供御藥

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 御藥を供ず〈(中略)屠蘇、白散、度瘴散、〉

〔節用集〕

〈土〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 屠蘇白散(トソビヤクサン)〈正月一日飮之、藥也、〉

〔下學集〕

〈下飮食〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 屠蘇白散〈正月一日飮此藥也、一人飮之一家無病、一家飮之一里無病也、自少飮之、然後至老也、〉

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 元日 一獻供屠蘇〈古者屠蘇之屠、忌死尸之尸、加一點戸、是本朝之故實也、〉

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 正月 問て云、元三の日は、屠蘇白散の酒を呑と云事ありや、屠蘇とはいかなるいはれにてなづけ侍るにや、答、此ことは醫心方、金谷園記などいふ書にしるせり、屠蘇は草庵の名なり、むかし草の庵りに住ける人の、此藥をその里の人のかたへおくりて、大晦日に井の中にひたして、元日にとりいだして、酒樽にひたしてこれをのまば、其年疫氣にをかさるまじきといへり、一人これをのめば一家に病なし、一家にのめば一里に病なしといふ功能侍り、

〔歌林四季物語〕

〈一春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0789 とそと名付くるは、なべては人のしらぬことなるべし、古き藥のかみのつたへし文には、しはくといひしくすしのはかせ、もろこしにいまそかりし頃、こしらへためりしやく方にて、屠は割なりとかや、蘇は鬼の總名など聞えて、そのあしきおにのわざはひのさきだちぬべきやくとこありて、一人これをふくすれば一家やまふなく、一家これを用ゆれば一さとのわづらひをやむるとつたへたる文にも侍るならし、

〔月令廣義〕

〈五正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 屠蘇酒〈韻語陽秋、飮屠蘇酒、以祓瘟禳惡、歳時記、昔有人居草庵之中、毎歳除夕、遺閭里藥一貼、令嚢浸于井中、至元日水置酒尊、名屠蘇酒、合家飮之、不瘟疫、屠蘇一云、孫思邈草庵名、注云、屠割也、蘇腐也、〉

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 民間歳節上 正月一日、〈◯中略〉進屠蘇酒、〈◯中略〉 宛委餘篇曰、草曰屠蘇、屋曰屠蘇、冠幘曰屠蘇、酒亦曰屠蘇、品字箋曰、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001cf91.gif 葉草曰屠蘇、後因爲屋、有庵名飮名、〈◯中略〉魏略云、〈◯中略〉唐孫思邈有屠蘇酒方、蓋取庵名以名酒、後人遂以屠蘇酒名矣、〈◯中略〉群芳譜曰、元日進椒酒、次第從少至老、今屠蘇其遺意也、唐孫思邈有道術、作庵名屠蘇、除夕遺閭里藥嚢、浸井中、元旦取置酒中屠蘇酒、合家飮之不瘟疫、謂屠絶鬼氣、蘇醒人魂、〈◯註略〉七修類藁曰、屠蘇本古庵名也、當广字頭、故魏張揖作廣雅、釋庵以此廜https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a45.gif 二字、今以爲孫思邈之庵名誤矣、孫公特書此二字於己庵、未必是此屠蘇二字、解之者、又因思邈庵出疫之藥、遂曰屠絶鬼氣醒人魂、尤可笑也、其藥予甞記、三因方上有之、今曰酒名者、思邈以屠蘇庵之藥人、作酒之故耳、藥用大黄、配以椒桂、似即崔寔月令所載元日進椒酒也、故屠蘇酒亦從少至長而飮之、

〔荊楚歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0790 正月一日、〈◯中略〉進椒栢酒、飮桃湯、進屠蘇酒、膠牙錫、下五辛盤、進敷於散、服却鬼丸、各進一鷄子、造桃板戸、謂之仙木、凡飮酒次第從少起、 按、四民月令云、過臘一日、謂之小歳、拜賀君親椒酒、從小起、椒是玉衡星精、服之令人身輕能一レ老、栢是仙藥、成公子安椒華銘則曰、肇惟歳首、月正元日、厥味惟珍、蠲除百疾、是知小歳則用之、漢朝元正則行之、桃者五行之精、厭伏邪氣百鬼也、董勛云、俗有歳首用椒酒、椒花芬香、故采花以貢樽、正月飮酒先小者、以小者得一レ歳先酒賀之、老者失歳故後與酒、周處風土記曰、元日造五辛盤、正月元日五薫錬形、五辛所以發五藏之氣、莊子所謂、春月飮酒茹蔥以通五藏也、敷于散葛洪煉化篇方、用栢子人麻人細辛乾薑附子等分散、井華水服之、又方、江夏劉次卿以正旦市、見一書生入一レ市、衆鬼悉避、劉問書生曰、子有何術以至於此、書生言、我本無術、出之日、家師以一丸藥絳嚢裹之、令以繫臂防惡氣耳、於是劉就書生此藥、至鬼處

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 諸鬼悉走、所以世俗行之、其方、用武都雄黄丹散二兩、蠟和令調如彈丸、正月旦令男左女右帶一レ之、

〔土左日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 元日なほおなじとまりなり、白散をあるもの、夜の間とて船やかたにさしはさめりければ、風にふきながさせて海にいれて、得のまずなりぬ、

〔菅家文草〕

〈四詩〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 元日戲諸小郞〈仁和五年〉
珍重行年五九春、可憐兒輩二三人、不多勸屠蘇酒、其奈家君白髮新

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 朔日 屠蘇、白散、〈(中略)俳、數の子にとその末座を壽れ、會月、慇懃に夫婦時宜するとその酒、仄蒿、〉

〔續山の井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 屠蘇
とその酒を祝ふや貴賤上戸下戸   播磨河合義貞
家々のかげん同銘やとその酒   友光

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 たうやく〈千瘡萬病膏〉

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 正月 問て云、三日にたうやくとてつくる事侍るにや、答、たうやくは膏藥なり、かうやくといふは、きヽわろきによりて、たうやくといひかへたり、延喜式には千瘡萬病膏といへり、もろもろのかさ、よろづの病をなほす功のうあるにや、さて御藥の儀式は三ケ日あり、第三日にはこれをつけ給なり、

藥方

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0791 元日御藥〈中宮准此〉
白散一劑、度嶂散一劑、屠蘇一劑、千瘡萬病膏一劑、供藥漆案三脚、〈一脚安散膏、一脚安屠蘇鎗子、花足一脚安酒盞、〉銀盞一合、銀盤一口、白銅鋺一合、白銅盞子四合、朱漆下食盤八合、〈徑八寸、並收寮、〉嚢一口、〈長二尺三寸〉嚢緒絲一兩、紙廿張、木綿三分、所須人參七兩三分、甘草六兩二分、桂心三分、〈請内藏寮〉白朮二兩三分、大黄一兩二分、附子三兩二分、蜀椒二兩三分、防風三分、烏頭一兩一分、細辛三兩、拔葜二分、干薑一分、麻黄一兩一分、桔梗三兩一分、當歸一兩、大戟二兩、升麻一兩、白芷一兩、芍藥一兩、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001fd62.gif 草一兩、黄芩一兩、獨活一兩、虵https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/0000000192d8.gif 一兩、生地黄

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 五兩、薤白廿莖、〈已上自寮庫行之〉苦酒四升、猪膏十斤、藥篩絹四尺、大笥二合、折櫃二合、炭一石、
 右起十一月下旬十二月下旬、依例造備、所須雜物、十月十五日申省、省申官、下符所司、十一月上旬請備、其雜物數隨時増減、〈◯中略〉
東宮白散一劑、度嶂散一劑、屠蘇一劑、〈並盛同上〉七氣丸二劑、四味理仲丸四劑、供藥漆案二脚、〈一脚安屠蘇、一脚安白散、〉白銅鋺三口、蠻繪下食盤四口、緋嚢一口、〈長二尺〉嚢緒絲一兩、紙十張、木綿二分、所須人參九兩二分、甘草九兩二分、桂心三分、干薑九兩三分、白朮十兩三分、大黄五兩二分、附子二兩二分、桔梗四兩三分、蜀椒三兩一分、防風三兩、菝葜二分、烏頭四兩、細辛三兩三分、麻黄一兩一分、半夏一兩二分、呉茱萸一兩二分、昌蒲一兩二分、伏苓一兩二分、芎藭一兩二分、紫菀一兩二分、石膏一兩二分、柴胡一兩二分、桃人一兩二分、油絁七尺、折櫃二合、〈餘器通用御藥〉 右料理供進依上例、但寮頭已下醫生已上共執入進、

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 正月 問て云、元三の日は屠蘇白散の酒を呑と云事ありや、〈◯中略〉答、〈◯中略〉白散とは、五色の藥をつきふるひて、二こんにこれを供す、功能は大略とそのごとし、これをば方寸のさじにてすくひて酒にいるヽ、また度瘴散といふは、九種の藥をつきふるひて、三獻にこれを供ず、山嵐瘴氣をのぞく藥術也、風おこりの物をのぞく藥なり、これをば一錢の茶匙にてすくひて、酒にいれて可呑よし見えたり、

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0792 屠蘇酒〈◯中略〉 屠蘇の方は醫家にて種々あり、古代より禁中に用られし方、 白朮、桔梗、山椒、防風、〈各壹匁〉肉桂、〈五分〉大黄、〈貳分半〉右は紅の袋に入、東へ指たる桃の枝を、長さ二寸に切結び付、大晦日の夜、井の内へ下置、元朝取出し、土器に入備ふ、 白散の方、白朮、桔梗、〈各壹匁五分〉細辛、〈三分半〉右は土器へ入、上を白紙にてはる、 度嶂散の方 蓽撥、山椒、細辛、防風、桔梗、乾薑、白朮、肉桂、〈各五分〉右は土器へ入、上を黄紙にて張る、 膏藥の方〈とうやくとこれを唱ふ、故實あり、〉 細辛、乾薑、山椒、肉桂、大黄、〈各七分〉大風子の油にて煉、土器に入、上包はなし、

〔改正月令博物筌〕

〈十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 屠蘇方 白朮、桂心、各七分、防風一匁、https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a44.gif 葜五分、蜀椒、桔梗、各五分、大黄五分、烏頭二分五厘、赤小豆十粒、右の藥を三角の紅の袋に入、除夜に井の底にかけて、元日に取出し、酒につけて呑めば、えきれい其外一切の邪氣をさくる、時珍が曰、蘇は鬼氣の名也、此藥一切の鬼爽を屠割する故に名づくとぞ、

〔月令廣義〕

〈五正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 屠蘇酒、〈◯中略〉屠蘇酒方、大黄一錢六分、桔梗去蘆、川椒去核、各一錢五分、白朮、桂心、各一錢八分、烏頭炮去皮臍一錢、呉茱萸一錢二分、防風去蘆一兩、右㕮咀片絳嚢盛、懸井中或水缸中、除夕製至元日寅時取出、以無灰酒煎四五沸、取飮自幼及長、

〔公家年事〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 屠蘇 丹家傳云、屠蘇は絳袋に入て、柳枝に付て、除夜の亥時より井戸へ入るヽ、水際一尺ほど上に釣て、地中より升る青陽の氣を藥にうけて、元朝の寅時に、井戸より出して、柳枝につけながら、銚子の酒に浸すなり、 紅袋に入るヽ事は、紅は微塵を拂ひ、氣血を補といへり、柳は青陽を司る故に、木の枝に付る也、春は本東方の卯より來るゆゑに、木扁に卯の字を書て柳と訓ずる也、

〔槐記續編〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0793 享保十九年九月九日、夜參候、〈◯中略〉昔ヨリ正月元旦ニ、屠蘇、白散、度嶂散、膏藥ヲ、典藥頭ヨリ獻上ノコト、定メテ古キコトナルベシ、屠蘇ノ方ハ本草綱目ニモ、古書ヲ引テノセタリ、白散、度嶂散、膏藥ノ方ハ、漢ノ書ニテ不見當、如何ノ事ニヤト申上グ、尤近代ノ書ニ、家傳預藥集ト云ヘル俗書アリ、此中ニ不殘ノセタレドモ、其出所モナシ、屠蘇ヤラカ玄朔ヨリ玄冶ヘ傳受ノ由ヲノセタリ、慥ナラズ、典藥頭ニ尋タレドモ明ニ云ベカラズ、イカニヤト申上グ、仰ニ此四藥ノコトハ、延喜式、江次第ニ載タリ、古法ト見エタリ、然レドモ何レニモ方ハナシ、藥名ノ數ハノセタリ、但シ一條禪閤ノ江次第ノ抄ニ、醫心方ヲ引テ曰、金谷園記ニ云ト云々、コノ金谷園記ト云モノ、色々御僉議アリケレドモ不知、イヨ〳〵方ハ不分明也、先ハ和方ト究ムベシ、未ダタシカニハアラズ、

〔安齋隨筆〕

〈前編五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 屠蘇酒方 加藤佐渡守の庖丁、常に少し醫藥を好みしが、古方の屠蘇を制して、天明三年癸卯正月二日、其屠蘇酒を温めて、同役と共にのみたるに、暫時に舌縮みて腹傷、苦痛悶絶して兩人ともに死せり、彼屠蘇を同家中所々へ送りたりしに、少し飮たるものは死に至らざれども、大に惱み病めりき、彼屠蘇の方書を見しに、烏頭あり、烏頭の毒の中りしにやと、同家中の者談りき、本草綱目の屠蘇の方に、烏頭入りたり、此方にてありしや、怖るべき事なれば記之、

定職員

〔名目抄〕

〈人體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 尚藥〈元三御藥、命婦爲其人、〉藥童子〈同時嘗御藥者也、用嫁者、年齡衣色等有勘文、〉

〔年中行事歌合〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 一番 右 供屠蘇白散   新中納言
春毎にけふなめそむる藥子はわかえつヽみん君がためとか

〔公事根源〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794御藥   一日
是は元三の儀なり、〈◯中略〉藥子とて、少女のいまだ嫁せざるをもとめて、是を用る事有、屠蘇は小兒よりのむといふ本文あれば、其爲に少女を撰て、今日まづのましむるなるべし、

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 正月 問て云、元三の日は屠蘇白散の酒を呑と云事ありや、〈◯中略〉答、〈◯中略〉また屠蘇をばまづ小兒にのましめよといへり、小兒は年をうるもの也、老者は年をうしなふといふゆゑなり、されば東坡が詩にも不最後屠蘇とつくれり、年よりての事にいへり、是によりて禁中にての御藥にも、藥子となづけて、童女に御生氣の色の衣をきせられて、御前へめされて、とその酒を呑せられて、後に供御にまゐらすることにせり、

〔過庭紀談〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0794 元日ニ屠蘇ヲ飮ムニ、小者ヨリ飮ミ始メテ、年カサノ者ヘハ結句段々ニ後ニマハスコト、是レモ唯本邦ノ俗禮ニテ、老者ハ年ワカナルニアヤカリテワカヤグ意ニテ、左様ニスルコトナラント思ヒシニ、後漢ノ崔寔ガ月令ニ、小歳ノ拜賀ニハ、君親椒酒從小者起トアリ、小歳トハ臘後一日ヲ小歳ト云、元日ノコトニテハ無ケレドモ、畢竟元日ノ屠蘇ト同ジコトニテ、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 椒酒從小者起ト云コト、後漢ノ世旣ニコレ有ルヲ知ルベシ、其後晉ノ世ニ至リテ、或人董勛ニ、元日ニ屠蘇酒ヲ飮ムニ、從小者起ノワケヲ問シニ、董勛答ヘテ、小者得歳故賀之、老者失歳故罰之、ト云シヨシ、時鏡新書ニ載レリ、又唐ノ世ニ屠蘇ヲ飮ムニ、小者ヨリ飮ミ始メテ、段々年カサノ者ノ後ニ飮ムコトヲ名ヅケテ婪尾ト云、又啉尾トモ書ク、婪尾トハヲハリヲムサボルト云義ニテ、老者ホド跡ニテユルリト酒ヲヨケイニ飮マシムベキノ意ニテ、老者ヘノ馳走ゴヽロナルヨシ、莊季裕ガ雞肋ニモ、唐時稱婪尾者、以老者後得酒當有餘以優老也ト云ヘリ、董勛ガ説ト莊季裕ガ説トハ表裏ノ違ニテ、何レモアマリ確實ノ説トハ思ハレズ、シカシ何レニモ、小者ヨリ飮ミ始ムルト云コト、フルキコトヽ見エタリ、

〔三養雜記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 屠蘇少年より飮始 屠蘇にかぎりて年少のものより飮始むるよしは、〈◯中略〉吾邦の古も亦然り、内裏式に、元日就内侍机盛屠蘇云々、尚藥供御先賜少年とあり、又屠蘇攷云、盧柳南小簡に、屠蘇卑幼より始むること不遜なり、元日は一歳の始め長幼の分を正し、長者より始むべしといへるは、理さもあるべきことに聞ゆれど、考の足らざるに似たり、其よしは屠蘇もと邪氣を辟る藥方にして、卑幼より始むるは、全く藥を用ゆる法を借たることヽ思はる、禮記に君の藥を飮には臣先嘗む、親の藥を飮には子先嘗むといへり、説苑に殷の湯王の言を載せて、藥食は卑に嘗て貴に至るといふ、これにて考ふるに、家内の人々こと〴〵く屠蘇を飮むに、かりそめにも藥の名あれば、先こヽろむるものは誰をか先にし誰をか後にせん、故に卑幼をはじめとすること、至極のことわりなり、是全く聖人藥を用ゆる禮教をかり用ゆることヽ知るべしといへるは、確論といふべし、

〔延喜式〕

〈十六陰陽〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795 凡應元日御藥童女年并衣色者、舊年十二月上旬、與御忌共奏之、

〔西宮記〕

〈正月上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0795御藥

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 十一月中旬、依陰陽寮勘申、預點仰更衣典侍并近習女房等、令進年齡符合者、 仰内藏寮藥子裝束料云々、

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796御藥〈正月元二三、弘仁年中始之、〉
舊年十一月二十日以前、陰陽寮進勘文二通、〈付藏人所、延喜陰陽式十日以前、〉 一通御忌勘文〈御八卦也〉 一通藥童子勘文〈年並色目、見此勘文、〉 被仰陪膳女房〈如御乳母若典侍上臈之人也、往年更衣奉仕云々、〉 奉仰之人求童女未嫁之者年齡符合、 藏人仰内藏寮、令其裝束料云々、 又被尚藥女房〈女房中用命婦、諸宮用女史、近代定一人、即是尚藥也、〉 又被命婦女藏人各二人〈◯下略〉

〔朝野群載〕

〈十五陰陽道〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 陰陽寮
 擇申應奉明年正月元日御藥童女
  御年若干
  生氣在〈某〉方色〈某、〉童女年若干〈某〉年、
  件女可〈某〉色衣
 養者、在〈某〉方某色、 童女年若干〈某〉年
  件女可〈某〉色衣
   年月日   頭助以下陰陽師以上加

〔名目抄〕

〈人體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796 後取〈元三御藥、除夜藏人定其人、元日四位、二日五位、三日六位、〉

〔公事根源〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796御藥 是は元三日の儀なり、〈◯中略〉昔は上戸を撰て後取にめしけるとかや、一日は四位、二日は五位、三日は六位の藏人也、つごもりの日、奉行の藏人交名をきり紙にしるして、殿上のすみの柱におす也、

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0796御藥〈◯中略〉 晦日〈◯十二月〉藏人定後取、押於殿上北壁角柱、〈西第一門柱也〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 後取

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 元日

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 某朝臣

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 二日

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 三日

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 某 
廣一寸八分、高一寸六分、元日四位、二日五位、三日六位、並可高戸者、近代不必然、但元日不近衞次將

〔蓬萊抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 正月朔日、所司供御藥、〈◯中略〉殿上人奉仕後取、去年十二月晦日、行事侍中定其人三人、書紙屋紙殿上角柱、〈元日四位、二日五位、三日六位勤此役、或又令大飮云々、近代不必然、花族人々或以固辭歟、〉

〔爲房卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 延久五年正月一日、拜禮了後、行事判官代爲房奉仕御裝束、〈件行事須藏人奉仕也、而未補之間、昨日酉刻許、爲房可奉仕由被仰下、本行事棟綱、師季稱所勞由、各不參故也、◯中略〉 相催雜事 御藥〈◯中略〉後取昨日押之〈◯中略〉 藥子〈陪膳進之、仍兼日渡御正勘文、〉後取元日高房朝臣、二日經成、三日資清、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 天永二年正月三日丙寅、殿下令參内給間、頭爲房申云、依御藥已出御、而宮内輔遲參之間、已及數刻、大略申障不參者、仍以殿下前驅元輔其役

〔吉記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 元暦二年正月一日乙酉、參内、于時秉燭也、暫候殿上、御藥依後取不參、遲々于今不供、空及夜漏、適以供之、右馬頭經仲朝臣奉仕後取

進御藥式

〔内裏式〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0797 十二月進御藥
晦日中務省率内藥司、宮内省率典藥寮、持御藥、及人給藥机、候延政門外、大舍人叫門、闈司就版奏云、御藥進〈牟止、〉中務省官姓名等叫門故〈爾〉申、勅曰、令申、闈司稱唯、傳宣云、令姓名等申、中務卿輔丞率内藥官人醫生等、持御藥机殿庭、宮内省同置、兩省可事者各一人、便留立机後、自餘皆引出、中務先進就版奏云、中務省申〈久、〉内藥司〈乃〉供奉〈禮留〉元日〈乃〉御藥、人賜御藥進〈良久乎〉申給〈久止〉申、次宮内奏云、宮内省申〈久、〉典藥寮〈乃〉仕奉〈禮留〉人給白散、又殖藥様進〈良久乎〉申給〈久止〉申、〈並無勅答〉訖罷、内藥更參入、持藥付内侍所、〈醫生不足者内豎相持〉内藥便受屠蘇御井、元日元旦就内侍机、盛屠蘇、入左近衞陣側、安置庭中退出、尚藥供御先賜少年訖、内藥司進舁机進内侍、二三日亦同、賜醫生以上物、各有差、

