家にも有り、みな長く出たる所をいふなり、山とのみ思ふべからず、岡岳ををかと訓も、尾所なり、かは所の古言なり、奧か、ありか、床(ユカ)の類のごとし、 百人一首古説、〈四眞淵〉尾上は、萬葉集に、岑峯丘ともに、をと訓り、日本紀にも、頓丘を毘陀烏(ヒタヲ)と句注あり、雷岳を、かみをかと訓ぜり、今の世にをかといふは、さのみ高き所をばいはねど、古へは岑も岳も、通はしてをかともいへる成べし、されど古今集、みねにもをにもとよみたれば、をは峯の前なる岑を專らいふべし、故に萬葉集に、岑の字を多く此詞に用ゐたり、さてその岑の上つかたを、をのへといへば、即ちみねのあたりの事と成なり、すべてはいはヾ、山腰以下の高き程を、山尾といふ、その上なる所をさす故に、をのへは峯なりといふにたがはず、古事記〈下〉雄略天皇かつらき山にのぼり給ふ所に、一言主の神、同じさまにて登り給ふ事をいふ所に云く、彼時有其自向之山尾山上云々、是に此上の歌に、和賀爾宜能煩理斯阿理袁能波理能延陀(ワガニゲノボリシアリヲノハリノエダ/吾逃上荒岳榛枝)と有るを、參考して知るべし、

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699御涙成神、坐香山之畝(ウネ)【尾】(ヲノ)木本(コノモトニ)、名泣澤女神、

〔日本書紀〕

〈一神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699期果有大虵、頭尾各有八岐、眼如赤酸醬、〈赤酸醬此云阿箇箇鵝知〉松栢生於背上、而蔓延於八(ヤ)【丘】(ヲ)八谷(ヤタニ)之間

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699是須佐之男命、以爲人有其河上而、尋覓上往者、老夫與老女二人在而、童女置中而泣、〈◯中略〉問汝哭由者何、答白言、我之女者、自本在八稚女、是高志之八俣遠呂智、〈此三字以音〉毎年來喫、〈◯中略〉彼目如赤加賀智而、身一有八頭八尾、亦其身生蘿及檜榲、其長度谿八谷峽八尾(タニヤタニヲヤヲ)而、見其腹者悉常血爛也、

〔古事記傳〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 峽は袁と訓べきこと、谿八谷の例にて明(シル)し、尾に此字を書る例は、書紀懿徳卷に曲峽(マガリヲ)宮、神功卷に活田長峽國などあり、〈峽は、和名抄に、峽、山間陜處也、俗云山乃加比とある如くなれば、尾には非ず、但し荊州記に、三峽七百里中、兩岸連山無斷處など云る、彼山の長く連なれるさまを取て、尾に用ひたるにや、〉書紀には、蔓延於八丘八谷之間と書れたり、〈此餘も、尾には、畝丘頓丘(ウネヲヒタヲ)など、書紀には多く丘字をかけり、〉

〔日本書紀〕

〈四懿徳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 二年正月戊寅、遷都於輕地、是謂曲峽(マガリヲノ)宮

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 爾八十神、謂其菟云、汝將爲者、浴此海鹽、當風吹而、伏高山尾上(○○)

〔古事記〕

〈下允恭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 故其輕太子者、流於伊余湯也、〈◯中略〉故追到之時、待懷而歌曰、許母理久能(コモリクノ)、波都世能夜麻能(ハツセノヤマノ)、【意富袁爾波】(オホヲニハ)、波多波理陀氐(ハタハリタテ)、【佐袁袁爾波】(サヲヲニハ)、波多波理陀氐(ハタハリタテ)、意富袁爾斯(オホヲニシ)、那加佐陀賣流(ナカサタメル)、淤母比豆麻(オモヒヅマ)、阿波禮(アハレ)、〈◯下略〉

〔古事記傳〕

〈三十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 意富袁爾波(オホヲニハ)は、契冲云、大峽者(オホヲニハ)なり、山口祭ノ祝詞に、奧山乃大峽小峽爾立留木乎(オクヤマノオホヲヲヲニタテルキヲ)云々、日本紀に、峽を乎とよめりと云り、〈書紀に、峽を乎と訓るは、神功ノ卷に、長峽(ナガヲ)などある是なり、又丘をも乎と訓り、畝丘頓丘(ウネヲヒタヲ)など是なり、又万葉に、向峯八峯(ムカツヲヤツヲ)などもあり、如此字はさま〴〵に書ケれども、袁と云名は一ツなり、〉 波多波理陀氐(ハタハリダテ)は、幡羅建(ハタハリダテ)か、佐袁々爾波(サヲヽニハ)は、眞小峽(サヲヽ)にはなり、意富袁爾斯(オホヲニシ)は、於大峽にて、斯は助辭なり、

〔古事記〕

〈下雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 一時天皇登幸葛城山之時、〈◯中略〉有其自向之山尾(○○)山上

〔古事記傳〕

〈四十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 山ノ尾、凡て山に袁と云るに二あり、一には高き處を云、上卷に、谿八谷峽八尾(タニヤタニヲヤヲ)〈これ谷に對へて云へれば、峽は高處なること知べし、古書に、高處を云袁に、多く峽字を用ひたり、山間を云意には非ず、尾は借字なり、さて此峽八尾の袁を、書紀には、丘と書れたり、此字も袁と云に用く用ひたり、〉高山尾上、坂之御尾、〈此尾の事、傳十卷に云るは違へり、中卷水垣宮段に、坂之御尾ノ神とあるは、必坂の上に坐ス神と聞えたればなり、〉萬葉に向峯八峯(ムカツヲヤツヲ)、峯之上(ヲノウヘ)〈峯ノ字を書るは、高處なるを以てなり、然れども袁は必しも峯には限らず、袁能閉(ヲノヘ)といへば、峯のことヽ思ふは、くはしからず、〉など、又岡の袁〈袁加は、高處を袁と云に、加を添たる名にて、加は、すみか、ありかなどの加と同く、處と云意なり、坂の加も同じ、されば丘字など、袁にも袁加にも通用ひたり、萬葉七に、向岡とも書り、〉これら皆高き處を指て云るなり、〈尾と書るはみな借字なり〉さて今一は、尾頭(ヲカシラ)の尾にて、鳥獸などの尾も同く、山の裔(スソ)の引延たる處を云り、〈山には、腹とも足とも常に云、記中に御富登(ミホト)などもある類にて、是とも云なり、〉此は其なり、山ノ上に對へて云るにて知べし、中卷白檮原宮段に、畝火山之北方白檮(カシ)ノ尾ノ上、また古今集〈春上〉歌に、山櫻わが見に來れば春霞峯にも尾にも立かくしつヽ、これらは尾なり、〈然るにかの高處を云袁にも、多く尾字を借て書るから、右の二まぎらはしくして、詳ならざるがごとし、よく〳〵辨ふべし、〉

〔新撰字鏡〕

〈土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 坵〈居有虗https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d0.gif 二反、小陵曰岳、乎加、又豆牟禮、〉

〔同〕

〈阝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 陵〈淩同、力承反、使也、恭也、馳也、大阜曰陵、乎加、又豆不禮、又彌佐々木、〉

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 丘 周禮注云、土高曰丘、音鳩、〈和名乎加〉 岡 丘也、正作崗、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700引、大司徒注文、説文、丘土之高也、與此同義、按四方而高曰丘、見淮南子墜形訓注、四方高中央下曰丘、見説文一説、及風俗通、釋名丘聚也、又山脊曰岡、見爾雅、詩毛傳、説文、釋名皆同、釋名又云、岡亢也、在上之言也、王念孫曰、岡之言綱也、是丘岡和名雖同、其實不同也、新撰字鏡、坵字陵字同訓、按、乎指言高處、神代紀峽八尾、懿徳紀曲峽、神功紀渟中倉之長峽、峽字訓乎、萬葉集向峯、八峯、峯字訓乎是也、加、處也、與坂訓佐加之加同、山田本岡作崗、崗作岡、按玉篇、岡俗作崗、則從山非正字、山田本云、又用崗字、正作岡爲是、然諸本皆與舊同、其云正作一レ岡者、疑後人所校改、非源君之舊

〔伊呂波字類抄〕

〈遠地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 岳〈ヲカ正作嶽〉 壠 丘〈古文作丠、或説俗呼小山丘、丘訓未詳、〉 嶽 岡〈俗作㟵、亦作https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019c8b.gif 、〉 阜〈陵阜曰阜、又無古曰阜、〉 墟〈大丘也〉 陵〈已上同〉 巒〈小山而鋭也、ヲカ〉

〔運歩色葉集〕

〈遠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 崗(ヲカ)〈崗〉 岳(同) 嶽(同) 丘 壑

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 岳(ヲカ)〈廣雅、山高者名岳、小者名丘、詳風俗通、〉岡(同)〈説文山脊也〉丘(同)〈見上、周禮註、土高曰丘、〉阜(同)〈釋名、土山曰阜、〉陵(同)〈釋名、大阜曰陵、小阜曰丘、〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 丘ヲカ 義詳ならず、〈◯中略〉上古は丘をばヲと云て、谷に對し言ひけり、八岐大蛇、蔓延于八丘八谷之間、味耟高彦根神、映于二丘二谷之間といひしが如きこれなり、ヲカといひ、タニといふは、起(オキ)と絶(タツ)といふの謂にて、山起立ち、山隔絶つ義なるべし、〈オキといひ、ヲカといふ、轉語なり、タチといひ、タニといふ、轉語なり、〉丘讀てヲといひしを、また尾の字を假りてヲと讀む、舊事紀に見えし八丘八谷の字、古事記には八谷八尾としるせしが如きこれなり、〈後人尾上と志るしてヲノヘとよむこと、これらによるなるべし、〉其後丘陵岡岳等の字、讀て并にヲカといふ事になりて、峯嶺の字、讀てヲといふ事にもなりたり、

〔倭訓栞〕

〈前編五乎〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 をか 岡をいふ、小高の義にや、新撰字鏡に坵も陵もよめり、岳も同じ、倭名抄に訓與丘同と見ゆ、俗に陸ををかといへり、安藝に其上といふを、其をかといへり、

〔枕草子〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 をかは ふなをか、かたをか、ともをかは、さヽのおひたるがをかしき也、かたらひのをか、人見のをか、

〔奧義抄〕

〈上ノ末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701萬葉集所名 普通名所不注 岳 むかひのをか なヽしのをか ゆきヽのをか さヽのをか しげをか いはしろのをか ゐがひのをか さたのをか まゆみのをか あとみのをか

〔藻鹽草〕

〈四山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 岡〈名所〉 おかひ〈おかべ也〉おかべ かた岡 かの岡〈草かるおのこ、又かのおかは、たヾこのおか也、〉岡こえ 卯花のさきちる岡 む

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 かひの岡 我岡〈万、はぎをよめり、名所にはあらざるか、〉野中の岡 岩代岡〈きの國、かやねをむすぶ、松、しみづ、さゝ、竹、〉 あさひこが八重さす岡 今城岡〈同、藤、時鳥、松、〉そともの岡 春岡〈万〉伊奈岡〈未勘、つくばねに雪かもふらば、〉井飼岡〈やまと、雪み、こもりみ、まくさ、〉入日岡〈未勘、はしたかのすゞのしの原かり暮ぬ入日のおかにきヾすなく也、〉かた戀岡〈わうしう、こヽにしも何かしるらん玉ざヽやうきふししげきかた戀のおか、まつ、ほとヽぎす、〉かた岡〈山城、しゐま河、かり、きり、あしたの原は、もみぢ、わかな、きじ、春雨、雪、わかな、わらび、月、玉のを、柳、すそのヽ原、ちる木のは、あふ事はかたおかともそへたり、戀也はヽそ、鹿、小はぎ、しのヽは分の秋風、あは雪、岩ねのこけぢ、せみ、まくず、ひばり、花、ほとヽぎす、すヾしかりけり、あられ、おどろがうへ、むらすヽき、あはれおやなき身、もりのゆふだすき、又同名やまとにあり、〉かめ岡〈同、万代に、千世をかさねて、松のみどりを、さヽ原、或はあふみ、〉神樂岡〈同、ほとヽぎす、茅、かり、うづら、備中に同名あり、をとめこが袖ふりはへて、松、すヾむし、わかな、〉かた野岡〈かはち、きじ、かり人、〉かたち岡〈やまと、女郞花、〉つるが岡〈さがみ、松、万代のこゑ、柳原、〉つヽじ岡〈わうしう、みちのくのつヽじのおかのくずかつらつらしと君をけふぞしりぬる、〉ならしの岡、〈やまと、時鳥、わがせこ、雪、鹿、さねかづら、よぶこ鳥、ふるさと、〉並岡〈山しろ、松の白雪、もみぢ、ふもと、寺、月、もり、しゐしばまきばしら、すみれ、かるかや、〉なぎさの岡〈わたつうみのなぎさの岡の花すすきまねきぞよする奧津しらなみ〉長岡〈都、ながおかべ、みやこうつりの事、延暦三年五月四日、蛙多難波より天王寺へ入ぬ、此事遷都の相也と云云、〉向岡〈むさし、或河内、ますかヾみ、白雪、花、草のねをたづねて、〉なこえ岡〈つの國、すみよしの名こえの岡の玉づくりかずならぬ身は秋ぞかなしき、〉やしほの岡〈山しろ、もみぢ、くれなゐ、時雨、いろふかき、〉山岡〈いよのたかねのいさにわの山おかにたちてうたおもひ、〉山なし岡〈かひ、行水のたえずぞ君を戀わたる、なし、月、〉くらはし岡〈大和、雪、〉まゆみの岡〈やまと、とくらにてかひし雁の子すだちなばまゆみのおかにとびかへりきね、宮ばしらよそにみしま弓のおかに君ませばところみかどととのゐするかも、〉とけなし岡〈やまと、ほととぎす、〉鶯岡〈やまと河内、〉船岡〈山しろ、野中にたてる女郞花、ねのひの松、すそのヽつがのかず、わかな、かすみ、〉波瀲岡〈河内、さくら、すヽき、松風、〉あとみの岡〈なでしこの花ぶさたをり〉あうひ岡〈やまと、ふくふえのやしろの神はをとにきくあそびのおかや行かへるらん、〉佐田岡〈やまと、とのゐしにゆくあさ日てる、よしもなく鳥、たち花のしまのみやこ、又しまのみよし、〉いさには岡〈いよ〉佐野岡〈きの國、さむきあさげ、こえ行人、秋風、さヽばかりしく、雪、〉さなづらの岡〈未勘、あはまきかなしきがこまはたくともわはそともはじ〉幾波津久岡〈同〉きりふの岡〈未勘、たつきしは、千世のひつぎ、もみぢ、〉きぬがさ岡〈山しろ、あめのみや、女郞花、ふぢばかま、〉ゆききの岡〈やまと、萩、雪、たび人、花、くず、あすからはゆきヽのおかとそへたり、花すヽき、〉水ぐきの岡〈あふみ、木の葉色づく、かり、くず、かや、ふかやねの、かり枕、月、さヽ、はつしぐれ、やかた、雪、あさち、きり〴〵す、小田、やかた、おのたかやかたにいもとあれど、又水ぐきのおかの葛原とも、〉しげき岡〈やまと、神さびたちてさかへたるちよの松、八雲御説にはしげ岡と計り、きの字なし、〉しのぶ岡〈奥州、女郞花、〉忍岡〈河内、ほとヽぎす、はつ草、わらび、かけ草、八雲御説には、しのびのおかとつヾけられたり、〉茂岡〈やまと、色かへぬ松のみどりはしげおかの神さびたちていくよへぬらん、〉御こし岡〈山しろ、みゆき、これはさがの行かうの時、みこしかきすへたてまつる所也、駄餉所也、〉すみ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 よしの岡〈つの國、松かささしつれば雨はふる共、田、〉人見の岡〈八雲御説〉ゑみのかた岡〈するが、をこなふ事をするがなる、〉いなむら岡〈たむば、君が代はいづれの里もをしなべていなむらのおかとなりにけるかな、〉いはての岡〈わうしう、くちなし、もみぢ、むもれ木、〉とも岡〈八雲御説〉杜鹿岡〈するが、秋の夕霧、〉となりの岡〈八雲御説〉ほしあひの岡〈ふし也〉かたらひの岡〈八雲御説〉よごもりのねがひの岡〈万、名所か、〉

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 七年十二月、是月筑紫國大地動之、〈◯中略〉是時百姓一家有岡上、當于地動夕以岡崩處遷、然家既全、而無破壞、家人不岡崩家避、但會明後知以大驚焉、

〔萬葉集〕

〈二相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 藤原夫人奉和歌一首 吾崗之(ワガヲカノ)、於可美爾言而(オカミニイヒテ)、令落(フラセタル)、雪之摧之(ユキノクダケシ)、彼所爾塵家武(ソコニチリケム)、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 山部宿禰赤人歌六首〈◯五首略〉 秋風乃(アキカゼノ)、寒朝開乎(サムキアサケヲ)、佐農能崗(サヌノヲカ)、將超公爾(コユランキミニ)、衣借益矣(キヌカサマシヲ)、

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 峠(タウゲ)〈本朝俗、坂路最高所曰峠、字亦从所見制用焉、〉到(同)下〈太平記作當下

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 峯 又用下二字、岑音尋、嶺音領、山尖高處也、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 嶺宜多牟計、今俗譌呼多宇偈是也、以嶺爲美禰是、景行紀、嶺訓多計、亦非、

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 嶺〈音領〉 峠和字、俗云太宇介、 嶺山坡也、山路也、中華有五嶺、〈◯中略〉 按、嶺山坂上登當下行之界也、與峯不同、峯如鋒尖處、嶺如領腹背之界也、故如高山、峯一而嶺不一、箱根〈相州〉湯原〈奥州〉竽吹〈上州〉摺針〈江州〉湯尾〈越前〉鳥居〈信州〉栗殼〈越中〉闇上〈和州〉藤代〈紀州〉大山〈藝州、〉 此等嶺得名者也、藤代嶺美景絶言、畫工亦抛筆、

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 韻書を按ずるに、嶺高山之可踰而過者嶺也、如首之有領頂也、といふ事あり、〈品字箋〉此説に

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 よらば、我國の俗に、高き山の踰て、上下しつべきを、タウゲといひて、峠の字創造りて、其字とするは即嶺也、タウケとは、タは高也、〈萬葉集抄にみゆ〉ウケは穿也、高山を穿ち過ぬる道なれば、タウケといふ、古事記に、神倭伊波禮毘古(カンヤマトイハレヒコ)命、吉野山より踏穿越て、宇陀に幸ますといふが如きこれ也、

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 たふけ 嶺をいふ、峠字は倭の俗字也、手向の神、多く坂の嶺にまして、越行人は必ずこれを祭れば、たむけを轉じて、たふげといふ也といへり、万葉集に、 かしこみとのらずありしをみこしぢのたむけに立て妹がなのりつ

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 山の手向 やまのたむけ たむけは、今俗に云ふたふけにて、峠を俗字に書り、たとへば此國より出て、他國へ行には、その堺の山の頂にて、恙なく歸り來らんことを神に祈る、是を手向の祭と云ふ、祖餞などいへり、よて相かよひていふならん、

