p.0171 甀〈馳僞反、小口甖、彌加、〉 甕〈烏共反、去、瓮、彌加、〉 瓮〈烏江反、三加、〉 〈美加〉
p.0171 瓺 本朝式云、瓺〈美加、今案音長、一音伏、見二唐韻一、〉辨色立成云、大甕、〈和名同上〉
p.0171 那波本 作レ瓺、廣韻瓺瓶也、那波氏蓋依レ之校改、按注引二唐韻一、則校改似レ是、然延喜式皆作レ 、則改作レ瓺、終非レ是、蓋源君引レ式擧二 字一、唐韻無レ 有レ瓺、謂 瓺同字、故以二唐韻瓺字音一、音二式 字一也、然式 字、似二皇國所レ制字一、恐非二卽唐韻瓺字一、類聚名義抄作レ瓺、亦蓋依二他書一改者、其誤與二那波氏一同、
p.0171 瓺ミカ 瓼サラケ 倭名鈔に本朝式を引て、瓺はミカ、瓼はサラケ、〈○中略〉ミカとはミは深也、〈深山讀てミヤマといふ事の如し〉古語にカと云ひしは、ヤクといふ語を合呼びし也、ヤクは燒也、卽今俗に瓷器を呼びて燒物といふが如く、瓦器にして深きをいふ也、
p.0171 みか 日本紀に甕をよみ、新撰字鏡に瓮をも甀をもよめり、みは大の義、かはかめの略成べし、釋にも上古物の大なるをみかといふ、甕星甕栗など是也と見えたり、一説に甕星も甕栗も嚴星嚴栗の義にして、みかいか相通ふともいへり、延喜式に 字をよめり、瓺の誤字なるべし、倭名抄に見えたり、瓶也、みかのはらたゝへなどいへるは、甕をはらともよめる故也、みかのべも瓮をべともいふをもて也、されど祝詞式に、甕上高知甕腹滿並と書せるぞ本義なりけん、 古へ酒を釀たる ながら神に奉るをもてかく云へり、
p.0172 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器、八丁池由加 各一口、〈受二五石○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器、三丁池由加 各一口、〈各受二五石一〉
p.0172 故玆神之女名伊豆志袁登賣神坐也、故八十神雖レ欲レ得二是伊豆志袁登賣一、皆不レ得レ婚、〈○中略〉爾其兄曰、若汝有レ得二此孃子一者、避二上下衣服一量二身高一而釀二甕酒一、亦山河之物悉備設爲二宇禮豆玖一云爾、
p.0172 甕は酒を釀加米(カムカメ)にて、〈○中略〉古書皆此字は美加(ミカ)に用ひたり、かくて此は人身(ノ)の長ばかりの深さに酒を釀(カム)なれば、高く大なる甕なり、諸祝(ノ)詞に甕上高知(ミカノヘタカシリ)とあるも、高き形を以て云り、
p.0172 含藝里〈本名瓶落、土中上、〉所三以號二瓶落(ミカオチ)一者、難波高津御宮御世、〈○仁德〉私部局取等遠祖他田熊千瓶酒著二於馬尻一、求二行家地一、其瓶落二於此村一、故曰二瓶落一、
p.0172 法太里〈甕坂、花波山、○中略〉一家云、昔丹波與二播磨一堺レ國之時、大甕堀二埋於此土一、以爲二國境一、故曰二甕坂一、
p.0172 越前國使等解 申勘定物事
合買雜物廿一物
價稻四百五十四束〈○中略〉
四口〈二口受三石 二口受二石五斗〉 直一百卌束〈二口各卌束、二口各卅束、○中略〉
天平勝寶七歲五月三日 田使曾禰連弟麻呂〈○以下二人略〉
p.0172 有二一門人一、歸レ自二奧州津輕一、語曰、津輕海邊、有三地名二㼜陵一、〈加米能於加〉其陵自レ古多二㼜甕一、其徑或六七寸、或八九寸、且其陵土多爲レ石、㼜甕附著焉、土人鑿得レ之者、往往有焉、予〈○冢田虎〉因按レ之、國史云、天孫夢有二 天神一、訓之曰、宜下取二天香山中土一、造二平瓫八十枚一幷造二嚴瓮一而敬中祭天神地祇上、亦爲二嚴呪咀一、如レ此則虜自平伏云云、此神武東征之時也、國初有二如レ是事一、然則津輕之㼜、其此類之遺也與、
p.0173 瓼 本朝式云、瓼〈佐良介、今案所レ出未レ詳、〉辨色立成〈○辨色立成恐日本紀私記誤〉云、淺甕、〈和名同上〉
p.0173 瓺ミカ 瓼サラケ 倭名鈔に本朝式を引て、瓺はミカ、瓼はサラケ、今按ずるに、瓼字所レ出未レ詳、辨色立成には大甕をミカと云ひ、淺甕をサラケといふと注せり、〈○中略〉サラケとはサラは淺也、〈淺をアサといふ、アは發語の詞也、古語にサと云ひしは細也、小也、狹也、淺也、サラといひしラは、卽これ詞助なる也、〉ケはカといふ語の轉ぜし也、瓦器にして淺きをいひし也、瓼の字の如きは所レ出未レ詳、我國之俗、創造れる所なるも知るべからず、
p.0173 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器、〈○中略〉二丁瓼一口、〈受二一石二斗一○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器、〈○中略〉一丁瓼二口、〈受二一石五斗一〉
p.0173 供奉年料〈中宮准レ此○中略〉
瓼三口
p.0173 年料〈○中略〉
瓼十一口〈汲二運水一料〉
p.0173 白髮天皇〈○淸寧〉二年十一月、播磨國司山部連先祖伊與來目部小楯、於二赤石郡一親辨二新嘗供物一、〈一云巡二行郡縣一收二歛田租一也〉適會二縮見、屯倉首縱賞新室一以レ夜繼レ晝、〈○中略〉億計王〈○仁賢〉起儛旣了、天皇次起、自整二衣帶一爲二室壽一曰、〈○中略〉出雲者新墾、新墾之十握稻之穗、於二淺甕(サラケ)一釀酒美飮喫哉、〈○下略〉
p.0173 瓼壹佰口〈一口徑一尺八寸 深三尺四寸 一口徑一尺九寸 深五尺七寸 一口徑一尺八寸 深三尺三寸○下略〉
p.0173 㼤〈口結反、入、瓦器也、古毛太比、又取戸、〉 甇〈於耕反、平、罃、母太比、〉 罇 三字毛太比
p.0173 甕 揚雄方言云、自レ關而東甖謂二之甕一、〈烏貢反、字亦作レ瓮、甖音烏莖反、字亦作レ罌、和名毛太非、〉
p.0174 原書卷五、作下自レ關而東趙魏之郊謂二之瓮一、或謂中之甖上、説文甖、甀也、瓮、罌也、玉篇瓮甕同上、按甕後世形聲字、與下説文訓二汲瓶一甕字下自別、
p.0174 罌也、〈罌者 也、 者小口罌也、然則瓮者罌之大口者也、方言曰、甀瓮 甊甖也、自レ關而西、晉之舊都、河汾之間、其大者謂二之甀一、其中者謂二之 一、甊自レ關而東、趙魏之郊、謂二之瓮一、或謂二之甖一、甖卽罌字、〉从レ瓦公聲、〈烏貢切、九部、〉
p.0174 瓮甕〈並正〉
p.0174 古閉(へ)に用たる字、瓮(ヲウ)か瓮(ボン)か定まらず、必一なるべきを、形も義も似たる故に、後にまがひて、何れをも書るなるべし、故今辨へおくなり、瓮は烏貢反、説文に罌也と云て、甕と同じことなり、瓫は歩奔反、盆と同じ、〈○中略〉大抵瓮は大きにして、腹大きなる物、瓮は小き物と見えたり、されど漢國にても、古く用ひたるさま、二字まぎらはしく聞ゆ、今思に閉(へ)には瓫ノ字よりは、瓮の方今少しよく當れゝば、古書に用たる皆此字なるべし、
p.0174 甕モタヒ 倭名鈔に楊氏方言を引て、甕甖等の字、共に讀みてモタヒといひ、甕又作レ瓮、甖亦作レ罌と注せり、舊事紀、日本紀の如きは、甕讀みてミカといひけり、建甕槌(タケミカヅチ)神、天津甕星(ミカホシ)等の甕の字を讀む事の如き是也、さらば上古之時、總てはこれをミカといひしを、後世の俗、其制之大小によりて名づけ呼ぶ所も相わかれたりける也、モタヒといふ義の如きは不レ詳、〈(中略)モタヒといふは、モタは持つ也、ヒとは卽器也、その擁持しつべさをいひしに似たり、〉
p.0174 戊午歲九月戊辰、天皇陟二彼菟田高倉山之巓一、瞻二望域中一、〈○中略〉賊虜一、所レ據皆是要害之地、故道路絶塞、無レ處レ可レ通、天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有二天神一訓之曰、宜取二天香山社中土一、〈香山、此云二介遇夜縻一、〉以造二〈○中略〉嚴瓮一、〈嚴瓮、此云二怡途背一、〉而敬二祭天神地祇一、亦爲二嚴呪詛一、〈嚴呪詛、此云二怡途能伽辭離一、〉如レ此則虜自平伏、〈○中略〉天皇旣以二夢辭一爲二吉兆一、及レ聞二弟猾之言一益喜二於懷一、乃使下椎根津彦著二弊衣服及蓑笠一爲中老人貌上、又使下弟猾被レ箕爲中老嫗貌上、〈○中略〉二人得レ至二其山一、取レ土來歸、於レ是天皇甚悦、乃以二此埴一造二作〈○中略〉嚴瓮一、而陟二于丹生川上一用祭二天神 地祇一、
p.0175 幷造二嚴瓮一〈原作レ瓮、據二崇神天皇紀一改レ之、下同、〉
p.0175 嚴瓮(イツへ) 兼方案之、嚴重之義、瓮者土瓶也、今世神今食新嘗祭等供神物陶器土器此因緣也、凡嚴瓮者祭神之土器之總名也、
p.0175 十年九月壬子、〈○中略〉武値安彦與二妻吾田媛一謀二反逆一、興レ師忽至、〈○中略〉時天皇〈○中略〉復遣三大彦與二和珥臣遠祖彦國葺一、向二山背一擊二埴安彦一、爰以二忌瓮一鎭二坐於和珥武鐰坂上一、則率二精兵一進登二那羅山一而軍之、
p.0175 二字豆保
p.0175 壺 周禮注云、壺〈音胡、和、名都保〉所二以盛一レ飮也、兼名苑云、一名 、〈唐韻音與レ謹同、以レ瓢爲二酒器一也、〉
p.0175 所レ引司馬之屬挈壺氏注文、聘禮注、壺酒尊也、説文、壺、昆吾圜器也、象形从レ大象二其蓋一也、〈○中略〉按儀禮士昏禮注云、合 破匏也、禮記昏義注云、 破レ瓢爲レ杯也、正義云、 謂二半瓢一、以二一瓢一分爲二兩瓢一、謂二之 一、〈○中略〉按唐韻所レ云酒器、猶レ言二飮レ酒器一、所レ謂破レ瓢爲レ杯者、不下與二周禮挈壺氏所レ載及掌客注云壺酒器也一同上、然則 字可レ訓二佐加豆岐一、源君以二兼名苑瓢壺一爲二壺尊之壺一、以二唐韻酒器一爲二盛レ酒器一、並誤、
p.0175 昆吾圜器也、〈缶部曰、古者昆吾作レ匋、壺者昆吾始爲二之䀻一、禮注曰、壺酒尊也、公羊傳注曰、壺禮器腹方口圓曰レ壺、反レ之曰二方壺一有二爵飾一、又喪大記、狄人出二壺大小一戴記投壺皆壺之屬也、〉象形〈謂 〉从レ大象二其蓋一也、〈奄下曰レ蓋也、大有餘也、戸姑切、五部、〉凡壺之屬皆从レ壺、
p.0175 壷〈並上俗下正〉
p.0175 坩 楊氏漢語抄云、坩〈古甘反、和名都保、今按木謂二之壺一、瓦謂二之坩一、〉壺也、或曰二甒甖一〈武鸎二音〉垂拱留司格云、瓷坩二十口、一斗以下五升以上、故知坩者壺也、
p.0175 按坩字從レ土、玉篇亦云、坩土器也、其用レ土造明矣、則云三瓦謂二之坩一可也、三禮注 疏、及聶氏三禮圖、乾道六經圖等書皆不レ言三壺定用二何材一、木謂二之壺一、未レ知二何據一、〈○中略〉按廣韻、坩、坩甒、又云、甒甖甒、故坩或曰二甒甖一也、禮器注、壺大一石、瓦甒五斗、玉篇、甒盛二五升一小甖也、按説文無二甒宇一、潅南氾論訓抱レ甀而沒、高誘注、甀、武也、今兗州謂二小武一爲レ甀、士喪禮下レ甒二、鄭注、甒、瓦器、古文甒皆作レ廡、則知古借用二武廡字一、〈○中略〉以上蓋皆漢語抄文、引レ格證二坩之爲一レ壺也、按垂拱留司格六卷、斐居道等奉レ勅撰、見二唐書一、今無二傳本一、
p.0176 壺ツボ 倭名鈔漆器の類に、周禮注を引て、壺はツボ所二以盛一レ飮也と注し、又瓦器の類に、楊氏漢語抄を引て、坩はツボ壺也、今按ずるに、木謂二之壺一、瓦謂二之坩一と注せり、壺といひ坩といふ、古制は知るべからず、ツボとは其形の圓なるをいひしと見えたり、古の俗、凡物の形圓なるを呼びて、ツブといひツボといふ、圓讀みてツブラといひ、粒讀みてツブといひ、水沫をミツボといひ、草木の蓓蕾をツボミといふが如き、皆是也、壺の如きも古にはツブといひけり、日本紀に、壺此にツブといふと注せられし卽是也、
p.0176 銀器
酒壺一合、〈受二一斗五升一〉料銀大七斤八兩、炭二石、和炭七斛五斗、油八合六勺、長功卅四人、〈火工十二人、轆轤六人、磨四人、夫十二人、〉中功卅九人、〈工廿六人、夫十三人、〉短功卌三人、〈工廿九人、夫十四人、〉
伊勢初齋院裝束
大壺一合、料漆四合、絹一尺、綿六兩、細布一尺五寸、掃墨三合、燒土五合、單功四人、
賀茂初齋院幷野宮裝束
白銅酒壺一合、〈受二一斗一〉料白銅大廿斤、油五合、鐵三廷、炭卅斛、和炭一斛、信濃布一丈五尺、麻繩一了、伊豫砥一顆、長功五十人、中功五十五人、短功六十人、
p.0176 凡太宰府年料造進、〈○中略〉黑漆提壺十四口、 右以二正税一充レ料造進
p.0177 凡諸國輸調、〈○中略〉一丁〈○中略〉酒壺六合、〈○中略〉大壺、大高盤各十二口、〈○中略〉小壺小 廿四日、〈○中略〉有レ柄中 、中壺各十六口、
p.0177 年料〈○中略〉
壺八口〈納二醬漬幷滓漬物一料〉
p.0177 蜂田壺 出二東村一
余按、上古陶邑造二瓦器一、今蜂田造レ壺者、此其遺風也、今謂二半田壺一者、語之轉也、
p.0177 甖〈カメ、罃正、音櫻、又益盁反、ツホ、〉
p.0177 〈大膳式云ツハ〉
p.0177 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器、〈○中略〉一丁〈○中略〉大山 二口、〈受二一斗五升一○中略〉大 三口、〈受二一斗一○中略〉中 四口、〈受二八升一○中略〉小 八口、〈受二三升一○中略〉
凡諸國輪調、〈○中略〉陶器、〈○中略〉一丁〈○中略〉小壺、小 廿四口、〈○中略〉
和泉國〈行程上、二日、下一日、〉調、〈○中略〉大山 八口、〈○中略〉大 十二口、〈○中略〉中 九十口、〈○中略〉小 九十八口、山 二口、
p.0177 鎭魂〈皇后宮東宮亦同〉 大直神一座〈○中略〉
酒四座別 一口〈各受二一斗一〉
p.0177 踐祚大嘗祭儀
太政官符諸國〈毎レ國有レ符〉
應レ造二新器一〈○中略〉
尾張國〈○中略〉 大 十二口〈○中略〉 參河國〈○中略〉 都婆波(○○○)卅二口〈○中略〉 備前國〈○中略〉 都婆波 六十口〈○中略〉 已上人給料
p.0178 〈候孤反、 也、加女、〉
p.0178 瓶〈薄徑反、水加女、〉
p.0178 瓶子 楊氏漢語抄云、瓶子、〈上音薄經反、和名加米、〉
p.0178 按説文、缾、 也、瓶、缾或从レ瓦、 、汲缾也、是瓶本汲器、轉爲二盛レ物器一、方言、缶謂二之瓿㼴一、其小者謂二之瓶一、〈○中略〉中世以來盛レ酒之器有二瓶子一、音讀、
p.0178 、 也、〈易井卦辭曰、羸二其瓶一、左傳衞孫蒯飮二馬於重丘一、毀二其瓶一、按瓶亦 レ缶、左傳具綆缶、此缶之小者、〉从レ缶幷聲、〈薄經切、十一部、〉 、缾或从レ瓦、
p.0178 年料雜器
尾張國瓷器、〈○中略〉 十口、〈大四口、小六口、〉長門瓷器、〈○中略〉 十口、〈大四口、小六口、〉
右兩國所レ進年料雜器、並依二前件一、其用度皆用二正税一、
p.0178 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器、〈○中略〉一丁〈○中略〉平 四口、〈受二五升○中略〉水 十口、〈受二五升○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器、〈○中略〉一丁〈○中略〉水 、大酒 、平 、有レ蓋無レ柄大 、有レ柄大 、〈○中略〉各十二口、〈○中略〉負 八口、筥 、臼各廿四口、鉢卅口、酢 下盤、有レ柄酢 、〈○中略〉各卌口、〈○中略〉有レ蓋椀、小 各廿口、御椀廿口、有レ柄中 、中壺各十六口、〈○中略〉有レ柄小 卅口、
p.0178 神事幷年料供御〈○中略〉
居二水 一案、〈長四尺五寸、廣二尺、高二尺、厚八分、〉長功二人、中功二人半、短功三人、
p.0178 年料〈○中略〉
酢醬 卅口、〈○中略〉負 四口、大 八口、小 八口、筥 八口、
p.0178 五番 右 水がめ くちにさていつかもらさむ思ひせく心の水のわきかへる身を
p.0179 瀨戸物引下ゲ直段書上
〈尾州瀨戸燒〉一壹斗入瓶壹ツニ付 〈當五月直段銀四匁五分 當時引下ゲ直段銀四匁三分〉
但八升入ゟ壹升入迄右に准じ直段引下ゲ申候
〈尾州常滑燒〉一並四荷入水瓶壹ツニ付 〈當五月直段銀拾八文 當時直段同断〉 但三荷入ゟ壹荷入迄右に准じ申候〈○中略〉
右瀨戸物類は數口有レ之、當用之分取調候處、前書之通直段引下ゲ申候、依レ之此段申上候、以上、
寅八月廿一日
〈諸色掛佐内町〉名主 八右衞門〈○外一人略〉
p.0179 酒臺〈臺子附〉 東宮舊事云、漆酒臺、
p.0179 按酒臺可二以居一レ瓶、臺子可二以居一レ杯、非二一物一、〈○中略〉齋宮寮式、酒臺後盤並載、後盤可レ訓二志利佐良一、亦可四以證三酒臺臺子非二一物一、〈○中略〉廣本以二辨色以下一爲二別條一亦非、
p.0179 銀器〈○中略〉
酒臺一口、〈高六寸三分、廣六寸、〉料銀大一斤四兩、炭六斗、和炭一斛三斗、油一合四勺、長功一十人、〈火工五人、轆轤一人、磨二人、夫二人、〉中功一十二人、〈工九人半、夫二人半、〉短功十三人大半、〈工十一人、夫二人大半、〉
p.0179 元日御二豐樂院一儀
造酒司率二酒部等一、東廊南二三間安二參議以上酒臺一、〈○下略〉
p.0179 九月神嘗祭〈○中略〉
酒盞三口〈各加二酒臺一○中略〉
度會宮〈○中略〉 酒臺〈○中略〉各三口
p.0180 年料供物〈○中略〉
酒臺五十口〈(中略)酒部所料○中略〉
月料〈○中略〉
酒盞酒臺各十五具
p.0180 園韓神祭料〈春秋同〉
酒二石、絁三尺〈篩三柄料〉細布二尺、〈酒臺二具折敷料○中略〉
賀茂神祭料
酒一石二斗、絁四尺、〈篩料〉暴布三丈二尺、二尺酒臺二具折敷料○中略酒臺二具、〈○中略〉諸節雜給酒器〈○中略〉四尺臺盤一面、〈○中略〉銀盞一枚、〈加レ盤○中略〉
右内命婦已上料、並請二内藏寮一、事畢返上、
p.0180 七日節會裝束
殿東軒廊安二殿上酒臺一〈○下略〉
p.0180 游堈 唐韻云、堈〈音剛、楊氏漢語抄云、游堈、由賀、〉甕也、〈今案俗人呼二大桶一爲二由加乎介一是、辨色立成云、於保美加、〉
p.0180 按、由賀之賀、卽美賀、比良賀之賀、蓋器皿之古名、大嘗祭式有二由加十口一、式又云、凡應レ供神御雜器者、神語曰二由加物一、蓋由者齋忌齋庭之齋、則知由賀、是齋甕之義、猶二齋斧齋鉏之稱一也、儀式帳湯鍬、楊氏以二游堈字一充レ之、恐牽强、
p.0180 游堈ユカ 倭名鈔に、唐韻を引て、堈は甕也、楊氏漢語抄に、游堈はユカといふ、今按ずるに、俗人大桶を呼びてユカヲケといふ是也、辨色立成にオホミカといふと注せり、游堈讀みてユ カといふは、字の音をもて呼びし也、オホミカといふは、オホは大也、ミカは甕也、俗に大桶をユカヲケといふ事は、ユカとは甕の極めて大なるものをいひしかば、大桶をも亦かくいひしと見えたり、〈卽今俗に、酒戸の大桶をオホコガなどいふは、ユカヲケといふ語の轉語せしと見えたり、〉
p.0181 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器、八丁池由加 各一口、〈受二五石○中略〉一丁由加一口、〈受二一石一○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器、三丁池由加 各一口、〈各受二五石一○中略〉小由加四口、〈受二一石一〉
p.0181 供奉年料〈中宮准レ此〉
池由加二口、〈一口湯殿、一口釜殿、○中略〉由加廿口、〈○中略〉
右起二十一月一日一、迄二來年十月卅日一料
p.0181 年料〈○中略〉
由加十六口〈汲二運水一料〉
p.0181 盆 唐韻云、盆〈蒲奔反、字亦作レ瓫、辨色立成云、比良加、俗云保止岐、〉瓦器也、爾雅云、瓫謂二之缶一、〈音不〉兼名苑云、盆一名盂、〈音于〉
p.0181 按比良、平也、加與二美賀由賀之賀一同、比良加其形平也、廣本注末有二俗云保止岐五字一、按、御保止岐見二大神宮儀式帳一、推古紀缶、新撰字鏡 甒㼜壜 皆同訓、則保止岐非二後俗語一、儀式帳有二御比良加、御保止岐二名一、其物不レ同、可レ知謂二保止岐一爲二比良加之俗名一、非レ是〈○中略〉説文、盆盎也、考工記、陶人爲レ盆、實二二鬴一、厚半寸、脣寸、方言、 謂二之盎一、自レ關而西、或謂二之盆一、或謂二之、盎一、〈○中略〉按説文、盂飯器也、方言、盌謂二之孟一、是盂與レ盆不レ同、兼名苑以レ盂爲二盆一名一、不レ知二何據一、
p.0181 、盎也、〈廣雅、盎謂二之盆一、考工記盆實二鬴、〉从レ皿分聲、〈歩奔切、十三部、〉
p.0181 盆 爾雅曰、盎謂二之缶一、注云今盆也、呂氏春秋曰、堯使二質絡レ缶而擊一レ之、則缶已爲レ用二於堯世一矣、周官牛人、祭祀共二其盆簝一、禮器、孔子曰、奧者老婦之祭也、盛二於盆一尊二於瓶一、此又二物之名、出二於周代一也、
p.0182 盆ヒラカ 倭名鈔に、唐韻を引て、盆は瓦器也、字亦作レ瓫、辨色立成にヒラカといひ、俗にはホトギといふと注せり、〈○中略〉ヒラは平也、其形をいふ也、カは燒也、瓦器なるをいふ也、猶漢に瓦盆といふが如し、ホトギの義不レ詳、
p.0182 ひらか 日本紀に平瓫をよめり、かは笥(ケ)の義成べし、式に或は水瓫を訓ぜり、又手湯瓫もあり、新撰字鏡に をよめど考得ず、鍑もよめり、倭名抄に盆をよめり、瓫に同じ、唐韻に瓦器也と見えたり、今俗漆器に音をもて盆とよぶものは、其形の似たる成べし、もと槃の屬也、
p.0182 於二出雲國之多藝志之小濱一造二天之御舍一〈多藝志三字以レ音〉而、水月神之孫櫛八玉神爲二膳夫一獻二天御饗一之時、禱白而櫛八玉神化レ鵜入二海底一、咋出底之波邇〈此二字以レ音〉作二天八十毘良迦一、〈此三字以レ音〉
p.0182 比良迦(ヒラカ)は〈○詳略〉書紀神武卷に、平瓫此云二毘邏介(ヒラカ)一と見え、〈○中略〉さて此器は、今の皿(サラ)又土器(カハラケ)の如くなる物と聞えたり、但儀式に比良加、徑一尺三寸、深一尺四寸と見え、大嘗祭式に比良加一百口、各受二一斗一などゝもあれば、大なるも有なるべし、名義、比良(ヒラ)は、書紀に平瓫と書る如く深からず平(ヒラ)なる形をいふ、〈○註略〉迦(カ)は此類の器の總名と聞えて、由加(ユカ)、〈○註略〉多志良加(タシラカ)、〈式に見ゆ〉瓺(ミカ)などあり、又瓼土器(サラケカハラケ)などの氣(ケ)も通音なれば、本卜一ツ名なるべし、〈○中略〉太神宮儀式帳に、天ノ比良加十二口など見ゆ、〈今伊勢神宮に用る比良迦(ヒラカ)、俗に盆瓦(ボングワ)と云て、形は丸き盆の如く、徑八寸許、深一寸許にて、尋常の土器の如き燒なる物にて、毎節宇爾郷より貢すとなリ、今も心御柱のもとに安(オ)くことゝぞ、〉
p.0182 戊午歲九月戊辰、天皇陟二彼莵田高倉山之巓一、瞻二望域中一、〈○中略〉賊虜所レ據皆是要害之地、故道路絶塞、無レ處レ可レ通、天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有二天神一訓之曰、宜取二天香山社中土一、〈香山此云二介遇夜縻一〉以造二天平瓫八十枚一、〈平瓫此云二毗邏介一〉幷造二嚴瓫一、〈嚴瓫此云二怡途背一〉而敬二祭天神地祇一、亦爲二嚴呪詛一、〈嚴呪詛此云二怡途能伽辭離一〉如レ此則虜 自平伏、〈○中略〉天皇旣以二夢訓一爲二吉兆一、及レ聞二弟猾之言一益喜二於懷一、乃使下椎根津彦著二弊衣服及蓑笠一爲中老人貌上、又使三弟猾被レ箕爲二老嫗貌一、〈○中略〉二人得レ至二其山一、取レ土來歸、於レ是天皇甚悦、乃以二此埴一造二作八十平瓫、天手抉八十枚〈手抉此云二多衢餌離一〉嚴瓫一、而陟二于丹生川上一用祭二天神地祇一、
