Results of 201 - 300 of about 1740 for [SIMILAR] 16 1024 4096 WITH 3943 事三 WITH 3769 ... (5.875 sec.)
帝王部十六|諡号|太祖中宗
[p.0955] 神皇正統記 仲哀 太祖(○○)神武より、第十二代景行までは、代のまヽに継体したまふ、 ...
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帝王部二十五|皇親下|皇親妃
[p.1507] 神皇正統記 敏達 二年癸巳の年、天皇の御弟、豊日皇子(○○○○)〈◯用明〉の妃(○○)、御子お誕生す、厩戸皇子にてまします、 ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1573] 神皇正統記 宇多 践祚のはじめより、太政大臣基経また関白せらる、この関白薨じて後は、しばらくその人なし、 ...
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帝王部六|践祚下|幼帝践祚
[p.0295] 神皇正統記 清和 我朝は幼主位に居給ふことまれなりき、此天皇九歳にて即位、戊寅の年なり、己卯に改元、践祚ありしかば、外祖良房の大臣はじめて摂政せらる、 ...
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帝王部十二|行幸下〈朝覲行幸附〉|事変行幸
[p.0674] 神皇正統記 後醍醐 丙子〈◯延元元年〉の春正月、〈◯中略〉十六日より合戦はじまりて、三十日終に朝敵お追落す、やがて其夜還幸したまふ、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|追尊天皇〖附〗|追尊天皇
[p.0852] 神皇正統記 光仁 光仁天皇は、施基皇子の子、天智天皇の御孫なり、〈皇子は第三の御子なり、追号ありて田原の天皇(○○○○○)と申す、〉 ...
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帝王部二十四|皇親上|任官
[p.1443] 神皇正統記 後醍醐 かくて親王〈◯後村上〉元服したまひ、直に三品に叙し、陸奥の太守に任じまします、このくにの太守ははじめたることなれど、たよりありとてぞ任じたまふ、 ...
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帝王部四|帝号|十善之主
[p.0189] 神皇正統記 光孝 仏も衆生おみちびきつくし、神も万姓おすなほならしめんとこそしたまへど、衆生の果報品々に、受る所の性同じからず、十善の戒力にて天子とはなりたまへども(○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、代々の御行跡善悪亦まち〳〵なり、 ...
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帝王部六|践祚下|女帝践祚
[p.0303] 神皇正統記 顕宗 御兄仁賢まづ位につき給べかりしお、相共にゆづりましヽかば、同母の御姉飯豊尊、しばらく位に居給ひき、されどやがて顕宗さだまりまし〳〵しによりて、飯豊天皇おば、日嗣にはかぞへ奉らぬなり、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|一時有五上皇
[p.0829] 神皇正統記 後伏見 正和のころ、父の上皇〈◯伏見〉の御ゆづりにて世おしらせ給ふ、時のみかど〈◯花園〉は御弟なれど、御猶子の義なりとぞ、元弘〈◯後醍醐〉に世の中みだれし時、又しばらくしらせたまふ、 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1583] 神皇正統記 崇峻 崇峻天皇は欽明第十二の子、御母は小姉君娘、これも稲目の大臣の女なり、〈〇中略〉ある人いはく、外舅蘇我馬子の大臣と御中悪しくて、かの大臣のためにころされ給きともいへり、 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1591] 読史余論 一 神皇正統記に、光孝より上つかたは一向上古也、万の例お勘ふるも、仁和より下つかたおぞ申める、五十六代清和幼主にて外祖良房摂政す、其外戚専権の始、〈一変〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇姪受禅以前帝子為太子
[p.0536] 日本紀略 七円融 永観二年八月廿七日甲辰、天皇譲位於皇太子〈◯花山〉雲々、自閑院第移御堀河院受禅、〈◯中略〉此日立懐仁親王〈◯一条〉為皇太子、 ...
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帝王部一|帝王通載|後村上天皇
[p.0032] 神皇正統記 後村上 第九十六代第五十世の天皇、諱は義良(のりなが)、〈◯大日本史に、異本神皇正統記お引きて、御名字憲良、後攺義良とあり、〉後醍醐天皇第七の御子、〈◯太平記二十、第八宮に作る、〉御母は准三宮藤原廉子、〈◯太政大臣公賢女、実右中将公廉女、〉 ...
