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歳時部三|年号上|年号通載|朱鳥
[p.0160] 愚管抄 一皇帝年代記 天武十五年〈元年壬申◯中略〉 朱鳥(あかみとり)八年(○○)〈内一年元年丙戌(/○○)◯中略〉 持統〈女〉 十年〈元年丁亥◯中略〉 朱雀、のこり七年、 ...
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歳時部四|年号下〈逸年号併入〉|逸年号
[p.0361] 愚管抄 一皇帝年代記 天武 十五年〈元年壬申◯中略〉 朱雀(○○)一年〈元年壬申(○○○○)〉 白鳳(○○)十三年〈元年(○○)、壬申(○○)、支干同前、年内改元歟(○○○○○)、〉 ...
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帝王部二十五|皇親下|皇子出家
[p.1475] 愚管抄 七 宮たちは入道親王とて、御室の中にも有がたかりしお、山にも二人〈◯順徳皇子、尊覚及皇曾孫承鎮、〉ならびておはしますめり、新院〈◯順徳〉当今〈◯後堀河〉又二宮三宮の御子など雲て、数しらずおさなき宮々法師法師にと、師共の許へあてがはるめり、 ...
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帝王部二十七|外戚下|争納后妃
[p.1657] [p.1658] 愚管抄 六 後京極殿〈〇藤原良経〉は、院〈〇後鳥羽〉もいみじき関白摂政かなとよに御心にかなひて、よき事したりとひしと、思召てありけり、〈〇中略〉摂政は主上〈〇土御門〉御元服にあひて、てゝの殿〈〇兼実〉の例もちかし、又昔の例共もわざとしたらんやうなれば、むすめおほくもちて、 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|一時有三上皇
[p.0827] 増鏡 一おどろの下 その年〈◯承元四年〉のしはすに、太上天皇の尊号あり、新院〈◯土御門〉ときこゆれば、父の御門〈◯後鳥羽〉おばいまは本院と申、なほ御まつりごとはかはらず、 ...
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姓名部三|姓氏下|賜姓後復親王
[p.0212] [p.0213] 皇胤紹運録 順徳院 忠成王 彦仁王〈正三位右中将、賜源姓(○○○)、〉 忠房親王〈任中納言中将、文保三二十八、無品親王宣下(○○○○○○)、弾正尹、母関白 〓実公女、〉 源彦良 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|尊親王為太上天皇
[p.0834] 百練抄 十二仲恭 承久三年八月十六日戊辰、持明院宮〈◯後堀河御父守貞〉有尊号事、右大臣〈◯藤原家通〉参仗座宣下之、〈◯又見神皇正統記、紹運要略、八月、一代要記作七月、〉 ...
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方技部一|陰陽道上|生霊死霊
[p.0082] 愚管抄 六 後京極殿〈○藤原良経〉は、〈○中略〉三月〈○元久三年〉七日、やうもなりぬ死にせられたり、〈○中略〉このおりふしにさし合せ、怨霊も力おえけんとおぼゆるになん、その御修法はことに叡感有て、勧賞などおこなはれにけり、〈○中略〉猶法性寺殿〈○藤原忠通〉のすえにかゝりける事の人のいでく ...
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器用部四|飲食具四|介貝盃
[p.0236] [p.0237] 愚管抄 六 一後京極殿〈○藤原良経〉は、院もいみじき関白摂政かなと、よに御心にかなひて、よき事したりと、ひしと思召てありけり、〈○中略〉中御門京極に、いづくにもまさりたるやうなる家作りたてゝ、山水池水峨々たる事にてめでたくして、元久三年三月十三日とかやに、絶えたる曲水の宴お ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|去位称太上天皇
[p.0816] 公卿補任 後桜町 明和七年十一月廿五日、太上天皇尊号宣下、〈◯中略〉上卿内大臣、〈◯九条道前〉参議新宰相中将、弁謙光、奉行光祖、 三十日、詔書覆奏、上卿右大将、弁篤長、奉行紀光朝臣、〈◯又見続皇胤紹運録〉 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|厄年辞尊号
[p.0825] 帝王編年記 二十六亀山 弘長元年五月八日、一院〈◯後嵯峨〉於亀山殿、令行如法経、 六月十三日、上皇〈◯後嵯峨〉自亀山殿、御幸石清水、如法経奉納、〈◯又見一代要記〉 ...
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帝王部十六|諡号|陵地為一号
[p.0943] 愚管抄 一仁明 此みかどは、深草のみかどヽ常に人申すなり、みさヾきの名なり(○○○○○○○○)、〈◯又見簾中抄〉 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|准太上天皇
[p.0844] 一代要記 六後一条 太子敦明親王、〈三条第一子、寛弘八年十月五日為親王、長和五年正月廿九日為皇太子、寛仁元年八月九日辞之、廿四准太上天皇、号小一条院、〉 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|承久
[p.0213] 一代要記 順徳 承久元年己卯四月十二日改元、依三合変異也、為長勘(○○○)之(○)、 ...
