http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 長門國ハ、ナガトノクニト云フ、山陽道ニ在リ、東ハ周防、石見、南ハ周防及ビ海ニ接シ、西北ハ海ニ面ス、東西凡ソ十九里餘、南北凡ソ十三里餘、此國ハ古ヘ國府ヲ豐浦郡ニ置キ、厚狹(アヅサ)、豐浦(トヨラ)、美禰(ミネ)、大津(オホツ)、阿武(アム)ノ五郡ヲ管シ、延喜ノ制、中國ニ列ス、後世厚狹郡ヲ割キテ厚東吉田ノ二郡ヲ置キ、豐浦郡ヲ分チテ豐東、豐西、豐田ノ三郡ト爲シ、新ニ見島郡ヲ建テシガ、後更ニ厚東吉田ノ二郡ヲ厚狹郡ニ併セ、豐東、豐西、豐田ノ三郡ヲ廢シテ豐浦郡ヲ復セリ、明治維新ノ後、見島郡ヲ阿武郡ニ合セ、新ニ下關市ヲ設ケ、山口縣ヲシテ一市五郡ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 長門〈奈加度〉

〔運歩色葉集〕

〈那〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 長門〈長州〉

〔日本風土記〕

〈一寄語島名〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 長門〈奴茄冬〉

〔日本書紀〕

〈八仲哀〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 二年三月、是時熊襲叛之不朝貢、天皇於是將熊襲國、則自徳勒津發之、浮海而幸穴門、 九月、興宮室于穴門而居之、是謂穴門豐浦宮

〔古事記傳〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0699 穴戸は長門國と豐前國との間の海門にて、筑前國の北面の海より山陰道の南面の海に入る門なり、穴門としも名に負たるゆゑは、源貞世〈今川了俊と云し人〉が道ゆきぶりと云物に云く、霜月の廿九日、長門の國府を出て、赤馬の關に移り著ぬ、ひの山とかやいふ麓の、荒磯を傳ひて、はやともの浦にゆくほどに、向ひの山は、豐前國門司の關の上の峯なりけり、海の面は八町とか

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 や云めり、潮の滿干のほどは、宇治の甲瀬よりも猶樂激りためり、さても穴門豐浦の都と申し侍ることは、今の赤間の關と、門司の關とのあはひは、山ひとつなる、其中に、わづかに潮のみちひの路ばかり、穴のやうにて侍るに、其岸の東西に、人家しげかりけり、穴戸とはさて云なりけり、其を皇后の軍の御舟、通り難かりけるに、御舟よそひて後、一夜のほどに、此穴戸の山引分れて今のはやともの渡りになりぬ、此山さながら西の海中によりて、島となれり、此島の向ひは柳の浦とて、昔里内裏のたちたりける所なるべしと云り、此穴門の名の説、國人の古く語傳へたるを聞て記せるなるべし、〈但其岸の東西に、人家しげかりけり、穴戸とはさて云なりけりと云るは、古言に、海門を戸と云しことを知らずして、戸を民戸の意と思ひ誤りて云るひがことなり、穴の如くなる海戸(ウナト)と云意なる物をや、(中略)なほ内山眞龍が考に云く、長門の段浦と、豐前の早鞆崎との門の海、里人は一里ありと云なれども、いと近くしてわづかに五六町ばかり離れたり、さて此段浦と早鞆と相對ひたる、兩方の山の岸、崩れ缺たる形なるを見るに、上代には此處長門と豐前とつゞきたる岩山にて、其下に洞ありて、東西通り、潮通ふ道ありて、船も往來ひつらむ、故に穴戸とは云なるべし、仲哀天皇紀に、洞海とあるも此なり(中略)と云り、宣長按に、此考貞世の記せる趣と、大かた似たり、洞海と云は、久岐は久具理にて、山下の洞をくゞりて、舟の往來し故の名なるべし、◯下略〉

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 各國經緯度〈附里程〉 長門萩、〈濱崎町〉極度三十四度二十五分、經度西四度二十分、從東都〈同上(東海道西國街道)自谷市山口〉二百七十二里一十町一十五間、 同赤間關〈南部町〉極高三十三度五十七分半、經西四度四十七分、從東都〈同上〉二百八十里八町〇八間半、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0700 北極出地 長門 赤間關 三四度五七分三〇秒 萩 三四度二五分◯◯秒 向津具村 三四度二四分◯◯秒 奈古村 三四度三〇分〇〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 ◯度◯◯分◯◯秒〈◯中略〉 長門 萩 西四度一八分◯◯秒

疆域

〔名所方角抄〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 長門國分〈◯中略〉 長門は西南はうみ也

〔日本地誌提要〕

〈五十八長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 疆域 東ハ周防石見、南ハ周防及海、西北海ニ至ル、東西凡壹拾九里餘、南北凡壹拾三里、

