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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0346] 東遊記 二 九十九橋 高くして奇なるは、越中の相本の橋なり、 ...
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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0346] 千種日記 磯伝の道お経て片貝川お渉り、三日市浦山などいふ所お過て、相本といふ所に到て、黒部川の橋お渡る、長きこと三十三間、高きこと七八間あるべし、川岸の岩より組出したる刎橋なり、昔此橋お掛ざりし程は、援より下お渉る、其所お四十八瀬といふ、 ...
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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0345] 和漢三才図会 六十八越中 当国神社仏閣名所〈◯中略〉 相本橋 在浦山舟見之中間 此川乃立山諸地獄所涌出熱水、与雪斛流、其水速也如滝、至末則分為四十八瀬、〈名黒部川〉有橋、〈名相本橋〉長二十五六丈、幅二丈許、以大木組出桟橋也、木曾桟亦不如之、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|瀬
[p.1141] 和漢三才図会 六十八越中 相本橋 在浦山舟見之中間 此川乃立山諸地獄所涌出熱水、与雪解流、其水速也如滝、至末則分為四十八瀬(○○○○)、〈名黒部川〉 ...
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姓名部七|家紋|車施紋
[p.0556] 伯家部類 下 当家紋之事 白川父子の車文、菖蒲子白梅唐墻、已上今出川亜相本借受書写了、建久十年業資王記、梅丸長物見、文保元年庁始之記雲、資清王車紋、長物見白梅書之、 ...
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地部三十九|橋下|福井舟橋
[p.0342] 東遊記 二 九十九橋 福井の東に舟橋あり、越前にては名高けれども、是は越中の神通川に渡せるものに不及、〈◯中略〉越前福井の舟橋の鎖は、柴田勝家の造り置れし鎖なりといへり、誠に此鎖容易の事にあらじ、 ...
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地部三十九|橋下|甲斐国/猿橋
[p.0280] 東遊記 二 九十九橋 危きは甲州の猿橋 ...
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地部三十九|橋下|周防国/錦帯橋
[p.0347] 東遊記 二 九十九橋 橋の巧おつくして奇妙なるは、周防の岩国の錦帯橋也、 ...
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地部三十九|橋下|矢矧橋
[p.0267] 東遊記 二 九十九橋 橋の長きものは、世人のよく知る所の、東海道の岡崎の矢矧の橋なり、其長弐百八間ありと雲、是お天下第一とす、 ...
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地部三十九|橋下|飛騨国/浅水橋
[p.0326] 東遊記 二 九十九橋 辺国山中に懸渡せる所の小橋には、朝六つの橋、かつら橋など奇妙の橋少からず、朝六つの橋は、飛騨の国の山中にかけ渡せる石橋にて、いかなる暗夜といへども、其橋の上に至れば少し明らかになりて、人顔も朧に見え、たとへば朝六つ比のあかりのごとし、故に土俗むかしより朝六つの ...
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地部三十九|橋下|高原藤橋
[p.0326] 飛州志 二国法 私呼橋 高原大橋〈同上、(吉城郡船津町村)往古此地江馬家領のとき桟道に作り、凡二十間余あり、今は藤橋に造る也、〉 ...
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地部三十九|橋下|天満橋
[p.0247] 摂陽群談 七橋 天満橋 同川筋〈◯大和川〉淀大川筋の落合にあり、南は京橋二町目、北は天満二町目に渉り、京海道の脇道也、此橋高欄疑宝珠あつて渉り広し、従是西に曲り長柄村へ出る道あり、 ...
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地部三十八|橋上|橋祈禱
[p.0190] 氏経卿神事記 文明九年四月一日、大橋始て渡未高闌、 廿一日、大橋高闌沙汰、 廿八日、大橋之橋姫御前社奉造替、就其為橋祈禱(○○○)十人禰宜中に申、十万度之御祓勤仕(○○○○○○○○)、皆兼日調是に、経興七経房服気、九守誠は加灸彼三人分、予に可申之由、願主申間調之、今日傍官招請申、其恐雖不少、宮中御 ...
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地部三十九|橋下|信濃国/木曾懸橋
[p.0331] 藤浪記 めぐり〳〵て桟に到る、此橋高き山の腰に傍て、家の壁に棚お釣れるやうに渡して、川おば右になせり、其谷川の深さは千仞もあらんと見ゆるに、水上遥に眺やれば、岩の上に走りかヽる水、千々の糸お乱せるやうに最白く脹れり、其様実に妙にして、水なる哉ともいはまほし、橋より下お指覘ば、左右 ...
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地部三十九|橋下|九十九橋
[p.0342] 遊囊剰記 二十三 足羽は中古北庄といひけるが、国初より改めらる城外一帯の大河お足羽川といふ、九十九橋とて百間許の長橋おかけて、前後に高門お建たり、海内無双とすべし、 ...
