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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0062] [p.0063] 徒然草 下 相模守時頼〈○北条〉の母は、松下禅尼とぞ申ける、守おいれ申さるゝ事有けるに、すゝけたるあかりさうじのやぶればかりお、禅尼手づから、小刀してきりまはしつゝはられければ、せうどの城介義景、其日のけいめいして候けるが給はかて、なにがし男にはらせ候はん、さやうの事に心得 ...
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器用部十五|屏障具三|障子種類
[p.0869] [p.0870] 徒然草 下 相摸守時頼〈○北条〉の母は、松下禅尼とぞ申ける、守おいれ申さるゝ事有けるに、すゝけたるあかりさうじのやぶればかりお、禅尼手づから小刀して、きりまはしつゝはられければ、せうとの城介義景、其日のけいめいして候けるが、給はりてなにがし男にはらせ候はん、さやうの事に心得 ...
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器用部二十九|輿|力者
[p.0977] 吾妻鏡 三十四 仁治二年十一月四日丁亥、今朝将軍家、〈○藤原頼経〉為武蔵野開発御方違、渡御于秋田城介義景武蔵国鶴見別荘、御布衣、御輿、御力者三手供奉、著水干、 ...
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歳時部十|年始祝二|幕府年始祝
[p.0651] 吾妻鏡 三十七 寛元四年正月四日甲午、入道并将軍御行始、入御北条左近大夫将監亭雲雲、御台所并若君御前渡御若狭前司泰村亭、将軍御母儀及将軍御台所武州妹、入御秋田城介義景亭、 ...
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器用部十七|坐臥具二|以縁地為名
[p.0075] 吾妻鏡 四十二 建長四年四月十四日丁卯、〈○中略〉御弓始、射手六人〈立烏帽子、水干、葛袴、浅沓、〉入南門候弓場左右小筵、而出御廊、〈兼敷大文高麗端座〉義景〈○秋田城介〉持参射手記、被置御前退候、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0063] 徒然草 下 平宣時朝臣、老の後むかしがたりに、最明寺入道〈○北条時頼〉あるよひの間に、よばるゝ事ありしに、やがてと申ながら、ひたゝれのなくてとかくせしほどに、又使きたりて、直垂などのさぶらはぬにや、夜なれば、ことやうなりとも、とくとありしかば、なへたる直垂うち〳〵のまゝにてまかりた ...
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帝王部五|践祚上|為親王不為太子而践祚
[p.0258] [p.0259] [p.0260] 増鏡 四三神山 む月〈◯仁治三年〉の五日より、内のうへ〈◯四条〉例ならぬ御事にて、〈◯中略〉九日の暁かくれさせ給ぬとてのヽしりあへるいとあさましともいふばかりなし、〈◯中略〉いまだ御つぎもおはしまさず、又御はらからの宮などもわたらせ給はねば、世の中いかになりゆかんずる ...
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地部十|相模国|荘
[p.0781] 吾妻鏡 八 文治四年八月廿三日丙戌、波多野五郎義景与岡崎四郎義実、於御前遂対決、是相模国波多野本庄(○○○○○)、北方者義景累代相承所領也、而窃在京之隙、義実望申之、帰参之後、義景申雲、当所者、保延三年正月廿日、祖父筑後権守遠茂、譲与二男義通雲雲、又嘉応元年六月十七日、譲義景之後、無牢籠 ...
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器用部二十三|行旅具中|傘用法
[p.0465] 保暦間記 下 土御門院〈阿波院と申〉宮、承久の乱の時、二歳に成せ賜けり、〈○中略〉義景草深き庭中に畏て、破たる御簾の内お守て、御位お譲せ給候御使参て候と三度直奏す、〈○中略〉頓て義景大番なりければ、扉例たる門の脇に唐笠張立て、陣屋にして奉守護、〈○下略〉 ...
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地部二十一|若狭国|建置沿革
[p.0205] [p.0206] 日本地誌提要 三十六若狭 沿革 古へ国府お遠敷郡に置、〈今の府中村〉鎌府の時、惟宗忠季に今富荘お賜ひ、州守に任じ、其余郡邑お以て藤原行光、中条家長等に分与す、寛喜の初、将軍藤原頼経、惟宗氏の邑お収め、北条経時に賜ふ、爾後北条氏世本州お領して京畿お控制す、北条高時伏誅の後、内 ...
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飲食部三|料理中|卯花鱠
[p.0202] 朝倉亭御成記 永禄十一年五月十七日、於越前谷朝倉左衛門督義景亭へ御成事、一於会所参進物并献立の次第〈○中略〉十四献〈かずのこ卯花なます〉うけ入〈御酌大与〉 ...
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飲食部三|料理中|一こん煮
[p.0216] 朝倉亭御成記 永禄十一年五月十七日、於越前谷、朝倉左衛門督義景亭へ御成事、〈○中略〉一於会所参る進物并献立の次第〈○中略〉十五献〈かまぼこけづりもの〉 一こん煎(○○○○) ...