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帝王部六|践祚下|先帝崩後久不践祚
[p.0272] [p.0273] 神皇正統記 持統 皇子草壁わかくまし〳〵しかば皇后〈◯持統〉朝にのぞみ給ふ、戊子のとしなり、庚寅の春正月一日、即位、 ◯按ずるに、持統天皇は、日本書紀に依るに、朱鳥元年丙戌に、皇后お以て朝に臨み制お称し、其翌年丁亥お以て元年と称し、其三年己丑四月に、草壁太子薨じ、四年庚寅に、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|尊親王為太上天皇
[p.0834] 百練抄 十二仲恭 承久三年八月十六日戊辰、持明院宮〈◯後堀河御父守貞〉有尊号事、右大臣〈◯藤原家通〉参仗座宣下之、〈◯又見神皇正統記、紹運要略、八月、一代要記作七月、〉 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|暦応
[p.0234] 続神皇正統記 光明 戊寅改元暦応とす、又以前の延元号おばもちひられず、建武号よりぞ暦応にはうつり侍る、 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|天平勝宝
[p.0165] 神皇正統記 孝謙 聖武の皇子安積親王、世おはやくして後男子ましまさず、依て此皇女立給ひき、己丑〈天平勝宝元〉のとし即位改元、平城宮にまします、 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|正慶
[p.0233] 神皇正統記 後醍醐 新帝〈◯光厳〉は偽主の儀にて、正位にはもちいられず、改元して正慶といひしおも、本のごとく元弘と号せらる、 ...
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歳時部四|年号下〈逸年号併入〉|逸年号
[p.0360] 神皇正統記 文武 天智の御時白鳳(○○○○○○○) ◯按ずるに、和漢合符、天智帝の壬戌の年お以て白鳳二年とす、本朝皇代記之に同じ、 ...
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帝王部一|帝王通載|持統天皇
[p.0012] 続日本紀 二文武 大宝二年十二月甲寅、〈◯廿二日〉太上天皇〈◯持統〉崩、〈◯御年、皇胤紹運録、一代要記、神皇正統記、並に五十八歳とす、〉 ...
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帝王部一|帝王通載|文武天皇
[p.0013] 続日本紀 三文武 慶雲四年六月辛巳、〈◯十五日〉天皇崩、〈◯御年、懐風藻、扶桑略記、一代要記、水鏡、神皇正統記、並に廿五歳とす、〉 ...
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帝王部一|帝王通載|順徳天皇
[p.0027] 百練抄 十二順徳 順徳院、〈諱守成(もりなり)〉 後鳥羽院第二皇子、〈◯神皇正統記、皇年代略記に、三子とす、〉御母修明門院、〈贈左大臣範季女◯藤原重子〉 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|去位称太上天皇
[p.0797] 一代要記 一元明 和銅八年乙卯九月三日、譲位於氷高内親王、〈◯元正〉為太上天皇、年五十五、〈◯又見神皇正統記、皇年代略記、〉 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|去位称太上天皇
[p.0798] 一代要記 一孝謙 天平宝字二年戊戌八月一日、禅位於皇太子大炊王、〈◯淳仁〉為太上天皇、〈◯又見水鏡、神皇正統記、皇胤紹運録、皇年代略記、〉 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|去位称太上天皇
[p.0806] 日本紀略 八花山 永観二年九月九日丙辰、此日詔上太上天皇号於先皇、〈◯円融、又見一代要記、神皇正統記、皇胤紹運録、皇年代略記、〉 ...
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天部二|霧〈もや併入〉|霧以時為名
[p.0167] 神皇正統記 六後醍醐 さても八月〈◯延元四年〉の十日あまり六日にや、秋霧におかされさせたまひて、かくれまし〳〵ぬとぞきこえし、 ...
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帝王部二|神器上〈昼御座御剣 大刀契附〉|嗣君受神器
[p.0069] 神皇正統記 仲恭 廃帝、諱は懐成、順徳の太子、〈◯中略〉承久三年春の比より、上皇〈◯後鳥羽〉おぼしめしたつ事ありければ、俄に譲国し給ふ、順徳御身おかろめて、合戦の事おも一つ御心にせさせ給はん御はかりごとにや、新主に譲位ありしかど、即位登壇までもなくて軍破れしかば、外舅摂政道家の大臣の ...