〔新撰字鏡〕

〈土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 坡陂〈同作普何反、平、坂也、以土雍水也、佐加(○○)、〉 坻〈眞爾、之爾二反、坂也、佐加、〉

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 坂嶝 唐韻云坂、地險也〈和名左加〉嶝小坂也、都鄧反、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 廣本脱音反二字、新撰字鏡、坡坻并訓佐加、按佐加、蓋志奈加之急呼、謂土地崎嶇不平爲志奈、階級科等字訓志奈是也、加謂處也、謂住處須美加、謂在處爲阿利加是也、〈◯中略〉廣韻云、阪大陂不平坂上同、與此不同、玉篇阪險也、呂氏阪險原濕注、阪險傾危也、即此義、按説文又作阪、云坡者曰阪、則知从土作坂俗字、王念孫曰、阪之言反側也、又曰、陂阪聲相近、〈◯中略〉昌平本鄧作登、伊勢廣本同、按都鄧與廣韻合、即去聲四十八、嶝字登即平聲十七、鄧字作登誤、〈◯中略〉廣韻同、玄應音義引蒼頡云、嶝小坂也、孫氏蓋依之、集韻云、隥或作嶝、説文https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d1.gif 仰也、則知訓小阪者轉注也、王念孫曰、隥之言登也、閣道謂之隥道、義亦同也、

〔段注説文解字〕

〈十三下土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 坡阪也〈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c474.gif 部曰、坡者曰阪、此二篆轉注也、又曰陂阪也、是坡陂二字音義皆同也、坡謂其陂陀毛詩隰則有泮、傳曰、泮坡也、此釋叚借之法謂泮、即坡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 〈之雙聲叚借也、鄭不其説、而易之曰、讀爲畔〉从土皮聲〈滂禾切十七部〉

〔同〕

〈十四下https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c474.gif

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 陂阪也〈陂與坡音義皆同、◯中略〉阪坡者曰阪、〈釋地毛傳皆曰、陂者曰阪許曰坡者曰阪、然則坡陂異部同字也、説卦傳其於稼也爲反生、叚借反阪也、〉从https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c474.gif 反聲、〈◯中略〉一曰山脅也、〈山脅山胛也、呂覽阪險原隰、高注、阪險傾危也、小雅阪田箋曰、崎嶇墝角之處也、〉

〔類聚名義抄〕

〈六阜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 阪〈蒲板反サカ〉 隥〈音嶝サカ〉

〔同〕

〈六土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 坂〈音反、正阪、サカ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈左地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 墱〈サカ〉 〈坻サカ又云https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d2.gif 〉 隴〈サカ 在天水大坂也〉坡〈サカ、坡、坂、〉 坂〈サカ亦作阪〉 嶝〈サカ〉

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 坂〈音反〉 坡〈音破〉 和名左加 嶝〈音登〉 磴〈同〉 訓古左加(○○○)坂唐韻云、地險也、小坂曰嶝、〈及登陟之道曰嶝、閩鼔山白雲洞石磴七百級、如天然、〉九折〈訓豆々良於里〉 凡山之盤紆如羊腸九折

〔日本釋名〕

〈上地理〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 坂 さがしき也、下を略す、一説さかさまの意か、不順なる道なればなり、

〔倭訓栞〕

〈前編十佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 さか 坂は逆ふなり、登降順路ならざる意也、

〔倭訓栞〕

〈前編十六都〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 つヾらをり(○○○○○) 馬を御するに、何遍も馬も〈◯も恐を誤〉引廻す式あり、是を葛折といふ、名目抄にもしか書せり、葛を折が如くに折返し折返しする意也、〈◯中略〉九折坂をつヾらをりの道といふも義同じ、吉野郡の村名に、九尾をつヾらをりとよめり、枕草紙に、遠くて近き物、くらまのつヾらをりと見えたり、文選の道互折、又盤折をもよめり、新六帖に、 青つヾらつヾらをるてふしげき野はとほりがたくぞ駒もやすらふ 前大膳大夫藤原政宗、山家雪を、 中々につヾらをりなる路たえてゆきにとなりのちかきやまざと、伊達彈正少弼宗遠男、應永二年九月卒、

〔類聚名物考〕

〈地理十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 九折坂 つヾらおり 盤坂 九折坂を今つヾらおりといふ、馬の騎方など習はせることなり、つら〳〵おりの略語なるべし、

〔源氏物語〕

〈五若紫〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 すこし立出つヽみわたし給へば、たかき所にて、こヽかしこ僧坊どもあらはにみおろさるヽ、たヾ此つヾらおりのしもに、おなじこしばなれど、うるはしうしわたして、きよげなるやらうなどつヾけて、こだちいとよしあるは、なに人のすむにかととひ給へば、〈◯下略〉

〔藻鹽草〕

〈四山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 坂〈名所〉 こ坂 ちとせの坂〈これ名所にもありと云々、未勘、ちとせのさかには、卯づえをよめり、〉千代の坂〈あみだがみねにもよめり、又ちよのさか行と云は、さかゆるによせたり、〉よろづ世の坂〈これもさかゆるにそへたる心か〉坂のふもと いつはたの坂〈ゑちぜん、そでふれ、我をしおもはヾ、〉いなり坂〈山しろ、をそくとく宿を出つヽいなりざかのぼればくだるみやこ人かな、〉大坂〈ゑつ中、或やまと、大さかをわがこえくればふたかみにもみちばながるしぐれふりつヽ、ふたかみとよめる時は、やまとかとおぼゆる也、いかヾたヾしゑつ中にも、二かみと云所あり、〉手子喚坂〈するが、こえかねて山にかねん、戀、やどりはなし、〉長坂〈山しろ、君がへん、ひむろ、〉うすゐの坂〈上づけ、ひなぐもりうすゐのさかをこえしだにいもがこひしくわすられぬかも、〉くま坂〈あふみ、長明しるすと云々、〉久世鷺坂〈山しろ、神代より春はもえつヽ秋はちり、白鳥のさぎさかともよめり、松かげ、白つヽじ、卯花、又久世のさぎさかとつヾけねども、只さぎ坂ともいへるか、〉八十須美坂〈きの國、手向もヽたらずやそすみさかと万に計り、〉まねき坂〈伊勢、まねきざかまねくをたれととひくればきりのはれまのを花成けり、〉藤代御坂〈同、ころもで、松、ふきあげのはま、〉御屋坂〈あふみ、こまつなぎをく、〉あふ坂〈あふみ、人だのめ、夕つけ鳥、戀、木の下露、さくら花、山人のちとせつけとてきれるつえ、すぎむら、もちづきのこま、鶯、すきまの月、ほとヽぎす、をちこち人、せきもる神、しのすヽき、さねかづら、〉あしがらの御坂〈さがみ、ミヘてそでふらば、家なるいもが、さやにみる神御さかとも、〉瓜生坂〈山しろ、顯昭説、しかへ鹿、きヾす、〉木曾御坂〈しなの、をざヽ、原、花、雪、夕立、こま、ぬさたてまつる、〉なら坂〈やまと、このてがしは、ほとゝぎす、〉行あひ坂〈きの國、さくら花、〉ゆ坂〈さがみ〉つヾらおり〈くらまの七まがりのさか(○○○○○○○)也、源氏、〉

〔日本書紀〕

〈一神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 一書曰、〈◯中略〉伊弉諾尊已到泉津平坂(○○○○)、一云伊弉諾尊乃向大樹放㞙、此即化成巨川泉津日狹女將其水之間、伊弉諾尊已至泉津平坂、故便以千人所引磐石其坂路、與伊弉册尊相向而立、遂建絶妻之誓、〈◯下略〉

〔日本書紀〕

〈三神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 戊午年四月甲辰、皇師勒兵、歩趣龍田、〈◯中略〉時長髓彦聞之曰、夫天神子等所以來者、必將我國、則盡起屬兵之於孔舍衞坂(○○○○)之會戰、〈◯下略〉

〔古事記〕

〈中景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 亦平和山河荒神等而、還上幸時、到足柄之坂本(○○○○○)御粮、其坂神化白鹿而來立、〈◯下略〉

〔太平記〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 鎌倉合戰事 一方ニハ堀口三郞貞滿ヲ上將軍トシ、大島讃岐守守之ヲ裨將軍トシテ、其勢都合十萬餘騎、【巨福呂(コブクロ)坂】ヘ指向ラル、其ノ一方ニハ、新田義貞、義助、諸將ノ命ヲ司テ、〈◯中略〉其勢五十萬七千餘騎、【假粧坂】(ケハイサカ)ヨリゾ被寄ケル、〈◯中略〉 赤橋相模守自害事附本間自害事 懸リケル處ニ、〈◯中略〉本間山城左衞門、若黨中間百餘人、是ヲ最後ト出立テ、極樂寺坂(○○○○)ヘゾ向ヒケル、〈◯下略〉 ◯按ズルニ、巨福呂坂、假粧坂、極樂寺坂等ハ鎌倉七口ノ一ナリ、事ハ相模國篇名邑條ニ在レバ、宜シク參看スベシ、

〔躬恒集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 雜の歌 なげきのみおほえの山は近けれどいま一さか(○○○)を越ぞかねつる

〔類聚名物考〕

〈地理十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 一坂 ひとさか 今世にいふ所にも、かくまで來て今一坂越ればなにぞなどいふ類ひ、一ツとも、一山ともいふなり、むかしもいひしことなり、

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 麓 説文云、麓山足也、音祿、〈和名不毛止〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 新撰字鏡同訓、坂上之踏本、見萬葉集難波經宿明日還來時歌、伊夜彦乃神乃布本、見越中國歌、按布毛度、即踏基之義、〈◯中略〉原書林部云、麓守山林吏也、一曰、林屬於山麓、春秋傳曰、沙麓崩、與此不同、按山足之訓、見詩毛傳、尚書馬融鄭玄注、周禮禮記、尚書大傳注、左傳服虔注、穀梁傳注、易虔翻王肅注、國語注風俗通、釋名、史記索隱、漢書注、此恐誤引、釋名又云、麓陸也、言水流順陸燥也、

〔風俗通〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 麓 謹按、尚書堯褌舜、納于大麓、麓林屬於山者也、春秋沙麓崩、傳曰、麓者山足也、詩云、瞻彼旱麓、易稱即鹿無虞、以從禽也、

〔新撰字鏡〕

〈木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 麓〈力穀反、山足、不毛止、〉

〔類聚名義抄〕

〈三木〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 㯟〈音祿、フモト、〉 麓〈正〉

〔同〕

〈五山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d4.gif 〈崥山足、フモト、〉 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520d5.gif 〈山ノフモト〉 豈〈欺抪反、山ノフモト和キ〉

〔同〕

〈六土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e233.gif 〈俗扶字、フモト、〉 址〈フモト〉

〔伊呂波字類抄〕

〈不地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 麓〈フモト、山也、山足也、古文乍㯟、〉 趾 祉 址

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 麓フモト 古語にはハヤマといふ、日本紀の註に、麓讀てハヤマといふこれ也、ハとは端也、舊説に、ハヤマとは、山の淺きといふなりといへり、〈これ山に入る事の深からぬ義なり、ヤマのハナといふには異なり、ヤマノハは、山の末などしるせり、梢を木末といふ事の如し、〉倭名鈔には、麓讀てフモトといふ、フモトとは踏初(フモト)なり、山にのぼる初なるの義也、〈初の字、古訓モトといふ、本初の義なるべし、〉

〔倭訓栞〕

〈中編二十七也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 やまもと 麓をいへり、山本の義、中臣祓詞にも、高山の末、短山の末といふ、末は巓末の義、山上をいふなり、

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 山端 やまのは やまのはしなり、山端を、義訓にやまのまともよめり、はやまも端山にて、奧山にむかへていふなり、また物にはしたといふ詞あり、たらはぬ半分なるをも云へり、はやまもはした山の意にて、半山とも書くべき歟、延喜式の祝詞に、多く短山といふ詞有り、是も同意にて、はした山なるべし、或人は、短山をみじかやまとは訓ずして、はやまと訓べしとさへいへり、されどもかヽる詞、たやすくは定め難し、よく思ふべし、

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 谿谷 爾雅云、水出山入川曰谿、古奚反、又作溪、〈和名太爾〉下同、水與谿相屬曰谷、音穀、一

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 音欲、見唐韻、壑呼各反、猶谿谷也、 澗 釋名云、澗言在兩山間也、古晏反、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一水土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 玉篇、谿與溪同、新撰字鏡同訓、〈◯中略〉廣本無注字、所引文、爾雅及郭璞注、皆無載、按春秋正義引李巡曰、水出於山於川谿公羊傳疏引、二於並作于、公羊傳疎、又引李巡曰、水相屬曰谷、則知此所引、釋山李注也、廣本無注字、非是、按釋水云、水注川曰谿、注、谿曰谷、説文、谷泉出通川爲谷、谿山瀆無通者、皆訓多邇賀波、注所引唐韻、與廣韻同、〈◯中略〉所引文、今本玉篇不載、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 琳音義引、與此全同、按玉篇古本、毎字載諸家訓詁、終以野王案釋其義、如今本、清曹寅及張士俊、重刊宋本、稱最善、而既爲宋人所删節、野王案語、無一存者、至元明諸本、割裂更改、去眞益遠、望之傳鈔卷子古本玉篇五卷、毎字有野王案語、然毎卷首尾皆缺逸、所得僅若干部、雖眞本面目、不取以校是書、誠可惋惜也、説文叡溝也、讀若郝、壑、㕡或从土、〈◯中略〉廣本無言字、與今本合、太平御覽引有言字、與此合、山田本山下有之字、與今本合、太平御覽引無之字、亦與此合、説文、澗山夾水也、

〔伊呂波字類抄〕

〈太地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 谷〈タニ〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 谷タニ 義不詳、上古は丘をばヲと云て、谷に對し言ひけり、八岐大蛇、蔓延于八丘八谷(ヤヲヤタニ)之間、味耟高彦根神、映二丘二谷之間といひしが如きこれなり、ヲカといひ、タニといふは、起(ヲキ)と絶(タツ)といふの謂にて、山起立ち、山隔絶つ義なるべし、〈オキといひ、ヲカといふ轉語なり、タチといひ、タニといふ轉語なり、〉丘讀てヲといひしを、また尾の字を假りて、ヲと讀む、舊事紀に見えし、八丘八谷の字、古事記には八谷八尾としるせしが如きこれなり、〈後人尾上としるしてヲノヘとよむこと、これらによるなるべし、〉其後丘陵岡岳等の字、讀て并にヲカといふ事になりて、峯嶺の字、讀てヲといふ事にもなりたり、〈日本紀萬葉集等に〉又谷の字、よむでヤツといひ、ヤといひ、セといひ、ウナといふが如きは、方言の同じからぬによれるにや、又讀てハザマといふが如きは、山夾水曰澗、など見えし義に同じかるべし、〈谷讀てヤツといふ事は、播磨國風土記に見えたり、されば〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 〈其始、山陽の方言よりや出ぬらん、ヤといふは、ヤツといふに同じくして、ヤの語にツの音を納めしなるべし、セといふは、大和の國の泊瀬、一に長谷としるし、舊説にセとは狹之謂也といふなり、ウナといふは、信濃國更級郡には小谷郷あり、ヲウナといふなり、田畦の高低あるによりて、ウ子といへば、山豁の高低あるをも、ウナといひしにや、ハザマといふは、日本紀に蘇我入鹿の家を、谷の宮門といふとしるされて、谷讀てハザマといふと註せられたり、今も陸奥國には、ハザマといふ地名多かり、これら其始め東山の方言に出たるにや、唯いづれにも、當時の方言同じからぬによれるに似たり、〉谿、倭名鈔に、讀て谷と同じく、爾雅、水出山入川曰谿の説を引たり、さらばこれは、我國に谷川といふ者、即此也、

〔倭訓栞〕

〈前編十四多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 たに 谷、谿、溪をよめり、垂の義、山のなたりをいふ也、にとりと韻通ず、よて山城國乙訓郡の神谷を、神名帳に神足と書し、伊勢國度會郡の井谷を、類聚本源には、井足とみえたり、

〔鹽尻〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 鎌倉にて、谷をやつと呼、江都にては谷と云、〈一谷四谷等の如し〉

〔日本書紀〕

〈二十四皇極〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 三年十一月、蘇我大臣蝦蛦兒入鹿臣、雙起家於甘檮岡、稱大臣家宮門、入鹿家曰谷(○)宮門、〈谷此云波佐麻(○○○)

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 峽 考聲切韻云、峽山間陜處也、咸夾反、俗云〈山乃加比、〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 按、夜麻能賀比、見雄略天皇御歌、載在古事記、大殿祭祝詞、奧山乃大峽小峽、亦應加比、源君以爲俗語誤、加比、蓋阿比之轉、謂間也、〈◯中略〉考聲切韻無攷、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 琳音義、引張戩考聲、當即是、淮南子原道訓注、兩山之間爲峽、按説文無峽字、古蓋即用陜字

〔類聚名義抄〕

〈五山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 峡〈音狹巠山名セハシ山ノアヒ〉 〈ホヲ〉 峽〈正〉

〔伊呂波字類抄〕

〈也地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 峻〈ヤマノカヒ亦ミ子〉 巒〈已上同〉 峽〈ヤマノカヒ〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 峽、ヤマノカヒといふは、山の間也、カヒといひ、アヒといふは轉語なり、〈萬葉集の歌には、カヒとよみしを、抄に羽のゆきあひなりといふが如し、〉

〔倭訓栞〕

〈前編六加〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 かひ 山のかひは、倭名鈔に峽をよめり、間(アヒ)の義也、日本紀に谷ノ字をよむも同じ、熊谷榛谷など此訓を用う、國の甲斐も峽の義也、

〔類聚名物考〕

〈地理十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 山峽 やまのかひ 峽〈和名抄、山のかひ、〉 かひはあひといふに同じ意なり、萬葉集に、背山を曾加比と訓たるはせがみといふが如し、それとは似て心たがへり、間といふにちかし、〈◯中略〉 かひ 峽 甲斐がね 南嶺遺稿〈第三〉かひがねといふは、山のするどく立て、諸山に勝れ目立たる峯を云ふ、山のかひよりみゆる白雲などよむも、絶頂に在る白雲なり、甲州はするどく高き山多き故、かひの國といへりとぞ、或人の仰られしにつきて、よく思へば、俗語に甲斐々々敷といふ詞有り、又かひなきといふ詞あり、甲斐々々しきは、しかとその物の見えたるを、山の高く見えたるに准らへ、甲斐なきは功も無しといふ心なるべし、〈◯中略〉山のかひとは、峽字を訓て、字書に、山峭夾水曰峽(サカシウシテハサムミヅヲ/ソバタテ)と見えたり、蜀楚の交の山に、三峽といふ山有るも、峯谷の行交て、三所峽の在れば云ふ成べし、山の絶頂にはあらず、萬葉にこの詞多くあり、そかひとも云ひ、背向とも書り、そむきあひの略にて、山のそばだちたるを云ふ、そかひに見ゆる、山の白雲もそれにて聞えたり、又甲斐國も、山そばたちさかしければ、かく云ふなり、くたものヽ甲たる説は、埒もなき事なり、徂徠翁が、甲斐國の道記を、中峽紀行と名付しも、是を思ひて書るなり、そがひに立るそか菊とよめるも同じ詞なり、甲斐は假名書なり、義はあらず、 峽 かひ を この訓、和名抄に山のかひと訓り、古事記には豁八谷峽八尾と有るによれば、尾と同じく訓り、いづれにも時によるべきなり、