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地部三十八|橋上|綱橋/蔓橋
[p.0105] 東游記 二 九十九橋 辺国山中に懸渡せる所の小橋には、朝六つの橋、かづら橋(○○○○)など、奇妙の橋少からず、 ...
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地部三十九|橋下|九十九橋
[p.0342] 東遊記 二 九十九橋(つくもばし) 越前国福井の町の真中に大なる川流る、此川にかけ渡せる橋おつくも橋といふ、九十九橋と書り、其大さ三条の橋程もありて、半までは石橋なり、石橋の大なるもの天下是に勝るものなし、半より木の橋なり、是は常なみの橋なり、石と木お続合せたる橋は珍敷橋也、いかなる ...
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地部三十九|橋下|九十九橋
[p.0341] [p.0342] 遊囊剰記 二十三 足羽川、其源今立の池田郷より出、此大橋お下お流て、下は漆淵に至て日野川に会合す、是亦加越四大河の一なり、此川中古まで舟渡なりしお、柴田家の時、橋お掛初たりといふ、半は板、半は石にて造なせり、九十九橋とも、米橋とも又木なるが故に掛合橋とも称す、 ...
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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0345] [p.0346] 遊囊剰記 二十四 黒部川は浜路より四十八瀬お渉るお古今の正路とす、されば国守は是お通行し玉ふ、寛永元年、愛本の橋お架られてより以後は、行旅の患なし、 ...
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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0346] 遊囊剰記 二十四 黒部川は立山群谷の衆水なりといふ、四十八瀬の路洪水とて、浦山通愛本の橋へかヽり、乱流逆潮の勢お大観し、明日舟見、湯川泊など打過て宮崎に至る、 ...
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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0345] 易林本節用集 和乾坤 隈本橋(わいもとのはし) ...
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地部三十九|橋下|越中国/神通川舟橋
[p.0343] [p.0344] 東遊記 二 九十九橋〈◯中略〉 越中の神通川は富山の城下の町の真中お流る、是又甚大河にして、東海道の富士川抔に似たり、水上遠くして然も山深く、北国のことなれば、毎春三四月の頃に至れば、雪解の水殊の外に増来りて、例年他方の洪水のごとく、常に南風に水増り、北風に水減ず、是は南よ ...
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地部三十九|橋下|隈本橋
[p.0345] 加越能山川記 越中 黒部川 黒部川は〈◯中略〉荒瀬にて渡舟なし、古より黒部は四十八け瀬といふ大河也、すこしにても出水の時は、往来人日泊して難義におよぶ故、万治年中三日市村より泊之間、浦山村、舟見村二箇所に新宿お立て、愛本にはね橋お懸る、長三十三間あり、此橋は日本無双の大桟也、 ...
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飲食部十二|塩|雑載
[p.0835] [p.0836] 西遊記 続編二 五け邑隈本〈○肥後〉の旅人宿に逗留せし頃、〈○中略〉此地の人に五け村のこと尋問ふに、〈○中略〉彼方の人の世間へ出初て人交りおせし事は、元和寛永のころにもや、此あたりにては隈本名家なれば、此手に属したきよし申立て、公にも其由聞届られ、肥後の支配と仕給ふ、〈○中略 ...
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動物部十|鳥三|鷓鴣
[p.0722] [p.0723] 西遊記 続編二 鷓鴣九州には珍らしき鳥多し、〈○中略〉肥前肥後辺の海上に、脛高く口ばし長く少し鼠色にて、翼に白き点紋ある鳥あり、舟人にとへば、しやくといふ鳥也といふ、余〈○橘南谿〉肥後の隈本にて、ある医家お訪たりしに、折ふし彼家へ鳥お送り来れり、主持出て余に此鳥おしり給ふや ...
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人部二十六|離別|告別
[p.0423] [p.0424] 加藤家伝清正公行状 奇 天正二十年正月五日、秀吉公朝鮮国征伐の陣触あり、〈○中略〉正月廿六日、吉方なれば玉名郡船林にて勢汰おし、二月朔日諸軍お率ひて、隈本鎮守八幡宮に社参し、〈○中略〉翌二日、瑞竜院に詣でヽ祖先の霊お祭り、隈本お発して大坂に到る、 ○按ずるに、告別の為に墓参す ...
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器用部二十四|雑具|烟管産地
[p.0547] 毛吹草 三 山城 二条きせる 粟田口きせる 摂津 築島きせる 近江 水無口きせる肥後 隈本きせる ...
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地部三十二|肥後国|村里/名邑
[p.1129] 肥後国志 一国府 熊本府(○○○) 飽田郡五町手永坪井村、池田手永宮内村、京町村、池田村、岩立村、横手手永横手村、筒口村、古町村、詫摩郡本庄手永、本庄村、本山村、山崎村抔の地方、粗府中町小路の内に掛れり、当国府は、古も当郡に有しと見へたり、今横手手永、田崎宮寺村の辺、古の府中と雲伝へ、其 ...
