p.0387 梳、〓〈同色魚反、櫛、久志、〉
p.0387 櫛 説文云、櫛、〈側瑟反、和名久之、〉梳枇總名也、
p.0387 櫛クシ 伊弉諾神、並に素戔烏尊の湯津爪櫛、鹽土老翁の玄櫛などいふもの見えたれば、〈舊事、古事、日本紀等の書に、〉因來る所すでに久しき物也、そのクシといひしは義詳ならず、釋日本紀に、並訓二久志一といふ事見えたり、櫛をクシといふも、並(ナラブ)之義と見えたり、異朝にして櫛比といふはよのつねなり、
p.0387 院〈○朱雀〉にもかゝることきかせ給て、うめつぼに御ゑどもたてまつらせ給へり、〈○中略〉御せうそこはたゞことばにて、院の殿上にもさぶらふ、左近中將を御つかひにてあり、かの大ごくでんの御こしよせたる所のかう〳〵しきに、
身こそかくしめのほかなれそのかみの心のうちをわすれしもせず、とのみあり、聞え給はざらんもいとかたじけなければ、くるしく覺しながら、昔の御かんざし(○○○○)のはしを、いさゝかおりて、 しめのうちはむかしにあらぬ心ちして神代のことも今ぞこひしき、とて花だのからのかみにつゝみて參らせ給、
p.0387 櫛をかんざしともいひし事 是はむかし梅壼齋宮にて〈俗にいふおものいみ〉伊勢へ下り給ひし時、別れの櫛とて、帝御てづから、齋宮の御頭へさし玉ひし、むかしの櫛のはしを〈木櫛を定式とす〉かきとりて、歌にそへ玉ひたる也、
p.0388 中宮よりも、御さうぞく、くしのはこ、心ことにてうぜさせ給て、〈○中略〉姫宮の御方にまいらすべくの給はせつれど、かゝることぞ中にありける、
さしながら昔を今につたふれば玉のをぐしぞ神さびにける、院御らんじつけて、あはれにおぼし出らるゝことどもありけり、あえ物けしうはあらじと、ゆづりきこえ給へるほど、げにおもたゞしきかんざしなれば、御かへりもむかしの哀をばさし置て、
さしつぎにみる物にもがよろづ世をつげのをぐしのかみさぶるまで
○按ズルニ、此文亦櫛ヲ稱シテカンザシト云ヘルナリ、
p.0388 於レ是欲レ相二見其妹伊邪那美命一、追二往黃泉國一、〈○中略〉故刺二左之御美豆良一、〈三字以レ音、下效レ之、〉湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭二一火一入見之時、宇士多加禮斗呂呂岐氐、〈○中略〉八雷神成居、於レ是伊邪那岐命見畏而、逃還之時、其妹伊邪那美命言、令レ見レ辱レ吾、卽遣二豫母都志許賣一、〈此六字以レ音〉令レ追、爾伊邪那岐命、取二黑御鬘一投棄乃生二蒲子一、是摭食之間逃行、猶追亦刺二其右御美豆良一之湯津津間櫛引闕而投棄乃生レ笋、是拔食之間逃行、
p.0388 湯津石村(ユツイハムラ)、〈○中略〉師〈○賀茂眞淵〉説に、五百(イホ)を約て由(ユ)と云り、〈○註略〉湯津桂(ユツカツラ)、湯津爪櫛(ユツツマグシ)なども、枝の多く齒の繁きを云、
p.0388 於湯津爪櫛取成其童女ハ、其童女袁湯津爪櫛爾取成(ソノヲトメヲユツツマグシニトリナシ)と訓べし、湯津は、上湯津石村の下〈傳五の七十一葉〉に云るが如し、〈○註略〉爪(ツマ)は〈借字〉加都麻(カツマ)の上を略けるなり、加都麻(カツマ)は堅津間(カタツマ)にて、〈多都を切(ツヾ)むれば都(ツ)なり、〉櫛の齒のしげくて間(マ)の堅くせまれるを云り、〈(中略)古の櫛は、爪の形したりとも、妻櫛の意なりともいふは誤なり、〉櫛は本串(クシ)と同シ名なり、黃泉(ヨミ)ノ段に火を燭(トモ)し賜ふを思へば、上代の櫛の齒は、やゝ長かりしかば、串と同〈シ〉類〈ヒ〉 ぞかし、
p.0389 櫛の始原、擲櫛を忌緣、湯津津間櫛の考、
此説〈○古事記傳〉に據ば、湯津津間〈又爪〉櫛といふは、何にて作りたる質かはしられねど、齒はしげくせまりて、今の櫛よりは長き物なりといふ解なり、〈○中略〉竊に謂く、〈○岩瀨百樹、中略、〉櫛の火に燃るをもて、木なる事論をまたず、すでに湯津桂といふ木もありしをや、〈○中略〉和名抄〈木部〉柞四聲字苑云、柞和名由志、漢語抄に云、波々曾木の名、堪レ作レ梳也とあり、湯と志とは音近きゆゑに、湯津の津を後年には由之といひけんかし、〈○中略〉これらに據ば、柞は和漢ともに梳材〈梳は櫛と同字〉なる事和漢同じ、柞を近くは國によりて、はゝそ、くしの木ともいふ、〈本草啓蒙〉しかれば今僞黃楊とする櫛は柞にて、神代の湯津津間櫛も柞木櫛なるめりとぞおもはるゝ、〈○中略〉さて津間櫛といふ名義、〈○中略〉竊におもへらく、齒のつまるは櫛の常體なり、けだし梳に對てつま櫛といはんも穩ならず、おのれは袖中抄に、つまは妻の義かといふ説に從事、愚按に、妻櫛といふ義は、左右の髩に相對て双つ刺物なれば也、此櫛一枚にては奇にて用をなさず、それいかんとなれば、上代の男は、髻をば一ツに結て双にわけ、左右へ綰たるを櫛にて刺貫て宿おくなり、これを髩といふ、〈○註略〉されば件の黃泉段にもはじめは左りのびんづらの櫛をなげ玉ひ、二度目は右のびんづらの櫛をなげ玉へり、〈○註略〉必一對なればならぬ物ゆゑに、夫婦に儀て夫婦櫛といひけんかし、〈○中略〉一日學友來りて物語のつひで、櫛の事をかたりしに、いふやう前年西遊せし時、南都の達識穗井田忠友翁の宅にて〈同人撰〉觀古雜帖〈寫本〉といふ物を視し中に、一古寺の寶物とて、神代の櫛を視て摸寫たるを一覽して、心に忘ずしか〴〵なりしときゝてうれしくその儘席上にて、闇記の圖を寫させたるを下に出す、此圖をみれば、むかしは櫛をかんざしともいひしはうべなり、髮をとかすべき物にあらず、因ておもふに神代に解梳は別に有けんかし、 長さ九寸餘、幅二寸五分餘、木にて作りたる物、作りさま古朴なり、木の質辨じがたしとぞ、此圖を視れば、伊弉諾尊櫛の男桂をかきとりて、火に燭し玉ひて伊弉册尊の屍を照し視玉ひしも、彦火々出見尊のうがやふきあへずのみことの生れ玉ふ所を視玉ひしほどの間ありしも、櫛の大さにて實にとぞおもはるゝ、又黃泉段のところに、櫛を引かきてなげうち玉へば、生笋なりとおもひて、醜女が拔食しも、おのづから櫛の形ち見ゆ、
但しなげ玉へば、神通にてそのまゝ其物となりしなり、
p.0390 一書曰、兄火酢芹命、能得二海幸一、弟彦火火出見尊、能得二山幸一、時兄弟欲三互易二其幸一、故兄持二弟之幸弓一、入レ山覓レ獸、終不レ見二獸之乾迹一、弟持二兄之幸鈎一入レ海釣レ魚、殊無レ所レ獲、遂失二其鈎一、是時兄還二弟弓矢一而責二已鈎一、〈○中略〉時有二一長老一、忽然而至、自稱二鹽土老翁一、乃問之曰、君是誰者、何故患二於此處一乎、彦火火出見尊、具言二其事一、老翁印取二囊中玄櫛(○○)一投レ地、則化二成五百箇竹林一、因取二其竹一作二大目麁籠一、内二火火出見尊於籠中一投二之于海一、