〔延喜式〕

〈八祝詞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 大殿祭 今奧山乃【大峽小峽】(オホカヒヲカヒ)爾立留木乎、齋部(イムベ)能齋斧(イムヲノ)乎以テ伐採氐、〈◯下略〉

〔古語拾遺〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712手置帆負、彦狹知二神、以天御量〈大小斤雜器等之名也〉伐【大峽】(カヒ)【小峽】之材、而造瑞殿、〈古語美豆能美阿良可〉兼作御笠及矛盾

〔古事記〕

〈下雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 是以還上坐於宮之時、行立其山之坂上歌曰、久佐加辨能(クサカベノ)、許知能夜麻登(コチノヤマト)、多多美許母(タタミゴモ)、幣具理能夜麻能(ヘグリノヤマノ)、許知碁知能(コチゴチノ)、【夜麻能賀比】爾(ヤマノカヒニ)、多知邪加由流(タチサカユル)、波毘呂久麻加斯(ハビロクマガシ)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈十七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 紀朝臣男梶應詔歌一首 【山乃可比】(ヤマノカヒ)、曾許登母見延受(ソコトモミエズ)、乎登都日毛(ヲトツヒモ)、昨日毛今日毛(キノフモケフモ)、由吉能布禮禮婆(ユキノフレヽバ)、

〔古今和歌集〕

〈一春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 歌奉れとおほせられし時に、よみてたてまつれる、 貫之 櫻花さきにけらしなあしびきの山のかひよりみゆるしら雲

〔古今和歌集〕

〈十九誹諧〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 法皇にしかはにおはしましたりける日、さる山のかひにさけぶといふことを 題にてよませ給ふける、 みつね わびしらにましらななきそ足引の山のかひあるけふにやはあらぬ

〔金葉和歌集〕

〈二夏〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 人々十首歌よみけるに、郭公をよめる、 源俊頼朝臣 まちかねてたづねざりせば子規たれとかやまのかひになかまし

〔倭名類聚抄〕

〈一山谷〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 岫 陸詞云、岫山穴似袖、似祐反、〈和名久木〉

〔箋注倭名類聚抄〕

〈一山石〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 景行紀、欽明紀同訓、新撰字鏡、嶂巒訓久支、按久岐之言漏也、古事記云、自手㑨漏出所成神、本注訓漏云久岐、古事記又云、自我手㑨久岐斯子也、是也、萬葉集、伯勞之草具吉、保登等藝須、木際多知久吉、之氣美登妣久々鶯、又本書鷃訓加夜久岐、皆同語、後世云久具利久具流、久具利者、久岐之延語、久具流者、久々之延語也、久岐蓋謂山之有穴可潜行、然則訓岫字允、〈◯中略〉按説文、岫山穴也、與此義同、山田本無也字、廣本同、

〔類聚名義抄〕

〈五山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 岫〈音袖、山穴、 https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f00006520a2.gif 古クキ、ホラ、イハホ、〉

〔東雅〕

〈二地輿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 岫クキといひ、洞ホラといふと、倭名鈔には見えたり、日本紀には、洞の字讀てクキといふと註せられけり、上古の語に、クキといひしは漏(クキ)也、古事記に、陽神火神を斬給ひし、御刀之手上(タカミ)に集る血、手俣(タナマタ)より漏出(クキイヅ)といふ事をしるして、漏讀て久岐といふと註し、又舊事紀に少彦名命、父神の指間(ユビノマタ)より、漏落しと見えしを、古事記には手俣より、久岐落としるせし如きこれ也、されば隙ありて漏れ出べき所をも、クキといふ、間道讀てクキチといふが如きこれ也、〈前に見えし穿讀てウゲチといふ即此也、クといひウといふは轉語なり、岫も洞も山穴なれば、クキとはいふなり、洞またホラといひしは、開(ホル)也、日本紀には開の字讀てホルといふ、ホルといひ、ホラといふ、また轉語也、〉

〔倭訓栞〕

〈前編八久〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 くき 日本紀に、洞ノ字岫ノ字をよみ、新撰字鏡に、嶂巒をもよめり、洞は岩穴ありて、道を通ずるをいひ、岫は岩穴ありて、袖に似たるをいふ也、又漏をよめり、古事記に自我手俣(タマタ)久岐斯子也と見ゆ、義相通ふ成べし、くヾりの義、くり反き也、長明が東紀行に、くきが崎といふなる荒磯のはさまを行と見えたり、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 十八年七月丁酉、到八女(ヤメノ)縣、則越前山以南望粟岬(アハノサキ)、詔之曰、其山ノ峯【岫】(クキ)重疊、且美麗之甚、若神有其山乎、

〔日本書紀〕

〈八仲哀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 八年、皇后別船自洞海〈洞(○)此云久岐(○○)〉入之、潮涸不進、

〔日本書紀〕

〈十一仁徳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 六十七年、乃諸虬族滿淵底之岫穴(ユキカフイヤト/カフヤ)、悉斬之、

〔萬葉集〕

〈十二古今相聞往來歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 羈旅發思 玉釧(タマクシロ)、卷寢志妹乎(マキネシイモヲ)、月毛不經(ツキモヘズ)、置而八將越(オキテヤコエム)、此山岫(コノヤマノクキ)

〔倭名類聚抄〕

〈十居宅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 窟 説文云、窟〈骨反、和名伊波夜、〉土屋也、一云堀地爲之、

〔箋注倭名類聚抄〕

〈三屋宅〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 昌平本、下總本、有和名二字、昌平本注末有又音屈三字、按二音並不廣韻、神代紀、景行紀、石窟同訓、万葉集用石室字、〈◯中略〉原書无窟字、土部有堀字、云突也、段曰突爲犬從穴中暫出、因謂穴中可一レ居曰突、亦曰、堀作窟俗字、又土部有堀字、云免https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f9d3.gif 也、段玉裁謂、訓免https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001f9d3.gif 字、後人

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714増、非許氏之舊、此所引恐有誤、〈◯中略〉今本玉篇穴部云、窟室也、穴也、土部云、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e236.gifhttps://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e236.gif 地爲室也、則知、此所引土部文、按https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 琳音義引云、堀堀地爲室也、是https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 琳所見亦作室、此引爲窟恐誤、又按蓋窟本作堀、後變作窟、又或從https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e236.gif 也、則堀古字、窟https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e236.gif 皆今字、廣本野王按以下八字、作一云堀地爲之六字非、

〔類聚名義抄〕

〈七穴〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 窟〈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001e236.gif 二正 骨 イハヤ アナ ムロ スミカ ホラ ホル イハムロ 和クツ コツ〉

〔伊呂波字類抄〕

〈伊地儀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 窟〈イハヤ石窟〉

〔運歩色葉集〕

〈伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 窟(イハヤ)

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 窟(イハヤ)〈石窟〉窩(同)〈五車韵瑞、穴居也、増韵、窟也、〉石龕(同)〈文選〉石室(同)

〔和漢三才圖會〕

〈五十六山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 洞〈音峒〉 洞〈和名保良〉 窟〈訓以波夜〉 巖〈和名以八保〉 岫〈和名久木〉 穴居曰窟、〈窩同〉石窟曰巖、〈岩同〉其深通曰洞、山穴似袖處曰岫、〈◯中略〉 窟〈俗云塚穴〉穴居也、處處山麓有之、和州河州多有之、凡南面口狹奧濶、〈或書云〉孝靈天皇三十六年六月火雨、帝先知之、詔令塚隱栖〈又云〉武烈天皇二年火雨、民築石室居焉、按不悉然、古者未柱壁之巧、時民多穴居之跡、和河二州本朝最初地也、日向亦有之乎、可尋、既有窟窩字、而異國亦然、〈◯中略〉 洞ハ空也幽也、〈保加良加之訓略言〉和州葛木山有石洞、號洞籠之窟、口方五六尺、深二町餘奧有深淵、水緑而其奧無識者、洞中四圍皆石滑利、而流水可足踝、處處有佛像、其堆彫亦不凡、相傳役小角在住時、大蛇出於此、 伊豆伊東崎山中有洞、〈建仁三年六月朔日〉將軍頼家使和田平太胤長入一レ之、自巳至酉、出云、大蛇蟠盤而殺之、然不其奧而歸、 富士山有洞、俗號人穴、〈右同月三日〉使仁田四郞忠常入一レ之、翌日出云、穴中狹闇、蝙蝠群飛、白蝙蝠亦有、徐至穴濶有鍾乳、有大河、有神人、姿貌甚奇異、從者四人見之倒死、〈古老云、淺間大菩薩安坐也、〉

〔倭訓栞〕

〈中編二伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 いはや 倭名抄に窟字をよめり、石室の義也、自然のものあり、人爲のものあり、諸

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 國に多し、上古穴居野處の遺なるもの成べし、いはや山は備中也、

〔藻鹽草〕

〈四山〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 窟 かさぎのいはや〈山しろ、物名、なにしおはヾつねはゆるぎのもりにしもいかでかさぎのいはやすくぬる、〉みほの窟〈きの國しのすヽきくめのわかごもいましけるみほのいはやはみれどあかぬかも、たてる松の木、〉しづの窟〈おほなもちすくなひこなのおはしけるしづのいはやはいく世へぬらん〉しやうの窟〈しぐれ〉清見がたひとり窟 窟のとこ〈名所にあらず〉神の窟 ゑぞが窟 よし野の窟〈やまと〉みねの窟 おくの窟 こけの窟 露ふる窟 窟のほら

〔日本書紀〕

〈一神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 素戔鳴尊之爲行也甚無状、〈◯中略〉見天照大神方織神衣齋服殿、則剥天班駒穿殿甍而投納、是時天照大神驚動、以梭傷身、由此發慍乃入于天石窟、閉磐戸而幽居焉、故六合之内、常闇而不晝夜之相代、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 生石村主眞人歌一首 大汝(オホナムチ)、小彦名乃(スクナヒコナノ)、將座(イマシケム)、志都乃石室者(シヅノイハヤハ)、幾代將經(イクヨヘヌラム)、

〔閑田耕筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 萬葉集に、おほなむちすくな彦名の作けん靜の巖屋は見れどあかぬかも、とあるしづのいはや、いづかたともしられず、抄物にもいはれず、あるひは播磨の石ノ寶殿をそれなりといふは、非なること論なし、然るに近年小篠道沖といふ人、石見國濱田侯の臣にて、京師逗留の日話せられし趣を傳きくに、其國邑知郡に靜窟(シヅノイハヤ)といふもの有リゆゑに其郷を岩屋村と號す、鏡岩といふものヽ下に小社ありて、靜權現と稱す、〈◯下略〉 ◯按ズルニ、石寶殿ノ事ハ、尚ホ神祇部社祠篇ニ在リ、宜シク參看スベシ、

〔出雲風土記〕

〈出雲郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 宇賀郷〈◯中略〉即北海濱有磯、〈◯中略〉自磯西方有窟戸、高廣各六尺許、窟内有穴、人不入、不深淺也、夢至此磯窟之邊者必死、故俗人自古至今、號云黄泉之坂黄泉之穴也、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 十二年十月、到碩田國、〈◯中略〉到速見邑、有女人、曰速津媛、爲一處之長、其聞天皇車駕、而

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 自奉迎之、諮言、玆山有大石窟(イハヤ)、曰鼠石窟、有二土蜘蛛、住其石窟、一曰青、二日白、〈◯中略〉天皇惡之、不進行、即留于來田見邑、權興宮室居之、仍與群臣議之曰、〈◯中略〉因簡猛卒兵椎以穿山排草、襲石室(イハムロ)土蜘蛛而破于稻葉川上、悉殺其黨、〈◯下略〉 ◯按ズルニ、豐後國風土記、石窟ヲ磐窟ニ作ル、

〔肥前風土記〕

〈松浦郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 大家島〈在郡西〉 昔者纏向日代宮御宇天皇〈◯景行〉巡行之時、此村有土蜘蛛、〈◯中略〉天皇勅命誅滅自爾以來、白水郞等、就於此島宅居之、因曰大家島、島南有窟、有鍾乳及木蘭、〈◯下略〉 ◯按ズルニ、穴居ノ事ハ、尚ホ人部土蜘蛛篇ニ詳ナリ、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 博通法師往紀伊國三穗石室作歌三首 皮爲酢寸(ハタスキ)、久米能若子我(クメノワクゴガ)、伊座家留(イマシケル)、三穗乃石室者(ミホノイハヤハ)、雖見不飽鴨(ミレドアカヌカモ)、常磐成(トキハナル)、石室者今毛(イハヤハイマモ)、安里家禮騰(アリケレド)、住家類人曾(スミケルヒトゾ)、常無里家留(ツネナカリケル)、石室戸爾(イハヤドニ)、立在松樹(タテルマツノキ)、汝乎見者(ナヲミレバ)、昔人乎(ムカシノヒトヲ)、相見如之(アヒミルゴトシ)、

制度

〔日本書紀〕

〈二十九天武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 五年五月、勅禁南淵山、細川山、並莫蒭薪、又畿内山野元所禁之限、莫妄燒析

〔續日本紀〕

〈五元明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 和銅三年二月庚戌、初充守山戸、令諸山木

〔續日本紀〕

〈三十八桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 延暦三年十二月庚辰、詔曰、山川藪澤之利、公私共之見有、今如聞、比來或王臣家、及諸司寺家、包并山林、獨專其利、是而不禁、百姓何濟、宜禁斷、公私共之、如有違犯者、科違勅罪、所司阿縱、亦與同罪、其諸氏冢墓者、一依舊界、不上レ斫損

〔類聚國史〕

〈七十九禁制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 延暦十二年八月丙辰、禁瘞京下諸山、及伐樹木

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 延暦廿四年十二月丁巳、勅、大和國畝火香山耳梨等山、百姓任意伐損、國吏寛容、不禁制、自今以後、莫更然

〔類聚國史〕

〈七十九禁制〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 弘仁九年十二月辛亥、禁近江國滋賀郡比良山林木、以官用也、

〔律疏〕

〈賊盜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 凡山野之物、已加功力、刈伐積聚、而輙取者、各以盜論、〈謂、草木藥石之類、有人已加功力、或刈伐、或積聚、而輙取者各准積聚之處時價贜依盜法罪、〉

〔新編追加〕

〈雜務〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 一山野河海事 右領家國司方地頭分、以折中之法、各可半分之知行、加之先例有限年貢物等、守本法違亂之、

〔徳川禁令考〕

〈五十九山川林木荒地〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 寛文六午年二月二日 諸國山川掟 定 一近年ハ草木之根迄堀取候故、風雨之時ハ、川筋江土砂流出、水行滯候之間、自今以後、草木之根堀取候儀、可停止事、 一川上左右之山方、木立無之所ニハ、當春より木苗を植付、土砂不流落様可仕事、 一從前々之川筋河原等ニ、新規之田畑起候儀、或竹木葭萱を仕立、新規之致築出、迫川面申間敷事、 附山中燒畑、新規ニ仕間敷事、 右之條々、堅可守之、來年御檢使被遣、掟之趣違背無之哉、可見分之旨、御代官中江可相觸者也、 寛文六午年二月二日 久世大和守 稻葉美濃守 阿部豐後守 酒井雅樂頭 貞享元子年八月 川上之山々開畑山畑停止林仕立候事

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 覺 淀川大和川江落合候川上ハ、山々開畑山畑停止、向後林ニ被仰付候、領内又ハ其近邊御料私領共ニ、手寄次第一ケ年二三度宛、家來差遣、無油斷、林仕立候様ニ可申付候、山割并奉行人申付様等ハ、御勘定頭中江可相伺候、以上、 八月 寛保二戌年二月 川邊通り御林等之儀ニ付御書付 御勘定奉行江 一河邊通り之御林、其外百姓持山ともに、所々伐拂地新畑ニ開候儀ハ、堅仕間敷候、伐拂不申候而難成節ハ、右跡地ハ御林ニ相成候様ニ、心掛ケ可申候、百姓も可同斷事、 一河邊通り之御林、彌立置、枝多キハ下枝をおろし、木込合候所ハ、剪透シ候様可仕事、 一山中御林、大木ニ〈而〉御用可立分ハ、彌立置、其外ハ百姓願候ハヾ伐拂、跡地ハ開發申付可然事、 一山々より土砂押出候所々之川端通り江ハ、雜木を植付立、次第見合伐拂、其後元のごとくにしげり候ハヾ、又伐拂、追々右之通ニ仕候ハヾ、根入深相成、河端通り土砂押出シ候抱ニも可相成事、 右之通、御代官共江可申渡候、 二月

〔吹塵録〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 文久三亥年正月 大目付江 今度帝都四方山嶽之立木、勝手ニ切拂候義、向後可停止候、併民間柴薪之憂も可之候間、下草

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 等切拂候義、可勝手次第候、 右之通、京都最寄御領私領寺社領共、不洩様可相觸候、 正月

山高

〔地方凡例録〕

〈一下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 一山高之事 村中入會の山ありて、山稼をいたすに付、山高を請け、本途並の年貢を出して、村高に結び入、此山高の結びやうハ、檢地の節反別を改ることもなく、山稼の助成を見積り、納め來る役米、其村の免合等を見合せて高に直す、又村により新檢を請け、古檢の高に不足有之とき、古高ハ減じがたく、山稼も有之に付てハ、山高を請けて本高に合せおくこともあり、又ハ嶮岨巖壁等にて無之山ハ、反別を改め、田畑石盛の位に應じて、高に結ぶこともあり、是又下々畑山畑などいふ名目にて、實ハ畑にてハ無之、粗朶立木等の山あり、是等を山高とハ不申、畑高に入ることなり、

たて山

〔倭訓栞〕

〈中編十三多〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 たてやま 人を禁じて、草木を伐採ざるの山をいへり、西土に封綿上山といへる是也といへり、

札山

〔塚本文書〕

〈三十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 以上 和氣之郡山之儀、從當年札山に被仰付候間、即札を取、山へ入可申候、併斧伐堅停止に候、若拔札仕候者、なた、かま、牛馬之儀ハ不申及、其主曲事可申付候、於様子者、垂水半左衞門、多賀長九郞可申渡候也、 慶長九 中村主殿助 三月廿七日 正勝〈花押〉 備前和氣郡 總百姓中

山守

〔倭訓栞〕

〈中編二十七也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 やまもり 山守なり、日本紀、萬葉集にみゆ、

〔日本書紀〕

〈十應神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 四十年正月甲子、立菟道稚郞子嗣、即日任大山守命令(○)掌(○)山川林野(○○○○)、以大鷦鷯尊太子輔之、令國事、 ◯按ズルニ、古代山官ノ事ハ、官位部伴造篇ニ在リ、