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器用部二十四|行旅具下|脛巾/脚半
[p.0513] 東遊記 二 寒気指お落す 雪深く、〈○中略〉夕ごとに宿屋に著ても、草鞋脚絆其儘には解ず、彼地〈○北国〉の者、其足囲炉裏にくべ給へといふにぞ、初の比はあやしくおかしかりしかど、余りに脚絆のとけざるゆへに、教のごとくに任せて、いろりに足さしくべたるに、火のあつきお覚へず、 ...
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地部二十二|越後国|名称
[p.0328] 東遊記 二 米山 北地の人越後お二つに分ち、上越後下越後(○○○○○○)といふ、上越後とは高田領、糸魚川領等おいふ、其東に米山といふ高山ありて、其西の麓に関所あり、〈◯中略〉誠に越後お二つにわけたる山也、 ...
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人部二十六|行旅〈遊覧併入〉|行旅例
[p.0448] 東遊記 一 凡例 一予医学修行の為に漫遊する事、前後合せて五年、東西南北到らざる所なし、〈○中略〉 南谿誌 ...
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地部四十九|海〈海路〉併入|灘
[p.1268] 東遊記 五 三尊窟 伊豆国は、駿河相模の二国にはさまり、箱根より南海中へ二十五里出張りたる国なり、〈◯中略〉志摩国鳥羽の湊より、此国の下田の湊まで七十五里の海お遠州灘(○○○)と称して、日本第一の大洋とす、〈◯下略〉 ...
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動物部五|獣五|狐種類
[p.0340] 東遊記 五 秋田蕗 奥州の内にて黒き狐お見たり、上方には無きもの也、蝦夷地には有るよし兼て聞けり、純黒なる狐の皮は猶珍重する事なり、我見たりしは、あまり見事なる黒色にてはなかりし、 ...
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方技部六|暦道下〈漏刻附〉|盲暦
[p.0394] 東遊記後編 一 蛮語〈○中略〉南部の辺鄙にては、いろはおだにしらずして、盲暦(○○)といふものありとぞ、余が通行せし街道にはあらねども、聞しまゝおしるす、又般若心経などおも、めくら暦の法にて誦すると雲、 ...
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地部四十四|山下|戸隠山
[p.0818] 東遊記 後篇四 戸隠山(とがくしやま) 戸がくし山は、信濃国の北の方によりて、越後へ出る方にあり、信州は総体山国にて、連山波涛のごとくなるに、此戸隠山は基お別にして、京近辺にていはヾ、生駒山お望むがごとくなる山なり、手力雄命お祭れりといふ、 ◯戸隠山の事は、神祇部戸隠神社篇にもあり、参 ...
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植物部二|木一|松名木
[p.0100] 東遊記 四 阿古屋松〈◯図略〉 実方中将の尋詫給ひけるといふ阿古屋の松は、昔は奥州と聞しに、今は出羽の内に属して、山形の城下より坤の方とも覚えて、二里ばかりお隔てたり、其地お千歳山と雲、其松今も昔の色見えて、常盤の陰栄え茂りて、誠に目出度木にてぞ有ける、 ...
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植物部十一|竹|雑載
[p.0743] 東遊記 五 七不思議一逆様竹(○○○)は、むかし親鸞上人此国〈◯越後〉へ配流の時、携へ来り給ひし杖お、さかさまに地にさし、我説所の法世に弘らば、此杖の竹再び栄ゆべしといひ置給ひしに、其杖さかさまながらに枝葉しげり、其後其根に生ずる所の竹皆逆様なりしとなり、今は其古跡のみ鳥屋野といふ所に残 ...
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方技部十四|薬方|採薬
[p.1107] 東遊記 下 薬品、此地〈○松前〉より出で、売買するもの、熊胆膃肭臍ばかり也、薬草多けれども、漁利におほはれて採製するものなし、予がきヽたるもの四五品おしるす、附子上品也、竹節人参あり、先年江戸より採薬に来られし医師、江差の島にて、三椏五葉のもの三四根お得て持帰りしといひ伝ふ、蝦夷人 ...
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方技部十五|疾病一|保護病者
[p.1151] 東遊記 上 蝦夷人、多くは病なし、たまく病者あれば、家にすて置て、外に避く、医薬なければ、病いよいよ重りて、必死す、よりて病お恐るゝ事甚しく、疱瘡といふもの、昔しはなかりしが、近頃はたまたまにあり、是もすて避て、養生お加へず、必死す、疫癘も左の如し、これらはあしき風なるべし、死お恐 ...