p.0183 天平瓫(ヒラカ) 兼方案之、平賀者盛二供神物一之土器也、今世伊勢太神宮御殿下多以安置之、或説諸神參候之神座云々、
p.0183 〈古郎反、瓮也、保止支、又加万、〉 甒 〈同亡反、瓮也、盂也、保止支、〉 㼜盎〈同於浪反、保止支、〉 瓫盆〈同輔運反、保止支、〉
p.0183 壜〈徒貪、徒南二反、猶坩也、盂也、盆也、瓫也、保止支、〉
p.0183 〈保止支〉
p.0183 盆〈○中略〉 爾雅云、瓫謂二之缶一、〈音不〉
p.0183 原書釋器、瓫作レ盎、郭注云、盆也、按盆瓫同字、若爾雅作三瓫謂二之缶一、郭氏必不二下レ注如一レ此明、爾雅不レ作レ瓫、又説文、盎、盆也、㼜盎或从レ瓦、則似二瓫㼜字形似而譌一、然此引二唐韻一載レ盆、因引二爾雅一、又瓫字無二音注一、則源君所レ見爾雅作レ瓫、不レ作レ㼜也、今不二徑改一、説文、缶、瓦器、所三以盛二酒漿一、方言、缶謂二之瓿㼴一、郭璞注、卽盆也、急就篇、甀缶盆盎甕甇壺、顏師古注、缶盆盎一類耳、缶卽盎也、大腹而歛口、盆則歛底而寬上、玉篇、缶、缻同上、缶見二内膳司式一、法隆寺資財帳有レ 、蓋缶俗字、按保度、與下懷訓二不止古呂一之不止下同、陰訓二保止一、亦同義、謂二其形之深一、岐與レ介通、岐介加皆一聲之轉、然則似二比良加保度岐其形不一レ同、
p.0183 、瓦器、所三以盛二酒 一、〈釋器陳風傳皆云、盎謂二之缶一、許云盎盆也、罌缶也、似許與二爾雅説一異、缶有レ小有レ大、如二汲レ水之缶一、蓋小者也、如二五獻之尊門外缶一、大二於一石之壺一五斗之瓦甒其大者也、皆可三以盛二酒 一、〉秦人 レ之以節謌、〈 之錄切擊也、韵會 作レ擊、李斯傳、廉藺傳、漢楊惲傳皆可レ證、〉象形、〈字象器形、方九切、三部、俗作レ缻〉凡缶之屬皆从レ缶、
p.0183 缶〈並上俗下正〉
p.0183 盆ヒラカ〈○中略〉 ホトギの義不レ詳、〈ホドとは臍といふが如く、キは器也、其形の窪かなるをいひしと見えたり、〉
p.0184 ほとぎ 日本紀に缶をよめり、新撰字鏡に、 又甒又㼜又壜をよめり、火坏(ホツキ)の義なるべし、倭名鈔に、瓫をひらか、俗にいふほとぎと注せり、爾雅に、瓫謂二之缶一と見えたり、或は樂器とせる事倭漢同じ、延喜式に、酒缶平缶蓋水瓫叩瓫などあり、
p.0184 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器〈○中略〉二丁〈○中略〉缶三口、〈受二五斗一〉一丁〈○中略〉缶蓋六口、〈徑六寸○中略〉土師器、一丁〈○中略〉手湯瓫(ホトキ)二口、〈徑六寸、受二一斗一、○中略〉瓫八口〈受二一斗一○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器〈○中略〉一丁〈○中略〉缶六口、瓫十二口、〈○中略〉著レ乳瓫八口、〈受二三斗一〉
p.0184 越前國使等解 申勘定物事
合買雜物廿一物
價稻四百五十四束〈○中略〉
缶廿口 直卌束〈口別二束○中略〉
天平勝寶七歲五月三日 田使曾禰連弟麻呂〈○以下二人略〉
p.0184 坏〈音胚(ハイ)、瓦未レ燒、ツキ、サカツキ〉
p.0184 坏〈ツキ、大坏、中坏、座坏、乖坏等、〉
p.0184 つき 坏をよむは土笥の義又土器の轉音なり、酒つき高つきなどいふ是也、延喜式に筥坏、韲坏、汁漬坏、中片坏、又間坏、片坏、又窪坏あり、字書にも、坏は瓦器未レ燒也と見えたり、日本紀に坏をも訓ぜり、萬葉集に一つきの酒と見ゆ、
p.0184 践祚大嘗祭儀
太政官符諸國〈毎レ國有レ符〉
應レ造二新器一
河内國〈○中略〉 足下(アシヒキノ)坏十六口 御鹽坏十六口〈○中略〉 間(ハシ)坏廿口 大高坏卌口 枚次材八十口 次材高坏八十口〈○中略〉 已上御料
尾張國〈○中略〉 高坏卌口〈○中略〉 短女坏四十口〈○中略〉 小坏十二口〈○中略〉 片坏卌口〈○中略〉 筥坏卌口
參河國 等呂須岐卌口〈○中略〉 山坏小坏各六十口〈○中略〉
備前國〈○中略〉 短女坏卅口 山坏卅口〈○中略〉 己豆伎卅口 已上人給料
p.0185 漆供御雜器
窪坏一口、〈徑五寸、深一寸五分、〉料漆七勺、貲布三寸、掃墨二勺、功小半人、
p.0185 造器二人、〈一人木器、一人土器、〉月別所レ造折櫃卅合、平片坏八百口、其粮料、黑米日二升、鹽二勺、
p.0185 年料雜器
尾漲國瓷器、〈○中略〉花形鹽坏十口、〈徑各三寸○中略〉長門國瓷器、〈○中略〉花形鹽坏十口、〈徑各三寸○中略〉
右兩國所レ進、年料雜器、並依二前件一、其用度皆用二正税一、
p.0185 凡左右京五畿内國調、一丁輸錢隨レ時增減、其畿内輸雜物者、〈○中略〉陶器〈○中略〉一丁〈○中略〉脚短杯有レ蓋十三合、無レ蓋廿口、〈各受二三合一〉筥杯卅四口、〈受二四合一○中略〉等呂須伎四口、〈受二五升一○中略〉短女坏廿口、小坏廿六口、〈各受二三合一○中略〉韲坏燈盞各五十口、〈各受二二合已上一〉土師器一丁〈○中略〉間坏一百口、〈受二五合一○中略〉酒盞汁漬坏各廿口、〈各口徑五寸、受二五合一、〉中片坏七十五口、〈徑六寸、受二四合一、○中略〉坏作土師〈○中略〉中片坏一百九十九口、〈徑六寸○中略〉
凡諸國輸調、〈○中略〉陶器〈○中略〉一丁〈○中略〉筥杯、樣脚短坏、凡椀各卌口、〈○中略〉深坏六十口、御取坏、大小筥坏菜坏、片坏各八十二口、〈西海道片坏二百口〉韲坏百口、〈有蓋五十四口○中略〉淸坏八十口、斐坏一百廿口、
大和國〈○中略〉調〈○中略〉玉手土師坏五十口、間坏百口、〈○中略〉片坏七十二口、
河内國〈○註略〉調〈○中略〉汁漬坏六十口、中片坏八百六十一口、〈○中略〉坏作土師〈○中略〉中片坏六百六口、
攝津國〈○註略〉調〈○中略〉脚短坏卌六合、筥杯二百七十二合、水椀卅九合、韲坏七十合、 和泉國〈○註略〉調〈○中略〉筥坏廿六口、〈○中略〉短女坏九十二口、小坏百卌五口、
近江國〈○註略〉調〈○中略〉大筥坏一千三百六十口、小筥坏百六十口、深坏六十口、
美濃國〈○註略〉調〈○中略〉雜坏廿口、〈○中略〉淸坏廿口、足下坏五十口、油坏卅六口、斐坏六十口、
p.0186 亥子御餅事
深草小春日坏立紙盛レ之、居二例折櫃一、
p.0186 莒陶司石山寺充二雜器一事
陶坏陸拾口 鹽坏陸拾口〈○中略〉
天平寶字六年二月九日
正六位上行正林連黑人
p.0186 はまのほとりの花さかりになりぬ、君達花御覽じに、はやしのゐんに出給ふ、〈○中略〉ぢむのおしき廿ぢむのろくろひきのおほんつき(○○○○○○○○○○○)ども、しき物うちしき心ばへめづらかなる、〈○中略〉君だち御はらへしになぎさのゐんにいで給て、〈○中略〉かねの御つき(○○○○○○)どもしておまへごとにまいりたり、
p.0186 高坏
p.0186 一たかつきと云は、食物をもるかはらけの下に、わげ物の輪を置たるを云也、つきと云は坏の字也、土器茶碗などの類を、すべてつきと云也、かわらけの下には輪を置て、坏を高くする故、たかつきといふ也、大草流の書に、式三獻の折敷高つき也とあるは、右の土器の下にわげ物を置く事也、今時 如レ此なる物を、木にて作りて高坏と云も、かわらけの下にわげ物の輪を置て、高くしたる形をまなびて作り出したるなり、
p.0186 りんじきやくのこと きやうはたかつきにてすふるなり、たかつきのすへやう一人のまへに三本なり、〈○中略〉
大將あるじの事
だいきやうのをんざとは、ことはてゝおほゆかにおりゐて、かうぶつとて、つちたかつきををしきにしたるさかなくだものをまいらせ、又いもがゆなどまいらせて、さいばらあなたうとなどうたひ、〈○下略〉
p.0187 樣器具
土高坏十二本〈或六本〉塗二胡粉雲母一、或畫二松鶴一、
p.0187 人々羞二酒飯一儀
至極饗應之時、高坏十二本備也、其時必用二打敷高坏一、次八本、次六本、次四本、次三本云々、普通高坏用レ之、
p.0187 一丸高坏の事
黑塗蒔繪等なり、古は膳部ニ用、五本立七本立ト云、當時菓子臺ニ用ゆ、
一角高坏の事
丸ニ同じ、又入用も有、
p.0187 高藤内大臣語第七
今昔、〈○中略〉良門ノ内舍人ノ御子ニ高藤ト申ス人御ケリ、〈○中略〉庇ノ方ヨリ遣戸ヲ開テ、年十三四許有ル、若キ女ノ薄色ノ衣一重、濃キ袴著タルガ、扇ヲ指隱シテ、片手ニ高坏ヲ取テ出來タリ、〈○中略〉高坏折敷ヲ居テ、坏ニ箸ヲ置テ持來タル也、
p.0187 久安六年三月三日庚辰、三月三日御節供事、〈重方調進之〉 土高坏十二本〈以二金靑一畫二松鶴一〉
p.0187 承安二年八月廿一日丁巳、此日小童有二著袴事一、〈○中略〉當日先居二饗饌一、〈判官代能業奉行之〉上達部座、朱塗高 坏各三本、〈余(藤原兼實)前四本、但追居云々、〉殿上人座懸盤二脚、各兼居レ飯、
p.0188 三番 左 たかつき
戀すてふ我うき名のみたかつきにもりし泪ぞくひてかひなき
p.0188 樽 辨色立成云、樽、〈音與レ尊同、字亦作レ罇、從レ缶見二説文一、今案無二和名一、俗稱去聲、〉
p.0188 按、説文云、尊、酒器也、又載二尊字一云、尊或从レ寸、徐鉉曰、今俗以レ尊作二尊卑之尊一、別作レ罇非レ是、廣韻亦云、尊從レ土從レ缶從レ木、後人所レ加、源君云レ見二説文一者誤、〈○中略〉按、周禮司尊彝、六尊有二著尊一、注著尊著レ地無レ足、則尊亦有二無レ脚者一、
p.0188 罇樽〈上通下正〉
p.0188 樽
禮運曰、禮之初始二諸飮食一、汙樽而杯飮、注云、鑿レ地爲レ樽、此樽名始也、後世或以二瓦木一爲レ之、取二諸此一也、至二有虞一始、又以レ泰名レ樽、
四樽
禮明堂位曰、泰有虞氏之尊也、山罍夏后氏之尊、著商尊也、犧象周尊也、此四代之制也、
p.0188 榼(タル) 樽(タル) 棰(タル)〈三字義同也、但棰日本字也、〉
p.0188 樽タル 倭名鈔漆器之類に、辨色立成を引て、酒樽有レ脚酒器也、字與レ尊同、又作レ罇、今按無二和名一、俗稱去聲と注せり、尊はもと銅器也、倭名鈔すでに漆器となし、後人讀みてタルといひし事、並に其義不レ詳、〈後俗また棰の字畆用ひて、酒器となし、讀むこと樽に同じ、棰はもとこれ箠楚之箠に同じくして、酒器の名にはあらず、其字木に从ひ垂に从ひぬるによりて、借用ひて讀む事、垂の如くにして、酒器とはなしたる也、〉
p.0188 たる 足をよめり、らりるれうにて用けり、垂も足と義通へり、樽も酒を垂の義成べし、榼も同じ、よて後俗棰字をも用うれど、棰は箠に同じ、酒器にあらず、二合の意をとる也、倭 名鈔には、无二和名一俗稱去聲と見えたり、朝鮮語にも泰留と見えたり、〈○下略〉
p.0189 樽〈音尊〉 罇 甑 墫〈以上同字〉 彝〈音夷〉 俗云太流
按、樽酒器、本作レ尊、而以レ尊爲二尊卑之字一、而後加レ缶、加レ木、加レ瓦、加レ土、今多用二樽字一、〈樽乃林木茂盛之字〉
p.0189 是豐樂之日、亦春日之袁杼比賣獻二大御酒一之時、天皇歌曰、美那曾曾久(ミナソソグ)、淤美能袁登賣(オミノヲトメ)、本陀理登良須母(ホダリトラスモ)、本陀理斗理(ホダリトリ)、加多久斗良勢(カタクトラセ)、斯多賀多久(シタガタク)、夜賀多久斗良勢(ヤガタクトラセ)、本陀理斗良須古(ホダリトラスコ)、此者宇岐歌也、
p.0189 本陀理登良須母(ホダリトラスモ)は、〈○註略〉秀罇取(ホタリトラス)もなり、罇はもと酒を盃に注ぎ入るゝ器なり、〈説文に尊注レ酒器とあるにて知ベし、尊と罇樽と同じことなり、此方にて多理(タリ)と云物も、古は酒を注ぐ器なりし故に、此字を當たるなり、されば古の罇(タリ)は、後世に瓶子銚子などを用る如く、用ひたりし器なり、然るに後世には樽は酒を入レ置ク器となりて、莊ぐ器には非す、○中略〉多理(タリ)と云名の義は、垂(タリ)にて其口より酒の垂リ出るよしなるべし、〈後世には多流(タル)と云は、轉れるにて、鳴鏑をも古はなりかぶらと云しを、後にはなるかぶらと云、橡をも古はれりきと云しを後にはたる木と云類なり、〉和名抄には漆器類に、辨色立成云、樽字亦作レ罇、見二説文一、今按無二和名一とあり、延喜式にも酒罇はいと稀に見えたるのみなり、〈是を見れば、古に多理(タリ)と云し名、中ごろ京畿には失て、邊鄙に殘れるが、後に又廣く普くなれるにや、〉秀(ホ)とは其形の長(タケ)高きを云なるべし、
p.0189 尾張國天平六年正税帳
依二太政官天平六年正月十三日符一造罇漆口〈大二小五〉
調度價稻肆伯伍束
料漆壹斗貳升 直稻貳伯肆拾束〈升別廿束〉
挍漆料絹壹丈 直稻壹拾參束
綿貳屯 直稻貳拾陸束〈屯別拾三束〉
鐶幷廻等料鐵壹拾漆斤 直稻壹伯貳束〈斤別六束〉 著苧壹條〈長三丈五尺廣壹尺七寸〉 直稻貳拾肆束〈○下略〉
p.0190 樽
似レ箱而横狹者名二指樽(○○)一、似レ桶而矮者名二匾樽(ヒラタル/○○)一、其有二兩手一者名二柳樽(○○)一、高長有二兩手者名二手樽(○○)一、
p.0190 來月朔日相二當初午一候、稻荷御參詣勿論候歟、然者於二還坂邊一、例式之差榼(○○)一個、縛樽(○○)兩三、檜破子、取肴風情可レ令二用意一候、
p.0190 縛樽(○○)といふは、職人盡歌合のさかつくりの畫にある樽の如き類の物を、呼分て云名なり、細き木を竪ざまに多く集め造りて、たがにて締めたるなり、結桶と云稱と同じ義なり、
p.0190 元祿十七申年〈○寶永元年〉二月
覺
一自分之取かはしに蕨樽わら卷樽(○○○○○○)可レ爲二無用一候、柳樽(○○)其外かろき樽を可レ被レ用事、〈○中略〉
右之通被二仰出一候間、急度可二相守一候、以上、
p.0190 柳樽(○○)
p.0190 柳樽(ヤナギダル)〈松永久秀始製レ焉〉
p.0190 一柳樽と云は、柳の木にて作りたる手樽(テダル)の事也、今はひの木さわらの木などにて、平くたらひの如く作りたるを柳樽と云、古の柳樽とは大に違なり、古柳を用ひし事は、柳木はやはらかなる木にて、水氣にあへば木ふやける也、樽にして酒もらぬ故に、柳を專用ひし也、
p.0190 一又云、柳一荷など云は、柳にて作りし樽へ酒を入る故に、柳幾箇と云と申説宜しからず、文明日々記云、二月廿七日、御方御所に能有、御棰(タル)五荷〈二荷あま野三荷百濟寺〉云々、御湯殿上の日記ニ、イナカ幾荷と云事あり、近年諸藝方賣買代物に云、やなぎの代古酒百文別三枚、新酒百文 別四枚ト云々、これらの文を以て見れば、あま野、百濟寺、イナカ、柳などいふは、酒を造り出す所の地名なるべし、
p.0191 忠憲云、或説に柳樽は松永彈正久秀の製しはじめしよしいひ傳ふれども、此松永より以前の舊書どもに、柳樽の名見えたれば、此説信じがたし、また一説に、柳樽は河内國柳川より出るところの、樽の名を號するといへり、これもよりどころあるに似たれども、おそらくはうけがたきことにや、おもふに柳樽は伊勢山岡の説のごとく、柳の木を以て造るよりの名なるべし、爰に今の俗に柳樽を婚禮の目錄に、家内喜多留と假名になすは、ひたすら故實古法にあらず、舊書に家内喜多留と書ることは、たゞに一書にも所見あらず、但進物の注文に記せるには、柳幾荷とのみ書して、樽といふ文字をだに記さず、况家内喜多留に於ておや、
p.0191 本式柳の木にて作る、柳なき時は杉にてもよし、されども柳樽といふ、寸尺定法なし、かつこうよく作るべし、手の短きは見ぐるし、樽に書付する事無レ之、注文には柳幾荷と書レ之、樽の字は不レ書レ之、樽の口を人の左へ向けて置べし、樽の手はたてに成べし、
p.0191 缻とくり 江戸にて云ぬりだる(○○○○)を、遠江にてやな(○○)と云、又此國にて酒を嗜む人の女子を生む時は、其名をやなとつくる人多し、〈柳樽の略語なるべし〉
p.0191 初齋院裝束
漆樽二合
p.0191 命乞は三津寺の八幡
其年の暮に、丹後鰤壹本に塗樽に入し酒三升、盆前になれば、三輪素麪十把もらひて、是にも禮狀を遣しける、〈○下略〉
p.0191 一さし樽(○○○)の事、尺素往來に、〈京都將軍時代の書也〉例式指榼(サシダル)一個縛捍(ユイダル)兩三とあり、さしだるは 箱をさして樽にする也、ゆひだるとは常の桂を入て、〈かつらを入るとは、たがをはめる事、〉ゆひたるを云也、さし樽はもはや當世はやらぬ物なれば、後にはあとかたもなく成るべし、依レ之左に繪圖を記す、
指樽の圖
耳モ黑ヌリ小口朱ヌリ
クロヌリ
クロヌリ
シンチウノ ビヤウヲ 打
ロシンチウ
センハキリコ也 緖ヲ付ル
ハ木也八角ニシテ上ハ菊 也
板ノ小口也朱ヌリ也
両方ノ小口如此引コミテ有
○惣 黑ヌリ耳ハ朱ヌリ也
右のさし樽、大なるも小きもあり、今は世上に澤山にはなし、
p.0192 差榼(○○)は、其結樽より小出しに酒を分け入れ置て、飮人につぎあたふる具なり、故に差とは云へるなり、さし鍋をもて酒をつぐと、同じ義にて付たる名なり、
p.0192 一公方樣へ御さしだる、或はとつくり鈴など進上被レ成候哉、指樽之事不レ及レ見候、進上には成まじく候、
p.0192 永祿八年五月九日、正法寺指樽一荷こふじきろう持來、彼申次事被レ申樣體申也、
p.0192 町に稀なる若衆後家
盛者必衰の斷、身上さん〴〵に落ぶれ、今は召使ふ僕もなく、〈○中略〉溜塗の指樽一ツ、衣の衾、是等の 外塵もなし、されど極めての女嫌ひ、雞も雌は寄せず、隙さへあれば指樽の枕叩ひて、樂び此内にあり、〈○下略〉
p.0193 母から呑込む酒屋の聟殿
さあ今日は結納と騷めき、上下いためつけし手代が目錄を擕へ、釣臺に並べしを見れば、干鯣鹽鯛鰹節、五升の卷樽(○○)二つ、其外に卷物は扨置き、帶地さへなく、目出度御納め下さるべしとの口上、〈○下略〉
p.0193 手樽(テダル/○○)
p.0193 文化十三年三月廿六日丙午、俊迪合夕内々歸京也、爲二坂迎一帶刀道次淸八等、自二巳刻頃一奴茶屋迄遣、〈○中略〉酒貳升入手樽壹等爲レ持遣、
p.0193 大釜の抜殘し
其言葉も是非に酒を飮まする處と、德利手樽を探せども、いかな〳〵一滴もなかりし、
p.0193 殘るものとて金の鍋 仙人の段
一里ばかりも過ぎて、松原の蔭にて日和もあがれば、老人ひらりと下りて、草臥の程も思ひやられたり、せめては酒一ツ盛るべし、これへと見え渡りて吸筒も無く、不思議ながら近う寄れば、吹出だす呼吸につれて、美麗き手樽一ツ顯はれける、
p.0193 江月樓探題三十五首狂歌
月 呑つくせいざ是からは四斗樽(○○○)のかたぶく迄の月をこそみめ
p.0193 文化三寅年の冬、小石川橋戸町駿河屋庄兵衞といふ酒肆あり、毎冬濁酒を造醸しあきなふ、或時酒庫にて四斗樽の空樽へ、濁酒を充滿に入て、酒飮の集る場へ持出し置けるに、暫して酒氣沸激し、蓋を吹飛し肆中白雨の如くに飛散りて、桶中に酒一滴もなく空樽となりけり、此酒 樽の蓋は、いかやうに振動しても、離れぬものなるに、酒氣の慓悍の猛なる事を恐るべし、
p.0194 孟夏〈○中略〉三枝祭〈謂率川社祭也、以二三枝花一飾二酒罇(○○)一祭、故曰二三枝一也、〉
p.0194 樽屋藤左衞門由緖の事
先祖由緖書〈○中略〉
權現樣〈○德川家康〉濱松御退陣之砌、信玄士卒奉レ追レ之、彌吉天野與八郎防戰、其後所々御陣之節、酒樽奉二獻上一候、此樽信長〈江〉被レ進候、於二此御陣一信玄麾下松下圖大夫を打取候ニ付、信長公被二聞召一、彼の三四郎働かと御意、此後依二台命一假名を樽と相改申候、
p.0194 何とも知れぬ京の杉重
南都諸白と書付たる一樽、はる〴〵送られけれど、我下戸なれば、さのみ嬉しからず、折節酒好の人にきこしめせとて封を切れば、酒樽に餅をつめて越しければ、上戸共驚き力を落しける、〈○下略〉
p.0194 得生極樂芝居の中川
池田伊丹鴻池大鹿より積出す酒樽を、大切に取廻し、〈○中略〉道理なき金に眼をかくれば、天道の冥加に盡きて、樽より我身の菰をかぶらん事、まのあたりなるべしと、正直の聞え隱浪路(かくれなみじ)を押放して任、せ置に、氣遣無き問屋なればとて、次第に荷嵩まさり、〈○下略〉
p.0194 酒樽記
一升樽(○○○)といへば、一生足るべき事なるを、一升は夢の如しと、二升めの樽にとつてかゝるは、足る事を不レ知也、貧乏陶に足る事を知るは、貧くしてへつらふ事なきにあたり、四斗樽(○○○)に足ることをしるは、富て驕る事なきにあたるべし、山々の樂は其うちにあり、下戸の内の神酒陶は、二タ月を越て酢となり、上戸の家の樽酒は、一ケ月を不レ過して壳となる、其壳樽上戸を退き、下月に隨て終に劒菱は菱餅と變じ、七ツ星はお備と化す、樽の鏡の圓なるは、則鏡餅にして、切ぬきし窻の方な るは是切餅也、 三月半輪の餅欠は炙饗に燒て喰はれ、再明き樽となり、やくざものゝ寄合に入り、がくそく病身になりしも、淺漬澤庵老の匕の鹽加減にて、又世に出しは、全く醫師のおもしの利たるなるべし、かくさま〴〵移りかはりゆく一生の身のほどをおもひ合せて、おのが名のたる事をしれかし、
p.0195 一大鼓樽(○○○)と云物、むかしよりありし物にて、急度したる物にてはなし、進物にもせざる也、節用集〈永正天女の比之記〉に云、大鼓樽見たり、
大鼓(頭書)樽の形は、舞樂の大鼓の形にて、上の寶賃の所を口にしたる也、口は常の如し、此圖梅津長者といふ繪卷物に見ゆ、
p.0195 文化六年十二月八田甲午、非藏人中贈物酒肴〈予〉催レ之、貳升入大鼓樽壹、重組三重、〈○中略〉右之通也、
p.0195 樽人形
ある人の説に、延寶、天和の頃のものにやとおもへる、浮世繪を見しに、そのおもむき遊女のごとき女の、小き樽に衣をうちかけ、編笠をきせたり、おもふに酒宴などの席にてのたはむれにて、遊女のもてあそびとのみおもひしに、寶曆七年の印本に、繪本咲分櫻といふ册子に、こゝに載する圖〈○圖略〉あれば、そのころも猶この戯れありしことゝ見えたり、これによりておもへば、遊女のみのことにはあらで、なべて花見野がけなどのをりから、興じもてあそびしなるべし、ある日柳亭翁に、この樽人、形のゆゑよしをとふに、翁いへらく、一老人の話に、むかし人形樽(○○○)といひしものあり、野遊などに持ち行ぐとき、ふくさやうのものに包めば、その形木偶に似たるをもて、名を負せたり、さてその樽に小兒の小袖、または羽織など打ちきせ、人形廻しの戯れをなしゝが、つひにひとつの遊戯となりて、はては酒をいるゝ事をば用とせず、木偶まはしにたよりよきやうに作り、 花見幕の内などにて是を興ずるなり、人形樽の詞を轉じて、樽人形といひけるとぞ、西武撰の砂金袋〈明曆三年印本〉に、