〔續日本紀〕

〈五元明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 和銅三年二月庚戌、初充守山戸、令諸山木

〔萬葉集〕

〈二相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 石川夫人歌一首 神樂浪乃(サヾナミノ)、【大山守】者(オホヤマモリハ)、爲誰可(タガタメカ)、山爾標結(ヤマニシメユフ)、君毛不有國(キミモアラナクニ)、

〔後撰和歌集〕

〈二春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 花山にて、道俗酒たうべける折に、 素性法師 山守はいはヾいはなむ高砂のをのへの櫻をりてかざヽむ

名山

〔枕草子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720 山は をぐらやま みかさ山 このくれやま わすれ山 いりたちやま かせやま ひはのやま かたさり山こそ、誰に所をきけるにかとをかしけれ、 いつはたやま のちせの山 かさとり山 ひらのやま とこの山は、わが名もらすなと、みかどのよませ給ひけん、いとをかし、 いぶき山 あさくらやまよそに見るらん、いとをかしき、 いはた山おほひれやまもをかし、りんじのまつりのつかひなど思ひ出でらるべし、 たむけ山 みわのやまいとをかし おとは山 待かね山 國さか山 耳なし山 すゑのまつ山 かづらき山 みのヽおやま はヽそやま くらゐ山 きびのなかやま あらし山 さらしな山 をばすて山 をしほ山 あさまやま かたヽめ山 かへるやま いもせやま

〔奧義抄〕

〈上ノ末〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0720萬葉集所名 普通名所不注 山 さぎさか山(山城)〈しら鳥の鷺坂山、又ほそのひれ共、〉 〈同〉神山 みもろ山(大和)〈見毛呂味酒〉 こせ山〈古勢〉 をすての山

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0721 〈乎寸氐〉 〈山城〉とば山〈鳥羽〉 しら鳥の しらつき山〈志良〉 たながみ山〈田上山〉 きつ山〈象〉 みよしのヽ すがの山〈寸加乃〉 ほそ河山〈保曾いなぶちの〉 〈山城〉ふたば山 のちせの山(若狹)〈後瀬〉 〈山城〉かせの山〈加世乃〉 しま山〈志万〉 みふねの山〈みよしのゝ たきのうへの〉 ふる山 〈石見〉高角(タカツノ)山 うつたの山〈宇津田〉 きの山 あをがき山 なほり山 かくれの山 〈肥後〉いはくに山 いさみの山 しはつ山 とませ山 〈近江〉しほつ山 〈難波〉くさかの山 こしのおほ山〈白山カ〉 あはの山 おほは山 おも山 〈大和〉あまのかぐ山 〈大和〉まきもく山 〈近江〉あさづま山 いため山 かせの山 〈大和〉きさの中山〈象(キサ)〉 なごしの山 はがひの山〈春日にあり〉 たかまどの山 たかまつの山 たゆらぎの山 あほ山 ひとくに山 うの花山 おほきの山 こま山(山城) はつせの山〈こもり江のあまをふね〉 いかご山 井かるの山 屋のの神山〈つまかくす〉 かりかの山 みなぶち山 うへかた山 まきての山〈いもがそで〉 ひら山 たか山 ゆふ山〈木綿〉 くらゐ山 〈大和〉なみくら山〈さヽなみの〉 まつち山 なふせの山 かさの山〈笠〉 ひとへ山 三輪(ミワ)山〈みむろなり〉 こちこせ山 にかみ山 〈安藝〉せの山 いもの山 なぐさ山 かみをか山 あきの山 たち山 ふたつ島山 のとか山 こはだ山〈やましなの〉 いはへの山 しはを山 あづま山 なすけ山 たかしま山 ひきての山〈ふすまてを〉 さみの山 かも山 とませの山〈かくれぬの〉 いはむら山 おほの山 おはせの山 あしほの山 〈下野〉みかもの山 秋な山 うすひの山 おひた山 ゆふま山 〈奥州〉こもち山 このもの山 よらの山 あかみ山 はこね山 あしくま山 わをかけ山 かまくら山 あそ山 せき山 くらはし山〈はしだての〉 きならの山 たむけの山〈ゆふだヽみ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 あらし山 おきつしま山 みくに山 ふたがみ山 水わけ山〈みよしのヽ〉

〔八雲御抄〕

〈五名所〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0722 山 かみやま〈山城 賀茂 山下水 ならのは 郭公 自中古或加其字 範兼説在賀茂、うしろに有とも、是同事也、〉 をぐら山〈同 月 雪 霧 鹿 紅葉 大井川 詠花例亭子院歌合に有之不難〉 とは山〈同松〉 〈しらとりのとは山〉 さぎさか〈同 白つヽじほそひれのさぎさか 白鳥のさきさか〉 こはだ〈同かち人馬山しろのこはだ〉 かせの〈同をとめこか、うみをくかせ、鶯 いづみかは近〉 ふたいの〈同一目代 不替〉 まくひ〈同春草をまくひかりのつかひ〉 みむろど〈同 又みんまと見圓なり〉 さがらか〈同件短歌有憚〉 かすが〈大和 雲 霞 日 鹿 紅葉 鶯 雪 松 藤 すがのね〉 はるび〈同 春日也 或はるべとよめり、よぶこどり、〉 見かさの〈同、かさの山とも、ふるさとのみかさの鳥、日月 時雨 花 おほきみのみかさ〉 さほの〈同霞 卯花 郭公 喚子鳥 紅葉 かり さヽ竹の大宮人〉 みわ〈同 神 すぎ まそゆふみしめゆふ 雲 霞 花〉 たつた〈同 霞 雲 花 紅葉 鶯 ゆふつけ 鳥 大とものみつの泊近〉 なら〈同松 紅葉 雪 このてかしは あをによしなら日本紀曰、兵草木を踏ならしける故、ならといふ、〉 まつち〈同 馬 花 郭公 あさもよぎ 又有東國駿河又有紀伊國にも同山歟、眞土とかけり若同山歟、〉 かみなび〈同〉 みむろ〈同 いはこすげ 紅葉 花 神がきのみむろ たまくしげみむろ あちさけみむろ〉 かみへの〈同 並上山〉 みかきの〈同 並上なら〉 かつらき〈同 雪 雲 花 紅葉 月 石橋有 あをやぎのかつらきしもとゆふかつらき〉 ふたがみ〈同 並上山 くしか みのふたがみ近加川内國也〉 たかまど〈同 雨 櫻 紅葉 春日のちかしますらをのたかまど〉 たかまつの〈高松野 雪 霜〉 いこま〈同 雪 雲 月 雨 ひぐらし 河内國近歟 霜 兩國名所歟 おほえのきしより、くもゐにみゆる、〉 くらはし〈同 或むかはしとも 椋橋とかけりはしだてのくらはし 月 雲 郭公〉 たむけ〈同 ゆふだヽみたむけ ゆふだすきたむけ 紅葉 抑坂上郞女奉拜賀茂社時、使超相坂山近江海、仍近江之由、見範兼抄、〉 さき山〈同 春日より見〉 はつせ〈同 始瀬をはつせともよめり あまを舟、はつせの山といへり、 とませの山ともいへり 櫻 花 月 雪 霞 村 かくらくのはつせ あまを舟はつせ〉 まきもく〈同 霞 ひはらの山 うらかてをまきもくみつもつのそまやま〉 あなし〈同 丹生河上なり 山かづら 雲 雨 つばきさけれやまきもくのみとよめり〉 あなしの神座之仍花か雲かとみゆる、ゆふしでといふなり、〉 にぶの〈同〉 こせ〈同 つら〳〵 つばき〉 よしの〈同 三吉野 花 雲 霧 月 雪 松 瀧 いはのかけみちといへり みよしののまきたつ山といへるもよしの也〉 みふねの〈同 吉野也 雲 よぶこどりみよしのヽ瀧のうへのみふねの〉 みづ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0723 わけ〈同 みよしのヽみづわけ 月神さぶる 石ねこりしく〉 たかきの〈同〉 あをがき〈同 吉野也〉 きさのなか〈同 きさの山とも 吉野也 よぶこどり 松 きさは、ちかき山ともいふ也 みよしのヽちかき云心也、きさは非名所、〉 みヽかの〈同 吉野也〉 たか〈同いでくる水又在常陸〉 みヽなし〈同已上 二山相向 口無〉 そでふる〈同 或實名歟 吉野也一説在對馬〉 ふるの〈同 松 杉むら櫻、いそのかみふるの〉 たむの〈同 細川也〉 おほの〈同〉 よらの〈同 或よこの山共〉 うちま〈同 あさかぜさむし〉 ゐかひ〈同 ふないりのゐかひ 鹿〉 いはむら〈同 白砂にかヽれる雲すみさふるいはむら〉 みなぶち〈同巖〉 〈なんぶちとも ますかヾみみなぶち〉 ほそかは〈同 並上山 みなぶちのほそかは まゆみ〉 かみをか〈同 有憚〉 したひ〈同〉 あをすげ〈同〉 あをかく〈同〉 みつ〈同 已上三山從明日香 遷藂原郷時〉 むら〈同 或只多の山歟〉 かみのかこ〈同〉 あまのかご〈同 かご山とも ひさかたのあまのかご 衣ほす わすれ草 霞 雲 みねのまさかき 俊成歌、神鏡奉鑄所也、あまの石戸おしひらき給所也、天のかご山は、あまりにたかくてそらのかのくるによりていふ歟、日本紀に見えたり、〉 ひきての〈同ふすまぢをひきての〉 こま〈同 狛山に鳴霍公鳥 泉河渡云遠見こゝにかよはすと云〉 きなれの〈同鳥〉 くさか〈攝津 なにはをすぎて〉 しま〈同 あへのしま山 同事歟〉 なつき〈同 ゐなの近つのヽ松原〉 ありま〈同 有温泉 万三郞女 短歌には 大和歟 霧 しながどり いなのさヽはら〉 井な〈同 國房ゐなのは山とよめり 下水 しなが鳥〉 みくに〈こずゑにすまふむさヽび〉 さへき〈同 万七五月山或さつき山とも 卯花〉 しまくま〈同 たまか づら〉 あこし〈伊勢 さてのさき〉 かくれの〈同 をのへのかくれの〉 いさみの〈同 やまとの見えぬといへり〉 あさか〈尾張 或伊勢國 又在陸奥 陸奥ハ安積山也 紅葉〉 もる〈遠 又在上野歟紅葉 時雨 露〉 まつち〈駿 ゆふこえて、いほざきのすみだがはらにといへり〉 ふじの〈同 紅葉禰雲 基俊難顯輔がふじのたかねに雪きえて歌也 相模ふじのねに、かヽるしらくもとあり、總非難ふじのしば山とも 霞 雪 煙〉 しはを〈同 或しはをともあらくまのすむ〉 あしがら〈相万 滿誓之 造筑紫觀世音寺時歌也 鳥總たつすき杣山也 若 在筑紫歟、可尋、〉 はこねの〈同 並上山 あしがらのはこねの栗まくと云り〉 かまくら〈同 たきヾこる〉 あきなの〈同 あしかりのあきなの ひこぶねの〉 わをかけ〈同あしかりのわをかけ〉 みかほし〈常 筑波山を云也〉 つくは〈同 橘の下ふく風 つくはねともいふ かしまなると云り〉 あしほ〈同 つくはねのそかひにみゆる〉 あふさか〈近しの〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0724 〈すヽき さねかづら いはし水〉 たながみ〈同 ゆふだヽみさねかづら〉 たかしま〈同 鹿〉 ひら〈同 紅葉 小松 ひらのたかね兼盛〉 かヾみ〈紅葉 花 霧〉 とこの〈同 いさや河 いぬかみのとこの〉 しらつき〈同 ゆふだヽみはなかづら〉 なみくら〈同 さヽなみの 雲ゐてはあめふる〉 うねびの〈同〉 なほり〈同 万いはふみならし入後〉 こしのおほ山〈同 後書入〉 おほ〈同〉 いかご〈同 のべのはぎいはねふみ〉 あさづま〈同 あさこえて 霞 あすこん〉 おきつしま〈同 近江海の〉 をも〈美の 霞、泊近也、〉 ふは〈同 或大和國とも〉 にひた〈美のをにひた山同事也 在同國をにひたのふか山といへり しらとほのおにひたやま〉 あそ〈上野 かみつけのあそあそ山つヾら〉 うすひの〈同日くれてみゆ〉 もる〈同並上山清輔抄近江にもあり〉 くろかみ〈下野 むはたまのくろかみ露 雨 山すげ〉 みるもの〈同しもつけのみるもの〉 みちのく〈陸 こがね花さくあづまなる〉 ふかつしま かな〈同 金山は多あき山とよめりしたびか下になくとり〉 あさか〈同 俊頼はあさくはといへるに、病ならしゆへ濁てあさか山といふべしと、俊成ハ不然也、かげさへみゆる山のゐは、このあさか山也、にごりていふべき也、〉 のちせの〈若 わかさぢののちせの〉 あをばの〈水鳥あをばの又在尾張國丹波境歟、可尋、清輔抄在陸奥同名山歟、〉 しほつ〈越前馬〉 あらち〈同 やたののあさぢ 雪、岑、〉 しら〈同こしのおほ山ともいふ、在清輔抄こしのしらねとも、雲たかくふすま〉 となみ〈加〉 のとのしま〈能 とぶさたて、舟木きる山なり〉 ふたがみ〈越中 しふたにのわしのすむ、わしの子うむと云り、たまくしげ 鳥 郭公〉 すかの〈同 ゆるう事 なく〉 たち〈同 雪 はひつきの江近〉 おほえの〈丹波 たまくら 丹波ぢの〉 たかつの〈石 或たかみとも 石見なるたかつの〉 かも〈同 いはね〉 うつたの〈同 石見なるうつたの 石見の海うつたの山と云〉 わたりの〈同〉 やがみの〈同〉 あを〈幡〉 たゆらぎ〈同櫻〉 なよ〈同 或寺を山とも石ふみならす〉 いくち〈同有憚〉 いはくに〈周 周防なるあかし其道といへり〉 かしと〈紀〉 きりめ〈同 霞〉 いとかの〈同 あじろき すき 櫻よぶこどり 紅葉 麻蒔〉 おほは〈同 丹波にもあり霞〉 いもせ〈同 せの山は同事也、又いもとせの山といへり、後撰にも妹によせたり、せの山にたヾに、むかへるいもの山といへり、別山歟可尋 吉野川中におつ 紅葉 雲 松 秋霧〉 なぐさ〈同〉 ひとくに〈同 木のは あきつのヽ かきつばた〉 おすての〈同 あしたゆくまきのは〉 たまつしま〈同〉 あはの〈阿 まゆのこと雲ゐにみゆる〉 なこしの〈大 櫻喚子鳥〉 さみの〈讃〉 さぬ〈同〉 しかの〈筑前 あらをらかよすがの山〉 かやの〈同 鹿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0725 〈草枕 かやのうへといへり〉 おほきの〈同 郭公 紅葉〉 かヾみ〈豐前 あづさゆみひく とよ國〉 ゆふ〈同 はなちのかみをゆふ山とよ國のゆふ 雲〉 くたみ〈同 ゆふゐる雲〉 あら〈同〉 しはつ〈同 或しつは山とも〉 まつら〈肥前 異名云 万ひれふる山〉 あさぢ〈對 もも舟の紅葉〉 うつかた〈同 たかしきのうつかた紅葉のやしほのいろ〉 のどか〈万十一〉 かの〈同〉 うゑかた〈同〉 みる しけ〈谷に山ふき有 越中歟家持在越中時歌也〉 いつへの〈越中歟〉 しま〈一説伊與國歟〉 いそべの〈万十一〉 やのヽかみ〈露 霜、万十、つまかくす〉 あしくま〈攝歟 万十四、ゆづるは、かぜふるす〉 あかみ〈万十四、くさねかり、〉 こもち〈万十四〉 いかづち〈万三〉 き〈在大宰府〉 ゆふま〈遊布麻とも万十二十四〉 うらのヽ〈万十四〉 わづかそま〈或わづか山とも、若大和歟、家持短歌万三〉 このもと〈万十四〉 しほひの〈有憚 万十六〉 いはき〈万十二〉 あしき〈万十二〉 うち〈土佐歟、石上乙配〉 いほへ〈筑紫歟 或只山を云歟〉 かりの〈かりがね 紅葉〉 このきの〈万五〉 よこの〈万十四あづさゆみよこの〉 さき〈万十 春日近なり〉 おとこ〈山 八幡始古今道〉 ふか草〈同古今 勝延様々〉 かさどり〈同 古今 忠岑 元方 すみがまよめりと、在清輔抄、六帖、山しなのかさどり山といへり、〉 うち〈同古喜撰〉 おとは〈同 やましなの 古 友則 貫之〉 くらぶ〈同古敏行是則〉 ときは〈同 古 淑望〉 かめ〈同古惟岳〉 をしほ〈同 大原野也古 業平 松〉 まつのお〈同 後撰〉 くらま〈同 撰 中興女〉 はヽそ〈同 撰〉 はな〈同 拾 遍昭〉 たかをの〈同 拾 八條左大臣あたごの山〉 あたご〈同 清輔抄 堀河院しきみがはら〉 あはた〈同〉 いはくら〈同 拾有憚〉 あらしの〈同 拾 公任〉 とりべ〈同 拾有憚〉 おほはら〈同 後拾元輔式部〉 をの〈同 後拾 すみがま 相模〉 いなり〈同 後 惠慶 すぎ神社なり〉 あさひ〈同 宇治也新古 公實〉 ふしみ〈同 新古俊成〉 いはせ〈大和 後伊勢歌〉 たかまの〈同 古歌〉 はつかの〈攝 匡房〉 みやぢ〈尾 後撰〉 すヾか〈伊勢 後撰〉 しほの〈甲 さしでのいそちどり〉 かみぢ〈伊勢西行〉 ふたむら〈參河 遍尾張山也 後撰政慶 關 から衣〉 さやの中〈遠 古友則〉 うつの〈駿 新業平〉 ながら〈近 後撰〉 おほくら〈同 後撰師尹公〉 みをのなか〈同 拾 高島のみをの中山〉 たまのを〈同 拾 かまふのヽたまのを〉 か

