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帝王部二十七|外戚下|皇室依外戚
[p.1625] 栄花物語 十三ゆふしで 東宮〈〇小一条院敦明〉なにの御心にかおはしますらん、〈〇中略〉皇后宮〈〇小一条院母娀子〉に、一生はいくばくに侍らぬに、なほかくて侍こそいといぶせく侍れ、さるべきにや侍らん、いにしへのありさまにこゝろやすくてこそ侍らまほしけれなど、おり〳〵に聞えさせ給へれば、 ...
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帝王部二十|皇后下〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|国母為...
[p.1194] [p.1195] 増鏡 十老の波 大かた此大宮院〈◯後嵯峨后〉の御宿世、いとありがたくおはします、すべていにしへより今まで、后国母おほくすぎ給ぬれど、かくばかりとりあつめいみじきためしは、いまだきヽおよび侍らず、御位のはじめよりえらばれ参り給ひて、あらそひきしらふ人もなく、三千の寵愛ひとりに ...
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帝王部二十二|皇太子上|従兄弟為太子
[p.1352] [p.1353] 栄花物語 二花山 時々の事どもはかなく過もて行て、七月〈◯永観二年〉すまひも近くなれば、これお若宮〈◯一条〉に見せばやと宣はすれど、おとヾ〈◯藤原兼家〉少しふさはぬ様にて過させ給に、たび〳〵まいらせ給へとうちよりめしあれど、みだりかぜなどさま〴〵のおほんさはりども申させ給ひつ ...
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器用部二十五|舟上|種類/以原質為名
[p.0617] 伯耆之巻 夜に入て、弥風強く吹ければ、御船も危くて、いかなるべしとも不覚、主上、〈○後醍醐〉忠顕お被召、竹の葉やあると御尋ね有ければ、船中に可有様なかりけれども、可尋由お勅答申て、御前お立給、かゝりける所に、不思議やな、苫の下に竹の葉一枚あり、是お取て参りけり、此竹の葉お被召、御手 ...
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器用部十一|澡浴具二|浴斛雑載
[p.0620] 宇治拾遺物語 十五 今はむかし、天智天皇の御子に大友皇子といふ人ありけり、〈○中略〉清見はらの天皇〈○天武〉そのときは春宮にておはしましけるが、〈○中略〉春宮これお御らんじて、さらでだにおそれおぼしけることなれば、さればこそとていそぎ下種の狩衣袴お著給て、藁沓おはきて宮の人にもしられ ...
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地部三十八|橋上|呉橋
[p.0119] [p.0120] 枕草子 十二 心づきなきもの はつせにまうでヽつぼねにいたるに、あやしきげすどもの、うしろさしまぜつヽ居なみたるけしきこそ、ないがしろなれ、いみじき心おおこしてまうでたるに、川の音などのおそろしきに、くれはしおのぼりこうじて、いつしか仏の御かほおおがみ奉らんと、つぼねにいそ ...
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方技部十七|疾病三|流行例
[p.1399] [p.1400] 栄花物語 二十五みれの月 かくいふほどに、ことし〈○万寿二年〉は あかもがさ( ○○○○○) といふものいできて、上中下わかず、やみのヽしるに、はじめのたびやまぬ人の、このたびやむなりけり、内〈○後一条〉東宮〈○後朱雀〉も中ぐう〈○威子〉も、かんのとの〈○嬉子〉など、みなやませ給ふべき御 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|皇姪受禅以前帝子為太子
[p.0536] [p.0537] 栄花物語 二花山 時々の事どもはかなく過もて行て、七月〈◯永観二年〉すまひも近くなれば、これお若宮〈◯一条〉に見せばやと宣はすれど、おとヾ〈◯藤原兼家〉少しふさはぬ様にて過させ給に、たび〳〵おとヾまいらせ給へと、うちよりめしあれど、みだりかぜなどさま〴〵のおほんさはりども申さ ...
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姓名部六|氏上|雑載
[p.0498] 続古事談 一王道后宮 後三条院は、春宮にて、廿五年までおはしまして、心しづかに御学問ありて、和漢の才智おきはめさせ給ふのみにあらず、天下の政およく〳〵きヽおかせ給て、御即位の後、さまざまの善政おおこなはれけるなかに、諸国の重任の功と雲事、長く停止せられける時、興福寺の南円堂おつくれ ...
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帝王部二十七|外戚下|驕傲
[p.1637] [p.1638] 続古事談 一王道后宮 後三条院は、春宮にて廿五年までおはしまして、心しづかに御学問ありて、和漢の才智おきはめさせ給ふのみにあらず天下のまつりごとおよく〳〵きヽおかせ給て、御即位の後、さま〴〵の善政おおこなはれけるなかに、諸国の重任の功といふことながく停止せられける時、興福 ...
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帝王部二十一|女御|再嫁
[p.1275] 栄花物語 十一莟花 一条院うせさせ給ひて後、女御更衣の御ありさまどもさま〴〵にきこゆるに、承香殿の女御〈◯藤原元子〉に、故式部卿宮の源宰相の君頼定の君忍びつヽかよひきこえ給ふ程に、右のおとヾ〈◯元子父顕光〉きヽ給て、まことそらごとあらはしきこえんとおぼしけるほどに、御めにまことなりけ ...
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飲食部一|飲食総載|興宴一種物
[p.0051] [p.0052] 続古事談 二臣節 大入道殿〈○藤原兼家〉摂政におはしける時、法住寺のおとヾ〈○為光〉よりはじめて、おほくの上達部、一種物おぐしてまいりあつまり給けり、か子てちぎりありけるなるべし、閑院の大将は、銀の鯉の腹の中に、こなますふゆこみおりひつに入ていれられたり、小一条大将〈○済時〉 ...
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帝王部二十六|外戚上|授官位
[p.1520] [p.1521] 続世継 七うたゝね 六条殿〈◯源顕房〉は、よのおぼえあに〈◯源俊房〉よりもまさり給て、大納言の大将、中宮〈◯白河后賢子〉のおほんおやにておはせしに、大臣あきて侍りけるお、白川のみかどおぼしわづらはせ給て、ひごろすぎけるに、匡房の中納言におほせられあはせければ、ほりかはの大納言 ...