p.0390 年中所レ造御梳三百六十六枚、〈二百枚御料、百枚中宮料、六十枚春宮料、並六月十二月、各半分進之、六枚神今食新嘗祭等料各二枚、皆用二由志木一、〉所レ須調布一丈六尺、紙卌八張、木綿大五兩二分、木賊大三兩、柳筥四合、三月中旬具レ數申レ省、仍令二工手依レ例造備一、訖毎二十枚一分爲二一裹一、〈裏以二白紙一、結以二木綿一、〉十裹盛二柳筥一納二漆櫃一〈敷二白褥一〉安二漆牙牀案一、〈覆以二黃表帛裏一、結以二縹帶二條一、〉訖六月一日〈十二月准レ此〉先進二奏狀一、内侍執奏、卽寮官四人執レ案進立二殿庭一、少退而立、于レ時内侍宣、持參來、寮官一人稱唯共舁レ案進詣二階下一、執レ筥進二内侍一、訖舁レ案退出、〈獻二中宮一亦准レ此〉但六月十二月神今食、十一月新嘗料、各付二縫殿寮一、其東宮御梳、裹〈裹以二自紙一、結以二木綿一、〉訖盛二柳筥一安二高案一、〈敷二白布一〉先進二啓狀一、坊官執啓、卽寮官二人執レ案進立二殿庭一退出、舍人受レ案送レ寮、
p.0390 柞 四聲字苑云、柞、〈音柞、一音昨、和名由之、漢語抄云、波々曾、〉木名、堪レ作レ梳也、
p.0390 櫛挽 櫛は伊須、黃楊等其外諸の唐木、象牙、玳瑁等をもつて造り、蒔繪金具をも つて彩、各下細工人有、唐櫛は唐よりわたす、其外大阪長町にて造り、又梗槩是を商也、細工人別にあつて、此所ゑうるなり、竹、角、象牙、鯨鰭をもつて造る、
p.0391 櫛 音節 櫛 和名久之 枇 和名保曾岐久之〈○中略〉
琉球及屋玖島黃楊木、黃潤文理甚美也、豆州三倉島之産次レ之、土佐日向阿波又次レ之、而色帶レ褐不二正黃一、
豫州出二櫛木一、〈名二加豆於志美一〉白色、染レ黃以爲二黃楊(ノ)贋一〈本草所レ謂柞木是乎〉
一種以二水木犀一爲レ櫛不レ佳、出二於伊豫、土佐、日向一、
一種以二伊須乃木一爲レ櫛、下品多用、出二於土佐肥前〈天草〉日向一、
p.0391 女子ノ櫛筓、寬文迄ハ鯨(○)ナリ、其後鼈甲(○○)ノ薄ク黑キヲエリ出シ、頭ニイチヤウ、或ハハヅレ雪ナドノ類ヲ細工セシヲ最上トセリ、後鹿ノ角ヲ蘇枋染(○○○○○○○)ニシテ、朝日ノ櫛筓ト云、上品ナリ、後ニ元祿年中、京都紅工ニテ、銀ニテ角切ガクノ内、或ハ丸ノ内ニ、種々ノ紋ヲ彫スカシニシテ、鼈甲ノ頭ニサス、櫛ノ棟ニモ銀(○○○○○○)ニテ梅ノ枝、或ハ唐竹ナドヲスカシ、サヤノヤウニハメタリ、重キユへ髮下ルトテ後ハ不レ用、
p.0391 差櫛銀二兩、〈單切四疋〉同時〈○髮上〉用之、〈○中略〉
懸子納〈○中略〉櫛八十枚、〈螺鈿料二百卌疋、枚別三疋、〉納二甲乙一〈○懸子〉各四十枚、
p.0391 細櫛(○○) 唐韻云、梳〈音踈、一訓介都留、〉細櫛也、枇(○)〈毘志反、和名保曾岐久之、〉百刺櫛(○○○)、〈佐之久之〉
p.0391 櫛〈○中略〉
櫛齒疏者曰レ梳、其齒細密相比者曰レ枇、〈笓箆亦同〉以レ竹爲レ之、可レ去二髮垢一、又枇類可三以取二蟣虱一者曰レ䇫、〈音雞〉
按今所レ用者、有二解櫛、水櫛、眞櫛、唐櫛、插櫛五品一、
解櫛(○○)〈止木久之〉齒疏而豫可二以解一レ髮、大抵三寸許、二十四齒、所レ謂梳是也、稍密者有二四十齒許者一、 水櫛(○○)、〈美豆久之〉卽梳之密者、凡七十四齒許、點レ水撫二整鬢一也、
眞櫛(○○)、〈末久之、一云須木久之、〉凡百有餘齒、可三以去二髮垢一、所レ謂枇是也、
古者竹爲レ之、細齒相比、故曰レ笓、後用レ木、故字亦作レ枇乎、本枇杷之枇、俗假借用レ之矣、
唐櫛(○○)、〈太宇久之〉以二水牛角或鯨鬐一施二兩端一、中編レ竹相比凡百二十四齒、可三以取二虱蟣一、所レ謂䇫是也、
插櫛(○○)、〈佐之久之〉以二黃楊木、象牙、瑇瑁、或漆塗描金一、其齒如二水櫛一、婦人毎插レ髮者也、
p.0392 くし 櫛は髮に用る物ゆゑに名とす、歌に別れの櫛、柘の小櫛(○○○○)、築紫櫛(○○○)、刺櫛などよめり、五節に、ゑり櫛(○○○)、まき櫛(○○○)、から櫛(○○○)、した櫛(○○○)、こぐし(○○○)など見えたり、
p.0392 蒔繪の櫛 三ツ櫛
元服法式〈永祿年中の物寫本〉櫛は三ツ一具なり、〈中略〉御櫛三ツ、解、簾、細、桐蒔繪也、解はとかし(○○○)、簾はすき櫛(○○○)なり、細はびん櫛(○○○)なり、
p.0392 かたみの水櫛
世之介〈○中略〉惜い事をしたと四邊を見れば、黃楊の水櫛(○○)落ちてけり、油臭きは女の手馴し紀念ぞ、是にて辻占を聞く事もがなと、岨づたひ岩の陰道を行く、〈○下略〉
p.0392 五せち所のこと
ゑりぐし(○○○○)、まきぐし、かんざしをぐして、五せち所ごとにをきまいるなり、
p.0392 后宮、しうかねのくしのはこむようひ、こがねのはこゆほとも、なにゝよろづのありがたき物どもいれて、よの中にありがたき、御すへひたひ、えりぐし、さいし、もとゆひ、おほ宮づかへのはじめの御てうどたてまつり給、
p.0392 一理髮具〈○中略〉
彫櫛二枚〈○中略〉 一可レ儲二本所一物〈○中略〉 彫櫛六百枚
p.0393 彫櫛形 黃楊用之 髮上時用之
○按ズルニ、本書ニ圖ヲ掲ケテ、長一寸八分トアリ、
p.0393 七日〈○正月〉は〈○中略〉白馬見んとて、里人はくるまきよげにしたてゝ見にゆく、中の御門のとじきみひきいるゝ程、かしらども一ところにまろびあひて、さしぐし(○○○○)もおち、よういせねばおれなどしてわらふも又おかし、
p.0393 せちは
五月にしくはなし、〈○中略〉わかき人々は、さうぶのさしぐしさし、ものいみつけなどして、さま〴〵からぎぬ、かざみ、ながきね、おかしきおりえだども、むらごのくみしてむすびつけなどしたる、めづらしういふべき事ならねど、いとおかし、
p.0393 あさましき物 さしぐしみがぐほどに、物にさへて折たる、
p.0393 うれしきもの さしぐしむすばせて、おかしげなるも又うれし、
p.0393 刺櫛
さしぐしは、とうまりなゝつ、ありしかど、たけくのじやうの、あしたにとり、ようさりとり、とりしかば、さしぐしもなしや、さきんだちや、
p.0393 くし 前内大臣
明暮てさしぐしもなく成にけりたけふのせうのとるとせしまに
前大納言
君にをきてみせんと思ひしさしぐしを朝夕べに誰かとりけん
p.0393 一可レ儲二本所一物 差櫛〈上十二枚下十二枚〉
p.0394 帚掃除世話やかでよし茶屋座敷