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飲食部三|料理中|皮熬
[p.0227] 朝倉亭御成記 永禄十一年五月十七日、於越前谷朝倉左衛門督義景亭へ御成事、〈○中略〉一於会所参る進物并献立の次第〈○中略〉 五献 かはいり〈御酌一式〉 ...
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飲食部十四|鮓|鮎鮓
[p.0956] 朝倉亭御成記 永禄十一年五月十七日、於越前谷朝倉左衛門督義景亭へ御成事、〈○中略〉一於会所参る進物并献立之次第〈○中略〉十七献 あゆのすし ...
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地部二十九|讃岐国|村里/名邑
[p.0839] [p.0840] 安西軍策 五 讃岐国元吉表合戦事 天正五年、讃州元吉(○○)に香川義景と雲者楯籠、隆景朝臣〈◯小早川〉に属し、志お深しけるほどに、土佐の長曾我部より長尾はいかつ両大将にて三千余騎お差向、元吉の城お囲しむ、 ...
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飲食部三|料理中|添肴
[p.0148] 朝倉亭御成記 永禄十一年五月十七日、於越前谷朝倉左衛門督義景亭へ御成事、〈○中略〉一於会所参る進物、并献立の次第〈○中略〉六献 まんぢう〈御そへもの〉鴫〈橘焼〉 〈御酌大与〉御供衆迄 御通有之 ...
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器用部二十九|輿|網代輿
[p.0951] 相州兵乱記 四 景虎小田原へ寄来事 長尾義景、〈○中略〉上洛して、京公方光源院殿義輝公へ出仕おいたし、関東管領の御致書お賜り、朱柄の唐笠、同御紋のゆたんお御免あり、御諱の一字お被下輝虎と改名して、あじろごし、状の裏書お御免あり、 ...
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地部二十一|越前国|建置沿革
[p.0229] [p.0230] 日本地誌提要 三十七越前 沿革 古へ国府お丹生郡に置、〈今の南条郡武生、旧府中と称す、〉鎌府の時、北条時政守護の事お行ひ、目代お遣て州事お管す、足利尊氏の反する、族弟高経おして本州お侵略せしむ、延元中、新田義貞皇太子恒良及親王尊良お奉じて、金崎〈敦賀郡〉に入り、高経と相持す ...
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地部四十六|井|井具
[p.1018] 明良洪範 十八 朝倉義景の家士に、松木内匠といへる武士、年来の仇ありしに、彼が為にはかられて終に討れ、又それが一子十才ばかりなるお抱きて、妻は山中に落行たり、此子廿歳ほどになり、松木某といひて、件の仇お尋子もとむるに、敵は己が領地に家作し、四方に堀お構へ、夜は橋おひきて用心きびしけ ...
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人部二十七|関して、規定する所なし、徳川幕府の時に至り、復讐せんとする者は、予め...
[p.0519] [p.0520] 明良洪範 十八 朝倉義景の家士に、松木内匠といへる武士、年来の仇ありしに、彼が為にはかられて終に討れ、又それが一子十才ばかりなるお抱きて、妻は山中に落行たり、此子廿歳ほどになり、松木某といひて、件の仇お尋ねもとむるに、敵は己が領地に家作し、四方に堀お構へ夜は橋おひきて用心 ...
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器用部十一|澡浴具二|手拭/名称
[p.0632] 日本霊異記 下 二目盲男敬称千手観音日摩尼手、以現得明眼縁第十二 奈良京薬師寺東辺里、有盲人、〈○中略〉往来之人、見哀之者、銭米穀物施置巾上、〈○中略〉 巾〈太乃己比(○○○○)〉 ...
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地部五|和泉国|郷
[p.0343] 吾妻鏡 三十一 嘉禎三年六月一日庚辰、矢部禅尼、〈法名禅阿〉賜和泉国吉井郷(○○○)御下文者、前遠江守盛連、依令譲附也、彼御下文、五郎時頼、被持向三浦矢部別庄雲雲 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0058] 続古事談 一/王道后宮 完平法皇はことに倹約おこのみ給けり、御あとの事、葬礼の事などおほせられおきけるには筵にて棺おつヽみて、かつらにてこれおからげよとぞの給ける、重明親王李部王記にかき給へるなり、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0077] [p.0078] 雲萍雑志 一 洛に須藤健十郎といふ人あり、〈○中略〉常に倹約お守ることお、専人に教訓して、みづからは木にて鯛の形お彫ませ、常に膳部のかたはらに置て、一肉の美味須臾の舌頭にあり、大丈夫何ぞ飲食に心おもちふることおせんやといへり、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0061] 澀柿 明恵上人伝 泰時〈○中略〉左様の年〈○飢歳〉は家中に毎事倹約お行て畳お初として、一切のかへ物どもおも古物お用、衣裳の類もあたらしきおば著せずえぼしの破たるだにも、古きおばつくろひつがせてぞき給ける、夜の灯なく、昼の一食おとゞめ、酒宴遊覧の儀なくして、此費お補ひ給けり、心ある者の ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0072] 明良洪範続篇 四 或時大火有し後に、増上寺の竜鐘も其余煙にかヽりて、響きあしく成たる故、鋳直し申すべきの所、此節御倹約の時節なれば、彼是と奉行中より存寄お申立られしに、但馬守〈○土屋数直〉聞て、倹約は天下の法令なれども、鐘などは末代に残る者なれば改めらるべし、無益の事には毛末も厭ふ ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0058] 日本書紀 二十二/推古 三十六年九月戊午、先是天皇遺詔於群臣曰、比年五穀不登、百姓大飢、其為朕興陵、以勿厚葬、便宜葬于竹田皇子之陵、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0059] [p.0060] 古今著聞集 三/政道忠臣 昔は人の装束もなへ〳〵としてぞ有ける、されば斎院の大納言の消息に、先代の時、節分袍借献など書れたんなるは、節会の袍とて、ほろ〈○ろ、原作の、今拠一本改、〉〳〵とある物の人にかすなどが有けるとぞ、後朱雀院の御時、旬に参たりける上達部お御覧じて、衣日資 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0066] 古老物語 一或時御小姓衆、御広間に而、角力取度とて、御坊主お以、上様〈江○徳川家康〉窺之候得者、角力も武士嗜の一つに而不苦取候へ、但し畳お裏返し敷候様に、御意被遊候由、仮初之事にも、そこ〳〵御気の付たる上様やと、諸人舌お振候由、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0060] 増鏡 十/老の波 八月〈○弘安二年〉御子の御ありきぞめとて、万里小路殿にわたらせ給ふ、〈○中略〉そのころけんやく行はるとかや聞えしほどにて、下すだれみじかくなされ、小金物ぬかれける、物見車どものも、召次よりて切などしけるおぞ、時しもやかゝるめでたき御事のおりふしなどいふ、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0061] 大鏡 三/太政大臣頼忠 太政大臣頼忠〈○中略〉あまりよろづしたゝめあまり給ひて、殿のうちに、よひにともしたるあぶらお、又のつとめてさぶらひにあぶらがめおもたせて、女房のつぼねまでめぐりて、のこりたるおかへし入て、又今日のあぶらにくはへて、ともさせ給ひけり、あまりにうたてある事なりや、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0080] 翹楚篇 一世子〈○上杉治憲〉にてましませし時、国民困窮お聞召歎かせ給ひ、やがて世お継給ひし時も、やはり此儘ならば、貧民の一助にも成なんかとの給はせしが、世おつぎ給ひしにも、果して其御言葉のごとく、御部屋御仕切料のまゝ、才に弐百九両壱分何程にて、御手元の御服食は、足らせ給ひし也、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0060] 大鏡 二/左大臣時平 たゞこの君だちの御中には、大納言源昇の卿御女のはらの顕忠おとゞのみぞ右大臣までになりたまへる、〈○中略〉御めし物は、うるはしくごきなどにもまいりすえで、たゞ御かはらけにてだいなどもなく、おしきにとりすえつゝぞまいらせける、けんやくし給ひしも、さるべき事のおりの御 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0068] [p.0069] 常山紀談 十 利安〈○栗山〉若き時は善介といひ、中頃は四郎兵衛といふ、長政〈○黒田〉に筑前お賜りし時、名島の城に長政居て、左右良の城に利安お置れけり、禄一万五千石極めて倹なる人なり、人の衣服の美麗なるお見ては、褻晴といふ事の有といひ教へ、又価高く馬お購ふ者あれば、さばかりの ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0068] 東照宮御実紀附錄 二十 板坂卜斎侍座せし時、壼に入りし人参お賜らんとて、両の御手もて下されけるに、御違棚に奉書の紙ありしおみて、一枚玉ひ、是に包まんとせしに、それは大名どもへ書肬お遣すに用ゆるなり、えうなき事に遣ふものならず、人参は良薬にて、女等なくてかなはぬものなれぱ、取らするな ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0065] 藩翰譜 七上/堀 柳生但馬守宗矩の物語ありしは、〈○中略〉秀政〈○堀〉の卒せし時、高き人も賤しき者も、おしき人にいひき、世の人、名人左衛門と名づく、天下の指南しても、越度あるまじき人なりといひき、これ天下おも知らせ亢き人なりといふ言葉なり、此人の弟お、多賀出雲守と雲ふ、北の庄の城修し ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0060] 古事談 二/臣節 富小路右大臣、顕忠時平御子也、毎夜出庭奉拝天神雲々、又以倹約為事、銀器楾、手洗等、永不被用、又出仕之時、全無前駆、隻車後如形被相具雲々、 ...
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地部二十三|但馬国|建置沿革
[p.0419] 吾妻鏡 二十五 承久三年八月十日辛酉、法橋昌明者、幕下将軍〈◯源頼朝〉之時有功者也、今度逆乱、雖有勅喚、其意如巌、会不乖関東、此事既達二品禅尼之聴之間、昌明雖未申子細、但馬国守護職、并庄園等成下文、去月遣訖、于時昌明、不弁之以前、同月廿三日状、註申功事、其状今日到来鎌倉、二品禅尼披 ...