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姓名部五|譜牒〈家格 〓〉|揚言系譜
[p.0400] [p.0401] 平治物語 二 待賢門軍附信頼落事 左衛門佐重盛、五百余騎おぱ大宮面に残し置、五百余騎にて押寄て呼り給けるは、此門の大将軍は信頼卿と見るは僻目歟、角申は桓武天皇苗裔、太宰大弐清盛が嫡子、左衛門佐重盛、生年二十三卜名乗懸ければ、信頼返事にも不及、それ防げ侍共とて引退く、大将の引 ...
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方技部三|陰陽道下|一身吉凶 属星
[p.0202] [p.0203] 大友興廃記 二十 大将心持の事并星お祈事去程に島津義久公、天正十四年の冬、諸勢お豊後の地に発向すべきために、まづ休叱薩州豊州の運の程おはかり見よと申付らる、休叱曰、運おはかる迄も御座なく候、豊後両大将の星は、それがし存知の事なれば、大友宗麟子息義統の星おいのり申べく候、星 ...
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地部四十七|河〈滝附〉|伊勢国/宮川
[p.1160] [p.1161] 神風行囊抄 一 宮川 一名豊宮川(○○○)、一名度会川、尾畑の町の出口にあり、船渡なり、 是所は豊受大神宮の禊川にて豊宮川と雲お、上略して宮川とも雲、是は山辺の町の西の入口なり、 上の瀬下の瀬とて、船渡両所なり、往昔は神領なりしに、何れの時よりか此渡り他領に属す、然るに山田の神官 ...
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人部三十三|遊女〈男娼 芸者併入〉|遊里
[p.0869] 栄花物語 三十一/殿上花見 長元四年九月廿五日、女院〈○上東門院藤原彰子〉住よし石清水にまうでさせ給、〈○中略〉廿六日になりて、こぎくだらせ給程に、〈○中略〉えぐちといふ所になりて、あそびどもかさに月おいだし、らてんまき絵さま〴〵におとらじまけじとしてまいりたり、こえどもあしべ打よする ...
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人部一|人総載|少
[p.0068] 豊薩軍記 七 野津院諸所合戦〈並〉宮千代丸兄弟事 老幼は皆生捕とぞ成にける、中にも柴田大蔵が二男宮千代丸とて、生年十三歳に成りけると及び其妹お生捕て、大将の見参に入れけるが、幼稚と小冠者なる故に、侮てや縄おもかけず、尋常なる有様なりければ、大将間近く召しけるに、寄ると均しく、懐中よ ...
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器用部五|飲食具五|釜種類
[p.0299] [p.0300] 宝蔵 四 飯釜 天竺には味の最上お醍醐味といひ、大唐には大牢といへり、我朝にはいづれおかいふ、わが橋おき藜おくらふ、ふつゝかなる心には、たゞ朝な夕なのいひおこそ覚侍れ、其物おかしぎ出せる器なれば、いかんぞたゞにおはすべき、さればにや天帝郭巨が孝おあはれみて、あたへ給ふにもこ ...
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帝王部十九|皇后上〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|初為女...
[p.1144] 増鏡 三藤衣 寛喜元年になりぬ、此ほどは光明峰寺殿、〈道家〉又関白にておはす、この御むすめ、〈◯後堀河后竴子〉女御にまいり給ふ、世の中めでたくはなやかなり、〈◯中略〉やがて后立あり、〈◯寛喜二年二月十六日〉藤つぼわたりいまめかしく住なし給へり、〈◯中略〉おなじ三年七月、関白おば御太郎教 ...
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飲食部一|飲食総載|餕
[p.0069] [p.0070] 藤原仲文集 雪のふりたるつとめて、院〈○冷泉円融〉の御かゆのおろし給て、歌よめとおほせられけれ ば、白雪のふれる朝のしらがゆはいとよくにたる物にぞありける ...
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飲食部六|粥〈餗[併入]〉|白粥
[p.0453] 藤原仲文集 雪のふりたるつとめて、院の御かゆのおろし給て、歌よめとおほせられければ、白雪のふれる朝のしらかゆはいとよくにたる物にぞありける ...
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帝王部二|神器上〈昼御座御剣 大刀契附〉|大臣候剣璽
[p.0072] 古事談 一王道后宮 一条院御時、永延比、相撲抜出日、還御之時、左大臣雅信候御劔(○○)、右大臣為光候御筥〈◯神璽〉雲々、前頭中将実資朝臣雲、内宴及臨時事、乗輿之時、大臣大将、持候御劔有其例、不兼大将之大臣、候御劔之事無例歟雲々、摂政同有許諾之気雲々、寛弘七年十月廿二日、還御本殿之時、諸 ...
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姓名部四|苗字称号 〓|雑載
[p.0352] [p.0353] 太平記 十七 山門牒送南都事 諸軍勢、大将の前後に馬お早めて、白鳥の前お打過ける時、見物しける女童部、名和伯耆守長年が、引さがりて打けるお見た、此比天下に結城(ゆうき○)、伯耆(はうき○)、楠(くすのき○)、千種(ちくさ○○)頭中将、三木一草といはれて、飽まで朝恩に誇たる人々なりしが、 ...
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人部三|親戚下乳母 併入|甥
[p.0264] 太平記 七 千剣破城軍事 軍も無てそヾろに、向ひ居たるつれ〴〵に、諸大将の陣々え江口神崎の傾城共お呼寄て、様々の遊おさせられける、名越遠江入道と、同兵庫助とは、伯叔甥にて御座けるが、共に一方の大将にて、責口近く陣お取り、役所お双てぞ御座ける、或時遊君の前にて、双六お打れけるが、賽の ...
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姓名部三|姓氏下|除籍賜姓
[p.0237] 源平盛衰記 十五 南都騒動始事 右大将宗盛子息侍従清宗は、三位して三位侍従と雲、〈○中略〉宗盛卿は此年の程までは兵衛佐にてこそ御坐しに、是は上達部に至り給へり、世おとる人の子と雲ながら、一はやくぞ覚えし、〈○中略〉聞書には父〈○平宗盛〉前右大将の源以光、並頼政法師巳下追討の賞とぞ有ける ...