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地部一|地総載|神国
[p.0027] 神皇正統記 神代 大日本(おほやまと)は神国(○○)なり、天祖はじめて基おひらき、日神ながく統お伝へ給ふ、我国のみ此事あり、異朝には其たぐひなし、此ゆえに神国といふなり、◯按ずるに、神国の事は、神祇部神祇総載篇に詳なり、 ...
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地部一|地総載|郡数
[p.0088] 神皇正統記 後醍醐 かぎりある地おもちて、限りなき人にわかたせたまはんことは、おしはかりたてまつるべし、〈◯中略〉一郡づヽといふとも、日本は五百九十四郡こそあれ、五百九十四人はよろこぶとも、千万人のひとはよろこばじ、 ...
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地部二|皇都鄙併入|遷都例
[p.0178] 神皇正統記 成務 辛未の年即位、近江の志賀の高穴穂の宮にまします、神武より十二代は大倭の国にまし〳〵き(○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、〈景行天皇の末つかた、此高穴穂にましましゝかども、さだまれる皇都にはあらじ、〉 ...
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歳時部三|年号上|年号起原
[p.0157] 神皇正統記 文武 即位五年辛丑より始めて年号あり、大宝といふ、是よりさきに孝徳の御代に、大化、白雉、天智御時白鳳、天武の御代に朱雀、朱鳥など雲号ありしかども、大宝より後にぞたえぬ事にはなりぬる、依て大宝お年号の始とするなり、 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|暦応
[p.0233] [p.0234] 神皇正統記 後醍醐 扠も旧都には、戊寅の年の冬改元して、暦応とぞいひける、芳野の宮には、本の延元の号なれば、国々も思ひ〳〵の年号なり、もろこしにはかヽるためしおほけれど、此国には例なし、 ...
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帝王部一|帝王通載|孝徳天皇
[p.0010] 日本書紀 二十五孝徳 大化元年七月戊辰、〈◯二日〉立息長足日広額天皇〈◯舒明〉女、間人皇女為皇后、 白雉五年十月壬子、〈◯十日〉天皇崩于正寝、〈◯御年、神皇正統記、如是院年代記、並に五十九歳とす、〉 ...
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帝王部一|帝王通載|後醍醐天皇
[p.0032] 神皇正統記 後醍醐 第九十五代、第四十九世、後醍醐天皇、諱は尊治(たかはる)、後宇多第二の御子、御母は談天門院藤原忠子、内大臣師継の女、実は入道参議忠継の女なり、 ...
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帝王部一|帝王通載|後村上天皇
[p.0033] 神皇正統記 後村上 つちのとの卯の年〈◯延元四年〉三月、また吉野へいらせたまふ、秋八月中の五日、ゆづりおうけて天日嗣(あまつひつぎ)おつたへおはします、〈◯元弘日記裏書に、延元四年八月十六日、義良親王践祚、十二とあり、〉 ...
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帝王部七|即位上|即位以前祭神
[p.0386] 続神皇正統記 光明 第九十八代光明院、〈◯中略〉丁丑の年〈◯建武四年〉即位、勢州路次通ぜざるによりて、今度由奉幣お行れず、これは御即位の由お大神宮に告申さるヽ儀なり、停止せられぬる事神慮難計し、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|追尊天皇〖附〗|私称天皇
[p.0856] 神皇正統記 神功 第十五代神功皇后は、息長宿禰の女、開化天皇四世の御孫なり、〈◯中略〉皇后摂政して、辛巳の年〈◯仲哀崩明年〉より天下おしらせ給ふ、 ...
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地部二|皇都鄙併入|不遷都
[p.0190] 神皇正統記 元明 三年〈◯和銅〉庚戌、はじめて大倭の平城(なら)の宮に、都おさだめらる、いにしへには代ごとに都おあらため、すなはちその御門の御名によびたてまつりき、持統天皇藤原の宮にましヽお、文武はじめてあらため給はず、此元明天皇、平城にうつりましヽよりまた七代の都(○○○○)になれりき、 ...
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地部十九|陸奥国上|郡
[p.0105] 神皇正統記 後醍醐 ちかき代のことぞかし、頼朝の時までも、文治のころにや奥の泰衡お追討しに、身づからむかふことありしに、平の重忠が、先陣にてその功すぐれたりければ、五十四郡(○○○○)の中いづくおも望むべかりけるに、長岡の郡とて、きはめたる少きところおのぞみたまはりけるとぞ、 ...