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地部三十七|道路|道法
[p.0044] 東遊記 後編二 三本木台 南部の地は、今も六丁お一里と雲、余初め宿より宿の間お尋るに、或は二十五里、三十二里抔いひしに驚しが、後には馴て常に成たり、道平なる所などは、馬に乗りて道おいそぎし事ありしが、南部の地にては、一日に七八十里、又は百里も径行せし事ありき、仙台領津軽領も南部に近 ...
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地部四十九|海〈海路〉併入|瀬戸
[p.1269] [p.1270] 東遊記 五 金華山〈◯中略〉 すべて海中の難所といふは、打開きたる大海にはあらず、唯山と山との幅狭くなりたる所お迫門(○○)といひて、潮の勢も急に成り、波浪も逆立て渡りがたきなり、幅狭き所、底浅き所のみ恐ろしヽ、余なども初は海お渡らば、随分里数短かく、幅狭き所の、しかも底浅き所 ...
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動物部十九|介上|瑇瑁
[p.1586] 西遊記 三 玳瑁〈○中略〉 肥前島原領の海中、其外薩州の南海大隅国垂水の海中にも是あり、其亀才に径り壱尺余にして、それより大なるものなし、故に其甲甚薄く櫛に作りがたし、隻手箱などの飾りに用ゆ、〈○下略〉 ...
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器用部三|飲食具三|膳種類
[p.0139] 西遊記 続編一 古朴 辺国にても城下町家などは、都の風にも押移るものなるに、薩摩などは格別の遠国故にや、城下にも猶古風残れり、〈○中略〉膳も宗和などいふ膳は一つも見えず、皆二枚脚の木具(○○○○○○)なり、 ...
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器用部四|飲食具四|徳利種類
[p.0221] 西遊記 績編一 古朴 辺国にても城下町家などは、都の風にも押移るものなるに、薩摩などは格別の遠国故にや、城下にも猶古風残れり、器物も酒の銚子といふものなし、皆錫の徳利(○○○○)なり、〈○下略〉 ...
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方技部二|陰陽道中|庚申日
[p.0157] 三養雑記 四 庚申 心猿 西遊記庚申塚(○○○)とて、見ざる、聞ざる、言ざるの三猿お、石もて彫たるお、道の傍に立たり、その獼猴のかたちは、もと天台大師の三大部の中止観の空仮中の三諦お、不見、不聴、不言に比したまふことあり、それお猿に表して、伝教大師、三の猿に刻たまへりとかや、 ...
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飲食部十一|酒下|酒価
[p.0763] 西遊記 続編三 濁り酒西国にて酒の売買、壱升二升とはいはず、壱はい二はいとて売る事なり、其一はいと雲もの、大抵四合二三勺ばかりなり、球〓郡などは酒下直にして、壱坏の価銭八九文より、十二三文程なり、此所は格別下直の地也、薩摩は余ほど高直なり、壱はい二はいの名は琉球までも皆斯のごとしと ...
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地部三十四|薩摩国|風俗
[p.1232] 西遊記 二 猟犬 薩摩は武国にて、若き人々山野に出て、鳥獣お猟る事、他国よりも多し、すべて山野に猟するには、よき犬お得ざれば不協事なり、彼辺の犬常の人家に養ひ飼ふものは長け低く、上方の犬よりも少し小なり、常に座敷の上に養ふて、上方の猫お飼ふが如し、至極行儀よく、上方の犬よりは柔和な ...
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地部二十七|安芸国|村里/名邑
[p.0669] [p.0670] 西遊記 五 家豬 安芸国広島の城下其繁華美麗なる事、大坂より西にてはならぶ地なし、其町にぶた多し、形牛の小さきが如く肥ふくれて、色黒く毛はげて、ふつヽかなるものなり、京などに犬のある如く、家々町々の軒下に多し、他国にては珍らしき物なり、 ◯按ずるに、広島の名は築城の時に、毛利 ...
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動物部六|獣六|羆
[p.0419] 西遊記 続編二 熊胆 松前辺にては乗馬にても、小荷駄馬にても野外に出て、其山の近きあたりに羆居れば、匂ひお嗅と得て、その馬恐れ立すくみて、小便おのづから出て、一歩もあゆむ事能はず、斯のごくなれば、武家などの乗馬は、多く南部の馬お用る事とそ、奥州地には羆無きゆへ、南部生れの馬は知らざ ...
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動物部十三|虫上|異形蛇
[p.1032] [p.1033] 西遊記 一 猪の狩倉の大蛇 予が遊びし前年の事なりし、求麻の城下より六里ばかり離れて、猪の狩倉と雲所あり、此所の百姓弐人、山深く木こりに入りしに、其ふとさ四斗桶ばかりにて、長さ八九尺ばかりなる大蛇草のしげれる間よりさはと出て追来る、のがれ得べうもあらざれば弐人ともに取てかへ ...