影うつせ人形樽のかゞみ餅 康重
人形樽の名はふるくこゝに見えたり、また山岡元隣が寶藏〈萬治の印本、後に幸藏と名を改む、〉の花見の事をいへる條に、こゝら行きかふわび人の、人形樽につめ懷辨當にをさめて、花はいづれの情に見つるかしらねども、とり〴〵ほこりがなる顏つきも、實に春は春なれやとあり、これらにて人形まはしに用ひしことはいはざれど、人形樽の名のあかしとすべし、また桃靑が俳諧次韻〈延寶九年撰〉に、
前 樂(らく)やつこかくれて風流林とよぶ 其角
附 樽に羽おりをきせてあふぎし 桃靑
この句かの樽を人形として、まはすことのあかしなりけり、
p.0196 凡〈○中略〉其調副物、〈○中略〉十四丁、樽一枚、〈受二三斗一〉廿一丁、樽一枚、〈受二四斗一〉卅五丁、樽一枚、〈受二五斗一、〉
p.0196 諸國年料供進樽〈伊賀、伊勢、尾張、參河、遠江、駿河、近江、美濃、若狹、加賀、丹後、播磨、紀伊、阿波、伊豫、十五箇國各二合、〉
p.0196 交易雜物
伊賀國〈(中略)樽二合、加二赤漆朸一、以下皆同、〉 伊勢國〈(中略)樽二合○中略〉 尾張國〈(中略)樽二合○中略〉
右以二正税一交易進、其運功食並用二正税一、〈○下略〉
p.0196 凡〈○中略〉其畿内輸雜物者、〈○中略〉一丁、〈○中略〉酒垂十口、〈徑一尺二寸○中略〉
和泉國〈○註略〉調、〈○中略〉酒垂百六口、
p.0196 寶曆元未年十二月 今度明樽商賣之儀、古來ゟ致來候者共相願候ニ付、吟味之上、貳拾人之者共、明樽問屋(○○○○)申付候間、自今ハ外商賣有レ之者共、附商賣致間敷候、尤明樽商賣望之者ハ、右貳拾人之者共〈江〉相對之上にて、明樽商賣可レ致候、
十二月
p.0197 樽買
酒醬油等ノ空樽ヲ專トス、故ニ樽買ト云、空筥櫃ヲモ買レ之、毎日枴ト錢トヲ携出テ、タルハゴザイタルハゴサイト云巡ル、買集テ明樽問屋ニ賣ル、問屋ヨリ醬油ハ製造ノ家ニ賣リ、酒樽明櫃等ハ其便ニ應テ賣レ之、
p.0197 文龜四年〈○永正元年〉閏三月四日乙未、今日室町殿〈宰相中將四位義澄〉爲二東庭花御覽一御參内、〈直御二參小御所一〉御棰十荷、折十合御持參、於二小御所一有二一獻一、〈○下略〉
p.0197 二月朔日
一白鳥一 一熨斗蚫千本一打 一御樽〈天野五荷〉 以上進上 畠山殿〈毎年式日にて如レ斯也〉
p.0197 新樽(○○)之事
一熊野木取は木香(が)强し、故に湯ふりして、又水ふりして、扨水氣を乾かせ酒を詰べし、又すほん樽は木香弱し、依レ之其儘詰べし、
呑口木の事
一杉の口木は其儘遘ふ、弱檜(さわら)口木は湯にて煮てほして遣ふべし、苦みを去る爲也、
p.0197 目藥貝より涌て出る泉の酒壺
兎角は與三郎を賴み取てもらへと、禮いひて二升三升或は四升五升取に來る程に、造り株持て居る大酒屋より、通樽(○○)多く集り、毎日二三石づゝの商ひ、〈○下略〉
p.0198 酒屋は貧乏樽(○○○)とて、安き樽に入れ、樽代共いくらとて賣る、得意賣は德利なり、〈○下略〉
p.0198 酒屋ニ樽拾ト云、御用ト云者有テ、下々酒ヲ調ルコト自由ナル故、寒氣ヲ防グ爲ニ調テ飮ム、〈○中略〉此五六十年以前ハ、〈○中略〉樽拾ト云者モ無レバ、酒ヲ呑ムコト不自由也、此等ニ依テ見レバ、下々一人ノ身ノ上ニテモ、物入多キ世界ニ成タリ、
p.0198 酒海 蔣魴切韻云、樽酒海也、〈今案俗所レ用罇與二酒海一各異、故別擧レ之、〉
p.0198 按造酒司式有二大酒罇中酒罇一、又有二金銅酒海朱漆酒海一、是二物不レ同、故云下此間樽與二酒海一各異上也、
p.0198 樽タル〈○中略〉 倭名鈔に蔣魴切韻に、樽は酒海也といふ、今按ずるに、俗所レ用罇に酒海と、各異なりと註したり、さらば順の頃ほひ、酒海と云ひしもの、漢にいふ所とは、旣に同じからず、〈倭名鈔には、酒海は漆器類にして、延喜式にも、内匠寮にて酒海を造る朱漆等の料、詳に見えたれば、其漆器なること疑ふべからす、或説に、古制瓦器なる物ありといふ事あり、古の時ツボといふものの如きも、木をもて造れるあり、瓦をもて造れるあり、ナベといふものゝ如きも、鐵をもて造れるあり、瓦をもて造れるあり、これら其名は同じけれども、其質は各異なり、酒海の如きも、また木瓦の二式ありしも知るべからず、〉
p.0198 朱漆器
酒海一合、〈受二一斗五升一〉料漆一升六合、朱沙六兩、貲布五尺、絁布各二尺、綿八兩、掃墨二合、油一合、長功卅四人、中功卌人、短功卌六人、
賀茂初齋院幷野宮裝束
酒海三合〈各受二二斗一〉二合、料漆四升、朱沙十六兩、貲布一丈、絹布各四尺、綿一斤、油四合、炭一斛、一合料、漆二升、掃墨七合、燒土八合、貲布五尺、絹布各一尺五寸、油一合、炭二斗五升、單功十三人、〈朱漆八人、墨漆五人、〉
p.0198 凡太宰府年料造進、朱漆酒海六合、〈三合徑二尺、三合徑一尺六寸、○中略〉 右以二正税一充レ料造進
p.0199 人給料
酒海三合〈各受二二斗一〉
p.0199 諸節供御酒器〈中宮准レ此〉
銀盞一合、金銅酒海一合、〈○中略〉
右供二奉御一器依二前件一
諸節雜給酒器
四尺臺盤三面、〈七月加二一面一〉朱漆酒海三口、〈七月加二一口一○中略〉
右五位已上料〈○中略〉
四尺臺盤一面、朱漆酒海一口、〈○中略〉
右内命婦已上料、並請二内藏寮一、事畢返上、
p.0199 御元服
同机〈○白木八足机〉二脚、〈○註略〉東机置二陶器鳥頸平瓶一口、〈七升納○中略〉陶器酒海一口一、〈口徑一尺五寸許、以上皆入二醴酒一、○中略〉瓶在レ北、酒海在レ南、〈○下略〉
p.0199 櫑子 唐韻云、櫑〈音與レ雷同、字亦作レ罍、本朝式云、櫑子、〉酒器也、
p.0199 説文、櫑或从レ缶、櫑子見二延喜内藏寮民部省等式一、按、櫑子盛二竹筍一、見二源氏物語横笛卷一、則知是盛レ菜器、不レ知本朝式所レ載者、酒器耶、抑盛レ菜器耶、或曰、盛二竹筍一者、行旅具中所レ載樏子非二櫑子一、〈○中略〉廣韻引二説文一曰、龜目酒尊、與レ此不レ同、按後漢書班彪傳注云、罍酒器也、與二此所一レ引同、
p.0199 之罄矣、維罍之耻鮮、〈上聲〉民之生不レ如レ死之久〈叶擧里反〉矣、無レ父何怙、無レ母何恃、出則銜レ恤、入則靡レ至、〈比也、缾小罍大、皆酒器也、罄盡鮮寡、恤憂靡無也、〉
p.0200 櫑〈力回反磊、狀太、壘、 、畾、壘、或又力罍反、〉
p.0200 罍〈正、櫑壘鑘三或、音雷、酒尊、 モタヒ 力亥反〉
p.0200 〈音雷、酒器、〉
p.0200 諸國年料供進〈○中略〉
櫑子〈伊豆、甲斐、相摸、武藏、安房、上總、下總、常陸、信瀘、上野、下野、能登、越後、因幡、伯耆、出雲、石見、美作、備前、備中、備後、安藝、周防、長門、讃岐、土佐、廿六箇國各四合、〉
p.0200 交易雜物〈○中略〉
伊豆國〈(中略)櫑子四合〉 甲斐國〈(中略)櫑子四合○下略〉
p.0200 おとゞのきみわたり給へり、れいならず、御まへちかきらいし(○○○)どもを、なぞあやしと御らんずるに、院の御ふみなりけり、
p.0200 御まへちかきらいしどもを
罍子、又櫑子、〈和名〉 子、〈同上〉罍、〈音雷又作レ鐺〉
玉罍、〈遊山窟〉たかつきのすがたにて、上はぬりをけのふたを、あをのけたるやうなる物也、をきぶちをたかくしたる也、内は朱漆、外は黑漆、螺鈿樣々也、菓子などを入らるゝ也、内藏寮に被レ納レ之、詩に金罍とあるは酒罇也、もたいと訓之、禮記、山罍、其形似レ壺、容二一斛一、刻而畫レ之、爲二雲雷之形一也云々、韓詩云、天子以レ玉飾、諸侯大夫皆以二黃金一、士以レ梓、是等皆酒器也、然而我朝摸二彼形一歟、
p.0200 〈於到反、椎、左須奈戸、〉
p.0200 銚子 四聲字苑云、銚〈徒弔反、辨色立成云、銚子、佐之奈遍、俗云、佐須奈倍、〉燒器、似二鎢錥一而上有レ鐶也、唐韻云、鎢錥〈烏育二音、漢語抄云、和名同上、〉温器也、
p.0200 銚
廣雅曰、錥謂二之銚一、説文云、温器也、曹操上二獻帝一表曰、臣祖騰有二順帝賜純銀粉銚一、疑漢人始爲レ之也、注子 事始曰、唐元和初、酌レ酒用二樽勺一、雖二十數人一一樽一杓、挹レ酒了無二遺滴一、無レ幾改用二注子一、雖レ起レ自二元和時一、而輒失二其所レ造之人一、
p.0201 銚子(テウシ)
p.0201 銚子〈用二兩口一事、近衞院之時、丹波大江山有二酒點童子鬼一、彼鬼變取レ人、勅二賴光保昌紀公時一令レ對二治之一、此時一方ノ口ニ入レ酒入レ毒進、彼鬼立死、今可レ誅者自二右口一勸レ酒也、祝言裹レ口也、〉
p.0201 銚孑(テウシ)〈元三御藥之時用之〉
p.0201 打銚子、〈○中略〉鐵輪以下進二注文一、悉以借預者、可レ進二使者一候也、
p.0201 貞〈○伊勢貞丈〉云、打銚子、ぬりたるものあるゆゑ、打立のまゝ塗らぬを云、
p.0201 銚子サシナベ 倭名鈔に四聲字苑を引て、銚は燒器、似二鎢錥一、而上有レ鐶也、辨色立成にサシナベといふ、俗にはサスナベといふなりと注したり、其注せし所に據れば、猶今の鑵子といふものゝ制の如くにして、鐶とは俗に鉉といふものをいふに似たり、サシナベとも、サスナベともいひしは、匜を半插といふが如くに、其注ぐべき道あるをいふ也、後の世の如く、銚子の字の音をもて呼びて、酒器となすものにはあらず、
p.0201 てうし 銚子と呼ものは、注子の訛音なりといへり、
p.0201 長忌寸意吉麻呂歌
刺名倍爾(サシナベニ/○○○○)、湯和加世子等(ユワカセコドモ)、櫟津乃(イチヒツノ)、檜橋從來許武(ヒバシヨリコム)、狐爾安牟佐武(キツニアムサム)、
右一首、傳云、一時衆集宴飮也、於レ時夜漏三更、所レ聞二狐聲一、爾乃衆諸誘二興麻呂一曰、關二此饌具雜器狐聲 河橋等物一、但作レ歌者、卽應レ聲作二此歌一也、
p.0201 銚子〈音調〉 和名佐之奈閉 今用字之音一呼〈○中略〉
按、銚子有二兩口(○○)及柄一、官家醋酬必用レ之、如二禮式一則用二長柄銚子(○○○○)一、又以二偏提一加二酌之一、二物飾以二金銀紙一作二雌 雄胡蝶一、結二植松花橘二木一、〈花橘又名二藪柑子一〉
p.0202 一兩口の銚子は略儀也、古殿中にては片口を用られし也、魚板持參記ニ云、御祝の時は片口たるべし、式膳部記に云、公方樣御成など、其外きつとしたる時は、片口にて參候間、口をも包む事なく候、自然かた口なき時、もろ口にて候へば、口の包樣有レ之、他流には木の葉をゆひ付など色々の事候、一向なき事に候云々、條々聞書に云、式三獻常の御盃の時も、御銚子はかた口可レ成也、公方樣にては、正月五月其外節朔には、かた口の御銚子白シ、〈白とは白めつき也、宗五一册拔書にあり、〉御酒も白酒也、又私樣にて片口のてうしなければ、かた〳〵の口を包む也、出陣の時も其外祝言にも、かた口の銚子を可レ用云々、今の世片口の銚子絶て、皆もろ口計あり、一説にてうしの右口は、切腹の人に酒のまする時、此口より酒を出す間、常には包おくと云はあやまり也、常に切腹人の用意に、口を二ツ付ておくにはあらず、もろ口のてうしは大酒もりにて、客人入みだれて呑時、右の人へも左の人へも、酒を盃へ入べき爲に、兩方に口を付たる也、切腹の用意にはあらず、切腹人に酒のまする時も、常のごとく左口より酒を出す也、銚子の持樣は常とかわりて、左右の手を取かへて持て逆にする也、右より酒出事なし、右口を用るは亂酒の時計なり、
p.0202 銀器
片口銚子(○○○○) 記云、口徑六寸、柄長、
已上舊記不レ同
p.0202 公方樣諸家へ御成の事
一式三獻の時、かた口の銚子可レ用、白酒也、くはへなし、常の三の盃同レ前、
p.0202 山名修理大夫入道〈紀州作州兩國守護〉之比、仁和寺ニ居住之間、年始ニ罷二向彼宿所一之處、二三獻ノ義アリ、毎度各盃也、銚子ハ片口ヲ裹タリ、此事高尾張入道以正難レ之云、銚子ノ口ヲ裹事ハ、全分略 義也、彼禪門ノ家中ニハ不足ナリ云々、於二以正一者雖二不肖ノ身一、片口ノ銚子以下、祝ノ義式ノ具足ハ、高武州師直ガ代ヨリ、京中ノ職人給レ之間、如レ形不足ナシト云々、
p.0203 嘉禎二年八月四日戊子、戌剋將軍家〈○藤原賴經〉若宮大路新造御所御移徙也、〈○中略〉供二五菓〈○註略〉酒坏一、〈入二片口銚子一、置二折敷上一、銚子覆レ蓋、〉
p.0203 十四日〈○正應元年六月〉又ヲちのうへ〈○伏見〉入らせ給ひて、こなたにて始めて御みききこしめせば、南おもてへ出でさせ給ふ、〈○中略〉かねの御ごき、しうがねのかたくちの御てうし、一條どの御はいぜん、そののち女御殿も御てうしに、てかけさせ給事侍けり、
p.0203 かざみきたるわらは二人、ひとりはしろがねのてうし(○○○○○○○○)に、みきいれてもてまひり、〈○下略、又見二十訓抄、古今著聞集一、〉
p.0203 嘉保年寶藏實錄日記
第四韓櫃 銅銚子(○○○)貳口
前帳云、全一口有レ蓋、損一口无レ蓋、 寬治六年帳云、今撿同レ前、
p.0203 供二御藥一
御厨子所尋常御銚子御酒盞渡二於藥殿一、〈○中略〉次供二御料酒一、〈御銚子有二蓋擎子一、御盤上居二金銅金輪一、其上居二銚子一、〉
p.0203 可レ用二銚子提一事
朝覲行幸之時、主上御膳用二銚子一、元服著袴等饗用二片口銚子一、然者銚乎者存式之日用レ之、賓客羞膳之時用二銀提一、關白家臨時客用レ提者也、
p.0203 一酒肴間事
銚子ハ晴時不レ出レ之、可レ用レ提、〈○中略〉
片口銚子 限二主人一用レ之、銚子ハ限レ酒入レ之、自餘物不レ入レ之、
p.0204 公私御かよひの事
一銚子を人に渡候事、貴人へは銚子を取なをし、ながえの方をさし出し、總の我身、をちとしづむるやうにして、銚子をちとさしあぐる樣に心得て、酒の入たる方を右の手に取、ながえを左の手のひらにすへてまいらすべし、同じ程の人ならば、是も銚子を取なをし、右の手にて酒の入たる方を持、左の手にてながえを持ても可レ渡、人の寄やうによりて、左からならば、是も右の手にて酒の入たる方を取、左の手にてながえを取て左の脇へ渡す也、右からならば、左の手にて酒の入たる方をとり、右の手にてながえを取て、右の脇へ可レ渡、又酒の入たる方を兩の手に持て、ながえをも渡也、何も銚子を下に置べからず、下樣へは何となぐ渡候也、
p.0204 一銚子提子に蝶形を付る事は、蝶はのどかなる日に出て、草木の花の露を吸て、おのが友と打つれあそびたはぶるゝ物也、人もそのごとく酒をのみては、人と中よくよろこびたのしむべきに、腹だちいさかひなどするは、よからぬ事也、されば酒のむ人は、蝶の花の露を吸て、あそびたのしむ如くせよといふ敎の爲に、蝶の折形を付るなり、瓶子に蝶花形を付るも同じ心也、
一銚子提子に祝の時、松、山たち花〈山たちばなはやぶかうじ也〉を蝶花形にそへて付る事、松はいつも色かわらず、千年をも經る物也、山たち花は冬に至ても雪霜にいたまず、實も赤く熟する物にて、二品ともにめでたき物なる故、祝に用る也、
一銚子の柄を包む事はなき事也、京師將軍殿中にて御用ありし御銚子は柄を包ざる也、大草流式之膳部記に、〈京都將軍家の庖丁人、大草三郎左衞門尉公以ノ記、〉銚子の柄をつゝみ候事、當流にはなく候とあり、魚板持參記に云、御銚子の柄包候事、殿中には無ことなり云々、されば柄を包む法式はなき事也、又銚子 をば一ゑだ二枝と云也、舊記に見えたり、
一銚子の柄にある星をば、きくがねと云也、星の上に菊の花の紋あるゆへ也、又かつらの星とも云也、かつらとは星の前後にかねの輪を入る也、其輪をかつらと云、〈桶の輪をかつらと云に同じ心也〉其かつらのきはにある星なる故、かつらの星と云也、又つまかくしの星とも云、是は銚子をとる時、手の大ゆびの爪さき、その星のかげに隱るゝ故の名也、つまかくしと云詞は、妻をかくすと云に似たるゆへ、婚禮などの時は忌む詞也、
p.0205 銚子に木草つくる事
いつのほどよりか、世の中のならはしに、銚子に木草などを付る事あり、三月の節句には桃の枝、五月のは菖蒲、九月のは菊の枝など也、年のはじめのいはひには、松竹藪柑子、しだ、ゆづり葉、又は松と藪かうじとのみつくるも、又はやぶ柑子をさりて橘などつくるもあるにや、おほかた年のはじめのいはひのは、人々の家によりてかはれるも有れば、なほぞあるべき、さて三月の節句の、桃の枝を付るは、月令廣義に、法天生意を引ていはく、三日桃花を取て酒にひたしてこれをのめば、病をのぞき、顏色をうるほすと見え侍るにや、また五月の節句のは、歲時雜記に、午日菖蒲をとりて纓のごとくし、或は細末にして酒にうかべて、これをのめば、陽氣をたすけ、年をのぶと侍り、九月の節句の菊は、西京雜記に、漢のはじめよりありつるよしをしるせりとか、されば此國にも是等の事によりて、其花根などを酒にもひたし、盃にもいれてのむめれば、其折々の草木を銚子にもつけ、萬の物にも飾りもて興ずるなるべし、かく是等は本文などもある事なればにや、たが家にもいとしもかはらぬを、正月のなん同じからぬは、本文などもなきなれば成べし、
p.0205 八幡別當淸成者、常宇治殿ヘマイリケリ、或日參タリケルニ、御料ノ御オロシヲ被レ出タリケルヲ、藏人所ノ臺盤ノ上ニ置タリケルヲ、淸成手ヅカミニツカミ喰テ、酒ノ銚子ニ入タリ ケルヲ皆飮タリケリ、近來ノ別當不レ然歟、
p.0206 松岡城周章事
廐侍ニハ赤松信濃守範資上座シテ、一族若黨三十二人、膝ヲ屈シテ並居タリケルガ、イザヤ最後ノ酒盛シテ、自害ノ思ヒザシセントテ、大ナル酒樽ニ酒ヲ湛へ、銚子ニ盃取副テ、家城源十郎師政酌ヲトル、
p.0206 諸侯
帝鑑の間大名へ、元日の御酒被レ下は、御餘りの酒を丁子(○○)に入て、御餘頂戴被二仰下一候筋故、酒を受て而後戴く事なり、
p.0206 千隈河のさゝれ石
女は圍爐裏に物くべて湯涌すかと見れば、やがて銚子に酒あたゝめ、鮎石臥なんど取添て持出て、〈○下略〉
p.0206 成二勘文一事
可二著釱一左右獄囚贓物事〈○中略〉
淸原延平〈年廿五山城國人〉 强盜 贓物二種〈○中略〉 銀銚子一口〈直二貫二百文○中略〉
長德二年十二月十七日
p.0206 貞觀六年正月十四日辛丑、延曆寺座主傳燈大法師位圓仁卒、〈○中略〉四年〈○開成、我承和六年、〉國使聘禮旣畢、還向二本朝一、圓仁相隨上レ船、〈○中略〉弟子惟正、惟曉、倶留二住沙石之上一、海賊十餘人、忽然出來、顏色非レ常、意在レ要レ物、圓仁與二惟正等一倶語云、我死只在レ玆、不レ如捨レ物、專任二彼賊一、卽捨二隨レ身物著レ身衣服一、皆悉與レ之、最後授二銚子一、賊卽云、和尚若捨二銚子一、客中無二此器一、辛苦無レ極矣、賊乃發二慈心一、〈○下略〉
p.0206 銚子廻文銘 多煮二茶茗一、飮來如何、和二調體内一、散レ悶除レ痾、
p.0207 五番 左 てうし
みきとだに人は今さら思はぬをしゐてうしとや猶うらみまし
p.0207 銚子もわざと小さくして、幾度も銚子をかへて、坐興のあるやうにして、扨盃もうすければ、さのみ酒も過サず、馳走ぶりも能樣にしたり、今は〈○享和頃〉酒の手へかゝり、〈○中略〉銚子も有合の大銚子にて、膳に露を打などいふことは取失ひて、辨利にのみ成行て、雅なることも風流なることもなし、
p.0207 提子(ヒサケ)
p.0207 金色(カナイロ)〈提子〉
p.0207 提子(ヒサゲ/テイス)
p.0207 銅提(ヒサゲ)〈酒器〉 提子(同)〈同上〉
p.0207 偏提 俗云比左介、又云加奈以呂、〈○中略〉
按、偏提有二系柄一可二提持一、故名レ之、與二銚子一同、婚禮嘉祝之宴用レ之、今多以二錫及白銅一作レ之、俗呼曰二加奈以呂一、名義不レ詳、
p.0207 ひさげ 枕草子にひさげと見ゆ、資暇錄に偏提と見え、拾遺記に、元和間謂二之注子一、仇子良惡レ同二鄭注名一、去レ柄安レ繫名二偏提一といへり、神宮雜例集に提と記せり、海人藻芥に、提は右の手をもて持つ、左の手を寄と見えたり、
p.0207 利仁將軍若時從レ京敦賀將二行五位一語第十七
今昔、利仁ノ將軍ト云人有ケリ、〈○中略〉サラ〳〵ト煮返シテ署預粥出來ニタリト云ヘバ、參ラセヨ下テ、大ナル土器シテ、銀ノ提(○○○)ノ斗納許ナル三ツ四ツ許ニ汲入テ持參タルニ、一盛ダニ否不レ食デ飽ニタリト云ヘバ、極ク咲テ集リ居テ、客人ノ御德ニ署預粥食ナド云ヒ嘲リ合へリ、
p.0208 白井君銀堤入レ井被レ取語第廿七
今昔、世ニ白井ノ君ト云フ僧有キ、此近クゾ失ニシ、其レ本ハ高辻東ノ洞院ニ住シカドモ、後ニハ烏丸ヨリハ東、六角ヨリハ北ニ、烏丸面ニ六角堂ノ後合セニゾ住シ、其ノ房ニ井ヲ堀ケルニ、土ヲ投上タリケル音ノ石ニ障テ、金ノ樣ニ聞エケルヲ聞付テ、白井ノ君此レヲ恠ムデ、寄テ見ケレバ、銀ノ鋺ニテ有ケルヲ取テ置テケリ、其ノ後ニ異銀ナド加ヘテ、小ヤカナル提ニ打セテゾ持タリケル、而ル間備後ノ守藤原ノ良貞ト云フ人ニ、此ノ白井ノ君ハ、事ノ緣有テ親カリシ者ニテ、其ノ備後ノ守ノ娘共、彼ノ白井ガ房ニ行テ、髮洗ヒ湯浴ケル日、其ノ備後ノ守ノ半物ノ、此ノ銀ノ提ヲ持テ、彼ノ鋺堀出シタル井ニ行テ、其ノ提ヲ井ノ筒ニ居エテ、水汲ム女ニ水ヲ入サセケル程ニ、取ハヅシテ、此ノ提ヲ井ニ落シ入レテケリ、其ノ落シ入ルヲヤガテ、白井ノ君モ見ケレバ、卽チ人ヲ呼テ、彼レ取上ヨト云テ、井ニ下シテ見セケルニ、現ニ不見エザリケレバ、沈ニケルナメリト思テ、人ヲ數井ニ下シテ搜セケルニ、无カリケレバ、驚キ恠ムデ、忽ニ人ヲ集メテ、水ヲ汲干シテ見ケレドモ无シ、遂ニ失畢ニケリ、此レヲ人ノ云ケルハ、本ノ鋺ノ主ノ靈ニテ、取返シテケルナメリトゾ云ケル、然レバ由无キ鋺ヲ見付テ、異銀サヘヲ加ヘテ被レ取ニケル事コソ損ナレ、此レヲ思フニ、定メテ靈ノ取返シタルト思フガ、極テ怖シキ也、此クナム語リ傳ヘタルトヤ、
p.0208 三條中納言食二水飯一語第廿三
今昔、三條ノ中納言ト云ケル人有ケリ、〈○中略〉中納言例食フ樣ニシテ、水飯持來ト宣ヘバ侍立ヌ、〈○中略〉一人大キナル銀ノ提ニ、大キナル銀ノ匙ヲ立テ、重氣、ニ持テ前ニ居タリ、然レバ中納言鋺ヲ取テ侍ニ給テ、此レニ盛レト宣ヘバ、侍匙ニ飯ヲ救ツヽ高ヤカニ盛上テ、〈○下略〉
p.0208 久安四年八月九日甲子、今日女子多子〈年九〉叙二從三位一、〈本無レ位○中略〉使三親隆朝臣留二勅使一、爲レ令レ羞レ食、〈○中略〉一獻爲實持二來盃一、〈居二所敷一〉以長持二銀提一相隨之、流巡了羞レ汁下レ箸、
p.0209 金色提、〈○中略〉鐵輪以下進二注文一、悉以借預者、可レ進二使者一者也、
p.0209 貞云、〈○伊勢貞丈、中略、〉金色提、是又塗ずして金色のまゝなるを云、
p.0209 公私御かよひの事