しめつけ島田髮、先も跡も長みをなじ程にして、中程により鬠を二筋かけ、〈○中略〉白繻子の疊帶、むすび先は一文字にして、庵形のさし櫛(○○○○○○)、姿見歸りの蹴出しあゆみ、〈○下略〉
p.0394 是ぞ妹背の姿山
落し懸の大島田、忍髻の上に中疊平結、先は一文字にして、庵形の插櫛に切金の折菊、〈○下略〉
p.0394 世の人心〈○書名〉に、べつかうの總すかしのさし櫛(○○○○○○○)と見えたり、〈天和貞享のころなり〉透しの櫛は、其後元文頃より、近く天明迄も行はれたり、彫工東雨安親は、奈良辰政が弟子にて出藍の譽あり、安親が女子に彫て與へたる透しの櫛あり、假鍮(シンチウ)にて形角なり、みねの所狹く、齒長し、おもてに水仙の折花をすかしに造りたり、安親は寬文中の生れにて、延享元年身まかれり、此櫛は寶永正德頃にも造れる歟、
p.0394 よめ入の條々
一くしの箱、くしのかず三十三あるべし、此内びんのくし(○○○○○)あるべし、これはびんをけづり侍らむためなり、
p.0394 櫛筥一雙〈甲乙〉 同〈○甲身納銀〉小筥納十二合、〈○中略〉一合、〈差櫛二枚、金(○)也、單功六疋、〉
p.0394 元祿十七申年二月
覺〈○中略〉
一女のさし櫛、かうがいに、金銀のかな物(○○○○○○)無用に候、尤蒔繪類も結構成仕形無用之事、
右之通被二仰出一候間、急度可二相守一候、以上、
p.0394 石河大夫遷任上京時播磨娘子贈歌 君無者(キミナクバ)、奈何身裝飾(ナゾミヨソハム)、匣有(クシゲナル)、黃楊之小梳毛(ツゲノヲグシモ/○○○○○ )、將取跡毛不念(トラムモモハズ)、
p.0395 かくてあて宮、東宮にまいり給事、十月五日とさだまりぬ、きこえ給人々まどひ給ふことかぎりなし、〈○中略〉かくて其時になりて、御車かずのごとし、御供の人しな〴〵さうぞくきて、日のくるゝをまち給ほどに、なかたゞの中將の御もとより、蒔繪のをきぐちのはこよつに、ぢんのさしぐし(○○○○○○○)よりはじめて、ようづにしつりぐしの御くしあけの御てうど、よき御すゑひたひ、さいし、もとゆひ、ゑりぐしよりはじめてあり、
p.0395 しうかねのはこのふたに、鏡をいれ、沈のくし、白かねのかうがいをいれて、〈○下略〉
p.0395 殿は人の御しだいにの給へと、さべき事なれど、人は心こそはづかしけれとて給つ、かれらのすきばこ、ひとつにはからあや五疋、いまひとつには(○)、ぢむしたんのく(○○○○○○○)しあるを、たいの御方に奉らせ給とて、かんの殿、
思ひやる心をつげのくしならばおぼつかなくはなげかざらまし、とて奉り給へれば、御返、
そのかみにふりにし物をあらたむるこれこそつげのをぐしとはみれ、をばのと思給へらるるときこえ給へり、
p.0395 或諸侯の藏物に、紫檀にて作れる古き櫛二ツ有、一ツは形圓く、傍に短き柄ありて自在に動く、今の毛筋通しなどの用をなすもの歟、一ツはみねを鳥の形に彫たり、
p.0395 御所染の袖色ふかし
しめつけ島田髮、前も後も長み同じことにして、中ほどに平鬠を懸け、插櫛白檀の木地(○○○○○○○)に、珊瑚珠の切入、梅の古木に氣を盡し、
p.0395 平賀鳩溪
平賀源内、名は國倫、字は士彜、鳩溪と號す、狂名は風來山人、又天竺浪人と號す、讃州志度浦の人也、 〈○中略〉明和七年庚寅の頃、長畸に赴く、大通詞吉雄幸左衞門が家を主とす、阿蘭陀本草を學び、エレキテルセイリテイトといへる奇器〈人身の火をとりて病をいやす器なり〉をつくる事を學び得て歸り、專ら蠻學をなす、或は伽羅の櫛(○○○○)〈銀むね、象牙の齒、月に郭公などの細工あり、〉をつくり、或は金から革等を作りてつねの産とす、
p.0396 源内櫛の事
源内は、種々心を配りて、兎角世上へ流行事を工夫しけるが、風と思ひ付て、伽羅を長崎より多く持參しけるを取出して、是を櫛に挽せて、銀にてむねを一分通りに覆輪を懸、是を世上へ弘めんと、當時吉原にて名高き遊女、丁子屋の雛鶴こそ歷々も御出なさるゝ名あるものなれば、何卒彼にさゝせんと便をもとめけるに、こゝに一瓢といへる牽頭(タイコ)持あつて、淺草茅町に住居しけるが、彼を密に招き申しけるは、〈○中略〉何卒其方が宅へ招き、我等が胸中をはらさせよと餘儀なき體に申けり、一瓢、〈○中略〉早速承引して、〈○中略〉雛鶴が座敷へ行、四方山の物語して申しけるは、雛鶴さまへ、近頃餘儀なき御無心御座候御叶ひ可レ被レ下やと改めて賴ければ、〈○中略〉相應の事ならば、承知致さんと申ける時に、〈○中略〉一瓢は大きに悦び、直に源内が宅へ行て、しか〴〵の趣を語りければ、源内は大きに悦び、明るをまつて一瓢が宅へおもむきけり、
源内雛鶴へ初て對面之事
斯て源内は約束の日限にも及ければ供人召連れ、一瓢が方へ趣きけるが、未だ雛鶴は來らず、一瓢も酒肴の設念比にして、今やをそしと待居たり、程なく雛鶴は駕籠にうち乘、一瓢が表口へ這入ければ、待まふけたる一瓢、やがて座敷へ案内して源内へ引合せけり、源内も興に入て、酒數獻に及て、已に日も西山に傾きたれば、源内雛鶴へ申けるは、先もつて今日は日比の存念晴候て、此上もなき大慶なり、今日の悦、何ぞ進上申たけれど、指したる土産もなし、是は近比麁末ながら、先年我等長崎表より持參せし伽羅を以て、態々此度挽せし櫛也、用立てくれられなば、大悦至極と 述ければ、雛鶴も嬉しげに、金銀のかゝりしは、さして賞翫もなき物なれど、唐土より長崎へ來る伽羅の、また江戸迄持參し玉ひしを、私に給り候御志と申、遠來の名器、實に匂ひゆかしく候也、以來は他の櫛を用ゆまじと、源内に暇乞して、淺草さして歸りける、源内も立別れ、一瓢に一禮述て、我家をさして歸りけり、源内も滿足せしとかや、此櫛世上にて源内櫛と名付、江戸一統、今以て流行す、されども其始る所を不レ知なり、
p.0397 凡内命婦三位已上、聽レ用二象牙櫛一、
p.0397 彫櫛形〈○圖略〉
大治五年二月廿一日、中宮藤聖子立后料、待賢門院令二申請一給時、以レ牙(○)作天令レ進給了、
p.0397 元文中、象牙ノ櫛(○○○○)カウガイハヤル、男女トモ身ノ飾リ奢ルコトハ、享保以來甚シ、
p.0397 椀久物語、女乞食のことをいふ處、この淺ましき身となりても、黑髮そゝけず、一筋元結かけて、象牙の半をれたるさし櫛、これくせもの、昔のおもはれ、〈○中略〉その後、元文ごろ象牙櫛筓はやる、〈○中略〉今も吉原にて、松葉屋半左衞門方には、正月二日遊女ども象牙の櫛をさし、昔の餘風ありとぞ、
p.0397 暗女晝化物
人の目立たぬやうにはしけれど、顏に白粉、眉の置墨、丈長の平髻を廣疊に掛けて、梅花香の雫を含ませ、象牙の插櫛、大きに萬氣を著けて拵へ、