〔儀式〕

〈十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0798御藥
十一月下旬、内藥司始合御藥、廿八箇日畢、十二月典藥寮造人給料白散、下旬中務省隨内藥司申、少輔已上一人與内藥正等監視、藥成、侍醫嘗之、然後封之、寫本方之後、具注年月日監藥者姓名、前晦日内侍進奏、〈餌藥之日、侍醫先嘗、次内藥正嘗、次中務卿嘗、然後進御、〉晦日卯一刻、中務宮内二省率内藥典藥寮司、持御藥并人給藥机、共候延政門外、大舍人叫門如常、闈司就版奏云、御藥進〈止〉中務官姓名、〈謂輔以上、宮内亦同〉宮内省官姓名等叫門故〈爾〉申、勅云、令奏、闈司稱唯、傳宣云、姓名等令奏、中務卿輔丞率内藥正已下藥生已上、舁御藥案、〈案別六人〉宮内卿輔丞率典藥寮頭已下醫生已上人給藥案入安庭中版後次退出、兩省可事者、各一人、〈請輔已上〉便留立案後、中務先進就版奏曰、中務省申〈久、〉内藥司〈乃〉供奉〈禮留〉元日〈乃〉御藥、又臘御藥進〈良久乎〉申賜〈久止〉申、訖復本處、次宮内省進就版奏曰、宮内省申〈久、〉典藥寮〈乃〉仕奉〈禮留〉人給白散、又殖藥様進〈良久乎〉申賜〈久登〉申、〈並無勅答〉訖退出、次寮司更入舁案退却、即付尚藥、〈人不足、内豎相傳、〉但屠蘇者、内藥司官人率藥生、同日午刻封漬御井、令主水司守一レ之、元日寅一刻、官人率藥生等井出之、即就尚藥、受案、盛屠蘇、與省輔一人倶入右近陣側、安庭中退出、即用銀鎗子、煖酒漬屠蘇、〈造酒供酒、主殿設火爐、〉尚藥執御盞、率女孺升殿、令藥司童女〈殿上所定〉先嘗、然後供御、次白散度嶂散、三日而畢、其臘月御藥五日以前、内侍奏進、八日内藥司更受、進八省御齋會所加持、十四日返供如初、

〔延喜式〕

〈三十七典藥〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0798 元日御藥〈中宮准此◯中略〉
造藥官人已下使部已上、各賜潔衣、〈官人以下藥生已上、人別絁一疋三丈、綿三屯、未選生使部調布一端、綿二屯、〉限廿八日〈◯十二月〉給酒食、其元日供奉御藥尚藥一人、〈中宮東宮各典藥一人〉女孺五人、采女二人賜潔衣、各絁一疋、綿二屯、〈其色隨御生氣、預移陰陽寮、待報知之、後請取、中宮東宮亦同、〉十二月晦日卯一刻、宮内省并寮共候延政門之外、闈司奏訖、寮官人率藥生等御藥案、相共入置庭中版南、共以次退出、省奏訖、更入舁案退却、即付尚藥、但屠蘇者、官人將藥生、同日午時封漬御井、令主水司守、元日寅一刻、官人率藥生、就井出藥、即省輔一人并寮官人等、持藥共入進置、即用

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0799 鎗子屠蘇、〈造酒供酒、主殿設火爐、〉尚藥執御盞女孺殿、令藥司童女〈殿上平定〉先嘗、然後供御、次白散、度嶂散、三朝而畢、〈中宮東宮准此〉即賜祿、五位襖子、允屬侍醫博士各綿一連、史生并藥生十七人各綿三屯、尚藥及女孺六人各綿五屯、

〔北山抄〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0799 同日〈◯元日〉供屠蘇白散
第一度、入夜御殿南戸東戸内、〈預設所菅圓座〉陪膳取御盞外持參、御飮、第二獻北東戸可飮御、事畢出御本所、獻第三度御酒云々、是女房等説也、若有由緒歟、〈可醫方

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0799御藥〈正月元二三、弘仁年中始之、〉
舊年十一月二十日以前、〈◯中略〉藥殿請御藥并雜器請奏、 十二月十九日、藏人率諸司、向大藏省野倉藥、〈近代無此事〉 晦日〈◯中略〉典藥寮進御藥〈置朱高机四脚、藥女官預之、〉 近例納於辛櫃一合、即籠於御生氣方、東爲生氣者、仁壽殿西南渡殿西面、南爲生氣下侍、北爲生氣黒戸上、西爲生氣、後凉殿西南戸前、〈近例額間東廂〉以掃部寮御屏風立廻、若御生氣方無便者、籠於養者方、 同日、以屠蘇御井、〈以緋絹袋盛〉 件御井、在豐樂院西、典藥寮巽、以日中沈井中、勿泥、 先是〈十二月中旬〉行事藏人、給供奉女房女官當色料、〈稱之飾物〉 陪膳、〈五疋或四疋〉藥頭、〈四疋或三疋〉女房、〈各三疋〉藥女官六人、〈各一疋〉 近例采女不飾物、事終給祿、此事不然、舊例采女以上、皆著當色由、見西宮記之故也、
御厨子所尋常御銚子、御酒盞渡於藥殿、 元日早旦、御裝束、其儀垂東廂南第一二間、并第五間御簾、以晝御帳南北面御几帳於第三四間、晝御座前敷菅圓座一枚、爲陪膳女房座、其南又敷一枚尚藥座、以兩面端帖二枚第二間北柱南邊東西行敷之、爲命婦女藏人座、反晝御座孫廂灯樓綱、鋪菅圓座於孫廂南第三間南柱之北、〈去長押三尺許〉爲後取座、弓場殿東南北三面、主殿寮引幔〈其東南二方者便用節會幔〉入月華門之、〈近代列立弓場、無著座儀歟、〉時簡前掃部寮敷膝突一枚、爲御酒所司座、宮内典藥寮官人侍醫等、請申御藥、〈乍辛櫃之〉立於弓場殿、〈有下敷筵、掃部寮供之、〉主殿寮設火爐、〈煖御酒料〉造酒司渡御酒、〈或用銀鎗子酒云々〉 平旦、天

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0800 皇御東廂、〈著御生氣方御直衣引帶〉 御生氣在北之時、著御緑色、〈御生氣在北之時其色黒、故用異色、遊年方色也、〉 陪膳女房以下著座、〈陪膳著尋常唐衣裳、稱之直衣女房、花釵纐纈裳、泥繪唐衣、〉藥子入鬼間、候尚藥座南、〈無圓座〉 采女二人、御藥女官〈頭一人、女官六人、〉候於右青璅門内、〈年中行事障子下〉 御厨子所供御臺二本、〈一御臺有御箸臺土器木箸一雙〉得選於鬼間御障子下女藏人、女藏人執之來授陪膳、 内膳自右青璅門御齒固具、〈◯中略〉 次供一獻、〈屠蘇散也、八物細切云々、〉先煖御酒、以御藥於酒、名之屠蘇、盛別器、宮内輔、典藥頭、侍醫等三人、一一進膝突之、依位階皆用別坏、 次供御酒盞〈於右青璅門下女官、女官取到第三間御几帳下、女官和合於御酒、〉 次供御料酒、〈御銚子有蓋擎子、御盤上居金銅金輪、其上居銚子、〉此間、内膳官人以大土坏三枚、小土器三枚、與藥女官、女官分御酒、取分令藥子、〈本方自小兒起〉 次盛御酒盞、自御几帳綻於藥頭、藥頭傳陪膳、主上起座入夜御殿南戸、當塗籠東方戸立給、陪膳女房取御酒盞、〈入御酒〉通東廂御障子、參御前之、〈私云、入二間南御障子之、〉主上歸本道、〈本方云、入三升温酒東戸之、各三合、〉次召後取、其人出殿上上戸、經簀子敷、自第三間入著座、〈不座云々、六位第三日著青色下襲火色參進云々、〉 次女官移入御酒盞餘分、御銚子餘分等於大土器、傳給於後取人、其人飮畢、〈女官取其坏畢〉 次供二獻、〈神明白散也、五物搗篩云々、〉其儀准一獻之、但御藥者、不弓場殿合之、相副進之、所司只嘗酒也、先供御酒盞、次御銚子入酒、其儀如一獻、 次供御銀匙、〈本方五分七云々〉居馬頭盤、〈又居中盤〉入神明白散於金銅小器、居中盤、尚藥鋤藥入御盞、 次飮御、〈於晝御座飮、御三獻亦同、〉畢後女官以匙三度入白散於大土器、 次入御銚子餘分、次移入御酒盞餘分、給之於後取人、又入大土器、 或此間給肴於後取、〈多給大根、元日人多精進之故歟、或給串刺、〉女房置扇上之、後取及給之、 次供三獻、〈度嶂散也、九物搗篩云々、〉其儀與二獻同、〈本方云、以温酒一錢七、一錢七與五分七等云々、〉西宮記、今度當東戸飮御云々、此事無其謂、檢本方屠蘇散方、有東戸之文、度嶂散文無其事之故也、〈北山抄曰、第二度御東戸内、預設所菅圓座、亦無據、〉 後取飮畢、以坏出於殿上、置於小臺盤下、或置於侍臣臺盤上、或王卿在座時巡行云々、近代無此事、或於御前女官云々、 三獻畢、返給御銚子御酒盞等、御藥籠於本所、第二日儀如昨、第三日三獻供畢、屠蘇本方曰、三朝飮之、 次典藥寮供御膏藥(カウ藥ノ名ヲ忌テタウ藥ト號也)、〈忌名稱膏藥〉撤御臺畢留一本、 次供御匙前、盛千瘡膏於金銅小器、居中盤之付

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0801 藥女官、女官付頭、頭傳陪膳、陪膳供之、主上取之、以右手無名指於左掌給、〈曲右第四指、是藥師印相也、乃用之、〉 次返給御銚子、御酒盞、小器匙等、其後、典藥官人返上銚子酒盞於御厨子所
陪膳女房調垸飯臺盤、〈大盛二十坏、飯二十坏、大折櫃交菓子二合、〉給諸司女官并六衞府大破子、〈三十荷、小折櫃交菓子三十合、〉 此外稱腋御膳、自御厨子所御齒固具、又供御藥酒等、以高坏六本之有餅鏡、〈用近江火切〉 三日畢給祿〈陪膳女房又給祿於女官、絹五十疋、又給理髮別祿、〉 典藥頭 宮内輔〈以上各三疋〉 侍醫〈二疋、若五位者可三疋歟、〉 藥生、〈一疋〉刀自、〈一疋〉采女二人、〈各二疋〉 毎日弓場殿宮内輔以下衝重〈内膳設飯、大膳設菜料、〉 藥女官等料飯五升、炭五籠、〈書下催與之〉 御生氣御衣〈近例只御直衣一種也、具御引帶、著於例御直衣上給、〉 女房以下不必著淨衣、〈訛也〉陪膳女房必著之、舊例未節分之時、藥子衣用舊年御生氣方色、 二三日間節分時例 長久二年正月二日有節分、依陰陽寮勘文、藥子衣有二色、元日者用舊年御生氣方色、二日以後用今年方色、 長經抄、二三日間雖節分、被元日所用之舊年御生氣、更不新年御生氣云々、此事不然、 宮内輔用代官例〈治暦五年正月三日、散位清科重任爲代官、是御厨子所預也、〉 殿上宮内輔奉仕例〈同年正月一日大輔重房依殿上人笏、又不弓場殿、〉 藥殿雜具〈金銅小器一口、同金輪一脚、銀匙一枚、銀馬頭盤一枚、〉 代初日次不宜時猶供〈治暦五年、應徳四年、〉 日蝕廢務日猶供〈延喜十一年正月二日御記、所司供藥如昨云々、〉 朝拜時、於小安殿之、

〔蓬萊抄〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0801 正月朔日所司供御藥〈二三日同之〉 藏人令仕清凉殿御裝束、令所司、〈◯中略〉隨其催殿上上戸、著孫廂圓座、〈雖其座、只懸膝許也、不圓座中央、〉次女藏人供御臺二本、〈自鬼間之〉藥司等候右青璅門内、次供天酒三度、先藥子嘗之、後獻御々所、御飮了、毎度賜之後取、後取毎度飮之、置御盃於座邊、次賜第三度之御盃、飮了如元還出、置空盞於殿上上戸南扉腋退出、或説置中臺盤上方云々、又置小板敷云々、近代多用戸腋歟、

〔建武年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0801 夜もすがら事を行ぬる、〈◯四方拜ノ事ヲ行フナリ〉をのこどもまかでぬれば、御藥申沙汰すべき藏人殿上に侍ひて、つかさ〴〵もよほすなど、女藏人どもやう〳〵臺盤所に參りあつまる、う

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0802 ちうちの御したヽめはてぬれば、御直衣を奉る、〈打衣はかま二つ、衣ひとへなり、〉所司まゐりぬるよし奏するに付て、御藥につかうまつるべき命婦藏人ども、かみあげそうぞくして座につく、晝の御座の御簾南のはし北の額の間をたれたり、〈此間に承香殿の人、昔はさぶらひけるとかや、〉中三間或は二間、御簾もとのまヽにあげたり、おの〳〵几帳をたてわたす、ちか頃里内裏などにて、あたりの間一間、中はむにあぐる事あり、ひがことなり、今の代には本儀に任せて、つねの時のごとく鉤丸をあぐ、御座のまへに、〈いささか南〉陪膳の典侍の圓座これをしく、次の南圓座一枚くすりのかみの座とす、石灰の壇北のはし西東のつまに、兩めんのたヽみをしきて命婦藏人の座とす、南第二の間の弘廂に圓座一枚をしきて後取の座とす、典侍已下女房皆座につく、女藏人二人、〈上首〉鬼の間より御臺をもちてまゐる、〈一の御臺にはしだいあり、これも近頃はなきよし女官申、日記にまかせて是をすう、〉これよりさきに晝の御座に著かせ給ふ、生氣の方の御衣を、尋常の御直衣のうへにかさねて奉る、〈朝餉にてこれをめす、勾當の内侍これを用意してさぶらふ、日の御座にてもめす、〉陪膳の典侍藥のかみ當色を著す、〈生氣の方の色の事なり〉其外は著せず、はいぜんの典侍の髮は内侍これをあぐ平額なり、此時まづ御厨子所の御はがためを供ず、〈◯中略〉御はがためまゐりて、此藥子鬼の間よりすヽみて、端の几帳のもとにさぶらふ、女官青璅門のほとりにて、典藥をめしてみくすりをもよほす、小庭にて典藥のかみ、侍醫、宮のうちのつかさ、おの〳〵まづこれをなむ、一こんすヽみて先藥子にのましむ、次に銀器に入て几帳のほころびより〈御座の次の間〉奉る、くすりのかみ是を取て、銀器のふたをひらきて典侍につたふ、〈是をめして返し給ふ、女官給て陪膳につたふ、〉主上座を立せ給ひて、夜の御殿の南の戸より入給て、御ぬりごめ東の方の戸に向ひて立せ給へば、陪膳御盃を持てまゐらす、是も屠蘇はひがしの戸に向て飮よし本文あるゆゑか、次に女官に返したまへば、是を後取の人にのましむ、〈一日は四位、二日は五位、三日は六位藏人なり、晦の日、奉行の藏人これを切紙に書て、殿上の角の柱におすなり、近衞府辨官常にはあらねど例あるなり、さて二獻には神明白散をくうず、〉むかしはさかなを後取の人にたまふ事あり、〈大根をたぶ、女藏人給て扇にすゑてこれをいだす、元日は人人精進のゆゑかといへり、三獻に度嶂散を供ず、如此御藥の〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0803 〈儀式は三箇日なり、江次第に見えたり、〉三獻のたびは、夜のおとヾの東の戸にむかひて是をめす、藥のかみ是を持て、二間より陪膳に隨ふ、立ながらめすなり、後取に給はる事皆同じ、三獻はてヽ御はがためをいだす、一度に一盤にすう、三日の儀是におなじ、但第三日夜のおとヾより、御座へ歸りつかせ給て後、かうやくをたてまつる、二ばん〈銀器に入れたり、無名のゆびに付て、御ひたひ並に御耳のうらにつく、藥師の印相なり、〉是はうちに留めらる、くすりのかみ是を取て、鬼の間よりまかりいだす、こよひうち〳〵女房に頒ち給ふなり、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0803 れんだいの中央西にせまりて御褥ばかりをしきて、うけとりを供ず、はいぜんの人はひさしに候ず、二獻まゐる、〈初獻ひし花平、二こんかべ、〉女中にもたぶ、二獻の時はじめて屠そ白さんをてうしに入、内侍是を役す、白散はもとより、上段の西北の角におく、〈御かヾみの前なり〉内侍簾だい〈御右の方〉をへて、白散のもとにすヽみよりて、是を入て本路をへて、はいぜんの人のもとにすヽみよりて、てうしをまゐらす、二獻の時、うけとり進上の人、いづれも天盃をたぶ、

〔元寛日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0803 寛永七年正月朔日、將軍家秀忠公ハ、女帝〈◯明正〉之御外祖也、年中行事之次第、自傳奏板倉周防守方〈江〉記録シテ遣之、即贈關東、〈◯中略〉三箇日間、有屠蘇白散之規式、藥子ト云小女未嫁用之、一獻入屠蘇於酒、令藥子、次入銀器、傳配膳後奉主上、一日四位、二日五位、三日六位、藏人之役也、二獻供神明白散、三獻供度嶂散、此儀式、人王五十二代嵯峨天皇御宇、自弘仁年中始ル由載之、〈◯中略〉
 右禁中年中行事、自傳奏記録シテ獻之、

〔友俊記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0803 御茶を供ず、〈◯中略〉第一の御こんにとその酒、第二に神明白散、第三に御とうやく、〈◯註略〉とその酒を命婦にこヽろみのましむ、これは昔藥子とて、少女にのましめて後奉るゆゑにや、此頃はたづぬるに少女の事なし、又後取の人もなし、御藥は典藥頭丹波の姓小森藏人家より調進す、白朮のへらあり、白朮のさぢあり、すゑ物に納て土のたかつきにのする、筥のかたちは、檜すみとりたるはこなり、身ふたのそこに、數々けづり木にて筋をつくる、〈◯中略〉當時のけしきかくのごとし、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 院中の事も禁中已下の家も、銘々もちゆとみえたり、

〔嘉永年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 正月朔日、〈◯中略〉うけとり、 簾臺の中央西に迫りて御茵ばかりを敷き、うけとりを供ず、御垂纓御袴をめす也、下段に女御は南面に、典侍は東西に、内侍は下段の外なヽめに東面に候ず、初獻菱花びら、二獻かべを供ず、女御へも菱花びら、きじ出る、女中にも給ふ、二獻の時始めて屠蘇白散の入たる御銚子を供ず、白散は本より上段の西北の角に置く、御手長の内侍、簾臺をへて白散の許に進み、白散を入て御陪膳の人の許に進み寄り、御銚子を供ず、二獻の時、受取進上の人何れも天盃を給ふ、伊豫酌なり、命婦も同じ、御差の人は、御したみの御盃を申の口にて給ふ、三箇日の間、女中かはる〴〵うけとりを進上する也、

〔年中御祝儀記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 初獻三ツ肴、〈小刺、數子、ねぶか、大根、〉二獻、〈菱之餅、花びら、あさづけ、〉三獻、〈きじやき〉右は請取之御獻ト申、女中方より、元日、二日、三日之間、替々上ル、但三ツ肴は御臺より上ル、

〔禁中當時年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 御獻〈初獻、二獻、三獻、元日、二日、三日、自女中方巡番役供之、獻者酒之事也、次又三獻自御臺所之、三箇日間如此、〉

〔日次紀事〕

〈一十二月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 晦日 屠蘇白散〈典藥頭丹波氏獻屠蘇并白散度嶂散之三種於禁裏院中、是則元日之所御用也、又獻御膏藥、〉

〔西宮記〕

〈正月上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804御藥
天徳五年正月一日御記(裏書)云、供御藥例、 〈今日尚藥女藏人等、不摺衣夾纈裳、用尋常裳等、〉
康保三年正月御記云、藥女嬬例著潔衣之、而稱給絹麤惡之由、至于今日著、不例、
九記云、天暦二年正月一日、依典藥當色遲給御藥云々、

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 永觀二年正月一日、參内、未時供御藥恆、今日後取時中朝臣申有所勞、仍以共政朝臣奉仕

〔左經記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 寛仁二年正月一日乙未、晩景供御藥、〈御生氣御衣、御匣殿依遲被晩也、〉

〔小右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0804 寛仁三年正月一日己未、未刻許參入、先是被大殿云々、仍參内參上殿上、卿相同候、前大府

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805大盤所殿上、被御藥、已及黄昏、〈◯中略〉次攝政出大盤所殿上御藥訖、
長元二年正月二日壬辰、資高候内、御物忌注書簡示送云、御物忌日、御藥之時不御簾歟、可問、遣案内之由有仰事者、余申云、供御藥之間、不御簾歟、雖御物忌、臨時祭御禊間、出御御簾外之例也、何况供御藥之間許、無玉簾哉云々、〈◯中略〉資高示送云、供御藥事、被下僕所一レ言者、

〔中右記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 寛治八年〈◯嘉保元年〉正月一日癸酉、午刻供御藥例、左馬頭道良朝臣勤後取役、陪膳典侍藤光子、〈御乳母〉 二日甲戌、今朝供御藥昨日、治部少輔懷季勤後取役、 三日乙亥、今朝供御藥昨日、一臈左衞門尉永實勤後取

〔知信朝臣記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 長承元年十二月廿一日丁未、召元三生氣脚服料絹於廳、〈美絹四丈〉送御服所、〈權大進光房〉生氣養者兩方之間用吉色也、多被生氣色也、明年御生氣青色也、任其意計可調進之由、下知御服所了、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 建久九年正月一日己亥、今日依日蝕節會小朝拜等停止、仍未明供御藥、 十年正月一日癸巳、此日日蝕也、〈◯中略〉宮御方御藥及深更者、是日沒以後、依内裏御藥也、

〔伏見院御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 正應三年正月一日乙巳、戌刻供御藥、〈事不供之間及此刻〉陪膳權大納言役送、〈◯中略〉後取修理權大夫永經朝臣、 二日丙午、酉刻供御藥、〈典藥遲參之間及此刻也〉後取兵部少輔菅原淳兼、自餘如昨日、 三日丁未、午刻供御藥、後取藏人三善春衡、自餘如昨、〈但今日供膏藥

〔園太暦〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0805 觀應二年正月一日、亥刻四條中納言〈隆持卿、束帶、〉來、招入内出居之、予著烏帽直衣故來賀云々、又傳勅定、今日御藥儀、依兵革簾中聞食也、而陪膳中院大納言〈通相〉遲參、未簾中、供常燈之條不然歟、何様可沙汰哉者、被御簾之上者、下格子事之外、不子細歟、簾中有禮之時、垂御簾之外、常燈不打任歟旨申入了、即暦應神木動座之時、如此有沙汰之旨、彼卿語之、且豫計申旨云々、裏書云、傳聞、今日禁中儀、御藥天明之間有之、侍醫等面々故障、長官嗣成朝臣、屬某、〈六位〉宮内輔源仲之〈中院大納言〈三位〉〉儀了從其役、 三日、典藥頭嗣成朝臣來賀謁之、元日禁中龍樓御藥遲々及二日朝、二日御

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 藥即進之云々、

〔後愚昧記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 應安五年正月一日庚戌、内裏院御藥如例、是又雖神木在一レ洛先規也、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 長享三年正月三日、御たうやく、ちかなり、いまだしこうは申さで、ことさら參らするを御つげあり、

院宮進御藥

〔延喜式〕

〈四十三春宮〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 元日遲明〈二日、三日准之、〉主殿署立火爐於殿庭、進一人主藏佑已上一人、率典藥官人御藥案、出東細殿南、進立殿庭版南、典藥寮官人侍醫等就案下、即調藥酒、侍醫先嘗、次進嘗之、然後授典藥、典藥率女嬬等并主膳御肴、采女四人候殿東廂、便從東方進供事、訖主藏典藥等官人共舁案退出、〈◯中略〉
凡十二月晦日、典藥寮進白散屠蘇一案、雜給料丸藥一案、其日平旦、官人率侍醫藥生等之、如五月五日供昌蒲、但屠蘇者、進與侍醫比封漬御井