島嶼

〔日本實測録〕

〈九島嶼〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0701 長門國厚狹郡 遠測 竹子島 龍王岩 豐浦郡 實測 滿珠(マンジユ)島、周廻四町二十八間、 干珠(カンジユ)島、周廻四町一十四間、 船島、周廻七町二十間、 引島、周廻六里一十五町五十一間、 無子島、周廻五町三十間、 城子島、周廻二町二十九間、 竹子島、周廻二十二町二十二間、 六連(ムツレ)島周廻三十二町七間、 黒島、周廻六町二十五間、 蓋井島、周廻二里一十七町、 厚島男島、周廻二十二町五十二間、 厚島女島、周廻一十二町五十二間、 鼠島、周廻五町二十間、 角島周廻三里二十一町五十一間、 遠測 クルミ瀬 鴨瀬 イセ磯 水島瀬 櫻瀬 イサヽ島 壁島〈小串村〉國瀬 壁島〈宇賀本郷〉 壁島〈神田本郷〉金子島 鍋島 雙子島 鳩島 イセ島瀬 大津郡 實測 竹島、廻島六町二十五間、青海島、周廻九里六町四十六間、 大島、周廻二十八町二十七間、 幸島、周廻一十二町四十六間、篠島、周廻八町三十四間、 遠測 行堂島 蛭子島〈伊上村〉手長島 小島 江之島 船瀬 俵島 小瀬 平瀬 高原瀬 ミタレ瀬 大島〈向津久村〉 畑島 嚴島〈青海村〉 小丸島 戎島〈小島村〉松島 嚴島〈大昆浦〉大立瀬 瀬ムラ島 小立瀬 大島〈大昆浦〉鹿島 壁岩 阿武郡 實測 鯖島、周廻二十町五十三間、 相島、周廻二里四町五十六間、尾島、周廻一十九町四十九間、 羽島、周廻一十七町二十間、 干(ヒ)島、周廻一十九町二十二間、櫃島、周廻二十九町四十四間、 大島、周廻一里三十一町六間、男鹿島、周廻三町二十七間、 野島、〈從南岬北岬〉七町、 宇田島、周廻一十町、 姫島、周廻九町、 小島周廻四町、 天神島〈從南岬北岬、〉九町、 中島、周廻三町一十三間 平

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 島、周廻六町五十一間、 遠測 男桂島 女桂島 黒島 丸山島 丸島 タシトコ島 ウツ瀬 女鹿島 ヒシヤコ瀬 カセケ瀬 横ブセ 赤瀬〈宇田村〉汐瀬 小平瀬 板ツキ瀬 赤瀬岩〈總郷村〉松ケ島 名島 赤島 辨天島 見島郡 實測 見島、周廻四里三町三十一間 遠測 カ子タカ島

〔吾妻鏡〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 元暦二年〈◯文治元年〉二月十六日庚午、前内府以讃岐國屋島城郭、新中納言〈知盛〉相具九國官兵、固門司關、以彦島(○○)營、相待追討使云云、

〔源平盛衰記〕

〈四十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 義經拜賀御禊供奉附實平自西海飛脚事 新中納言知盛は、長門國彦島ト云所ニ城ヲ構タリ、是ヲバ引島(○○)トモ名附タリ、

〔道ゆきぶり〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 まことやこのひくしま(○○○○)と、穴戸の江のはやとものわたりのあはひ、まことにひきわかれて侍ならば、しまの長さとはやとものわたりのひろさは、同ほどぞ侍らん、おぼつかなしとて、いづれの代にて侍りけるやらん、國司出て引島の長さを、繩してとりて、はやとものわたりにをしあてがひて侍りければ、ちりばかりも寸法たがはず侍りけるとなん、いと興ある事なるべし、此事は此皇后〈◯神功〉宮の宮司として、老て侍るが語侍る也、

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702事於左右猥殺害人之間御定法之事 飯田大炊助貞家郞從石川助五郞、爲長門國三隅庄平氏左衞門三郞男、去十七日夜被殺害之事、右〈◯中略〉貞永式目之旨にまかせ、流刑に一定せしめ訖者、早件之兩人を長門國見島(○○)に可送遣之状如件、 寛正三年八月晦日 御判(築山殿) 内藤下野守殿〈盛世也〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0702 長門州〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 貞成 己丑年〈◯文明元年〉遣使來朝、書稱長門州三島尉伊賀羅駿河守藤原貞成

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 長門、〈長州〉中、管六郡、東西二日半、南海、北山、魚鼈充、稷穀倍他國也、中々國也、

〔日本地誌提要〕

〈五十八長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703 形勢 山脈石見ヨリ來リ、横ニ周防ニ界ス、西南隅豐前ニ對シテ、海門逼窄山陽要害、此ヲ以テ最トス、赤間關衆舶ノ碇泊スル所、民戸富贍ナリ、土壤膏腴播種ニ宜シ、東北磽确冱寒、五穀熟セズ、風俗樸陋、

道路

〔日本實測録〕

〈四街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0703攝津國西宮中國街道至赤間關〈◯中略〉 長門國厚狹(アサ)郡山中村下山中、三十四度三分、 二里二十町二十四間半 船木村 一里一十五町六間 鴨庄村厚狹市 二里三十三町一十三間半〈至吉田村萩道追分二里三十二丁二十五間半〉 吉田村、三十四度五分半、 一里七町三十九間 豐浦郡小月村 一十七町三十間 清末鞍馬〈至清末陣屋三丁一十五間〉二里二町三十二間半 豐浦〈本府中〉中濱町〈歴一ノ宮赤間關後地村園田、二里七丁四十五間半、〉 一里四十九間 前田村 二十町九間 赤間關後地村園田 一十二町五十六間 同南部(ナベ)町 〈從西宮赤間關、〉中國街、道通計一百三十三里一十四町一十一間、〈◯中略〉 從長門國吉田萩至鷹巣 長門國厚狹(アサ)郡吉田驛 三里一十一町一十六間〈至鹽見峠一里三丁二十五間〉 美禰郡麥小野村四郞ケ原宿、三十四度九分、 一里一町一十八間 大嶺村吉則、三十四度一十分半、 一里一十五町三十五間 同河原驛 一里二十一町五十二間 秋吉村、三十四度一十三分、 二里一十二町三間 赤郷村繪堂村、三十四度一十六分、 二里三十一町四十五間〈至明木村横瀬二里二丁二十四間〉 阿武郡明木(アキラキ)村 三町四十八間 同明木市、三十四度二十分半、 一里二十三町四十間 椿郷西分 七町八間半〈至椿町木戸三十丁二三間半〉 萩椿町大橋西頭〈沿川至日安古河岸、三十一丁三十七間、又沿川至松本橋、一十六丁二十七間、〉 一十町五十間半 同東田町〈歴西田町濱崎本町一十丁七間、北極高三十四度二十五分、從本町鶴江川口三丁二十八間、從西田町日安古河岸橋本川口二十四丁八間、〉 七町三十三間〈至萩馬場町限