p.0397 其比〈○寶曆、中略、〉象牙の櫛筓も流行セり、蒔繪などさせてさしたり、奇麗にてよかりき、
p.0397 四角めきたる大形に齒を深くひきたる櫛、米仲が獨吟歌仙に、關の地藏を唄にゆりすて、角櫛(○○)を下駄の齒などとさみせられ、〈是享保中の作なり〉寶曆頃にもはやりけるにや、其頃の畫にみゆ、遊女の二枚櫛は其後なり、櫛の形は同じ樣なり、
p.0398 是非もらひ著物
鼈甲の差櫛(○○○○○)が本蒔繪にて、三匁五分で出來るなどと、はしたなく申せしは、聞いて戀も覺ぬべし、
p.0398 明曆年中迄ハ大名ノ奧方ナラデハ鼈甲ハ不レ用、〈○中略〉元祿ノ比ヨリ世上活達ニナリテ、鼈甲モハヤアキテ、蒔繪ナドカヽセ、鼈甲モ上品ヲエラビ、價ノ高下ニカヽハルトイヘドモ、金二兩ヲ極品トス、享保頃ヨリ鼈甲ノ上品五兩七兩トナル、依レ之常體ノ女求ルニ不レ及レ力、木ノ櫛ニ色々ノ蒔繪切金等ヲカヽセ、百疋、二百疋ニテ求ム、ソレユへ寬保年中ヨリ、細工人ニ上手出來テ、水牛(○○)ノ色ヨキニ鼈甲ノ黑斑ヲ入テ、上鼈甲ノマガヒニ賣、是モ始ハ廿目ホドモ致シケル、櫛(○)筓トモニ上手ニ似セタリ、
p.0398 櫛くし 京大坂にて、たいまいのくし(○○○○○○○)といふを、江戸にてべつかうのくしと云、
p.0398 にたり、〈○中略〉櫛にいふは、牛角を和らげて、玳瑁に似せたるもの也、
p.0398 璋瑁の櫛〈俗にいふべつかふ〉
賢女心の鏡〈○書名、中略、〉われは此年まで、髮の中に小枕の外は、蒔繪の木櫛に、黑き筓を〈くぢらなるべし〉さして花をやりしに、娶のあたまをみれば、透玳瑁の櫛(○○○○○)をさし、筓の外にかんざしとやらいふ物、何の用に立事ぞ、
p.0398 大にのぼり、さて殿にしろがねのすきばこ、廿がう、あやちうのみねに、らてんすりたるくし(○○○○○○○○○)など奉りたるないしのかみ、宮の御方になゝつ、我御方にもの御方々々にも二三づゝくばり奉らせ給、
p.0398 甲筥懸子、納二螺鈿櫛四十枚一、
p.0398 鶴岡八幡宮 神寶
十二手匣 壹合小道具不レ備、箱ノ内ニ圖〈○圖略〉ノ如ナル櫛三十アリ、櫛ノ徑三寸八分餘、高サ一寸 二分、厚サ三分、櫛ノ背ニ淺ク鑿タル穴十三アリ、元靑貝ヲ入タル物ニテ、今ヌケタル跡ナリ、間靑貝ノ見ユルモアリ、穴ノクバリ、皆三二三二三トアリ、木ハイスト云フ、
p.0399 伏輪各三疋 銀三分 二隻四枚也
p.0399 同書〈○類娶雜衷抄〉銀にて、伏輪ある細き形の櫛あり、〈○中略〉伏輪は、今、銀むねといふと同じ、
p.0399 七が、いでたつしやうぞくには、〈○中略〉黑髮島田とかやにゆひあげ、銀ふくりんに蒔繪かきたる玳瑁の櫛(○○○○○○○○○○○○○○○○)にて前髮をおさへ、紅粉を以て面をいうどり、さもあてやかにいでたちけり、
p.0399 正德ノ比、厚ムネノ木グシ流行、棟ニ金銀粉ニテイツカケ(○○○○)ヲシタリ、甚宜ク見ヘタリ、
p.0399 透しの櫛は、其後元文頃より近く天明迄も行はれたり、〈○中略〉其後はやれるは、齒の處玳瑁水牛にて、たけ短く面を廣くして、銀の覆輪(○○○○)、種々の摸樣をすかしに造りたり、
p.0399 一可レ儲二本所一物 蒔櫛(○○)
p.0399 蒔繪の櫛(○○○○) 三ツ櫛
江戸にても、享保の比まきゑ櫛、流行しと古老語れり、又櫛の峯に銀のふくりんを懸たるに蒔繪したる物はやり、明和に至ては、まきゑすたれ、竪一寸六分、横六寸許りの甲のべつかふの櫛はやりしとぞ、〈横長のくしはやりたるは、根なし草にも見ゆ、〉天明より後文化まで四十五年の間は、まきゑのくし世にすた り、近年むかしにかへりて、蒔繪の木櫛はやるは、民歸レ樸といふべし、
p.0400 葛藤集、證文に足手そらなる十年季〈秀億〉朱ぬりの櫛(○○○○○)は誰かみつらむ〈渭舟〉
p.0400 一衣類の色も、其比〈○寶曆〉は、丁子茶と云色流行出て、男女貴賤を論ぜず、賤者のひとつ布子さへ、丁子茶に染て著たり、〈○中略〉櫛は朱ぬりの、山形の平たく横へ長きをさしたり、〈○中略〉其頃の歌に、丁子茶と五寸もやうに日傘、朱ぬりの櫛に花のかんざし、とて貴賤吟みたり、
p.0400 爲朝生捕被レ處二流罪一事
九月〈○保元元年〉二日湯屋ニ下タル時、三十餘騎ニテ押寄テケリ、爲朝眞裸カニテ、合木ヲ以テ數多ノ者ヲバ打伏タレ共、大勢ニ取籠ラレテ無二云甲斐一被レ搦ニケリ、季實判官請取テ、二條ヲ西へ渡ス、白キ水干袴ニ、赤キ帷子ヲ著セ、髻ニ白櫛(○○)ヲゾ指タリケル、北陣ニテ叡覽アリ、公卿殿上人ハ不レ及レ申見物ノ者市ヲナシケリ、
p.0400 一五節櫛(○○○) 五節ノ童御覽の時、舞姫御前に參りて、色々の紙を重ねて櫛を包たるを、御前にさし置て退く也、御目とまりたる舞姫の櫛をば取召るゝ也、御前に櫛置たる體、古キ五節の繪卷物に見たり、
p.0400 五節 同日、〈○中丑日〉丑二ある時は、上〈ノ〉丑〈ヲ〉用、式〈ノ〉下〈ノ〉丑の日〈ヲ〉用也、中〈ノ〉丑の日をば、五節〈ノ〉帳臺試といふ、常寧殿にて主上御覽あり、五節舞姫は五人なり、〈○中略〉御殿の廂にて亂舞あり、くしなどををかる、昔は年々におこなはる、いまは大嘗會の時より外はなきにや、
p.0400 五せち所のこと
五せち所に、かむだちめたちいられば、くしは、やなゐばこにいれてまいらすべし、〈○中略〉
ひめ君のさうぞくとらの日〈○中略〉 すゑひたひかみあげまうく、かんざし、さいし、四すぢあるを本所にまうく、からぐし、したぐし、ゑりぐし、こぐし、しかい、〈○絲鞋〉これらは、くら人がたにまうく、
p.0401 一同〈○童女〉頭物忌付事
差櫛一説木櫛ヲバ不用シテ、其形ニ作テ、其體ニ色取テ、髮ニ當所ヲ一兩所削懸テ、髮ニカヽヘサセテ差説アリ、但近來ハ櫛ヲバ自本ソラシ造也、又サヽズシテ童ニ付、殿上人ノ持之、但殿上人獻時者、件櫛中ニ物忌ヲ付也、
p.0401 五節、廿日〈○寬弘五年十一月〉まいる、〈○中略〉御前に扇おほく候中に、蓬莱つくりたるを、はこのふたにひろげ、日かげをめぐりて、そのなかにらてんしたるくしどもを入て、しろひ物など、さべいさまにいれなして、おほやけざまにかほしらぬ人して、中納言の君の御つぼねより、左京の君のおまへにといはせて、さしをかせつれば、かれとりいれよなどいふは、かのわが女御どの〈○義子〉より給へるなりと思ふなりけり、またさおもはせんと、たばかりたる事なれば、案にははかられにけり、たき物をたてぶみにして、かみにかきたり、