〔厨事類記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0806 元三御藥、菓子八種、小預勤之、〈給十合菓子〉居御臺一本、進物所供御菓子也、記云、〈寛元〉院御藥 先進火、〈入土器折敷〉次菓子八種、〈居御臺一本、覆蓋、供時撤蓋、或説云、供肴物菓子四坏、干物四坏二本也、〉次進御藥櫃、〈居土高坏、但取具進之、元日典藥頭所進二三兩日、施藥院使并近習醫師所進供之、〉次御酒盞、〈様器在尻垸、居折敷、〉次御藥酒、〈入片口御銚子温供之於御前、被屠蘇、〉次居土器、〈可著座人數、不折敷、〉二獻盃、〈居折敷〉次御酒、〈入改進之〉三獻、〈同前〉 當日早旦、以瓺原重催促、酒殿番衆小預仕丁等〈芳原庄役年預別當御沙汰也〉菓子八種、〈小預調進之、此外一二坏可意之、〉御酒、〈酒殿所進、入瓶子、〉御臺一本、打銚子蓋一張、水振一、火櫃一、〈又用土鉢、御酒可之、〉瓶子一口、〈折敷、已上進物所雜具也、〉土器〈穴可見之、深草、〉炭〈進物所〉片口御銚子、〈銀〉御藥櫃〈有土高坏一本、已上自臺所下之、〉納長櫃一合、足高一荷、〈在仕丁白張裝束進物所雜具也、〉以瓺原御壷番衆、〈衣冠〉小預〈衣冠或狩衣〉相從之、刻限預參、〈衣冠爲堂上役、近代依便宜地下立、〉小頭取居菓子番衆、番衆傳女官、女官傳得選、得選傳殿上人、於御前陪膳公卿供之、三箇日如此、其後御藥雜具、預給置之、 或記云、一本肴物四坏、一本菓子四坏、已上各居御臺之、〈裏書〉或記云、〈後白川院〉 役送殿上人著座、末間敷紫縁二帖火櫃、三階棚御厨子所預并上刀自候之、 先供御藥櫃、〈土高坏〉次御酒盞、次御

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 銚子、〈入酒〉次菓子、〈居御臺〉預上刀自傳役送殿上人、出御之後預降御縁見參

〔爲房卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 延久五年正月一日辛巳、拜禮了後、行事判官代爲房奉仕御裝束、〈◯註略〉晝御座南廂御簾第一二五等間垂之、第三四間傍長押、毎間立四尺御几帳一基、〈取御帳東西用之〉御座南頗寄西敷圓座一枚、爲陪膳女房座、〈典侍源永子奉仕也〉庇第三間中央、頗寄東又敷圓座一枚藥正座、〈博士命婦奉仕也〉同第二間小柱下南北行敷紫端帖一枚藏人女房座、〈二人候云々〉南簀子敷第三間頗寄西逼高欄圓座一枚後取座、西廊南庇前曳幔鋪座爲典藥寮所一レ候、申刻侍醫雅忠朝臣率寮官人以下直丁以上參仕、次陪膳女房以下著座、次出御、〈生氣御衣、青色御直衣也、依御服所、仰廳語元當女仕之、〉次采女二人供御齒固、〈◯註略〉次典藥後取高房朝臣著座、次典藥供御藥酒、〈女官役之云々〉侍醫先嘗之、次藥女官等持參、後取并藥子等打土器、次後取飮之、又二度供御藥酒了、其儀如初、後取取盃罷立、置殿上戸腋、次入御、次改御裝束、供奉女房采女等不打唐衣、只直裝束也、是御定、 相催雜事 御藥昨日夜籠御生氣方〈其所無便宜、仍籠養者方了、西中門南廊、藥守女官祗候、召廳給疊、藥掌等副入辛櫃封持參、◯中略〉 典藥寮毎日給酒肴、〈仰廳〉後打土器、〈同前◯中略〉 飾物祿物等〈飾物昨日給之〉祿事了後第三日給之 飾物 四匹、〈陪膳〉二匹、〈藥子〉一匹三丈、〈藥正〉四匹、〈采女二人、各二匹、〉 祿 二匹、〈侍醫〉三匹、〈典藥官人三人、各匹絹、藥掌在此中、〉六匹、〈采女官六人、各匹絹、〉二匹、〈理髮、後々不給歟、陪膳女房給別祿也、〉 件祿未一定、相尋大内并諸宮等之例、商量行之、冷泉院例、典藥所供御藥者、兼申請物之數多其外祿飾等、一匹、〈陪膳命婦〉四匹三丈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/7f0000650a42.gif 二匹、〈藏人二人〉四匹、〈理髮掃部〉 已上十二匹也 今度准諸宮例藥官人也、大内侍醫之外不給也、 廳辨備酒肴於殿上、所々御修法等不罷出、但後加持參如常、 三日癸未、未刻供御藥、後取資清、事了給祿、子細見元日、沙汰所事了後退出向所々

〔厨事類記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0807 院御藥〈◯中略〉 仁安二年正月一日、上皇四方拜了召御藥、卯時御于寢殿北面御座、〈御烏帽子、御宿物小口御袴召之、〉内大臣春宮權大夫、〈邦綱〉左宰相中將〈成親〉候御前、次供白散櫃、次御盃、次御藥、〈御酒也、入提云々、〉次菓子、〈備御臺〉美作守宗盛朝臣、武藏守知盛朝臣、左衞門佐信基、兵部少輔親宗等役之、次内府進寄被

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 御酒提、天酒畢賜御盃於内府、内府退後流盃、〈不殿上人云々〉又二獻三獻同前、人々退出云々、

〔愚昧記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 仁安四年正月一日戊午、卯刻著直衣參院、〈前驅經仲、布衣、〉可御藥之由、昨日依其催也、〈少將光能消息也〉先是太政大臣、右兵衞督參候、相次人々多參仕、頃之光能朝臣告召由、仍大相國以下參御前、〈東廣御所〉二獻之後供御菓、即下給柑子、〈大相府依仰取之〉次第取下之、三獻了各退去、依座間遠、各瓶子取人轉杯應人々、〈太政大臣、予、治部卿光、新中納言邦、右兵衞督兼、權中納言成、今日不參、別當時、今日不參、源宰相資、宰相中將定、〉

〔山槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 治承三年正月一日庚申、今日依申日東宮御戴餅云々、供御藥云々、儲君出御晝御座、近衞局〈久我内大臣女〉奉抱、御乳母洞院局〈兄盛方朝臣逝去、輕服日數内、〉候陪膳、勤件役之人、臺盤所出垸盤、〈菜二十杯、盛笥入折櫃交菓子二、外居盡美、三箇日如此、〉女官等祿、上絹廿餘匹、綿百五六十兩、布二百段、菓子三百合許、假令用途如此、毎年女房相替勤之云々、後取讃岐守季能朝臣、采女供膳如恆、主膳盛光於中門邊供之、而依權大進經仲命、昇堂上采女、候簀子云々、專不然云々、後二箇日不昇故云々、 二日、今日猶無東宮御戴餅事、依御衰日也、但供御藥、後取藏人右少辨光雅云々、 三日、東宮御藥、後取藏人大學助平親能一臈云々、

〔三長記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 建仁二年正月一日丁未、參東宮御方、有御藥事、御直衣御好袴、御直衣上著吉方御袍出御、後取前兵衞佐宗衡朝臣、女房女官裳唐衣、猶自内納殿渡之云々、亮可調進事也、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0808 建仁四年正月一日乙丑、午時許先參院、出御之間、下北面等出居庭上御藥云々、門内無便宜、仍退歸、 二日、參院、供御藥訖、入御之後也、參著例二間、暫安坐、昨日供御藥之儀、〈三日如此〉於弘御所此事、太政大臣、源大納言、右大將、新大納言〈已上直衣〉候御前、殿上人六人、役送長房朝臣、忠信朝臣、有雅朝臣、隆仲、親定、範茂、〈已上衣冠〉 三日、公景來、御所元三之間事語之、 毎年之儀 元日御直衣出御弘御所、供御藥、〈御藥晦日進入臺盤所、朝被進物所、進物所預、〉暫御菓子供之、公卿直衣候御前、〈故内府之時常三人、去年右大將、定頼、信清卿三人、今年初相國以下四人云云、〉殿上人衣冠、役送先御菓物、〈八種〉次御藥、〈外居〉次御杯、次銚子、〈御酒〉陪膳之人御藥ヲ御酒ニ入、御酒三獻、〈毎度御杯及臣下、而故内府二獻杯ヲ讓右大將、右大將飮返内府、去年右大將不人、今年又相國不讓、〉三獻之度御菓物ヲ押下〈天〉給之、陪膳人一種ヲ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 取下〈天〉給之懷中、是定事也、

〔前豐前守憲説記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 弘安九年正月一日戊辰、春宮、皇后宮兩御方御藥、説春奉行之間、令仕御裝束、〈共用晝御座◯中略〉有皇后宮御方御藥、春宮御藥、後取顯範朝臣遲參間、及亥刻尤不便、嘗醫師春宮御方侍醫和氣幸成、皇后宮御方權侍醫和氣時貞、 二日己巳、予〈◯藤原憲説〉依仕春宮後取、召寄束帶、於角殿殿上局〈説長局也〉改著之、〈自早旦衣冠參候〉内御方御藥未刻事了、藥女官等參富小路殿、而醫師於藏人所酒肴、數刻不參間、仰廳官守國、數反催促之、醫師適參仕之後、御膳宿刀自又以遲參、是内御膳未供終之故云云、度々責催之、先東宮御方御藥〈◯註略〉女孺舁之、下賜典藥寮下部、嘗座到、去年儲中門内南脇、今年透渡殿前南庭〈橘樹西〉儲之、南東引班幔、〈釜殿役之歟〉出御之後、諸司等遲參間、經時刻了、先藥女官等迎藥子、〈兼儲女房、著當年御生氣色、〉近年不圓座、御座東間簾外、懸長押於尻祗候、采女先著藥頭座、次御膳宿刀自於御殿坤妻内膳、〈二音〉内膳官人唯稱、次進御齒固、采女取之自階間几帳上女房供了、采女退、次藥頭著座、著當色唐衣黄色、次藥女官召典藥、〈二音〉典藥寮下部唯稱、次醫師夏成著座嘗之進、御藥等女官四人〈著當色唐衣黄〉取之、於階間簀子藥徒和御酒於御藥等銀器、〈居御盤〉授藥頭、藥頭取之進入之、次予著圓座、〈座前赤大土器三重置之、禁裏東宮普通土器也、左典藥寮之處、先例爲此由申之、〉次藥徒持來銀器、予取土器一之飮之置前、次女官等持參、二獻如初、此時供入御酒之後、女官一人立簀子〈階間〉發祝言、〈阿良樂之、玄上鈴鹿千萬歳、後萬歳、彌廣彌高、皇子八五人阿良樂之、〉次又持來銀器、予受之飮之、〈土器置前〉次三獻如二獻、次予重持土器三、到殿上長臺盤之下、〈未方〉次於局改著衣冠、次有皇后宮御藥儀歟、予不之、今日醫師侍醫冬成嘗之、 三日庚午、傳聞、春宮御方御藥、後取行事藏人説春勤仕之

〔竹林院左府記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0809 弘安十一年〈◯正應元年〉正月一日丁亥、傳聞、萬里小路殿、院〈◯龜山〉無御藥、毎事御謹愼、〈但有四方拜〉新院〈◯後宇多〉御藥、如法密儀、被御簾、公卿土御門大納言、〈定〉家君〈御遲參〉吉田中納言、〈經長奉行〉殿上人近習輩四五人〈或衣冠、或布衣、〉等云々、新院〈御烏帽子御直衣〉云々、〈◯中略〉本院〈◯後深草〉御藥、儀同三司、四條前大納言、〈房〉土御門

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0810 大納言、家君、前平中納言、平宰相、〈父子轉盃云々、頗不然之由家君有仰、〉左大辨云々、殿上人兩貫首以下濟々焉、又御隨身下北面等參候如例、 二日戊子、今日不出仕、家君〈御直衣〉參新院御藥給、〈人數如昨日云々〉次參本院御藥給、人數又如昨日、 三日己丑、辰刻著束帶、〈有文帶、紺地平緒、蒔繪螺鈿劍、永經朝臣刷之、〉先參萬里小路殿、〈◯中略〉頃之吉田中納言來傳仰云、新院御藥可祗候云々、申承了由、又來帥卿同可祗候之由仰之、仍二人相共廻廣御所方、土御門大納言、吉田中納言兼在此處、〈先々出御以前候御殿上、出御後隨召參著御前也、而今度殊密儀云々、仍公卿兼參候之、被御簾、今日殿上人等候御殿上二間、〉土御門大納言帥著奧、豫〈◯西園寺公衡〉吉田中納言著端、〈予外皆直衣也〉不程新院〈御烏帽子、御直衣、鳥襷薄色堅文織物御指貫被垂御括、〉出御、諸卿動座、御座定安座、〈上皇、出御後障子内、密々御覽御藥儀、〉次皇后宮權大進定房〈衣冠〉持參火御火桶、取折敷土器等退去、次頭右大辨俊定朝臣〈束帶〉持參御菓子、土御門大納言起座參進供之、次中將伊定朝臣〈衣冠〉持參白散櫃陪膳前、次右中辨冬季朝臣〈束帶〉持參御酒盞、陪膳人供之、次前勘解由次官經繼朝臣〈白襖狩衣、白衣、白單、〉持參御銚子、陪膳人々白散振袋作法委不見、〈一度之間、定房置澆濁土器、〉次陪膳人供之、次巡流如常、次中將師信朝臣〈二藍狩衣、青色赤單、〉持參御酒盞、定房持參御銚子、巡流如前、但今度土御門大納言盃、依帥讓余受之、次擬帥、帥盃吉田中納言受之、次頭辨持參御酒盞、冬季朝臣持參御銚子、次巡流、次本役人參上撤御菓子白散等、次上皇入御、諸卿起座、
正應二年正月一日、參院〈常盤井殿〉御藥可參由、兼日忠世卿相催之故也、〈◯中略〉大將殿依御目劍、令座後給、御笏同被之、〈進退爲容易、今日可笏由、兼日有仰、〉次起座令御座邊給、〈余平禮、御藥之時先々如此、〉陪膳作法如例、中將資行〈衣冠〉持參白散櫃、中將兼行朝臣〈衣冠〉持參初獻盃、左衞門佐經親朝臣持參御銚子、大膳大夫邦高朝臣、〈衣冠〉左衞門佐經守〈束帶〉等次第役送、大將殿毎度賜盃復座、氣色帥之後候、飮了巡流、〈時繼卿盃、父子有憚之間、毎度爲方卿飮之、〉二獻之後、御隨身敷砂、三獻之後入御、大將殿令劍取一レ笏給、人々起座、 二日、予先開白散櫃、置蓋於櫃傍、〈以銘下我方〉取出屠蘇袋、浸酒振之、〈三匝〉取上瀝之如元返入之、〈白散二獻、度嶂散三獻、無供之支度也、〉居寄取御銚子之、供了返給御銚子於役人、取御酒盞〈乍折敷之〉起座著奧第二疊、〈經長、俊定等卿在端座、〉置御盃於座前、取出笏

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 〈◯中略〉此間餘以下盃巡流、次花山院大納言參著端座、次二獻御酒盞持參、於今者花山爲上首、可陪膳歟、仍其御氣色、〈此事專不然、被仕陪膳事者、上首雖參更不相替事歟、凡今日陪膳之式太違例、不後例、〉花山起座〈不解劍〉參進供之、御銚子即供之、〈不散、不袋、如何々々、〉今度可御菓子也、而不之、忘却歟、

〔伏見院御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 正應三年正月一日乙巳、戌刻供御藥、〈事不供之間及此刻◯中略〉此後於南御所春宮御藥、陪膳中宮大納言、〈故實顯卿女〉役送〈參河飛鳥井〉御藥訖、 二日丙午、酉刻供御藥、〈典藥遲參之間及此刻也◯中略〉次春宮御藥、次膳了還御、次中宮御藥、 三日丁未、此後供中宮御藥、此間春宮渡給南御所、女房抱之、戴餅之儀同一昨日、次供御藥、今日三方御藥晝間了、

〔園太暦〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0811 康永三年正月一日壬戌、仙洞拜禮已下可參仕也、御藥事、俊顯卿二日三日領状、於元日者、拜禮已前直衣參、舊例者雖勿論、近來御藥刻限遲々、大略及昏黒、仍其後改裝束之條可遲々、然者只拜禮之體ニテ祗候、陪膳人無領状之由、有別仰、丞相束帶、雖先規事、強不巨難歟、可勅定之旨申入了、但退案、予里第也仙洞呎尺也、可改著之條、不遲々之上者、先著直衣參、予午刻戴竹皮催促之處、前驅等遲參及申刻、光熙、光連等參入、仍著裝束、〈綾直衣、奴袴、綾袙一領下之志志良也、平絹襪、〉網代車未調之、仍借用頭中將車、〈◯中略〉於四足門下車、〈教言朝臣來合此處、基隆朝臣遲參、〉雜色長節會著束帶來之由仰了、仍御藥ニハ略了、出御已前暫候東對代西面、〈當時徽安門院公卿座也〉小時勸修寺前大納言經顯來此所、出御之由告之、〈◯中略〉侍從榮光〈束帶〉置御火爐、頭中將〈帶劍懸闕腋裾〉持參菓子御臺、〈經簀子御座次間長押候〉予聊伺御目起座參進、聊膝行取御臺之、又聊膝行立御前板、逆行著第一疊中央、〈今日爲陪膳也〉次宗光朝臣持參白散櫃〈取加土高月於右手例〉置予前、予相扶之之、土高坏置櫃南方也、次左少將教言朝臣持參御盃、〈赤土器有尻、居置折敷、〉予又膝行取件折敷御座疊上、逆行復座、次又左少將隆邦朝臣持參御酒〈片口仰御銚子盛煖酒也〉參進跪櫃下、予開櫃蓋櫃南方板、〈伏置之也〉次出度嶂散器取渡、左取廻匕披之入御銚子、〈三度〉次置匕、次置度嶂散器、取御銚子、膝行候御前板、上皇取御盃酒給、予少分供之、飮御了返給御銚子於本役人、聊伺御目、取御盃

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0812 〈乍折敷之也〉聊逆行、更起復本座、〈第二疊上程也〉此間五位殿上人置澆濁器上御盃色前大納言、畢後受酒飮之棄澆濁、授盃於前大納言、大納言氣色別當、取盃飮之、〈先之予澆濁器取之置座後方、兩人者自最前即置後、〉依最末澆濁置之、御銚子役人自末退去了、已上一獻了、次殿上人〈其人忘却〉持參二獻御盃、予又起座進御前、跪取御盃、〈乍折敷之如先〉膝行置御座上、逆退候陪膳座、次又殿上人〈其人又忘却〉持參御銚子、予又入白散於御銚子、〈用匕三度如先〉次取御銚子膝行供之、〈其儀如先〉飮御畢賜御盃之、次又聊伺御氣色菓子、〈橘也〉乍一盞之、渡具御盃折敷本座、先取御盃色前大納言、畢受酒飮之、畢沃凝濁、授盃於前大納言、巡流如一獻、此間予取出懷中扇、聊披置疊上、取橘一顆扇上、次取件器前大納言、大納言又取一顆扇上、件器至別當許之、此間予取上橘聊食之、了即殘ヲ取出懷中帖紙之也、下臈等又如此、殘器別當置座下方也、〈已上二獻〉次又殿上人〈其人又忘却〉持參三獻御盃、予參進之、〈其儀同一二獻〉畢候陪膳座、次又持參御銚子、予取袋浸之三匝、右ニ廻欲入袋、次取蓋、次取御銚子之、儀如初獻、了復座之後巡流、其後頭中將參進、此間予又參進、聊膝行取御臺基隆朝臣畢復座、其後宗光朝臣又撤白散櫃、次可澆濁器也、 二日、今日院御藥被急云々、〈◯中略〉予參進供御藥、儀如昨日、公卿三人也、 三日、參院、〈◯中略〉小時御藥出御西面、予以下參著、今日左宰相中將〈束帶〉參加、一獻、〈度嶂散白散各三匕、皆同匕袋悉供之、二三獻同、〉次二獻、下御菓子、〈大柑子〉次三獻、今日三獻盃別當受之、次予參進供膏藥、〈先取膏藥器、左手取渡持之、次方匕、〉藥參進置御前折敷上、〈居御盃之折敷也、元日二日并今日一二獻皆御盃居折敷持退、而至今獻御盃許取之復座、折數殘御前、是爲膏藥也、但膏藥或左持被之、〉即退覆櫃蓋、〈先々ハ三獻御藥入了、即覆之取御銚子了、〉更參進取膏藥〈乍折敷之、今日不然、〉復座、聊付右無名指額、以匕下大納言、大納言又如此、至左宰相中將座後、次入御、又如先々、次予退出、
貞和三年正月一日、御藥申領状、〈◯中略〉内藏頭教言朝臣持屠蘇櫃〈取加土高月〉置予前板〈以蓋銘字向豫方也〉次右中辨長顯朝臣持參御盃、〈亦土器尻居居折敷〉予取之、以兩手之、膝行置御前、〈御座上置之〉逆行復座、次右少辨朝房持參御銚子、〈片口入御酒〉予聊居寄、以兩手櫃蓋櫃左、〈仰置之〉次取度嶂散器圓匕之、三度入御銚子