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704 〈五丁二十七間〉 椿郷東分松本橋〈沿鶴江川川口、一十九丁二十二間、〉 一十町五十九間 椿郷東分松本 一里三十三町三十間 福井郷下村福井市 三里二十五町三間 生雲(イクモ)村生雲市 一里一十五町五十三間 地福村鷹巣 〈從吉田鷹巣〉街道、通計二十二里一十六町一十四間、 從長門國小月三隅萩 長門國豐浦郡小月(ヲツキ)村 一里一十町二十一間 田部村田部市 三里四町三十一間〈至中山村、一里一十丁二十二間〉 矢田村西市 二里一十二町一十間半 地吉村法ケ原 一里二十二町二十七間 大津郡俵山村湯町 二里四町二十三間半〈至大寧寺峠一里二十丁五間半〉 深川庄村大寧寺門前 一里一十四町一十二間 同正明市、三十四度二十一分半、 二里四町一十七間半 三隅庄村三隅市 二里二十四町三十六間 三見村三見市 一里二十五町五十七間〈至玉江浦一里五丁二十一間、從玉江櫻井一十二町、〉 椿郷西分 〈從小月萩〉街道、通計一十八里一十四町五十五間半、

〔日本實測録〕

〈一沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0704大坂沿海至赤間ケ關〈◯中略〉 長門國厚狹郡宇部郷村 四里三十二町三十八間 須惠村大瀬崎 三里二十町三十間 千崎村 四里二十二町二十九間半 豐浦郡小月村吉田川口〈至街道四町二十七間〉 二里一十九町 豐浦〈本長府〉二里三町五十六間半〈至前田村一里一十一町五十二間、從前田赤間關後地、九町五十五間、〉 赤間關南部町、三十四度五十七分半、 〈從大坂赤間關〉沿海、通計三百一十二里三十二町一十六間、 從赤間關沿海至鞠山〈本敦賀〉 長門國豐浦郡赤間關南部町 一里九町一十五間 大坪村小戸岬 四里三十三町一十六間半 正吉浦網代岬 三里九町二間半 室津下村婆ケ瀬〈至小浦川徑測四町五十間〉 一里一十町三間半〈至小浦川一十七町三間〉 涌田(ワイタ)村〈至道祖徑測四町五十八間〉 一里二十二町四十三間〈至道祖二十一町一十間〉 小串村、三十四度一十分半、 一里五町五十七間 宇賀湯玉、三十四度一十三分、 五里一町四十七間〈至御崎二里三十一町三十間〉 神

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 田郷村特牛(コトヒ)浦、三十四度一十九度、 二里一十八町二十間半〈至島戸浦小島崎二里一町一十四間〉 神田郷村折紙〈折紙岬廻三町三十二間半〉 二里二十九町二十五間半〈至阿川村三十四町四十二間〉 粟野村 二里一十九町十一間 大津郡河原村濱〈至河原村宿所汎測七町一十二間〉三十四度二十一分半、 〈又從河原村濱久富村日置庄村黄和戸口、一里三十四町一十二間半、〉 一里二十二町三十七間 藏小田村濱〈至藏小田村宿所四町三間〉三十四度二十四分半、 〈又從藏小田村濱向津具村堀切七町一十五間半〉 一里二十六町四十七間 向津具(ムカツク)村大浦三十四度二十四分、 二里八町二十八間〈至船越南濱六町三十間〉 同船越北濱 二里三十三町二十六間〈至川尻御崎一里一十四町五間半〉 同堀切 五里一十六町五十二間半〈至黄波戸口三里一十七町二十二間〉 瀬戸崎村、〈又呼仙崎〉三十四度二十四分、 一里四町五十一間半〈至深川庄村白潟二十三町四十間半〉 三隅庄村淺田 三里二十一町四十間半〈至小島法華濱三十四町五十二間〉 同野波瀬 四里一十二町一十一間〈至萩橋本川口三里一十町四十四間〉 阿武郡濱崎町濱〈至濱崎本町三町二十八間〉 一里三十一町五十二間 椿郷村東分越ケ濱浦三十四度二十七分、 三十五町二十四間 同越ケ濱虎ノ岬〈虎ノ岬廻二町二十六間半〉 三里二十一町四十五間半〈至越ケ濱北浦四町四十八間從北浦大井浦、一里一十四町三十七間、〉 奈古村、三十四度三十分〈至モト口岬一里一十八町五十七間、〉 一里五町一十間 同北濱〈至カセ濱三町〉 一里一十二町四十一間半〈至宇田村ビワグヒ一里六町一十三間半〉總郷村〈至金崎一里四十八間〉 二里五十七間 須佐村〈至海岸三町四十四間、從須佐海岸深迄一里九町一十八間、又從須佐海岸玉島大黒岬、一里三十三町三十七間、〉 一里二十一町五十六間半 同江津〈至赤島岬二十七町三十九間〉 四町 江崎村、三十四度三十八分、〈至田方村新山岬二十六町卅一間〉 三十四町六間 田方村湊浦〈至ウブ崎七町七間〉 一里八町一十八間〈至國界佛坂峠二十六町一十七間〉 石見國美濃郡飯浦村