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0726 れいひ〈同金〉 いたくら〈同 詞顯輔〉 みかみの〈同 拾〉 しかの〈同 千載 近隆公行〉 いし〈同 長能〉 もる〈同 資業〉 たかのを〈同新 匡房〉 きませの〈同 拾 清正娘 ひえの山也ひえの山をば、我山ともいふ、〉 いなばの〈美の 因幡之由、見清輔抄、松 古 行平〉 ふなぎの〈同 後拾通俊〉 みのヽを〈同 新古伊勢歌ひとつ松〉 くら井〈飛 いやたかの岑、六位笏木伐之山也、拾 能宣 通信の國山歟〉 をばすて〈信 古今 月 をばすてざりけるさきは、かぶり山といふ也、在俊頼抄、〉 あさまの〈同 古今中乍〉 さらしなの〈同 月 貫之拾〉 かざこしの〈同〉 ふたこ〈下野後撰〉 あひつの〈陸 後撰滋幹女〉 すゑのまつ〈同 古今 興風松山とも 波こゆる〉 しのぶ〈同伊勢物語〉 かへる〈越前 古今 兼輔 躬恒 雪〉 神なび〈丹波 千載義忠〉 ちとせ〈同 拾 清輔抄在出羽同名所也、〉 たかた〈石拾〉 くめのさら〈美作 古今〉 きびの中〈備中 古今 備後境 有細谷川まかねふくは鐵をわかす山也、たゞきびの山とも〉 いやたか〈同拾兼盛〉 たかくら〈同 詞家經〉 なかたの〈同 千載爲政〉 みかみの〈紀伊 拾あふみにも有〉 たかのヽ〈同千寂蓮〉 みくまのヽ〈同 新古今〉 あはぢ島〈淡俊忠〉 いるさの〈但 後撰〉 ひぐらしの〈筑紫歟後撰〉 まちかね〈攝 詞肥後〉 いはや〈千經衡〉 いはでの〈千顯輔〉 みくら〈千 俊頼〉 ひくのヽ〈拾 元輔〉 かまど〈拾〉 はなのを〈近 拾〉 まきのを〈山 宇治也 源氏同 詞にまきの山ともいへり〉 まつ〈讃 後拾 定頼 海近 すゑの松山をも松やまとは云り〉 ちりふの〈拾〉 つヽみの こだかみ〈金 顯綱よこのうら風さえ〳〵て〉 いぶき〈美の 通近江さしも草〉 むらくもの〈丹波〉 このはれ〈清輔抄 清少納言〉 いりたちの〈同上〉 わすれずの〈陸 同上 六帖云あふくま河のあなたにや、人わすれずの山は、さかしきと云り、〉 かたさり〈同〉 あさくら〈同〉 おほひれ〈同〉 たまさか〈同 攝津國之由清輔抄〉 いつはた〈越前也〉 なかむら〈長和元大嘗〉 たまヽつ〈同〉 いなふさ〈同〉 さヾれいしの〈同〉 とみつき〈同〉 うりふ〈山 こまのわたり也 清輔抄〉 をときくの〈尾〉 はなぞの〈參 はなそめとも〉 しづはた〈駿〉をとづれ〈上總〉 うらみの〈信の〉 しほたれ〈美作〉 わふか〈紀〉 をとなし〈同〉 かたをか〈清輔抄名所といへり 若只かたをか山歟、可尋亭當〉 たかさごは總て山の名なりともいへり、何不之、はこやの山は、万葉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0727 に有之、寄仙洞之、 さがの山は〈行平詠之、山只天皇御事を山といへり、〉 わしの山は〈靈山也〉 ゆきのみ山は〈雪山也〉 おほうち山〈在名所 寄大内也普通寄禁中源氏云、〉 大和物語、寛平御座大内山時、兼輔參て詠之只寄内裏歟、延喜御時、被敍位間事、於法皇御記曰、延長七年、英明朝臣申、參今御寺、昨日御大内山參入之時、當御湯殿之間祇侯奉仰、仍夜亥二剋云云、 しでの山〈冥土〉又もヽへ山なにくれとよめるは、只やまの重心也、

〔東遊記〕

〈後篇五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0727 名山論 余幼より山水を好み、他邦の人に逢へば必名山大川を問ふに、皆各其國々の山川を自賛して天下第一といふ、甚信じ難し、既に天下をめぐり、公心を以て是を論ずるに、山の高きもの富士を第一とす、又餘論なし、其次は加賀の白山なるべし、其次は越中の立山、其次日向の霧島山、肥前の雲仙嶽、信濃の駒が嶽、出羽の鳥海山、月山、奧州の岩城山、岩鷲山也、是に次で豐前の彦山、肥後の阿蘇山、同國久住山、豐後の姥が嶽、薩摩の海門嶽、伊豫の高峯、美濃の惠那嶽、御嶽、近江の伊吹山、越後の妙高山、信濃の戸隱山、甲斐の地藏嶽、常陸の筑波山、奧州の幸田山、御駒が嶽等也、其餘は碌々論ずるに不足、伯耆の大山、上野の妙義山は、余いまだ是をみず、其高低を知らず、出羽の羽黒山のごとき、其名甚高けれども、其山は甚低し、都の鞍馬山程には及びがかし、湯殿山も、叡山よりは低かるべくみゆ、是は佛神垂跡の地ゆゑに、參詣の者多きによりて、其名高き也、山の姿峨々として、嶮岨畫のごとくなるは、越中立山の劒峯に勝れるものなし、立山は登る事十八里、彼國の人は富士よりも高しと云、然れども越中に入りて、初て立山を望むに、甚高きを覺えず、數月見て漸々に高きを知る、是は連峯參差たるゆゑ也、最高く聳え、たがいに相爭ふ程なる峯五ツあり、劒峯も其一也、其外にも峯々甚多く連り、波濤のごとく連り、皆立山なり、此ゆゑに、たとへば都の北山を望むがごとし、遠くより見るに、何れを鞍馬山とも、稱しがたきがごとし、是をみても、人多能なる者は、反

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 て其名を失ふを愼むべし、白山は唯壹峯にて、根張も大に、殊に雪四時あり、て白玉を削れるがごとく、見るより目覺る心地す、又山の姿のよきは、鳥海山、月山、岩城山、岩鷲山、彦山、海門嶽なり、皆甚富士に似て、一峯秀出畫がけるがごとし、又景色無雙なるは、薩摩の櫻島山也、蒼海の眞中に只一ツ離れて獨立し、最嶮峻なるに、日光映ずれば、山の色紫に見え、絶頂より白雲を蒸がごとく、煙り常に立登る、たとへば青疊の上に、香爐を置たるがごとし、大抵海内の名山是等に留るべし、其山内の奇絶は、又別に書あり、今此所には仰望む所を論ずるのみ、

山城國/大内山

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 大内山(ヲホウチヤマ)〈城州葛野郡、仁明帝放鷹之地、故承和十四ノ十月、勅授從五位下之、〉

〔國花萬葉記〕

〈二下山城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 大内山 洛西仁和寺の上の山也、此つヾきに玉山とて有、

〔山城名勝志〕

〈八下葛野郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 大内山〈花鳥餘情云、大内山は仁和寺の名所也、〉 花鳥餘情云、承平三四六、若狹國所獻之雉、放於大内山云々、

〔倭訓栞〕

〈前編四十五於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 おほうち 大内をいふ、〈◯中略〉大うち山も同じ、源氏に、諸共に大内山は出つれどとよめり、左大將の直廬、中の重にありといへり、兼輔のうたに、 白雲の九重にたつ嶺なれば大内山といふにぞありける、又仁和寺の山をもいへり、亭子院のおはしませし所也、よて御室ともいふなり、衣笠内府、 遙かなる都のいぬゐわが宿は大内山のふもとなりけり

〔新勅撰和歌集〕

〈十九雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 亭子院大内山におはしましける時、勅使にて參て侍りけるに、麓より雲の立ちのぼりけるを見て、よみ侍りける、 中納言兼輔 しら雲の九重にたつ峯なれば大内山といふにぞありける

嵐山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 嵐山(アラシヤマ)〈本字荒字、城州葛野郡、〉

〔國花萬葉記〕

〈二下山城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0728 嵐山 西山松尾の北、法輪寺の後の山也、此山に難瀬(ナセ)の瀧(タキ)有、又郷西又八郞と云

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0729 者の城跡、米藏用水の井、馬乘場など今に有、

〔山城名勝志〕

〈十葛野郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0729 嵐山〈在大井川ノ南法輪寺ノ西〉 五鳳集云、〈嵐山看花 瑞溪〉城西三里是嵐山、二十年來百往還、人已數莖新白髮花猶一笑舊紅顏、龜山の仙洞に、吉野山の櫻をあまたうつし植て侍りしが、花の咲けるを見て、〈續古〉春ごとに思ひやられし三吉野の花はけふこそ宿に咲けれ 太上天皇 〈龜山殿七百首〉あらし山暮るよりふる五月雨に更てぞ瀧の音はきこゆる 左大辨宰相公明 〈新千載〉あらし山是もよし野やうつすらん櫻にかヽる瀧のしらいと 後宇多院 〈同〉さしもこそいとふ憂名のあらし山花の所といかでなりけん 前關白〈自嵐山觀音堂二町許前、道左、古被芳野時勸請スル藏王堂ノ跡今存、土人呼權現ノ坦、〉

〔都名所圖會〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0729 嵐山は大井川を帶て、北に向ふたる山なり、〈龜山院、吉野の櫻をうつし給ひし所とす、〉 〈新千〉あらし山是もよしのやうつすらん櫻にかヽる瀧の白絲〈後宇多院〉〈新古〉思ひいづる人も嵐の山のはに獨ぞいりし有明の月〈法印靜賢〉 〈續千〉あらし山麓の花の梢までひとへにかヽる峯の白雲〈前大納言爲氏〉

〔閑田耕筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0729 嵯峨の嵐山は、昔よしのをうつされて、藏王權現を勸請あり、千本の櫻を栽られし所なるを、貞享の年間に著せし山州名跡志には、土地にふさはぬにや、今はさくらなしと書り、さるを近世は櫻あまたにて、都下の壯觀となりぬ、是も二十年前迄は、唯好士のみ遊びて、大かたの人はおむろに聚り、帷幕數十百をもて算へしに、今かしこはおとろへ、大井の川邊煩らしきまで茶店軒を並べ、水上は舟連行絃歌かまびすしく、なべてこヽを花の湊とす、世界の變遷かくのごとし、

大井山

〔日本後紀〕

〈十三桓武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0729 大同元年三月丁亥、大井(○○)、比叡、小野、栗栖野等山共燒、

〔日本後紀〕

〈十四平城〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0729 大同元年閏六月勅云々、山城國葛野郡大井山者、河水暴流、則堰堤淪沒、採材遠

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730、還失灌漑、因玆國司等量便、禁制河邊、無他斫、諸國若有斯類者、不公私收限、其語寄有要、輙占無要者事覺之日、必處重科

〔圓珠庵雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 類聚國史に大堰山とあるは、今の嵐山にや、

大和國/春日山

〔國花萬葉記〕

〈三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 春日山 仁明帝の御時、當國の郡司に仰て、狩獵材木を禁制し給ふと有、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 山部宿禰赤人、登春日野作歌一首并短歌、 春日乎(ハルビヲ)、【春日山】乃(カスガノヤマノ)、高座之(タカクラノ)、【御笠乃山】爾(ミカサノヤマニ)、朝不離(アササラズ)、雲居多奈引(クモ井タナビキ)、容鳥能(カホドリノ)、間無數鳴(マナクシバナク)、雲居奈須(クモ井ナス)、心射左欲比(コヽロイザヨヒ)、其鳥乃(ソノトリノ)、片戀耳爾(カタゴヒノミニ)、晝者毛(ヒルハモ)、日之盡(ヒノコトゴト)、夜者毛(ヨルハモ)、夜之盡(ヨノコトゴト)、立而居而(タチテ井テ)、念曾吾爲流(オモヒゾワガスル)、不相兒故荷(アハヌコユヱニ)、 反歌 高桉之(タカクラノ)、三笠乃山爾(ミカサノヤマニ)、鳴鳥之(ナクトリノ)、止者繼流(ヤメバツガルヽ)、戀哭爲鴨(コヒモスルカモ)、

〔運歩色葉集〕

〈見〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 三笠山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 三笠山(ミカサヤマ)〈和州添上郡、春日山是矣、〉

〔國花萬葉記〕

〈三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 三笠山 かすが山は總名にて、三笠山は引くだりてちいさき山也、春日社御座、

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 添上郡 三笠山 總名曰春日山、明神鎭座小山名三笠山

〔萬葉集〕

〈二相聞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 靈龜元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨、時作歌一首并短歌〈◯長歌略〉 御笠山(ミカサヤマ)、野邊往道者(ノベユクミチハ)、己伎大雲(コキダクモ)、繁荒有可(シゲクアレタルカ)、久爾有勿國(ヒサニアラナクニ)、右歌、笠朝臣金村歌集出、

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 【手向山】(タムケヤマ)〈和州春日社以南有武藏塚、是良峯ノ安世卿古墳也、斥此地手向山、見歌枕、或云江州合坂山一名、〉

〔國花萬葉記〕

〈三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0730 手向山 又武藏塚と號ス 東大寺八幡宮の後の山をいふと也、又異説有、不決、今社ノ南ト云、

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 添上郡 手向(タムケ)山 在若草山(○○○)之邊、〈◯中略〉素性法師於是詠歌、據此歌手向山

那羅山

〔日本書紀〕

〈五崇神〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 十年、復遣大彦與和珥臣遠祖彦國葺、向山背埴安彦、爰以忌瓫坐於和珥武鐰坂上、則率精兵進登那羅山而軍之、時官軍屯聚、而蹢跙草木、因以號其山那羅山、〈蹢跙、此云布瀰那羅須、〉

〔古事記〕

〈下仁徳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 即自山代廻、到坐【那良】(ナラ)【山】口、歌曰、都藝泥布夜(ツギネフヤ)、夜麻斯呂賀波袁(ヤマシロガハヲ)、美夜能煩理(ミヤノボリ)、和賀能煩禮婆(ワガノボレバ)、阿袁邇余志(アヲニヨシ)、那良袁須疑(ナラヲスギ)、袁陀氐(ヲダテ)、夜麻登袁須疑(ヤマトヲスギ)、和賀美賀本斯(ワガミガホシ)、久邇波(クニハ)、迦豆良紀(カヅラキ)、多迦義夜(カカミヤ)、和藝幣能阿多理(ワギヘノアタリ)、

〔古事記傳〕

〈三十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 那良(ナラ)山口、那良は上に出ツ、〈傳二十五の二十二葉〉山口は夜麻能久知(ヤマノクチ)と〈能を添へて〉訓べし、月次祭ノ祝詞に、山能口坐皇神等乃云々とあればなり、さて此ノ山は山城國相樂郡より大和國添上郡奈良を越る道にて、いはゆる奈良坂なり、〈◯中略〉さて書紀には、時に皇后不于大津、更引之泝江、自山背廻而向倭云々、即越那羅山、望葛城歌曰とありて、御歌は此ノ記と全同じ、かくてこれに越那羅山、云々とあるに依れば、此ノ記に山ノ口とあるは、那良の方より上る山ノ口なり、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731近江荒都時柿本朝臣人麿作歌 玉手次(タマダスキ)、畝火之山乃(ウ子ビノヤマノ)、橿原乃(カシハラノ)、日知之御世從(ヒジリノミヨユ)、〈或云自宮〉阿禮座師(アレマシヽ)、神之書(カミノアラハス)、樛木乃(ツガノキノ)、彌繼嗣爾(イヤツギ〳〵ニ)、天下(アメノシタ)、所知食之乎(シロシメシヽヲ)、〈或云食來〉天爾滿(ソラニミツ)、倭乎置而(ヤマトヲオキテ)、青丹吉(アヲニヨシ)、【平山】乎越(ナラヤマヲコエ)、〈或云、虚見、倭乎置、青丹吉、平山越而、◯下略〉

天香久山

〔運歩色葉集〕

〈阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 天香久山〈又具〉

〔運歩色葉集〕

〈伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 岩戸山〈天ノ香久山也〉

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 餘香久山(アマノカグヤマ)〈万葉作天ノ芳來、和州十市郡土俗呼謂神樂(カグラ)山、或云天ノ籠(カゴ)山、〉

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0731 十市郡 天香久山 在興禪寺西

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0732 天ノ香久山所在有異説、未決定、今興善寺之西、有南浦、其地有天磐戸、其前有神樹、其少南有叢篠、名之湯篠(ユサヽ)、祭禮時必用榊及湯篠云々、蓋以石凝姥命、取天香久山銅日像之義名耳、天磐戸亦然矣、

〔鋸屑譚〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0732 萬葉集、香具山歌云、天降付(あもりつく)天之芳來(かく)山、又云天降就神之香山、風土記云、天上有山、分而墮地、一片爲伊豫之國之天山、一片爲大和國香山、晉西天僧惠理、登杭川飛來峯、嘆曰、此是中天竺國靈鷲山之小山嶺、不知何年飛來、因名之と、同日之談也、

〔冠辭考〕

〈一阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0732 あもりつく 〈あめのかぐ山 かせ山〉 万葉卷三に、〈香具山の歌〉天降付(アモリツク)、天之芳來山(アメノカグヤマ)、また天降就(アモリツク)神の香山云々、〈猶多かれど略きつ〉こは風土記に、天上有山、分而墮地、一片(カタヘ)爲伊與ノ國之天山、一片爲大和國之香山といへり、思ふに神代紀に、美濃國の喪(モ)山は天より墮たるてふ類ひに、是も上つ代より、しかいひ傳へしなるべし、しかればいづこはあれど、香山は初(ハツ)國しらしヽ御時より、皇宮の鎭めともいはひ給ふからに、ことにたふとみて、天降著てふ語を、いひ冠らせしなるべし、さて安毛利都久は、安麻久太利都久(アマクダリツク)てふ語なるを、約め略きていふ也、〈安麻久太利の麻久を反せば牟となるを、廻らし通はして毛(モ)といひ、且太をば略きたるなり、〉此語は卷二十に、〈天孫の天くだらしヽ事を〉多可知保乃(タカチホノ)、多氣爾阿毛理之(タケニアモリシ)、須賣呂伎能(スメロギノ)、可未能御代欲利(カミノミヨヨリ)、卷二に、〈天武天皇吉野より美濃へ幸給ふ事を〉和射見我原乃(ワザミガハラノ)、行宮爾(カリミヤニ)、安母理座而(アモリイマシテ)、天下(アメガシタ)、治賜(ヲサメタマヒシ)などもあり、〈◯中略〉 天ノ香山は、大和國高市郡にあり、且此山は、古事記に、〈倭建命の御歌〉阿米能加具夜麻(アメノカグヤマ)とあり、同じ記に、天を阿麻(アマ)と訓べきをば、そのよし注し分て、他(ホカ)の天は、皆あめと訓ことを、知しめたるなどに依に、此山は、古へは阿米(アメ)の加具(カグ)山と唱へし也、又香山此ハ云介遇夜縻(カグヤマト)と神武紀に注し、古事記に加具(カグ)とかき、香土を訶遇突智(カグツチ)とかけるなど、かくのくを濁ること明らけし、〈集中には、訓にまかせて、香來山、香久山など書たるは、假字なるを、後世人香の來る事也といひ、且かくのくを清て訓などは、皆よしなし、〉

〔和州巡覽記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0733 天(アマ)の香(カク)山 ひきヽ山也、麓の村を膳夫村と云、吉備村より南に在、道は香山の東を行也、萬葉并風土記に、うねび山、耳梨山、香山を大和の三山と云、國中には此三山の外に山なし、吉野の方より來れば、蘆(アシ)原嶺より北に、三山一目に見ゆ、