一提を持、くはへを仕事、提を右の手にてつるを取、左の手にてひさげのはたをそとかゝへて、右のひざを立、左のひざをつきて可レ畏、ひつさげても持、又事により時宜、によりてたゝみにも置べし、酒を入候事、おほくは不レ可レ入候、但銚子に酒なくば可レ被レ入、銚子に提の口をあつべからず、さい越しにならば、さいのうちへ手を入、つきてくはへべし、又御酌の人さいのぞとへ銚子を出て、是もさいの外に手を付てくはふべし、總じては座敷の中程へ出合候てくはへ候、但御酌貴人なれば、ふか〳〵と參りてくはへ候、又くはへ貴人にて候へば、御酌ふか〳〵と御出候て、くはへられ候が能候、又くはへ候やう、右の手にてはつるを取、左の手にて提のはたをそとかゝへてくはへ候、立候事は御酌の人立候て後に立たるが能候、おなじ樣に立たるはわろく候事、又永正十八年四月比、かりそめに上洛の時、色々の事、故勢州〈○伊勢貞陸〉へ尋申候時、くはへの事、常には銚子のわたりの左へくはへ候、慈照院殿〈○足利義政〉被レ仰候しは、左へくはへ候て、其酒を入きらで、わたりの上をこし右へ可レ入よし、たしかに被レ仰候つるよし、物語候し、
p.0209 このしうとの小藤太、此聟の君つれ〴〵にておはすらん、さかな折敷にすへてもちて、いまかた手に提に酒を入て、ゑんよりいらんは、人見つべしと思て、おくの方よりさりげなくてもて行に、〈○下略〉
p.0209 院のぼり給ひて、御したうづなどなをさるゝほどに、女房別當の君、〈○中略〉しうかねの御さかづき柳筥にすゑて、おなじひさげにて柿びたしまゐらすれば、はかなき御たはむれなどの給ふ、
p.0210 心にくき物
物まいる程にや、はしかひなどのとりまぜてなりたる、ひさげのゑのたふれふすもみゝこそとどまれ、
p.0210 さびかへりたる劒のさき ひさげ
p.0210 瓶子ヘイシ
p.0210 瓶子(ヘイジ)
p.0210 胡瓶(コヘイ) 瓶子(ヘイジ)
p.0210 酒者柳一荷、〈○中略〉相二副瓶子(○○)幷銚子、提子一、所レ調二設之一也、
p.0210 瓶子カメ〈○中略〉 酒瓶の如きは、後俗また字音をもて呼びけり、〈ヘイジなどいふ〉瓶子、胡瓶などの如き是也、
p.0210 へいじ 瓶子の音也、酒をつぐもの也、節會の夜、殿前にとり瓶子といふものを置は、胡瓶子にて鳥頸の瓶子也、江次第に、胡國より來りたる器也といへり、
p.0210 瓶子
一高サ 一尺一寸二分 同口ノ高 一寸 同胴太身廻リ 二尺三寸八分 同細身廻リ 九寸 同疊ズリ廻リ 一尺三寸 同疊ズリ緣高サ 六分 同口鬼頭 カツカウ次第
p.0210 一瓶子の寸法
かた八寸のへいしは高さ八寸五分、ふたつけの廣五寸貳分、口の高さ八分、座の廣さ貳寸ヅヽのへいしも、大小共に是を以定むべしと云々、
p.0210 左京大夫 付二異名一語第廿一
堀川ノ中將〈○藤原兼通〉靑經ノ君呼タル過可レ贖シトテ、殿上人皆不レ參ヌ人无ク皆參タリ、〈○中略〉一人ニ ハ靑瓷ノ瓶(○○○○)ニ酒ヲ入レテ、靑キ薄樣ヲ以テ口ヲ裹テ持セタリ、
p.0211 殿上垸飯〈○中略〉
盃三口〈土器、居二折敷一、〉 靑瓷瓶子(○○○○)二口〈以二薄樣一裹レ口〉
p.0211 土肥燒亡舞同女房消息附大太郎烏帽子事
安キ程ノ事也トテ、宿所ニ請ジ入奉テ、白瓶子(○○○)ニ口裹ミ、サマ〴〵ノ肴ニテモテナシ奉ル、
p.0211 一唐瓶子(○○○)之事、鎌倉年中行事云、正月朔日、御座ニ御二重御唐瓶子、同銚子提有レ之云云、唐瓶子とは、かねにてこしらへたる瓶子なり、又は木にて作り、黑ぬりにしたるもあり、かねはこしらへ唐めきたる故、唐瓶子と云なるべし、外に子細なし、
p.0211 昌明をしよせて、かの家をみるに、褐衣に菊とぢしたるよろひひたゝれきたるをとこの、からへいし(○○○○○)にくちつゝみて取出したり、
p.0211 大覺寺殿にて、近習の人ども、なぞ〳〵をつくりてとかれける處へ、くすし忠守參りたりけるに、侍從大納言公明卿、我朝のものども見えぬ忠守かなと、なぞ〳〵にせられけるを、唐瓶子(からへいし)とときてわらひあはれければ、腹だちて退出にけり、
p.0211 一同五日ノ夜御行始、管領へ御出恒例也、〈○中略〉御花瓶參時ハ、左手ニテハ御盆ヲ可レ持、〈○中略〉御唐瓶子樽ナドハ、盆ニヲカズトモ參事アリ、一對ナラバ二度ニ持テ可レ參、一對御劒ヲバ先一如レ常持參テ、カタ〳〵ヲバ御透ニテ懸二御目一テ、管領ニテモ又他家ニテモ、亭ノ方へ可二預置一、
p.0211 飾瓶子(○○○) かざりへいじ
常の瓶子は銀錫にて作る、柄と口との有るもあり、多く普通のはなし、口のみなり、堂上方にては平常に瓶子を用ゐられて、銚子を用ゐられず、此外に飾瓶子あり、はれの時儀式には一對置物と す、酒入ず、木にて作りて、箔をおして、鳳凰桐雲などを極彩色とす、口をば絹にてつゝみて、同色の平紐にても口をくゝり、又は組糸にても口をむすぶ也、高さ大かた二尺ばかりなり、禁裏御棟上の飾瓶子を見しに、籠にて作り、上を張てゑどり、高さ三尺餘り有りし、
p.0212 瓶子以レ紙造レ輪爲二土居一事
不レ知二此儀一、又不レ見レ之、但今案歟、不レ倒二瓶子一事尤大切也、
p.0212 一瓶子一對、口を蝶花形に包む時、座敷の左の方に置は男蝶、右の方に置は女蝶也、一條々聞書に、祝言の時は瓶子の口を、蝶花がたには包まず、ひしに包むと云、猶尋ぬべしとあり、是は銚子提子と瓶子一對と、蝶形につゝめば、蝶の數四ツになる也、四の字を忌む故也、
一瓶子の口、外に包樣も有べきに、ひし形に包むは、いかなるいはれぞといふに、菱は水草にて水底にはびこりしげり、ひしのみもかたくつよき物也、はびこりしげりかたくつよきを祝に用る也、酒も水類の物なる故、菱の花形にて口を包む也、
p.0212 釋奠料〈春秋同〉 瓶子二口、平文胡瓶二口、〈居二短榻一○中略〉
諸節供御酒器〈中宮准レ此〉 銀盞一合、〈○中略〉金銅胡瓶一口、〈○中略〉
右供奉御器依二前件一
諸節雜給酒器 四尺臺盤三面〈七月加二一面一○中略〉白銅瓶子六合〈五月減二二合一、七月加二二合一、〉平文胡瓶六合、〈五月減二二口一、並居下若二帽甲一短榻二脚上、餘節准レ此、○中略〉
右五位已上料〈○中略〉
四尺臺盤一面、〈○中略〉金銀胡瓶一口、〈○中略〉
右内命婦已上料、並請二内藏寮一、事畢返上、
p.0212 元日宴會 南臺盤居二胡瓶一口一、〈胡國瓶也、見二史書一、○中略〉其上立レ案、〈垂二帽額一〉其上鋪二紺布一立二胡瓶二口一、〈西向、近例只有二一口一、金銅鳳瓶(○○○○)也、其東立レ樽、○中略〉西廂南第三間西向立二胡瓶二口一、安福殿東廂亦准レ此、
近例似二胡瓶一立レ砌訛也、若立レ砌者、無二公卿雨儀路一歟、
p.0213 攝政時叙位事
若有二勸盃一者、藏人頭勸二攝政一、五位藏人取二瓶子一、
p.0213 御元服
東机置二陶器鳥頸平瓶(○○○○○○)一口一〈七升納、件鳥頸以レ木作繼之、以二白土一塗之、〉
p.0213 大將饗
其西立二二脚白木机一脚一〈上層居二白瓶子(○○○)四一、口中層置二靑瓷瓶子一口幷絹打敷等一、〉
p.0213 瓶子(ヘイジ) 神酒ヲ盛器ナリ
p.0213 所々座事〈付酒部所錄所〉
康和二七十七、爲隆記云、〈○中略〉南北行立二二蓋棚一脚一、上幷二立瓶子六口、茶垸四口堂上料、靑瓷二口上官料一、
p.0214 重衡酒宴附千壽伊王事
以上南都異本〈○平家物語〉無、而云、其日モ暮シカバ、中將〈○平重衡〉ヲ持成カト見エテ、垂腹瓶子持テ參タリ、淸ゲナル家子侍、肴盃面々ニ持テ參、狩野介一段下リタル所ニ座席調テ畏、〈○中略〉雨中ノ御徒然何カ苦シク候ベキナレバ、一瓶子懷テ參候、女房御酌ニ參給ヘト申ケリ、
p.0214 中御門左大臣家へ、大外記賴兼はつねにさんじけり、參たびごとに、かならず瓶子一さかな物を、座のまへにをかれければ、しばし公事の物がたり申て、みづからかたぶけのみつゝ、ひねもすしこうしけり、
p.0214 殿上のやみうちの事
忠盛〈○平〉又御前のめしにまはれけるに、人々拍子をかへて、いせへいじはすがみなりけりとぞはやされける、〈○中略〉伊勢の國に、住國ふかゝりしかば、其國の器によせて、いせへいじとぞはやされける、其うへ忠盛のめのすがまれたりける故にこそ、かやうにははやされけるなれ、
p.0214 鹿谷酒宴靜憲止二御幸一事
引立引立置タル馬共驚テ、散々ニ 踊食合踏合シケレバ、舍人雜色馬ヲシヅメント、庭上上ヲ下へ返テ狼藉也、酒宴ノ人々モ少々座ヲ立ケルニ、瓶子ヲ直垂ノ袖ニ懸テ頸ヲゾ打折テケル、大納言〈○藤原成親〉見レ之戯呼事ノ始ニ、平氏倒侍リヌト被レ申タリ、面々咲壺ノ會也、康賴〈○平〉突立テ、大方近代アマリニ平氏多シテ、持醉タルニ旣ニ倒亡ヌ、倒タル平氏ノ頸ヲバ取ニ不レ如トテ、是ヲ差上テ一時舞タリ、〈○又見二平家物語一〉
p.0214 家具類 筒(ツヽ)
p.0214 瓶子五百具、筒(○)大小三百、相二語名譽之庖丁人一、所レ構二種々料理一也、
p.0214 遠所之花者、乘物僮僕難二合期一、先近隣之名花、以二歩行之儀一思立事候、〈○中略〉破籠小竹筒(○○○)等者、 自レ是可二隨身一、
p.0215 貞云〈○伊勢貞丈、中略、〉小竹筒は靑竹に酒を入るゝなり、わりごも、さゝゑも、其日ぎりにかけながしにするなり、
p.0215 さゝえ(○○○)と云は、竹の筒に酒を入て持たせ行を云、靑竹を切てふしを兩方に置て、上のふしにあなをあけて、酒を入る也、竹は笹の葉の枝なる故さゝえと云、
p.0215 一つゝの酒と云は、今すひ筒(○○○)の酒と云に同じ、又さゝえとも云、竹の葉をさゝとも云によりて、竹筒に酒を入る故さゝえといふなり、
p.0215 よし野法師判官を追かけ奉る事
かたをか、なになるらんと思ひて、さしよりてみれば、くりかた打たるこづゝ(○○○)〈○原本作二こづつみ一、據二一本一改、〉に酒を入て持たりけり、
p.0215 問曰、義經記、吉野法師、判官を追かけ奉る條云、くりかた打たるこづゝみに、酒を入て持たりける、此こづゝみはいかなるものにや、未レ詳、
奉答、判官物語と題せし義經の異本には、くりかたうちたるこづゝにさけ入てと有、下文につつうちふりて申樣、のみてはおほし、つゝはちいさしとみえたれば、筒なることうたがひなし、庭訓往來に、破籠小竹筒と有を、今はサヽエと訓たれども、この文によれば、コヅヽとよむべきにや、旣に異制庭訓には、瓶子五百具、筒三百とみえたり、さればツヽとよむが本名、サヽエとよむは異名なり、〈サヽは酒の義、エはイヘのかへしならん歟、〉その故は今も陸奧國にて、竹筒に酒を入る〈江戸のトクリのごとし〉をサヽエといへり、〈○下略〉
p.0215 都のつれ夫婦
その體うるはしき男の、色ある女に油單包をもたせて藤浪のきよげなる岩間づたへに、靑苔の 席をたづねて來りしが、とある所に座して、竹筒(○○)より酒を出し、醉をすゝめて花見るさま也、
p.0216 鎌倉甚鐵坊先懸附さめやすが事
今樽次も此山中にて、かゝるしれものにあふこそふしぎなれ、いかさま是はみづからをたぶらかさんとて、きつねかむじなのわざと覺えたり、さあらば一勺さづけてくれんとて、すいつゝ(○○○)取てなげつけ、〈○下略〉
p.0216 發明は瓢簞より出る
やう〳〵淀の小橋を過ぎ、水車の夕波おもしろく、是を肴にして、吸筒(○○)取出し、二人さし請もせはしければ、後に乘たる兩人も呼びまぜて、酒事をかしく成りぬ、
p.0216 家具類 瓢簞
p.0216 瓢簞(ヒヨウタン)
p.0216 壺盧 或謂二葫蘆一、又稱二瓠瓜一、又謂二匏瓜一、倭俗謂二瓢簞一、又稱二浮壺便一、凡壺酒器也、盧飯器也、老硬者作二盛レ藥佳器一、或盛二山椒粒一、或用レ繩繫レ腰、盛二酒茶一爲二遊山之具一、是稱二腹壺一、以三其腹有二約束一也、
p.0216 乾瓢
附錄、瓢、〈瓢及壺盧者總稱也、瓠子訓二布久邊一、瓠瓜亦同、蒲盧者俗謂二百生瓢覃一也、倶不レ食、但暴乾可レ用レ器、此亦正二月下レ種、莖葉花並與レ瓠同、大者作二酒瓢炭瓢一、小者去レ犀、入二椒及丸散香煎之類一、或作二佩瓢一、生時治二形之不一レ好、則乾後全好、近代爭誇レ奇爾、〉
p.0216 丿乀瓢説
靜軒野氏求二得一瓢一、其爲レ形也曲而斜、斜而垂、名曰二丿乀一、嗚呼瓢兮、其在レ架也、懸而垂者丿乀、今掛二之于壁一亦丿乀也、盛二酒于此一、置二盃盤之間一、則隨二手之所一レ觸而丿乀也、酒盡而眠則丿乀、而又丿乀也、擕レ之以賞レ花、則與二風枝一丿乀也、腰レ之對レ月則與二人影一丿乀也、無二物可一レ觸、無二物可一レ對、則其形之丿乀自若也、鳴呼瓢兮、動亦丿乀、靜亦丿乀、奇哉異哉、熟視二利奔名走之人一、則朝丿二乀于權貴之門一、暮丿二乀於侯伯之第一、及レ夜歸 レ家、其形雖レ不二丿乀一、而其心丿乀也、所レ謂意馬坐馳、可レ愧二汝之靜而無心一乎、動者汝之用也、靜者汝之體也、軒中已靜、主人亦靜、與レ汝相對而逾靜矣、唯見下簡編之 蟲之蚑二行汝邊一而丿乀上耳也、魯齋主人奇二其形一、感二其靜一、而爲二之説一、〈壬寅孟冬〉
p.0217 彼岸參りの女不思議
重箱に飯入れて、あへ物一つ、瓢簞の酒も樂みは同じ、
p.0217 蝸廬記
山と山つみにはあらず、酒屋遠くて常に瓢のまろびがちなるこそ侘しけれ、
p.0217 八月十五夜 六柯園猿人
照月に尻を向ても憎からじさかさにうつす酒の瓢簞
p.0217 人のうづくまれるかたしたる酒瓢簞を、心戒と名付てよめる、
夕顏となりこそさがれ上人は佛の種や蒔そんじけん 長嘯子
p.0217 瓢簞吸筒の銘
達磨はわるい酒、ねかせばおきる、起してもねたがるは此瓢たん、性は善也、生は千なりとも、本來空ふくにごく〳〵これ極樂、
p.0217 瓢長者傳
巴陵舍に一ツの瓢あり、其かたちをかしく曲れり、曲る物は全きとか、久しく爰につかへて許由がにくみをかうふらず、鉢叩にも奪はれず、あるじも中流に舟を失はねど、常に愛して千金の價に思へりとぞ、むかし不之庵の翁は是を褒稱して、長者瓠の三字を銘せしより、頓て此名を打かへして、みづから瓠長者とは名乘ける也、長者の自稱必しも其故のみにもあらず、此瓠に不思議ありて、酒を出す事綿々として不レ止、是仙術にも幻術にもあらず、只一婢に阮宣が杖を持せて、一 度市中に往來すれば、朝に尻の輕しとみえしも、忽然と夕に滿り、かゝれば宇治の物語にいへる、姥が米を盡る期有とも、此酒は盡る日あるべからず、むべ也長者の號ある事、あるじ我に一語を求む、卒爾に記て贈ることしかり、
p.0218 間鍋(カンナベ)〈煖レ酒器、言不レ熱不レ冷、用二其中間一之義、〉
p.0218 鑊子〈○中略〉 卽今煖酒之器を、カンナベといふは、カミナベ也、カミとは温釀をいふ也、或はカナナベといふ語の轉じて、カンナベといひしもまた知るべからず、
p.0218 鐺 酒鐺 俗云、加牟奈倍、〈○中略〉
按温レ酒謂レ爲レ間、〈以二冷熱中間一爲レ佳之俗語乎〉故名二間鐺一、〈湯桶詞之類也、恐鐵鍋之訓相誤然矣、〉而以レ鐺直代二銚子一酌レ酒、卑賤之風也、
p.0218 酒次之分
銚子鍋 いにしへは火に懸ケ、 をする器なりしを、織部〈○古田〉より席上に用ゆ、
同丸 角 丸も角も利休形黑ヌリ蓋
同糸目 原叟好、道爺作、蓋三通あり、共蓋桐カラ草石蠶子ツマミ、菊唐草染付、宗入黑石蠶子撮(ツマミ)鐵 無地ツマミ同樣なり、
同平 啐啄齋好、蓋手素銅、
同累座 啐啄齋好、黑ヌリ蓋、後了々齋好て鐵ブタを添ゆる、
同塗 利休形、丸 鍋の通り、鐵の上を黑塗にす、
p.0218 彼在郷人忝なふはござれども、迚もの事に御酒一つたべとふござるといへば、香久山禿に言付、酒を出しければ、身どもは給ぬとて、自身と 鍋を持て、圍爐裏の側へ行、袂から長さ六七寸計りの伽羅のわり木を二本取出し、圍爐裏へくべ、 をして茶碗にて一つ呑、慮外ながらとて香久山にさす、
p.0219 差す盃は百二十里
亭主が仕懸此にかぎらず、盃、間鍋、吸物椀まで瞿麥の散紋、氣の附たる事ぞかし、
p.0219 元服しても子供心
主人は此子が酒に痛むと見乍ら、客への馳走なれば、宵から見事に飯りましたがお暇乞とあれば、爰は一つかえと 鍋取て、八分目斟げば、是非に及ばず、目を塞ひでぐつと飮み、〈○下略〉
p.0219 摺鉢傳
さらでも住うき傍輩の中に、はしたなき間鍋の口さし出、杓子の曲り心より、うき名は立そめ、〈○下略〉
p.0219 釜師淸右衞門
〈原叟好〉糸目間鍋〈鐵蓋添箱入〉 拾五匁 〈利休形〉四方間鍋〈塗蓋添箱入〉 銀四兩 〈同〉丸間鍋〈同〉 拾五匁
p.0219 塗師宗哲
塗間鍋 三拾八匁 同挽物木地 四拾三匁
p.0219 元日 有難亭御代住
かん鍋のふたみが浦の初日の出とその袋の色かとぞ見る
p.0219 銚釐(チロリ)〈今世温レ酒器〉
p.0219 ちろり 酒器にいふは、三餘贅筆に急須と見えたり、ちら〳〵を俗にちろ〳〵ともいへり、熅に急なるをもて名とする也、〈○中略〉今酎瓶と稱する者、内に火を入る鐵炮あつて、酒のさめざるやうに制したる器也、
p.0219 京と大坂と一夜の船の隔あるにさへ、大坂の温(ぬく)ひは京で暖(あたゝか)ひ、〈○中略〉京のちろりを湯婆(たんぽ)、〈○下略〉
p.0220 色より思ひを掛奉る曼陀羅
さて〳〵是は現銀に堅いお人樣じや、酒の取たもござりますと、戸棚から備前燒の大德利出し、ちろりへうつし、〈○下略〉
p.0220 松蟲 文車庵
淋しさに寢酒の德利ふる比はちろり〳〵と松むしの鳴
p.0220 得利(トクリ)〈入レ酒器〉 陶(トツクリ)〈入レ酒〉
p.0220 陶(トクリ) 得利(同)
p.0220 陶(トクリ)酒器得利(同)俗字 倭訓栞前編十八登とくり 曇具理の義なるべし、群碎錄に、今人呼二藏酒器一曰レ曇と見え、壜にも作れり、墨莊漫錄に、東坡云、新釀甚佳求二一具理一、具理南荒人鉼甖と見えたり、膽瓶も同じ、又陶器にや、くり反き也、下總の國にてはぼちといふ、
p.0220 甀とくり 下總にてぼちといふ、この國にて酢ぼち酒ぼちなどゝ云、
p.0220 罌〈音英〉 罃〈同〉 甀〈音武〉 俗云止久利
罌、乃瓶之總名、又備レ火長頸瓶也、小口罌曰レ甀、〈音墜〉
按、罌子和名未レ知二其據一也、形大小不レ一、而頸細長、民家日用酒瓶也、盛二醋或醬油一亦良、其觜小而蚊蜹塵埃不二入易一也、南京及朝鮮之作、土輕而不レ變レ味、備前印部之産次レ之、肥前伊萬利之産又佳、如有二黴臭氣一者、能投二入水於内一、酒淨用二銀杏末一、和レ湯可レ洗、
錫罃子甚華美也、本綱云、置二酒於新錫器一、浸漬日久、或有レ毒、蓋錫含二砒霜石氣一也、舊年者不レ害、
p.0220 一今德利と云物を、古は錫(○)といひける也、むかしはやき物の德利なし、皆錫にて作りたる故すゞと云し也、
p.0221 酒次之分
錫 利休形德利なり
p.0221 古朴
邊國にても城下町家などは、都の風にも押移るものなるに、薩摩などは格別の遠國故にや、城下にも猶古風殘れり、器物も酒の銚子といふものなし、皆錫の德利(○○○○)なり、〈○下略〉
p.0221 誰やらのはなしに、定家の陶(とくり)とやら、ふくべとやらを、所持したる人有り、古物にても雅器にあらねば、何の用にたゝず、此類また有、予がしれる大井左大夫殿と申せし御方、甲州の族にて花菱を紋とす、此家に勝賴の備前德利(○○○○)あり、先祖の器とては是ばかりなれども、用なしとてわらはれぬ、
p.0221 備前 伊部(インベ)燒物〈酒瓶 藍壺 德利 鉢等〉
p.0221 享保十七年三月廿四日、下加茂松林院エ御成、〈九ツ時御出門、拙、大膳御供、○中略〉 御酒 ビゼン德利
p.0221 寬文十一年六月十八日ニ、ベツカウノ德利(○○○○○○○)〈一對○中略〉右ノ品々日光御寶藏へ納メ玉フ、
p.0221 品川宿は、〈○中略〉女郎は十文目にて雜用は別なり、先茶屋より白丁(ほくてう)とて、白の大德利(○○○○○)を提て、女郎屋へ案内して藝者を呼ぶ、
p.0221 墨繪浮氣袖
長屋住居の侍衆に、召使はれし中間と見えしが、朝の買物芝肴を籃に入れ、片手に酢德利(○○○)附木を持添へ、〈○下略〉
p.0221 家主殿の鼻ばしら
又かうじ屋から、蟬の大きさしたる油蟲ども、數千疋わたりきて、〈○中略〉醬油の德利(○○○○○)にはいり、鹽籠 にむさき事どもして、人のしらぬ世の費也、
p.0222 酒樽記
貧乏陶(○○○)に足る事を知るは、貧くしてへつらふ事なきにあたり、〈○中略〉下戸の内の神酒陶(○○○)は二タ月を越て酢となり、〈○下略〉
p.0222 酌之事
一すゞの酌之事、すゞの底を兩手にてかゝへ候て參する事もあり、但すゞに依べし、夏は下に置、手をかけ候てよし、其故はあたゝまりなど入ざる心得なり、
p.0222 銚子にても、間德利にても、折々水にて濯がねば、酒の味ひを損ずる故心付べし、
p.0222 天文十一年八月十日戊子、淵田入道後家德利一持來之、
p.0222 慶長十七年十二月廿四日、次禰宜和泉シヤウチウ酒一德利持參也、
p.0222 酒
江戸近年式正ニノミ銚子ヲ用ヒ、略ニハ 德利(○○○)ヲ用フ、 シテ其儘宴席ニ出スヲ專トス、此陶形近年ノ製ニテ、口ヲ大ニシ、大德利口ヨリ移シ易キニ備フ、銅鐵器ヲ用ヒザル故ニ味美也、又不レ移故ニ冷ヘズ、式正ニモ初メノ間、銚子ヲ用ヒ、一順或ハ三獻等ノ後ハ專ラ德利ヲ用フ、常ニ用レ之故ニ、銅チロリノ 酒甚飮難シ、大名モ略ニハ用レ之、京坂モ往々用レ之、
p.0222 間德利のはかまの箱(○○○○○)なくば、盆の上に置べし、
p.0222 名德利説
あるはらろりといひ、間鍋といひ、前後左右のむつかしみありて、弦によそほひ袴(○)をかけて、實は心のとけざるかたもあるべきに、〈○下略〉
p.0222 雜二十首 世の中はさてもせはしき酒のかんちろりのはかま(○○○)きたりぬいだり
p.0223 松平内藏頭治政〈○備前岡山〉時獻上 〈暑中〉御德利
p.0223 酒屋の孟趣
京の又六は、我死ば備前の國の土となせ、もしも德利とならば極樂、と辭世せしも殊勝なり、
p.0223 名二德利一説
つくねんと靜なる時、泥塑人のごとしとは、賢德の姿をほめて、此物にはあらざれども、したしめば一團の和氣あたゝかに、雪の夜あらしも身にしまざるは、これがためのたとへにもいふべかりける、まして備前の名産にして、六升ばかりを入るゝときけば、たとへ八仙の客にはとぼしくとも、虎溪の禁足は忘るゝにたりぬべし、なを此物の德を思ふに、斗樽は座敷に場をとれば、これがたぐひにはいふべからず、あるはちろりといひ、間鍋といひ、前後左右のむつかしみありて、弦によそほひ袴をかけて、實は心のとけざるかたもあるべきに、たゞ此物の口をそらざまになして、なみ居る人の中に出ても、いづれに向ふともなく、たれにそむくともなき姿をもそなふなるべし、此ぬしこれに名を呼む事を求む、むかし子猷が竹は、見ぬ日ありともさてやみぬべし、此ぬしのこの物における、一日もなくてはあらざるべく、つねに膝下に沼まつはさるれば、かの此君の名の古きを尋て、此童とよばんにいかゞ有べき、されば世の近侍の童は、立居に尻のかろきをほむれども、此童の奉公振はたゞいつまでも、いつまで草の根づよく尻の重からむこそ、主人の心には叶ふなるべけれ、