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 諸國驛傳馬〈◯中略〉 長門國驛馬〈阿潭、厚狹、埴生、宅賀、臨門各廿疋、阿津、鹿野、意福、田宇、三隅、參美、塡田、阿武、宅佐、小川、各三疋、〉

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈三山陽道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0705 長門 古作穴戸、〈國造記〉弘仁九年三月、改長門國鑄錢司、〈拾芥抄〉後復爲國、管六郡〈延喜式、和名抄、共五郡、〉百五十村、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 豐浦(トヨラ)〈六十五村 古國府、仲哀紀豐浦津、即指此地、〉 大津〈十五村〉 美禰(ミネ)〈十五村〉 厚狹(アサ)〈三十二村〉 見島〈一村 延喜式等不載、未置在何時、和名抄、三島郷隷大津郡、蓋割大津郡置、〉 阿武〈二十二村 古阿武國、見國造本紀、〉 豐東〈巳下五郡、見長祿間大内氏日記、蓋析豐浦郡東西二郡者、廢置未詳、延喜式等不載、〉 豐西〈説詳上文〉 豐田〈廢置未詳、延喜式等不載、〉 厚東〈同上、疑割厚狹郡置、〉 吉田〈同上、和名抄良田郷隷厚狹郡、〉

〔日本地誌提要〕

〈五十八長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 沿革 仲哀天皇ノ熊襲ヲ征スル、行宮ヲ豐浦ニ營シ、徙御八年ニシテ崩ズ、後國府ヲ豐浦郡ニ置、〈即豐浦ニシテ、仲哀天皇ノ行宮址ニアリ、〉文治元年、平氏安徳天皇ヲ奉ジ、讃岐ヨリ航海來奔シ、壇浦ニ至リ、源軍ニ迫ラレ、天皇海ニ崩ジ平氏亡ブ、鎌府ノ初、佐々木高綱ヲ以テ守護トナス、北條時宗執權タルニ及テ、始テ警固使ヲ置キ、北條實政ヲ以テ之ニ任ジ、後同族交代シ、遂ニ中國探題ト稱シ、山陰山陽ヲ控制ス、元弘中、北條氏亡ビ、探題北條時直王師ニ降ル、建武中興、厚東武實ヲ以テ守護トス、足利尊氏ノ反スル、武實之ニ應ズ、正平十三年、大内弘世、武實ノ孫義武ヲ滅シ、遂ニ本州ヲ取ル、相傳ル七世、義隆ニ至リ、家臣陶隆房ニ弑セラル、毛利元就、隆房ヲ誅シ、其地ヲ併ス、元就孫輝元ノ封ヲ削ラルヽニ及テ、僅ニ本州及周防ヲ領シ萩ニ鎭ス、輝元地ヲ分テ、義子秀元ヲ府中〈後豐浦ト稱ス〉ニ封ジ、秀元六世ノ孫師就、其弟政苗ヲ清末ニ分封ス、文久中、毛利敬親〈輝元ノ後十三世〉萩城ヲ撤シ、徙テ山口〈周防〉ニ治ス、王政革新、廢シテ豐浦清末二縣ヲ置、又改メテ山口縣ヨリ兼治セシム、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 穴門國造 纏向日代朝〈◯景行〉御世、櫻井田部連同祖邇伎都美命四世孫速都鳥命定賜國造、 阿武國造 纏向日代朝御世、神魂命十世孫味波波命定賜國造

〔日本書紀〕

〈二十五孝徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0706 白雉元年二月戊寅、穴戸國司草壁連醜經獻白雉曰、國造首之同族贄、正月九日於

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 麻山獲焉、

〔續日本紀〕

〈二文武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 大寶二年正月乙酉、從四位上大神朝臣高市麻呂爲長門守

〔長門國守護職次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 佐々木四郞左衞門尉高綱〈自大將殿(源頼朝)文治二年給之七月十三日下國號守護職、〉

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 長門國〈國府在豐浦郡、行程上二十一日、下十一日、〉

〔伊呂波字類抄〕

〈奈國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 長門國〈(中略)豐浦〈トヨラ府〉〉

〔源平盛衰記〕

〈四十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 義經拜賀御禊供奉、附實平自西海飛脚事 源氏此事ヲ聞テ、〈◯中略〉長門國ニゾ著ニケル、當國ノ國府ニハ三ノ御所アリ、

〔道ゆきぶり〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 又山路になりて、小島といふうらざとに出たり、松原をはるかに行過て、長門國府になりぬ、北はまとて東南にむきて家居あり、〈◯下略〉

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 長門國〈◯註略〉管五〈◯註略〉厚狹〈安豆佐〉豐浦〈止與良、國府、〉美禰〈岑〉大津〈於保都〉阿武 見島

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 長門國、中、〈管 厚狹(アツサ) 豐浦(トヨウラ) 美禰(ミ子) 大津(オホツ) 阿武(アム)〉 右爲遠國

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 長門〈中遠〉五郡、厚狹、豐浦〈府〉美禰、大津、阿武、見島、

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0707 長門國〈舊六郡 今八郡〉 厚西(アツサノニシ) 〈●吉田本郷 ●厚狹 南海ニ向〉 厚東 〈●本山 <舟木 ●山中 ●加川 ●宇部 防界南海〉 豐西(トヨラノニシ) 〈<川棚 西海ニ向〉 豐東 〈●下ノ關 長府 ●卯月 ●西山中 南海ニ向〉 大津(オホツ) 〈●猿山 ●正明市 ●中村 西北海ニ向〉 美禰(ミ子) 〈<大嶺 <長登町 國中ヨリ防界ニ至〉 阿武(アム) 〈萩 ●三見 ●大井 ●木與 ●總江 <須佐 ●江崎 ●下田方 ●明水 <生雲 ●笹波 △阿武松原 石防界北海ニ向〉 豐田(トヨタ) 〈●西市 ●鳴戸 西海ニ向〉 〈今厚狹豐浦各分東西ヲ、舊有見島郡、今省之ヲ豐田郡、〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 長門