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帝王部一|帝王通載|舒明天皇
[p.0010] 日本書紀 二十三舒明 二年正月戊寅、〈◯十二日〉立宝皇女為皇后、〈◯茅渟王女、即皇極天皇、〉 十三年十月丁酉、〈◯九日〉天皇崩于百済宮、〈◯御年、扶桑略記、一代要記、皇胤紹運録、愚管抄、神皇正統記、並に四十九歳とし、水鏡、五十九歳とし、同一本、四十歳とす、〉 ...
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帝王部一|帝王通載|天智天皇
[p.0011] 日本書紀 二十七天智 七年二月戊寅、〈◯廿三日〉立古人大兄皇子女、倭姫王為皇后、 十年十二月乙丑、〈◯三日〉天皇崩于近江宮、〈◯御年、神皇正統記、皇胤紹運録、皇年代略記、並に五十八歳とし、一代要記、五十三歳とす、而して本書舒明十三年紀、年十六の文に拠りて推算すれば、崩年四十六歳なり、〉 ...
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帝王部六|践祚下|幼帝践祚
[p.0296] 神皇正統記 醍醐 丁巳の年即位、戊午に改元、大納言左大将藤原時平、大納言右大将菅氏〈◯道真〉両人上皇の勅おうけて輔佐し申されき、〈◯中略〉御門御年十四〈◯十四恐十三誤〉にて位につきたまふ、おさなくまし〳〵しかど総明叡哲にきこえ給ひき、 ...
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帝王部六|践祚下|幼帝践祚
[p.0296] 神皇正統記 朱雀 庚寅の年即位、辛卯に改元、外舅左大臣忠平〈昭宣公の三男、後に貞信公と雲、〉摂政せらる、寛平に昭宣公薨じてのちには、延喜御一代〈◯醍醐〉まで摂関なかりき、此君又幼主にて立給ふによりて、故事にまかせて、万機お摂行せられけるにこそ、 ...
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帝王部六|践祚下|女帝践祚
[p.0301] 神皇正統記 孝謙 孝謙天皇は、聖武の御子、御母は皇后光明子、淡海公不比等の大臣のむすめなり聖武の皇子安積親王、世おはやくして後男子ましまさず、依て此皇女立給ひき、己丑のとし、即位改元、平城宮にまします、 ◯按ずるに、聖武天皇の皇子は、史に其名お逸す、安積親王とするは誤なり、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|追尊天皇〖附〗|私称天皇
[p.0857] 神皇正統記 顕宗 第二十四代顕宗天皇、〈◯中略〉御兄仁賢、まづ位につきたまふべかりしお、相共に譲りまししかば、同母の御姉、飯豊尊しばらく位に居給ひき、されどやがて顕宗定まりまし〳〵しによりて、飯豊天皇(○○○○)おば、日嗣にはかぞへ奉らぬなり、 ...
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帝王部十六|諡号|古代追号
[p.0954] 神皇正統記 神武 此御代より代ごとに宮所お遷されしかば、其所お名づけて御名とす、〈◯御号とすと雲ふ意なり〉此天皇おば橿原の宮と申なり、 ◯按ずるに、代ごとに宮所お遷すと雲ふこと誤なり、〈下文代ごとに都お改めと雲ふ、亦同じ、〉事は本居宣長の古事記伝〈二十一〉に見ゆ、 ...
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地部二|皇都鄙併入|還旧都
[p.0192] 神皇正統記 安徳 平氏はいよ〳〵おごりおなし、諸国はすでにみだれぬ、都おさへうつすべしといひて、摂津国福原とて、清盛がすむところの有しに、行幸せさせ申しけり、法皇上皇もおなじくうつしたてまつる、人のうらみおほくきこえければにや、かへしたてまつる、 ◯按ずるに、還旧都の事は、宜しく僉議 ...
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地部四十一|津|和泉国/石津
[p.0512] 白山本神皇正統記 後醍醐 又のとし戊寅の春二月、〈◯延元三年〉鎮守府大将軍顕家卿、また親王〈◯後村上〉おさきだて申し、重ねて打のぼる、〈◯中略〉同五月、和泉の国石津といふ所にての戦に、時やいたらざりけん、忠孝の道こヽに極り侍りにき、苔の下にうづもれぬものとては、たヾいたづらに名おのみ ...