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封禄部七|准三宮|摂関大臣
[p.0331] 愚管抄 二 前関白忠実〈保延六年二月、中重内聴輦車、六月五日准三宮、〉 ...
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姓名部八|名上|賜名
[p.0644] 愚管抄 六 千万御前、元服せさせて、実朝と雲名も京より給りて、建仁三年十二月八日、やがて将軍宣旨申くだして、〈○下略〉 ...
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姓名都九|名中|院号
[p.0740] [p.0741] 愚管抄 三 一条院御母は、東三条院と申す、女院の始は、この女院也、これは兼家のむすめにて、円 融院のきさき也、 ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1581] 愚管抄 二仲恭 摂政左大臣道家〈(中略)外祖外舅、為大臣之時、無不居摂政之例、道理必然、宣命雲々、〉 ...
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地部四十二|関|固関
[p.0662] 愚管抄 二 今上〈◯後堀河〉諱茂仁 承久三年〈辛巳〉七月九日〈辛卯〉受禅、〈十歳〉同年十二月一日〈庚辰〉於官庁即位、〈◯中略〉受禅当日無節会、無宣命、無警固、無固関雲々、世以為奇歟、及八九月、先帝之摂政詔お施行すべき由お有沙汰、外記仰之雲々、花山院脱屣の夜にぞさる不思儀にてありけれど ...
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方技部一|陰陽道上|呪禁
[p.0055] 愚管抄 四 さる程に、主上近衛院、十七にて、久寿二年七月に、うせ給ひにけるは、ひとへに、此左府〈○藤原頼長〉が呪咀(○○)なりと人いひけり、 ...
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人部二|親戚上|内戚/外戚
[p.0109] 愚管抄 三 九条の右丞相〈○中略〉わが子孫お帝の外せきとはなさんとちかいて、観音の化身の、叡山の慈恵僧正としだんの契ふかくて、横河のみねに楞厳三昧院といふ寺おたて、 ...
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姓名部四|苗字称号 〓|雑載
[p.0363] 玉勝間 六 後京極のとなへ 後京極摂政は、つねには後字、音にてごとよむお、同じ愚管抄に、後の京極殿と、のヽ字おそへてかきたり、 ...
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姓名部六|氏上|藤原氏長者
[p.0461] [p.0462] 標註職原抄別記 下 氏長者 氏長者の始は氏上なれば、勅にて補せらるヽ事、いはむも更なるお、藤氏これお私物として、摂関なれば、宣旨に及ばず氏長者なりと定しお、中古の人、故実にうとかりしゆえに、皆しかならむと思へりしにや、〈○註略〉此抄に頼長公、非摂関、為長者宣下之例、初於此と ...
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帝王部十三|御幸|御幸式
[p.0727] 愚管抄 二白河 此御時、院中に上下の北面おおかれて、上は諸大夫、下は衛府允多く候て、下北面御幸御後には矢負てつかまつりけり、後にも皆其例なり、 ...
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帝王部十五|太上天皇出家〈受戒、灌頂、受衣、天皇出家受戒、併入〉|信仏教而出家
[p.0863] 愚管抄 一宇多 寛平九年、御脱屣、〈三十一〉昌泰三年月日、御出家、〈三十四〉法名金剛覚、 ...
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帝王部二十六|外戚上|疾病恩遇
[p.1536] 愚管抄 一元正 不比等大臣は養老四年八月三日薨、〈年六十二〉諡号淡海公、聖武の外祖にて、病に臥給ふより、重く殊にもてなされ給ふ、 ...
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帝王部二十六|外戚上|贈官位
[p.1549] 愚管抄 一元正 不比等大臣は、養老四年八月三日薨、諡号淡海公、聖武の外祖にて、病に臥給ふより重く殊にもてなされ給ふ、贈太政大臣と雲々、 ...
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帝王部二十六|外戚上|没後賜封
[p.1557] 愚管抄 一宇多 関白太政大臣基経〈(中略)寛平三年正月十三日薨五十七、天皇甚哀悼、詔贈正一位、食封資人並如生、故大臣又如故、〉 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1591] 愚管抄 一光孝 陽成院御物気歟、於事勿論之御事也、仍外舅昭宣公〈〇藤原基経〉大臣以下相談して、此御門〈〇光孝〉お位に即まいらせらる、 ...
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帝王部二十七|外戚下|皇室依外戚
[p.1627] 愚管抄 二土御門 此君は、〈〇中略〉御母方、〈〇承明門院在子〉うちたえあらはなる法師(○○)〈〇能円〉の孫、位に即かせ給ふ事はなしとぞ世に沙汰しける(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、 ...
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封禄部一|封戸総載|歿後不収封
[p.0023] 愚管抄 一 関白太政大臣基経〈仁和三年十一月十九日、詔、万機巨細百官総己告関白、然後奏下、一如故事、寛平三年正月十三日薨、五十七、天皇甚哀悼、詔贈正一位、食封資人並如故、大臣又如故、在位二十年、〉 ...