月に雪に花に德利の四方面
p.0223 九月九日 阿曾備
神酒の口にさゝれて三方の高きに登るせくの白菊
p.0224 觚〈古胡反、禮器也、一升曰レ爵、二升曰レ觚、角乃佐可豆支、〉 觵觥〈同古横反、禮器也、角爵、佐加豆支、〉
p.0224 盃盞 兼名苑云、盃一名巵、〈盃亦作レ杯、巵音支、和名佐賀都木、〉方言注云、盞〈音與レ産同、和名同レ上、〉盃之最小者也、
p.0224 按、廣韻云、桮杯上同、盃俗則作レ杯似レ是、然類聚名義抄作レ坏、彼所レ見本書亦從レ土也、蓋皇國古俗皆用二瓦盃一、故字變從レ土、古事記、日本書紀、皆用二是字一、伊呂波字類抄亦載レ之、此蓋本從レ土、而以三漢籍坏是坏丘坏冶字非二此義一、下總本、那波本、遂改作レ杯、恐非二源君之舊一也、〈○中略〉按、佐賀都岐、酒坏也、與二高坏、泔坏、油坏之坏一同、
p.0224 盃杯〈丘通下正〉
p.0224 杯〈音盃サカツキ〉 桮〈正盃或籀 古〉 㮎 〈俗〉 〈苦盍反、酒器又俗 字、〉 榼〈正、 古、サカツキ〉
p.0224 觴〈 二正、音傷、サカツ、キ〉 䚠〈胡本、胡昆、二反、〉 觚〈音狐、飮酒角ケタナルヲサカヅキ、〉 觥〈古横反、角爵、五廢上、サカツキ、〉 〈俗〉 觶〈支寘二音、サカツキ、〉 觵〈サグツキ〉
p.0224 〈麻摩二音杯〉 䀂〈音安、䀂殘大于䀂〉 〈音殘〉 㿿 〈今正、從レ雅、二三杯、〉 〈音犯、杯、〉 盞〈今淺 醆三、或サカツキ、音産、〉 盃〈通レ杯、正音坏、ツキ、サカツキモル、一名巵、音支、亦坏、〉
p.0224 盃〈サカツキ亦作レ杯〉 〈サカツキ〉 〈小杯名也〉 坏 巵 觴〈俗作レ 〉 爵 盞〈盃宿小者也〉鍾 雀 與 白〈擧白〉 觥〈酒器、受二大七升一罸二失禮一者、罸酒盃也、〉 觚 盂 玉緣〈酒承也〉 滿盃 玉舜 甖 鸚鵡盃〈已上同〉
p.0224 盃サカヅキ〈○中略〉 サカヅキとは、サカは酒也、ツキとは古語瓦器を呼てツキといふ、高坏短坏等の如き是也、後俗また器の字を讀みてツキといふ、下器讀みてカツキといひ、窪器讀みてクボツキといふが如き是也、倭名鈔に見えしサカヅキといふものも、今の如くに漆器なるものをいひしにはあらず、卽今カハラケといふもの是也、カハラケといふは、カハラは瓦也、ケは笥也、古には凡そ食を盛るものを呼びて笥といひけり、俗には土器を讀みてカハラケといふ也、〈ツキとは古語に器を呼びてケといひ、キといひしかば、土をもて作れる器なるをいひしに似たり、土器(ツキ)の字の音をもてや呼びぬらん、後俗又是によりて、凡の器をよびてツキといふなり、飯次湯次(メシツギユツギ)〉 〈などいふ類是也、また鍾の字讀みてサカヅキといふ也、卽今瓷器にしてチヨクといふもの是也、鍾を呼びてチヨクといふは、福建及び朝鮮の方言なるを、近俗かの方言の如くに呼びし也、〉
p.0225 盃はさかつぎ也、然れども左樣に讀ては風雅ならざる故、さかづきといふ也、湯をつぐものをゆつぎと云類也、觴は角にて製たるもの也、其形くぼみたる物也、盞はひらき盃也、巵は小盃也、盃は唐にて蓋有盃也、
p.0225 十八年八月、到二的邑一而進レ食、是日膳夫等遺レ盞(○)、故時人號二其忘レ盞處一曰二浮羽一、今謂レ的者訛也、昔筑紫俗號レ盞曰二浮羽(○○)一、
p.0225 普茶卓子略式心得
一席中都て雅言を用ゆ、〈○中略〉盃を爵(○)といひ、又單提(○○)といひ、〈○下略〉
p.0225 又其神〈○素戔鳴尊〉之嫡后須勢理毘賣命甚爲二嫉妬一、故其日子遲神和備〈氐〉、自二出雲一將レ上二坐倭國一而裝束立時、片御手者繫二御馬之鞍一、片御足踏二入其御鐙一而歌曰、〈○中略〉爾其后取二大御酒坏(○○)一、立依指擧而歌曰、〈○歌略〉
p.0225 銀器
盞一口〈受二三合一加二蓋盤一〉料、銀大一斤、炭六斗、和炭一石二斗、油一合五勺、長功一十人、〈火工二人、轆轤三人、磨二人、夫三人、〉中功一十一人、〈工八人、夫三人、〉短功一十二人、〈工九人、夫三人、〉
朱漆器
盞一口〈徑五寸〉料、漆一合七勺、朱沙一分、貲布二寸四分、絁布各一寸、綿二分、掃墨一勺、油一勺、炭一升、長功一人、中功一人小半、短功一人大半、
p.0225 一古は祝儀にも常にも、盃といふは皆かわらけ也、さかづきといふ事は近代の事也、今も盃を朱ぬりにして、うすくひらくするは、かわらけをまなびたる物也、京の銀閣寺に、七賢の盃とて七ツ入子の盃に、晉の七賢の名を蒔繪にしだる盃あり、是は東山殿の御盃也と申傳る 也、いぶかしき物なり、東山殿時代ぬり盃はなし、後に作りたるなるべし、
p.0226 或人問、古へ我國の盃其形如何にやと、曰上古盃は土器のみ、漆ぬりは中世已來か、相州鎌倉敎恩寺〈時宗なり〉に、昔平重衡千壽前と、酒宴せし盃とて寺寶にあり、大さ今の平皿のごとくにして淺く薄し、内外黑ぬりにして、内梅花まき繪あり、是中古酒盃なり、古田織部正守能茶亭の饗に備る時、製し初し盃の形なり、近世は彌輕薄の器となれり、
p.0226 酒坏
是迄さかづきは土器なるところ、織部〈○古田〉朱漆のぬり盃を物數寄せられたり、是木にて製したる塗盃世に出來たる始也と、世以て云へり、然るに東山銀閣寺に、將軍義政公製し給ひし朱漆の塗盃ありて、今寶物となる、〈○中略〉これを觀れば、織部朱漆の盃の始と云べからず、たゞ盃の形ちつき、其物數奇のはじめと云となるべし、
p.0226 甚鐵坊一二のたるをのみやぶる事〈付リ〉さめやすしゐふせらるゝ事
よしのうるしにて、ためぬりにのつたる大さん(○○○)取出し、うへから下までひとつになれと引うけ、しばしたもつてぞ見えにける、
p.0226 御歸城の後、三五郎〈○鈴木〉に御盃下され、信國の御刀を引る、盃に三日月を蒔繪にしたれば、向後これを吉例として、三日月をもて紋とせしめらる、
p.0226 一とせ關東にて尚齒會とて、七十歲以上の人を招きて、終日饗應有、御内の者共へも、其齡なるは皆々召して酒給はり、三井孫兵衞親和とて、其比高名の能書有、是も七十歲餘なりけるに、壽の字を篆文に書せて、夫を蒔繪にしたる盃を萬歲杯と名付、各の引出物とし、〈○下略〉
p.0226 天明六年三月七日五十御賀御祝儀御規式〈○中略〉
御内證獻上之品〈○中略〉 御盃 五拾 水野出羽守
但御盃、内之方菊壽、印籠之わく成菊壽字、厚切金にて致候も有、やすり粉にて致候も有レ之、十 枚ヅヽ五通りに替り、裏にも竹之蒔繪有レ之、
p.0227 盃之分
萩の繪 原叟好、大小二ツ重ね、朱刷毛目に、黑漆にて萩の摸樣、
釻 原叟好、朱二ツ重ね、裏に黑漆にて釻を書く、
飛石 原叟海部屋善次方にて、黑にて飛石をかゝれしを、今に寫し來る、朱の一枚盃なり、
p.0227 正月御はがためやうだい
御かたくちにて、九こん參らせ候、此御盃はつぼき物にて候、三の御さかづきもまいり候、 賤のをだ卷扨盃もうすければ、さのみ酒も過サず、馳走ぶりも能樣にしたり、今は〈○享和頃〉酒の手へかかり、衣類の爲にならぬ所に計氣が付て、盃もふかくこしらへ、〈○中略〉辨利にのみ成行て、雅なることも風流なることもなし、
p.0227 蚫貝のかたつくれる盃を出しければ
此貝を手にとりえしはわたつ海の底なし上戸あまならねども
p.0227 杯〈音背〉 盃〈同〉 坏〈同〉 和名佐加豆岐〈○中略〉
按、坏初用二瓦器(○○)一、故名二酒土器(サカツキ)一、〈止與レ都通〉出二於城州深草一者良、河州龍目(タツメ)次レ之、日本紀云、神武天皇取二香久山埴土一作二平瓫一、以祭二神祇一、〈干瓫、卽今之瓦器類、〉今亦神酒、婚儀、嘉祝、皆用二瓦器一、然厭二破易一、尋常用二木杯(○○)一、多朱髤、釦 、描金、撒金等甚華美也、
p.0227 かざみきたるわらは二人、〈○中略〉いま一人はしろがねのおしきにこがねのさかづき(○○○○○○○○)すゑて、大かうじ御さかなにて、いだし給へりければ、御ともの殿上人とりてまいりて、い とめづらしき御よういにはべりけり、〈○又見二十訓抄、古今著聞集一、〉
p.0228 文龜二年七月十二日壬午、卅首勅題拜見、〈○中略〉下官自二女中方一參入、候二御酌一、金銀御盃(○○○○)二也、
p.0228 初齋院裝束
銀盞(○○)一具〈○中略〉
年料供物
銀盞一合〈(中略)並供御料長用〉
p.0228 齋王定畢所レ請雜物
膳器、〈○中略〉銀盞一合、
p.0228 しろがねの御さかづきを、宰相もちてまゐりたるを、はいぜんとりて御まへにまゐらせらる
p.0228 十一日列見事
大辨搢レ笏取レ杓、到二上卿座南邊一、入二酒於白銅盞(○○○)一、
p.0228 石淸水臨時祭
三獻、〈○中略〉陪從發二歌笛聲一、立二插頭華臺一〈藏人取レ之立二長橋東端一〉置二螺盃銅盞一、〈盃在二盞上一、藏人取レ之置二插頭華臺頭一如レ常、〉
p.0228 銅盞
今思ふに、これは金銅、銀銅の酒盃なり、
p.0228 下酉日賀茂臨時祭事
以二螺盃銅盞一賜二一巡一、使等起レ座、〈○下略〉
p.0228 内藏寮
頭一人掌二〈○中略〉寶器〈一謂金樽玉盞(○○)之類也〉
p.0229 承和元年八月辛巳、〈○三日〉上〈○仁明〉爲二先太上天皇〈○嵯峨〉及太皇太后一、〈○嵯峨后橘嘉智子〉置二酒於冷然院一、上奉二白玉巵一、伶官奏レ樂、令三源氏兒童舞二于殿上一、極レ歡而罷、
p.0229 ようづにいみじくとも、色このまざらん男は、いとさう〴〵しく、玉のさかづきのそこなき心ちぞすべき、〈○下略〉
p.0229 三都賦 左太沖
且夫玉巵無レ當、雖レ寶非レ用、
御寶物目錄
一瑪瑙杯(○○○) 一
源氏物語
p.0229 宮の御かたより、ふずくまゐり給、ぢんのおしき四、したんのさかづき(○○○○○○○○)、ふぢのむらごのうちしきに、おり枝ぬひたり、白かねのやうき、るりの御さかづき(○○○○○○○○)、へいじはこんるりなり、〈○下略〉
p.0229 文明十六年十月十七日、次謁二西御所一、同致二禮謝一、獻以二七寶瑠璃盃(○○○○○)一、〈○下略〉
p.0229 犀角杯(○○○)〈一白、一黑、〉
p.0229 嘉保年寶藏實錄日記
第一韓櫃 犀角坏壹口
前帳云、口缺三所各一分者、寬治六年帳云、今撿同レ前、
p.0229 鼈甲作盞(べつこうづくりのさん/○○○○)
p.0229 元慶元年六月廿五日甲午、渤海國使楊中遠、自二出雲國一還二於本蕃一、王啓幷信物不レ受而還之、大使中遠、欲下以二珍翫玳瑁酒盃(○○○○)等一奉上レ獻二天子一、皆不レ受之、
p.0229 御元服 其上置二陶器御盃(○○○○)一口一〈口徑四寸、加二蓋幷盤等一、○下略〉
p.0230 燒物の盃に酒をもれば、おのづから盃中に、星のかげうかむとて、重寶にしける人のもとにて、 朱樂菅江
一口は下月でも千葉のすけよかし家の秘藏の盃にほし
p.0230 慶長八年八月廿六日庚戌、禁中ヨリビイドロ馬上盞(○○○○○○○)一拜領了、忝者也、
p.0230 椰子盃(ヤシハイ/○○○)〈椰木也、横截二椰子一爲レ盃、若以レ毒投二盃中一、酒忽沸涌、令二人無一レ害也、然今人漆二其盃中一其失二椰子之用一也、○又見二壒囊抄一〉
p.0230 椰子盃(やしを)〈消レ毒〉
p.0230 人魂も死ぬる程の中
さる格子には、紙盃(○○)に割竹を傳せ、酒買はすなど、何事もすればなるものなり、
p.0230 長享三年六月十二日、芳州依二鹽斷一後來、愚云、浮白風流罪、蓋白漆之大盃(○○○○○)出、故及レ之、
p.0230 夫婦三土器
三土器ハ往古ヨリ今モ土器ヲ用、乍レ去例ハ何ノ比ヨリカ塗盃(○○)ヲ用、〈○下略〉
p.0230 九月九日 土性軒逸山
菊壽盃(○○○)童子が酌の千代こめて不老不死の中に瀧呑
p.0230 紙屋の芳春
すこし丘がたに並ゐて、雪ならぬ絹かけ松見て、飮んといふに、吸筒おの〳〵取出す、みな盃をわすれて來ぬ、おかしく此口よりすぐに、口にあけんともいひ、許由が流に手してやらんといふも、さすが心きよからざりしに、僕こゝろへて、日頃たしなめりとて、たゝみ盃(○○○○)といふものを、藥袋より出すも又紙なり、
p.0230 搖盃(○○) 此盃二重底にして、上底はびいどろなり、その下に龜あつて、平常は盃を手にとつても、此かめうごかず、酒をうくれば、頭ならびに手足皆動搖するなり、ゆへにこれを搖盃と名づく、〈○下略〉
p.0231 老を樂む果報親父
扨昔から御酒がお好とて、高蒔繪の大盃(○○)を出せば、是よりは茶碗でと望む程に、いかやう共御心まかせと、其日は行儀を改めず、〈○下略〉
p.0231 凡供二神御一雜物者、〈○中略〉造酒司所レ備〈○中略〉小盞(○○)六十口、〈已上各盛レ筥置レ案〉
p.0231 杯〈○中略〉
其大者名二武藏野一、小者名二織部(○○)一、〈天正之比、武臣古田織部重能善二茶道一、而始作二此形一、〉其餘數品不二枚擧一、
p.0231 織部盃 盃に織部形といへるもの有て、小盃なり、よつて邊鄙の野人など、盃を織部と心得し人もありとかや、元豐臣家のときに、日根野織部正高吉と云し人の、好み申されし形となん、依て織部形といへり、此織部と云は、古織〈○古田織部正〉ならず別人なり、日根野氏は武備調ひし人にて、武器の物數寄名人なりとかや、されば武器に名のこれり、
p.0231 近郷のもの共そこふかにかせいする事〈付〉樽次をりべおどしの事
そこふかにくまんとたくみ給ひしに、何とかし給ひけん、をりべをひとつとりおとし給ふ、
p.0231 不文字
古田織部の數寄に出さるゝほどの物をば、其道をまなぶもまなばぬも、天然と賞翫し、もてあつかひしゆゑ、中酒に座敷へ用ひられつる盃までも、なべて人織部盃といひふるゝ、さるまゝ京に三八といふ者あり、扨は盃をばいづれもおりべといふ物ぞと、合點しゐたり、あるとき三八が顏あかく、機嫌よささうなるを、人見つけて、そちはあらけなくゑひたる體ぞといへば、道理かな今朝のふるまひに、汁の椀のおりべで、つゞけざま三盃のみたるもの、
p.0232 御酒盞事
三獻毎度土器可レ供レ之
p.0232 鍾ハヘイカウ二度入、三度入是也、然近代間ノ物五度入、七度入、十度入、塞鼻如レ斯種々土器令二出來一、酒興盛故也、
p.0232 一盃のかはらけ寸によりて、名をいふなり、
七度入、九寸は九度入と云、いづれも此心得也、
p.0232 酒に付て式法の事
一しうげんの時は、御とをりとて、ちいさき土器をあまたつみて御前に置也、式は七度入、或は五度入にても酒をばうけ候て、卒度口をあてゝをかるゝを、今のちいさきかわらけにつき渡して、めしいださるゝゝに下さるゝ也、此時は土器を持て立也、
p.0232 元和七年十月廿二日庚寅、能過テ、天酌〈○後水尾〉ニテ御トヲリ有、五度入ニテ三盃、至二六位一有レ之、
p.0232 一今時盃に用るかわらけに、内ぐもりとて、土器の内を黑く三ツ星の樣に、やきたる土器あり、内くもりといふ名は、舊記に見及ばず、古はなき物なるべし、くもるといふ事は、祝儀などにはいむべき名也、又内くもりとは、うつくしくはだをみがきたる物也、これをはだよしといふ、古ははだをみがく事はなし、さればかわらけのひねりどめを、前へむけて酒のむ事、出陣にはいむ由舊記にあり、是みがゝぬ土器を用たる證據也、みがきたるにはひねりどめなし、
p.0232 長柄の銚子にもみぢの土器 同〈○高館〉草子、長柄の銚子に、もみぢの土器すへてとあり、もみぢのかわらけとは、赤きかわらけの事成べし、赤きかわらけは、常のかわらけ也、白かわらけもあるゆへ、もみぢのかわらけと云たる也、
p.0233 彼岸櫻
此秋の彼岸にもまたさけ櫻もみぢは春も酒のかはらけ
紅葉土器といふあり
p.0233 永野九十郎事
西山公〈○德川光圀〉御幼年の時、威公〈○德川賴房〉の命にて、刑人の首を提給ひしは、永野九十郎と云者の首なり、〈○中略〉此九十郎が髑髏は、盃に作らせたまひしといへり、
p.0233 趙襄子最怨二智伯一、〈○註略〉漆二其頭一以爲二飮器一、
p.0233 高子式山人達士也、置二髑髏杯一時時把玩、一二死生一遺二形骸一、超然自適焉、少年輩爭飮
爲二豪擧一、予獨蹙額不レ能レ飮、衆笑二予未達一、因作二髑髏杯行一、自嘲兼爲二髑髏一解レ嘲、
旣非二月支頭一、亦無二知伯仇一、山人好レ奇奇至レ骨、日盛二美酒一以二髑髏一、少年爭飮誇二豪許一、皆道山人達士流、座中一客字子羽、蹙額不レ飮心獨憂、試問髑髏汝何辜、驚二骸甘夢一不レ得レ休、又問汝何物奴耶隷耶、將王侯樽前搖レ頭供二嬉笑一、若非二侏儒一必徘優、髑髏答言、在レ世時只記、沈湎飮二酒池一、又記朝戴二漉酒巾一、夕著二白接䍦一、有レ時興來稱二草聖一、脱レ帽何妨鬂如レ絲、一自三蓬累歸二山阿一、貴賤貧富不二復知一、我肉旣飫二鳥鳶腹一、我顱偶爾匹二鴟夷一、我形不レ須司命復、我魂不レ要宋玉辭、糟丘烟霞喚レ我起、知己誰如二山人奇一、山人日日摩二我頂一、髐然何利二天下一爲、出二離蓬蒿一厠二綺席一、子羽莫三謾嘲二支離一、我聞古酒人一棺、徒戢レ身縱葬二陶家土一、何異二湘水濱一、涓滴不レ到劉伶冢、南州雞絮豈沾レ唇、淵明臨レ終不レ得レ足、畢卓了レ生不二復晨一、古來酒人孰如レ我、宿習綿綿醉二天眞一、不レ管功名朽不朽、不レ論形神親不親、未レ作二阿梨七分破一、常染酴釄萬斛春、君不レ見無功日月終二醉郷一、酈生意氣盡二高陽一、中山千日偏苦レ短、百年三萬亦非レ長、嵇阮化爲二褐之父一、黃公壚下暗悲傷、笑殺人間北海守、何如地下南面王自誇、唯我酣暢哉、長夜濡レ首首作レ杯、子羽頭顱聞二此語一、同口責二子羽一、子羽汝爲二生頭顱一、彼爲二死頭顱一、生死頭顱亦奚擇、况勝二子璋血摸糊一、蹙額不レ飮一何愚、汝今不レ飮歲將レ去、俛仰間與レ彼爲レ伍、
p.0234 秋山儀、字子羽、 紀平洲小語曰、〈○中略〉子羽、外柔内剛、有下親友作二髑髏杯一者上、諸客皆擧、獨子羽不二敢飮一作レ詩諷レ之、
p.0234 いま東都太平の御代にうまれて、聖朝の德化に浴する人のうちにも、ゑならのものずきする事を、風雅とおぼへたともがらには、人の頭髏もてさかづきにつくれるめくらもあり、かのめくらは、唐詩選のこうしやくする事、仕おぼへたれば、月氏頭にのむといふ詩の語をきゝかじりて、かまくらへゆきける折から、屛風が谷にうづもれたる、北條家の髏骨をひろひきて、きんはくもて、これを裝嚴し、或る大諸侯さまのやかたへもちゆきて、かの諸侯さまをせこめ奉りて、髑髏杯の酒をすゝめたる時、諸侯さまにも、さすがに寬仁大度の御氣象にて、めくらがこゝうに、さからひ玉はで、その酒のみ玉ふたれども、めくらが異をこのむに、あきれおはしたるよし、その侯の家につかふる、同學の秋山それがし、かたりきかせ侍りぬ、
p.0234 錦貝 辨色立成云、錦貝、〈夜久乃斑貝、今案所レ謂爲レ盃之紅螺是也、〉
p.0234 蠃小者蜬註〈螺大者如レ斗、出二日南漲海中一、可三以爲二酒杯一、○下略〉
p.0234 海蠃
靑螺ハヤクガヒ、薩州夜久島ノ産ナリ、故ニ名ク、誤リテ夜光ト云フ、形紅螺ニ似テ、厚大ニシテ微扁シ、外色灰白、内ハ銀色ニシテ、翠紫ヲ帶テ珠色ノ如シ、外皮ヲ刮リ去ルトキハ珠色ヲ現ズ、工人斜ニ切テ酒杯トス、夜光ト云フ、
p.0234 くぎやう殿上人は、かはる〴〵盃とりて、はてにはやくがひといふ物、おのこなどのせんだに、うたてあるを、御前に女ぞ出でとりける、
p.0234 明衡往來ニ泛二羽觴一トアルハ何事ゾ 是酒器名也、羽トハ鳥也、觴ハサカツキ也、禮記ニモ提レ觴捕レ蟹之行專薀二胸中一トヨメリ、譬ヘバ鳥形ヲ作テ羽ニ觴ヲ居ル也、其付テ鸚鵡酒ヲ好ム故 ニ彼形ヲ作ル、仍鸚鵡盃トモ云也、何レモ只鳥ノサカツキト云心ナリ、或説ニハ、海中ニ貝アリ、鸚鵡ノ形ニ似タリ、是ヲ取テ背ウガチ破リテ盃ニ用、能泛ガ故ニト云々、是ハ曲水ノ宴ニ用ル觴也、〈○中略〉鸚鵡ハ物云鳥ナレ、彼形ヲ作テ此盃ノ臺トシ、或似タル貝ヲ用ト云々、
p.0235 古爵羽觴
楚詞曰、瑤漿密勺實羽觴、張衡西京賦、促二中堂之狹坐一、羽觴行而無レ算、班婕好東宮賦曰、酌二羽觴一兮消レ憂、諸家釋二羽觴一皆不レ同、劉德曰、酒行疾如レ羽、如淳曰、以二玳瑁一覆二翠羽一、於レ下徹レ上可レ見、劉良曰、杯上插レ羽以速飮、皆非レ是、束皙論禊曰、逸詩云、羽觴隨レ波流、且以二隨レ波之用一證レ之、若果插レ羽則流泛非レ便、至レ謂二玳瑁翠羽相須爲一レ麗、則太不レ經、惟李善引二漢書音義一曰、作二生爵形一者是也、古飮器自有レ爵、眞爲二爵形一、劉杳謂、古尊彝皆刻レ木爲二鳥獸一、鑿二頂及背一以出レ酒者、卽其制也、本朝李公麟得二舌爵一、陸佃繪二之禮象圖一、其形有レ味有レ足有レ尾、但不レ爲レ背、而盡窪二虚其中一以受二酒醴一、蓋通身全是一爵也、惟右偏著レ耳以便二執持一如二屈巵一、然乃始是飮器制度、蘇文忠之詩、有下狀二胡穆銅器一者上曰、隻耳獸齧レ環、長唇鵞擘レ喙、三趾下鋭春蒲短、兩柱高張秋茵細、君看飜覆俯仰間、覆成二三角一飜二兩髻一、古書雖二滿腹一、苟有レ用レ我亦隨レ世、嗟君一見呼作レ鼎、纔注二升合一已漂逝、文忠不下正命二其器一以爲上レ爵、而徇二穆之所一レ名、姑以爲レ鼎、然味二其所一レ詠、形模大小以較二禮象一、則與二李公麟古爵一正同、古爵雀字通、紹興間奉常鑄レ爵、正作二雀形一、如二禮象所一レ繪、知二其有一レ所レ本也、則夫以レ爵爲レ觴、而命二之羽觴一、正指レ實矣、孟康釋二班賦一亦曰、羽觴作二生爵形一、有二頭尾羽翼一、師古曰、孟説是也、第其制隨レ事取レ便、鑄レ銅爲レ之、則可二堅久一、於二祭燕一爲レ宜、若以二流泛一、卽刻レ木爲レ之、可レ飮可レ浮、皆通變矣、
p.0235 螺盃 あふむのさかづき
今思ふに、これは二ツのわかち有り、螺鈿といへるは、今云靑貝なり、また介をそのまゝすりて、盃にしたるをも云ふ、それは漢の書に見えし所の、鸚鵡盃といへるものにて、今此方に鰒介、あるは阿古やといへる物にて、作れるものなり、
p.0236 三月三日曲水宴といふことは、六條殿にて、この殿〈○藤原師通〉せさせ給ときこえ侍き、から人のみぎはになみゐて、あうむのさかづきうかべて、もゝの花の宴とてすることを、東三條にて、御堂のおとゞ〈○藤原道長〉せさせ給き、そのふるきあとを尋させ給ふなるべし、
p.0236 おなじくさかもりの事