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地部二十三|但馬国|荘保
[p.0425] 吾妻鏡 十四 建久五年閏八月十二日己巳、以但馬国多々良岐庄(○○○○○)、始為地頭補任之地、可被付熊野鳥居禅尼雲雲、是依所望也、 九月廿三日庚戌、但馬国多々良岐庄者、源宰相領所也、而熊野鳥居禅尼〈故左典厩婦公〉日者強所望彼辺事、異他之間、被遣地頭補任御下文、但於有限領家乃貢課役等者、不可有 ...
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地部二十八|紀伊国|荘保
[p.0753] 吾妻鏡 二十六 承久四年〈◯貞応元年〉四月廿七日、以鳥居禅尼所領、紀伊国佐野庄(○○○)地頭職、尼一期之後、子息長詮法橋可相伝之由被仰雲雲、彼禅尼者、六条延尉禅門〈◯源為義〉妹、故右大将家〈◯源頼朝〉姨母也、仍令避数箇所地頭職給訖、而子息法橋行忠〈長詮兄〉背母命押領当庄、剰去年兵乱之時、候 ...
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器用部二十二|行旅具上|以製作為名
[p.0403] 談林十百韻 禅尼の分ける苔の細道 一朝 ぬり笠に松のあらしやめぐるらん 一鉄 ...
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帝王部四|帝号|万乗の主
[p.0187] 源平盛衰記 四十三 二位禅尼入海事 悲しき哉、月に瑩し万乗の玉体(○○○○○)、〈◯安徳〉蒼海の浪に影お沈御坐事お、 ...
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帝王部四|帝号|十善之主
[p.0188] 源平盛衰記 四十三 二位禅尼入海事 哀れなる哉、花に喩へし十善(○○)の御粧、〈◯安徳〉無常の風に匂お失ひ、〈◯下略〉 ...
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歳時部十七|盂蘭盆|臣庶盂蘭盆
[p.1265] 建内記 文安四年七月十四日甲辰、参詣浄蓮花院御石塔、先大納言殿御塔、次大弐殿御塔、件御塔乾辺有旧塔、如教禅尼御塔歟、慥不知之、於大弐殿御塔猶供水、〈◯下略〉 ...
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帝王部四|帝号|一天の主
[p.0187] 源平盛衰記 四十三 二位禅尼入海事 昔は一天の主(○○○○)〈◯安徳〉として、殿おは長生と祝ひ、門おば不老と名けしか共、今は雲上の竜下て、忽に海中の鱗と成給こそ悲しけれ、 ...
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地部三十一|豊後国|荘
[p.1035] [p.1036] 古文書類纂 上処分状 後深草天皇建長二年関白藤原道家処分状 総処分 条々事〈◯中略〉 一家地文書庄園事〈◯中略〉 九条禅尼〈◯中略〉 家領〈◯中略〉 豊後国臼杵戸次庄(○○○)〈◯中略〉 建長二年十一月 日 愚老〈在御判〉 ...
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地部二十一|加賀国|荘保
[p.0275] 古文書類纂 上処分状 後深草天皇建長二年関白藤原道家処分状 総処分 条々事〈◯中略〉 一家地文書庄園事〈◯中略〉 九条禅尼〈◯中略〉 家領〈◯中略〉 加賀国熊坂庄〈◯中略〉 尚侍殿〈◯中略〉 新御領〈◯中略〉 加賀国鏡庄(○○)〈◯中略〉 建長二年十一月 日 愚老〈在御判〉 ...
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人部二十七|報恩〈報怨併入〉
,報恩例,吾妻鏡,三"> |報恩例 [p.0486] [p.0487] 吾妻鏡 三 寿永三年〈○元暦元年〉四月六日甲戌、池前大納言、〈○平頼盛〉並室家之領等者、載平氏没官領注文、自公家被下雲雲、而為酬故池禅尼恩徳、申宥彼亜相勅勘給之上、以件家領三十四箇所、如元可為彼家管領之旨、昨日有其沙汰、令辞之給、此内於信濃国諏方 ...
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地部四十|渡|近江国/勢多渡
[p.0465] [p.0466] 平治物語 三 頼朝遠流事附盛安夢合事扠も頼朝は伊豆国へ流されければ、〈◯中略〉永暦元年三月廿日〈◯中略〉の暁、池殿〈◯平清盛継母池禅尼〉お出て東路遥に被下けり、〈◯中略〉盛安〈◯纐纈源五〉も大津までと申たりしが、人々留りぬる上、熱田には橋もなくて(○○○○○○○○○)、舟にて向の地へ渡給 ...
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地部三十九|橋下|遠江国/浜名橋
[p.0275] [p.0276] 六代勝事記 仲恭 同十五日〈◯承久三年六月〉に、百万のいくさ入洛して、畿内畿外にみちみてり、〈◯中略〉近習寵臣の辺功おたつる、こと〴〵くとらへられぬ、大納言忠信、〈◯中略〉宰相中将信能卿等、心ならぬ旅の空、おくれさきだつあづまぢのゆくすえに、なおあしがらのせきあへぬ涙おかけて ...