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封禄部三|功田|賜功田
[p.0113] 愚管抄 六 文治は六年といふ四月十一日に、改元にて建久になりにけり、元年十一月七日、頼朝卿は京へ上りにけり、〈○中略〉十二月十八日に、帰りてくだりにけり、前の日大功田百町宣下など給けり、 ...
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器用部二十八|車下〈橇 修羅併入〉|下簾
[p.0871] 愚管抄 五 十二月〈○平治元年〉廿五日、丑の時に、六波羅へ行幸〈○二条〉おなしてけり、その様は清盛尹明にこまかにおしへけり、昼より女房の出んずる料の車とおぼしくて、牛飼ばかりにて、下簾の車おまいらせて、〈○下略〉 ...
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器用部二十九|輿|輿舁
[p.0974] 愚管抄 五 信西はかさとりて、左衛門尉師光、右衛門尉成景、田中四郎兼光、斎藤右馬允清実お具して、人にしらるまじき夫こしかきにかゝれて、大和国の田原と雲方へ行て、穴お掘てかき埋れにけり、 ...
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姓名部七|家紋|車施紋
[p.0556] 愚管抄 六 公経の大納言は、この立坊〈○仲恭〉の春宮大夫になりて、いみじく候はるヽに、大方その人は、閑院の一家の中に、春宮大夫公実の嫡子に立、ともえの車などつたへたりける、中納言左衛門督通季のすぢ也、 ...
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姓名都九|名中|院号
[p.0741] 愚管抄 四 三条院の御子〈○敦明〉東宮にたて給ひたるは、小一条院なり、〈○中略〉東宮の、一条院の御子に、後一条後朱雀など出き給にしうへは、我御身、もてあつかはれなんと思召て、東宮お辞して、院号お申て、小一条院と申ておはしましける、 ...
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帝王部二十六|外戚上|名称
[p.1517] 愚管抄 三 九条の右丞相、〈◯中略〉我子孫お帝の外戚(げさく)とはなさんと誓ひて、観音の化身の、叡山の慈恵大師と師檀のちぎりふかくして、横河のみねに楞厳三昧院といふ寺お立、 ...
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方技部十八|疾病四|寸白
[p.1438] 愚管抄 七 すべて初より思ひくはだつる所、道理といふものお、つや〳〵われも人もしらぬあひだに、たゞあたるにしたがひて、後おかへりみず、腹に 寸白( ○○) などやむ人の、当時おこらぬ時、喉のかはけばとて、水なとお飲てしばしあれば、その病おこりて死行にもおよぶ道理なり、 ...
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人部二十四|名誉|得名誉
[p.0299] 愚管抄 七 僧中には、山〈○延暦寺〉には青蓮院座主の後は、いさゝかも、にあふべき人なし、うせて後六十年におほくあまりぬ、寺〈○園城寺〉には行慶、覚忠の後、又つや〳〵と聞えず、東寺と御室には五の宮まで也、東寺長者の中には、完助、完信など雲人こそ聞へけれ、さがりざまには理性三密などは名誉 ...
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器用部二十五|舟上|以用法為名
[p.0670] 愚管抄 四 宇治の左府は、馬に乗るに及ばず、戦場大炊御門御所に御堂のありけるにや、つま戸に立そひて事お行ひて在けるに、矢の来りて耳のしもに中りにければ、門辺にありける車に、蔵人大夫経憲と雲者乗り具し申て、桂河に行て、鵜船にのせ申て、こづ河へ下して、〈○下略〉 ...
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姓名部六|氏上|争為氏長者
[p.0491] [p.0492] 愚管抄 四 知足院殿、〈○藤原忠実、中略、〉藤氏長者は、君のしろしめさぬ事なりとて、久安六年九月廿五日に、藤氏長者〈○忠実長子忠通〉おとり返して、東三条におはしまして、左府〈○忠実次子頼長〉に朱器台盤わたされにけり、 ...
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姓名部八|名上|以由縁為名
[p.0690] 愚管抄 六 二歳なる若公〈○藤原頼経〉祖父公経の大納言がもとに養ひけるは、正月寅日の寅の歳寅時生れて、誠にもつねのおさなき人にも似ぬ子の、占の宿曜にもめでたく協ひたりと、それお終に六月廿五日に、武士ども迎に上りて、下しつかはされにけり、 ...
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姓名都九|名中|幼名
[p.0699] 愚管抄 二 信清〈○藤原〉のおとヾの女に、西の御方とて院〈○後鳥羽〉に候おば、卿二位子にしたるが腹に、院の宮、生まいらせたるお、すぐる御前(○○)と名付て、卿二位が養ひまいらせたる、初は三井寺へ法師になしまいらせんとて有ける、猶御元服有て、親王〈○頼仁〉にておはしますお、もてあつかひて、 ...