たきぐちの三郎、〈○中略〉おひのばつざしきよりすゝみ出申けるは、たゞいまのさかづきもさる事にて候へども、あまりにもどかしくおぼへ候、大きなるさかづきをもつて、一づゝ御まはし候へかしと申ければ、たきぐちどのゝおほせこそおもしろけれとて、いとうの次郎かいといふかいをとり出し、此かい日本一二ばんのかいとて、ゐんへ參らせたりしを、くげにはかいを御もちひなき事なれば、ぶけにくださるゝ、太郎がいをばちゝぶにくださる、ひさげ五つぞ入ける、二郎がいをば三郎にくださる、しんすけ給はつて、どいの二郎にとらする、てんじやうをゆるされたるうつは物とて、ひざうしてもちけるを、おりふしかはづの三郎、どいがむこになりてきたりしを、ひきでものにしたりけり、うちはをのれなりに、そとはなしぢにまきて、いそなりにめをさしたり、ひさげ三ぞ入ける、〈○下略〉
p.0236 太郎次郎
非情の物の魁なるを太郎とよび、それに次を次郎といふ事種々あり、刀に太郎太刀、次郎太刀、盃に太郎貝、次郎螺、〈○下略〉
p.0236 一後京極殿〈○藤原良經〉は、院もいみじき關白攝政かなと、よに御心にかなひて、よき事したりと、ひしと思召てありけり、〈○中略〉中御門京極に、いづくにもまさりたるやうなる家作りたてゝ、山水池水峨々たる事にてめでたくして、元久三年三月十三日とかやに、絶えたる曲水の宴をこなはんとて、鸚鵡杯つくらせなどして、いみじくよの人もまち悦て、松殿の女を北政所にせられ たり、
p.0237 浮獺といふ遊筵の看樓は新淸水に隣る、原此名は貝觴の銘にして、其器を見るに、鮑の貝の、十一の穴あるを塞ぎて、酒をこれに盛れば七合半盛れるなり、これを滿酌して、飮する人を譽とし、暢酣牒を出し其名を署す、これ風俗なりとそ、由緣齋が、
ひとつなる人に見せばや津の國の難波あたりの浮瀨の月 貞柳
此貝盃の袋は唐織にして、むかし長曾我部元親といふ勇將の陣羽織といふ、又幾瀨といふ貝盃あり、これは鶉貝なり、僅壹合餘盛れる、此袋も浮瀨と同じ、あるは銘を鳴門と號して、夜光貝の盃あり、紅毛(おらんだ)わたりの貝巵、銘を春風といふ、君が爲、梅がえなどいふ、鮑の酒器あり、
p.0237 今人おほく石決明のうるはしきもて盃とす、或は浮瀨をもて名とす、楊升庵が丹鉛錄云、車渠作レ盃、注レ酒滿過二一分一不レ溢、車渠一名海扇、和名帆立貝、今多く匙杓に作るといへり、
p.0237 淺草の酒家、うかむ瀨といへるたかどのにて、鮑の貝の大なる盃にて酒すゝめければ、 四方赤良
生醉とわらはゞわらへ味酒のみをすてゝこそうかむ瀨の貝
p.0237 みやこどりの序 僧專吟
なにはあたりの、うつせあはびを、うかむ瀨と名づけて、奇物となせしは、身をすてゝこその、たはれことより出て、遠き境にもしる人すくなからず、こゝに扇德と云人、その俤をしたひて、一ツの器に盞をしつらひ、硯懷紙やうのものを添て、風騷の人々に句を乞、これをさかなになして、酒の興をあらしめんとす、箱の中の貝なれば、二見のうらなどゝも、よぶべかりしを、都鳥とは、もしむさしの國の名物、京には見なれずとかや、それにしては、ふたつともたよりうすし、たゞ水鳥とのこゝうなるべし、〈○中略〉此比袖のうらといふ盞の、發句を勸進したり、いかならん旅客にや、其貝い まだ手にとらねど、源左衞門〈○扇德〉が貝よりも、やさしくて、袂より出たるならんと、白ぎくを貝の身にせん袖のうら〈○下略〉
p.0238 田子庵記
こゝに田子庵と號するいはれは、此家に愛翫せる蚫貝の盃ありて、それを田子浦とよぶ故也とぞ、そはさらば難波にきこえだる、浮瀨屋の出店かといふ人も有ぬべし、そもや浦の名をとりて盃の名とし、亦盃の名をとりて庵の名とす、〈○下略〉
p.0238 播磨のなにがし、帆たて貝を盃にして、銘と狂歌を望ければ、つりばりと名をつけ、 歌を書てやる、
酒の舟歌や詩をつるはりまがたさかづきとせし貝も帆立てゝ
p.0238 天皇卽以二髮長比賣賜二于其御子一、〈○仁德〉所レ賜狀者、天皇聞二看豐明之日、於髮長比賣一令レ握二大御酒柏一賜二其太子一、
p.0238 大御酒柏(オホミキノカシハ)は、酒を受て飮ム葉なり、〈○中略〉抑酒を柏に受て飮ム事は、いと〳〵上代のわざなりしが、定まれる禮となりて、豐明などには、必其事ありしなり、
p.0238 自レ此後時、太后〈○石之日賣命〉爲レ將二豐樂一而、於レ採二御綱柏一、幸二行木國一之間、天皇婚二八田若郎女一、於レ是太后御綱柏積二盈御船一、還幸之時、〈○中略〉於レ是太后、大恨怒、載二其御船一之御綱柏者、悉投二棄於海一、故號二其地一謂二御津前一也、〈○中略〉此時之後、將レ爲二豐樂一之時、氏氏之女等皆參朝、〈○中略〉於レ是太后石之日賣命、自取二大御酒柏一、賜二諸氏氏之女等一、
p.0238 次齋宮主神司諸司官人等、〈其儛畢人別直會酒采女二人侍御、用レ柏盛給〉然男官儛畢、
p.0238 踐祚大嘗祭儀
次神服男七十二人、〈著二靑摺布衫幷日蔭鬘一、各執二酒柏一、所レ謂酒柏者、以二弓絃葉一挾二白木一四重、別四枚在二左右一、○中略〉神祇官一人率二神服男女等一、到二膳屋一 置二酒柏一退出、
p.0239 踐祚大嘗祭儀
次神祇官中臣忌部、及小齋侍從以下番上以上、左右分入二造酒司一、人別賜レ柏、卽受レ酒而飮訖、以レ柏爲レ鬘而和舞、
p.0239 六月月衣祭〈十二月准レ此〉
次寮允以上一人、〈酒立女一人持レ柏、一人持レ酒、毎二儛了一一人令レ飲二柏酒一、〉
p.0239 卯日〈○十一月〉平明、神祇官班二幣帛於諸神一、〈○中略〉次神服女五十人分在二左右一、〈靑摺衣、日蔭鬘、男女各執二酒柏一、以二弓絃葉插二白竿一四重、重別四枚、〉
p.0239 神祇歌中人家 度會仲房
むかしたれみつのかしはのさかづきをあまてる神にたむけそめけん
p.0239 抑當宮ノ祭禮ハ、四季ノ奉幣ノ使トテ、都ヨリ勅使下向シテ神事ヲ勤メ、其外月次日次ノ神事トテ退轉無物也、其ニ二見ノ浦ノ所司等、皆和布ヲ取テ神前ニ備、又三角ノカシハノ盃トテ、二見ノ東ナルサヽラ島ト云所ニテ、柏ノ葉ヲ取事アリ、譬ヘバ此島ケンソニシテ陸地ヨリ通路無間、高鹽ノ絶タル時、此島ノ陰ニ船ヲ浮メテ、此柏ノ葉ヲ浪ノ上へ苅落ス、神杯ニ成ベキハ必浮ブ、其器ニ當ラザルハ悉ク沈テミクヅトナル、其故ヲ以神杯ヲ占ナフ也、是ヲ柏ノ神ト號ス、
p.0239 盞(さかづき)〈俗云チヨク、小坏也、琖ト同、〉
p.0239 琖(チヨク)〈爾雅、爵之淺者曰レ琖、〉 醆口(同)〈出二根木雜事一〉 猪口(同)〈俗字〉
p.0239 盞音贊 琖同 和名佐賀都木 猪口(チヨク) 盞俗 形似二猪口一故名、未レ詳、按盞、盃之最小者、俗云二猪口盃一、其 反(ハタソル)者名二牽牛花形一、大小有二數品一、今人冷飮用レ之、〈○下略〉
p.0239 ちよく 常に猪口と書り、或説に盞を鍾といふ、ちよんつうは鍾子也、今瓷器に いふもの是也、鍾を猪口といふは、卽今福建及朝鮮の方音也とぞ、佛經に鍾をしゆくとよめり、さればしゆく音轉じて、ちよくとなれるなるべしといへり、黃鍾をわうしきとよみ、萬葉集にしくれを鍾禮と書るも皆古音なり、薩摩にてのぞきといへり、
p.0240 普茶卓子略式心得
一席中都て雅言を用ゆ、〈○中略〉盃猪口を十景套盃(じつきんばい)、また石(いし)ともいふ、
p.0240 天保十三寅年十一月二十一日〈○中略〉
一盃猪口等〈江〉金銀を燒付、手を込候繪柄、〈幷〉高價之品、樂燒等商候者、
右者密々入念取調、早々御申聞可レ被レ成候、尤組合内ニ無レ之候共、及レ見候ハヾ、是又御申聞可レ被レ成候事、
十一月二十一日
p.0240 予幼少の頃は、酒の器は、鐵銚子、塗盃に限りたる樣なりしを、いつの頃よりか銚子は染付の陶器と成り、盃は猪口と變じ、酒は土器でなければ呑めぬなどゝいひ、〈○下略〉
p.0240 酒
盃モ近年ハ漆盃ヲ用フコト稀ニテ、磁器ヲ專用トス、京坂モ 德利ハ未ダ專用セザレドモ、磁杯ハ專ラ行ハルヽ也、磁杯三都トモニチヨクト云、猪口也、三都トモ式正塗杯、略ニハ猪口、式正ニモ初塗杯、後猪口ヲ用フコト銚子ニ准ズ、〈○中略〉
近製猪口〈○圖略〉薄キコト紙ノ如ク、口徑二寸許、深サ八分バカリ也、大小アリ、尾張ニテ專ラ燒レ之、昔ハ陶器磁器トモ、始メ紋摸樣等ヲ描キ彩リ、後白玉粉ト云ヲ掛テ燒成ル也、然ルニ文政比ヨリ、此猪口ヲ白ノマヽ白玉ヲカケ燒テ、無文ナルヲ太白ト云、是ニ江戸大坂等ニテ、藍及ビ諸彩金銀泥ヲ以テ、種々密畫ヲカキ、其彩品ニ白玉粉等ヲ加ヘタル故ニ、再竈ニ燒テ屬レ之也、號テキンガキト 云、錦書ナルベシ、其美未曾有也、近年是ヲ專用セシガ、三五年來數彩ハ稍廢レ、藍或ハ金銀畫行ル、此他舶來ノ物ヲモ用フ、舶來ノ物等ハ、内外ゴスノ藍繪アリ、再燒ノ物ニ非ズ、
p.0241 題しらず 滿永
菊盆に槿のちよく桔梗皿みな花やかな道具ども哉
p.0241 桑名 梅香園
蠶かふ桑名の宿の泊り客猪口に糸ひく酒をこふらん
p.0241 こつふ 酒盞の類にいふ蠻語也、或は骨杯と書り、又しつふともいふ、金叵羅をよめり、或は琖をよめり、遵生八牋の高脚勸杯是也、
p.0241 觴〈○中略〉
觚小者稱二古都布(コツフ)一、名酒冷飮用レ之、
p.0241 賀留多 六條坊門製レ之、〈○中略〉元阿蘭陀人玩レ之、長崎港土人效レ之爲レ戯、凡賀留多有二四種紋一、〈○中略〉一種紋謂二古津不一、蠻國酒盃、謂二古津不一、是表二酒盃一者也、
p.0241 普茶卓子略式心得
一こつぷ、酒鍾は銘々ひかへあれど、酒たけなはにおよびて、各たがひに盃をとりかへて、飮事なり、
p.0241 主人相伴にて獻つ酬つ、酒宴にならば、外の盃猪口、滑杯(こつふ)などを出し、〈○下略〉
p.0241 酒器
昇平旣久、玩好日盛、而酒器最多、高野惟馨、造二髑髏杯一、〈玉山集〉是尤好レ奇者也、〈○中略〉攝津商家一大杯畫二七猩々鼓樂醉舞之狀一、容二六升五合一、杯臍容二一升一〈攝津名所圖會〉是尤大者也、嵐山以二櫻花一聞二天下一、而土人以二櫻樹一造レ杯、墨水以二都鳥一聞二天下一、而土人造二陶盃一畫二都鳥一、是皆以二勝槩一得レ名者也、其他駿河竹絲杯、陸奧埋木杯、 皆爲二世所一レ賞、若二夫物茂卿之金叵羅、〈徂徠集〉平玄中之紅玉杯一、〈金華集〉特文人華靡之語、非二其實一也、源君美不レ好レ酒而好二酒器一、〈白石集〉梁田邦美不レ解レ飮、而小盞淺酌、善與二酒徒一遊處、〈蛻岩集〉可レ謂レ奇矣、
p.0242 後水鳥記
文化十二のとし乙亥霜月廿一日、江戸の北郊千住のほとり、中六といへるものゝ隱家にて、酒合戰の事あり、〈○中略〉白木の臺に大杯をのせて出す、そのさかづきは、
江島盃〈五合入〉 鎌倉盃〈七合入〉
宮島盃〈一升入〉 萬壽無疆盃〈一升五合入〉
綠毛龜盃〈二升五合入〉 丹頂鶴盃〈三升入〉
をの〳〵その杯蒔繪なるべし〈○下略〉
p.0242 小原盃(○○○)ハ、小原權兵衞トイフ者、元祿ノ比作出ス、
p.0242 小原酒盃 をはらさかづき
京都將軍の時出來し物となり、二寸四分の平盃なり、黑木の蒔繪有る故にさいふといへり、享保中にも幸阿彌何某に、仰付られて奉りし樣有りといふ、北村季吟がいへるは、むかし小原の黑木賣の女どもの、うたへる歌に、黑木めせ〳〵さゝをめせうすくもこくもきこしめせ〳〵、といへるによりて、この酒盃もおこれりといへり、さゝをめせは酒飮なり、 或人云、東福門院樣の御好にて、小原椀の形を以て御盃を仰せ付らる、黑木の蒔繪を、幸阿彌某まゐらせしとかや、寬永年中の事とぞ、その時誰人にや御側にてよみし歌とて、黑木めせめせ〳〵くろきさゝをめせこくも薄くもきこしめせ〳〵、
p.0242 をはら、屠龍工隨筆小原女どもの、笠かぶりて、歩みつれたるを、義政の東山より見給ひて、小原盃は作り初られしといへり、此説非なり、大原女を小原女とはいかゞ、笠かぶりては 薪をいたゞきがたし、〈但し小原の女といふにや、そは小原女といへることなし、〉凡かさといふは笠のみにあらず、物覆ふをいふ名なり、合子にかさといふも、おほふ物なればなり、〈○註略〉はらとは杯の異名なるべし、事物異名酒盃の條に、叵羅〈叵音坡上聲〉と出たり、さりながら常の杯とは異なり、照世盃首卷第一回、阮江蘭接レ酒在レ手、見二那叵羅一、是尖底巨腮小口、足々容二得二斤多許一、是は中ふくらなる下細き杯なり、群碎錄、不落酒器名、白樂天詞、銀不落從二君勸一とあれば、不落叵羅一音なり、袁中郎が觴政十三杯杓の内に、黃白金叵羅と有、また帝京景物略、城隍廟市のうり物の内、有二倭扇一、有二葛巴刺碗數珠云々、また西域雙林寺條下に、葛巴刺碗者、解二項顱骨一、而金絡瓣稜、尖如二蓮房一也、これこゝにていふ佛器猪口なるべし、されば叵羅は異國の碗の名にて、今こツぷといふものと見えたり、こゝにて五山の僧など、酒杯を叵羅といひしより、小盞をおはらといふ事になりしなるべし、
p.0243 武藏野の盃 京師或家の藏に、東山殿時代の蒔畫盃あるよしを聞り、大原木の摸樣なる故に大原と銘す、然れども是は糸底ありて、爾のみ形の異なる事なしとぞ、〈○歌略〉
p.0243 武藏野(むさしの/○○○)〈酒盃大者曰二武藏野一也、言野見不レ盡之意也云云、〉
p.0243 誰袖海に、むさし野はおくゆき淺し、笠さかづきはかさびくなりとかく熊がへ、これをみれば、武さし野は大なれども淺きをいへり、くまがへといへる編笠にあり、其形の杯とみゆ、
p.0243 武藏野の盃 攝河近郷の方言に、集會の酒宴闌に成、旣に盃を納んとなすに及んで、客より主に乞て、最早武藏にして納め給へといふ事を例とす、按ずるに、古代の作に、武藏野と號し大盃ありて、内一面芒の描金を書たり、正く此武藏野を順盃にして、納め給へと言しを、後世略して武藏といひ、又其風(なら)ひ忙て、今樣の盃の大なるを出して、納の盃となすをも、武藏と言へるなるべし、平野の郷なる、多治見氏の藏せられしを、爰に摸寫して左に出たり、〈○圖略〉其品頗る名作に て、至つて薄く輕し、尤糸底なし、香臺など附たるは、總て後世の作なるべし、下地黑漆の上、總、金箔押たるが、時代にて摺はげ、所々に些づゝ金箔のかすり殘りたり、芒金蒔畫、露錫粉、外同箔押摺禿蒔繪なし、則ち圓きを月に擬へ、武藏野の月の景色を象りしなり、和漢三才圖會按云、〈○中略〉爾有ば古代の杯に糸底なきは、土器に准ふが故なる事明けし、鎌倉雪之下大井氏の藏する、和田酒宴の盃、又同所敎恩寺の藏たる、北條泰時の杯、徑四寸許、黑漆地の上、總金箔押描金ありて、製作此武藏野同樣なり、又河内國錦部郡古野の極樂寺の什物たる、源廷尉義經朝臣より軍功によつて、那須與市宗高に賜はりし盃も尚是に同じ、尤前にいふ織部といふ小き杯は、古田織部正の好にして、遙に後世の作也、旣に其頃には糸底香臺等をも附て、今時の器のごとく成しなるべし、
p.0244 むさし野より、富士をながめて、
盃の名にながれたる武藏野に富士をたぐへて蓬莱の臺
p.0244 又戀かへて難波若衆
此可笑さも餘り過て、暮るゝ頃は、五月雨間なく降れば、世上しつほりして、盃も熊谷(○○)ずりむさしのに替り、重箱にのみかゝれば、〈○下略〉
p.0244 大晦日の伊勢參わら屋の琴
それより四五日も過ぎて、熊谷の大ぶりなる金の盃と、珊瑚珠の盃と重ねて、太夫に取らせければ、更に喜ぶ氣色も無く、金盃は庭掃く男に取らせ、珠の盃は雙六盤の下に敷きて、微塵に碎きすてける、
p.0244 振舞に膳をすはりのよい長者
御亭主方よりお目かけて、向後ござつても、やらせらるゝ爲に、御盞頂かせて下されよ、先身共から始めませうと、盃取上しが、大盃を出せとくまがへを取寄せ、〈○下略〉
p.0245 酒盛移文 橘佐渡入道
さて後陣には鬼七兵衞、その名も高田の上戸にえらばれて、旗には水村山郭の四字を、城南の風に吹なびかせ、今日の福王寺を目にかけて、風乙皎雪にわたりあふ、夕陽すでに貝鐘〈○鐘蓋鍾誤〉にかがやきて、池をめぐり岡をへだつるに、そなたはむさし野、うき島(○○○)が原、こなたは熊谷、織部(○○)など名乘かけてさしちがふる、〈○下略〉
p.0245 水仙花
水仙や空よりくだる白露をうけてさゝぐる玉のさかづき
水仙花可盞(ベクサカヅキ/○○)
盃の底に、細き穴をあけ、指を以て其穴をふさぎて酒を盛しむ、仍て飮盡さねば、下に置れぬ也、 可の字は、文章の上に有て、下に置ざる字ゆへ、俗にべく盃と名づけ用ゆ、
p.0245 輕口もいひ盡しては物がない
草庵に集ひ居て、氣儘の醉興可盃の後は各氣强くなりて、〈○下略〉
p.0245 梅雪
梅と雪詩をもつくらず酒くみてさかづきのみの十分の春
十分盃(○○○)といふもの有
p.0245 命は九分目の酒
むかし都の寺町通りに、十分盃を和朝にしはじめて、工夫の細工人有、唐土の偃師が、繰にも劣るまじきものといへり、
p.0245 一節に昔を忍ぶ旅姿
床過ての亂れ酒、遊船繪に白漆の玉子盃(○○○)、〈○下略〉
p.0246 落葉色々もやうに付るを吹よせといふ、後京極殿、木のもとにつもる木葉をかきつめて露あたゝむる秋の盃、といふ歌より、吹よせ(○○○)といふ盃ありとか、
p.0246 題二七賢盃(○○○)一
七賢盃、藏在二于洛東山銀閣一、一套七盃朱漆、金二書竹林七子姓字一、少壯者盃淺、老大者盃深、蓋是東山大將軍之物、其字所二自銘一也、去歲吾西上之日、過レ寺得二一見一レ之、以爲二奇絶一、南禪長老晃公、因爲レ余使二工摸作一、器成見レ贈、形制字樣一如二其舊一、長老持レ戒而作二酒器一、居士不レ飮而愛二酒器一、二人者所レ爲如レ此、可三以發二一笑一也、正德元年五月十一日、
p.0246 酒坏
東山銀閣寺に將軍義政公製したまひし、朱漆の塗盃有て、今寶物となる、盃七枚を朱漆に塗て、入子に重ね、大はさしわたし曲尺四寸二分、小は三寸、大の高さいと底ともに一寸六分にて、大より次第に王戎、阮咸、劉伶、向秀、山濤、阮籍、嵇康と、竹林七賢の名を、眞字に金粉にて書て、金のいつかけ有、〈○下略〉
p.0246 元祖團十郎傳幷肖像
元祖團十郎似顏面形盃(○○○○○)
木ぼりにて大さ圖のごとし、〈○圖略〉うらの方にて酒をのむやうにしたるものなり、面は白くぬ りて、朱のくまどりあり、眼中は金箔玉眼入、うらの方は黑ぬりなり、
これはやんごとなき方の、をさめ玉ふものにして、友人蕙齋主人たづさへ來て見せしむ、面打 のつくりたるものと見えて、いと殊勝の古物也、
p.0246 浮瀨といふ遊筵の看樓は、〈○中略〉七人猩々(○○○○)といふ盃は、常の盞にして、朱塗に七人猩々の蒔繪あり、大器にして六升五合盛れるとぞ、むかしより二人計、これにて飮しけると ぞ聞へし、〈○下略〉
p.0247 大塚地黃坊由來幷酒の威德の事
いにしへの、大しよくわん、それはかまたり氏、今の大しゆくわん、これはがんなべうぢにて、重代の大盞有、させ、のまふといふ心にや、蜂に龍を繪がいたれば、すなはち蜂龍(○○)の大盞とぞ申ける、
p.0247 蜂龍(はちりよう)盃
大師河原村池上氏の家に藏せり、往古慶安年間、此地に於て酒戰ありし時、用ひたりし盃にして、酒七合餘りをうくると云、盃中蜂と、龍と、蟹との象を描金(まきゑ)にせり、〈蜂はさし、龍はのむ、蟹は肴をはさむといふ意を含めりとなり、〉
p.0247 吉野が傳幷蟹の盃(○○○)の圖説
中山の色紙、よしの河の裂、解の盃は、よし野廓にありしとき、愛翫せしところ也、今家〈○吉野夫灰屋紹益孫佐野氏〉に存するもの、蟹の盃のみ、予主人に請て一覽するに、白銅の如く見ゆれども、白銅にもあらず、ところ〴〵金の摺はがしありて、すべて金物細工なり、蟹に機關ありて盃を戴ながら、席上を横行す、盃を納るゝ箱に、桃の墨畫ありて、琉球畫の如く見ゆ、箱のさしかた又古雅也、おもふに是琉球製の酒盃なるべし、この日畫工成瀨氏折よく席上にあり、すなはち圖して予におくらる、按ずるに、晉書に云、畢卓常謂レ人曰、左手持二蟹螯一、右手持二酒盃一、拍二盤酒船中一、便足レ樂二一生一矣、古人酒中蟹螯を玩ぶことひさし、
p.0247 六藝桮(○○○)説
江宗務製二六盃一焉、淺深大小隨レ序相包容、書二杯底一以二禮樂射御書數之六金字一、又別鏤二書賽之六隅一亦如レ之、毎レ會二賓朋一、酒闌必出レ之、乃擲レ賽而得二其字一、則飮二其字之盃一、坐滿者倶催レ興矣、禮小而數大、其餘稱レ焉、名曰二六藝盃一、〈○下略〉
p.0247 酒器 先君義公〈○德川光圀〉嘗造二套杯(○○)一、小者書二知字一、仁次レ之、勇最大、常以レ此勸レ客、時肥後侯以二豪飮一聞、公屢與レ之對酌、嘗招二飮於小梅環景樓一、侯旣醉、泛二墨水一而去、公曰、此人似二未レ盡レ量者一、乃上レ舟、迅楫追及、復張二宴舟中一、蓋用二此杯一云、
p.0248 大盃
又淺草の並木邊に浮む瀨といひしあり、こゝにも大盃くさ〴〵あり、江戸より京都迄(○○○○○○○)、五十三の盃(○○○○○)、いづれも其處の廣狹賑淋によりて、盃の大小深淺をわかちたるなり、
p.0248 江戸座の徘諧師神田庵が家に、紀文が凉の酒盃(○○○○)と稱するものを收めてありしを、みたる人のかたりしは、何も別に工せる事もなき朱塗の盃にて、世にいふ小原の形したり、内は鐵線からくさを、猫の畫にしたるものなりき、神田庵主の話に、むかし紀文盛なりし頃、一とせ夏の事なりしが、その日紀文は淺草川に船あそびするよし、世間にいひもてふらせしかば、いかなる遊びをかするならんと、是を見物せんとするともがら、其日にいたりぬれば、われおくれじと競ひて舟に乘りしかば、川の面は水の色さへ見わかぬまでに、所せくもやひつれ、今や紀文が舟は來りなんとて待ち居たりしに、夕日かたぶく比にもなりぬれど、それぞと覺しきもみえねば、後にはこゝかしこふねをさゝせて、尋ねめぐるも多かり、やゝともしつくる比にもなりぬれば、ここにも盃流れきたりぬ、かしこにも取りあげたりなど、いひのゝしりて、やがて舟のうちどよめき、見物に出でし數艘の舟、後は酒のみ歌うたふ事もせで、川づらのみ守りゐて、たゞさかづきの流れよらんことを待ちて、夫のみあらそひ興じけり、こはまさしく紀文がなしたるわざなるべし、いざみなかみを尋ねばやと、舟を墨田綾瀨のほとりまでもさしのぼせ、いたらぬくまもなくさがし求めけれども、其夜はさらに紀文が舟をば、見あたらざりしかば、夜ふけ興つきてみな人歸りぬとぞ、紀文は其日舟あそびに出づるとのみ、いひふらしおきて、自分は家にありて盃ばか りながさせしとぞ、後に人々傳へ聞きて、その風流を稱しけるとなん、
p.0249 吉原年中行事
八月十四日十五日十六日月見にて、〈○中略〉又なじみの客へ月見杯(○○○)をおくる故實なり、
吉原名産
