http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 駿河國ハ、スルガノクニト云フ、東海道ニ在リ、東ハ相模、伊豆、西ハ遠江、北ハ甲斐、信濃ニ界シ、南ハ海ニ面ス、東西凡ソ十八里、南北凡ソ十二里、其地勢ハ概ネ山嶽ニ富ミ、至ル所丘陵起伏シ、平坦ノ地ハ、僅ニ南方沿海ノ小區ニ過ギズ、此國ハ實ニ名山富士ノ所在地トシテ其名高ク、隨テ東海道中最モ勝區ニ饒ナリ、古ヘ國府ヲ安倍郡ニ置キ、志太(シタ)、益頭(マシヅ)、有度(ウド)、〈後有渡ニ作ル〉安倍(アベ)、廬原(イホハラ)、富士(フジ)、駿河(スルガ)ノ七郡ヲ管シ、延喜ノ制上國ニ列ス、後世駿河郡ヲ駿東郡ト改稱セシガ、明治維新ノ後、益津郡ヲ志太郡ニ合シ、有度郡ヲ安倍郡ニ併セ、凡テ五郡ト爲シ、新ニ靜岡市ヲ設ケテ、靜岡縣ヲシテ之ヲ治セシム、

名稱

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 駿河〈須流加〉

〔饅頭屋本節用集〕

〈寸天地〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 駿河(スルガ)〈駿州〉

〔地名字音轉用例〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 ンノ韻ヲラノ行ノ音ニ轉ジ用ヒタル例 するが 駿河〈國〉 須流加(スルガ) 駿ハシユンノ音ナルヲ、〈シユヲ直音ニシテスニ用ヒ〉ンノ韻ヲ轉ジテ、スルニ用ヒタリ、

〔倭訓栞〕

〈前編十二須〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0601 するが 駿河をよむは、しゆ反す、むとると通ぜり、大井川富士川などの、するどき川あるをもて名とす、

〔諸國名義考〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0602 駿河 和名抄に、駿河、〈須流加、國府在安部郡、〉名義は、萬葉集に、打縁流駿河能國(ウチヨスルスルガノクニ)云々とある如く、尖川(スルトガハ)の意なるべし、また東遊駿河舞歌に、須留可奈留(スルガナル)、宇止波末仁(ウドハマニ)、宇知與須留(ウチヨスル)、奈見波奈々久佐乃(ナミハナヽクサノ)云々ともあり、こは川ならず、海なれば、いづこも浪はつよく打よすべけれど、万葉集の歌にゆかりあればいふのみ、すべて此國の川は、山より落て海に入る水のけはしければ、川波強く打よする勢ひの猛烈なるによりて、尖川國と云なるべし、此國に駿河郡あり、もとはそこより出し名なるべし、此國の風土記に、駿河有三大河、而其濤勢如駿馬駈千里、故爲國號、また、薦河者、依其河流薦々、而不一レ淀溜也、所謂志通波他河(シヅハタガハ)、不二河(フジカハ)、大堰河(オホヰガハ)也とあるは、共に字になづみたる也、

〔比古婆衣〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0602 駿河國名義 和名抄に駿河國駿河郡駿河郷あり、今按ふに、舊はスルガてふ一處の地名の、例の漸々に廣ごりて郷名となり、又郡名にも定められ、竟に國名にも負せ定められたるものなるべし、さて其スルガてふ舊の地は、富士川の下つかたの川邊に在しなるべし、〈此考は下に云ふべし〉名義は此川世に名だたる大なる荒川にて、ともすれば水がさ益り漲りて、岸波立て川邊ゆすり流るヽが、殊にその甚しきわたりをユスルガといへるを、ユスの約りておのづからスルガと呼びならへるものなるべし、さてユスルとは、すべて鳴響むやうの事を云ふ言にて、そを水につきていへる例は、萬葉集七卷に、大海之磯本由須理立波之、〈◯註略〉とよめるこれなり、〈沐浴、泔などの字をゆするとよむも、本の義は同じけれど、轉りたる言にて、異義のごとくなれり、事長ければこゝにはいはず、〉カは處にて例多き言なるが、ことに當國には白須加、横須加、大須加など云へる地名多し、おもひ合すべし、〈但しこれらのスカは渚處の義か、◯中略〉さてそのスルガてふ舊地は、富士川の下方の川邊に在しなるべく考へたる事は、古駿河郷と稱し處今慥ならず、又駿河郡と建(サダ)められたりし界域も慥ならねど、今駿東郡とて富士郡の東にあるは、古の駿河郡を東西と兩に割たれたる

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 東の方なるべければ、駿西郡はそれに接續きて西の方、今の富士郡の南の方かけて、富士川の下流も、其部内にて其處に舊のスルガてふ地は在しを、又後に駿西郡を停て、富士郡に合られたるなるべし、故舊スルガと云ひし地は、今の富士郡の富士川の下流の川邊なりけむとはいへるなり、なほその國人によく訪ひ尋ねてさだむべし、

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0603 郡名考 駿河郡 オノレツラ〳〵思フニ、ソノカミシルカト云シヲ、言ノ通フマヽニ、ヲノヅカラスルカト云ナルベシ、言ノ意ハ滑所(シルカ)ト云義ナラン、シルハシユルノ略〈シユノ反ス〉ナレバ、スルカトモ云、所ヲカト云ハ、住所(スミカ)、在所(アリカ)、隱所(カクレカ)ナドノ如シ、其シルト云ハ固ノ反ニテ、和名抄ニ、饘、〈和名加太加由〉厚粥也、粥〈知名志留加由〉薄糜也トアルニテ、固(カタ)ニ對シテシルテフ言ノ例ハイチシロシ、扨此國名、今ノ駿東郡ノ内ニスルカノ郷トイヒシ所アリシトゾ、夫ヨリ起レルコトトゾ思ハルヽ、其スルカノ郷ト云シハ、イヅクトモ今ハ知ガタシ、サレドモヨク〳〵考ルニ、今ウキ島ノ原ト云アタリナルベシ、今ノ原宿其アタリノ村々、スベテ中ムカシヨリウキ島ノ原トハ云ナリ、今モ田地皆深田ニテ、足入ガタク、苗植ルニモ稻苅ルニモ船ニテゾスナル、又淺キ所ハ橇ノ如キ物ヲハキテ草取ナドスルナリ、此地斯テシカリケレバ、滑所トハ名ニ負ヒツラン、〈◯中略〉 駿河 河野通世撰述 舊事記作珠流河、類聚國史作蕣河、或作洲流河、万葉集作薦河、或須流河、風土記作仙河、或作尖峨、駿河字、日本紀其餘諸書皆有焉、〈◯中略〉するがてふ名の義を思ふに、萬葉集高橋蟲麿歌集中の歌に、打縁流、駿河能國と云、又春日部麻呂の歌に、宇知江須流、須流河乃禰良とも云て、エとヨと音通ふなればなり、此辭をつら〳〵考るに、打よするは浪を云るにて、下にするがと續けたるは、すは洲なり、るは寄のよを省けるにて、がは陸棲(クガスミカ)などのかと同じ、人の行かふべき所(ガ)を云、山が海がなど皆

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 同じ、さればするがは洲寄る所にて、浪の洲を打寄せて、人の行かふべき所と成れるを云、

〔萬葉集〕

〈三雜歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604不盡山歌一首并短歌 奈麻余美乃(ナマヨミノ)、甲斐乃國(カヒノクニ)、【打縁流】(ウチヨスル)、【駿河】能國與(スルガノクニト)、己知其智乃(コチゴチノ)、國之三中從(クニノミナカユ)、出之有(イデヽシアル)、不盡能高嶺者(フジノタカ子ハ)、〈◯下略〉

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 和伎米故等(ワキメコト)、不多利和我見之(フタリワガミシ)、【宇知江須流】(ウチエスル)、【須流河】乃禰良波(スルガノ子ラハ)、苦不志久米阿流可(クフシクメアルカ)、 右一首、春日部麿、〈◯駿河國防人〉

〔詞林采葉抄〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 打縁流駿河國 打よするするがの國とは異儀多く、波のすなごを打よするとつヾけたりとも、亦彼國には富士と葦高との二の山あり、是則金胎兩部の垂跡也、此兩山の間は、昔は東海道の驛路也、その間に横走の關と云ありけり、此道は觸穢の者の通けるを、明神いとひ給て、南海に浮島原の砂のゆられあるきけるを、打寄させ給ひければ、打寄る駿河國と申とも云へり、今或記云、昔富士山は海中より涌出して波に隨て、うかれけるに、もろ〳〵の天女あまくだり舞遊けるを、白波打寄て、此國の山となれりけれは申とかや、是蓬萊にて有と云説に、符合する歟、

〔冠辭考〕

〈二宇〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0604 うちよする するが 又うちえする 萬葉卷三に〈不盡山を詠〉奈麻余美乃(ミノ)、甲斐乃國(カヒノクニ)、打縁流(ウチヨスル)、駿河能國與(スルガノクニト)、己知其智乃(コチゴチノ)、國之三中從(クニノミナカユ)、卷二十に、〈駿河國防人〉宇知江須流(ウチエスル)、須流河乃禰良波(スルガノ子ラハ)、云々、こは音(コヱ)し通へば、打よするとも打えするともよみたるを思へば、その二つもはた正しからで、實は打泔(ユス)る泔(ス)る髮(ガ)てふ意につヾけなしけんかし、髮を櫛梳るとき用る水をゆするといへば也、さて此國はいとはやき川有故に、する河とはいふらめど、今ゆす(泔)るかみ(髮)のゆとみを略けるが如くいひなすは冠辭也、同卷二十に、〈同國の防人〉多々美氣米(タヽミケメ)、牟良自加已蘇(ムラジガイソ)てふは、薦を編(アム)といふを、あを略きてつヾけたる類ひ也、する河てふ名につきて浪の打よするといへる説あれど、波ともいはで打よするといはんは、古歌の冠辭ともな

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 く、又此上のなまよみてふも、未乾(カハカヌ)弓の反(カヘ)るといひかけつること、奈部にいふが如くて、只冠辭なれば、此語も駿河に由ある語ならぬを思ひやるべきなり、