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姓名都九|名中|異名
[p.0715] 愚管抄 五 さて義仲は、松殿〈○藤原基房〉の子、〈○師家〉十二歳なる中納言、八歳にて中納言になられて、八歳の中納言と雲異名有し人お、やがて内大臣になして、摂政長者になり、又大臣の闕もなきに、実定の内大臣お、暫とてかりてなしたれば、世にはかるの大臣と雲異名又つけてけり、 ...
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称量部二|量|宣旨升
[p.0062] 愚管抄 四 後三条院の位の御時、延久の宣旨斗(○○○)と雲ものさだまりて、今まで其お本にして用いらるヽ斗まで、御沙汰ありて、斗めしてまいりたれば、清涼殿の庭にて、沙子お入てためされけるなんどおば、こはいみじきことかなと、めであふぐ人もありけり、 ...
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称量部三|権衡|斤両
[p.0110] 古今要覧 器財 延久宣旨秤延久に宣旨秤といふものお作られたるよし〈愚管抄〉いへど、それより九十年許のヽち、長寛の頃、刑部卿範兼卿のかヽれし、薫集類抄にしるされし権衡、大宝令延喜式の大小両とたがふことなければ、延久の度には、新に法お設けられしにはあらざるか、 ...
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帝王部十二|行幸下〈朝覲行幸附〉|事変行幸
[p.0660] 愚管抄 五 信頼かくしちらして、〈◯中略〉二条院当今にておはしますお取り参らせて、世お行て、院〈◯後白河〉お御書所と雲所にすえ参らせて、〈◯中略〉十二月廿五日〈◯平治元年〉乙亥、丑の時、六波羅〈◯平清盛第宅〉へ行幸おなしてけり、其やうは清盛尹明に細かに教けり、 ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1570] 愚管抄 三 忠仁公、〈◯藤原良房〉清和の御門が日本国の幼主の初にて、外祖にて初て摂政におかれて後、この摂政の家々(○○○○○)、帝の外祖外舅ならん大臣のあらん必々執政の臣なるべき道理は(○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○)、ひしと作りかためたる道理にて(○○○○○○○○○○○○○○)、一度もさなき事はなし(○○○○○○ ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1608] 愚管抄 四 白河院は、堀河院に御譲位有て、京極の大殿〈〇藤原師実〉は、又後二条殿〈〇師実子師通〉に執政お譲りておはする程に、堀河院御成人、後二条殿又殊の外に引はりたる人にて、世の政事、太上天皇にも大殿にもいとも申さでせらるゝ事もまじりたりけるにやとぞ申める、 ...
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人部二|親戚上|室
[p.0153] 松屋筆記 十二 室 近頃の人のあらはせし歌の書に、平人の妻お某室と書たり、いといはれなき事也、有職問答四の巻に、北政所(○○○)或はなにがしの室などいふ事は、関白の室に限るよし見ゆ、桃花蘂葉には、大臣の妻お室といへる例あり、されば室とは必三公の北方ならではいふまじき称也、後室などいふも、 ...
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人部二十四|名誉|斉名誉
[p.0308] 愚管抄 七 九条殿〈○藤原兼実〉の子どもは、昔のにほひにつきつべし、三人までとりどりに、なのめならず、この世の人にはほめられき、良道内大臣は廿二にてうせにし、名誉在人口、良経又執政臣になりて、同能芸群にぬけ亢りき、詩歌能書昔にはちず、政理公事父祖おつげり、左大臣良輔は、漢才古今に比 ...
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器用部二十五|舟上|以用法為名
[p.0663] 愚管抄 五 承安元年十二月十四日、この平大相国入道〈○清盛〉が女お入内せさせて、やがて同じ二年二月十日、立后、中宮とてあるに、皇子お生せまいらせて、いよ〳〵帝の外祖にて、世お皆思ふさまにとりてんと思ひけるにや、様々の祈どもしてありけるに、〈○中略〉安芸国厳島お、ことに信仰したりける、 ...
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歳時部四|年号下〈逸年号併入〉|逸年号
[p.0361] [p.0362] 長等の山風附録 二 頼業真人の、白雉お改て雲々といへるは、上に挙たる如く、二年癸酉三月に、白雉お献れる瑞によりて、すなはち白雉と改元ありけるお、其年更、白鳳と改られたる由の伝のありけるなるべし、〈◯下略〉 ◯按ずるに、上文引く所の愚管抄、及び次下引く源平盛衰記に拠る時は、一年 ...
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姓名部六|氏上|勅定氏上
[p.0489] 愚管抄 四 左大臣〈○藤原頼長〉は、したはらまきとかやきて、おちられけるお、誰がやにかありけん、かほにあたりて、ほヽおつよく射つらぬかれにければ、馬より落にけり、小家にかき入てけり、此日やがて、藤氏の長者は如元と雲宣下ありて、法性寺殿〈○頼長兄忠通〉に返し付られにけり、上の御沙汰にて ...