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0813 次取白散器、以圓匕又三度入之、其取屠蘇袋酒三匝之後、如元返納袋、〈匕并器者毎度返納也〉次取御銚子、膝行參進之間、上皇令御坏給、予盛御酒、上皇飮御了、如元令折敷上給、予遵行返賜御銚子於本役人、〈件人退候簀子歟〉重參進賜御盃〈乍折敷〉逆退復陪膳座、以折敷櫃蓋傍、取御盃〈在尻居〉起座〈此間實夏動座〉復本座、取御盃色經顯卿之後、受酒飮之、沃凝濁、盃欲大納言、而頻相論遂受之、仍予遣之銚子役人、件座中央次第行給之也、次左衞門督、次東宮大夫等、次第巡流、先是凝濁器、勘解由次官時經置之、面面取之置座後、予沃凝濁之後遣後方、最末人者不凝濁、又例也、次二獻、朝房持參御盃、予參進取之置御前、〈其儀如先〉其後留候陪膳座、次時光持參御銚子、予入兩散并袋、其儀併如前、次予取御銚子御酒、飮了返賜御銚子於本役人、賜御盃之次、候御氣色菓子、〈柑子〉乍器物之居加御盃折敷、取之起座復本座、先取御盃色經顯卿之後飮之、沃凝濁、經顯卿頻謝、遣隆蔭卿之、次至實夏卿、次經顯卿飮之、次予取出懷中扇、取柑子一顆扇上、取菓子器經顯卿、取空折敷櫃蓋方、次取柑子卿食之、以殘入懷中帖紙人々次第如此、先々砂可之也、一獻之後定事也、而豫并大納言言忘失、二獻之終頭豫思出示大納言、大納言下知之、御隨身等參進散之、召主殿之、次三獻、御盃左兵衞權佐經方持參之、豫又參進置御前候陪膳座、次勘解由次官時經持參御銚子、予又入兩散袋等、其儀如一二獻、取御銚子之、御飮了賜御銚子於本役人、賜御盃陪膳座櫃蓋、次撤折敷、持御盃許座、氣色經顯卿、今度又氣色、隆蔭卿飮之、次經顯卿飮之、次實夏飮之、次本役人參進撤御菓子臺、予參撤之畢復座、次又撤屠蘇櫃、〈同本役人〉次可凝濁器折敷等也、而遲々之間先入御、諸卿動座、次自下臈次第退出、 二日、今日御藥參仕如昨日、 三日、申一點參院、如兩日、〈◯中略〉俊冬持參三獻御盃、〈◯中略〉次予起座參進、取膏藥器左手、以右手方匕、付膏藥於匕鋒〈廉付也〉便覆櫃蓋、〈此間匕暫停御火爐後案、可土高坏歟、〉更取匕參進、上皇取匕付藥於無名指、聊令御額給、了返賜匕、予賜之〈鋒ヲ左ニシテ上テ取也〉復座、次第付之、取下之最末、次本役人參仕、予撤御臺、次撤櫃、次入御、諸卿蹲居如兩日、次第退出、

〔薩戒記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 應永三十二年正月一日壬申、三條右大臣〈直衣下絬〉參進褰御簾、上皇〈御烏帽子直衣令下絬御〉南面御著座、〈◯中略〉内藏頭教豐朝臣〈闕腋不帶劍〉持參白散、〈他人陪膳之時先菓子也、此右府陪膳之時、毎度先白散也、然而撤之時、先可菓子之由被命、有子細歟、可尋、〉抑二三獻之時、上臈被盃於下臈事及再三、今日各不之返上、此事同官人可讓、他官雖讓不之歟云々、

停御藥

〔園太暦〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 貞和二年正月一日辛巳、東大寺八幡宮神輿未歸座之間、院拜禮小朝拜等被之、〈◯中略〉禁裏坊中等御藥儀如例歟、仙洞御藥不簾中出御、元應嘉暦後伏見院御所爲如此云々、但彼度も非御世務儀歟之由、窮冬申入畢、然而猶被止也、

〔康富記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 寶徳二年正月一日丙午、院御藥無之、近例也、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 文明十二年正月二日癸未、無淵酔、子細注元日、御藥停止、子細同前、
 ◯按ズルニ、御藥停止ノ由縁ハ、酔淵篇ヲ參看スベシ、

私家服藥酒

〔禮容筆粹〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 屠蘇酒之事
正月朔日に三酒を奉るべき事、屠蘇白散度嶂散是也、屠蘇をば紅の袋に入、晦日の暮亥の刻より、井の水一尺程上にくヽりさげ、元朝寅刻に取あげ、柳の枝にゆひつけ酒の中へ入、柳を長柄に持添て御酌に參るべし、三ツ盃を公卿にすゑ、上の盃一ツにて三獻のむ也、座中の少年より始むべし、 二獻目は白散、別の御銚子にて參らすべし、白散を盃の中へかきたてまゐらすべし、三獻目は度嶂散、是も別の御銚子にて可參候、銚子の中へ入、かきたてヽ可參也、かくのごときの時は、銚子をつヽみ申さぬもの也、是則祝儀の禮儀也、何れも三獻づヽ合て九獻也、

〔幕朝年中行事歌合〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0814 一番〈◯中略〉 右 屠蘇白散
延といふ千世の藥の豐みきを君にさヽげて祝ふけふかな〈◯中略〉
 屠蘇白散と申は、新玉の春のあした大御酒にくはへて奉れば、萬の惡氣をさくるとて、古より

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 大内にも供じまゐらせしとかや、こヽの御所にも半井今大路の兩家より仰事ありて、年ごとにかはる〴〵是を調じて、兩御所をはじめ御方々にも奉る也、元日のあした御酒に入て是をすヽめ、群臣にもかはらけたまふ時、是を加へて給ふにこそ、

〔水戸歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 十二月晦、〈◯中略〉醫家ヘ、歳暮ヲ遣ストキ、必屠蘇ヲ入テ返禮アリ、其屠蘇ヲ今夜井中ニ絲ヲ以テカケオク、

〔法性寺關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 保安四年正月一日、巳刻許、女房相共於東對面廂帳前、〈件帳、日者在寢殿去夕所渡立也、〉見鏡服藥如例、〈件藥、施藥院使丹波重基去夕所持來也、〉次於對南廂手如例、陪膳主殿頭惟信朝臣、

〔後深心院關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 應安五年正月朔日庚戌、齒固如例、 二日辛亥、見鏡服藥、 三日壬子、鏡藥如昨日

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 養和二年正月一日壬申、依喪家之内、不鏡、不藥、依長元元年經頼記也、

齒固

〔運歩色葉集〕

〈葉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 齒固〈元三之祝言也、——ハ齒固之義也、〉

〔故事記嚢〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 齒固メの辨、古へ官家の小兒、正月餅を祝すること有し、五歳迄の事なりとぞ、是を齒固メト云、いまは大人も齒がためとて餅にすわる、堂上家大人には、いまもこの事なきか、

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 正月 問て云、同日、〈◯元日〉齒固といひて餅ひかヾみにむかふ事は、いかなることぞや、答、人は齒をもつて命とするがゆゑに、齒といふ文字をばよはひともよむなり、齒がためはよはひをかたむる心なり、もちひは、近江國の火切のもちひを用ひ侍るべきことなり、

〔花鳥餘情〕

〈初音〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 齒固は、元三の日の事なり、齒はよはひなり、則よはひともよめり、齒固はよはひを固むる意なり、高坏六本にをしきをすゑ、一の臺に餅、大根、橘を盛るなり、此餅は、近江のひきりの餅を專ら用ゐるべし、

〔江次第抄〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0815 御齒固、齒謂人年齡也、齒固者延年固齡之義也、禮記文王世子曰、古者謂年齡、齒亦齡也、大戴禮云、男八月生齒、八歳而毀齒、是人壽也、

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 民間歳節上 正月一日謂之元日、〈◯中略〉進齒固、齒固猶膠牙也、以白餈之、其状如鏡、故俗呼餈曰鏡、累積飣盤以爲看食、進屠蘇酒

〔荊楚歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 正月一日〈◯中略〉進屠蘇酒膠牙餳、〈◯中略〉 按〈◯中略〉周處風土記曰、正旦當呑雞子一枚、謂之練形、膠牙者、蓋以使其牢固不一レ動、今北人亦如之、熬麻子大豆、兼糖散之、案、練化篇云、正月旦呑雞子赤豆七枚瘟氣、又肘後方云、旦及七日麻子小豆各二七枚疾疫、張仲景方云、歳有惡氣人、不幸便死、取大豆二七枚雞子白麻子、酒呑之、然麻豆之設當於此、梁有天下葷、荊自此不復食雞子、以從常則

〔顏氏家訓〕

〈下養生〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 吾嘗患齒搖動欲落、飮食冷熱皆苦疼痛、見抱朴子牢齒之法、早朝叩齒三百下爲良、行之數日即平愈、今恆持之、此輩小術無於事、亦可修也、

〔土左日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 元日なほおなじとまりなり、〈◯中略〉いももあらめもはがためもなし、かうやうの物もなき國なり、もとめしもおかず、

〔鹽尻〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 雜煮齒固 或問、正月雜煮餅は古へよりある事か、曰、土佐日記を見るに、芋滑海藻等を齒固に用ることヽ云事あり、然ればいにしへはがための餅は、今の雜煮なるにや、堂上家には烹雜といふなり、
  賢按、此説非なり、土佐日記齒固は餅の事にてはなし、大根のことなり、夫故船の中なれば、年の始に齒固もなしとあり、海藻の類はあれども、大根はなきと云ことなり、烹雜の事も誤れり、堂上にて烹雜と云は、こんにやくの煮しめのことなり、

〔源氏物語〕

〈二十三初音〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0816 春のおとヾのおまへ、とり分て、梅の香も、みすの内の匂ひに吹きまがひて、いける佛の御國と覺ゆ、さすがに打とけて、やすらかに住なしたまへり、さぶらふ人々も、わかやかにすぐれたるを、姫君の御方にとえらせ給て、すこしおとなびたるかぎり、中々よし〳〵しく、さう

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 ぞく有様よりはじめて、めやすくもてつけて、爰かしこに群居つヽ、齒固のいはひして、もちひかがみをさへとりよせて、千年のかげにしるき、としの内の祝ごとどもして、そぼれあへるに、〈◯下略〉

〔枕草子〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 木は〈◯中略〉ゆづりはの〈◯中略〉よはひのぶるはがための具にもしてつかひためるは、いかなるにか、

〔賀茂保憲女集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 かしら白き翁おうな齒固とおぼしき事をいひとヾめて、鮎の口をうつくしみ影もうかばぬもちゐの鏡として、〈◯下略〉

〔續山の井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 齒固
はがためもかむべき老のはじめ哉   生計
齒固を祝ふや芋もあらめでた   退歩

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 齒固 鏡もちをかざり用ゆ、中古の圖後に見ゆ、檯は衝重紙を一重三方へ下ゲて敷、向は明て置、大なる餅大小二ツをかさねてかざる、其うへにひし餅を据ウ、但赤餅五ツ白餅五ツ置なり、置様は松を中に立、まはりにひし餅を重ねて置なり、松は圖のごとく三重に枝あるを立、其まはりに、前は熨斗、向は昆布、右はかうじほだはら、左は柿三ツ栗とを見合置也、禁中にて内膳司よりこれを奉る、禁中にて上代は六本立の規式あり、〈◯圖略〉

〔成氏年中行事〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 十五日ヨリ内ニ、御齒固ノ御祝アリ、平人ノ祝ニ見ル圓鏡ノヤウニハアラズ、ホソク長キ御鏡也、打衣トテ長サ五尺計ニテ、ヒロサ三尺計ナル衣ニ、コノリヲ付テ縁ヲ取テ、四ノスミニ總角(アゲマキ)ヲ綿ニテ結テサゲタル衣ヲ、ヒロゲテシキテ、其上ニ御齒固ヲ置キ申、

供齒固

〔延喜式〕

〈三十九内膳〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817 蘿蔔、味醤漬苽、糟漬苽、鹿宍、猪宍、押鮎、煮鹽鮎、瓷盤七口、高案一脚、〈長三尺五寸、廣一尺七寸、高四尺、〉右從元日于三日

〔西宮記〕

〈正月上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0817御藥事〈◯中略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 内膳供御齒固、大根、苽串刺、押鮎、燒鳥等付進物所、進物所例云、正月元日早朝供奉屠蘇御膳事、猪宍二盤、〈一鮮一燒〉押鮎一盤、〈切盛置頭二串〉煮鹽鮎一盤、〈同切置頭二串〉但御器者度於内膳、瓷盤四口、天皇御東廂、〈著御生氣御服、舊例采女已上著御生氣衣、〉陪膳女藏人等候御厨子所、供御臺二基、女藏人取傳授陪膳、〈自内供〉采女二人藥司等候右青璅門、内膳奉膳付采女、采女取之授女藏人、女藏人傳取自御帳臺上之、〈壇間御簾不上〉宮内輔侍醫等、於小板敷前一々掌之、〈有膝突〉次供御酒

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818御藥〈正月元二三◯中略〉 内膳自右青璅門御齒固具、盛青瓷、件青瓷自所渡於内膳、〈尾張百五物(○○○)内〉毎物有蓋擎子、〈内膳所設〉 采女傳取之、自第三間御几帳上女藏人、女藏人傳陪膳、 大根一坏、苽串刺二坏、〈或説三坏、然而總七坏由有所見、〉押鮎一坏、〈切盛置頭〉煮鹽鮎一坏、〈同切置頭二串〉猪宍一坏、〈以雉代之〉鹿宍一坏、〈以田鳥之〉 以上七坏之内、精進物供第一御臺、魚類供二御臺、〈或説無鹿宍腹赤

〔錦所談〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 百五物 江次第御齒固具ヲ盛青瓷ノ注ニ、尾張百五物トアルヲ、先輩百五ノ二字ヲ貢ノ字ノ誤トシタリ、按ズルニ、長保二年四月九日權記云、〈◯中略〉藤原頼經去年爲百五物之使越前國、〈◯中略〉コレヲ以テ見レバ、強チ貢ノ誤ニアラズ、百五トハ、百五入ナド云數ノ名ヨリ、貢物ノ稱トナリタルナルベシ、

〔建武年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 此時〈◯御藥ヲ供ズル時ヲ云フ〉まづ御厨子所の御はがためを供ず、采女二人御座の次のまの几帳のうへより是を供ず、〈刀自采女につたふ〉命婦藏人、おの〳〵二人、上より次第にかはりて役送す、八の盤なれば二へんにあたるなり、本儀は四人なり、二人も時によるべし、典侍次第に御盤にすう、御はがため、一の御ばんにすうるなり、大方精進の物、一の御盤たるよし江次第に見えたり、かはらけばかりとりて、かいけいしをば本のごとく盤に居てかへし給へば、度毎に是にすうるなり、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0818 齒固は、陰陽頭勘文によりて日時を定めらるヽ、もし朔日などならば強供御已前に參るなり、參る所もむかはせ給ふ方も、はいぜん等みな強供御に同じ、先打敷を

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 しき、次に酒さんを供ず、中央にすう、次に御右、次に御左、次に鏡、亦中央、〈酒さんのさき〉次に御右、次に御左、次にてうし參る、酒さんのふたとりのけて三獻參る、くはへなし、次第に撤す、平のはんばかりを撤して、たかつきをば打しきの中へ入て撤す、齒固は此ごろのは、ふるき圖などとは格別のものなり、

〔厨事類記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 臨時供御〈内院宮儀〉 正月、〈◯中略〉御齒固、折敷高坏六本、〈如恆〉在打敷、〈平絹〉 元三備進之、爲略儀之時、或元日或撰吉日、近代上旬元日中下旬二三日勤之、非例歟、三箇日上旬可之、

〔年中御祝儀記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 御齒固之御祝、但御鏡餅、御菜、御盃也、右は正月之内何日にても吉日に一日上ル、内膳司調進之

〔天明年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 正月元日、〈◯中略〉御齒固、 是は吉日を撰び、内膳司濱嶋氏より奉る、折敷高坏六本、絲松の飾りあり、其上に鏡餅、高盛、御盃などすゑたるもの也、

〔嘉永年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 正月朔日、〈◯中略〉御齒固、 日時定らず、朔日ならば強供御の前に供ずる也、供ずる所も向はせ給ふ方も御陪膳も、皆強くごに同じ、先打敷を敷く、次に御酒壺を供ず、次に御右、次に御左、次に御鏡、又中央、〈酒壺のつぎ〉次に御右、次に御左、次に御銚子參る、酒壺の蓋を取のけて三獻供ず、〈加へなし〉次第に撤す、平盤ばかりを撤して、高坏を打敷の中へ入て撤す、

〔類聚雜要抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 御齒固
一供御御齒固、從内膳司貢定、自弓場殿之、〈從元日三日

〔類聚雜要抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 【圖】

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0819 盤窪、蘿蔔、糟漬瓜、味醤漬瓜、白干鮎

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 煮鹽鮎、鹿宍〈代用水鳥〉、猪宍〈代用雉〉、後取

〔類聚雜要抄〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820 【圖】

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0820盤、三口ヲ重〈天〉進之、中ニ小土器三口入之、
御盤七枚、〈有各蓋〉青瓷佐良七口、試肴日別三前〈前別肴三種有各箸〉盞〈宮内卿典藥頭〉後取九口、〈日別三日〉大土器九口、〈同前〉小土器九十口、〈日別卅口〉案一脚、〈長三尺五寸、廣一尺七寸、高四尺、〉 近代(首書)不之、見式内膳卷
春宮御料
 七種物如上、尻取九口、〈日別三口〉大土器九口、〈日別三口〉小土器九十口、〈日別卅口〉
太皇太后宮
 七種物如上、尻取九口、〈日別三口〉大土器六口、〈日別二口〉小土器八十四口、〈日別廿八口〉
皇太后宮
皇后宮
中宮〈但待賢門院中宮御時、依白河院仰青瓷佐良之、〉
已上色目准太皇太后宮
并土器 尻取三十六口内〈大十八口、次十八口、〉大土器三十口、小土器三百三十六口、 已上楠葉御園作手所進
用途料 山城國狹山江御厨、〈鯉〉奈良御薗、〈苽、茄子、蘿蔔、〉長江御園、〈同前〉竹御園、〈同前〉奈癸、〈同前〉河内國楠葉御園、〈尻取大小土器〉和泉御厨、〈https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001cbc1.gif 、水鳥、〉伊勢鮀(ハエ)川御厨、〈白干鮎、煮鹽鮎、〉
一御供脇御齒固六本立〈三箇日同前也、付御臺盤所之、〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 但近代鯉、雉、鯛、鱸、如此盛之

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 〈代用雉〉猪宍、鯛、〈代用鴫〉鹿宍、鯉、 押鮎、煮鹽鮎、押鮎、煮鹽鮎、 糟漬瓜、醤漬茄子、蘿蔔、蕪、巳上佐良十二枚

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 茄子、白散、瓜子、屠蘇、窪坏四枚

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 料〈但不内膳司之〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 料〈但不内膳司者之〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 蓋酒坏

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 御鏡餅

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821鏡餅上物〈杠葉一枚、蘿蔔一株、押鮎一隻、三成橘一枚、〈但近代一成用之〉〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 用途料 折敷十八枚、〈日別六枚〉土高坏十八本、〈同前〉佐良卅六口、〈日別十二枚〉窪坏十二口、〈日別四枚〉蓋酒坏三口、〈日別一口〉折敷面十八枚、〈料白生平絹一丈五尺、各八寸餘定、〉 打敷一帖、〈長八尺、弘三幅、兩面料白生平絹四丈八尺、但近代以四丈五尺、長七尺五寸定ニ用之、以渡六丈絹依用ニ事長不足也、〉同中倍上紙十八枚〈掻敷紙〉中入米三斗、 已上物等自内藏寮
 御鏡餅三枚〈日別一枚〉自藏人所出納之、苽、茄子、魚物等、晴御齒固用途内用之、〈内膳司沙汰〉

〔内院年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0821 年中御祝之次第

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 御はがための御祝、御つぼ盃出ル、一番御かヾみ、二番いも、三番やき物、四番ひしほ、五番ねぶか、かうの物、御銚子出ル、御はいぜん五ツ衣にてつとむ、

〔彤管記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 御はがための次第
一こん御つぼさかづき、二御かヾみ、三いも、四やきもの、五むし、六ねぶか、〈宗直云、御つぼさかづき、今は例のさかづき也、ふたヾい有之、ねぶか、ねぶか大根と申て、大根細くしたるもの、〉

〔公家年事〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 正月元日 御齒固
一番御鏡餅 二番芋 三番燒物 四番ひしほ 五番〈奈良漬香物〉 御銚子 御陪膳典侍五衣にて勤む

〔友俊記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 年中御作法の大概物がたり〈◯中略〉 一御齒固を供ず、〈御こん、御とほり、三ツ肴あり、〉かヾみ餅、〈かちぐり、かき、ことのばらやうのもの、〉三方白き粉ぬり、若松竹、鶴龜、色繪、四方の角に絲のつくり松、總角あり、御そへものは土高坏にのる、 女中典侍内侍命婦きぬなり

〔爲房卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 延久五年正月一日辛巳、拜禮了後、〈◯中略〉采女二人供御齒固、〈進物所調進之、御盤三枚也、御臺二本從鬼間方、進物所刀自獻之、◯中略〉次典藥供御藥酒

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 文治三年正月一日癸卯、余參内、〈◯中略〉參御前、此間主上有御齒固事、〈著給公卿引直衣、内府依勅定仕陪膳、〉

〔伏見院御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 弘安十一年正月三日己丑、御齒固等如例、
正應三年正月一日乙巳、於朝餉夕御膳御齒固等、 二日丙午、酉刻供御藥、〈◯中略〉次於朝餉朝夕膳御齒固等、 五年正月一日甲午、於朝餉御膳齒固例、 二日乙未、御齒固御膳等如昨、

〔公清公記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 貞和六年正月一日丁巳、供御齒固

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 文明九年正月三日、〈◯中略〉御はがため、けふまですき〳〵とまゐりてめでたし、

〔親長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0822 文明九年正月一日庚子、有御齒固云々、無臺盤、直供之歟、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 永正十六年正月二日、於外様御膳朝餉等事有之、〈◯中略〉後聞、御膳以前有御齒固之事云々、享祿三年正月二日、御齒固御飯御膳等供之如例云々、聊密々令拜見歸蓽、

〔宗建卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 享保十八年正月一日、〈◯中略〉且御齒固亦近世略儀多、今度被古法了、
 ◯按ズルニ、此記同日ノ前文ニ、朝餉出御久中絶、今年御再興、仍御膳近日如古法、陪膳女房著衣云々、此事從去年内々有御沙汰、予奉仰申談殿下了、尤正月三箇日七日十五日等、雖此、當時用途之儀有障、不叡慮、仍今日一箇度如古法、〈◯中略〉申刻出御于大床子、今度御再興也、〈次第略之〉抑朝餉大床子御膳近世甚略儀、今日御再興之、諸臣恐悦々々、 三日、自今年御銚子提片銀也、去冬予奉之新調之トアリ、是ニ由リテ視レバ、當時用途ノ不足ニヨリテ、正月ノ御祝モ略儀ナリシヲ、今年朝餉大床子御膳等ヲ再興セラルヽト共ニ、齒固ノ儀ヲモ復古セラレシモノヽ如シ、

〔前恭禮門院御凶事記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 寛政七年十一月三十日、女院崩御、 八年正月一日、傳聞、今日被御齒固、於朝餉御膳者、如例年供進由、

私家齒固

〔年中恆例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0823 年中御對面〈并〉雜事少々〈◯中略〉
一御齒固事、當月中以吉日之、仍日不定、此次第の事、先御出座以前、伊勢守裏打御祝を御座敷にすゑならべ申す、次に御出座ありて、大上臈はかま著也、御不參の時は日野殿御酌にて、三度被聞召て、又御退座也、其後中臈〈はかま著用之、同むねの守懸、〉參じて、折敷の上に臺を重て、下にしきたる帛にて、ひきつヽみて、御末へ持て出らるヽ也、如此之後、常之三盃參て、あがりて、御末にて伊勢守〈并〉諏訪御盃給之、御服拜領之也、御酌中臈、日取書は有春朝臣對諏訪之、御祝は大草調進之、御倉よりの御下行、大草と伊勢守と、間の御手水諏訪也、此御祝三箇日の内にてあれば、まづすはに御對面ありて御祝まゐる也、
一すい花院説曰、齒固上候とき、すゑ候物の事、別には無之、御白散のふたにすわると也、