〔碩鼠漫筆〕

〈七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 打縁流の發語追考〈附泔坏名義〉 今一説の僻按あり、此打ゆするよりつヾけたる意を、なほ熟稽ふるに、するがを陶汰る金ととりなしたるにはあらじか、〈金をかとのみも云ふべきは、する〳〵と瀧ちゆく川をするがといひ、又白髮をしらがといひ、あて君、犬君等を、あてき、いぬきと云へるなどに同じ、又俗語にも、兄君をあにきといへり、又故伴信友の、駿河國名義考といふものには駿河は響る處の義にて、駿河郷は富士川の岸なるべければ、さる郷名に負たりけむを、それが後に郡名になり、竟に國名とさへなれるならむ、と云へり、此説も由なきにはあらねど、處の義と云へるは信じがたし、響る川の義とは云ふべし、猶末に全説をもしるしたるを見るべし、〉金は鏈石〈金山にて是をクサレ石と云〉を搗き碎きて、水をかてヽ打陶汰り、樋に流してとるものなれば、〈此事は那須の汰金の解に、委曲にいふを見るべし、〉ゆすがねと云ふべきなり、良玉集、八雲御鈔等に、ゆりがねとあるも同じ、萬葉集卷七〈二十二左〉に大海の礒もと由須理たつ波の云々、武烈天皇紀に、那爲我與釐據魔〈地震がゆり來ばなり、よりはゆりなり、是をもて打縁流も、打ゆすると同語なる事を了知すべし、〉とあるを見るべし、ゆするも、よするも、ゆるも、よるも、もとはみな同語なるをや、かヽれば打汰る汰る金とやうに、取なせるにやとは云へるにこそあれ、

位置

〔地勢提要〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 各國經緯度〈附里程〉 駿河府中〈傳馬町〉極高三十四度五十八分半、經度東二度三十八分、從東都〈東海道〉四十七里一町五間、

〔日本經緯度實測〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0605 北極出地 駿河 沼津 三五度〇六分〇〇秒 府中 三四度五八分三〇秒 吉原 三五度一〇分〇〇秒 藤枝 三四度五二分〇〇秒〈◯中略〉 東西里差 山城 京 〇度〇〇分〇〇秒〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0606 駿河 府中 東二度三七分一四秒 富士山 東三度〇〇分〇〇秒

疆域

〔駿河國新風土記〕

〈二堤要〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0606 疆域 風土記ニ、疆域ヲ記シテ、此國東西二日半ノ宿、南北一日半之宿、地勢強而山嶺多、東南海嶼多、河流帶之焉、東限息田神祠、西限大井川、北限猪川山、南限有渡沖トイヱリ、東西ノ里程、三十六町ヲ一里トシテ、島田宿ヨリ三島宿マデ二十四里餘、二日半ノ宿ナリ、南北ノ里程、有渡郡中島村ヨリ安倍郡梅ケ島マデ十五里、一日半ノ宿ナリ、東限息田神祠ト云所、今詳ナラズ、伊豆國ノ疆、駿東郡ニ柿田村ト云村アリ、息ハ臭ノ誤ニテ、カキトヨムベキニヤ、此村トスルトキハ、東ノ限リト云ニカナヘリ、西限大井川ハ論ナシ、北ハ限猪川山、富士郡猪頭村ノ山ヲ云ナルベシ、此村甲斐ノ境ニテ、北ノ限トサスベシ、南限有渡ノ沖モ論ナシ、スベテ四境ハ、伊豆、相模、甲斐、信濃、遠江ノ五國ニワタレリ、伊豆國志ニ疆域ヲアゲテ云、西北大溪瀧溪ノ二溪、茶畑村上ニテ合流シ、以下ヲ界川ト云、幸原村ヲヘテ三島ノ千貫樋下ヲ過テ、長伏村ニシテ狩野川ニ注グマデ、駿州駿東郡ト凡テコノ川ヲ界別トス、近世幸原ニテ水盡ク東決シ、西南ノ方千貫樋マデ水枯竭レドモ、依舊古水道ヲ界トス、長伏ヨリハ狩野川界タリ、江間川ニ至リテハ、駿州大平村口野村トノ間、連山岡脊界ナリ、海濱ハ重寺村ト駿州口野村ノ間、大潜ト云處ヲ分界トス、按ニ、古昔相州トノ疆界ハ、箱根山脊通ヲ北ニ指シ、今ノ箱根三島町ト小田原町トノ間ヨリ、湖水ノ中通ヲ伊駿相ノ分界トス、信救記曰、孝安天皇時、熟視而境風致〈而當作東〉地跨伊駿相三州、因分其域、而良材立波心、號目代木(ケヽラキ)、西汀名駿河津、南岸號伊豆地、東濱名相模津ト記、附録云、是木ニ和歌ヲ刻ス、又印木トモ國分トモ云、三椏木ナリ、歌ニ、 足柄也箱根ノ湖ノケヽラキニ三國ヲ分テ立ル白波、此木ノコト、箱根ノ人ニ尋ヌルニ、ソノ木今ニ存在ス、旱年ニ湖水減ズレバ、三尺許水上ニ見ルト云、稻葉氏小田原侯タル頃、界今ノ所ヘ移ルヨシナリ云々、コレ伊豆國田方郡君澤郡ト駿河國ノ界ヲ云、道雄按ニ、信救記トハ、大夫坊覺明

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0607 ガ書ル箱根權現ノ縁起也、古風土記ニヨリテイエルナルベシ、其ハ後ノ世ノ口ツキニテ、上古ノモノトハ思ハレズ、〈◯中略〉上件伊豆國トノ疆ヲ云、相模國ノ疆ハ、三國峠ヲ界テ、此山ノ東面相模、北面甲斐國、南面ハ駿河國トス、甲斐國ノ堺ノコト、甲斐國志ニ記ス事詳ナレドモ、各郡各村ニシルシタレバ、カヘリテマギラハシキニ似タル所、スベテコレヲイフニ、甲斐國都留郡ト駿河郡ノ堺、東ノ方甲斐國山中村ト駿東郡須走村トノ界ハ、籠坂峠ヲ東南ニ下リテ傍ニ杭アリ、富士郡トノ界ハ、富士山無間ケ嶽ヨリ西北ヲ甲斐國トシ、東南ヲ駿河トス、庵原郡ノ界ハ、甲斐國万澤ノ南白鳥山二國ニ跨リ、庵原郡内房村ト界川ヲ以テ界トス、コノ川富士川ニ入、安倍郡ハ梅ケ島村、甲斐成島村ニ隣リ、又安倍郡井川ハ、甲斐湯島村、十郞次山、千挺木山等ニ界ヒ、夫ヨリ遠江榛原郡千頭村公林、井川七村ノ山ト、信濃國ニ連リ、遠江ノ界ハ、千頭村公林ノ中ニアリ、大須俣川ト井川ノ流合シテ、遠江駿河トノ界トナリ、下流志太郡細島村ヨリハ、大井川ノ流中古變ジテヨリ川ノ東ニ榛原郡ノ地アリテ、志太郡一色村ハ遠江國小杉村ト小路ヲ以テ界トス、コレ此國ノ四境ノ大略ナリ、

〔日本地誌提要〕

〈十四駿河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0607 疆域 東ハ相模、伊豆、西ハ遠江、北ハ甲斐、信濃、南ハ海ニ至ル、東西壹拾八里、南北壹拾貳里、

〔日本靈異記〕

〈中〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0607 藥師佛木像流水埋沙示靈表縁第卅九 駿河國與遠江國之堺有河、名曰大井河、其河上有鵜田里、是遠江國榛原郡部内也、

〔松屋筆記〕

〈六十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0607 伊豆駿河古は木瀬川を界とす 玉海、元暦元年八月廿一日の條に、此日定能卿來、傳聞、頼朝出鎌倉城著木瀬川、〈伊豆より駿河之間云々〉近暫逗留、進飛脚申云、已所上洛仕也、但ひきはりても、不上洛候也云々、〈◯中略〉按、今は駿豆の二國、三島の西千貫樋の川をもて界とすれど、古は木瀬川を界とせり、伊豆志〈一の卷郡郷部〉に、鏡作(カヾミツクリ)、泉水(イヅミ)二郷分置

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 ノ時、伊豆ニ屬シ、延喜ノ後、復駿河ニ屬シ、北條氏割取シテ伊豆トシ、駿河亞相駿城ニ在ス時、庖廚(ダイドコロ)料トシテ、復駿河トナルと見ゆ、

地勢

〔易林本節用集〕

〈下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 駿河〈駿州〉上、管七郡、東西二日半、山原野里、皆均等也、抱海帶山、肥産多、大中國也、

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0608 駿河 河野通世撰述 此國、東西を經とし、南北を緯とす、經凡二十二里餘、緯凡二十里餘より七八里に至る、山川田野程よく相錯れり、驛路に三つの峻嶺あり、宇津谷坂薩埵坂、七難坂なり、三の大河あり、大河川、阿倍川、富士川なり、是皆天然の要障なり、國形は東西長うして南北短く、前後廣うして中狹く、千木の如く、また鼓に似れり、西北に高山を負ひ、東南に大洋を抱たるが故に、國中おのづから暖和にして、雪ふれども積らず、氷ぬれども厚からず、是以百穀善熟り、菓菰早就、されば國富物豐にして、俗文華を好む、延喜式此國を上國の列に入れ、風土記定穀上之上とす、宜なるかな、さて限るに山を以てし、横に最を截ば、遠江の國界より宇津の山に至る凡五里を第一截とす、宇津の山より薩埵山に至る凡六里を第二截とす、薩埵山より七難坂に至る凡四里を第三截とす、七難坂より伊豆國の界に至る凡七里餘第四截とす、限るに川を以てすれば、大井川より阿倍川に至る七里を第一截とす、阿倍川より富士川に至る凡八里餘を第二截とす、富士川より伊豆の國の界に至る凡七里餘を第三截とす、かく山と川と點綴して、たとへば一匹錦の花紋列なるが如し、これ自然の形勢なり又縱に是を分ちて三路とす、山中を上の一路とす、其民良材を伐て桴を下し、茶を製し、紙を製し、藥草を採などを業とす、官道を中の一路とす、逆旅亭、茶店、酒肆相連り、逆旅亭長、〈俗云本陣〉驛長、〈俗云問屋〉驛老〈俗云年寄〉あり、貧しきものは驛馬を驅せ、行客の裝を荷ふをもて業とす、海濱を下の一路とす、魚鹽の利夥しく、しかのみならず通船運漕、天下の諸國を比隣の如くするの便あり、農は此三路の間に充滿して耕耘を勤む、是民産業をなすの大略なり、