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植物部七|木六|槐
[p.0389] 愚管抄 三 仲哀のきさきには、神功皇后おぞし給ける、この皇后は、〈◯中略〉応神天皇おはらみ給ひて、仲哀の御おしへによりて、仲哀うせ給て後、しばしなむまれ給そとて、女の御身にて、男のすがたおつくりて、新羅高麗百済のみつの国おうちとり給て後、つくしにかへりて、うみの宮の槐(○○○○○○)にとり ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|雑載
[p.0569] 愚管抄 三 陽成院、〈◯中略〉不斜浅ましくおはしましければ、おぢにて昭宣公基経は、摂政にて諸卿群議ありて、是はいかヾ、国王とて国おも治めおはしますべきとてなんおろし参らせんとて、やう〳〵に定ありけるに、仁明の御子にて、時康親王とて、式部卿の宮にておはしましけるお迎へとりて、位につけ ...
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帝王部十二|行幸下〈朝覲行幸附〉|事変行幸
[p.0662] [p.0663] 愚管抄 五 かヽりける程に七月廿四日〈◯寿永二年〉の夜、事火急になりて、六波羅へ行幸なして、一家の者どもあつまりて、山科かために大納言頼盛おやりければ、再三辞してけり、〈◯中略〉辰巳午両三時ばかりに、やうもなく内〈◯安徳〉お具しまいらせて、内大臣宗盛一族、さながら鳥羽の方へ落 ...
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帝王部十六|諡号|御在所為号
[p.0935] [p.0936] 愚管抄 一平城 おりいのみかどにて、〈◯中略〉ならにおはします、依て奈良のみかどヽ申なり、 ◯按ずるに、平城の号は、日本後紀に、大同四年四月、天皇遂伝位、避病於数処、五遷之後、宮于平城と見え、類聚国史に、天長元年七月甲寅、平城天皇崩、丙辰、奉誄曰、畏哉譲国、而平城宮〈爾〉御坐 ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1576] 愚管抄 三 内大臣にて伊周もと内覧の宣旨かうぶりたる人にて在けるに、大納言にて御堂〈◯藤原道長〉はおはしけるは、道兼道隆の弟也、この伯父の大納言その器量抜群にして世の人もゆるしたりけり、我身もこの時伊周執政の臣たらば、世は乱れうせなんず、わが身お摂籙の臣におかれなば世はおだしかるべ ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1591] 愚管抄 三 この陽成院、九にて位に即て八年、十六までの間に、昔の武烈天皇の如く、なのめならずめざましくおはしましければ、おぢにて昭宣公基経は、摂政にて諸の群議有て、是はいかゞは国主とて、国おも治めおはしますべきとてなんおろしまいらせんとて、やう〳〵に定めありけるに、仁明の御子にて、 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1604] 愚管抄 三 一条院うせさせ給ひて後に、御堂〈〇藤原道長〉は御遺物どものさた有けるに、御手箱の有けるお開き御覧じけるに、宸筆の宣命めかしき物おかゝせおはしましたりける、はじめに三光欲明䨱重雲大精暗とあそばされたりけるお御らんじて、次ざまお読せ給はで、やがて巻こめて焼あげられにけりとこ ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1607] 愚管抄 四 御堂〈〇藤原道長〉御子の中に、能信大納言といふ人有けり、閑院の中納言〈〇公成〉のむすめ〈〇茂子〉お子にして有けるお、後三条の后にはまいらせたる人なり、〈〇中略〉白川院のつねに能信おば、故東宮大夫殿おはせずば、我身はかゝる運もあらましやと仰られけるには、必々殿の文字おつけ ...
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帝王部二十七|外戚下|驕傲
[p.1640] 愚管抄 六 九条殿〈〇藤原兼実〉は、摂籙本意にかなひて物もなかりし、興福寺南円堂の御本尊不空羂索等、丈六仏像、大伽藍、東大寺とはなほ並べて作られけり、同〈〇建久〉五年九月廿二日興福寺供養也、甚雨なりけり、前の日殿は春日詣せられけり、中納言以下騎馬と聞えき、御堂〈〇道長〉の御時より始 ...
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姓名部六|氏上|雑載
[p.0497] 愚管抄 四 当時氏の長者にて、大二条殿〈○藤原教通〉おはしけるに、延久のころ、氏寺領、国司と相論ごとありけるに、大事に及て御前にて定のありけるに、国司申かたに裁許あらんとしければ、長者の身(○○○○)、面目おうしなふうへに、神慮またはかりがたし、たヾ聖断おあふぐべし、ふして神の告おまつと ...
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帝王部二|神器上〈昼御座御剣 大刀契附〉|神器免賊手
[p.0089] 愚管抄 五 内裏には信頼、〈◯中略〉紫宸殿の大床にたちて、よろひとりてきける時、大刀契の唐櫃の小かぎお守刀に付たりけるお、師仲は内侍所の御体おふところに入て持たりけるが、たべ〈◯給への義〉そのかぎこれにぐしまいらせてもたん、その刀に付て無益なりといひければ、まことにとてなげおこせたり ...