おほかりしとよの宮人さしわけてしるき日かげをあはれとぞみし、彼つぼねにはいみじうはぢけり、宰相〈○實成〉もたゞなるよりは心ぐるしうおぼしけり、
p.0401 大宮〈○藤原彰子〉この月〈○萬壽三年正月〉のうちに覺せたゝせ給、〈○中略〉三位僧都〈○永圓〉は御いとこにてないげし給へれば、それ御ぐしおろし奉らんとてあるに、關白殿御はさみ奉らせ給に、御めもくれまどひて、いみじうなかせ給に、とのゝ御まへ〈○藤原道長〉かくならせ給を、このよの御さいはひはきはめさ、せ給へり、後生いかにと思きこえさせ給へりつるに、いとうれしう心やすき御事なりと、そゝのかしきこえさせ給へれど、さばかりめでたき御有さまの、にはかにひきかへさせ給をば、とのゝ御まへをはじめたてまつり、殿ばらうへの御かた〴〵せきもあへずなかせ 給へば、宮の御前いとあはたゞしげに覺しめしたり、〈○中略〉辨の内侍ひるいみじうさうぞきて、さしぐし(○○○○)にものいみをさへつけて、思事なげなりつる程は、さいふともいかゞと覺しつるに、〈○下略〉
p.0402 やしまのおとゞ〈○平重盛〉とかや、このごろ人はきこゆめる、その人の中納言ときこえしころ、五節にくしこひきこえたりしをたぶとて、くれなゐのうすやうに、あしわけをぶねをむすびたるくしさしたるが、なのめならぬに、かきてをしつけられたりし、蘆分のさはる小舟にくれなゐのふかき心をよするとをしれ〈○返歌略〉
p.0402 治承四年十一月十九日丁卯、今日五節童女御覽也、〈○中略〉人々參二中宮御方一、依レ可レ有二淵醉一也、〈○中略〉侍臣等亂遊殆超二近年一、白拍子之次獻レ櫛、兩貫首强雖レ不レ可レ獻、依二衆議一獻之、次雲客推二參八條殿一、今樣朗詠亂舞、事畢分散、
p.0402 建曆三年十一月十二日、今日風流櫛等構出、送二之按察一、火桶〈押レ錦以レ櫛爲レ炭、以二白物一爲レ灰、櫛廿枚入之、〉炬屋一、〈以レ櫛葺二其上一爲二檜皮一、以二薄樣一爲二立蔀一、〉十三日、御前試了、舞姫退下、〈○中略〉末座殿上人等入二五節所一乞レ櫛、六位藏人等來奪取、蒙レ衣雜女又如レ此、 十五日、沐浴、未時欲レ參一仁和寺一之間、季嚴僧都來臨相逢、卽參二御室一、依レ勤二今日念佛一也、書二著到一、此次雖二異樣一、所二乞取一櫛十裹、裹二薄樣一進二入於五節所一、乞得之由申也、實風流櫛殘等也、 十六日、參内候二鬼間方一、以二治部大輔知長一給二櫛數裹一、已爲二毎年事一、依レ承二此事一所二參入一也、
p.0402 寅日、殿上の淵醉あり、朗詠、今樣などうたひて、三ごんはてゝ亂舞あり、次第に沓をはきて、女官の戸よりのぼりて、うへをへて御ゆ殿のはざまより下におりて、北のらんをめぐりて、五節所にむかふ、其後所々に參て、すいざんなどあり、后宮、女院など、えんすいあれば、けふあすの程也、けふ御前の試あり、御殿のひさしに亂舞あり、櫛などぞをくめる、
p.0402 相撲櫛(○○○)
元祿の頃を盛りに經たる兩國梶之助と云相撲取、櫛をさし始しより、其頃前髮ある相撲取、櫛を さす事はやりて、鬼勝象之助、面に白粉をぬり、二枚櫛をさしけるよし、相撲大全に見ゆ、何のゆゑにしかせしと云に、其頃前づけと云手をとる事はやりけるが、彼等それをつたなき事とし、其手をとらざる證とて櫛をさしけるとぞ、
p.0403 安永中、平賀源内、菅原櫛(○○○)といへるを工夫し出しけるころ、或人狂歌を贈りけるに、醉て來て小間物見せの御手際は仕出しの櫛もはやる筈なり、返し、かゝるとき何とせん里のこま物や伯樂もなし小づかひもなし、此櫛も瞬息の間のことゝ見ゆ、今其形狀をしらず、
p.0403 長曆二年八月一日、法性寺座主敎圓僧都參二會關白相府一、〈○藤原賴通〉語云、自二所々一御調度等被レ施二入法性寺一書狀云、櫛巾、御筥一合、又御櫛筥納物之中在二尼櫛(○○)一、〈○中略〉殿下仰云、去月十五日、於二御堂一聞二此事一、答二不レ知之由一、退尋見、誠有二櫛巾筥一、但體有レ故云々、〈○中略〉又仰尼櫛、是昔尼所レ指之櫛名也、皆有二其櫛樣幷所一レ指云々、
p.0403 一女の髮にくしかうがいさす事いにしへはなし、古はよき女房衆は髮をわげてゆう事なし、髮をさげし也、今とてもさげ髮には櫛かうがいをさす事なし、古も同じ事なり、古もげす女は、髮を上げてつのぐるといふ事にするゆへ、かうがいをさしてわげをかためし也、〈髮をくるくるとまきてかうがいをさす故、かうがいはつのゝやうなり、依レ之つのぐると云ふ、かうがいも昔のは甚みじかきなり、〉されどもくしをばさゝぬなり、髮にくしさす事はいむ事也、
p.0403 すみのまばかりにぞ、いとさむげなる女房、しろき衣のいひしらずすゝけたるに、きたなげなるしびら、ひきゆひつけたる腰つき、かたくなしげなり、さすがにくしをしたれて(○○○○○○○)、さしたる(○○○○)ひたいつき、ないけうばう、ないしどころの程に、かゝるものどものあるはやとおかし、
p.0403 つぎのみかど、三條院のみかどと申き、〈○中略〉院にならせ給ひて御目を御らんぜざりしこそいといみじかりし、ことに人の見たてまつるには、いさゝかかはらせ給ふ事おはしまさゞ りければ、そらごとのやうにぞおはしましける、御まなこなども、いときよらにおはしますばかり、いかなるおりにか、時々は御らんずる時もありけり、みすのあみをの見ゆるなどもおほせられて、一品宮ののぼらせ給へりけるに、弁のめのとの御ともに候が、さしぐしを左にさゝれたり(○○○○○○○○○○○○)ければ、あごよ、などくしはあしくさしたるぞとこそおほせられけれ、
p.0404 くしは右にさすべきものを、左にさしたるを、三條院の見とがめ給へるなり、
p.0404 昔、やまとのくにかづらきのこほりにすむおとこ有けり、〈○中略〉この女いとわろくなりにければ、男わづらひて、かぎりなく思ひながらめをまうけてけり、〈○中略〉かくて月日おほくへて、思ひやるやう、つれなきかほなれど、女の思ふ事いといみじぎ事なりけるを、かくいかぬをいかに思ふらんとおもひ出て、ありし女のがりいきたりけり、ひさしくいかざりければ、つゝましくてたてりけり、さてかいまめば、われにはよくてみえしかど、いとあやしきさまなるきぬをきて、おほぐしをつらぐしにさしかけてをり(○○○○○○○○○○○○○○○○○)、手つからいひもりをりけり、いといみじと思ひてきにけるまゝにいかず成にけり、
p.0404 五せち所のこと