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地部九|伊豆国〈小笠原島附〉|建置沿革
[p.0664] 鎌倉大草紙 下 伊豆国は昔より源氏重代の国也、頼政仲綱の以後、頼政の子孫代々守護たり、但二位の禅尼の時、武田信光も此国お玉はり、十け年ほど居住ありとかや、其後又頼政の子孫給はり、多田治部少輔とて、三代相続あり、此人々の建立しける中花山禅長寺と号して、頼政以来の木像あり、河内と雲所に ...
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人部十四|忠〈不忠併入〉|忠例
[p.1026] [p.1027] 平家物語 十 三日平氏の事 五月四日の日、池の大納言より盛の卿、くはん東へ下向、〈○中略〉援に弥平兵衛宗きよといふ侍有、さうでん、せん一の者なりしが、あいぐしてもくだらず、いかにやと宣へば、君こそかくてわたらせ給ひ候へ共、御一家のきんだちの、西海の波に、たゞよはせ給ふ御事が ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0066] 東照宮御実紀附錄 二十 江戸御遷の初、御玄関の階は、船板にてあまり見苦しければ、本多佐渡守正信改作らんと申せしに、いらぬりつばだておするとて、聴せ給はず、その後、府城造営ありしにも、目につくばかりの金具はなかりし、台徳院殿、和田倉辺の櫓のはふに、金の金具用ひ給ひしよし、駿河に聞えけ ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0081] [p.0082] 芸備孝義伝 一/広島 播磨屋町浄閑 浄閑はもと石州津茂山より出て、はじめ山県の寺原村に移り、また広島にきたりて、人にもつかはれぬるが、やうやく身お起し、市店もあまたかひ得て、世並屋市郎左衛門といへり、渠富るに随ひて、家のおきてお正し、物あきなふにもむさぼらずして、人と利おと ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0058] [p.0059] 今昔物語 二十二 時平大臣取国経大納言妻語第八 今昔、本院の左大臣と申す人御けり、御名おば時平とぞ申ける、昭宣公〈○藤原基経〉と申ける関白の御子也、本院と雲ふ所になむ住給ける、年は僅に卅許にして、形ち美麗に有様微妙き事無限し、然れば延喜の天皇此の大臣お極き者にぞ思食たりける ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0079] [p.0080] 銀台遺事 人 天明五年、御所労〈○細川重賢〉いたく重らせ給ひて御おきふしも、左右よりたすけ参らする頃、御寝所の畳のやれて、御足にさわらん事の、うれたければとりかへまほしと、近習のものども、いひあひせけれども、左申さんには、よもゆるし給はじとて、用処にましませしほどに、こと所 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0060] 古事談 一/王道后宮 後冷泉院末、過差事外之間、至上官車用外金物、而後三条院代始八幡行幸之時、留鳳輦、見物車外金物おぬかせられけり、中の金物は依不御覧不被放之、故今に所用也、賀茂行幸之時、外金物車無一両雲々、 後三条院令事倹約給之間、御扇骨檜にて藍お塗て令持給けり、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0070] [p.0071] 大猶院殿御実紀附錄 二 公〈○徳川家光、中略、〉無用の浮費おば減省ありて、専ら倹素おもて、天下大小の事お御沙汰ありしなり、完永十四年八月、本城御移徒の式行はれ、老臣はじめ饗賜ひしとき、構造の奉行等召出され、こたび新造の結構華麗に過たり、天下に倹お示す本意に非ず、華飾の所に速 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0068] 梧窻漫筆拾遺 神君の黄金百両お人に賜ひて、其上は包みの奉上の紙お、御近辺の人に、善き紙なり、用に立つべし、仕舞おけと仰せられたると、黒田長政の御旗本へ白銀二百枚お借したるに、程お歷て、其人の返済せんとて持参せしお、初め借し申したる時、兼ねて進上すべしと思ひたりとて、受け取らず、さ ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0063] [p.0064] 太閤記 一 藤吉郎薪奉行の事 信長公〈○中略〉炭薪の費、一とせの分、何ほどにかと、其奉行に問給へば、千石有余也と答へ奉る、いかがは思召けん、奉行おかへよと、村井に被仰付しに、誰彼とさしづ申候へ共用い給ず、藤吉郎○木下お召て、今日より炭薪の入用、女沙汰し、能に計ひ、一両年裁擦致 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0065] [p.0066] 利家夜話 下 一伏見にて、大地震之時、大納言様〈○前田利家〉お、孫四郎様〈○前田利政〉の地震小屋にて、御振舞被成候、事之外御小屋の結構なる様子お御覧被成候、御帰候て、岡田喜右衛門、斎藤刑部両人お御使にて、被仰候は、地震小屋など申ものは、いかにも〳〵軽々敷、あやまち無之様に、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0077] 近世奇人伝 二 三宅尚斎〈並妻女〉尚斎の内人、その徳尚斎にも勝れりとかや、尚斎禁錮せらるゝ時、母堂と子二人お婦人に托して、金弐拾片お与へ、母堂の奉養懇につとむべきよしお命ず、後三年お経て放たれし時、相まみえて挙家安全お喜ぶとき、婦人彼金お出して尚斎に返す、尚斎大に怒て、こは何事ぞ、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0069] [p.0070] 明良洪範 三 土井大炊頭利勝居間の内にて、唐糸の切お拾ひ給ひて、弐に誰か有ると呼れしかば、大野仁兵衛と雲ふ近習の者罷出候へば、是お其方に預け置也、大事に致し候へと申付られし時、彼の者畏り候迚、其糸のきれお受取罷立候お、次に居る若者共、あの糸屑何の用に立べきと思し召哉、其様 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0078] [p.0079] 雲萍雑志 二 予〈○柳沢淇園〉が交はりし人の子に、兄弟常に争ふものあり、兄は砂糖お渡世とし、衣食におごりて解りつれば、家貧しくしてまうけなく、弟は塩おあきなひて、麁食麁服し怠らざれば、家富さかへて不足なし、その兄常に弟が富めるおたのみて財お借りて、その世業お送るといへども、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0074] [p.0075] [p.0076] 有徳院殿御実紀附錄 二 御受職〈○徳川吉宗〉の後、唐破風造の四足門、および有来る御まし所おもこぼだれけり、これそのかみ、勘定奉行荻原近江守重秀うけたまはり、金玉おちりばめ、華美お尽して、造営せしかば、その費用七十万金に及びしとなり、又後園に沈香もてつくりし亭ありし ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|名称
[p.0047] 伊呂波字類抄 計/畳字 倹約 ...