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帝王部十九|皇后上〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|大臣養...
[p.1137] 愚管抄 四 この敦康親王の母は、道隆関白の女にて、たヾの親王にて、位は思ひもよらず、されど御前は又具平親王の御女にてありければ、宇治殿〈◯藤原頼通〉の北政所おば、高倉の北政所と申にや、あさましく命ながくて孫までおはしけり、この北政所の弟にて、この敦康の御前にておはしければ、其御女に ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1570] 愚管抄 三 さて文徳の王子にて清和出来給ふ、〈◯中略〉一歳にて東宮にたゝせ給ひけり、九歳にて位に即せ給ひければ、幼主の摂政は日本国にはいまだなければ、漢家の成王の御時の周公旦の例おもちいて、母后のてゝにて、忠仁公良房お初て摂政におかれけり、其後摂政関白といふことは出来たる也、それも ...
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封禄部二|賜封〈増封 賜国 併入〉|賜国
[p.0072] 愚管抄 六 さて又ゆヽしき事の出来たりけり、承元二年五月十五日、法勝寺の九重塔の上に、雷落て、火附て焼にけり、あさましき事にて有けり、〈○中略〉やがていそぎ作らるヽ御沙汰の候べき也、当時焼候ぬるは、御死の転じ候ぬるぞ、やがて作られ候なんずれば、御滅罪生善に候べしと申されたりければ、 ...
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人部一|人総載|短小人
[p.0057] 愚管抄 五/二条 平治元年十二月九日夜、二条烏丸の内裏院の御所にてありけるに、信西子ども具して常に候けるお、押こめてみなうちころさんとしたくして、御所おまきて火お掛てけり、さて中門に御車およせて、師仲源中納言同心のものにて、御車寄たりけるに、院と上西門院と二所のせまいらせたりけるに ...
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人部二十四|誓約|敵石火
[p.0323] 愚管抄 三 おとゝの九条の右丞相〈○藤原師輔〉は、あにの小野宮殿〈○藤原実頼〉にさきだちて一定うせなんとするおしらせ給て、我身こそ短祚にうけたりとも、我子孫に摂籙おばつたえんに、又わが子孫に帝の外せきとはなさんとちかいて、観音の化身の叡山の慈恵僧正と、しだんの契ふかくて、横川のみねに ...
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帝王部三|神器下〈昼御座御剣 大刀契附〉|大刀契〖附〗|随行幸
[p.0164] 愚管抄 五 平治元年、〈◯中略〉十二月廿五日乙亥、丑の時六波羅〈◯平清盛第〉へ行幸〈◯二条〉おなしてけり、〈◯中略〉内侍には伊予内侍、少輔内侍二人ぞこヽろえたりける、これ等まづしるしの御筥と寳劔おば御車に入てけり、〈◯中略〉尹明はしづかに長櫃お設て、玄象鈴鹿、御笛の箱、大刀契の唐櫃、昼 ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1575] 愚管抄 三 花山院には、義懐の中納言こそは外舅なれば、執政すべけれど、践祚の時は蔵人頭にこそ、初て四位侍従に任じて、やがてとく中納言になりて、三条関白〈◯藤原頼忠〉如元とておはしけれども、国の政はおさへて義懐おこなひけるほどに、わづかに中一年にて、不可思議の事出来にければ雲ばかりな ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1578] 愚管抄 四 宇治殿〈◯藤原頼通〉は後一条後朱雀後冷泉三代の御門の外舅にて、五十年ばかり執政の臣にておはしけり、後冷泉のすえに、摂政お大二条殿〈◯教通〉と申は、宇治殿の御弟也、てゝの御堂〈◯道長〉もよき子とおぼして、宇治殿にもおとらずもてなされけるが、年七十にて左大臣なりけるお我御子に ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1622] [p.1623] 愚管抄 六 九年〈〇建久〉正月十一日に、通親はたと譲位お行ひて、この刑部卿三位が腹に、能円が女にて、この承明門院〈〇後鳥羽后在子〉おはします腹に、王子〈〇土御門〉の四にならせ給ふお践祚して、この院も今はやう〳〵意にまかせなばやと思召によりて、かく行てけり、関東の頼朝には、 ...
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帝王部二十七|外戚下|雑載
[p.1682] [p.1683] 愚管抄 四 九条殿〈〇藤原師輔〉のめでたき願力にこたへて、冷泉院いできておはしませど、天暦〈〇村上〉第一の皇子広平親王の外祖にて、元方大納言ありけるが、この安子〈〇村上后〉中宮におされまいらせて、冷泉円融など出き給て、広平親王はかひなき事にてありけるお、思死にして悪霊とな ...