〔簾中舊記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 正月御はがためやうだい
一御はがためのこと、御日どりしだいにて候ほどに、日は定り候はず候、ふぎやうはとき〴〵により候、いせびつちう大くちひたヽれにて、御はうのよき御かたにをしへおき參らせ候、此御方よく御入候と申され候へば、なり候て御むかひ候、大上らふは、ゑぬひものめして、むねのまぼり御かけ候て、御はかまめし候、御かたくちにて九こん參らせ候、此御盃はつぼき物にて候、三の御さかづきもまゐり候、それは御てうしにて候、小上らふは、もにかみをめし候て、ゑぬひ物めし候、御かたくちと御てうしとを、上らふへまゐらせられ候、御所さまの御たち候へば、御なかがしらの人、ゑぬひ物にはかまめし候て、まぼり御かけ候て、下にしかれ候きぬにつヽみて、びやくさんのはこのふたにすゑ候て、御すゑへ御出し候、御所もまゐり候、上さまのはそのときの御うぶすなへ參らせ候とて候、御まへにて伊勢に上の御さかづきたびて、御ふくたび候、御すゑにて、御いはひ、ぶぎやう三の御さかづきいたヾき、御ふくたび候、伊勢には小上らふ御しやく、ぶぎやうには御なかがしらたび候、

〔正月祝儀飾之繪圖〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 一御はがため參次第之事〈◯圖略〉 一此とき三ツの御盃參候、朝供御三迄參候てくだるなり、〈◯中略〉
  正月吉日に御はがため之祝之事
一吉日をえらび、御はがため參候、雪松と申ものを調進候なり、 一同日公方様へも參候、同御臺様へも參候、勢州之御手ながなり、おり物の御服頂戴候、 一六膳參候、此膳に雪松をくみ付候、此御はしの臺に、盃も居申候、〈◯圖略〉 右御齒固也

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 久安七年正月一日癸酉、齒固手水如常、

〔山槐記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0824 保元元年正月一日癸卯、向生氣方齒固事、〈來八日爲正月節、仍用去年方、〉

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 保元三年正月一日壬戌、右大臣殿召御裝束〈飾劒代、有文帶、付魚袋、〉入御、有齒固事、女房被之、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 承安五年正月一日癸未、未出仕之前、小兒女戴餅并齒固、
安元二年正月朔日丁未、齒固、 三日己酉、齒固如例、
治承三年正月一日庚申、歸家之後齒固如恆、〈女房陪膳〉餘出行之間、皆人并姫君等齒固了云々、 二日辛酉、歸家之後手水〈陪膳光經朝臣〉齒固等如例、 三日壬戌、齒固如常、
養和二年正月一日壬申、依喪家之内鏡、〈◯中略〉雖進齒堅、不出前也、〈用精進
文治三年正月一日癸卯、有齒固事、〈女房陪膳也、豫寢殿西面副奧敷繧繝端疊一枚、其上敷錦端龍鬢、其上施唐錦茵姫君座、其北間敷高麗疊一枚、其上敷東京錦茵、不地鋪、爲女房座、依座狹、余座在南庇打出傍、只敷高麗疊一枚也、對屋儲客亭之時、寢殿帳前北座也、其儀中央間儲姫君座、繧繝敷二枚、其東西儲女房及余座、皆南面也、〉豫侍男共取居齒堅之具、事訖又侍等撤之、先例也、見故殿御記
建久八年正月一日乙亥、齒固如例、又小兒自去年齒固、與余并女房、於同所之、 三日丁丑、齒堅如昨日

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 承元四年正月一日庚寅、先有小兒戴餅事、〈◯中略〉次不裝束、見齒固恆、女房固之、祝千秋萬歳而已、 二日辛卯、齒固如例、隨身著饗如昨、 三日壬辰、齒固等如例、

〔深心院關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 文永二年正月一日辛未、齒固又如例年、 三日癸酉、齒固手水如日來

〔園太暦〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 康永三年正月三日、抑今日齒固也、陪膳光連著衣冠

〔後深心院關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 應安二年正月一日丁酉、齒固如例年、三位中將固之、

〔薩戒記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825 永享五年正月二日丁巳、今日見齒固

節供

〔公事根源〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0825御節供     一日
是も三箇日の事也、寛平二年二月の頃、後院の別當善、〈◯源氏〉といふ人におほせられて、毎節に調進せらる、諸院宮の御節供も是におなじ、異事は侍らず、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 ◯按ズルニ、公事根源ノ説詳ナラズ、年中行事秘抄正月十五日ノ條ニ、御記云、寛平二年二月卅日丙戌、仰善曰、正月十五日七種粥、三月三日桃花餅、五月五日五色粽、七月七日索麪、十月初亥餅等、俗間行來以爲歳事、自今以後毎色辨調、宜奉之、于時善爲後院別當、故有此仰ト見エタレドモ、年始三箇日ノ節供ニアラズ、姑ク記シテ疑ヲ存ス、

〔年中行事秘抄〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 元日 供御節供事、〈三箇日〉於朝餉之、

〔厨事類記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 御節供 内藏寮辨備之云々、〈首書〉如式者内膳司同備進之、〈◯中略〉
臨時供御、〈内、院、宮儀、〉 正月、御強飯、御菜八種、御菓子八種、元三(○○)、立春、七日、十五日勤仕之、居御臺二本

〔禁中當時年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 御強供御之御膳御菓物御膳、元日、二日、三日、七日、十五日、立春、以上六箇日、大隅大炊頭供之、

〔彤管記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 こはぐごの次第 一番御すぎ、二こはぐご、三御つけ、四御ひらの御盤に御さかづき、〈宗直云、御つけ、淺漬、生の大根盛、おつけの向に付、〉

〔内院年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 年中御祝之次第
元日、〈◯中略〉夕方の御祝、一番杉の御膳、二番こはぐご、三番御汁、四番ひらの御ばんに御さかづき居ル、御銚子出ル、御湯出ル、かな色にて御くだの御膳、御はいぜん、是も五衣にてつとむ、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0826 常にならします方にて、あしたの物參る、〈◯中略〉しばらくしてあしたの御飯を供ず、堅固うち〳〵の體也、まゐる所も定らず、御心にまかす、朔日、二日、三日、七日、十五日、立春の日みな同じ、これらは夕方の強供御の時、あしたの御はんを供ずるゆゑなり、〈◯中略〉其後あさがれひを供ず、〈◯中略〉秉燭の後御祝あり、御はり袴御さげなほしあこめをかさねてめす、〈是を物のぐといふ〉うへに生氣の御袍〈平絹、生氣の方のいろ也、近年其さたなし、慶長のころたヾ一度着せしなり、〉をかさねて召、常御所のひがしの二帖の御座に、生氣の方にむかひて著せしめ給、上臈中臈下臈ともはりばかまに五ツ衣を著す、〈きぬ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0827 〈の下には紅ばいを着用す、綿のいりたる小そでなり、〉先あしたの御はんを供ず、鰯とかいふ御まなを、白き土器に入て同じ土器おほひて奉る、〈是をきぬかづきといふ、至極衰微の時節より、はじめて、其嘉例をうしなはで今に奉るとか、ふたをおほふは、彼御まな、下ざまに專用ものなれば、おほひかくすにこそ、〉次に御こはく御供ず、次に二の御はんを供ず、はいぜん人、強供御の先中央にある根ぶかを二ばかり、右の手しておしをりて、強供御のうへにおく、亦御前の方にあるこまかなる物を少シとりて、同じく強供御のうへにおく、是も右の手してとる也、次に御箸をとらしめ給て、二の御はんにあるかはらけを左の手にもたしめ給ひて、強供御をすこし御はしにて分て土器に入、亦二の御はんにある菜のあつものくヽたちを少うへに置てそと參る、次に平の御はんに御盃をすゑて供ず、其やう、中央に三どの土器ひとつをすゑて、めぐりに深草土器三ツ宛重て九すう、〈是をこさかづきといふ〉都合廿七がうへにしだの葉をおほふ、はいぜんの人左手に平の御はんを持、右の手にてしだの葉をとりのけ、てうし醴酒を入をとりて、御前にさしよす、中央の御さかづきをとらしめ給ひて三獻參る、加へはなし、又しだの葉をおほひて撤す、次に御ゆ御もゆを供ず、強供御をとり分られたる土器にうけまし〳〵て參る、いづれも體ばかりなり、次第に御前を撤す、〈◯中略〉 二日、〈◯中略〉夕方の御祝きのふにかはらず、くたの御はんは、昨日のを撤して、其所に今日のをとりかへておく也、今日のをばあすとりかへ、三日のをば七日にとりかへ、七日のをば十五日にとりかふる也、十五日のをばやがて其日撤する也、立春のをばやがて當座に撤する也、 三日、〈◯中略〉夕方の御祝また同じ、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0827 毎日御後調進供御、御後調供御之女子也、御後誤供御者乎、常侍清所、或謂櫃司、又稱中(ナカ)、言此人常侍中間、節會御神樂等始、及其時、自清所御刻限之雜煮

〔嘉永年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0827 正月朔日、〈◯中略〉御祝、 秉燭の後御祝あり、御引直衣、御單、御張袴をめす、常御殿の東二帖の御座に、吉方に向ひて著しめ給ふ、典侍以下張袴に五つ衣を著す、先あしたの御膳を供ず、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 次に強供御を供ず、次に二の御盤を供ず、御陪膳の典侍、強供御の先中央にある根ぶかを二ばかり押折て、強飯の上に置く、又御前の方にあるこまかなる物を少しとりて、強飯の上に置く、次に御箸をとらしめ給て、二の御盤にあるかはらけを、左の御手に持しめ給ひて、強供御を少し御箸にて分け土器に入れ、又二の御盤にある菜のあつ物に莖立を上に置てそと參る、次に平の御盤に御盃を居ゑ、廻りに深草土器三づヽ重ねて九つ居う、〈是を小さかづきといふ〉都合廿七にて、上にしだの葉を覆ふ、御陪膳、平の御盤を持ち、しだの葉を取のけ、御銚子〈醴酒を入〉を取て御前にさし寄す、中央の御盃をとらせ給ひて三獻供ず、〈加へなし〉終りて撤す、次に御湯〈御もゆ〉を供ず、強ぐごを取分られたる土器にうけまし〳〵て參る、〈何れも體ばかり也〉次第に御前の物を撤す、くだ(菓)の御膳は御手長の命婦便宜の所に置くよしなり、

〔伏見院御記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 正應三年正月一日乙巳、於朝餉夕御膳〈◯中略〉等、 二日丙午、次於朝餉朝夕膳〈◯中略〉等

〔實隆公記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 文明六年正月朔日丁亥、酉下刻御強供御事有召出、參仕之人々、〈◯中略〉 二日戊子、秉燭時分有御強供御召出、 三日己丑、御強御供參仕之人々如昨夕

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 長享三年正月一日、御こわく御一こんもつねのごとし、 二日、昨日のごとくにく御もまゐる、 三日、うけとりの御てうし、新大すけ殿御いままゐり、く御にもおなじくまゐる、

〔二水記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 永正十六年正月二日、於外様御膳朝餉等事有之、

〔御湯殿の上の日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0828 慶長三年正月一日、〈◯中略〉こわく御まづまいる、御はいぜん大すけどのながはしいよどのなり、いつものごとく五ぎぬ、はりばかまにてまゐらるヽ、く御にも物のぐめさします、 三日、〈◯中略〉、こわく御まゐる、御さか月三ごんまゐる、

〔宣胤卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 明應二年十二月廿一日、御齒固、百五十疋、〈元日バカリノ分〉御強供御四百五十疋、〈◯中略〉以上、明應二正、

〔元長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 永正二年正月二日、今日御強供御省略、其足相違云々、

私家節供

〔三中口傳〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 節供事、元日、七日、十五日、已上折敷高坏六本、〈盛物隨説用之〉有打敷、〈生平絹〉陪膳四位家司、役送五位諸大夫、皆著束帶之、主人著冠直衣也、

〔年中定例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0829 殿中從正月十二月迄、御對面御祝已下之事、〈◯中略〉
一御祝〈◯正月元日〉はてヽ朝供御參候、今一は伊勢守方より參り候、祓官人蜷川丹後守、同名新右衞門尉兩人、おこの方へ申付候て進上申候、赤金にてうちたる鉢に入候て、日に三鉢づヽ兩御所様へ參候、若君様御座候へば、それも同前に參候、赤金の鉢に入、同じく銅の鉢をふたにして、中の御末の御ゆるりに、口ながとて、是も銅のひさげの大きなるやうに、口の候物にて、湯煎にしておきて、供御の參候時、それを御末にて、うば御老ぢようきぬをきてよそひ申され候、御汁御參りをば供御方仕候、先調て丸桶とて口一尺四五寸計なる鉢を、赤漆に塗たるに、あさぎのすヾしの絹にて張たるふたをして持て參て、御懸盤に並べ申候、常は御懸盤にて參候、御臺様も同前に仕候、御精進の時はあしの付たる折敷にてきこしめし候御盤にて候、いづれも青漆にぬり、内をば光明朱にて塗れたるにて候、〈◯中略〉
一八の時分、御こはぐごとて參候、御臺様へも同時に參候、御所御方御座候へば同前、御手長の女中、御中臈紅の御袴、金襴のむねの守りを御掛け候、織物何れもめされ候、又縫物をもめされ候、本は織物にて御入候はヾ、ゑなどは日によりて定り候、男の手長は、伊勢名字の衆禁ぜられ候、名字中にも參つけたる衆にて候、我等兄弟父子、伊勢守兄弟親子、同名因幡守、備後、肥前、又下總守家に候、五人又は四人も參られ候、〈◯中略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 一御強供御は、大草毎年調進申、式三獻をば進士調進申、御強供御の時七獻參候、是は供御方仕候者調供申、御點心まで七獻にて候、
一強供御の參やう、下の御末のさいの外迄、大草親類もちて參候を、さいの内より大草請取申て、中の御末のさいの中より、手長の衆請取候て、上の御末のさいの外まで持て參候を、御手長の女中御請取候て、御前に御ならべ候、すゑ様ならび御入候、御ならべ候て後御出候、御むかひ候時、女中のうち大上臈引御なほし候、御前の事は常の人は被存間敷候、御前に御座候御方は、日野殿御一人御座候、我等祗候いたし候、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 建久三年正月一日甲戌、及深夜手水齒固節供等事、女房節供如例、〈陪膳皆以政朝臣也〉

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 嘉禎二年正月一日、歸家之後著朱器節供、陪膳泰敏朝臣、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 養和二年正月一日壬申、依喪家之内、〈◯中略〉手水節供共停止、

饗宴

〔昔昔物語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 昔は大身小身衆は申に及ばず、下下輕き一人も召仕ふ程の者町人迄も、正月は椀飯(わうはん)振舞とて、親類縁者子供迄洩さず呼び集め、夫々酒食分限相應に結構して、目出度と壽うたひののしり、酒もりして遊ぶ、是遊ぶばかりに非ず、年中遠々敷打過たる親類も、此椀飯振舞年始の第一の祝儀なれば、一家親類つどひ集り、又は不通不和にて過候親類は親方へ詑び、此椀飯振まひの人數に交る爲なり、又誰の子息もはや年たけらるヽ間、今年緑組然るべし、又は誰の息女當年中縁邊如何様の所望るヽや、或は家古びたる人へは當年御普請可然と、年中の大用も談合し、機げんよく退散せられしなり、是故に疎なる親類の中も、正月の椀飯振舞より亦したしく成事あり、
◯按ズルニ、椀飯ノ事ハ、禮式部饗禮篇ニ詳ナリ、

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0830 せち振舞〈俳〉

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 凡新年、〈◯中略〉京師俗、自元日晦日、親戚朋友互設酒食饗應、謂之節

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 節饗應 いにしへは臨時客とて、堂上にて春の初に客を招き、遊びありしといふ、今節ぶるまひとて親戚會集するも、此遺風にや、然ども中華にも又これに似たる事見えたり、〈◯中略〉四時宜忌曰、長安風俗、元日以后、遞以酒食相邀、爲之傳座

〔荊楚歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 正月、〈◯中略〉元日至於月晦、並爲酺聚飮食、士女泛舟、或臨水宴樂、
按、毎月皆有弦望晦朔、以正月初年、時俗重以爲節也、玉燭寶典曰、元日至月晦、今並酺食、度水士女悉湔裳、酹酒於水湄、以爲度厄、今世人唯晦日臨河解除、婦人或湔裙、

〔清嘉録〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 拜年、〈◯中略〉薄暮至人家者、謂之拜夜節、初十日外、謂之拜燈節、故俗有心拜節、寒食未遲之謔、〈◯中略〉
年節酒 元旦後、戚若友、遞相邀飮、至十五日而止、俗稱年節酒、范來宗留客詩云、登門即去偶登堂、或是知心或遠方、柏酒初門排日飮、辛盤速出隔年藏、老饕饜飮情忘倦、大戸流連態怕狂、沿習郷風最眞率、五侯鯖遜一鍋香、又蔡雲呉歈云、大年朝過小年朝、春盤互見招、近日款賓儀數簡、點茶無復棗花挑
案、宋僧道世法苑珠林、唐長安風俗、毎元旦已後、遞飮酒相邀迎、號傳座酒、又危致明岳陽風土記、岳州自元日獻歳、隣里宴飮相慶、至十二日始罷、號曰傳座酒、常昭合志、元旦後、親朋交宴、謂沿襲屠蘇之義、郡中新年、舊俗點茶饗客、有諸色果、及攅棗爲花者、名挑辨茶、今廢、呉穀人祭酒新年雜詠小序云、新年、家設酒餚客、三五行即辭出、有酔而歸者、顧清詩、茗椀酒杯皆可意、好將新歳傳生

〔諸國圖會年中行事大成〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0831 元日節饗、今日より十五日に至り、親家及び朋友の輩、互いに招請して酒食を供し、無事に新年を迎しを賀す、これを節饗といふ、

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 節〈朝節、夕節、節振舞と云、親戚宴會をなして、たがひに往來するをいふ、新春の賀節を祝ふなり、尤令節毎に祝ひ悦ぶ事、年始のみに限らずといへども、正月は一年の始めなるゆゑをもつて、格別に節といへば正月の事とす、◯下略〉

〔日本歳時記〕

〈二正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 荊楚歳時記に、〈◯中略〉正月は初年なるをもつて、時俗おもんじて以て節とすといへり、今の世民間にも、年始に親戚宴會するを節會といふも、かヽる縁にや、されば此月世人おほく親戚を宴會す、〈◯註略〉しかれども歳初に、男女すでに親戚の家に互に往來して會面しぬ、且此月世上饗應しげくして約期多く、閑日を得事すくなし、しば〳〵使を馳て晦日を問に勞し、又世人此月多は飮食に酔飽して、宴會を以て却て厭ふ事とす、しかれば二三月天氣和暖の頃、鳥啼花開時に至て親戚を饗すべし、是人の宴饗を悦樂する時なり、古人花樹宗會の法も、二三月花開時なるべし、〈◯中略〉しかれども親戚すくなき人、或は父子兄弟、其外にも親密なるともがらは、亦情に任すべし、

〔柳營年中行事〕

〈二〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 正月〈十八九日より廿五六日迄〉之内
一在府御三家方御年頭之爲御祝儀、老中招請在之、
  若年寄、御奏者番、御留守居、大御番頭、御書院番頭、御小性組番頭、芙蓉之間御役人、遠國奉行、新御番頭、御旗奉行、百人組頭、御鑓奉行、御持頭、御留守居番、御納戸頭、
 右之通相越、老中、若年寄、御奏者番、兩人ヅヽ、其餘ハ一役壹人宛相越、此外御賄頭、表御臺所頭、御同朋頭も罷越、衣服熨斗目半袴著用之

〔萬天日録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 天和二年正月九日ニ、水戸殿へ年頭之御振舞、御老中招請、 同十六日ニ、甲府殿ヘ年始ノ振廻、御老中招請、

〔萬天日録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0832 寛文十二年子仲秋記之〈◯中略〉
    覺〈◯中略〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 一正月九日、從江戸年頭之奉書到來付而、相模守殿〈◯大坂町奉行〉宅〈江〉參上、のしめ麻上下也、則今朝年始振廻有之、但九日已前用事有之、相模守殿宅〈江〉參候節、小袖羽織たるべし、上下は其時之様子によるべき事
一正月九日已後、定番衆其外〈江〉年始之振廻之節、袴羽織之事、〈◯中略〉
一年頭は勿論、御番替、暇乞振廻之時、家老并取次之者上下之事、
一右振廻之節、塗三方にて熨斗鮑出候事、
   已上
 右兩通は、大坂在番大番頭手前之扣寫、

〔續百一録〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0833 延享三年正月十三日 一尊勝院様諸禮、尊勝院様より爲御祝儀、一兩日前に昆布、牛房、樽一荷、五升入二ツ、 獻立 あへまぜ、〈大こん、人じん、いわたけ、せり、あげふ、きんかん、〉汁、〈あふみかぶ、こまごま、さい、〉煮物、〈牛房、玉子、うはしいたけ、〉飯、 引而かうの物 こくしやう、〈くわゐ、山のいも、人じん、木くらげ、干かぶら、〉湯だうふ、重引あさづけ、御吸物、〈まつだけ〉肴、〈ゆびし、のり、〉 中通侍衆上之通、下部之者、 やき鰤、取肴、〈かまぼこ、數の子、ゆびし、〉鹽小鯛やき物、汁さく〴〵、煮物だうふ、肴、〈牛房、數の子、あさづけ、◯中略〉
一烏丸様へ、今日御節ニ付、遐壽丸様烏丸へ御出ニ付、鯣一折〈三〉御持參候、
十六日 一烏丸様、日野家へ御出節也、〈◯註略〉 御口祝、〈のしこんぶ〉御吸物、〈たいひれ〉御盃、御銚子、御肴、〈するめ、からすみ、ゆびし、〉御くわし、〈けんひ、やうかん、みつかん、〉  夕御膳 御鱠、〈きすご、大こん、あかヾい、くり、くらげ、きんかん、〉御汁、〈うけ、ごぼうはり、まつだけ、〉口物、〈かも、うぐひすな、〉御かうの物、御飯、  御二 さしみ、〈霜ふりだい、いり酒、いかの細作、わさび、うみぞうめん、九年ぼ、〉すまし汁、〈ぼら、みる、〉引物、〈やき物、小だい、〉臺引、〈一付あぶりほうぼ、平うば、〉御銚子、肴、〈たこ、こぼうこがい、〉すまし吸物、〈へぎあわび、青ミ、〉湯、御くわし、〈かうたけ、くすまん、やうし、〉こい茶、
正月御祝之御獻立 御三方、〈ひしはなびら、のし、〉御雜煮、〈ほなが敷て、田づくり、ひらき豆、〉餅、〈ひしかつうを、大こん、いも、いもがしら、くしこ、むすびこんぶ、や〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 〈きどうふ、いりこ〉同御吸物、〈鯛ひれ、御すヽ、〉三方羽もり松、〈まきずるめ、からすみ、牛房、〉同竹梅、〈えび、船もり、しほ貝、數のこ、たこ、〉御膳、〈御汁、鹽小だい、御めしいわし、ほながしきて、〉ふくしゆ、〈生みそ、にんにく、〉なます、引而御やき物、〈こヾり鮒〉御煮物、御かうの物、重ざかな、〈數のこ、牛蒡、あさづけ、〉 十二月〈◯中略〉 正月物 一柏二合、〈十五文〉大々十三、〈七十八文〉柚十三、〈三十九文〉みかん百、〈百七十文〉柑子五十、〈五十文〉橘五十、〈同〉本だはら一束、〈百文〉串柿二束、〈百九十文〉ところ一升、〈廿五文〉柏五合、〈三十五文〉丸かち栗五合、〈百廿文〉ころがき百、〈八十文〉ほうづき十、〈十二文〉ほなが五十把、〈百五十文〉ゆづり葉三把、〈七十文〉くろ昆布二把、〈壹匁五分〉數之子壹斗、〈十九匁〉いわし四百五十疋、〈三十三匁七分〉串貝貳連、〈五匁五分〉ぶり壹本、〈廿五匁〉ゑび十三、〈五匁八分五厘〉ごまめ壹升、〈七分〉鴫二把、〈二匁四分〉
四年正月十四日 一烏丸前大納言様御出、御家來、〈◯中略〉主計監物、大炊允、右近、尚安、 一同宰相様御出、御節ニ候、〈◯中略〉 一葉室宰相様〈江〉明日御節可進之旨、被仰進候、