〔大和名所圖會〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0733 天香久山(アマノカグヤマ)〈範兼卿類聚曰〉此山あり所をしる人なし、〈澄月歌枕曰〉此山のあり所ならひ傳ふる事ありとかや、披露におよぶべからず、〈釋日本紀曰〉伊豫國風土記曰、天降の時二つにわかれて、片端は倭國にとヾまり、天香久山といへり、片端は伊豫國伊豫郡にとヾまり、天山(アマヤマ)といふ是なり、〈詞林採葉曰〉凡此山は、本朝の靈山として、在所陰陽家に沙汰せらるヽ山也、〈◯中略〉 〈或書ニ、古老の曰、多武峯の東にあたりて高山あり、俗これを音羽山といふ、此山の半腹に音羽村あり、古來の天香久山は、此音羽山の事也、今の香久山は、ひきく小山にして、いにしへより續たる山の端もなし、天香來といひならはしたる高山の、いかなれば低くなるべきやうなし、何れの名所にても、むかし高山とよみしは、今も高く、むかし端山とよみしは、今も端山なり、是をおもへば、天香久山は、今の音羽山の事なるべしと云々、〉

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0733 故爾伊邪那岐命詔之、愛我那邇妹命乎、〈那邇二字以音、下效此、〉謂子之一木、乃匍匐御枕方、匍匐御足方而哭時、於御涙成神、坐香山(カゲヤマ)之畝尾木本、名泣澤女神、

〔古事記傳〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0733 香山(カグヤマ)は、神名式に、大和ノ國十市郡天香山坐云々、書紀神武卷に、香山、此云介遇夜縻(カグヤマ)とあり、〈遇を濁れること、是を始て古書皆同じ、◯中略〉万葉に天降付天之芳來山(アモリツクアメノカグヤマ)とある此意なり、なほ此山をよめる歌は、万葉にも後世にもいと多し、〈山の南の麓に、今香山村と云もあり、土人は山をも村をも具(グ)を清て呼ぶなり、〉

〔日本書紀〕

〈三神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0733 戊午年九月甲子、有兄磯城、軍布滿於磐余邑、〈磯此云志〉賊虜所據、皆是要害之地、故道路絶塞、無處可一レ通、天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有天神、訓之曰、宜天香山社中土、〈香山、此云介遇夜縻、〉以造天平瓫八十枚、〈平瓫此云毘邏介〉并造嚴瓫、〈嚴瓫、此云怡途背〉而敬祭天神地祇

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0733 天皇〈◯舒明〉登香具山(○○○)國之時御製歌 山常庭村山有等(ヤマトニハムラヤマアレド)、取與呂布(トリヨロフ)、天乃香具山(アメノカグヤマ)、騰立(ノボリタチ)、國見乎爲者(クニミヲスレバ)、國原波(クニバラハ)、煙立籠(ケブリタチタツ)、海原波(ウナバラハ)、加萬目立多都(カマメタチタツ)、怜㥓(ウマシ)

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0734 國曾(クニゾ)、蜻島(アキツシマ)、八間跡能國者(ヤマトノクニハ)、

〔萬葉集略解〕

〈一上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0734 天のかぐ山は、古事記の歌に、比佐加多能、阿米能迦具夜麻とあれば、あめのかぐやまとよむべし、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0734 天皇御製歌春過而(ハルスギテ)、夏來良之(ナツキタルラシ)、白妙能(シロタヘノ)、衣乾有(コロモホシタリ)、【天之香來山】(アメノカグヤマ)、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0734 中大兄 近江宮御宇天皇 三山歌一首 高山波(カグヤマハ)、雲根火雄男志等(ウ子ビヲヲシト)、耳梨與(ミゝナシト)、相諍競伎(アヒアラソヒキ)、神代從(カミヨヨリ)、如此爾有良之(カクナルラシ)、古昔母(イニシヘモ)、然爾有許曾(シカナレコソ)、虚蝉毛(ウツセミモ)、孀乎相格良思吉(ツマヲアラソフラシキ)、 反歌 高山與(カグヤマト)、耳梨山輿(ミヽナシヤマト)、相之時(アヒシトキ)、立見爾來之(タチテミニコシ)、伊奈美國波良(イナミクニバラ)、

〔播磨風土記〕

〈揖保郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0734 出雲國阿菩大神、聞大倭國畝火香山耳梨(○○○○○○)三山相鬪、以此欲諫止、上來之時、到於此處、乃聞鬪止、覆其所乘之船而坐之、故號神阜阜形似覆、

〔萬葉集抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0734 三山者、畝火、香山、耳梨山也、見風土記、〈◯中略〉其由縁は、むかしは山川も夫婦の契をむすびけり、かヽるに、かぐやまは女山也、畝火山と耳梨山とは男山なり、しかるにみヽなしやま、はじめにかぐやまを、けしやうするに、なにとなくうけひくけしきなりけり、そののちに、うねびのやま又かぐ山を、けしやうするに、うねびの山はすがたもおヽしくよかりければ、これに心うりつにけり、をヽしといふは、けだかくよきなり、さてみヽなしやま、さきのやくそくにまかせてあはんとするに、かぐやまうけひかず、うねびの山これを聞て、ともにたヽかふ、これをみつ山のたヽかひと云也、いまこのみうたに、彼本縁をよませ給として、神代よりかヽるにあらし、いにしへも、しかにありこそ、うつせみもつまをあひうつらしきとは令詠給也、

耳梨山

〔運歩色葉集〕

〈見〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0735 耳梨山

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0735 十市郡 耳梨山 在八木村之東〈俗云、天神山、又名耳高山、或云青菅山、〉 推古天皇有行幸、立離宮、 登山踏地、則有響音、如中虚、〈耳梨、畝傍、香久山、各如鼎、〉

〔和州巡覽記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0735 耳無(ミヽナシ)山 名所也、俗には天神山と云、八木の町より五町許東に在、天香山の北也、此邊に、鬘兒(カツラコ)の池有、万葉十六卷に歌有、八木よりうねび山、久米の方にゆく、又此道に歸て、安部飛鳥(アスカ)の邊を通りて、吉野の方に行はまはりなれ共、名所古説を多く見んため也、此大道は耳無山の南に在、此道は八木より櫻井へゆき、長谷へ通る路也、横(ヨコ)大路(チ)と云、姿(スガタ)の池も、耳無山のかたはらに在と云、

〔大和名所圖會〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0735 耳成山(ミヽナシヤマ)〈成あるひは梨、無、等に作る、木原村上方にあり、四面田野にして、孤峯森然たり、山中に梔樹多し、因て又梔子(クチナシ)山とよぶ、〉 〈後撰集〉うだの野は耳なし山か喚子鳥よぶ聲にだに谷へさがらん〈讀人しらず〉 〈同返し〉耳なしの山ならずともよぶ子鳥なにかはきかん時ならぬ音を〈女王のみこ〉 〈懷中抄〉あだ人は耳無山の紅葉かなまててふとしをきかでちりぬる〈よみ人しらず〉 梔子山(クチナシヤマ)〈耳なし山の一名なり〉 〈歌枕名寄〉大和なるくちなし山の山賤はいわでぞおもふ心ひとつに〈よみ人しらず〉

畝傍山

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0735 高市郡 畝傍山〈俗云慈明寺山〉 在八木村之南一里

〔古事記傳〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0735 畝火(ウ子ビ)は、大和國高市郡にある山ノ名なり、此ノ下なる大后の御歌に、宇泥備夜麻(ウネビヤマ)と見え、書紀欽明ノ卷ノ歌にも見え、允恭卷に新羅ノ客が、此ノ山を愛て宇泥哶巴揶(ウネミハヤ)と云ること、又推古ノ卷に畝傍ノ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0736 池、皇極ノ卷に蘇我ノ大臣の畝傍家、〈此ノ畝ノ字を、釋紀にも今ノ本にも敏に誤て、トシカタノイヘと訓るはひがことなり、〉續紀に文武天皇四年八月に、此ノ山の樹木の故なくして、枯たりしことも見ゆ、万葉一〈十一丁〉には、雲根火(ウネビ)、耳梨(ミヽナシ)、香山(カグヤマ)と三山の妻競の近江ノ宮ノ天皇ノ大御歌、又〈二十三丁〉藤原ノ宮ノ御井ノ歌に畝火乃(ウネビノ)、此美豆山者(コノミヅヤマハ)、日緯能(ヒノヨコノ)、大御門爾(オホミカドニ)、彌豆山跡(ミヅヤマト)、山佐備伊座(ヤマサビイマス)、二〈三十八丁〉に輕市爾(カルノイチニ)、吾立聞者(ワガタチキケバ)、玉手次(タマダスキ)、畝火乃山爾(ウネビノヤマニ)、鳴鳥之(ナクトリノ)、音母不所聞(オトモキコエズ)、四〈二十三丁〉に、天翔哉(アマトブヤ)、輕路從(カルノミチヨリ)、玉田次(タマダスキ)、畝火乎見管(ウネビヲミツヽ)などよめり、書紀ノ此ノ御卷に、畝傍山此ヲ云宇禰縻夜摩(ウネビヤマ)とあり、神名帳大和ノ國高市郡畝火ノ山ノ口ニ坐ス神社〈大月新次嘗〉あり、さて今北山の東南の麓に、畦樋(ウネヒ)村と云フあるなり、〈今、土人(クニビト)は樋を清て呼り、然れども古書には備字などを用ヒて、皆濁音なり、〉

〔和州巡覽記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0736 畝傍山(ウ子ビヤマ) 今井八木の南道の四五町西にあり、里人は持明寺山と云、山の巽にうねび村、橿原村あり、神武帝の橿原の都地此邊なり、一説、山の東大久保と云所、橿原の都のあとなりといへり、日本紀に、神武天皇長髓彦をうち、天下を定め給ひ、畝傍山の東南橿原の地、國のもなかなる故、都を作り給ふと見えたり、神武の陵はうねび山の艮に在今はわづかに、殘れり、田の中に有、里人は神武田と云、大久保村、四條村の邊なり、又うねび山の西の麓に、神武天皇の御社有、又安寧天皇の陵は、うねび山の南に有由、日本紀に見えたり、帝王編年には、片鹽の浮穴の宮、畝傍山の北に在、又曰、今の四條村の北、皇居の跡也、安寧天皇の都也、乾の方に島田の陵有、是綏靖天皇の御陵也、坤の方に御蔭の陵有、是安寧の御陵也、巽の方に小谷の陵有、是懿徳帝の御陵也、凡郡山より此間、大和の國中也、平原の地にて、碁盤の表のごとし、

〔日本書紀〕

〈三神武〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0736 己未年三月丁卯、下令曰、〈◯中略〉當披拂山林、經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元々、上則答乾靈授國之徳、下則弘皇孫養正之心、然後兼六合以開都、掩八紘而爲宇不亦可乎、觀夫畝傍山(○○○)〈畝傍山此云宇禰縻夜摩〉東南橿原地者、蓋國之墺區乎、可之、

〔日本書紀〕

〈十三允恭〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0736 四十二年正月戊子、天皇崩、〈◯中略〉 十一月、新羅弔使等、喪禮既闋而還之、爰新羅人、恒

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737京城傍耳成山、畝傍山、則到琴引坂顧之曰、宇泥咩巴椰(ウ子メハヤ)、彌彌巴椰(ミミハヤ)、是未風俗之言語、故訛畝傍山宇泥咩、訛耳成山瀰瀰耳、時倭飼部從新羅人、聞是辭而疑之、以爲新羅人通采女耳、乃返之、啓于大泊瀬皇子、皇子則悉禁固新羅使者而推問、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737近江荒都時、柿本朝臣人麿作歌、 玉手次(タマダスキ)、【畝火之山】乃(ウ子ビノヤマノ)、橿原乃(カシハラノ)、日知之御世從(ヒジリノミヨユ)、〈或云自宮〉阿禮座師(アレマシヽ)、神之書(カミノアラハス)、樛木乃(ツガノキノ)、彌繼嗣爾(イヤツギ〳〵ニ)、天下(アメノシタ)、所知食之乎(シラシメシヽヲ)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737 藤原宮御井歌 八隅知之(ヤスミシヽ)、和斯大王(ワゴオホギミノ)、高照(タカテラス)、日之皇子(ヒノワカミコ)、麁妙乃(アラタヘノ)、藤井我原爾(フヂヰガハラニ)、大御門(オホミカド)、始賜而(ハジメタマヒテ)、埴安乃(ハニヤスノ)、堤上爾(ツヽミノウヘニ)、在立之(アリタヽシ)、見之賜者(ミシタマヘバ)、〈◯中略〉【畝火乃】(ウ子ビノ)、【此美豆山】者(コノミヅヤマハ)、日緯能(ヒノヌキノ)、大御門爾(オホキミカドニ)、彌豆山跡(ミヅヤマト)、山佐備伊座(ヤマサビイマス)、〈◯下略〉

初瀬山

〔運歩色葉集〕

〈葉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737 初瀬(ハツセ)山 〈又泊瀬〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737 泊瀬山(ハツセヤマ)〈又作初瀬、和州城上郡、〉

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737 城上郡 泊瀬山〈或訓止末世〉 海士小船、隱口、籠口、皆泊瀬之枕詞也、

〔冠辭考〕

〈一阿〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737 あまをぶね はつせの山 万葉卷十に、海小船(アマヲブ子)、泊瀬乃山爾(ハツセノヤマニ)、落雪乃(フルユキノ)、消長戀師(ケナガクコヒシ)、君之音曾爲流(キミガコヱゾスル)、こは船の湊などに搒著たるを、船はつるといへば、はつせのはつに冠らせたり、さて泊瀬と書たるを、後の人のとませと訓しは、甚しきものなり、大和國城上郡の長谷は、古事記に、〈允恭條〉波都世能夜麻能(ハツセノヤマノ)、雄略紀に、播都制能野麿(ハツセノヤマ)、万葉に、波都世能夜麻(ハツセノヤマ)など假字に書たれば、動かぬ訓(ヨミ)也、

〔冠辭考〕

〈三古〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0737 こもりくの〈はつせ〉 古事記に、〈允恭條輕ノ皇女〉許母理久能(コモリクノ)、波都世能夜麻能(ハツセノヤマノ)、また、許母理久能(コモリクノ)、波都勢能賀波能(ハツセノカハノ)、日本紀に、〈雄略天皇〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0738 〈泊瀬の小野にて、山野のありさまを見そなはして、〉擧暮利矩能(コモリクノ)、播都制能野麿播(ハツセノヤマハ)、〈繼體紀にも〉万葉卷一に、隱國乃(コモリクノ)、泊瀬乃川爾(ハツセノカハニ)、また、隱口乃(コモリクノ)、泊瀬(ハツセ)之山、卷三に、隱久乃(コモリクノ)、始(ハツ)瀬乃山爾、卷十三に、隱來笶(クノ)、長谷(ハツセ)之河、また、己母理久乃(コモリクノ)、泊瀬之河之云々、〈猶多けれど、さま〴〵に書たるを、こヽには擧〉こは右の隱國と書るぞ、正しき字ならむ、山ふところ弘くかこみたる所なれば、籠(コモ)りの國の長谷(ハツセ)といふべきもの也、國を久(ク)といふは、吉野の久孺(クス)を國栖と書がごとし、且日本紀、万葉などに、初瀬の國、初瀬小(ヲ)國ともいひたり、〈難波の國、吉野の國といへる類なり、〉又此處は左右に山ありて、内は長く廣くて、入べき口の狹かれば、隱り口のはつ瀬てふ意ともすべし、されど猶前なるぞ古き意なるべき、〈後の人、古きふみどもに、假字にて、右の如く書たるをもみず、隱口をかぐらくとよみ、その口の字を江に誤りて、こもりえといひ、泊瀬の泊を、古へ波都留とよむ事をもおもはで、とませとよめるなどは、餘りてしれ人のわざなり、〉

〔和州巡覽記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0738 初瀬(ハツセ) 泊瀬とも書、又長谷とも云、此地三輪より先は、兩山澗水を夾んで、谷中長き故に長谷と書なるべし、隱口(コモリク)のはつせと云も、山の口かくれこもりて、おくふかければいへるなり、櫻井より是まで一里半有、麓の町民屋多し、長谷寺は、元正天皇養老五年に創立、又文武天皇の御時、徳道上人これを造立すとも云、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0738 輕皇子宿于安騎野時、柿本朝臣人麿作歌、 八隅知之(ヤスミシシ)、吾大王(ワガオホキミ)、高照(タカテラス)、日之皇子(ヒノミコ)、神長柄(カムナガラ)、神佐備世須登(カミサビセスト)、太敷爲(フトシキシ)、京乎置而(ミヤコヲオキテ)、【隱口乃】(コモリクノ)、【泊瀬】山者(ハツセノヤマハ)、眞木立(マキタテル)、荒山道乎石根(アラヤマミチヲイハガ子ノ)、禁樹押靡(フセキオシナミ)、坂鳥乃(サカドリノ)、朝越座而(アサコエマシテ)、玉限夕去來者(タマキハルユフサリクレバ)、三雪落(ミユキフル)、阿騎乃大野爾(アキノオホヌニ)、旗須爲寸(ハタスヽキ)、四能乎押靡(シノヲオシナミ)、草枕(クサマクラ)、多日夜取世須(タビヤドリセス)、古昔念而(ムカシオモヒテ)、

三諸山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0738 三諸山(ミモロヤマ)〈今作三室、和州城上郡、〉

〔同〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0738 【三輪山】(ミワノヤマ)〈則三諸山也、所綰之絲三丸猶遺事迹、見舊事紀、〉

〔圓珠庵雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0738 みわ山をみむろ山ともよめり、この外にまたみむろ山あり、 〈(頭注)〉 古事記云、此者座御諸山上神也云々、宣長云、三輪山を御諸山といへるは、こヽをはじめにて、中卷水垣ノ宮の段、書紀同御代の卷などに見え、又繼體卷の歌に、みもろがうへにのぼりたちとあ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0739 るも、山とはいはねど、この山の事と聞ゆ、

〔日本書紀〕

〈一神代〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0739時神光照海忽然有浮來者、曰、如吾不在者、汝何能平此國乎、由吾在、故汝得其大造之績矣、是時大己貴神問曰、然則汝是誰耶、對曰、吾是汝之幸魂奇魂也大己貴神曰、唯然、迺知汝是吾之幸魂奇魂、今欲何處住耶、對曰、吾欲於日本國之【三諸山】(ミモロノヤマ)、故即營宮彼處、使就而居、此大三輪之神也、

〔日本書紀〕

〈十四雄略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0739 七年七月丙子、天皇詔少子部連蜾臝曰、朕欲三諸岳(○○○)神之形、〈或云此山之神爲大物代主神也、或云莵田墨坂神也、〉汝膂力過人、自行捉來、蜾臝答曰、試往捉之、乃登三諸岳、捉取大蛇示天皇、天皇不齋戒、其雷虺虺、目精赫々、天皇畏蔽目不見、時入殿中、使於岳、仍改賜名爲雷、