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人部一|人総載|女
[p.0023] 書言字考節用集 四/人倫 女人(によにん/○○) 女性(によしやう/○○)〈又雲女体(○○)〉 女子(によし/○○) 女(おんな/おふな) 婦(同) 女郎(おなご/○○) ...
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帝王部十二|行幸下〈朝覲行幸附〉|事変行幸
[p.0676] [p.0677] 太平記 九 主上上皇御沈落事 援に糟谷三郎宗秋、六波羅殿〈◯北条仲時、北条時益、〉の御前に参て申けるは、〈◯中略〉主上上皇お取奉りて、関東へ御下り候て後、重て大勢お以京都お攻られ候へかし、〈◯中略〉是程に浅まなる平城に、主上上皇お籠進らせて、名称、匹夫の鋒に名お失はせ給はん事 ...
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地部二十三|丹波国|荘保
[p.0391] 吾妻鏡 十四 建久五年十月廿五日壬午、於勝長寿院、有如法経十種供養、是故鎌田兵衛尉正清息女所修也、且為奉訪故左典厩〈◯源義朝〉御菩提、且為加亡夫追福、一千日之間、於当寺屈浄侶、令行如説法華三昧雲雲、〈◯中略〉彼女性父、左兵衛門正清者、故大僕卿功士也、遂於一所終其身、仍今将軍家、〈◯源 ...
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人部四|身体一|躶
[p.0310] 太平記 二十一 塩冶判官讒死事 八幡六郎無限悦て、元の小家に立帰り、我は矢種の有ん程は、防矢射んずるぞ、御辺達は内へ参て、女性少なき人お差殺し、進て家に火お懸て腹お切れと申ければ、塩冶が一族に、山城守宗村と申ける者、内へ走り入、持たる太刀お取直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉
[p.0046] [p.0047] 倹約は、つヾまやかと雲ひ、又節倹とも雲へり、冗費お省きて有用に供するお謂ふなり、倹約に似て非なるお吝嗇と雲ふ、古人之が説お為して、曰く人に施す事の薄きお吝嗇とし、身に奉ずる事の薄きお倹約とすと、凡そ倹約は治世の要にして、世浮華に流るヽ時は、屢、令お発して之お戒飭し、叉時 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|解説
[p.0050] [p.0051] 伊勢平蔵家訓 倹約の事 一一生の間に金銀米銭おつかはずしてはならぬ事なり、其つかひやうに倹約といふ事お知らざれば、無益の費ありて、家貧になるなり、倹約といふは無益の費おいましめて、一銭おもみだりに出さず、益ある事には千金おも出すべし、無益の費おいましむるは、益あることにつ ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|解説
[p.0047] [p.0048] 貝原篤信家訓 士業勿怠 一平生財用の節なく、侈費す事多ければ、財不足する故に、貧窮お救はずして不仁に流る、廉恥の心も自薄く成て、義理おうしなひ、親戚朋友の交り、簡略にして礼に背き、人の財物お借ても償ふ事ならずして信おうしなひ、軍用に乏しくては不忠となる、財お用る事宜にかな ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|解説
[p.0051] 本与錄 上 一倹約おむねとすといへども、倹約と吝嗇と似て非なるものなら、倹約とは其分おうちばにすることなり、人君には人君の分際あり、卿大夫には卿大夫の分際あり、其分おこゆるお奢といふ、其分よりうちばにするお倹約といふ、吝嗇には世にいふしわくさもしきおいふ、世に倹約の名お仮て、吝嗇お ...