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帝王部二|神器上〈昼御座御剣 大刀契附〉|神器遭火
[p.0073] 神皇正統記 村上 天徳年中にや、はじめて内裏に炎上ありて、内侍所もやけにしが、神鏡は灰の中より出し奉る、円規損ずる事なくして分明にあらはれ出給へり、みたてまつる人、驚感せずといふ事なしとぞ御記にみえ侍る、此時に神鏡の、南殿の桜にかヽらせ給ひけるお、小野宮実頼の大臣、袖にうけられたり ...
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帝王部三|神器下〈昼御座御剣 大刀契附〉|南北朝神器授受始末
[p.0113] 神皇正統記 後醍醐 同〈◯延元元年〉十二月に忍びて都お出まし〳〵て、河内の国に、正成といひしが一族等おめし具して、芳野にいらせ給ひぬ、行宮おつくりて渡らせ給ふ、もとの如く在位の儀にてぞまし〳〵ける、内侍所(○○○)もうつらせ給ひ、神璽(○○)も御身にしたがへ給ひけり、誠に奇特の事にこそ侍りし ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1573] 神皇正統記 朱雀 天皇諱は寛明、醍醐十一の子、御母皇太后藤原の穏子、関白太政大臣基経の女なり、〈◯中略〉外舅左大臣忠平〈昭宣公の三男、後に貞信公といふ、〉摂政せらる、寛平に昭宣公薨じてのちには(○○○○○○○○○○○○○)、延喜御一代まで摂関なかりき(○○○○○○○○○○○○○)、この君また幼主にてたちたまふに ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1624] 神皇正統記 四条 四条院、諱は秀仁、後堀河の太子、御母藻壁門院藤原竴子、摂政左大臣道家の女なり、壬辰の年即位、〈〇中略〉一とせばかりありて上皇〈〇後堀河〉崩れ給ひしかば、外祖にて道家の大臣王家の権お執りて、昔の執政の如くにこそありしか、東国に仰ぎし征夷大将軍頼経もこの大臣の胤子なれ ...
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帝王部六|践祚下|両統更立
[p.0293] 神皇正統記 伏見 後嵯峨の帝、継体おば亀山とおぼしめしさだめければ、深草の御ながれいかヾとおぼえしお、亀山、弟順の儀おおぼしめしけるにや、此君〈◯伏見〉お御猶子にして東宮にすえ給、そのヽち御心もゆかずあしざまなる事さへ出きて践祚ありき、〈◯中略〉東宮にさへ此天皇の御子〈◯後伏見〉いた ...
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帝王部二十七|外戚下|雑載
[p.1683] 神皇正統記 後一条 天暦〈〇村上〉の御時、元方の民部卿のむすめの御息所〈〇祐姫〉の、一のみこ広平親王おうみ奉る、九条殿〈〇藤原師輔〉の女御〈〇安子〉まいりたまひて、第二の皇子〈冷泉にまします〉いできたまひしころより悪霊になりて、このみこも邪気になやまされましき、花山院俄に世おのがれ ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1568] [p.1569] 神皇正統記 村上 わが国は神代よりのちかひにて、君は天照大神の御すえ国おたもち、臣は天児屋の命の御ながれ君おたすけたてまつるべき器となれり、〈◯中略〉上古には皇子皇孫おほくて、諸国にも封ぜられ、将相にも任ぜられき、〈◯中略〉然れど大織冠氏おさかやかし、忠仁公、政お摂せられし ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1571] 神皇正統記 清和 天皇諱は惟仁、水尾の帝とも申す、文徳第四の子、御母は皇太后藤原の明子、〈染殿の后と申す〉摂政太政大臣良房の女也、我朝は幼主位に居たまふ事希なりき、この天皇九歳にて即位、戊寅の年なり、己卯に改元、践祚ありしかば、外祖良房の大臣はじめて摂政せらる、〈◯中略〉天皇おとな ...