月見杯は寶永の比、角山口の太夫香久山かたへ、京都島原の女郎瓜生野といへるが、客の緣によりて、文を遣しける時、銀にてきせるをこしらへ、火皿をつめておくりこしければ、かく山返事をつかはす節、大さかづきのいとぞこなく、ころ〳〵とせし杯をあつらへ、おきまとわするといふ心にて、しら菊と銘をつけ、京都へおくりけり、其比此ひやうばん高かりし、ころは八月十五日にてありしかば、其已後月見に客へ盃をおくる事になりぬ、是より前は女郎より月見のおくり物はなつめに引茶をいれておくりし事とぞ、
p.0249 踐祚大嘗祭儀
太政官符諸國〈毎レ國有レ符〉 應レ造二新器一
河内國、〈○中略〉御酒坏八口、〈○中略〉已上御料、〈○中略〉 備前國、〈○中略〉盞十二口、〈○中略〉已上人給料、
p.0249 供二新嘗一料〈ト二八男十女一〉
酒盞十口〈(中略)已上美濃國充之○中略〉 右主帥司幷膳部所レ請
p.0249 凡應レ供二神御一雜器者、〈○中略〉河内國所レ造〈○中略〉酒盞八口、盞廿口、〈○中略〉尾張國所レ造〈○中略〉酒盞十二口、〈○中略〉備前國所レ造〈○中略〉酒盞卅口、
p.0249 凡太宰府年料造進、〈○中略〉朱漆〈○中略〉盞二百五十口、〈百五十口徑五寸、百口徑四寸五分、○中略〉
右以二正税一充レ料造進〈○中略〉
年料雜器 尾張國瓷器、〈○中略〉盞五口、〈徑各四寸七分○中略〉
右兩國〈○尾張長門〉所レ進年料雜器並依二前件一、其用度皆用二正税一、
p.0250 凡〈○中略〉共畿内輸二雜物一者、〈○中略〉土師器、一丁〈○中略〉酒盞汁漬坏各廿合、〈各口徑五寸、受二五合一、○中略〉坏作土師酒盞六十合、〈徑各五寸○中略〉
河内國〈○註略〉調、〈○中略〉酒盞三百廿口、〈○中略〉坏作土師酒盞七十六合、〈○中略〉 美濃國〈○註略〉調、〈○中略〉酒坏卌八口、
p.0250 主上ノ御盞ヲ給樣
盞ニ酒ヲ入テ給ハ、座ヲ立テ給テ復二本座一テ後、他盞ヲ乞テ入移シテ飮レ之、御盞ハ卽可二懷中一也、酒ヲ不レ入シテ給ハ、於二御前一可二懷中歸座一、他ノ盞ヲ乞テ可レ飮也、
p.0250 公私御かよひの事
一初獻の御盃持て出候人、さのみ若輩の人にては有間敷候、〈○中略〉公方樣、攝家、門跡、大臣家までは四方にすはり候、大かたの公家衆は三方にすはり候、武家は角の折敷にすえ候、大臣ならぬ公家、武家へ御出の時も此分に候し、
p.0250 十三年二月癸酉、太子〈○應神〉至レ自二角鹿一、此日皇太后〈○神功〉宴二太子於大殿一、皇太后擧レ觴以壽二于太子一、
p.0250 三年十一月丙寅朔辛未、天皇泛二兩枝船于磐余市磯池一、與二皇妃一各分乘而遊宴、膳臣余磯獻レ酒、時櫻華落二于御盞一、〈○又見二新撰姓氏錄一〉
p.0250 元永二年六月四日己卯、今夕七夜也、申刻可レ被レ始由從レ院有二指催一、〈○中略〉上達部初獻、惟信朝臣置二盃於折敷上一、
p.0250 建曆三年四月七日戊寅、於二幕府一聚二女房等一有二御酒宴一、〈○中略〉各有二怖畏之氣一、懷二中鍾一早出 云云、
p.0251 應永廿九年正月十八日、武田兵庫頭、兵庫助、朝日又三郎、小串次郎左衞門、陶山備中次郎、爲二射手一高名、自二御所樣一御盃一重被レ下之、御方ヨリ御盃、御太刀被レ下、御臺ヨリ御盃一重、練被レ下之、〈○下略〉
p.0251 盃銘〈廻文〉 紀納言
盈テ
レ盃ニ
有リ
レ味イ
傾ケ
來テ
久ク
視ル
p.0251 利休居士酒盃ノ銘
一杯人飮レ酒 二杯酒飮レ酒 三杯酒飮レ人
p.0251 盃銘 僧丈草
花はさかりに月はくまなきをのみ見る物かは、酒は晝十夜八ならんをや、
狂云、此銘ハ短簡ニシテ、韵ヲ用ルニ奇法アリ、〈○中略〉爰ニ晝十夜八トハ、世ニ盃ノ諺ニ、晝ハ十分 ニ酒ヲ盛ルベク、夜ハ八分ニト云ヘバナリ、
p.0251 縣升見杯
升見常に此杯を愛して、菊慈童とは呼けるとぞ、近きとし千蔭ぬしも、是に歌をそへられたり、 末汲て千世もへなゝん仙人の住や山路の菊のした水〈○圖略〉
p.0252 酒を戒むる隱語の盃銘
又筑紫なる人のもとより、しるしおくられたる盃の銘に、〈○圖略〉ある盃にかくの如く〈○なま木のはこさいく〉書つけたるあり、こは謎のはんじものにて、永祿天正のころ、もはら世にもてはやしける、酒をいましむる隱語にて、工人の箱を造るに、すみがねを正しくつくりたりとも、生木にてつくればあひ口たがふものなり、さればこの大盃にて飮ときは、心正しき人にても、口のたがふことたびたびあるものぞかし、とのいましめなるよし、いひおこせたり、
p.0252 讓申身の内の財
角て聟の家には、祝言式々につとめ、それより五日は五座敷、七日は七はな跡ばりの振舞、此取込いつか終らんと思ひしに、段々不レ殘すんで、今日といふけふ盃箱に納り、〈○下略〉
p.0252 九月九日 村雲
菊の花見に來る客に箱入のきせ綿とつていだす盃
p.0252 盃あらひとて、丼に水を入、猪口數多浮めて詠め樂しみ、〈○中略〉皆近來の仕出しにて、萬物奢より工夫して、品の强弱にかゝはらず、只目をよろこばす事計りにて、費のみ出來る也、
p.0252 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ相撲番附ニ擬スル、其流布ノ方、大關以下左ノ如シ、〈○中略〉盃スマシノ丼、〈杯ヲ洗フ丼鉢也〉
p.0252 酒臺子(○○○) 辨色立成云、酒臺子、〈志利佐良、今按所レ出未レ詳、〉
p.0252 按酒臺可二以居一レ瓶、臺子可二以居一レ杯、非二一物一、〈○下略〉
p.0252 酒臺子
按酒臺子、倭名抄載二東宮舊事一云、漆酒臺、〈志利佐良〉今俗云二渡盞(○○)一、毎居二杯下一、棄二餘滴一也、
p.0253 杯臺(○○)〈○圖略〉
とさん(○○○)なり、唐物燒物、時代塗物を用ゆ、
p.0253 暗女晝化物
されども手の達く棚の端に、臺盞 鍋を並べ、〈○中略〉絶えず取肴のある事、ひとつなる客は是も喜悦なり、
p.0253 長老樣の聟引出物
二瀨は紺の布子に、あかまへだれ胸あけかけて、左の手に臺盞(とさん)、右の手に 鍋もつて出、〈○下略〉
p.0253 一盃の臺とは、洲濱の臺〈今は島臺と云〉などに、花鳥、山水、人形などの、作り物をして、それに盃をすへて出すを云也、
一盃の臺などに、草木の花葉などを作りさす事あり、けづり花を本とすべし、けづり花とは、木をかんなにてうすく削りて、夫にて作る故、けづり花と云也、
p.0253 酌之事
一盃の臺はゑをかくもあり、又白木も有べし、白木賞翫たるべし、盃は何れも金盃なり、
p.0253 盃臺は松竹梅の大飾を用ゆ、其、外西王母が桃花橘等を用ゆべし、猶四季盃臺の書を考時節の物を用べし、土器の中へ壽の字を箔にて置べし、
p.0253 大酒の時の事
一盃の臺にすはりたる盃の事、貴人の御盃ならばいくつもあれ、一ヅヽいたゞきてのむべし〈○下略〉
p.0253 一御盃の臺は何獻目に可レ參候哉の事
七獻目ばかりにも可レ參候か、但是も獻數にもよるべく候、餘にはやく參候はぬ事にて候、 一同さいしきと木地と參候前後の事
さいしきの臺一番に參候、いかに珍敷候共、木地は後々たるべく候、臺の餘大なるも初は不レ參 候、殿中年の始の一獻始にも、右京兆進上の橘の臺一番に參候、後々はいかやうのも參候、
p.0254 獻盃 盃を返盃するとき、自臺に乘せず、獻酌の人取次て、臺にのせるが禮なるよし、室町家の御記にありとかや、左も有べき事なり、今酌人の奴婢など、此禮を知らず、勸盃の人も一隅を上て三隅を取らざる故、禮の體を失せざる樣にて、卻て疊の上に直に盃を置て、勸むることは非禮甚はだしからんか、常人は酌人心得なくば、會釋して吐盞盃臺などにのせて、かへさんにや、
p.0254 盃臺之分
黑 朱 利休形、黑は盃うけの糸輪あり、朱にはなし、
樂燒金溜 啐啄齋好
朱網繪 前に同じ
p.0254 新嘗會直相日雜器
瓫四口、〈○中略〉酒坏五合〈備レ臺○中略〉
大原野神祭料〈春冬同〉
酒四斛、〈○中略〉酒坏六口、〈各備レ臺〉
p.0254 十四日〈○正月〉
〈永正十三〉一御盃臺二、白鳥一、雁二、鯛十、鯉一、貝蚫一折、柳十荷、
例年進上之、但今日參、 〈細川〉右京大夫殿
p.0254 永享七年三月十一日、自二東御方一折五合〈有レ臺、繪二和歌之心一、〉御坏臺二〈藤花臺盃十居、繪二歌心一、島一十度入居、繪二歌之心一、〉南御 方へ被レ進、室町殿依二御意一被二執進一、殊勝驚レ目、是一昨日鞍馬花御覽、管領一獻申沙汰、盡二善美一云々、其破子等也、後聞内裏へ棚一脚、島御盃臺等被レ進、
p.0255 其後室町殿御直衣に被レ改て、内々御參有、諸司の御跡の西の御六間において有二一獻一、島御盃の臺有、〈○中略〉廿六日、御還幸之日也、先御會所へ成せ給て有二一獻一、島破籠造物御盃臺被レ置之、〈○下略〉
p.0255 椀飯同御節幷所々御出之事
一五日之御節之時、御折御盃之臺御樽進上有べからず、但御用之時進上あるべきよし被二仰觸一者、可レ有二進上一、時之體によるべし、
一何れの所へ御出之時も、折盃之臺樽つかはすべからず、是も時儀によるべし、〈○中略〉
文明十三年十二月廿六日 御評定
p.0255 所がら海士人の墨田河原、〈○駿河〉庵原より丈室に入、小夜更て花やかなる盃の臺、和尚手づから持出給ひ、漢和一折有てねぬる、
p.0255 大明より使者之事
一唐使へ五月〈○文祿三年〉廿三日御對面之事
三獻 折等種々 御盃臺
p.0255 享保十六年三月十六日、頭中將殿ノ御ハナシニ、コノゴロ關白〈○藤原家久〉へ御料理ヲ上シニ、盃ノ臺ヲ物ズキニテ、桃ノ枝ニ實ノナリタル處ヲ臺ニシテ獻ゼシヲ、御褒美ニテ、後段々開白公ヨリノ御馳走ノ御料理ノ節、又右ノ臺ヲ出サレシ程ニ、イカナル故ニヤト思ヒシガ、難波ヨリ杯ヲ取始メラレシカバ、盃ノ下ニ紙ニ包ミタルモノヽアリシ程ニ、タシカニ御詠ナルベシト思テ居シカドモ、誰取上ベキヤウモナク、皆々讓リ合テ辭セシカドモ、難波ガ盃ヲトラレシユヘニ、 取上テ拜見セラレシカバ、御詠ニハアラデ桃花盛ト云題ヲシルサレタリ、〈○下略〉
p.0256 寶曆十二年五月十九日辛巳、今日冷泉民部卿、五十年滿被レ賀ニ付、送二盃臺一基一、〈添二詠歌一、盃之包紙ノ中ニ書也、〉以二盃包紙奉書一、
くみかはし老をば松の木の花にめぐる盃千代も手にとれ
p.0256 天明元年辛丑、小石川布施氏〈○註略〉の宅〈江〉、洲崎望陀蘭の主祝阿彌を招請、獻立、〈○中略〉
盞臺〈銘月すり出し〉 〈まきゑ菊尾州寸方〉
p.0256 文化五年二月五日辛未、差次藏人入來、近衞殿獻物之事示談、御盃臺大サ三尺二寸五分、洲濱形〈但繰形近衞殿〉生松ニ作リ花ノ紅梅〈蠟引〉根笹あしらい、尉と姥ノ人形、〈大サ六寸木地顔衣裝付〉金銀盃添、大三方ニ居、總入用金壹兩也、尤盃ハ白檀紙ニ包、小捻ニ而結、勿論すはま三方共まさニ而ハ無レ之、板目之由、花林ニ分仕立、十日中ニ出來之筈也、
p.0256 人のもとにて、つゞみの筒のかたちせる、盃臺を出しければ、 四方赤良
酒のうへ大平樂はいはずして万歲樂とうつ舌つゞみ
p.0256 盃臺 〈靑〉 銀四兩 同織部風 〈同〉 銀五兩
p.0256 塗師宗哲
朱盃臺 拾七匁五分
p.0256 天平八年十一月丙戌、從三位葛城王、從四位上佐爲王等、上表曰、臣葛城等言、〈○中略〉和銅元年十一月二十一日、供二奉擧レ國大嘗一、二十五日、御宴、天皇〈○元明〉譽二忠誠之至一、賜二浮杯之橘一、〈○下略〉
p.0256 梅花歌三十二首幷序〈○中略〉
波流楊奈宜(ハルヤナギ)、可豆良爾乎利志(カヅラニヲリシ)、烏梅能波奈(ウメノハナ)、多禮可有可倍志(タレカウカベシ)、佐加豆岐能倍爾(サカヅキノヘニ)、〈壹岐目村氏彼方〉
p.0256 旋頭歌〈○中略〉 春日在(カスガナル)、三笠乃山二(ミカサノヤマニ)、月船出(ツキノフネイヅ)、遊士之(ミヤビヲノ)、飮酒杯爾(ノムサカヅキニ)、陰爾所見管(カゲニミエツヽ)、
p.0257 大伴坂上郎女歌一首
酒杯爾(サカヅキニ)、梅花浮(ウメノハナウケテ)、念共(オモフドヲ)、飮而後者(ノミテノノチハ)、落去登母與之(チリヌトモヨシ)、
p.0257 しばしばかりありて、すきばこよつに、つらつきすへて、もみぢおりしきて、まづののくだ物もりて、くさびらなどして、おばないろのこはいなどまいるほどに、かりなきてわたる、きたのかたかはらけ(○○○○)に、かくかきていだし給、
あき山にもみぢとちれるたび人をさらにもかりとつげて行かな
p.0257 むかし男有けり、その男いせの國に、かりのつかひにいきけるに、〈○中略〉夜やう〳〵明なんとする程に、女がたより出す盃に、うたをかきて出したり、取て見れば、
かち人のわたれどぬれぬえにしあれば、とかきてすへはなし、その盃のさらに、つゐ松のすみして、歌のすゑをかきつく、
又あふさかの關はこへなんとて、明ればをはりの國へこえにけり、
p.0257 わざともなきに、おぼえたかくやんごとなき殿上人、藏人頭、五位の藏人、近衞の中少將、辨官など、ひとがら花やかに、あるべかしき十餘人、つどひたまへれば、いかめしうつぎつぎの、たゞ人もおほくて、かはらけあまたゝびながれ、みなゑひになりて、をの〳〵かうさいはひ人にすぐれ給へる、御有樣を、もの語にしたり、
p.0257 をみにあたりたる人のもとに、まかりたりければ、女どもさかづきに、ひかげを そへて、いだしたりければ、 よしのぶ
在明の心ちこそすれさかづきにひかげもそへて出ぬと思へば
p.0257 けふは朔日あすは晦日 さかづき
p.0258 佩弦靑山君、〈○延光〉病而不レ朝者累二數月一、唯晩飵前擧二兩三蕉一者、不レ異二平時一耳、門人故舊傳聞、日遠有二贈レ酒者一、有下贈二盃盞一者上、四方醥醇、常滿二厨下一、諸州名盃珍盞悉聚焉、所レ闕者僅數州云、毎二書窻日褪一、君擧二此盃一而酌二此醇一、微醺餘興有二酒史新編之著一、〈○中略〉乙丑季夏之望、齋藤弘撰、
p.0258 塗師宗哲
盃 五枚 二拾目 大盃 一枚 六匁 三ツ重萩盃 壹組 四拾三匁
p.0258 土佐國朝峯神社にて酒をのむ器を、けさかづき(○○○○○)といへり、笥盃、其形今のもつさうの如くにして圓し、
p.0258 蜜柑盃(○○○)
蜜柑の皮を盃となす戯は、小兒のするわざ也、もろこしには大人の橙盃あり、〈○下略〉
p.0258 棬 陸詞切韻云、棬〈音與レ拳同、漢語抄云、佐須江、〉器似レ斗、屈レ木爲レ之、考聲切韻云、棬、盃類也、
p.0258 さすえ 倭名抄に棬をよめり、插柄の義、器似レ斗と注せり、又屈レ木爲レ之といへるは、今いふまげ物なり、盃類とも見えたり、今も東國の民間には、此物を酒器とすといへり、
p.0258 棬〈音圏〉和名佐須江、俗云佐佐江、竹笥、俗字、和訓同、
五車韻瑞云、棬屈レ木盂也、一曰、器似レ升、屈レ木爲レ之、孟子云、猶下以二 柳一爲中杯棬上者、是也、
按棬、俗云曲物也、盂〈雲倶切〉飯器、又云、飮器也、然則棬樽佐須江也、棬盂、今云入子 之類也、今以二竹筒一 爲レ樽、亦和名同用二竹笥二字一、〈所出未レ詳〉
p.0258 吿子曰、性猶二 柳一也、義猶二桮棬一也、以二人性一爲二仁義一、猶下以二 柳一爲中桮棬上、〈桮音杯、捲丘圓反、性者人生所レ禀之天理也、 柳柜柳、桮棬屈レ木所レ爲、若二巵匜之屬一、〉
p.0258 鑵子(クワンス) 藥鑵(ヤクワン)
p.0258 湯鑵(タウクハン)〈俗云藥鑵〉
p.0259 湯鑵やくはん 大坂及中國四國にて、ちやびん(○○○○)と云、遠江にて、とうびん(○○○○)と云、信濃にて、てどり(○○○)と云、 土州の客予に語ていはく、我故郷〈○土佐〉にやつくわんと云有、ちやびんと云物よりは少大きくして口短を云、ちやびんと云は、形丸らかにして、口長きを云とぞ、江戸にて其かたちいろ〳〵有といへども、すべてやくはんと云、又藥びんは其製別物なり、
p.0259 やくわん 藥鑵の音なりといへり、湯鑵をいふなり、隱元やくわんなどもいへり、遠州に湯瓶、信濃に手とりといふ、湯瓶は、大草紙に見ゆ、
p.0259 藥罐 やくわん
この器はもと藥煮物なるを、今は茶を煎物として、藥をば俗に藥鍋といふ物有りて、その制異なり、ことに近年は隱元藥罐といふ物出來たり、是は銅にて作り、口の長くさし出たる物なり、隱元禪師の此方へ歸化の時、もちて渡られしと云ひ傳へたり、古への制はいまだ詳ならず、
p.0259 銅鑵 俗云藥鑵
本綱云、銅器盛二飮食茶酒一、經レ夜有レ毒、煎レ湯飮損二人聲一、
按、今銅鑵專用レ之、煮レ物甚速熟、凡銅工作レ之、塗二白目於内一、令二銅白色一、以防二銅氣一、〈和二錫鉛一爲二白目一、詳二于金類一、〉然新者有二 銅臭氣一、數煮レ物經レ月者不レ臭、害亦無矣、
p.0259 藥罐 以レ銅製レ之、今造二諸品物一、然元出レ自二煎レ藥器一、故總號二藥罐屋一、
p.0259 隱元藥鑵
相傳ふ隱元禪師、狀をこのみて作らしめ、常に爐におかれけると也、或説に、湯氣藥鑵といふなり、鑵子の蓋をさりて、その跡へ藥鑵を居て、茶の湯氣を以、上の素湯の沸事を工夫して、是を湯氣藥鑵(ゆけやくわん)と名付と也、元藥鑵は藥を煎ずる器なり、近世藥鍋出來て、藥鑵は外にす、
p.0259 一同五日ノ夜御行始、管領へ御出恒例也、〈○中略〉藥鑵ナド參時ハ、右ノ手ニテハ ツルヲ取、左ノ手ニテハ口ノモトヲ取テ、口ヲバ公方樣御坐有方へ向不レ申シテ可レ致二進上一、
p.0260 嘉、永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ擬スル、〈○中略〉古風方ニ曰、〈○中略〉廣嶋藥鑵(○○○○)、〈眞鍮ニテ雲龍等ノ形ヲ打出ス〉
p.0260 山城 藥罐細工
p.0260 諸工商人所付〈いろは分〉
や 京之分 やくはんや ふや町四條下ル丁 同 東洞院佛光寺下ル 同〈大佛やくはんやまち〉 〈五絛はしゟ南二すぢめけんにん寺町東へ入〉
や 江戸之分 やくはんや 日本橋北西中通〈かわや町〉 同 御ほりばた通 同 姫御門山城がし
や 大坂之分 やくわんや 天滿難波橋ノ西
p.0260 土瓶(ドビン)〈本名瓦釜〉
p.0260 土瓶どびん 薩摩にてちよかと云、同國ちよか村にてこれをやく、ちよかは、もと琉球國の地名なり、其所の人薩州に來りて、はじめて制るゆへに、ちよかと名づく、又常陸及出雲或は四國にて、どひんとひの字を淸て唱ふ、出雲常陸などにては、どびんとなづくるは、牛馬の睾丸也、四國にては人の睪丸の大なるをいふとぞ、
p.0260 高麗の子孫
薩州鹿兒島城下より七里西の方、ノシロコといふ所は、一郷皆高麗人なり、〈○中略〉高麗燒の細工場幷びに竈を見物す、仰山なる事どもなり、此村半分は皆燒物師なり、朝鮮より傳へ來りし法を以て燒故に、白燒などは實に高麗渡りの如くにて、殊に見事なり、〈○中略〉其外は下品にて、質厚く色も薄黑く、烈火にかけても破るゝことなし、故に下品は土瓶など多く造り出す、これは夥敷賣買し て、薩隅日の三州は、大方民間にも此土瓶を用ゆ、猶大坂までもとり來りて、薩摩燒と稱して重寶とす、薩摩にてはノシロコ燒のチヨカといふ、チヨカとは茶家の心にて土瓶の事なり、薩摩の方言なり、土瓶といひては知るものなし、
p.0261 瀨戸物引下ゲ直段書上
〈尾州瀨戸燒〉一壹升入土瓶 〈壹ツニ付〉 〈當五月直段百五拾貳文當時引下ゲ直段百四拾貳文〉
但五合入三合入等、右ニ准じ直段引下申候、〈○中略〉
〈京都燒〉一壹升入土瓶 〈壹ツニ付〉 〈當五月直段百八拾六文當時引下ゲ直段百七拾貳文〉
但八合入ゟ五合入迄、右ニ准じ直段引下ゲ申候、
〈相馬燒〉一靑地壹升入土瓶 〈壹ツニ付〉 〈當、五月直段百拾六文當時引下ゲ直段百八文〉
但五合入、右に准じ直段引下ゲ申候、〈○中略〉
右瀨戸物類は數口有レ之、當用之分取調候處、前書之通、直段引下ゲ申候、依レ之此段申上候、以上、
〈寅〉八月廿一日 〈諸色掛り 佐内町〉
名主 八右衞門〈○外一人略〉
p.0261 嘉永二年印行、古風ト流布トヲ、相撲番附ニ擬スル、其流布ノ方大關以下左ノ如シ、〈○中略〉道八ノ土瓶、〈陶工名〉
p.0261 湯次
黑塗湯の子スクヒとも利休形なり、又金の湯の子スクヒあり、金の湯次に添ふと同じからず、網の繪は朱の湯の子スクヒなり、
同唐金
金杓子添ふ、利休形、元サハリ寫しにて、禪家に銅提といひて酒次なり、
p.0262 寬永三年九月行幸ノ日
主上〈○後水尾〉御膳黃金白銀製調〈○中略〉
御内々ノ御膳〈○中略〉 御湯次一箇〈黃金ヲ以テ製ス、蓋アリ、〉
p.0262 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一銀御湯次 二 井伊掃部頭直孝〈○中略〉
一御湯次 六 小笠原主膳正
p.0262 湯桶(ユトウ)〈文章可レ笑〉
p.0262 湯桶(ユトウ)
p.0262 湯桶(ユトウ) ゆは訓也、桶は音なり、ゆおけと訓によみ、或音にてたうとうと云べきを、訓と音とをまじえて、ゆたうとよむ、是をゆとうもじと云、此類猶多し、是後代のあやまり也、上代にはかやうの詞なし、
p.0262 桶 蔣魴切韻云、桶〈徒總反、上聲之重、又他孔反、和名乎計、俗有二火桶、水菜桶、腰桶等之名一、〉汲二水於井一之器也、
p.0262 按廣雅、方斛謂二之桶一、呂氏春秋仲春紀、角斗桶、注、桶量器、禮記作二角斗甬一、注甬今斛也、説文桶、木方受二六升一、段玉裁曰、疑當レ作三方斛受二六斗一、是桶本方斛量器、後轉爲下盛二水物一圓器之名上、玄應音義引二通俗文一云、受レ桼者曰レ桶、是今俗所レ謂宇流之乎計、蓋屈レ木作レ之、又正字通云、説文、桶、木方器受二六升一、今圜器曰レ桶、合レ板曰レ圍、束レ之以レ篾、設二當于下一、猶レ斛也、是今俗所レ用乎計也、然乎計是麻笥之義、本爲下容二績麻一之器上、轉爲下盛二水物一之用上、則古所レ謂乎計、似二屈レ木作一レ之、又古畫所レ圖、亦是屈レ木所レ作、其箍レ板作者、蓋出二後世一也、以レ桶爲下汲二水於井一之器上、未レ聞、若是汲器宜レ訓二都留閉一、汲レ水致二之他一之器、當レ訓二乎計一、
p.0263 、木方受二六升一、〈疑當レ作三方斛受二六斗一、廣雅曰、方斛謂二之桶一、月令角斗甬、注曰、甬今斛也、甬卽桶、今斛者今時之斛、凡鄭言今者、皆謂二漢時一、秦漢時有二此六斗斛一、與二古十斗斛一異、史記商君平斗桶、呂不韋仲春紀角斗桶、故知起二於秦一也、〉從レ木甬聲、〈他奉切九部〉
p.0263 桶(ヲケ)