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0739 額田王下近江國時作歌、井戸王即和歌、 味酒(ウマザケ)、三輪乃山(ミワノヤマ)、青丹吉(アヲニヨシ)、奈良能山乃(ナラノヤマノ)、山際(ヤマノマニ)、伊隱萬代(イカクルマデ)、道隈(ミチノクマ)、伊積流萬代爾(イツモルマデニ)、委曲毛(ツバラニモ)、見管行武雄(ミツヽユカムヲ)、數々毛(シバシバモ)、見放武八萬雄(ミサケムヤマヲ)、情無(コヽロナク)、雲乃隱障倍之也(クモノカクサフベシヤ)、 反歌 【三輪山】乎(ミワヤマヲ)、然毛隱賀(シカモカクスカ)、雲谷裳(クモダニモ)、情有南畝(コヽロアラナム)、可苦佐布倍思哉(カクサフベシヤ)、 右二首歌、山上憶良大夫類聚歌林曰、遷都近江國時、御覽三輪山御歌焉、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0739神岳、山部宿禰赤人作歌一首并短歌、 【三諸乃】(ミモロノ)、【神名備山】爾(カミナビヤマニ)、五百枝刺(イホエサシ)、繁生有(シヾニオヒタル)、都賀乃樹乃(ツガノキノ)、彌繼嗣爾(イヤツギツギニ)、玉葛(タマカヅラ)、絶事無(タユルコトナク)、在管裳不止將通明日香能(アリツヽモツ子ニカヨハムアスカノ)、舊京師者(フルキミヤコハ)、山高三(ヤマタカミ)、河登保志呂之(カハトホジロシ)、春日者(ハルノヒハ)、山四見容之(ヤマシミガホシ)、秋夜者(アキノヨハ)、河四清之(カハシサヤケシ)、旦雪二(アサグモニ)、多頭羽亂(タヅハミダレテ)、夕霧丹(ユフギリニ)、河津者驟(カハヅハサワグ)、毎見(ミルゴトニ)、哭耳所泣(ネノミシナカル)、古思者(イニシヘオモヘバ)、 反歌 明日香河(アスカガハ)、川余藤不去(カハヨドサラズ)、立霧乃(タツキリノ)、念應過(オモヒスグベキ)、孤悲爾不有國(コヒニアラナクニ)、

多武峯

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0740 多武嶺(タフノミ子)〈談山龍ガ嶽談ノ嶺、並同、和州十市郡、〉

〔同〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0740 談嶺(カタラヒノミネ)〈今云多武峯、出太、〉

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0740 十市郡 多武峯 一名五臺山〈又〉龍岳〈又〉談山〈又〉談峯 東伊勢高山 西金剛山 北大神山 中央多武峯有三路 〈東倉橋五十餘丁 西細川三十七町北即北山四十一町、但此通路今絶矣、〉

〔多武峯縁起〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0740 中大兄皇子謂中臣鎌足連曰、鞍作〈鞍作者入鹿也〉暴逆、爲之如何、願陳奇策、中臣連將皇子于城東倉橋山峯、於藤花下撥亂反正之謀、皇子大悦曰、吾子房也、若至天位、改臣姓藤原矣、仍其談處、號曰談岑(○○)、後用多武(○○)二字耳、

〔和州巡覽記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0740 多武(タフ)の峯(ミネ) 談山(かたらい)とも云、吉野より四里餘、細嶺より一里北に在、細嶺より北へ流るヽ谷は櫻井の方へ下る、又道の傍に西より流出る横濱有、是多武の峯の入口なり、橋あり、それより西へ六町ゆけば、多武の峯大職冠鎌足公の神廟有、右の峯の下の傍高所に在、南面也、峯頭にはあらず、廟堂門廡皆美麗を極む、甚儼然たり、社領三千石附り、廟前に澗水流る、廟後は青山美景也、向ひにも青山有、兩山の間近し、神廟の西に十三重の小塔あり、名譽の塔也、此下に大職冠鎌足公の遺骨を、其長子定https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 和向、攝津國阿威(アイ)山よりこヽに改葬せらる、此事元亨釋書第九卷定https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif 傳に見えたり、右に出たる十三重の塔は、唐より取來りし材なり、此事又釋書に見えたり、定https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/000000019411.gif は淡海公の兄なり、廟の左右とむかひは、皆僧坊なり、叡山の末寺也、多武の峯を出て、本の道に付て北へ少下れば、町屋有、是より麓までの道は峻しからず、兩山の間の谷岨を漸くに下る、道の傍に村里多し、多武の峯より五十町下れば、多武の峯の鳥居のあと有、今は鳥居なし、是より多武の峯まで、毎町に石表を立て、町數を刻む、鳥居の跡より櫻井の宿迄十六町有、

〔日本書紀〕

〈二十六齊明〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0740 二年九月、於田身嶺(○○○)、冠以周垣、〈田身山名此云大務〉復於嶺上兩槻樹邊觀、號爲兩槻宮、亦曰天宮

〔日本書紀〕

〈三十持統〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741 七年九月辛卯、幸多武嶺

〔萬葉集〕

〈九雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741舍人皇子歌二首 捄手折(ウチタヲル)、【多武山】霧(タムケノヤマギリ)、茂鴨(シゲキカモ)、細川瀬(ホソカハノセニ)、波驟祁留(ナミサワギケル)、

飛鳥山

〔日本書紀〕

〈十二履中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741 八十七年正月、太子到河内國埴生坂而醒之、顧望難波火光而大驚、則急馳之、自大坂倭、至于飛鳥山少女於山口、問之曰、此山有人乎、對曰、執兵者多滿山中、宜當摩侄踰之、

〔延喜式〕

〈八祝詞〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741 祈年祭 山口ニ坐皇神等能前爾白久、【飛鳥】(アスカ)、石村(イハレ)、忍坂(オサカ)、長谷(ハツセ)、畝火(ウ子ビ)、耳無(ミヽナシ)登御名者白氐、遠山近山爾生立(オヒタチ)留大木小木乎、本末打切(モトスヱウチキリ)氐持參(モチマウ)來氐、皇御孫命能瑞(ミツ)能御舍仕奉(ミアラカツカヘマツリ)氐、天御蔭日御蔭登隱坐氐、四方國乎安國登平久知食〈須我〉故、皇御孫命能宇豆乃幣帛乎、稱辭竟奉〈久登〉宣、

龍田山

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741 龍田山(タツタヤマ)〈又作立田、和州平群郡、〉

〔玉勝間〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741 立田山小ぐらの峯 いにしへ大和より難波へもいづくへも下るに越(コエ)し、立田山は、今のくらがり峠也といふ説のあるは、その名、万葉九の卷に、小鞍嶺(ヲグラノミ子)とあるに通ひ、又かの道ぞ、今の世にむねとこゆる道なれば也、そのうへそのあたりに、小倉寺村といふさへあるなれば、さもあらんとは思はれながら、立田神社と、ほどのいと遠きは、心得ぬことにおぼえしに、ある人の、立田山をぐらのみねは、くらがり越(ゴエ)にはあらず、今の立野越なりといひ、又此ごろ師のいせ物がたりの古意のしりに附たる、上田秋成といふ人の考へにも然いひて、そのよしをくはしくわきまへたるはまことにさることヽぞ思はるヽ、

〔日本書紀〕

〈十二履中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0741 八十七年〈◯仁徳〉正月、太子於是以爲、聆少女言而得免難、〈◯中略〉更還之、發當縣兵身、自龍田山踰之時、有數十人執兵追來者

〔萬葉集〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 海底奧津白浪(ワタノソコオキツシラナミ)、【立田山】(タツタヤマ)、何時鹿越奈武(イツカコエナム)、妹之當見武(イモガアタリミム)、 右二首、今案不御井所一レ作、若疑當時誦之古歌歟、

遠江國/佐夜中山

〔運歩色葉集〕

〈佐〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 佐夜中山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 佐夜(サヤノ/サヨ)中山(ナカヤマ)〈遠州佐野郡〉

〔和漢三才圖會〕

〈六十九遠江〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 佐夜中山 在新坂與金谷之交、峯有觀音堂

〔東海道名所圖會〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 佐夜中山(サヨノナカヤマ) 日坂(につさか)の東北の方なり、東海道筋荒井、舞坂より東に北を兼たり、故に東北とす、佐夜中山は、八雲御抄に、さやの中山とあり、宗祈の方角抄には、たヾ小夜(サヨ)の山、西の麓を新坂(につさか)といふとぞ、宗久が都のつとといふ書に、さやの中山にもなりぬ、こヽをさよの中山、さやの中山といふ兩説あり、中納言師長公、當國の任にて下り給ひける時、土民はさよの中山と申侍りけるとて、中古の先達などもさやうに讀れて侍る、又源三位頼政は、さよの長山(ながやま)とぞ申ける、此たぴ老翁に尋ね侍りしかば、さやの中山と答侍りきと云々、又或が云、夜のこヽろを讀ざるにはさやといふとかたりき、按るに、此山遠江國佐野(さや)郡也、さやとさよとは五音相通なり、此例まヽ多し、いにしへより名高き名所にて、勅撰に古詠多し、 〈古今〉東路のさやの中山なか〳〵に何しか人を思ひ初けん 紀友則 かひがねをさやかにもみしがけヽれなくよこほりふせるさやの中山〈◯下略〉

駿河國/宇津山

〔和漢三才圖會〕

〈六十九駿河〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 宇津山 在岡部與丸子間、有蔦ノ細道

〔東海道名所圖會〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0742 宇津山(ウツノヤマ) 岡部より十石(こく)坂を歴て、湯谷口より坂路也、これをうつの山といふ、宇津谷嶺まで壹里、和名鈔内屋(うつのや)郷有度郡とあり、今は安倍郡に屬す、〈◯中略〉 蔦細道は宇津の山にあり、海邊より右の方に狹道あり、これ古の細道なり、予東路巡覽の時、此道を見んとて、所の者を二人案内者とし傭ひて、此狹道を見る、まづ案内者なる二人、鎌を手々

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 に持て篠原に入て、薄茅を刈て行道を分る、篠竹都て五六尺ばかり生茂りて、中に嶮路所々にありて、漸く手を引れて歩み行、

〔伊勢物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 むかし男有けり、その男身をえうなき物に思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に、すむべき國もとめにとて行けり、〈◯中略〉ゆき〳〵てするがの國にいたりぬ、うつの山にいたりて、わがいらんとする道は、いとくらふほそきに、つたかえではしげり、物心ぼそくすヾろなるめをみる事と思ふに、す行者あひたりかヽる道は、いかでかいまするといふをみれば、見し人也けり、京に其人の御許にとて、文かきてつく、 するがなるうつの山べのうつヽにも夢にも人にあはぬなりけり

近江國/相坂山

〔和漢三才圖會〕

〈七十一近江〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 相坂山 在松本濱與關中間 有清水、名關清水、〈又名關小川〉自此東稱坂東、又名之關東、凡關東二十八州、關西三十八州、

〔古事記〕

〈中仲哀〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 爾自項髮中出設出弦〈一名云宇佐由豆留〉更張追擊、故逃退逢坂(○○)、對立亦戰、爾追迫敗、出沙沙那美悉斬其軍

〔古事記傳〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 逢坂(アフサカ)、名の由縁書紀に見えて、次に引り、孝徳紀大化二年ノ詔に、凡畿内ハ東ハ云々、南ハ云々、西ハ云々、北ハ自近江ノ狹々波合坂(サヽナミアフサカ)山以來、爲畿内國(ウチツクニト)とありて、山城と近江の堺にて、近江に屬り、〈今大津の西なる坂路是なり、〉万葉六〈三十五丁〉に、大伴ノ坂上郞女奉賀茂神社之時、便超相坂山見近江海云々、木綿疊(ユフタヽミ)、手向乃山乎今日起而(タムケノヤマヲケフコエテ)、〈手向山、即逢坂山なり、〉十〈五十五丁〉に、吾妹兒爾(ワギモコニ)、相坂山之皮爲酢寸(アフサカヤマノハタスヽキ)、十三〈六丁〉に相坂乎(アフサカヲ)、打出而見者(ウチイデヽミレバ)、淡海之海(アフミノミ)、白木綿花爾(シラユフハナニ)、浪立渡(ナミタチワタル)、又、未通女等爾(ヲトメラニ)、相坂山丹(アフサカヤマニ)、手向草(タムケグサ)、麻取置而(ヌサトリオキテ)、十五〈三十五丁〉に、和伎毛故爾(ワギモコニ)、安布左可山乎(アフサカヤマヲ)、故要氐伎氐(コエテキテ)、

〔萬葉集〕

〈六雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0743 夏四月、大伴坂上郞女、奉賀茂神社之時、使超相坂山、望見近江海、而晩頭還來作歌一首、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 木綿疊(ユフタヾミ)、手向乃山乎(タムケノヤマヲ)、今日越而(ケフコエテ)、何野邊爾(イヅレノヌベニ)、廬將爲子等(イホリセムコラ)、

鏡山

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 鏡山(カヾミヤマ)〈江州蒲生郡、事見風土記、〉

〔和漢三才圖會〕

〈七十一近江〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 鏡山 在守山之東北、其西麓有野路篠原、又西有月出島

〔近江名所圖會〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 鏡山〈街道の右にあり、或人の説には、天日槍といへる者、日の鏡を收しより名付初し也、此裔こヽにて陶人となり陶を作りける今に土中より出る、後志賀樂にうつるといふ〉

〔古今和歌集〕

〈十七雜〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 鏡山いざたちよりてみてゆかん年へぬる身はおいやしぬると このうたは、ある人のいはく、大伴のくろぬしが也、

〔古今和歌集〕

〈二十大歌所御歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 かへしものヽ歌 大伴黒主 近江のや鏡の山をたてたればかねてぞみゆる君が千年は これは今上のおほむべの近江の歌

三上山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 三上嶽(ミカミノダケ)〈歌枕作三神、江州野州郡、土俗謂之蜈蚣(ムカデ)山、又謂之都富士、〉

〔淡海温故録〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 野洲郡 三上山 又御神山、御上山共カケリ、麓ヨリ峯迄十八町アリ、嶮岨ニ峙テ立テリ、四方ヨリ詠ルニ、形同ジ、富士ニ似タリト云、名山靈嶺也、 昔此山ニ大ナル蜈蚣アリテ、勢田ノ龍宮城ヲ妨シテ、田原藤太秀郷此ヲ射殺タリト云俗談アリ、

〔近江名所圖會〕

〈四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744 三上山(ミカミヤマ)〈一名杉山ともいふ、神社の上にあり、登路十八町、廻り五十町、俗に蜈蚣山(ムカデヤマ)ともいふ、秀郷の由縁よりいひならはしける、絶嵿には大龍王の祠あり、毎歳六月十八日龍王祭とて、遠近來て登山す、〉

〔日本靈異記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0744修行人猴身縁第廿四 近江國野州郡部内御上嶺(○○○)有神社、名曰陀我大神、奉封六戸、〈◯下略〉

美濃國/喪山

〔古事記〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 故天若日子之妻下照比賣之哭聲、與風響天、於是在天天若日子之父、天津國玉神、及其妻子、聞而降來哭悲、乃於其處喪屋而、〈◯中略〉於是阿遲志貴高日子根神大怒曰、我者愛友故弔來耳、何吾比穢死人云而、拔御佩之十掬劒伏其喪屋、以足蹶離遣、此者在美濃國藍見河之河上喪山(モヤマ)之者也、

〔古事記傳〕

〈十三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 喪山(モヤマ)もさだかならず、或人の説に、藍見川は不破郡府中村の藍川是なり、喪山は其藍川の上に、送葬山(ソウサウヤマ)と云ある是なりと云り、なほよく國人に尋ぬべし、〈松下氏が、今の僧都山なり、喪音を訛れるなりと云るはいかヾ、但かの送葬山と僧都山と音近ければ、一の山にや、又萬葉九に母山(オモヤマ)に霞たな引云々とあるは、八雲御抄に、美濃とあるに付て、此喪山にやあらむと契冲云り、此歌は、近江湖にて、舟より見放てよめるなれば、美濃は隣國なれど、なほ物遠く聞ゆ、又美濃國或人云、武義郡大矢田村に、天王山と云あり、これ喪山なりと云り、又飛騨國に荒城郡荒城郷荒城神社もあり、上代には同國なりしが、後に隣國に、はなれるたぐひ多かれば、是らにも心をつくべし、又信濃の岐蘇のあたりも、古は美濃國なりしかば、彼ノあたりにても尋ぬべし、〉

飛騨國/位山

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 位山(クラ井ヤマ)〈飛州大野郡、天智帝朝造江州大津宮、當山多出良材、故名矣、〉

〔信濃地名考〕

〈中編〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 位山〈八雲抄、飛騨或は信濃かと云云、夫木しなの、又美濃云々、〉衣手の色まさりけり信濃なるくらゐのやまは君がまに〳〵(六帖) よみ人しらず

〔閑田耕筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0745 位山は、なべての名所集飛騨と記せるを、六帖に、衣手のいろまさりつヽ信濃なる位の山は君がまに〳〵、といふうたあり、契冲あざりの吐懷篇に、此歌によれば、飛騨にあらざること明けし、もしは伊勢物がたりの、かふちの國いこまを見ればといへるも、伊駒は大和勿論なれども、西の方は河内にもかヽれば、かうかけるやうに、信濃ながら飛騨にもわたるにや、さりとも大かたにつかば、猶信濃とぞ申べきと判ぜらる、然るに此ころ飛騨高山加藤氏の書音に、位山當國大野郡宮村にありて、東信濃境まで十二里、南美濃境まで十七里、西美濃境郡上(グンジヤウ)、越前加賀境迄各十二里計、北越中境まで十四里にして、國の中央にある山なり、あるひは信濃とも美濃とも記せる書あるはいかにやといへり、美濃といへる書は、予いまだ見ず、何を證に出せるにや、凡古今

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 屬國のたがへる類ひは、右にもいへるごとくなれど、かくのごとく正しく、國の眞中にあれば、六帖の歌も、おそらくは都人の聞たがひ成べし、むかしとても聞たがひ有べければ、一首のうたをもて、現在の地理には爭がたし、

〔北國紀行〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 明る年の十八のさ月の末に、飛騨の山路をしのぎ、あづまの方へ赴き侍りぬ、位山をみるに、千峯万山重りて、いづこを限ともしらず、 こずゑ吹あらしも高き位やまひはらが下にかヽる白雲

信濃國/姨捨山

〔運歩色葉集〕

〈遠〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 姨捨山(ヲバステヤマ)〈信州〉

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 姨捨山(ヲバステヤマ)〈信州更級郡、初云冠山事見大和物語藻鹽、〉

〔和漢三才圖會〕

〈六十八信濃〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 姨捨山 在同處屋代宿與戸倉宿中間、向有筑摩川、姨捨石有山腰、 更科山 〈里 川〉 在更科郡、此邊無雙月名所、

〔圓珠庵雜記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 更科山を、またはをばすて山といふ、眞淵云、更科は郡の名なり、近江の蒲生郡の野にがまふ野、大和の宇治郡の野をうぢ野といふが如く、いづれにもいへど、同じ山に二つ名あるにはあらず、

〔類聚名物考〕

〈地理十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 更級山 さらしなやま 信濃國 更級郡 此山、すなはち姨捨山なり、さらしなのをば捨山と歌にも讀て、更級郡の内に有るは、かねてかくいふなり、