道路

〔日本實測録〕

〈二街道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0609東京東海道至西京〈◯中略〉 駿河國駿東郡沼津本町、三十五度六分、〈至海岸廿三丁〉 一里二十三町二十五間半 原宿一里一十三町一十五間半 富士郡柏原新田〈至海岸二丁三十間〉一里二十三町二間 吉原宿、三十五度一十分、 一里五町二間〈至吉原宿追分町一十二丁五十一間〉 松岡村、〈至松岡村宿所八丁九間〉三十五度九分八町五十一間、〈至富士川岸四丁三十間〉 菴原郡岩淵村 二十八町五十七間半 蒲原宿 一里一十七町二十四間半 由比宿、三十五度六分半 二里一十三町四十二間半 興津宿、三十五度三分、 一里一十三町五十七間半 江尻宿 二里二十六町二十七間〈至靜岡横田町二里一十六丁一十四間、從横田町八幡町六丁九間、〉 有渡郡靜岡〈本府中〉傳馬町、三十四度五十八分半、 一里二十二町五十六間〈至安倍川岸二十四丁八間〉 丸子宿〈又書鞠子〉 二里三町五十七間半〈至宇津谷峠三十二丁一十九間半〉 志太郡岡部宿 一里一十五町一間 藤枝宿追分〈至益津郡田中城大手七丁〉 一十二町二十七間 藤枝宿、三十四度五十二分、 二里一十五町二十間 島田宿 一里四町四十二間〈至國界大井川岸一十八丁五十間〉 遠江國榛原郡金谷宿〈◯中略〉 從東京大山及御殿場大月〈◯中略〉 駿河國駿東郡竹之下村 一里一町三十二間 御殿場村追分〈至相模國足柄上郡仙石原村二里一十五町二十二間、從仙石原關所宮城野村一里二十三丁二十二間半、從宮城野湯本村、一里三十二丁四十二間、又從宮城野蘆之湯、一里二丁四十八間、從蘆之湯元筥根八丁坂二十丁二十二間、〉 一町一十二間 御殿場村、三十五度一十九分、 四町三十六間 同上宿〈歴神山村佐野村西原四里九丁三間〉 一十七町三十七間半 仁杉村 一里三十三町一十六間半 須走村、三十五度二十一分、 二里六町三十六間〈至國界一里二十七間半、從國界籠坂峠、四丁四十五間、〉 甲斐國都留郡山中村〈◯中略〉 從東海道三島佐野今泉〈◯中略〉 駿河國駿東郡佐野村二本松新田〈至西原七丁一十八間、從西原深山村三里四丁三十六間、從深山印野村十文字一里四十一間、又從深山富士淺間社、五丁一十五間、〉 一十九町五十四間 水窪村 二里二町四十五間 中澤田村 二里二十一町 西船津

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610 村、三十五度九分、 二十六町五十四間 富士郡中里村須津川岸〈至廣沼傍、一十三丁三間〉 一十六町一十八間 比奈村、三十五度一十分、 三十二町一十八間 今泉村横道 〈從三島(伊豆)至今泉〉 街道、通計八里三十二町三十五間半、 從東海道吉原身延韮崎 駿河國富士郡吉原宿追分町 四町九間 傳法村〈至六所淺間社二丁二十七間〉 二里一町一十三間 上小泉村〈至久遠寺五丁五十七間〉 一十二町二十八間 大宮郷青柳町〈至岩本町實相寺一里二十九丁九間、從實相寺松岡村一十六丁一十八間、〉 三町三十間 同中宿町、三十五度一十四分、 二町一十五間 同西新町淺間華表前〈至大宮郷田宿三丁四十六間、從田宿富知神社四丁四十八間、又從田宿至西山村新垣外一里七丁二十七間、〉 一里一十五町五十一間〈至淺間社前一丁五十一間〉 粟倉村〈至村山郷淺間社一十四丁九間、北極高三十五度一十五分半、〉 一里六町五十一間 北山村本門寺門前 一里二町五十一間 上井出宿新田〈至上井出宿所四丁五十一間、北極高三十五度一十八分、從宿所觀音前三丁三間、從觀音前人穴村追分一里一十丁二十四間、從追分人穴、四丁五十間、又從追分原村二里八丁二間、從原村上井出觀音前六丁四十二間、〉 三十五町六間 上條村大石寺門前〈至大石寺町三十間〉 一十七町一間 下條村妙蓮寺門前〈至妙蓮寺一丁四十五間〉 一里五町三十六間 上柚野村〈至勢子一丁二十一間、北極高三十五度一十六分、〉 一里一十一町三十九間 西山村片熊〈至新垣外六丁四十二間、從新垣外、至本門寺八丁五十一間、〉 一里八町五十一間半、〈至長貫村富士川綱橋一里五十四間、從綱橋内房村二十七間半、〉 菴原郡内房村八幡前〈至岩溜村三里四十五間〉 三十四町二十八間半〈至國界二十九丁五十五間半〉 甲斐國巨摩郡萬澤村韮久保澤岸

〔日本實測録〕

〈一沿海〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0610東京沿海至大坂〈◯中略〉 駿河國駿東郡口野村、三十五度三分、 二里一十九町二十二間半 沼津 三里一十九町一十九間半 富士郡西柏原新田 一里一十三町四十二間半〈至吉野湊一里二町二十六間〉 田子村、三十五度八分、 一里五町二十八間 五貫島村富士川口〈至洲岬七町四間〉 一里二町二十二間 菴原郡蒲原宿〈至街道五町四十八間〉 三里一十間〈至西倉澤村一里二十八町三十間〉 興津宿 一里二十三町五十三間半 有渡郡清水湊〈至江尻宿

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 〈二十二町三十九間〉 二里一十七町二十九間半 三保村北濱〈至南濱徑測一十八町二十八間〉 二十九町五十六間 同南濱 二里三十四町三十七間半〈至根古屋村久能二里五町四間半〉 大谷村濱、〈至大谷村宿所三町三十間〉三十四度五十七分半、〈從大谷村濱靜岡〈本府中〉八幡町一里六町五十九間〉 二里三町二十三間〈至安倍川口三十五町二十九間〉 石部村、三十四度五十五分、 一里二十九町二十七間 益津郡城腰村、三十四度五十二分、 三里一十二町五十四間〈至大井川口一里一十八町四十二間半〉 遠江國榛原郡川尻村濱

宿驛

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 諸國驛傳馬〈◯中略〉 駿河國驛馬〈小川、横田、息津、蒲原、長倉各十疋、横走廿疋、〉傳馬〈益頭、安倍、廬原、富士、駿河郡、并横走驛各五疋、〉

〔駿府志略〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 海港〈郵驛付〉 丸子驛、在府西里許、戸數二百餘煙、〈◯中略〉驛東大半里有手越村、古驛也、有佳人千壽居阯、村南手越原、建武二年新田義貞大捷地也、 藤枝驛、在府西五里、跨益津志太二郡、戸數一千三百餘煙、多青鮫魚皮、 岡部驛、在宇都嶺西、距府三里、戸數四百餘煙、驛原係益津郡、後屬志太郡、 江尻驛、在府東三里、戸數八百餘煙、巴水絶驛東流、有橋曰兒子橋、長二十一弓、都亭北有故壘、穴山梅雪所居、 興津驛、在府東四里、戸數三百餘煙、負山臨海、多魚蝦、驛東捍海隄長一千二百五十弓、隄盡有津、冬春架橋、夏秋撤之、

〔續日本後紀〕

〈九仁明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 承和七年十二月癸卯、改駿河國駿河郡永藏驛(○○○)家、遷置于伊豆國田方郡、以駿河郡特帶三驛、百姓殊苦重役也、

〔三代實録〕

〈九清和〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0611 貞觀六年十二月十日癸亥、駿河國言、駿河郡帶三驛二傳、横走(○○)、永倉、柏原驛(○○○)家是也、總差點丁驛子四百人、傳子六十人、年來疫旱荐臻、課丁欠少、因而驛傳子等、不滿數郡民凋殘、莫

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612、望請廢柏原驛、富士郡蒲原驛(○○○)遷立於富士河東野、然則蒲原驛與永倉驛、行程自均、民得肩、從之、

〔吾妻鏡〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 治承四年十月十三日壬辰、甲斐國源氏并北條殿父子、赴駿河國、今日暮兮、止宿大石驛(○○○)云云、戌刻、駿河目代、以長田入道之計、廻富士野襲來之由、有其告、仍相逢途中、可合戰之旨群議、武田太郞信義、次郞忠頼、三郞兼頼、兵衞尉有義、安田三郞義定、逸見冠者光長、河内五郞義長、伊澤五郞信光等越富士北麓若彦路、爰加藤太光員、同藤次景廉、石橋合戰以後、逃去于甲斐國方、而今相具此人人駿州云云、

〔吾妻鏡〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 元暦二年〈◯文治元年〉十一月一日庚辰、二品著御駿河國黄瀬河驛(○○○○)、被仰御家人等云、爲定京都事、暫可留于此所、其程可意乘馬并旅粮已下事云云、

〔吾妻鏡〕

〈二十一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 建暦三年〈◯建保元年〉四月十八日己丑、義直相具朝盛入道、自駿河國手越驛(○○○)馳歸、仍義盛遂對面、暫散鬱憤云云、又乍黒衣幕府、依恩喚也、

〔吾妻鏡〕

〈三十二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 嘉禎四年〈◯暦仁元年〉十月廿五日丙寅、御逗留蒲原宿(○○○)、聊依御不例也、

〔沙石集〕

〈六下〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 正直之女人事 近比奧州ノアル山寺ノ別當ナル僧、本尊ヲ造立セムト年來思企テ、金ヲ五十兩、守袋ニ入テ頸ニ掛テ上洛シケル程ニ、駿河ノ國原中ノ宿(○○○○)ニテ、晝水ヲアミケル家ニテ、此袋ヲ忘テ、菊川ニテ思出シタリケリ、

建置沿革

〔日本國郡沿革考〕

〈二東海道〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0612 駿河 古作珠流河〈駿河風土記、崇神三年、割威豆國而分、蓋謬説不信、又云、國内有三大河、其濤勢如駿馬、故爲國號、〉 上國、管七郡、七百八十村、 志太〈百二十六村〉 益津( /マシツ)〈三十二村 延喜式等作益頭、正徳二年令、自今宜益頭、而今仍作益津、 萬葉集所謂燒津邊、即此地、土人今世仍稱也、伊津、蓋古訓之遺、日本紀云、日本武尊至駿河、賊徒欺曰、野多麋鹿、王信其言野覓獸、賊放火燒其野、王知欺、則以燧向燒、悉焚其賊之、故號其處、曰燒津、〉 安倍〈百二十三村 古府治、 駿河風土記作安辨、〉 庵原〈八十二村 古廬原國、見國造記、古事記作五百原、延喜式等作廬原、〉 富士〈百四十八村〉 駿東〈百七十一村 古駿河郡延喜式作駿河、蓋中世折爲東西二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 〈郡、後廢駿西郡、未何時、〉 有渡〈九十九村 孝徳紀作莵礪、延喜式等作有度、正徳二年令、自今宜有度、而今仍作有渡、〉