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動物部一|獣一|闘牛
[p.0064] 西遊記続編 三 牛合(うしあはせ) 薩摩鹿野谷といふ所には、牛合といふ遊びあり、上方の鶏合せのごとし、牛お双方より出して戦はしめて見物する事なり、甚だ猛勢なるものなり、よくつき合ふものとぞ、もし退ぞかずして難義に及ぶ時は、竹箒お其中に入るれば、忽ち左右へわかれ離る、外のものにて分んと ...
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動物部一|獣一|牛雑載
[p.0074] [p.0075] 西遊記 一 牛の生皮(いきがは) 鹿児島に遊びける頃、めづらしき罪人有りけり、城下お去る事遠き田舎の百姓何某といへる者、欲心深く愚かなりしが、かねて何者にか聞けん、牛の生皮は価たつときものなりとて、親しき友壱人かたらひて、牛おいきながらに皮お剥取りぬ、其くるしみ鳴事たとへんか ...
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地部三十八|橋上|目鏡橋
[p.0121] [p.0122] 西遊記 五 目鏡橋 長崎の橋はすべて唐風の作りやうなり、両岸より切石お畳上て、橋杭なしにかけ渡せる石橋なり他国の石橋といふは壱枚石にてかけたるものなるに、長崎の石橋は小き石お切りて、石がきのごとく畳て、両方より合せたるなり、長き橋はふた筋に水お通ずるなり、是お目がね橋といふ ...
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動物部八|鳥一|鶴雑載
[p.0555] [p.0556] 西遊記 二 渡り鶴 琉球近き島に屋久島といふ島、大なる島にて、むかしは日本の外なる一け国として、国史などにも、屋久国人来朝するなどゝ見えたり、此島に八重岳とて、高さ十三里の高山あり、〈○中略〉すべて南国の鶴、春に至り北方に渡らんとする時は、数千里の北海お一飛に越へ行事ゆへに ...
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地部三十二|肥前国|肥国
[p.1047] 西遊記 一 しらぬ火 筑紫の海に出るしらぬ火は、例年七月晦日の夜なり、むかしより世に名高き事にて、今も九州の地にては、諸国より此夜は集り来りて見る事なり、〈◯中略〉夜半にもなりしかど、知らぬ火のさたなし、今年はじめて見る人は、今宵はいかなる事ぞ、知らぬ火は出ざるや、但しはそらごとなり ...
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地部四十四|山下|肥後国/阿蘇山
[p.0850] [p.0851] 西遊記 四 阿蘇山 今よひは阿蘇の大宮司のもとに一すくして、あすこそは峯にのぼらんと心ざせしに、昼過る頃より風の色少しあしうみゆれば、あすになりて雨ふり、登山の縁おうしなはん事もやと思ひめぐらすにぞ、心あはたヾしう成り来て、今よりもと思へど道なし、すぐさんもほいなければ、山 ...
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地部三十九|橋下|遠江国/浜名橋
[p.0271] [p.0272] 東遊行囊抄 七 浜名橋 橋本の里お出て右の方に、昔の橋の跡と里俗の教る所あり、〈◯中略〉明応以前の紀行お考るに、都より東に下る者は橋本お過、浜名の橋お渡り、東より上る人は、浜名お過て橋本に到る、然れば名所方角抄の趣不審、 ...
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地部三十九|橋下|三条橋
[p.0202] 見た京物語 三条の橋より江戸日本橋まで里数百廿六里六町一間ありとぞ、 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0290] 武江年表 一 元和四年四月、日本橋御再興、 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0289] 武江年表 一 慶長八年、今年江戸町割お命じ給ふ、〈◯中略〉この時日本橋おはじめて掛らる、 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0288] [p.0289] 江戸砂子 一 日本橋 南北にかヽる 長凡二十八間江府の中央と雲、諸方への道法、此はしお元とす、 ...
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地部三十九|橋下|両国橋
[p.0301] 泰平年表 惇信院 宝暦十年二月六日、神田旅籠町より出火〈浅草、両国橋、馬喰町、本町通り、日本橋、江戸橋辺一円、深川一円飛火にて燃失、〉 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0290] むさしあぶみ 下 明れば十九日〈◯明暦三年正月、中略〉巳の刻ばかりに、小石川伝通院表門之下、新鷹匠町大番衆与力の宿所より焼亡出来れり、〈◯中略〉日本橋おはじめとして、江戸ありとあらゆる橋々六十け所〈◯中略〉焼のこる、 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0288] 皇都午睡 三編上 江戸で日本橋(にほんばし)と走り、大坂にて日本橋(につほんばし)と叮嚀にいふ、 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0288] 国花万葉記 七下武蔵 日本橋 南北にかヽれり、〈◯中略〉海道の宿次おしるすには、日本橋より始る、 ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0291] 江戸名所咄 一 日本橋より北の町 十間棚屋むろまちお、三町行ば日本橋南北にかヽりつヽ、長さ壱町あまりあり、下は魚船薪船、数百艘こぎつどひ、日毎に市ぞたちにける ...