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帝王部二十四|皇親上|内親王待遇
[p.1464] [p.1465] 続世継 六志賀の御禊 女宮は一品宮とておはしましヽは、禧子の内親王〈◯鳥羽皇女〉とて、賀茂のいつきにたち給へりし、御なやみにてほどなくいで給ひにき、長承二年十月十一日御とし十二にてかくれさせ給にき、〈◯中略〉廿七日薨奏とてこのよし内裏に奏すれば、三日は廃朝とて御殿のみすもお ...
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歳時部九|年始祝一|院宮拝礼
[p.0635] [p.0636] 増鏡 五烟の末々 寳治も三年に成ぬ、春たちかへるあしたの空のひかりは、おもひなしさへいみじきお、院〈◯後嵯峨〉うち〈◯後深草〉のけしきまことにめでたし、摂政殿にも拝礼おこなはる、院の御まへはさらにもいはず、大宮院〈◯後嵯峨后吉子〉にもあり、まづ冷泉までのこうぢ殿といふは、わし ...
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帝王部二十|皇后下〈皇太后、太皇太后、皇太夫人、女院、准母、准三宮、併入〉|中宮皇...
[p.1153] [p.1154] 増鏡 七北野の雪 この入道殿〈◯藤原実氏〉の御おとヽに、そのころ右大臣〈実雄〉ときこゆるぞ、姫君あまたもち給へる中に、すぐれたるお〈◯佶子〉らうたきものにおぼしかしづく、今上〈◯亀山〉の女御代にいで給ふべきお、やがてそのついで、文応元年入内あるべくおぼしおきてたり、院にも御気 ...
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人部二十二|訓誡|誡臣下
[p.0170] 源平盛衰記 六 小松殿教訓父事 小松殿〈○平重盛〉は、弟の殿原に向て、いかに加様のひけうは結構せられ候ぞや、縦入道殿こそ老旄し給て、あらぬ振舞あり共、今は各こそ家門おも治め、惡事おも可被宥申に、相副たる御事共候哉と被仰ければ、宗盛已下の人々苦々敷そヾろきてぞ見え給ける、内大臣は中門廊 ...
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人部二十五|薦挙〈知遇 不遇併入〉|薦朋友
[p.0408] 折たく柴の記 上 我師なる人〈○木下順庵〉は、我〈○新井君美〉おば、そのむかしつかへられし加賀の家〈○前田〉に、すゝめん事お思給て、其あらましなどきこえ給ひしに、加賀の人にて岡島といふが、〈ずなはち忠四郎の事〉我おたのみたりしには、我本国に老たる母のあれば、いかにもして、先生推薦給ら ...
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地部四十七|河〈滝附〉|下総国/利根川
[p.1176] [p.1177] 太平記 十九 奥州国司顕家卿上洛并新田徳寿丸上洛事 奥州の国司北畠源中納言顕家卿、〈◯中略〉白川関お立て下野国へ打越給ふ、鎌倉の管領足利左馬頭義詮、此事お聞給て、上杉民部大輔、細川阿波守、高大和守、其外武蔵相模の勢八万余騎お相副て、利根河(○○○)にて支らる、去程に両陣の勢東西の ...
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人部一|人総載|醜女
[p.0041] [p.0042] 陰徳太平記 十六 元春娶熊谷信直之女事 毛利元就、児玉三郎右衛門就忠お、て、吉川伊豆守、森脇和泉守より、冗春妻女の事お願ふ、誰やの人の娘か昏姻お可結、好述も哉と思案お回すに、指当て思設る所なし、女先元春の内意お伺聞候へと宣ければ、就忠畏て、軈て元春へ参てかくと申ければ、元春 ...
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人部二十|倹約〈吝嗇 併入〉|倹約例
[p.0064] [p.0065] 鳩巣小説 上 一松平土佐守どの先祖山内対馬守どの〈○一豊〉こと、信長の時分、山内伊右衛門と申候て、五百石取申候時分、仙台よりよき馬売に参り候、伊右衛門、或時外より帰宅候て、気鬱の体にて不快の顔色有之候お、内義(○○)見申されて、如何の義にやと尋申され候処、婦人などの知義にて無 ...
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人部七|身体四|髪雑載
[p.0596] [p.0597] 続視聴草 初集十 髪きり くすしのとぶらひてかたらふおきけば、此ごろ東の台にものヽけの侍りて、おうなの髪きられたり、かうやうのこと世にもおこなはれはべるといふお、さる事はおこのものヽいひのヽしるわざにて、まことにはあらじと聞すぐしはべりし、その夜また人のとぶらひて、大みきく ...
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方技部十一|医術二|外国求医於我
[p.0778] 十訓抄 二 唐の后あしき瘡出き給て、其国の医師力及ばざりければ、日本雅忠と雲いみじきくすし有と伝聞給て、是お渡さるべき由、唐の帝より申送り給えりけるに、やりやらずの事、公卿の御さだめありけり、人々の申やう、こヽろ〴〵にて定りえず、帥民部卿経信卿とばかりまたれて参て、事の次第聞て、唐 ...
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人部二十七|報恩〈報怨併入〉
,報怨,平家物語,四"> |報怨 [p.0496] [p.0497] 平家物語 四 きおほが事 三位入道〈○源頼政〉のちやくしいづの守なかつなのもとに、九重に聞えたる名馬有、かげなる馬の双なき逸物、のりはしり心むけ、世に有べき共覚えず、名おば木の下とぞ雲れける、宗盛の卿使者お立て、聞え候名馬お給て、見候はゞやとの宣ひ ...
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帝王部二十七|外戚下|外戚興家
[p.1679] [p.1680] [p.1681] 増鏡 五内野の雪 いま后〈〇後嵯峨后藤原吉子〉の御父は、さきにも聞えつる右大臣〈実氏〉のおとゞ、その父殿〈公経〉のおほきおとゞ、そのかみ夢見給へることありて、源氏の中将わらはやみまじなひ給ひし北山のほとりに、世にしらずゆゝしき御堂おたてゝ、名おば西園寺といふめり、 ...