〔日本地誌提要〕

〈十四駿河〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 沿革 古ヘ國府ヲ安倍郡ニ置、〈今ノ靜岡是ナリ〉鎌府ノ初、武田信義ニ命ジテ、本州ヲ管セシメ、源廣綱、三浦義村、相繼テ守護ヲ以テ州守ヲ兼ヌ、建武中興、脇屋義助ヲ守護トス、正平六年、足利尊氏、今川範國ヲ以テ守護トシ、府中ニ治ス、相傳ル八世、義元ニ至リ、勢頗ル強大、遠江三河ヲ兼併ス、永祿三年、織田氏ト戰テ敗死、子氏眞嗣ギ、州人離叛ス、永祿ノ末、武田晴信、襲フテ府城ヲ陷レ、氏眞ヲ逐ヒ、遂ニ本州ヲ奪フ、武田氏ノ亡ブル、徳川氏之ヲ取リ、遠江ヨリ移テ府中ニ治ス、天正十八年、關東ニ遷ル、豐臣氏、中村一氏ヲ本州ニ封ジ、嗣忠一封ヲ襲グ、慶長五年、徳川氏之ヲ伯耆ニ徙シ、府中ヲ内藤信成ニ賜ヒ、〈三萬石〉大久保忠佐ヲ沼津ニ、酒井忠利ヲ田中ニ、天野康景ヲ興國寺ニ封ズ、後沼津興國寺二城ヲ廢ス、十四年、信成忠利ヲ徙封シ、徳川頼宣ヲ全州ニ封ジ、府城ニ鎭ス、元和中、之ヲ紀伊ニ移シ、寛永元年、徳川忠長ヲ封ズ、〈元和ヨリ寛永ニ至ルマデ、田中城ニ城代ヲ置キ、州事ヲ理セシム、〉九年、罪有テ國除セラレ、城代ヲ府中ニ置キ、士隊及騎歩卒ヲ置テ戍シ、松平忠重ヲ田中ニ封ズ、〈後ニ本多正矩〉元祿中、松平信治ニ小島ヲ賜ヒ、安永ノ初、水野忠友ヲ沼津ニ封ジ、凡テ三藩、王政革新、三氏ヲ安房上總ニ徙シ、徳川家達(イヘサト)ヲ本州ニ封ジ、府中ニ治シ、改テ靜岡ト云、既ニシテ廢シテ靜岡縣ヲ置、

〔先代舊事本紀〕

〈十國造〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 珠流河國造 志賀高穴穗朝〈◯成務〉世、以物部連祖大新川命兒片堅石命賜國造、 廬原國造 志賀高穴穗〈◯成務〉朝代、以池田坂井君祖吉備武彦命兒意加部彦命賜國造

〔駿府志略〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0613 襍記 駿河、景行天皇四十年、神烈東征、分爲四國、宇都山以西爲素賀國、富士水以西爲安倍廬原二國、足柄山以西爲駿河國、孝徳天皇時始併爲一國

〔駿府志略〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 興替 府城安倍氏墟、後爲州治、並不其時世、至建武二年、今川範國始封駿遠二國、範國居遠府、今見附驛也、卒壽八十七、諡省公、子範氏立、徙居本州華倉里、卒壽五十、諡慶公、子泰範立、卒壽五十五、諡高公、子範政立、始居本府、嘉吉二年卒、壽七十八、諡全公、子範忠立、多力善射、寛正二年夏五月五日卒、壽五十四、諡賀公、子義忠立、文明七年夏四月、西伐横瀬氏敗死、諡昌公、邦内大亂、關東帥足利氏滿遣兵來討、立義忠子氏親、氏親西伐報父讐、遂併參河、大永六年夏六月卒、壽五十四、諡僖公、子氏輝立、天文五年夏四月卒、諡玄公、弟義元立、永祿三年夏五月、率師四萬、西伐織田氏、敗死桶狹、時年四十四、諡哲公、子氏眞立、奢侈無度、邦人大畔、十一年冬、爲武田氏所一レ攻出走今川氏建國二百三十四年、首乙亥戊辰、武田信玄、以永祿十一年駿河、明年春、與北條氏持薩埵山、凡百餘日北還、冬十月、復南伐盡有駿地、修横山江尻田中等諸城、分戍諸將、天正元年春、信玄大擧西伐、卒于師、子勝頼立、十年夏、烈祖〈◯徳川家康〉與織田氏、夾攻滅勝頼、武田氏有駿十四年首戊辰壬午、 烈祖以天正十年駿河、越四年營府城、遷居焉、十八年秋東遷、豐公以本府其將中村一氏、食十四萬石、慶長五年秋卒、子忠一立、冬烈祖徙忠一于伯耆、以本府韮山城主内藤信成、十一年夏、徙信成於江之長濱、明年秋七月、烈祖再遷焉、又二年己酉冬、封八子頼宣於遠之横沙、食駿遠二國、頼宣年幼、未封、元和二年、烈祖薨、頼宣遂居本府、五年、移封紀伊、台廟〈◯徳川秀忠〉二子忠長代封、忠長以寛永九年、謀反賜死、爾後置留守

國府

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 駿河國〈國府在安倍郡、行程、上十八日、下九日〉

〔伊呂波字類抄〕

〈須國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 駿河國〈◯中略〉 安倍〈アヘ府〉

〔駿府志略〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0614 襍記 國府、或云在廬原、或云在藤枝、或云今府即古國府、或云厥初在廬原、後徙藤枝、又徙今地、其説不一、府人新莊雄曰、駿河本四國、廬原自有廬原國府、安倍自有安倍國府、此説似是、

〔駿河國新風土記〕

〈六國府〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0615 和名抄、國府在安倍郡、行程、上十八日、下九日、今案ルニ、府ヨリ京マデ今ノ道七十五里トイフ、〈◯中略〉府ヲ當郡ニ置レシ事、イヅレノ御代トイフ事ヲシラズ、古ハ廬原郡ニアリテ風土記ニ、古國府トアル所是ナリ、今ハ廬原郡ニアル事ハ、ムカシ廬原國造ヲ任サレシヨリ、其氏人五百原君代々コノ所ニ住シテ、國ノ政ヲモトリシカラニ、國守ノ府モ爰ニ定リシナルベシ、〈◯中略〉國分寺ヲ置レシハ、神龜三年聖武天皇ノ御代ナルニ、廬原郡北高橋ニアリト、風土記ニアリ、コハ府ノ東西ニ建トイフコトナレバ、郡ヲヘダツルコトモアルベケレド、コノ川邊ノ國分寺トイフモ、圖帳ニアレバ、後ニ安倍郡ニウツシタルニヤ、然レバ府ノウツリタルハ神龜ヨリ後チニテ、風土記ノナリタル延長ヨリ前ナルベシ、〈◯中略〉今ノ町ハ、往昔安部市ノ舊跡ナリ、其ムカシ、今ノゴトク小路ナドノ町アリシニヤ未詳、永祿九年今川家ノ老臣飯尾豐前守トイフモノ、野心ノ沙汰アリテ、遠州掛川ノ城ヨリ爰ニ招寄テ、家人ニ命ジテ誅セシ事アリ、其時小路軍トイフ事アリシト見エタレバ、今ノ如キマチノアリシコトハ知ラレタリ、其後永祿天正二度ノ兵火ニテ、昔ノ家居ハ殘リナク失テ、天正ヨリ以前爰ニ住シトイフモノ有事ナシ、カクテ慶長ノ初メヨリ、民家モソココヽニ建初タルヲ、同十二年神祖爰ニウツリ賜ヒテ、同十四年彦坂久兵衞光政、畔柳壽學ヲ奉行トシテ、繩張シテ今ノ町ヲ割ラシメ賜ヒシト云、今ノ町ノナレルハ、友野宗善ガ力ナリ、宗善ハ代々府ノ町人ノ頭ニテ、町年寄友野與左衞門トイヘル者ノ祖ナリ、其家ニモテル古文書アリ、 定 御普請并郷夫之事 一人質之事 一壹揆之事 令參駿府居住者、右如此之詰役、可御免許之由仰出者也、仍如件、 天正三年乙亥十月朔日 跡部九郞左衞門尉奉之 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 駿府商人衆 今ノ町ハ、安倍郡有渡郡ニマタガル、其境官道ヨリ北ヲ安倍トシ、南ヲ有渡トス、一町兩郡ニワタルモノナリ、

〔加藤文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 傳馬壹疋、自金屋駿府迄可出者也、仍如件、 戊子壬五月廿日 淺井鴈兵衞奉之 右之宿中

〔集古文書〕

〈四十九配符〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 天正十六年配符〈紀伊國高野山高室院藏〉 傳馬四疋、自駿府岡崎迄可出立候也、仍如件、 戊子三月廿八日 石原市左衞門尉奉之 右宿中

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 駿河國〈◯註略〉管七〈◯註略〉志太、 益頭、〈末志豆〉有度〈宇止〉安倍、 廬原〈伊保波良〉富士〈浮志〉駿河〈與國同〉

〔延喜式〕

〈二十二民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 駿河國、上、〈管 志太 益頭 有度 安倍 廬原 富士 駿河◯中略〉 右爲中國

〔伊呂波字類抄〕

〈須郡國〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 駿河國〈管七〉 志太〈シタ〉 益頭〈マシツ〉 安倍〈アヘ府〉 廬原〈イヲハラ〉 富士〈フシ〉 有度〈アリト〉 駿河

〔拾芥抄〕

〈中末本朝國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 駿河〈上中〉七郡 志太(シタ)、益豆(マシツ)、有度(ウト)、安倍(アベ)、〈府〉廬原(イホハラ)、富士(フジ)、駿河(スルカ)、〈上下與國同〉