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地部三十九|橋下|日本橋
[p.0291] 江戸鹿子 一 橋 日本橋 南北にわたされて、橋の上にて見れば、旭日東嶺に出るおまのあたりにのぞみ、又西山にいり、虞淵に類する有さま、眼前に見つくしてならぶ橋なし、よつて日本橋と名付とかや、〈◯中略〉橋の下には魚船、槙船、あるは乗合の船どよみになりて、駒形、両国、金竜山まで乗合よと、我 ...
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地部四十九|浦|陸奥国/塩竈浦
[p.1322] 東遊雑記 二十三 八つ時過塩竈浦へ御著船なり、此浦むかしにかわりて、ふね入浅く、やう〳〵船の通行せる事にて、所々に柱お建てしるしとせり、海面清浄ならず、入江々々沼のごとくに見ぐるし、町にあがりては、松島の町よりは大にすぐれ、三百余軒あり、町の間に塩筒尾命の社あり、 ...
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地部四十四|山下|飯豊山
[p.0831] 東遊雑記 一 飯豊山、高山にて四季雪有、羽州置賜郡にかヽりて、南の方は奥州蒲原郡、布山神お祭る、飯豊権現と称す、夏月は登山する人あり、若松より麓まで八里半、 ...
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地部三十八|橋上|懸橋
[p.0103] 東遊雑記 一 簗取と布沢の間は、馬は、いふに不及、人の往来も自由ならざる嶮しき道なり、御巡見通行ゆへ、はし桟道お造り、至て危き道なり、高さ凡百丈余、林下に谷川流、桟道の間三町余、心よはきものは、目くるめき肝お消て桟道多かりし、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|雄物川
[p.1183] 東遊雑記 八 御物川は雄勝郡由利郡より流れ出て、何方にても御物川と称す、 ...
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地部二十二|越後国|地勢/地味
[p.0329] 東遊雑記 五 越後の国は、北方へ細長く出はりし国にて、凡図のごとくに土人の物語りなり、四方の山々お見るに、土色しろ〴〵として、遠見雪のごとし、凡山多き所也、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|北上川
[p.1181] 東遊雑記 二十二 北上川は、先達て聞しとは大に違ひし大川にて、川幅も広く水深し、千石の船帆お懸、何方へも勝手よき所へ走り、心まかせの川也、 ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|湯原温泉
[p.1079] 東遊雑記 七 湯原と雲る所は、街道筋にして、百軒計のよき町にて、温泉十六け所、家々奇麗に湯壺おして、旅人お入らしむ、さして功ある湯にはあらず、上逆の症疝気によしと雲々、 ...
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地部二十|陸奥国下|村里/名邑
[p.0145] [p.0146] 東遊雑記 十一 弘前(○○)は、津軽越中守侯の御城地、四万六千石、市中三千余軒、大概の町なり、城は山城にして要害いかならんや、委しく見へず、家中町も御知行不相応に多しとの物語り也、武家の男女貴賤となく、御巡見使お見物に出しお見るに、人は武士にて、人物衣服髪の結やうまでも、あし ...
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地部四十|渡|酒勾川渡
[p.0448] 東遊行囊抄 十四上 酒勾川、一名鞠子川(○○○○○)共雲、是は古の名也、此川上は御厨領とて、駿州堺、足柄の辺より流出て、此渡の右方五六町にて海に入也、 ...
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飲食部十二|塩|種類 海塩 山塩
[p.0811] 東遊雑記 一 若松より二本松は寅に当りて、十三里、西の方越後の国界へ二十一里、北の方羽州米沢へ十里余、此道筋大塩といふ所に、塩の泉と雲井あり、此水おとりて塩にたくと、案内者の物語也、 ...
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地部二十|陸奥国下|村里/名邑
[p.0145] 東遊雑記 四 六月〈◯天明八年〉二日板倉内膳正〈三万石〉御在所福島(○○)止宿、此所は阿武隈川、町の後へ流れて、諸方への往来自由にて、交易の便りよきゆへに、町屋並も大概よく、近郷の田畑もひらけ、よき風土也、吾妻が岳の麓は大に入組て、田沼竜助君の御知行も、七千石此所にて給りしなり、 ...