厚狹郡/厚東郡/吉田郡

〔續日本紀〕

〈二十九稱徳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0708 神護景雲二年三月乙巳朔、山陽道使左中辨正五位下藤原朝臣雄田麻呂言、〈◯中略〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 長門國豐浦、厚狹等郡、宜蠶、〈◯下略〉

〔中國治亂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 伯州〈◯杉伯耆守重矩〉ハ佐渡郡ノ内大崎ト云處ニ有リシガ落ケルヲ、長門國原(○)〈◯原恐厚誤〉狹郡(○○)長興寺ニテ押ツメ腹ヲキラセ、首ヲバ義隆ノ御廟ノ前ニ掛ラレケル、ニクマヌ者モナカリケル

〔長門國守護職次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 長門國平家以住守護職、元者號押領使職、 豐西郡司三代同御祈禱師一宮大宮司次第〈◯中略〉 五、厚東郡(○○○)司武光、同重貞、〈◯下略〉

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709山口御分國中行程日數事〈◯中略〉 長門國〈◯中略〉 厚狹郡(○○○)二日〈但津布同坂生至二日路半、請文十一日、◯中略〉 吉田郡(○○○)二日請文七日 厚東郡(○○○)一日、請文七日、〈◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

豐浦郡/豐東郡/豐西郡/豐田郡

〔東大寺正倉院文書〕

〈三十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 長門國正税帳 合伍郡(○○)天平八年定正税穀壹拾貳萬漆佰肆斛伍升貳合〈◯中略〉 豐浦郡 天平八年定正税穀參萬參仟漆拾捌斛玖斗伍升漆合〈◯下略〉

〔續日本紀〕

〈十三聖武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 天平十二年九月戊申、大將軍東人等言、殺獲賊徒豐前國京都郡鎭長太宰史生從八位上小長谷常人、〈◯中略〉仍差長門國豐浦郡(○○○)少領外正八位上額田部廣麻呂精兵四十人、以今月二十一日發渡、〈◯下略〉

〔長門國守護職次第〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0709 長門國平家以往守護職、元者號押領使職、豐西郡(○○○)司三代同御祈禱師一宮大宮司次第〈◯中略〉 四、豐東郡(○○○)司元家、 此時大宮司重貞

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 文治二年八月五日己卯、就帥中納言奉書御請文、〈◯中略〉六月一日御教書、七月廿八日到來、謹以令拜見候訖〈◯中略〉同〈◯新日吉〉御領長門國向津奧庄地頭謀叛人、豐西郡(○○○)司弘元之所帶候、〈◯下略〉

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710山口御分國中行程日數事〈◯中略〉 長門國〈◯中略〉 豐東郡(○○○)二日、請文九日、 豐西郡(○○○)二日〈但高賀河棚ニ至テハ二日路半、請文十一日、◯中略〉 豐田郡(○○○)二日〈但神田阿川栗野至テハ二日路半、請文十一日、◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

美禰郡

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710山口御分國中行程日數事〈◯中略〉 長門國〈◯中略〉 美禰郡一日〈但厚保一日路半、請文八日、◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

大津郡

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710山口御分國中行程日數事〈◯中略〉 長門國 大津郡二日路半、請文十一日、〈◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

阿武郡

〔吾妻鏡〕

〈九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710 文治五年二月卅日壬寅、長門國阿武郡者、爲沒官領内之間、爲勸賞土肥彌太郞遠平、爲御造作杣取、可進地頭職之由、依勅定、可退出之由、被仰之處、遠平代官于今居住之由、及遠聞之間、重被御書、 下 長門國阿武郡前地頭遠平代官可早退出郡内事 右件地頭職、可停止之由、被下院廳御下文之處、遠平代官于今淹留致濫妨之由、有其聞、所行之旨、甚以不當也、早可退出郡内之状如件、以下、 文治五年二月卅日

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0710山口御分國中行程日數事〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 長門國〈◯中略〉 阿武郡〈福田至テハ二日、小川至テ二日路半、請文十一日、椿三見他福得作生勇一日、請文七日、◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

見島郡

〔寛文印知集〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 目録〈◯中略〉 長門國一圓〈◯中略〉 見島郡 高五百八拾四石四升壹合〈◯中略〉 寛文四年四月五日 松平大膳大夫殿

〔倭名類聚抄〕

〈八長門國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 厚狹郡 見穗 小幡〈乎波多〉厚狹〈安都佐〉久喜 二處〈布多井◯二處、高山寺本作二家、布多井、作不多閉、〉神戸 驛家 良田〈與之多〉松室〈萬都也〉 豐浦郡 田部〈多倍〉生倉〈伊久◯高山寺本、久下有良字、〉室津〈無呂都〉額部〈奴加倍◯奴加倍、高山寺本作加久无、〉驛家 栗原〈久利八良〉日内〈宇都比〉神田〈加無多〉 美禰郡 美禰 渚鋤〈須々木◯渚、高山寺本作諸、須々木作久之波、〉位佐〈井左〉作美 賀萬 驛家 大津郡 三隅〈美須美〉深川〈布加波◯高山寺本作布加々波、〉日置〈比於木〉三島 向國〈武加津久爾〉二處 神戸 驛家 稻妻〈伊奈女〉 阿武郡 阿武 椿木〈都波木〉大原〈於保波良〉宅佐 多萬 住吉〈須美與之〉神戸 驛家