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帝王部二十二|皇太子上|皇子為太子
[p.1344] [p.1345] 神皇正統記 後醍醐 又の年戊寅の春二月、〈◯中略〉陸奥の御子〈◯後村上〉又東へむかはしめ給ふべき定あり、〈◯中略〉親王は儲の君にたヽせ給ふべきむね申きかせ給ふ、道の程もかたじけなかるべし、〈◯中略〉七月の末つかた、伊勢に越させ給ひて、神宮に事のよしお啓して、御船のよそひし、九 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|臨終譲位
[p.0547] 日本書紀 十八安閑 二十五年二月丁未、男大跡天皇〈◯継体〉立大兄〈◯安閑〉為天皇、即日男大跡天皇崩、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0555] 増鏡 一おどろの下 永治のむかし、鳥羽の法皇しゆとく院の御心もゆかぬにおろし聞えて、近衛院おすえたてまつり給ひし時は、御門〈◯崇徳〉いみじうしぶらせ給ひて、その夜になるまで、勅使おたび〴〵たてまいらせ給ひて、内侍所けんじなどおもわたしかねさせ給へりしぞかし、さてその御いきどほりのす ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位便事
[p.0553] 増鏡 一おどろの下 建久九年正月第一の御子〈土御門院〉四になり給に、御くらいゆづり申させ給ておりい給ふ、〈◯後鳥羽〉位におはします事十五年なりき、けふあすはたちばかりの御よはひにて、いとまだしかるべき御事なれども、よろづ所せき御ありさまよりは、中々やすらかに、御幸など御心のままなら ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0543] 栄花物語 一月宴 御ものヽけ、いとおどろ〳〵しうおはしませば、さるべき殿上人とのばら、たゆまずよるひるさぶらひ給、いとけおそろしくおはしますに、けふおりさせ給ふ、あすおりさせ給ふとのみ、きヽにくヽ申思へるに、みかどヽいふものは一たびはのどかに、一たびはとくおりさせ給ふといふことも、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|崩後譲位
[p.0550] 続世継 一子日 同じき九年〈◯長元〉やよひの十日あまりのほどより、うへ〈◯後一条〉の御なやみときこえさせ給ひて、神々にみてぐら奉らせ給へる、さまざまの御いのりきこえ侍りき、殿上人御つかひにて、左右の御むまなどひかれ侍りけり、御年みそぢにだに今ひとつたらせ給はぬいとあたらし、されど廿年 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] [p.0559] 増鏡 十老の波 弘安も十年になりぬ、この御門〈◯後宇多〉位につき給て、十三年ばかりになりぬらん、本院〈◯後深草〉まちどほにおぼさるらん、いとおしくおしはかりたてまつるにや、例の東より奏する事あるべし、新院〈◯亀山〉の御かたざまには、心ぼそうきこしめしなやむべし、〈◯中略〉よろ ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0557] [p.0558] 増鏡 六おりいる雲 そのとし〈◯正元元年〉の八月廿八日、春宮〈◯亀山〉十一にて御げんぶくし給、御いみな恒仁ときこゆ、世の中にやう〳〵ほのめきヽこゆる事あれば、御門〈◯後深草〉はあかず心ぼそうおぼされて、〈◯中略〉十一月廿六日、おりいさせ給に、空のけしきさへあはれに雨うちそヽぎ ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|名称
[p.0457] 名目抄 臨時 譲位(じよう井)〈又巽位、有節会、〉 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|警固固関
[p.0459] 北山抄 五 譲位事 前一両日、有警固固関事、〈式雲、前三日行之、〉具在別記、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|官人装束
[p.0504] 西宮記 臨時四 天皇譲位〈◯中略〉 装束如例、諸衛将佐、着縫腋壺胡籙靴也、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|警固固関
[p.0461] 日本紀略 二朱雀 天慶九年四月十九日己卯、於宜陽殿行固三関并警固事、依明日可有天皇御譲位也、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0475] 日本書紀 二十五孝徳 天豊財重日足姫天皇〈◯皇極〉四年六月庚戌、〈◯中略〉天皇授(○)璽綬(○○)禅(○)位(○)、策曰、諮爾軽皇子〈◯孝徳〉雲々、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|新帝上表