p.0263 桶ヲケ 倭名鈔に蔣魴切韻を引て、桶はヲケ、汲二水於井一之器也、俗に火桶、水桶、菜桶、腰桶等之名ありと註せり、ヲケとはヲは麻也、ケは笥也、延喜式に、麻笥としるされしもの是也、此物の始、績レ麻器より起りしかば、水火の桶の如きをも皆呼びてヲケといひし也、其制の如きも二式あり、板を合せて圍となし、束ぬるに竹篾をもてすると、木を屈めて圍となし、縫ふに樺皮をもてすると、幷に底を下に設くるもの也、
p.0263 をけ 水桶をいふも、令義解に、女神には麻笥を奉るといふに、水桶を書せれば、其似たるより稱する成べし、延喜式に、水麻笥、小麻笥と見えたり、今も東國の桶は麻笥の如く、木を屈めて圍とし、樺をもて縫たる物多しとそ、那波氏東山道紀行に、信州古無レ竹、造レ桶檜爲レ箍とも見えたり、
p.0263 桶をけ 上下總房州及武藏にて、こがといふ、〈○註略〉常陸にて、とうご、豐州及肥前佐賀にて、かいといふ、長崎にて、そうと云、〈大なるをふといそうといひ、小なる物をほそいそうと云、〉畿内にて、たご〈擔桶〉といふを江戸にて、になひといふ、〈これになひをけの略也、又になふとは、人ふたりにてもつを云、かつくと云ひ、かたぐると云は意違へり、又たごとは、をけの總稱也、上がたにては、なにたごといふ、たごとばかりいふ時は、畿内西國共に水桶也、東國また豐後にては、たごと云は糞器をいふ也、多識に尿桶と有、この事にや、〉京にて、かたてをけと云を、江戸にては、かたてをけ、又さるぼう、又くみだしとも云、越前にて、かいみづをけと云、加賀にて、かいけ、上野にて、ひづみと云、〈造酒屋にて用ゆるかたてをけの大なるものを、肥前にて、たみをけといふ、〉
p.0263 一桶ノ訓 延喜式には、桶の事を麻笥〈ヲケトヨム〉と書たり、上古は今のごとく、竹の輪を入たる桶はなし、皆曲物也、其マゲ物麻糸をウミて納る、麻笥〈田舍詞にはヲコケと云〉に似たる故、水麻笥 などと書たる也、本は麻糸の麻笥より出て、轉用して水麻笥と云たる也、職人歌合繪〈土佐光信ノ畫〉に、檜物師がワゲ物を作る體を書たる傍ノ詞に、ゆおけにも是はことに大なる、なにのためにあつらへ給ふやらむとあり、ゆおけは湯桶也、此歌合は甘露寺親長卿の作也、明應の頃の人也、其頃迄も桶は曲物にてありし也、同繪に酒造りを畫たるには、今の桶のごとく竹の輪を入たる桶を畫たり、其頃は二品ありて、湯桶などは古風殘りて、ワゲ物を用しなるべし、竹の輪入は樽也、
p.0264 桶 箱
或人云く、桶と箱とは互に文字を、あて違ひたるなり、桶は竹もてしむる物なれば、竹に從ふべし、箱は木もて造るなれば、木にしたがふべしといへり、これ字をのみしりて、其器のもとをしらぬなまさかしき僻説なり、桶は麻を績み入るゝ器にて麻笥(ヲケ)といふ、檜の曲物なれば、竹の器にあらず、箱は木なるも、竹にてあみたるも、葛もて組みたるもありて、一樣ならず、古書、古畫にあまたあり、實をしらずして、推量の理屈だては拙くうるさきものなり、
p.0264 桶〈音統〉 桶、和名乎計、 箍音狐、以レ篾束レ物也、俗云桶之和、
按桶双二木板一爲レ側、以レ篾爲(タケノワ)レ繩、縛レ之近レ底、箍名二奈岐和一、其木以レ杉爲レ上、槇次レ之、栂樅又次レ之、其他易レ 、
棬桶〈和介乎計〉棬二檜薄板一作レ之、不レ用レ箍以二樺皮一縫レ之、漆桶苧桶貝桶等用レ之、
p.0264 孟宗竹
暖國には竹よく生育す、寒國は竹にあしく、信濃の國には竹一本も生ぜず、甚だ不自由成事なり、桶の輪(○○○)には竹にあらざれば叶ひがたきゆへ、三河尾張より輪につくりて送り來り、甚だ高直なり、〈○中略〉それより北方越後出羽奧州も、南部領邊は人民一生竹を見ざるもの有、太き竹は絶てなし、夫故人家の邊に南國の如く竹籔といふものなし、山中に笹あり、熊笹にて竹の用に立べきものに非ず、〈○中略〉竹なくてもさのみ不自由なる樣にも見えず、只桶の輪のみ何方にても難儀に見 ゆ、津輕秋田邊にては、榎の木の皮の樣に見ゆるものを曲て、樺にてとぢ、桶として用ゆ、又太き木をくりぬきたるも見ゆ、邊土は人民にいとま多きゆへ、丁嚀なる細工をしても用は足りぬにや、
p.0265 岐岨路紀行〈延享二年〉
十四日〈○四月〉大井にとまる、山中はたえて竹のなき所にて、桶の などいふ物も木にて營めり、
p.0265 かけ替たる手桶の水もりければ、下部が笊のやうなりとつぶやくを聞て、
大學のをしへによるかそのたがはざるに近しといふをきくにも
p.0265 大入道殿〈○藤原兼家〉攝政ニオハシケル時、法住寺ノオトヾ〈○藤盾爲光〉ヨリハジメテ、オホクノ上達部一種物ヲグシテマイリアツマリ給ケリ、〈○中略〉一條大將〈○藤原濟時〉ハ銀ノ鮨鮎ノ桶(○○○○○○)ニ、アユヲヲリビツニ入テイレラレタリ、
p.0265 金仙寺觀音講附六條北政所使逢二義經一事
軍兵緣ノ際マデ打寄テ、御堂ノ内ニ下居テ、我物ガホニ講ノ座ニ著ス、五種御菜ニ三升盛ヲ百二三十前許組調タリ、座ニ杯居(スへ)大桶(○○)ニ汁入、樽二ニ濁酒入テ座中ニ舁居タリ、
p.0265 銀のなる木は門口の柊
山家へ毎日賣ぬる味噌を、いづれにても小桶(○○)俵を拵へ、此費かぎりなし、〈○下略〉
p.0265 おまん鮓は寶曆の頃よりと覺ゆ、〈○中略〉鮓賣といふは、丸き桶(○○○)の薄きに、古き傘の紙をふたにしていくつも重ねて、鰶(こはだ)の鮓、調の鮓とて賣ありきしは、數日漬たる古鮓也、
p.0265 何も漆のあるとき ぬりをけ(○○○○)
p.0265 大和 塗桶
p.0265 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉片手桶(○○○)をさるぼ、
p.0265 凡兵士、〈○中略〉毎二五十人一、〈○中略〉水甬(○○)一口、鹽甬一口、〈○中略〉皆令二自備一、
p.0266 造酒雜器
中取案八脚、〈○中略〉水麻笥廿口、小麻笥廿口、〈(中略)已上供奉酒料○中略〉
右造レ酒料支度、及年料節料雜器、並申レ省請受、
p.0266 丙午丁未
明くれば七年〈○天明〉丁未の春より米穀の價登躍して、はじめは錢百文に白米六合を換ふと聞えしが、五合に至り四合に至り、五六月に及びては三合になるものからそれすら買はんとほりするもの容易くは得がたかりき、〈○中略〉豪家と唱へらるゝ三井越後の呉服店、糸店、兩替店、ともに琉球芋を多く蒸して、半切の桶(○○○○)に入れ、店の四隅便宜の處にすゑ置きて、十五歲以下の小厮の走り廻りをするものに、恣にとり啖せしかば、日毎に穀をはぶきしこと、大かたならずと聞えたり、
p.0266 米淅桶(コメカシヲケ/○○○)
p.0266 取付世帶は表向を張つて居る太鼓形氣
亭主は倍うつての直打書、〈○中略〉米かし桶六十五匁、
p.0266 京にも思ふやうなる事なし
香の物桶(○○○○)の鹽入時をかまはず、あたら瓜なすびを棄させ、〈○下略〉
p.0266 嫁が姑と形風流の當言 竈の下を飯炊男次第、薪の費に飯は焦付かせ、濡手を糠味噌桶(○○○○)へ入れても、叱人なければ、香物は損じゆき、
p.0266 一同年〈○寬永十六年〉ニ江戸大火、此時御城回祿ス、御城御普請出來シテ、御移徙ノ時、御一門及ビ諸大名衆ヨリ獻上物ノ品々、〈○中略〉
一唐金御手桶 十 石川主殿頭忠綱〈○中略〉 一塗手桶 五拾 松平和泉守乘壽〈○中略〉
一手桶 五十 本多下總守忠良
p.0267 栗山郷 十ケ村鹽谷郡なり、〈○中略〉冬は家に居て木鉢、木杓子、木履等を作るもあり、近來栗山桶(○○○)とて曲物造の器を出す、是は谷川の水を汲取桶なりといふ、
p.0267 産二生肉團一之作二女子一修レ善化レ人緣第十九
肥後國八代郡豐服郷人豐服廣公之妻懷任、寶龜二年辛亥冬十一月十五日寅時、産二生一肉團一、其委如レ卵、夫妻謂爲レ非レ祥、入レ笥以藏二置之山石中一、徑二七日一而往見レ之、肉團殼開生二女子一焉、
笥〈乎介〉
p.0267 利仁將軍若時從レ京敦賀將行五位語第十七
今昔、利仁ノ將軍ト云人有ケリ、〈○中略〉奇異ト見居タル程ニ、五斛納釜共五ツ六ツ程搔持來テ、俄ニ杭共ヲ打テ居エ渡シツヽ、何ノ料ゾト見程ニ、白キ布ノ襖ト云物著テ中帶シテ、若ヤカニ穢氣无キ下衆女共ノ、白ク新キ桶ニ水ヲ入テ持來テ、此釜共ニ入ル、
p.0267 桶
生老病死は、御ほとけもまぬかれ給はぬ道なり、さればしらざるを愚なりとし、しりてなげくも弐に愚なりとす、あら玉の年立かへる朝には、若水桶(○○○)に千世をむかへて、去年もめでたし、今年もめでたし、めでたし〳〵といひかさぬれば、いつそのほどにわがくろかみも、白川のみつはくむまで老さらぼへり、せめてはさあるのみか、棺桶にうつろへり、棺桶も猶此世の姿をのこせるに、程なくけむりともえはてゝ、思ひもつくる灰のうちよりひろひ出て、骨桶にをさめらるゝぞいとはかなき、かねてかゝる理をしらましかば、など世を鮨桶(○○)のなれ過、砂糖桶(○○○)のあまくのみやは心得ん、ちよのふがいたゞく桶のそこのけて、みづたまらねば月も宿らずといへるこそいとを かしけれ、水たまらずんば、いかでか月もやどる事あらん、そこぬけたらましかば、いかでか水のたまるべき、そも又水はたがためにかくみ、桶はまたたが爲にかいたゞける、ちよのふはまたこれたそ、
ぬけし話(わ)やそこなき桶の水の月
汲湛否否水汲桶 水在二靑天一月在レ輪 水在レ桶月在二靑天一 元來不レ識月與レ桶
p.0268 越前國使等解 申勘定物事
合買雜物廿一物
價稻四百五十四束〈○中略〉
水乎氣十口 直五束〈束別二合〉
天平勝寳七歲五月三日 田使曾禰連弟麻呂〈○以下二人略〉
p.0268 桶類引下ゲ直段取調書上
一手桶 椹赤身極上 〈當五月引下ゲ直段金壹朱 當時改四百六文、但三十文下直相成申候、〉
同下 〈同貳百四拾文 同貳百廿八文、但十貳文下直相成申候、〉
杉赤身上 〈同四百文 同三百七拾六文、但貳拾文下直相成申候、〉
同下 〈同百八拾八文 同百七拾八文、但拾又下直相成申候、○中略〉
一小桶九寸 椹赤身極上 〈當五月引下ゲ直段百四拾八文 同百四拾文、但八文下直相成申候、〉
同中 〈同百拾六文 同百拾文、但六文下直相成申候、〉
杉赤身上 〈同百三拾貳文 同百廿四文、但八文下直相成申候、〉
同下 〈同百八文 同百四文、但四文下直相成申候、○中略〉
一米洗桶尺 椹赤身極上 〈同貳百七拾貳文 同貳百五拾八文、但拾四文下直相成申候、〉 同中 〈同百四拾八文 同百四拾文、但八文下直相成申候、〉
杉赤身上 〈同百八拾文 同百七拾貳文、但八文下直相成申候、〉
同下 〈同百貳拾四文 同百拾八文、但六文下直相成申候、〉
一猿ぼう 椹白太入上 〈當五月引下ゲ直段百拾六文 同百拾文、但六文下直相成申候、〉
杉下 〈同百文 同九拾壹文、但五文下直相成申候、○中略〉
一荷ひ桶 杉椹底中 〈當五月引下ゲ直段六百四拾八文 同六百拾六文、但三拾貳文下直相成申候、〉
椹白太入 〈同九百文 同八百五拾壹文、但四十五文下直相成申候、○中略〉
右は今般錢相場金壹兩ニ付、六貫五百文御定被二仰渡一候ニ付、桶類直段右ニ准じ、前書之通爲二引下ゲ一申候、依レ之此段奉レ伺候、以上、
寅八月 〈拾三番組諸色掛 下谷坂本町〉
名主 傳次郎印
p.0269 結桶師(ユイヲケシ)
p.0269 十三番 左 結おけし
春はまづ柳のおけをいざ結てかうじ花をもめにあげてみむ
二十九番 左 結おけし
竹ならぬ心はまげじ桶ゆひて世をまはる身は正直にして
p.0269 桶結(○○) 輪 輪がへにふれめぐる言葉、所々にてかわりあり、京にてかづらといふは、むかしは藤かづらにて結しゆへなり、江戸のたがといふは、輪を多くくわゆるの心也、國々にてかわりある也、
p.0269 桶屋(○○) 凡外圍二繞片木一、内以レ板爲レ底、別割二靑竹二條一互纒レ之以レ是爲レ輪、約二束片木圍繞之 外面一、或三所或五所、是謂レ桶、在二堀河一條南一、大小桶無レ不レ有レ之、專盛レ水謂二田子桶一、駿河國田子浦土人、汲レ潮燒レ鹽時、傚二所レ汲レ潮之桶形一者也、今略二桶字一專謂二田子一、竹輪中華所レ謂篾箍也、或以レ鐵有二造レ輪者一、是謂二鐵箍一、
p.0270 諸工商人所付〈いろは分〉
ぬ 江戸之分 ぬりおけ 西久保通
を 京之分 おけや 東堀川〈ゑびす川より三條まで〉 同 西堀川〈下立賣より南二三丁〉
を 江戸之分 おけや 新橋南通町 同 同北よこ町 同 石町三丁目 同 神田こんや町一丁目 同 京橋桶町二丁目
さ 大坂之分 さたう桶や 天滿本泉寺前 同〈○酒屋〉大桶屋〈道修町九丁目〉てんまや新右衞門
p.0270 唐人の寢言は孔子も時にあはず
桶盥は領分の山から槇を取寄せ、藪からは靑竹を切出させ、桶屋を手間で呼付て、一度に三十も五十も作らせ、〈○下略〉
p.0270 杓〈瓢附〉 唐韻云杓〈音與レ酌同、和名比佐古、〉斟レ水器也、瓢〈符宵反、和名奈利比佐古、〉瓠也、瓠〈音與レ護同〉匏也、匏〈薄交反〉可レ爲二飮器一者也、
p.0270 按比佐古者、蓋刳レ木作レ之、似二今俗杓子一而深者、不下與二今比車久之屈レ木作者一同上、大神宮儀式帳木杓、外宮儀式帳木匏卽是、北山抄灌佛條、取二黑漆杓一、酌二東邊鉢水一、膝行灌レ佛一杓、〈○中略〉略按説文勺、挹取也、象形、中有レ實、與レ包同意、音酌、又云、杓枓柄也、音飆、二字不レ同、斟レ水之杓本作レ勺、後人增二木傍一與二枓柄之杓一混、〈○中略〉按瓢古單言二比佐古一、其長項者、割レ之爲二斟レ水器一、所レ謂長項壺盧勺也、後以二木勺一代レ之、然其名依レ舊呼二比佐古一、比佐古遂爲二木勺之專名一、故瓢云二奈利比佐古一以別レ之、〈○中略〉大神宮儀式帳、 廿柄、外宮儀式帳匏廿柄、内膳司式、匏一百九十柄、並是以レ瓢爲レ杓者、造酒司式、有二大匏 四柄一、受二二升一、疑是木杓、而其名依レ舊也、〈○中略〉廣韻云匏、瓠也、可レ爲二笙竽一、與レ此不レ同、按廣韻有二爮字一、云似レ瓠可レ爲二飯器一、音與レ匏同、恐源君誤引レ之、然説文匏瓠也、無二爮字一、則匏爮正俗字耳、
p.0271 、枓柄也、〈枓柄者勺柄也、勺謂二之枓一、句柄謂二之杓一、小雅言、西柄之掲、大雅傳曰、大斗長三尺、張儀傳、令三工人作二爲金斗一、長二其尾一令レ可二以擊一レ之、天官書天文志皆云、杓攜龍角、魁枕參首、北斗一至レ四爲レ魁、象羮枓、五至レ七爲レ杓、象二枓柄一、〉從レ木勺聲、〈甫遙切、二部、按索隱引二説文一匹遙反、〉
p.0271 杓
禮明堂位曰、勺夏后氏以二龍勺一、推レ此以考、蓋前有レ制矣、有夏始加以レ龍飾レ杓、卽勺也、祭祀曰レ勺、民用曰レ杓、其實一也、或以二勺之所レ容不一レ過二升勺一命レ之、而杓則加二廣其所一レ受、皆取レ酌焉、遂異二其名制一也、
p.0271 杓ひしやく 關西にて、しやくといふ、關東にて、ひしやくと云、もとひさごにてつくりたり、よつていにしへはひさごといひし也、瓠をば生(なり)ひさごといひし也、ひさご轉じてひしやくとなれりとぞ、
p.0271 杓(ヒサク) ひさご也、ことくと通ず、いにしへはなりひさごのほそながきを以て水をくみしなり、今も賤民はしかせり、水をくむ所大にして、手にとる所ほそきひさご有、わざとつくれるひさくのごとし、
p.0271 比佐古は本瓠の名なりしが、水を斟ム器に作るに依て、其器の名にもなりて、木もて作れる杓をも、同く比佐古と云から、瓠をば那理比佐古と云か、又本斟レ水器の名より出て、瓠をも云か、其本末は未夕思ヒ得ず、いづれにまれ、那理比佐古と云は、蔓になる故の名なり、今世に、ひしやくと云は、ひさごの訛なり、又しやくとのみ云も、ひしやくの略なり、杓ノ字の音には非ず、
p.0271 銀器
杓一柄、〈莖長一尺七寸、受二三合一、〉料銀大十兩、和炭七斗、油七勺、長功四人、〈火工一人、磨三人、〉中功四人半、短功五人、〈○中略〉賀茂初齋院幷野宮裝束〈○中略〉 白銅杓一柄、〈加レ盤〉料白銅大十兩、炭四斛、油一合、信濃布一丈、長功十人、中功十二人、短功十四人、
p.0272 神事幷年料供御
杓、長功六柄、中功四柄、短功二柄、
p.0272 諸國年料供進
大匏(○○)卌口〈遠江國卅口、常陸國十口、〉
p.0272 交易雜器
山城國〈○中略〉匏三百卅柄、〈○中略〉大和國〈○中略〉瓠三百廿五柄、〈○中略〉河内國〈○中略〉匏二百廿五柄、〈○中略〉和泉國〈○中略〉匏一百五柄、〈○中略〉攝津國〈○中略〉匏一百七十五柄、
p.0272 輿籠八十脚、匏六十柄、杓卅柄、〈○中略〉
右職家料
p.0272 年料〈○中略〉
匏一百九十柄〈汲二雜物汁一料〉
p.0272 壺盧〈○中略〉 老硬者作レ杓、輕快堪レ用、倭俗謂二柄杓瓢簞一、
p.0272 竹屋〈○中略〉 柄杓(○○)汲レ湯之具也、竹筒存レ節二寸許切レ之、横貫二竹柄(○○)一以レ之杓二湯幷水一、檜杉柄(○○○)杓檜物屋造レ之、
p.0272 柄杓
大津坂本の勸進聖は、腰にさして都若衆の衣の袖をひかへ、赤坂の城の知謀の士は、塀に振て關東勢の鎧の妻を焦せりとや、戀路はむつかしく軍法は罪ふかし、これ我ねがふ所にあらず、冬ごもりする雪の中に、爐のほとり近くよりて、ぬるくもあつくも、うすくもこくも、心に隨ひ手に任せて、ふりたてゝのめるこそ、めさむる心ちすれ、又くらしかねたる夏の日に、下部におほせて、庭 の草木もねりわたる計まかせたるこそ、白雨の名殘覺へて、さながら凉風たてるに、夕の月の、庭にも、木にも、草葉にも、きらめきあへるぞ、命ながえのひしやくのそこゐけなんもおしげなれ、かかる樂を打すてゝ、無分別か名の爲か、たま〳〵水車にやとはれて、一生目くるめくほどめぐらさるゝは、そなたの爲にうとましけれ、
月かげをなぐるやおしき水ひしやく
炎暑先レ秋草木紅 朱簾暮卷待二南風一 不思儀卿龍王歟 少水自由雨二大空一
p.0273 茶柄酌(チヤビシヤ/○○○)
p.0273 山城 茶柄杓〈大津柄杓ト云當時京ニ住ス〉 和泉 茶柄杓 攝津 竹柄杓(○○○)
p.0273 諸工商人所付〈いろは分〉
ひ 大坂之分 ひさくや あまが崎町理右衞門
p.0273 同〈○湯山〉 杓 同所〈○有馬郡有馬〉ニアリ、茶杓、手水杓、水打杓等、竹ノ内皮ヲ曲テ作レ之、
p.0273 漉水囊(ロクスイナウ/ミツコシ)
p.0273 水囊(スイノウ)〈正曰二漉水囊一、本名篩斗、事見二名義集一、〉
p.0273 攝津 竹水囊
p.0273 諸工商人所付〈いろは分〉
す 大坂之分 すいのうや 御だうすぢ 同 御れうのまへ
p.0273 上戸(ジヤウゴ)〈本名轉注又云漏斗〉
p.0273 漏斗じやうご〈酒を器にうつす具なり〉 上野にて、すひかん、又すひはくなどといふ、
p.0273 漏斗 俗云上戸
三才圖會云、漏斗皆出入懽伯之器也、不レ知レ始二於何時一、疑起レ自二近代一、 按漏斗今以レ銅作レ之、插二樽口一盛レ酒器也、名二之上戸一者能呑也、又盛二穀於 一漏斗用レ竹作レ之、
p.0274 笊籬 辨色立成云、笊籬〈唐韻笊音側敎反、去聲之輕、籬音離、楊氏漢語抄云、無岐須久比、〉麥索煮籠也、以レ竹編爲レ之、
p.0274 按此所レ云无岐、謂二 條一、須久比、抄取之義、无岐須久比、今俗蕎麥 揚坐流、蓋此類、〈○中略〉笊籬出二唐書安祿山傳及廣韻一、但無レ解、按齊民要術、切麵粥 麵粥法云、湯煮笊籬漉出、
p.0274 笊籬〈ムキスクヒ〉
p.0274 笊籬(イカキ/サウリ)〈味噌漉也〉
p.0274 笊籬(イガキ)
p.0274 飯籮(井カキ)〈本草、以レ竹爲レ之、南方人謂二之筐一、〉笊籬(同)、筲箕(同)、
p.0274 筲いがき 畿内及奧州にて、いかき、江戸にて、ざる、西國及出雲、石見、加賀、越前、越後にて、せうけと云、武州岩附邊にて、せうぎ、安藝にて、したみ、丹波、丹後にて、いどこ、遠江にて、ゆかけ、越後、信濃、上野にて、ぼてといふ、又江戸にて、かめのこざるを、畿内にて、どんがめいがき、藝州にて、どうがめしたみ、下野にて、ひらざると云、又江戸にて御前籠といふ物を、備前にて、しまふぐ、又小き物をこしをりと云、又關西にて、めかごと云を、東國にて、めかいと云、或ふご、びく、又こめあげざる、又其大なるを、かたまきと云、其外品類盡しがたし、今爰に略す、
p.0274 笊籬〈○中略〉 下學集に、笊籬は味噌漉(ミソコシ)なりと注し、旁にサウリイカキと注せり、サウリとは其字の音を呼びしにて、又イカキともいひしと見えたり、今の如きは、是等の類すべてこれをザルといふ、ザルとはサウリといひし語の轉じ訛れるなり、
p.0274 いがき 飯籮をいふ、いひかごの轉ぜる成べし、よて淘羅をもいふめり、伊勢にてはざるといふ、
p.0274 ざる いがきをいふは、笊籬の音也といへり、和名鈔に、むぎすくひと訓じ、下學集 には、さうりいがきと注せり、甲斐のあたりには、いざるともいふなり、西國にては、さうけ、美濃、尾張にては、しやうけといへり、是も笊の笥(ケ)といへるなるべし、山城にてざるといふは、四角に組たる籠なり、
p.0275 上方にて買(かう)て來るを、江戸にては買(かつ)て來る、〈○中略〉いがきをざる、
p.0275 飯籮 筐音匡 音吸 和名之太美 音坐 䉛音郁 籔音叟本綱云、飯籮南方人謂二之筐一、
三才圖會云、籮上圓下方、挈二米穀一竹器、量可二一斛一、
乃籮之屬、比レ籮稍匾而小、其用亦不レ同也、 則造レ酒造レ飯、用レ之漉レ米、又可レ盛二食物一、蓋籮盛二其粗一、 盛二其精一、
按籮之屬有二數種一、總名二以比加岐一、 丹波籮、粗而匾、可三以洗二雜菜一、初出二於丹波一故名、 米挈 、密而深、 可二以洗レ米盛一レ飯、未醬漉、乃 之小圓者、可三以漉二未醬一、
笊籬〈和名無岐須久比○中略〉
按笊籬、俗云温飩扱(ウドンスクヒ)也、竹器狀似二攩網(スクヒタマ)一、今或以レ銅作、〈○中略〉一種有二煮出籠一、甚淺而粗、盛二魚肉一入二羹中一、同煮レ之與二他菜一令レ不二混雜一、
p.0275 年料〈○中略〉
漉籠廿四口〈漉二雜煠餅一科〉
p.0275 食さして袖の橘
詮方なく庭に下ろして、木綿の解明物を著せて、味噌漉を持たせ、豆腐より出でし細なるものを買ひに遣はしけるに、之をも恥ず、
p.0275 十日 池上本門寺會式、今日より十三日迄修行、〈○中略〉 十三日十四日には、門前 笊籬の市立つ、
p.0276 江戸ニ在テ京坂ニ無キ陌上ノ買人〈○中略〉笊味噌漉賣
笊籠、味噌コシ、柄杓、杓子、水囊、帚等ノ類ヲ賣ル、詞ニザルヤミソコシト云、或ハ柄杓一種ヲ賣ルアリ、又水囊一種ヲ携へ、或ハ賣レ之、或ハ損ヲ補フ者アリ、
p.0276 丹波 笊籬
p.0276 左曾利簀(サソリイカキ) 同郡〈○河邊〉左曾利村ノ俗造レ之、市ニ沽(ウレ)リ、
p.0276 江府名産〈幷近在近國〉
龜井町籠 小傳馬町の北の通り龜井町にてこれを作ル、 、味噌漉、ひげこ、岡持、竹婦産籠、竹輿等、