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地部四十三|山上|末松山
[p.0748] 東遊雑記 二十四 案内の者の物語に、末の松山は、街道より少し山の頂き見へて、僅ばかりのよりなり、是も宮城郡のうちにて、本の松山、中の松山、末の松山と称し、小山三つ并て、中にも末の松山低し、此地お八幡村といふ、寺有り、末松山宗国禅寺と号す、則此寺山末の松山なりと相伝ふ、 ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|下野国/那須温泉
[p.1071] 東遊雑記 一 殺生石のある地より七八丁下に温泉あり、湯本と称し、家二十四軒あり、夏月の間は入湯の人もあるよし、冬月には雪ふかき所ゆへに、入湯する人もなし、此湯至て熱湯にて、此辺硫黄の気強く、何地獄かの地ごくと称して、湯の沸上る所多く、さいの河原といふ所もあり、 ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|出羽国/上の山温泉
[p.1076] 東遊雑記 六 上の山、此所は御城主松平山城守侯三万石、市中大概の所なれども、皆々草葦板家根にて見苦敷、町の中に温泉あり、湯涌所は町の西にありて、夫お筧お以て家々へ取て、湯壺に入て入湯する事なり、熱湯にて臭気もなく、さして功有湯にはあらず、疝癪によしと雲、 ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|高湯温泉
[p.1076] 東遊雑記 六 吾妻が岳の北方、羽州分に高湯と称せる温泉あり、到ての熱湯なり、此湯中へ諸の木お入置ば、五六年の間には化して石となる、又熱海中に虫お生ず、土人湯の虫と称す、湯上お走りめぐる、此虫お取て服すれば、癪気治せる妙薬なり、夏の内入湯のもの多し、湯に水お汲入て入る事と雲々、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|遠江国/菊川
[p.1154] 東遊行囊抄 九 菊川 昔は此所駅宿也、鏃の名作あり、此鍛冶代々此所に住す、 入口小橋あり、長四間、東の出口に橋あり、長十二間、是菊川也、此川お以て宿の号とす、此川上に大鹿村の下に菊が淵とて、菊花多き所ありと雲、川下は郡中とて、横須賀の方へ落るなり、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|相模国/鞠子川
[p.1155] 東遊行囊抄 十四上 酒勾川 常は歩渡也、水増ときは、民家より川越とて人夫お出して、往来の人お扶く、冬は土橋お渡して人馬お渡す、此川上は御厨領とて駿州堺足柄の辺より流出て、此渡の右の方五六丁にて海に入る也、此川一名鞠子川共雲、是は古の名也、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|相模国/相模川
[p.1167] 東遊行囊抄 十五 馬入川 舟渡也、是相模川也、御上洛の時必船橋お掛らるヽ例ありと雲々、此川上お福島川(○○○)と雲、此渡の東西の岸に町あり、西馬入、東馬入と雲、是お馬入と号する事は、右大将頼卿の馬、橋より落入て死す、それよりして名也と里俗の謂也、 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|常陸国/那珂川
[p.1179] 東遊雑記 二十六 枝川太田より〈五里〉此所在町にて、町の南に川あり、中川と称して、常州第一の川と雲々、水上は下野国奈須山より流れ出る、〈此所にては、戊亥より辰巳の方へ流れ落る也、〉此川水戸城の北の岸おながれ、要害の川なり、川お通ればわづか八丁にて、水戸の下町と雲に入るなり、 ...
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人部十八|修学|勤学
[p.1318] [p.1319] 続古事談 二/臣節 入道、〈○藤原信西〉出家の心付て後、院にて宇治の左府〈○藤原頼長〉のいまだわかくおはしけるに参会て申て雲く、おのれは出家の暇申て、巳に法師になり侍りなむず、それにいたましき事の一侍也、才智身に余りぬるものは、遂に不運なりと人の申て、学問おものうくせむずる事 ...
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植物部二|木一|松名木
[p.0099] 東遊雑記 一 石母田村〈◯岩代国〉といふ所に、〈街道三丁計り寄りて〉義経の腰掛松と雲名木あり、其木の大きさ二抱半、高さ凡一丈、枝葉八方にたれ、枝の地に入りし所二所、南北十間余、東西十二間余、廻りお周り見しに百七十歩、播州曾根の松にさして劣らぬ松なり、しかし女松也、 ...
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地部二十|陸奥国下|村里/名邑
[p.0146] 東遊雑記 二十 盛岡(○○)は、南部大膳大夫侯の城下にて、聞しよりはよき所にて、町の長さ三十余町、豪家と覚しき商家も数家見え、御案内のものヽ申上しは、市中千七百余軒、と言し事なれ共、是は先年より御巡見使へ申上る定りの事にして、実は三千余軒、城は往来よりは、委しく見えず、土人の物語お聞ば ...
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地部二十|陸奥国下|村里/名邑
[p.0146] 東遊雑記 二十四 九月〈◯天明八年〉晦日夜四つ時、仙台(○○)城下へ著す、〈◯中略〉扠仙台城下は先達て聞しよりは大にちがひ、町々草ぶきの小家まじはり、見悪しき所数町有り、町の長さ五十余町、往来筋にても、町内には小石数多ありて河原のごとし、〈◯中略〉六七年以前の寅卯の凶年には、下民数多飢渇 ...