〔皇國郡名志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0616 駿河國〈七郡〉 志太(シタ) 〈●泉 ●桑山 ●御室 遠信甲界大井川上〉 益頭(マシツ) 〈<島田 <藤枝 大井川下海ニ至〉 有度(ウト) 〈田中 <岡部 ●丸子 △ウツノ山 △アベ川 府中ト藤枝ノ間小郡〉 安倍(アヘ) 〈<久能 府中 △三保 △清水 △蘆久保 國中〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 廬原(イホハラ) 〈●岩淵 ●蒲原 ●由井 ●沖津 ●江尻 ●松野 ●獅子原 甲界海ニ貫〉 富士(フシ) 〈●吉原 ●北山 スベテ不二山巡テ村カズ少 甲界海ニ貫〉 駿東(スントウ) 〈●原 沼津 ●カウ山 須走 <松山 △浮島原 豆相甲ノ界〉 〈舊駿河今作駿東〉 ◯按ズルニ、本書及ビ次下ノ郡名異同一覽ノ符號ハ、山城國篇郡條ニ引ク所ノ、二書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡名異同一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0617 駿河 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0617_001.gif http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png tibu_1_0618_001.gif

〔駿河國新風土記〕

〈二提要〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 郡 道雄曰、コノ國、昔ヨリ郡ヲ分ツコト七ツ、風土記ニ、大郡〈參〉中郡〈貳〉小郡〈貳〉烏渡郡〈大〉伊穗原郡〈大〉富士郡〈中〉安辨郡〈中〉薦河郡〈大〉志太郡〈小〉麻賤郡〈小〉ト見ヱタリ、有渡郡ノ地、今ノ田額三万三千石餘、駿河郡高四万千七百石餘ナレバ大郡ト云ベシ、伊穗原郡高二万百石餘ナリ、二郡ニ比スレバ小ナレドモ、コノ郡ハ多ク海濱ナレバ、人民モ多ク、昔ヨリ土地開ケシ所ナレバ、大郡ト云シナルベシ、富士郡高三万五千三百石餘ナレバ、郡ノ中富士川ノ急流アリテ、昔ハ田地モ開ケズ、人民モ少カリシカラニ、中郡トハ定マリシナルベシ、安辨郡高一万二千五百石餘、田ハ少ケレド、土地廣ケレバ中郡ニハ入シナルベシ、志太郡高三万六千百石餘、益津郡高一万千八百石餘、コノ二郡ハ大井川ノ急流アリテ、今ノ田地多クハ新ニ開キシ所ナレバ、土地ノ人民モ少カリシコト知ラレタリ、大中小ノコト、今ノ田額ノ高ヲ以テ論ズベキニアラ子ドモ、戸數多ケレバ田所モ多キコト知ルベキナレバ、今ノ田數ニヨリテ論ズルナリ、

志太郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0618 郡の事 志太郡 和名抄風土記并作志太、風土記異本作止太、其餘諸書、皆作志太、 志太と名付し事は、此郡の内、しだと云草の多く生ふる故にやあらむ、凡其地に多く生ふるものもて、郡名又は郷名に

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 負する事甚多し、近江國蒲生郡、武藏國橘樹郡遠江國榛原郡など是なり、今此志太郡は其名の元なる志太村を始として、夫より西北の方、皆山に傍たる村里にして、しだと云ふ草至て多し、

〔駿河隨筆〕

〈上〈小〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 志太郡〈止駄〉 百六十一村 北自宇津山峠、西大井川除限、南藤枝之驛、中割西之方、東岡部驛ノ入朝比奈ヲ限、西宇津山際ヲ限、

益頭郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 郡の事 益津郡 古書皆作益津、延喜式作麻賤、後世諸書多作益津、郡名もとやきつの郡なり、呉音釋轉して、やきの假字に用ゆ、頭呉音ヅ濁音なり、後に燒と云辭を忌てましづと呼、終に頭の字を改めて津の字を書しなり、

〔駿河隨筆〕

〈上〈小〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 益豆郡 麻賤 三十二村 南東海際限、北自宇津山、當目山ニ限、西大井川際ニ限、

〔日本書紀〕

〈七景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 四十年、是歳日本武尊初至駿河、其處賊陽從之、欺曰、是野也、麋鹿甚多、氣如朝霧、足如茂林、臨而應狩、日本武尊信其言、入野中而覓獸、賊有王之情、〈王謂日本武尊也〉放火燒其野、王知欺、則以燧出火之、向燒而得免、〈◯中略〉故號其處燒津(○○)

〔古事記〕

〈中景行〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 故爾到相武國〈◯日本武尊〉之時、其國造詐白、於此野中大沼、住是沼中之神、甚道速振神也、於是看行其神、入坐其野、爾其國造火著其野、〈◯中略〉於今謂燒遣(○○)也、

〔古事記傳〕

〈二十七〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0619 燒遣、〈◯中略〉萬葉三に、燒津邊吾去(ヤキヅヘワガユキ)しかば、駿河(スルガ)なる阿倍(アベ)の市道(イチヾ)に逢(アヒ)し兒等(コラ)はも、神名式に、駿河國益頭郡燒津神社〈今も燒津村と云あり、また野燒村と云もあり、野脇ともいふ、〉和名抄に、同國益頭〈末志豆〉郡益頭〈万之都〉郷と見え、かの風土記にも麻賤郡など書れど、益津は音を取れる字にて、即燒津なり、〈此事谷川氏も云りき、頭字音を取れゝば、益もヤクの音を轉じてヤキに用ひたるなり、然るを麻志豆としも云は、やゝ後に燒と云ことを忌惡みて、其字の訓に唱へ更たる物なるべし、然る例他にもあるなり、〉

有度郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 郡名考 有渡郡 万葉集有度ニ作リ、風土記烏渡ニ作リ、和名抄延喜式有度ニ作リ、今有渡ト書ス、中古ヨリ同ジ、万葉集〈二十〉有度郡牛麿ト云名アリ、コノ國人ナリ、風土記ニ、有度清水、有度采女、藪子陵アリ、有度山アリ、中古ノ歌ニ有度濱トヨム、皆此ナリ、其有度テフ語意ハ、有ハ借字ニテ、ウウノ約リテウトナリ、度ハ所(ト)ノ意ニテ、植所(ウト)ノ義ナリ、植トハ稻苗ヲ植ル所ト云意ナリ、其有度ノ里トサス所、今ノ有東村成ベシ、

〔駿河隨筆〕

〈上〈大〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 有渡郡 烏渡 九十村 南海際ヲ限、北自丸子左渡宇津山際ヲ限、東府中呉服町一町目二町目境、南側江尻橋際ヲ限、西宇津、山際ヲ限、

〔萬葉集〕

〈二十〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 天平勝寶七歳乙未二月、相替遣筑紫諸國防人等歌、 美豆等利乃(ミヅトリノ)、多知能已蘇伎爾(タチノイソギニ)、父母爾(チヽハヽニ)、毛能波須價爾氐(モノハズケニテ)、已麻叙久夜志伎(イマゾクヤシキ)、 右一首、上丁有度郡牛麿、

安倍郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 郡名考 安倍郡 古事記阿倍ト書キ、書紀同ジ、類聚國史ニ安倍、風土記并民部省圖帳安兵ト書ス、今安倍ノ文字ニ隨フ、中古ヨリ同ジ、〈◯中略〉此地、中ムカシヨリ二ツニ分レテ、東ノ方ヲ安東ト云、西ヲ安西ト云テ二郷トハナレルナリ、スベテ大郷ニテ、此アタリノ大名ナレバ、郡ノ名ニモ及ビシ成ベシ、又昔武治河命ノ子孫ノ、知ラシヽ所ノカギリノ郡名ト成ルニモアランカ、安東安西ハ總テ府ノ東西ニテ、中古ノ書ニモ數多出タル地名ナリ、

〔駿河隨筆〕

〈上〈中〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0620 安倍郡 安辨 百十一村 南府中呉服町ヲ限、北江尻能島ヲ限、西信濃境ヲ限、東横内川流ヲ限、

廬原郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 郡の事 廬原郡 後世或作庵原、廬原は浮島原に對へての名なり、古浮島原は、渺茫たる野原にして、人の家居すべき所なし、此郡浮島が原に隣りて家居多かりければ名付けるならむ、廬は民の家を云、原は廣く平らかなる義なり、舊事紀有廬原國、廬原、安倍、有度、志太、益頭五郡を合せての名なるべし、何れの御世よりか廬原の國を駿河の國に合せて、駿河は一國の大號となり、廬原は降て郡の名となれり、

〔駿河隨筆〕

〈上〈大〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 庵原郡 伊穗原 七十九村 東富士川ヲ限、西江尻能島ヲ限、南海ヲ限、北甲州山ヲ限、

〔續日本紀〕

〈十八孝謙〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 天平勝寶二年三月戊戌、駿河國守從五位下楢原造東人等、於部内廬原郡多胡浦濱黄金之、〈練金一分、沙金一分、〉於是東人等賜勤臣姓

富士郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 郡名考 富士郡 書紀不盡川ト書、万葉不二ト書ス、和名抄以下富士ニ作ル、本朝文粹都良香富士山記ニ、古考傳云、山名富士、取郡名、山有神、名淺間大神トアルハ、本末ノタガヒニテ、コノ山ヨリ郡ノ名トモナレルナリ、

〔駿河隨筆〕

〈上〈中〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 富士郡 百村 東原ノ驛ヲ限、西富士川ヲ限、南海ヲ限、北富士山ヲ限、

駿河郡

〔駿河國新風土記〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0621 郡の事 駿東郡(○○○) 古駿河郡(○○○○)とす、享保年間、官より命じ玉ひて駿東郡と改む、舊事紀に駿河國と云へるは、本郡と富士郡とを合せての名なるべし、後廬原國を併せて、駿河と云名は一國の大號となりて各郡を置玉ひしとき、此郡に舊名を殘せしなるべし、

〔駿河隨筆〕

〈上〈大〉〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 駿東郡 駿河 百五十村 東伊豆國ヲ限、西富士郡ヲ限、南沼津ノ驛ヲ限、北山ヲ限、

〔續日本紀〕

〈四十桓武〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 延暦十年四月戊申、駿河國駿河郡(○○○)大領正六位上金刺舍人廣名爲國造

〔駿河國新風土記〕

〈二提要〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 郷庄〈◯中略〉 此國ノ庄名、古書ニ出タル事左ノ如シ、〈◯中略〉 走湯山所藏、嘉元二年文書、駿河國金持庄、〈駿東郡(○○○)〉