物いみのひろさをはからひて、かみをばとるなり、たうにち、は、さしぐしといふものを、右の物い(○○○○○○○○○○)みのかしらに、よこさまにさすなり(○○○○○○○○○)、このくし、これにはさゝず、ながさ六七寸ばかり、齒のたけ五分ばかりあるを、みねのかたへよくそらしあげて、なかをさしたるとぞ申す、
p.0404 横櫛
今、市中にていやしき女、櫛を斜に插を横櫛と唱(○○○○○○○○○○)て、よしある女中は假にもせの事なり、よこぐしなるは、心ねもそれとしられていやしげなり、むかしもさる例あり、大和物語〈○註略〉風吹ばの歌の下に、女のがりいきたりけり、〈業平なり〉ひさしくいかざりければ、つゝましくてたてり、さてかいまめ ば、われにはよくてみえしか、いとあやしきさまのきぬきて、大ぐしをつらくしにさしかけてをり、てづからいひもりをりけり、いといみじとおもひてきにけるまゝいらずなりにけり、とあり、こゝにつらくしとあるは、横面櫛にて、乃横に大なる黃楊の櫛を刺て居たるにはあらぬか、〈○下略〉
p.0405 故伊邪那美神者、因レ生二火神一、遂神避坐也、〈○中略〉故爾伊邪那岐命詔之、愛我那邇妹命乎、〈那邇二字以レ音、下效レ此、〉謂下易二子之一木一乎上、〈○中略〉於レ是欲レ相二見其妹伊邪那美命一追二往黃泉國一、爾自二殿騰戸一出向之時、伊邪那岐命語詔之、愛我那邇妹命、吾與レ汝所レ作之國未二作竟一、故可レ還、爾伊邪那美命答曰、悔哉不二速來一、吾者爲二黃泉戸喫一、然愛我那勢命〈那勢二字以レ音、下效レ此、〉入來坐之事恐、故欲レ還旦具與二黃泉神一相論、莫レ視レ我、如レ此白而、還入二其殿内一之間、甚久難レ待、故刺二左之御美豆良一〈三字以レ音、下效レ之、〉湯津津間櫛之男柱一箇取闕而、燭二一火一入見之時、宇士多加禮斗呂呂岐氐、〈○下略〉
p.0405 一書曰、〈○中略〉伊弉册尊曰、吾夫君尊、何來之晩也、吾已冷二泉之竃一矣、雖レ然吾當二寢息一、請勿レ視之、伊弉諾尊不レ聽、陰取二湯津爪櫛一牽二折其雄柱一、以爲二秉炬一而見之者、則膿沸虫流、今世人、夜忌二一片之火一、又夜忌レ擲レ櫛、此其緣也、
p.0405 一云、〈○中略〉是後豐玉姫、果如二其言一來至、謂二火火出見尊一曰、妾今夜當レ産、請勿レ臨之、火火出見尊不レ聽、猶以レ櫛燃レ火視之、時豐玉姫化爲二八尋大熊鰐一、匍匐逶蛇、〈○下略〉
p.0405 近き御代に五節の比、ゆかりにふれて、たれとかやの御局へ、或女のやんごとなき、忍びて參りたりける事ありけるを、ちときこしめして、いかで御覽ぜんと思しけるまゝに、俄にをしいらせ玉ひけり、とりあへず、ともし火を人のけちたりければ、御ふところよりくしをいくらも取いでゝ、火びつの火にうちいれ給ひたりければ、おくまで見えて、よく〳〵御らんじけり、御心のふぜい興ありていとやさしかりけり、
p.0405 建長二年六月廿四日戊午、今日居二住佐介一之者、俄企二自害一、聞者競集、圍二繞此家一觀二其死骸一、 有二此人之聟一、日來令二同宅一處、其聟白地下二向田舍一訖、窺二其隙一有下通二艶言於息女一事上、息女殊周章、敢不レ能二許容一、而令レ投レ櫛之時、取者骨肉皆變二他人一之由稱之、彼父潜到二于女子居所一、自二屛風之上一投二入櫛一、彼息女不意而取レ之、仍父巳准二他人一欲レ遂レ志、于レ時不レ圖而聟自二田舍一歸著、入二來其砌一之間忽以下、不レ堪レ悲及二自害一云云、〈○下略〉
p.0406 かたみのくし 能宣朝臣
君にやるかたみのくしはわかれぢの神にまかせていのれとぞ思ふ
p.0406 明後日くだり給ふとて、左の大い殿にたいめんしたてまつらでは、いかでかはとて參りたまふ、〈○中略〉たれも〳〵御供にくだる人々に、北のかた、いとよくしたる扇二十、螺すりたる櫛、まき繪の箱に白粉入て、こゝの人のかたらひけるして、かたみに見たまへとてとらす、
p.0406 いよのすけ、神無月のついたちごろにくだる、女房のくだらんにとて、たむけ心ことにせさせ玉ふ、またうち〳〵にもわざとしたまひて、こまやかにおかしきさまなる、くし、あふぎ、おほくして、ぬさなどわざとがましくて、かのこうちきもつかはす、
逢までのかたみばかりとみしほどにひたすら袖のくちにけるかな
p.0406 わかれのくし(○○○○○○) 齋宮群行に、天子親く齋宮に櫛をさゝせだまふ、永く都のかたへ歸りたまふなと仰らるゝよし、是を別れの櫛といふといへり、〈○中略〉又傳へいふ、伊勢齋王の御櫛を、和泉國日根郡の澤村の櫛代の祠より調進すといふ、
p.0406 夜擲レ櫛を忌む事は、神代紀に見えたり、又世櫛を婦女に贈る事を忌むは、蓋齋宮群行辭二見天子一、天子手自櫛を執らし給ひ、これを其ひたひに加ふ、謂二之別御櫛一也、
p.0406 齋宮三度禊 群行〈大略同下入二野宮一儀上〉
天皇行二八省一、主水供二御手水一、次御二大極殿一、〈○中略〉齋王參入、〈○中略〉天皇以二小櫛一加二王額一、〈藏人仰二作物所一令レ作下入二小櫛一筥上、内侍取傳〉 〈奉レ加レ櫛之間、天皇示下不レ向レ京由上云々、〉
p.0407 齋王群行
宸儀渡二御大極殿一、〈○註略〉藏人持二候御笏式幷齋王額櫛筥等一、〈此櫛先仰二作物所一、以二黃楊木一令レ作、長二寸許、入二金銀蒔繪筥一、〉〈方四寸〉〈松折枝幷鶴等蒔之、○中略〉 内侍奉レ仰進二齋王許一、申下可二近參給一由上、親王近候二御前一、〈○註略〉 天皇、以レ櫛刺二加其額一勅、京〈乃〉方〈仁〉趣〈支〉給〈不奈、〉 次、内侍以二櫛筥一給二親王乳毋一、〈件櫛、今夜刺レ之、至勢多頓宮一納レ筥云々、〉
p.0407 齋宮は十四にぞ成給ける、いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたて奉りたまへるぞ、いとゆゝしきまで見え給を、みかど御心うごきて、別の御くしたてまつり給ふ、いとあはれにてしほたれさせ給ひぬ、
p.0407 齋宮〈○三絛皇女當子〉のくだらせ給ふ、わかれの御くしさゝせ給ひては、かたみに見かへらせ給はぬ事を思ひがけぬに、此院〈○三條〉はむかせ給へりし、あやしとは見奉りし物をとぞ、入道殿〈○藤原道長〉おほせられける、
p.0407 齋宮には、當代〈○後三條〉の女二宮〈○俊子〉ゐさせ給へりつる、九月〈○延久四年〉にくだらせ給ふ、あはれなることどもおほかり、大極殿にて、わかれの御くし(○○○○○○○)などのほど、いとあはれなり、御ぐしあげさせ給ひて、いとかう〴〵しくゑたてゝおはします、
p.0407 くし 前左京大夫
あふことをとふやゆふげのうらまさにつげのをぐしのしるしみせなん
p.0407 櫛 信實