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0834 蛤の吸物、大根汁、〈いてう形に切〉田作り鱠、是は南朝信濃宮〈中務卿宗良親王子〉の御子良王、宮方の武士四家七名字の者を召具、尾張の國津しまへ移らせ給ふ時、元日始て此祝ひありて、子孫長く津島に住給ふ、其佳例にて、當國の風俗を諸國に傳へ學ぶといへり、〈◯中略〉四家は〈山川、岡本、恆川、大橋、〉七名字は〈堀田、平野、服部、鈴木、眞野、光駕、河村、〉何れも子孫今ニ繁榮し奉仕す、 麥飯、いなだ鱠、にらみ鰯、〈鹽いわし二ツ、其まヽ皿に置、〉ねぶか汁、是は三河邊元朝の佳例に用ゆ、上代質朴の風を傳へて祝ふなるべし、富だはら、〈ほだはらを結び作る〉さんぎちやう、〈二寸計の小木三枝、わらにて結びたるもの、〉是は伊勢内宮邊の佳例に用ゆ、年禮に客來れば、折敷にさんぎちやうに田づくりかうじ置合て出し、次に芋頭を椀にもりて、寶珠と名付てすゆると、是も又上古質素の風なるべし、〈◯中略〉 鰊の子、〈かずの子といふ義をとれり、〉押鮎、〈あいきやうといふ、愛敬の音に通ず、上代より祝物に用ひ來れり、〉鰊は倭字、西國にては高麗いわしといふ、朝鮮に多しと云、正字未考、和名かどをかずと唱ふ、音便なり、其外諸の鹽者を用ゆるは、昔より京都は大和山城の地にありて、山中、海邊遠き國の俗を傳來れるものと見えたり、

〔華實年浪草〕

〈一下正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 骨正月(○○○)〈京大坂ニテ、新年ノ嘉祝ニ究メテ鰤ノ脯ヲ用ユ、其魚骨ニ大豆、酒ノ糟ヲ入煮熟シ、爲節物之、故ニ骨正月ト云、〉

〔浪花の風〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 市中年中定りし食物のあらましを聞に、正月元日、二日、十日には、燒物におしなべて鹽鯛か鹽鰯を用ゆ、元日雜煮餅は、多分味噌汁にて、昆布、芋、燒豆腐、大根等を加ふ、二日はすまし雜煮にて水菜計り、他物は不加、屠蘇肴は、凡數の子、牛蒡、ごまめ、三種は一統に用ゆ、茶菓子は西條柿に蜜柑昆布に限るよしなり、十日は十日夷とて必家毎に祝ひて鹽鯛を用ゆ、其外年始客へ出す肴、鹽ぶりを用ゆ、都て江戸にて鹽引鮭を用るが如し、此鹽鰤の骨に附たるを、其儘に貯へ置て、廿日に至りて、酒の糟にて汁の如くになし、烹て喰ふよし、是を骨正月と唱ふと、市中一般なり、また六日年越には一同に麥飯なり、

蓬萊

〔故實拾要〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 正月飾三方
是堂上諸家中、正月三方ノ飾ニハ、熨計蚫、昆布、此二種ヲ切テ硯蓋ト云物ニ盛、白箸一膳ヲ添テ三方ニ載之也、年始客對ノ時、件ノ三方ヲ主人ノ前ニ備フ、時ニ主人以箸熨計昆布ヲ挟ムデ客ニ進ム、終テ引之也、硯蓋トハ硯筥ノ打カブセノ如蓋成物也、梨地、高蒔繪、金ノ沃懸等アル物也、凡家ニハ喰積ノ臺トテ、種々ノ物ヲ盛飾也、如此ノ物堂上ニハ聊無之事也、都テ堂上諸家中、年始并婚姻、元服、拜賀等ノ祝義、酒肴ノ時ハ、硯蓋ニ雉子ノ羽盛、海老ノ舟盛等ヲ用ル事也、此外種々ノ臺ノ物等、又土器モ種々ノ肴ヲ盛也、土器ニ肴ヲ盛時ハ、土器二ニ盛、小四方ト云小キ臺ニ載之者也、

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 蓬萊かざる〈にしざかな、かずのこ、〈かどの子也〉田づくり、〈ほしいはしなり、ことのはら共いへり、〉ほだはら、〈ほんだはら〉かや、〈かへ〉かち栗、くし柿、梅ぼし、〈梅ほうし〉だい〳〵、柚かう、柑子、たちばなかざる、野老、〉

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 民間歳節上〈◯中略〉 歳首以柑、橘、橙、柚、榧、栗、朱梅、霜柿、海藻、昆布、萆薢、龍蝦、鰒魚削脯之類卓上、挿松竹于其上看食、謂之蓬萊、或謂之山棚、有賀客先供之、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0835 元日 蓬萊臺〈倭俗新年三方臺、置海老、熨斗、昆布、榧、橙、穗俵等、先供賀客新年、是謂蓬萊臺、〉

〔續山の井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 蓬萊〈附組付物〉 蓬萊のかざりはかぐのこのみ哉 伊賀上野 一笑〈◯中略〉 ほだわらや祝儀表する宿の春 越前福井 祐元 梅ぼしや實さへ花さへけふの春 如貞 かずのこのいはひ初るや太郞月 筑前之住井土氏 辰政

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 蓬萊いはふ〈蓬萊島は仙人の住處にて、此處の菓物を喰へば、不老不死に至ると也、依て年始に命遠久と祝ひて、三方に種々の物をつみ重ね、蓬萊と名づけ祝ふ也、俳、蓬萊や疊の上に海とやま、可友◯中略、〉飡積、〈蓬萊の飾は、口にいへる如く目出度もの故、蓬萊の積かさねたる菓ものを喰ふて、長壽を得ん心也、俳、ぼつ〳〵と喰積あらす夫婦哉、嵐雪、〉

〔華實年浪草〕

〈一上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 蓬萊飾、喰積、〈(中略)史記本紀曰、海中有三神山、曰蓬萊方丈瀛州、僊人居之、列子曰、渤海東有山、一曰岱輿、二曰員嶠、三曰方壺、四曰瀛州、五曰蓬萊、華實皆有滋味、食之不老不死、所居人皆仙聖之種云々、蓬萊盤據之乎、〉

〔日本歳時記〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 元日、〈◯中略〉禮終て春盤をなむ、 和國の風俗にて、盤上に松竹、鶴龜などを作てすへ、栗、榧、海藻、海鰕、みかん、かうじ、たちばな、米、柿などつみかさねて、これをなむ、歳初に來る賀客にも是をすヽむ、是を蓬萊といふ、蓬萊は仙嶋なれば、その名とするならし、もろこしにも春餅生菜などを盤上に盛、春盤と名付て、なむる事あるよし、四時寶鏡に見えたり、さればこそ杜子美が詩にも、春盤細生菜とつくれり、また周處が風土記に、正旦楚人五辛盤を上る事をしるせり、かうやうの遺意にや侍らん、

〔水戸歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 正月元日、〈◯中略〉賀客内ヘ入トキハ、クヒツミヲ出ス、客モコレヲイタヾク、酒ヲ出シ杯事アリ、肴ハ大方カヅノコヲ用、 十二月晦、〈◯中略〉明日ノクヒツミ、或ハ神ニ備ル餅ナドカザル、

〔月令廣義〕

〈五正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 春盤生菜〈晋李鄂於立春日、以蘆菔芹芽菜盤相饋、齊人春日食生菜春盤、取迎新之意、〉春餅、〈唐人立春日食春餅、生菜、號春盤、今江南俗、春日猶然、春餅者薄劑煿菜肉裏食也、◯中略〉五辛盤、〈簇蔥韮姜絲芥辣蒜椒之、亦以佐黄柑酒者、〉

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0836 元日 蓬萊 三方にうら白、ゆづり葉、榧、かち栗、海老、ほだはら、みかん、かう

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0837 じ、橙、ところ、昆布、米、豆、かき、此類を取まじへかざる、又若松、やぶかうじ、梅の花をもさす、國俗によりて少異なりといへども、何れもめでたき縁をとる、蓬萊は仙人の住山になぞらへていふにや、唐の五辛盤とおなじ風俗にや、又百事大吉といへるも相似たり、

〔煕朝樂事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0837 正月朔日、〈◯中略〉簽柏枝柿餅、以大橘之、謂之百事大吉

〔翁草〕

〈百二十〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0837 正月の饌具は、山家質素の俗より始りけるにや、栗、榧、ところ、又齒朶、ゆづり葉など、雪中に枯ぬもの故、祝して用ひ來れるなるべし、其象を表し其儀をとるにはあらじ、田作り、海老等も、干堅めたる物なれば、名にめでヽ之を用ひ、元日にいもじ、あらめ用ふる事は、延喜式にも見え、土佐日記にもあれば、久しき風俗と覺え侍る、唐の元餅を、我國の齒固めに附會し、五辛盤を倭の蓬萊の事のやうに語り侍るは、似て是ならず、又元日に鯡肴を用ふる事、春陽は東より來ると云ふをもて、西の縁をかりて祝するなりと云り、

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0837 蓬萊いはふ〈(中略)圖する處は、諸禮家本式の通り也、〉
蓬萊の圖
蓬萊、〈三方は臺のあはしたる所を、正面とする也、〉橙、〈實をむすべば七八年おちず、代々つヾく故祝ひの物とす、〉穗俵〈ほんだわらとも云〉搗栗、〈搗の字を勝にかへて、萬事にかちたる心にていはふ也、〉みかん、梅干〈梅寶珠といふ、玉の心にていはふ也、〉榧、〈くらへば、壽命をのぶる物也、〉柑子、ころがき、昆布、のし、柚、〈ゆかうとも〉野老、海老、橘、串柿、

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0837 【圖】

〔華實年浪草〕

〈一上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0837 飾海老、〈紅鰕俗謂之伊勢海老、或稱鎌倉海老、以爲賀祝之者、國俗春盤用之、(中略)〉蓬萊飾、〈◯中略〉榧、〈(中略)漢武内傳曰、藥有松柏之膏、服之可

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0838 〈以延一レ年云々、仍爲嘉祝之物乎、〉

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0838 蓬萊 古ハ正月ノミノ用ニ非ズ、式正ノ具ト云ニモ非ズ、貴人ノ宴ニハ唯臨時風流ニ製之、今モ貴人ノ家ニハ蓬萊ノ島臺ト云、島臺ト云ハ洲濱形ノ臺ヲ云也、〈◯中略〉今俗ハ島臺ト蓬萊ハ二物トシ、島臺ハ婚席ノ飾トシ、蓬萊ハ正月ノ具トシ、其製モ別也、〈◯中略〉 今世ハ三都トモ蓬萊同制ナレドモ、京坂ニテハ蓬萊ト云、或ハ俗ニ寶來ノ字ヲ用ルモアリ、江戸ニテハ蓬萊ト云ズ、喰積ト云、クヒツミト訓ズ、其製ハ三方ニ、中央松竹梅、蓋シ眞物也、造リ花ニハ非ズ、三方一面ニ白米ヲ敷モアリ、其上ニ橙一ツ、蜜柑、橘、榧、搗栗、萆薢、ホンダワラ、串柿、昆布、伊勢海老等ヲ積ハ、注連縄ノ飾ト同物ナレドモ、池田炭ハナシ、裏白、ユヅル葉、野老、神馬藻ヲ必ズ置之、蓬萊、京坂ニテハ、正月床ノ間ノ飾物ノ如ク置居ヘシマヽ也、江戸ノ喰積ハ、正月初テ來ル客ニハ必先ヅ出之、客モ聊カ受之、一揖スレバ元ノ處ニ居ヘ置ク也、或ハ喰積ヲ製セズ、熨斗蚫ヲ出スモアリ、熨斗蚫モ江戸ニテハ長ノシヲモ用フレドモ、近年俵熨斗ト云テ、圖ノ如キ物〈◯圖略〉流布ス、
 ◯按ズルニ、朝廷及ビ武家ニ取初ノ祝アリ、其儀全ク蓬萊ニ同ジ、故ニ此條下ニ收録ス、

〔内院年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0838 正月二日、入夜御取初ノ御盃事アリ、〈◯中略〉獻ノ調ヤウ、白キハナビラ、〈餅也〉福壽草、橘、榧ナドノヤウノモノ也、目遠キ物ナンドハ委ハ不知、別當ヨリ御陪膳ノ女藏人マデ、御前ニ候ジテ是ヲ祝フ、此時昆布鮑ノ御盃御流ヲ給フナリ、

〔故實拾要〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0838 正月飾三方 是堂上諸家中、正月三方ノ飾ニハ、熨斗蚫、昆布、此二種ヲ切テ、硯蓋ト云物ニ盛、白箸一膳ヲ添テ三方ニ載之也、年始客對ノ時、件ノ三方ヲ主人ノ前ニ備フ、時ニ主人以箸熨斗昆布ヲ挟ムデ客ニ進ム、終テ引之也、硯蓋トハ硯筥ノ打カブセノ如蓋成物也、梨地、高蒔繪、金ノ沃懸等アル物也、凡俗家ニハ、喰積ノ臺トテ種々ノ物ヲ盛飾也、如此ノ物堂上方ニハ聊無之事也、都テ堂上諸家中、年始并婚姻、元服、拜賀等ノ祝義、酒肴ノ時ハ、硯蓋ニ雉子ノ羽盛、海

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 老ノ舟盛等ヲ用ル事也、此外種々ノ臺ノ物等、又土器ニモ種々ノ肴ヲ盛也、土器ニ肴ヲ盛時ハ、土器二ニ盛、小四方ト云小キ臺ニ載之者也、

〔後水尾院當時年中行事〕

〈上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 二日、〈◯中略〉うけとりのさかづきのついでなり、いつの頃よりの事にか、其やう、まづ御さかづきに三方一ツに、ひし花びら、こぶ、かちぐり、くしがき、かずのこ、あめ、五辛等、さま〴〵の物をとり入て、御前にまゐらす、御はしをとらるヽまでもなく、むかはるヽばかりにて、撤して庇におきて、中臈下臈あまたすヽみよりて、彼さま〴〵の物をとり分、ひし花びらのうへにつみかさねて、女中上中しもにたぶ、次にてうし醴ざけを入れもて參る、三獻參る、くはへなし、御さかづき三ツまゐりて、ひとつは次第にとほし、ひとつは勾當ないしにたぶ、

〔嘉永年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 正月二日、朝の物うけとり、〈◯中略〉
あしたの物うけとり、昨日に同じ、うけとり御盃の序に、先とりそめの御盃供ず、其やう、先御盃、次に三方ひとつに菱花びら、昆布、柏、かち栗、櫛柿、數の子、あめ、こせう等の、様々の物をとり入て、御前に供ず、只向はせらるヽ計也、女御へも御前を撤して居ゆ、女中も殘らず給ふ、

〔年中恆例記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 年中御對面〈并〉難事少々〈◯中略〉
一御取初在之、四方串柿、昆布、勝栗、餅、あめ、たはらこ、參を向はれ候也、御美女調進之

雜煮

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 若餅〈三ヶ日につきたる餅を、雜煮などに用る也、〉 雜煮いはふ〈かんをいはふ、いものかみ、むすびこぶ、ひらきまめ、ひらきの牛蒡、ふとばし、兩のもの〈こかはらけ〉也、〉

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 民間歳節上 正月一日〈◯中略〉炙餈合蘿菔、牛蒡、芋魁、昆布、豆乳等羮、謂之雜煮、親戚故舊來賀者、亦進屠蘇酒雜煮、元日至三日之、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 元日 雜煮〈今朝、良賤食雜煮、又盛雜煮并飯汁於小土器而供神佛、又祭竈并井、凡今日良賤調味多用鰤魚、鯨魚、鰯魚數子、螯海巤串(イリコクシ)、石决明(アハビ)、并牛蒡、大根等、〉

〔禮容筆粹〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0839 雜煮〈一名羮餅〉 歳の始家毎に煮たる餅をくひ、門戸に松竹を樹、藁の縄を引、皆是吾神國

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0840 の風俗也、相傳ふ、垂仁天皇の御宇に大己貴命、大田々根子命にをしへてのたまはく、元月元日赤白の餅を以て我が荒魂をまつらば、國の中災なうして幸福を來しめんと、すべて節辰の祭は皆大田々根子命より始るといへり、此尊常に神に見えて、人と物語するごとくかたり給ふ、是を世の人習得て、年の祭をする也、

〔日本歳時記〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0840 元日、〈◯中略〉ふるとし製し置たる餻(もち)に、こんぶ、打あはび、煎海參、牛蒡、薯蕷、菘、粟、するめ、蘿蔔、いもし、〈元日にいもしあらめなど用る事、延喜式にみゆ、貫之が土佐日記にも、いもしあらめはがためもなしとかけり、〉などを加へ煮て羮とし食ふ、俗にこれを名付て雜煮といふ、我國の風俗にて、悦ばしき事には餻を作りて祝ふ、此日より三日に至るまで餻をすヽむるも、春を祝ふ意なるべし、もろこしにも元日に膠牙餳をくらふ事、荊楚歳時記にのせ、立春の日春餅をすヽむる事、月令廣義にみえたり、

〔伊勢家禮式雜書〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0840 伊勢守貞孝朝臣相傳條々〈◯中略〉
一雜煮之圖 モチ、丸アハビ、煎海鼠、燒グリ、山ノいも、里ノいも、大豆、 汁、タレミソ、 以上七色 家によりて、數のすくなきもあるべし、式三獻の後御まゐり肴と申は、ざうにの事也、

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0840 雜煮〈冬年に製て置たる餅に、種々の品を加へて羮として喰ふをいふ、其品國々家々の嘉例ありて、大同小異あり、その加ふる品を左に記、芋頭、大根、芋の子、燒豆腐、かち栗、昆布、あはび、煎海鼠、するめ、うきな、牛蒡、あらめ、鯟鯑、田づくり、◯中略〉 羮祝〈羮は雜々調へ煮たるあつものを云也、即雜煮の事也、祝ふと云は元日なり、〉 結昆布祝ふ、〈むつび、よろこんぶと云心にて、元日に祝ふ也、〉 芋頭〈萬事の司頭になる心にて祝也、又頭といふ字は大學頭、藏人頭などヽ、くらゐある人の名によぶゆゑ、元日に祝ふなるべし、◯中略〉 鯟鯑〈子孫繁昌によそへ祝する也◯中略〉 小殿原〈田作とも云、ごまめいはしの事なり、〉

〔華實年浪草〕

〈一上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0840 雜煮祝、かんを祝、〈(中略)雜談抄に云、雜煮ハ餅ニ大根、芋、蹲鴟、昆布、打アハビ、イリコ、菘等ヲ加ヘテ羮トシ喰フ、多種ヲ交ヘ煮ル故ニ雜煮ト稱スル歟、是ヲ略シテ羮ヲ祝フト云、(中略)年齋拾唾ニ曰、元朝餉餅ノ事、汀州嘉靖丁亥志ニ曰、汀國ノ人ハ餅ヲ舂テ賓客ヲ饗ス、貧キ人ハ市ニ買求テ節會ニナスト云々、◯中略〉 結昆布〈雜煮ニ究テ結昆布ヲ加フルハ、正月ヲ睦月ト云、ストツト相通ズ、昆布ハ倭俗悦ブト云義ヲ含ム、ムツビヨロコブ意ニヤ、〉 大根〈齒固ノ具并雜煮ニ用フ、ヨツテ鏡草ト云由、岷江入楚ニモ見ユ、〉

〔本朝食鑑〕

〈三葷辛〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0840 葱、〈◯中略〉本邦正月朔旦、以冬葱雜煮之具、呼稱福主、然辟邪之故乎、〈◯中略〉芋、〈◯中略〉正月

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 三朝以芋魁雜煮中而倶賞之、上下家々爲流例也、

〔雜煮之卷〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 正月雜煮 芋、肝、木ヲ表ス、色青、眼也、時ニトツテハ春也、方ニシテハ東ナリ、五常ニシテ仁也、 鰹、心、火ヲ表ス、色赤、舌也、時ニシテ夏也、方ニシテ南、五常ニシテハ禮ナリ、 串蚫、脾、土ヲ表ス、色黄、肉也、時ニシテハ土用、方ニシテハ中央、五常ニシテハ信ナリ、 餅、肺、金ヲ表ス、色白、皮也、時ニシテハ秋、方ニシテハ西、性ニシテハ義ナリ、 熬海鼠、腎、水ヲ表ス、色黒、牙、時ニシテハ冬、方ニシテハ北、性ニシテハ智ナリ、 凡此五色を雜煮にして、正月に食する事、第一は五常の則を發行に依て、先元日に是を食、五行に法て五常の教を可行ために、最初に食之もの也、〈◯中略〉 右一卷雖秘事、依御懇望相傳畢、可外見者也、

〔雜學集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 一雜煮上置之事 串蚫、串海鼠、大根、青菜、花鰹、 右の五種を上置にする也、口傳、下盛に里いも、其上にもちを置也、規式の拵やう有、又上置に串柿、勝栗、結蕨などする事、精進の仕方なり、一向の菜は、五種の削物、燒鳥、からすみ、數の子などを、龜甲又は土器に高立して盛也、又具足餅の時は、大根の香の物、田作甲の大豆を用ゆ、