[p.0504] 日本紀略 十一一条 寛弘八年六月十三日乙卯、有御譲位事、午刻宣命雲、皇太子〈止〉定賜〈へ留〉居貞親王〈仁◯三条〉天日嗣〈遠〉授賜〈布、◯中略〉新帝上表陳謝、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0556] 承久軍物語 一 承久四年十二月一日、上皇〈◯後鳥羽〉第三の皇子、守成のみこ〈◯順徳〉お御位につけ給ひて、第一の御子〈◯土御門〉おばおしこめ奉らしめ給ふ、これは当腹の御寵愛によつてなり、されば一院〈◯後鳥羽〉新院〈◯土御門〉御中よからずとぞ聞えし、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|臨終譲位
[p.0547] 吉野拾遺 上 同じ八月〈◯延元四年〉のはじめごろより、秋霧におかされさせ給ひけるが、かねて時おもしろしめしけるにや、同十五日の夜親王〈◯後村上〉お左大臣経忠公の亭にうつし奉らせ給ひ、三種の御たからお譲りおはしまし、御行末のこといとこまやかに仰せ置れて、御剣と法華経とお左右の御手にもの ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出父祖意
[p.0553] [p.0554] 大鏡 八 朱雀院の母、〈◯穏子〉いうにおはしますとこそはいはれさせ給ひしかども、将門が乱などいできて、おそれすぐさせおはしましヽほどに、やがてかはらせ給ひにしぞかし、そのほどの事のありさまこそいとあやしう侍りけれ、母后の御もとに行幸せさせ給へりしお、かヽる御ありさまの思ふや ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|崩後譲位
[p.0549] [p.0550] 栄花物語 三十三きるは佗しと歎女房 内〈◯後一条〉の御なやみ、日おへておもらせ給て、四月十五日〈◯長元九年〉ばかりより、日ごとにたえいらせ給、女院〈◯彰子〉中宮〈◯妍子〉涙にくれておはします、〈◯中略〉つひに四月十七日のゆふかたうせさせ給ぬれば、所がら院も宮もおなじさまにておは ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|雑載
[p.0572] 栄花物語 四十紫野 宮〈◯白河中宮賢子〉の御こヽちおもくおはしますとて、十七日〈◯応徳元年九月〉にいそぎかへらせ給ぬ、いとおもくおはしましけり、日おへておもくならせ給て、九月廿二日うせさせ給ぬ、あさましなども世のつねなり、〈◯中略〉内の御まへ〈◯白河〉には、ことわりとは申ながら、いふか ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|名称
[p.0457] 代始和抄 御譲位事 受禅と譲位とは、新旧の両主にわたれる名なり、脱屣(○○)といふは、くつおぬぐといふ心なり、昔虞俊といふ聖人の、天位おむさぼる心のましまさヾるに依て、位おさる事おば蔽れたる屣おぬぐがごとく思給へり、やぶれたるくつおぬぎすつる事、露ばかりも惜き心なきにたとふる也、これは ...
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帝王部十九|皇后上〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|大臣養...
[p.1140] 神皇正統記 後醍醐 諱は尊治、〈◯中略〉御母は談天門院藤原忠子、内大臣師継の女、実は入道参議忠継の女なり、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|従兄弟受禅以前帝子為太子
[p.0537] 栄花物語 九石蔭 かくて御かど、〈◯一条〉いまはかくておりいなむとおぼすお、さるべきさまにおきて給へとおほせらるれば、殿〈◯藤原道長〉うけたまはらせ給て、春宮〈◯三条〉に御たいめこそは例の事なれとて、思しおきてさせ給程に、東宮行啓あり、みすごしに御たいめありて、あるべき事ども申させ給 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|廃帝〖附〗|自出宮而外徙
[p.0586] 増鏡 三藤衣 前の御門〈◯仲恭〉は、四にて廃せられ給ひて、尊号などのさただになし、〈◯中略〉年号かはりぬ、文暦元年といふ、承久の廃帝十七になり給へるも、五月廿日にうせ給ひぬ、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|廃帝〖附〗|自出宮而外徙
[p.0585] 吾妻鏡 二十五 承久三年七月九日辛卯、今日践祚也、〈◯後堀河〉先帝〈◯仲恭〉於高陽院皇居避位、密々行幸九条院、 ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|新帝上表
[p.0504] 践祚部類抄 村上 天慶九年四月廿日庚辰、受禅、〈◯中略〉 十九日、有拝表儀、其儀畢令内侍献御服一襲於新帝、加御笏、廿二日、新主遷御綾綺殿、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位初見
[p.0527] 日本書紀 二十四皇極 四年六月庚戌、譲位於軽皇子、〈◯孝徳〉立中大兄〈◯天智〉為皇太子、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0545] 百練抄 四後朱雀 寛徳二年正月十六日、譲位於皇太子、〈◯後冷泉〉依自去年冬玉体不予也、 ...
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帝王部二十|皇后下〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|皇后登...