村里/名邑

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0711 一長門國(皆私領) 〈長州 東西二日半〉 六郡 高拾六万六千六百貳拾三石六斗四升五合 百七拾三ケ村 ●萩 二百七拾里 ●府中 二百八十里 ◯清水 二百八十里 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯右田〈萩一万石〉毛利内匠 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯吉浦〈萩一万石〉毛利藏主 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯三ツ尾〈同一万石〉宍戸美濃 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯須佐〈同一万三千石〉 益田丹後 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104f.gif ◯舟木〈同一万石〉 福原豐前 ◯按ズルニ本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 長門 六郡、百五十村、 高四十万四千八百五十三石三斗三升三合(皆私領) 豐浦(トヨラ)郡六十五村 大津(オホツ)郡十五村 美彌(ミネ)郡十五村 厚狹(アサ)郡三十二村 見島(ミシマ)郡一村 阿武(アム)郡二十二村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 郡邑島嶼奇名 長門 厚狹(アサ)郡奧檀(オクノタ)村、豐浦郡、涌田(ワイタ)村、滿珠(マンジユ)島、干珠(カンジユ)島、六連(ムリン)島、角(ツノ)島、雙子(フタゴ)島、大津郡、向津具(ムカフツク)村、津黄村、青海(アフミ)島、阿武(アムツ)郡、生雲(イツモ)村、藏目木(ゾウメキ)村、明木(アラキ)村、干(ヒ)島、

〔和漢三才圖會〕

〈七十九長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 萩(○)〈至江戸二百五十九里、坤至下關十八里、自此至大坂百四十五里、自萩申酉至三見二里、至日置五里、至神田十里、坤至長府十七里、東至石見津和野十一里、巳午至防府十八里、〉

〔長門金匱〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0712 一萩の地は大内家時節、吉見氏の領地の由なり、〈◯中略〉 一當所を萩と申事は、今古萩と云所に人家あり、今の田町通りより南東は皆沼にて、蘆原の水溜りなり、田も聢々無之、よき道もなし、東北の方當萩村と云、後總名萩と云也、本の名所を古萩と云なり、〈◯中略〉 一萩を世人當島と云、河上水西北へ分れ口の名を川島と云、夫兩方の川内の地は河島之庄と云、〈手木の庄とも云〉依之萩にての諺に、當島と云萩は河内の島なり、 一往古萩八景と云所は 兼江夕照〈鶴江なり〉 鐘江秋月〈玉江川尻〉 藤江落雁〈佐世屋しきの所なり〉 萩津江暮雪〈今濱崎浦ある脇なり〉 得江歸帆〈御藏元の所なり〉 三江晴嵐〈金谷古天神〉 二江夜雨〈渡り口橋の邊〉 柳江晩鐘〈にごりぶち〉一後に云萩八景詩は山田原欽、歌は安部吉左衞門春貞に命ず、 一宗瑞様御一亂以後、初て御國へ御下なされて候て、山口の糸稻に被御座、〈糸米とも云〉萩を御城下に御取立なされ候付、諸事爲御見合、初て萩へ御越なされ候時は、常念寺を御宿になされ候、常念寺

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 其節までは古萩宍戸民部屋敷なり、

〔和漢三才圖會〕

〈七十九長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 長府(○○)〈至江戸二百八十里、西至大塚二里、乾至川棚三里、至瀧郡四里、巽至下關一里、南至小倉四里、〉

〔西遊雜記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 長府は毛利侯の御在所にて、〈甲斐守御知行五万石〉御知行よりも能所也、風景も能、圖の如く〈◯圖略〉干珠島、滿珠島、すべての海濱きれいにして、勝地といふべし、

〔大内義隆記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 同八年〈◯大永即享祿元年〉四月上旬ニハ、肥前ノ國龍造寺ノ一揆ノ時ハ、義隆御發足ノ事ナレバ、入道〈◯道麒〉先陣仕リ、屋形ハ長府ノ修禪寺ニヒカヘサセ玉ヒツヽ、〈◯中略〉同三年〈◯天文〉十一月ニ、悦ノ旗ヲアゲ、屋形ハ長府ヲ御開陣、道麒ハ明ル二月ニ、シツハライシテ關の戸ヲ歸レバ、〈◯下略〉

〔安西軍策〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 大内義長山口沒落附最期事 弘治三年、〈◯中略〉義長今ハ元就ヲ退治スベキ行ハナシ、〈◯中略〉内藤彈正杉民部已下二千餘騎ヲ隨テ、長附勝山ヘ落給フ、元就朝臣此由ヲ聞給ヒテ、〈◯中略〉長府ヘハ福原左近丞ヲ大將トシテ、五千餘騎被差向、勝山ヲ取圍、

〔和漢三才圖會〕

〈七十九長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 赤間關(○○○)〈俗云下關(○○)〉往昔赤間門司共續於長門地一處、而神功皇后朝鮮渡海後此地成海、今即門司屬於豐前、海上去一里而和布苅神社亦門司地云云、紫硯石出於此

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 長門州〈◯中略〉 忠秀 丁亥年〈◯應仁元年〉遣使來賀觀音現像、書稱長門州赤間關鎭守高石藤原忠秀

〔日本書紀通證〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 宗因曰、赤女以色名之、鯛中一種、西海多産之、云笛吹是也、〈長門赤間關以赤女多名之、見風土記、〉

〔西遊雜記〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 長門國豐浦郡赤間ケ關、〈下ノ關ともいふ、時には赤間ケ關とかく、〉西國第一の湊にして、浪華より中國に及び、九州北國船路往來の咽首にて、諸州の廻船よらざるはなし、市中一万に餘り言語あしからず、諸國への便りも至て能繁昌の富饒の地といふべし、

〔吾妻鏡〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0713 元暦二年〈◯文治元年〉正月十二日丙申、參州〈◯源範頼〉自周防赤間關、爲平家其所渡海