〔倭名類聚抄〕

〈六國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 駿河國 志太郡 大長 大津 葦原〈◯葦高山寺本作英〉餘能 刑部 英原 夜梨 大野 益頭部 西刀〈世止〉 澤食〈(食高山寺本作會)佐波比〉朝夷〈安佐比奈〉飽波〈阿久奈美、在上下、〉八田〈也太〉物部〈毛乃乃倍〉益頭〈萬之都〉高楊〈多加也奈木〉小河 新居〈爾比井〉 有度郡 内屋〈宇都乃也〉眞壁〈萬加倍〉他田〈乎佐多〉新居〈爾比井〉託美〈多久美〉嘗美〈奈女美〉會星〈安布保之〉 安倍郡 川邊〈加波乃倍〉埴生〈反布〉廣伴〈比呂止毛〉葛間〈加都良萬〉美和 川津〈加波都〉八祐〈也介之〉横太〈與古太〉 廬原郡 西奈〈世奈〉大井〈於保井〉河名〈加波奈〉廬原〈伊保波良〉蒲原〈加無波良〉息津〈於木都〉 富士郡 島田〈之萬多◯高山寺本、島作鳥、無之萬多訓、〉小坂〈乎佐加〉古家〈布留伊倍〉蒲原 驛家 大井〈於保井〉久貳〈久爾〉 姫名〈比奈〉 神戸 駿河郡 柏原〈加之波波良〉矢集〈也都女〉子松〈古萬都〉古家〈布留以倍〉玉造〈多萬都久里〉横走〈與古波之里〉駿河 山埼〈也萬左木〉宍人〈之々比止〉永倉〈奈加久良〉宇良

〔集古文書〕

〈四十二寄附状〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0622 北條時頼寄進状〈伊豆國熱海走湯山東明寺藏〉 寄進 走湯山寺領事 駿河國伊賀留美郷(○○○○○)内水田伍町 右爲天下泰平、爲息災安穩、以彼田地所令寄進也、早停止郷司地頭沙汰爲一圓不輸之地、限永代當山御領之状如件、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 寛元五年二月十六日 左近將監平朝臣〈花押〉 延慶四年寄進状〈相模國鎌倉鶴岡八幡宮藏〉 寄進 駿河國池田郷(○○○)内田畠屋敷〈注文在別紙〉事 右爲鶴岡八幡宮毎季大般若經轉讀料所、寄進状如件、 延慶四年正月十九日 沙彌〈花押〉

〔富士文書〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 駿河國下島郷(○○○)地頭職、所附當宮也、知行者天氣如此、悉之以状、 元弘三年九月三日 左少辨〈花押◯中御門宣明〉 富士大宮司館

〔三島神社文書〕

〈乾〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 奉寄 三島大明神 駿河國土加利郷(○○○○)内、田參町、畠壹町事、 右奉寄、如件、 建武元年二月九日 左兵衞督源朝臣〈花押◯足利尊氏〉

〔小早川什書〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 駿河國安部郷(○○○)内、殿岡七郞入道跡事、爲闕所之由望申之間、爲相模國北成田郷、波多野郷之内、阿曾沼下野權守〈◯朝綱〉跡替、暫所預置也、自將軍家仰下之程、可所務由候、仍執達如件、 建武三年十月十日 家長〈花押◯斯波〉 小早河左衞門五郞入道殿

〔和簡禮經〕

〈上〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0623 曾我奧太郞時助申、駿河國沼津郷(○○○)〈工藤右衞門尉跡〉事、任去二月八日御下文之旨、可沙汰付之状、依仰執達如件、 建武三年十月十五日 武藏權守〈◯高師直〉在判 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 少輔四郞入道殿

〔蠹簡集殘編〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 駿河國香貫郷(○○○)正税四分壹事、爲井伊城責兵粮、所宛行之状如件、 建武五年三月廿七日 花押〈◯今川範國〉 松井八郞殿〈◯助宗〉

〔實相寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 駿河國岩本郷(○○○)内實相寺寺務職事 右法東侍者禪師爲職、任先例管領之状、國宣如件、 建武五年六月廿七日 花押〈◯今川範國〉

〔集古文書〕

〈十五判物〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 延文三年判物〈伊豆國熱海走湯山東明寺藏〉 走湯山領駿河國中田保西島郷(○○○)等事、依安部凶徒蜂起、雖軍勢等、如元所返付也、任先例沙汰之状如件、 延文三年十二月廿六日 前上總介〈花押〉 當所預所

〔駿陽徴古〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 寶樹院領駿河國内尾郷(○○○)佛光寺田、并番匠洽同大岩郷(○○○)内〈等持院殿御寄進〉紺免、同下島道場田〈慶壽寺被寄進〉井宮、同上足洗内壹名〈長慶寺被寄進、木作跡、〉瀬宮、〈今林寺被寄進〉并馬淵御堂屋敷貳段、向笠文太夫知行内壹町、當府内寺中屋敷、同玉屋屋舖等事、 右依此等證文等事〈文安元甲子二月七日〉寺家炎上、悉令紛失畢、雖然住當知行之旨、領掌不相違者也者、守先例寺家執務之状如件、 文安元年三月廿七日 前上總介〈在判〉

〔駿陽徴古〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0624 駿河國下方内大塚郷(○○○)稚村太郞左衞門尉爲久名主職〈此内、神尾右京亮讓分共、〉并新屋名等之事、 右代々證文、近日逢盜賊失却之候、縱從他之手之、不許容、兼又親類割分事、於同心者、可

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 前々、至于有異儀者、爲久宜然可相計、定納年貢納一門以下等者、可年來之状如件、 大永八〈戊子〉年八月七日 五郞〈花押〉 稚村太郞左衞門尉殿

〔久住文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 口野郷(○○○)之内、江浦へ著岸伊勢船之儀、其外雖小舟、於諸商賣横合、并問屋之儀も申付上、代官かたへ禮等之儀者、可前候、但於有役者、此方へ可沙汰、若依打鐵錠者、代物以貳拾疋浦祭、此上代官百姓、若有兎角儀者、爲先彼判形相斷之状如件、 弘治三〈丁巳〉三月廿四日 氏元〈花押〉 楠見善左衞門尉殿

〔清水寺文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625稻葉郷(○○○)内清水寺、毎年正月十七日七月十七日兩度、新町可相立事、 一商人諸商買不役事 一押買狼藉之事 一喧嘩口論事 右條々、於違犯之輩者、急度可成敗者也、仍如件 永祿四年六月朔日 清水寺衆徒中

〔駿陽徴古〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 駿河國椎尾増善寺境内門前田畠、并諸塔頭諸末寺光雲寺領壹町四段半畠貳枚、上島郷(○○○)内浮免貳町、同段錢六貫文、字名郷地頭方、〈岡部左馬允分、拾貫文、〉賀島内蓮光寺分〈米百貳拾俵餘、代五貫文、〉小杉米六拾六俵半等之事、 右寺領所々、任代々判形之旨、如宗滴和尚讓状領掌畢、〈◯中略〉守先例執務之状如件、 永祿八乙丑年十一月七日 上總介〈花押〉 増善寺宗佐和尚

〔駿陽徴古〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0625 駿河國太平之郷(○○○○)臥雲庵領之事 合八貫五百文者 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 右爲天澤寺殿御靈供寄進申候、寺家山林、并門前棟別轉役課役如前々免除之、不相違者也、仍如件、 元龜三年壬申二月廿二日 氏眞〈花押〉 大輝和尚 定 阿野庄之内、赤野山青野郷(○○○)淺間并足高明神別當職之事、如前々仰付畢、然者神前之諸役等、如舊規怠慢者也、仍如件、 元龜三年壬申五月十四日〈在判〉 市川宮内助奉之 定 瀬名郷(○○○)内利倉宮事、自前々拘來之上者、自今以後、彌不御相違、去宮中造立祭祀等、無怠慢懃仕之旨、所仰出也、仍如件、 天正四丙子年二月十六日〈在判〉 跡部大炊助奉之 奈吾屋大夫

〔渡井文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 布澤之郷(○○○○)小屋之者、何も赦免候間、爲先印判申付候、軍勢甲乙人、彼男女ニ手指候者、可嚴科者也、仍如件、 三月六日(壬午)〈北條氏虎朱印〉 垪和伯耆守〈奉之〉 源五郞殿

村里/名邑

〔駿河國志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 郡數七郡 村數三百四ケ村 内貳百九拾三ケ村 御代官所 拾壹ケ村 御預リ所

〔郡名一覽〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0626 一駿河國(御料私領)〈駿州 東西二日半〉 七郡 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 高貳拾三万七千八百三拾七石四斗七合貳勺八才 七百九拾五ケ村 ●府中御城〈四十五里〉 ●田中〈四十八里〉 ●沼津〈廿九里半〉 ○小島〈四十三里半〉 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f000063104e.gif 久能〈四十二里榊原越中守〉 <府中紺屋町〈四十五里〉 <島田〈出張五十里〉 <松岡〈同上卅八里〉 <三島〈同上廿八里〉 ◯按ズルニ、本書ノ符號ハ、山城國篇村里條ニ引ク所ノ、本書ノ凡例ヲ參照スベシ、

〔郡國提要〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 駿河 七郡、七百八十村、 高二十五万五百三十八石七斗五升三合九才(御料私領) 志太郡百二十六村 益津郡三十二村 安倍郡百二十三村 庵原郡八十二村 富士郡百四十八村 駿東郡百七十一村 有度郡九十九村

〔地勢提要〕

〈坤〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 郡邑島嶼奇名 駿河 有渡(ウト)郡、安古(アコ)村、用宗(モチム子)村、有東坂(ウトウサカ)村、富士郡、神戸(ガウト)村、駿東郡、新芝(アラシハ)村、仁杉(ヒトスギ)村、北久原(ホクハラ)村、深良(フカラ)村、芝穗田(シハスタ)村、