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 朔日 烹雜 國々家々にて佳例同じからず、唐の春餅是におなじきにや、 堂上にては烹雜と云、餅〈むすびのし、平かつを、いも、こんぶ、〉向に菜莖、〈土器に入ル〉三州邊風俗、餅〈なづな、結こんぶ、くしこ、くしあはび、かつを、〉向に田作り、大豆、〈土器に入る〉西國邊風俗、餅〈こんぶ、打あはび、いりこ、牛蒡、いもし、山のいも、みづな、栗、するめ、大こん、〉信州邊風俗、餅〈な、芋、こんぶ、から鮭、くしこ、串あはび、とうふ、漬わらび、大こん、干瓢、雉子、花がつを、〉總じて十三色を入、餅をあぶりて煮る、向に根ぶか二筋をおくなり、

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0841 元日、二日、三日、諸國トモニ雜煮ヲ食フ、〈雜煮本名ヲホウゾウト云也、五臟ヲ保養スルノ意ニテ、保臟ト書ス也、又或ハ縉紳家ニハ烹雜ト云、〉 今世京都ノ雜煮、戸主ノ料ニハ、必ラズ芋魁ヲ加フト云リ、 大坂ノ雜煮ハ味噌仕立也、五文取計リノ丸餅ヲ燒キ加之、小芋、燒豆腐、大根、乾蚫、大略此五種ヲ味噌汁ニテ製ス、膳ハ外黒

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 内朱ノ蝶足ノ膳ニ、四ツ椀モ内朱外黒ヲ普通トス、定紋付モアリ、膳上ニ裏白ヲシキ、鹽鯛一尾宛ヲスヘル、四ツ椀ノ間ニ鹽鯛ヲ置ク也、 江戸ハ切餅ヲ燒キ、小松菜ヲ加ヘ、鰹節ヲ用ヒシ醤油ノ煮ダシ也、鹽鯛裏白等ノコトナシ、

〔鹽尻〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 諸州節序佳例、〈◯中略〉我尾州の俗、元日雜煮の上に蛤のあつ物、飯饌に大根の汁、田作の鱠を用侍るは、津嶋よりの風俗と見えたり、〈浪合記考〉今柳營及三家の御方、元旦より三箇日、御高盛麥飯ねぶか汁、いなだの鱠、兎のあつものなど用させ給ふは、三州松平の御佳例とぞ、凡三州譜代の御家人家、多くは元朝麥飯、いなだ鱠、にしみ〈鰯、鹽いわしを、三ツそのまヽにて置、〉なんどするを嘉例とするも、華美の風ある事なく、中古武家質朴の所爲也、

〔水戸歳時記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 正月元日拂曉、家内打ヨリ盛服シテ祝儀ヲノベ、クヒツミヲ出シ、歳徳神ノ方ニ向ヒ屠蘇酒ヲノム、小人ヨリ大人ニヲハル、餅ノ祝アリ、家々ニヨリテ家風トテカハリアリ、雜煮或ハ干餅ナリ、 三日、今日マデヲ三箇日ノ祝トテ、餅ノ祝マン日ニテ終ル、予家ハ、干餅ヲヤキ、鹽引或ハ煎鮭ヲ付テ食スルコト家風ナリ、 四日、朝雜煮ヲ食スルコト、予家風ナリ、 六日、今日ヨリ常ノ食ニ復ス、

〔前恭禮門院御凶事記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 寛政七年十一月三十日、女院〈◯桃園后藤原富子〉崩御、 八年正月一日、家内禮式總停止、無何、三朝喰雜煮餅

鏡餅

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 鏡餅〈神に供ふる餅を、鏡の如く丸くなす故名づく、もちいかヾみ共云、〉

〔夫木和歌抄〕

〈三十二鏡〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 元日戀
千代までもかげをならべてあひみんといはふかヾみのもちゐざらめや

〔山の井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0842 元日、關東にて、   蝉吟
けさむかふあづま鑑のもちゐかな

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 或人云、此句は烏丸亞相公の也と、

〔續山の井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 鏡餅   秋田大光院桂葉
神の餅やうやまへば威をます鏡

〔本朝食鑑〕

〈二造醸〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 餅、〈◯中略〉本邦自古以餅爲神明之供、而作大圓塊以擬鏡形、故呼餅稱鏡、此擬八咫鏡乎、正月朔旦、必以鏡餅于諸神、及一家長幼團欒、同薦鏡餅以賀新歳、〈◯中略〉凡用鏡餅賀儀、以二箇相重一重、此諱奇用偶者乎、

〔鋸宵譚〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 新拾遺集、十二月晦日に藤原基俊、乃子法師といふが許に、〈◯註略〉もちのかヾみ遣すとていひやりける、〈◯中略〉按に、歳始用大餻如鏡面、神前に供し、又君父に供し、或毎人居前以嘉祝之、此吾神國之風なり、直にこれをかヾみといふ、亦良有以也、

〔禮容筆粹〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 年鏡 鏡は神明の正體なれば、餅を以てその形をうつし、年の始まづむかひ奉る事むべなりけらし、是吾國の人遠き昔を忘れざるの謂か、先君父に備へ、宗族の方に送り、互にことぶきをなす、

〔日本歳時記〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 元日、〈◯中略〉又齒固といひて、もちゐかヾみにむかふ、〈俗に餅を鏡の形に作る故に鏡餅と稱す、按ずるに、張天如が對類大全卷之十七、餅字の下の細注にいはく、麥米粉做成形鏡、入於爐内烘熟、蓋始于戰國、これを以てみれば、もろこしにも饌餅の類、鏡の形に作ると見えたり、〉

〔理齋隨筆〕

〈五〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 正月の餅を鏡といふは、日月に表したる也、禁中の餅は上は紅く下は白きよし、またひしと云は星と云事也、花べらと云は未詳、 此條も或人非也といふ、さりながら一説と見るもまた可ならんか、

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 正月 問て云、同日〈◯元日〉齒固といひて、餅ゐかヾみにむかふ事は、いかなることぞや、答、〈◯中略〉餅は、蚩尤が肉となづけてくふ説も侍り、

〔世諺問答考證〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0843 かヾみ、〈◯中略〉瑜案ずるに、餅といふ名は同うして、物は同じからねど、正月元日

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 に祝ひて喰ふことは、唐山にも似たる事侍り、月令廣義曰、餛飩、俗名匾食、燕都元旦晨起、當家者率妻拏、羅拜天地祖禰、作匾食長上壽、以次交相酬賀といへり、遵生八牋、花紅餅方、用手壓匾とあれば、匾食はおしひらめたる食なり、又熙朝樂事曰、正月朔日、民間設奠於祠堂、次拜家長、爲椒栢之酒、以待親戚隣里、以春餅上供とも見ゆ、是も月令廣義に、春餅者薄劑、煿菜肉食也といへるによれば、邦俗のいはゆるもちゐとは格別のたがひ也、〈◯中略〉又案ずるに、蚩尤が肉にたとへて餅をくふといふ事、いまだより所を得はべらず、識者の教をまちて補ふべし、

〔世諺問答〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 正月 問て云、同日〈◯元日〉齒固といひて、餅ゐかヾみにむかふ事は、いかなることぞや、答、〈◯中略〉もちゐは近江國の火切のもちを用ひ侍るべき事なり、さて正月のかヾみにしてもちひむかふ時は、古今集に入たる、 あふみのやかヾみの山をたてたればかねてぞみゆる君が千年は、といふ歌を誦するなり、このうたは、延喜の御門の御時、近江の國より大嘗會の御べたてまつりし時、大伴の黒主がよめる歌なり、源氏初音の卷にも、此歌の詞をひきてかける也、

〔内院年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 正月御かヾみの時の歌
けふよりは我をもちゐのますかヾみ嬉しきことをうつしてぞみる
いのち長くつかさくらゐをますかヾみ年のはじめに見るぞ嬉しき
天つちをふくろにぬひてさいはひを入てもたればおもふことなし
右の歌、三返よむべし、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 十一日 武家具足鏡餅開〈凡鎧有六具、悉具足之謂也、其所具足之餅、特以刀忌之、故以手或槌之缺之而賞之、是謂鏡開、世所謂缺餅之名、又起此餅、〉
◯按ズルニ、鏡餅ヲ開ク事ハ、年始雜載篇鏡開條ニ詳ナリ、

〔塵袋〕

〈九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0844 年始賞餅事

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 年始ニハ人ゴト餅ヲ賞翫スルハ、何ニノ心カアル、餅ハ福ノモノナレバ祝ニ用フル歟、昔豐後國球珠郡ニヒロキ野ノアル所ニ、大分郡ニスム人、ソノ野ニキタリテ家ツクリ、田ツクリテスミケリ、アリツキテ家トミタノシカリケリ、酒ノミアソビケルニ、トリアヘズ弓ヲイケルニ、マトノナカリケルニヤ、餅ヲクヽリテ的ニシテイケルホドニ、ソノ餅白キ鳥ニナリテトビサリニケリ、ソレヨリ後チ次第ニオトロヘテマドヒウセニケリ、アトハムナシキ野ニナリタリケルヲ、天平年中ニ、速見郡ニスミケル訓邇ト云ケル人、サシモヨクニギワヒタリシ所ノアセニケルヲ、アタラシトヤ思ヒケン、又コヽニワタリテ田ヲツクリタリケルホドニ、ソノ苗ミナウセケレバ、オドロキヲソレテ、又モツクラズステニケリト云ヘル事アリ、餅ハ福ノ源ナレバ、福神サリニケル故ニ、オトロヘケルニコソ、福ノ體ナレバ年始ニモテナスベシ、二人ムカヒテ餅ヲヒキワルヲバ、福引ト云ナラハセルモ、ユヘナキニ非ル歟、又内教ニハ餅ノ名ヲ福生菓ト云ルト云ヘリ、

〔擁書漫筆〕

〈三〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 今の世、正月の餅をそこなはじと、酒樽に納おくことあり、曾呂里狂歌咄一の卷に、南都諸白と書つけたる一樽、はる〴〵おくられけるは、俳諧好る人には氣がはたらかず、我等酒を好まぬ事は、日頃よく知ながら、名物なればとて、南都諸白うれしからず、今https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/00000001c583.gif の客衆の仕合と、主不興ながら封を切てみれば、酒樽に餅をつめて越けるにぞ、上戸どもはおどろき、ちからをおとしぬと見えたれば、當時よりせしわざにや、

〔江家次第〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845御藥、〈◯中略〉此外稱腋御膳、自御厨子所御齒固具、又供御藥酒等、以高坏六本之、有餅鏡、〈用近江火切

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0845 養和二年正月一日壬申、依喪家之内、不鏡、
建久五年正月一日癸亥、見鏡如例、女房於別屋、著白褂之、雖重服人憚之由、見保元二年故殿御記、 二日甲子、見鏡又如例、 三日乙丑、即見鏡、

〔猪隈關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 建仁二年正月一日丁未、巳時著直衣冠等、見鏡服藥如例、 二日戊申、今朝見餅鏡藥酒、 三日己酉、鏡藥手水如例、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 元仁二年正月二日癸亥、依吉日齒固鏡、〈老後嬾而一日見之即撤〉
寛喜三年正月一日戊子、巳時許見齒固鏡
貞永二年正月一日丙午、本尊念誦訖巳後解齋、著冠直衣齒固鏡

〔忠富王記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 明應十年〈◯文龜元年〉正月二日、看經畢後祝如昨日、〈◯中略〉次鏡ニ向、又一獻祝著、

〔元長卿記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 永正十八年正月一日、彌陀三尊并兩尊靈之御前、供香并餅等、手自供御膳了、

若水

〔本朝食鑑〕

〈一水〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 節氣水、本邦上下、通俗正月元日平旦新汲井華水、謂之若水、或曰弱水、若者少也、如少壯之少、以老衰變作少弱之義歟、所謂今曉先汲若水、盥漱沐浴及用茶酒朝炊、則變老作少、送舊迎新也、古者主水司獻立春新汲水、號曰若水、以供天子之朝餉、言辟一歳之邪氣、此擬神水乎、近世元日亦用之、下俗不立春水也、

〔年中行事故實考〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 元日 若水 禁中にて、去冬十二月土用已前に、主水司御生氣の方の井を封じ、人に汲せず、立春の日早旦に土瓶に入、女官に付て奉ることあり、此日若水を飮ば、年中の邪氣を除くと云傳ふ、是を學びて、今朝くみたる水を若水とて祝ふ也、

〔昔京名所鑑〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 若水 去年の御生氣のかたの井をてんじ、ふたをして、其内くまず、立春の日むすびて、主水司内裏にたてまつれば、朝餉にてきこしめし給ふとなり、年中の邪氣を除くといふ本文あり、今民家に、元日のものとばかりこヽろうるはあやまれり、春のはじめにくめば、若水とは申にや、

〔北山隨筆〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0846 若水 今の俗に、正月元日初てくむ水を若水といふは、あやまりにこそ、古は立春の日にくむ初の水を、若水といふなり、

〔榮花物語〕

〈二十八若水〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 わかみや〈◯三條皇女章子〉の御としのまさらせ給べきも覺しめすに、夜のほどよろづかはりたるもをかしう、あらたまのとしよりも、はかみやの御ありさまこそ、いみじううつくしうおはしませ、わか水していつしか御ゆどのまゐる、よろづみなはるのこヽろつきて、そらのけしきもひきそへ、さま〴〵にものけざやかにめでたきに、〈◯下略〉

手水

〔三議一統大雙紙〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 正月朔日より三日の間御手洗の事、御年男の役なり、いだしはんざうを置事、御手洗の時、渡しのすみのかたを御前へ向て置べし、是則御小袖の妻をおさへさせんがためなり、さなきは御すそぬるヽなり、是によりわたしを作り付るなり、はんざうのそこに、ゆづりはうら白を敷、其上に青き石のちひさきを置て參らせよ、手洗水かけ申時、左の手にては提の口より三寸ばかり隔てとり、右の手にてはふたのあかぬやうに持べし、湯をかけのこさヾれ、御手掛は物に振て、主人の御左の方に置べし、又左の方にかくる事も有、又御手洗水の粉かとあらば、追膳にすゑて參らすべし、御手より耳置べし、

〔今川大草紙〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 躾式法の事
一正月のてうづだらひには、うら白を、本を右へ成様に置て、其上にゆづり葉を、本を前にして、三葉も一葉も三所に置て、其上に青目の石を三金輪に置也、水をこぼす時は、心得て手をかへてこぼすべし、手巾を團扇又は扇にも置べし、同楊枝をも置なり、

〔台記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 仁平四年正月一日甲寅、午刻盥手、實重朝臣爲手長、年來盥手時、西一間北邊敷高麗帖一枚、二間以東南邊敷同帖、而康和五年殿暦云、上立部座上敷圓座云々、今日任彼御記、二間以東北邊敷上立部座、〈高麗上敷龍鬢、其上敷茵圓座等、〉一間北邊敷菅圓座一枚、餘著之、盥手了、移敷其圓座於同間南邊、 二日乙卯、巳刻盥手、有成朝臣爲手長

〔兵範記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0847 保元三年正月一日壬戌、右大臣殿、〈◯中略〉出御、供御手水、行事職事資能先持參御脇息、次邦綱

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 朝臣爲陪膳、取打敷參進、展御座前懸御脇息上、次御手洗、〈上置貫簀〉次御手巾筥、〈布二切御漬粉、御揚著納之、〉次楾二口、〈己上職事四人役之〉供了罷出、如供時、但打敷四方打覆手洗上、二人舁之退出、次有殿下御手水事、〈東對南面、兼敷厚圓座、〉清高朝臣爲陪膳、其儀同前、

〔玉海〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 文治四年正月一日丁酉、同刻〈◯巳刻〉有手水事、余著冠直衣賓筵座上菅圓座、引寄奧方之、〈南面〉次元三行事(○○○○)職事爲説、取脇息余前、次陪膳家司大藏卿宗頼朝臣〈本領状季長朝臣遲參、仍點宗頼執行、家司勤此役、是又家例(家例一本作先例)也、〉取打敷參上、次第如常、撤手洗之後陪膳起座、其後行事取脇息退下、有是例也、 二日戊戌、午刻手水、陪膳季長朝臣、其儀如例、 三日己亥、手水陪膳以長朝臣、
建久五年正月一日癸亥、巳刻手水、陪膳文章博士業實朝臣、歸入見鏡如例、 二日甲子、午刻手水、陪膳以政朝臣、今日大外記依來敍位勘文、暫相待、先例手水之次有便宜故也、然而依遲々且始也、其後見鏡又如例、 三日乙丑、巳刻手水、陪膳如昨日、即見鏡、

〔玉蘂〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 承久三年正月一日丙戌、手水、今朝依忽出此事、近例也、陪膳家司、越後守有長役送職事、先例多以四位家司陪膳、有障之時五位上臈勤之有例、而家司中宮權大夫信盛領状參入、還御以前早出、甚以不當、召遣有長之、如此輩先例強不然、但建久七年入道殿御記云、依四位五位可然家司、以國行陪膳、間々有例、不通例云々、今此例所存也、 二日丁亥、今日出行以前有手水事、陪膳中宮權大進知親、 三日、午刻有手水、陪膳左少辨家房、

〔深心院關白記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 文永二年正月一日辛未、申時有手水事、齒固又如例年、 二日壬申、手水藥如恆、 三日癸酉、齒固手水如日來

大服

〔倭訓栞〕

〈中編三十於〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 おほぶく 元旦に茶湯に梅干を入て先これを飮を、大福と稱して祝賀す、もと大服の義なるを、通音をもて大福の義とするなり、今王公より士庶に至り佳例とせり、

〔山之井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0848 元日 おほぶくをわかすや富貴じざい釜

〔續山の井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 大服 大ぶくの茶もゆづり葉をいはひ哉   伊賀上野 蝉吟

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 おほぶく、〈俳〉元日に大服にたてたる茶を、大福といひなして用る事也、

〔改正月令博物筌〕

〈正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 大服〈點茶の名也、服の字忌服の服の字にて不吉ゆへ、元日に立し、茶を大福とかきて祝也、俳、大ふくにまづ霞たつ旦かな、宗敏、〉

〔本朝食鑑〕

〈四山菓〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 梅干、〈◯中略〉本邦正月元日、鷄鳴早起、盥漱洗面、或汲井華水湯、新浴改服、而後碾茶湯中、入梅干一箇而飮、呼稱大福而祝之、福服和訓通、叶之義、此本邦自王公庶民、爲歳初之佳例、茶者百草之魁、梅者百花之魁、以二魁青陽之神者、宜哉、加旃茶之芳苦清胸膈之鬱、而禳一年之穢惡、梅之酸醎、泄膓胃之毒、而驅一年之疫邪、此亦爲年初之規祝、而可是何世何人之所一レ爲乎、

〔公家年事〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 正月元日 朝の御祝大服上る 御獻次第 御盃〈御三ツ肴に居出ル〉 くし物、から物、 初獻〈かずのこ、もちゐ、〉 二獻〈雉燒〉 三獻〈ひし花びら、菱のもちゐ、〉 御銚子 御陪膳典侍五衣にて勤む

〔内院年中行事〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 年中御祝之次第
元日の朝の御祝大ふく上ル、御盃、〈御三ツ肴に居出ル、くし物、から物、〉初獻、〈かずの子、かちん、〉二獻、〈きじやき〉三獻、〈ひしはなびらのかちん〉御銚子出る、御はいぜん五ツ衣にてつとむ、 二日之御祝、初獻、〈御三ツ肴居出ル〉二獻、〈御はうざう〉三獻、〈御ひら〉御銚子出ル、是ハ一重衣にて御はいぜん、 三箇日之御祝、初獻御盃、〈御三ツ肴に居出ル、〉二獻、〈御はうざう〉三獻、〈御ひら〉御銚子出ル、是も一重衣にて御はいぜん、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 元日 若水〈今朝諸家新汲井水、是稱若水、倭俗以若字老弱之弱而用之、〉 歳男〈汲若水人謂歳男、煮此水福沸、〉 大服〈以此湯茶、或漬鹽梅於茗椀之内、而合家飮之、又獻賀客、是謂大服(オホフク)、用梅、高年後面皮生皺、而欲鹽梅之皺面也、〉

〔華實年浪草〕

〈一上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 福沸福鍋〈(中略)雜談抄ニ云、和俗ニ七日ノ粥ヲ呼テ福ワカシト云、是福トハ餅ノ異名也、其故ハ古ヘ福引トテ、餅ヲ二人シテ引合事侍リシトヤ、其上餅ノ異名ヲ福生果ト云リ、今朝粥ニ餅ヲ和シテ煮熟スルヲ云ト云々、野州邊ニテ鏡餅ヲ福出(フクデ)ト稱ス、福生果ヨリ云ニヤ、或説、正月四日ニ神棚ヘ三個日供ジタル飯汁羹ノ類ヲ撤スルヲ棚サガシト云、是ヲ集メテ一ツニ煮熟シテ合家食フ、是福沸也云々、〉

〔華實年浪草〕

〈一上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0849 大服〈大服ハ點茶之名也、(中略)淡海志ニ云、正月詞ニ祝テ、勢田ニハ大服茶ヲ點テ、吹タリ廻タリト云テ呑、矢橋ニテハ是ニ異ナリ、旱ニ粥ヲ食テ、今日ハ能キ〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 〈カイ日和ナリト云ト云々、是互ニ旅人ノ多ヲ悦ブ也、今式ニ云、大ぶくといふ事、古格ありといへどもいむべし、服といふ文字なれば、作になりてよろしからず、近く松崎蘭如といふ俳人有、大ぶくと作るとも、何ぞ禍福其詞によらんやとて、大服や三口にちやうど壽福祿、とせしに、その年類孫の愁ありて、服を受る事三度と云々、雜談抄に云、六十二代村上帝、六波羅密寺ノ觀音ヲ信敬シ玉フ、或時御惱ノ事アリ、醫藥驗ヲ失フ、當寺ノ本尊靈夢ノ告アリテ、供ズル所ノ奠茶ヲ服シ玉ヒテ御惱平愈シ玉ヘリ、然レバ主上ノ服御スルヲ以テ王服ト稱シ、毎歳元旦ニ當寺ノ供茶ヲ召テ服シ玉フ由、縁起ニ出云々、又足利家ノ時、茶道盛ンノ故ニ始ト云々、〉

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 福茶 京坂ニテハ、元旦先若水ヲ以テ手水ヲツカヒ、次ニ大福ト號ケテ、烹花ノ茶ニ梅干ト昆布一片ヲ入テ飮之、主人ヨリ以下各飮之、唯今朝一囘ノミ、蓋茶ヲ大服ニ汲ムヲ祝テ、服福音近キヲ以テ、行之ナラン、梅ハ甲州梅ト云小顆也、 江戸ニテハオヽブクト云ズ、福茶ト云、元日、二日、三日、六日、七日、十一日、十五六日等、數囘飮之、或ハ三ケ日飮之家モアリ、元日ノミト云ニ非ズ、然モ多クハ夜食前ニ烹之也、甲州梅干、大豆、山菽、以上三味ヲ、二三粒ヅヽ釜中ニ投ジ喰之、昆布ハ用ヒズ、蓋近世乾物店ニテ、右三味ヲ塵紙ニ包ミ、四錢ヅヽニ此時賣之、其便察スベシ、