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 處、粮絶無船、不慮之逗留及數日、〈◯下略〉

〔安西軍策〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 大内義長山口沒落附最期事 弘治三年、〈◯中略〉義長〈◯中略〉長府勝山へ落給フ、元就朝臣此由ヲ聞給ヒテ、〈◯中略〉渡邊左衞門、赤川左京市川式部等ニ數千騎ヲ相添、大友後詰ノ押トシテ下關ニ置給フ、

〔北禪文草〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 西海紀行 六日、〈◯天明元年五月〉朝到下關、西海北路極于此、一都會也、是爲平氏殲亡之迹、〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈四〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 元暦二年〈◯文治元年〉三月廿一日甲辰、廷尉〈◯源義經〉爲平氏向壇浦之處、依雨延引、 廿四日丁未、於長門國赤間關檀浦(○○)海上、源平相逢、各隔三町向舟船

〔玉海〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 元暦二年〈◯文治元年〉四月四日丁巳、頭辨光雅朝臣來臨來臨、〈◯中略〉光雅仰云、院宣云、追討大將軍義經去夜進飛脚、〈相副札〉申云、去三月廿四日午刻於長門國團(○)合戰、〈於海上合戰云々〉自午正晡時、〈◯下略〉

〔和漢三才圖會〕

〈七十九長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 深川(フカハ/○○)〈二里、有温泉磁器之、〉

〔中國治亂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 義隆卿〈◯大内〉ハ不叶シテ自害アルベキトテ、九月〈◯天文二十年〉朔日ノ巳ノ刻ニ、深川大寧寺ノ於佛前、燒香シテ心靜ニリンジウノツトメアリ、

〔大内義隆記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 義隆モカチ地ニテ長州岩永(○○)ヘゾ落玉フ、

莊保

〔石清水文書〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 八幡宮寺領 御判〈右大將家〈頼朝〉◯中略〉 長門國 大美禰庄(○○○○)〈◯中略〉 元暦二年正月九日

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0714 文治二年八月五日己卯、就帥中納言奉書御請文、是新日吉領、武藏國河越庄年貢事、并長門國向津庄狼籍事等也、平五盛時染筆云云、〈◯下略〉

〔吾妻鏡〕

〈十五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 建久六年十一月四日乙酉、嘉祥寺領長門國棚庄(○○)事、守護人妨領家所務之由、被仰下之間、此所事、去文治年中、依院宣、停止地頭職訖、今更違亂之條、招罪科歟、慥可停止之旨、今日所仰下也云云、

〔大内家壁書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715山口御分國中行程日數事 長門國〈◯中略〉 美禰郡一日〈但厚保(○○)一日路半、請文八日、◯中略〉 寛正二年六月廿九日 備中守〈奉〉秀明〈◯下略〉

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 松平大膳大夫 三拾六万九千石餘 〈周防長門〉兩國〈一圓領之〉居城長州阿武郡萩〈江戸ヨリ〉二百七十里 〈毛利中納言輝元、慶長年中、移當城以後代々領之、〉 毛利左京亮元周 五万石餘 居城長州豐浦郡府中〈江戸ヨリ〉海陸二百八十里 〈當所毛利甲斐守秀元、同和泉守光廣、同甲斐守綱元、同又四郞元朝、同右京元矩、享保三、毛利甲斐守匡廣、從清末于當所、〉 毛利讃岐守元純 一万石 在所長門豐浦郡清末〈江戸ヨリ〉二百八十里〈◯節略〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 長門國〈◯註略〉管五〈田四千六百三町四段二百三十一歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈奈國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 長門國〈管五(中略)本田四千七百六十九町〈上廿六日下十一日〉〉

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 長門州 産銅及刃鐵、郡五、水田四千九百二町四段、

〔前關白秀吉公御檢地帳之目録〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 十三万六百六十石 長門

〔寛文印知集〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0715 周防國貳拾万貳千七百八拾七石餘、長門國拾六万六千六百貳拾三石餘、〈◯中略〉事、任元和三年九月五日、寛永十一年八月四日兩先判之旨、宛行之訖、全可領知之状如件、 寛文四年四月五日御判 森新兵衞(筆者) 長門侍從どのへ 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 目録〈◯中略〉 長門國一圓 阿武郡〈貳拾貳箇村〉高三万八千五百拾五石三升 大津郡〈拾五箇村〉高壹万八千貳百拾四石壹斗三升七合 美禰郡〈拾五箇村〉高三万千九百貳拾壹石七斗四升五合 厚狹郡〈三拾貳箇村〉高三万貳千三百六石四斗六升三合 豐浦郡〈六拾五箇村〉高四万五千八拾貳石貳斗貳升九合 見島郡 高五百八拾四石四升壹合〈◯下略〉

〔日本鹿子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 長門國六郡、中上國、東西二日半、〈◯中略〉知行高十三万四千五十石、

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 長門國 六郡〈◯中略〉 一石高拾六万六千六百貳拾三石餘

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 天保度御國高調〈◯中略〉 長門國〈皆私領〉 一高四拾万四千八百五拾三石三斗三升三合