〔大和物語〕

〈坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0746 しなのヽくに、さらしなといふところに、男すみけり、わかき時に、おやはしにければ、おばなんおやのごとくに、わかくよりあひそひてあるに、〈◯中略〉このおばいといたうおひて、ふたへにてゐたり、〈◯中略〉月のいとあかき夜、おうなどもいき給へ、寺にたうときわざすなる、みせたてまつらんといひければ、かぎりなくよろこびておはれにけり、たかきやまのふもとにすみけれ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 ば、其やまにはる〴〵といりて、たかきやまのみねの、をりくべくもあらねにおきてにげてきぬ、やヽといへどいらへもせで、にげて家にきておもひをるに、いひはらだてける折、はらたちてかくしつれど、としごろおやのごとくやしなひつヽ、あひそひにければ、いとかなしくおぼえけり、この山のかみより、月もいとかぎりなくあかくて、いでたるをながめて、夜ひとよいもねられず、かなしくおぼえければ、かくよみたりける、 わがこヽろなぐさめかねつさらしなやおばすてやまにてる月をみて

〔北國紀行〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 をば捨山は、いづれの嶺を隔て侍るぞと尋ね侍るに、いたりて遠くは侍らねども、山川雲霧重なりて、此ごろいとあやしき事の侍る道にてなど聞えしかば、只堂前の峯の上より遙かにながめ侍りて、 よしさらばみずとも遠くすむ月を面影にせん姨捨の山

陸奥國/金花山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 金花山(キンクハサン)〈奥州牡鹿郡、本朝黄金始出當山、〉

〔國花萬葉記〕

〈十一陸奥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 金花山〈仙臺東〉 此島山の磯邊に砂金有、凡人とる事あたはず、聖武帝の御宇に、金銅慮舍那佛の薄代(ハクシロ)に、初て此國山の金を獻ぜしも、藏王權現の神勅によつてなり、又金(キン)海鼠(コ)とて、なまこの名物此島根より出る腸金色にして光有、故金鼠と名く、 皇の御代さかへんと東なる陸奧山に金花さく

〔和漢三才圖會〕

〈六十五陸奥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0747 金花山 在仙臺卯辰方〈陸十三里半海上十七里〉海島也〈小田郡〉 辨才天 〈江州竹生島、相州榎島、藝州嚴島、世稱三辨、又加富士山金花山五辨、而辨才天之説、出和州大峯下、〉有寺名大金寺、 聖武帝〈天平二十一年〉自當山始出黄金、國司〈名百濟王敬福〉獻之京師、〈帝甚喜、以爲是造大佛之徳、而初得此寶、仍幸東大寺謝、〉其島傍所出海鼠、背帶金色、故稱金海鼠、亦奇也、 山上有三社權現、山奧有水晶大石、高五丈許、六稜而三抱許、白色如水晶

〔奧羽觀蹟聞老志〕

〈九牡鹿郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 陸奧山(ミチノクヤマ) 〈今曰之金華山〉 此地古小田郡稱陸奧山、今屬牡鹿郡、號金華山、去鮎川東十餘町、其山高峻突兀、高八十丈、島廻三十二里、山形五峯、峯巒六十八區、溪澗亦四十八谷、山頂立天女堂、有寺號曰金華山大金寺、自島汀鮎川江濱、已二十三町四十間、〈或曰五里十町〉自江畔華表十町四十間、自華表岩下六十四間、自山顚岸下二十三町、 按、此地古所謂陸奧山、延喜式所載黄金山神社是也、然後世合其地于牡鹿郡、稱其山于金華山、改號易名、俾其地失名區、換舊稱、安佛像淫祠、永沒古往神社社號焉、皆是浮圖役徒之輩、所以逞其術其誕、而惑世誣民之久臻上レ此者也、然州人國俗、惘然無之者矣、

末松山

〔運歩色葉集〕

〈貝〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 末松山

〔和漢三才圖會〕

〈六十五陸奥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 末松山 松島之次有海邊 又有本松山中松山 相傳、昔夫婦契曰、如有浪越此山、則二中可離矣、然遠望之、恰以海波越過松山

〔東遊雜記〕

〈二十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 案内の者の物語に、末の松山は、街道より少し山の頂き見へて、僅ばかりのよりなり、是も宮城郡のうちにて、本の松山、中の松山、末の松山と稱し、小山三ツ并て、中にも末の松山低し、此地を八幡村といふ、寺有り、末松山宗國禪寺と號す、則此寺山末の松山なりと相傳ふ、

〔古今和歌集〕

〈二十東歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 陸奧歌 君をおきてあだし心をわがもたば末の松山浪もこえなむ

紀伊國/妹妋山

〔伊呂波字類抄〕

〈伊國郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 妹妋山

〔書言字考節用集〕

〈一乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 妹背(イモセ)山〈紀州伊都郡〉

〔和漢三才圖會〕

〈七十三大和〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0748 吉野郡 妹背山 在宮瀧之西上市村之東

〔和漢三才圖會〕

〈七十六紀伊〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749 妹背山 在吉野山之續、麓有川、吉野川、末流於山交(アハ)落(ヒニ)紀川、 又有弱浦妹背山

〔袖中抄〕

〈十四〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749 いもせの山 ながれてはいもせの山の中におつるよし野のかはのよしや世の中 顯昭云、いもせの山とは、紀伊國にあり、吉野川をへだてヽ、いもの山せの山とて、ふたつの山ある也、昔いもとヽせうとヽ、河をへだてヽ中のさかひを論じけり、遂に妹かちて、せの山の方ちかく堀て、吉野川をばながしたりといへり、彼いもとせうと、この二の山の中に小山あり、それをいもせ山と云とぞ、彼國の土民申けり、おぼつかなし、

〔和州巡覽記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0749 上市 吉野河の北岸に在町也、飯貝のむかひにあり、船にて渡る、上市よりも大和の國なかにこゆる道ありて、山谷へ入、是は芋が嶺に行道也、右に行ば龍門の谷の内に入、此地の河邊の兩旁に、河を濟て妹背(イモセ)山とて兩山有、飯貝の方にあるを脊(セ)山と云、西也、古城の形見ゆる、龍門の方にあるを、妹(イモ)山と云、東也、是は茂(シゲ)山なり、妹山脊山二ともに高からず、同じ大さなる山也、川をへだてヽ兩山相むかへり、兩山の間を吉野河流る、古今集の歌に、流ては妹脊の山の中に落る吉野の河のよしや世中、とよめり、妹脊山は名所なり、古歌多し、大伴首が詩有、然るに古歌に、吉野によめる歌も、紀伊によめる歌もあり、故に顯昭が袖中抄、大名寄等には、妹脊山は紀州にありと見えたり、吉野川の下にありと云、然れ共紀州にあるは、川中にある島なり、脊山と云、妹山といふべき山其あたりに見えず、日本紀孝徳帝紀にも、紀伊ノ兄(せの)山とかけり、是妹脊山にはあらず、古人名所の有所の國をとりちがへたる事おほし、吉野の妹脊山は、古今の歌によくかなへり、紀州の兄の山は、古今の歌にあはず、續後拾遺行家の歌に、ながれてもうき瀬なみせそ吉野なるいもせの山の中河の水、とよみ侍れば、此所にある妹脊山を是とすべし、是より外には、吉野川の末紀伊の湊

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0750 までの間に、河をへだてヽ二ならべる山なし、妹脊山と稱しがたし、此道は龍門の谷にて、伊勢へも紀州へも通る大道也、行人多し、龍門の谷長し、凡二十一村ありと云、兩山高くして谷迫れり、妹脊山より宮瀧へ行道も有、河上なり、

〔玉勝間〕

〈十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0750 又妹背山 寛政十一年春、又紀ノ國に物しけるをり、妹背山の事、なほよくたづねむと思ひて、ゆくさには、きの川を船よりくだりけるを、しばし陸におりて、此山をこえ、かへるさにもこえて、くはしく尋ねける、そは紀ノ國の伊都ノ郡橋本ノ驛より四里ばかり西に背山村といふ有て、其村の山ぞ、すなはち背山なりける、いとしも高からぬ山にて、紀の川の北の邊に在て、南のかたの尾さきは、川の岸までせまれり、村は此山の東おもての腹にあり、大道は川岸のかの尾さきの、やヽ高きところを、村を北に見てこゆる、道のかたはらにもやどもある、それも背山村の民の屋也、此山までは伊都ノ郡なるを、その西は那賀郡にて、名手ノ驛にちかし、かくて花の雪ノ卷にも、既にいへるごとく、妹山といふ山はなし、此背ノ山の南のふもとの河中に、ほそく長き島ある、妹山とはそれをいふにやとも思へど、此島はたヾ岩のめぐりたてる中に、木の生しげりたるのみにて、いさヽかも山といふばかり高きところはなし、又此島を背ノ山なりといふもひがことなり、そは川の瀬にある故に、瀬の山とはいふと心得誤りて、背山村といふも、此島によれる名と思ひためれど、然にはあらず、萬葉に、せの山をこゆとあれば、かの村の山なること明らけし、川中の島は、いかでかこゆることあらむ、さて又川の南にも、岸まで出たる山有て、背ノ山と相對ひたれば、これや妹山ならむともいふべけれど、其山は背ノ山よりやヽ高くて、山のさまも、背の山よりをヽしく見えて、妹山とはいふべくもあらず、そのうへ河のあなたにて、大道にあらず、こゆる山にあらざれば、妹の山せの山みえてといへるにも、かなはざるや、とにかくに妹山といへるは、たヾ背の山といふ名につきての詞のあやの

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0751 みにて、いはゆる序枕詞のたぐひにぞ有ける、

〔類聚名物考〕

〈地理十二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0751 背山 せのやま 妹背山をも、いも山といへり、紀伊吉野の界に在りといへり、又増基の熊野紀行を見れば、しヽのせ山といふを、せの山とのみよめり、是は別山歟、又妹背山のせ山にや、妹背山の所在たしかならず、貝原氏の大和めぐりにも、此山の事を書り、その外古書に合せて考ふるに、さだかならず、再考をまつのみ、増基熊野紀行、しヽのせ山に寐たる夜、鹿の啼を聞て、うかれけんつまのゆかりにせの山の名を尋ねてや鹿のなくらん、今案に、此紀行に、前に吹上の濱にとまり、その次此山に舍りて、この次に岩代野に宿りしを思へば、吹上と岩代の間に在りとしられたり、

〔紀伊國名所圖會〕

〈三編二伊都郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0751 妹妋(イモセ)山〈妹山は澀田村にあり、今長者屋敷といふ、妋山は背山村にあり、今鉢伏山といふ、紀川を隔てヽ相對せり、或説に、大和國に妹妋山ありといふ、甚誤なり、〉 兩山の際大に迫りて、たヾ一條の流れを通ず、孝徳天皇詔して爰を邦畿の南限と定給ふ、兄(セ)山は狹き山の義にして、地形より起れる名なるべきを、史に兄山と書るは假字なるべし、むかしは此山背を越るを南海道とし、牟婁津明光浦などに行幸の時々も、これを越え給ふ、其比狹を妋の義にとりなして、是に對せる川南の山を妹山と稱し、とり〴〵風詠せしによりて、妹妋山の名普く天下に聞えたり、いづれの世にかあらん、此わたりに雛子長者といへる富豪の者ありけり、妹山のかたちなだらかにして、風景よきを賞し、山上を平(ナ)らして玉樓を構へ、絲竹管絃の遊びをなしければ、いつとなく長者屋敷とよびなして、遂に妹山の名を失ひ、妋山もまた山足をきり開きて、今の官道とせしより、妹妋の姿大に移轉れりとぞ、〈或云、妹妋山といふ俳優に、雛鳥といふ姬、妹山に逍遙せしことあり、こは長者の名、雛子といふに本づけるものならんとぞ、〉

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0751 大化二年正月、凡畿内、東自名懇横河以來、南自紀伊兄山(○○○○)以來、〈足此云制〉西自赤石櫛淵

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 以來、北自近江狹々波合坂山以來爲畿内國

〔萬葉集〕

〈一雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752勢能山時、阿閉皇女御作歌、 此也是能(コレヤコノ)、倭爾四手者(ヤマトニシテハ)、我戀流(ワガコフル)、木路爾有云(キヂニアリトイフ)、名二負(ナニオフ)【勢能山】(セノヤマ)、

〔江吏部集〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 妹妋山下卜居〈栗田障子十五首中其二〉 一從山脚卜林泉、塵事無侵正澹然、蘿張月前開鏡匣、松窻風〈度庭〉撫琴絃、陽臺曉夢雲相似、女几春心水自傳、萬歳藤爲手杖、携持乘興弄潺湲

〔紀伊國名所圖會〕

〈三編二伊都郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 妹妋川(頼通公高野詣記) 十七日壬午、天晴、辰刻供御膳所之饗饌、了令宿給之間、國司艤華船、於河邊氣色、殊有許容、忽以移御、爰解錦纜而漸櫂、妹山妋之紅葉浮沈、卷珠簾而閑望、斜岸遠岸之青苔展茵、或有碧潭之湛々、或有白沙之漠々、奇巖怪石繞之參差、古松老杉亦以雜插、凡毎所无眼、毎物莫興、其西不幾程、蹔之止御船

伊豫國/天山

〔伊豫古蹟志〕

〈三久米郡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 天山邑、山亦名焉、古曰天日子山、上古伊弉册生日神於斯山、故名焉、山頂有三神廟、逮乎神武即位之後、移祭於倭州、稱彼曰日子山、即今稱香語山是也、此即天神七世郊祀之神、伊弉諾駐蹕之地、而日神降生之墟也、因稱云天山、中古以山萩(スヽキ)顯矣、後世芟夷焉、

〔釋日本紀〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 伊豫國風土記曰、伊豫郡自郡家以東北在天山、所天山由者、倭在天加具山、自天天降時、二分而以片端者、天降於倭國、以片端者天降於此土、因謂天山本也、其御影敬禮奉久米寺

〔神代紀口訣〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 風土記、天上有(アメノヘニアリ)山(ヤマ)、分而墮(ワカレテクニニ)地(ヲチヌ)、一片爲(カタヘハナリ)伊豫國之天山(イヨノノアメヤマト)、一片爲(カタヘハナレリ)大和國之香山(カグヤマ)

〔萬葉集抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 阿波國の風土記のごとくば、そらよりふりくだりたる山のおほきなるは、阿波國にふりくだりたるを、あまのかとやま(○○○○○○○)と云、その山のくだけて、大和國にふりつきたるを、あまのかく山(○○○○○○)といふとなん申す、

豐前國/鏡山

〔萬葉集抄〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0752 豐前國風土記云、河郡、鏡山、〈在郡東〉昔者氣長足姫尊在此山、遙覽國形、勅祈曰、天神地祇爲

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 我助福、便用御鏡置此處、其鏡即化爲石、見在此山中、因名曰鏡山焉、〈又見河海抄玉鬘

〔萬葉集〕

〈三挽歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 河内王葬豐前國鏡山之時、手持女王作歌三首、〈◯一首略〉 王之(オホキミノ)、親魄相哉(ムツタマアヘヤ)、豐國乃(トヨクニノ)、【鏡山】乎(カヾミノヤマヲ)、宮登定流(ミヤトサダムル)、 豐國乃(トヨクニノ)、【鏡山】之(カヾミノヤマノ)、石戸立(イハトタテ)、隱爾計良思(カクレニケラシ)、雖待不來座(マテドキマサヌ)、

〔源氏物語〕

〈二十二玉蔓〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 おりていくきはに、うたよまヽほしかりければ、やヽひさしう思ひめぐらして、君にもし心たがはヾ松浦なるかヾみの神をかけてちかはん〈◯下略〉

〔源氏物語湖月抄〕

〈二十二玉蔓〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 君にもし 〈花〉肥前國松浦郡鏡明神は太宰少貳藤原廣繼が靈也、又かがみ山は神功皇后の御かヾみ化して石となれるを、鏡山といへり、これをも鏡の神と云べきにや、〈◯下略〉

肥前國/領巾麾山

〔書言字考節用集〕

〈二乾坤〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 領巾麾山(ヒレフルヤマ)〈肥前松浦郡、佐用媛重迹見万葉、〉

〔萬葉集抄〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 肥前國風土記云、松浦縣之東三十里、有帔搖岺、〈帔搖、此云比禮府離、〉最頂有沼、計可半町、俗傳云、昔者檜前天皇之世、遣大伴紗手比古任那國、于時奉命經過此墟、於是篠原村〈篠資農也〉有娘子、名曰乙等比賣、容貌端正、孤爲國色、紗手比古便嫂成婚、離別之日、乙等比賣登此峯、擧帔招、因以爲名、

〔西遊雜記〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0753 巾振(ヒレフル)山は、相傳ふ、松浦佐用姫夫宿禰狹手彦渡唐を悲み、此山に登り漕行く船をしたひて、終に石となりしといふ説を傳へて、今望夫石と號し、婦人の被して伏たる形の、凡四尺計もあらんと覺しき石あり、昔は谷底にありしを、小堂を建其中に入れて、今有る所に移しあり、旅人此石を見んと思ふ時は、麓の寺に〈寺號忘れ〉行て、開帳代として三十銅にても五拾銅にても出して、鍵をかりて戸を開き見也、中華にも望夫石の事跡有、夫を聞傳て、此所にも似像石の有しを幸として、像もなき説を傳へし者成べし、婦人の化して石となりしとは、あまり成異説を云傳しものなり、

〔萬葉集〕

〈五雜歌〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0754 大伴佐提比古郞子、特被朝命、奉使藩國、艤棹言歸、稍赴蒼波、妾也松浦、〈佐用嬪面〉嗟此別易、歎彼會難、即登高山之嶺、遙望離去之船、悵然斷肝、默然銷魂、遂脱領巾之、傍者莫涕、因號此山領巾麾之嶺也、乃作歌曰、 得保都必等(トホツヒト)、麻通良佐用比米(マツラサヨヒメ)、都麻胡非爾比例布利之用利(ツマゴヒニヒレフリシヨリ)、於返流夜麻能奈(オヘルヤマノナ)、 後人追和 夜麻能奈等(ヤマノナト)、伊賓都夏等可母(イヒツゲトカモ)、佐用比賣何(サヨヒメガ)、許能野麻能閉仁(コノヤマノヘニ)、必例遠布利家無(ヒレヲフリケム)、 最後人迫和 余呂豆余爾(ヨロヅヨニ)、可多利都夏等之(カタリツゲトシ)、許能多氣仁(コノタケニ)、比例布利家良之(ヒレフリケラシ)、麻通羅佐用嬪面(マツラサヨヒメ)、 最々後追和二首 宇奈波良能(ウナバラノ)、意吉由久布禰遠(オキユクフ子ヲ)、可弊禮等加(カヘレトカ)、比禮布良斯家武(ヒレフラシケム)、麻都良佐欲比賣(マツラサヨヒメ)、 由久布禰遠(ユクフ子ヲ)、布利等騰尾加禰(フリトドミカ子)、伊加婆加利(イカバカリ)、故保斯苦阿利家武(コホシクアリケム)、麻都良佐欲比賣(マツラサヨヒメ)、


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Last-modified: 2022-07-23 (土) 17:18:53