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動物部一|獣一|牛利用
[p.0069] 北条九代記 八 相模守時頼入道政務附青砥左衛門廉直 相州時頼の三島詣ありけるに、藤綱生年二十八歳、忍びて供奉いたし、下向道に趣き給ふ所に、人人の雑具どもお牛にとりつけて、鎌倉に帰るとて、片瀬川の川中にて、此牛尿しけるお、藤綱申けるは、哀れ己は守殿の御仏事の風情しける牛かなと打笑ひて ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|名称
[p.0047] 書言字考節用集 八/言辞 約(つヾ、まやか) 倹(同) ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|名称
[p.0047] 女大学 一人の妻と成ては、其家お能保つべし、〈○中略〉万事倹(つゞまやか)にして費お作べからず、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|制令
[p.0053] 吾妻鏡 五十 文応二年〈○弘長元年〉二月廿九日辛酉、関東祗候諸人家屋之営作、出仕之行粧以下事、可令停止過差之由被定之雲雲、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0066] [p.0067] 雨窻閑話 織田信長公吝嗇〈並〉印陣打の事 其の人曰く、〈○中略〉昔神君御代に、駿河にて二三年の間、御倹約の事有りて、本多佐渡守正信命お蒙りて奉行しける、其年の門松、例より大にして、又正月三日御謡初の節、門ごとに灯す蠟燭、例年より格別又大なり、神君正信お召して、かねて倹約の義 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0073] [p.0074] 明良洪範 十五 光義卿〈○尾張藩主〉倹約お専とし、一汁二菜の外は召上らず、千代姫君或時仰せに、御年寄らせられては、御養生猶以て肝要に候、いかに倹約お遊ばれ候とて、余りの事に存じ候、我等膳お配当申さんとて、三汁七茱お送られける、光義卿仰せに、婦人の知らるヽ事に非ず、吾一汁二菜 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0077] 窻の須佐美 二 長岡の君〈牧野〉民部少輔忠周、〈後土佐守忠軌〉年若かりしに瘡疾のありしかば、牧野備後守貞通の長男忠敬お養子として、家お継しめられける、駿河守に任ず、長岡饒有の地にて富饒なりしが、中ごろ飛騨守〈忠成〉駿河守〈忠辰〉打つゞき驕奢なりしより衰しに、前年大火に城焼て、武具こ ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0080] 翁草 五十六 何卿とやらん、質素の人にて、小禄貧窮お申立て、綿服の願有、御ゆるしお蒙て、四季に用ひらるゝ、木綿島の単上下お拵、素より衣服悉く綿服にして、御番参内にも、装束は当番の非蔵人に預け置、途中は件の上下お著し、無僕にて往来せらる、常に自炊にて、奥方もたすきがけにて、はしりもと ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0071] [p.0072] 厳有院殿御実紀附錄 下 慶長元和よりこのかた、昇平すでに五十年に及ぶといへども、いまだ倹約の事令し下さるゝ事もなかりしが、この頃はや世上も何となく奢侈の風に赴くおもて、当代〈○徳川家綱〉御承統のはじめ、老臣等相議して倹約の事お仰下されける、これ当家にて倹約の事沙汰せられし始 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0074] 続近世奇人伝 二 松岡恕庵 恕庵松岡氏、名は玄達、〈○中略〉博覧好古、倹素淳朴の人なること、人のしる処也、今其真率なる二三条お挙ぐ、大きなる倉お二つたて、一つには漢の書、一つには国書お蔵られしほどのことなれども、火桶は深草のすやきお紙にてはり、用いられし、又男善吾〈名は典、字は于勅、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0072] [p.0073] 雨窻閑話 本多流髪〈並〉家風の事 一世上に本多風と雲ふ髪の結ひかたあり、是は昔、本多中務大輔忠勝侯、家中の風儀お定め給ふとぞ、諸士より下々足軽並中間迄も、髪お前七分、後へ三分と厚さお定めて、紙おこよりに捻り、七つづゝ巻きて髻お結ぶなり、是お本多風といたすぞ、いま異様の髪お ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0069] 明良洪範 十一 松倉豊後守重正〈○中略〉武辺第一の人にて、生涯奢る事なく、浪人にても武辺の士には、親みて語られけるは、我等如き小身者は、事あらん時は人数不足也、其時は各方も一所に出陣致れよ、軍功あらば君へ申上、然るべく取計ひ申さんなど、常に語られける、或時は武辺の浪士お集め、饗応し ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0073] 吉備烈公遺事 公〈○池田光政〉常に小倉織の袴お召させ給ひ、これおぬがせ給ふ時も、たヽむ事もなく、柱の竹釘に、こより引張たるに、侍臣に命じて掛させ給ふ、紫の、被の数年になりけるお、山川十郎左衛門かへんと申せしに、予吝に非ず、猶かへずとも有なんと仰有りて、又年経て、垢付ければ、山川重て ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0082] 芸備孝義伝 三編四/広島 国泰寺下男菊松 菊松は父お藤四郎といひて、安芸郡矢野村の民なり、菊松十六歳にして、はじめて国泰寺に仕ふ、当時は国の大地なれば、遍参の僧多く来集りて、日々の費用おびたゞしけれ、ど幹事のものも僧徒なれば、さまで意とするものもなかりしに、菊松この寺に仕へて後は、米 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0079] 白河楽翁公伝 十月〈○天明三年〉十六日、御家督お継せ給ひ、先公は木工頭と改め、公〈○松平定信〉は越中守に成り給ふ、扠此年の事は、天下久しく飢饉の災なかりし後なれば、人々油断して雨いかに降るとも、今日晴たらば実るべし、明日睛たれば豊ならんと、七月の末まで雲おながめ〳〵送りし内に、米価 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|制令