あふことをとふや夕げの占まさにつげのをぐしもしるし見せなん
此歌は古記云、兒女子云、持二黃楊櫛一女三人、向二三辻一問レ之、又午歲女午日問レ之、今案三度誦二此歌一、作レ堺散レ米、鳴二櫛齒一三度、後堺〈ノ〉内〈ニ〉來〈ル〉人、答爲二内人一言語〈ヲ〉聞推二吉凶云々、くしの占といふこと、 かくのごとし、
p.0408 占戀といふことを 修理大夫顯季
よゐ〳〵につげのをぐしのうらをしてつれなき人をなをたのむかな
○按ズルニ、夕占ノ事ハ、神祇部雜占篇ニ在リ、參看スベシ、
p.0408 山城 櫛硯細工 和泉 コギ櫛 攝津 築嶋櫛(ツキジマグシ) 伊勢 山田櫛(ヤウダグシ) 長門櫛〈大閤薩摩入之時、天下一ニ號、〉 紀伊 ユスノ木〈櫛ニ月〉 薩摩 黃楊木(ツゲノキ)〈櫛ニ用之〉
p.0408 諸國名物盡
伊勢 櫛 長門 長府櫛 薩摩 藤櫛
p.0408 女ともだちのもとにつくし(○○○)よりさしぐしを心ざすとて、
大江玉淵朝臣女
なにはがたなにゝもあらずみをつくしふかき心のしるしばかりぞ
p.0408 四十二番 右 櫛挽
出やらでいとゞ心を筑紫櫛(○○○)はわけの月に山風もがな
p.0408 雜作手卅三人 造二御櫛一手二人
p.0408 四十二番 右 櫛挽
いかにせん逢ことかたきゆすの木の我にひかれぬ人の心を
p.0408 櫛箆 處々造レ之、其内京極二條北、舟木屋之所レ作爲レ良、舟木長門國、而所レ造レ櫛之黃楊木、幷伊須木之所レ産也、近世或又以二玳瑁象牙一造レ之、
p.0408 櫛挽〈○中略〉 京櫛挽、寺町通押小路の下、舟木長門、其外所々にあり、伊須の木長門より出、此木を舟木と號す、
p.0409 櫛挽
先これはかりひきてのこきりのめをきらむ
p.0410 瑇瑁
按瑇瑁甲飾二文匣香盒一、爲二櫛筓〓子等一、黑紫色映レ日見レ之、有二白赤黃橒文一、艶美可レ愛、然脆易二折損一難二繼補一也、近頃工人、繼二櫛齒折者一、聊不レ見二其痕一、但炙温接レ之耳、
p.0410 瑇瑁を斑なしに作る起立
寺島良安翁、此書〈○和漢三才圖會〉を作りし頃、今の如くべつかふの透所のみ斷截接合事あらば、右の文の下へ其事をいふべきにいはざるは、折たるをつぐ事のみにて、今の職術はしらざりしとみへたり、然ればきりよせてつぐ事は、何れの比及にやあらん、其源を尋ぬべしと、正德〈今より百三十年ばかりまへ〉以來の書どもを、俗にいふぢごくさがしに尋ねけるに、ありげにおもひしにはなくて、おもひの外なる俗書にて一證をえたり、〈○中略〉舊友玳瑁樓照義老人のもとに至りて、〈○中略〉接合事の起立おぼへありやと尋しに、翁謂やう、我家は、今に三代玳瑁の職を業とす、父は元文元年の生れにて、享和十年酉のとし、七十七にて身まかりぬ、父がはなしにきゝしは、享保の中比、長崎より江戸に來りし回國の六部、べつかふ職の者にゆかりありて、杖をとゞめしうち、病に臥し、日を經て全快したる禮謝にとて、べつかふをつぐ事ををしへしより、はじめて櫛筓のをれたるをつぐ事をしり、のちには弟子にもつたへ、世にひろまりしが、いまだ今の如く切拔つぐ事はしらざりしに、元文年中にいたり、職人の中に、よせてつぐものいできて、追々ひろまりしが、いまだ今のやうに、鋏拐(カナバシカセ)をはめて繼事はしらざりしゆゑ、けふは誰が所にてつぐ日なりとて、そこにあつまり、かはるがはる鋏を握りて繼ぎ、たがひに助けあひけるに、仲間の内に一人、他の力を借ず、人よりは多く、細工をなす者ありし故、其術を尋ねしに、秘して敎へず、然るにこの職人、賭に身をはたし、細工道具を箱に納、錠封して質入れし、京へ上りし後、絶て音信なきゆゑ、職人どもいひあはせ、かの質物をうけ出し、箱をひらきて、はじめて道具の便利なるをしりけると、父が聞つたへしとてかたれり、
p.0411 諸職名匠
櫛所 寺町三條上ル町 梅本薩摩 右同町 櫻木河内 寺町御池上ル町 舟木長門 寺町四條上ル町 井上和泉 五條はし通 藤澤屋三十郎
p.0411 諸職名匠
櫛師 梅本薩摩〈寺町三條上〉 梅木河内〈上同丁〉 船木長門〈寺町御池上〉 井上和〈泉寺町四條上〉 藤澤屋三十郎
p.0411 御櫛師 〈南大工町二丁目〉 神村和泉
p.0411 諸職名匠諸商人
櫛師 日本橋南二丁目 井上數馬 京橋南二丁目 石井近江守 同所 對馬守 新橋竹川町 松井玄蕃 日本橋北三丁目 和泉屋近江
p.0411 江府名匠諸職商人
櫛問屋 木や九兵衞〈日本橋南二丁メ〉 木や庄兵衞〈同所〉 駒屋長右衞門〈通しほ町〉 堺や喜太郎〈日本橋南一丁メ〉
p.0411 問屋大概
櫛問屋 日本橋南貳丁目 木屋九兵衞 同所 木屋庄兵衞 通しほ町 駒屋長右衞門 日本橋南一丁目 堺屋喜太郎
p.0411 二十三屋
東都唐櫛屋の名を二十三屋といへるは、十九四(トウクシ)といへるなりとぞ、
p.0411 嚴器 魏武疏云、漆畫嚴器、俗用二唐櫛匣三字一、〈賀良玖師介〉
p.0411 櫛匣〈櫛匣、久之介、〉
p.0412 十年九月〈○中略〉倭迹迹姫命語レ夫曰、君常晝不レ見者、分明不レ得レ見二其尊顏一、願暫留之、明旦仰欲レ觀二美麗之威儀一、大神對曰、言理灼然、吾明旦入二汝櫛笥(○○)一而居、願無レ驚二吾形一、爰倭迹迹姫命、心裏密異之、待レ明以見二櫛笥一遂有二美麗小虵一、其長大如二衣紐一、〈○下略〉
p.0412 石川少郎歌一首
然之海人者(シカノアマハ)、軍布苅鹽燒(メカリシホヤキ)、無暇(イトマナミ)、髮梳乃小櫛(クシゲノヲグシ/○○ )、取毛不見久爾(トリモミナクニ)、
p.0412 差櫛筥銀廿兩
櫛筥(○○)一雙〈甲乙〉
方一尺
深三寸之中、蓋鬘九分、懸子深七分、有二縫立一、
懸子〈甲乙同前也〉
鉸二
鑷二
櫛
四
十
枚 乙身
甲筥身
納筥
廿二合、
十六合
打堺、六
合透堀
物、深各
八分之
中蓋鬘
二分
甲、乙筥納筥共、吉薄經可レ作也、
櫛筥料木、〈三寸半板、一丈一尺七寸、弘一尺一寸、〉木道、〈單功八十疋、飡乃米、〉口白錫三斤二兩、〈單功卌疋各廿疋〉螺鈿料千三百十六疋、堀料百疋、堺入料百疋、入レ玉料百疋、蒔料金卅兩二分、〈各十五兩一分〉漆一升四合、磨料六百疋、裏塗六疋、
p.0413 天皇元服御裝束
東向厨子中有二三層一、〈○中略〉中層置二同螺鈿唐匣(○○)一、〈(中略)次懸子置二櫛二枚一〉
p.0413 東宮御元服
春宮坊司〈○中略〉左右立二平文置物机一、〈在二南北倚子中間一、卽當二主上御倚子一、〉机上分二置櫛箱(○○)泔坏等一、〈紫檀地螺鈿歟〉泔坏置二左机一、〈北寄有レ臺〉唐匣(○○)〈櫛匣也(○○○)〉置二右机一、〈無臺〉