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方技部十|医術一|幕府医学館 C 諸藩医学館
[p.0698] [p.0699] 文部省第一年報 東京医学校 学校位置 本校は、第一大学区東京第五大区三小区神田和泉町一番地津藩邸旧止にあり、沿革 明治元年六月、旧幕府建設の 医学所( ○○○) お以て医学校となし、前田信輔おして其事務お理せしめ、旧幕府の医学教授職坪井為春、島村鼎、石井信義等お挙て助教となし、以て ...
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方技部十六|疾病二|黴毒
[p.1276] [p.1277] 一本堂行余医言 六 黴毒〈○中略〉 此邦〈○日本〉今時医流及俗間、呼此証為 湿毒( ○○) 者、蓋本於王肯堂、〈見上〉且通呼是疾為或湿或湿気湿瘡者、皆非也、此証凱湿寒之所可生乎、意其説全自主張湿熱之説而来耶、夫如此則住在高山深谷河浜海涯霧露水湿之処者、概皆可患此証、而反無病者、而居 ...
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封禄部六|年官年爵|年官給数
[p.0281] [p.0282] 簾中抄 下 御給 年官 年爵 封戸 位田 内給 諸国掾二人 目三人 一分廿人 掾おば三分とす、目おば二分とす、郡司などおば一分とす、この内給といふば、内の女房など の中に給なり、 太上天皇 諸司允一人 爵一〈近代加階〉 諸国掾一人 目一人 一分三人 封二千戸 勅旨千町たてまつらるヽこともあ ...
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方技部七|式占〈九星併入軒廊御卜附〉|太乙式
[p.0506] 二占要略 上 太乙星占太乙星は、其本位北天に在て八方に遊行し、兵乱禍災生死お掌る、霊妙不可思議の一星なり、此八方遊行の位お求て吉凶お占ふ、之お太乙占の法といふ、其之お占ふに、計神、主目、文昌、客目、始擊、定計等の法お以て、主客、大将、参将の処在お求め、八門転移の法お以て吉凶お照合す ...
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人部二十四|名誉|得名誉
[p.0299] 増鏡 一/おどろの下 又清撰の御うたあはせとて、かぎりなくみがゝせ給ひしも、みなせどのにての事なりしにや、たうざに衆儀はんなれば、人々の心ちいとゞおき所なかりけんかし、建保二年九月のころ、すぐれたるかぎりぬきいで給ふめりしかば、いづれかおろかならん、中にもいみじかりし事は、第七番に ...
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人部十|性情下〈夢 〉〓|驚
[p.0760] [p.0761] 古今著聞集 十三/哀傷 法興院入道殿〈○藤原兼家〉かくれさせ給て、御葬送の夜、山作所にて万人騒動の事有けり、町尻殿〈○藤原道兼〉おどろかせ給て、御往反有けり、御堂殿〈○藤原道長〉はすこしもさはがせ給はで、人人にたづねきかせ給て、馬のはなれたるにぞと、仰られけり、頼光きゝてかく ...
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帝王部十三|行啓〈太皇太后皇太后皇太夫人皇太子行啓併入〉|行啓雑載
[p.0783] [p.0784] 続世継 四宇治の河瀬 白川院かくれさせ給てこそ、ほいのごとく、殿〈◯藤原忠実〉のひめ君〈◯泰子〉たてまつり給て、女御の宣旨かふり給、皇后宮〈◯鳥羽天皇譲位後の皇后なり〉にたち給てのちは、院号聞えさせ給て高陽院と申き〈◯中略〉きさきの宮のはじめつかたも、宇治の御幸ありて、皇后宮 ...
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帝王部十一|行幸上〈朝覲行幸附〉|方違行幸
[p.0654] [p.0655] [p.0656] おもひのまヽの日記 六月二十日ごろ、いとあつきころなれば、いづみもてあそび給ふとて、二条の家に行幸あり、御かたたがひのよしなり、あるじの殿〈◯藤原良基〉たちいけいめいせらる、山のすがた水の心ばへ、いとおもしろし、東にたかき松山あり、山のふもとよりわきいづる水のなが ...
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帝王部二十七|外戚下|専権
[p.1619] [p.1620] 源平盛衰記 二十三 新院厳嶋御幸附入道奉勧起請事 治承四年九月廿一日新院〈〇高倉〉又厳嶋の御幸あり、御伴には入道大相国、〈〇平清盛〉前右大将宗盛、大納言邦綱、藤大納言実国、源宰相中将通親、頭左中将重衡、宮内少輔棟範、安芸守在経已下八人也、〈〇中略〉彼嶋に著せ給て、御参社以前 ...
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人部十四|忠〈不忠併入〉|不忠
[p.1059] [p.1060] 増鏡 十一/今日の日影 その〈○正応三年三月〉九日の夜、〈○原有誤拠一本改〉右衛門の陣よりおそろしげなるものゝふ三四人、馬にのりながら、九重の中へはせ入て、うへにのぼりて、女孺がつぼねのくちにたちて、やゝといふものおみあげたれば、たけたかくおそろしげなるおとこの、いかちのにし ...
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人部一|人総載|美女
[p.0034] [p.0035] [p.0036] 今昔物語 三十一 竹取翁見付女児養語第卅三 今昔、 天皇の御代に一人の翁有けり、竹お取て籠お造て、要する人に与へて、其の功お取て世お渡けるに、翁籠お造らむが為に、篁に行き竹お切けるに、篁の中に一の光り、其の竹の節の中に三寸許なる人有り、翁此れお見て思はく、我れ年来竹 ...
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人部三|親戚下乳母 併入|太郎/次郎
[p.0200] [p.0201] 空穂物語 藤源の君 むかし藤原の君ときこゆる一世の源氏おはしましけり、〈○中略〉きさいの宮、三条大宮のほどに、四丁にていかめしき宮あり、〈○中略〉こヽにうつり給て、ひとかたには大井殿の御むすめ、おとヾまちには宮すみ給ほどに、おほんこどもうみ給、ことかずあまたになりぬ、大井殿 ...
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器用部十五|屏障具三|障子種類
[p.0889] 源平盛衰記 二 清盛息女事 御娘八人御座けるも、皆取々に幸し絡へり、一は〈○中略〉花山院左大臣兼雅の御台盤所に成給へり、〈○中略〉此御台所は御美(みめ)も厳(うつくし)く、情も深く御座ける上、天下に類なき絵書にてぞ御座ける、紫宸殿の御障子(○○○○○○○)〈○長門本作花山院公卿座障子〉に、伊勢物語 ...