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人部八|生命|長命
[p.0672] 一宵話 二 尾張浜主 五雑俎に、長寿人お列載せし其最第一人は、日本紀武内三百七歳也、さしも広き唐にても此人より上なるは多くなし、さて此お日本紀にと読みて、東鑑の唐土へ渡れると同じやうに、此書紀もはやく彼国へ渡りしとおもふ人あれど、此は宋史に日本の大臣紀の武内とあるお、謝氏の引けるな ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇太弟受禅
[p.0532] 愚管抄 四 さてうへ〳〵の御中あしきことは、崇徳院の位におはしましけるに、鳥羽院は長実中納言が女お、ことに最愛におぼしめして、はじめには三位せさせておはしましけるおん腹に、おのこみこ生れさせ給へるお東宮にたてヽ、崇徳の后には、法性寺殿〈◯藤原忠通〉のむすめまいられたる、皇嘉門院〈◯藤 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位便事
[p.0552] [p.0553] 愚管抄 四 さて世のすえの大なる変りめは、後三条院の世のすえに、ひとへに臣下のまヽにて、摂籙臣世おとりて、内は幽玄のさかひにておはしまさん事、末代に人の意はおだしからず、脱屣の後太上天皇とて、政おせぬならひはあしき事なりと思召て、かた〴〵の道理さしもやは思召けん、委しくは ...
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帝王部二十六|外戚上|輔政
[p.1580] [p.1581] 愚管抄 六 九条の右大臣〈◯藤原兼実〉は、文治二年三月十二日につひに摂政の詔、氏の長者と仰下されにけり、去年十二月廿九日より、内覧臣許にて、我も人も何ともなく思てありけるに、かく定りにければ、世の中の人も、げに〴〵しき摂籙の臣こそ出きたれと思へりけり、さて右大臣いはれけるは ...
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帝王部二十七|外戚下|驕傲
[p.1638] 愚管抄 五 清盛が子共重盛宗盛左右大将になりにけり、我身は太政大臣にて、重盛は内大臣左大将にて在ける程に、〈〇中略〉承安元年十二月十四日、この平大相国入道〈〇清盛〉が女〈〇高倉后徳子〉お入内せさせて、やがて同し二年二月十日立后、中宮とてあるに、皇子お生ませまいらせて、いよ〳〵帝の外 ...
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帝王部六|践祚下|互譲帝位而践祚
[p.0282] 愚管抄 三 仁徳天皇は、応神うせおはしまして後、御在生の時太子にたち給宇治皇太子なり、それこそはすなはち即位せさせ給べかりけむに、仁徳はあにヽておはしましければにや、仁徳おくらいに即給へと申させ給けり、又仁徳は太子に立給たり、いかでかさる事さふらはむと、たがひに位につかんといふあら ...
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帝王部六|践祚下|雑載
[p.0310] [p.0311] 愚管抄 三 天智の御弟腹もやがて斉明天皇にておはしましける、天武天皇お東宮として、御位おひきうつし給ふべかりけるお、天智の御子大友皇子とておはしましけるおば、太政大臣になしておはしましけるが、御心のうるはしからざりけるおや天武御らんじけん、位お辞し給ひて御出家ありて、吉野 ...
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帝王部十四|太上天皇〈追尊天皇附〉|院中聴政
[p.0830] 愚管抄 四 世のすえの大なる変りめは、後三条院の世のすえに、ひとへに臣下のまヽにて、摂籙臣世おとりて、内は幽玄のさかひにておはしまさん事、末代に人の心はおだしからず、脱屣の後太上天皇とて、政おせぬならひはあしき事なりと思召て、かた〳〵の道理さしもやは思召けん、委くは知らねども、道理 ...
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帝王部十九|皇后上〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|前帝養...
[p.1135] [p.1136] 愚管抄 四 鳥羽院位のはじめに后だちあるべきに、知足院殿〈◯藤原忠実〉のむすめおまいらせよと仰ありけるお、かたくじしてまいらせられざりけり、人これお心得ずおもひけり、これお推するに、鳥羽院はおさなくおはしましける時、ひあひなることなどもありて、滝口が顔に、小弓の矢射たてなど ...
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帝王部二十三|皇太子下〈皇太子妃併入〉|雑載
[p.1393] [p.1394] 愚管抄 四 さて後朱雀の御やまひおもくて、後冷泉に御譲位ありけることお、宇治殿〈◯藤原頼通〉まいりて申しさたしてたゝせたまひけるに、後三条の御ことのなにとも沙汰もなかりけるに、御堂〈◯藤原道長〉おと子の中に能信の大納言といふ人ありけり、閑院の公成中納言のむすめお子にしてあり ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1593] [p.1594] 愚管抄 三 この小松の御門、〈〇光孝〉御病おもくてうせさせ給ひけるに、御子あまたおはしましけれども、位おつがせんことおばさだかにもえ仰られず、今われ君と仰らるヽことも此おとヾ〈〇藤原基経〉のわざなれば、又はからひ申てんと思召けるにや、御病のむしろに昭宣公参り給ひて、今は誰 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1611] 愚管抄 五 主上二条院の外舅にて、大納言経宗、ことに鳥羽もつけまいらせられたりける惟方、撿非違使別当にて在ける、この二人主上にはつきまいらせて、信頼同心のよしにて有ける、〈〇中略〉後白河院おば、その〈〇永暦元年〉正月六日、八条堀河の顕長卿が家におはしまさせけるに、その家には桟敷の有 ...