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地部二十|陸奥国下|村里/名邑
[p.0146] 東遊雑記 二十五 中村(○○)城主、当主相馬因幡守侯、御知行六万石にて、領し給ふの地凡方十里余、是おさして相馬と称す、〈◯中略〉城は平城にて、城の北方おめぐると町に入る、外見要害の地におもはれ侍りしなり、案内のものヽ言は、士家市中合て八百軒、余の地と申せし事ながら、予〈◯古河辰〉がはかり ...
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地部四十|渡|大井川渡
[p.0440] 東遊行囊抄 九 大堰川遠駿の堺也、川原の間、凡廿余町、北より南へ流て大洋に入、海に近し、水上は甲信の山々より流出る、水常に濁て水底に石お流す、其逸きこと普通に超たり、日夜瀬替りて常に不定、故に昔より船なし、南風に水増し、北風に水減ず、東海道第一の難所也、〈◯中略〉常には川越(かはごし ...
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地部四十一|港|陸奥国/石巻港
[p.0577] 東遊雑記 二十 石の巻は、奥州第一の津湊(○○○○○○○)にて、南部仙台の産物此地へ出て、江戸に積、大坂へ廻る、故に諸国よりの入船数多にて、繁昌のみなとなり、案内のものより申上しは、市中千四十七軒、寺院十八け寺、社十壱といひし事ながら、湊村蚫田村といふ所にては、予がつもるところ三千軒余もあ ...
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地部四十一|港|野代港
[p.0577] 東遊雑記 十 野代といふ所は、湊にて千四百軒の地にて、大概のよき町り、野代川流れ、川上は奥州南部より流れ出て、十九里の間は川舟往来して、此辺の産物皆々此湊に出て、北国九州および大坂の廻船も数多入津して、交易の業あるゆへに、商人多く豪家に見へ、娼家もありて、言語も外より見れば大ひに勝 ...
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地部四十四|山下|羽黒山/月山/湯殿山
[p.0837] 東遊雑記 六 山形城下出立、〈三里余〉中野、〈三里〉天童の駅止宿、〈◯中略〉 此辺より山々お遠見せしに、月山に及ぶ山なし、大働山、帝釈山、葉山、湯殿山、いづれも中国筋西国にはなき高山也、奥州の白坂より入て、数郡残りなく巡見して、山々の勝劣、第一月山、第二飯豊山、第三吾妻け岳なり、何れ ...
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地部四十四|山下|陸奥国/磐梯山
[p.0876] 東遊雑記 一 盤大山、高山なりと雲ども、飯豊山とくらぶれば大に低し、山の頂に盤大権現お崇る、麓より西道百十余丁、夏月参詣の人多し、山の半に温泉あり、此山硫黄の気強して諸草木なし、石色もすヽふりて悉く赤し、鳥獣も住ことあたはず、和漢三才図会此外の板本に毒石ありと記し有は妄説なり、若松 ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|佐波古温泉
[p.1074] 東遊雑記 二十五 平より南一里、湯本の町、大概の所なり、此地には温泉数多にて、家々に湯壺有り、入湯せる人も多く、湿瘡毒に功有る湯也、当国名所記に、大納言師氏、 夜とヽもになげかしき身お陸奥の三箱(さはこ)の御湯といはせてしがな 此名の事なるや、未詳といへども、外に名づくべき温泉の所なし ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|大湯温泉
[p.1075] 東遊雑記 二十 大湯は町にて、温泉四け所に在り、湯の出る処は各違ひあり、二の湯は疝気中風によし、残る二つは湿毒によし、何れも功ありと見へて、入湯せる人も数人有しなり、〈◯中略〉大湯村より西北十和田山の山陰に方三十七八町の湖有、〈◯中略〉すべて此辺の山中には熱湯の湧所多しといふ、何れお ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|浅虫温泉
[p.1075] [p.1076] 東遊雑記 十九 浅虫、御昼休になる、此所は、青森より三里といへども、大に遠く、此地海浜にのぞみて温泉有り、至ての熱湯にて、湯壺より流れ出る湯川々へ落て、湯気の立上る事烟のごとし、すべて津軽の地には、温泉あまたにして、別て岩城山の麓に多く、何れも上方中国筋の如く、功能のある ...
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地部四十六|温泉〈塩湯併入〉|蝦夷/湯沢温泉
[p.1100] 東遊雑記 五 湯沢といふ所も少しき町也、此所には温泉ありて、入湯のものも数多見へし事也、予も入て見るに、硫黄湯にて見分がたし、土人の雲く、北方の地には湯の出る地多しと雲へり、蝦夷地内浦け岳の麓は、取廻して湯の湧所と蝦夷人もの語せし事と雲々、虚実詳ならずと雲へども、土人の雲しお記せし ...
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