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帝王部三|神器下〈昼御座御剣 大刀契附〉|雑載
[p.0152] 古事談 一王道后宮 陽成院依邪気、不普通御坐の時、令(○)開(○)璽筥(○○)給(○)たりければ、自筥中白雲の起ければ、天皇令恐懼給て、令打棄給て、召木氏内侍からげさせられけり、木氏内侍は、筥からげたる者也、近代は無之、又令(○)抜(○)寳劔(○○)給(○)の時、夜御殿の傍の塗籠中、ひら〳〵とひらめきひかり ...
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姓名部六|氏上|源氏長者
[p.0459] 泰平年表 東照宮 慶長八年二月十二日、伏見城に於て、将軍宣下、征夷大将軍淳和奨学両院別当源氏長者牛車お許され、随身兵仗お賜る、〈当代年録に、(中略)征夷大将軍は、頼朝以来、武将の任に候へば、室町代々御補任にて、他家より望申事不協、(中略)信長秀吉天下お取給へども、本朝の掟にまかせ、終に ...
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器用部二十八|車下〈橇 修羅併入〉|檳榔毛車
[p.0818] 三条家装束抄 坤 車 毛車 太上天皇以下、四位以上通用、非参議は、榻お立ざるよし西宮抄に見へたり、但太上天皇、四位以上是お用といへども、庇、半蔀、物見、簾以下に付て、各差別ある事なり、 檳榔なき時は、菅お用る説あり、〈○中略〉 文明十八年、将軍家、〈○足利義尚〉新調車、当家より注進せしむ ...
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人部十四|忠〈不忠併入〉|忠例
[p.1039] [p.1040] 続近世奇人伝 四 小万女 摂津国某城主は、もと豊臣秀頼公に仕へて、北の方もろとも大坂の城中に居給ひしが、度々直諫して旨に逆ひければ、逐電してあとおくらまし給ふ、其北の方と八才の兄君、三才の妹君捕れになりて、城内のかどかなる所に、こめられておはしけり、明暮唯夫君の事おのみ歎き ...
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帝王部十三|御幸|事変御幸
[p.0762] [p.0763] [p.0764] 承久軍物語 六 おなじき七月六日、むさしの太郎ときうぢ、むさしのぜんじよしうぢ、す万ぎのせいおひきぐし、院の御所四辻殿へまいり、四はうおけいご仕り、とば殿へうつしたてまつるべきよしそうもん申ければ、一院かねておぼしめしまうけさせ給たる御事なれども、さしあたつては御 ...
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人部二十三|諫|諫主君
[p.0250] [p.0251] 平治物語 二 六波羅合戦事 義朝是お見給て、義平が河より西へ引つるは、家の疵と覚るぞ、今は何おか期すべき、討死せんとて被懸ければ、鎌田〈○政家〉馬より飛で下、七寸(みづヽき)に立て申けるは、昔より源平弓矢お取て、何も勝負なしと申せ共、殊更源家おば、皆人武き事と申侍り、譬ば栴檀 ...
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動物部一|獣一|牛事蹟
[p.0062] [p.0063] 栄花物語 二十五/峯の月 この比〈○万寿二年五月〉きけばあふさかのあなたに、せきでらといふ所に、うし仏(○○○)あらはれ給て、よろづの人まいりみたてまつる、年比この寺におほきなる御だうたてゝ、弥勒おつくりすえたてまつりける、くれえもいはぬ大木どもお、たゞ此うし一してはこびあぐるこ ...
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器用部二十八|車下〈橇 修羅併入〉|八葉車
[p.0848] [p.0849] 輿車図考 八 有職抄雲八葉〈○中略〉 或抄雲、院の御車の文、内は大八葉、袖は唐草、上は白、是晴の時の御車也、又大八葉の長物見、䙝時の御車也雲々、又賤官外記史等の輩も、小八葉お用ふる也、但下輩は物見お切らざること也、院 建保四年四月十四日、賀茂祭、院〈○後鳥羽〉密々御物見八葉車 ...
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方技部十一|医術二|名人
[p.0776] 近世公実厳秘録 八 望月三英法眼( ○○○○○○) 療治に付仁術の事 大御所様〈○徳川吉宗〉御匕に望月三英と雲医師有之、外療治功者にして、君の思召も他にことなりけるが、或年、狂言役者市川団十郎大病の節、いか成手筋にてや、望月の療知お乞ければ、三英、彼役者の方へ参られ候、日日見舞療治してやられけ ...
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歳時部九|年始祝一|諸礼
[p.0609] [p.0610] [p.0611] 御湯殿の上の日記 文明九年正月八日、御ぢそうのさんがあり、あんぜん寺殿、じんせう寺殿、つうげん寺殿、大しやう寺殿御まいり、 十日、前くわんばく、花山、そのほかさんがどもあり、申つぎ弁、宰相中将殿ばかり御さんだいあり、三ごんめに御けんびしさやまいる、くわじうじもちて ...
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帝王部十一|行幸上〈朝覲行幸附〉|王臣第行幸
[p.0644] [p.0645] [p.0646] [p.0647] 聚楽第行幸記 今上皇帝、〈◯後陽成〉十六歳にして御位に即せ給ふ、百官巾子お傾け、万民掌お合せずといふものなし、寔君臣合体時お得たり、異朝においては、成王の為に周公旦摂政し、本朝にては清和の為に忠仁公執柄し給ふ、符お合するがごとし、延喜〈◯醍醐〉天暦〈◯村上 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|譲位出権臣意
[p.0558] [p.0559] 増鏡 十老の波 弘安も十年になりぬ、この御門〈◯後宇多〉位につき給て、十三年ばかりになりぬらん、本院〈◯後深草〉まちどほにおぼさるらん、いとおしくおしはかりたてまつるにや、例の東より奏する事あるべし、新院〈◯亀山〉の御かたざまには、心ぼそうきこしめしなやむべし、〈◯中略〉よろ ...