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帝王部十九|皇后上〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|大臣養...
[p.1138] 愚管抄 四 宇治殿〈◯藤原頼通〉は、年八十に成て、宇治にこもりいて、御子の京極の大殿の左大臣〈◯藤原師実〉とておはしけるお、内裏へ日々参せよ、さしたる事なくとも日おかヽず参りて、奉公おつとむべきぞと教へ申されければ、其まヽ参りて殿上に候ていで〳〵せられけるに、主上〈◯後三条〉は常に蔵 ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1608] [p.1609] [p.1610] 愚管抄 四 頼長の公、日本第一大学生、和漢の才にとみて腹あしく、よろづにきはどき人也けるが、てゝの殿〈〇藤原忠実〉に最愛也けり、一日摂籙内覧おえばや〴〵とあまりに申されけるお、一日えさせばやとおぼして、子の法性寺殿〈〇頼長兄忠通〉にさも有なんや、後には女が子孫にこ ...
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帝王部二十一|妃|単称妃
[p.1221] 日本書紀 二十一崇峻 元年三月、立大伴糠手連女、小手子、為妃、是生蜂子皇子、与錦代皇女、 ...
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方技部十四|薬方|本草
[p.1109] [p.1110] 大和本草 一 論本草書〈○中略〉 蜀韓保昇曰、薬有玉石草木虫獣、而雲本草者、為諸薬中草類最多也、宋掌禹錫曰、本草経三巻、神農所作而不経見、漢書芸文志亦無録焉雲々、前漢平帝紀、及び楼護伝に 本草の名初て見ゆ( ○○○○○○○○) 、淮南子雲、神農嘗百草之滋味、由是医方興焉、寇宗奭曰、漢書雖 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|長和
[p.0184] [p.0185] 小右記 寛弘九年十二月廿五日戊子、詣左相府、〈◯中略〉左相府雲、今日参内、可定申改元事、〈◯中略〉相府雲、年号両博士〈宣義通直〉勘申也、 内々所見、故匡衡、大宮院御時所勘申之寛仁(○○)寛弘也、寛仁最吉、而仁字(○○)有諱、仍不被用、彼勘文不能求出、件寛仁本文可勘申之由、度々仰両儒 ...
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姓名部五|譜牒〈家格 〓〉|雑載
[p.0422] 本朝書籍目録 帝紀 雑氏本紀 ...
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姓名部五|譜牒〈家格 〓〉|雑載
[p.0421] 本朝書籍目録 帝紀 神別記 十巻 氏族 神別雑氏記 ...
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姓名部五|譜牒〈家格 〓〉|系図
[p.0368] 本朝書籍目録 帝紀 帝王系図 二巻〈神武以降、至白川院、記代々君臣事、中原撰、〉 ...
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人部一|人総載|老
[p.0082] [p.0083] 倭訓栞 前編四十五/於 おい 老およめり、〈○中略〉老てふたヽび乳児と成といふ諺は、漢文帝紀に、七八十翁嬉戯如小児と見えたり、四十お老の始とするよし、西土にいへり、内経には五十以上為老と見ゆ、 ...
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人部十|性情下〈夢 〉〓|夢告
[p.0815] 古今著聞集 八/孝行恩愛 師能弁漢書の文帝紀おきうしなひて、歎き思ひけるに、先親春宮大夫〈師頼〉夢の中に、かの書の有所お告られたりけり、次日其所より求め出して侍りけり、あはれなる事也、 ...
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人部二|親戚上|とヽ/かヽ
[p.0141] 撈海一得 上 今小児母おかヽさまと雲、是は家家の字なり、通鑑陳の宣帝紀に曰、北斉の後主、泣啓大后曰、有縁復見家家、無縁永別、胡三省注に、斉の諸王呼嫡母為家家と、いつのころより日本に言伝たるにや、子が母おかヽと呼より転じて、父も妻おかヽと雲、 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|天慶
[p.0176] 日本紀略 二朱雀 天慶元年五月廿二日戊辰、改元天慶元年、依厄運地震兵革之慎(○○○○○○○○)也、〈◯攺之日、一代要記、帝王編年記、皇代記、皇年代略記、年号便覧、並同本書、〉 ...
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歳時部三|年号上|年号通載|永観
[p.0181] 園太暦 依旱魃改元例、永観元年、〈天元六年四月十五日旱魃、内裏火事、〉 ◯按ずるに、一代要記廿五日、皇年代略記二月十六日に作る、 ...
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