十七/繪合
p.0414 前齋宮の御參りのこと、中宮の御心にいれてもよほし聞え給、〈○中略〉院はいと口おしくおぼしめせど、人わろければ、御せうそこなどたえにたるを、その日に成て、えならぬ御よそひども御くしのはこ(○○○○○○)、うちみだりの箱、かうごの箱ども、よのつねならず、くさ〴〵の御たき物ども、くぬえかう、またなきさまに、百ぶのほかをおほくすぎにほふまで、心ことにとゝのへさせたまへり、おとゞみ給ひもせんにと、かねてよりやおぼしまうけけん、いとわざとがましかめり、殿もわたりたまへるほどにて、かくなんと女別當御らんぜさす、たゞ御くしのはこのかたつかたを見給に、つきせずこまかになまめきて、めづらしきさまなり、さしぐしのはこのこゝろばに、わかれぢにそへしをぐしをかごとにてはるけき中と神やいさめし、おとゞわれを御らんじつけて、覺しめぐらすに、いとかたじけなくいとおしくて、わが御こゝうならひのあやにくなる身をつみて、かのくだり給しほど、御心におもほしけんこと、かう年へてかへり給て、其御心ざしをもとげ給べき程に、かゝるたがひめのあるをいかにおぼすらん、御位をさり、物しづかにて世をうらめしとやおぼすらん、
p.0414 さしぐしのはこにかきて
さま〴〵に神をぞいのるさしぐしのさしはなるゝが心ぼそさに
p.0414 くしの箱やうのもの、くるまにとりいれなどしてたつ、
p.0414 櫛一具、〈黃楊〉櫛案一脚〈○中略〉
右齋内親王神忌御服料
p.0414 加茂初齋院幷野宮裝束
櫛机(○○)一具、〈長一尺五寸、廣一尺三寸、足高九寸、〉料波多板一枚、檜榑半材、阿膠十兩、炭二斗一升、切釘廿隻、漆一升二合、掃墨三合、燒土三合、綿六兩、絹一尺、手作布一尺、單功九人、〈木工六人、漆三人、〉
p.0415 小野宮差圖
庇立二二階一脚一〈南北行東向○中略〉
下層南、唾壼、手筥、北打亂筥、櫛巾、四方疊置二筥上一、
p.0415 天皇元服御裝束
東向厨子中有二三層一、〈○中略〉中層置二同螺鈿唐匣一、〈(中略)次身入二綾櫛(○○)巾一絛、〉〈裏白面黑〉〈小刀、幷檀紙、幷紙㩢等一、〉
p.0415 梳帚 俗云久之波良比
三オ圖會云、梳帚以レ骨爲レ體、以二毛物一粧二其首一、以去二齒垢一、刮以去二古垢一、而帚則去、〈按所レ謂骨者、鹿角象牙之類、〉
p.0415 糸金の櫛はらひ、白猪の櫛はらひあり、長き筋を集めて中程を金物にて括りたり、其形水引を束ねたるやうなり、
p.0415 一被レ加二以前御調度外一御物事
掃筥、〈有二縫立一〉納二掃〈○掃恐衍〉櫛掃一、
p.0415 懸子納〈甲乙同前○中略〉櫛掃二、〈銀一兩、各二分、單功六疋、各三疋、〉白猪二、納如レ上、
p.0415
櫛掃〈銀糸金〉
銀三両
單功六疋
櫛掃〈白猪毛〉銀
p.0416 手筥一合〈○中略〉
櫛掃結所〈五朱、二疋二升、〉
p.0416 一昔は女の帽子と云ものをかぶりて歩行たり、〈○中略〉扨其ぽうしをとむる針を銀にて物好に拵ひ、贔負のかぶき役者の紋所などをうたせてさしたり、其後又櫛おさへ(○○○○)と云もの流行出たり、是は櫛の前へ倒れぬ樣の爲なりとて、櫛の前へたてにさしこみたり、
櫛おさへも銀にて、紋所或はさま〴〵の物好をうたせたり、
p.0416 櫛押への出來しもその頃、〈○寶曆〉なり、帽子針の頭を曲たるやうに作る、頭の丸き處に紋などほるなり、銀にて作る、明和二年前句附、廣いことかな〳〵、當世は軒端にあまる櫛が出來、
p.0416 於レ是八百萬神共議而、於二速須佐之男命一、負二千位置月一、亦切レ鬚及手足爪令レ拔而、神夜良比夜良比岐、〈○中略〉故所二避追一而、降二出雲國之肥上河上在鳥髮地一、〈○中略〉以下爲人有中其河上上而、尋覓上往者、老夫與二老女一二人在而、童女置レ中而泣、〈○中略〉故其老夫答言、僕者國神、大山上津見神之子焉、僕名謂二足上名椎一、妻名謂二手上名椎一、女名謂二櫛名田比賣一、亦問二汝哭由者何一、答白言、我之女者自レ本在二八稚女一、是高志之八俣遠呂智、〈此三字以レ音〉毎年來喫、〈○中略〉爾速須佐之男命詔二其老夬一、是汝之女者奉二於吾一哉、〈○中略〉爾足名椎手名椎神白然坐者恐立奉、爾速須佐之男命、乃於二湯津爪櫛一取二成其童女一而、刺二御美豆良一、〈○下略、又見二日本書紀一、〉
p.0416 源賴義朝臣討二安陪貞任等一語第十三
貞任ガ伯父安陪爲元、貞任ガ弟家任、降シテ出來ル、亦數日ヲ經テ、宗任等九人降シテ出來ル、其後國解ヲ奉テ頸ヲ斬レル者、幷ニ降ニ歸セル者、申シ上グ、次ノ年貞任、經淸、重任ガ頸三ツ奉ル、京ニ入ル日、京中ノ上中下ノ人此レヲ見、喤ル事无二限リ一、首ヲ持上ル間、使、近江國甲賀郡ニシテ、筥ヲ開テ首ヲ出シテ、其ノ髻ヲ令レ洗ム、筥ヲ持ル夫ハ貞任ガ從降人也、櫛无キ由ヲ云フ、使ノ云ク、汝等ガ 私ノ櫛ヲ以テ可レ梳ルト、夫然レバ私ノ櫛ヲ以テ泣々梳ル、
p.0417 重衡酒宴附千壽伊王事
狩野介、湯殿尋常ニコシラヘテ、御湯ヒキ給ヘト申ス、中將〈○平重衡〉嬉キ事カナ、道ノ程疲テ見苦カリツルニ、身淨メン事ノ嬉シサヨ、但今日ハ身ヲ淸メ、明日ハキラレズルニヤト心細クゾ思ハレケル、〈○中略〉晩程ニ、十四五計ナル美女ノ、地白ノ帷ニ染付ノ裳著タリケルガ、金物打タル楾ニ、新キ櫛取具シテ、髮ニ水懸、洗梳ナンドシテ上奉、
p.0417 心玉が出て身の燒印
川原町四條の角屋に湯屋あり、菊屋の小八、二階座敷に東山の風まてども、汗の止む事なし、〈○中略〉浴衣たゝむ間見合せけるに、三十四五にて小作なる男、損ねぬ鬢を撫でける、其櫛見知のあるニツ紋なり、〈○中略〉友とする人に、灸の蓋をして遣りながら語るを聞けば、我太夫に逢初めて、まだ間も無きに、某が定紋つける事、祇園八幡油斷はせぬが、あらふ事かと人に聞けがしに咄す、廣い都に居ながら、さても疎し、あれを知らぬげな、戀の目印とて、其時逢ふほどの客の紋所を書かせて、櫛何枚か拵へ置き、其日のお敵に合せて插すは嬉しき事にもあらずと、紋ある櫛を二三枚取出だし、小者などに取らして笑へば、彼男短かく二ツに折りて、大釜の下に燻ける、
p.0417 高尾稻荷の社
永代橋西詰に高尾稻荷の赴あり、此祠に詣て頭痛平愈の願がけをするに、平愈する事速なり、願がけをなす時に、小き櫛を一枚祠の内より借受、朝夕高尾大明神と祈り髮をなで付るなり、病氣平愈の後、外に新に櫛を一枚添へ社へ奉納するなり、頭痛に限らず、すべて髮の毛の薄き人、頭痛のたぐひ、あたまの煩ある人、願がけして其驗うたがひなし、