[p.1181] 神皇正統記 持統 持統天皇は、天智の御女なり、御母は越智娘、蘇我の山田石川丸の大臣の女なり、天武天皇太子にまし〳〵しより、妃とし給ふ、後に皇后とす、〈◯中略〉庚寅の春正月一日即位、大和の藤原の宮にまします、〈◯中略〉この天皇天下お治め給ふ事十年、位お太子にゆづりて、太上天皇と申き、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|在位上尊号
[p.0819] 神皇正統記 後醍醐 十月十日〈◯延元元年〉の比にや、主上都に出させ給ふ、〈◯中略〉主上は尊号の儀にてましましき、 ◯按ずるに、此年十月北朝陽て和お南朝に請ふ、後醍醐天皇亦権に之お許し、京師に還御ありしお以て尊号お奉りしなり、然れども実に之お受けたまひしには非ざるなり、姑く附記して参考に ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太弟受禅以前帝子為太子
[p.0536] 皇年代略記 花山 安和二年八月十三日戊子、立太子、〈二、円融院受禅日、円融皇子一条雖御坐、以冷泉皇子立之、〉 ◯按ずるに、花山天皇は、冷泉天皇の第一皇子なり、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0543] [p.0544] 栄花物語 二花山 かヽるほどに年号もかはりて永観元年といふ、うへ〈◯円融〉今はいかでおりなんとのみおぼさるヽうちに、御ものヽけもおそろしうしげうおこらせ給ふにも、冷泉院はなほ例の御心はすくなくて、あさましくてのみすぐさせ給ふに、はかなくて永観二年になりぬ、ことしだにかならず ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位初見
[p.0527] 日本書紀 十八安閑 二十五年〈◯継体〉二月丁未、男大跡天皇〈◯継体〉立大兄〈◯安閑〉為天皇、 ◯按ずるに、書紀集解に、此お以て譲位の始と為す、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] 伏見院御記 弘安十年十月廿一日戊寅、今日譲位〈◯後宇多〉也、去十二日自関東依申也、 ...
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人部三|親戚下乳母 併入|世数計算法
[p.0246] 神皇正統記 後白河 第七十七代、第四十二世、後白河院、諱は雅仁、鳥羽第四子、崇徳同母の御弟なり ...
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帝王部九|譲位上〈受禅併入廃帝附〉|譲位式
[p.0483] [p.0484] 百練抄 十後鳥羽 建久九年正月十一日己酉、譲位於第一皇子、〈◯土御門、中略〉璽剣渡御之間、見物車済々焉、無先規事歟、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0544] 百練抄 四一条 寛弘八年六月十三日、譲位於皇太子、依御脳也、於一条院有此儀、新帝〈◯三条〉即渡御東三条第、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0546] 百練抄 七二条 永万元年六月廿五日、譲位於第二親王順仁、〈◯六条〉先雖可有立坊、依主上御不予危急、俄有此儀、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0564] 十三朝紀聞 二後西院 寛文二年十月、大将軍〈◯徳川家綱〉使松平民部少輔、板倉筑前守、入議譲位事、 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|災異譲位
[p.0550] [p.0551] 栄花物語 十二玉の村菊 さていらせ給ひて、日ごろおはします程に、御物忌なる日、皇后宮の御湯殿つかうまつりけるに、いかヾしけんその火いできてうちやけぬ、かヽることは、さてもよるなどこそあれ、昼なればいとかたはらいたく、心あわたヾしきこと多かり、よるひるきびしく仰せられて、急 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|廃帝〖附〗|自出宮而外徙
[p.0586] 皇年代略記 仲恭 廃帝、〈◯中略〉承久三年七月九日辛卯、廃之、 ...
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帝王部二十三|皇太子下〈皇太子妃併入〉|太子辞而不即帝位
[p.1383] [p.1384] 神皇正統記 仁徳 応神かくれましゝかば、御兄たち、太子〈◯菟道稚郎子〉おうしなはんとせられしお、此尊〈◯大鷦鷯〉さとりて、太子と心お一にしてかれお誅せられにき、援に太子天位お尊にゆづり給ひ、尊かたくいなみ給ふ、三年になるまでたがひにゆづりて位おむなしくす、太子は山城の宇治に ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|廃帝〖附〗|廃天皇為親王
[p.0583] 扶桑略記 抜萃淳仁 大炊天皇〈号淡路廃帝〉 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|廃帝〖附〗|自出宮而外徙
[p.0585] 皇胤紹運録 九条廃帝〈承久三、七、九、廃之、〉 ...
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