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地部三十九|橋下|山崎橋
[p.0211] 太平記 九 山崎攻事附久我畷合戦事 四月〈◯元弘三年〉廿七日には、八幡、山崎の合戦と兼てより被定ければ、名越尾張守大手の大将として七千六百余騎、鳥羽の作道より被向、足利治部大輔高氏は搦手の大将として五千余騎、西岡よりぞ被向ける、八幡、山崎の官軍是お聞て、さらば難所に出合て不慮に戦お決 ...
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人部二十八|貧〈負債併入〉|恤貧
[p.0587] [p.0588] 源平盛衰記 十二 行隆被召出事 前左少弁行隆と申人御座けり、故中納言顕時卿の長男にて御座しが、二条院の御代に近召仕れ奉て、弁に成給へりし時も、右少弁長方お越て左に加り給へり、五位正上し給へりし中にも、顕要の人八人お越などして、優々しかりしが、二条院に奉後て時お失へり、仁安元 ...
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方技部十三|医術四|湯治
[p.0989] [p.0990] 釈日本紀 十四述義 幸于伊予温湯宮 〈伊予国風土記曰、湯郡、大穴持命、見悔恥而宿奈毘古那命欲活、而大分速見湯自下樋持度来、以宿奈毘古奈命而浴涜者、暫間有活起居、然詠曰、真暫寝哉、践健跡処、今在湯中石上也、 凡湯之貴奇不( ○○○○○○) 神世時耳( ○○○○) 、 於今世染疹痾( ○○○○○○) 、 万 ...
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帝王部十|譲位下〈受禅併入廃帝附〉|疾病譲位
[p.0544] [p.0545] 栄花物語 九石蔭 かくて御かど、〈◯一条〉いかでおりさせ給なむとのみおぼしの給はすれど、殿〈◯藤原道長〉の御まへゆるし聞えさせ給はぬ程に、れいならずなやましうおはしまして、いかなることにかとおぼして御つヽしみあり、まめやかにくるしうおぼしめさるれば、これよりおもらせ給やうも ...
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器用部二十八|車下〈橇 修羅併入〉|檳榔庇車
[p.0824] 三条家装束抄 坤 車 檳榔庇 太上天皇、摂政、関白、大臣、親王等是お用ゆ、 嘉禎三年三月廿六日、近衛前関白、〈○藤原家実〉兵仗の拝賀に、檳榔庇車に乗る、其体上檳榔庇、同じく檳榔総あり、袖の上の座連子唐花お昼く、物見半蔀あり、蘇芳の簾、同下簾、 将軍家 永享九年十月廿一日、将軍家に行幸の日 ...
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地部五|摂津国|名所
[p.0393] [p.0394] [p.0395] 日本鹿子 三 摂津国中名所之部 難波 郡の名也、大坂より未申のかた也、〈◯歌略〉 長柄橋 難波より北也、橋はなし、〈◯歌略〉 渡辺橋 是も難波辺也、天王寺の北一里なり、長柄は此所より北也、淀川の末也、渡辺橋今ははしなし、その跡のみいひつたへて侍る、此所に熊野の一の王子御座 ...
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動物部一|獣一|牛事蹟
[p.0060] [p.0061] [p.0062] 今昔物語 十二 関寺駈牛化迦葉仏語第廿四 今昔、左衛門の大夫平の朝臣義清と雲ふ人有けり、其の父は中方と雲ふ、越中の守にて有ける時、其の国より黒き牛一頭得たり、中方年来此れに乗て行く程に、清水に相ひ知れる僧の有るに、此の牛お与へつ、其の清水の僧、此の牛お大津に有る周 ...
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人部二十一|勇〈膂力 怯懦 併入〉|勇例
[p.0119] 明良洪範 十六 筒井順慶の家士に、板倉権内と雲者有り、いかなる故にや、億病者也と誰がいひ初めけん、家中は勿論、終ひには隣国迄も評判するやうに成り億病の話しが出ると、筒井家の権内かと、世間で雲様になりし故、権内甚だ残念に思ひけれど、誰彼と雲差別もなく、世間一般の事故致方無く、日お送り ...
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帝王部七|即位上|即位式
[p.0347] 栄花物語 三十六根合 寛徳二年正月十六日に位ゆづりの事ありて、〈◯中略〉四月八日には御即位〈◯後冷泉〉あり、のこる人なくみる、もんいるほどたまのかうぶりして、あぐらどものうへにいなみたる、からえのここちしてにようばうなどは吉につきてさぶらふ、べんのめのとないしのすけになりて、その日の ...
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人部二十八|貴|貴例
[p.0557] [p.0558] 今昔物語 二十二 淡海公継四家語第二 今昔、淡海公と申す大臣御ましけり、実の御名は不比等と申す、大織冠の御太郎、母は天智天皇の御后也、而るに大織冠失給て後、公に仕り給て、身の才極て止事無く御ければ、左大臣まで成上り給て、世お政てぞ御ける、男子四人ぞ御ける、太郎は武智麿と申し ...
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地部二|皇都鄙併入|遷都
[p.0172] [p.0173] [p.0174] 源平盛衰記 十六 遷都附将軍塚附司天台事 抑神武天皇は、天神七代お過、地神五代の御末、葺不合尊の御譲お受させ給つヽ、人代百王の始の帝にましましヽが、辛酉歳、日向国宮崎郡(○○○○○○)にて、皇王の宝祚お継給へり、五十九年と申し、己未年十月に東征して、豊葦原中津国に留り御座 ...
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歳時部九|年始祝一|将軍使参賀
[p.0626] [p.0627] 御湯殿の上の日記 慶長六年正月十八日、内府〈◯徳川家康〉より年頭の御礼として、名代に池田三左衛門参り、御太刀折紙、馬代白銀五十枚参る、親王の御方へ、御太刀折紙、馬代三十枚進上申さるヽ、池田三左衛門、御両所へ御太刀折紙進上申、 十三年二月廿八日、江戸の将軍より、年頭の御礼とて ...