〔駿河國新風土記〕

〈二提要〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0627 郷庄 庄號ハ國中ノ各村ニアルニアラズ、臣下ニ賜フ所ニノミアリテ、公田ノ所ニハ庄名ナシ、此國ノ庄名、古書ニ出タル事左ノ如シ、 東鑑ニ出タル庄名 服織庄、八條院御領、〈安部郡ナリ〉 益津庄、圓勝寺領トモ鶴岡神宮寺領トモ、〈益津郡ナリ〉 蒲原庄、庵原郡ナリ、 大岡庄、駿河郡ナリ、 太平記ニ、駿河國入江庄、〈有渡郡〉 走湯山所藏嘉元二年文書、駿河國金持庄、〈駿東郡〉 永正年古文書、國界庄、〈同郡ナリ、此庄名不審、地名所々ニ論ズ、〉 曾我物語、富士郡松風庄、今詳ナラズ、 古書ニ出タル所コレラナリ、中古ノ文書、棟札、鐘名ナドニアルモノ、多クハ不審ナルノミアリ、元祿年間ノ高附帳ニシルシタル庄名、 安部郡服織庄〈一郡スベテ服織庄ト云、何ヨリイヅレナルコト未詳、安部山中ニ玉川庄ト云村アレド、古ニ證トスベキ者ナシ、俗稱ナルベシ、〉 有渡郡長田庄、〈古ノ郷名ナリ、長田或ハ中田ニ作ルモノアリ、同ジ所ナリ、一郡コノ庄名ヲ稱ス、〉 志太郡大津庄、〈古ノ郷名ナリ、又御厨ノ名ナリ、庄トイ〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 〈フコト古書ニハ見ヘズ、〉 葉梨庄、風土記ノ郷名ナリ、前ニ同ジ、 前島庄、中古ノ驛ノ名ニアリ、前ニ同ジ、 益津郡益津庄、東鑑ニ出タルニ同ジ、 廬原郡蒲原庄、同、 高部庄、下方庄、此庄名、北條五代記ニモミヘタリ、 須津庄、 駿東郡鮎澤庄、本邦竹下村鮎澤川アリ、 小泉庄、泉六ケ村ト稱ス、 金持庄、前ニ出、 大岡庄、同、 阿野庄〈阿野栗禪師公曉モ、コノ所ニ住テ、阿野ヲ以テ稱ス、〉 上件ノ外ニ改選系譜、松平伊賀守忠晴、寛永十九年九月、賜駿河國志太郡御厨庄田中城三万石トアルハ、外ニ見ヘヌ庄名ナリ、此御厨ト云ハ、イヅレノ御厨ノナマリナリケン、若クハ小楊津御厨ノウチナリシヤ、

〔吾妻鏡〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 壽永三年〈◯元暦元年〉四月六日甲戌、池前大納言、并室家之領等者載平氏沒官領注文、自公家下云云、而爲故池禪尼恩徳宥彼亞相勅勘之上、以彼家領三十四箇所、如元可彼家管領之旨、昨日有其沙汰之給、〈◯中略〉 池大納言沙汰〈◯中略〉 大岡庄(○○○)〈駿河◯中略〉 右庄園拾七箇所、載沒官注文、自於院給預也、然而如元爲彼家沙汰知行、勤状如件、 壽永三年四月五日 池大納言家沙汰〈◯中略〉 服織庄(○○○)〈駿河◯中略〉 已上、八條院御領、〈◯中略〉 右庄園拾陸箇所注文如此、任本所之沙汰、彼家如元爲知行、勤状如件、 壽永三年四月六日

〔吾妻鏡〕

〈八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0628 文治四年七月廿八日壬戌 式部大夫親俊募武威他人領所、抑留乃貢之間、雖預勅問陳謝之由、依其讒出來、二品令親能許給之處、不委細言上、只去六月已捧状訖、案文獻上之、若此事候歟之由申之、此由訴之歟之由、二品令感給云云、 謹請 院宣二箇條事 一駿河國蒲原御庄(○○○○)御年貢事 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 右件御庄、大外記師尚依相親訛付之間、以内儀沙汰之處、文治元二年者、令究濟返抄畢、可尋彼師尚朝臣、歟、去年分、去四月令積載纜畢〈◯中略〉 文治四年六月十一日 散位藤原朝臣親能

〔吾妻鏡〕

〈十九〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 承元三年十一月八日戊戌、鶴岡神宮寺可常燈之由被仰下、以駿河國益頭庄(○○○)乃貢、可彼燈油之由、被相州云云、

〔白河文書〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 駿河國須津莊(○○○)内須津河郷事、不總莊之上者、可全知行者、天氣如此、悉之以状、 建武元年八月十一日 宮内卿〈◯中御門經季〉在判 結城上野入道〈◯宗廣〉館

〔蠹簡集殘編〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 駿河國葉梨莊(○○○)内田地壹町、并屋敷壹所地頭代職事、守先例、可知行之状如件、 建武五年正月二日 花押〈◯今川範國〉 松井兵庫允殿

〔梅花無盡藏〕

〈一〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 里槃脚上方始對談〈二十日黎明、出袖浦、午時入葉梨庄、日遣山槃脚寺、前夕舟子迷津、艤岸移刻、小河大船多、而道路甚汚穢、無脚之地、◯詩略〉

〔駿陽徴古〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 定 駿州阿野庄(○○○)之内眞如寺之事、從法性院殿懸置候之上者、自今以後、彌不相違候之條、修造已下、無怠慢様、可尊意儀肝要候、恐惶敬白、 元龜四年〈癸酉〉八月廿七日 勝頼〈花押〉 拜進 長禪寺侍衣閣下

藩封

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0629 水野出羽守忠誠(帝鑑間 朝散大夫) 五万石 居城駿州駿東郡沼津〈江戸ヨリ三十九里半 當城者、天正七己卯年、武田勝頼使其臣高坂源五郞築一レ之、其后同九辛巳年、松平周防守康重、慶長六辛丑年、大久保次右衞門尉忠佐居、同十九甲寅、廢城、安永六丁酉年、依台命、水野出羽守忠友築城、以後領之、◯節略〉

〔慶應元年武鑑〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 本多紀伊守正訥(雁間 朝散大夫) 四万石 居城駿州益津郡田中〈江戸ヨリ四十八里 慶長十五、御番城、寛永二駿河大納言忠長卿持、同八、松平大膳亮忠重、同十二、水野監物忠喜、同十九、松平伊賀守忠晴、正保元、北條出羽守氏重、慶安二、西尾丹後守忠照、同隱岐守忠成、延寶七、酒井日向守忠能、同九、土屋相模守政直、貞享五、太田攝津守資直、同熊次郞資重、寶永二、内藤豐前守式信、正徳二、土岐伊豫守頼殷、同丹後守頼稔、亨保十五ヨリ本多伯耆守正矩、以後領之、〉 松平丹後守(菊之間 朝散大夫) 一万石 在所駿州庵原郡小島〈江戸ヨリ四十三里半 元祿年中ヨリ松平氏代々領之◯節略〉

田數/石高

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 駿河國〈◯註略〉管七〈田九千六十三町二段百六十五歩〉

〔伊呂波字類抄〕

〈須國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 駿河國〈管七◯中略〉 本田九千七百九十七町

〔海東諸國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 駿河州 郡七、水田九千七百十七町、

〔官中秘策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 駿河國 七郡〈◯中略〉 一石高貳拾三万七千九百三拾七石餘

〔駿河國志〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 駿河國總高合貳拾四万六千八百七十四石四斗壹升四合四勺貳才 内譯 高壹万九千八百五拾五石四斗七升七合五勺 安部郡 高三万六千壹石八斗五合五勺五才 有渡郡 高貳万千七百七拾壹石七斗七升六勺 庵原郡 高四万八千貳百五拾七石三斗九升壹合三勺 富士郡 高五万五千三拾八石三斗五升 志太郡 高壹万千八百四拾七石七斗四升三合 益津郡 高四万九千六百六拾四石八斗六升三合 駿東郡

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0630 天保度御國高調〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 駿河國〈御料私領〉 一高貳拾五万五百三拾八石七斗五升三合九勺

出擧稻

〔延喜式〕

〈二十六主税〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 諸國出擧正税公廨雜稻 駿河國、正税廿三万束、公廨廿五万束、國分寺料二万束、大安寺料四万一千束、藥師寺料八千束、文珠會料二千束、修理池溝料三万束、救急料六万束、俘囚料二百束、官牧牛直一千三百卅四束、

〔倭名類聚抄〕

〈五國郡〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 東海道〈◯中略〉 駿河國〈◯註略〉管七〈(中略)正公各二十八萬束、本稻五十八萬二千二百六十束、雜稻三萬三千二百六十束、〉 ◯按ズルニ、此書ノ記スル所、頗ル延喜式ト合ハズ、而シテ遠江國ノ稻數ト相同ジ、其遠江國ノ條ト相混ジテ錯誤ヲ致シヽヤ必セリ、

〔東大寺正倉院文書〕

〈十八〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 駿河國正税帳 志太郡、天平九年定穀參萬伍仟伍伯參拾陸斛肆斗捌升、〈振入三千二百卅斛五斗九升、斛別入一斗、〉 定參萬貳阡參伯伍斛捌斗玖升〈◯中略〉 益頭郡(○○○)天平九年定穀萬肆阡伍伯壹拾參斛陸斗、〈振入四千卌六斛六斗九升、斛別入一斗、〉 定肆萬肆伯陸拾陸斛玖斗壹升〈◯中略〉 安部郡(○○○)、天平九年定穀伍萬玖阡陸伯肆拾伍斛參斗貳升、〈振入五千四百廿二斛三斗、斛別入一斗、〉 定伍萬阡貳伯貳拾參斛貳升〈◯下略〉

國産/貢獻

〔延喜式〕

〈二十三民部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 年料別納租穀〈◯中略〉 駿河國〈三千五百石◯中略〉 年料別貢雜物〈◯中略〉 駿河國〈筆一百管、零羊角四具、◯中略〉 諸國貢蘇番次〈◯中略〉 駿河國十二壺〈四口各大一升、八口各小一升、◯中略〉 右八箇國爲第一番〈丑未年◯中略〉 交易雜物〈◯中略〉 駿河國〈絹二百疋、商布二千一百段、段別長二丈六尺、鹿革卌張、樽二合、〉

〔延喜式〕

〈二十四主計〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0631 駿河〈◯中略〉 右十一國麁絲〈◯中略〉 駿河〈◯中略〉 右十國輸絁〈◯中略〉 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 駿河國〈行程、上十八日、下九日〉 調、一窠綾六疋、二窠綾五疋、三窠綾四疋、小鸚鵡綾一疋、薔薇綾三疋、帛一百廿疋、橡帛十三疋、橡帛八疋、皂帛十疋、倭文卅一端、煮堅魚二千一百卅斤十三兩、堅魚二千四百十二斤、自餘輸絁、庸、白木韓櫃廿合、自餘輸布、 中男作物、手綱鮨卅九斤十三兩二分、紙、紅花、火乾年魚、煮鹽年魚、堅魚、煎汁堅魚、