禁忌

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 凡新年萬事稱吉、故堂上方及地下人、變其詞而祝之、或衰日曰得日、疾病曰歡樂、或稱樂、臥謂俵、起謂稻、稻與寢倭語相同故也、倒謂俵、燒物曰保古羅加須、物之奴留々曰潤、涕泣曰無都加留、亦農夫耕田有水宜一レ旱、其厭旱之土民、飮酒曰比多須、厭水之土民曰保須

〔翰林胡蘆集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 鹿苑院殿百年忌陞座〈◯中略〉
 散説〈◯中略〉
又與廣照、常光二師、道契不淺、嘉慶二年春正月九日、請道照於三條官第、講金剛經、至十九日講了、山野謂、方今公武以正月嘉節、忌(○)僧徒往來(○○○○)、台靈獨異是、可怪矣、考之於唐朝、則貞觀元年正月、命京城僧、三七日行道齋供、王公行香者在焉、

〔秋齋閑語〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0850 年の始などは、佛事をいむ事、堂上の風なり、やまひをもことばに出さず、所勞といふべきを歡樂といふ事に成たり、御門跡方は、出家にてましますに、其風うつりて、御門主より外の

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 御門主へ進ぜらるヽ、年始の御文などの脇付に、緑髮中となさるヽは、延喜式神事の忌詞に、僧を髮長といふより起りたるなるべけれども、もとより御法身の御方への脇付、忌るヽも理にあたらざるか、

〔吾妻鏡〕

〈十九〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 承元二年正月十一日辛巳、〈◯中略〉去八日雖式日、依將軍家〈◯源實朝〉御歡樂(○○)、延及今日

〔吾妻鏡〕

〈三十一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 嘉禎二年正月一日己未、埦飯〈相州御沙汰〉今日不御簾、依御歡樂出御之故也、

〔續百一録〕

〈延享五年正月十二日、〈◯中略〉久我家へ覺、
 來十五日、十六日、二條行向之儀、仍歡樂、十五日以使者申入候、右之段宜頼存候、以上、
   正月     〈日ヽヽ〉西野左近
    久我———柳原———
十五日、〈◯中略〉牧野備後守殿へ、西野左近年始御祝儀、依歡樂使者申入、小堀も同斷、〉

〔増山の井〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 いねつむ、〈俳〉いねあぐる、〈同〉正月の寢起をいふなり、

〔俳諧歳時記栞草〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 寢積寢擧 寢と稻と和訓同じき故に祝詞とするか、積も擧も又稻の縁語なり、雜談抄に云、寢臥と常のごとく唱ふるは、病床などにまぎらはしければ、かくいふ也、涙をながすを米こぼすと云に同じ、

〔空華日工集〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 康暦二年正月一日、佛前祝語曰、歳旦令辰焚此妙香、一願天子萬年、二願宰臣千秋、〈◯中略〉六願兵革息而四海平、七願五穀登而萬民樂、忽或有人道、南陽尋常不人情、不世禮、今朝目甚與麼道、余祇對佗道、聊復爾耳刵箇、

〔親元日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0851 寛正六年正月十日戊午、就今日御成、美物以下被之方々、〈◯中略〉齋藤越中入道、雁二、來々一折、〈◯中略〉以上親元申次分、 鱈ノ膓ヲ(私云)不來(コズ)々々ト云テ正月用ダツ、不來々々ト云ハ、名詮アシキニヨリテ、中比ヨリ來(クル)々ト書タリ、

〔山之井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 雪などふる朝は、さほ姫のねりかづきとも、年徳の白木綿花ともいひたつ、松の内に降雨はおさがりといひならはせり、あめのしたのこぼれ幸など、めでたくいひなす、
 おさがりはあまのさかほこの雫哉 了三、〈◯中略〉都て正月は、世のつねにかはる事のみぞおほき、鼠をよめがきみとよび、なまこをたはらごとなづけ、朝夕のねつおきつをも、いねつむいねをさむなどいひ、猶ひらきまめ、いものかみなどやうにいひつけたることわざ、こと〴〵しるすもうるさければなん、思ひ出て句にしつらねば、其ことのきヽにくからず、あまりに賤しからぬをぞいひ侍るべきにや、

〔一話一言〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 八丈島方言
正月祝ことば イチニチビ、元日の事、 フツカビ、二日の事、 ミツカビ、三日の事、 コウニチ、九日の事、 イネツミ、煩ふ事、 カワフクロ、猫の事、〈常々ハネツコメといふ〉 ヨメゴドノ、鼠の事、 マイタマ、芋頭の事、 トミサガリ、雨降る事、 ヲヽフク、福茶を祝ふ事、 クロヲトコ、出家の事、〈但正月四日前計りいふ〉 國ガヘ、死去の事、 イトヒキ、女經水の事、

〔華實年浪草〕

〈一上正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 若餅〈三ケ日ノ間ニ搗ヲ若餅ト云由、古老イヘリ、雜談抄ニ、一説ニ云、三ケ日ニ餅搗事有ベカラズ、俗ニ餅ノ大小ヲ云時、少キヲ若キト云、是小ノ詞ヲ忌テ云、是賀客ニ饗スルニ便リ有ユヘニ、小キヲ賄フル故ト云々、唯可祝語而已、〉

〔神代餘波〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0852 正月元日朝嚏すれば、傍より常(トコ)萬歳といふ事あり、みづからは糞食(クソクラヘ)といふ人あり、常萬歳は天竺にて、長壽といへるよし四分律にあり、から國にては、沿夔離(エンキリ)〈萬歳と云義也〉といへり、また糞食は簾中抄、壒嚢抄、拾芥抄等にある、休息萬命(クサメ)とよき字をえらびて假たるを、字のまヽに休息萬名(クソマメ)とよみたるをあやまりて、糞食となりしならん、かヽる事はあまた記して、神代のなごりに似つかはしからねど、既に清少納言もしたりがほなるものといへるくだりに、むつきのついたちの早朝に、最初に嚏たる人と、枕草紙にいへり、亦下つ卷のとぢめにしあれば、祝辭戲言まじへて、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 かくはいへる也、かヽるも猶神代のなごりぞかし、

〔鹿之卷筆〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 正月は物いまひ 田所町に、かふしう屋の甚右衞門とて、代々法花宗にて、ものいまひをせらるヽ、きうとう廿八日までしやうばいいそがはしさ、かざりのどうぐもこしらへざるゆゑ、作介をよびて、かざりなはをなへといふに、作介手をついて、ぶてうほうなるわたくし、かざりをいたさば、ろくではござるまいといふ、ていしゆ氣にかけて、ばかめがといふて、そばなるまきをなげつける、作介、これだんな、またなげきをなさると云、甚右さて〳〵ぜひもなきたわけじや、さやうの事はぬかさぬものぢや、あすは大つごもりぢや、かならずそそうをいふな、ことに元旦には諸事とりおとし、物をうちわりなどしても、めで度なつたとばかりいへと、いひつけけるに、たなよりものヽおちかヽりければ、作介ちうにてとり、わがあらんかぎりは、めつたにめでたくはせまいといふた、

〔根無草後編〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 されども人情の淺はかなる、門松は冥途の旅の一里塚とも氣はつかで、無上に新春の御慶と壽き、懸棘鬣魚も魚の武骸と悟らねば、めつたに目出度ものとのみ覺え、熨斗鮑を顚倒せば、しのと讀まれ、四の字をきらへば、五の字にもごねるといへば、油斷ならず、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 元日 掩門戸〈京俗自元日三日、民間掩門戸、言不福神出一レ外也、〉

〔秇苑日渉〕

〈六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 民間歳節上 元日市民皆不正戸、世傳、在昔僧狂雲、元旦掛髑髏於杖頭、行示市人曰、警悟警悟、市人皆閉戸回避、三朝不正戸、蓋自是始、

〔日次紀事〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 凡毎年得方之家、大開鋪賣大小之薄册、是稱帖屋、裝潢上大書大福帖字、左右記年月日、其市鄽人從其所一レ好而記之、賣其人、求之人於得方家帖、則其年必得利云、〈◯中略〉凡其歳吉兆之方、必在幾農惠加農惠等之惠方、向斯方而爲事則必吉、俗以惠爲得字、毎事欲之也、

〔鹽尻〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0853 歳徳ノ方ヲ惠方ト云 歳徳の方を俗に惠方と云、吉方とかくなり、伊勢守記に、寛正六

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 年八月、今出川殿夫人産の處に見えたり、吉をえとよむ事、假名書の誤なり、住吉をすみのえ、日吉をひえと讀におなじ、 賢按、此説非也、惠は十幹の惠の方なり、然共兄の字なるべし、きのえかのえのえ也、

〔明月記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 寛喜三年正月九日、午時計乘車行賢寂之宅、依生氣方、今年初出行、見孫子之小女歸、

〔雲州消息〕

〈中〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 言上 右年花始換之後、起居萬福歟、〈◯中略〉生氣之方今年當兌、先參貴殿、相共可萬歳千秋之句也、其後參處々耳、〈◯中略〉不宣謹言、
  正月元〈◯元、一本作一、〉日     左近衞中將
   謹上春宮亮殿
  請恩章
右新春御慶賀、〈◯中略〉抑生氣之方當兌給之條、喜中之喜也、以吉日良辰之期、必排蓬門光臨也、萬歳千秋之句、尤所庶幾也、才子兩三輩可相招待、謹言、
  乃時     春宮亮

〔雲州消息〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 年首尋生氣方燈明者例也、今年吉方幸當法輪寺、貴下已同甲子、相共可參詣歟、〈◯中略〉謹言、
  正月日     大藏少輔
    兵庫頭殿

雜載

〔折たく柴の記〕

〈下〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0854 此年〈◯正徳五年〉もすでに暮れて、十二月晦日の夜半ばかりに、忠良朝臣の家より火發して、延燒の家ども多く、〈◯註略〉明れば丙申の春正月元日の巳時の終まで、火消る事もなし、火消しぬべきよそほひせしものども、ゑぼうしひたヽれせし人と行かふさま、けしかる事共なりけり、

〔鹽尻〕

〈七〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 床に佛畫を掛くるは、禪宗の遺風、 床に觀音達磨布袋なんどの繪をかけて、中央の卓に香花を置も、又禪林の風なりけり、今禪刹年始に、客間一間を拂ひ、觀音の像をかけて、中央の卓に香花を備へ、門家拜年を待を見てしるべし、

〔橘窻自語〕

〈上〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 本願寺門跡に、正月元日酒海(○○)といふことあり、是は元旦、門主に下間何某したがひて、親鸞上人の像の前へ酒肴を參らすことヽいへり、彼寺にていたく祕し侍ることヽきけり、肴は熨斗蚫とかきけど、さだかには秘事なればしらず、酒海とは、もとは酒をたヽへし器物なるを、いかでこの酒肴供進の事を酒海といふにや、

〔三養雜記〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 元日にハゼをまく(○○○○○) 近きころまで、元日の朝まだきにハゼをまくならはしありて、ハゼ賣といふものあまねく來りしが、いつしか武家にのみその風遺りて、町には賣來らずなりし、これはもと伊豆の三島明神の池の鮒は、明神のつかはしめなるよし云つたへて、毎年元日池の鮒に、ハゼをまきてあたふる神事あり、元日にハゼをまくことは、かの神事起源なるべしと、伊勢安齋の説なり、又ある人の説に、むかしはハゼにする料の餅米をもとめて、家々に煎り試むるに、よくハゼる年は吉、ハゼのあしき年は凶なるよしを占ふことなりしが、後には只ハゼを買てまくことを吉兆とするのみなりしといへり、按に、戒菴漫筆に、東入呉門十萬家、家々爆穀卜年華、といへるは、爆孛婁の詩なり、これを併せおもへば、和漢一般の風習にて、ある人の説をよしとすべし、

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 元日、昔ハ毎戸必ラズ粳ヲ買ヒ、爆之テ孛婁〈ハゼ〉トシ、當年ノ吉凶ヲ占ヘリ、其後ハゼヲ賣巡ルヲ買テ、宅裏ニ蒔之、近年ハ武家ノミ行之テ坊間廢之、昔ハゼヲ賣リ巡リシモ江戸ノミ歟、京坂未之、今曉江戸ニテハ、初日ノ出ヲ拜(○○○○○○)セント、高輪及深川ノ洲先等群集ス、

〔守貞漫稿〕

〈二十六〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0855 繭玉(○○)〈マヒダマノ圖◯圖略〉縁儀物ノ一〈京坂無之〉 繭玉ハ土丸ヲ用ヒ、其他ハ厚ク重子張タル

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 紙製ニテ、胡粉、丹、緑青、其外トモ彩ヲ加フ、 江戸元日ニハ、淺草寺ヲ初メ、其他諸所詣人多キ神社等頭上〈◯頭上恐途上〉賣之、初卯龜井戸亦專ラ賣之、當月中諸神佛縁日亦賣之、買人ハ霜月酉町ノ熊手ト同ク、又供〈◯供恐共誤〉天井裏ニ釣之、

〔草山集〕

〈九雜體〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 歳旦 慈悲室法界牀、柔和衣知見香、超然忘出處、卓爾遺行藏、霞谷風光別、鴬啼春日長、雖方便父、猶有般若母、門生六七人、如足亦如手、今朝偶逢三元辰、借取如來師子吼、所有功徳分二分、薦父福兮祝母壽

〔元寛日記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 寛永十五年正月朔日、今日肥前國天草城有軍、〈◯中略〉板倉内膳正重昌、紺絲之鎧、唐之頭ノ串半月指物、打出之砌取寄硯料紙、自筆認状、其詞云、
 去年元日、江城ニシテ烏帽子ノ緒ヲシメ、今日鎭西原城結甲緒、早打立候、何事モ替リ行世ノ慣今更ニ候、カシク、
 新玉ノ年ニマカセテ咲花ノ名ノミ殘ラバサキガケト知レ
   正月元日     板倉内膳正重昌
     石谷十藏殿

〔枕草子〕

〈一〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 正月一日は、まいてそらのけしきうら〳〵とめづらしく、かすみこめたるに、世に有とある人は、すがたかたち心ことにつくろひ、君をも我身をもいはひなどしたるさま、ことにおかし、

〔友俊記〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0856 今宵子の刻過ぬれば、元朝の儀にて、公卿殿上人めい〳〵に内侍所に參り拜す、にぎはひ春のあしたをまち立たるけしきなり、内侍所にては、典侍内侍きぬにて、大御乳人、御すゑ、女しゆをもてつかう、已下それ〴〵の間、びやうぶをかこひ、めい〳〵にこんをすヽむ、院の御所にても、公卿殿上人とのゐにのこれる人々の外はまゐりむかふ、今にてはこのならひのごとくに侍る、

〔歌林四季物語〕

〈一春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 正月 四方拜の神さびたる御事よ、〈◯中略〉天がしたゆたかに、國ひさしかれとの御うけひにて、ちはやぶる神の御心をとらせ給ふ事、御つぼ〳〵のあたり、みあらかのたヾずまひ、かにもりのつかさの、はヽきとり〴〵につかふまつり、けがれをやらひやるに、さヽやかなるわらはの、年たつ朝よろこびて、そこら塵なで、御このみのあまりうちやりたるを、をのこにもあらで、はヽきつかうまつり、はしたなのうへわらはなど、鼻にかけて守るに、御しらすのかたすないものまうしの御かくどものすれば、うたまひのつかさ、なれたる上のきぬ引かけて、とのもりのきよめたらはしなど、聲ゆがみ老だつつかさこヽら行かふに、とかくして御わざことをはり、御ゆきならせおはしませば、御藥のつかさとうしあけつかうまつりたる、とそびやくさん、どさうさん、とうやくなど、宮内のかんのつかさ藏人につたへ奉れり、

〔日本歳時記〕

〈一正月〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 元日、〈◯中略〉除夜より歳を守りて寢ず、もし寢る時は、寅の初に起て新年をむかへ盥洗し、髮を結、淨衣を著、〈◯註略〉禮服を著て威儀容貌をかいつくろひ、〈◯中略〉父母ます時は、父母にまみえて、共に新年に逢事をよろこび、父母なき人は先祖の祠堂の前に侍候し、香を燒拜禮して、事なく歳を迎る事を悦べし、〈◯中略〉食時に及で、雜煮を祖先考妣の靈前にそなへ、酒を獻ず、しかれども仕官の人は、今日拜謁の禮あり、仕へざる人も亦賀禮ありていとまなし、祭事に專にくはしき事あたはず、明朝これを行も亦可なり、楊氏復は除日の前三四日に事を行ひしよし、文公家禮の注に見えたり、〈◯註略〉さてみづからも雜煮を食し、屠蘇酒を飮て飯を喫し、温酒をのみ、又手洗口すすぐべし、 二日、〈◯中略〉今朝卯の刻に起、食時にいたりて雜煮をくひ、冷酒をのむこと昨朝のごとし、又温飯を食し温湯をのむべし、 三日、今朝飯食する事、又昨日のごとし、元日より今日に至まで、雜煮を食し屠蘇酒をのむ、奴婢も又しかり、

〔榮花物語〕

〈十一莟花〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0857 長和三年に成ぬ、正月一日よりはじめてあたらしく、めづらしき御ありさまなり、

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 あらたまの年たちかへりぬれば、雲の上もはれ〴〵しうみえて、そらをあふがれ、夜のほどにたちかへりたる春のかすみも、むらさきにうすくこくたなびき、日のけしきうらヽかに、ひかりさやけくみえ、もヽちどりもさえづりまさり、よろづみな心あるさまに見え、枝もなかりつる花も、いつしかとひもをとき、かきねの草もあをみわたり、あしたのはらも、をぎのやけばらかきはらひ、かすがのヽとぶひの野もりも、よろづよの春のはじめのわかなをつみ、こほりとく風も、ゆるく吹てえだをならさず、谷のうぐひすも、行すゑはるかなるこゑにきこえてみヽとまり、ふなをかのねの日の松も、いつしかと君にひかれて、萬代をへんと思て、ときはかきはのみどりの色ふかくみえ、もたひのほとりのちくえふも、すゑのよはるかにみえ、はしのもとのさうびも、なつをまちがほになどして、さま〴〵めでたきに、てうはいよりはじめてよろづにをかしきに、宮の御かたの女房のなりども、つねだにあるに、まいてものあざやかにかほりふかきもことわりとみえたり、

〔ひともと草〕

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0858 江戸の元日     圓正恭
年たちかへる空は、いづこもめづらかなるものから、わきてあづまの江戸の賑はしさ、いへば今さらにくだ〳〵しけれど、おもひつヾくればさまことにや、霞ケ關の北にかまへられたるみとのみくるわの石垣、たかうそびえたるうへに、生つらなれる松どもの色やう〳〵しらみゆくほど、ねぐらの鳥打はぶきたるにあはせて、櫓にかけたるつヾみ、明ぼの告げ渡るこゑうち出たるは、漁陽の三檛もさばかりにやと、いみじう聞ゆるまにまに、みかど〳〵引あくるより、とのもりの人、竹ひきならしけいめいし、さわぐもいはんかたなし、三家、三卿のきんだちを始めまゐらせ、みくにうどの國の守、又はけいしのつかさくらゐ、むねと時めける人々、つぎ〳〵下づかさにいたるまで、あけ紫の色々其の品にしたがへる直衣ゑぼうし上下など、とり〴〵さうぞきたてヽ

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 春のはじめのことぶき啓したてまつらんとて、いそぎまうのぼる、おのがむれ〳〵つらみだれず、打物鑓いし〳〵のぐいかめしう引續け、さきおひいそぎまゐるなん、何よりことに珍らかにして、かヽるわざはいづこのとつ國にあべきみものともおぼえず、げに武藏野のひろきおほん惠に、よもの民くさなびきつかふまつるさま、ことわりにおもひたまへらるヽもかしこくなん、町くだりの家はよべおきあかしたるまヽに、やり戸もはなたず、すだれおろしこめ、しめやかに見入らるヽは、初夢むすぶ人もありなましとゆかし、又初春の折にあひたるものあきなふ家は、門きよらにはらひあけ、くさ〴〵のもの花やかに、よそひならべすゑたるもあり、大路はのどやかに松たてわたし、家ごとに、もちゐ、わかな、おほねなどあつものにてうじ、朝氣いはひ、小松、うちあはび、ほしぐり、ねり柿なのりそやなにやと、洲濱にまうけすゑて、入くるまらうどをもてなしかしづく、とその帒くれなゐに、もちゐの鏡白う色はえたるもとり〴〵につきせず、かたみにさうぞき行かひ、春のことぶきいひかはすもめでたし、それが中にはまんざいといふ者、年ごとに三河國よりきつヽことぶきいふも立まじりたる、ゑぼうし素袍引かけ、とひなれたる家にかならず入來て、鼔うち歌ひはやしたる、さうかのけうさくなる、れいの事ながらうちゑまるヽかし、まいて節分などにあたりたるとしは、ひヽらぎいわしのかしら門にさしわたし、くるヽを待あへず豆打ちらし、鬼おふ聲きほひよぶもにぎはし、かたゐはとしいみはらふとて門にたち、さるがう事どもいひすてヽ行、神のおまへのともしびあかうかヽげ、すびつに火いみじうおこしそへて、夜をもるさまにさうぞきたるも、とり〴〵つきせず、すべて此國のみつのあしたなんこヽに生れて、とし月なれぬれど、猶ふりがたうかみさび、昔おぼゆるてぶりは、あかずめづらかにあるわざにぞ、

〔山之井〕

〈春〉

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0859 あら玉の年立歸る心をつらねば、たて松はにほんによせて君をことぶき、かざるほな

https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/image/gaiji/SearchPage.png p.0860 がは國のとみくさになぞらへて、豐年を祈る、九重の空の上には、四方拜小朝拜など政事繁けれど、地下にさた〳〵沙汰し知べきわざにも侍らじなれば、只見えわたる四方山の、いつとなくうちかすみて、いひしらず長閑なる景氣、けさあたヽむるかんの氷も、かつ隙見する池の鏡餅をさへとりよせて、ちとせのかげもくまなき家の内の心祝儀ども、蓬萊の臺など置て、不死の藥の酒くむやうす、ゆるりくはんすととヾをして、おほぶくいはふていたらく、外にはしめかざり(○○○○○)、内には年徳、わかゑびすをむかへ、庭には庭かまどたき、ふくわらをしきたへ、うないやひすましらの、ほうびきや何やといひ遊び、庄屋の一番ふもはま弓をいたへありき、じやうどのヽおこうは、はごいたもてはねまはり給ふありさま、物まふといふ禮者の顏も、御出のよしまふといらふ下部がつらも、よひの年の寒さいそがしさをわすれはてつヽ、わかやぎあへる氣色など、詞のえん花やかに、ひとヽせの始、卷頭の心なれば、たけたかくすなほにあらまほし、


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Last-modified: 2022-06-29 (水) 20:06:18