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器用部十五|屏障具三|障子種類
[p.0875] [p.0876] [p.0877] 古今著聞集 十一/画図 南殿の賢聖障子は、完平の御時始てかゝれける也、其名臣といふは、馬周、房玄齢、如晦、巍徴、〈自東一〉諸葛亮、遽伯玉、張良、第五倫、〈同二〉管仲、鄧禹、子産、蕭何、〈同三〉伊尹、傅説、太公望、仲山甫、〈同四〉李績、虞世南、杜預、張華、〈自西四〉 ...
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歳時部二|歳時総載下|二十四気|朔旦冬至
[p.0131] [p.0132] [p.0133] 朔旦冬至部類記 大外記頼元記雲、建武二年十一月一日戊申、朔旦冬至也、仍被行旬儀、日出之程装束〈玉帯不透〉参陣、奉行職事、蔵人頭大膳大夫経季朝臣一人之外無人、廻常御所方、以得善不少進入、昨日源大納言入道状、付勾当内侍、准后御方〈東宮御母儀〉為御所、則被召御前、条々 ...
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帝王部七|即位上|即位式
[p.0334] [p.0335] 代始和抄 御即位事 即位の日は、大極殿の高御座およそひ飾る、太政官庁にて行はるヽ時は、高御座おうつさるヽ也、南階おさる事十一丈に、銅烏の幢おたつ、その東に日像の幢、朱雀青竜の旗等おたつ、西には月像の幢、白虎玄武の旗等おたつ、東庁の西に内弁の幄あり、其内に兀子おたつ、中階の ...
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方技部十八|疾病四|癩病
[p.1452] [p.1453] 源平盛衰記 四十四 平家虜都入附癩人法師口説言并戒賢論師事 其中に鳥羽里の北、造道の南の末に、溝お隔、白帯にて頭おからげ、柿のきものに中ゆいて、朽杖など突て、十余人別に並居たり、乞者の癩人法師共也、年闌たる癩人の、 鼻声にて語お聞ば( ○○○○○○○○) 、人の情お不知、法お乱るおば、 ...
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人部二十一|勇〈膂力 怯懦 併入〉|勇例
[p.0104] [p.0105] [p.0106] 源平盛衰記 二十二 衣笠合戦事河越又太郎、江戸太郎、畠山庄司次郎等、大将軍として、金子、村山、山口党、横山丹党おし、綴党お始として、三千余騎、衣笠の城へ発向す、追手は河越、搦手は畠山、二手に分て推寄つヽ、時の音三箇度合てためらふ処に、綴の一党、当家の軍将三人まで、 ...
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人部二十九|婬|婬例
[p.0646] [p.0647] [p.0648] 今昔物語 二十二 時平大臣取国経大納言妻語第八 今昔、〈○中略〉此大臣〈○時平〉は色めき給へるなむ少し片輪に見え給ひける、其の時に此の大臣の御伯父にて国経の大納言と雲ふ人有けり、其の大納言の御妻に在原 卜雲ふ人の娘有けり、大納言は年八十に及て、北の方は僅に廿に余る程に ...
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方技部七|易占|占例
[p.0491] [p.0492] 太平記 十一 諸将被進早馬於船上事都には、五月〈○正慶二年〉十二日、千種頭中将忠顕朝臣、足利治部大輔高氏、赤松入道円心等、追々早馬お立て、六波羅已に令没落之由、船上へ奏聞す、依之諸卿僉議ありて、則還幸可成否の意見お被献、時に勘解由次官光守、諫言お以て被申けるは、両六波羅已に ...
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人部十六|義|義例
[p.1190] [p.1191] 太平記 十八 瓜生判官老母事附程嬰杵臼事 里見伊賀守、瓜生兄弟、甥の七郎が外、討死する者五十三人、被疵者五百余人也、子は父に別れ、弟は兄に殿れて、諦哭する声、家々に充満り、去共瓜生判官が老母の尼公有けるが、敢て悲める気色もなし、此尼公、大将義治〈○脇屋〉の前に参て、此度敦賀 ...
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帝王部十八|山陵下|修築
[p.1084] [p.1085] [p.1086] 諸陵周垣成就記 序 我兄芝山先生、〈名知名、字孟賓、〉嘗大和国郡山にすみたまへり、古の帝都なれば諸陵ここかしこにおはします、世くだりて土民攀躋り、もしくは発きなどして、あさましきことお深くなげき、其国に君たる人、其所に令たる者の、世々お重ねて心なきことおかなしみお ...
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地部三十一|豊前国|建置沿革
[p.0992] 大友記 大友由来之事 大友豊前守左近将監能直と申は、右大将頼朝公之御息也、其謂お尋るに、上野国大友四郎大夫経家之息女お頼朝寵愛まし〳〵、懐妊とならせたまひし時、大友斎院之次官親義にたまひて、後誕生なりしおんさうしお、市法師殿と申されしは此人なり、〈◯中略〉去程に、頼朝公富士之御狩お ...
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帝王部十五|太上天皇出家〈受戒、灌頂、受衣、天皇出家受戒、併入〉|信仏教而出家
[p.0864] 続世継 二鳥羽の御賀 鳥羽院、〈◯中略〉かくてつぎのとし〈◯永治元年〉御ぐしおろさせ給き、御とし四十にだにみたせ給はねども、としごろの御ほいも、又つヽしみのとしにて、年頃は御随身などもとヾめさせ給て、ぐせさせ給はねども、白河のおほいのみかどヾのヽむかひに、御堂つくらせ給て、くやうせさ ...
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帝王部六|践祚下|雑載
[p.0313] [p.0314] [p.0315] 源平盛衰記 三十二 四宮御位事 主上〈◯安徳〉は外家の悪徒に引れて、花の都お出て、西海の波の上に漂ひ御坐らん事お、法皇〈◯後白河〉御心苦く思召て、可奉還上由、平大納言時忠の許へ院宣お雖被下、平家是お奉惜、免進せざりければ、力及ばせ給はずして、さらば新帝お祝奉るべしと ...
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方技部七|式占〈九星併入軒廊御卜附〉|太乙占法
[p.0508] [p.0509] [p.0510] 二占要略 上 吉凶占法大略凡太乙の占法は、其国に止り守る者お主とし、外国より来る者お客とす、仮令ば客南方に在ば、之に向て南蛮お攻るに利あり、或主北方にあつて、敵も北方なる時は、主に向て国お守り、戦に利あるが如し、唯其変易挙て尽し難きのみ、仮令は兵お原野に陳ねて、旗 ...