〔延喜式〕

〈三十四木工〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 諸國所進雜物〈◯中略〉 商布七百六十二段〈三千七百九十二段内、配修理職之遺、〉 駿河國七百段、下野國六十二段、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 諸國進年料雜藥〈◯中略〉 駿河國十七種 桔梗廿斤、白、朮十兩、木斛、橘皮各五斤、伏苓、防風、夜干、防己各十斤、桑螵蛸五兩、暑預、附子、蜀椒各二斗、麥門冬、決明子各五升、桃人一斗、亭藶子二升、零羊角四具、

〔毛吹草〕

〈三〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 駿河 安倍川紙子(カミコ) 久野蜜柑 三穗松露 富士苔〈山中谷川ニ有之〉 黄芪(ワウギ) 香爐灰 大井川萸 瀬戸染飯 宇都山十團子 善徳寺酢 澳津鯛 同白砂干 神原鮎鮫

〔駿府志略〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0632 物産 漆器、磁器、白銅器、竹絲籃屬、府人製之、楮紙、椏紙、出于安倍諸邑、牡丹、芍藥、桂蘭、石斛、萬年青屬、出于龍爪、葡萄石出于横澤、馬蹄石出于藁科、蜃灰出于三尾、龜甲、緜布、出于八幡、青鮫魚皮、出于藤枝、葛根、獨活、山藥、出于宇都谷、伏苓出于廬原諸山、沙糖以三尾最、茶以蘆窪最、 蜜柑出于小坂朝夷、梅子出于西谷内牧、松蕈出于建穗雄鹿、乾苔、松露、蕃薯、甘瓜屬、出于三尾、薯蕷出于蘆窪丸子、香菰出于安倍山中、芹菜出于稻川、牛房出于松野、蔓菁出于大内、萊菔出于雄鹿江尻、 http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650ff3.gif 菜出有東木溪者爲最、蔊田布細石於淺水中、種蔊其間、蓋惡淤氣也、石蟹好食之、故往往有蟹荒、 鳬、雁、鷺鶿、鯉魚、鯽魚、圓魚、饅鱺屬、出于麻機鯨池、溪鰛出于安倍藁科朝夷興津諸水、鰒魚出于石部、奇

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 鬣黄穡、松魚、蠓魚、鱸魚、鯵魚、河豚、華臍烏賊龍蝦、海參、牡蠣屬、出于清水城腰、 棘鬣魚餻、謂之半平、忠長寵臣戸田半平始製、因以名之、至今其法精於佗方、半平或作鱧餅、音訛也、興津鯛、即乾黄穡魚也、炙煮皆宜、烈祖之在駿城、興津河内屢進之、因賜名、 角粽、朝夷郷人、以山茶灰汁之、邑如琥珀、數月不變、佳品也、

〔續日本紀〕

〈五元明〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 和銅五年七月壬午、令〈◯中略〉駿川〈◯中略〉讃岐等二十一國、始織綾錦

人口

〔官中秘策〕

〈二〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 駿河國 七郡〈◯中略〉 一人數三拾三万三千八百拾九人 内〈拾六万千三百八拾八人 男 拾五万貳千四百三拾壹人 女〉

〔吹塵録〕

〈五人口及國高〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 諸國人數調〈◯中略〉(文化元甲子年) 一人數貳拾五万貳千七拾貳人(御料私領) 駿河國(高貳拾三万七千八百三拾七石餘) 内〈拾三万千百三拾人 男 拾貳万九百四拾貳人 女◯中略〉 諸國人數調〈◯中略〉(弘化三丙午年) 一人數貳拾八万六千貳百九拾人(御料私領) 駿河國(高貳拾五万五百三拾八石餘) 内〈拾四万六千八百五拾四人 男 拾三万九千四百三拾六人 女〉

風俗

〔人國記〕

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0633 駿河國 駿河國之風俗、遠州ニ替リ、人ノ氣狹ク、而モ實寡シ、然ドモ氣狹キガ故ニ、伸ル心スクナク、氣ノ屈スル時ハ取ナヲス事ナラズ而、命ヲ終ルモノ時々成故ニ、思ヒ詰タル時ハ、氣一和スル故ニ、片クヘナキ所有、雖然常ニ諂フ事ナク而、毎物ニ氣ヲ付、思慮深クシテ、ヌキンズル者スクナク、人ニ從フ心大分有テ、義ヲ思ヒ詰テ立ル人ハ小分也、都而イケン多ク而、吾ハ人ヲ誹リ、人ハ吾ヲイヤシム、風儀更ニシマリナキ國ナリ、去ルニ因テ一國一和スルトイヘドモ、一郡一庄一郷ニ氣質之公成人希ニ而慾深シ、是國ヲ靜メン事、舊惡ヲ不數而、其悔ル處之事ヲ不糺其勢ヲ高ク振フ時ハ、心

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 氣トロケテ旗ヲ卷クコト、日ヲ不期也、

名所

〔日本鹿子〕

〈五〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0634 駿河國名所舊跡之部 岡部 丸子と藤枝との間也、宿の名なり、〈◯中略〉 宇津の山 岡部と丸子の宿との間也、けはしき坂也、宇津の谷とも云、業平の朝臣、東に下りし時、此所にてす行者に都に言傳しけんといふも此所なり、〈◯歌略〉 蔦の細道 宇津の山のうちをいふなり〈◯歌略〉 木枯の森 府中と丸子との間に川あり、安部川と云、此水上に此木村あり、〈◯中略〉 清見潟 清見寺 沖津の宿近邊なり、寺は山かげ也、北は山、南は海也、清見が關といふは所寺の門前なり、〈◯歌略〉 清見がたより一里餘有りて、江尻といふ宿あり、三保より汐入の川一里西に有之、舟にて三保へは川をさし出るなり、無雙の景地也、 三保の浦 同崎 同松原 同入海 西より東へ一里計海中へ出たる松原也、南は江尻につヾきたり、清見がたより三保は南也、入海の上一里あり、富士も三保よりはよく見えたり、言語につくしがたき景地也、入江より東の沖になりては、伊豆の海のうち也、〈◯歌略〉 奧津の里 同川 海際也、北はさつた山といふ山あり、清見よりちかし、川は北より南へ流出たり、〈◯歌略〉 富士山 富士のすがたは、北へ遠く足をはりて、南西はけんそに見えたり、さるによりて、遠江より駿河の宇津の山にて見るまでも、山のなりは同じ様なり、清みがたを過て神原を行々見れば、丑寅にあたりてけんそに見ゆるなり、〈◯中略〉 田子の浦 富士は川より少東也、岩本へ五十町ばかり也、かん原よりは東也、三保の入江よりう

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 き島がはら傳の浦をしなべて、田子の浦と總名に云なり、清見奧津などそのうちの小名也、〈◯歌略〉 足高山 富士より東にあり、此山は唐土の山となり、富士に岳くらべせんとて日本え來るを、足柄の明神けくづさせ給ひて、富士よりひきしと云へり、駿河の沖に浪のごとくにて有りけるを、神力を以今うき島が原と成しヽと云々、子細ありてことのよし、むかし鎌倉へ下るには、ふじと足高山との間を、足柄ごえとてくだりしとなり、 浮島が原 東西三十里也、但し六町を一里とすと云へり、富士より南也、富士と此原との間は水海也、京より南は大海也、ふじ川より東に見付といふ所あり、爰より次を浮島が原といふとなり、〈◯歌略〉

雜載

〔延喜式〕

〈二十八兵部〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 諸國健兒〈◯中略〉 駿河國五十人〈◯中略〉 諸國器仗〈◯中略〉 駿河國〈甲三領、横刀七口、弓卌張、征箭卌具、胡簶卌具、〉

〔吾妻鏡〕

〈六〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 文治二年三月十三日辛卯、關東御分國々乃貢、日者依朝敵征伐事、頗懈緩、然者被以前分、自今年合期沙汰之由、所京都也、 諸國濟物事、治承四年亂以後、至于文治元年、世間不落居、〈◯中略〉頼朝知行國々、相模、武藏、伊豆、駿河、上總、下總、信濃、越後、豐後等也、〈◯中略〉 三月十三日 頼朝 進上帥中納言殿

〔萬葉集〕

〈十四東歌〉

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0635 相聞 安麻乃波良(アマノハラ)、不自能之婆夜麻(フジノシバヤマ)、己能久禮能(コノクレノ)、等伎由都利奈波(トキユツリナバ)、阿波受可母安良牟(アハズカモアラム)、 不盡能禰乃(フジノ子ノ)、伊夜等保奈我伎(イヤトホナガキ)、夜麻治乎毛(ヤマヂヲモ)、伊母我理登倍婆(イモガリトヘバ)、氣爾餘婆受吉奴(ケニヨハズキヌ)、 

http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0636 可須美爲流(カスミスル)、布時能夜麻備爾(フジノヤマビニ)、和我伎奈婆(ワガキナバ)、伊豆知武吉氐加(イヅチムキテカ)、伊毛我奈氣可牟(イモガナゲカム)、 佐奴良久波(サヌラクハ)、多麻乃緒婆可里(タマノヲバカリ)、古布良久波(コフラクハ)、布自能多可禰乃(フジノタカネノ)、奈流佐波能基登(ナルサハノゴト)、 或本歌曰、麻可奈思美(マガナシミ)、奴良久波(ヌラクハ)〈◯波一本无、恐衍、〉思家良久佐(シケラクサ)〈◯佐原脱據一本補〉奈良久波(ナラクハ)、伊豆能多可禰能(イヅノタカネノ)、奈流左波奈須與(ナルサハナスヨ)、 一本歌曰、阿敝良久波(アヘラクハ)、多麻能乎思家也(タマノヲシケヤ)、古布良久波(コフラクハ)、布自乃多可禰爾(フジノタカネニ)、布流由伎奈須毛(フルユキナスモ)、 駿河能宇美(スルガノウミ)、於思敝爾於布流(オシヘニオフル)、波麻都豆夜(ハマツヾラ)、伊麻思乎多能美(イマシヲタノミ)、波播爾多我比奴(ハハニタガヒヌ)、 一云、於夜爾多我比奴(オヤニタガヒヌ)、 右五首駿河國歌(○○○○)〈◯中略〉 譬喩歌 斯太能宇良乎(シダノウラヲ)、阿佐許求布禰波(アサコグフネハ)、與志奈之爾(ヨシナシニ)、許求良米可母與(コグラメカモヨ)、奈志許佐流良米(ナシコザルラメ)、 右一首、駿河國歌、


Last-modified: 2019-03-15 (金) 09:48:58 (387d)