[p.0054] [p.0055] 武家巌制錄 二 武家諸法度 一諸国諸侍可用倹約事 富者弥誇、貧者恥不及、俗之凋弊無甚於此、所令厳制也、〈○中略〉右可相守此旨者也 慶長二十年七月日 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|解説
[p.0052] 東潜夫論 下 倹約と雲ことは、当時諸侯の流行り言ばなり、随分金財おば相応に倹約する国もあるなり、然ども事お省くことお知らず、当時諸侯の国文事、にも非ず、武備にも非ず、昔より仕来りしこと甚だ多し、其一二お挙げば、欧初め、鼓初め、舟乗り初め、鷹狩初め、此等のこと初めみな益なきことなり、 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|制令
[p.0055] [p.0056] 享保集成糸綸錄 十九 完文八申年二月 覚 一今度火事付而、弥堅倹約お相守候様にと被仰出候間、参勤継目等之御祝儀に公義〈江〉被献之外、下々〈江〉は、太刀馬代、黄金壱枚、白銀五枚、三枚、弐枚、壱枚、鳥目百匹迄之内、相応に被遣之可然事、 一国持大名衆之総領たりといふ共、部屋住之内は ...
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歳時部十七|盂蘭盆|灯籠
[p.1272] [p.1273] 紀州政事鏡 下 一雖倹約中〈与〉盆中三日之内、夜中灯籠切籠一つ二つ、花火三本宛出し可申候、無益之費には候得共、年中其時々之義不致候得ば、人の心窮屈に成行事なるもの故、右之通可為致候、畢竟年中倹約いたす事も、其時々の事お可致為也、諸人に悦び慰おも、一向に差留候事は、木石同様 ...
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器用部十二|家什具|火桶
[p.0703] 百練抄 十五/後嵯峨 完元元年十月廿四日、今日五節倹約事、為頭左中弁時高朝臣奉行被仰下五節所雲雲、〈○中略〉 一出火桶可停止金銀銅飾等風流事 ...
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歳時部十一|年始祝三|献上
[p.0763] 塩尻 四 武家、年始に主君お拝するに、鳥目お捧て贄とするは、天正十年正月元日、江州安土の城にて、信長倹約の令ありしより始ると雲々、 ...
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器用部五|飲食具五|薑擦
[p.0344] 世間学者気質 二 理屈はくさふても新らしい倹約奉行 其年の台所入用勘定〆上げ、去年の御物入とは三け一、是はどふじやと、帳面吟味すれば、去年中に鍋釜の仕かへが千八百七十二、山葵おろしが七百卅枚、〈○下略〉 ...
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器用部九|容飾具四|胡麻油/菜種油
[p.0519] 近世女風俗考 髪の油の事 倹約問答〈安永元年八十二歳、上其流老人筆記曰、略〉古は唐苧とて、細き苧縄にて髪お結ふ、能人の女子は胡麻白絞等の油にて髪お結、下々の女子は、菜種の油にて髪お結ふ、 ...
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飲食部六|粥〈餗[併入]〉|茶粥
[p.0454] 竈の賑ひ 茶粥右白かゆお焚ごとく、水の澄ざる位に米お洗ひて、先茶お煎じ出し、其茶にて右白かゆの水かげんにして、塩お程よく入たくべし、〈○中略〉京大坂堺辺の町家にては、年中朝は此茶がゆお食せり、米の助となる事、積りては大ひなり、又倹約のみにあらず、食しなれては腹中おすかし、溜飲等の病 ...
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人部二十八|奢侈
[p.0623] 奢侈は、おごると雲ひ、又過差とも雲へり、我身の分に過ぎて、濫りに財貨お費すお謂ふなり、奢侈は資産お蕩尽し、終に其身お亡ぼすことあるお以て、古来之お抑制するに、制令お以てし、或は訓誡お以てし、或は又之お処罰せしことあり、事は倹約篇、及び服飾部服飾総載篇、法律部手鎖篇、闕所篇等に散見 ...
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飲食部三|料理中|蛤吸物
[p.0191] 三省録 後編二飲食 有徳院様御代始に、御倹約の被仰出にも、凡て嫁取の規式も蛤吸物酒三献お不可過との御書付出たり、是はと笑ふものもありけれども、吸物蛤と婚礼の法に立給ふ事は、御学問すぐれ給ふゆえなりと、或学者これお称し奉とかや、外の貝にあはざるは、外の夫にこゝろおかよはさぬ貞女の両夫 ...
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