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人部十六|義|義例
[p.1189] [p.1190] 長門本平家物語 十四 根井小矢太は伊東九郎〈○祐清〉に組んでどうと落つ、伊東九郎おとて押へて首おかく、この伊東九郎は源氏に付くべかりけるが、平家へ参る事は、父伊東入道、〈○祐親〉兵衛佐〈○源頼朝〉お討たんと内々議しけるお、ひそかに佐殿に告げ奉りて、伊豆の御山へ逃したりしによて ...
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帝王部二|神器上〈昼御座御剣 大刀契附〉|宝剣沈没始末
[p.0100] 玉海 文治元年四月廿五日戊寅、雅頼密々相具行事弁、参向草津、私侍五人、弁侍一人在後、行事弁相具深沓并裏無等、為備歩行也、史生盛安、官掌為久等、今朝沙汰具幄幔等、参向草津了雲々、酉始参着高畠橋下方、不幾付御船、〈二尾(一本作瓦)河市古幣船也、中程懸隔簾為神殿、女房一人在御船称内侍、 ...
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器用部二十八|車下〈橇 修羅併入〉|網代車
[p.0831] [p.0832] 蛙抄 車輿 網代車〈或号輦物見車(○○○○)、或号袖白車(○○○)、大臣、及納言、大将乗用時、可有此号、自余公卿不乗袖白綱代車之故也、〉 大臣以下公卿用之、〈如毛車或抄雲、䙝時用之、〉多者直衣之時乗用之、又䙝時、若は遠所之時、著束帯差綱乗之、但当家著束帯時、打任て不乗歟、可勘、 箱 如 ...
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方技部三|陰陽道下|物忌
[p.0226] [p.0227] 宇治拾遺物語 五 これもむかし、大膳亮大夫橘以長といふ蔵人の五位ありけり、宇治左大臣殿〈○藤原頼長〉より召ありけるに、今明日は、かたき物忌(○○○○○)おつかまつる事候と申たりければ、こはいかに世にあるものゝ物忌といふことやはある、たしかにまいられよとめしきびしかりければ、恐なが ...
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動物部十三|虫上|竜
[p.1010] [p.1011] 竹取物語 大友の御ゆきの大納言は、我家に有とある人めしあつめての給はく、竜の首に、五色の光ある玉あなり、それとりてたてまつりたらむ人には、ねがはん事おかなへむとのたまふ、男ども、仰の事お承て申さく、仰の事はいともたうとし、但此玉たはやすくえとらじ、いはんや竜の首の玉は、い ...
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帝王部十一|行幸上〈朝覲行幸附〉|行幸雨儀
[p.0597] 西宮記 臨時十 行幸警蹕事 行路之間、若急有降雨、大将奉勅仰次将、命王卿以下戴簦、〈或又次将奉勅仰大将、大将仰外記令戴簦、而関白大閤仰雲、故殿仰雲、次将奉勅仰大将、大将便仰次将雲々、有便宜事、已上卿仰、〉 ...
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器用部二十八|車下〈橇 修羅併入〉|鞦
[p.0876] 揃注倭名類聚抄 三/車具 按、之利、臀也、加岐、謂勒絡之也、謂著褌、為多不左岐加久、即是也、与垣牆訓加岐同語、〈○中略〉空穂物語楼上下巻、謂之利加以、今俗所呼同、〈○中略〉按、玉篇、鞦、車鞦也、方言、車紂自関而東、周洛韓鄭女穎、而謂之鞦、釈名、釈車、秋、〓也、在後道迫使不得却縮也、説 ...
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歳時部七|元日節会下〈淵酔附〉|諸司奏
[p.0501] 延喜式 三十一宮内 凡蔵永之処、収氷多少、及氷厚薄、毎処具録、元日群臣未喚之前、省輔已上将本司入奏、并進氷様、其詞曰、宮内省申〈久、〉主水司〈能〉今年収〈太留〉氷合若干処、氷若干室、厚若干寸已下、若干寸已上、益自去年若干室、減自去年若干室、供奉〈礼留〉事申給、又太宰府進〈礼留〉腹赤 ...
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植物部十二|草一|稲雑載
[p.0829] [p.0830] 黍稷稲粱弁 蓋中華之地、江北少稲、故貴賎常食黍稷之雑穀、又或雑之以彫菰薏苡之類、而給食之不〓及也、江南常食稲米、貴賤共不食麦粟也、古者江南為中国之外、而其中国之人、賤者不得食稲米、唯天子有稲人稲田使者之官、掌供於祭祀礼食耳、〈◯註略〉論語曰、食夫稲衣夫錦、於女安乎、以稲対 ...
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人部八|生命|服薬而死
[p.0657] 太平記 十九 金崎東宮並将軍宮御隠事 尊氏卿直義朝臣大に怒て、〈○中略〉此宮〈○恒良親王〉是程当家お失はんと思召けるお知らで、若隻置奉らば、何様不思議の御企も有ぬと覚れば、潜に酖毒お進て失奉れと、粟飯原下総守氏光にぞ下知せられける、〈○中略〉春宮御手に取せ給て、抑尊氏直義等、其程に情な ...
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帝王部十二|行幸下〈朝覲行幸附〉|朝覲行幸〖附〗|臨時朝覲
[p.0719] 外記局記録 寛永十二年九月十六日 行幸次第 刻限公卿参著陣座、大臣在外方行雑事、先有召仰事、其儀職事下日時勘文、仰輦路留守等事、〈仰詞同職事〉次大臣召装束司弁、仰御輿御装束事、次公卿起座、此間衛府公卿帯弓箭、次天皇〈◯明正〉出御南殿、御剣内侍候御前、璽内侍候御後、立御帳前御時候左右、 ...
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器用部六|容飾具一|鏡製作
[p.0349] 更科日記 はゝ一尺の鏡おいさせて、えいて参らせぬかはりにとて、僧おいだしたてゝ、初瀬にまうでさすなり、三日さぶらひて、此人のあべからんさま、夢にみせ玉へなどいひて、まうでさするなめり、 ...
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