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 諸國出擧正税公廨雜稻〈◯中略〉 長門國正税公廨各十一万束、國分寺料一万束、文殊會料一千束、修理官舍料二万束、池溝料一万束、救急料六万束、兵粮料四万束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 長門國〈◯註略〉管五〈(中略)正公各十一萬束、本穎二十六萬千束、雜穎十四萬千束、〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0716 年料別納租穀〈◯中略〉 長門國〈二千卅七石◯中略〉 年料別貢雜物〈◯中略〉 長門國〈牧牛皮八張◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 長門國八壺〈並小一升◯中略〉 右十四箇國爲第六番〈子午年◯中略〉 年料雜器〈◯中略〉 長門國瓷器、大椀五合、〈徑各九寸五分〉中椀十口、〈徑各七寸〉小椀十五口、〈徑各六寸〉茶椀廿口、〈徑各五寸〉花盤卅口、〈徑各五寸五分〉花形鹽坏十口、〈徑各三寸〉瓶十口、〈大四口、小六口、◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 長門國〈鹿革廿張、胡粉廿斤、緑青廿斤、丹六十斤、海藻一百五十斤、苫廿五枚、櫑子四合、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 長門〈◯中略〉 右廿五國、中絲、〈◯中略〉 長門國〈行程上廿一日、下十一日、〉海路廿三日 調、綿、絲、雜鰒、但大津阿武兩郡浮浪人調充銅鉛、 庸、輸綿、米、 中男作物、紙、胡麻油、薄鰒、雜腊、海藻、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 長門國十三種 牛膝、芍藥、伏苓各三斤、白朮二斤、藍漆、巴戟天、茜根各一升、細辛七斤、白礬石三斤、虵床子五升、桃人四升、亭藶子、蜀椒各二升五合、

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 年料〈◯中略〉 長門國〈穉海藻一百四籠〉

〔新猿樂記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 四郞君受領郞等刺史執鞭之圖也、〈◯中略〉宅常擔集諸國土産、貯甚豐也、所謂〈◯中略〉長門牛、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 長門 銀 銅 長登緑青 萩燒物 錢〈諸國參宮道者用之〉 蜜柑 長府素麪 下關鯸(ブクト) 蛸 横首鮝(カセブカ) 紫硯 同水入等 筋濱黒碁石 舟木石炭〈干漆ニ似、當所薪灯ニ用之、〉 櫛〈太閤薩摩入之時、天下一ニ號、〉 向津奧苔(ムカツクノリ)〈向津ノ奥ノ入江ノサヾ波ニ苔カクアマノ袖ヤスレケン、人丸ノ詠歌ト云、〉 隼人明神和布苅 埴生烏賊(ハブイカ) 火灯鮑 三島貝〈大鮑ナリ〉吉見川捜鯮(サグリアユ)

〔和漢三才圖會〕

〈七十九長門〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 國土産 磁器〈茶碗皿鉢等出於萩上品物、〉 緑青 索麪〈長府〉 鰒(フク)〈下關〉 章魚(タコ) 鮝(スルメ) 硯石〈紫色出於赤間關〉 碁石〈出於筋濱〉 石炭〈舟木村出於土中、詳石類石炭下、〉 大鮑貝〈出於見島〉 鰷(アイ)〈吉見川〉 烏賊魚〈垣生〉 印籠 苔〈出於向津奥〉 鰤 〈瀬戸崎〉

人口

〔官中秘策〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 長門國 六郡〈◯中略〉 一人數貳拾貳万六千九百三拾四人 内〈拾貳万貳千貳百七拾四人 男 拾万四千六百六拾人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0717 諸國人數調(文化元甲子年)〈◯中略〉 一人數貳拾四万七千拾貳人(皆私領) 長門國(高拾六万六千六百貳拾三石餘)

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 内〈拾三万三百三拾七人 男 拾壹万六千六百七拾五人 女◯中略〉 諸國人數調(弘化三丙午年)〈◯中略〉 一人數貳拾六万千百人(皆私領) 長門國(高四拾万四千八百五拾三石餘) 内〈拾三万七千貳百九拾壹人 男 拾貳万三千八百九人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 長門國 長門國ノ風俗、毎物萬事差掛リタル事無之也、サレバ人之音聲モ下音ニ而上拍子成事無而、人吾ヲ頼ムトイヘドモ、輕ク請ル事スクナク、思慮ヲ而後ニ是ヲ答、或亦人ニ事ヲ談ズルニモ、十之物七ツ八ツニ而、差切タル事ナキ風俗ニシテ、別而武士之風儀善ニモ非ズ、惡ニモ非ズ、我ハ人ヲ頼、人ハ我ヲ頼ニシ、タガヒニモタレ合テ毎物遠慮過テ、大事ニ構ルニ、人ノ過チアル時、人是ヲ誹ルヲ以、如斯之意地ヨリ出ル形儀也、サル程ニ諸藝ヲ學ブニモ、一花勤ル様ナレドモ、氣ニ引放タル意地無之故、怠惰之氣頓而發シテ、中途ニ而差捨ル人、百人ニ六七十人、如斯也、是皆勤ル意地スクナク、獨ヲ愼之氣弱キノ故也、因玆武士之風俗善ト難云、若シ此意地ヲ發明而是ヲ勤行スル人アラバ、國風ノ垢自ラ去リテ、名ヲ呼ブ程ノ人モ可成也、無左士ハ隨分利根也トモ用テ節ニ當ルベキトイワン哉、

名所

〔日本鹿子〕

〈十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0718 同國〈◯長門〉中名所之部 安武の松原 當國の北、安武の郡にあり、ひろき松原也、世俗にあんの郡と云、〈◯中略〉 豐浦島 當國の府中也、宮有之、皇居の社檀は南向也、東西に遠干潟あり、奧津平津とて、島二ツ有、干珠滿珠の二珠を納給ひしと云、滿干の島と云也、 赤間關 俗に下の關といふ、もと山といふ所より七里あり、 門司關 此所に硯切石あり、海邊也、〈◯中略〉舊井潟 土岐島

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0719 諸國健兒〈◯中略〉 長門國五十人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 長門國〈甲二領、横刀五口、弓廿張、征箭廿具、胡簶廿具、〉


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:56 (387d)